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金子光晴r南方詩集』について 47 金子光晴『南方詩集』について 1 金子光晴のr女たちへのエレジー』 (昭和24・ 5、創元社)の中に、 「南方詩集」がおさめられ ている。そこに、「ニッパ椰子の唄」以下、東南 アジア放浪から生まれた23篇の詩があまれてい る。 金子光晴は、昭和3年末から昭和7年なかぽに かけて、ほぼ5年間におよぶ二度目のヨーロッパ 旅行をしているが、そのゆきかえり、それぞれ半 年以上もの期間を、東南アジア植民地の放浪につ いやしている。 《僕は、ふたたび、マレー半島の奥にはいって いった。そこの原始的な自然は、なによりも僕の 苦渋にみちた心を解放してくれた。人間のくらし も素朴だった。ニッパ梛子のさやぎや、巨嗜鳥の 叫び、野猿の哀傷にみちた呼び交わしなどをきい て日を送った。僕にとっては、故国以上のなつか しい日々だった。 そのあいだに、僕の詩がまた、はじまった。し かし、それは決して、世間に評価を問うための作 品ではなかった。小さな手帳のはしに書きとめて おけば、それで満足だった。僕は、そういういじ いじした表現の習慣を、心の底ではあざわらって いたが、また、それによってなぐさめられてもい たのだ。》 (r詩人金子光晴自伝』、平凡社) この文章からすれば、「南方詩集」にあまれて いる詩篇は、ヨーロッパからの帰途、東南アジア 放浪中に書きはじめたものと推察される。それは 金子光晴にとって詩の復活を意味した。一度は、 完全に詩作を放棄し、パリなどのヨーロッパの都 会で、食うためにあらゆることをやって、文学と は無縁な暮をして来た金子光晴が・ふたたび詩を 書きはじめたのである。世間に評価を問うための 作品としてではなく、漂泊の心をみずからなぐさ めるものとして。日本にも、ヨーロッパにも自分 の居場所を見出せず、食いつめたどん底生活をさ まよって来た金子光晴のr苦渋にみちた心」が、 東南アジアの原始的な自然や素朴な人間のくらし の中で解放され、 r故国以上のなつかしい日々」 を過すうちに、詩がよみがえったのである。 そのようにしてよみがえった金子光晴の詩魂の みずみずしいひびきを、われわれは、たとえば、 「ニッパ椰子の唄」に聞くことができる。 赤鋤の水のおもてに ニッパ椰子が茂る。 満々と漲る水は、 天とおなじくらい 高い。 むしむしした白雲の映る ゆるい水髪から出て、 ニッパはかるく 爪弾きしあふ。 こころのまっすぐな ニッパよ。 漂泊の友よ。 なみだにぬれた 新鮮な鹿毛よ。 金子光晴は、かつて眼前の自然をこのような新 鮮な感動をもって歌ったことはなかった。むしろ 自然への関心はうすい詩人であった。ところが、 ここでは、東南アジアの原始的な自然に心をひら き、そこに文明の果のrさびしい明るさ」見出し て歌っている。 文明のない、さびしい明るさが 文明の一漂流物、私をながめる。 胡椒や、ゴムの プランター達をながめたやうに。

金子光晴『南方詩集』についてir.lib.fukushima-u.ac.jp/.../fukuro/R000001992/5-137.pdf金子光晴r南方詩集』について 47 金子光晴『南方詩集』について

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金子光晴r南方詩集』について 47

金子光晴『南方詩集』について

木  村 幸  雄

1

 金子光晴のr女たちへのエレジー』 (昭和24・

5、創元社)の中に、 「南方詩集」がおさめられ

ている。そこに、「ニッパ椰子の唄」以下、東南

アジア放浪から生まれた23篇の詩があまれてい

る。

 金子光晴は、昭和3年末から昭和7年なかぽに

かけて、ほぼ5年間におよぶ二度目のヨーロッパ

旅行をしているが、そのゆきかえり、それぞれ半

年以上もの期間を、東南アジア植民地の放浪につ

いやしている。

 《僕は、ふたたび、マレー半島の奥にはいって

いった。そこの原始的な自然は、なによりも僕の

苦渋にみちた心を解放してくれた。人間のくらし

も素朴だった。ニッパ梛子のさやぎや、巨嗜鳥の

叫び、野猿の哀傷にみちた呼び交わしなどをきい

て日を送った。僕にとっては、故国以上のなつか

しい日々だった。

 そのあいだに、僕の詩がまた、はじまった。し

かし、それは決して、世間に評価を問うための作

品ではなかった。小さな手帳のはしに書きとめて

おけば、それで満足だった。僕は、そういういじ

いじした表現の習慣を、心の底ではあざわらって

いたが、また、それによってなぐさめられてもい

たのだ。》 (r詩人金子光晴自伝』、平凡社)

 この文章からすれば、「南方詩集」にあまれて

いる詩篇は、ヨーロッパからの帰途、東南アジア

放浪中に書きはじめたものと推察される。それは

金子光晴にとって詩の復活を意味した。一度は、

完全に詩作を放棄し、パリなどのヨーロッパの都

会で、食うためにあらゆることをやって、文学と

は無縁な暮をして来た金子光晴が・ふたたび詩を

書きはじめたのである。世間に評価を問うための

作品としてではなく、漂泊の心をみずからなぐさ

めるものとして。日本にも、ヨーロッパにも自分

の居場所を見出せず、食いつめたどん底生活をさ

まよって来た金子光晴のr苦渋にみちた心」が、

東南アジアの原始的な自然や素朴な人間のくらし

の中で解放され、 r故国以上のなつかしい日々」

を過すうちに、詩がよみがえったのである。

 そのようにしてよみがえった金子光晴の詩魂の

みずみずしいひびきを、われわれは、たとえば、

「ニッパ椰子の唄」に聞くことができる。

赤鋤の水のおもてに

ニッパ椰子が茂る。

満々と漲る水は、

天とおなじくらい

高い。

むしむしした白雲の映る

ゆるい水髪から出て、

ニッパはかるく

爪弾きしあふ。

こころのまっすぐな

ニッパよ。

漂泊の友よ。

なみだにぬれた

新鮮な鹿毛よ。

 金子光晴は、かつて眼前の自然をこのような新

鮮な感動をもって歌ったことはなかった。むしろ

自然への関心はうすい詩人であった。ところが、

ここでは、東南アジアの原始的な自然に心をひら

き、そこに文明の果のrさびしい明るさ」見出し

て歌っている。

文明のない、さびしい明るさが

文明の一漂流物、私をながめる。

胡椒や、ゴムの

プランター達をながめたやうに。

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48 福島大学教育学部論集第26号

「かへらないことが

最善だよ」

それは放浪の哲学。

ニッパは

女たちよりやさしい。

たばこをふかしてねそべってる

どんな女たちよりも。

ニッパはみな疲れたやうな姿態で

だが、精悍なほど

いきいきとして。

聡明で

すこしの淫らさもなくて

すさまじいほど清らかな

青い襟足をそろへて。

 r文明のない、さびしい明るさが/文明の一漂

流物、私をながめる。」とあるように、金子光晴

は、自分を文明の果の原始的な自然のさびしい明

るさの中に漂うr文明の一漂流物」としてながめ

ている。その心には、rかへらないことが/最善

だよ」というr放浪の哲学」がしみこんでしまっ

ている。.「一漂流物」となってしまった金子光晴

は、帰るべきところがない。故郷を失い、祖国を

喪失した一個の漂泊者なのである。もはや、ヨー

ロッパヘのあこがれも、日本への郷愁もない。ヨ

ーロッパにも、日本にも絶望し、 r苦渋にみちた

心」をいだいて放浪をつづける金子光晴は、かろ

うじて東南アジアの地で、r故国以上のなつかし

い日々」を見出し、そこでふたたび詩を書く心の

はずみをつかむことができたのである。

 ところで、詩集r鮫』 (昭和12・8、人民社)

の自序に、 r鮫は、南洋旅行中の詩」とあるよう

に、金子光晴は、東南アジア放浪中に、一方で構

「鮫」のようなはげしい植民地支配に対する批判

の詩を書き、他方では、 r南方詩集」におさめら

れているような植民地のみじめな生を生きている

女たちにささげたr女たちへのエレジー」を書く

というかたちで、詩を復活させたのである。つま

り、東南アジアにおける金子光晴の詩の復活が二

面性をもっていたことに注目しなければばならな

い。

 おそらく、「南方詩集」におさめられている詩

1974-11

は、世間に評価を問うための作品としてではなく

小さな手帳のはしに書きとめておけばそれで満足

で、それによって自分がなぐさめられるものとし

て書かれている。いわば、それらはくなぐさめ〉

の歌として書かれている。漂泊者のさびしさをな

ぐさめる歌として、あるいは植民地でみじめな生

をしいられている人間の深い悲哀をなぐさめる歌

として一一〇

 もう一方のr鮫」の方は、<よほど腹の立つこ

とか軽蔑してやりたいことか、茶化してやりたい

ことがあったときの他は今後も詩は作らないつも

りです。>(r鮫』自序)という言葉に端的に示

されているように、いわば、〈怒り〉の詩である。

詩を現実批判の鋭い武器とする立場で書かれたも

のにほかならない。

 この二つの面の関係について、安東次男はつぎ

のようにいっている。

 《そうした中にあって、金子光晴という詩人は、

正真正銘異邦人でしかありえなかった唯一の存在

であるといってよい。彼ほど疎外された人間の意

識をもちつづけた日本人は稀有であろうし、それ

故にまた、徹底した人間不信と、その究極のとこ

ろで壮大な人間信頼の夢をはぐくんだ詩人もいな

い。そしてこの二つ(人間の不信と信頼という)

が、どうやら文学青年のポーズでなくなってきた

ところに、つまり日本人として何の不自然さもな

しにこういうことばを日常の糧とできるようにな

ったところに、この詩人のドラマを見る気が、私

にはするのである。 (中略)

 その決定的な機会となったのが、ヨーロッパで

はなく、中国、南方の放浪生活であったことは注

目されなければならぬ。詩集『鮫』とr南方詩

集」は、そういう時期の作品である。あえていえ

ば、 r鮫」はこの詩人の反骨の強靱な部分であり

r南方詩集」は皮膚でいえば、もっと隠された、

やわらかな部分である。と云ってもよかろうか。

同様のことは、そのあとにつづく中日戦争から太

平洋戦争中にかけての作品についてもいえる。》

(『金子光晴全集2』 r解説」)

 たしかに、安東次男も云っているように、r鮫」

を、この詩人のr反骨の強靱な部分」であるとす

るならば、r南方詩集」は、r皮膚でいえば、

もっと隠された、やわらかな部分」にあたるとい

えよう。そして、この二つの面は、金子光晴の中

で、わかちがたくからみあい、ささえあっている

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金子光晴『南方詩集』について 49

のである。ところで、その「反骨の強靱な部分」

である「鮫」がよく論じられてきているのに比べ

れば、そのrもっと隠された、やわらかな部分」

にあたる「南方詩集」については、まだ充分照明

があてられてきているとはいいがたい。そこで、

この小論では、金子光晴が東南アジア植民地の放

浪を通じてつかんだものが何であったかを、r南

方詩集」の中にさぐってみたい。そして、できれ

ば、日本にも、ヨーロッパにも絶望し、徹底した

人間不信におちこんだ詩人が、その究極のところ

で人間信頼の夢を復活させるというドラマに立ち

会ってみたい。

2

 r南方詩集」の冒頭に、「この詩集を東南亜細

亜民族混血児の諸君にささげる。」という献辞が

かかげられている。なぜ金子光晴は、この詩集を

とくに「東南亜細亜民族混血児」にささげたので

あろうか。そう思って、この詩集をひもとけば、

集中に、「牛乳入珈琲に献ぐ」r混血論序詩」

「子子の唄」という混血児を歌った三篇の詩がお

さめられていることに気づく。いずれも、ヨーロ

ッパ人とアジア人との混血児の悲しさ、淋しさ、

たよりなさを歌ったものである。

 まず、 「牛乳入珈琲に献ぐ」は、 「牛乳入珈

琲」、すなわち「黒人と白人の混血児」にささげ

られたものである。東南アジア植民地において、

彼等の存在ほどたよりない、淋しい存在はない。

そこには・原住民の他に、世界各地の国々からさ

まざまな人種の人間たちが移住して来て住みつい

ているが、それぞれ、インド人はマハトマ・ガソ

ジを祭り、中国人は中山先生や蒋主席の写真額を

かかげ、日本人は白木の神棚に祖先の神の木札を

祭るというぐあいに、祭るものをもっており祖国

とのつながりをもっている。それを心のよりどこ

ろにして植民地の苛酷な現実にたえ、生きて行

く。ところが、「牛乳入珈琲」と呼ばれる白黒の

混血児だけには、生まれ落ちた時から、祭るべき

神も、つながる祖国もない。

 ・だが、混血児よ。おまへだけは

かざるものがない。

まつる神がみない。

つぎに、r混血論序詩」をとりあげてみたい。

 ただひとすぢに身にしみてきこえてくるも

のは、スラー二一(混血児)たちの口笛の唄

のふし。

 二つの人種の和合とは、ほんの言葉のうへ

で、じつは、恥の結実にすぎぬ魂の、どこか

ひけめで、力なく、身も世もあらぬ節廻し。

スラー二一達は、波止場のドックに腰をかけ、

地図に祖国のないものの気楽さで、足をぶら

ぶらさせながら出船を眺める。その日、その

日は風まかせ、男たちはをどり場のパソドに

雇はれ、女たちは鴨をさがして、夜のエスプ

ラネードをさまよふ。心の底であくがれるも

のは、父母のふるさとよりも遠いイカリヤ。

かれらは消えてゆく

杯の底にのこった

シャンペンの泡のやう。

 混血児は、まず第一に、 「地図に祖国のないも

の」たちなのである。それは、いわば生まれなが

らの故郷喪失者、祖国喪失者といった存在にほか

ならない。彼らの吹く口笛は、r恥の結実にすぎ

ね魂の、どこかひけめで、力なく、身も世もあら

ぬ節廻し。」とならざるを得ない。それには、屈

辱と深い悲しみがこめられているにちがいない。

その口笛の唄のふしが、金子光晴に、ただひとす

じに身にしみてきこえてくるのは、彼自身もまた

r地図に祖国のないもの」という心境になって放

浪をつづけていたからにほかなるまい。つまり、

彼は、徹底した漂泊者となることによって、混血

児の悲しさ、淋しさ、気楽さ、はかなさを共有す

る位置に身を置いていたのである。そこから、金

子光晴の混血児たちにささげるエレジーは歌われ

ているのである。

 さて、「子子の唄」は、インビキサミという名

の混血娘をヒロインとする長い散文詩であるが、

この作品において、金子光晴は、東南アジア植民

地の混血児という存在に凝縮しているアジアの悲

劇を、実に深いところがらとらえて描いている。

 シンガポールは血をふいた切瘡。インビキ

サミの紅い唇も丁度それ。

 イソピキサミは、ヒγヅー・タミールとお

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50 福島大学教育学部論集第26号

らんだのまじった混血娘。二種のちがった血

の流れは、まじりきれず、彼女のからだのす

みずみでたたかふ。目の周りや、こめかみ、

小鼻のふち、口のはたなどに、タミールのづ

づぐろさが沈澱し、いやしみ淀み、とどこほ

り、白人からうけた白さは、蕎麦いろになっ

てうす濁る。

  冒頭のrシンガポールは血をふいた切瘡。イ

ソピキサミの紅い唇も丁度それ。」という鋭い比

喩とイメージによって、植民地の痛みと混血児の

痛みとが、みごとに一つに重ねてとらえられてい

る。そして、金子光晴は、このr血をふいた切

瘡」の内面の痛みにわけ入って行く。

 どれほど彼女が心にとめまいとしてもかの

女の血が父方の強掠と、ヒンズー人の母方の

恥辱と、どこまでも敵味方の二つの民族に岐

れ、遠く大きなつながりをひくことは拒むこ

とのできない事実。

 それをどうすることもできない、よそのす

らあにい同様、彼女も父方からはいやしめら

れ、母方の種族をわれからいとうて、ひきち

ぎって波にすてられた木芙蓉の花のようにか

らだもこころも宙ぶらりんにただようて。

 このように、混血児イソビキサミは、アジアの

植民地を支配する父方のヨー・ツパのr強掠」と

それに虐げられる母方のアジアの「恥辱」とを文

字通り自分の体内に血肉化している存在として描

かれている。一身に植民地における二つの民族の

敵対的対立関係をかかえ込んでいる彼女は、身の

おきどころがなく、「ひきちぎって波にすてられ

た木芙蓉の花のやうにからだもこころも宙ぶらり

んにただよう」存在にならざるを得ない。

 そういう鋭い矛盾と痛みを内部にかかえ込んで

いる彼女の存在は、たえず植民地の悲惨さを外部

の矛盾としてさらけ出している現実の光景にとり

かこまれ、責めつけられるのである。

 イソピキサミの父の種族が、真鍮のコンパ

スでくりとったグダン街の官庁公署の建物  いしわにが、火浣布の熱雲のしたに蜃気楼とならび、い

ふにかいない母の種族は、海になだれる石灰

の山で、人か、石灰かのけじめもっかず、黒

1974-11

い襤褸となってうごめく。かの女の歩む足許

の並木蔭にごろごろと午睡をむさぼり、膝を

立て、びんらうの実をしがんでは、紅い唾を

吐きちらすのは、やはりかの女の母の血縁◎

 イソピキサミの眼前には、いつもこのような植

民地の現実の姿が、のがれようもなくつきつけら

れている。それは、まさに、「血をふいた切瘡」

の生々しさで彼女の眼に迫ってくるのである。

 そういう植民地の苛酷で悲惨な現実の姿を、金

子光晴は、 r鮫」においては、植民地支配者を鮫

に寓して、はげしい憤りと批判をこめて描いてい

る。

石炭の蛆になって苦力達が蛮めいてるる。

鉄がいぶる。水がヂューヂューいふ。

渇いてる。憤ってる。まっくらになっている

 彼らがセメントを運ぶ。タールを煮る。      カキルマ    ハリヤプアサ殺風景な街の軒廊で、断食明の力ない泣音を

 あげる。

彼らは裸で、自分たちにむける砲台を工事し

 ている。

鮫は、彼らから、

両腕をパックリ喰取った。

そして、いういうと彼らのまはりを、

メッカの聖地の七めぐりを真似て

彼らを小馬鹿にしながら、めぐる。

鮫はAUTOのやうにいやにてかてかして、

ひりつく水のなかで、段々成長する。

 金子光晴のr反骨の強靱な部分」は、 r鮫」の

中にこのように植民地の現実に対する憤り、批

判となってあらわれている。それに対して、今こ

こでとりあげている「子子の唄」では、インピキ

サミという混血娘に即して、 r皮膚の一番感じ易

い、弱い場所で、例へばわきのしたとか足のうら

とか」(『蛾』「あとがき」)というところを通し

て、植民地の悲劇が痛みをもってとらえられてい

る。たとえば、「イソビキサミのいやな夢の話」

の章では、混血児の存在に凝縮された植民地の

悲劇が、イγピキサミの皮膚の痛みを通して描か

れているので、深い感銘を受ける。

 彼女は、夢の中で、父方の種族の男と思われる

男とドライブしている。自動車は、月夜の海浜の

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金子光晴r南方詩集』について 51

椰子の下をまわって、ヒンズーの部落へかかる。

ところが、コンクリの往来には、彼女の母方の種

族のタミールたちが、たぶん昼間石炭の山で働い

て火照る肌を冷やすためであろう、裸でずらりと

並んでねている。運転手はためらうが、男はふふ

んと鼻で笑って、かまわずのつかけろと顎でしゃ

くる。

 イソビキサミはおもはず、男の腕をつかま

うとしたが、あやふく自制した。父は立派な

お役人だ。ヒγズーなんてかかはりはないと

おもひ直して、彼女は観念の眼をつむる。車

は、人のうへにのりあげ右に左に、車台はぐ

らんぐらんぐらんゆれてすすむ。車は、母か

たの血肉の顔といはず、胸といはず、痩脛と

いはずひきつぶす。車のおもみには、彼女の

重みも加はっていると気づいて、ふらふら立

たうとする。息はあへぐ。喉はかはく。おそ

るおそるぬすみみれば、男は傲然と煙草をふ

かし、千里もへだたった距離から、彼女をお

ろしている。

 ここに、植民地の悲劇が、イソピキサミの内面

において極限にまでつきつめられて描かれてい

る。彼女は、父方の種族の非情冷酷な「強掠」と、

その犠牲としてふみにじられる母方の種族の「恥

辱」との鋭い敵対関係の板ばさみになって、まさ

に身のおきどころをなくし、無残に心をひきちぎ

られている。この混血娘インピキサミの鋭い血肉

の痛みを通して、金子光晴は、東南アジア植民地

のどん底に生きる人間の絶望と悲惨とを、彼の

r皮膚の一番感じ易い、弱い場所」につきささって

くるものとしてとらえることができたのである。

そして、 r鮫」においては、植民地政策に対する

はげしい憤りと批判を表現し、 r南方詩集」にお

いては、植民地政策の犠牲者とされた混血児や娼

婦たちにささげるエレージをを歌ったのである。

イソビキサミよ。淋しかろ。

おいらもやつばしおなしこと。

あがってきてもゆきばなく。

したへおりても住家なく。

宙をぶらぶらするばかり。

イソピキサミよ、かなしかろ

夜昼おいらが待ちくらす

蚊になるあすの夢もない。

にくむあひての張りもなく

聾す針もない。毒もない。

(中略)

イソピキサミよ、イソビキサミよ

おいらがおぬしをさしながら

世のはかなさを知るだろう。

にがいその血のびいどろで      すおいらの腹這透けながら。

 長い散文詩r子子の唄」は、混血娘イソピキサ

ミをなぐさめる唄で結ばれている。つまり、金子

光晴は、漂泊者としての自己を、 「宙をぶらぶら

する」ボウフラのイメージに託し、混血娘イソビ

キサミの淋しさ、かなしさ、はかなさを思いやり

をこめて歌い、なぐさめているのである。いいかえ

れば、金子光晴は、漂泊者としての自己の存在を

植民地における混血児の存在に結びつけて対象化

しつつ、植民地の底辺にさすらう人間の悲惨と苦

悩についての認識を深めて行ったのである。悲惨

な現実に生きる人間の生の根源的な姿についての

認識を深めることは、たとえそれが絶望をともな

うものであろうとも、人間に対するやさしい思い

やりと信頼とをよみがえらせる原点となるのであ

る。金子光晴は、日中戦争、太平洋戦争において

日本軍国主義が、r大東亜共栄国」の建設という

まやかしの大義名分をかかげて、中国大陸や東南

アジアに侵略を拡大して行った時期にも、そうい

う大義名分にまどわされることなく反戦の姿勢を

つらぬき、侵略の犠牲にされる民衆の悲惨と苦悩

とを思ひやることを忘れなかったのである。

5

 金子光晴が、漂泊者としての自己の存在を、東

南アジア植民地をさすらう混血児や娼婦たちの存

在に同化させて行った過程を、わたくしは、彼が

みずから故郷喪失者、祖国喪失者となって、世界

の底辺に生きる人間の生の原点に下降して行った

過程として眺めたい。

 周知のように、金子光晴は、昭和3年12月、妻

森三千代をともない、長崎から上海に渡る。二度

目のヨーロッパ旅行への出発であるが、今回の旅

行は、詩人としての挫折、生活の行きづまり、妻

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52 福島大学教育学部論集第22号

の恋愛事等が重なって、日本に居られなくなって

の海外脱出という意味あいでの旅立ちであった。

旅費の準備もなく、途中で金を稼ぎながらの旅行

であったので、中国、東南アジアでの無一物の放

浪が長びき、目的地パリに着くまでには二年がか

りとなってしまった。昭和4年5月、香港に一カ

月滞在し、6月シンガポールにわたり、それから

ジャワ、マレー半島を絵を画いて売りながら放浪

の旅をつづける。11月、やっと船でヨー・ッパに

向かう。その時の航海日記の断片が、r印度記一 ピナソ      アデソー檳榔島から亜丁まで」として、r老薔薇園』に

収録されている。

 《十一月十六日。ヨーロッパにはなんの魅力も

ない。

 ただ、ほかにゆく所がなくなってしまっただけ

なのだ。習慣風俗も私には、日本以上鼻について

みる。お嬢さんならお酒落の見習ひに、フランス

行もいい。 (中略)

 ヨー・ッパは、すでに、私にとっては試験ずみ

の土地だった。新らしいものなんかなに一つな

い。アメリカは?ヨーロッパのおできだ。

 ヨーロッパはいま、『世界』づらをしてみる。

洋服は、世界の服装であり、マキュアベリズム

は、世界の機構だ。亜細亜は、前世紀の巨竜の柱

骨だ。いくら上手に骨を並べて、針金でくっつけ

合せてみても、巨竜は生きかへって来ない。》

 まず、注目すべきことは、かつて金子光晴の心

を強く支配していたヨー・ッパヘの憧憬や心酔が

みじんも残っていないということである。おそら

く、そういうものは、中国や東南アジアの植民地

の悲惨な現実に、無一物で肌をこすりつけるよう

にして放浪するうちに、金子光晴の心からはぎと

られてしまったにちがいない。すでに、《スコー

ルを頭からかぶりながら、熱地の旅をつづけてい

ても、僕は、意気軒昂だった。僕の眼がみたもの

は、めずらしい南方の風物ではなく、血ポロをさ

げた原住民のみじめな生活だった。原住民までさ

がった僕の生活、手づかみでカレーをむさぼり、

路ばたで、サッテを食う僕のくらしが、僕を、彼

らに近づけた。

 シンガポール日報の長尾正平氏の家でごろごろ

しながら、僕は、スチルネルを再読し、レーニン

のr帝国主義論』を熟読して、僕はいつのまに

か、ふるい植民地政策を批判する手がかりをつか

んだ。搾取と強制労働で疲幣した人間の目前のサ

1974-11

ソプルには、事を欠かなかった。》 (『詩人金子

光晴自伝』)という植民地経験を経て来ていたの

である。

 植民地のどん底の生活に下降し、放浪する中で・

金子光晴は、徹底した「コスモポリタン」として

の自覚を深め、世界の現実を批判的に眺めるr異

邦人の眼」を獲得して行ったのである。

 《私というものは、どうやら反省してみるに価

しない個体だ。

 今、この同船の人達を比較してみても、私ほど

故国から完全に切り離されてしまった人間は一人

もみないのだ。私には、懐郷心がなくなってしま

った。ヨーロッパに心の籍をおきたいなどとい.う

酒落気は猶更ない。人間は、言葉がちがふだけで

どこへいってもおなじものだ。おなじやうに狡猾

で、欲ばりで、じぶんのことしか考へていないく

せに、他人のエゴイズムを擯斥しあふ。そして、

世界にr標準秤』が存在するものと夢想してみ

る。むろん、じぶんの秤こそそれだと考へている

のだが。さう信じなければ、一歩道を歩くことも

できない憶病な動物なのだ。 (中略)

 だが、私は、自分の故国を離れたと同様に・あ

らゆる所属の国民たちと話す種がなくなったやう

だ。》

 ここには、r故国から完全に切り離されてしま

った人間」、完全に孤独な漂泊者となった金子光

晴の絶望の深さが語られている。その絶望の深さ

の中で、彼は自己をrコスモポリタン」として自

覚して行くのである。r玳瑁」という散文詩にそ

の心境が描かれている。

 ヨーロッパ航路のデッキで、さまざまな国籍の

男女がとりとめのない会話にふけっているのを、

私と混血女の二人だけがとり残されて、そばで黙

って聞いている。この二人だけが、rこの船のう

へでの失意の人間だった」のである。二人だけを

のけ者にし、異邦人視する船客たちの視線を浴び

せられることによって、私と混血女とは、へだて

のとれたあいだがらとなって行く。

一どうしたんでせうね。いったいこれは?

はじめて彼女は口をひらいた。

一自由になったんですよ。

一自由って。

一私たちはコスモポリタンになったのです。

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金子光晴r南方詩集』について 53

(中略)

一淋しいですか。そんな顔をしていますね。

あの舟は和蘭の会社KPMの船ですよ。あの

舟にのっている人達は、みんな国籍のある人

達です。アメリカ人、イギリス人、ポルトガ

ル人、其他其他。あの船は国家なのです。あ

の舟が私達をおき去りにしていったのです。

私たちは舟からすてられた芥塵なんですよ。

一なぜ。こんな空宙に宙ぶらりんみたいな

生活はたえられませんわ。

一私は思想のコスモポリタンです。あなた

は混血児です。二人とも故郷をもっていない

んです。

 ここであきらかなように、金子光晴は、r私」

と「混血児」とを、二人とも故郷をもっていない

「コスモポリタγ」であるという共通点で結びつ

けているのである。二人は、r舟(国家)からす

てられた芥塵」として漂流する存在となり、r空

宙に宙ぶらりんみたいな生活」にたえねばならな

くなる。ここで、r文明の一漂流物」 (「ニッパ

椰子の唄」)、rひきちぎって波にすてられた木

芙蓉の花のやうにからだもこころも宙ぶらりんに

ただようて」 (「子子の唄」)という同系列の比

喩が、漂泊と混血児とに用いられていることを思

いうかべてみる必要があろう。漂泊者と混血児と

は、国籍をすてたrコスモポリタン」の自由と、

帰るべき故郷をもたない淋しさとを共有している

のである。つまり、金子光晴は、東南アジアの放

浪の中で深めたrコスモポリタン」としての自覚

を、自己を混血児の存在に結びつけることで、明

確に対象化しているのである。

4

 r南方詩集」には、混血児にささげられた詩と

並んで、植民地の娼婦たちにささげられた数篇の

エレジーがふくまれている。その中の一つ、「女

たちへのエレジー」をとりあげてみよう。

女たち。

チリッと舌をさす、辛い、火傷しさうな

野糞。

第一連は、このように歌い出されている。 r女

たち」をr野糞」にたとえるのは、いかにも金子

光晴独特の痛烈な比喩である。自分の肉をひさぎ

ながら、ぼろ屑のようになるまで、植民地の苛酷

な現実の底辺をさすらわねばならぬみじめな女た

ちの存在の核心をつかんだ比喩となっている。こ

れも、さきに見たr舟(国家)からすてられた芥

塵」と同系列の比喩と見なされる。つまり、植民

地の娼婦たちの存在は、貧しい故郷から身売りさ

れて来て、故郷に帰れる望みもなく、祖国の披講

の外にはみ出して、身も心も腐りはてるまでさす

らいつづけ、悲惨な末路をたどることをよぎなく

されているのであるから、まさに、r舟からすて

られた芥塵」であり、荒野にうちすてられた「野

糞」のようなものである。

 しかし、金子光晴は、いうまでもないが、そう

いう女たちの悲惨な存在を、けっして高みから眺

め下して、おとしめているのではない。みずから

そのみじめな女たちの生の現実にまで下降して、

それに身を寄せて歌っているのである。

辺外未開の地をさすらって、どこまでもく

っついてゆくこの身こそ、女共にたかるかな

しい銀蝿。

 このように、最終連では、自分自身の存在をも

そういうr野糞」のようなr女共にたかるかなし

い銀蝿」という比喩でとらえているのである。そ

して、「チリッと舌をさす、辛い、火傷しさうな

」というr野糞」の味は、まさしく、辺外未開の

地をさすらって、どこまでも女共にくっついて行

くr銀燭」の舌を通してとらえられているのであ

る。そこにとらえられているのは、苛酷な現実の

荒野にさらけ出された女たちの悲惨の生の味わい

にほかならない。そこに人間の生のつらさがそれ

に触れるものの舌をさす凝縮された味わいとして

とらえられている。つまり、この詩は、・r野糞」

と「銀縄」という痛烈な比喩の緊密な照応によっ

て成り立っているが、これはたんにレトリックの

問題ではない。詩人の自己認識、人間認識の深さ

の問題とわかちがたくつながっている。金子光晴

の詩の中に、他の詩人には見られない、独特の下

がかった比喩があらわれてくるのは、彼が植民地

のどん底の人間の生の現実に下降して行くことと

軌を一にしている。

 「女たちへのエレジー」の中には、第二連から

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54 福島大学教育学部論集第26号

第六連にわたって、東南アジア各地をさすらうさ

まざまな人種の娼婦たちの姿が、リアルに描き込

まれている。たとえば、《芙蓉市で、黄ろい眼や

にのかたまりで眼がふさがって、昨日の客のみわ

けがっかない女。/襟垢が固ってひびが入り悪疾

のかさぶたがあっちこっちに。市場から市場へふ

ごに入れられ、はこばれて転々とうられてきたオ

ラy・チナは、どっちをむいて生きてゆくのか、

じぶんの方角すら皆目しらない。》

 このような、一瞬眼をそむけずにはいられぬよ

うな悲惨で醜悪な女の存在に、眼をそむけずに近

づき、それをたじろがずに見つめることによって

はじめて、世界と人間存在のリアルな姿を、あら

ためて現実のどん底の視坐から見直す眼を獲得で

きたのであろう。

 さて、「女たちへのエレジー」において、娼婦

たちをr野糞」にたとえるところまで下降してい

る金子光晴は、r洗面器」においては、娼婦のさ

びしい尿の音に耳をかたむけている。この詩には

つぎのような前書がつけられている。

 《僕は長年のあいだ、洗面器といううつはは、

僕たちが顔や手を洗うのに湯、水を入れるものと

ばかり思っていた。ところが、爪畦人たちはそれのンピソ イカン

に羊や魚や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁を

なみなみとたたへて、花咲く合歓木の木蔭でお客

を待っているし、その同じ洗面器にまたがって広

東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめしや

ぼりしやぽりとさびしい音をたてて尿をする。

洗面器のなかの

さびしい音よ。

    ケンジョンくれてゆく岬の  となり雨の碇泊。

ゆれて、

傾いて、

疲れたこころに

いつまでもはなれぬひびきょ。

1974-11

人の生のつづくかぎり。

耳よ。おぬしは聴くべし。

洗面器のなかの

音のさびしさを。

 この「洗面器のなかの/さびしい音よ。」とい

う呼びかけには、人の生のどん底に生きる女たち

への哀切きわまった思いやりがこめらている。こ

のrさびしい音」には、たんに娼婦の生のさびし

さばかりではなく、漂泊者の生のさびしさも、そ

のほか、人の生のいっさいのさびしさが凝集して

ひびいているのである。だからこそ、「人の生の

つづくかぎり。/耳よお癒しは聴くべし。」とい

わずにはおられないのである。こうして、金子光

晴は、娼婦のさびしい尿の音を通して、人の生の

根源的なさびしさに耳をかたむけるところまで下

降するることによって、現実のどん底に根ざす人

間への愛をよみがえらせているのである。

 この詩を、安東次男は、「これほど生きてある

ことの倦怠の深さを、人肌の温もりを余すところ

なく伝えながらうたった詩は、日本の近代詩史の

中で絶無であるといってもよい。」 (r金子光晴

人と作品」r日本詩人全集24』新潮社)と評価し、

「女たちへのいたみ歌」 「虐げられた人たちに寄

せる愛のうた」としてとっているが、わたくしも

同感である。ここで愛というのは、わたくしなり

の意味でいえば、人の生の根源的なさびしさを、

この世の中でもっともみじめに生きている人間と

共有しようという自覚の深まりにほかならない。

 このように見てくるならば、 r南方詩集」は、

金子光晴が、二度目のヨーロッパ旅行のゆきかえ

りに放浪したアジアの植民地での現実経験を通じ

て、世界の底辺にうちすてられてもっともみじめ

な生を生きている人間たち一混血児や娼婦たち

の生の現実にまで下降し、彼らのかなしみやさび

しさやはかなさを共通するところがら生まれたも

のであるということができよう。それを、 r皮膚

の一番感じ易い、弱い場所」につきささってくる

痛みとしてとらえ、歌った点において、稀有な

「いたみ歌」「愛のうた」となっているのである。

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金子光晴r南方詩集』について 55

On IVσ吻δS肋hπby Kaneko Mitsuham

Yukio KIMURA

 ハ融解ρ6S毎shO includes some elegies on half-bloods and prostitutes in the Southeast

Asia.Ha1壬一bloods and prostitutes were col㎝ial sufferers.Kaneko Mitsuharu sympathized

withthem鋤dc㎝[P・sedthese脚s・ftheir即ief・1・neliness㎝dfickleness、Inthisstudy,I trace the process in which he assimilated himself to those who suffered from

a colonial policy.