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1 言語の「使い分け」と心理 ~方言における東北人の劣等感はなぜ存在するのか~ 国際文化学科 4 年 三浦 千恵 はじめに 第 1 章 方言の定義と、方言に対するイメージ評価の分かれについて 第 1 節 “方言”が意味するもの 第2節 自己評価の地域別特徴 第3節 広がるステレオタイプの方言イメージ 第4節 愛される京都弁の魅力 第2章 言葉の使い分けに潜む若者の心理 第 1 節 言葉の選択による若者の同化 第2節言葉を創造する若者 第3章 方言意識の比較からみる東北と関西 第 1 節 大阪の方言意識 第2節 東北における方言意識の劣等感 第3節 方言消極派の仙台の方言の将来性 おわりに はじめに 1950 年代後半から標準語普及政策の施行により方言撲滅運動が盛んになった。書き言葉レベルで目 から入る情報として教科書を標準語 (1) で統一した。その後、 1960 年代後半に入ってから話し言葉レ ベルである耳から入る情報としてテレビでも統一され、それ以降方言は罪の対象として扱われた。 しかし 1990 年代に入り日本各地で方言の復活の流れが出てきた。その頃に私は祖父や地域の人の 方言を聞きながら育ってきた。私は地元の方言が好きだし、訛りながら友達と話すことが楽しい。し かし仙台で生活するようになってから、無意識のうちに訛りを隠して話していることに気が付いた。 後から考えてみれば、周りに自分と同じような訛りを出している人がいないので、自分だけが訛るの は恥ずかしいという意識が生まれたり、他の人と言葉を同化させて目立たなくしたいという意識があ ったのかもしれない。方言は好きなのに無意識に標準語と「使い分け」てしまう。ではなぜ「使い分 (1) 標準語…①その国、または社会の公的生活における言語の規範となるもの。 ②東京の山手方言に基盤を置き、各地方言に対し全国の共通語として用いられ、国語を代表するものと考えられ ているもの

言語の「使い分け」と心理jfmorris/Sotsuron/2009/MiuraHougen08.pdf2 け」をしてしまうのかを、自分と同じ若者世代に焦点を当て、若者の心理と言葉の関係をベースに考

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言語の「使い分け」と心理 ~方言における東北人の劣等感はなぜ存在するのか~

国際文化学科 4 年 三浦 千恵 はじめに

第1章 方言の定義と、方言に対するイメージ評価の分かれについて

第1節 “方言”が意味するもの

第2節 自己評価の地域別特徴

第3節 広がるステレオタイプの方言イメージ

第4節 愛される京都弁の魅力

第2章 言葉の使い分けに潜む若者の心理

第1節 言葉の選択による若者の同化

第2節言葉を創造する若者

第3章 方言意識の比較からみる東北と関西

第1節 大阪の方言意識

第2節 東北における方言意識の劣等感

第3節 方言消極派の仙台の方言の将来性

おわりに

はじめに 1950 年代後半から標準語普及政策の施行により方言撲滅運動が盛んになった。書き言葉レベルで目

から入る情報として教科書を標準語(1)で統一した。その後、1960 年代後半に入ってから話し言葉レ

ベルである耳から入る情報としてテレビでも統一され、それ以降方言は罪の対象として扱われた。

しかし 1990 年代に入り日本各地で方言の復活の流れが出てきた。その頃に私は祖父や地域の人の

方言を聞きながら育ってきた。私は地元の方言が好きだし、訛りながら友達と話すことが楽しい。し

かし仙台で生活するようになってから、無意識のうちに訛りを隠して話していることに気が付いた。

後から考えてみれば、周りに自分と同じような訛りを出している人がいないので、自分だけが訛るの

は恥ずかしいという意識が生まれたり、他の人と言葉を同化させて目立たなくしたいという意識があ

ったのかもしれない。方言は好きなのに無意識に標準語と「使い分け」てしまう。ではなぜ「使い分

(1) 標準語…①その国、または社会の公的生活における言語の規範となるもの。 ②東京の山手方言に基盤を置き、各地方言に対し全国の共通語として用いられ、国語を代表するものと考えられ

ているもの

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け」をしてしまうのかを、自分と同じ若者世代に焦点を当て、若者の心理と言葉の関係をベースに考

えていきたい。

第 1 章では方言の定義、一般的に自己評価も他者評価も「良い」とされている方言を挙げ、好感度

の秘密について探る。第 2 章では若者の言語生活と心理の関わりから、①方言と共通語の「使い分け」

②渋谷弁など若者のある小集団から生じる若者集団語、の 2 つの視点で、集団によって言葉を変える

のはなぜか、第 3 章では方言に対して消極的である東北人の意識の現状を方言の中でも 1 番メジャー

である関西弁を使う人々の意識と比較し、東北人の劣等感からくる使い分けをする意識の背景にある

ものを明らかにする。そして 後に使い分けが意図する心理状態が今後の日本の言語にどう影響を及

ぼし、発展及び退化していくのかを考察する。

第 1 章 方言の定義と、方言に対するイメージ評価の分かれについて まず始めに方言の意をつかみ、同じ日本語である各方言についているそれぞれのイメージが存在す

ることに触れると共に、地域別にした場合どのように評価が分類されるかを見ていこうと思う。

第 1 節 “方言”が意味するもの

方言とは一般に地方独特の訛りのことを指す意味で使われている。方言が衰退していると言われる現

代では本当に“方言”が衰退しているのか。まず始めに、“方言”とはなにか定義を明らかにしていく。

方言

① あるひとつの言語における変種のこと。共通語、標準語とは異なった形で地方的に用いられる。

語彙・発音(訛り、アクセントなど)・文法・表記法のいずれか、もしくはいくつかの面で差異が

見られる。

② また、特定の階級・仲間などの用いることばであり、隠語、俗語の類のこともいう。

出典:日本国語大辞典第二版、小学館、2001 年

つまり、方言とは、一般的に理解されているように地方の言葉という意味だけでなく、小集団内で

通じる言葉も含まれている。現在、地域で伝わる方言とは形を変え、新たな“方言”としていくつも

成立している。比較的 近成立し、方言と気づかれずに使用されている「新方言」や、新方言の一種

であり共通語や他方言の接触により発生したもの「ネオ方言」、特殊方言と呼ばれ、若者が発信源とな

りめまぐるしく変化する仲間内で使われる「渋谷弁(ギャル語)」なども方言の一種である。これを踏

まえた上で現在の「方言」に対する国民の意識と評価について調べていく。

第2節 自己評価の地域別特徴

出身地の方言に対しての意識は、その地域への密着度が関係しているのではないか。そこで、全国

県民の意識を見てみる。

○ 郷土意識

・ 県人意識が高い県

北海道 青森 岩手 秋田 山形 東京 新潟 富山 石川 長野 京都 大阪 島根 高

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知 熊本 宮崎 鹿児島

・ 県人意識が低い県

茨城 埼玉 千葉 三重 滋賀 兵庫 山口 福岡

このように県人気質には特に地域的まとまりはなく、都市と非都市部という別れ方もない。次に

帰属意識の調査を見てみる。

・帰属意識が弱い

茨城 埼玉 千葉 神奈川 三重 滋賀 岡山

以上は大都市圏に隣接する県である。これらの県は大都市で生活する上で住むのに立地が良い。

そのため他県から移り住んだ人たちが流入し、人口が増加する。そういう「ソトの人」が増加するこ

とによって伝統行事の希薄化、町の景観の変化、地域の人間関係の希薄化により、以前から住んでい

た人々も愛着心を持てない人が増加してきた。

・ お国言葉に対する3つの意識

1、お国言葉は好きか? 2、お国言葉は残していきたいか? 3、地方訛りは恥ずかしい

か?

この質問の答えは4つのパターンに分けられる。

表 1 お国言葉に対する意識の地域別分類

方言には好意的だが、お国言葉に対し

ては劣等感を持つ

東北 6 県、島根、徳島、鹿児島

方言に対して無関心、必要性を感じな

千葉、奈良、埼玉、滋賀

方言に対して好意的、お国言葉の劣等

感は比較的少ない。

北海道、長野、高知、福岡、長崎、熊本、宮崎、沖縄

方言に非常に好意的、強い誇りを持つ 京都、大阪

備考:安藤龍男著、『現代の県民気質―全国県民意識調査―』1997 年、から作成

郷土意識が高い県ほどやはり方言にも好意的であるが、歴史的に日本の文化の中心となった京都や

大阪、独自の文化に誇りがある沖縄に比べると、東北全県など、地方は他の地域に対して自分の言葉

に劣等感を感じている。また、大都市圏の周辺では方言というものがそもそも不必要であり、極めて

標準語寄りの意識を持っている。

第3節 広がるステレオタイプの方言イメージ

1 節では自分の方言に対する自己評価について述べた。2 節ではもう 1 つの方言に対する評価の側

面、他者評価について調べていく。ここから読み取りたいのは、また、現在知られている方言のうち

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どこの方言が好まれているのか、また、イメージのよい方言とはどんなイメージを持つのかについて

である。

表2 方言に対する評価の地域差

聞き取りにくい

早口

悪い言葉

汚い

きつい

荒っぽい

表現が豊か

親しみやすい

味がある

きれい

丁寧

穏やか

○ ○ ○ ○ ○ ○ 京都

● ○ ○ ○ ○ 那覇

● ● ○ ○ ○ 鹿児島

● ○ ○ ○ 福岡

● ● ● ● ○ ○ ○ 弘前

● ● ● ● 広島

● ● ○ 高知

● ● 大垣

出典;佐藤和之・米田正人著『どうなる日本のことばー方言と共通語のゆくえー』、1999 年、32 頁

上の表は全国のうち 8 地点においての方言イメージを良いイメージは○、悪いイメージは●で表記

したものである。ここで特に注目すべき点は京都弁である。悪い評価が一切ない。また、インターネ

ット上で好きな方言について調べたアンケート結果にも、京都弁が好きだという意見が多かった。ま

た、同じ関西地方でも関西弁の人気も高い。これはメディア露出が高く、よく耳にすることもあり、

関西弁という言葉の位置づけがしっかりなされているからのように思う。好まれるのは「方言」とし

て全国的に有名であり、メディアでもごく自然に使われている方言が多い。

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図1 好まれる方言

470 425

77

875

375 417

22512082

594

1222

634

0

500

1000

1500

2000

2500

北海道 津軽 秋田 東京 神奈川 名古屋 京都 大阪 広島 博多 沖縄

備考:ネットリサーチ ディムスドライブ

http://www.dims.ne.jp/rankingresearch/1_50/022/001.html およびステイブル 賃貸・売買

物件・不動産情報のオリコンランキングhttp://house.oricon.co.jp/45183/

ミクシィ http://mixi.jp/ より作成。

上記の 3 つのアンケートを集計した結果、1 位京都弁、2 位大阪弁が抜きん出ていることが分かっ

た。この結果から、なぜ日本人は京都弁に惹かれるのかが疑問になってくる。

第4節 愛される京都弁の魅力

京都弁は方言の女王。そう言われるにふさわしい理由がインターネット上のアンケートや意見か

ら伺える。京都弁ははんなりしていて、おしとやかで女性が使うと可愛らしい。そもそも京都弁のイ

メージは京都の地域イメージと共通している。京都と言えば貴重な歴史ある建築物、着物、漬物、舞

妓、庭園などが 初にイメージされる。古きよき日本が圧縮された地域のようにイメージがステレオ

タイプ化され、現在の京都の実体とは別に、やや片寄ったイメージが形成されている。しかし外部の

人間はその片寄ったイメージに好感を抱き、「京都らしいもの=日本らしいもの」と理解する。なぜ片

寄ったままのイメージがここまで広まったのか、それは「京都らしさ」を作りあげる京都の人々にも

要因がある。それを観光スポットとしての京都から述べる。

京都を訪れる観光客は総数で 1985 年は 3832 万人から 2000 年の 4051 万人へと衰えることなく

伸び続けている。京都文化は「日本の古巣へ戻る」「心の原点」といった懐古性(レトロ)が「京都らし

さ」として観光客を誘引する。そんな中、京都らしい親切なおもてなしやはんなりした行動は京都の

ごく一部であり、観光的に作られたイメージに即して行われる独善的場所提供意識があるという。観

光客は主観的にその京都に触れ、京都の「日本らしさ」のイメージを強固にするのである。観光で見

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た美しい表面を見ただけで、京都に関わるもののイメージは決まってしまう。

では、そもそもの京都弁のイメージや、観光客が実際に京都に赴き、強固にしてもって帰ってく

る「京ことばのイメージとは」どのようなものか。それを具体的に挙げてみることにする。京言葉の

柔らかい穏便は日本人好みである。「おこしやす」は「おいでやす」より丁寧であり、「おおきに」「ご

めんやす」「またきとおくれやす」などを親しい人や観光客できちんと使い分けている。回りくどく婉

曲に何事も表現する。言葉だけに留まらず、日本人が好むのは、煮え切らない回答。イエス・ノーを

はっきり言わないのが日本人の特徴で、ファジー(2)感覚と言えるあいまいな中間的回答・態度を好

む。因って京都の風物や風習の日本らしさの魅力・柔らかな人の物腰や「気配り・眼配り・耳配り」

などの立ち居振る舞い、ファジーな京ことばの表現・表情はすべて京都らしいイメージの土台であり、

ここから発せられる言葉や行動は婉曲を好む日本人にとっての「日本人らしさ」の拠り所なのである。

それを知ってか知らずか日本人は京都に魅力を感じ、京都に好感を持ち、京都弁に対しても悪いイメ

ージを持っていない。

第2章 言葉の使い分けに潜む若者の心理 第1章では、人々は方言に触れると何らかのイメージを抱いたり価値判断をしたりして、方言に好

みの分かれることがわかった。好き嫌いの感情から自分の地域の方言を隠したり、わざと他の地方の

方言を使用したり、仲間内だけで使う新方言を派生するというような言語選択行為が今若者を中心に

盛んに行われている。ただ好き嫌いという感情だけでこの言語選択は行われているのか。私は、それ

に加え、集団で生活して生まれる感情が作用していると思う。若者は集団からの孤立を嫌う。自分が

嫌われることを恐れる。このような感情が、他人とコミュニケーションする上で言語を選択する起因

となりうると考え、若者の心理と言語選択の関係について探っていこうと思う。

第 1 節 言葉の選択による若者の同化

使い慣れているはずの方言を場面によってしばしば隠してしまう。方言と標準語の使い分けは日常

茶飯事に行われている。私たち東北人が東京など南のほうに旅行すると他人が多くいる公共の場では

やたらと標準語を使ってしまう。メディアでも地方出身のタレントが訛りを直して標準語で会話して

いることもよくある。私自身は東松島市出身(仙台から海沿いに電車で1時間の場所にある)だが、

仙台に出て行ったときでさえ訛りを抑えて喋ってしまう。このことに疑問を感じ、自分自身が会話す

るときに気をつけていることがあると気づいた。「友達と仲良くなるためには同化が不可欠」というこ

とだ。そんな流れがあるために現代の若者は言葉の使い分けを行うようになったのではないか。

また、話す相手によって言語選択をすることはどのような理由から引き起こされるのかを、地域を

背景とした言語選択の現状を調べる。

(2) ファジー…人間の知覚・感情・判断に伴う曖昧さ

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(1) 若者のコミュニケーション

現代の若者は傷つくのが怖くて深い話を避け、表面的な親しさを演じている。友人から低い評価を

受けないように警戒。甘えすぎない。お互いの領分に踏み込まない。円滑な友人関係を築くために繊

細に神経を働かせる傾向がある。これが必ずしも友人関係の希薄化ということではなく、距離をとっ

た対人関係は親しく付き合う大人にとっての対人関係スキルを身につけつつあることだ。(岡田、

2007)現代は大人も子どもも生きていくうえで周りの視線を察知し、いかに円滑な関係維持をするか

を考えているように思える。未然に「仲間になって寂しい」疎外感(3)を防いでいます。周辺といかに

同化し、話を合わせて、自分にとって過ごしやすい環境にするかどうかが現代人の生きる術なのかも

しれない。同化して編成された自分の姿は集団ごとに違ったりする。岩田、羽渕、菊池、苫米地(2006)

の自己意識の変化の調査によると、場面によって出てくる自分が違うという質問に対し、「はい」と答

えたのが 95 年は 75.2%、02 年では 78,4%であり、若いほどその傾向は高くなっている。しかも場面

による自分の使い分けの自分は「そのどれもが自分らしい」と言う。自分の使い分けは本当の自分を

押さえつけているようにも思えるが、実際はそうではなく、多くの集団での関係を築く当然の術であ

る。無理やり自分を変えているのであるとすれば、友人満足度の調査(世界青年意識調査)で 1977

年の 41.6%が 2003 年の 72.0%まで上昇するはずがない。

(2)言語コードの切り替え

(1)で円滑な対人関係を築くために場面に応じた言語や行為の選択をすること、また、それは現

代においては若者でさえも「使い分け」をこなすことが分かった。ここでは、言葉の「使い分け」を

方言と標準語をベースにして、どの地域が「使い分け」傾向が顕著か述べ、「使い分け」を意識する理

由について追及する。

方言使用率の調査(佐藤、米田 1999)では全国数箇所を対象に、方言使用率が話す相手が話す言

語や、会話する場所によってどのくらい差が出るかを調べている。調査対象を 4 つのグループ、1、

同郷人と地元で会話 2、同郷人と東京で会話 3、共通語話者と地元で会話 4、共通語話者と東

京で会話 に分けた。結果は1~4へとほぼ等間隔で会談のように方言使用量が減少。1は平均 8 割

強、4にいたっては 2 割弱という数字が出た。どの地点でも一方的な減少が起こっており、場面によ

る切り替え意識は全国共通であることが分かった。その結果の中で、仙台と 1 番好感度の高い方言と

して挙げた京都を比較してみると。仙台は1の場合 69.1%、4の場合 11.4%と、同郷人との会話でさ

えも方言使用率が全国平均より低めであるうえに、場所を東京に移すとかなり使用率は下がってしま

う。一方京都は、1の場合 90.0%、4 の場合 40.0%と仙台とはかなりの差があり、自分たちの方言使

用に対しての意識は高い。ここから分かるように、仙台では自分たちの方言を自覚し、内なる集団で

は比較的方言を使用しつつも、一旦外の人間と関わったり、外に出ると「共通語を話そう」と意識し

(3) 疎外感:集団生活や社会生活の中で自分が他社から排除されている、あるいは、他者との間に距離感・違和感を感じ、どう

してもなじめない、溶け込めないという認知感情〔宮下一博、小林利宣 1981 青年期における「疎外感」の発達と適応との関

係 教育心理学研究 29 項、11-18〕

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てしまうようだ。

図2 場面による方言使用率の比較

方言使用率

0

10

20

30

40

50

60

70

80

90

100

同郷人・地元 共通語・東京

仙台出身者

京都出身者

備考:佐藤和之・米田正人著『どうなる日本のことばー方言と共通語のゆくえー』、1999 年、135-141 頁から作成

また、全国 14 地点(札幌・弘前・仙台・金沢・東京・千葉・松本・大垣・京都・広島・高知・福

岡・鹿児島・那覇)を方言使用の偏差によって4つにタイプ分けする。

表3 方言偏差によるタイプ分類

方言開示型 京都 東京 札幌 福岡

方言抑制型 仙台 千葉 那覇

使い分け型 弘前 鹿児島 高知 金沢

中間型 松本 大垣 広島

備考:佐藤和之・米田正人著『どうなる日本のことばー方言と共通語のゆくえー』、1999 年、140 頁から作成

まず方言偏差の高い「方言開示型」の京都、東京、札幌、福岡は周辺に社会的文化の影響を与える

生活圏の核であるということに気づく。ここの地方の人々は自方言に自信があり、比較的どこでも自

方言を話す。次に「方言抑制型」。地域は仙台、千葉、那覇。これは逆に方言偏差が低く、方言を隠す

傾向がある。そして話し相手によりはっきりコードが変わる「使い分け型」で弘前、鹿児島、高知、

金沢の地域が該当。 後に一貫して平均的な松本、大垣、広島の「中間型」がある。

開示型の東京と札幌はもともと標準語と似ているため違和感を感じさせないからこそ方言の使用に

自信がある。ここで注目すべきは京都と福岡、標準語とはまったく似ていないが、方言開示型に該当

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することで、自方言に対しての絶大な自信が感じられる。また、方言開示型でないことが直接自分の

方言に自信がないとは言えない。それは、いくら自方言が好きでも、改まった公共の場などでは方言

が通じず、他地域の人にとって難解な言葉である故にコード切り替えをせざるを得ない状況があるの

で、円滑なコミュニケーションの為に標準語を使用する場合があるからだ。

上で述べたように、「方言抑制型」「使い分け型」「中間型」に該当する地域で言語コード切り替えを

する理由として「通じないから」というタイプが挙げられた。では他の地域はどのような理由なのか。

それを探るには 2 つのキーワードからヒントを得ようと思う。<共通語中心社会><ノンネイティブ

に好まれない方言>の2つである。

先ほどの調査地点 14 地点中 6 地点が共通語中心社会であると言われ、それは札幌、仙台、千葉、

東京、松本、大垣だと言う。どの地点も東日本であるという特徴が発見でき、東京が都となってから

東京を除く 5 地点を含む東日本は「東京」という存在に同化し、東京の文化を取り入れ、ミニ東京化

していった。関西を含む西日本よりこの現象は明らかに顕著であることは、東北の存在感の薄さに表

れているように思う。この 5 地点はミニ東京化することによって、言葉の価値観を日常生活から見出

しにくくなった地域であると言える。

ノンネイティブに好まれる方言は方言色が強く、ネイティブにも好まれている福岡・那覇・高知。

一方、好まれない方言は千葉・松本・大垣・仙台・広島。これらの好まれない方言地域は方言流入社

会と共通語中心社会の中間に位置するために「好き嫌い」の意識を持ちにくくしている。この影響に

より、この結果が方言のイメージや地域のイメージを直接反映したものではなく、単純に≪共通語に

はない味わいがある方言≫がノンネイティブに憧れのイメージを抱かせ、好まれる方言と好まれない

方言に種別される。

この 2 つのヒントを合わせると、東京に文化が似通って標準語の使用が一般的となり、そもそもの

その地域の方言の特徴が他の地方に比べて分かりづらい。それが全国に浸透していないために東京に

同化しているような言語使用が頻繁に行われ、自方言の使用頻度は下がる。そして自方言の価値観も

下がり、やがては自方言に対して他方言と比べて劣等感を感じる、それが恥ずかしいという感情を生

み、「使い分け」がより必要とされると思い込んでしまう状況を作り出す。この悪循環が、言語コード

使い分けが行われる理由の 2 つ目のタイプであると考える。以上から、言語選択には起因が 2 種類あ

ることが分かる。自方言とは異なる言語を話す地域の人と関わる際に円滑なコミュニケーションをと

りたいと言う心理的に言えばプラスの側面を持つ地域と、自方言の価値を見失ってしまったことによ

り方言を隠したいと言うマイナスの側面を持つ地域という、両極端の種別が挙げられる。

第2章第1節で見い出そうとした「言語選択の理由」は、過程は違えど“同化”が答えとなる。若

者が疎外感回避の為に円滑な対人関係を作る。そのための手段として友人と“同化”する。(2)で挙

がった2つの種類も、1つは他地方の人との円滑なコミュニケーションのために“同化”し、もう1

つは恥ずかしいという感情から受けるダメージを回避するための日本の中心への“同化”。この結果か

ら、言語選択はコミュニケーションをしていく人間が関係を発展させるためにコミュニケーションを

行う過程で自然と生まれた現代の日本に必要不可欠な手段であるといえるのではないか。

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第 2 節 言葉を創造する若者

これまで述べてきたのはコミュニケーションする際の方言を「隠す」傾向についてだった。しかし、

逆に他方言をわざと取り入れる「方言の流行化現象」や、仲間内だけで通じるように作られた「新方

言」の出現など、方言に対して積極的な若者の動きもある。そこで、今後の方言の方向性もかねて、

新しい方言の枠を捉えてみることにする。

〔1〕新方言とは

新方言の定義 (井上史雄 1993)

① 現在の若い世代に向けて使用者が増加しつつあること。

② 地元でも「方言」扱いされていること。(改まった場合での使用者が少なくなること)

③ 語形が標準語・全国共通語と一致しないこと。

この 3 つの条件に当てはまるものを新方言と呼ぶ。また、作り出される流れは(a)各地域がいわば

独力で創造した新たな方言形式、(b)各地域が全国共通語や他方言の影響を受けながら作り出した方

言形式、(c)他地域に元からある方言形式を新方言として採用した方言形式とある。この中でも(b)

のうち全国共通語との接触において発生した、文体的に上位に位置する形式を「ネオダイレクト(ネ

オ方言)」と呼んで区別する。ネオ方言の具体例としては、関西の方言形の「けーへん(来ない)」と

標準語形の「こない」の混交形は「こーへん」となる。他にも何年か前に渋谷ギャルが生まれ、1 度

は耳にしたことがあるであろう「ギャル語」も、「渋谷弁」と言われ特殊な方言の一例である。新方言

は1種類だけではないということだ。新方言は比較的 近成立しており、方言のはずがないと思われ、

方言であることに気づかれず使われている場合もある。例えば宮城の新方言では「ジャス…ジャージ

の意」が比較的浸透しており、仙台やそれ以外の県内の地域で使われている。

今でも渋谷弁を使う若者は多く、「仲間内で通じる言葉=若者集団語」の創造、移り変わりは激しい。

そこで、方言の世界に加わった新しい流れを「ギャル語」を通して見て生きたいと思う。

〔2〕若者集団語とは

若者語の定義は、中学生から 30 歳前後の男女が、仲間内で会話促進・娯楽・連帯・イメージ伝達・

隠蔽・緩衝・浄化などの為に使う、規範からの自由と遊びを特徴に持つ特有の語である。(米川、1997)

これを詳しく説明していく。

(1) 若者集団語の具体例

大人は「 近の若者のことばは汚くて奇妙」だと言う。大人に反感を買う若者集団語のはどの

ような特徴を持つのか。まず 1 つ目に省略化が激しいということが挙げられる。店名やあいさ

つ、行事が省略される。(ケンタッキー→ケンタ、セブンイレブン→セブン、ありがとうござ

います→あざーす、クリスマスパーティー→クリパ 等)2 つ目は強調語の多用である。一昔

前に強調語の「超」が流行ったが、今ではもう使う人は少なく、今は「めっちゃ」「まじ」、他

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にもタレントの中川翔子さんが感覚的に作り出した「ギザ」がメディアを通して浸透している。

3 つ目は擬音の多用。4 つ目は他地方の方言を使用することだ。1 番多いのは耳にすることが多

い関西弁。関西人ではない人でも、語尾に「~やねん」とつけるなど、実際の関西弁ではなく

とも関西弁っぽければいいと考えられ、使用されている。他にも特徴があって全国に知られて

いる方言が語尾につける言葉を中心に取り入れられたりもする。5 つ目は 近急増している「~

系」というような「パターン化」である。または「私的」、マヨラーなどの「~ラー」「~ニス

ト」のようなものだ。 後に、携帯電話の普及によるコミュニケーションの文章化の増加によ

って、符号や絵文字、顔文字で自分の感情を表現するようになった。

(2)若者集団語の機能

定義にもなっているように、若者集団語のコミュニケーション機能は7つに分けられる。(1)の

具体例を用い、若者集団語を使う要因を探っていく。

表4 若者集団語のコミュニケーション機能と効果

コミュニケーション

機能

効果 若者集団語の中の例

会話促進 略語でテンポアップを図り、ノリの良い

会話にする

省略語

擬音

娯楽 思いつきで造語、使用時の楽しさを得

他の方言使用で新鮮さを得る

外来語

符号・顔文字・絵文字

連帯 親近感で「ウチの人間」という仲間意識

を作る

省略語

イメージ伝達 視覚的、聴覚的な表現で瞬時に自分の

思いを伝える

擬音

符号・絵文字・顔文字

隠蔽 人に聞かれて都合の悪いことを隠す 省略語

緩衝 相手の感情を害したり、傷つけたりする

ことを避ける。言葉の暴力性を緩和

「~系」

浄化 マイナス評価語でストレスを発散 陰口での人に対する評価語

備考:米川明彦、『若者ことば辞典』、1997 年、240-242 頁から作成

今の若者は新方言で言葉を楽しむ「おしゃべり文化」を持っている。発生してくる言葉にはどれも

若者の心理状態を反映した機能が含まれ、若者のコミュニケーションを補助している。

おしゃべり文化はとにかく会話重視。略語でテンポ良く会話数を伸ばし、沈黙の時間を作らないよ

うに擬音でカバーする。若者のこういったテンポの良さはテレビの文化のように、間髪のない沈黙を

嫌った文化でもある。また、会話を楽しむ点では、新しいものを生み出して使い、流行らなければま

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た次の造語へと移行していく、とめどない言葉遊びをするということ。また、普段は使わない他の地

域の方言をわざと用いることによって、例えば京都弁は表現にまろやかさが出る、東北弁では田舎く

ささから笑いにつながるなど、新鮮な言葉遊びができる。その他、英語圏の文化の浸透により、「チキ

ン」「ニート」「コンプリート」など若者の文化に使いやすい外来語を使用している。携帯電話の普及

に伴い、次第に出てくるようになった絵文字などは急速に進化し、新しいものを好む若者に企業側も

次々と新しいものを提供する流れができている。次に、若者の強い“同化”精神が感じられる機能と

して、他には分からない自分たちだけの暗号を省略した言葉で作り、濃密な連帯感を感じるようにし

ている。そのため自分の周りで使われている若者語を多く知っているほど孤独感は低い。意見のキャ

ッチボールである会話は、より自分の思いを相手に分かりやすく表現しようという考えから、言葉で

は表現しづらい感情を擬音にしてイメージをより正確に伝えようとする。この機能は漫画でも用いら

れ、1コマを全て擬音だけ使用し、イメージを表現してあるものも少なくない。また、文章で自分の

イメージを伝えるのには文字だけでは物足りない。絵文字や顔文字で文章を強調し、イメージ伝達を

より正確なものにする。次に、隠蔽についてだが、これは機能としては昔からあり、隠語のような役

割を果たす。女性としては周りに聞かれたくない生理的な単語を男性には分からないようにするなど

の工夫が込められている。次の緩衝という機能だが、私はこれが1番今の若者の心理を反映している

機能のように思える。円滑な対人関係を望む若者が嫌うのは相手や自分が傷つくこと。例えば、相手

から今日遊びに誘われたとき、「行く?」と聞き、もし断られるとするならば「行かない」というスト

レートな答えが返ってくるだろう。しかし、こちらが質問するときに「行く系?行かない系?」とパ

ターン化することによってソフトな印象となり、聞き手にとっても受け手にとっても一緒に行かない

というダメージからくる気まずさを軽減することができる。「行かない」ことは他にもあって、聞き手

の誘いだけを断っているわけではないというニュアンスが出るからだ。また、若者が「私的には

~」と言うのを耳にするが、これも若者の傷つきたくない心理から来るものである。これは個人の感

想だから、もし差しさわりがあったら聞き捨ててほしい、と意見を緩衝することで意見の対立を避け

る。また、パターン化の例として、マヨネーズが好きで何にでもかけて食べる「マヨラー」などは自

分の個性や好みを他人に批判されることを恐れてのこと。 一派の中に自分を埋没させることで個人

が目立ってしまうことを極力回避する。孤立を避ける若者をカバーする優れた機能であると言える。

後に浄化機能だが、面と向かって言わない陰口を仲間内のマイナス評価語で感情を発散させている。

(例:オタッキー等)このような浄化は外の人間に対しての敵対心が仲間内の仲間意識を強化するこ

とにもつながり、全国でいつになっても減少しない、明らかな敵を作ることによって自分に攻撃の目

をむけさせない「いじめ」の発生の要因と同じようなことだ。

このように、若者の特徴が表れた新しい言葉の数々は、地域ごとの言葉でネイティブしか使用しな

い言葉のことを方言というイメージだったものが、方言の定義の2つ目の意味である、ある階級、も

しくは小集団内の隠語や俗語に属する新しい方言の台頭として浮上してきた。一般的には若者語を方

言と見なすことはまだまだ少ない。しかし、もともと下火になってしまっていた地域的方言に対して

の若者なりに関心を示していくことで、地域方言の活性化も有り得る。だからこそ、疎外感を避けた

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いというようなマイナスの心理をカバーし、円滑なコミュニケーションをしていきたいという意欲が

プラスの心理といえ、その2つが混合した新たな言語創造活動をもっと大人たちは理解を示していく

べきだ。歴史的に有名で現代まで伝わる「和歌」や「俳句」のような言葉遊びの一種と捉え、不快な

言葉や日本の伝統を破壊するもの以外においては、大人が一方的に毛嫌いすることなく若者の言葉遊

びを見守ってあげることも良いのではないかと思う。

第3章 方言意識の比較からみる東北と関西 ここまで見てきたのは、自方言に対する意識は地域差があるということ、ステレオタイプに左右さ

れているということ、“同化”する傾向があること、若者の中の方言の位置について。その結果を踏ま

え、方言を隠すと言う私の実体験から生まれた、なぜ東北人は方言に対して消極的なのかという疑問

を明らかにするために大阪との意識の差を比較し、東北の若者が抱えている方言劣等感の現状と、仙

台弁と仙台の将来性について方向性を示す。

第1節 大阪の方言意識

まず、なぜ東北人との比較に関西を選んだのかというと、ここまでの結果で、大阪は県人気質が高

いとされ、方言に対しての誇りを京都並みに強く持っている。また、好きな方言の調査では京都に次

ぐ第2位にランクインしていて、メディア露出も多くメジャーであるということが関西人の意識に影

響を与えていると考え、東北と対比するのに適していると考えた。大阪は東京に次ぐ、強い影響力の

ある文化圏で、地域に大きい自信が感じられる。その強気さに注目し、性格的な違いにもポイントを

置いて見ていこうと思う。

他者評価からみる大阪のイメージは、庶民的・伝統がある・合理性がある・あたたかさがある。し

かし、知的などの品のよさはイメージにはなく、「大阪のオバチャン」といったらずぶとい精神で怖い

ものなしのようなイメージがある。男女共に気が強そうである。そんな性格が基盤となって、自分や

地域が大好きで周りに流されない強さを持っていると思う。「大阪人」としての軸がしっかりしている

ので大阪への帰属意識が高い。方言偏差は高く京都と同じ方言開示型に属するであろう。しかし、大

阪にも言語コードの切り替えはある。大阪以外や公共の場では大阪弁と標準語を使い分ける人も少な

くない。大阪から引っ越してきた人が大阪弁を使わなくなっていく場合もある。大阪は京都トンボの

型守りの文化とは反対で、型崩しの文化だ。先ほどの大阪のイメージにもあった「合理性」が大阪人

の性格に含まれているため、大阪人は新しいものに理解がある。ただ頑なに大阪弁しか使わないわけ

ではないのだ。ただ期待通り大阪は標準語志向が低く大阪志向度は高い。言語コードを切り替えない

人がいた場合、他の地域出身の方言とは違い、特にはっきりと言葉の違いを感じてしまうので強烈に

大阪弁の印象を与えてしまう。

使い分けない大阪人の意識としては、生まれ育った環境の中で標準語が基準で、地元の言葉はそれ

に準ずるものという考え方がもともとないため、周りに同化しないと言える。また、地元愛が強いか

ら大阪弁が大好き。大阪弁のようにテンポが良いわけでもなくイントネーションに抑揚のない標準語

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を好まないというのも仕方がないように思う。

また、全国の大阪弁に対するここ 近の注目ぶりは大阪の方言意識をより誇り高いものへと変化さ

せるのに影響を与えている。80 年代前半からの漫才ブームで吉本興業の東京進出を果たし、東京の文

化にお笑いを通して大阪弁を浸透させた。芸能人が全国放送で大阪弁を使っても全国にある程度の意

味は通じるほどに至った。こうして全国民は耳慣れた言葉として大阪弁をメディアによって習得した。

第2節 東北における方言意識の劣等感

東北は東京に同化しやすいと前に述べた。そこで地元に対しての自信が大阪と比べ明らかに低い。

私たち東北人は東京に行っては方言を隠し、大阪や京都へ行っては訛りがうつったりする。東北、

仙台の言葉や文化の劣等感はどこから来ているものなのかを探っていく。その前に大まかに仙台弁

とは何かに触れる。

仙台弁

「仙台」が指し示す範囲は、旧仙台藩領内を指し、現在も広域地名として使われている。「仙台」

の分類は5つある。1、旧仙台藩であった地域(岩手県南部、宮城県全域、福島県新地町)2、宮

城県内 3、宮城県仙台市を中心とした仙台市都市圏 4、仙台市 5、仙台城下があった地域(仙

台市都心部)

「仙台弁」は昭和初期まで1の範囲が定義であった。しかしその後岩手県の帰属意識は岩手県へ

と向き、それからは旧仙台藩の範囲で定義されることは稀になった。また、宮城県内においても他

見出身者の増加により帰属意識が仙台藩から宮城県へと移行。広域地名としての「仙台」を知らな

い人によって2の範囲で「宮城弁」という単語が作られた。しかし成立過程からも「宮城弁」は他

称であり、宮城県の範囲で「仙台弁」と自称される。ただし、宮城県内の方言の地域差を取り立て

て言う場合に限り3の仙台都市圏あるいは4の仙台市の範囲で仙台弁の定義とする場合がある。

仙台弁の 大の特徴は音韻。中舌母音いわゆるズーズー弁と呼ばれる仙台弁。イとエの混用(イ

サバ五十魚→エサバ)、シとス、ジとズの混用(シミル凍みる→スミル)(スシ寿司→スス)、チと

ツの混用(チジ知事→ツジ)、清音が濁音化(カバン鞄→ガバン)、音便化が顕著(ハシラ柱→ハッ

シャ)などが特徴である。また、古語を温存していることが語彙の特徴であったり、方向等を示す

「サ」の使用などの語法が特徴。

今の若者でも使う仙台弁といえば、語尾に使用する「~だべ」「~だっちゃ」、「はい」と返答す

る意味の「んだ」、新方言では先ほど紹介した「ジャス」、そして私が1番使い勝手が良いと思って

いる「いずい(しっくりこない)」がある。

(1)仙台の方言に対する意識の実態

生まれてから 15 歳までの 80%以上を仙台で生活した 101 名を対象とした半沢廉(2000)の仙

台市民方言意識調査からいくつか結果をピックアップしてみる。方言への好悪意識について、全体

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の 59%が「方言が好き(非常に好き、どちらかと言えば好き)」と回答。約 6 割の人が方言に対し

て好意的であることが分かる。また、方言が好きという意見とは無関係に方言と標準語の使い分け

は行われている。その意識調査が下の表である。

図3 仙台市における方言使い分けの意識

仙台市民の方言の使い分け意識(世代別)

36.8

18.8

42.1

62.5

42.1 43.8

52.647.1

15.8

6.3

21.1

41.2

0

10

20

30

40

50

60

70

少年層

若年層

中年層

高年層

家族

初対面の方言話者

初対面の標準語話者

出典:小林隆編、『宮城県仙台市方言の研究』、2000、149 頁 図 13-9

どの層においても初対面の標準語話者に対しては標準語を使おうという意識がある。やはり方言に対

して恥ずかしいという意識が強い。

図4 地点別恥ずかしさ意識調査

恥ずかしさ意識(地点別)

19.89.7

0

46.3 47.7

12.70

20

40

60

80

100

仙台市

伊達郡

津市

対方言話者

対標準語話者

出典:小林隆編、『宮城県仙台市方言の研究』、2000、151 頁

3つの地点を比較した半沢の調査では、津市(三重県の県庁所在地)が多少標準語話者に対して自方

言を恥ずかしいと感じているが、その数値は他の 2 点とは差がある。仙台、伊達郡では標準語話者に

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対して方言を使うのは恥ずかしいと 4 割以上の人が思う。この 2 点の差は対方言話者に表れている。

仙台は相手が方言を使っていても、自分が方言を使うのは恥ずかしいと感じる度合いが高い。仙台は

劣等感を持つ東北の中でも際立って方言の使用に消極的であることが分かる。この結果は他のアンケ

ートにも見られ、飽戸の東北6県を対象としての方言使用率調査(1980)でも山形・青森が8割強、

福島・秋田が7割、岩手」が6割、そして宮城が 45%、と明らかに宮城のずば抜けた標準語社会を示

している。

また、もんぺ村かぼちゃの会のアンケート(1999)では 105 名を対象にしていくつかの調査結果が

出ている。仙台弁が好きかという問いに対して 51%が好き、49%がどちらでもない、嫌いと答える人

はいなかった。共通語が好きと答えたのは 37%、どちらでもないが 79%、嫌いと答える人は 3%で

あった。家庭内で話しているのは仙台弁と標準語が混ざっているというのが 73%でダントツ。仙台弁

が 14%、標準語は 13%であった。標準語と仙台弁との使い分けについてどう思うかという問いには、

賛成派(けじめがあって良い…27%、当たり前…23%)、仕方がなく使い分ける 17%、中立派(なん

とも思わない)が 20%、反対派(使い分けなくとも良い)が 13%、不自然・恥ずかしいと思う人は 0%

であった。そして今後子や孫にどっちの言葉を使ってほしいかには、「使い分け」派が 70%にも上り、

標準語が 23%、仙台弁に至っては 1%しかいなかった。これからの時代は標準語が欠かせないという

表れなのか。

そして、仙台弁に対する劣等感の要因が見えてくるであろう「仙台弁を笑われたことがあるか」と

言う問いに、あると答えたのが 46%、ないと答えたのが 38%。約半数(48 人程度)が方言に対して

マイナス評価をされた経験があった。また、仙台人の方言劣等感が表れているデータもある。東京で

仙台弁話者との会話をするときに電車の中でどうするかという質問には、標準語で話すが 39%、だま

っているが 1%、仙台弁の特徴が出ないように話すが 9%から見て分かるように、仙台の人は 5 割が、

ただ東京にいるというだけで公共機関での仙台弁使用を萎縮する。仙台弁を使うが、丁寧に話すこと

を心がけるのが 31%で、出来るだけ良い響きの仙台弁を使おうという人も多い。「変わりない仙台弁

で話す」が 20%で、堂々と仙台を誇っている人が 2 割にとどまっている。たかが一時の同じ空間にい

る見ず知らずの人にでさえ、「なまっているのを聞かれたら恥ずかしい」と周りの評価を気にしてしま

うのは、ここまでくると自意識過剰に劣等感を持ち、自ら仙台に対する他者評価をマイナスだと決め

付け、ダメージを回避している。

(2)歴史的背景

仙台を含め東北の方言が田舎くさくて笑われる対象になり、また東北が劣等感を持ってしまった

のはここ 近のことではなく、歴史的な流れがある。縄文時代から東北はひとつの文化圏であった。

もともと巨大で豊かな地域で、それが現在のように6県に区切られたのは明治維新以降のことで、歴

史は浅い。東北が力を失ったのは奥州藤原氏{前九年の役・後三年の役の後の寛治元年(1087 年)か

ら源頼朝に滅ぼされる文治 5 年(1189 年)までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東

北地方一帯に勢力を張った一族で天慶の乱を鎮めた藤原秀郷の子孫を称する豪族である。}が鎌倉の軍

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勢に敗れてから、中央政権は東北を分断し、力をそいできた。歴史や文化は不当におとしめられ、現

代でも復権できていないきっかけはこの出来事があったからである。それから時代は流れ、明治維新

以後、他の地域に対して完全に劣等感を持たされてしまった。DNA のように「東北負け組精神」が

代々受け継がれる結果となった。かつては聞き取りにくく理解しにくい方言は鹿児島弁などが代表で

あったが、その座もすっかり東北が受け継ぎ暗いイメージや否定的印象を抱かれるようになった。現

代は否定的なイメージと合わせて、素朴さや人情のあたたかさなどのプラスのイメージも持たれるよ

うにはなったが、田舎というイメージが基盤にあるような田舎ならではの売りばかりで、知的さはイ

メージになく、第一、二次産業に従事する一歩遅れた地域として、同等に見ていない。

第3節 方言消極派の仙台の方言の将来性

第1節、第 2 節で見てきたように、大阪と仙台の対方言意識では明らかに前者が方言積極派、後者は

方言消極派である。仙台人に足りないものは何か。ここまで述べてきた両者の差を比較してみる。

表5 仙台と大阪の比較

仙台 大阪

メディア露出 × 仙台出身者がタレントに少

ない

○ 「お笑い」で浸透

文化圏 △ 東北の文化圏 ○ 東京に次ぐ文化圏

性格 × 消極的 ○ 積極的

知的 × ×

地元愛 △ 他に誇りはしない ○ 地元に絶対的な自信を持つ

言語コード切り替え ○ 約5割が使い分け意識 △ 使い分けない人も多い

方言を恥ずかしいと思う ○ × 言葉が同化しづらい

フォーマルな場に適応 × △ 情報番組での大阪弁で全国

放送

しゃべり文化 × 全国的に物静かなイメージ ○ 物怖じせず誰とでも会話が

出来るイメージ

備考:第 1節、第 2 節の比較から筆者作成

ここから読み取れるのは、仙台は性格が物静かで消極的、しゃべりの文化を持つ地方ではないという

ことである、東北を出ると極端に同化が激しくなることである。この他に埋もれやすい性質を持って

いる仙台が権力を奪われるという歴史に流されて、今の今まで他の地方に隠れて目立たない存在とな

ってしまった。仙台の人はその流れに逆らったりせず、“同化”を選択し、ミニ東京化や言語コードの

切り替え手段を持ち、他に負ける東北自身に劣等感を持ってやってきた。コンプレックスは世代を越

えて受け継がれ、そもそも正しい「仙台弁」を詳しく理解している人は減少してしまった。私自身、

知っている方言語彙は少ないし、主に語尾の訛りしか使わない。地元が大好きで訛ることも自分から

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消したくないと思いつつも、大勢の人がいる場では胸を張って「仙台弁」を出せない。東北の中では

一番の主要都市を誇る宮城だからこそ、多方面からの仙台入居者増加で標準語社会にならざるを得な

かった。出身地に誇りを持てず、他人とのコミュニケーションは出来るだけダメージを避けて守りを

重視する。故郷の自信のなさを現代の若者の特徴“同化”でカバーする。東北の若者こそ今一番言語

コードの切り替えを必要としている存在で、“使い分け文化”の中心地ではないかと思う。方言に劣等

感を持っていることも事実であるが、だからといって方言を捨てたわけではない。そこに私は東北人

の底にある地元愛を感じる。歴史的に潰された東北を諦めずに支え、生きるために穏便に済ませるた

めに“同化”を選び、「東北人」としてのアイデンティティは失わずに来た。“使い分け文化”がある

限り方言と標準語を使いこなすバイリンガルな訳であるし、方言を使う機会さえあれば次の世代へと

つながっていく可能性はある。これからは多用な言語が混在する時代へと日本も戻っていくであろう。

そこで東北はひっそり持ち続けてきた「地元愛」を誇り、他に恥じない東北の文化・言語で劣等感を

払拭しなければならないであろう。

おわりに

自分の経験から、「方言は好きだけれど、自信を持って方言を使用することが出来ない」という東北

人が持つ自分たちの言葉への劣等感に気づいたことからこの研究は始まった。

第1章ではそもそも方言とは地域の特色ある言語だけを指すのではなく、集団の言語の違いを指す

言葉であることを確かめた。そして地域的意味での方言には各々良いイメージや悪いイメージが確立

されており、実際に個人が思ったイメージというよりは世間一般にステレオタイプ化されたイメージ

が根強いことが分かった。そこで東北は自己評価、他者評価合わせて良いイメージが無く、私が感じ

ている東北の方言の劣等感は多くの東北人に共通すると言えることが明らかとなった。一方、良いイ

メージの方言として多くの支持があった京都弁には日本人が惹かれる要素として日本人らしい音・表

現詰まっていることを挙げた。また、日本人の帰属意識が京都にあることも述べた。そこから見えて

くるのは、言語のイメージはその土地の評価も入っているということである。東北は歴史的に全国に

誇れる文化に乏しい。文化の発信源となる機会が少ない東北にとって、東北のいいイメージを発信す

るだけの活力が足りないのであろうと考えられる。

第2章では地域別方言と集団別方言の両面における「言語選択」の裏に潜む心理について若者にタ

ーゲットを絞り考察していった。若者が対人関係を築くときに使用する言語は疎外感から逃れるため

の“同化”が不可欠であり、他との同質なものへ言語を意図的に切り替えている。それは方言と標準

語の切り替え、新方言での言葉遊びにも言えることであり、“同化”が若者にとって円滑なコミュニケ

ーションの要であることを結論とした。

仙台の若者は第1章で述べた通り方言に劣等感のある地方なので、方言は恥ずかしいという意識か

ら標準語へと切り替える。仙台は方言を抑制するタイプであり、全国それぞれ方言に対して開示、抑

制、使い分け、中間の4種類に分けられ、地域的方言の選択には地域差が見られることが分かった。

それは1章で調査した、はっきりと方言のイメージが確立されていて全国に浸透しているとされた地

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域ほど方言を開示する傾向にある。使い分けの現状でも東北(仙台)は大きな文化圏である京都や大

阪にまた大きく方言意識の差をつけられてしまった。

集団的方言は衰退ではなく発展の原状が見られた。新しいものを欲して造った方言「若者集団語」

は新鮮さがあったり、娯楽だったり感情を相手に伝えるための若者なりの新しい文化の創造である。

その裏側には、仲間と同じ言葉を持つことで孤立感を避けたいという自分保守の意識がある。また、

言葉の緩衝で自分が傷ついたり、相手を傷つけてしまうことを避けようとする良好な対人関係維持の

ための妙に大人びたコミュニケーション能力が備わっていることが見えてきた。

2つの「方言」はどちらも心理的不安を抱えた若者が望む、円滑なコミュニケーション方法として

の“同化”を軸に変化している現状である。

第3章は地元愛が強く、積極的な性格の影響で方言の使用をためらわない大阪人と、方言に対して

消極的な仙台の比較を行った。仙台は同じ東北の中でも明らかに方言に対して劣等感を抱き、東北の

文化圏を担う地域にも関わらず、東京の文化に準拠しようとする。仙台人の性格が否定的になってし

まった背景には歴史的な権力の喪失がある。そこに東北の主要都市になった流れで他県民が多く流入

してきたことで、他県民と交流が増え、無意識に自分たちを卑下する機会が増えた。東北人、そして

仙台人を含む宮城人が抱えてきた劣等感は歴史の産物である。

以上、3つの章を考察していった結果、私が感じた東北人としての劣等感は私個人の感情だけには

留まらなかった。歴史が東北人のプライドをそぎ落としていった。しかし、劣等感と一緒に私が持っ

ている地元愛は矛盾したものではなく、地元が好きだという気持ちと、他の文化と共存するための「使

い分け」はどちらも重要な価値があり、自分から無くならないもののように思う。現代では地方の方

言が衰退しているとも言われている。一見、言語の「使い分け」は方言の価値を見失った地方の人間

が増え、言語世界から方言が着々と消えていく前兆のようにも思える。しかし劣等感を持っているか

ら方言がすぐに無くなるわけではないことは「使い分け文化」の出現が示している。矛盾しているよ

うにも聞こえるが、本当に方言の価値を失ったならば、「使い分け」ではなく「消失」を選択してきた

のではないかと私は考える。「使い分け」は現代に即した方言の生き残ってきた証なのだ。集団が存在

する限り、その集団の言語は存在する。地域という括りがあれば方言は少しずつ形を変えながらも存

続し続けると思う。それは必ず人が人生を歩むには同じ時を共にする仲間がいるという不変の事実が、

ある集団への帰属意識の存在へと結びついているからだ。東北人は東北人らしく誇りを持ち続ければ

いい。それと同時に、今回浮き彫りにした方言と標準語の使い分けの意識と実態が、円滑なコミュニ

ケーション能力として身についている私自身、“バイリンガルな自分”に地方に育った人しか得られな

い新たな自信となって感じさせた。

【参考文献】

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山上 徹 2002 『観光の京都論』 学文社

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20

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米川 明彦 1997 『若者ことば辞典』 東京堂出版

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岡田 努 2007 『現代青年の心理学―若者の心の虚像―』 世界思想社

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うふう

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ネットリサーチ ディムスドライブhttp://www.dims.ne.jp/rankingresearch/1_50/022/001.html

ステイブル 賃貸・売買物件・不動産情報のオリコンランキングhttp://house.oricon.co.jp/45183/

ミクシィ http://mixi.jp/