21
河合塾では、昨年秋に実施した進路研究会 において工学系の学びに関する内容を報告し た。その報告をベースにしながら、4・5月号、 7・8月号、9月号の 3 回にわたって工学部の 現状をレポートする。 第 2 回は、河合塾の「工学系学士課程の教 育システムに関するアンケート」調査結果か ら、工学系学士課程教育で重視されている教 育内容を明らかにし、次に現在の工学系教育 で重要なキーワードとなっている「基礎科目」 「英語教育」「技術者倫理」について、その概要 と大学での具体的な取り組みを紹介する。 なお、「工学系」の中にはもちろん理工学部 なども含まれている。 CONTENTS Part1 工学系学士課程教育の現状 Part2 基礎科目……………………… 2-1 解説 2-2 「化学」慶應義塾大 2-3 「数学」広島大・山口大 2-4 「物理」東京農工大 Part3 英語教育……………………… 3-1 解説 3-2 工学院大 3-3 名古屋工業大 3-4 大阪大 Part4 技術者倫理…………………… 4-1 解説 4-2 金沢工業大 4-3 室蘭工業大 4-4 鹿児島大 2 工学系学士課程教育 ― 基礎科目、英語教育、技術者倫理 ― 工学部の 現状を探る [シリーズ] p37 p40 p46 p52 Guideline July August 2007 37

工学部の 現状を探る - 河合塾の大学入試情報サイト Kei-Net河合塾では、昨年秋に実施した進路研究会 において工学系の学びに関する内容を報告し

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Page 1: 工学部の 現状を探る - 河合塾の大学入試情報サイト Kei-Net河合塾では、昨年秋に実施した進路研究会 において工学系の学びに関する内容を報告し

河合塾では、昨年秋に実施した進路研究会

において工学系の学びに関する内容を報告し

た。その報告をベースにしながら、4・5月号、

7・8月号、9月号の3回にわたって工学部の

現状をレポートする。

第2回は、河合塾の「工学系学士課程の教

育システムに関するアンケート」調査結果か

ら、工学系学士課程教育で重視されている教

育内容を明らかにし、次に現在の工学系教育

で重要なキーワードとなっている「基礎科目」

「英語教育」「技術者倫理」について、その概要

と大学での具体的な取り組みを紹介する。

なお、「工学系」の中にはもちろん理工学部

なども含まれている。

CONTENTS

Part1 工学系学士課程教育の現状…

Part2 基礎科目………………………2-1 解説2-2 「化学」慶應義塾大2-3 「数学」広島大・山口大2-4 「物理」東京農工大

Part3 英語教育………………………3-1 解説3-2 工学院大3-3 名古屋工業大3-4 大阪大

Part4 技術者倫理……………………4-1 解説4-2 金沢工業大4-3 室蘭工業大4-4 鹿児島大

第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

工学部の現状を探る

[シリーズ]

p37

p40

p46

p52

Guideline July・August 2007 37

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38 Guideline July・August 2007

工学系学士課程教育で重視しているのは基礎力をベースにものを作り出す力

工学系学士課程教育の現状part1

河合塾では2006年に全国の国公私立大を対象に「工学

系学士課程の教育システムに関するアンケート」を実施し

た。工学系学士課程教育について、重視している点や具体

的な教育内容を聞いたものだ。理科離れ、工学離れへの危

機感もあり、大学の教育上の工夫を明らかにする目的もあ

る。アンケートの結果は、以降の各パートでも随時触れる

が、まずは、現在の工学系学士課程教育がどこに重点を置

いているのか見ておこう。

このアンケートでは、工学系学士課程教育の重要な要素

として、「基礎科目(教育)」「英語教育」「コミュニケーシ

ョン教育」「技術者倫理教育」「創成教育」「インターンシ

ップ(教育)」の6つの要素を取り上げた。これはJABEE

の認定基準をベースにして、河合塾が現在の工学系教育の

中からキーワードを抽出したものだ。JABEE認定は大学

レベルの工学教育に対する国際基準と言えるもので、工学

の領域と関係なく基本的な8つの能力を育成することが要

求されている(図1)。その中でも現代の工学教育におい

てとりわけ重要なのがこの6要素だと考えたからだ。

これらの教育について、各大学がどれくらい重視してい

るかを、「最も重視している」「まあ重視している」「重視

している」「あまり重視していない」「全く重視していない」

の5段階で評価してもらい、それぞれ5~1点で換算し、

その平均値を出した。

その結果によると、国公立大では「基礎科目」を最も重

視していることがわかった(グラフ2)。ここでいう基礎

科目とは、大学における数学、物理学、化学などの基礎学

問分野を指す。偏差値の上位から下位までほぼ同じ傾向を

示しており、研究者養成にしろ、技術者育成にしろ、最も

重要なのは基礎力であるとの姿勢が明確になっている。次

いで重視しているのが「創成教育」だ。創成教育とは、あ

らかじめ知識や技術を与えずに、実験やものづくりを行い、

学びへのモチベーションを喚起する教育手法を指す。特に

(図1)工学系学士課程教育において求められる能力、教育

JABEE「認定基準1」 学習・教育目標の設定 (a)

(b)

(c)

(d)

(e)

( f )

(g)

(h)

地球的視点から多面的に物事を考える能力とその素養

技術が社会や自然に及ぼす影響や効果、および技術者が社会に対して負っている責任に関する理解(技術者倫理)

数学、自然科学および情報技術に関する知識とそれらを応用できる能力

該当する分野の専門技術に関する知識とそれらを問題解決に応用できる能力

種々の科学、技術および情報を利用して社会の要求を解決するためのデザイン能力

日本語による論理的な記述力、口頭発表力、討議等のコミュニケーション能力および国際的に通用するコミュニケーション基礎能力

自主的、継続的に学習できる能力

与えられた制約の下で計画的に仕事を進め、まとめる能力

【河合塾調査】

技術者倫理 教育

コミュニケーション 教育

英語教育

基礎科目教育 (数学、物理、 化学等)

創成教育

インターンシップ

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part

1工学系

学士課程教育の現状

part

2基礎科目

part

3英語教育

part

4技術者倫理

Guideline July・August 2007 39

上位と下位でその傾向が強い。

私立大の場合も、「基礎科目」を

最も重要し、次に「創成教育」を

重視している点は国公立大と変わ

らない(グラフ3)。ただし「コミ

ュニケーション教育」に関しては、

国公立大よりも重視する傾向が強

い。

ところで、工学は実学系の学問

に属していると思われるが、「イン

ターンシップ」はそれほど重視さ

れておらず、国公立大、私立大と

もその傾向は変わらない。とりわ

け中位から上位へいくほど重視す

る割合は低くなっている。これは、

インターンシップ教育が、実際の

職業や職種に結びつく教育ではな

く、職業意識の涵養や就職へのモ

チベーション作りという側面を持

っていることに起因しているため

であろう。

こうした点を踏まえて、次ペー

ジから、実際にどんな教育が行わ

れているのかを紹介する。今回は、

「基礎科目」「英語教育」「技術者倫

理」の3つを取り上げる。

「基礎科目」とは科学技術の世界

を開拓していくのに不可欠な数学、

物理学、化学、生物学のことを指

しており、リメディアル教育では

なく、工学の専門基礎科目として

位置付けられている科目である。

「英語」は国際的に通用するコミュニケーション基礎能

力として位置付けられており、技術者にとって必要なもの

である。しかも、求められているのは、技術論文の読解力

とともに、例えばトラブルについて議論し解決方法を提案

したり、新しい技術的課題にチームで取り組んだりしてい

くために必要なコミュニケーション力としての「英語」で

ある。その能力を身に付けるために「科学技術系の英語教

育」が行われているのだ。

最後に紹介する「技術者倫理」とは、いろいろな物事の

価値のバランスをどう取るかを考え、最適なバランスを取

るために適切な行動を選択することを指す。まだ、聞き慣

れないキーワードかもしれないが、今後、教育の充実が必

要とされている科目でもある。

これら3つの工学教育のキーワードについて、次ページ

以降から具体的に紹介する。

(グラフ2)学士課程で重視している教育(国公立大)

(グラフ3)学士課程で重視している教育(私立大)

3.0

3.2

3.4

3.6

3.8

4.0

4.2

4.4

4.6

4.8

5.0

インターンシップ

    

創成教育

技術者倫理教育

コミュニケーション教育

英語教育

基礎科目

(数学、物理、

化学等)

上位

中位

下位

4.64

3.91 3.93 3.82

4.11

3.19

3.0

3.2

3.4

3.6

3.8

4.0

4.2

4.4

4.6

4.8

5.0

インターンシップ

    

創成教育

技術者倫理教育

コミュニケーション教育

英語教育

基礎科目

(数学、物理、

化学等)

上位

中位

下位

4.57

3.934.02

3.67

4.11

3.24

●実施時期:2006年6月~7月●発送学科数:1,017学科●回答学科数:526学科(2006年10月現在)●回答率:51.7%【回答学科の内訳】上位(偏差値55.0以上)16%中位(偏差値45.0以上)37%下位(偏差値45.0未満)47%

工学系学士課程の教育システムに関するアンケート

※表中の数値は国公立大全体の平均値

※表中の数値は私立大全体の平均値

【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

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40 Guideline July・August 2007

基礎科目はリメディアル教育ではなく専門基礎科目

まず、工学教育における基礎科目は、高校で学んでおく

べき内容を補習する補習科目、すなわちリメディアル教育

ではない。多くの大学では、基礎科目を「専門基礎科目」

に位置付けている。つまり工学の専門教育の一部として認

識しているわけだ。しかも39ページのグラフ2・3でも

分かるように、国公私立大とも上位大ほど、基礎科目を重

視している。工学教育にとっては、基礎科目をいかに充実

させるかが最も重要な課題になっているのだ。

基礎科目とは、科学技術の世界を開拓していくのに不可

欠な数学、物理学、化学、生物学のことを指す。いずれも

高校で学んだ教科なので、大学でもその延長線上で学ぶも

のだと考えがちだ。しかし、「大学の『物理学』は高校の

『数学』、同じく『化学』は『物理学』、『生物学』は『化学』、

そして『数学』は・・・哲学だ」という言われ方をするこ

とがあるように、高校と大学では同じ科目名であっても、

その内容は多少異なっている。工学では、基本的に真理の

追究ではなく、人間の役に立つものづくりを志向している。

基礎科目はものづくりの土台であり、そのため、工学部の

基礎科目は高校の「教科」を大学の「学問」へとつなげる

役割を担っていると言える。

例えば、横浜国立大学工学部知能物理工学科で開講され

ている「力学A/力学演習A」という科目では、高校で学

んだ数学と物理学(力学)をベースに、大学の工学教育に

必要な力学として再構築していくような内容になっている

(表1)。物理法則を考える上で必要なベクトル、微分・積

分、複素数、極座標などの数学的準備を行うことが、同学

科の教育研究に必要だからである。このように基本的には、

その学問に必要な分野を中心に、基礎科目の内容が設定さ

れている。

学科や専門によって重視する内容は異なる

もちろん、高校で教科として学んだ内容は最低限必要に

なるが、その重要性は学科や専門分野によって若干違いが

工学は積み上げが必要な学問だといわれる。基本的な定理や原理をしっかり理解した上で基礎的な技術を身に付け、応用技術へと発展させていく学問だからだ。ところが高校で学ぶ物理や化学などの教科内容と、大学の工学教育で必要な基礎知識とは必ずしも一致していないのが現状だ。多くの大学では工学部で学ぶのに必要な基本的な知識を身に付けさせるため、基礎科目の教育に力を入れている。

1 力学で使う数学の基礎―ベクトル、座標、微分 2 運動の法則、慣性質量、等加速度運動 3 物理量の次元と単位、力の合成と分解、   物体の運動、重力と万有引力 4 運動量と力積、力学で使う数学の基礎―積分 5 単振動、力学で使う数学の基礎   ―指数関数と常微分方程式、落下運動 6 減衰振動・強制振動、力学で使う数学の基礎   ―複素数の極形式とガウス平面 7 中間試験 8 仕事と仕事率、運動エネルギー 9 保存力とポテンシャル・エネルギー、力学的エネルギーの保存則 10 保存力とポテンシャル・エネルギーの微分関係、   ポテンシャルから保存力を求める 11 極座標、極座標による運動の記述 12 万有引力のポテンシャル、球対称の質量分布からの万有引力 13 力学で使う数学の基礎―ベクトルの外積、角運動量 14 中心力と面積速度一定の法則 15 期末試験

・ベクトル、微分・積分、複素数などの数学的取り扱いを理解する。 ・各々の運動に対してニュートンの運動方程式を立てて解くことができる。 ・仕事、運動エネルギー、ポテンシャル・エネルギー、保存力などの物理的概念を理解する。 ・極座標の取り扱いができ、角運動量、中心力の物理的概念を理解する。

力学A/力学演習A 授業内容

履修目標

(表1)横浜国立大学工学部知能物理工学科の専門基礎科目

高校の“理科”から大学の“工学”へ考え方の切り替えを促す「基礎科目」

基礎科目part2

解説

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part

1工学系

学士課程教育の現状

part

2基礎科目

part

3英語教育

part

4技術者倫理

Guideline July・August 2007 41

ある。工学系学科に在籍する大学生へのアンケート調査

(Kei-Net特派員対象)でも、所属する学科系統によって、

高校時代にしっかり学んでおいた方がいいと思われる科目

にばらつきがみられる(グラフ2)。

例えば、「数学Ⅲ」「数学C」はどの学科系統でも共通し

て高い割合を示しているが、「数学Ⅰ」「数学A」ではかな

り差がある。「物理(力学)」は全体的に高い割合だが、特

に「建築・土木・環境」系で必要度が高い。また「電気・

電子・通信・情報」系では、「物理(電気)」が、「応用化

学」系では「化学」全般の割合が高いなど、学科系統の特

色がよく表れている。

またKei-Net特派員に基礎科目への満足度を聞いたとこ

ろ、約3分の2の学生は満足している(「とても満足」「ま

あ満足」の合計)と答えている。「専門に進むために避け

て通れない道。基礎科目を学ぶことで視野が広がり、専門

で研究する際にさまざまなアイデアが生まれると思う」

「基礎しか学べないが、興味深い広大な範囲を垣間見るこ

とができ、将来の選択に有効」といった好意的な意見があ

る一方、「数学でまだ習っていない分野を物理で平気で使

うなど、カリキュラムの組み方があまり親切とはいえない」

「やたら数式が出るばかりで実際にどう使うかまったく分か

らない。自分たちが学生だっ

たころのつもりで授業を進め

ているのではないか」といっ

た厳しいコメントもあった。

高校の学習指導要領を理解していない大学教員もいること、

そのためにカリキュラムの整合性がとれていないことが要

因だが、大学で必要な知識は、定期的に改訂される高校ま

での学習指導要領とは無関係である。それだけに大学とし

ても高校と大学をつなぐ基礎科目を重視しているのだろう。

充実した「基礎科目」とは

では学生は、大学の基礎教育に対して何を望んでいるの

だろうか。Kei-Net特派員アンケートからは、基礎科目の

知識を専門科目へと具体的に応用する授業に対する期待が

圧倒的に高いことが分かる(グラフ3)。専門領域に入っ

ていくためのツールであることを認識し、その使いこなし

方の教授を求めているようだ。大学の中には、こうした状

況に応じて基礎科目の教育でさまざまな工夫を始めるとこ

ろも出てきた。

そこで河合塾では、大学の工学教育において、充実した

基礎科目教育のポイントを整理した(表4)。このなかで、

1は特に重要だ。高校では教科ごとに別々に教えられるこ

とが多いが、工学の世界では、ものづくりに必要な体系的

な知識が不可欠だ。特に工学で最も基本的な力学では、数

学と物理学の関係をきちんと理解することが不可欠である。

4も学生のモチベーションを維持するためには大切なポ

イントと言える。技術が進歩すればするほど、製品の内部

で何が行われているか見えにくくなっている。だからこそ、

専門分野でどのように使われるのかを学生に示し、動機付

けを与えることが必要である。

なお、次のページからは、大学における基礎科目の教育

内容を具体的に紹介する。

電気・電子・通信・情報

機械・航空

建築・土木・環境

応用化学

材料・物質・資源

生物工

数学Ⅰ 数学Ⅱ 数学Ⅲ 数学A 数学B 数学C 物理(力学)

物理(電気)

物理(熱) 物理(波動)

生物 地学 物理(磁気) 物理(原子) 化学(理論) 化学(無機) 化学(有機)

80% 60% 40% 20% 0% 100%

複数回答可 N=255(学科系統)

(グラフ2)高校生の間にしっかり学んでおいたほうがよいと思う科目

1. 専門科目に必要な複数科目を関連付けながら授業を行う。  (数学+物理など) 2. 演示や実験を通して概念と知識を整理する。 3. 授業内で小問演習を繰り返すなどして知識定着を図る。 4. この科目が学科専門科目に必要である理由を説明する。

●学科により基礎科目が必要となる内容は量・質共に異なる。 ●なお、現在は、教員の個人裁量→大学内外での基礎科目教育の模索・構築が行われている段階。

(表4)充実した基礎科目教育のポイント

高校時代に学んだ内容の補習授業

実験や演示 その他

基礎科目の知識を専門科目に 具体的に応用していく授業

81.0%

4.3%1.2%

13.6%

N=258

(グラフ3)工学部生が望む基礎科目授業

【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

※グラフ2、3は工学系学科に在籍する大学生へのアンケート調査(Kei-Net特派員対象)(※)より

※〔工学系学科に在籍する大学生へのアンケート調査(Kei-Net特派員対象)〕2006年8~9月実施、回答者数442名

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42 Guideline July・August 2007

理工学の基礎的な素養を身に付けるため1年次は全員がほぼ同じカリキュラム

慶應義塾大学理工学部は、大学入試では学科別募集を行

わず、ゆるやかな「学門」別募集を採用(図1)している。

各学門はおおよそ物理、数学、化学、メカニクス、情報に

対応しており、2年次で進級できる学科とその比率はあら

かじめ決まっている。また、多くの学科は、複数の学門か

ら進級できるシステムになっている。

2年間の基礎教育のうち外国語科目、総合教育科目に加

え、1年次は「基礎科目」、2年次は「専門基礎科目」を

中心としたカリキュラムが編成さ

れている。理工学基礎科目は「数

学A1~4」「数学B1~4」「物

理学A~D」「化学A~D」「生物

学序論」「自然科学実験」(化学お

よび物理の両分野からなる)「理

工学基礎実験A~D」「情報処理

実習」などからなる。2年次から

は、学科ごとに必修科目、選択科目が決まるが、1年次の

うちは全員がほぼ共通のカリキュラムを必修科目として学

ぶことになっている。

理工学基礎科目を2年間学ぶことについ

て、自然科学実験を統括している化学科の

西山繁教授は、「大学で最先端の知識や内容

を教えても、企業の現場に行った時に既に

古くなっている場合もあります。われわれ

が基礎科目を重視しているのは、変化の速

度が速く、各分野が融合している現代にお

いても、しっかりとした基礎を背景にすれ

ば、どのような融合分野や最先端の研究に

も対応できると考えているからです。自分

のバックグランドとなる基幹学問をしっか

り学んで、そこからバイオロジー、マテリ

アルなどさまざまな分野に進んで欲しいと

考えています」

観察眼や注意力を育成することで科学的な見方の確立を目指す

1年次開講の実験科目「自然科学実験」

には、特に力を入れている。1年次約1,000

名の全員必修になっているため、実験の準

備から授業運営に至るまで、多くの労力が

理工学部全員に化学実験を課すことで大学で必要な“定量的な発想”へ転換

【化学】 慶應義塾大学理工学部事例z

慶應義塾大学理工学部は、2年次までは基礎的な教育を受け、3年次から専門課程の教育を受けるカリキュラムである。1・2年次で学ぶ基礎科目は、理工学基礎教室が運営を行っている。自然科学実験は全員必修であり、基本的な知識を身に付けるという目的のほか、大学における学びへの適応を促す意味を持つ科目である。

学問2

学問4

学問3 学問1

学問5

数理科学科

管理工学科

機械工学科

システムデザイン工学科

応用化学科

生命情報学科

化学科

物理学科

物理情報工学科

機械工学科

電子工学科

システムデザイン工学科

情報工学科

生命情報学科

(図1)慶應義塾大学理工学部の学門と学科の関係

西山繁教授

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【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

part

1工学系

学士課程教育の現状

part

2基礎科目

part

3英語教育

part

4技術者倫理

Guideline July・August 2007 43

必要だが、実際にものに触れることで得られるメリットは

大きい。

自然科学実験の第1の目的は、実験を通して科学的なも

のの見方を確立すること。実験を行い、結果を記録し、そ

こから考えられることを考察し、レポートにまとめる一連

の作業を通して、科学に接する態度を養おうというわけだ。

化学実験(自然科学実験の化学編。以下同)では、5つ

の班に分かれて、半期で6種類の実験を行っている(表2)。

学生は1グループ10人程度に分かれ、実験は2人1組で

行う。学生は予習として実験のテキストを読み、予習レポ

ートを提出する。また、授業中に実験レポートを作成する

ことも求められている。

6種類の実験のうち、最初に行う「緩衝溶液」の実験に

は、ガイダンス的な性格がある。ガラス器具の名称や使い

方を覚え、実際にそれらを手にして実験を行うことで、大

学における実験への導入を行う。以後のテーマは班ごとに

ローテーションを組んで行われる。

高校と大学の実験の最大の違いについて、西山教授は

“定量的”であることだと指摘する。高校までの実験では、

例えば試薬Aと試薬Bを混ぜて色が変われば、変わったこ

とを記述すればいい。しかし大学では、どの程度の赤なの

か、物質が何%生成されたのか、平衡のバランスは理論通

りかなど、あくまでも“定量的な発想”にこだわる。

「100㎎の物質が生成されるはずが1㎎しか生成されてい

ないとすると、残りはどうなったのか。物質が消えること

はないので、どこかで面白い反応が生じているのかもしれ

ません。それらの反応をすべて論理的に説明できること、

つまり物質収支を厳密に見ていく姿勢、観察眼や注意力を

育成することが、化学実験の最大のポイントなのです」

(西山教授)

第2の目的は、科学実験に伴うリスクについて考える姿

勢を身に付けさせることだ。安全教育、環境教育の面もあ

る。化学実験には多くの危険が伴うため、実験中は白衣と

安全メガネの着用が義務づけられているほか、廃液は分別

回収し、適切な処理の後、定められた環境基準に則って分

別廃棄している。こうした現実に触れることを通して、化

学の研究に携わったり、科学技術の世界で活躍したりする

ことが社会に及ぼす影響を認識し、ルールを守る態度を育

成する。

西山教授は、「理工学は積み重ねの学問であり、しかも

反復練習をしながら考え方を身に付けていくものです。化

学は暗記科目だというイメージを持つ人もいますが、違い

ます。なぜそうなるかという基礎原理が分かっていればす

べて理解できるのです。特に有機化学の場合は『反応機構』

が理解できるかどうかで、有機化学全般の理解力がまるで

違ってきます。だから化学実験を通して基本原理や基本的

な概念を理解してもらいたいのです」と語っている。

化学に適したセンスや適性を実験を通して知ることもメリット

実験テーマを見ると、化学の大まかな分野をほぼ網羅し

ていることが分かる。「フェライト粉体の合成」は無機化

学、「凝固点降下」は物理化学の領域だ。残りは有機化学

で「メタクリル樹脂の合成と性質」は高分子化学、「酢酸

エチルの合成」と「エステルの加水分解」は対になった有

機化学実験だ。年度によっては熱化学分野の「反応熱」が

これらの実験と置き換わることもある。

実験時間は、午前中(1・2限連続)、午後(3・4限

連続)の班があるが、いずれも間の休憩を入れて190分と

決まっている。実験後に昼食や5限目の授業があるため、

この時間内に、予習の確認、実験の概要説明、実験、後片

づけ、レポート書き、教員とのディスカッションをすべて

終了させなければならず、これらの条件をすべて満たしな

がら、しかも化学実験に相応しい基本的な内容を持ち、学

生に刺激を与えるような実験テーマ開発への意欲は常にあ

るという。

大学の学びへの導入、化学の基本的概念の理解、安全・

環境面に対する意識形成などのほか、化学実験にはもう1

つ大きなメリットがある。それは、化学の世界に進む適性

を確認できることだ。大学の化学系の研究室では、使い方

によっては毒物である危険な薬品を日常的に取り扱う。そ

ういう薬品を扱う人間には倫理観も必要だし、繊細にもの

ごとを扱うセンスも必要だ。こうした適性は、実験などで

実際にものを扱うことを通してしか分からないことが多い。

「実は全員が化学実験を行うことで、本人と教員がとも

に適性を見極めるという意味もあります。これはすなわち、

1人ひとりの学生に対するケア体制にもつながっているの

です」(西山教授)

(表2)自然科学実験・化学編の実験テーマ一覧

1. 緩衝溶液-pHと電離平衡・共通イオン効果-

2. フェライト粉体の合成-セラミック材料の製造-

3. 酢酸エチルの合成-有機液体化合物の合成、化学平衡-

4. 反応熱-熱化学-

5. メタクリル樹脂の合成と性質-高分子の材料と性質-

6. 凝固点降下-溶液の性質-

7. エステルの加水分解-反応速度-

*以上7テーマの中から6テーマ行う

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44 Guideline July・August 2007

工学部生に必要な数学の基礎学力を測定する工学系数学統一試験

工学教育において数学は必須科目だが、これまで工学系

の数学に関して、全国規模で基礎学力を測る仕組みは存在

していなかった。広島大学と山口大学では、工学系数学の

基礎学力を評価し、標準的なカリキュラム構築を進めるた

め、「工学系数学統一試験」を実施するという斬新な試み

を数年前から始めている。この取り組み「工学系数学基礎

学力の評価と保証-グローバルスタンダードをめざし

て-」は、2005年度の特色GPにも採択されている。

小中高の教育では数学の学習量が減っているのに、大学

の工学部で必要な数学の能力は変わらない。しかし、何が

足りないのか、どんな数学的能力が必要なのかを、きちん

と評価する仕組みはなく、英語のTOEICやTOEFLのよう

な統一的な試験もない(*)。一方で、工学教育では論理を突

き詰めていく学問としての数学ではなく、科学技術の研究

や開発に必要な“使える数学”あるいは“道具としての数

学”が求められる。そこで、工学系で学ぶ学生に必要な数

学の基礎学力の基準を見極めるため、「工学系数学統一試

験」を開発することになった。

出題範囲は「微分積分」「線形代数」「常微分方程式」

「確率・統計」の4分野(表)。工学の諸領域ではもっと幅

広い分野の数学が必要になるので、工学系の数学教育で最

小限教えることは何かという発想から、主な工学系の大

学・学部のカリキュラムやシラバスを、時間をかけて詳細

に検討し、多くの人が納得できる形として、この4分野に

落ち着いた。加えて、各項目について達成目標を作成し、

求められる数学の能力をより具体的に明示している。

統一試験の狙いは、最終的にはその結果を、工学部の数

学教育のカリキュラムに反映させることにある。試験の実

施を中心にして「PDCA」サイクルを確立することで、工

学系数学の教育を充実させようという意図だ。

工学系数学に求められる指標作りには全国への試験の普及がカギ

工学系数学統一試験は、2003年度に広島大学、山口大学

で試行的に実施され、2004年度から毎年12月に実施され

ている。受験者数は、当初は2~3大学300名程度だった

が、特色GP採択後の2005年度は10大学2高専1,047名、

2006年度は28大学3高専2,144名と、回を重ねるごとに増

加している。国公立大が中心で、広島大学工学部では2・

3年生は全員受験しており、山口大学工学部では大学院入

試に使用するため、入試受験予定者はほぼ全員受験してい

るという。

試験はマークシート方式を採用。結果は統計処理され、

分野ごと、設問ごとに正答率の割合などが公表されるほか、

学生は自分の試験結果について知ることができる。試験問

題は、広島・山口両大学の工学系数学の教員が中心に作成

している。当然、工学系のカリキュラムを意識したものな

ので、6~7割の正答率が期待されて

いるが、5割を切っているのが現状だ。

課題は普及率。統一的な指標作りのた

めには、全国に広がる必要がある。

工学系数学統一試験は、学生にとっ

ては自分の学力を客観的に把握するツ

ールとして、工学部で数学を教える教

員にとっては学生がどこでつまずいて

いるかを確認し、教育内容やカリキュ

ラムを改革するためのツールとして極

めて利用価値は高い。今後の広がりが

期待されている。

“道具としての数学”の能力を測る「工学系数学統一試験」を実施

【数学】 広島大学工学部・山口大学工学部事例x

(*)全国レベルの数学・算数の能力に関しては、日本数学検定協会の「数検」があるが、工学部で必要な数学的な能力を評価するものではない。

● 微分積分(1)変数関数の微分と応用(a) 数列とその極限、関数の極限(b) 基本的な関数の導関数、合成関数と逆関数の微分

(c) 関数の最大最小、テイラー展開(2)積分と応用(a) 基本的な関数の積分(b) 置換積分、部分積分(c) 図形の面積、曲線の長さ

(3)多変数関数の偏微分と応用(a) 偏導関数、合成関数の偏微分(b) 偏微分の応用

(4)重積分と応用(a) 重積分、累次積分、変数変換による重積分の計算

(b) 重積分の応用

● 線形代数(1)行列と行列式、正則行列と逆行列(2)行列の階数、行列の基本変形、連立一次方程式の解法

(3)ベクトル空間(線形空間)と部分空間、基底と次元、内積

(4)線形写像と表現行列(5)固有値と固有ベクトル、行列の対角化

● 常微分方程式(1)常微分方程式に関する基礎的な概念(2)1階常微分方程式(3)2階線形常微分方程式(a) 同次(斉次)微分方程式の解の重ね合わせと解の1次独立性

(b)2階定数係数同次線形微分方程式の解法(c)2階定数係数非同次線形微分方程式の解法

● 確率・統計(1)確率の基礎概念(a) 確率と事象の独立性(b) 確率変数と分布(c) 代表的な確率分布(d) 期待値(平均)と分散

(2)推定と検定(a) 統計量の分布(b) 点推定(c) 区間推定(d) 仮説検定

(表)工学系数学統一試験 出題範囲(2006年度版)

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【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

part

1工学系

学士課程教育の現状

part

2基礎科目

part

3英語教育

part

4技術者倫理

Guideline July・August 2007 45

【物理学】 東京農工大学工学部事例c

実験の観察から物理法則を論理的に展開

物理学を暗記科目と考える学生が増えているという。物

理学で扱う原理や数式にどんな意味があるのか分からず、

とりあえず結果を記憶することで試験に合格してきた経験

があるからだ。しかしそれでは、原理を考えるところまで

至らず、ゲームやクイズのように正解を導くパターンの訓

練にしかならない。

そこで、東京農工大学工学部物理システム工学科では、

基礎科目に相当する力学や電磁気学の授業の中で、新しい

物理学の導入教育への取り組みを始めた。導入教育といっ

ても、高校で学んでいない内容を教えるのではない。高校

の教科書は大学初年次の基礎物理科目で講義する内容や事

項と重複しているが、問題は、基本原理から結果を導出す

るまでの論理的なつながりが十分ではないところにあると

考えた。そこで、高校の履修範囲の中で本質的な事項を抽

出し、演示実験を豊富に取り入れ、物理学に対する興味を

喚起し、実験的観察から物理法則を論理的に導く方法を考

えさせるという目標を設定した。

高校の履修範囲に限定したのは、学生が新しい知識を積

み上げることに気をとられないようにとの配慮からだ。ま

た、物理学に対する関心を喚起するために、演示実験を豊

富に取り入れる工夫もしている。さらに、演示実験だけで

は単なる「見せ物」に終わってしまう危険性があるため、

物理的な原理を定量化して、基本法則を演繹するための基

礎実験を組み合わせている。こうして実験の観察から物理

法則を論理的に導くように授業を展開しているのだ。

モーターや発電機の分解からスタート

導入科目は「力学入門」と「電磁気学入門」の2科目が

1年生の前期に並行して開講される。力学入門では、質点

の運動や仕事とエネルギーに関する公式を導く数学的手続

きを理解することをテーマとし、 電磁気学の導入として

身近な道具から電流と磁場の関係を考えさせることをテー

マにしている。ここでは「電磁気学入門」(表)を具体的

に紹介する。

授業ではまず、床に描かれた黒い線に沿って走る「ライ

ントレースカー」を分解。その原理を学生と一緒に考える

ことからスタートする。特に駆動部分である電気モーター

を分解することで、モーターの原理を考察させることに重

きを置く。

その後は、モーターの原理を定量的に記述するための基

礎実験が2週間続く。これらの実験を通して、学生はそれ

まで公式として暗記していた「アンペールの法則」がどの

ようにして導き出されたかについて、数式を使って考えて

いくことになる。同様に、非常用手回し発電機を分解し、

「ファラデーの電磁誘導の法則」を導く授業が次に続く。

成果は上がっており、学生は最初、興味から入っていく

が、実験的観察から電磁気学の基本原理を推論する方法を

繰り返すことで、物理学の学び方、物理学を学ぶ意義につ

いて気づいていく。授業評価アンケートでは、この導入科

目の意義について「物理は暗記科目じゃないと思った」

「答えではなく考え方を重視するやり方が違う」などと回

答し、授業の趣旨をよく理解しているだけでなく、「公式

の持つ物理的意味を考えることが物理を学ぶ上で重要だと

思った」といった感想があった。

高校の履修範囲に限った授業でも、こうした一定の成果

が得られ、授業の工夫次第で基礎科目の初期の目的を達成

することができる。今後は、導入科目で身に付けた「注意

深く観察し考える習慣」を維持し、より高度な専門教育を

展開することに取り組む予定である。

「力学」と「電磁気学」を題材にして物理学を学ぶ“方法”を修得させる

1. モーターのしくみから考える電流と磁場の法則第1回 ライントレースカー/モーターのしくみ

第2回 電流の受ける力とローレンツ力第3回 電流の作る磁場第4回 アンペールの法則第5回 中間試験1

2. 発電機のしくみから考える電磁誘導の法則第6回 発電機のしくみ第7回 磁場中のコイル運動第8回 レンツの法則第9回 ファラデーの電磁誘導の法則第10回 中間試験2

3. 電磁誘導の法則から考える起電力と電場第11回 電位と電場第12回 電場と電荷第13回 ガウスの法則第14回 マクスウェル方程式と電磁波第15回 期末試験

(演示実験)ライントレースカー/モーター永久磁石と電流方位磁針

発電機永久磁石とコイルコイルと棒磁石

食塩水の電位電気力線

(表)東京農工大学「電磁気学入門」の授業内容

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46 Guideline July・August 2007

英語教育part3

学生が望むのは英会話能力

日本のほとんどの大学は、全学生に英語を必修として課

している。近年は英会話などにシフトする傾向も見られる

が、一般に大学の英語教育は読解力に重点が置かれる傾向

が強く、使用する教材が文学作品であることも少なくない。

河合塾が実施した工学系学科に在籍する大学生へのアン

ケート調査(Kei-Net特派員対象)では、「教科書をただ訳

すだけの授業が多い。担当教員によって内容が大きく異な

るので困る」「実際に語学が上達するとは思えない授業だ」

など不満の声も少なくない。大学の英語教育に対しては

「英会話などコミュニケーションが図られる授業」を望む

学生が36%と最も多く、「TOEICやTOEFL対策の授業」

29%、「在籍学科に関連する専門書(英語)の講読授業」

19%、「英語の論文の作成やそれに対する指導が行われる

授業」14%となっている。

とりわけ技術者に求められる英語力は、英文学の読解力

ではなく、自分が仕事を進めるために必要な語学力だ。技

術論文の読解力と同時に、目の前で起きたトラブルについ

て議論し解決方法を提案したり、新しい技術的課題にチー

ムで取り組んだりするために必要なコミュニケーション力

が重要になってくる。

工学系の学科では、これまでも「技術英語」などの科目

が開設されていたが、どちらかといえば英語の論文を読む

のに必要な知識を修得するためのもので、技術者として活

動するためのコミュニケーションツールとしての英語では

なかった。大阪大学工学部が学生に行ったアンケートでも、

「一般英会話」へのニーズが最も高く、次いで「専門英会

話」「専門英作文」など専門分野に関する英語力が続いて

いるが、これらに対応する学生の充足率(各項目に対する

自信)が、読解力などを養成する授業に比べて低いことが

分かる(表1)。

JABEEが「国際的に通用するコミュニケーション基礎

能力」を基本的な能力として要求していることからもわか

るように、技術者の世界では英語はコミュニケーションツ

ールそのものだ。その力を育成することが工学系の学科に

おける英語教育の目標の1つといえる。

大学も英語教育の改革に着手

こうした背景に呼応するように、大学も英語教育の改革

に乗り出している。特に技術系の世界はグローバル化が最

(表1)英語教育に対するニーズ

技術の世界は完全にグローバル化しており、論文や学会での発表のほか、海外の技術者との交流はすべて英語がベースだ。国際的に活躍する技術者になるためには英語力は不可欠であり、工学教育においても英語教育の重要性はこれまで以上に高まってきている。こうした背景を受けて、各大学とも技術者に必要な英語力を育成するための教育に力を入れ始めている。

大阪大学工学部学生に対するアンケート N=133

必要性   (必ず必要=100) 充足率 (自信がある=100)

英語プレゼンテーション

専門英作文

一般英作文

専門読解

一般読解

専門英会話

一般英会話

プレゼンテーションと専門英語を軸にしつつ、 英会話を強化する方向

90

21

88

17

83

55

86

38

80

41

88

23

90

14

大学における一般英語とは異なる「技術者のための英語教育」が必要

解説

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【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

part

1工学系

学士課程教育の現状

part

2基礎科目

part

3英語教育

part

4技術者倫理

Guideline July・August 2007 47

も進んでいるため、理工系人材の英語力養成が急務になっ

ているからだ。

文部科学省では、社会的養成の強い政策課題に対応した

大学教育を支援する「現代的教育ニーズ取組支援プログラ

ム」(現代GP)を実施しているが、2004年度、2005年度に

「仕事で英語が使える日本人の育成」というテーマを掲げ

て教育プログラムを募集したところ、工学系の大学・学部

においても多くの優れた取り組みが採択された(表2)。

例えば2004年度は、工学院大学の「グローバルエンジ

ニア育成における英語教育」が採択されているが、これは

学生全員に海外研修を義務づけ、国際的な技術者に必要な

英語力を4年間通して育成していくプログラムが主体にな

っている。2005年度の場合、採択11件のうち、理工系の

大学や学部などによる英語教育の取り組みは4件あった。

いずれも英語をコミュニケーションツールとして位置付

け、科学技術に関して英語で議論できる技術者・研究者を

育成しようという狙いがある。

良い「英語教育」を見分けるポイント

こうした各大学の取り組みなどから、河合塾では工学系

の学生にとって望ましい英語教育のあり方をまとめてみた

(表3)。

内容面では、従来の語学教育すなわち教養科目的な扱い

となっている「一般英文読解」と、研究室に入ってからい

きなり開始される「専門書講読」ではなく、その間を埋め

るような専門英語の教育が望ましいといえるだろう。また

教材は、日常英会話や一般英文読解に終始せず、専門分野

の用語や独特の用法などを使いながら、専門分野に関する

テーマでコミュニケーションができるような能力育成を図

ったものがいい。授業だけではなく、学生の自学自習を促

すような工夫があればなおいいだろう。担当教員は、語学

教育の専門家でも構わないが、専門分野に通じていないと、

専門英語を教えるのは厳しい。

教育システムでいえば、4年間を通

じて英語の授業に接する連続的な履修

システムになっていることが望まし

い。当然のことながら学年が上がるご

とにステップアップしていく体系的な

カリキュラムが組まれていることが重

要だ。少人数教育や習熟度別編成もチ

ェックポイントだろう。

肝心なことは、高校卒業時の英語力

を維持して卒業するのではなく、大学

で専門分野の英語を身に付け、学習し

たという満足感を学生に与えられるような英語教育になっ

ているかどうかだ。次ページから、工学系の英語教育の取

り組みを具体的に紹介する。

工学院大学

群馬大学

名古屋工業大学

北陸先端科学技術 大学院大学

上智大学

グローバルエンジニア育成における英語教育

産学連携による理系専門英語の実践型教育

発信型国際技術者育成のための工学英語教育 -「知識としての英語」から「道具としての英語」へ-

バイリンガル環境における科学技術英語教育

グローバル社会における系統的科学英語教育

大学名 取り組み名称

[2004年度]

[2005年度]

(表2)現代GPにおける「仕事で英語が使える日本人の育成」に採択された工学系の大学・学部等における取り組み例

(表3)「英語教育」でみる良い大学教育とは

(内 容)

(教 材)

(教 員)

(頻 度)

(レベル)

(効 果)

12

3

4

5

6

一般英文読解、専門原書講読に終始しない。

専門分野を扱う。自学自習を促す。

専門分野のバックグラウンドがある教員が望ま

しい。

学年によるブランクがない。

段階的にレベルアップ。少人数クラス。

習熟度別クラス。

習得の実感・効果がある。

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48 Guideline July・August 2007

4年間の英語教育「CSGE」でTOEICの点数も確実に向上

工学院大学が本格的にグローバルエンジニアの育成に着

手したのは、工学部機械工学科に国際工学コースを設置し

た1997年のことだ。2001年には国際基礎工学科に改組さ

れ、翌年には日本で最初のJABEE認定を取得。2006年、

同学科はグローバルエンジニアリング学部に改組されると

同時に教育内容もブラッシュアップされている。

当初から教育の大きな柱となっているのは、卒業研究

の代わりに企業から与えられた未解決のテーマを2年間

かけて学生がプロジェクトを組んで解決する「ECP

(Engineering Clinic Program)」と、技術英会話科目

「CSGE(Communication Skills for Global Engineers)」だ。

ECPを中心とした教育プログラムは2003年度の文部科学

省の特色GPに、CSGEを中心とした教育プログラムは

2004年度のこれも文部科学省の現代GPに採択されるなど、

いずれも高く評価されている。

CSGEは、技術者のための英語によるコミュニケーショ

ンスキルを身に付ける科目で、週3回の90分授業が4年

間実施される。1・2年次は必修だ。クラスは25人以下

の編成で、授業ではさらに5人程度の小グループに分かれ

て徹底した英会話が行われる。授業では黒板を使うことは

ほとんどなく、1対1の会話を中心に、全て英語で展開さ

れる。簡単な挨拶や自己紹介から始まるが、学年が上がる

につれて、技術者としての提案書の書き方やプレゼンテー

ション、専門的なテーマに関する議論といった内容になり、

技術者に必要な英語コミュニケーション力を段階的に育成

するシステムになっている。実際、CSGEを受講した学生

のTOEICの平均点を見ると、4年間で確実に英語力が伸

びていることがわかる(グラフ1)。

CSGEを支えているのは、英語を母国語とする非常勤講

師陣と、専門的な英会話教育プ

ログラムだ。東京大学卒業後東

芝に入社され、カリフォルニア

工科大学でPh.D.を取得された

グローバルエンジニアリング学

部長の古屋興二教授は、「技術

者のための英会話は、大学の英

語科の教員が教える性質のもの

ではありません。そこで、語学

教育で100年以上のノウハウの蓄積を持ち、日本企業の技

術者向けの語学研修でも高い実績を誇る語学学校と連携教

育することにしました」と語る。

教材やプログラムの共同開発や講師の招聘をはじめ、技

術者としての英語力をきちんと測定できるようなオリジナ

ルの「統一テスト」の作成も依頼している。「大学が全て

の教育機能を自前で揃える必要はなく、外部の専門家に委

ねる部分があってもいいと思います。工学系の学部でこれ

だけの英会話教育を導入したのは本学が最初ですが、外部

グローバルエンジニアを育成するため4年間の体系的な英語教育プログラムを構築

工学院大学グローバルエンジニアリング学部事例z

工学院大学は、国際的に活躍できる技術者を養成するコースを10年前に立ち上げて以来、グローバルエンジニアの育成に力を注いできた。当初から改良を加えながら実施してきた英語教育は大きな成果をあげており、2004年度には「グローバルエンジニア育成における英語教育」が現代GPに採択され、現在では大学全体の英語教育として展開されようとしている。

(グラフ1)2000年度入学生TOEIC平均点

1年次 4月

600.0

500.0

400.0

300.0

200.0

100.0

0.01 2 3 4 5

試験回数

得点

1年次 12月

2年次 12月

3年次 12月

4年次 12月

古屋興二氏

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【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

part

1工学系

学士課程教育の現状

part

2基礎科目

part

3英語教育

part

4技術者倫理

Guideline July・August 2007 49

機関との連携教育は他大学にも波及しているようです」

(古屋教授)。

全員必修の海外研修では海外の学生と共同プロジェクトも

CSGEには海外研修制度も組み込まれている。3年次に

実施される「CSGE abroad」は、海外の大学で行われる英

語の集中講義である。従来は希望者のみだったが、2006年

から全員必修になった。また研修先の学生とプロジェクト

を組んで課題解決を目指す「ECP abroad」も3年次に実

施される。

これらの海外研修は、アメリカの協定校ハービーマッド

カレッジやピッツァーカレッジ、フランスの協定校

ESIEE/ESTEなどで展開されている。3週間~2カ月の

プログラムで、それぞれ2単位が付与される。ECP

abroadは、英語の研修というより、現地の大学の工学系

の授業に参加することが目的であり、会話力の向上を狙う

CSGE abroadとはやや目的が異なるが、英語力の向上とい

う面でも絶大な効果がある。「いくら英会話を集中的に3

年間学んできたとはいえ、最初は戸惑うことも多く、学生

はしどろもどろです。しかし3週間の研修期間が終わり、

プログラムの仕上げとして全員の前で発表するときには英

語力は驚くほど上達しています。だからこそ、海外研修を

必修にしたのです」(古屋教授)。

上記アメリカでの研修プログラムでは、午前中はCSGE

abroadを受講し、午後からはECP abroadを受講するハー

ドなスケジュールだ。現在は20名くらいの学生がアメリ

カ、フランスのプログラムに参加しているが、必修化され

た今後は、全学生が両方、あるいはそのどちらかのプログ

ラムを履修できるようにすることが目標である。

ボキャブラリーや文法の授業も会話の授業と並行して実施

しかし、10年を経て課題も見えてきた。1つは当初の目

標であったTOEIC平均点600点になかなか達しないこと

だ。大きな要因は、工学系のカリキュラム体系にある。現

在のカリキュラムでは、専門科目の割合が高まるにつれて

英語の学習に時間を割くことが難しくなってくるからだ。

特にJABEE認定を受けていると、学生の予習・復習まで

もきちんと組み込んだカリキュラムの策定と実施、厳密な

成績評価などが求められ、学生の負担も大きくなる。エン

ジニアとしての能力の向上には専門科目の充実強化は必要

だが、同時に「工学系の英語教育も大切だが、両方を教え

ることはなかなか難しいという大きな悩み」(古屋教授)

も存在するわけだ。

もう1つは、CSGEで英会話能力そのものは向上するが、

語彙や文法が十分身に付かず、きちんとした英語で話すこ

とが難しかったり、突っ込んだ議論になるとついていけな

くなったりすることだ。

そこで、2006年度から新しい試みを始めた。工学院大学

では、共通課程で全学生に基礎的な英語科目「総合英語Ⅰ

~Ⅲ」が開設されているが、CSGEの効果が高いことを受

けて、内容が英会話重視に変化している。しかし同学部で

はCSGEが週に3回実施されるため、総合英語に代えて

「ライティングI・Ⅱ」を設置し、文法力や語彙力強化の

ための科目として位置付けたのだ。

このほか英語の授業科目以外でも、英語力を育成するた

めのプログラムが数多く用意されている。例えば、海外協

定校の教員による専門科目の授業や英語集中講義を開催。

アメリカの大学で行われているのと同じ授業が英語で行わ

れるため、日本の授業との違いや、英語で行われる授業の

学び方などを知ることができる。また3割以上の専門科目

では、英語の教材が使われ、英語で試験が行われている。

さらに現代GP採択によって、CSGEの全学展開や総合英

語との連携も模索されており、グローバルエンジニア育成

のための英語教育はこれまで以上の広がりを見せつつある。

英語ができると就職は抜群大学院進学率も向上

CSGE abroadやECP abroadなどの海外研修を経て英語

力を飛躍的に高めた学生は、就職にも強みを発揮している

(表2)。「世界と勝負している企業では、社内におけるグ

ローバルエンジニアの教育が徹底しています。人工心臓や

ロボットなど自動車とは関係ないテーマを学んだ本学科の

学生がトヨタ自動車に採用されているのも、グローバルエ

ンジニア育成をめざした教育が評価されたのだと思いま

す」(古屋教授)。

同学部及びその前身の国際基礎工学科では大学院進学率

は平均して1割くらいだが、海外研修経験者はその割合が

高く約5割となる。英語力を伸ばすことによって、より高

度な専門領域を学ぶモチベーションが高まったためで、グ

ローバルエンジニアのための英語教育は、本来のエンジニ

ア教育にも好影響を与えているといえる。

(表2)海外研修経験者の主な就職先

トヨタ自動車、日産自動車、日野自動車、日本アイビーエム・ソリューション・サービス、日立製作所、YKK、リンテック、ジェトロニクス、三菱ふそう、ソニーイーエムシーエスなど

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50 Guideline July・August 2007

討論から発表まですべて英語で行う

名古屋工業大学では、国際的なコミュニケーションの道

具として英語の重要性に着目し、工学系大学ならではのユ

ニークな「EGST(English for General Science &

Technology)教育」を実践している。2005年には、過去

5年間にわたって蓄積してきたEGST教育の成果をもとに

した全学的な英語教育プログラム「発信型国際技術者育成

のための工学英語教育―『知識としての英語』から『道具

としての英語』へ」で、現代GPに採択されている。

この取り組みで特に注目されるのは、3・4年次で開講

される工学専門科目を「英語化」する試みだ。例えば情報

工学科の3年次後期に開講される必修の「メディア系演習

Ⅲ」の場合、学生3人を1グループとして、グループ単位

でテーマを掘り下げるプロジェクト方式を採用。15週間か

けて問題発掘、企画立案、問題解決を行う授業で、ディス

カッション、プレゼンテーションなどを総合的に学んでい

る。その際、資料作成、ディスカッション、プレゼンテー

ションをそれぞれ英語で行っているのだ。

「資料の英語化」に際しては、教員が用意する資料をで

きるだけ英語で書かれたものにしているほか、学生が調査

する際にもなるべく英語の資料にあたるよう指導してい

る。また「ディスカッションの英語化」では、授業中に20

~30分のディスカッションタイムをとり、留学生など英

語が得意な学生をTAとして配置した上で、英語による発

言や質疑応答などを行っている。さらに「プレゼンテーシ

ョンの英語化」では、こうした授業のまとめである合同発

表会において、発表資料や口頭発表、質疑応答をすべて英

語で行う。

授業は2グループ(学生6人)に対して教員1人を配置

する少人数形式とし、学生と教員との間に緊密な英語空間

を作り出す努力をしている。こうした取り組みの結果、学

生には英語を用いて専門分野に立ち向かっていく姿勢が芽

生え、教員側にも授業を英語で行うことに対するアレルギ

ーが薄れつつあるという。ただし現状では教員によってデ

ィスカッションの英語化のレベルに差がある。今後の課題

として、英語化に一定の基準を設定することが検討されて

いる。

完全に授業を英語で行うと、専門科目としての授業レベ

ルが低下する可能性もあるため、演習の実施に必要な説明

や安全性確保などに関しては日本語で行っている。

科学的な教材を使った英語学習システム

工学専門科目の英語化は全学科で導入されており、3年

次の実験・演習科目のほかに、4年次の「工学表現技術」

でも英語のプレゼンテーションが取り入れられている。

3・4年次で英語化授業が可能なのは、1・2年次を対象

に実施されているEGST教育が実績を上げているからだ。

例えば、習熟度別クラス編成を行い、科学技術に関する

話題を扱った統一教科書を使った授業と、統一試験を実施

して英語の運用能力を高める「科学技術英語」や、科学技

術コーパス(*)に基づいたe-Learning教育による「英語学

習システム」などが導入されている。特にe-Learning教育

では、学習者のレベルやニーズに応じて、語彙学習教材、

英文読解支援ツール、英作文支援ツールなどがオンライン

で提供されており、学生はいつでもどこでも自分に合った

英語学習環境にアクセスできる。

このほか、海外語学研修や海外インターンシップなどの

海外プログラム

も実施。現代GP

の採択プロジェ

クトを核に、英

語のコミュニケ

ーション力を高

める教育に力を

入れている。

工学専門科目の「英語化」で英語で専門分野を学ぶ意欲を高める

名古屋工業大学事例x

(*)コーパス…コンピュータで検索できるようになった言語資料の集まりのことだが、とりわけ、その言語の実際上の運用に際して必要な情報(言葉と言葉のつながり、使われ方など)が付与されている。

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【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

part

1工学系

学士課程教育の現状

part

2基礎科目

part

3英語教育

part

4技術者倫理

Guideline July・August 2007 51

工学分野の教員が英語教材を開発

大阪大学では、科学技術に関わる専門分野での英語運用

能力、英語によるプレゼンテーション能力、ディスカッシ

ョン能力を養成するためのESP(English for Specific

Purposes)教育に取り組んでいる。この試みは「国際的な

人材育成に資するコンテンツの開発-グローバルコンピテ

ンシーの修得を目的とするe-Learningプログラム」として、

2005年度の現代GPに採択されている。

英語一般を教えるe-Learning教材とは一線を画し、分野

を絞り込んだ科学技術に関する英語教育を行っている点に

特色がある。対象分野は、政府が最重要分野と位置付けた

「バイオテクノロジー」「情報科学」「環境科学」「ナノテク

ノロジー」の4分野と、同大学で世界的レベルの研究実績

がある「ロボット科学」を加えた5分野。

コンテンツ開発における特長は、英語を専門とする教員

ではなく、当該専門分野に関する研究の第一線で活躍して

いる教員が、「こういうことを学んでほしい、しかも英語

で学んでほしい」と考える内容を選び、それを英語教材に

したことだ。実際に英語による研究活動を行っている教員

だからこそ可能な、実践的な教材作りを目指したわけだ。

膨大な研究論文を読んだり、専門的なディスカッションに

参加したりする場合、全体的に何を言っているのかを瞬時

に把握できるような能力が必要であり、コンテンツ開発は

そうした方向性が盛り込まれている。

6年一貫の体系的な教育システム

これまでの工学系学科の英語教育は、1・2年次で一般

的な英語課程を学んだ後、3年次は英語に触れず、4年次

になっていきなり専門論文の講読や、学会等での英語によ

る論文発表などが課されるパターンが多かった。そこで大

阪大学では、このプログラムを従来の英語教育と統合させ

る形で、1年次から大学院前期課程(修士課程)終了まで

の6年間一貫のESP英語教育を2006年度から志向するこ

とにした(表)。これは語学教育と専門教育が融合した新

しい形の工学教育の1つといえる。

しかも授業の前後にプレテスト、ポストテストを行うこ

とで学んだ内容を確実に身に付ける工夫をし、自宅学習に

よるe-Learningでの予復習も促している。さらに、同大学

の海外拠点(アメリカ・サンフランシスコ、アジア・バン

コク、ヨーロッパ・オランダ)を結んだコンテンツ配信な

どにより、海外のライブ授業に触れることもできる。

ESP英語教育に関するアンケート調査では、「難しすぎ

ず、かつ専門的でやる気がでる」「すごく実用的・実践的

でよい」などの意見が目

立ち、学生の8割が非常

にいいと評価している。

大阪大学では、工学部

で開始したこの英語教育

の取り組みを、2007年度

からは全学に展開。科学

技術の知識なしに成り立

たない現代を生きるため

にも、大学全体で科学技

術をベースにした英語教

育を行っていこうとして

いる。

独自コンテンツによるe-Learning教育で最先端科学技術英語の運用能力を育成

大阪大学工学部事例c

学年

1年次

前期

前期

英語1

英語2

英語3

英語4

ESPテクノロジー英会話1

ESPテクノロジーBASIC1

ESPテクノロジー英会話2

ESPテクノロジーBASIC2

ゼミナール・総合科目

ESP工学英語Ⅰ

ESP工学英語Ⅱ

ESP理工学英語北米研修

読解力、記述力の育成

大学レベルのリスニング、一般英会話

読解力、記述力の育成

EAP(TOEFL、TOEIC)

プレゼンテーション(英語5)

ディスカッション(英語6)

プレゼンテーション(CBT)

ディスカッション(CBT)

外書・論文の講読による専門英語の修得

論文作成(テクノロジーADVANCED)

プレゼンテーション(テクノロジーADVANCED)

実地訓練プログラム

後期

後期

前期

後期

2年次

3年次

4年次

博士前期 課程

学期 科目 教育目標

(表)英語カリキュラム

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52 Guideline July・August 2007

近年、企業の不祥事や研究資金の不正利用などが頻出しており、製造現場で働く技術者や科学技術に携わる人たちの行動に強い関心が向けられるようになっている。こうした現象に呼応するかのように、大学の工学系学部では技術者倫理を扱う科目が増えてきた。技術者倫理とは、「いろいろな価値のバランスをどう取るかを考え、最適なバランスを取るために自分の行動を適切に設計する」ことを意味する(金沢工業大学札野順教授)。学問の歴史が浅いため、教育内容はまだ模索段階だが、「技術者倫理」の開講がJABEE認定の必須要件でもあり、今後の発展が期待されている教育分野といえる。

技術者倫理 part4

科学技術の影響が大きい現代社会

技術者倫理に関する科目が大学教育に登場するようにな

ったのは比較的最近のことだ。なぜ今、技術者倫理教育が

求められるようになってきたのか。

最も大きな要因は、科学技術が発展し、人間生活のあら

ゆる側面が科学技術の大きな影響を受けるようになってき

たことだ。科学技術が製品やサービスとして人間生活に関

わるまでには、研究者や技術者などの個人から企業などの

組織体まで、非常に多くの「意思決定の連鎖」がある。従

って、科学技術に関わる意思決定をどのように行なってい

くかが社会的に重要な課題になり、その教育が必要になっ

てきたのだ。

また、世界の経済が一体化し、モノだけでなく、サービ

スの質の保証も求められるようになったことも影響してい

る。国際的に通用する技術者の能力とは何かという議論が

高まり、アメリカの技術者教育認定機関ABET(*1)が、専

門家としての倫理観や責任感をきちんと教育する必要性を

提唱した。これが技術者倫理教育として広まり、日本でも

JABEEの認定要件となって、技術者倫理教育が導入され

るようになったのだ。さらに、1995年に起きたもんじゅの

事故(*2)やオウム真理教の事件(*3)などを境に、以後毎年

のように科学者や技術者が密接に関わる事故や事件が頻発

するようになったことも、技術者倫理教育の必要性を加速

させている。

こうした動きを背景に、日本ではJABEE発足の1999年

頃から、急速に大学の工学教育の中に取り入れられるよう

になってきたのだ。

科学が排除してきた「価値」を扱う

技術者倫理教育の推進にあたって課題となったのは、大

学教育のあるべき姿と、工学教育の実態に大きな乖離があ

ったことだ。1947年に制定された学校教育法第52条で

「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、

深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能

力を展開させることを目的とする」と規定されている。し

かし、17世紀に誕生した近代科学は事実の追求こそが最大

命題であり、価値の問題を排除することで、学問を発展さ

(*1)ABET(Accreditation Board for Engineering and Technology)…大学などの技術者教育のアクレディテーション機関で、全米550大学の2700ものプログラムを審査・認定している。JABEEもここのシステムを参考にしている。

(*2)もんじゅの事故…福井県敦賀市にある原子力発電所(高速増殖炉)で、1995年12月8日に発生したナトリウム火災による原子炉の緊急停止事故。放射能漏れはなかったが、運転に関わる技術者のミスや対策の稚拙さ、事故後の対応のまずさなどが露呈し、原子力技術に対する信頼を失墜させた。

(*3)オウム真理教の事件…1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン」事件をはじめとし、殺人事件を含む数々の犯罪事件を起こした。医学部を含む理工系の大学院生や研究者などが深く関与していたことが、世間を驚かせた。

技術者倫理は「道徳」ではなく価値のバランスを考えた意思決定の能力

解説

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【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

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1工学系

学士課程教育の現状

part

2基礎科目

part

3英語教育

part

4技術者倫理

Guideline July・August 2007 53

せてきた歴史がある。そのため、大学の工学系教育には価

値の問題を扱うような科目は存在していなかった。ところ

が、前述したような状況に直面したことで、科学技術者も

価値の問題に直面するようになり、ようやく学校教育法の

目的である「知的、道徳的な応用能力」にも目が向けられ

るようになったというわけだ。

とはいえ技術者倫理教育は、「~してはならない、~す

べきだ」といったべからず集を教えるような科目ではない。

技術者は、コスト、品質、耐久性、デザイン、納期などさ

まざまな価値のバランスをうまく取りながら、最適なバラ

ンスを取るために意思決定をしなければならない。その能

力を育成することが技術者倫理教育なのだ。

大学によって異なる技術者倫理教育の中身

技術者倫理教育は、JABEE認定プログラムでは必須だ

が、最近はJABEEとは関係なく、工学系の教育プログラ

ムでも開設することが多くなってきた。しかし、扱い方や

内容は大学によってかなりの温度差があるのも事実だ。企

業OBを非常勤講師にして体験ベースだけで授業を進めて

いるだけの大学もあれば、学部や学科の理念や目的とリン

クさせ、特定の科目だけでなく、学部・学科全体のカリキ

ュラムの柱として、複数の科目で技術者倫理を扱っている

大学もある。熱心な大学でも、組織的に取り組んでいると

ころから、教員の個人的努力に負っているところまでさま

ざまだ。JABEEでは、技術者倫理教育の認定に関して、

技術と自然や自然などとの関わりを理解する「技術史」を

教えることでもいいとしており、教育内容は多岐にわたっ

ている。

ただし、技術者倫理の根本は、公衆の安全・健康・福利

を最優先して意思決定を行うことであり、技術者倫理を学

ぶことは、より社会に貢献することにつながる。企業倫理

プログラムを徹底している企業の人気は高く、現代の学生

は、技術者倫理教育に対する期待も高いと言える。

現段階では工学教育の一部に位置付けられていることの

多い技術者倫理だが、今後は工学教育のあらゆる部分に浸

透していくことが望まれている。そのような観点から、大

学における良い技術者倫理教育を見分けるポイントを整理

している(表1)。あわせて学生の声をご参照いただきたい

(図2)。技術者倫理に関わる事例を通して学生自らが考え

ることを促す工夫や、カリキュラム全体で倫理的な問題を

扱う工夫などが鍵になりそうだ。以下で、優れた技術者倫

理教育を行っている大学の事例を紹介する。

1. 教材開発

専門家の 確保

内容の工夫

指導手法の 工夫

教育効果を得るために 事例で学べること。

2. 事例を教える専門家が 確保できていること。

3.専門科目と関連して教えられること。 →現状は専門科目の時間を  割いてまでの時間確保が困難

4.学生自身に考えさせる 機会をつくること。 →レポート、ディスカッションなど

(表1)大学における良い技術者倫理教育のポイント (図2)工学部生の満足度「技術者倫理」

とても満足している

まあ満足している

あまり満足していない

全く満足していない

12.6%

55.8%

29.5%

2.1%

学生の声

○さまざまな分野から講師が来て、主に環境安全論について講義をする。悲惨な現状を知ることが、倫理教育において最初にされるべきことである。

○大学の教授だけでなく、社会に出て活躍している技術者の方からも教わることができる。

○広い視野で物事が考えられる。

○研究している分野の良い面と悪い面をあらかじめ学ぶことで危険性を知っておくことができる。

○将来自分が技術者として倫理問題にぶつかったとき、役に立つと思う。

○さまざまな事件の背景にある技術者や会社のミスを分析して、どうしたらそのミスを回避できたか、考えるようになっていた。

○いろいろな問題についての詳しい解説があり、また講師が自分の意見を押し付けず、あくまで考えるのは学生という立場だから。

○実際に起こった技術的な倫理問題に触れて、学生同士で意見を交換することで倫理問題についてそれなりに考えることができた。

工学系学科に在籍する大学生へのアンケート調査(Kei-Net特派員対象)より

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54 Guideline July・August 2007

「科学技術者倫理」を中心にカリキュラム全体で倫理問題に取り組む

金沢工業大学の教育目標は、「自ら考え行動する技術者

の育成」だ。技術者が自ら考えて適切な行動をとり、その

責任を全うするためには技術者倫理の問題は避けて通れな

い。そのため、大学全体として技術者倫理教育に力を入れ

ている。特色は、他のいくつかの科目と深く関連させなが

ら「全課程を通して行う技術者倫理教育(Ethics Across

the Curriculum:EAC)」の実現を目指している点だ。つ

まり、カリキュラム全体で技術者倫理を扱おうとしている

のだ。

同大学は現在、3学部15学科体制(2008年度から4学

部14学科に改組計画中)だが、全学科とも共通のカリキ

ュラム体系、すなわちプロジェクト方式の「工学設計教育」

を中心に、「修学基礎教育」「外国語教育」「工学基礎教育」

「工学基礎実技教育」「専門教育」の各教育課程で構築され

ている。このうち技術者倫理に関連した科目は、主に修学

基礎教育課程の中で展開されている(図)。

1年次の必修科目「技術者入門Ⅰ~Ⅲ」は、企業でエン

ジニアとして活躍した教員が講義を行う授業で、ここで技

術者はどんな仕事をするのか、どんな心構えが必要なのか

などを学び、技術者としてのアイデンティティ確立の第一

歩を目指す。冬学期に開講されるⅢでは、特に技術者倫理

に関する内容を扱うことになっている。このほか1年次に

は、技術者と社会の関係を学ぶ「科学技術と社会」も開設

されている。2年次の「日本学(日本と日本人)」では、

日本人の価値観について学ぶ。他の国や地域との価値観の

違いを知り、日本人としてのアイデンティティを再確認す

ることで、他の価値観を尊重する態度を養うことが目的だ。

3年次になると、「科学技術者倫理」のほかに、2泊3日

の合宿形式による「人間と自然Ⅲ」などが必修科目として

開設され、具体的なテーマに則して学ぶことになる。この

ほか、工学設計教育課程における「工学設計Ⅰ~Ⅲ」の各

科目(いずれも必修)、および工学設計Ⅲの導入科目「コ

アゼミ」(必修)においても、自分が関わるプロジェクト

を進める上で、安全性や技術者としての心構え、社会に対

する影響の考察などが必須の評価項目として入っており、

技術者倫理に関する教育がより実践的な

形で行われている。

これらの教育プログラムは、科学技術

応用倫理研究所が中心になって開発して

いる。所長の札野教授は「高度な技術に

対応しなくてはならない工学教育では、

技術者倫理教育はどうしてもオプション

のように考えられがちです。しかし、科

学技術に関わる人の意思決定が社会全体

に極めて大きな影響を及ぼす現代では、

その意思決定能力は極めて重要であり、

それは技術者倫理教育を通して養ってい

くべきものです。ですから、決してオプ

大学のミッションと密接にリンクした「全教育課程を通じて行う技術者倫理教育」

金沢工業大学事例z

夢考房プロジェクトや工学設計教育などユニークで先端的な工学教育の実践で知られる金沢工業大学は、技術者倫理教育にも意欲的に取り組んでいる。特色は、技術者倫理を独立した科目として扱うのではなく、カリキュラム全体で技術者倫理に取り組んでいる点である。今後の技術者倫理教育が進むべき方向の1つとして注目されている。同大学の札野順教授にお話をうかがった。

工学設計Ⅰ(必修・2) 人間と自然Ⅰ(必修・1)

工学設計Ⅱ(必修・2) 人間と自然Ⅱ(必修・1)

コアゼミ(必修・1) 人間と自然Ⅲ(必修・1)

教育目標:自ら考え行動する技術者の育成

学部学科の専門教育

基礎教育部の人間形成教育

技術者倫理教育プログラムの科目(単位数)

マイクロインサーション

技術者としての価値判断と行動を設計する能力の育成

1年次

技術者入門 Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ (必修・各1)

日本学 「日本と日本人」 (必修・2)

科学技術者倫理 (必修・2)

工学設計Ⅲ (必修・8)

2年次 3年次 4年次

札野順教授

(図)金沢工業大学 技術者倫理教育プログラムの体系

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【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

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1工学系

学士課程教育の現状

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2基礎科目

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3英語教育

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4技術者倫理

Guideline July・August 2007 55

ションではなく、工学教育のカリキュラム全体でカバーし

ていくべきものです。本学ではこの考え方に立って技術者

倫理教育を進めています」と語っている。

科学技術と価値の問題を突き詰め倫理問題に陥らない方法を学ぶ

同大学の技術者倫理教育のコア科目が3年次の必修「科

学技術者倫理」だ。3学期制のため、週2コマ、3カ月で

完結するが、1学年約1500人に対して必修科目として課

しているのは、世界でも最大規模だという。そのため教育

内容もシステマティックに組み立てられている。授業の狙

いは、「技術者にとって何が大切か」を議論し、認識する

ことにある。

初期の授業では、「地球が滅亡しかかっているので移住

計画があるが、宇宙船には6人しか乗れない。どんなタイ

プの人を選ぶか」といった仮想的な問題を出題し、学生に

議論させる。他人と価値観が異なることに気付かせること

がポイントだ。その上で、ウラニウムの高エネルギー源と

しての価値や、代替可能な人間の臓器の価値などを例に挙

げながら、科学技術が生み出してきたさまざまな価値につ

いて歴史的に考察していく。

次に、チャレンジャー号の事例(*4)を提示し、現場の責

任者、問題点を認識していた技術者、ブースターロケット

を製造している子会社の経営責任者など、チャレンジャー

号に関わったさまざまな人たちの役割を学生に与え、それ

ぞれの立場からどんな意思決定を行うべきかについてグル

ープディスカッションを行う。「こうしたケースを通じて、

学生は、技術者であっても技術以外のさまざまな価値を自

分の意思決定の中に取り込まなくてはならないことを学ぶ

わけです」(札野教授)

その次の段階では、どんな価値を重視すべきかという問

題を考えるために、いろいろな学協会が定めている倫理綱

領などを参考にしながら、その内容を検討していく。これ

らは抽象的に表現されているため、具体的な意思決定の場

でどう反映されるのかも考える。また日本の場合は、技術

者のほとんどは企業で働くことになる。そこで、自分が就

職したい企業や、特に興味がある企業における企業倫理プ

ログラムや企業行動規範などを各自で調べ、企業の倫理と

は何か、企業倫理と技術者倫理の関係はどうあるべきかな

どについてディスカッションを行う。さらに企業で働く技

術者と内部告発に関する事例をテーマにしたビデオ教材を

使って、結果的に問題を大きくしてしまう内部告発を行う

前にできることなどについて話し合い、将来、倫理問題に

陥らないようにする方法などを学んでいくわけだ。

技術者倫理教育の効果は学生の具体的な活動にも波及

このような技術者倫理教育がスタートしたのは2004年

からだが、学生の授業への評価は概ね好意的だ。特に「科

学技術者倫理」は課題も多く学生には大変な授業だが、最

終レポートでは、ほとんどの学生が『やってよかった』と

の感想を書くという。無記名の授業評価アンケートでも評

価は高く、学生の満足度はかなり高いといえる。

具体的な教育成果も上がりつつある。例えば、夢考房の

「ソーラーカープロジェクト」においては、効率の高い太

陽電池パネルを使えば簡単に成績を上げることができるの

に、製造や廃棄に伴う環境負荷などを考えてあえて別の効

率の低い太陽電池パネルを使い、別の技術的な工夫に力を

注いでいる。ロボットコンテストでも、「相手を邪魔する」

動きが許されているにも関わらず、あえてその機能を搭載

しないロボット設計にこだわっている。

また、技術者倫理教育の全学的な展開とほぼ同時期に、

同大学では一斉の期末試験を廃止したため、試験をめぐる

混乱が起きたが、学生自らが、大学全体で行動規範を守り、

自分たちで自分たちを律しようという学生宣言を採択する

という主体的な動きが起こったのだ。現在、この学生宣言

と行動規範は全教室に掲示されている。

「すべて学生が自ら決めたことであり、自分たちが守る

べき価値を明確にし、それに従って行動するという動きが

学内に広がっているような感じがします。技術者倫理教育

の直接的な成果はずっと先ですが、価値を基準にした意思

決定や行動を大切にする文化は、徐々に醸成されつつある

ようです」(札野教授)

今後の展開として、同大学は技術者倫理を専門科目の中

に取り入れる「マイクロインサージョン」の教育手法の確

立をめざしている。これは、例えば技術的な特性を評価す

る計算訓練の中に、原料コストや環境負荷といった要素を

付与することで、意思決定に関わる倫理問題として展開で

きるようにする工夫だ。札野教授も「技術者倫理は、特定

の講座や特定の誰かが教えればいいというものではなく、

本来ならどの科目の中にも入り込んでいるのが理想的な形

なのです」と語っている。

すでに全学組織として「科学技術倫理教育タスクフォー

ス」が設置されており、全学科の教員の協力のもとに、教

材作りをスタートさせている。同大学の技術者倫理教育は、

もう一つ新しい段階へ差しかかっているようだ。

(*4)チャレンジャー号の事例…1986年1月28日に打ち上げられたNASAのスペースシャトルが、機械の不具合により、発射から73秒後に空中爆発を起こした事故。乗組員7人全員が死亡した。打ち上げにあたり、技術者から危険があるとの情報を得ながら、経営側は無視して技術を行使し、結果的に事故を起こしたことが問題となった。

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56 Guideline July・August 2007

教材・授業の工夫を通して全学必修へ

室蘭工業大学は、教育目標の1つに「科学技術を活用し

て創造する者としての倫理観と社会的責任を有する技術者

を養成する」ことを掲げ、技術者倫理教育に積極的に取り

組んでいる。その取り組みは「オムニバス形式による技術

者倫理教育の実践―自立した技術者を目指す総合学習の展

開―」として結実し、2006年度の特色GPにも採択。事例

による疑似体験を通じたユニークな授業が展開されている。

「技術者倫理」は、2003年度から機械システム工学科と

電気電子工学科の2学科で、必修として始まり、2007年度

から全学で必修科目として実施されている。

プログラムで特徴的なのは、どの学科の授業においても、

他学科の教員がそれぞれの専門領域における技術者倫理の

事例を取り上げるオムニバス形式を採用していることだ。

そのメリットは2つある。1つは科学技術の幅広い分野

に関する技術者倫理の問題をカバーできる点だ。多くの教

員が協力することで、特定の分野に偏らない事例を扱うこ

とができる。もう1つは特定の教員の価値観に影響されず、

多様な考え方があることを学べる点だ。技術者倫理は、技

術者として活動するときに遭遇するさまざまな価値のバラ

ンスを取ることのできる能力であり、複数分野の専門家の

授業を受けることで、学生は技術者倫理の本質を捉えるこ

とができる。

具体的な事例を討論・発表する

授業は大きく3つの内容に分かれている。第1段階では、

企業倫理や科学者倫理などを含め、技術者倫理とは何かに

ついての基本的な概念が提示される。ここで学生は、技術

を活用することに対する「利便性」「経済性」「安全性」の

バランスを取ること、また技術者個人にとっては「製品の

品質」「企業の利益」「ユーザーの要求」のバランスを取る

こと、すなわち技術者が遭遇する「ジレンマ」をのりこえ

「社会への責任」を果たすことこそ技術者倫理であること

を学ぶわけだ。

第2段階では、専門的な事例研究が行われる。回転ドア

事故やチャレンジャー号事故などの代表的な事例のほか、

学科の枠を越え、他学科の教員が各分野における技術者倫

理に関わる事例について、専門的な視点から紹介する。

第3段階では、学生参加型のグループ討論と発表会が中

心になる。学生は5~7人程度のグループに分かれて、自

分たちがテーマとする事例を選び(表)、その当事者とし

ての疑似体験を踏まえながら討論を行うことで、技術者の

ジレンマについて学ぶ。最後に、討論した結果を全員の前

で簡潔に発表する。これはコミュニケーション能力やプレ

ゼンテーション能力の向上だけでなく、事例を共有するこ

とで技術者倫理に関する意識を高めることにもつながって

いる。

討論を活性化するため、TAを配置して適切なアドバイ

スや討論への発言状況をチェックしているほか、各グルー

プの責任者がメンバーの議論への貢献度を、数値で評価す

るなどの工夫もなされている。

これらの基本講義・事例研究における毎時間の小テス

ト、ならびにグループ学習により、学生自らが実際の場面

に遭遇した場合に自分ならばどうするかを考えることを実

践している。

評価は、上記の小テストとグループ学習に加え、定期試

験の結果を加味して多面的に行っている。定期試験には具

体的な倫理綱領に基づいて適切な判断を問う問題も含まれ

ており、これは社会に出て技術者のジレンマに遭遇したと

き、客観的に対処できる能力を育成することにもつながっ

ている。

(表) 学生が選んだ事例

複数教員によるオムニバス授業を通して事例を中心とした技術者倫理教育を実践

室蘭工業大学事例x

三菱リコール、回転ドア事故、チャレンジャー号、コロンビア

号、JR脱線事故、航空機整備不良航空機墜落事故、耐震強度

偽装、コンクリート問題、Winny、脳死、オウム、チェルノブ

イリ、マンハッタン計画、JCO、もんじゅ、美浜原発事故、遺

伝子組換え、非加熱製剤、発明の光と影、ロボット問題、四日

市ぜんそく、水俣病、松下電器温風器、シンドラー社エレベー

ター、生物兵器、731部隊、ES細胞捏造、カネミ油症、雪

印乳業食中毒、アラスカパイプライン事故・・・・

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【シリーズ】工学部の現状を探る第2回 工学系学士課程教育―基礎科目、英語教育、技術者倫理―

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1工学系

学士課程教育の現状

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2基礎科目

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3英語教育

part

4技術者倫理

Guideline July・August 2007 57

(表2)専門科目における技術者倫理関連科目職業と倫理に関する科目を全学で開講

鹿児島大学工学部では、技術者倫理に関わる教育を2段

階で実施している。

まず1年次の段階では、全学部で共通して実施している

共通教育の中で、「職業人と実践倫理」という選択科目を

開講している。これは現代社会で働く職業人が直面する諸

問題を適切に処理していく過程で必要になる倫理的判断や

その規範について講義するものだ。入学後すぐに履修する

科目に位置付けられており、専門的な勉強に入る前に職業

人の前提となる考え方を身に付けさせる狙いがある。

工学部だけでなく、全学

部の学生が受講対象になっ

ており、幅広い職業に対応

する必要があるため、授業

内容は科学技術に限定して

いない。弁護士や家庭裁判

所調査官、新聞記者といっ

た専門的職業人が、各分野

で直面する倫理問題などを

具体的・体験的に紹介する

リレー講義形式をとってい

る(表1)。学生は、自分

が就きたいと考えている職業で問題となっている事例に接

することができる一方で、多くの職業に共通する倫理的な

問題をみつめることもできるように組み立てられている。

工学部の学生にとっては、技術者倫理に関する概念を学ぶ

導入科目であると同時に、技術者という専門職業人として

倫理問題にどう向き合うかを、幅広い視点から考えていく

教養科目にもなっている。

学科の特性に合わせた倫理教育を実施

第二段階は、工学部の専門科目の一環として設置される

技術者倫理科目であり、科目名や開講年次、履修形態など

は各学科によって異なっている(表2)。

海洋土木工学科は「土木技術者倫理」において、土木技

術者が社会に対して負っている責任を理解し、倫理観をも

って技術の向上に資する質の高い望ましい土木技術者像を

提示している。

授業の前半は技術者倫理の基本的な概念を学ぶ講義、後

半は倫理問題に関連した事例についてのディベートで構成

されている。ディベートでは学生はグループに分かれ、市民

と土木技術者、発注者と受注者、企業経営者と担当技術者な

どの役割を当てられ、それぞれの立場から意見を発表する。

情報工学科の「情報倫理学」では、ビデオ教材を使った

授業が展開されている(表3)。このビデオ教材は、国立

大学法人情報系センター協議会が中心になって作成したも

ので、アメリカの世界的なコンピュータ科学の学会で賞を

受賞し、一般にも販売されているものだ。授業ではビデオ

作品を視聴したあ

と、課題について考

えたり、議論したり

し、レポート提出を

課すことで、学生に

も身近なネット社会

における情報倫理に

ついて学んでいく。

このように各学科

で内容や運営方法を

工夫しながら、工学

部全体として低学年

次から高学年次にか

けて技術者倫理教育

が展開されている。

全学部共通科目として倫理教育を行い工学部全学科で技術者倫理科目を開設

鹿児島大学工学部事例c

日本社会における倫理教師の仕事とモラル農林技術者と倫理を考える実務法律家と倫理ものの捉え方と表現家庭裁判所における倫理農業生産における倫理医療における倫理水産技術者と倫理企業に求められる哲学と倫理新聞記者に求められるもの工学技術者と倫理学生生活における倫理

(表1)「職業人と実践倫理」授業テーマ一覧

学科名 科目名 開講年次機械工学科電気電子工学科建築学科応用化学工学科海洋土木工学科情報工学科生体工学科

技術者倫理工学倫理建築と倫理工学倫理土木技術者倫理情報倫理学技術者倫理

4442324

(表3)「情報倫理学」ビデオ教材

第1章 ネットワーク上でのセキュリティ1 ワーム型ウィルス2 スパイウェア3 HTMLメールの危険性.4 悪意あるウェブページ

第2章 ネットワーク上でのコミュニケーション5 メールでのマナー6 メールでのプライバシー7 掲示板管理者の心構え8 掲示板での匿名性とマナー

第3章 ネットワーク上での情報発信9 著作物の私的利用10 P2Pと公衆送信権11 著作物の引用と利用12 肖像権13 ウェブアクセシビリティ14 情報発信の責任

第4章 情報化社会に生きる15 パソコンの廃棄と情報の管理16 ネズミ講17 フィッシング18 架空請求「振り込め詐欺」19 デジタル「万引き」20 個人情報の収集と利用