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65 6 外部性と公共財 4 章では,競争的な市場では売手と買手の自律的な行動の結果,総余剰が最大化される ことを確認した.したがって,政府がへたに市場に介入して売手/買手の行動に影響を与 えると,かえって総余剰が減少し,死荷重という社会的費用が発生してしまう. 一方,第 5 章では,競争的でない市場の代表として独占市場を取り上げ,市場均衡は総余 剰を最大化しないことを確認した.すなわち,市場が有効に機能するためには,少なくと も売手と買手が十分に競争的でなければならない. 加えて,市場が総余剰を最大化できないケースが存在するならば,政府が市場に介入する ことで状況を改善する可能性が出てくる. 本章では,市場が十分に競争的であっても,総余剰が最大化されない 2 つの可能性を考 察する.最初に,取引される財・サービスが外部性という性質を有しているケースを考え る.売手・買手ともに競争的であっても,外部性を有する財の取引を市場にまかせておく と,総余剰は最大化されない. 続いて,「公共財」と呼ばれる財・サービスについて考察する.公共財の場合,そもそも 市場が成立せず,やはり総余剰を最大にするような取引量が実現できない. 最後に,独占市場のときと同様に,これら 2 つの市場が機能しない状況において,政府が 介入することで総余剰を最大に近づける可能性を考察する.

外部性と公共財 - さくらのレンタルサーバhide-iwamura.sakura.ne.jp/website/wp-content/uploads/...66 第6 章 外部性と公共財 1 外部効果:迷惑な場合もおいしい場合も

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65

第 6章

外部性と公共財

第 4章では,競争的な市場では売手と買手の自律的な行動の結果,総余剰が最大化される

ことを確認した.したがって,政府がへたに市場に介入して売手/買手の行動に影響を与

えると,かえって総余剰が減少し,死荷重という社会的費用が発生してしまう.

一方,第 5章では,競争的でない市場の代表として独占市場を取り上げ,市場均衡は総余

剰を最大化しないことを確認した.すなわち,市場が有効に機能するためには,少なくと

も売手と買手が十分に競争的でなければならない.

加えて,市場が総余剰を最大化できないケースが存在するならば,政府が市場に介入する

ことで状況を改善する可能性が出てくる.

本章では,市場が十分に競争的であっても,総余剰が最大化されない 2 つの可能性を考

察する.最初に,取引される財・サービスが外部性という性質を有しているケースを考え

る.売手・買手ともに競争的であっても,外部性を有する財の取引を市場にまかせておく

と,総余剰は最大化されない.

続いて,「公共財」と呼ばれる財・サービスについて考察する.公共財の場合,そもそも

市場が成立せず,やはり総余剰を最大にするような取引量が実現できない.

最後に,独占市場のときと同様に,これら 2つの市場が機能しない状況において,政府が

介入することで総余剰を最大に近づける可能性を考察する.

66 第 6章 外部性と公共財

1 外部効果:迷惑な場合もおいしい場合も

ある経済主体の活動が,市場を通じることなく他の経済主体に影響を及ぼすとき,「外部

効果(External Effect)が生じている」とか「外部性(Externality)が存在する」と

いう.

例 1 バスの排気ガス

バス会社が交通サービスを提供し,利用者がその便益を享受している.同時に,バ

スの排気ガスによって,このサービスの生産にも消費にも無関係の人が「排気ガス

を吸わされる」という被害を受けている.

バス会社は料金収入を得てサービスを提供し,利用者は料金を払ってサービスを享

受している.一方,道路周辺住民は「排気ガスを吸わされる」という費用を負担し

ているが,その対価はなにも受け取っていない.

対価を得ずに費用を負担している人がいる.

→ 負の外部効果(Negative external effect)

例 2 個人宅の庭の手入れされた桜の木

ある個人の家の庭に桜の木があり,4月になるとその家の前を通る人の目を楽しま

せている.この家の持ち主は,手入れや世話の手間をかけて(=費用を負担して),

毎年 4月の楽しみを享受している.一方,通行人はこの家の桜から癒しを得ている

が,対価をなにも支払っていない.

対価を支払わずに便益を享受している人がいる.

→ 正の外部効果(Positive external effect)

正負にかかわらず外部性を有する財・サービスの生産・消費については,市場にまかせて

おくと社会的な観点から過大あるいは過小になってしまう.すなわち,市場は外部性を有

する財・サービスから得られる総余剰を最大化できない.

以下,この点を確認する.

2 負の外部性と市場の機能:総余剰は最大化されるか?

負の外部性を有する財を・サービスを生産するとき,当該財・サービスの生産者が負担す

る費用(労働賃金,土地代等)に加えて,その生産にも消費にも無関係の人が負担する費

用が生じている.

例えば,例 1では,バス会社は交通サービスを提供するために人件費やガソリン代といっ

た費用を負担している.同時に,このバス会社の運行路線の周辺に暮らす人々が,騒音・

振動に悩まされたり排気ガスを吸わされたりという健康被害を被っている.この健康被害

はバスの運行に伴って発生する犠牲という意味で,交通サービス生産にかかる「費用」で

2 負の外部性と市場の機能:総余剰は最大化されるか? 67

ある.

ただし,バス会社には費用として認識されない.それは,この費用はバス会社自身が負担

するものではないから.

ここにおいて,交通サービスの生産に伴って発生する私的費用(バス会社にとっての費用)

と社会的費用が乖離する.

=社会にとっての費用社会的費用

人件費,燃料費等,バス会社自身が実際に負担する費用

私的費用

外部性がない場合(これまで想定していた状況)

負の外部性がある場合

= +社会にとっての費用社会的費用

周辺住民の健康被害等,その財の生産・消費に参加していない人が負担する費用

外部費用

人件費,燃料費等,バス会社自身が実際に負担する費用

私的費用

この分だけ,社会が負担する費用はバス会社が認識する費用を上回る!

図 6.1: 負の外部性がある場合の私的費用と社会的費用の乖離

負の外部性がある場合,その財・サービス生産において社会が負担する費用(社会的費用)

は,バス会社が負担する費用(私的費用)を上回る.グラフでいえば,交通サービス生産

における:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::バス会社の限界費用の上に社会的限界費用が位置するということ.サービス生産

を追加するたびに,労働賃金や燃料費(私的費用)が追加されるだけでなく,周辺住民の

健康悪化(外部費用)が追加されるから.

社会の限界費用

バス会社の負担する限界費用(私的限界費用)

周辺住民の限界的健康被害(限界外部費用)

交通サービスの生産量

社会的限界費用曲線SMC

私的限界費用曲線PMC

図 6.2: 私的限界費用曲線と社会的限界費用曲線

68 第 6章 外部性と公共財

この図 6.2に交通サービスを購入する人の限界便益(すなわち需要曲線)を加えれば,総

余剰を最大化する取引量を求めることができる.

交通サービスの生産量

社会的限界費用曲線SMC

私的限界費用曲線PMC

バス利用者の限界効用曲線

O

A

B

C D

E

X∗ X

P

価格,限界費用

=供給曲線

=需要曲線

図 6.3: 負の外部性がある場合の最適取引量

社会的に最適な(=総余剰を最大化する)取引量 = X∗

総余剰を最大化するには「限界効用=限界費用」となるところまで生産し,消費す

ればよい(第 4章).

ところで,社会全体の観点からは,売手が負担する費用だけでなく,その財の生

産・消費によって社会の構成員が負担する全ての費用(痛み・苦しみ)を考慮する

必要がある.

したがって,この場合の限界費用とは社会的限界費用のことである.すなわち,「限

界効用=社会的限界費用」が成立する X∗ まで生産・消費するのが望ましい.

このときの総余剰は,△ABCになる.

市場均衡における取引量 = XM

しかし,市場にまかせておけば,これまで見てきたとおり需要曲線(バス利用者の

限界効用曲線)と供給曲線(バス会社の限界費用曲線)の交わるところで生産・消

費されることになる.

なお,「供給曲線」はバス会社の限界費用曲線に等しくなるのであって,社会の限

界費用曲線に等しくはならない.

このとき,総余剰は△ABC−△CDEとなり*1,最大化した場合の総余剰(△ABC)

を下回ってしまう.

このように,負の外部効果を持つ財の取引を市場にまかせると,均衡取引量は社会

的観点からみて過大になってしまう.すなわち,交通サービスによる利便性の向

上という点だけでなく,周辺住民の住環境という観点も取り入れると,市場均衡

(XM)では(=放っておけば)交通サービスは生産・消費され過ぎることになる.

*1 なぜ△ABC−△CDEになるのか説明できますか?

2 負の外部性と市場の機能:総余剰は最大化されるか? 69

なぜ取引量が過大になってしまうのか?

外部費用を負担するのは,その財を生産する企業でも利用する消費者でもない.したがっ

て,:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::その財の生産・消費量の決定において,外部費用は一切考慮されない.

故に,外部費用を考慮すれば少し手前で止めておくべきところが,生産量・消費量の決定

に携わる誰も外部費用を考慮しないために生産・消費が(社会的に見れば)余計に行われ

てしまう*2.

以上のことは,次のように考えてもよい.

競争的な買手は自らの限界効用が価格に等しくなるまでサービスを購入したいと考える.

したがって,市場均衡において次の関係が成立している.

限界効用 = 市場価格 (6.1)

同様に,競争的な売手は自らが負担する限界費用が価格に等しくなるまでサービスを販売

したいと考える.したがって,市場均衡において次の関係が成立している.

私的限界費用 = 市場価格 (6.2)

ところで,負の外部性を有するサービスについては,社会的な限界費用は外部費用の分だ

け売手の負担する私的限界費用を上回る.

社会的限界費用 = 私的限界費用+限界外部費用 (6.3)

(6.1),(6.2),(6.3)より,市場均衡において以下の関係が成立することがわかる.

 限界効用 = 市場価格 = 私的限界費用 < 社会的限界費用

すなわち,負の外部性を有する財・サービスについては,市場均衡において社会的限界費

用は限界効用を上回っている.言い換えれば,市場にまかせておくと,追加で発生する費

用(それは必ずしも生産者だけが負担するわけではない)が追加で得られる喜びを上回っ

ているにもかかわらず,生産・消費が行われてしまう.

*2 むろん,バス会社も利用者も周辺住民のことを全く考慮しないということはないだろう.ここで重要なのは,「自らが負担する場合に比べて真剣に考慮しない」ということである.また,周辺住民にはバス利用者もいると考えると,中には外部費用を考えて行動する人もいることにな

る.その場合には,「すべての生産者・消費者が周辺住民のことを真剣に考慮するわけではない」と言い換えてもよい.すべての外部費用が考慮されなければ,市場均衡において総余剰は最大化されない.

70 第 6章 外部性と公共財

3 政策:政府に何かできるか

すでにみたように,総余剰を最大にする取引量が実現しないのは,交通サービスの生産・消

費量の決定に携わる主体には,それによって生じる外部費用を考慮する理由がないから.

⇒ 生産者あるいは消費者のどちらかに外部費用を考慮する誘因(incentives)を与えれ

ばよい.

課税による総余剰最大化の可能性:ピグー税(矯正税)

負の外部効果を発生させる財・サービスの生産に対して,外部費用に等しい大きさの税金

を課す.生産者は,「税金の支払」という形で外部費用を自分の費用として認識し,行動

するようになる.これは,事実上,先のバス会社が周辺住民のことを考えて行動するのと

同じ.したがって,理論上は,市場の自律的な動きによって総余剰が最大化されることに

なる.

図 6.4でいえば,課税によってバス会社の私的な限界費用曲線が上方にシフトし,社会的

限界費用曲線と一致するということ.

結果として,見かけ上は社会的限界費用曲線がバス会社の供給曲線になる.

交通サービスの生産量

課税前のバス会社の限界費用曲線

バス利用者の限界効用曲線

OX∗ X

P

価格, 限界費用,限界効用

税額 = 限界外部費用

課税後のバス会社の限界費用曲線 → 社会の限界費用に一致

図 6.4: 課税と負の外部性

ただし,バス会社が周辺住民のことを考えて行動するようになったわけではないことに注

意すること.税金を課されることで,結果として周辺住民のことを考えた場合と同じ行動

をとるようになっただけ.

外部性のないケースでは,課税は私的な限界費用を社会的な限界費用より大きくするこ

とで,生産者に誤ったインセンティヴを与え,かえって総余剰を減少させてしまう(第 4

章).反対に,ここではそもそも私的限界費用が社会的限界費用を下回っているので,課

税によって乖離を埋めることで生産者に正しいインセンティヴを与えている.

4 正の外部性と市場の機能 71

このような課税の利用法を最初に提案した経済学者 A. C. ピグーの名をとって,この種の

税を「ピグー税(Pigovian Tax)」と呼ぶこともある.

4 正の外部性と市場の機能

前節と反対に,無関係の人に便益をもたらすような財・サービス–正の外部性を有する財・

サービス–の場合は,他人に迷惑をかけるわけではないので問題はないのだろうか?

たとえば,教育サービスには正の外部効果があるとされている.

すなわち,ある個人が教育を受けると,社会で犯罪が減ったり,会社の生産性が上昇した

りして,教育を受けた個人以外の人にも便益が及ぶと考えられる.

これは,教育サービスを消費する本人(生徒,学生)が享受する私的便益に加えて,それ

によって他の人が享受する便益(外部便益)が生ずることを意味する.したがって,私的

便益と社会的便益(私的便益+外部便益)が乖離することになる.

教育サービスが 1単位追加で消費されると,消費する本人が追加で効用を享受するのに加

えて,周囲の人も追加で効用を得ることができる.これは,グラフでいえば,社会的限界

効用曲線が外部便益の分だけ私的限界効用曲線(すなわち需要曲線)より上方に位置する

ということ.

O

社会の限界効用

教育を受ける本人が享受する限界効用(私的限界効用)

周囲の人が享受する効用(限界外部効用)

社会的限界効用曲線SMU

私的限界効用曲線PMU

教育サービスの生産・消費量

図 6.5: 私的限界効用曲線と社会的限界効用曲線

この図 6.5に教育サービスを生産する人の限界費用(すなわち供給曲線)を加えれば,総

余剰を最大化する取引量が X∗ であることがわかる.また,市場均衡取引量は XM とな

り,そのときに実現される総余剰がそれより小さいことも確認することができる*3.

*3 最大化された総余剰と市場均衡における総余剰がそれぞれどのように図示できるか確認してみよう.

72 第 6章 外部性と公共財

O

社会的限界効用曲線SMU

私的限界効用曲線PMU

教育サービスの生産・消費量

P

X∗X

限界費用曲線PMC

価格,限界費用,限界効用

=供給曲線

=需要曲線

図 6.6: 正の外部性がある場合の最適取引量

図からは,正の外部効果を持つ財の取引を市場にまかせると,均衡取引量は社会的観点

からみて過少になってしまう*4.すなわち,教育を受けた本人の賃金の上昇や人生の充実

という点だけでなく,その人の社会全体への貢献という観点も取り入れると,市場均衡

(XM)では(=放っておけば)教育サービスの生産・消費は不十分にしか行われない.

考えてみよう

• なぜ正の外部性を有する財の取引が過小になってしまうのか.ヒント:教育サービスを購入する人は,自分がどこかの誰かに及ぼす影響まで考え

て行動するだろうか?

• 正の外部性が存在するとき,教育サービスの消費に補助金を出すことで,取引量を社会的に最適な水準に導くことができるだろうか?

ヒント:補助金は限界効用曲線を補助金分だけ上方にシフトさせる.

*4 第 4章でみたように,取引量が多すぎても少なすぎても総余剰は減ってしまう.

5 公共財 73

5 公共財

財・サービスの種類

経済学は,財・サービスを大きく 4つのカテゴリーに分類して考える.分類の際には 2つ

の基準を採用する.

基準 1 消費の排除可能性: 対価を支払わない人を排除できるかどうか.

基準 2 消費の競合性: ある人がある財を消費することで,他の人が

消費できる量がどの程度減少するか.

財の分類(『マンキュー経済学Ⅰミクロ編』p.315,図11-1)

消費において競合的か?競合する 競合しない

排除可能か?

排除可能

私的財・アイスクリーム・衣服・渋滞した有料道路

クラブ財・消防・ケーブルテレビ・渋滞していない有料道路

排除不可能

共有資源・海中の魚・環境・渋滞した無料道路

公共財・竜巻警報のサイレン・国家防衛・渋滞していない無料道路

消費において競合することがなく,また対価を支払わない人を排除することができない,

あるいは排除することがきわめて難しい財・サービスを「公共財(public goods)」と

いう.

消費において競合しない ↔ 同時に複数の人が同じ量を消費できる

ひとつの警報で何人もの人に,同じレベルで危険を知らせることができる.

警報を聞く人が 10人増えたとき,代わりに別の 10人が聞こえなくなったりはしない.

同じ防衛設備で何人もの人を,同じレベルで外国の攻撃から守ることができる.

守るべき国民が 10人増えると,代わりに別の 10人が守れなくなるということはない.

74 第 6章 外部性と公共財

市場は公共財を供給できるか

公共財である竜巻警報サービスへの支払許容額が次のようになっているとする.

竜巻警報サービスへの支払許容額

安藤さん 馬場さん 千葉さん 土井さん 藤田さん

5000円 4000円 3000円 2000円 1000円

これが競合する財・サービスの場合,最初の 1単位は(安藤さんに)5000円相当の「喜

び」を生み出す.そして,安藤さんが 1 単位目を消費するならば,他の 4 人が同じ 1 単

位目を消費することはできないので,1単位目が社会に生み出す喜びは,安藤さんの喜び

5000円のみである.仮に警報サービスの 1単位目の限界費用が 6000円であったなら,社

会的にはこのサービスは供給しないのが最適ということになる.

ところが,警報サービスが競合性を有しない場合,最初の 1単位の警報サービスが供給さ

れれば,5人全員がそのサービスを享受できる.したがって,最初の 1単位が社会に生み

出す効用は,全員の効用を足し合わせたもの,すなわち 15000円相当ということになる.

これは最初の 1単位目の限界費用 6000円を上回っているので,社会的にはこのサービス

を供給することが最適ということになる(その場合の総余剰は 15,000-6,000=9,000円).

では,市場に任せておいた場合,竜巻警報サービスは生産・消費されるであろうか.

ここで,公共財のもうひとつの特徴–排除不可能性–が重要になる.竜巻警報を対価を支

払った人のみに聞かせることは非常に難しいため,誰かが対価を支払ってサービスを購入

してくれれば,対価を支払っていない人も便乗することができてしまう.故に,人々は

お互いに他人が購入する警報サービスの恩恵にあずかろうとし(いわゆる「ただ乗り」),

対価を支払って購入しようとしなくなる.このような人たちを「フリーライダー(free

rider)」という.誰も対価を支払わないならば,当然ながら誰も竜巻警報サービスを供給

できない.したがって,社会的には公共財を供給することが望ましいにもかかわらず,現

実には供給されない.公共財の生産・消費について,市場は総余剰を最大化することはで

きない.それどころか,市場自体が成立しない.

そこで,政府がその権力を利用して税金を徴収し(税金という形で強制的に対価を支払わ

せて),公共財を供給することになる*5.

*5 だからといって,政府によって供給されている財・サービスがすべて公共財とは限らない.どうみても民間で供給可能なサービスが公的企業によって供給されるケースがある.たとえば,民営化される前の郵便事業など.