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顧客の満足度を高め、ビジネスを成長させるには優れた「サービス」が欠かせない。これまで漠然と語られがちだ ったが、近年ではサイエンスとして分析や体系化に基づくアプローチがなされている。その考え方と実践方法をまと めた『サービスサイエンスによる顧客共創型 IT ビジネス』(翔泳社刊)の著者である諏訪良武氏と山本政樹氏を講師 にお迎えし、解説いただいた。 サービス全体の評価を高める「ユーザーの事前期待への適合」 「サービス」とは何だろう。前半に登壇した諏訪氏に よると、「サービスとは人や構造物が発揮する機能で、ユ ーザーの事前期待に適合するもの」と定義づけていると いう。ユーザーの求めに合致しなければサービスとは言 えない。事前期待にそぐわぬものは迷惑であり、余計な お世話。事前期待を知らずにサービスを提供しようとす るのはまぐれ当たり狙いであり、ムダも多い。ユーザー の事前期待を把握する必要があるというわけだ。 「事前期待を考える時、サービスの内容や品質、価格の 『対象』に集中しがちだが、それではユーザーを満足さ せることはできても感動させることはできない。感動体 験には事前期待の『持ち方』に対応することが必要とな る。また、ユーザーである事前期待の『持ち主』の属性 や、サービスに対して参加型か受け身型かなどの関わり 方も事前期待に影響を与える」(諏訪氏) サービスの評価を決める「事前期待」とは? たとえば、ホテルの宿泊客にとって、寝具の清潔さは 共通的な事前期待であり、マニュアルとトレーニングで 実現できるが、枕の高さなど個別的な事前期待には、顧 客データを蓄積するなど、より踏み込んだ施策が必要に なる。さらには気温や時間など状況で変化する事前期待 や、ユーザー自身も気づいていない潜在的な事前期待も あり、そこに応えるには提供者側のスキルアップはもち 実践サービスサイエンス 「顧客満足を高め、ビジネスを成長させる方法」 Business Book Academy 2015.9.24

実践サービスサイエンス - Hitachiステップが「顧客を定義する」ことだ。 サービスを科学的に分析し、可視化して共有・実践する 自動車損害保険の顧客セグメントは「安心のレベル」

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顧客の満足度を高め、ビジネスを成長させるには優れた「サービス」が欠かせない。これまで漠然と語られがちだ

ったが、近年ではサイエンスとして分析や体系化に基づくアプローチがなされている。その考え方と実践方法をまと

めた『サービスサイエンスによる顧客共創型 IT ビジネス』(翔泳社刊)の著者である諏訪良武氏と山本政樹氏を講師

にお迎えし、解説いただいた。

サービス全体の評価を高める「ユーザーの事前期待への適合」

「サービス」とは何だろう。前半に登壇した諏訪氏に

よると、「サービスとは人や構造物が発揮する機能で、ユ

ーザーの事前期待に適合するもの」と定義づけていると

いう。ユーザーの求めに合致しなければサービスとは言

えない。事前期待にそぐわぬものは迷惑であり、余計な

お世話。事前期待を知らずにサービスを提供しようとす

るのはまぐれ当たり狙いであり、ムダも多い。ユーザー

の事前期待を把握する必要があるというわけだ。

「事前期待を考える時、サービスの内容や品質、価格の

『対象』に集中しがちだが、それではユーザーを満足さ

せることはできても感動させることはできない。感動体

験には事前期待の『持ち方』に対応することが必要とな

る。また、ユーザーである事前期待の『持ち主』の属性

や、サービスに対して参加型か受け身型かなどの関わり

方も事前期待に影響を与える」(諏訪氏)

サービスの評価を決める「事前期待」とは?

たとえば、ホテルの宿泊客にとって、寝具の清潔さは

共通的な事前期待であり、マニュアルとトレーニングで

実現できるが、枕の高さなど個別的な事前期待には、顧

客データを蓄積するなど、より踏み込んだ施策が必要に

なる。さらには気温や時間など状況で変化する事前期待

や、ユーザー自身も気づいていない潜在的な事前期待も

あり、そこに応えるには提供者側のスキルアップはもち

実践サービスサイエンス

「顧客満足を高め、ビジネスを成長させる方法」

Business Book Academy 2015.9.24

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ろん、組織で情報を共有し、仕組み化することも重要だ。

こうした取り組みを進め、難易度が高い事前期待に応え

れば応えるほど、サービスに対して高い評価を得ること

ができる。

諏訪氏は「顧客情報をデータベース化しているところ

は多いが、それを実際のサービスに反映させているとこ

ろは極めて少ない。サイエンスで得られた知見をもとに、

それぞれの事前期待への対応策を考え、実践すると、大

きなアドバンテージを生み出す」と力説する。その第一

ステップが「顧客を定義する」ことだ。

サービスを科学的に分析し、可視化して共有・実践する

自動車損害保険の顧客セグメントは「安心のレベル」

「高価と安価」「依存と自律」の 3 つの事前期待の分類軸

で定義される。8 つのセグメントの中で実際に現実的に

存在する顧客セグメントは 4 つ。それぞれのセグメント

毎に、提供すべき情報やサービス品質も異なり、それぞ

れに応じたサービスを創造し、提供する必要がある。

顧客セグメントの定義とサービスのあり方

サービスレベルを高めるカギになるのが「サービス品

質」である。とはいえ、ただ「サービス品質を上げろ」

というのではなく、「正確性」「迅速性」「柔軟性」「共感

性」「安心感」「好印象」の 6 つの要素で定義し、組織や

現場で言語化して共有すると、各スタッフが実際に考え、

行動しやすくなるという。そして6つの要素はそれぞれ

異なる役割を担っており、連携しながら全体のサービス

品質を形作る。

ユーザーは期待と不安を持ってサービスを依頼する。

その時に「好印象」を与えられれば信用が生まれ、「共感

性」をもってお客様の依頼の本質や背景を理解し、期待

に対しては「柔軟性」で、不安に対しては「安心感」で

対応し、「正確」かつ「迅速」に提供できれば、顧客満足

度を高めることができる。もちろん、「好印象」と「正確

性」「迅速性」のみでもサービスとしては成り立つが、一

流企業間のサービスの差別化には「共感性」「柔軟性」「安

心感」が不可欠だ。

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6 つのサービス品質の役割と関係性

こうした視点をもちつつ、さらにサービスが提供され

るまでをプロセスに分解すると、全体サービスの中で改

善すべきポイントが見えてくるという。つまり、「正確性」

「迅速性」を担保した成果品質、そして「共感性」「柔軟

性」に基づくプロセス品質が揃って初めて、高い顧客満

足が得られるというわけだ。

「経営層や管理層は“成果”ばかりに気を取られるが、

顧客が敏感なのはむしろ“プロセス”。中でも店員の態度や

クレーム対応といった接客対応がサービスの価値を高め、

台無しにもする。しかし、店員に『クレームにならない

ように』といっても何をすればいいかわからない。たと

えばプロセスとサービス品質を分解してサービスプロセ

スモデルを作成し、店長と店員がいっしょになってモデ

ルを完成させればキャリアの浅い店員も何を努力すれば

顧客満足を実現できるかを理解できる。」(諏訪氏)

こうしたサービスプロセスを詳細に定義し、プロセス

に応じた事前期待とサービス品質を明確化し、さらには、

対象となる顧客セグメントと顧客プロセス、そして顧客

がたどり着くべきゴールイメージまで描いて、具体的な

行動まで言語化する。諏訪氏は可視化のためのツールと

してワークシートを紹介。それをもとに具体例を紹介し

た。

ワークシート事例(ホテルにおける“お迎え”のサービス

プロセス)

なお、興味深い事象として、顧客満足には感情的満足

と論理的満足があり、リピーターを獲得するには「感情

的」に満たすことが重要であるという。たとえば、事前

期待に対して、安価に購入した店よりも気分よく安心し

て購入した店こそ印象に残り、リピート率が高い。

最後に諏訪氏は「価値あるサービスを実現するための

ステップ」を紹介。顧客ごとの事前期待に応え、その見

える化・透明化によって組織内に共通化し、顧客満足度

を高め、その積み重ねでブランドや信頼感、ロイヤリテ

ィを醸成していくというものだ。

「一朝一夕ではなく、積み上げなければ顧客満足は実

現できない。全体像を考えた上で、サービス設計や提供

を行うことが必要。そのためにも、サービスサイエンス

を用いて“納得して”取り組むことが有効である」と語り、

セッションのまとめとした。

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事例紹介:IT システム開発におけるサービス品質分析と考察

続く後半では、山本政樹氏が登壇。諏訪氏が解説した

サービスサイエンスの「実践編」として、日本情報シス

テム・ユーザー協会(JUAS)アドバンスト研究会 「IT

サービスの顧客セグメンテーション」チームで研究・協

議された内容が紹介された。

山本氏は、まず QCD(ソフトウェア品質、コスト、納

期)中心で評価されてきた従来のシステム開発の品質の

考え方に対し疑問を投げかけた。「要求機能を満たし、予

算も納期も厳守したというだけでは顧客は満足していな

い。調査結果ではシステム開発プロジェクトにおける

QCD(品質・価格・納期)の満足度は年々改善されてい

るものの、ベンダーのシステム開発サービスに対する顧

客満足度は必ずしも上がっておらず、これはベンダーの

“サービス業”としての姿勢に問題があるからだと考えて

いる」と語る。

次に前半で諏訪氏が解説したプロセス品質の考え方に

触れ、システム開発というサービスの品質も QCD に代

表される成果品質と、プロジェクト過程におけるベンダ

ーの顧客への接し方に起因するプロセス品質に分けられ

るとした上で、今後のシステム開発サービスの顧客満足

度向上の鍵はプロセス品質にあるとして、今後のシステ

ム開発におけるプロセス品質の在り方について解説した。

このプロセス品質も諏訪氏が提唱した「好印象」「正確

性」「迅速性」「共感性」「柔軟性」「安心性」の六つの品

質の考え方で分類することができる。一般にベンダーは

「好印象」「正確性」「迅速性」を重視するが、本当に顧

客に満足されるサービスを提供するには、これらに加え

「共感性」「柔軟性」「安心性」が大切になる。例えば顧

客企業の戦略、業務に沿った機能提案をする共感性は適

切な仕様を確定する上で鍵になる。また顧客の要求の変

更に可能な限り対応する柔軟性や、価格構成や進捗情報

の開示といった安心感は顧客との良好な関係を保つ上で

欠かすことができない。

一方で、これまでのシステム開発サービスは、当初の

計画に固執するあまり顧客要望への柔軟性を欠いたり、

技術的に正確な検証にこだわって顧客の求めるスピード

感についていけないなど「正確性偏重」とも言える側面

があった。山本氏は正確性の大切さは認めつつも、迅速

性や柔軟性といった他の品質項目とのバランスを十分に

考慮したシステム開発を進めることを推奨している。

【サービス品質「正確性」についての考察側】

プロセス品質の考え方を紹介した次に、山本氏は「プ

ロセス品質は闇雲に発揮すれば良いというものではなく、

顧客を十分に知り、個別的な事前期待に沿った発揮が必

要」と、顧客を分析することの必要性を説き、実際の顧

客分析の例についても紹介した。

まずシステム開発における顧客(ステークホルダー)

は「システムオーナー(承認)」「プロジェクト推進者(調

整)」「使用要求者(要求)」「システム利用者(利用)」の

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4 種類に分類。さらにタイプ別として 4〜6 つのセグメン

トに分け、積極性や意思決定の傾向、合理性の 2〜3 つ

の軸で分類した。そしてそれぞれの枠ごとに重視される

プロセス品質(「共感性」「安心感」など)について紐づ

けて整理した。

ステークホルダーのセグメンテーションと適合サービス

品質の分析例

このように、プロセス品質の理解と、プロセス品質の

顧客の事前期待に合わせた発揮によりシステム開発ベン

ダーはより高い顧客満足を得ることが可能になる。この

ような考え方が必要とされる背景には、システム開発案

件が顧客の要求仕様を言われた通りに実現する受発注型

の案件から、顧客と共にニーズや要件から考え、協業し

ていくパートナー型の案件が主流となりつつあることが

ある。SE や技術者にも技術力に加え、人間力が求めら

れる時代となっているというわけだ。

山本氏は、今回の事例をふまえ、「プロジェクト開始時

にベンダー側のプロジェクトメンバーを集めて、こうし

た取り組みを行うだけでも全体の意識が変わる。さらに

は、プロジェクト実施時だけでなく、人材採用から育成、

評価のサイクルを全社的に回すことが大切」と力説する。

一方で、「システム開発のプロセス品質向上のためには人

間力、特にコミュニケーションが重要な要素だが、技術

系のスキルに比べて人間系のスキルの育成に投資できて

いる企業は少ない」とも述べており、経営の意識改革の

必要性も訴えている。

最最後に「情報システム産業もサービス業であり、顧

客の期待は今後も高まり続けると思われる。そこにサー

ビスサイエンスを大いに活用すれば、サービス品質向上

とともに、業界としての価値向上につながるのではない

か」と結んだ。

<了>

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PROFILE

ワクコンサルティング株式会社/諏訪良武(左)

株式会社エル・ティー・エス/山本政樹(右)

諏訪良武

ワクコンサルティング株式会社 常務執行役員

1971 年オムロン入社。85 年通産省の Σプロジェクトに参加。95 年オムロン情報

化推進センター長。97 年オムロンフィールドエンジニアリングの常務取締役とし

て保守サービス会社の改革を指揮。2004 年 OA 協会の IT 総合賞、第 1 回コンタ

クトセンタアワードのマネジメント部門金賞を受賞。06 年よりワクコンサルティ

ング常務執行役員、国際大学グローバルコミュニケーションセンターの上席客員研

究員。多摩大学大学院客員教授。サービスや顧客満足を科学的に分析し、サービス

企業の改革を支援する サービスサイエンスを提唱している。 著書に『顧客はサ

ービスを買っている』(ダイヤモンド社)『サービスサイエンスによる顧客共創型 IT

ビジネス』(翔泳社)など。

山本政樹

株式会社エル・ティー・エス 執行役員

立命館大学政策科学部卒業後、アクセンチュアにてコンサルタントとして活躍。フ

リーコンサルタントを経て(株)エル・ティー・エスに入社。システム開発案件にお

けるプロセス設計や現場展開、ビジネスプロセスアウトソーシング(BPO)の導入な

ど、ビジネスプロセス変革案件を中心に手掛ける。 また、JUAS サービスサイエン

ス研究プロジェクトでシステム開発分科会リーダーを務め、サービスサイエンスの

考え方を活用したビジネス改革に関する各種研究活動や講演を行っている。 米国

PMI 認定 PMP(Project Management Professional)、TOGAF9(R) Certified、

COPC(R) VMO 規格 認定コーディネータ、IIBA (International Institute of

Business Analysis)会員、サービス学会会員。著書に『サービスサイエンスによる

顧客共創型 IT ビジネス』(諏訪良武との共著、翔泳社)、 『ビジネスプロセスの教

科書』(東洋経済新報社)