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49 市川 日本美術史/准教授 ICHIKAWA Akira 名所図会に記された京都の「名宝」(四)  『拾遺都名所図会』巻之一 本稿は、前稿「名所図会に記された京都の『名宝』(三)−『都名所図会』巻之四〜巻之六−」(『尾道市立大学芸術文化学部 紀要』第 15 号、2016 年)に引き続き、『拾遺都名所図会』巻之一を取り上げて、そこに記された「名宝」に関して目録化作業 を試みるものである。なお、本稿はJSPS科学研究費(挑戦的萌芽研究)「名所図会に記された「名宝」の研究―統合目録の作成、 現存作例の同定を主軸として―」(研究代表者:市川彰、課題番号15K12828)の助成を受けた研究成果の一部である。 7 『拾遺都名所図会』巻之一に記された「名宝」 (1)「曙桜」 所在地は「上京鞍馬口通小山口間臥庵にあり」、また間臥庵に関しては「当庵は禅宗にして、開基は黄檗六世千呆和尚、中興 は伯珣和尚」と記される。 番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋 1 釈迦如来像 間臥庵 仏殿釈迦仏、観音、地蔵を安ず。 2 観音菩薩像 間臥庵 3 地蔵菩薩像 間臥庵 4 光子内親王;画 宝筐院姫宮;賛 後水尾上皇像 間臥庵(方丈) 後水尾院尊影[当庵方丈に安置す。林丘寺普明院の御筆画影二尺余、 宝篋院女宮の御讃あり、此帝の御製によって曙寺ともいふ。] 5 鎮宅霊符神像 間臥庵(霊符神社) 霊符神社[当庵にあり。金銅の像長四尺六寸、むかし安倍晴明勅を うけて開眼する所なり。霊験日々に新にして常に詣人多し、近年社 壇建立ありて美麗なり。] なお、この前には「平安城の興起」「四神相応の地」「王城」「京師」「九重の都」「洛陽」「大内裏」「鶯宿梅」の各項がある。また、 この後には「五所八幡宮」の項がある。 (2)「上善寺」 所在地は前項「曙桜」と「同街にあり」と記す。宗旨は「浄土宗知恩院に属す」、開基は室町時代の春谷盛信(生没年不詳)である。 番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋 1 行基 阿弥陀如来坐像 上善寺 本尊阿弥陀仏[行基の作、坐像三尺余、古へは嵯峨今林蓮華清浄寺 の本尊なり。寛永十一年九月九日後水尾院の勅によって当寺にうつす。] 2 善光寺如来像 上善寺 善光寺如来の画影[化人の筆、是いにしへの本尊なり。後柏原院叡 覧あって勅願所不断念仏之道場の宣旨を賜ふ、執達は万里小路秀房 卿なり。] この後には「万松山天寧寺」の項がある。 (3)「西園寺」 所在地は「同所天寧寺の南に隣る」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」と記される。また、開基は「覚勝上人」と記す(西園寺 公経のことか)。 番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋 1 源信 阿弥陀如来坐像 西園寺 本尊阿弥陀仏[恵心の作、坐像六尺許、四十八願巡の第十四番なり。] 2 源信 地蔵菩薩坐像 西園寺(寺門) 地蔵尊[寺門に安置す、恵心の作、坐像六尺許。] (4)「威王山長福寺」 所在地は「同街條違橋の北」、「宗旨四宗兼学」と記される。開基は鎌倉時代後期の無人如導(生没年不詳)である。

名所図会に記された京都の「名宝」(四)harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/onomichi-u/file/13058...[49 ] 市川 彰 日本美術史/准教授 ICHIKAWA Akira 名所図会に記された京都の「名宝」(四)

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市川 彰 日本美術史/准教授ICHIKAWA Akira

名所図会に記された京都の「名宝」(四) ―『拾遺都名所図会』巻之一―

 本稿は、前稿「名所図会に記された京都の『名宝』(三)−『都名所図会』巻之四〜巻之六−」(『尾道市立大学芸術文化学部紀要』第 15 号、2016 年)に引き続き、『拾遺都名所図会』巻之一を取り上げて、そこに記された「名宝」に関して目録化作業を試みるものである。なお、本稿は JSPS 科学研究費(挑戦的萌芽研究)「名所図会に記された「名宝」の研究―統合目録の作成、現存作例の同定を主軸として―」(研究代表者:市川彰、課題番号 15K12828)の助成を受けた研究成果の一部である。

7 『拾遺都名所図会』巻之一に記された「名宝」

(1)「曙桜」 所在地は「上京鞍馬口通小山口間臥庵にあり」、また間臥庵に関しては「当庵は禅宗にして、開基は黄檗六世千呆和尚、中興は伯珣和尚」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 釈迦如来像 間臥庵

仏殿釈迦仏、観音、地蔵を安ず。2 観音菩薩像 間臥庵

3 地蔵菩薩像 間臥庵

4光子内親王;画宝筐院姫宮;賛

後水尾上皇像 間臥庵(方丈)後水尾院尊影[当庵方丈に安置す。林丘寺普明院の御筆画影二尺余、宝篋院女宮の御讃あり、此帝の御製によって曙寺ともいふ。]

5 鎮宅霊符神像 間臥庵(霊符神社)霊符神社[当庵にあり。金銅の像長四尺六寸、むかし安倍晴明勅をうけて開眼する所なり。霊験日々に新にして常に詣人多し、近年社壇建立ありて美麗なり。]

なお、この前には「平安城の興起」「四神相応の地」「王城」「京師」「九重の都」「洛陽」「大内裏」「鶯宿梅」の各項がある。また、この後には「五所八幡宮」の項がある。

(2)「上善寺」 所在地は前項「曙桜」と「同街にあり」と記す。宗旨は「浄土宗知恩院に属す」、開基は室町時代の春谷盛信(生没年不詳)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 行基 阿弥陀如来坐像 上善寺本尊阿弥陀仏[行基の作、坐像三尺余、古へは嵯峨今林蓮華清浄寺の本尊なり。寛永十一年九月九日後水尾院の勅によって当寺にうつす。]

2 善光寺如来像 上善寺善光寺如来の画影[化人の筆、是いにしへの本尊なり。後柏原院叡覧あって勅願所不断念仏之道場の宣旨を賜ふ、執達は万里小路秀房卿なり。]

この後には「万松山天寧寺」の項がある。

(3)「西園寺」 所在地は「同所天寧寺の南に隣る」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」と記される。また、開基は「覚勝上人」と記す(西園寺公経のことか)。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 源信 阿弥陀如来坐像 西園寺 本尊阿弥陀仏[恵心の作、坐像六尺許、四十八願巡の第十四番なり。]

2 源信 地蔵菩薩坐像 西園寺(寺門) 地蔵尊[寺門に安置す、恵心の作、坐像六尺許。]

(4)「威王山長福寺」 所在地は「同街條違橋の北」、「宗旨四宗兼学」と記される。開基は鎌倉時代後期の無人如導(生没年不詳)である。

Page 2: 名所図会に記された京都の「名宝」(四)harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/onomichi-u/file/13058...[49 ] 市川 彰 日本美術史/准教授 ICHIKAWA Akira 名所図会に記された京都の「名宝」(四)

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番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 菅原道真 不動明王立像 長福寺 本尊不動尊[菅家の御作、立像一尺九寸、初は岩屋山奥院の本尊なり。]

(5)「光明寺」 所在地は「京極通條違橋の南」、宗旨は「浄土宗百万遍に属す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像(抱止如来) 光明寺本尊抱止如来[弥陀寺慈覚の作、立像三尺余。字津宮入道蓮生夢中に抱止しといふ。又西山三鈷寺にもあり。]

(6)「阿弥陀寺」 所在地は「同街光明寺の南に隣る」、宗旨は「浄土宗百万遍に属す」と記される。開基は玉誉清玉(1542 ?〜?)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 空海 阿弥陀如来坐像 阿弥陀寺本尊阿弥陀仏[弘法の作、坐像六尺許、四十八願巡の第十六番なり。開基は清玉上人。]

2   織田信長像 阿弥陀寺(方丈)織田信長同信忠両公影[方丈に安置す、共に衣冠帯剣持笏の像あり。]

3   織田信忠像 阿弥陀寺(方丈)

(7)「十念寺」 所在地は「同街今出川の北にあり」、宗旨は「浄土宗西山派永観堂に属す」と記される。開基は真阿(1385 〜 1440)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 空海 阿弥陀如来坐像(摂取如来) 十念寺本尊阿弥陀仏[弘法大師の作、坐像八尺五寸、古は東山雲居寺の本尊にして摂取如来と称す。]

2 一休宗純;詞 仏鬼軍絵巻 十念寺仏鬼軍図[一休和尚の筆なり、仏地獄を破って無比の楽城とし給ふ図なり、当寺什宝とす。]

3   足利将軍諸士念仏講名帳 十念寺 足利将軍諸士念仏講名帳[当寺にあり。]

(8)「仏陀寺」 所在地は「同街今出川の北にあり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 源信 阿弥陀如来坐像 仏陀寺本尊阿弥陀仏[恵心の作、坐像八尺五寸、当寺再興の時、後柏原院口宣を賜ふ。]

この後に「京極八幡宮」の項がある。

(9)「羽休山飛行院」 所在地は「柳原室町の西にあり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 役小角将軍地蔵菩薩立像

(木槿地蔵/毯地蔵)西林寺

本尊将軍地蔵[役行者の作、立像二尺余。愛宕山の慶俊和尚、天狗太郎坊が示現によって木槿の叢より感得す、故に木槿地蔵とも云又毯とも書す。]

2   慶俊和尚坐像 西林寺慶俊和尚像[坐像三尺余。]太郎坊像[坐像一尺余、共に堂内に安ず。]

3   太郎坊坐像 西林寺

(10)「金龍水」 所在地は「室町頭柳原の南町、西側人家茶亭の傍にあり」と記される。番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 大心義統 書(金龍水の銘文) 不詳[…京師の名水の中にして水軽く清冷にて寒暑に増減なし、茶の湯に可なりとて遠近より乞求む。紫野大徳寺大心和尚の銘文あり、板面に書して井上に掲る。]

(11)「毘沙門堂」 所在地ほかに関して「烏丸北頭柳辻子にあり、相国寺塔頭西の入口なり。傍に稲荷庚申の社あり」と記す。

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番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 聖徳太子 毘沙門天像 毘沙門堂

本尊毘沙門天[聖徳太子の作。寺説云、足利義満公三百六十尺の塔を建給ふ、応仁に滅びて旧地を今塔之段といふ。其北に毘沙門堂あり、此時の本尊なりとぞ。又其頃は北辺の毘沙門堂ともいふ、此堂は大塔より已前の建立と見へたり。]…[ここに近年、今出川飛鳥井町の辺に毘沙門天を信ずる賈人あり、宝暦十三年五月廿一日の夜、天王夢中に告て曰、是よりひがしの大寺に毘沙門の像あり、年歴久遠にして知るものなし、汝速に出して諸人に結縁させよと、つづいて三夜同夢を見る。不思議に思ひ、即ひがしの大寺は相国寺ならんと、かの寺に至り衆僧に霊夢を語る。一人の比丘事の次手に山門の中重へ登りしに、はからずも此尊像を得たり、常に人の登らざる所ゆへしるものなし。かの人の霊夢を語りて一山の僧侶に拝せしむれば、人々奇異とし、即かの賈人を呼び来り、夢中の尊容に違はずと感涙せきあへず、因玆尊像を修補しここに安置す。]

(12)「宝慈院」 所在地は「室町頭中木下町にあり」と記される。開基は無外如大(1223 〜 1298)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 春日 阿弥陀如来坐像 宝慈院本尊阿弥陀仏[春日の作、坐像一丈許、四十八願巡の第十三番なり。開基は無外法尼、其先は城陸奥守の女にして名を千代野姫といふ、故にここを千代野寺ともなづく。]

この後には「道正庵稲荷社」の項がある。

(13)「大峰殿」 所在地ほかに関して「西洞院一条の北、大峯辻子西側に大石塔めり」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 石塔 不詳[西洞院一条の北、大峯辻子西側に大石塔めり、古は此所寺院にして役行者の作り給ふといふ、故に大峯殿と称す。甚古代の形にして、塔面に仏像を鐫、今町中の持物となる、旧記紛失す。]

この後に「福大明神社」の項がある。

(14)「円通山興聖寺」 所在地は「小川の北、天神辻子にあり」、宗旨は「禅宗済家」と記される。開基は虚応円耳(1559 〜 1619)。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 釈迦如来像 興聖寺 本尊釈迦仏[仏殿に安置す。]

2 供覚盤 達磨像 興聖寺達磨像[中華供覚盤の作、坐像二尺。顔威妙相にして世に比類なし、藤堂高虎の寄附なり、同所に安ず。]

(15)「超勝寺」 所在地は「安居院二階町」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」、開基は「尊蓮社鉢誉上人」(綽如のことを示すか)と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 役小角 阿弥陀如来立像 超勝院本尊阿弥陀仏[役行者の作、立像三尺二寸、中将姫雲雀山庵室の本尊なり。四十八願巡の第十一番。]

(16)「称念寺」 所在地は「西陣枕町」、宗旨は「浄土宗深草流誓願寺に属す」と記される。開基は称念(1513 〜 54)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 源信 阿弥陀如来立像 称念寺 本尊阿弥陀仏[恵心の作、立像二尺五寸許、四十八願巡の第十番。]

(17)「三復荒神」 所在地は「元誓願寺通大宮の西にあり」と記される。

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番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 春日 荒神立像 三復荒神本尊荒神は春日の作、立像二尺五寸、火災除滅の霊験あり。古へより西陣の民屋数度炎上あれども、此地回禄の災なし。愛宕山福寿院の兼帯所なり。

(18)「獄門寺」 所在地ほかに関して「西陣七の社の西に隣る、一名西福寺といふ」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 聖徳太子 薬師如来立像 西福寺[…本尊薬師仏は聖徳太子の御作、立像四尺許、原大和国高市郡にあり。一條院御宇寛弘三年八月此寺にうつす。]

(19)「智恵光院」 所在地は「智恵光院通一条の北にあり」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」と記される。開基は如一(1262 〜 1321)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 阿弥陀如来像 智恵光院

本尊三尊仏[弥陀、観音、勢至を安ず、当院は鷹司政所の建立なり。]2 観音菩薩像 智恵光院

3 勢至菩薩像 智恵光院

この後に「恵光寺」「天道社」の各項がある。

(20) 「無量寺」 所在地は「同街の北柏町」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像 無量寺 本尊阿弥陀仏[慈覚大師の作、立像四尺許、四十八願巡の第十番なり。]

(21) 「西方寺」 所在地は「北野真盛辻子にあり」、宗旨は「天台浄土にて坂本西教寺に属す」、また開基は「圓海国師」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 最澄 阿弥陀如来立像 西方寺本尊阿弥陀仏[伝教大師の作、立像なり。今女僧此寺に住す。四十八願巡の第五番。]

(22)「不動堂」 所在地は「七本松通今出川の南にあり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円珍 不動明王坐像 不動堂本尊は智証大師の作、坐像三尺余、又腹内に一千体の不動尊を安ず。後藤景勝の寄附なり。

この後に「紅梅殿」の項がある。

(23)「天満宮菜種御供」 所在地ほかに関して「西京靫負街に御供所あり、安楽寺と号す」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 松風の硯 安楽寺天満宮

七月六日は、内陣に蔵ある神宝を弊殿に出してこれを虫干す、此日も諸人群参しける。其間に宮司の衆僧、内外の陣の煤塵を掃ひ。同七日の暁天には松梅院主一人内々陣に入って御手水を献じ、神宝の中松風の御硯のうへに穀葉を置て貢る。是七夕の和歌を神詠し給ふ為なりとぞ。

この後に「北野社」「白太夫社」「老松社」の各項が続く。

(24)「朝日寺」 所在地ほかに関して「本殿の西にあり、古への遺跡なり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 観音菩薩立像 東向観音寺 […本尊観世音、立像二尺余。]

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2 毘沙門天立像 北野天満宮(毘沙門堂)毘沙門堂[朝日寺の南に隣る。本尊立像四尺許、脇士吉祥天女、善膩士童子。]

3 吉祥天女像 北野天満宮(毘沙門堂)

4 善膩士童子像 北野天満宮(毘沙門堂)

(25)「煙の宮」 所在地ほかに関して「朝日寺の南、末社七座の内にあり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1堀貞助;銘松下烏石;書

碑「艸冢銘」 北野天満宮

「艸冢銘」此碑画馬殿の西にあり。銘は堀禎助、書は烏石。    銘  曰烏跡已降入文聿興衣帛木葉亦与斯文惟願将聖克念入神書草蘊崇功進成山旨北鶏肋宜胎子孫分而為石石可与言龍虵前蟄毋乃生雲縢康桓篆屈正超銘寛保三年癸亥夏四月烏石山人書立於 北野廟側

この後には「手向山楓樹」「船宮」「連歌堂」の各項が続く。

(26)「絵馬堂」 所在地は「中門の外西の方にあり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 絵馬(南都御祭の図) 北野天満宮(絵馬堂)[…此所に掲る書画詩歌連俳は、都下及び遠き国々よりも、年毎に数々弥がうへに累て献じ、名画名筆多し。中にも南都御祭の図、薪の能の図は、大絵馬にして世に名高し。又月毎の廿五日には、群参ありて能書麁筆のわかちもなく、手習ふわらはべまでも詩歌を書して、本社のめぐり中門廻廊、あるは松枝梅枝にむすびつけて奉納し侍る事、他境に増りて夥し。…]

2 絵馬(薪能の図) 北野天満宮(絵馬堂)

この後に「無隼塔」の項がある。

(27)「北野御文庫」 所在地は「神楽所の北にあり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 菅原道真 書巻 北野天満宮(宝蔵) […菅神御作の書巻を蔵む、又宝蔵ともいふ。]

2 大日如来像 北野天満宮(多宝塔)多宝塔[御文庫の南にあり。本尊大日如来、脇士四天王。]

3 四天王像 北野天満宮(多宝塔)

(28)「経所」 所在地は「神楽所の北にあり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   普賢菩薩像 北野天満宮(経所)

[…安置する所、普賢、不動、愛染、地蔵、聖観音、共に霊尊にしていにしへの朝日寺諸堂の本尊なり。]

2   不動明王像 北野天満宮(経所)

3   愛染明王像 北野天満宮(経所)

4   地蔵菩薩像 北野天満宮(経所)

5 聖観音菩薩像 北野天満宮(経所)

6

宋紫石;画土岐中書;銘村瀬栲亭;撰副孟義;建立

竹画碑 北野天満宮

竹画碑中門の東にあり、画は宋紫石、銘文筆跡共に土岐中書。此竹数尺耳而執杭萬仭木葉彫蠶金錯屈鉄神飛彩動不見其墨汚之處所謂公与此竹俱忘形者也君赫之画得之清人宋嶽々得之沈詮々得之李用雲其法可喜也嗟乎称漢画者多不弁八格十門下筆則曰合天地耳鑿者或左其祖則其尊乃在君赫矣君赫姓宋名紫石江都人也与余善其徒副段明勒之石以建於北埜菅公祠畔蓋不朽其美也 銘曰 兎釈鶻落 不筍而成 虚心貞節 維神所亭 宝暦癸未秋七月   平安 源之煕撰              副孟義建

7 頓阿;詠 絶句碑 北野天満宮絶句碑[南の門前にあり。頓阿法師四時和歌を題して五言絶句五十首を詠じて奉納す。石州濱田散人、岸井庸充。詩は繁によって略す。]

8 龍公美 祝寿碑 北野天満宮祝寿碑[南の華表の内にあり。草廬龍公美古稀の賀章を鐫、文は略す、背文万寿無量。]

この後に「忌明塔」「文子社」の各項がある。

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(29)「薬師堂」 所在地は「北野御前通下の森の北東側にあり」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 最澄 薬師如来像 高林寺か […本尊は伝教大師の作なり。又元三大師自作の像を安ず、中古真如堂東楊坊ここに住して専茶湯を嗜む。利休の数寄屋あり。]2 良源 元三大師像 高林寺か

(30)「萬松山西雲寺」 所在地は「同所西側にあり」、宗旨は「天台律にして恵心流なり」、また開基は「見性坊章海上人にして、寛文五年の草創なり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 源信 阿弥陀如来坐像 西雲寺 […本尊阿弥陀仏は恵心の作、坐像三尺五寸許。…]

(31)「獅子吼山転法輪寺」 所在地ほかに関して「一条の西七本松にあり、地名を瀧が鼻といふ」と記され、宗旨は「浄土鎮西派」、また「当寺は桜町院の御宇、宮中より命ありて宝暦四年に尾張国」の関通(1696-1770)が建立したとする。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   阿弥陀如来坐像 転法輪寺 本尊は弥陀尊坐し給ふ、長は一丈四尺余り。

2 菅原在家;撰文 鐘 転法輪寺(鐘楼門)南の方に鐘楼門あり、鐘の竪九尺横四尺二寸許、銘文は従三位行右大弁菅原朝臣在家卿の撰にして、此寺造立の由致を記し給へり。

この後に「蜘蛛塚」の項がある。

(32)「宝樹寺」 所在地は「七本松通蜘蛛塚の東にあり」、宗旨は「浄土宗西山派誓願寺に属す」、開基は「欣蓮社浄誉上人」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像 宝樹寺 本尊阿弥陀仏は慈覚大師の作、三尺許の立像なり。

2 空海 弘法大師像 宝樹寺(大師堂)大師堂[寺内にあり。弘法大師自作の像、二尺許。天長年中疫時行し時、平癒祈願の為に、高雄にて作り、太政大臣藤原良房公へ授与し給ふ尊像なり。]

(33)「和光院」 所在地は「真盛町北側にあり」、宗旨ほかに関して「真言宗にて吉祥寺と号す」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 最澄 薬師如来立像 和光院[…本尊薬師仏は伝教大師の作、立像五尺許なり。九条殿下の御祈願とす。]

この後に「西京」「大将軍社」の各項がある。

(34)「長宝寺」 所在地は「大将軍の西にあり」、また「洛陽観音巡の第廿九番なり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 菅原道真 十一面観音菩薩立像 長宝寺[…本尊十一面観音は菅神の御作にて、立像五尺許。洛陽観音巡の第廿九番なり。]

(35)「東光寺」 所在地は「西京御前通下の森の南にあり」、宗旨に関しては「浄土宗知恩院に属す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 快慶阿弥陀如来立像(軍戦勝利如来)

東光寺

本尊阿弥陀仏[安阿弥の作、立像一尺二寸。京極西方寺の法誉上人此寺に来て中興し給ふ。其頃豊臣秀吉公の愛妾松丸殿、法誉上人に帰依し、秀吉公戦場に赴き給ふ時必ず笈の中に携へ給ふ故に、陣仏と称する霊尊を寄附し、菩提の因とし給ふ。それより当寺の本尊として軍戦勝利如来とも称す。]

この後に「法華寺」の項がある。

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(36)「超円寺」 所在地は前々項の「東光寺」と「同街」で「法華寺の南に隣る」、また宗旨は「浄土宗百万遍に属す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 源信 阿弥陀如来立像 超円寺 本尊阿弥陀仏[恵心の作、立像三尺許。]

2 源信 観音菩薩像 超円寺

観世音 跡追地蔵[二尊共に恵心の作、表の方小堂に安置す。古へ江州堅田に山門の別院ありしが、元亀二年織田信長山門の大衆と合戦の時、蓮阿弥といふ僧兵火に滅ん事を歎き、観世音を笈の中に負て此地に来り安置す。其頃地蔵尊は跡に残りて、堅田の農民新左衛門といふものに夢中に告て宣ふ、われも都に出て観世音とともに群類を済度せんと命じ給ふ。それより笈に籠奉りて京師に至り、此所に観世音と同座す、故に跡追地蔵尊と称す。]

3 源信 地蔵菩薩像(跡追地蔵) 超円寺

(37)「普門寺」 所在地は「同街東側にあり」(「超円寺」「東光寺」の項を参照)、宗旨ほかに関して「禅宗、世に映山紅寺といふ」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 聖観音坐像 普門寺本尊聖観音[赤栴檀にして毘首羯磨天の作、坐像一尺六寸、南都西京招提寺の開基鑑真上人唐土より将来の霊尊なり。]

2 空海 帝釈天像 普門寺帝釈天[寺内に安置す、弘法大師の作、初は丹州帝釈山にあり、後世ここに遷なり。]

(38)「大聖山西光院」 所在地ほかに関して「西京御前通の東三軒町にあり、此街旧名は仁和寺街道といふ」、宗旨に関しては「浄土律常行念仏の浄刹なり」、開基は「西隠上人」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   銅造阿弥陀如来坐像 西光院

本尊阿弥陀仏[金銅仏にて坐像七尺。]開基西隠上人、俗姓は近衛殿下の家臣なり。延宝二年に官を辞して出家得脱し、諸国を巡行する事凡て五ケ年、厥后都に帰り弥陀尊を造立し精舎をいとなまん事を願ふ。ここに慶長の頃、方広寺大仏殿の銅造を木仏に改められんとて炉に入れし時、仏像の母指形鋳蕩ずして尚元の如し、諸人奇異なりとして妙法院に蔵む。西隠上人の仏像建立の事を聞召及ばれ、其母指を賜ふ。即鎔範に入て鋳に、忽相好円満の仏像成就す。延宝八年三月廿五日浄華院晃蓮社上人をして開眼ある、当院の本尊是なり。近衛殿下大円満院良材を寄附ありて速に創建ある、今の精舎是なり。[因に曰、大仏殿銅像の御首を以て洛北西加茂霊鑑寺の鐘を鋳る事は前編に見へたり。西隠上人の入寂は享保九年七月九日なり。]

2   石造柿本人麻呂像 西光院

人麿の石像[当院仏殿の後堂に安置す、坐像二尺許、厨子に蔵む。]享保六年弥生十八日の暁に、当院の門前に藁苞なるものあり、其時所の人々集りこれをひらき見れば此像あり。石にもあらず木にもあらず、樟の石になりたるやうになん見へて、体は首に烏帽子を冠り、右の膝を立給ひて、画にかける人丸の如し。いづくよりか捨置けんとて人々不審をなし、当院の門前なれば此寺に安置す。世の人これより人丸寺と呼ぶ。其後冷泉為村卿入道し給ひ、澄覚と名乗らせ給ふが、此情頭を聞召れ、本尊の由縁人麿の像の事みづから具に記し給ひ、後に六字の名号を首に冠らせて、六首の和歌を詠、共に筆を染給ひ一軸とし当院に蔵め給ふ。

3 冷泉為村 書(六字名号・和歌等) 西光院

この後に「内野」の項がある。

(39)「国生寺」 所在地は「内野五番町にあり」、宗旨は「浄土宗黒谷に属す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像 国生寺[…本尊阿弥陀仏は慈覚大師の作、立像四尺許なり。真如堂同木の尊影なりとぞ。]

2 聖徳太子 聖徳太子像(孝養の尊像) 国生寺(太子堂)太子堂[門前にあり、聖徳太子御自作の影を安置す。御父用明帝御悩平癒のため三宝を御祈の相好なり、故に孝養の尊像と称す。]

3 烏芻沙摩明王像 国生寺(太子堂) 烏枢沙摩明王[太子堂脇壇に安置す。化人の像。]

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(40)「祥光寺」 所在地は「内野六番町にあり」、宗旨は「浄土宗西山派」と記される。開基は俊鳳妙瑞(1714 〜 87)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 阿弥陀如来立像 祥光寺 […本尊阿弥陀仏、立像五尺許。…]

(41)「竹林山福勝寺」 所在地は「出水通千本の西にあり」、宗旨は「真言宗小野随心院に属す」と記す。開基は覚済僧正(1227 〜 1303)。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 空海 薬師如来像 福勝寺 本尊[薬師仏、不動尊○二尊を本尊とす、共に弘法大師の作なり。開基は覚済僧正。]2 空海 不動明王像 福勝寺

(42)「福聚山慈眼寺」 所在地は「同街七本松の東にあり」、宗旨は「禅宗曹洞尾州名護屋万松院に属す」と記される。開山は大雲永瑞(1482 〜1562)。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 延鎮 聖観音菩薩坐像 慈眼寺本尊聖観音[延鎮の作、坐像五寸許、洛東清水寺の本尊と同木同時の作なり。]

(43)「観音寺」 所在地は「七本松通出水にあり」、宗旨は「浄土宗百万遍に属す」、また開基については「方誉梅林上人」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像 観音寺本尊阿弥陀仏[慈覚大師の作、立像三尺一寸。開基は方誉梅林上人、慶長十二年の創建なり。]

2 快慶 観音菩薩立像 観音寺(観音堂)

観音堂[門内にあり。本尊は安阿弥の作、立像一尺七寸一歩。応永年中疫時行し頃、山名重氏此観音に祈願し諸人を助く、其時此堂を再興す、報恩の為多くの人聚るゆへ千人堂と呼ぶ。洛陽めぐりの第廿七番なり。]

(44)「華開院」 所在地は「西京靫負町にあり」、宗旨は「浄土宗鎮西派浄花院に属す」と記される。また開基は「亀山院の皇子四品兵部卿守良親王」とされる。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来坐像 華開院

本尊阿弥陀仏[慈覚大師の作、坐像一尺六寸五歩、真如堂本尊と同木なり、初は坂本念仏堂にあり。]…元亨の頃伊勢守貞経が弟兵庫頭貞国、当院の本尊の示現を蒙り兄貞経が家督を相続し、当院の檀越となり、着する所の重器を納ける。

(45)「浄篤院」 所在地は「下立売七本松の西、藍屋の辻子にあり」、宗旨は「浄土宗浄花院に属す」、開基は「心誉上人」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来像 浄篤院本尊阿弥陀仏[慈覚の作、長一尺八寸。伝云、源義経の念持仏なりと。四十八願巡の第三番なり。]

(46)「西蓮寺」 所在地は前項の「浄篤院」と「同街七本松の西にあり」、宗旨は「浄土宗浄華院に属す」と記される。また「開山は正誉上人」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 源信 阿弥陀如来像 西蓮寺 本尊阿弥陀仏[恵心の作、開山は正誉上人、明暦三年の建立なり。]

2 菅原道真 十一面観音菩薩立像 西蓮寺(観音堂)観音堂[寺内にあり。本尊十一面観音は菅神の御作、立像五尺許。伝云、金売橘次が念持仏なりとぞ。洛陽観音巡の第廿八番なり。]

この後に「出世稲荷社」「梅雨井」の各項がある。

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(47)「松林寺」 所在地は「智恵光院通出水の南にあり」、宗旨は「浄土宗黒谷に属す」、また開基は「清印上人」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 聖徳太子 阿弥陀如来立像 松林寺

[…本尊阿弥陀仏は聖徳太子の作、立像三尺許。開基は清印上人、天正年中の草創なり。当寺むかしより蘇命散を出す、此薬方を日野家より寄附ありしとぞ。一説には清印上人の慈母重病の時祈誓ありしに、本尊夢の中に此薬方を授給ふともいふ、婦人の病疾産前産後に効験あり、世の人やすてらといふ、寺の名か薬の名かしらず。]

(48)「稲荷荒神社」 所在地は「猪熊通出水の南にあり」、また「今天台宗の僧住して三宝寺と号し、山科毘沙門堂に属す」とも記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 最澄 三宝荒神像 三宝寺[…三宝荒神の像は伝教大師の作、稲荷の神像は弘法大師の作、…]

2 空海 稲荷神像 三宝寺

(49)「順興寺」 所在地は「丸太町通堀川の西にあり」、宗旨ほかに関して「西本願寺の院家なり。初は河州証提村にあり、寛永年中京都に遷す」と記す。開基は実従(1498 〜 1564)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 春日 阿弥陀如来立像 順興寺 本尊阿弥陀仏[春日の作、立像三尺五寸許、串後光なり。]

2 蓮如 六字名号(片破名号) 順興寺

片破名号[天正年中織田信長と本願寺顕如上人と大坂石山合戦の時、当時二代顕従上人摂州楼岸の大将を蒙る。既に軍乱れて危急なりし時、一士味方の中より現れ出顕従上人を助け、身代と成て討死す。不思議に思ひ鎧の袖に入れし蓮如上人の書給ふ六字の名号を見るに二つに切たり、片破は敵の手に残り、片破は味方にとどまりて当寺の什宝とす。]

(50)「大学寮旧趾」 所在地ほかに関して「拾芥抄に曰、二条の南三条坊門の北、壬生の西坊城の東とあり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 手水鉢 銘 大学寮 不明或は曰、其頃まで大学寮と銘を彫たる石の手水鉢ありしとなり。其後何国へか移しけん今なし。

この後に「土橋稲荷社」「滋野井」「二条殿家」「和泉井」「少将井」「少将井天王社」「伊勢御家」の各項が続く。

(51)「瑞雲山通玄寺曇華院」 所在地に関しては「東洞院三条にあり、地名を初音杜と称す」、宗旨ほかに関しては「禅宗尼寺、五山其一寺なり」と記される。開基は智泉尼公(1309-1388)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 観音菩薩像 曇華院 […本尊観世音。毎年十一月廿五日諸人の参詣をゆるし給ふ。]

2 三銘鐘 曇華院

三銘鐘[一鐘に三寺の銘あり。一延福寺銘曰、摂津国福原庄兵庫経島有寺名延福寺云々。于時延文丙申初冬下旬五日。一妙覚寺銘曰、平安城高辻大宮法華堂名妙覚寺云々、于時応永第八暦辛巳閏正月。一金龍寺銘曰、長享二年戊申季春廿日従一位富子誌之金龍寺云々。○一説には、此鐘高砂尾上の鐘なりとぞ。又一説には、能因法師が春の暮を詠じ山寺の鐘ともいふ。両説とも銘によりての諺ならんか、近年宮中より御寄附ありて新に一鐘を鋳させられ、これをつねに出し古鐘は宝庫に蔵め給ふ。]

(52)「不動堂」 所在地ほかに関して「姉小路東洞院の東にあり、延命院と号す」、宗旨に関し「真言宗随心院に属す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 最澄 不動明王像 延命院 […本尊不動尊は伝教大師の作、三尺許。…]

この後に「業平卿家」「悪源太義平旧跡」「成範卿家」「飛鳥井」「三条右大臣家」の各項が続く。

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(53)「法泉寺」 所在地は「万里小路押小路の南、虎石町東側にあり」、宗旨は「東本願寺に属す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像 法泉寺 […本尊阿弥陀仏は慈覚大師の作、立像三尺許。…]

(54)「願楽寺」 所在地は「同町西側にあり」、宗旨は「東本願寺に属す」とし、開基に関しては「佐々木家の支族青地左衛門尉頼方法体し正願と号し、蓮如上人の弟子となる」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   阿弥陀如来像 願楽寺 […本尊阿弥陀仏、…]

2   三天儀 願楽寺三天儀[当寺の什宝なり。享保年中、檀越に佐々木源慶安といふ人あり、和歌を善し又天文に精し、嘗て聖徳太子の練達し給ふ本朝天文の奥義を伝へ、景を測り左旋右旋の運光を形にあらはし、渾天儀を本朝に移してこれを三天儀と号す。慶安歿後遺言により、かの祖佐々木扶義の木像と共に当寺に寄附す、是願楽寺の祖と同姓の由縁なり。毎年冬至の日、三天儀を出し天文を講説し諸人に見せしむ。慶安述作の書本朝天文志十巻あり、世に行る。]

3   佐々木扶義像 願楽寺

この後に「定家卿家」の項がある。

(55)「白山社」 所在地は「白山通押小路の南にあり」、また「祭神加賀国白山権現なり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   神輿 白山神社[…むかし治承の頃、白山の大衆内裏に強訴の事ありて思ひのままならざりしかば、神輿三基を振て此所に捨置けり。叡山の例に効ふてこれを神輿振といふ、即ち勅ありて勧請しけるなり。…]

(56)「布袋薬師」 所在地は「白山通二条の北にあり」、宗旨ほかに関しては「今天台宗利生院と号す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 聖徳太子 薬師如来坐像(布袋薬師) 利生院[…本尊薬師仏は聖徳太子の作、坐像九寸五分、実は菩提薬師なり、ぼだいの仮名の字形を見謬てほていと云ならはしける。則此所を布袋町といふ。…]

この後に「紫式部塚」「常磐井」の各項がある。

(57)「天満宮」 所在地は「丸太町通京極のひがし北側にあり」、また「菅家高辻殿の御鎮守なり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 九条尚実 額「奉先」 菅原院天満宮神社 奉先の額[摂政九条殿下尚実公の御筆なり、当社の門に掲る。]

(58)「遣迎院」 所在地は「京極通中御霊の北にあり」、また「宗旨は四宗兼学にして、廬山寺、二尊院、般舟院、当院これを四箇の本寺といふ」と記す。開基は証空(1177 〜 1247)。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 快慶 釈迦如来立像 遣迎院 本尊二尊仏[釈迦弥陀共に安阿弥の作、立像三尺許、遣迎の号ここに起る。]2 快慶 阿弥陀如来立像 遣迎院

3 良源 元三大師像 遣迎院 元三大師像[自作坐像、一尺七寸。]

(59)「光了山本禅寺」 所在地は「京極通石薬師御門の南にあり」、宗旨は「法華宗勝劣派」と記される。開山は日陣(1339 〜 1419)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 銅造釈迦如来立像 本禅寺立像釈迦仏[金銅長一尺許、日蓮上人の念持仏。初は江州水穂の立像寺にあり、後世ここにうつす。当寺は十六ヶ本寺の一員にして、旧地は四条堀川なり。]

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(60)「安禅寺」 所在地は「同街石薬師御門の南にあり」と記し、宗旨は真言宗である。中興は堯恵上人(1430 〜?)。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   愛染明王像 安禅寺[…本尊愛染明王、弘法大師唐土より随身の尊像なり。脇壇左不空検索観音、右不動尊、共に弘法の作。…]

2   不空検索観音菩薩像 安禅寺

3   不動明王像 安禅寺

この後に「神明社」の項がある。

(61)「梶井天満宮」 所在地に関して「京極中御霊の東、梶井御門跡の御境内にあり、初は北の方御門前の側にありしが近年ここにうつす」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   硯「鐙容」 三千院菅贈大相国大宰権帥に貶任まします時、天台の座主法性坊尊意多年御交り深かりしかば比叡山より下られ、せめて御遺賜に御姿をとどめさせ給へと所望ありけるゆへ、鐙容といふ御秘蔵の硯に墨すり流させ、千万緒の御心をこめて筆を取せられし画像に、かの硯を取そへなくなく僧正へ伝へ給ふ。御硯は梶井御門跡の宝庫に伝り、御神像は御境内の社に蔵給ふ。[世に菅家の御神像多くありといへども、当社の尊影は希代にして賞せずんばあるべからず。]

2 菅原道真;賛 菅原道真像 梶井天満宮

(62)「見性寺」 所在地は「二条川東にあり」また「初は下御霊の後にあり、宝永年中ここにうつす」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 源信 阿弥陀如来像 見性寺 本尊阿弥陀仏[恵心の作。]

(63)「三福寺」 所在地は「二条川東にあり」また「初めは京極二条にあり」、宗旨は「浄土宗誓願寺に属す」、開基は「了観漸空上人」と記す。

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1 定朝 阿弥陀如来坐像 三福寺 本尊阿弥陀仏[定朝の作、坐像二尺余。]

2 定朝 地蔵菩薩立像(夢見地蔵) 三福寺夢見地蔵[寺内に安置す、定朝の作、立像三尺五寸。後一条院の后上東門院、夢中に生身の地蔵尊の示現を蒙り、其御像を作らしめ給ふ尊像なり。]

(64)「聞名寺」 所在地は「二条川東にあり」、宗旨ほかに関して「時宗相州藤沢に属す」、また「大炊道場といふ」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 快慶 阿弥陀如来立像 聞名寺 [本尊阿弥陀仏は安阿弥の作、立像三尺許。…]

(65)「法鏡山妙伝寺」 所在地は「同所東の端にあり」、宗旨は「法華宗一致派」と記される。開基は日意(1444 〜 1519)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   日蓮上人坐像 妙伝寺日蓮上人像[坐像二尺、初めは上京興聖寺にあり。当寺の六世日恵上人霊夢を蒙りここに安置す。]

(66)「大恩寺」 所在地は「同所にあり」(「聞名寺」の項を参照)、宗旨は「浄土宗百万遍に属す」と記される。開基は桃山時代の天阿岌向(生没年不詳)。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来像 大恩寺 本尊阿弥陀仏[慈覚大師の作、洛陽四十八願巡の第廿二番なり。…]

(67)「教安寺」 所在地は「同所にあり」(「聞名寺」の項を参照)、宗旨は「同宗知恩院に属す」、「開基は窓蓮社能誉上人」と記される。

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1 円仁 阿弥陀如来立像 教安寺 本尊阿弥陀仏[同作、立像二尺五寸、四十八願めぐりの第二十番なり。…]

この後に「空中山寂光寺」の項がある。

(68)「信行寺」 所在地は「同所にあり」(「聞名寺」の項を参照)、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」、開基は「願誉準公上人」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 定朝 阿弥陀如来立像 信行寺本尊阿弥陀仏[定朝の作、立像三尺八寸許、方除本尊とす。四十八願巡の第一番なり。…]

この後に「要法寺」の項がある。

(69)「安養寺」 所在地は「京極四条坊門の南にあり」、宗旨ほかに関して「浄土宗西山派、四十八願巡の第四十六番なり」と記される。開基は源信。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 後深草上皇 額「安養寺」 安養寺 額[安養寺と書す、後深草院の宸筆なり。]

2 春日明神 阿弥陀如来立像 安養寺

本尊阿弥陀仏[春日の作、立像六尺三寸。此本尊の華台八葉の蓮華を倒になす。初め造立の時、台を常の如くするに忽然として破る事三度に及ぶ、相議して倒蓮華となすに破るる事なし。是即女人胸中蓮華倒にあり、これを表して女人引接の相をあらはし給ふなり。本尊出現は、大和国当麻里に老女あり、誓願至信にして阿弥陀を造立せしむ、其時化人来って作れり、成就の後われは是春日明神の応化なりと告終て去にけり。]

[…天永年中隆暹法師本尊の霊告によって洛陽に遷す、旧地は樋口通の西なり。…]

3 善導大師像 安養寺 善導大師像[漢土よりの伝来なり、長一尺二寸許。]

4 観鏡証入 法然上人坐像 安養寺 法然上人像[観鏡の作、坐像一尺許。]

5 不動明王像 安養寺 […初めは傍に不動堂あり、今の華台壇の半より上、又壇上の組天井は初め不動堂にありしなり。是畠山重忠の寄進なり。不動尊今南の壇上に安置す。当地の由縁は後深草院の天聴に達して勅額を賜ふ。]

6 後深草上皇 額 安養寺

(70)「了蓮寺」 所在地は「京極通錦小路の北にあり」、宗旨は「浄土宗百万遍に属す」、また「四十八願巡の第四十五番なり」と記される。

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1 阿弥陀如来坐像 了蓮寺 本尊阿弥陀仏[坐像四尺五寸。○左如意輪観音、坐像一尺八寸。○右地蔵尊、坐像一尺七寸。共に恵心僧都の作。]

[当寺本尊面貌相好僧都一代制作の内最勝なり、後光華台比類なし。壇上の後の板面に二十五菩薩を画く、是も亦僧都の筆なり。又内陣壁板に浄土九品の相を画く、今消残って所々に存せり。内陣の四辺天井等みな僧都の営作なり。]

2 源信 如意輪観音菩薩坐像 了蓮寺

3 源信 地蔵菩薩坐像 了蓮寺

4 源信 二十五菩薩像 了蓮寺

5 九品浄土図 了蓮寺

6 定朝 地蔵菩薩坐像 了蓮寺(地蔵堂)地蔵堂[寺内にあり、定朝の作、坐像三尺。霊験奇異にして古今新なり。]

7 仏舎利(鬼女舎利) 了蓮寺

鬼女舎利[当寺本尊初め東山雲居寺にありし時、近辺の醜女本尊を拝するに曾て見る事なし。それより業障の深きを悲しみ、至信怠る事なし。ある時示現あって、本尊見給ひ仏舎利を授給ふ、忽悪相変じて信楽昌んに相続し、八十歳に至って往生す。末期舎利を雲居寺に蔵む、本尊当寺にうつす時舎利も亦ここに伝来せり。]

(71)「浄教寺灯炉堂」 所在地は「京極通綾小路の北にあり」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」、また「四十八願巡の第四十三番なり」と記される。中興は室町時代の「立誉上人」とする。

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番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 春日 阿弥陀如来立像 浄教寺

本尊阿弥陀仏[春日の作、立像三尺許。脇士は観音勢至なり。仏壇内外の画図恵心僧都の筆なりとぞ。]

2 観音菩薩像 浄教寺

3 勢至菩薩像 浄教寺

4 源信 仏壇内外の画図 浄教寺

(72)「聖光寺」 所在地は「同街綾小路の南にあり」、宗旨は「浄土宗一心院に属す」、また「四十八願巡の第四十二番なり」と記される。開基は桃山時代の「良阿上人」である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 阿弥陀如来立像 聖光寺本尊阿弥陀仏[立像三尺許。初は丹波国桑田郡篠村八幡宮の御本地仏なり。天正年中良阿上人八幡宮の霊夢を蒙りここに安置す。]

2 清海曼荼羅図 聖光寺

清海曼陀羅[むかし蓮の糸にて織たる絹に、清水寺の観音化人と成曼陀羅を図して、和州の清海上人にあたへ給ふ霊器なり。後世南都の絵師高天法眼が家に伝り、ある所当寺の良阿上人春日明神に詣し、かの法眼が宅に宿しぬ、法眼法門を聴受し安心決定のうへ、此曼陀羅を上人に寄附せり。]

(73)「法然寺」 所在地は「京極五条坊門の北にあり」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」、また「法然上人旧跡巡り二十五箇霊場の第十九番なり」と記される。開基は蓮生(1141 〜 1207)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 法然 円光大師坐像 法然寺

本尊円光大師像[御自作、坐像二尺許。]蓮生法師像[自作、坐像一尺許、当寺の開基なり。熊谷入道ある時旧里武州熊谷に赴くの折から、安居院聖覚をして師の尊像を懇望す。師その深志を感じて自作の木像をあたへ給ふ。蓮生歓喜し、此尊像を負奉り東国を化益し、一寺を草創して熊谷寺と号す。其後九ヶ年を歴て上洛し、洛下に於て又一寺を建立して此影像を安置し、法然寺と号す。旧地は錦小路東洞院なり。]

2 熊谷直実 蓮生法師坐像 法然寺

3 後伏見天皇 額「極楽寺」 法然寺

勅額[極楽寺と書す、後伏見院宸筆、壇上中央に揚る。正安年中後伏見帝御不予の事あり。ある夜の御夢に沙門一人来り奏して曰、洛の東南に住す法然法師なり、願くば弥陀仏に帰入し念仏し給はば御悩安泰ならんと、謹んで白し忽然として見へず。御夢さめて後専信の念仏間断なし、然るに日を追て玉体安静にして竟に平癒まします。それより勅を下して王城の東南に法然上人の像を安置する寺院を尋させ給ふに、当寺より此旨を奏聞す。帝即影像を内裏に召さるに、夢の中の面貌に違はず、大に信感ましまして其時此勅額を賜ふなり。]

(74)「空也寺」 所在地は「同街五条坊門の南にあり」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」と記される。また開基が空也であることに加えて、「今宗の祖見誉上人」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   阿弥陀如来立像 空也寺 本尊阿弥陀仏[立像三尺。]

2 空也 空也上人立像 空也寺空也上人像[自作、立像二尺五寸。旧地は錦小路西洞院の西にあり、天正十九年ここにうつす。今宗の祖見誉上人。]

(75)「乗願寺」 所在地は「空也寺の南にあり」、宗旨は「浄土宗一心院に属す」、また「四十八願巡の第四十番」とも記される。また、開基は「幼誉心空上人」とされる。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 鞍作鳥 阿弥陀如来立像(歯仏) 乗願寺本尊阿弥陀仏[酉仏師の作、立像二尺七寸。露歯見るるゆへ世に歯仏と称す。]

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(76)「徳正寺」 所在地は「富小路通四条の南にあり」、宗旨ほかに関して「東本願寺に属す、初は東山大谷の辺にして勝久寺と号す、二条猪熊にあり、御城造営の時今の地にうつす」と記される。開基は願知(1439 〜 1527)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 快慶 阿弥陀如来立像 徳正寺

本尊阿弥陀仏[安阿弥の作、立像二尺余。初は四条奈良物町大胆鍛冶が持尊なり、霊告によってここにうつす。]

[寺説に曰、文明三年二月十六日、叡山の悪徒四五百人当宗の興盛を妬んで、大谷本願寺親鸞聖人の廟塔を破却せんとす。蓮如上人防に便なく、開山の影像を先立て密に遁れ、三井寺の別院近松寺に潜居し給ふ。時に越前国荒井の住人井上筑前といふもの、薙髪して願知と号す、是当寺の開基なり。此僧踏止って身命を捨強く防戦ふ、故に山徒祖廟を発事を得ずして退散す。これによって蓮如より感状を賜る。其文に曰、               願如今度本願寺依破滅山頭之悪党等開山上人之遺骨欲堀返所依一身之才覚全御番仕不移転條一世之満足末代之名誉神妙也為褒美内木仏令授与候也難有存子々孫々迄御廟所之御番可仕者也  文明八年正月十八日  蓮如在判

2 親鸞 十字名号 徳正寺[当寺の什物に親鸞聖人の筆十字名号、後西院の宸翰六字九字の名号、親鸞聖人の遺骨、秀吉公朝鮮発向の軍鼓あり。○又毎年節分の初夜に平太郎入道真仏上人の伝を講演す。]

3 後西天皇 六字九字の名号 徳正寺

4 親鸞聖人遺骨 徳正寺

5 軍鼓 徳正寺

(77)「南石蔵石不動」 所在地は「松原通麩屋町の角にあり」、宗旨ほかに関して「真言宗高野山明王院兼帯所なり」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 空海 石造不動明王像 不動堂明王院

[…本尊不動明王は石像、弘法大師の作なり。][寺記云、当院初は法相宗にて、持統帝の御宇朱雀五年に、道観大徳の草創なり。其頃は此地松栢森々として其中に一堆の丘山あり、平安城開闢の後、弘法大師此石仏をつくりて安置し給ふ。又詔ありて、王城鎮護の為四方に経王を石蔵に収めらる、此所も其一員にして南岩蔵と称す。其後天暦年中、鴨川洪水の時堂舎も没流し荒廃に及びしを、山門の僧苔筵勅をうけて再興す。それより年累り応仁の乱後大に頽廃し、石像も塵芥の中にあり。天正年中聚落城造営に奇石を多くあつめらる、これを石狩といふ、其時苔蒸たる奇石なりとて聚落に入らる。かかる所夜々光を放ちて城中に怪異多し、故に元の地に返しける。是より後は小堂を営てここに安置す、霊験古今に新なり。]

この後に「鉄輪塚」「大江公資家」「御射山諏訪社」の各項が続く。

(78)「住心院」 所在地は「東洞院三條の南にあり」、宗旨に関しては「天台宗修験道にして聖護院の院家たり」、また「大僧正澄算中興し、それより堂上の華族入院ありて御嗣職し給ひ、代々勅願所とす」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 運慶 毘沙門天立像 住心院本尊毘沙門天[運慶の作、立像四尺八寸。中頃大僧正晃諄一夕の夢に、西の方十里余り歩行し一つの高山に至れば、松栢蓊鬱として巍々たる宝閣あり。時に百千の蜈蚣精舎を囲繞し、守護の体に見へける。其中に光明煌々として多聞天現れ給ふ、大僧正随喜敬礼して夢さめぬ。奇異なるかな其翌旦、妙法院堯如法親王より金剛院僧正に命じて、此尊像を附属し給ふ。諄師夢中の尊像に違はずとて、拝領して初は摂州本山寺に安置し、尊天告命によって当院に遷し奉る。左に酉仏師の作りし大日如来、右に弘法大師の作り給ふ愛染明王を脇士とし。近年堂舎再営ありてつねに詣人絶ず。]

2 鞍作鳥 大日如来像 住心院

3 空海 愛染明王像 住心院

(79)「鼠突不動尊」 所在地は「六角堂の西に隣る」、宗旨に関しては「住心院に属す」と記される。

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番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 空海 不動明王坐像 鼠突不動尊[…本尊不動尊は弘法大師の作、坐像三尺五寸。脇壇に大日如来を安ず、智証大師の作。又弁天は伝教大師の作。]

2 円珍 大日如来像 鼠突不動尊

3 最澄 弁財天像 鼠突不動尊

(80)「大師堂」 所在地ほかに関して「松原因幡堂の内西之坊にあり、密蔵院医王寺と号す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 動明 額「秘密蔵」 医王寺[…近年堂宇建立ありて堂後西向に額を揚る、秘密蔵と書す。智積院動明僧正の筆なり、]

2 覚鑁 弘法大師坐像 医王寺弘法大師像[真言新義の宗祖興教大師の作、坐像三尺余。旧此尊像は紀州一乗山根来寺の本尊なり。天正十一年兵火の時、かの寺の学頭中性院性盛上人に霊告ありて、当院に遷す。年久しく客殿に安置し、天明元年今の堂内にうつす。又真言新義中性院伝授の秘密道具、当寺中興性盛上人より伝来して今此寺にあり。]

3 密教法具 医王寺

(81)「和歌所」 所在地ほかに関して「皇太后俊成卿五条室町の旧館を、貞治の頃にも為明卿伝領し給ひて、新拾遺集を撰じ給ひしなり。今の玉津島社、俊成卿社は、其殿内ならんか。共に前編に見へたり」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 北村季吟 社記 新玉津島神社(社家)[新玉津島社に、北村季吟翁六年のあひだ住給ひ、社記を自筆に書給ふ、今社家にあり。其文に曰、…]

(82)「元はん女社」 所在地に関して「高辻通室町の西、北側人家の奥にあり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   額「半女社」 元はん女社[…古へ此地にはん女の塚あり、今小祠を営み、鳥居を立、額半女社と書す。此地に庭石かずかずあり、初は画工狩野氏の宅地なり、則今において江戸狩野栄川の持地とぞ。]

(83)「山王社」 所在地ほかに関して「室町五条坊門山王町にあり、総持院と号す」、祭神は「国常立尊」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 薬師如来像 総持院(山王社)[…古へは叡山の別院にして伝教大師の勧請なり。祭神は国常立尊にて、本地薬師仏を安置す。…]

2 青面金剛像 総持院(早尾社)早尾社[同所にあり、祭神猿田彦命。弘治年中に霊告ありて、青面金剛を安ず、世に庚申社と称す。近年安永の末住主普門僧都当社を再営す。]

この後に「牛頭天王社」「肉桂水」の各項がある。

(84)「亀龍院」 所在地は「錦小路新町の西にあり」、宗旨は「真言宗随心院に属す」と記される。開基は空海である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 九条尚実 額「日出愛染明王」 亀龍院額[日出愛染明王と書す、仏殿の軒に掲る、九条関白尚実公の御筆なり。]

2 空海 愛染明王坐像 亀龍院 本尊愛染明王[弘法大師の作、坐像一尺五寸許。]

3 銅造薬師如来像(亀薬師) 亀龍院亀薬師[寺内に安置す、金銅仏、一尺五寸許、亀甲に立せ給ふ。古へ浦島太郎の子龍宮より将来しけるとぞ。]

この後に「道祖神社」「平将門社」の各項がある。

(85)「飛梅」 所在地は「西洞院高辻の北、菅大臣社前にあり」と記される。

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番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 松下烏石 「誕浴水銘」 菅大臣神社(誕生水)

誕生水[同社東の方垣の内にあり。]誕浴井銘  誕浴之水再見澄清汲焉。不竭注焉。奚盈法律取象不 。目平嗚呼。神徳永仰其明。    明和二年乙酉    東都烏石葛辰書并篆額

(86)「大泉寺」 所在地は「五条の北、西洞院月見町にあり」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 寛印阿弥陀如来立像(花降如来/片袖如来)

大泉寺

本尊阿弥陀仏[恵心の舎弟寛印供奉の作、立像三尺五寸許。][当寺の中興は賢公上人、二世賢親上人住職し給ふ時、寛永七年二月十四日の夜に、本尊生極楽の要旨を霊告あって、其暁天に異香薫じ天華降けり、是より花降如来と称じ、号を花降山と呼ぶ。又如来右の袖を脱せられ衆生引接の相を顕しぬれば、片袖如来とも称す。]

2 仏光寺絵詞伝 仏光寺か

仏光寺絵詞伝曰  建暦二年九月開山[親鸞]上人山州山階に一宇を草創し、興正寺と号す、真仏上人に[専修寺伝云、附法相承之嫡弟、平国香後胤下野国司大内家之息男也。正嘉二年三月八日化す、五十歳。]附属し給ひ。同年十月坂東下向[中略]帰京の後、五条西洞院殿とて禅定殿下の花園の勝地あり、則爰において一院を構へ住せしめ給ふ。即花園院と号す。云々。

3 熊野権現親鸞聖人対座像 大泉寺[…当寺の什物には、熊野権現親鸞聖人対座の御影あり。これに覚如上人安楽集の文を引て別紙に嘆ぜさせ給ふ。其外覚信尼の影、真向の弥陀、法然上人自画の影、蓮如上人六字の名号等あり。大泉の号も此地中の清泉より出で、親鸞聖人旧跡の一員なり。]

4 覚如 安楽集抄 大泉寺

5 覚信尼像 大泉寺

6 法然 法然上人像 大泉寺

7 蓮如 六字名号 大泉寺

この後に「火尊社」「人麿御霊社」の各項がある。

(87)「一道院」 所在地は「堀川通五条坊門にあり」、宗旨は「法華宗本国寺に属す」、続けて開基ほかに関して「開基は吉祥院日喜上人、中興は一道院日法上人、本蔵寺と号す」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   日蓮上人像 本蔵寺 日蓮上人像[和泉阿闍梨日法上人の開眼なり。霊元法皇の勅願所として、経王祈禱所の額を賜ふ。]2 霊元天皇 額「経王祈禱所」 本蔵寺

この後に「蛭子社」の項がある。

(88)「本行寺」 所在地は「醒井通綾小路の南にあり」、宗旨は「法華宗妙覚寺に属す」と記される。開基は日雄(1599 〜 1674)である。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 日蓮 日蓮上人像 本行寺日蓮上人像[自作、一尺五寸許。古へは房州誕生寺にあり、事は法華霊場記に見へたり。霊験新にしてつねに詣人絶ず。]

この後に「相逢社」の項がある。

(89)「児薬師」 所在地ほかに関して「三条通油小路西にあり音徳寺といふ」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 薬師如来像(児薬師) 音徳寺[…久代亀山帝御幼稚にましますとき、疳の御悩あり、此の本尊に祈願し給ふ所、忽玉体安泰ましましけり、故に此名を呼ぶ。]

(90)「又旅社」 所在地は「三条通あたらし町の角にあり」、祭神は「牛頭天皇」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 神輿 又旅社[…毎年六月十四日祇園会に此社前に壇を築き、幣三本を立て斎場とす、然ふして三基の神輿此所に昇居、それより列を全して三条東へわたるなり。御旅所両所あるゆへ又旅の名あり。]

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(91)「三宝寺」 所在地は「三条大宮の西にあり」、宗旨は「浄土宗百万遍に属す」と記される。また「開基は笈公上人、文明十六年の建立なり」とする。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像 三宝寺本尊三尊仏[阿弥陀は慈覚大師の作、立像三尺余。脇士観音、勢士は安阿弥の作なり。]

2 快慶 観音菩薩像 三宝寺

3 快慶 勢至菩薩像 三宝寺

4 聖徳太子 十一面観音菩薩立像 三宝寺 十一面観音[聖徳太子の御作、立像五尺。]

5 金造勢至菩薩立像 三宝寺 勢至菩薩[黄金仏、立像三寸許。]

6 法然 円光大師坐像 三宝寺 円光大師像[自作、坐像三寸許。]

7 源信 地蔵菩薩坐像 三宝寺 地蔵尊[恵心の作、坐像三尺許。]

(92)「正運寺」 所在地は「四条坊門大宮の西にあり」、宗旨ほかに関して「浄土宗黒谷に属す。寛永十年の草創なり」、また「開基は源誉上人」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 阿弥陀如来像 正運寺 […本尊阿弥陀仏、…]

2 十一面観音菩薩像 正運寺(観音堂)観音堂[寺内にあり、本尊十一面観音は和州長谷寺の本尊と同木同作なりとぞ。洛陽巡の第廿六番なり。]

この後に「隼社」「水葱宮」の各項がある。

(93)「休務寺」 所在地は「錦小路通大宮の西にあり」、宗旨は「浄土宗西山派」、また「開基は貢空景林上人、寛永十年の草創なり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 阿弥陀如来立像 休務寺本尊阿弥陀仏[八幡宮の神作、立像三尺五寸許。四十八願巡の第二番なり。]

(94)「聖徳寺」 所在地は「綾小路通大宮の西にあり」、宗旨ほかに関して「浄土宗鎮西派。古へは真言宗、今宗の祖貞安上人」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 聖徳太子 阿弥陀如来立像 聖徳寺 本尊阿弥陀仏[聖徳太子の作、立像三尺許。四十八願巡の第一番なり。]

2 聖徳太子 聖徳太子四十二歳像 聖徳寺

聖徳太子四十二歳尊像[御自作、長一尺余、倚子に寄て香炉を持給ふ。抑当寺は太子六角堂草創まします時、良材を聚給ふ作事場所なり。即仏寺となして御自作の像を安置す。霊験古今に新にして、病患を祈るに感応速なり。]

(95)「壬生鰐口鑼」 始めに「壬生寺前編に見へたり」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 鰐口鑼 壬生寺

[…例年三月大念仏の法会に、堂前に掲る鑼名器にして世の知る所なり。磧礫集云、壬生地蔵堂暮春大念仏の時鳴す鰐口は、東山殿の御寄附なり、黄金を多く加へられたれば其響他に異なり、参詣の人此音を聞ば物憂を忘れて、随喜のこころを催すと云へり。]

2 硯 壬生忠岑所用 壬生寺壬生忠岑硯[壬生寺にあり。石の色紫にして硯の縁の傍に忠岑の文字あり。中頃当寺の北圃より堀出す。]

この後に「一夜天神」の項がある。

(96)「月輪寺」 所在地は「壬生寺の東三町許にあり」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」、また「中興は唱臨和尚なり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像 月輪寺 本尊阿弥陀仏[慈覚大師の作、立像一尺五寸許。]

2 九条兼実 法然上人坐像 月輪寺 法然上人像[兼実公の作、坐像一尺五寸許。]

3 九条兼実 九条兼実像 月輪寺 兼実公影[御自作なり。]

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(97)「帰命院」 所在地は「同所帰命院町にあり」、宗旨は「浄土宗知恩院に属す」、また「開基は雄蓮社文誉上人、慶長年中の草創なり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 運慶 阿弥陀如来像 帰命院本尊阿弥陀仏[運慶の作。当院より小児五香湯を出す、薬力いちじるしくして、帰命の名に寄る歟、世に名高し。]

(98)「中堂寺」 所在地は「松原通大宮の西二町許にあり」、宗旨は浄土宗西山派、また「古へは天台宗、慈覚大師の開基なりとぞ」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像 中堂寺本尊阿弥陀仏[慈覚の作、立像三尺許。初は叡山中堂に安置しけるなり。]

(99)「長円寺」 所在地は「同所中堂寺の西に隣る」、宗旨は「浄土宗百万遍に属す」、また「開基は大誉清巌和尚、慶長十三年の草創なり」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 円仁 阿弥陀如来立像 長円寺 本尊阿弥陀仏[慈覚の作、立像三尺許。]

2 源信 聖観音菩薩立像 長円寺

観音堂[本堂の北にあり。本尊観世音は恵心僧都の作、立像三尺許。一條院御宇長徳四年の冬、痘瘡大に流行て児童死する事限なし。ここに藤将軍親衛といふ人、惻隠のこころたへず、即叡嶽楞厳院の僧都恵心にこれを歎き給ひしかば、正観音を彫刻しあたへ給ふ。これを三七日があいだ祈しかば、忽疱瘡止り諸人安堵しける。それより年久しく叡山にありしが、天正の頃当寺大誉上人に清水寺観音の霊告ありて、叡峯に登り此尊像を感得してここに安置す。洛陽観音めぐりの第廿四番とす。]

(100)「本圀寺方丈」 始めに「当寺の図前編に見へたり」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 徳川光圀 額「妙法華院」 本圀寺(方丈) […方丈の額は妙法華院と隷に書して。水戸黄門光圀卿の筆なり。此所は瑞龍院殿の寄附にして、障子等の画図は永徳の筆なり。此亭初は江州安土城にありしを、大和中納言秀秋卿の館にうつし、其後当寺にうつす。]

2 狩野永徳 障壁画 本圀寺(方丈)

3 日蓮 夕顔曼陀羅 本圀寺夕顔曼陀羅[日蓮上人の筆、本国寺第一の什宝とす。表具は蜀錦にして夕顔の浮文あり、尊氏公陣羽織の切なりとぞ。]

4 徽宗 狗図 本圀寺 狗画[宋徽宗帝の筆なり。]

5 菅原道真 大黒天立像 本圀寺

○大黒堂[本堂の北にあり、大黒天立像二尺許。寺記曰、天正年中に老翁此像を持来て賈んといふ。其時の寺主日栖上人霊像なれば速に求む。老翁の曰、賈は明日得べしと、其宿所をとへば翁紙筆を乞ふて一首の和歌を書し去にけり。其後再び来らず。故に菅神の御作と称す。] 遥々と北野の松の下住居宿は葎のかげの菅原

6 紀貫之像 本圀寺(勧持院)

○福大明神社[勧持院にあり、祭神紀貫之の霊にして衣冠の木像なり。天文五年七月社辺焼失の時、神像を他家へうつしければ、時々怪異あり、再び当院にうつし社を建て安置す。上冷泉為村卿殊に尊敬し給ひ、近年祠を修補し給ふ。]

7 豊臣秀吉像 本圀寺(吉祥院)

太閤部屋[吉祥院にあり。豊臣秀吉公いまだ庶人にてましまし、木下藤吉郎の時、此家に寓居しみづから飯を烹調給ひし所なりとぞ。俗に太閤部屋と呼ぶ。又秀吉公の肖像あり。是は位冠持笏帯剣の像なり。初は方丈にあり、後世当院に遷す。]

8 小早川秀秋像 本圀寺(瑞雲院) 金吾中納言秀秋廟[瑞雲院にあり。又仏殿に影像を安置す。…]

9 日蓮上人坐像(古井尊像) 本圀寺(瑞雲院)

古井尊像[日蓮上人の影、坐像八寸許、同院にあり。永禄年中日乗上人八条大宮のほとりを往返するに、読経の声あり。これを聞に法華経の要文なり。不思議に思ひ、此ほとりの祠に立より見れば、古井あって其水底に聞ゆ。即井中を捜し見るに、高祖の尊像を得たり。故に持し帰りて当院に安置す。義昭公殊に尊信し給へり。出現の所は今の古井稲荷社なり、これによって名とす。]

Page 19: 名所図会に記された京都の「名宝」(四)harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/onomichi-u/file/13058...[49 ] 市川 彰 日本美術史/准教授 ICHIKAWA Akira 名所図会に記された京都の「名宝」(四)

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10 弁財天像 本圀寺(瑞雲院) 弁財天社[同院にあり。円阿弥といふもの、化人に此神像を授り当院に収む。元禄六年正月元朝に白羽矢一筋忽然として此社に来る。其翌年も同事なり、共に社内に蔵む。]11 白羽矢 本圀寺(瑞雲院)

12 最澄 吉祥天立像 本圀寺(宝珠院)

七面明神社[宝珠院にあり。立像一尺五寸許。寛文四年の冬雪の日、此神像を将来って售りぬ。当院の三世日球上人此價を報んとするに、老翁行方を翳して雪に足跡なし。不思議に思ひ大仏師法眼康継に此尊像を見するに。康継が曰、是は伝教大師の作にして、洛南吉祥院に鎮座し給ふ吉祥天女の尊像なりと。故に七面大明神は厳島弁天なれば、同天女の縁によりて七面明神と崇む。]

この後に「三善清行家」の項がある。

(101)「堀川御所源義経館」 所在地ほかに関し「東は油小路、西は堀川を限り、北は樋口、南は楊梅を限る、南北二町東西一町の間なり。原此地は後白川法皇の御殿なるによって堀川御所といふ。今醒井通五条の南を泉水町といひ、油小路五条の南西側に池の形庭石遺し家あり、是みな殿舎の内なり」と記す。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 金銅仏 延寿寺[…又下寺町延寿寺の本尊金銅仏も、法皇尊信し給ひて殿内にありしなり。今金仏町と号する所、油小路五条の南北横町ともにあり。文治の頃判官義経もここに宿所せし由、諸書に見へたり。]

この後に「源頼義家」「下間家」「桂宮」の各項が続く。

(102)「古田織部京座舗」 始めに「西洞院北小路薮内の茶亭なり、織部命終の剋此家に譲り給ふ」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1 村田珠光 額「燕庵」 燕庵

[…茶亭の軒に燕庵といふ額あり、珠光庵の筆なり。雪のあしたといふ石燈炉は東山殿の持物とかや、あるひは利休の寄とうろ戸下といふ庭石、三つ小袖といふ名の石は鼻祖剣仲千利休に小袖三つと代られけるとかや。其外八坂法観寺の礎、文覚石等は庭中の手水鉢とす、熱田金燈籠の名器、さまざま庭中に見へたり。]

2 石燈籠 銘「雪のあした」 燕庵

3 「利休寄とうろ」 燕庵

4 庭石 銘「戸下」 燕庵

5 庭石 銘「三つ小袖」 燕庵

6 手水鉢(八坂法観寺礎) 燕庵

7 手水鉢(文覚石) 燕庵

燈籠 燕庵

この後に「天橋立」「本宮森」「阿仏墳」の各項が続く。

(103)「東寺神供」 所在ほかに関しての記述はない。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   神輿 伏見稲荷大社[毎年四月初卯日稲荷例祭に、五社の神輿を東寺金堂の前にすへて、寺を出て法施し神供あまた備ふ、これ東寺古来より例なりとぞ。]

(104)「国姓爺寓居」 所在ほかに関して「西六条本願寺御堂前興隆寺の地なり。或人曰、初此所は本願寺の候人七里氏の宅地なり」と記される。

番号 作者等 「名宝」名称 所蔵等 抜粋

1   錦旗・国姓爺自筆書翰 西本願寺

[…国姓爺は寛永元年日本に生れ、若年より七里氏の家に勤仕し、武術を諸方の名士に修錬し、壮年に至って中華に渡り、大明九世の孫唐王を取立て、功名の後かの王の錦の旗に自筆の書翰を添て酬恩の為に七里家に贈る。此奇品西本願寺の宝庫に収めありしとぞ。一説に後世此錦の旗を切裂てかの寺の家中に賜る、今一二ヶ所伝来しけるとなり。]

この後に「源頼光館」「猪熊社」「羅城門」「洛外惣土堤」の各項が続き、以上で巻之一は終わる。