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境界と制限について 遊戯療法における癒しの場一一 森岡正芳 I 心理療法が行なわれる場所一境界の多義性について 精神分析,心理療法の領域における境界論のいくつかについてその特徴, 問題点を簡単にふりかえってみよう。 フロイ卜はすでに無意識と前意識の境界線(frontier )という表現で境 界概念を用いているが,この概念を発展させたのは自我心理学派のフェダ ーン(Federn, P. )である。彼は内的自我境界と外的自我境界を区別し, 前者を無意識的欲動や記憶に対する壁と考え,後者は内的心理状態を外的 現実からわける分割面とした。外的自我境界は身体境界とは必ずしも一致 しなし、。この内的・外的両方の自我境界は拡張一収縮しうるもので, リピ ドーが境界領域から撤退すると境界そのものが弱体化し,分裂病などの幻 覚,妄想状態が出現すると考えられる。 フェダーンの理論は境界の可変性(variability) を導入した点で先駆 的であるが,境界が障壁なのか通路なのか,あるいは一つの状態なのか感 官的なものなのか非常にあいまいであるという問題点が残る。境界が機能 的概念なのか構造的概念なのか不明確である点をラシディス (Landis, B. )も指摘している。これについてランディスはレヴィソのトポロジ一心 理学を自我境界論に統合させる形で,以上の問題点の解決をもくろんでい る。すなわち,レヴィソの内的緊張体系の境界を自我境界に重ねることで 構造化し,その体系区分間の交流一相互作用を投影法その他の検査を用い て機能的側面を裏付ける。これによって境界の透過性(Permiability )と 非透過性(Impermiability )の概念を定式化したのがランディスの境界理 論の特徴である。透過性とは「自我と非自我との区画が比較的開放されて いること」であり,非透過性とは「自我と非自我の聞に比較的固くて貫通

境界と制限について - 天理大学...内的自我境界と外的自我境界の差異についてランディスは,透過性とい う要因を導入することで内と外の類似を指摘している。たとえば強迫傾向

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境界と制限について遊戯療法における癒しの場一一

森岡正芳

I 心理療法が行なわれる場所一境界の多義性について

精神分析,心理療法の領域における境界論のいくつかについてその特徴,

問題点を簡単にふりかえってみよう。

フロイ卜はすでに無意識と前意識の境界線(frontier )という表現で境

界概念を用いているが,この概念を発展させたのは自我心理学派のフェダ

ーン(Federn, P. )である。彼は内的自我境界と外的自我境界を区別し,

前者を無意識的欲動や記憶に対する壁と考え,後者は内的心理状態を外的

現実からわける分割面とした。外的自我境界は身体境界とは必ずしも一致

しなし、。この内的・外的両方の自我境界は拡張一収縮しうるもので, リピ

ドーが境界領域から撤退すると境界そのものが弱体化し,分裂病などの幻

覚,妄想状態が出現すると考えられる。

フェダーンの理論は境界の可変性(variability) を導入した点で先駆

的であるが,境界が障壁なのか通路なのか,あるいは一つの状態なのか感

官的なものなのか非常にあいまいであるという問題点が残る。境界が機能

的概念なのか構造的概念なのか不明確である点をラシディス (Landis,

B. )も指摘している。これについてランディスはレヴィソのトポロジ一心

理学を自我境界論に統合させる形で,以上の問題点の解決をもくろんでい

る。すなわち,レヴィソの内的緊張体系の境界を自我境界に重ねることで

構造化し,その体系区分間の交流一相互作用を投影法その他の検査を用い

て機能的側面を裏付ける。これによって境界の透過性(Permiability )と

非透過性(Impermiability )の概念を定式化したのがランディスの境界理

論の特徴である。透過性とは「自我と非自我との区画が比較的開放されて

いること」であり,非透過性とは「自我と非自我の聞に比較的固くて貫通

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図 l レヴィ γの内的緊張体系(Landis, B. 1970 より〉

できない壁を築くこと」として概念化されている(Landis 1970 )。透過性

の著しい場合,たとえば他人がどこかから落ちるのをみて,自分もよろけ

るような人のもつ過剰同一化の心性があげられている。また非透過性の例

としては,感情的興奮の場面に接しても,自分を他人から切り離してしま

う。さまざまな経験の局面を切断してしまう人の場合があげられる。し、し、

かえると,非透過性の要因は「収縮」の方向をあらわし,多少とも世界と

のかかわりを「閉ざす」傾向をあらわすのに対し,透過性の要因は「融

合」や「膨張する」傾向,さらに外界へ向かう自我の方向性と考えられる。

内的自我境界と外的自我境界の差異についてランディスは,透過性とい

う要因を導入することで内と外の類似を指摘している。たとえば強迫傾向

の強い人は外界との接触を入念に限定しようとするが,同時に無意識から

の危険な衝動からも身を守ろうとする。この点から,外的境界の非透過性

と内的境界の非透過性,そこに対応関係をよみとることができると仮定す

る。このことは健常者においても,人格内部で自我と非自我を分離する境

界が,自我を外界から分離する境界に構造的に類似するという推論をラン

ディスは行なっている。

しかし,ランディスの研究からすぐに内界一外界の対応関係を導くのは

早急にすぎる。その操作的研究に妥当するのは外的自我境界が主たるもの

であり,内的自我境界の把握のしかた,あるいは自己表象と対象表象の境

界の吟味は不十分である。 「その人の境界の仕上げの中にその人の性格防

衛操作があらわれている」というランディスのことばはあくまで外的対象

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関係の領域,対人的距離のとり方という局面に限られたものといえよう。

また内的,外的という二分法もやや素朴にすぎるのではないか。心的空間

で内と外を分けるような概念操作を行なう場合,厳密さを求めすぎると論

議が空まわりしてしまう。内と外の重なりあうある程度の幅をもっ領域と

して境界という概念を用いるべきであろう。また内と外を分割するのみで

両者の力動関係を問うまで、にいたっていない点もものたりなし、。この点に

ついては,藤縄 (1972 )の自我漏洩症候群研究が「内から外へ」 「外から

内へ」の方向性を検討している点で境界問題に新たな視座を提供してくれ

る。自我漏洩症状は自己の内側から外側にむかつて漏れるという主観体験

が顕著であり,作為影響症状のもつ外から内へ影響を及ぼす体験様式と対

比される。すなわち二方向性の体験型を区別しうるのである。このことは

境界が弱体化したときの,自一他の侵襲・影響関係を考える上で基本モデ

ルとなる。

もっとも藤縄のいう内と外の影響関係と,内的・外的自我境界での内と

外はことばの上で意味がちがっている。後者の場合,内的自我境界とはい

わば, 「内の中の外と内の境目」という表現が適切かもしれない。しかし

境界が弱体化した場合,この二重の境界の内側にあるものが外界の対象に

悪意あるものとして写し出されることもある。ピオン(Bion 1961 )はグ

ループ心性の分析を通して,そのメカニズムを投影同一視(projective

Identification) と名づけた。考えてみればクツレープ体験は境界の透過性

が強化される体験そのものであり,境界問題の実証研究の場として今後注

目されるべきだろう。ともあれ内と外の関係は境界を介して相互に転換可

能とすらいえる流動的な関係であるのは確かである。したがって境界概念

を硬直した操作的研究によってのみ限定するのは実践上においても実り豊

かなものではなく,その多義性ゃあいまいさを許容できるスペースが要請

される。

以上についての解決策として筆者は二つの方向性を考えている。一つは

対象関係論の観点から自我境界の問題を扱い自我心理学との統合をはかる

ことである。すでにランディスの研究によって,人が外界に恒常性を求め

るあり方と自我境界の透過一非透過性の関係は不可分であることが示され

ている。ここでさらに内界と外界を介在する第三の領域(ウイニコットが

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体験の中間領域,潜在空間と名づけたもの〉のもつ意味を治療的観点から

吟味できるはずで、ある。すなわち境界そのものの経験をさらに綿密に記述

することである。また外界対象の内包する対象の意味も狭く限局せずに,

サールズ(Searles 1960 )が強調するような nonhuman environment

とのつながりへと開放していくあり方が求められる。

したがってもう一つの方向は,境界概念そのものをより幅広い観点から

しらべてみることである。すでに人類学や地理学,建築学や美学領域で境

界のもつ諸特性が詳述されてきている。境界概念のもつ多義性をなるべく

損なうことなく力動心理学領域で吟味するには,以上の知見を看過するこ

とはできない。しかもそれらを臨床実践の場にたえす守照合していくような

試みがなされるべきであろう。本論もその試みのーっとして位置づけたい。

そのための視点として以下のものをあげておきたい。

第一に境界の両義性とし、う特性である。区切りながらつなぐ(水津1982)

切れ=つづき(大橋1985 )とし、う性質が境界にある。境界のもつどっちつ

かずのあいまいさ(リーチ1964 ,折口 1955 )がこのような両義性を生じさ

せる。このことは心理療法における時間・空間の制限という治療構造の問

題と深い関連がみられるはずであり,また心理療法の場自体が日常から区

切られた非日常の性質を有するという意味で境界的である。これについて

筆者は心理療法の場のもつ二重の境界性という指摘を行なった(森岡1986)

が,さらに本稿で実際例をあげて報告したし、。またこの境界特性について,

箱庭療法や描画法の「枠づけ」問題との連関も興味深い(中井1971 ,森谷

1983 )。

第二に境界は区切られた向こう側(外〉と橋わたしつつ,向こう側を暗

示するという側面がある。そしてその窮極的な形として内と外の反転を生

じせしめる機能をも境界はもっている(森1983, Hillman 1986 )。これは

心理療法理論での図一地ゲシタルトの反転という認知転換のモデノレ,洞察

へと向かうような治療契機の機序理解に役立つであろう。また分裂病,自

我漏洩症候群のもつ境界の脆弱さ, 「病者の外界は自ら否認した内面が陰

固としてあらわれてくる」 (中井1971) とし、う病理メカニズムの解釈に新

たな視野を提示しうる(木村他1986 )。

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B

境界と制限について

G

面寸← A

a

図2 フロント構造(八木 1984)

(境界面はA の一部としてA に属していながら,)

向こう側のB をも代表している。 /

85

第三に「境界が境界の向こう側を暗示する」 (ヒルマン〉とし、う性質に

関連L て, 前面性・表面性(フロント〉のもつ構造に注目したL、。これ

については酉谷 (1982 )の「無醗の構造」およびそれを発展させた八木

(1984 )の「フロント構造」が多大な示唆を与えてくれる。すなわち,境

界面はA の一部としてA に属していながら,向こう側のB をも代表してい

る。しかも B は自身をB としてではなく A の一部として現象するという構

造である。西谷はイメージのもつ固有の論理を描くためにこの構造を導入

している点で,臨床実践領域でも有効なモテ、ルであろう。 「二つの遊びの

領域が重なりあう場」 (ウイニコット〉としての心理療法の場が十分に機

能しはじめたとき,自己が他者に面しているフロントはそのまま他者の一

部でもあると表現しうる交わりはよく経験しうることなのである。そこで

は情報伝達の正確さという点では一見して冗長で,ルーズな面の多い「話

しことばのもつ治療的機能」が活躍している(北山1984, 1986 )。しかし

一方で,自我境界という視点にもどると,相手の自我境界を自分の自我境

界の代理とするような交流は,「自我の境界の否認,幼児的万能感の肥大」

(Searles 1960 )という病理的解釈の可能性もあるわけであり,境界概念

にはこのような「両刃の剣」ともいえる両義性がつきまとうことに留意し

ておかねばならなし、。

以上に加えておくべき新たな問題点として,境界そのものの体験の果て

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に,境界の消滅という次元をもちこんでくることが可能であろう。晩年の

フロイトやライヒにはこの次元に並々ならぬ関心をよせていたことがうか

がえるし, トランスパーソナル心理学が欧米等で、無視できぬ潮流をうちだ

してきている現在のこの時点で,いずれ詳述すべきときがくると思われる。

II 心理療法における制限の意味

以上,非常におおまかながら力動心理学とその周辺における境界問題の

位置を確認した上で,これから心理療法の具体的場面での制限の意味につ

いて検討してみよう。

〈遊戯療法における制限設定の重要性〉

ここで述べるのは心理療法の中でも,制限をめぐる問題がとくに治療過

程で顕在化しやすく,しかもそれが治療の重要な契機となりやすい遊戯療

法が中心テーマとなる。

遊戯療法についても現在,さまざまな立場があり学派によってアプロー

チも異なるのは当然である。その中で治療者の態度の根本的前提として,

アレン(Allen, F. 1942 )やアクスライン(Axline, V. M. 1947 )の古

典的技法にもどって述べていくのは意義あることであろう。精神分析学派

内で児童分析に関してクラインとアンナ・フロイトの聞に激しい論争があ

ったことは著名な事実である。アレンやアクスラインはその中で精神分析

的解釈をしない立場としてほとんど歴史の中に名前のみ残され,議論の的

にならない。しかしここで彼らの立場をとりあげようとするのは,彼らの

技法がひとつの学派としてとどまらず,ある意味で子どもの精神療法の基

本的な態度を技法化したものであるといえるからである(河合1978 )。

アグスラインは遊戯療法の 8 つの原則をあげている。その中で治療者は

適切な制限を加える必要があることを述べている。 「治療者は治療が現実

の世界に根をおろし,子どもにその関係における自分の責任を気づかせる

のに必要な制限 (limitation )を設ける」 (Axline 1947 )。 Axline だけ

ではなく,遊戯療法における制限設定の重要さと難しさは多くの治療家た

ちが言及している(Allen 1942, Freud, A. 1928, Bixler 1961, Ginott

1965, Sing 巴r 1970 )。

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まず遊戯療法の実践において,どのような場面に制限を加えるのか具体

的に検討してみよう。

高野 (1972 )によれば,次のような場面に制限が設けられる。

1) 治療者への身体的攻撃

2〕 備品や遊戯室への物理的攻撃

3) 社会的に許容できない行為(喫煙・自慰等〉

4〕 安全と健康に関するもの(泥水を飲むことや高い窓枠に登ること

など〉

5) 備品の持ち出し

6) 時間の制限一治療時間の始まりと終わりは厳定されている

7) 場所の制限一治療時間中は遊戯室を出ることは許されない

8〕 集団遊戯療法においては,他児に身体的攻撃を加えることは制限

される

制限の基本的原則は実際の治療場面では,治療状況,子どもの問題の軽

量,治療者の判断によって設定に幅のあるのは当然である。しかし,概ね

上のような基準で制限が設けられる。

ところで,子どもの治療室内での自発的な言動を尊重し,これに受容的

な態度で接することを重視する遊戯療法において,これらの制限設定はい

かにも矛盾した原理にみえる。また,制限を加えることの必要性を承知し

ながらも実際場面では,適切な制限設定を行なうのに困難を感じる。制限

は子どもの自由な感情表出の機会を防げることにもなりうるからである。

治療者は制限設定をめぐって,子どもの感情を受容する方向と感情理解を

むしろ促進させる方向でありながら子どもの行動を制する方向との聞で

ゆさぶられ,その舵をしっかりとらねばならない(Singer 1971 )。この

ように制限設定という技法はジレンマを内包しているので,治療者にとっ

て取扱いの難しい技法とみなされやすい。

しかし,子どもが自由に自己表現することを保障するためには,制限を

与えてはじめて本当の自由が保障されるともいえるのであり,窮極的ない

い方をすれば, 「制限が治療である」 (Bixler 1961 )とすらいえるので

ある。制限のもっこのような積極的な役割をいかに考えればよいだろうか。

さきほどのアクスラインのことばにもどってみよう。そこでは,制限が

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1) 治療が現実とかけ離れないために

2) 子どもが自分の責任に気づくことを援助するために

設けられている。 「治療の効果をあげるためには,治療は日常生活から完

全に分離してはならない。治療では現実生活に則しつつ許される範囲で,

子どもは自分の行動の選択を責任もって行なうべきである」このようにア

グスラインは述べている。

そこで制限に関するこの二つの役割を少し検討してみよう。

1. 治療を現実とつなぐための制限

もし制限設定が不十分であった場合,その治療はどのようなものとなる

だろう。シンガーによると,制限設定が不十分で一貫性のない場合,患者

の万能感を強化することになり,その結果患者は非現実感,空虚感,非存

在感,さらに恐怖感を体験するようになる。それはまた,患者に「治療者

に大きな負担をかけているかもしれなし、」とし、う不必要な罪悪感を生じさ

せることになりかねない(Singer 1970 ,邦訳170 171 頁〉。

もしたとえば,治療者が制限を加えず患者の要求をどこまでもかなえて

やるとしたら,患者にとって治療者は「要求を何でもかなえてくれる寛大

な人物」になる。そのためにむしろ,患者が治療者を傷つけることをおそ

れ,否定的な感情を表現することを妨げることにもなる。患者は制限を課

せられるということで,治療者が万能でないことを感じてむしろほっとす

ることもあるのである。患者にとって万能感の肥大は必然的に空虚感や非

現実感を伴う。それは患者にとって大変恐しいものとして体験される。な

ぜ、なら, 「もしどんなものにも限定が無いとしたら,自分もまた限定され

ない」 「自分のまわりのものすべてが現実でなし、から,自分もまた現実で、

ありえない」というような状態が生じうるからである(Singer 1970 )。

治療場面における制限設定は「治療者自身の現実を明確にし同時に,患者

の現実をも明確にする」とシンガーは述べている。

このようにシンガーは 1)患者に非現実的な万能感を体験さぜず, 2)治

療場面における現実的な枠を明確に示すための制限の意味を説いているも

のと思われる。

一丸 (1986 〕はシンガーの考えについてコメントする中で,合理的な制

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限設定をすることは基本的信頼感を育てる過程で大切な役割を果すと述べ

ている。一丸によると,合理的な制限設定は「境界の明瞭な,揺るぎない

現実」を示すことになる。現実が明瞭で、あるとき,患者は自分の破壊的な

街動や願望などによって現実が崩れることがないとL、う確信を得て安心す

る。もし制限を明確にせず患者を甘やかすと,患者の貧欲な依存欲求をひ

きおこすだけである,と一丸は述べる。

このことは遊戯療法の場面でとくに,子どもの感情表現にまつわる問題

で顕著である。アクスラインも,治療を現実とはなれたものにしないため

に常識的(common )な制限を加える必要を主張する。常識的な制限を一

貫して示すことは子どもに安定感を与える。感情を自由に表現する経験は

子どもにとって新しい体験である。それだけに,子どもにどこまで感情の

表現が許されるのか明らかにするだけの一貫した制限が必要になる。

以上の論点を整理すると,一貫した合理的な制限設定は

1) 患者に治療場面における現実を明確に示す

2) 患者が基本的信頼感を育てる過程に重要な役割を果たす

この二つの意味が一義的であると思われる。

2. 子どもの衝動・感情の象徴化のための制限

遊戯療法に通う子どもたちの中でも,粗暴行為を行動化しやすい子ども

の場合,制限をめぐるやりとりがそのまま治療契機となることが多い。治

療者の器や相性という問題もあるが,感情や衝動の自由な表出を促進する

あまり,治療者が受けそこなう面もでてくる。子どもたちも本当は攻撃的

な行動をコントロールされることを望んでいる。治療の場において必要な

ことは子どもの粗暴行為の発動を許すことではなく,その暴力の背後にあ

る感情や欲求を受容することである。

ジノット (1965 )は遊戯療法における制限の意味を 6 つにまとめている

が,その中で「制限によって,浄化(カタルシス〉は象徴的な水路へと向

けられる」ことをあげている。これは制限設定をすることが,象徴的手段

を通して感情,欲求,衝動の解放を促進することを示しでいる。子どもの

欲求の中には実現しではならない種類のものがあり,それが直接的行動に

うつされるときは制限を賦与せざるを得ない。しかしそのような欲求を玩

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具を介して遊びの中で間接的に表現されるときには許されるのである。欲

求や衝動などを間接的媒介物によって象徴的に解放することは,子どもに

そのような欲求,衝動が自他ともに害のないものであることを知らせる上

で役立つ。

アクスライン (1947 )もこのような点について以下のように述べている。

1)子どもの気もちゃ衝動がことばや遊びなどの象徴的手段によって表現さ

れるとき,子どもも治療者もそれを客観視し,受け容れることができるよ

うになる。のまた,子どもが人に受け容れられやすい形で衝動を表現する

ことは,すなわちその衝動を十分に表現することにつながる。それはカタ

ルシスをうながし,子どもの緊張をとり除く効果をもっ。そうして,子ど

もは余裕をもって自分自身の力を発見することが可能になる。

このように適切な制限設定は,街動,欲求の対象を変え,しかも害のな

い自他ともに受け容れることのできる形でもって解放しうるという役割を

もっ。すなわち象徴化への水路を切り開く側面をもっている。

以上の論点をまとめてみると遊戯療法における制限設定は以下のような

効果をあげるものと考えられる。

I〕 制限は子どもが自分の行動や体験の責任を回避してしまうことを

止め,直面化させる。

2) 一貫した制限は子どもに治療場面における現実を示し,安定感を

与える。このことは基本的信頼感を築くための基礎となる。

3) 制限を加えることで子どもの問題がむしろ明確化してくる。その

上で,感情理解,受容が深まりうる。

4) 制限は直接行動によって表現されていた子どもの情動,衝動,欲

望をことばや遊びなどの象徴的手段によって表現する道を与える。

それは,子ども自身が問題を客観視することを可能にする。

III 遊戯療法の一事例と制限をめぐる問題

遊戯療法における制限設定の意味を概括的に述べてきたわけであるが,

もちろん臨床理論は具体的実践場面において生きるのであり,しかもその

場面がきわめて浮動的・断面的な特徴をもち,治療者はそのるつぼの中で

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境界と制限について 91

直観的な対応をつねに迫られているというのが現状であろう。具体的経験

をつまないと臨床はわからないとはよくいわれる。しかし具体的場面を書

き著すとなると一時間のカウンセリングなり遊戯療法のセッションに生じ

たこと,感じられたことはいくらことばを費やしても全貌はあらわれない。

またそのセヅションを想起する段階でさらにさまざまな思いが重なりあう

のも必然である。以下に遊戯療法の断片的場面をいくつかとりあげ,本論

のテーマである制限をめぐるやりとりが治療契機にどのような変化をもた

らすか検討してみようと思う。一事例のしかも断片的エピソードを取りあ

げるわけで、あり,それを早急に一般化することをせずに,以上にのベてき

た理論的展望とゆるやかに連らなるような形で提示したい。

事例は森岡 (1987 )より許可を得て提出するものである。

治療環境は都市近郊で最近住宅も開発されつつあるが,田畑と町工場な

どが立ち並び,新旧やや混然とした町の,福祉センターに毎週一回その老

人ホームの機能訓練室を借りて,就学前の幼児療育セラピーが県の事業で

行なわれている。通所児童 5人に治療者が 4人という構成での集団遊戯療

法である。症児は来所当時2 才3 ヶ月,発達の全般的な遅れ,とくに言語

と対人関係面での遅れが顕著であるという問題から治療が要請されること

となった。

治療状況および治療者の感想等を表 1にまとめて提示する。

この治療場面で症児は多くの葛藤状況に対処する必要に迫られたようで

ある。治療経過を 4つの時期に分けてふりかえってみると, I期では症児

は時間中遊戯室から自由に退出できぬことを葛藤として体験しているし,l

H期以後,他児の存在をめぐ、って葛藤状況を如実に体験したと思われるぴ

とくにE期以後,他児と玩具の所有をめぐって争うことを葛藤状況として

顕在させている。 E期, N期でのそのような状況を各回ごとに抽出し,表

2,表 3 のようにまとめた。これをみると,症児が自発的な遊びを展開し

だし,そのために必要な玩具がその度に他児に奪われてしまうという状況

が現出している。そのような葛藤状況に出会うとき必ず,治療者との聞に

制限設定にまつわるかかわりが生じている。このことが症児のその状況へ

の対処の力を獲得する過程で大きな役割を果たしている。ごく大ざっぱに

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92 天理大学学報

表 1 本事例の治療経過

〔治療状況〕 〔備考(感想など)〕

I期 ICl. は Th. や p.r. に訓染みにくかった。

CI. は Th. の気をひいてみたり離れてみたり

して, Th. との距離を測っていた。

時間中 p 目 r. にいることががまんできず, す

ぐに p.r. から出たがった。

E 期 ICl. は p.r. の中で好きな玩具を集めだした。一→これは Cl. が p.r. 内での自分の所

CL はそれをスベリ台の上に置いた。 有・領域を明らかにしようとする試

Cl. はこの時, Th. に手伝わせた。 みかと思われた。

この時期, Q児に対する攻撃がさかんになっー→これは,①治療,状況が本児の兄弟

た。(Q児の攻撃をする時, CI. の表情が消え 葛藤を反映した

るのが特徴だった。〉

E期 ICI. は E期のオモチャ集めを展開した。 CI. は

集めた玩具を用いて,自発的な遊びを展開し

た。(""事,プ 7V-J レ〉

① Th. が Ci. だけの担当ではないこ

とに対する憤りの表現かと思われ

た。本事例では①の意味が強いと思

う。

Cl. のQ児に対する攻撃はひき続いた。 l→Cl. は治療状況と共に治療者にも腹

この時期 Cl. は持っている玩具をとられるこーl をたてたものと思われる。

とが多かった。この時 Th. が特に Cl. を守る i→Th. は Cl. が部屋から出るのを止め

ことがなかったので, Cl. は腹をたてた。 I p. r. 内で葛藤を解決する道をみつ

Cl. はこの様な時, p.r. から出たがった。 I ける方向に Cl. を向けた。

N 期 ICl. 同期の7"7v-1 レ,ママ事を発展させ W 期では, Th. と信頼感に基づいた

た。置期では玩具を集める時,小さな容器に 交わりを持つことができる誌になっ

ゆとりよく玩具をつめこんでいたのが, N期 た。それは少止の欲求不満状況で崩

には,気に入った物だけを入れる様になった。 れる物ではなくなった。

特に大切な物は治療終了時にティッジュで包

んで隠す様になったo l→Cl. はQ児の攻撃をする時それを言

Q児に対する攻撃はひき続いた。 ← l 葉で認めた。(時 37)

他児と玩具をめぐって争う時は,自ら玩具をー→Th. が Cl. の要求をすぐに解決しな

とりもどそうとした。 p.r. 内から出たがる くても, Th. に不信感を示さなくな

ことはなくなった。 った。

Cl. は Th. のヒザにすわることが増えた。

は以上のようなプロセスの読解が可能であろう。

次に,症児をめぐる葛藤状況とそれに対する治療者の対応のしかた,症

児の動き,そして制限設定のもつ治療的意味,このような点にしぼって検

討してみよう。

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境界と制限について 93

表 2 玩具の所有をめぐる葛藤状況と, Cl. の対処のしかた cm 期〕

I Cl. が葛藤状町肘…けと| 脚況における山対処の山なる出来事 |

れ1 I Cl. が鍋に入れた玩具を C に取られる。 ICl. は不安定な状態同る。惨口はTh. 以外

Cl. は,その玩具を Th. I'-対して取り|の治療者にかかわりを求めて近よる。炉 Th.

返すことを要求する。 Th. は玩具をと|に対してはQ児の方をさして“あっちいけ”

り返さず, Cl. に一緒にとりもどそう,!と指示する。砂Cl. はp r を出たがる。(これ

と促す。 |に対して, Th. は部屋から出さない) Cl. が

時23 I鍋の中に入れていた玩具をC に取られ

-11 る。 CJ. はすぐに自分で取り返す。

非23 I鍋の中に入れていた玩具を口にとられ

-21 る。 Th 目は Cl. にこの事を知らせる。

しかし, Cl. はC に玩具を取られてい

ることに気づいていないふりをしてい

る。

Q児を攻撃する。惨Cl. はQ児を攻撃する。

〔Th. は,これを止める〕

少し時間がたってから, Cl. はC の方を指さ lして Th. に取られたことを訴える。 Cl. はそ|

のことについて残念そうな表情をしている。 I

時25 I C が口の持っている玩具をとる。 Cl. I Cl. は腹を立て Th. から離れる。 Cl. は他の

はTh. にとりかえして欲しいと要求す|治療者に笑顔を作って近づく。

る。 Th. は Cl. の要求に応じず。 |

非26 [ Cl. は玩具の自動車の中に集めてきた|砂しばらくして Cl. が遊戯室のドアをあけて

-11 小きい玩具をしまった。 Cl. が目を離 Ip.r. の外に出ょうとする。(Th. はCl. にp. r.

しているスキ l亡A が自動車だけ持って|の外に出られないことを告げて部屋の中につ

いったo Cl. が戻ってきた時には Cl. Iれ戻す)惨Cl. は p.r. の中で器具を揺らして

が入れていた物だけが散らばってい|暴れる。 Th. が近づくと逃げる。しかし,こ

た。 Cl. は初めは何くわぬ表情をして|れはいつの間にか追いかけっこ,イナイイナ

他の遊びをつづけていた。 (事態に対|イパ]にかわる。そのうち, Cl. の気持は静

してはTh. も気づかないほどだった〉 |まった様にみえた。

持26 I Cl. が自動車をスベリ台の頂上に置く。|砂Cl. は泣き顔になり,「イヤ,イャ」といい

21 この自動車をB が Cl. の目の前でとり|つつ部屋から出ょうとする。(Th. は<P 君,

あげる。 Cl. は Th. f亡‘とりもどして|との部屋いやか>と言って Cl. を部屋から出

くれと’要求する。しかし, Th. は自ら|さず。砂Cl. はいらだちを遊具にぶつける。

手を出して取らず, CI. に玩具をとり ICl. は Jangle gym を倒し,その日 IC 作り

にいくことを促す。 |あげた7°7V 」ノレを蹴って破壊する。砂Cl.

は Th. のスキをみて部屋から逃げようとす

る。 Th. が出さないことがわかると, Th. か

ら逃げる。惨Cl. は鉄棒のヰジをはずしだす。

ネジはかたく, Cl. の力でははずすことが出

来ないので, Cl. は不気嫌な表情で Th. l亡手

伝うことを要求する。 Cl. は手に入れたネジ

を持って部屋中歩き回る。

Cl. はB のスキをみてとられた辛を取り戻す。

Th 目にその車を見せにくる。砂このあと Cl.

は7°7 :/コ, トランポリンのネジを手に入れ

ようとする。

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94 天理大学学報

持28 I C がCl. が手にしている玩具をとりに

1 Iくる。 Cl. はC にとられない様にまも

る0

昨28 I C がCl. の手にしている玩具をとりに ICl. はベ Y をかき, p.r. から出ていこうとす

-2 Iくる。 Cl. はC にそれを取られてしま|る。〔Th. が口を部屋から出きない。) Cl. は

う。 「イャ」と言い, Th. から逃げる。砂Th. は

Cl. に近づく。その回の最初に Th. はソフト

クリ」ムを預っていた。 Th. はそれを Cl. に

手渡す。 Cl. はしばらくソフトクリームをみ

ている。そのうちに Cl. は気持ちを静める。

惨このあと Cl. はTh 目とトランポリンをはさ

んでイナイイナイパ」をする。

1. 葛藤状況における治療者,症児の対応

症児が葛藤状況におかれているときは治療者もその状況の中で動揺して

いる。その上でしかも治療場面で次のような対応が生じてくる。たとえば,

症児が使用している玩具を他児にとられたとき,治療者は症児の所有を積極

的に守るということもなく,また症児が「とり戻してほしい」と要求しても,

症児が自ら動かない限り他児とかかわって玩具を取りもどすことはしなかった。

症児はこのような治療者の処置に不満を感じ遊戯室から出たがった。このとき

治療者は症鬼とドアの聞にすわり,症児が遊戯室から出ることを止めた。

一方症児はそのような場面に対してどのように動くだろうか

<Ill 期>他児に玩具をとられた治療者がそれを守らなかったとき,症児は次の

ような動きをした。

1)症児は遊戯室から出たがった(時 21, 幹部 l, 幹部 2, 時28-2 〕症児が

遊戯室から出ることを治療者が制限すると

2)症児は遊戯室内で大暴れする( 静21, 辞26-1, 持26 ー 2, 持28-2)

2)他の治療者にかかわり,注意をひこうとする(辞 21 ,辞 25)

4〕他児に暴力をふるう( 持21)

5)遊戯室内の玩具や遊具を解体する( 持26-1, 辞26-2, #28 ー 1)

この皿期では症児は玩具を奪われたことや,奪われた玩具がすぐにもど

らないことに反応しているようにうかがえる。症児が自発的に展開してい

た遊びがはばまれるとし、う不愉快な状況が起こりうる場である遊戯室と,

その状況から症児を守らない治療者に対して症児は怒りを抱き,その場面

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境界と制限について

表 3 玩具の所有をめぐる葛藤状況と Cl. の対処のしかた(N 期〉

〔Cl. の所有している玩具を他児にとられる|〔状況に対する Cl. の対処のしかた〕

状況〕

持31 I C が Cl. の持っているソアトタリ」ムを取 ICl. は少し暴れて p.r. 内の器具を揺ら

-1 I りにくる。 Th. はCl. に知らせるが, Cl. は|す。そのあとはじめしていた遊びに戻っ

守ることもなく取られてしまう。 |てくる。惨Cl. はスキを見て, Y ブトク

リ」ムを取り戻す。

持32 I Cl. は信号で遊んでいる。口が信号を横に ICl. は悲しそうな表情をして C の方を指

95

1 I置いたスキにC が信号を取ってしまう。 |さす。

Cl. は受身的11: 取られるにまかせている。

辞34 I Cl. がv 〕 ノレで遊んでいる所にC がやって

-11 くる。 Cl. は,自分の遊んでいるレ」/レに

C が入ってこない様にまもる。

〔他児の所有している玩具をCl. が欲しがる|[状況に対するCl. の対処のしかた〕

時〕

れ0 I C のもっている信号をほしがり指で示す。|あとでC がそれを手離したスキに手に入

Th. が<とりにいこうか>と促しても聞い lれる。 「ァヵ,ァォ」と信号の色の名を

。る、

0

・uる

でい

んで

ルリ」

7

V

7

プ、.ミL

CtinA

れ一

言っている。

Cl. はC の作った v 〕 ノレに割り込み電車

をとる。また,‘駅’を持ってきて, C の

レ』,レにつけ足す。

時32 I B の遊んでいる車をほしがる。 B の近くに ICl. はB の関心が他に移ったスキに車を

-21 いき,みている。 |取る。

持33 I A の持っている Carry Car を欲しがる。 ICl. はA に向かっていき, Th. と力をあ

1 I 「プ」プ欲しい」とTh. に訴える。 Th. が|わせて車を手に入れる。 Cl. は手に入れ

くとりにいこうか>と促す。 |た車を見て「プープイッパイ」とその様

子を伝える。

#33 IC が信号を持っている。 Cl. はC に近づく

-21 が信号は手に入らないと思ってあきらめ

る。

非33 IC が鉄板焼をしている。 Cl. はC に近っき, IC がいなくなったスキに鉄板焼であそ

-31 しばらくみている。 |ぶ。

li34 I C が手にしている信号を欲しがり, C に近 ICl. はC に無視されて p.r. 内であばれ

-21 づく。 |る。

持35 I A の手にしている Carry Car をほしがる ICl. はしつこく A を追いかけて車を手に

Cl. はA に「クノレ7 チョウダイ」と言っ|入れる。

て近づく。 Th. もくとりにいってみよう

か>とCl. を促す。

持36 I A の手札ている車をほしがる。 I Cl. はA を追いかけて手l乙入れる。

-11

持36 I A の手にしている Carry Car を欲しが ICl. は, A をしつこく追いかけて車を手

-21 る。 「ほしい,ほしい」と Cl. は少しA か|に入れる。

ら離れて言う。くいっしょにとりにいこう

か>と Th. は促す。

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96 天理大学学報

を否定しようとすらしている。

しかしその中で幹部には,玩具を他児に奪われたことに対して悲しそうな表

情をして治療者に訴えた。症児は悲しみを表情に出して表現することが少ない

子どもだっただけに, 幹23 の症児の表現はたいへん貴重なものに思われた。

以上のように治療者は報告している。また,その菖藤状況に対して退室

欲求や暴力など直接行動に訴えない形で対処する動きも萌芽的にあらわれ

ている。たとえば,

1)葛藤状況において慰めをうるような別の遊びをはじめ出す(幹部-1, 辞28

-2)

2)他児の関心が移ったスキにとられた玩具をとり戻す(辞 26 2)

N 期ではこのような動きが中心となってくる。たとえば「玩具をとられ

ても,その取った子どものスキをみて取りもどす」 ( # 31 )ことがありさ

らに,他児の使用している玩具を逆に手に入れようと,相手をよくみて自

分の出方を判断しているようなところがみられる。したがって,症児はこ

の時期,葛藤状況にぶつかっても退室要求を出したり,治療者から逃げる

ということがなくなってくる。症児は自分の思い通りにならないという不

愉快で制約の多い状況に出会っても,遊戯室内に居ることができるように

なったとみてよい。このことと関連して, N 期では「症児がプラレール遊

びやままごと遊びを展開するとき,治療者のヒザの上にすわることが多く

なった」と治療者は述べている。この一連の動きは多様な解釈が可能であ

ろうが,何よりもまず症児は治療者を安定した基盤として体験されるよう

になったこと,治療者を中心として一貫した「育みのスペース」が現出し

たことはおさえておかねばならなし、。象徴言語活動の獲得はここを出発点

とするのである。

2. 象徴活動への水路を聞く治療場面での信頼感形成

それでは以上のような「育みのスペースJはいかにして形成されたであ

ろうか。制限設定をめぐる問題を中心に少し検討してみたい。

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1) 遊戯療法の枠の内在化

治療場面で終了時における治療者 子どものやりとりの中に子どもの治

療場面に対する態度が典型的にあらわれるということは,日常臨床におい

てよく語られることである。この事例でも治療の枠が内在化される過程は

セッション終了時のやりとりに如実にみられる。たとえば,

症児は終了時に使用していた玩具をもって帰ろうとする(#17, 18, 19, 20,

22, 24, 28 )。 このとき治療者は玩具を外にもっていくことを禁止した。#29

以後(IV 期以後〉は玩具をもって帰ることを要求することはなくなった。この

間#22, #24 における症児の態度が特徴的で、あった。症児は玩具を外にもって

いこうとしているのを治療者にわざわざ見せにきてから遊戯室を出ょうとした。

このときの症児の行動は治療者が制限を加えることを期待するかのよう

にもうかがえた,と治療者は述べている。すなわち制限のやりとりそれ自

体を「遊びJとする動きがあらわれたので、ある。

終了時に症児は遊具の片付けをすることがみられた(:j:f 18, 19, :¥:f 31 以後毎

回〉。片付けという行動は症児が治療場面に対して区切りをつけようとしてい

るかの如くである。さらに#30 以後,終了時には「おわり」ということばが出

るようになった。#37 のように他児への攻撃が激しいときでも,時間終了とと

もに「おわり」といって攻撃をやめる。

このようにして症児は治療セッション中に退室はできない,時聞が終了

すると遊具を置き遊戯室から出なくてはならないといったルールを身につ

けた。このことにより症児は治療場面という一つの現実を理解し,症児が

その場面での枠にぶつかりつつ,衝動的で気ままな行動を自らコ γ トロー

ルしていく方向が身についたといえる。

2) 遊戯室での自発的な遊びの展開および遊びの領域の形成

この症児の主な遊びのテーマはE期ではすべり台の上に玩具を集めるこ

と, E期以後のプラレール遊びやままごと遊びなどである。これらの遊び

は症児が遊戯室内での領域を確保L ,自由に動けるその場所をつくる過程

と重なっている。症児は治療者の見守る中で遊びを展開し,ときには治療

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98 天理大学学報

者の手を借りて,安定した遊びの領域(体験の中間領域〉を形成した。そ

こで治療者に対する基本的信頼感が育まれる。症児が葛藤状況に対処しう

るようになる過程の背後に,このような自発的な遊び体験のつみ重ねがあ

ったことは当然である。

3) 高藤状況の体験の中で見出された慰めをうるもの(Soother)

先に症児の退室要求への制限に対して「慰めをうるような別の遊び」を

はじめ出したことを指摘した。これはまさにホ一トン(Horton 1981 )の

いう soother (慰めをうるよりどころ〉,あるいはウィニコ γ トの移行現

象に類するものとも考えられる。これについてふりかえってみよう。

たとえば次のような特徴的なことである。

く#26-1 >症児が遊戯室内でいやなことを体験して部屋から出ょうとした。

治療者は症児を部屋から出さなかったので,症児は怒って大暴れをした。治療

者が近づくと症児は逃げた。しかし症児が治療者から逃げるという行為はいつ

の聞にか, a追いかけっこ’や eイナイナイバー’のような遊びへ変化してい

Tこ。

このエピソードは症児が治療者を嫌がって逃げている聞に,治療者から

離れたいのか近づきたいのかわからなくなった例かと思われる。治療者一

症児との聞で遊びを介して交わるという状況が生じた。治療者の否定的な

像は遊びの中に消えていったともいえる。

<#26-2 >症児は他児に遊びを邪魔されたため退室しようとしたが,治療者

にとめられ暴れ出した。症児は大暴れして遊具を倒す中で鉄捧を分解しそのネ

ジを手に入れようとした。症児はネジをもって遊戯室内を歩きまわり,他児の

スキをみて取られた玩具を取りもどした。この後症児は部屋のいろいろな遊具

のネジを手に入れようとした。

症児は#24 からネジを手に入れて遊戯窒内を歩きまわっていた(これは

あたかも部屋の中の遊具の一部を自分のものとして取り入れようとしてい

るかのようである)が,この回ではネジをもつことで慰めをうるという動

きが顕著である。ネジは嫌なことを体験した遊戯室の一部で‘あり,しかも

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境界と制限について 99

症児が自分を慰めるためのよりどころともなっている。

く#28 2>症児は他児に玩具をとられ退室要求を出した。治療者はこれに制

限を加えたので,症児は治療者を嫌い逃げた。治療者は症児に近づき,その日

のはじめにしたままごと遊びの中で症児からあずかっていた玩具を症児にわた

した。症児はそれをしばらくながめて,気もちを静めた。

以上のような断片は,治療場面を症児が不愉快なものとして体験してい

るときに,治療場面の中に慰めをうるものを見出しそれをよりどころとし

た例といえる。また「遊ぶこと」の中で不愉快な状況を解消させていった

ようすもうかがえる。これは単に症児が治療場面では,自由に遊ぶことが

できて快い体験ができる側面と,不愉快な状況がおこりうるという側面の

両面を知ったことを示すにとどまらない。症児は「遊ぶこと」によって交

わる中で,快い一快くないの分別をこえた交わりを体験できるようになっ

たものと思われる。

ま と め

日常の臨床では,治療者が子どもの不安から目をそむけ,そのような場

面に子どもが遭遇しないようにしむけてしまうことがよくみられる。たし

かに子どもの病態水準の軽重に応じて子どもを不安体験から全面的に守る

ことが必要になることもあるので柔軟な判断が求められる。しかし,子ど

もが不安や葛藤を体験することからただ守るとし、う態度のみでは,子ども

が治療室内で生じたでき事に直面する道を閉ざしてしまうこともありうる。

アレンは,治療者は患者の要求を何もかもかなえる存在ではないとする。

適切な制限を加えることは治療者が患者の依存対象ではないことを示す。

ここでとりあげ子こ症例の断片的なシーンをふりかえってみると,治療の中

で行動を選択する責任の中心は患者,症児にあり,治療者はそれを援助す

る場所にいる,このような心理療法独自の関係が徐々に浮上してきている

のがうかがわれる。

ここで心理療法における制限には二つの側面があることがわかった。

ひとつは,治療場面の前提となるような,現実的制約を提示するための

制限である。

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100 天理大学学報

もうひとつは,子どもの成長力を信じ,子どもが自分の行動を選択する

のを援助するという治療目標を明確にする中で生じる制限である。

こうしてみると遊戯療法において適切な制限を加えることは,単に子ど

もの直接街動をあらわすような行動を止めるだけではないことが示唆され

る。制限は子どもの動きを止めるどころか,子どもの成長力を明確にとら

え,子どもの感情を明確にし,子ども自身が自分の成長に関与する機会を

与える上で重要な治療契機を作り出すのではないかと思われる。アクスラ

インが「治療者は治療が現実の世界に根をおろし,子どもにその関係にお

ける自分の責任に気づかぜるのに必要なだけの制限を設けること」を主張

したことはたいへん意義深いことかと思われるのである。

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