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39 Ⅰ.はじめに 「創造性」とは,人を魅了する言葉である。そして時として,魅惑的な言 葉になるのでもあろう。 創造性の研究:つくられた天才神話 かつて『創造性の研究:つくられた天才神話』 (1) という本を翻訳出版した ことがある。心理学の,専門書というよりは一般向けの本であった。誰かに 頼まれたわけではない書評が,読者から訳者に直に届くことがあるのだと, この時はじめて知った。もちろん,創造性が魅惑的な言葉であることには, 気づいていたのだと思う。「訳者あとがき」には,次のように書いている。 創造的な仕事ができたならと,誰しもが少なくとも心の隅で願っているこ とだろう。また,どうしたら創造性を身につけることができるだろうかと, 自問したことのない人も少ないのではなかろうか。しかし,創造的な仕事を 成し遂げられたという喜びにひたった経験の持ち主がごく少数であることも また事実であろう。こうしたことは,実は決して今日のわれわれの社会だけ にみられる話ではないようだ。様々な分野において,こうした背景から創造 性をめぐる神話 .. が生みだされ生き続けてきた有様が,本書に詳しく描かれて ピアジェを読み直す:創造性をめぐって 大浜 幾久子

ピアジェを読み直す:創造性をめぐってrepo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/29912/rki025...ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 41

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    Ⅰ.はじめに

    「創造性」とは,人を魅了する言葉である。そして時として,魅惑的な言

    葉になるのでもあろう。

    創造性の研究:つくられた天才神話

    かつて『創造性の研究:つくられた天才神話』(1)という本を翻訳出版した

    ことがある。心理学の,専門書というよりは一般向けの本であった。誰かに

    頼まれたわけではない書評が,読者から訳者に直に届くことがあるのだと,

    この時はじめて知った。もちろん,創造性が魅惑的な言葉であることには,

    気づいていたのだと思う。「訳者あとがき」には,次のように書いている。

    創造的な仕事ができたならと,誰しもが少なくとも心の隅で願っているこ

    とだろう。また,どうしたら創造性を身につけることができるだろうかと,

    自問したことのない人も少ないのではなかろうか。しかし,創造的な仕事を

    成し遂げられたという喜びにひたった経験の持ち主がごく少数であることも

    また事実であろう。こうしたことは,実は決して今日のわれわれの社会だけ

    にみられる話ではないようだ。様々な分野において,こうした背景から創造

    性をめぐる神話..

    が生みだされ生き続けてきた有様が,本書に詳しく描かれて

    ピアジェを読み直す:創造性をめぐって

    大浜 幾久子

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

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    いる。

    本書の著者ワイスバーグは,それら創造性神話..

    が神話..

    であることを,実験

    を中心とした心理学研究から得られた知見をたんねんに紹介することによっ

    て示そうとしている。本書は,そうした意味では,現代心理学への格好の入

    門書となっているといえるかもしれない。また,創造性神話を生みだしてき

    た人間の心理はどうなっているのだろうと考えながら,本書を読むことも可

    能だろう。けれども,どうしたら創造性を身につけることができるだろうか

    という問に対する答を期待した読者にとって,本書はひょっとするとその期

    待を裏切るようにみえるかもしれない。ワイスバーグは,新しい神話をここ

    で作りだそうとはしていないのである(2)。

    そして,上記に続けて,この訳者あとがきでは,「ピアジェと創造性」と

    いう本稿のテーマに関して,次のように触れている。

    それでは,創造性についての新しい理論..

    は作りだせないのだろうか。ワイ

    スバーグは,最終章の結末のところでピアジェの理論に言及している。また,

    第6章の討論の基礎となったグルーバーの著書『ダーウィンの人間論』に,

    ピアジェが序文を寄せていることを記している。訳者としては,グルーバー

    がピアジェ理論の後継者のひとりとして,その後,ジュネーブ大学心理教育

    科学部の教授として発生的心理学の講義を担当し,創造性の研究を展開して

    いることをここに付記しておくことにしよう(3)。

    『創造性の研究』の刊行は,ワイスバーグの原著が1986年,訳書が1991年

    2月であり,訳者あとがきを執筆したのは,1990年12月のことであった。

    新しい教育基本法の成立:創造性と態度

    今回,創造性をめぐってピアジェを読み直してみたいと思ったのは,何よ

    りも,新しい「教育基本法」が,私たちの意に反し,2006年(平成18年)

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 41

    12月15日に参議院で可決・成立,同12月22日に公布・施行されたことによ

    る。そして,その中に「創造性」という語が用いられているからである。

    2006年3月刊の『駒澤大学教育学研究論集 第22号』所収の拙論「ピアジ

    ェと教育:平和への文化のために」において,私は,教育基本法について次

    のように記していた。

    2005年末,東京では,改憲論,そして教育基本法を改めようとする議論

    が進んでいる。

    その議論の中心が,憲法第9条(「戦争の放棄」「戦力の不保持,交戦権の

    否認」)にあることはいうまでもなかろう。また,教育基本法においても,

    とりわけ第9条(「宗教教育」)が様々な議論の対象となっている。けれども,

    憲法も教育基本法も,各々の条文を全体から独立させて,改めるか否かの議

    論をすべきものではないだろう。

    1947年3月31日に公布・施行された「教育基本法」には,普通の法律には

    異例である「前文」が附してある。次のとおりである。

    「われらは,さきに,日本国憲法を確定し,民主的で文化的な国家を建設

    して,世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想

    の実現は,根本において教育の力にまつべきものである。

    われらは,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を期す

    るとともに,普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普

    及徹底しなければならない。ここに,日本国憲法の精神に則り,教育の目的

    を明示して,新しい日本の教育の基本を確立するため,この法律を制定す

    る。」

    この教育基本法の前文と,憲法の前文,さらに第9条をあわせて読み直す

    とき,終戦からまもない日本で,「平和の文化」の創造が世界に先がけて決

    意されていたことがわかる。そして,「平和の文化」の創造は根本において

    教育の力によるのだという教育思想が明示されているのである。

    ここには,ジュネーヴの新教育の思想が少なからず流れているように感じ

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

    42

    られる(4)。

    2006年(平成18年)12月22日に公布・施行された新しい教育基本法にも

    「前文」が附されている。次のとおりである。

    「我々日本国民は,たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国

    家を更に発展させるとともに,世界の平和と人類の福祉の向上に貢献するこ

    とを願うものである。

    我々は,この理想を実現するため,個人の尊厳を重んじ,真理と正義を希

    求し,公共の精神を尊び,豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期す

    るとともに,伝統を継承し,新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

    ここに,我々は,日本国憲法の精神にのっとり,我が国の未来を切り拓く

    教育の基本を確立し,その振興を図るため,この法律を制定する。」

    新しい教育基本法では,前文において,「創造性」という語が,上のよう

    に用いられているのみならず,第2条(教育の目標)においても,次のよう

    に第2号に用いられている。

    「第2条 教育は,その目的を実現するため,学問の自由を尊重しつつ,

    次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

    1 幅広い知識と教養を身に付け,真理を求める態度を養い,豊かな情操

    と道徳心を培うとともに,健やかな身体を養うこと。

    2 個人の価値を尊重して,その能力を伸ばし,創造性を培い,自主及び

    自律の精神を養うとともに,職業及び生活との関連を重視し,勤労を重

    んずる態度を養うこと。

    3 正義と責任,男女の平等,自他の敬愛と協力を重んずるとともに,公

    共の精神に基づき,主体的に社会の形成に参画し,その発展に寄与する

    態度を養うこと。

    4 生命を尊び,自然を大切にし,環境の保全に寄与する態度を養うこと。

    5 伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する

    とともに,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 43

    こと。」

    新教育基本法成立の経緯:国際競争と創造性

    ここで,新しい教育基本法成立にいたる経緯をみてみると(5),まず,その

    発端となった2000年(平成12年)3月24日付け内閣総理大臣決裁の文書

    「教育改革国民会議の開催について」において,創造性という言葉が,キー

    ワードとして,あるいはひょっとするとキャッチフレーズとして,使われて

    いたことがわかる。この文書の冒頭「1.趣旨」は,次の一文であった。

    「21世紀の日本を担う創造性の高い人材の育成を目指し,教育の基本に遡

    って幅広く今後の教育のあり方について検討するため,内閣総理大臣が有識

    者の参集を求め,教育改革国民会議(以下「国民会議」という。)を開催す

    ることとする。」

    さらに,2003年(平成15年)3月20日付け中央教育審議会の答申「新し

    い時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」を読

    むと,創造性という言葉が教育改革のキャッチフレーズとなりえた背景にあ

    る思想が,より鮮明にみえてこよう。

    たとえば,第1章「教育の課題と今後の教育の基本的方向について」の

    「2 21世紀の教育が目指すもの」の中には,「『知』の世紀をリードする創

    造性に富んだ人間の育成」が,教育の目標とされる5項目の3番目にあげら

    れている。次のとおりである。

    「これからの『知』の世紀においては,情報通信技術の進展等による教育

    環境の大きな変化も十分に生かしつつ,基礎・基本を習得し,それを基に探

    究心,発想力や創造力,課題解決能力等を伸ばし,新たな『知』の創造と活

    用を通じて我が国社会や人類の将来の発展に貢献する人材を育成することが

    必要である。特に大学・大学院の教育研究機能を飛躍的に高め,国際競争力

    を強化し,未来への扉を開く鍵となる独創的な学術研究や科学技術の担い手

    となる人材を様々な分野で豊富に育てていく必要がある。同時に,急速に進

    展する科学技術をめぐる倫理的な課題を理解し,的確に判断する力を国民一

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

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    人一人が身に付けることも求められる。」

    また,第2章「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」に

    おいては,「1 教育基本法改正の必要性と改正の視点」の中で,「②『知』

    の世紀をリードする大学改革の推進」が次のように提唱される。

    「これからの国境を越えた大競争の時代に,我が国が世界に伍して競争力

    を発揮するとともに,人類全体の発展に寄与していくためには,『知』の世

    紀をリードする創造性に富み,実践的能力を備えた多様な人材の育成が不可

    欠である。そのために大学・大学院は教育研究の充実を通じて重要な役割を

    担うことが期待されており,その視点を明確にする。」

    さらに,「2 具体的な改正の方向」の中で,新たに規定する理念のひと

    つとして「個人の自己実現と個性・能力,創造性の涵養」があげられ,次の

    ように提示されている。

    「教育においては,国民一人一人が自らの生き方,在り方について考え,

    向上心を持ち,個性に応じて自己の能力を最大限に伸ばしていくことが重要

    であり,このような一人一人の自己実現を図ることが,人格の完成を目指す

    こととなる。

    また,大競争の時代を迎え,科学技術の進歩を世界の発展と課題解決に活

    かすことが期待される中で,未知なることに果敢に取り組み,新しいものを

    生み出していく創造性の涵養が重要である。」

    以上のようにみてくると,新しい教育基本法における「創造性」とは,

    「新しいものを生み出そうとする意欲や志向」ととらえられていると考えら

    れよう。すなわち「創造性」は知ではなく,感情,情意に関わる語として用

    いられているといえるだろう。また,このことは,上にみたように,教育基

    本法の第2条(教育の目標)において,「~~する態度を養う」という表現

    が繰り返されていることにつながる問題とも考えられよう。

    「創造性」が個人の感情,情意であるとされるときに,とりわけ,魅惑的

    な言葉になるのではなかろうか。ワイスバーグがいう創造性神話の多くは,

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 45

    そうして生みだされてきたのでもあろう。

    Ⅱ.ピアジェと創造性

    「創造性 (creativity)」は,新しい用語である。フランス語においては,

    「創造性 (créativité)」の初出はムニエの著作(1946年)であり,J. M. モレ

    ノの1934年の英語論文における creativity と同義として用いられたとされる

    (6)。ちなみに,ソシオメトリーやサイコドラマの創始者として著名なモレノ

    (1889-1974)は,ピアジェ(1896-1980)とは,7歳だけ年長の同時代人

    だった。

    ベルクソンの『創造的進化』

    後年になって,ピアジェも,フランス語の「創造性 (créativité)」を用い

    るようになるのだが,「ピアジェ」と「創造性」という2語から,私がまず

    連 想 す る の は , ベ ル ク ソ ン (1859 - 1941) の 『 創 造 的 進 化 』

    (Bergson,1907)(7)である。

    「創造性 (créativité)」が新しい用語であるのに対し,「創造する

    (créer)」というフランス語は,12世紀にすでに用いられている。ラテン語

    の creare が語源である。そして,いうまでもなく,旧約聖書の第1巻『創

    世記』に,その原義を求めることができる。

    「初めに,神は天地を創造された。(…)神は言われた。『我々にかたどり,

    我々に似せて,人を造ろう。そして海の魚,空の鳥,家畜,地の獣,地を這

    うものすべてを支配させよう。』神は御自分にかたどって人を創造された。

    神にかたどって創造された。男と女に創造された。(第1章,第1節;第

    26・27節)(8)」

    キリスト教において,神は創造主である。天地,万物,そして人も,被造

    物である。したがって,キリスト教文化の中で「創造」という語は,魅惑的

    な言葉であることを超え,宗教と科学の対立を招き,タブーにもなりかねな

    い。

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

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    ピアジェは,20世紀初頭,スイス・ロマンド(フランス語圏スイス)の

    プロテスタンティズムの町,ヌーシャテルで青年期を過ごした。「信心深い

    母親によりプロテスタンティズムの中に育てられながら,無信仰の父親の息

    子であった」ピアジェは,天地創造の教義と進化論の対立という,「宗教と

    科学との葛藤を,かなりはげしく感じていた」(9)が,その危機を,ベルクソ

    ンを読むことによって乗り越えていったと考えられるのである。

    ピアジェの『自伝』(Piaget, 1952)においては,次のように回想されてい

    る。1912年,15歳のピアジェは,軟体動物の分類学の早熟な専門家であっ

    た。

    「わたしの代父はかくれた目的をもっていた。というのは,彼はわたしが

    あんまり専門にはまりこみすぎていると感じ,哲学を教えてみようとおもっ

    たのだ。軟体動物の蒐集のあいまをつかって,彼はベルグソンの『創造的進

    化』の話をしてくれた(ただ,彼がその本を記念品として送ってくれたのは,

    後になってからのことである)。じつをいうと,神学者以外の人から哲学の

    はなしをきいたのは,わたしにははじめての経験だった。当然そのショック

    は深かった。いうまでのないことだ。

    まず,第一に,このショックは情動的なものであった。わたしはいまでも

    その深い啓示のあった夕方のことを思い出す。神と生命とは同一だ,という

    考えはわたしの全身全霊をゆさぶり,わたしはほとんど法悦を感じるほどで

    あった。なぜかというと,この考えにもとづけば,わたしは生物学のうちに,

    万物およびとくに「精神」自体の説明をさがすことが可能になるはずだ。

    第二に,この衝撃は知的なショックでもあった。認識の問題(はっきりい

    うと認識論)が,突然,まったく新しい展望の下にあらわれてきた。これほ

    ど魅力のあることはないようにおもわれた。このことから,わたしは認識の

    生物学的説明をすることに,一生をささげようという決意をすることになっ

    たのだ。

    それから数ヵ月たって,わたしはベルグソンを読んだ(わたしのこのみと

    して,あるテーマについて読むまえに,まず問題をよく考えることがすきな

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 47

    のだ)。これはわたしの決心をつよめてもくれたが,また反面,いくらか失

    望もした。というのは,そこにあるのは,科学の究極の言葉でなく――代父

    の話しぶりはいかにもそのような希望をもたせるものだった――たいへんじ

    ょうずに構成されてあるが,しかし実験的基礎を欠いた議論であるような印

    象であったからだ。

    『生物学と認識分析との中間になにかが必要だ。そのなにかは哲学ではな

    い』。まさにこのとき,わたしは自分の真の欲求を見出したと思う。心理学

    によってのみ満足させることのできる欲求を。」(10)

    この『自伝』が執筆されたのは1950年,『発生的認識論序説』全3巻が刊

    行された年であった。ピアジェは,「発生的認識論」という新しい科学認識

    論(エピステモロジー)を遂に“創造”したのである(11)。

    けれども,今日,ピアジェの『発生的認識論序説』を読んだ後に,ベルク

    ソンの『創造的進化』を読むと,あたかもピアジェを読んでいるような錯覚

    におちいる箇所がいたるところにある。このような錯覚は,おそらく,『キ

    リスト教評論』というフランスのプロテスタントの雑誌にピアジェが17歳

    のときに発表した論文「ベルクソンとサバティエ」(Piaget, 1914)(12)との対

    比で,理解することができるだろう。

    すなわち,「ベルクソンとサバティエ」においてピアジェが明らかにした

    かったのは,サバティエの『心理学および歴史に基礎をおいた宗教哲学』

    (Sabatier, 1897)(13)の中に,ベルクソンの『創造的進化』にみられる主要概

    念の萌芽(「胚」)が含まれていることであった。ピアジェはまず,ベルクソ

    ン哲学におけるキー概念のひとつである「持続」をとりあげ,持続は,心理

    的時間でもあることから,直観によって直接知ることのできる普遍的実在で

    あると説明する。そして,個人は新しい内容をその中に入れることによって

    古い教義を永続させるのだと神学者サバティエが観察しているのは,教義の

    歴史的変形がある種の内的進化の連続と結びついているという点から,ベル

    クソンの持続に近いものだとする。換言すると,心理的時間ないし内的持続

    と宗教的意識との関係は,外的持続と教義の歴史進化との関係に対応するこ

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

    48

    とになる。さらにピアジェは,ベルクソンが「エラン・ヴィタル(生の躍

    動)」に付与した特徴も,サバティエが,生を,その本質は観念的でその現

    れは実在的である力ととらえ,生物体の中に自らを実現すると考えたことに,

    認められるとする。さらに,「ベルクソンとサバティエ」においては,神学

    者サバティエがベルクソン化されるだけでなく,ベルクソンが神学化される。

    サバティエにとって,宗教的経験は個人的で心理的なものであり,普遍原則

    (それをサバティエは神とよんだ)に関係づけられており,また部分が全体

    に属するように宇宙に属しているという人類の感情に基づくものであった。

    こうした感情は,ピアジェにとって,ベルクソンのいう直観のひとつになる。

    したがって,宗教の本質は創造的進化との霊的交渉の経験であり,神を知る

    とは持続の直観をもつことである。

    ピアジェは,こうした考察を通して,ベルクソンの創造的進化の考え方を,

    生物学と宗教における実践と理論にとりいれようとしたのだった(14)。

    ベルクソンの『創造的進化』出版から100年経ち,またピアジェの『発生

    的認識論序説』執筆から60年の歳月を経た今日,「ピアジェとベルクソン」

    を読み直すとすれば,ピアジェがベルクソン化されると同時に,ベルクソン

    がピアジェ化されることは必然であろう。

    グルーバーの『ダーウィンの人間論』

    「ピアジェと創造性」を論じるにあたって,『創造的進化』の次にとりあげ

    たいのが,グルーバー(1922-2005)の『ダーウィンの人間論』(Gruber,

    1974)(15)である。グルーバー(仏語読み:グリュバー)については,『ピア

    ジェ晩年に語る』に収録されている自己紹介からみておこう。ジュネーヴの

    発生的認識論研究国際センターにおける,フランスの科学ジャーナリスト,

    ブランギエとの会話である。

    ジャン‐クロード・ブランギエ ハワード・グリュバー先生,まず自己紹介

    をお願いしたいのですが。

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 49

    ハワード・グリュバー 私は,ラットガース大学の教授です。フランス人は

    リュトジェルスと発音します。ニュージャージー州の大学で,ニューヨーク

    のすぐそばにあります。私はそこで心理学を教え,また研究をしています。

    ブランギエ 実験心理学の研究でしょうか。

    グリュバー ええ,実験的研究ですが,創造的思考の研究もしています。そ

    れは,科学史と,何人かの大学者,特にチャールズ・ダーウィンに基づくも

    のです。私は同様のことを,ジャン・ピアジェについても準備しています。

    ブランギエ 先生がピアジェに興味をおもちになったのは,この仕事のため

    なのでしょうか。

    グリュバー そうです。創造的思考を,もし時間が非常にかかり,また新し

    いことを構成するような発達ととらえるならば,それは子どもが自分の世界,

    自分の思考,自分の観念を構成していく過程と非常に似ていることになりま

    す。というのは,子どもは単に大人が子どもに言うことを学習するだけでな

    く,再発明するからです。また,これは一種の創造性でもあります。ですか

    ら,ピアジェは世界の心理学者の中で,創造性の理論を発展させるために最

    も仕事をした人です。

    ブランギエ また他方,ピアジェは,自分自身,創造的な人ですね。

    グリュバー もちろんそうです。

    ブランギエ 私の言いたいのは,先生にとって二重の意味で,興味深いのだ

    ろうということです。

    グリュバー まさしくその通りです。ですから,私はピアジェと対談し,ピ

    アジェ文庫で文献に目を通し,ピアジェの研究チームと話し,また私もある

    意味でその研究チームの一員でありたいと願っているのです。(16)

    グルーバー(グリュバー)は,「ピアジェは世界の心理学者の中で,創造

    性の理論を発展させるために最も仕事をした人です」という。その事実は,

    グルーバーの『ダーウィンの人間論』にピアジェが寄せた「序文」に,最も

    良く示されていると思う。

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

    50

    「これは,チャールズ・ダーウィンの思索についてのすぐれた研究であ

    り,発生的認識論のアプローチを大科学者の理論の発展に適用したとき産

    み出されるものについての,触発されるところの多い研究である。グルー

    バー教授は,部分的にはダーウィンの刊行された著作に基づいて,また特

    に,出版を意図しない私的なノートによって,忠実で詳細な歴史を再構成

    しているが,これは単に科学史のなかの一章にすぎない研究ではない。こ

    こには,その私的なノートも,バレット教授によって転写されている。し

    かし,またこの研究は,新しい非常に重要な事実に基づいて始められては

    いるが,単に思考の心理学の研究にとどまるものではない。その重要な事

    実とは,グルーバー教授がとりあげている,児童の知的構造の形成の研究

    においてしばしばわれわれを途方にくれさせる問題,すなわち,知的構造

    の形成される速度,また,それを遅らせたり速めたりする可能性といった

    問題である。こうした“科学史と思考の心理学という”二つの次元の上に,

    さらにそれを超えて,この研究は,明らかに認識論的な重要性を持ってい

    る。われわれはこの研究によって,新しい科学理論というものが,観察さ

    れた事実,あるいは観測可能な事実の,単なる‘読み取り’あるいは記述

    と,どれほど違ったものであるか教えられるのである。

    この認識論的見地から見ると,新しい理論の構築は,データの蓄積に還

    元されるものとははるかに異なり,解釈上のさまざまな観念の非常に複雑

    な構造化を要するものであることを,本書は伝えている。そうした観念は,

    事実に結びついたものであり,事実をある前後関係のなかに組み込むこと

    によって,事実をより豊かなものにするのである。しかし,これらのさま

    ざまな観念は相互依存的であり,また,観察可能な事がらの発見をさえ導

    いてきた以前からの観念とも関係している。このため,ある一点での改変

    は全体としての体系の修正をもたらす。しかも,この修正の過程は,その

    体系の一貫性だけでなく,同時に,経験と観察データに合う妥当性を維持

    するのである。この研究が詳述してみせるのは二重の弁証法である。ひと

    つは外的(主観×客観)な弁証法であり,もうひとつは内的(観念や仮説

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 51

    の関係)な弁証法である。しかもその分析は,ダーウィンの理論が比較的

    簡単であるという理由で,いっそう教えるところの多いものとなっている。

    私が最も興味深く思う成果は二つある。その第一は,ダーウィンが自分

    の思索のなかにすでに潜在していたさまざまな観念に気がつかざるを得な

    くなった時期であり,第二には,新しい観念の創造において,潜在的なも

    のが顕在化する,その神秘的な推移である。第二の点に関しては,われわ

    れは,子どもの知性の発達の研究から,ほとんどの構造が行動面において

    いかに無意識のうちに練りあげられてゆくかをよく知っている。これは,

    思索が,こうした構造を「観念」――意識的に概念化された形――に転化

    できないでいるうちに起こるのである。この過程は,心に表現し反省する

    さまざまな過程を通じ行われる。しかし,次のように信じられてきたかも

    しれない。この推移はただ思索と行動の関係にのみ関したことであり,思

    索それ自体のレベルでは,「潜在」(すなわち,無意識にではあるが,ある

    獲得された構造のなかですでに役割を演じている)図式から反省された説

    明への推移は,もっと急速に行われ得るものだ,と。ところが,この研究

    によって最も教えられるのはこの点なのであるが,ダーウィンのような偉

    大な創造者においてさえ,この推移が即座に成されるようなものとははる

    かにちがっていたことである。そして,この遅れが立証しているのは,物

    ごとを明確にすることによって,実際には既存の構造に含まれていた構造

    であるにせよ,部分的には新しい構造の建設がもたらされるということで

    ある。

    ここには,思索の発達の速度を説明するという大きな問題がある。それ

    自体,創造的な過程といえる精神的発達のはじまりと同様,天才の創造的

    活動においても思索の発達速度の問題に直面することを教えてくれるのは,

    グルーバー教授の偉大な功績である。ここにはきわめて複雑な現象が扱わ

    れている。実際そう思えるのであるが,ある同化の過程が損われることな

    しには,加速されたり,それほど遅らせられたりされないものだ,という

    ことが真実だとすれば,それは次の二つのことを示すことになるであろう。

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

    52

    まず第一に,すべての同化は建設的なものだということであり,第二に,

    なによりも,あらゆる認識的建設は,一連の動的な相互作用に基づいてお

    り,この相互作用においては,作用している要素は,積極的な「推進力」

    のみならず,克服されるべき抵抗力からも成っているというのである。最

    適の速さ(それはわかっていないけれども)があるとすれば,それは,右

    に指摘した認識論的考察を満足することであろう。体系や理論の全体とし

    ての一般的平衡を保つ必要から,微分と積分との難しいバランスが要求さ

    れ,こうした要求から,ある一定のリズムが生じてくるのである。

    一言でいえば,このすばらしい研究は非常に興味深いもので,われわれ

    は,これを歓迎するとともに,一般にあまりにも探究されていなかったこ

    の科学的創造性という領域への,独創的アプローチに感謝せねばならない。

    ジャン・ピアジェ」(17)

    Ⅲ.ピアジェの創造性

    「ピアジェの創造性」は,グルーバーにとってのみならず,私たちにとっ

    ても,二重の意味で,興味深い。

    ピアジェは,心理学者として,子どもを対象とした研究から認知発達の理

    論を構築し,子どもの創造性,あるいは,発達における創造性について明ら

    かにした。これが,「ピアジェの創造性」の第1の側面である。さらに,ピ

    アジェは,認識論学者(エピステモローグ)として,科学史をも対象とした

    独創的な方法論をもつ発生的認識論(科学的エピステモロジー)を構築した。

    これが,「ピアジェの創造性」の第2の側面である。

    ピアジェの発生的心理学における創造性

    フランス語において「創造性(créativité)」という心理学用語が使われる

    ようになったのが,1946年であることは,すでにみた。ピアジェがこの用

    語をどの時期から使うようになったのかは,特定できていないが,晩年のピ

    アジェは,かなり用いていただろうと思える。

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 53

    たとえば,プレイヤード版百科叢書の中の『心理学』(18)である。2,000ペ

    ージに近いこの本が出版に漕ぎつけたのは,ピアジェ没後7年目だった。ピ

    アジェは,監修者として,「前書き」や各部門や章などへの「序」の原稿を

    残していた。その中に「創造性(créativité)」が用いられている箇所がある。

    「成人の諸行動」の部に寄せられた諸論文への「序」(19)においてである。

    ピアジェは,成人の諸行動をひとつの発達段階としてとらえることを,仮

    に認めるとしても,それを「最終段階」と位置づけたり,いわんや「形式的

    思考の段階」とみなすことは,容認できないと述べる。感覚運動的な道具し

    かもたない乳児が,生後18か月間の「感覚運動知能の段階」に次々にみせ

    てくれる「創造性」が,その後,「前操作から具体的操作,さらに形式的操

    作の段階」へと,論理操作の構造を次々に再構成することを経て成人となり,

    「形式的思考の段階」という最終段階に辿りつくと,消えてしまうのだ,と

    考えるとすれば,それは,もはやそれ以前の「段階」とは異質としかいえな

    いからである。とりわけ,一方に,「創造性」をもはや失った成人がおり,

    他方に,科学や芸術において,あるいは科学技術や,倫理,守るべき社会的

    正義など,あらゆる分野において創造する成人がいるのだ,ということにな

    るのであれば,後者は発達的な観点から正統とはみなされなくなってしまう

    からである。

    なお,この6ページにわたる「序」の最後に,ピアジェは,チョムスキー

    の言語学理論が,スキナーの心理学理論への批判につながったことを,科学

    における創造のもたらす問題の大きさを示す例としてあげているが,「創造

    性(créativité)」という語が,今日ではフランス語においても,チョムスキ

    ーの用語としても定着していることを,記しておこう。

    晩年のピアジェは,感覚運動知能の段階に始まる創造について,次のよう

    に語ってもいる。

    ブランギエ 先生は,今「子どもに根源がすでにあるもの」とおっしゃいま

    したね。この根源というのは,どこに始まるのですか。何が最小限与えられ

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

    54

    ているのでしょうか。

    ピアジェ それは言語以前に始まります。人間の一生で最も創造的な時期は,

    出生から18か月間だと私は信じています。これは未曾有の……。

    ブランギエ 反射に始まるのですね……。

    ピアジェ そうです。そして,空間,因果性,物の永続性,等の構成があり

    ます。

    ブランギエ その時期に,人間はその後を通しての学習よりも多くのことを

    学習しているのですか。

    ピアジェ ええ,速さからいっても,生産性からいっても,この時期が最大

    の創造の時期であることを,常に見出してきました。私のいうのは認知的な

    創造ですが,注意すべきなのは,それが言語以前の活動によっていることで

    す。そして次いで,思考と表象のレベルで,それらすべてが,概念において,

    概念の面で,再構成,再構造化されることになります。

    ブランギエ こうした段階をすべて促進することができるのでしょうか。

    ピアジェ なんの得にもなりませんよ。

    ブランギエ どうしてでしょうか。

    ピアジェ それは,一人ひとりに自分のリズムがあるのですが,それを知る

    ことが困難だからです。最適のリズムはきちんとした研究対象になったこと

    が全くないのです。

    ブランギエ 速度のことですか。

    ピアジェ 速度,ええそうです。前に,仔ネコが物の永続性を人間の赤ん

    坊より早く発見することを話題にしましたね。赤ん坊が生後9か月ないし

    10か月になってようやくできることを,ネコは4か月でやってしまうので

    す。ただ,その後,ネコは止まってしまいます。とすれば,人間の赤ん坊の

    場合に時間がかかるのは意味がないのではないことになります。つまり,同

    化の数がより多く,またより深いのです。速く進みすぎることは,後の同化

    の可能性を貧しくしてしまうのです。

    ――沈黙。ピアジェは考え込んでいる。

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 55

    ピアジェ おそらく,共通のリズム,共通した最適のリズムがあるのでしょ

    うが,私には,何もわかっていません。一人ひとりに自分の速度があります。

    本を作る時,速く作りすぎるとすれば,良い本にはなりません。遅すぎても,

    また良い本にはなりません。執筆に最適のリズムがあるように,アイディア

    の創造にも最適なリズムがあります。(20)

    このように,晩年のピアジェは,随所で,乳児の「創造性」について語る

    のであるが,ピアジェが,乳児期の研究を,『子どもの知能の誕生』(Piaget,

    1936),『子どもの実在の構成』(Piaget, 1937),『子どもの象徴の形成』

    (Piaget, 1945)の3冊の本(21)にまとめあげるまでには,長女ジャクリーヌの

    誕生から20年の歳月を経ていた。そして,この3部作を丁寧にたどってみ

    ると,ピアジェが感覚運動知能の研究を通して,はじめて独自の心理学,す

    なわち発生的心理学を創造したといえることが明らかになる(22)。3冊目の

    『子どもの象徴の形成』には,副題「模倣・遊び・夢:心像と表象」がある。

    初めの2冊と同様,感覚運動知能期の6段階における模倣と遊びの発達に多

    くのページが割かれているが,本来の目的は,1歳半ないし2歳以降の,言

    語に代表される象徴機能(記号機能)の発達を明らかにすることだった。感

    覚運動知能が頂点に達する時期に,いかにして表象的思考が始まるかが考察

    されたのである。そして,この本には,幼児期あるいは児童期になったジャ

    クリーヌたち姉弟がたくさん登場しているのである。

    ピアジェの発生的認識論における創造性

    ピアジェの発生的心理学は,乳児期研究以降,さらに大きく発展したが,

    ピアジェ自身が,乳児期の心理学研究に再び戻ることはなかった。しかし,

    発生的認識論の理論構築の途上において,ピアジェは,感覚運動知能段階に

    おける「均衡化」の過程が,それ以降の均衡化の過程と同一であるか否かに

    ついての考察を展開することになった。「物の永続性」を例にしていえば,

    晩年のピアジェにとって最大の問題は,隠された物体を子どもが見出せるよ

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

    56

    うになるのはいつかではなく,物の永続性の概念の獲得を均衡化として説明

    できるか否かであった。『発生的認識論研究紀要(EEG)』第33巻として出

    版された『認知構造の均衡化:発達の中心的問題』(Piaget, 1975)(23)の中

    で,ピアジェは,均衡化の初歩的な形態をモデルで示し,後の段階における

    均衡化との間に基本的な差が認められなかったとしている。すなわち,たと

    えば,物の永続性の獲得も,認知構造の均衡化の理論で説明され得るのであ

    る。

    ピアジェの認知発達理論の革新性は,「生得か経験か」あるいは「発達か

    学習か」という対立を,「均衡化」理論によって乗り越え,「構築説」に立っ

    たことに求められよう。ピアジェは,発生的認識論研究国際センターにおけ

    る学際的研究を,1955年度に始め,1979年度まで続けた。最後の年度の研

    究テーマは,「理由(la raison)」(論拠)であった。ピアジェは,自らの均衡

    化理論に空隙があることを誰よりもよく知っていた。「理由」は,その前年

    度の「意味の論理学」に続き,その空隙のひとつを埋めるための研究テーマ

    であった。すなわち,均衡状態を,外延に依拠した記号論理学によって記述

    してきたが,それでは,意味上のつながりをもった含意関係で処理されてい

    く,自生的思考を記述するには不適切だという点である。

    「理由」の研究は,発生的認識論研究国際センターの例年のスケジュール

    通り,進められた。しかし,1980年初夏,恒例のシンポジウムの討論にピ

    アジェの姿はなかった。そして,同年9月,ピアジェは84歳の生涯をジュ

    ネーヴで閉じたのだった。その後,20年余の紆余曲折を経て,最後のセン

    ター長であったアンリケスが編著者となって,2004年,『理由の形成:認識

    発生の研究』が出版された(24)。300ページを超える大冊である。残されたピ

    アジェの草稿も,3篇,計7ページ分,巻末に収録されている。

    このように,「理由」(あるいは「諸理由」)が,ピアジェの発生的認識論

    研究のテーマとなったのは,1979年,死の前年である。けれども,ピアジ

    ェが「理性」(la raison)の発生の研究に生涯をかけたのだったとすれば,そ

    の措定が最後になったことは驚くべきことではないのかもしれない。ヴォネ

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 57

    ッシュ(Vonèche, 2008)(25)は,1916年から1979年にわたるピアジェの諸

    著作の中で,「理由」の概念がどのような位置を占め,どのような変遷を経

    たかを丹念に読み直した。そして,ピアジェの科学における「創造性」は,

    グルーバーの創造性理論の妥当性を示すものだという。ピアジェにおいても,

    最晩年の研究にむかって,線形的に研究が展開したのではなかった。すなわ

    ち,ピアジェの歩みもまた,ダーウィンの描いた系統樹のように,「不規則

    に分枝した一本の樹」に喩えられるのである。そこで,ピアジェの『ダーウ

    ィンの人間論』への序の一節を,ここでは,ダーウィンからピアジェに置き

    換えておくことにしよう。「(……)ピアジェ....

    のような偉大な創造者において

    さえ,この推移が即座に成されるようなものとははるかにちがっていたこと

    である。そして,この遅れが立証しているのは,物ごとを明確にすることに

    よって,実際には既存の構造に含まれていた構造であるにせよ,部分的には

    新しい構造の建設がもたらされるということである。」

    Ⅳ.創造性と教育:平和への文化のために

    ピアジェは,晩年,教育について次のように語っていた。

    ブランギエ 私は――教育学はやっていませんが!――先生が教育について,

    つまるところ一般に通用しているものとは違う概念を提出なさっていること

    がわかります。

    ピアジェ ええ,全然通用していないのです。教育は,一般的には,子ども

    を,子どもの属している社会の大人の型にはめようとすることとみられてい

    ます。

    ブランギエ 人々が必要とする人間に一致するような……。

    ピアジェ そうです。ところが,私にとって教育とは,創造する人を作るこ

    とです。たとえ,創造する人は多くなく,また,ある人の創造は他の人に比

    べて限られたものであってもです。いずれにしろ,順応する人ではなく,発

    明する人,革新する人を作らなくてはなりません。

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

    58

    ブランギエ 先生の御意見では,あらゆる人が創造する人であり得るのです

    か。

    ピアジェ もちろん。程度は非常に異なるのですが,創造する人であり得る

    分野が常にあるはずです。(26)

    20世紀初頭のジュネーヴの新教育運動に育まれ,60年間ジュネーヴにお

    いて構築され続けたピアジェ理論のもつ革新性を,21世紀初頭を生きる私

    たちは,本格的に受け入れなくてはならない時期にきているのではなかろう

    か。

    新しい教育基本法に謳われる「創造性」は,その成立までの経緯をみると,

    国境を越えた大競争の時代に,世界に伍して競争力を発揮する人材に期待さ

    れる特性として,とらえられるのだろう。しかし,今,世界に求められてい

    るのは,「競争の文化」に順応する人なのではなく,「平和の文化」を創造す

    る人なのではなかろうか。国連は,2000年を「平和の文化国際年」と定め

    た。そして,2001年から2010年までは「世界の子どもたちのための平和と

    非暴力の文化国際10年」と定められている。この「平和の文化」という概

    念には,単に戦争や暴力がない状態としての平和だけでなく,対話が推奨さ

    れ,紛争が相互理解と協力の精神で解決されるような積極的かつ力動的な参

    加の過程が含まれているのである。

    さらに,1995年9月,国連大学で開かれた国際シンポジウム「科学と文

    化:未来への共通の道」における大江健三郎の基調講演,「平和への文化の

    ために」も,思い出しておきたい。

    「この『核の傘』ということだけ問題にしましても,(……)日本人は悲惨

    な経験を大きく積み重ねながら,それを,平和への文化として築くことをし

    なかったのではないかと,私は考えるのであります。そこで,これから私ど

    もがやらなければならないことは,現代の経験を過去の経験に重ね,それを

    平和への文化とすることです。なぜ平和への文化をつくり出さねばならない

    か? それは私たちが,自分たちのつぎの世代を教育するための,主題とす

  • ピアジェを読み直す:創造性をめぐって(大浜) 59

    るためです。私たちが平和への文化をつくることは,私たちの経験を読み直

    すことでありますし,つぎの世代への教育の方向づけを獲得するためであり

    ます。」(27)

    (1) Weisberg,R.W. 1986 Creativity: genius and other myths. W.H.Freeman and Company.

    大浜幾久子(訳)1991 『創造性の研究』 リクルート出版

    (2) 同訳書,pp.358-359.

    (3) 同上,p.359.

    (4) 大浜幾久子 2006「ピアジェと教育:平和への文化のために」駒澤大学教育学

    研究論集 22,23-55.

    (5) 田中壮一郎(監修) 教育基本法研究会(編著)2007 『逐条解説 改正教育基本

    法』 第一法規

    (6) Le Grand Robert de la Langue Française, 2e édition, 2001, tome 2, p.780.

    (7) Bergson,H. 1907 L’évolution créatrice. Alcan.

    (8) 『聖書』(新共同訳)1987 日本聖書協会

    (9) Piaget,J. 1965 Sagesse et illusion de la philosophie. PUF. 岸田秀・滝沢武久(訳)

    1971『哲学の知恵と幻想』みすず書房 p.11.

    (10) Piaget,J. Autobiography. In Boring,E.G. et al.(eds.) 1952 A History of Psychology

    in Autobiography.波多野完治(訳)「ピアジェ」 In 佐藤幸治・安宅孝治(編)

    1975『現代心理学の系譜』岩崎学術出版社 pp.104-105.

    (11) 大浜幾久子 2008「ピアジェを読み直す:『発生的認識論序説』」駒澤大学教育

    学研究論集 24, 79-97.

    (12) Piaget,J. 1914 Bergson et Sabatier. Revue chrétienne, 61, 192-200.

    (13) Sabatier,A. 1897 Esquisse d’une philosophie de la religion d’après la psychologie et

    l’histoire. Fischbacher.

    (14) 大浜幾久子 1996「ピアジェの青年期:科学と宗教」 駒澤大学教育学研究論集

    12, 39-66.

    (15) Gruber,H.E. 1974 Darwin on Man: A Psychological Study of Scientific Creativity.

    The University of Chicago Press. 江上生子・月沢美代子・山内隆明(訳)1977『ダ

    ーウィンの人間論』講談社

    (16) Bringuier,J.-C. 1977 Conversations libres avec Jean Piaget. Ed. Robert Laffont.

    大浜幾久子(訳)1985 『ピアジェ晩年に語る』国土社 pp.99-100.

    (17) Piaget,J. 1974 Foreword. In Gruber,H.E. 1974 ibid. 訳書 pp.7-9.

    (18) Piaget,J. Mounoud,P. et J.-P. Bronckart (éds.) 1987 Encyclopédie de la Pléiade:

    Psyhologie. Gallimard.

  • 駒澤大學 教育学研究論集 第 25 号 2009 年

    60

    (19) ibid. pp.847-852.

    (20) Bringuier,J.-C. 1977 ibid. 訳書 pp.184-185.

    なお,ここで話題になっている仔ネコの「物の永続性」は,グルーバーらの研究

    による。

    (21) Piaget,J. 1936 La naissance de l’intelligence chez l’enfant. Delachaux et Niestlé.

    谷村覚・浜田寿美男(訳)1978 知能の誕生 ミネルヴァ書房

    Piaget,J. 1937 La construction du réel chez l’enfant. Delachaux et Niestlé.

    Piaget,J. 1945 La formation du symbole chez l’enfant. Delachaux et Niestlé.

    (22) 大浜幾久子 2005「ピアジェを読み直す:知能の誕生」駒澤大学教育学研究論

    集 21, 19-46.

    (23) Piaget,J. 1975 L’équilibration des structures cognitives. Problème central du

    développement. PUF.

    (24) Henriques,G. et al. 2004 La formation des raisons. Etudes sur l’épistémogenèse.

    Mardaga.

    (25) Vonèche,J. 2008 Les vicissitudes de la raison dans l’œuvre de Piaget de 1916 à

    1979: essai d’analyse critico-bibliographique. Archives de Psychologie, 73, 39-50.

    (26) Bringuier,J.-C. 1977 ibid. 訳書 p.187.

    (27) 大江健三郎「平和への文化のために」 In 服部英二(監修)1999『科学と文化

    の対話:知の収斂』麗澤大学出版会 pp.81-82.(大江健三郎 1996 『日本の

    「私」からの手紙』岩波新書にも収録されている。)