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71 no. 平成 21 12 月発行 CRI - : 西259 - 1292 1117 Fax 0463 - 50 - 2407 E-mail [email protected] CRI - Children's Resources International - CRI HP Blog http://www.cribrasil.org/ http://www.cribrasil.org/blog/monteazul/ 1 2 - 3 4 5 6 - 7 8 9 10 11 12- 13 14 15 16 お知らせ 東海大学「ワークキャンプ」 9 月マルチカルチャーキャンプ モンチアズールプロジェクト カノアぶらんてぃあ通信 CRI 21周年 第四章 ( 最終回) アントニオ結婚式 オンライン教員養成講座 World Fut ブラジルプロジェクト ボランティア自己紹介 総会・キャンプのお知らせ 旅の途中で…( ) お知らせ 2 009 年も早いもので、終わりに近づいてきました。 いつも CRI をご支援頂いている会員の皆さまのおかげで、 今年も日本・ブラジル両方において充実した 活動を行うことができました。この一年を振り返ると、 3 回にわたるマルチカルチャーキャンプの開催、 ブラジル・モンチアズール保育園建設プロジェクトの始動、 バイオグラフィー勉強会の実施等本当に内容の濃い一年でした。 来年も CRI 一同、精一杯頑張って参りますので、 引続き温かいご支援を宜しくお願い致します !! 年もモンチアズールの子ども達から素敵な贈り物が届きました。 子どもたちが一生懸命心をこめて描いた絵です。 遠く離れたブラジルから直接子ども達に会うことは できませんが、それでもこうして毎年贈り物を送ってもらうと、子ども達の 温もりや無邪気さが伝わってきて、とても温かい気持ちになります。 いつも CRI をご支援頂いている会員の皆さまにも、 クリスマスプレゼントとしてこの温もりをお届けします。  FELIZ NATAL e FELIZ ANO NOVO!!!

FELIZ NATAL e FELIZ ANO NOVO!!! 2FELIZ NATAL e FELIZ ANO NOVO!!! 2 私 が 東 海 大 学 に 就 職 し た と き 、 求 人 の 条 件 に 「 海 外 研 修 を 企 画 し

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Page 1: FELIZ NATAL e FELIZ ANO NOVO!!! 2FELIZ NATAL e FELIZ ANO NOVO!!! 2 私 が 東 海 大 学 に 就 職 し た と き 、 求 人 の 条 件 に 「 海 外 研 修 を 企 画 し

71no.

平成21年12月発行

発行 C

RI -

チルドレンズ・リソース・インターナショナル

代表 小貫大輔 編集 :

小貫大輔、西原里依、坂井春菜、橋口博幸

住所 25

9 - 1292

 神奈川県平塚市北金目1117

番地 東海大学国際学科気付

連絡先 Fax 0

46

3 - 50 - 24

07

 東海大学国際学科小貫大輔研究室

    E

-mail c

riinfo

@c

ribrasil.o

rg

CR

I - Ch

ildren's R

esou

rces Intern

ation

al

「子どもたちのための国際的資源」の意。

くりあんさ -

ポルトガル語で「子ども」、スペイン語で「子育て」を意味します。

CRIのHPとBloghttp://www.cribrasil.org/http://www.cribrasil.org/blog/monteazul/

1 2 - 3456 - 789101112 - 13141516

お知らせ東海大学「ワークキャンプ」

9月マルチカルチャーキャンプモンチアズールプロジェクトカノアぶらんてぃあ通信

CRI 21周年 第四章 (最終回 )アントニオ結婚式オンライン教員養成講座

World Fut ブラジルプロジェクトボランティア自己紹介総会・キャンプのお知らせ旅の途中で…(三 )お知らせ

2009年も早いもので、終わりに近づいてきました。いつもCRIをご支援頂いている会員の皆さまのおかげで、今年も日本・ブラジル両方において充実した

活動を行うことができました。この一年を振り返ると、

計 3回にわたるマルチカルチャーキャンプの開催、ブラジル・モンチアズール保育園建設プロジェクトの始動、

バイオグラフィー勉強会の実施等本当に内容の濃い一年でした。

来年もCRI一同、精一杯頑張って参りますので、引続き温かいご支援を宜しくお願い致します !!

今年もモンチアズールの子ども達から素敵な贈り物が届きました。

子どもたちが一生懸命心をこめて描いた絵です。

遠く離れたブラジルから直接子ども達に会うことは

できませんが、それでもこうして毎年贈り物を送ってもらうと、子ども達の

温もりや無邪気さが伝わってきて、とても温かい気持ちになります。

いつもCRIをご支援頂いている会員の皆さまにも、クリスマスプレゼントとしてこの温もりをお届けします。 

FELIZ NATAL e FELIZ ANO NOVO!!!

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2

 

私が東海大学に就職したとき、求人

の条件に「海外研修を企画して学生を

引率していける人」というのがありま

した。二○○六年に教え始めてから、

これまでにタイに一回とブラジルに

二回、そのような研修旅行を出しまし

た。この稿では、二○○七年八月と二○

○九年三月にブラジルに行ったワーク

キャンプについてと、それに参加した

学生たちが帰国後に関わるようになっ

たブラジル関連のボランティア活動に

ついて報告したいと思いします。

二○○七年度のワークキャンプ

 

東海大学の国際学科では、夏休みや

春休み期間中の海外研修プログラムと

して以前からタイ、南アフリカ、中国

に向けたスタディーツアーを実施して

いましたが、二○○七年度には、これ

らの国に加えてブラジルに向けたスタ

ディーツアーを私が企画し、実施しま

した。ツアーの主な目的が現地でボラ

ンティア活動を体験することであった

ため、名称はあえて「ワークキャンプ」

としました。

 

二○○七年八月から九月にかけて

二十一日間の日程で実施したこのワー

クキャンプには、学生六名(内四名は国

際学科、二名は他学部の学生)が参加し

ました。ブラジルで訪問したのは、サン

パウロのモンチアズールとセアラのカ

ノアケブラーダでした。

 

モンチアズールではリンダウバさん

の家に三泊ホームステイして、協会の

様々な活動を見学しました。また、一日

東海大学の「

ワークキャンプ」

と、

ブラジルをめぐるその後の学生ボランティア活動   小貫大輔

だけサンパウロ市内の日系青年商工会

議所を訪れて交流する機会をもち、日系

移民博物館も案内してもらいました。

 

次に、飛行機とバスでカノアケブ

ラーダに移動し、村の一軒家を借り上

げて十二日間滞在しました。午前中は、

文化センター建設予定地を整備する活

動をおこない、午後は村人と会議を開

いたり、会議に参加しない村人の家を

一軒一軒回るなどして、文化センター

の利用の仕方についてどのような希望

があるかインタビューしました。同じ

時期にこの村を訪問していた慶応大学

医学部の学生たちと、ブラジルの公衆

衛生についての意見交換をする機会を

持つこともできました。

二○○八年度のワークキャンプ

 

二○○八年度のワークキャンプに

は、国際学科から十四名と体育学部か

ら一名の学生が参加し、二○○九年三

月に十八日間の行程でブラジルを訪問

しました。訪れたのは、サンパウロ郊外

のエンブーグアス市にあるNGO「ア

ラミタン・コミュニティ協会」と、東海

大学が協力協定を結ぶマトグロッソ連

邦大学、前年にも訪問したセアラのカ

ノアケブラーダでした。

 

アラミタン・コミュニティ協会には

四泊五日滞在して、協会が建設するコ

ミュニティ・

センターの建設作業を手

伝いました。この期間中は、この協会の

呼びかけで集まった南米やヨーロッパ

諸国の青年たちも「

国際ワークキャン

プ」

と名打つ活動をおこなっていて、

作業の合間に彼らとの文化交流も盛ん

におこなわれました。アラミタン滞在

期間の初日と最終日には、前年にも訪

れたモンチアズールも訪問して、その

活動を見学しました。

 

次に、飛行機でクイアバに飛んでマ

トグロッソ連邦大学を訪問し、東海大学

が先方と準備を進めていた「在日ブラジ

ル人向けオンライン教員養成講座」の計

画について私が話し合う間、学生たちは

キャンパス内の動物園を見学するなど

しました。その後、バスを借り上げて一

泊二日でツアーを組み、パンタナルとい

う大湿原地帯を観光しました。

 

最後にセアラ州に飛んで、前年も訪

れたカノアケブラーダに移動し、村の

文化センターに六泊滞在しました。こ

のセンターは、前年のワークキャンプ

で建設予定地の整備をしたところで、

その後、CRIが村の住民協会と協力

して建設を終えていたものでした。母

屋のセンターは完成して木工の工房や

図書室、音楽などの文化教室スペース

として活用されていましたが、塀の一

部や門扉が未完成であったためそれを

作る作業や排水溝の修理を手伝いまし

た。また、木工の工房では地域の保育園

で使う滑り台やシーソーなどの教育用

玩具や教室用の椅子などを作っていた

ので、そのお手伝いもしました。手の空

いている学生は、保育園の手伝いや村

の子どもたちに野球を教えるなどの活

動をしました。最後に村人に日本文化

を紹介する活動をおこなって滞在を終

えました。

 

二○○八年のワークキャンプの後に

は、参加した学生に帰国してすぐの感

想を書いてもらいました。その中の一

つが、このキャンプの全体をよく伝え

ていると思うので、以下に紹介したい

と思います。

…初めは慣れない文化や環境、通じない

言語に戸惑ったけど、その不安はすぐに

吹き飛ばされました。とっても温かく迎

えてくれて、笑顔が素敵で、ポルトガル

語がわからない私に必至で伝えようと

してくれて、すごく嬉しかったよ。

 作業中はいつも誰かが歌い始めて、

知らない間にギター、タンバリンが増

えてて、作業の隣でミニライブができ

てたり(笑)、こんなに愉快でわいわい

楽しく仕事をしたのは生まれて初め

て。言葉が伝わらなくても、こんなに

楽しくコミュニケーションがとれるん

だ!って感動しました。おなかが空け

ば何か食べて、疲れたら休むし、よく遊

ぶし、我慢することが美徳でないブラ

ジル流の楽天的な生活が、ずっと日本

で生活してきた私にとってはとても魅

力的でした。

 夜にはダンスを教えてくれて、もっ

とダンスをうまく踊りたい!って思い

ました。日本では聞かなかったジャン

ルやギターさえ、ブラジルに来てから

すごく好きになりました。

…(中略)…

 エステヴァン村では砂丘、海、朝日、

夕日、星空と、本っっっ当に綺麗な絶景

を見れて幸せでした。朝は浜辺で朝日

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を見て、昼間は働いて、夕日を見て、星

空を見てダンスして。エステヴァンで

は活動的で思い出がギッシリつまった

長〜い五日間を過ごせました。釣って

きた魚をその場でさばいておいしい刺

身として食べたのも印象的。

 でも、それ以上に、あんなに大きなエ

イを釣ってきて砂浜でさばき始めた時

は目が点になった。日本じゃ水族館に

泳いでるようなエイを「半分で三十人

前だ〜」って言っていて、驚きとたく

ましさを同時に感じました。こんなに

素敵な自然に囲まれた環境を観光地に

乗っ取られてはいけない!!って思い

ます。

 これからも、この砂丘、赤い土ででき

た崖、海、この素晴らしい土地は守って

いって欲しいし、私もできることは協

力します。(学生の事後感想文、当時一

年生の女子学生)

帰国後の学生の活動

 

二○○七年度のワークキャンプにつ

いては、特にそのことで学生が帰国後

活動を始めることはありませんでした

が、二○○八年度のキャンプの後は、

参加した学生の多くが力をあわせて、

様々なボランティア活動を実施するよ

うになりました。二回目のキャンプに

は倍以上の学生が参加したこともあり

ますが、その違いが生まれたのは、キャ

ンプ実施の前に充分に時間をかけてポ

ルトガル語の練習をしたり、県内のブ

ラジル学校と共同で二泊三日の交流

キャンプを開いたりしたからかもしれ

ません。

 

二○○八年のワークキャンプに参加

した学生たちは、帰国後、新学期早々

「ベイジョ・メ・リーガ」というグルー

プを立ち上げ、早速チャレンジセン

ターのユニークプロジェクトに応募

して活動資金三十五万円を確保しま

した。「ベイジョ・メ・リーガ」とは、

アラミタン・コミュニティ協会のス

タッフの口癖「キッス。電話してね」と

いう、別れ際の挨拶から取った名前で

した。獲得した資金で、学生たちは夏の

平塚海岸での国際交流ビーチバレー大

会と、足柄山で八月に若者マルチカル

チャー・キャンプを、九月に子どもマ

ルチカルチャー・キャンプを開催しま

した。

 

ビーチバレー大会には、台風の影響

にもかかわらず十人ほどの留学生と十

人ほどのブラジル人が参加し、学生た

ちとゲームを楽しみました。八月の若

者キャンプには四十人ほど、九月の子

どもキャンプには百五十人ほどの参加

者があり、それぞれ二泊三日で、足柄山

の「

ふれあいの村」

キャンプ場にブラ

ジル人をはじめとする様々な国籍の人

たちや国際結婚をした家族たち、学生

たち、その他の日本人が集いました。子

どもキャンプには教養学部の芸術学科

の学生たちも多く参加して、武蔵野美

術大学の学生と一緒に、「キッズゲル

ニカ」という「ピカソのゲルニカと同じ

サイズのキャンバスにみんなで平和の

絵を描こう」というワークをリードし

てくれました。

 

二○○八年のブラジルキャンプに参

加した学生たちの内何人かは、上に述

べたような帰国後の活動をおこないな

がら、ポルトガル語を学ぶ努力も続け

ました。それぞれに教科書を使って独

学するほか、厚木にあるブラジル学校

(アクアレーラ・

ブラジル学校)をしば

しば訪れて、そこの先生にお願いして

ポルトガル語の授業を受けました。そ

のような一連の活動を通じて、何人か

の学生はポルトガル語を学ぶことにつ

いて自信を高め、帰国してから出会っ

たブラジル人たちとの友情も生まれ、

やがて長期でブラジルに滞在してボラ

ンティア活動に携わりたいという気持

ちを固めました。

現在の学生の活動

「ベイジョ・

メ・リーガ」のメンバーの

うち、結局六人の女子学生が、二○○九

年度の秋学期を空セメ(単位を履修せ

ずに、大学に籍を置いておくこと)に

してブラジルに向けて旅立ち、およそ

半年間のボランティア活動に携わって

います。そのうち三人はセアラのカノ

アケブラーダに十月から、他の三人は

サンパウロのモンチアズールとアラミ

タンのコミュニティ協会に十一月から

入って活動しています。

今後の予定

 

二○○七年度に自主的に始めたブラ

ジルワークキャンプですが、二○一○

年度以降は、単位の取れる正式な海外

研修講座として継続することとなりま

した。今年(二○○九年度)はまだ自主

的に実施する形ですが、やはり二月に

二十四日間の行程で同じようなワーク

キャンプを実施する予定です。

 

東海大学がブラジル人向けオンライ

ン教員養成講座を実施していること

は、以前の号で述べました。この講座を

通じて、日本各地のブラジル学校の先

生たちやその他のブラジル人教育者た

ちと、大学との関係が深まりつつあり

ます。そのような流れの中で、大学近隣

に住むブラジル人の子どもたちのため

に学習支援教室を開き、日本語や教科

の授業をおこなおうという事業の可能

性についても話し合われています。そ

の事業資金を獲得するために、文部科

学省の「定住外国人の子どもの就学支

援事業」への申請も先日おこなわれ、結

果を待っているところです。そういっ

た在日ブラジル人の教育をめぐる大学

の取り組みと、ブラジルワークキャン

プを通じてブラジルに関心を深めた学

生たちとがうまく出会って、大学組織

と学生グループがコラボして多角的に

日本のブラジル人コミュニティとかか

わる活動が生まれるといいなと、これ

からの発展に期待しています。

 

二○一○年の三月には、ブラジルで

ボランティア活動をしている六人の学

生たちも帰国します。現地での社会活

動の経験をつんでポルトガル語も身に

つけた学生たちが、どんな風に成長し

て帰ってくるのか、帰国後どんな形で

ブラジルや在日ブラジル人コミュニ

ティとかかわることになるのか、その

ことも楽しみに思います。

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前号でもお伝えしましたが、九月

二十一日から二十三日にマルチカル

チャーキャンプ第二弾「ピカソキャン

プ」が開催されました。今回のキャン

プで中心となって企画・運営を行い、

現在はブラジル、カノアケブラーダで

活動している東海大学生三人からの報

告です。

こんにちは!カノアで常夏の生活

を始めて、もうすぐ二ヶ月が経ち

ます。東海大学の星久美子、高橋沙織、

義村翼です。今回は今年九月に行った

「子どもピカソキャンプ」について書き

たいと思います。

 

私たちは、小貫大輔先生のゼミを中心

に「ベイジョ・メ・リーガ」というグルー

プを組んでいて、東海大学チャレンジセ

ンターのユニークプロジェクトという、

生徒への基金制度を利用して活動をし

ています。そして、神奈川県にある足柄ふ

れあいの村というキャンプ場を利用し

て、百五十人の参加者を募ってキャンプ

を実施しました。ピカソキャンプは、ブラ

ジルへ出発直前の私たちにとっても大

イベントでした!

 

百五十人という大人数でのキャン

プ企画は初めてだったので、事前準備

やプログラム作りなどがすごく大変

で、企画、管理など経験がない私たち

は、いっぱいいっぱいになりながらも

頑張りました。最終的にはいいキャン

プになったんじゃないかなと思いま

す。BBQ、ビオダンサ、平和のセッ

九月マルチカルチャーキャンプ     星久美子、高橋沙織、義村翼

ション、また大雄山ハイキングなどの

イベントを組みました。二泊三日のス

ケジュールの中でのメインイベントは

「大きなキャンパスにみんなで平和の

絵を描こう!」というもので、ピカソが

描いたゲルニカの絵画と同じ大きさの

キャンパスを用意して、みんなで絵を

描きました。やっぱりこれが一番盛り

上がりました!始めは、キレイに絵を

書いていた子供たち…。気付いたら、彼

らは体中にペンキを塗りたくって絵を

描いていました。もう誰だか分からな

い!!!

 

キャンプに参加した子どもたちは、

ブラジル、南アフリカ、ナイジェリア、

アルゼンチンなどから来ていて、マル

チカルチャーなキャンプを行うことが

できました。今まで国際交流とは無縁

だった子、日本に住んでいながら日本

人との関わりが少なかった子などが一

斉に顔を合わすので、始めはどうなる

かなと心配でした。でも、そんな心配は

全く要りませんでした。

 

やっぱり子どもってスゴイ!!!子ども

たちは言葉が通じなくても、すぐに友

達になれるのだということが分かりま

した。また、子どもたちだけの部屋を設

けたことで、年長の子が小さな子の面

倒を見るという関係が自然に作られ、

彼らにとっていい経験になったんじゃ

ないかなと思います。

ここで、今回のキャンプのイベン

トの一つであるビオダンサを紹

介します。キャンプ場に、ビオダンサの

先生を招いて大人を中心に五十人ほど

集まって、ホールで踊りました。ビオダ

ンサは普通のダンスと違い、音を心で

感じて、体全体で表現するというもの

で、音楽に合わせて手を繋いで回った

り、歩いたり、出会った人とハグをした

りと、一風変わったダンスです。私的に

は、ダンスというよりもセラピーのよ

うな要素を含んでいると感じました。

音に合わせて自由に動いて、大地や空

間や見えない力を感じることができた

り、目を閉じて静かに流れてくる音に

耳を澄ますことで、全身の力が抜けて

リラックスできました。

 

個人的な事なのですが、このビオダ

ンサには、私(星久美子)の母と姉夫婦

も参加しました。母は普段から、ダンス

や音楽が好きですが、恥ずかしがり屋な

ので今回のビオダンサもすごく緊張し

ていました。私も気になって、踊りなが

らチラチラ母を見ていたのですが、踊っ

ているうちに私もダンスに集中して母

のことを忘れてしまいました。ビオダン

サが終盤になると、ゆったりとした音楽

に合わせて自由に歩き回って、出会った

人とハグをするというダンスが始まり

ました。みんなで歩いて、ハグをして…

すごく和やかで愛がいっぱいな空間が

できました。ふと、母のことを思い出し、

探すと、ブラジル人の女の人とハグしな

がら泣いているんです!

 

これには、ビックリしました!

 

他人とハグなんてしたことがない母

が、言葉も通じないブラジル人の女の

人とハグをして涙を流すなんて、私に

は信じられませんでした!!!その後、母

に尋ねてみると、母はまだ泣きながら

「彼女と何か通じるものがあって、ふと

涙出てしまったの」と言いました。

ここで、私が言いたいことは、ビオダン

サってすごい!ってことです。初めて

出会う相手と、言葉も通じない相手と、

ハグをして、更に涙を流させることが

できるんです!まさに、国境を越えた、

通じ合いという感じに思えました。

 

私もビオダンサが大好きになり、帰

国後、また企画する予定のキャンプに

もビオダンサはイベントの一つとして

欠かせないなと考えています。

私たちはブラジルへ出発直前とい

うこともあり、カノアで行うプロ

ジェクトや募金活動の結果を発表させ

てもらいました。本当にありがたいこ

とに「活動資金にあててね!!!」と参加費

を余分に募金に回してくれる方がいた

り…周りの人々に支えられているなと

実感しました。

 

そしてCRIスタッフ、以前カノア

に行ったことがあるボランティアが集

まり意見交換を行いました。カノアの

人々や現在の状況、または日本からど

のような支援が出来るかなど、日本の

反対側、ブラジルに対してみんなの意

見交換が出来てとってもいい時間でし

た。皆さん、ありがとう!

 

現在、私たちはブラジル・カノアケ

ブラーダで生活しているので、九月の

ピカソキャンプについてすっかり忘れ

てしまっていて、思い出して記事を書

くのは大変でした(笑)。

 

でも、日本で活動してきたことが思い

出され、いい機会だと思っています。今

後も、キャンプ企画や、色々なイベント

を行っていくつもりです。ここ、ブラジ

ルでたくさんのことを学んで、それらを

活かしていければ最高です!それでは、

また。

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まずは、今年度 CRIが郵便貯金・簡易生命保険

管理機構からの国際ボランティア貯金寄付金配

分をいただいて実施しているモンチアズールプロジェク

トの報告ですが、現在託児所建設は急ピッチで進んで

います。二階部分にまで達した建物では一階と二階と

で作業するグループに分かれて十人弱の職人が朝早く

から、週末を返上してまで働いてくれています。

 一方、もう一つのプロジェクトである教育キャンペー

ン事業も終盤を迎えています。全部で四回に渡って

行ってきた子育て支援に関する講座ですが、明日行わ

れるモンチアズールの保育園に通う子どもの保護者に

向けての講座をもってこの事業は終了します。この事

業の一番のポイントとなったのは講座用の本の出版で

す。モンチアズールの二人の教育者が力を合わせて本

を書こうとなった当初、実際に書き始めてから製本で

きるまでの期間を四ヶ月間と設定していました。とこ

ろが完成予定時期より二ヶ月過ぎた今となっても本は

私たちの手元にはありません。挙句の果てに明日の講

座で使用する本のできあがり時間が、明日の講座の

二時間前です。校正に校正を重ねた結果です。今日、

その本を書いてくれている人と昼食をとっているとき

に話したのですが、ブラジルの人々は年末になるとす

ごく忙しくなるのです。日本もそうかもしれませんが、

ブラジル人の場合は年始からゆっくりのんびりと仕事

をしていた分、年末になるとたくさんのことに追われ

てバタバタすると言います。

 さて、明日到着予定の本は無事に到着するのでしょ

うか。

こうして、一見いろいろありそうなモンチアズール

での生活なのですが、ちょうど一ヶ月ほど前に

私にとって、とても特別で、忘れられない一日があり

ました。その日はモンチアズール文化センターにて「アー

トの集い」という、三日間に渡ってサンパウロの教育

者を中心に参加者が集まってシュタイナー教育に基づ

いたアート講座が開かれる初日の夜でした。このイベ

ントのオープニングセレモニーとしてモンチアズール創

始者のウテ・クレーマーさんのアートともいえる人生

をモンチアズールの仲間が劇にして発表しました。ウ

テさんが指揮を執ったこの劇は、たった五、六回の練

習でしっかりとした三十分ほどの劇に仕上がってしま

うのです。いつも練習は仕事後にあるのですが、キャ

ストの職員の人たちは仕事後の一杯を飲みに来たかの

ように練習場に集まります。これが私の思うモンチア

ズール独特のノリなのです。ウテさんという社長が社

員のみんなを劇などの文化活動を通したコミュニケー

ションの場に誘うのです。私自身も一日仕事で疲れた

日に限って「あなた毎日仕事ばっかりしてどうするの。

さぁ今日はみんなで歌を歌うからあなたも来なさい。

たまにはリラックスが必要よ。」なんていう感じでよく

誘われます。実際そのお誘いに行ってみた帰りには、

不思議とどこか心が温まって明日からまた頑張ろうと

いう気持ちになるのです。以前はその誘いを受け入れ

るのにためらいを感じていたのですが、今ではよほど

大事な用事がない限り必ず行くようにしています。

 そのアートの集いで発表した劇の内容を簡単にまと

めると、ウテさんはこの世に生まれる前の精神世界に

いたときから、自分の人生を過ごす場所は決まってい

たというのです。それがロシアでもなくドイツでもな

くアラブ諸国でもなく日本でもなく、ブラジルでした。

この世に生まれてからウテさんは旅に出たのですが、

世界各国でその国々の問題を目の当たりにし、ブラジ

ルに到着したとき偶然ウテさんはファベーラの子ども

の物乞いにあったのです。それが彼女の人生の変わり

目だったというシナリオです。

 そして、劇の発表は大成功し、みんなでその成功

を喜び合いました。それは、私がいままで一年半に及

ぶモンチアズール生活では感じたことのない感動体験

だったのです。どこか以前とは違って、自分もモンチ

アズールが生み出す喜びをモンチアズールの仲間と一

緒に生み出し、味わえた気がします。

さらにこの劇の内容と自分自身とを照らし合わせ

ると、私がここブラジル・モンチアズールで活動

しているのも、もしかすると私が生まれる前から決まっ

ていたのかもしれません。いま私は人生のどこにいる

のでしょう。モンチアズールは私の人生のどこに位置

するのでしょう。モンチアズールは、人々がそれぞれ

の人生を見つめなおし、それをお互いにわかり合う機

会を常に提供してくれます。こうして、モンチアズール

への感謝の気持ちと共に、本当にモンチアズールで活

動していてよかったなと感じる一日になったのです。

さて、いよいよ今週日曜日はモンチアズール日本

人ボランティアにとって一年で最大ともいえる

イベント日本祭りが開催されます。私たちはブラジル

の人々とどのような喜びを作り出すことができるので

しょうか。

モンチアズールのノリが生み出す人々の喜び  福井俊紀

写真:左から時計回り■ 自由な外国人ボランティアの仲間■ レンガを積み上げる建設職人■ デモに参加するモンチアズールの職員■ 子育て支援向上講座:人形作りワークショップ

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6

O

oooooi !!! Tudo bem?

こんにちは!皆さん元気です

か?東海大学の星久美子、高橋沙織、義

村翼です!

 

私たちは九月の二十八日からブラジ

ル、セアラ州のカノア・ケブラーダ、

エステーバン村で生活をしています。

ここで「ブランティア」として来年三

月までの約半年間、活動をしていく予

定です。カノアに来て、もうすぐ一ヶ

月が経とうとしています…毎日暑いで

すよ!!海も砂丘も空も星も魚も人も、

LEGA

L

!!サイコーです♪

朝はだいたい六時に起きて、パン屋

に行って一つ十円のフランスパ

ンを買い(めちゃうま!)、そのあとは

学童の給食作りの手伝いと掃除をしま

す。午後は会議があったり日本文化の

授業を受け持って、空いた時間には海

に行ったり、砂丘に登って夕日をみん

なで見たり、カシューナッツの実を採

りに行ったりしています。夕日が沈む

ときに必ず「A

te amanha!!(

また明日

ね)

」と叫んで、この太陽が日本の朝日

になるんだよなぁと思いながら見つめ

ています。

 

一日一日がとってもあっという間!

日本での生活が思い出せないくらい、

こっちのスタイルに慣れてしまいまし

た。ここではゆっくり時間が流れます。

みんなのんびり暮らしています。

 

そういえば、村の人が焦っていたり、

忙しそうにしている姿を一度も見たこ

とがありません。すごく時間にアバウト

だけど、それも文化なんだと思います。

今、村には私たち三人の日本人の

他に、関西大学出身の信広翔さ

んと二人のドイツ人ボランティアが

活動しています。それぞれ行っている

活動内容は違いますが、頻繁に意見の

交換をしています。

 

私たちが村に来て一週間ほど経っ

た頃、空き巣に入られてしまいまし

た。夜十時過ぎ、借りている家のドア

が壊されていて、i-pod

やデジカメな

どの電子器具が盗まれていました。す

ぐに村の男の子たちが来てくれて、足

跡の鑑定や目撃証言から犯人がだい

たい特定されましたが、未だに犯人を

問い詰めたり、盗られたものを取り返

そうなどとはしていません。

今は引越しをして、人通りの多い、

より安全な所に住んでいます。

次の日、警察に被害届けを出しに行き

ました。しかし、警察は何もしてくれ

ません。現在は、まるで何事も無かっ

たかのような感じですが、それがブラ

ジルスタイルみたいです(笑)。

 

それから、先日、家の鍵を海でなく

してしまいました。合鍵を作りに町ま

で行きました。歩き回ってやっと合鍵

屋さんにたどり着き、たったの二、三

分のうちに完成しましたが、かなりザ

ツ!!本当にこの合鍵でドアが開くの

かなぁと心配でした。で、案の定、開き

ませんでした!!(笑)

 

ここでの生活って、本当に面白い!

適当な感じがすごく好き!!きれいな

海と空を見ると、ま、いっかと思えて

きちゃいます。そんな感じで、ゆった

り、のんびり私たちは生活していま

す。元気にやってますよ!!

Ate m

ais! Beijos

カノアぶらんてぃあ便り 2009年 10月星久美子、高橋沙織、義村翼

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7

プロジェクトの説明

ジャンガーダプロジェクト

エステーバン村では昔からジャンガー

ダという筏を使った伝統的な漁が行わ

れてきました。カノアが観光地として栄

えるまで、村人は漁で生計を立ててきた

のですが、村のすぐ脇に観光地ができた

ことによって、漁以外の仕事(レストラン

でのアルバイトや観光客をジャンガー

ダに乗せてのツアーなど)ができるよう

になり、重労働で、かつ毎日魚が獲れる

保障のない伝統的な漁が衰退してきて

います。確かに、漁師以外の仕事を選択

できるようになったことは、良いことで

すが、このままジャンガーダを用いた漁

が廃れていくのは悲しすぎます。

 ここで問題が一つ。ジャンガーダは木

で作られた筏ですが、これを作れる人が

村にたった 3人しかいなくなってしまい

ました。しかも、おじいさん !村の若い

漁師や青年たちはジャンガーダ作りに

興味を持っていません。このままでは、

将来的にジャンガーダを作れる人材が

いなくなってしまいます。

 そこで、私たちが考えたのが、おじい

さんにジャンガーダの作り方を教えて

もらって若い漁師や青年たちと一緒に

ジャンガーダを一艘作ろう!というもの

です。

 たった一艘でも、みんなで完成させる

ことができたら…もしかしたら、ジャン

ガーダ作りに興味を持ってくれるかもし

れない!たった一人でも、完成後、継続し

てジャンガーダを作りたいと思ってくれ

るかもしれない!そんな機会を設けた

いと思っているのです!

女の子のしゃべり場

週に 2回、村のコミュニティーセンター

で活動している青少年グループの女の

子たち約 10歳~19歳の 8人ほどで集

まってしゃべり場を行っています。

 これは、ただ単に集まっておしゃべ

りをするのではなく、毎回テーマを決め

て、そのテーマについて話をするという

ものです。

 私たちがこのプロジェクトを行う目的

は、まず、観光地ができたことによって

将来の仕事や生活についての選択肢が

広まり、自分たちの生活環境が変化して

きていることに対して、みんなで意見の

交換、考えの共有をしていこうというこ

と。そして、彼女たちが自分の将来をど

んな風に考えているのか、お互いがどん

な未来を想像しているのかを知ること

によって、具体的に将来の予想図を考え

る機会を与えるということ。

 更に、離婚率 90%という村で育った

彼女たちが、将来自分がどんなお母さん

になりたいのか、どんな家族を作りたい

のかということに関して話し、近い未来

について考えるということ。彼女たちの

お母さん世代は 10代のうちに母親に

なった人が多く、彼女たちの中には両親

と一緒に暮らしていない子も多いとい

う現状です。彼女たちは、家事をやりつ

つ兄弟の面倒を見たり、学校に通い、自

分の将来を模索している最中です。

 彼女たちがこれからのことをどう考

えているのか、お互いに意見を交換し、

共有することで、具体的な将来を見出す

手助け、機会が与えられることを目的と

しています。

緑を増やそう !!!いま世界では地球温暖化が問題になっ

てますよね。ココは、そんな環境問題の

影響を直に受けている村なんです。

 Barreira(崖)は強風と水面上昇によ

り毎年削られ、乾燥により砂丘が年々村

に迫ってきています。そして私たちが今

注目しているのは、村の緑が減ってきて

いるということ。10年前は、村全体が

緑で囲まれていたと村の人々は話しま

すが、今ではまだら…。

 昼間サッカーをする時、まったり外で

くつろぎたい時、ふと周りを見てみると

ココには影がない !!!ことに気づきまし

た。そう、緑を増やすことによって、日中

のカノアを過ごしやすい場所にしたい

なと考えました。

 そこで、住民協会と Jovens(若者グ

ループ )の会議が行われたときに、この

考えを伝えてみました。みんなこの意見

に大賛成で、さっそく活動が始められま

した。そこでの話し合いで、いろいろな

ことが明確に決まりました。

 この緑を増やすという計画は前から

住民の希望が多くあったのですが、なか

なか動き出しておらず、コレをきっかけ

に動こうというわけです。

 はじめに、砂漠の植物に詳しい村唯

一の研究家に話をしてもらい、植物の

勉強会を開催します。また、アラカチ市

は植林活動の一環として植林活動を

行っている団体に苗木を無料配布して

います。エステーバン村で活動を行う村

民と私たちも、植林活動を推進する団

体として、この支援を受けるための資料

提出の準備も始めました。

 会議の翌日、Jovensの若者と共に

砂丘にカシューナッツの種を取りに行

きセントロに植えました。まずは出来る

ことから始めようと思って !!!

 そして Jovensの若者だけではなく、

普段、活動に関わっていない人々を含め

て、この活動の存在を知り参加してもら

いたいと話し合いました。そのため、普

段サッカーコートを使用している村人

にも協力を得ようとこのプロジェクトの

プレゼンを行う予定です。

 反響が強かったこのプロジェクトで

すが、持続するのが非常に難しいですよ

ね。そのため、村の人々の意識向上や水

やりの習慣づけをするために地道に頑

張っていきたいと思います。

********************************

私たちの活動では、村の保育園のため

の菜園作りや、伝統的な漁船作りの技

術再生プロジェクト、女の子達だけの

「語りの会」をやっています。応援してい

ただける方には、以下の口座にご寄付

をお願いいたします。

横浜銀行(東海大学駅前支店)

口座番号:1874847(普通口座)口座名義:ベイジョ メ リーガ

募金活動で集まったお金は、ブラジル

でのボランティア活動費として使用さ

せて頂きます。渡航費、滞在費、保険加

入費等は全て自己負担しています。

お問い合わせ:

[email protected]

ブログもご覧ください !

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1: 女の子のしゃべり場で「将来の自分が幸せな絵」をみんなで描きました。これはヴィヴィアーニという子の絵です。

2,5: 女の子のしゃべり場で行ったネイルアートの会。やっぱり女の子はオシャレが大好き!みんな夢中になってました。

3: ジャンガーダもつくりたい !4: 砂丘にあるカジューの森でみんなでカジューの実を採りに行きました。こんな緑が村にどんどん増えることを、みんな願っています。

6,9: 東海大学建学祭にて skypeで親子が会話をする様子。7,8: 村の若者たちと。お菓子つくりにも精が出ます。

http://ameblo.jp/canoa-quebrada/

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CRI

21周年 第四章(最終回)   小貫大輔

一九八八年に生まれた私たちの活

動も、二十一歳を過ぎ、成人とし

ての時代を迎えました。現在、私の学生

たちが六人、ブラジルでボランティア活

動をしていますが、カノアケブラーダ

(以下カノア)に行った三人は鈴木真由

美さんにお世話になり、モンチアズール

に行った三人は十一月末の日本祭りを

終えたらアラミタン・コミュニティ協

会に移ってサンドラさんたちの活動に

参加します。真由美さんもサンドラさん

も、彼女たちが十代のときから知ってい

る女性たち。その人たちが、今は大人の

女性として、自分の子どもを育てながら

活動を続け、さらに私にとっては娘のよ

うな学生たちを育ててくれることを思

うと、CRIもずいぶん長いことやって

きたものだと思います。

鈴木真由美さんが最初にCRIの

活動に顔を出したのは、彼女がま

だ高校生だったとき。私たちが横浜の

ランドマークタワーで毎週集まって、

ブラジルやエイズに関する勉強会を開

いていた当時でした。一九九四年に開

かれた横浜の国際エイズ会議に向け

て、アラウージョさんやマルガリーダ

さんを招聘しようと準備していたとき

だったのではないでしょうか。高校の

自由研究か何かでエイズを取り上げる

ことになり、CRIに連絡を取ってき

たのでした。

真由美さんの人生については、い

つか彼女自身に書いてもらいた

いと思いますが、私が彼女をよく知る

ようになったのはそれから五年ほどし

た一九九九年のこと。モンチアズール

での一年間のボランティア生活が始ま

る前に、ブラジルという国、文化、習慣

を身をもって体験してほしいと、言葉

もわからない彼女をカノアの漁村に送

り込んだのでした。真由美さんは、モ

ンチアズールから村に来ていたエヴァ

さんの家にホームステイしながら一ヶ

月過ごした後、モンチアズールへと向

かったのでした。そしてモンチアズー

ルでの一年間のボランティア生活を終

えて、このまま日本には帰りたくない

という彼女にウテさんや私たちが助言

し、エヴァさんと意気投合していた彼

女は、結局二人でカノアに保育園を立

ち上げることになりました。彼女は土

地の青年と結婚したこともあり、今で

もカノアで保育園を続け、様々に村の

暮しをよくするための努力を続けてい

ます。私

と定森君は二〇〇一年にセアラ

を引き払ってそれぞれの道を歩

み始めたので、カノアの活動は真由美

さんが一人で切り盛りし、CRIの会

計など事務の主な仕事も、二〇〇六年

までは彼女にまかせっきりでした。そ

の間彼女は、保育園から学童保育へと

活動の幅を広げ、日本や他の国からの

ボランティアを受け入れることも次第

に始めていきました。

モンチアズールの方も、その頃、日

本からボランティアに来る若者

の数が一気に増え、私がモンチアズー

ル近辺でJIC

A

のプロジェクトをやっ

ていた二〇〇三年から二〇〇五年にか

けての頃は、毎年十人近くの日本人が

働いていたのではないでしょうか。今、

CRIの運営委員会で中心的に活動す

る人は、みんなその頃以降にモンチア

ズールやカノアに来ていたボランティ

アたちです。

二〇〇六年に私が日本に戻って

CRI事務局を真由美さんから

引き継ぎ、真由美さんはカノア支援に

特化したNGOを別に立ち上げまし

た。CRIとしてはその後もカノアを

側面支援していて、郵政公社のボラン

ティア貯金寄付金による助成も受ける

ようになって、安藤将さんを派遣して

コミュニティセンターを建てるなどの

活動を続けています。今年、ボランティ

ア貯金にはモンチアズールでもお世話

になっていて、福井俊紀君を派遣して

保育園を建てたり、地域での子育て支

援キャンペーンをやっていることは、

最近の「くりあんさブラジル通信」でご

報告しているとおりです。

二〇〇五年のボランティアだった

ミヤガサコ・ナンシー・リサさ

んが、日本で育ったブラジル人だった

こともあって、最近は日本でも外国か

ら来て暮す子どもたちのための活動を

しています。主には年に何回か開くマ

ルチカルチャーキャンプの活動です

が、そんなことを私の学生たちと一緒

にやっているうちに、学生の中からブ

ラジルにボランティアにいくものが

でてきたことは、この号の通信の別の

記事でも述べたとおりです。

さて、私たちの二十一年間につい

て振り返る旅、この号で終わり

としたいと思います。これまでを振り

返ることで未来のことが見えてくる

かと思って始めたことでしたが、私の

感想としては、「生きている最中に自

分の人生を客観的に眺めることは難

しい」という感じです。ただ、自分た

ちの活動がターニングポイントに来

ていること、新しい世代が確実に生れ

ていること、まだまだやることは一杯

あること…、それだけは感じます。ブ

ラジルという国も変わっていくし、日

本ですら、びっくりするほど変わりつ

つある。一九八八年にCRIを始めた

ときは予想もしなかった「在日ブラジ

ル人三十万人!」などという時代も到

来しました。来年のことを話すと笑わ

れるそうですが、来年も精一杯、この

二つの国に生きる子どもたちの人生

をよくするために努力します。みなさ

ん、よろしく応援ください。

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リンダウバ家次男

アントニオ結婚式 下向井稔史

 10月 24日にリンダウバ家の次男アントニオさんの結婚式が行われまし

た。お相手は保険会社で働くシェイラさん。彼らは 7年付き合った末ゴー

ルイン。次男のアントニオさんは現在イタリア系の製菓会社で働いています。

 結婚式といえば当たり前ですが、ブラジルといえどスーツやドレスを着

なければなりません。僕はスーツなんか持って来ていませんでした。です

から、式の一週間前にリンダウバ家からほど近いサント・アマーロでスー

ツ上下を購入したのですが、なんと約 100へアイス (5000円)のものが

見つかりました。安物ですがこれが結構いけるものです。生地や着心地

はなんら問題ありませんでした。

 さてリンダウバ家に目を移すと、私も含め、みなさん普段からフォーマ

ルな格好はまず見かけません。ですから、化粧をしたリンダウバさん、革

靴に Yシャツを着たジョゼさんなどを見ると戸惑ってしまいました。

 式は 19時頃から始まりました。最初は新郎、新婦、その家族まで全

員が式場に入場し、出席者の拍手を受けながら、式場前方の舞台まで歩

いていきます。式場の舞台では、それぞれの家族が見守る中、神父さん

と共に、新郎、新婦が永遠の愛を誓います。それが終わると、全員が舞

台から退場するのですが、その際アントニオが家族一人ひとりと抱き合い

ながら涙を流している姿がとても印象的でした。

 その後は食事の時間を挟み、新郎新婦の生い立ちなどを映像で紹介。

そこで一つのサプライズがありました。実はジョゼさんとリンダウバさん

の結婚 30周年記念だったので、家族一人ひとりからビデオメッセージが

ありました。実は我われリンダウバ家に住むボランティアもビデオメッセー

ジを録画したのですが、なぜだかカットされてお蔵入りになってしまいま

した。残念。

 その後は、結婚式場がディスコに変身。日本ではまず見ません。まず

は最初に新郎新婦が二人の幸せ、情熱を(私はそう感じたのですが)ダン

スで披露します。その後は新郎新婦の親族、友人、知人問わず、みんな

が踊りまくります。結局ダンスが終わったのが深夜の 2時頃でした。

 私は今回の結婚式に出席して家族について考えました。アントニオが

両親や兄弟と抱き合って涙を流している姿、リンダウバさんとジョゼさん

の家族からのビデオレターを見ていると、目に見えることのない家族の

絆、愛というのでしょうか。そういったものが、ひしひしと伝わってきま

した。また、普段からリンダウバ家で生活していると、家族同士で話し、

笑いあっている姿をよく見かけます。

 私は今、家族と離れて暮らしています。しかし、普段話さない寡黙な父

親がメールをくれたり、母や兄弟がメールをくれたりします。私は口数が

少ないのであまり家族と話しませんが、そんなメールは私にとっては特別

です。パソコンに映るたった少しの文面ですが、家族に支えられている実

感が湧いてきます。

 ブラジルと日本の間、私とあなたの間では異なる家族が存在します。そ

して、それぞれの家族には絆、愛があります。当然それらの見え方、感じ

方も違ってきます。ですが、家族の絆、愛というものはそれぞれの人にとっ

て非常に大きく、強いエネルギーを与えていますし、それは家族だからこ

そ生まれるものだと思います。そんな家族について考えた結婚式でした。

 アントニオさん、シェイラさん、末永くお幸せに。そして幸せな家族を

築いてください。

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Com muita satisfação tenho acompanhado o curso de Formação de Professores da Universidade Federal de Mato Grosso do Brasil, desenvolvido em parceria com a Universidade Tokai do Japão, como coordenadora local do projeto. Esse curso on-line tem a duração de 4 anos e formará cerca de 300 professores para as instituições educativas que cuidam de crianças brasileiras. Atendendo à especificidade local, existe uma disciplina denominada Japanologia onde são tratados assuntos relacionados ao idioma e à cultura japonesa em geral. No módulo de novembro foi trabalhada a história da imigração japonesa e brasileira e o resultado apresentado pelos alunos foi muito interessante e valioso que gostaria de compartilhar com os leitores. Selecionei comentários de dois alunos do pólo de Nagoya, que tive a oportunidade de acompanhar nesse encontro presencial.

“A aula de Japanologia que tivemos em novembro, a meu ver foi bem produtiva, pois o assunto foi interessante e todos se envolveram, ou seja, a aula poderia ter durado muito mais tempo que não iria faltar participação dos alunos. Quanto ao assunto discutido embora nem todos tivesse uma história para contar, ainda assim, pudemos aprender muito sobre nossa vinda ao Japão, o por quê estar aqui! Sem dúvidas existem grandes interesses políticos, não somos nós quem decidimos, mas sofremos sim uma forte pressão política, forçando-nos a buscar melhorias para nossa vida em outro país. Infelizmente a crise enfrentada por todos os povos tem um fundamento político que a princípio é desconhecido por todos, mas depois de alguns anos tomamos o conhecimento do real motivo que gerou tal crise. A aula teve cem por cento de aproveitamento...” diz o aluno LUIZ CARLOS BLASQUE e acrescenta: “Em 2090 a influência brasileira aqui no Japão será mais intensa, pois aprendemos na Antropologia que o povo é influenciado (...). Dificilmente os jovens japoneses discriminam os estrangeiros, geralmente são as pessoas com mais idade que demonstram certa diferença para com os estrangeiros. Certamente em 2090 quando ‘estaremos’ comemorando o centenário da imigração para o Japão teremos uma festa ainda maior do que esta que presenciamos nos cem anos de imigração para o Brasil. Este curso de Pedagogia na qual estamos ingressados será o ponto inicial desta grande mudança, a nossa maior influência começa exatamente aqui”.

A a luna EMILIA MIE TAMADA enviou-me a seguinte mensagem: “muito querida professora, adoramos sua aula ontem, muito obrigada. Aliás, não foi aula, foi muito mais do que isso, falar aula somente é mottainai, foi um grande encontro, éramos, negros, loiros, mestiços, nikkeis, brancos, amarelos, morenos, verde-amarelos enfim, fomos um naquele momento. A imigração é a nossa vida! Não há como tocar neste tema sem nos arrepiar, sem molhar os olhos e sem palpitar corações. Ontem

AULA DE JAPANOLOGIA DO CURSO DE FORMAÇÃO DE PROFESSORES A DISTÂNCIA DA UFMT, EM PARCERIA COM A UNIVERSIDADE TOKAI

Shigueyo Mizoguchi

オンライン教員養成講座の「日本学」の授業

 

東海大学がブラジルのマトグロッソ連邦大学と協力して実施しているオンライン教員養成講座で、ブラジル

から派遣されてきて事務局の責任者をしておられるミゾグチ・シゲヨさんから原稿をいただきました。この講

座は、日本でブラジル人の子どもたちの教育に携わる人を対象に、ポルトガル語で四年間かけてブラジルの教

育学学士と教員資格を取得してもらおうというものです。入学試験に合格した三百人の教育者たち(その中には

日本人やペルー人などブラジル以外の国から来た人も十人ほど含まれています)が七月より受講しています。

二〇〇九年の一月に赴任してこの講座を取り仕切っているシゲヨさんは、それ以前はサンパウロでブラジル・

ワルドルフ学校連盟の事務局長をされておられました。

 

このオンライン講座では、年に六回のスクーリング授業を実施していて、受講生たちが全国六ヵ所に開かれる

スクーリング会場に集まります。その内の四回では「日本学」と名づけられた授業が実施されていて、日本の言語

や歴史、地理、社会問題などについて勉強してもらっています。九月の授業では日本の文字について、十一月の授

業では「日本とブラジルの間の移民の歴史」について扱いました。左記のシゲヨさんからの記事は、十一月の移民

の歴史の授業を受けた後、受講生から届いた感想を紹介しているものです。

confirmei a nossa missão como venho falando mas, mais que isso, somada à aula da excelente profa. Márcia [de Antropologia, on-line], descobri que somos agentes de mudança. Foi ótimo pois aos 51 anos completos me reavaliei e vi o quanto nada sei....antes tarde do que nunca... Temos muito o que fazer.... acho que ontem os tamashi de todos os nossos antepassados e daqueles que foram mencionados estavam lá nos protegendo para que tenhamos, daqui para frente, sempre a energia necessária para cumprirmos este papel importante, o da mudança, para melhor logicamente. Este será o ongaeshi para os grandes imigrantes do mundo que constituem nosso Brasil. (...). Bom, para não tomar mais seu precioso tempo a msg de hoje é de agradecimento e confirmação da honra de estarmos neste curso. Obrigada. Bom trabalho e saúde pois a partir de amanhã o tempo vira e se torna inverno. Um forte abraço (qual o prof. japonês que concederia um forte abraço mesmo num ambiente universitário....) é uma alegria ser brasileira e a mesma alegria ser nikkei , moro na província onde nasceram todos os meus antepassados japoneses...”

Realmente foi um encontro de almas que querem estar presentes para testemunhar as mudanças, ainda que remotas.

Shigueyo Mizoguchi – coordenadora do Projeto no Japão.

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10月中旬にカナダから一人の若者が到着しました。三井俊介くんは 1ヵ月という限られた時間で、彼がサッカーを通して挑

戦したいことに励んでいます。

World Futブラジルプロジェクト

第一弾。10月 11日から11月

14日、一ヶ月の間で現状を把握し、問

題を探り、それの解決にむけてのアプ

ローチをイベントを通して行なうという

新たなるチャレンジ。この国で感じた大

きな問題・経済格差。それを解消する

上で大事になってくるのが、「お金があ

る所から、お金がない所へお金が流れ

ていくシステム」。そこで、ブラジルでの

プロジェクトは、二つ。中流以上の人を

対象にチャリティーマッチを開催。その

収益を使って、貧困街でサッカー少年

団を開校する。というものだ。将来的

にWorld Futで起業することを考えた

ときに、新たなる国際協力の可能性を

探っていく必要がある。そこで、国連や

NGOなどが手の届かないところ、しか

し人々の幸せにつながるような事をして

いく必要があると考え、このプロジェク

トを決行することにした。

 まず 11月 7日にチャリティーフット

サルマッチを開催した。カナダで出会っ

た、ブラジル人の友達に話したところ、

コート、選手と集めてもらえた。友達

についてきてもらって、少年団に寄付

するグッズを選んでいるとき、「少しで

も安いもの」を求めていた。それも当

然のこと。予算が限られているのだ。

できるだけ安く抑えたい。そこでふと

思った。「なるほどね。こうやって援助

物質は質の低いものが必然的になり、

物品提供しても、すぐにゴミと化してし

まい、意味のないものになるのだな。」

と。意味のない援助と呼ばれるものを

聞いた時、こいつらバカだろうと思って

いたが、同じことをしようとしていた。

 ただ勉強して、批判するのと、実際

にやってみるのでは天と地の差がある。

大会は無事に行われた。しかしものす

ごく困難なものであった。一番難しかっ

たのが「オーガナイズする」ということ。

しかし言葉が通じない。自分でその場

で伝えたいことを、すぐに伝えられな

い。自分の言葉で伝えられない。友達

を介してじゃないと伝わらない。それ

が難しかった。

 そして 11月 14日に少年団を開校し

た。少年団を始めるためのコートの交

渉、そしてコーチとの交渉。子供たち

に告知するためのフライヤーの作成。

またモンチアズールのトップのヘナッチ

さんとのお話の機会など、これらすべ

てのことをモンチアズール現地スタッフ

の福井さんに助けていただいた。

 そして、当日。最初に私からのメッ

セージ。福井さんにポルトガル語に直し

てもらう。そして写真撮影と行い、少年

団開始。途中雨も降ったが、そんなの

お構いなしに続ける子供たち。また日ご

ろは、子どもたちも友達同士で対立する

ことはあっても、コーチのような人に怒

られるってことはない。しかしこのクラ

ブではそれがある。ダニエルさんという

コーチの人に怒られる。子供も対抗す

るんだけども、彼にまたガツンといわれ

て、「ちくしょー !!」ってなる。でも、ど

こかうれしそうなオーラを感じた。これ

がスポーツから学べるひとつの大きなも

のだと思う。最後ダニエルさんに、「こ

れからがんばって、続けてください。」

と伝えた時、「おじいさんになってよぼ

よぼになっても続けるよ。やめないよ。」

と言ってくれた。固い握手。言葉にする

と陳腐だが、すごく感動した。

ちょっくら世界変えてくる。 World Fut 共同代表 三井俊介

終わってみて、今回この二つのイベ

ントを一か月という短期間で開

催できたのには一つの大きな理由があ

ると思う。それは、自分がそのコミュ

ニティーに属していたということだ。最

初のチャリティーサッカーマッチ。私

がカナダで出会った友達が、私にたく

さんの友達を紹介してくれ、それによっ

て、多くの知人ができた。その人たち

を誘うことによって、実現した。また

サッカー少年団の方も、モンチアズー

ルに協力していただいた。特に福井さ

んの協力なしでは実現することは不可

能だった。忙しい中、私の要望を丁寧

に吸い上げ、そして通訳を行って頂い

たり、さまざまなアドバイスを頂いた。

当日も来て頂き、大変いい開校式で

あったと思う。

 ここに来て強く、強く感じた。本当

に一人じゃなんにもできないってこと

を。ここで、一ヶ月のうちに大会を開

くなんて不可能中の不可能だ。だけど

も、「お前は家族だ。手伝うよ、当た

り前だ!」って言ってくれるやつがいる

からできる。周りに支えられないと立

つことすらできない。友達がいないと、

夢をかなえられない、生きてすらいけ

ない。だから、ありがとう。だから、

幸せ。

「俺にできることは小さなことばかり、

でも、世界は小さなことから変わる。」

 本当に、心からありがとうございま

す。ありったけの愛を込めて。

World Fut (WFT)とは ?World Futはチャリティーフットサル大会を企画・運営し、その収益を国際協力にあてる団体です。

大会ごとに国際問題のテーマを決め、フットサルを

楽しみつつも、その問題の現状などを多くの人に知ってもらい、

考えることを狙いとしています。また、団体の軸に「フェアトレード」が

あり、収益でフェアトレードサッカーボールを購入しようと考えています。

そのボールを 2010年夏に、カンボジアの子供たちの元に届け、一緒にサッカーをし交流をする予定です。

WFTはサッカーの力・スポーツの力を信じています。

   HP http://worldfut.web.fc2.com/   ブログ 「生まれゆく光の中で」 http://ameblo.jp/pennta12/

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皆さんこんにちは!関西大学商学

部四年の信広翔と申します。

 

僕は現在、R

io Grande do N

orte

のBarauna

という町にあるメロン農

園で、ブラジル農業経営についての研

修を行っております。皆さんご存知の

カノアからは車で約一〇〇分程の距離

なのですが、そこで大谷正敏さんとい

う方がC

ris Frutas

という会社を経営

しており、毎日メロン作りに汗を流し

ていらっしゃいます。

 

大谷さんのことを簡単に紹介させ

ていただきますと、十一歳の頃親に連

れられ渡伯した彼は、想像を絶するよ

うな幾多の苦難を乗り越えた後、今で

は農園のあるB

arauna

、ご自宅のある

Mossoro

両市から栄誉市民権をいた

だくまでに農業経営で成功していらっ

しゃる方で、事実、毎週十五トントラッ

ク二〇台分のメロンを輸出する同会社

は毎年約七億円の売り上げを誇り、約

二五〇人という現地住民の雇用も生み

出しているのです。

 

さて、僕自身は今回の研修で

「Barauna

のメロン農園においてC

ris Frutas

が経営を安定させている要因は

何か」という問いを軸としているので

すが、大谷さんと一緒にメロン農園を

回りながらお話することで、この他に

も様々なことを学びました。それはも

う噛んで湧きでるカジューの果汁のご

とくあり、全てを伝えきれないため、

ここではその中のほんの一片を紹介し

たいと思います。

「心を高めなさい。」

 

これは、大谷さんが口をすっぱくし

ていつもおっしゃる言葉であり、これ

こそが大谷さんが言わんとすることで

す。周知の通りブラジルには深刻な貧

富の格差が存在しており、そこでは生

まれながらにして既に格差というもの

があります。一国の中にあるとは思え

ないような驚くほどの格差社会から抜

け出すことは言うまでもなく難しく、

貧しい暮らしを強いられている国民は

大勢おり、そしてもちろん、その逆も

存在しているのです。

 

こうして自然かつ必然的に分けられ

た上流階級と下流階級。日々の生活は

もちろん、考え方にも違いが生じてく

るのは当然のことなのかもしれません。

「下流の者は与えられるものを当然と

しそれに感謝せず、向上心がない。だ

からそこに直接援助しても長続きせ

ず、結局将来的に価値を見出すのは難

しいことだ。」これは、何十年もブラ

ジルを渡り歩いてきた大谷さんご夫妻

がおっしゃっていた言葉でした。

あなたなら、この言葉をどう受け

取りますか?

 

一概には言えないことは承知の上で

すが、僕はこれを聞いた時ショックで

した。自分の中で、カノアの子をかば

うために批判したい気持ちと共に、そ

れに納得してしまう気持ちも存在して

いることに気づいたからです。僕の中

で、様々な葛藤がありました。その末、

出たたった一つの結論は、自分自身が

どうあるかということです。彼らの基

準や考え方に悩んでいても答えなど出

ませんが、自分がどんな目的を持ち、

どんな意識でどんな活動に取り組んで

いくのかは自分で決められることに気

づいたのです。つまり、結果ではなく

過程を大事にするということです。

 

もちろんこれから社会に出て行く

上では結果というものは必然的に求め

られるものなのかもしれません。です

が、僕たちボランティアに求められて

いるのは結果なのでしょうか。僕はそ

う思いません。ちょっとしたきっかけ

と覚悟で、しかも長くても一年という

短期間で人を助ける、可能性を与える

などということは、決して簡単なこと

ではないからです。

 

だからこそ、結果を目的としながら

も活動し、その過程の中で学ぶ多くの

ことを自分のその後の人生の中で花咲

かすことこそが私たちに求められてい

ることであり、そして私たちの責任で

はないのかと感じるのです。

「心を高める。」この言葉を常に自分の

頭に置きながら、これからの活動、そ

してこれからの人生を歩んでいこう。

そう思いました。

心を高める   

信広翔

ブラジルで活動するボランティア自己紹介

*写真

右半分が信広翔

左半分が大嶋敦志

Rio Grande do Norte

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13

はじめまして敦志です。

さっそくですが、パステル屋と

雑貨屋の女の子に恋してます。パステ

ル屋の娘はヨーロピアン系の顔立ちで

青い目をしています。一方雑貨屋の娘

は色白の混血系です。目はブラウン。二

人とも見ているだけで幸せな気持ちに

なれるような美人。あまりに僕が大騒

ぎするもので、この家の人々は一通り

うるわしき彼女の顔を拝んでいます。

そして口々にきれいな人だったと口元

に笑みを携えてて帰宅するのです。僕

の好みはなんといっても手足の長い女

性。立ち上がったときにぶらりと垂れ

た腕に萌え〜!

 

ちょっと品を欠きますが、日本にい

た頃、カナダから来た女性と付き合っ

ていました。まあその彼女と腕を伸ば

してハグをしたときの感覚が僕を未だ

にトリコにしているのです。

 

さて、言葉の通じない国で、元よりあ

まり国外で人気がないとされる日本人。

しょぼくれて、どーせどーせなんて

言ってふさぎ込んでいては、負の連鎖

を断ち切れぬままブラジルでの生活は

終わっていくのでしょう。

作戦決行です。雑貨屋に毎日通って

は何かを買って帰ります。この

国ではアジア人は凄く珍しいので顔は

スグに覚えてもらえました。僕が店に

入ると「あら〜」と明るく声をかけてく

れ、忙しいにもかかわらず、つたないポ

ルトガル語も親身に聞いてくれます。

 

パステル屋も同じように毎日通い

ます。二レアル(一〇〇円程度)のパス

テルを毎日食べます。揚げ物なので朝

食にはきつくとも、二日酔い気味の土

日もひるまずに通います。そして、友達

をたくさん連れて行き、売り上げに貢

献し、「あの言葉の通じない外国人は

友好的だ。」といった印象を植え付けま

す。その甲斐あってか、次第に微笑みの

温かみが変わってきました。家族を迎

え入れるかのような。近しい人に向け

られる、安心感のあるまなざしです。

 

さあ順調です。あとは個人的な話題

を展開すること、さらには他の誰より

信頼してもらうこと、これだけです。こ

こはあわててはいけません。時間をか

けて、果物を見守るようにじっくり育

てていくのです。

 

さて一月半が経ちました。現在三つ

のプロジェクトと、二つのボラ

ンティアワーク、柔術クラブの顧問、ギ

ター講師といろんな人にお声をかけて

いただき、忙しくとも充実した日々を

すごしています。一〜二週間ほどビー

ナスに会えない日々が続きました。胃

もたれが恋しく、雑記帳も新しいもの

がそろそろ必要です。さてちょっと顔

を出しに行こうかという、ついこの間。

同じ家に暮らすソウゴとマイコがなに

やらニヤニヤして帰ってくるではあり

ませんか。

「どうしたの?」

「あつしさん残念でしたね。」

「なに?」

「私たちパステル屋の子が男の子と

手ぇつないでるの見ちゃいました!あ

はは。」

 

あははって…。性格悪いなぁ。そうか

あ、あんだけかわいいもんな仕方ない

な。でも、もう一人いるもんね。いざ雑

貨屋へ!!!

 

気を取り直して雑貨屋のある駅前に

向かいます。どきどきわくわくアノ子

はいるかな、昼番だからいるだろうな、

早く会いたいな。もう心はすっかり恋

人気分です。気が早すぎです。もう変態

です。

 

意気揚々と店の扉を開けます「ボン

ジーア!」…(静寂)。あれ、もしかして

俺のこと忘れてるぅ? 

 

こうして僕のブラジルでの最初の恋

は幕を閉じたのでした。

パステル屋の可愛い彼女   

大嶋敦志

初めまして、現在モンチアズール

でボランティア活動をしている

藤岡新光(フジオカ 

シンコウ)です。

 

モンチアズールでは、朝は保育園で

働き、昼からは車椅子の女の子のお世

話をしています。保育園では、二〜三

歳の子どもたちと活動しており、主に

子どもたちと一緒に遊び、掃除や食事

の手伝いなどもしています。車椅子の

女の子のお世話は、絵を描いたり、楽

器の演奏をしたり、買い物や劇に出か

けたり、女の子と様々な活動をしてい

ます。この女の子は話すことができな

いため、コミュニケーションがとても

大切になります。私はポルトガル語を

少ししか話すことが出来ないので、時

より女の子が寂しそうな顔をする時が

あります。そういった時は、自分の力

不足をすごく感じます。いち早く言葉

を覚えて、日本のことや自分のことな

ど、多くのことを話してあげたいと思

います。

現在、モンチアズールには八人の

日本人ボランティアがいるので

すが、私だけ日本人に見えないとよく

言われます。私は身長が一八七cmあ

り、肌も黒い。「どうしてお前は日本

人なのにそんなに大きいのだ?」「ど

うしてお前はそんなに黒いのだ?」ブ

ラジルに来てまだ一ヶ月ですが、いろ

んな人に何度もこの質問されます。こ

のような質問をされても生まれつきな

んですけどね。また、ブラジルでは数

字の「五」を「スィンコ」と発音しま

す。そして、私の名前が「シンコウ」と、

とても読み方が似ているので、名前を

覚えてもらいやすいのです。大きく、

黒く、簡単な名前、いい意味でも悪い

意味でも目立ってしまうので、行動に

は気をつるように自分に言い聞かして

います。

ブラジルに来てまだ二ヶ月、よう

やくこちらの生活にも慣れてき

たところです。これから、一年間どの

ような毎日が待ち受けているのか想像

もできませんが、自分なりの目標を

持って活動したいと思います。そして

一年後には、成長して日本に戻りたい

と思います。簡単な自己紹介にはなり

ますが、このCRI通信を読んで頂

いている方に、いつか会えることを楽

しみにしています。

Eu sou

Fujioka 5 藤岡新光

モンチアズール

モンチアズール

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CRI総会と

マルチカルチャー・ウィンターキャンプのお誘い

CRI総会日時:2010年 1月 23日(土) 11:00~13:00

場所:秦野市表丹沢野外活動センター

〒 257-1302秦野市菩提 2046-5

電話:0463-75-0725

http://navi.city.hadano.kanagawa.jp/kodomo/y-center/access.htm

議題:

2009年度の活動と会計の報告

2010年度の活動と予算計画について

総会参加費:無料*残って食事をされる方は実費を割り勘にさせていただきます。

マルチカルチャー・ウィンターキャンプ(東海大学「ベイジョ・メ・リーガ」主催)

日時:2010年 1月 23日 14:00 現地集合

       1月 24日 12:00 現地解散

場所:同上

参加費(宿泊費):一人 2,000円

*食費は実費を割り勘します。

定員:40名

プログラム:

23日はブラジル風の夕食をみんなで作って食べた後、

星座教室に講師の方を呼んでいます。

24日は午前中にバードウォッチングの講習

(こちらも講師の方を呼んでいます)を受けた後、自由解散です。

持ち物:お風呂道具(石鹸、タオルなど)とお菓子は必携。

双眼鏡がある人はぜひ持ってきてください。

CRIでは、左記の日時・場所で総会を開催いたします。

また、東海大学の学生グループ「ベイジョ・メ・リーガ」主催の

マルチカルチャー・ウィンターキャンプも同時に開いていますので、

海外にルーツのある子どもたちを誘ってぜひご参加ください。

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約二年ちょいのボランティアの旅も

いよいよ終止符を迎えようとしてい

た。先日ついに日本行きのチケットを

買い、モンチアズールでの生活にも別

れを告げた。そしてシェアメイトの日

本人とドイツ人に見送られ、僕はバス

に乗った。

「このバスはリベルダージじゃない日

本いきなんだ!!」と少し興奮しつつも

いよいよブラジルともお別れ、これが

サウダージかなんてことも思いつつ一

路コンゴーニャスへと向かった。

 

リンダウバの家を出たのが十八時、

飛行機は二十四時。まずコンゴーニャ

ス空港へ行きそこからグアルーリョス

国際空港への無料のバスへ乗る予定

だった。

 

そしてまず、コンゴーニャス空港に

着いたのが二十時半…。二十時半!!予

定では一時間もあればつくはずだった

のに、あ〜なんてことだ…。僕はブラ

ジルの事を何わかったつもりになって

いたんだ。サンパウロの渋滞をなめて

いた!!ここメガロポリスサンパウロ、

世界最強の渋滞都市なのだ。通勤ラッ

シュ時は動かないに尽きる。バスは一

向に進まないし歩いている人に抜かさ

れていく風景はなんと滑稽なことか。

漫画じゃあるまいし。しかしそこは今

を楽しむブラジル人、楽しい世間話に

花を咲かせ、この滑稽な風景を見事に

彩るのだ。そういえば僕が働いてたク

ラスの担任の先生は毎朝五時にバスに

乗らないと間に合わないと遅刻するた

旅の途中で…(三)   福田太志

びに嘆いてたな。

 

ともかく僕はあせった。ここからグ

アルーリョス空港まで普通に行っても

二時間はかかる、ぎりぎりだ。僕は走っ

て空港バス乗り場にいき次のバスの時

刻を聞いた。「あ〜、二十一時だよ、飛

行機は何時だい?」運転手は親切な笑

顔を浮かべ聞いてくれた。「二十四時

なんだけど・・・

間に合う?」緊張の一

瞬だ。すると運転手は両手の平を空に

向け首をかしげて哀れそうな顔で僕を

見て無理だと一言言った。

「じゃー、あっちのバスはどうだ、タク

シーならどうだ?飛行機に乗らなきゃ

いけないんだ!!」僕はわらをもつかむ

思いで運転手にまくし立てた。すると

彼は冷静に「この渋滞なら何乗っても

一緒だ、空港まで三時間はかかる。」と

言った。

 

僕は呆然と天を仰いだ。こうやって、

ブラジルで呆然と空を見上げるのは二

回目だ。どうすることもできない、もう

なるようにしかならない、でもどうし

よう…。前回もこんな心境だった。とも

かくもう物理的にどうしようもないの

だ。日本行きのチケットはもう買えな

い、レアルももう無い、あるのはへそく

りの米ドルと、お守りの中に隠されて

いるわずかな日本円。日本へはもう帰

れない、友人の結婚式にもいけない、物

理的にもう無理だ、空でも飛ばない限

り…。

 

そんな感じでどうしようもなくなっ

ていた僕に先ほどの運転手が話しかけ

てきた。「あいつに話しかけてみろ。」

と言って五〇mほど先の花壇に座って

携帯をいじっているスーツの大男を指

差した。

 

そして、僕がその男に近寄っていく

とその男はどうしたといわんばかりに

携帯から目をはずしこっちを見てく

る。「二十四時の飛行機なんだけど間

に合うか?」と僕が問うと、男は「普通

に行っても二時間はかかる、しかもこ

の渋滞だしな、よっぽど運が良くない

とね…。」いくらで行くんだと僕は聞い

た。すると男は一〇〇レアルと言った。

でも今はドルしかもってないんだ、と

僕が言うとそいつは携帯を開いてわけ

のわかんない計算式をたたいて七〇ド

ルと僕に言った。おもいっきり足元見

てやがる…。しかし今の僕に選択の余

地は無い。ここであきらめたら飛行機

代がおじゃんになってしまう。値切っ

てる暇は無い。僕はすぐに承諾して男

はようやく立ち上がった。

 

結局一時間後僕は空港に立ってい

た。まるで夢でも見ているかのような

一時間だった。その男の車は羽がつい

ていて後ろにはターボエンジンが…。

僕は空を飛んだのだ…。なんて…映画

じゃあるまいし。

 

実際は、生きた心地のしない一時間

だった。その日の渋滞はおよそ九十キ

ロ。普通に行くと三時間はかかるという

のは本当の話だと物語るようにテール

ランプが都心部に向かい並んでいる。車

に乗ると彼は僕に向かって言ったのか

トラフィックラジオのアナウンサーに

向かって言ったのかはわからないけど。

「俺はサンパウロのすべての道を知って

いる、日ごろの行いがよければ一時間で

空港まで連れてってやる。少し高くつく

がな…。」と言ってアクセルを踏んだ、赤

信号に向かって。

 

結局何回信号無視をして何回逆走を

して何回事故起こしそうになったこと

か。僕はこのまるで映画のような展開

に少し興奮しつつも、どうか僕のわが

ままのせいで人を轢きませんようにと

ただひたすら神に祈るだけだった。車

から見える風景も人生の走馬灯なのか

思い出の風景なのか只の街灯なのか速

すぎてよくわからなかった。ともかく

無事空港に着いた僕は全財産の九十ド

ルを彼に渡し、そして飛行機に乗った。

結局最後までブラジルは僕の常識に納

まってくれなかったみたいだ。

 

人生とは面白いなとつくづく思う。

つくづくつくづく。僕が帰国して一ヵ

月後ブラジル政府は長期旅行者に無

償で永住権を与えた。十年ぶりの話ら

しい。

 

もしもあの時、飛行機に乗れてな

かったら僕は今頃…。でも僕は日本に

帰ってきた。あ〜つくづくつくづくつ

くづく。

 

ボランティアとはそこで何をする

のではなく、帰ってから何をするのか

が大事だとはよく言ったもので、むこ

うにいる間は本当に色々見せられる。

自分が知らなかった一面。その一面は

僕の足元にいて「貴方には何が出来る

の?」と聞いてくる。ボランティアは現

地にいる間はその足元に細やかな水を

与えつづけ、やがてそのつぼみを持ち帰

る。どういう花を咲かせるのかはそれか

らだ。

 

あの時無事飛行機に乗れたのは何で

だろう?この足元のつぼみはどんな花

を咲かすのだろう?きっと他のボラン

ティアたちもこんなこと考えるんだろ

うなと思う。あ〜僕は幸せものだ、つく

づくつくづく…。

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募集中の寄付一覧

CRIは、以下のようなプロジェクトを展開しています。それぞれの活

動が充実したものとなりますように、皆様からの温かいご寄付や応

援をお願い申し上げます。郵便振替や銀行振込で寄付をいただける

際、特に関心のあるプロジェクトがあれば通信欄にその名称をお書

きください。また、銀行振り込みをいただける方は、必ずお名前と

郵便住所、その他の連絡先をご連絡ください。

1) ブラジルや多文化共生のテーマ ■ マルチカルチャーキャンプ 2006年以来 CRIは、日本で暮らす様々な国籍の子どもや若者たち

と、日本の子どもや若者たちとが出会う合宿の会を年に数回開いて

きています。2008年 9月には、ブラジルからウテさん、リンダウ

バさん、エビーニャさんを迎えた神奈川県足柄山での会に、170名

もの人が参加してくれました。この「マルチカルチャー・キャンプ」は、

これからも年に 2回ほどのペースで開いていきたいと考えています。

2) ブラジルの子どもの教育を支える活動■ カノア・ケブラーダの多目的センター運営プロジェクト

ブラジル北東部セアラ州のカノア・ケブラーダという小さな漁村

で、教育や住民の自立へ向けた活動の拠点となる多目的センターを

2008年 6月に開設しました。この施設の維持・運営を軌道にのせ

るため、さまざまな活動を続けています。■ モンチアズールの保育園プロジェクト

CRIの原点であるモンチアズールのファベーラでは、5つの保育園

が築 30年を過ぎて老朽化してしまっています。安心して保育のでき

る新しい施設に建て直すために、モンチアズール・コミュニティ協会

と協力して資金集めに奔走しています。CRI会員の皆様からも応援

いただけますよう、よろしくお願いいたします。

CRI会員の募集

CRI - チルドレンズ・リソース・インターナショナル (「子どもたちのた

めの国際資源」の意 )は、参加するメンバーがそれぞれに自分の持

つ能力、知識、情報、時間、資金などを「資源」として提供することで、

ブラジルと日本の両国で生きる子どもたちの「子ども時代」を守り、

支援することを目的とするグループです。

CRIへの参加の方法としては、ブラジルや日本での活動に直接参加

することの他に、CRI会員として会の活動を精神的、経済的に応援

する仕方があります。

CRIの会員になっていただいた方には、活動の最新情報を載せた「く

りあんさブラジル通信」(旧「CRI通信」)を年に 4回お送りしています。

会費について

CRIでは、それぞれが可能なリソース (資源 )を持ち寄るという考え

から、一定の会費を定めていません。参考としては年に3,000~5,000

円振り込んでいただく方が大半です。また、継続した活動を可能にす

るために毎月2,000円 (年間 24,000円 )、5,000円 (年間 60,000円)

と決めて振り込んでくださる方もいます。

会費納入方法

郵便振替

口座番号 : 00200 - 9 - 62458

加入者名 : C.R.I

銀行振込

振込先 : みずほ銀行 麹町支店 (021)

口座番号 : 普通預金 1734036

口座名 : シーアールアイ ダイヒョウオヌキダイスケ※ 通信欄に「CRI会費」とご記入ください。※ 銀行振込の方は、会費納入の際に下記連絡先へメール、ファックス、郵便のいずれかの方法で連絡先をご連絡いただきますようお願いいたします。

連絡先

〒 259-1292

神奈川県平塚市北金目 1117 

東海大学国際学科気付

FAX : 0463 - 50 - 2407

e-mail : [email protected]

メーリングリスト参加のお願い

CRI ではメーリングリストを設けて、会員間での意見や情報の交換を

おこなっています。下記 URL を開くと、過去の投稿を見たり、参加

登録や退出の手続きがおこなえます。皆様のご参加をお待ちします。

http://www.freeml.com/criopen

photos

1. 足柄山キャンプ : 女の子大集合2. 足柄山キャンプ : ワークショップ3. Canoa : 多目的センター4. Canoa : 大漁 !5. Canoa : 木工指導6. モンチアズール : 古くなった保育園7. モンチアズール : 踊る子供たち