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- 1 - 『フランスの移民-移民から考える共生社会』 桜美林大学 国際学部国際学科 4 比較文化コース専攻 牧田東一ゼミ 20527192 中島 花

『フランスの移民-移民から考える共生社会』...- 4 - 第1章 フランスにおける移民と移民政策の流れ この論文では、フランスにおける移民についてとりあげ、そこからどのように多文化共生がすすめ

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『フランスの移民-移民から考える共生社会』

桜美林大学 国際学部国際学科 4 年

比較文化コース専攻 牧田東一ゼミ 20527192

中島 花

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目次

『フランスの移民-移民から考える共生社会』 .................................................................. - 1 -

はじめに ...................................................................................................................... - 3 -

第1章 フランスにおける移民と移民政策の流れ .............................................................. - 4 -

第 1 節 移民とは ...................................................................................................... - 4 -

国籍の取得 ........................................................................................................... - 5 -

第 2 節 フランスにおける移民受け入れの歴史と移民政策 ............................................ - 5 -

家族呼び寄せ ....................................................................................................... - 7 -

第 2 章 フランスにおける移民の現状とフランス政府の対応 .............................................. - 9 -

第 1 節 移民の出身国や背景 .................................................................................... - 9 -

ヨーロッパ移民 ....................................................................................................... - 9 -

「ビィジブル・マイノリティ」-新たな移民層の出現 ..................................................... - 10 -

第 2 節 移民政策の概念とライシテ(政教分離) .......................................................... - 12 -

移民に対する政策の概念 ...................................................................................... - 12 -

ライシテ(政教分離) .............................................................................................. - 13 -

第 3 節 移民法改正と現政権下の移民政策 ............................................................... - 14 -

2006 年移民法改正 .............................................................................................. - 14 -

2007 年以降のサルコジ政権 .................................................................................. - 15 -

第 3 章 共生社会に向けて .......................................................................................... - 17 -

第 1 節 文化面での現状とこれから ........................................................................... - 17 -

教育 .................................................................................................................... - 17 -

アイデンティティ .................................................................................................... - 22 -

第 2 節 社会的現状とこれから .................................................................................. - 24 -

EU ....................................................................................................................... - 25 -

フランスの政策 ..................................................................................................... - 26 -

市民や移民・外国人自身の活動 ............................................................................ - 28 -

終章 共生社会の実現に向けての提言 ......................................................................... - 29 -

参考文献 ............................................................................................................. - 34 -

参考 HP ............................................................................................................... - 34 -

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はじめに

筆者が小学生のときに、ハンガリーとルーマニアの人と交流する機会があった。他の文化に触れ

ることの楽しさを知り、それ以来海外に興味を持つようになった。また、筆者の地元には多くのブラ

ジル人労働者がいて、筆者の小学校や中学校には各学年に 2,3 人のブラジル人の子供が通って

いた。彼らはブラジルから来てそのまま公立の学校に転入してきたので、日本語が話せず授業に

もついていけていないようであった。また、文化の違いからしばしば地域の住民と衝突していること

もあった。今地元を離れ、大学で勉強していることから客観的に考えてみると、お互いのことをわか

っていないし、理解しようとしてないのではないかと考えるようになった。そして、このように他国の

人々や他国の文化と関わることの経験から国際的な視野が養われると考えるようになった。

また、大学の授業で異文化理解教育を実際に子どもたちに行った事から、国際的な諸問題の

解決への、教育の可能性を考えるようになった。

2006 年夏、ワークキャンプで一人のフランス人に出会った。彼女の祖父母はカリブ海諸国の出

身で、父親が移民であるという話を聞き、移民に興味を持った。また、彼女からフランスにはベトナ

ム料理屋がたくさんあるという話を聞き、フランス語やフランス独自の優雅な文化をみな強固に守っ

ているという筆者の偏見、間違ったイメージが変わり、フランスは移民が多い国だということを知った。

フランスは伝統的に移民を受け入れてきた国であるが、移民とフランス社会との衝突や移民排斥

の動きなどがあることは事実である。2006 年に当時内相であったニコラ・サルコジが移民法改正し、

2007 年に大統領になり現在(2009 年 1 月)も移民管理の厳格化路線をとるなど、フランスにおける

移民に対する政策も新たな局面を迎えている。

筆者は 2007 年に国際交流基金でインターンをさせていただいたが、国際交流といっても定義が

難しいと感じ、国内でも多くの文化が衝突し合うことなく共存することができなければ、他国との関

係も築くことが難しいのはないかと考えるようになった。また、筆者は町田市や相模原市に住む外

国人、その子どもたちへの日本語教室にボランティアや大学の授業という形で関わったことからも、

そのように考えるようになり、移民に関心を持つようになった要因といえる。

人の移動が活発化しグローバル化がすすんでいる現在、移民をめぐるフランスの姿勢は問い直

されている。海外から来日する人々が増加している日本でも、フランスのような状況は起こりえない

とは言い切れない。移民大国と呼ばれるフランスでの異なった文化背景を持つ移民の暮らし方や、

移民に対する政策などから、多文化共生の方法を考えることができるのではないだろうか。このよう

な考えから、フランスの移民の現状や起きている問題を分析していく。

第 1 章では移民の定義を明確にし、フランスで移民が増加したプル要因や移民法などのフランス

国家の移民に対する政策を取り上げる。第 2 章では実際の移民数や構成国の割合など現状を明

らかにする。第 3 章では、移民が生活するうえで生じる問題、また、移民・外国人を含むマイノリティ

への支援を行う団体やその活動例などを取り上げる。定住化がすすみ、移民や移民の子どもたち

が差別や排除を受けることのないフランス社会をどのように実現できるかということに問題意識をお

き、移民の子どもたちが経験し得る現状を明らかにすることで筆者なりに考察していきたい。

また、EU やフランス政府、市民や移民・外国人の活動といったアクターを整理して、フランスの

移民のこれからを筆者なりに考察、提案していきたい。

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第1章 フランスにおける移民と移民政策の流れ

この論文では、フランスにおける移民についてとりあげ、そこからどのように多文化共生がすすめ

られるか考察していく。そこで第 1 章では、まず移民の定義を明らかにし、フランスでの移民受け入

れの歴史を通史的に取り上げ、その時々の移民政策を整理する。フランスにおける移民の全体像

を明らかにする。

第 1 節 移民とは

この節では、国籍や移民の滞在許可証について取り上げ、この論文のなかで取り上げる、フラン

スにおける移民やそれに関連する用語の定義を整理したい。

フランスにおける移民とは「外国で生まれフランスに渡った者を指し、この中には移住後にフラン

ス国籍を所得した者も含まれる[本間 2001:9]」とある。また、「フランス国外で非フランス国籍者とし

て生まれ、現在はフランス国内に在住する者 [宮島 2006:77]」とも定義される。これ以外に、「外国

で生まれ出生時にフランス国籍を持っていなかった者も含まれる。また「移民出身者」は、移民の

子供や孫など二世、三世などを指す。外国人は、厳密に言うと移民とは異なり、フランス国籍を持

たない者で、フランスで生まれた外国籍者も含む。この論文では、フランス国外で生まれ、現在は

フランス国内に在住する者、また、移住後にフランス国籍を取得した者をフランスにおける移民と

定義する。また、この論文では市民のレベルでの多文化共生を考察していくので、定住し、フラン

スで日常生活を送っている者を特に取り上げていきたい。

1999 年の国勢調査では、フランス人総数 5527 万人のうち、フランス在住の外国人数は 326 万

人余、移民は約 431 万人に達した[宮島 2006:77]。また、2006 年に発表された 2004 年度の国勢

調査では、フランス在住外国人の数は 351 万人、移民は約 493 万人となった。後者の総人口に占

める割合は 8%を超えると言われている[宮島 2006:78]。

一般に入国間もない海外からの入国者は市民という位置になく、「労働力」という観点から捉えら

れやすい。「他国の市民」であり、部外者と見られがちである。滞在の合法性が完全に証明できな

い場合もある。

適正な滞在許可証を持たない者はフランスでは「サン・パピエ(sans-papier)」と呼ばれる。パスポ

ートまたは観光ビザだけで入国しそのまま滞在を続けた者、庇護申請をして却下された者、密入

国でフランスに入った者、短期就労ビザからの残留者などがそれである。

人の移動の複雑な性質から、非正規滞在者の統一的な定義が存在しないのであるが、2002 年

には、フランス国内で正式な書類を申請中の者は 14 万 5 千人と言われ、申請していない者も同じ

位いると思われる[ミュリエル 2003:182]。毎年正式な身分になる人がいる一方、新たに入国する

人々も多い。また、長期滞在化してきている者も多い。西欧諸国全般でも 10 年間、20 年間というよ

うな長期滞在者が増加してきている。このような流れを受け、定住移民に対し、ふさわしい滞在資

格(10 年期限の滞在・就労許可や無期限滞在許可など)を設け、また国籍取得を容易にする国が

増えている。だが実際には滞在の正規化を求めるサン・パピエのデモや運動、また政府や警察と

の衝突が絶えない[ミュリエル 2003]。

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国籍の取得

一般的に国籍の取得は、血統・出生地・帰化・届出という方法があり、前者二つは出生にともな

い、後者二つは後天的な国籍取得というように分けて考えられる。前二者の出生に関して、類型的

に見ると市民権を獲得する場合、血統によって保障する血統主義と領域内の出生と居住によって

これを保障する出生地主義の二つがある。フランスは 19 世紀後半から後者を導入した[ハーグリー

ヴス 1996]。

血統主義の考え方の国、例えばドイツでは生まれたとき両親のどちらかがドイツの国籍を持って

いれば、その子供はドイツの国籍を持つことが国籍法で定められている。また、血統主義では、父

母両系主義を採用する国と父系優先血統主義を採用する国とがある。出生地主義では両親の国

籍に関係なく、生まれた国の国籍を持つことができ、フランスでは原則としてはこの出生地主義を

取り入れている。本人のフランスでの出生の事実だけでなく、親のどちらかがフランスで生まれてい

るか、そうでない場合、本人が相当期間フランスに居住していることが条件でフランス国籍所得を

認めている[近藤 2001]。

フランス人総数が 5527 万人のうちの移民数約 431 万人(前述)に占める「国籍取得フランス人」

の割合は 36%に達し、移民でありかつフランス人である者が多くなっている[宮島 2006:77]。「国

籍取得フランス人」とは、帰化、フランス人との婚姻、フランス生まれの外国人の子供への成人時の

国籍付与など、多様な手続きにより生後フランス人となった人々である[宮島 2006]。

帰化は、5 年以上の継続的居住、フランス語の能力、素行善良などの要件を満たした成人の申

請者に国籍が付与されるものである。帰化による国籍所得の割合は低く、3 分の 1 から 4 分の 1 程

度である[宮島 2006:86]。次に外国人の両親からフランスで生まれた子供は、11 歳以後 5 年間以

上フランスに居住していれば、成年に達する際にフランス国籍を取得する。これは自動国籍付与と

呼ばれる。国籍取得までの幼少年期の子供の国籍は、親の母国の国籍を留保していれば、それ

が子供の国籍となる。なお、先に述べたように外国人の親の少なくとも一人がフランスで生まれて

いる場合は、フランスで生まれた子供は出生時からフランス人である。また、フランス人と結婚した

外国人は、結婚 2 年経過後に裁判所に届け出ることによってフランス国籍を取得できる[近藤

2003]。

移民とは、先に定義を述べたように、フランス国外で非フランス国籍者として生まれた者であり、

国籍を取得しても事実として、移民もしくは移民出身者であることは変わらない。2003 年には、移

民の 3 人に 1 人以上が(35%)がフランス国籍を持ったフランス人であるが[ミュリエル 2003:19]、フ

ランス国籍を持っていると意識や行動にどのように変化があるのであろうか。国籍にかかわる意識、

アイデンティティの問題などは第 3 章で詳しく取り上げる。

第 2 節 フランスにおける移民受け入れの歴史と移民政策

そもそもなぜフランスが「移民大国」と呼ばれるように、移民が多い国となったのであろうか。第 1

次、そして第 2 次世界大戦前後から現在に至るまでの移民受け入れと制限にまつわる流れを通史

的に整理し、そのときのフランス社会の政策を取り上げてみたい。

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移民の流れが生ずる原因を説明する際、通常「プル」要因と「プッシュ」要因に区別される。フラ

ンスの移民プル要因は、工業化、また隣接する国と比べて比較的低い出生率が主要なものであっ

た。19 世紀後半から人口増加の停滞が起こり、近隣諸国からの移民受け入れが必然化した。31

年の時点ですでに、滞在外国人は約 289 万人(フランス人口の 7%)に達している[宮島 2006:4]。

さらに、第 1 次世界大戦の多大な人口の喪失、また規模は少ないが第 2 次世界大戦でも人口減

少に拍車がかかったため、フランスの移民受け入れ政策に弾みがついた。45 年に人口家族高等

諮問委員会(HCPF)の提案の下、組織的な外国人労働者の受け入れも開始され、人口増加政策

がとられたのである。戦後復興として、労働力の確保や出生率の低下に歯止めをかけることが望ま

れた[ハーグリーヴス 1997]。

この人口増加政策では、経済学者は労働力確保や労働市場に重点を置き、差し迫っての労働

力不足の解決に関心を持っていた。そのため、外国人受け入れの際、民族階級には言及しなか

った。それに対し、人口統計学者はこの政策をフランスの低い出生率の埋め合わせという立場をと

り、将来移民がフランスの人口動態に不可欠であると考え、民族階級制を主張した。結局 45 年の

政令では、外国人受け入れに対する民族上の割り当ては定められなかったが、歴代の政府はアフ

リカ人やアジア人よりも、可能なかぎりヨーロッパ人を受け入れるよう奨励した。これを受け、受け入

れ直後はポーランドやイタリア、60 年代にはポルトガルやスペインからの外国人労働者が多く受け

入れられた[ハーグリーヴス 1996]。

しかし、フランス在住のヨーロッパ人の割合は次第に低下する。60 年代以降、ヨーロッパ系に代

わり、マグレブ1、ブラックアフリカ、東南アジア(インドシナ 3 国)系の入国が急増する。60 年代以降

新たな移民社会が構成されたと言っても過言ではない。移民の出身地の割合は第 2 章で詳しく述

べる。

60 年代、フランスは西ヨーロッパでもめざましい高度経済成長期を迎える。この高度経済成長期

には、移民が経済的・人口学的に必要という観点から見られ、雇用に対しても楽観的に考えられて

いた。外国人労働者がフランスの経済成長の発展に大きな役割を担ったといえる。この時点では、

外国人労働者は労働市場で必要であるので、不正規滞在外国人も常時、簡単な手続きで正規化

されていた[ハーグリーヴス 1996]。

73 年の第 4 次中東戦争に伴い、第 1 次オイルショックが起こる。これにより、石油価格の高騰が

西ヨーロッパ全体の経済状況に暗雲をもたらした。74 年、ジスカールデスカン政権は、失業の増大

を懸念して新規の外国人労働者の受け入れの停止を決定した。当時は一時的な措置という意味

合いが強かったが、この状態は基本的に現在まで続いている。

しかし、74 年の新規外国人労働者受け入れの停止の際、フランスは EC(欧州共同体)の加盟

国として、EC 域内出身者の受け入れを停止することはできなかった。労働者の域内自由移動が定

められていたからである。また、一定の分野の専門家と高度な技術を持つ者や、難民の庇護申請

があったときは非 EC 外国人でも入国が認められた[ハーグリーヴス 1996]。

オイルショック、そして 74 年の新規外国人労働者受け入れ停止後の約 10 年間は移民に関する

1アルジェリア、モロッコ、チュニジアから成る北アフリカの西部[ハーグリーヴス 1997:37]

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政策が大きく転換した年代でもあった。74 年以降、フランスは移民流入の抑制と、正規滞在移民

のフランス社会への統合を柱とし、移民法や国籍法を改正していく。

77 年、フランス政府(労働省移民労働者庁)は 75 年以来の国内の失業率の高さを示す数字を

引き合いに出しながら、「帰国とは、ひとの移動におけるノーマルな展望の一つ[宮島 2006:25]」と

専門書の中で書き示した。そして 77 年から、1 人につき 1 万フランの補助金つきで外国人労働者

の帰国奨励政策(バール・ストレル法)を始める。マグレブ諸国との二国間協力による帰国奨励政

策も進められた。また、80 年には外国人の入国滞在許可証を厳しくしたボネ法(公共秩序を脅か

す人物の入国禁止・追加収入の規制を定めた)が定められる。しかし、新規受け入れが停止され

た後、かえって不法入国者が増加するなど、目立った成果は上げることができなかった[ハーグリー

ヴス 1996]。

家族呼び寄せ

しかし、新規受け入れが停止された以上、再び来仏し出稼ぎができないと考えた労働者は、む

しろフランス定住の意思を固め始める。

移民が定住を始め、次に考えるのは故国からの家族の呼び寄せである。フランス政府としては

新規受け入れを停止しているので、家族呼び寄せに対しては消極的であった。74 年に新規受け

入れを停止した際に、家族移民の呼び寄せを一回は禁止しているが、75 年に廃止された。また、

移民支援団体2の訴えや最高裁判所にあたるコンセイユ・デタのはたらきかけもあり、様々な条件は

つくが、配偶者と未成年(または労働年齢以前)に限定した家族の呼び寄せが認められたのであ

る[ハーグリーヴス 1996]。

こうして 80 年代は新規移民・不法入国の阻止をすすめる一方、すでに入国している移民の生活

条件の改善・人道的対応が移民政策の柱とされた(ミッテラン左翼政権下)。不法入国労働者を雇

用した者に対する罰則、先述のボネ法の強化などの移民に対する取り締まり措置は依然として続

くが、移民の基本権(家族呼び寄せの再開・団体結社権)、司法手段の優先、移民の代表権・表

現権の擁護などが認められた。帰国奨励政策も「自発的なもの」に切りかえられ、国外退去の措置

の緩和、移民を対象とした教育優先地域(ZEP)などが政策として整備された[ハーグリーヴス

1996]。この教育優先地域については、第 3 章で詳しく取り上げる。

また、80 年代には家族化、滞在の長期化によって、とくに女性や若年層の移民が増加したこと

が特徴として挙げられる。また、外国人の就業率の低下、失業、教育・文化摩擦や社会問題が表

出した。このような状況の中、86 年に成立した保守派のシラク内閣ではパスクワ内相のもとで、外

国人取締り政策を実施する。滞在許可証や労働許可証の取得の条件は厳しくされた。

さらに、議会で右派が過半数を占めると、外国人の権利を縮小するような動きがとられる。93 年

にはフランス生まれの外国人の子供のフランス国籍取得の際、意思の表示を求める国籍法修正

2 移民支援の非営利団体 GISTI (Groupe d'information et de soutien des immigrés)フランスやヨーロ

ッパの移民法の知識を通じ、移民労働者への情報や支援を目的に 72 年に創立[GISTI:Welcome

2009.1.10]

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案(メニューリ法)が成立する。この法案ではフランスで生まれた外国人の子供は 16 歳から 21 歳の

間に、自らの意思でフランス国籍を申請することが求められるようになった。本人の意思によってフ

ランス人になることを選択した者にしか、フランス国籍を認めないという方針が強化されたのである

[ミュリエル 2003]。

98 年には左翼政権が復活し、移民に対して右派より緩和された政策がとられるようになった。同

年には、移民法(シュヴェーヌマン法)が改正され、滞在期間や就労の実績、子供のフランスでの

教育期間等の条件付きで、一部のサン・パピエが合法化された。しかし、以後さらに条件が追加さ

れ、厳しいものとなっている。

国籍法に関しては、98 年に、フランス生まれの外国人の子供のフランス国籍取得の際の意思表

示の義務化が、ギグー法で廃止された。以来、フランスで生まれた子供は 5 年間フランスに滞在し

ていることを証明できる場合、18 歳になれば自動的にフランス人になれるようになった。この自動国

籍付与の国籍法は現在まで至っている[ハーグリーヴス 1996]。

ここまで世界大戦の前後から 20 世紀後半までのフランスの移民政策の流れを簡単に追った。フ

ランスの移民政策は、右派、左派の政権によって若干の政策の違いはあるが、基本路線では大き

な変化もなくすすめられてきたといえる。現在では基本的に新規の移民受け入れの停止、滞在移

民の合法化や非正規移民のフランス社会の統合などが目指され、政策も過渡期を迎えている[宮

島 2006]。現在の移民政策については、第 2 章第 3 節で詳しく取り上げる。

図 1 フランスにおける移民に関する行政と公共政策の略史

フランスにおける移民に関する行政と公共政策の略史

年 フランス行政と公共政策

1945 年 人口増加政策開始

1960 年

~ 高度経済成長期

非正規滞在移民に対し、簡単な手続きで正規化

1974 年 外国人労働者の新規受け入れの「停止」の決定

(EU 加盟国出身者は往来通り)

1976 年 移民労働者の家族呼び寄せを条件付きで認める

(配偶者と 18 歳未満の子)

1977 年 補助金(一人 1 万フラン)付きの外国人の

帰国奨励政策の開始(1981 年まで)

1982 年 教育優先地域(ZEP)の開始

1989 年 女子生徒のイスラームのスカーフ着用により、

スカーフ論争起こる

1993 年 フランス生まれの外国人の子どものフランス国籍

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取得に際し、意思の表示を求める国籍法修正案

(メニューリ法)成立

1998 年 フランス生まれの外国人の子どもの国籍取得の際、

「意思の表示」を廃止する法案(ギグー法)成立

2006 年 新移民法「移民と統合」成立

2007 年 サルコジ大統領就任

([宮島 2006:11-14]より筆者作成)

第 2 章 フランスにおける移民の現状とフランス政府の対応

第 2 章では、フランスへ入国した移民の出身国の割合や、その理由などの具体的なことを明ら

かにしていく。特に、その可視性からフランス社会と文化摩擦がおきやすい旧植民地であった、マ

グレブやブラックアフリカ、東南アジア(インドシナ 3 国)を新たな移民層として取り上げる。次にフラ

ンス政府の移民政策の概念や、新たな移民層とフランス社会との間で可視性との関連性から論点

になりやすい宗教観について、フランスの政教分離を取り上げることで述べていく。また、現政権の

移民政策を取り上げ、第 1 章と合わせ戦後から近年に至るまでのフランスにおける移民政策をまと

めたい。

第 1 節 移民の出身国や背景

この節では、第 1 章の第 2 節でも少し触れたが、渡仏する移民の出身国の割合や背景などを大

戦直後大多数であったヨーロッパ移民と、60 年代以降増加している旧植民地からの移民とを区別

して述べる。

ヨーロッパ移民

本節では 2 度にわたる世界大戦前後から、現在に至るまでの移民や外国人を取り上げる。大戦

以前は、ベルギーとイタリア人が在仏外国人の半数以上を占めていたが[ハーグリーヴス 1997:34]、

その流れを受け、大戦後から 1968 年までフランスにおける外国人の割合は、ヨーロッパ人が大多

数であった。特に、フランスの近隣諸国からの外国人が多い。ベルギーやイタリア、スペインから渡

ってきた者は、石炭、鉄鋼、繊維産業などの未熟練労働職や農業労働のような職に従事した。こ

のように、経済的動機が主といえる。ヨーロッパ人の移住の場合、フランス政府が家族呼び寄せを

奨励したこともあり、多くは家族と共にフランスに定住した。

19 世紀中盤から約 1 世紀に亘り、イタリア人がフランスへの移住者の中核を担っていた。これに

は、第 2 次世界大戦後、労働力不足に悩むフランスの国立入国管理局(ONI3)がイタリアに移民

募集事務所を開設したことも大きな要因であった。60 年代前半まで、外国人人口に占めるイタリア

人数は常に最大であった。62 年の国勢調査によると、約 280 万人の移民のうち 31.8%がイタリア

出身者であった[本間 2001:217]。戦前、イタリアは経済的に立ち遅れており、偏見を持たれ差別

3 国立入国管理局 ONI:L’Office Nationald’Immigration [独立行政法人労働政策研究・研修

機構 2009.1.13]

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の対象になっていた。しかし、戦後イタリアが経済成長を遂げると、そのような見方は徐々に薄れ、

「出稼ぎ」という感覚も変わりつつある。

ヨーロッパ諸国からの移民が大多数だったと述べたが、イベリア半島を除くヨーロッパ諸国からの

移民は大戦後ゆるやかに減少し始める。イベリア半島とはスペインやポルトガルを指す。フランス在

住のスペイン人は、68 年には 60 万 7 千人に達し、それまでトップであったイタリアを抜き、フランス

最大のマイノリティになった。男性は自動車工場や建設現場で、女性は家政婦として働くものが多

かった。この時期、スペインからの移住者がフランス全体の移住者の 5 割前後を占め、フランスの

戦後復興に貴重な労働力として貢献した[本間 2001:211]。

1960 年代になると、ポルトガルは自国の植民地の独立を阻止する狙いで戦争に参加したが、こ

の時期に長期独裁政治を嫌い、来仏するポルトガル人が急増した。62 年には約 5 万人で、その多

くは独身男性の単純労働者である。70 年代以降に、移民たちの家族呼び寄せが始まり、68 年に

は 30 万人、75 年 73 万人に上り、最も急激に増加したマイノリティであった。82 年の国勢調査では、

ポルトガル移民の割合は全移民の 15.8%に達し、フランス最大の移民コミュニティになった[本間

2001:208]。彼らは徐々に単純労働から自立の道を歩み始め、革製品屋やレストランを独立して経

営したり、ビルやアパートの管理人になるなど、フランス生活に困難を見出さない者が増えてきてい

る。2001 年の段階では、フランスに滞在するポルトガル国籍者の数は、フランス以外の出生者の数

が約 50 万人、フランスでの出生者が約 14 万人であり、さらにフランス国籍を取得したポルトガル人

が 15 万人で、最大数となっている[本間 2001:210]。

ヨーロッパ人移民の最大の特徴は、見た目や肌の色がフランス人のそれと区別されにくいことが

あげられる。また、1952 年には ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)、58 年には EEC(欧州経済共同体)、

67 年には EC(欧州共同体)、93 年には EU(欧州連合)が作られ、戦後のヨーロッパは経済、政治

の統合を視野に入れた統合がすすんできている。域内での人と物の移動の自由化がすすみ、ヨー

ロッパ人の価値観も変化しつつあるといえる。かつては差別の対象だったポルトガル、スペイン、イ

タリア系移民も EC、そして EU への参加によって、フランス人との対立が取り除かれつつある。EU

加盟国同士の移民・外国人問題は徐々に解消されてきているといえる[本間 2001:227-228]。

「ビィジブル・マイノリティ」-新たな移民層の出現

ヨーロッパ人の渡仏人口が次第に落ち着いてきたのに対し、非ヨーロッパ移民の数は増え続け

ている。フランスでの非ヨーロッパ系移民とは、主にマグレブ系や東南アジア系(インドシナ3 国4)な

どの、戦前フランスの植民地支配下にあった国々からの移民が多い。特に、マグレブ、元フランス

領北アフリカ出身のマイノリティが群を抜いて多い。1950 年代以降マグレブ人はフランス移住の主

流になり、60 年代に家族定住がすすみ、フランス社会ではっきりとした形態として現れた[ハーグリ

ーヴス 1996:18]。それまでのヨーロッパ人の移民と異なり、新たな移民層が出現したといえる。

モロッコとチュニジアは 1956 年までフランスの支配下にあり、保護領としての地位にあった。アル

ジェリアは、47 年に適用された法令によりフランスと対等の地位を享受することになり、フランス本

国への自由な入国が正式に認められていた。また、アルジェリア人は、フランス国立入国管理局の

4 カンボジア、ベトナム、ラオスの 3 国

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取り締まりからも免除されていた。アルジェリアは 1962 年に独立したが、その後も数年間この権利

を保有していた。そのため、移民の数は46 年には2 万 2,000 人だったが、82 年になると 80 万 5,000

人にも増加した[ハーグリーヴス 1996]。

74 年の新規移民受け入れの停止から 77 年までに、フランス政府は現存する移民の人口を可能

であれば減らすべきという見解に達し、77 年には自主的な帰国を奨励した財政上の帰国奨励政

策(バール・ストレル法、前述)を行う。これをすすめた当時の移民労働者担当相のリネオル・ストレ

ルは、この帰国奨励政策において特にマグレブ系移民の帰国を焦点としていた。しかし、実際に

は前々から帰国を決めていたスペイン人やポルトガル人の帰国が大多数で、奨励金を利用して帰

国したマグレブ系移民は極めて限られていた[ハーグリーヴス 1996]。

1979 年の初めまで第三世界出身者は、経済的理由により渡仏した稼動年齢の男性が圧倒的

に多かった。しかし、74 年の新規移民受け入れ停止後、再度来仏し出稼ぎができないと考え、フラ

ンス定住の意思を固め、家族の呼び寄せをする者が増加した。彼らの母国とフランスでの所得や

社会保障の差が縮まらず、フランスでの定住の道を選んだ。こうして次第に「家族」という形態が標

準となった。家族の呼び寄せ以前は、移民労働者の多くは宿泊所やその他の特定の施設に居住

するものが多く、大多数のフランス人から隔離されて生活していた。家族と合流することにより、主

流の住宅市場に進出し、移民の子はフランスの学校に入学し、通学する。家族と再結合し、定住

することを選択し、フランスでの生活を始めたのである。今まで労働の場、作業の場以外で滅多に

出会うことのなかった移民集団が、日常、隣近所で視覚に映るようになり、可視性が言われるように

なった[ハーグリーヴス 1996]。

これらの人々は、先に述べたヨーロッパ人とは異 なり、「ヴィジブル・マイノリティ(visible

minority)」と呼ばれる。「ヴィジブル(可視)」が意味するところは、肌の色などの身体的特徴だけで

はない。母語、宗教実践、家族生活などにわたり、彼らはより周囲から異質視されやすい[宮島

2006:ⅵ]。身体的特徴が異なる他、行動規範、宗教や文化、それに基づく価値観などが、ヨーロッ

パ諸国が築いてきた国家の理念や規範とは異なっていることがフランス社会との摩擦を生んでいる

[宮島 2006]。

60 年代以降、それまで多数派であったヨーロッパ人から、60 年代以降、このヴィジブル・マイノリ

ティ中心の移民へと構成が変化した。また、彼らが可視化してきたといわれるのは、マグレブ系移

民の多くがイスラーム教信者であり、カトリックが多数派を占めるフランスで異質視されやすいことも

大きい。ムスリムの人口は 80 年代を通して、フランス社会で大きな比重を占めるようになった。フラ

ンスでのムスリムの人口は 80 年代末には 245 万人に達し、イスラームの礼拝所(モスクと小さい礼

拝所マスジットの合計)の建設数は、1976 年には 131 であったが、1985 年には 619 にもなっている

[内藤 1996:62]。フランスでは 2007 年の時点でカトリック 62%、イスラーム教 6%、プロテスタント 2%、

ユダヤ教 1%[外務省 HP 2007.12.29]であり、イスラーム教は第 2 の多数派宗教となり、ムスリムは

人口の一割を占める[宮島 2006:192]。

イスラームの信仰実践が顕在化してきたことで、イスラームの可視化と呼ばれることもある。また、

2001 年 9 月 11 日に起きたアメリカでの同時爆破テロ以来、イスラームに対する偏見が持たれてき

ていることもある。国家と宗教を区別する、政教分離をすすめるフランスで、ムスリムの存在と彼らに

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0

10

20

30

40

50

60

スペイン

イタリア

ポルトガル

アルジェリア

モロッコ

チュニジア

トルコ

国籍・出身国

人数(万人)

移民

外国人

対するフランス社会との関係性が問われている。政教分離については、第 2 節で詳しく取り上げ

る。

図 2 フランスにおける移民・外国人の主な国籍、出身国(1999 年)

([宮島 2006:79]より筆者作成)

第 2 節 移民政策の概念とライシテ(政教分離)

本節では、フランス政府の移民に対する政策の概念とフランス特有の宗教観を取り上げ、移民が

フランス社会にとってどう考えられてきたのか、みてみたい。

移民に対する政策の概念

フランスでは長く植民地下に暮らす人々へのフランス的政治システムや、公共政策などへの「同

化(assimilation)」政策がすすめられていた。フランスに暮らす移民に対しても、少なくとも公的領域

では文化的・宗教的な相違の承認は行われず、移民が持つアイデンティティや文化は認めらなか

った[ハーグリーヴス 1996]。

オイルショック後、外国人労働者の受け入れを停止し、対外国人労働者政策の展開を迫られる

ようになった 74 年前後から、移民・外国人の社会的「編入(insertion)」という言葉が使用されるよう

になった。「編入」の語は、移民がそのアイデンティティ、文化的特徴を保持しながら、社会的に受

け入れられていくことを指す[宮島 2006:27]。74 年、移民労働者庁が、住宅問題をはじめとする移

民のフランス社会への編入を公の課題として位置づけるなど、フランス国家の移民政策のモデルと

して、「同化」とは区別されて使用された[ハーグリーヴス 1996]。

80 年代に入り「統合(integration)」という言葉が使用され始める。「統合」の持つ意味とは、フラ

ンスにおける移民の社会化のプロセス・相違を認めた上での共生を指し、政府主導型の政策であ

る。社会生活全般での受け入れを目指すものである。しかし、この「統合」モデルに対して批判もあ

る。市民的地位も与えられた移民やその子どもが、統合されているのにもかかわらず、教育、雇用

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その他の資源上の不利や差別をこうむっている事実があるのである[ハーグリーヴス 1996]。

移民のフランス社会へ求められる姿勢は、年代や政権によっても異なる。アイデンティティや文

化に関わることもあり、デリケートで、単純に割り切れず、問題として表出することも少なくない。しか

し、多文化共生を考える上で必要な観点である。アイデンティティや文化面での移民の現状は、第

3 章で取り上げる。

ライシテ(政教分離)

フランス政府の移民に関する政策を法律や国籍法などについて、大まかに通史的に述べたが、

ここではフランス政府の宗教に対する価値観である政教分離を取り上げる。これにより、フランス国

家と宗教の関係性を実例を出したうえで明らかにし、先に述べたヴィジブル・マイノリティの可視化

をさらに深く述べたい。

フランスは国家と宗教を分離することに関して厳しい国である。この政教分離の国家原則(非宗

教性)をライシテ(laïcité)と呼ぶ[内藤 1996:54]。ライシテとは、国家と宗教とを分離し、お互いが干

渉しないという原則である。具体的には、個人や集団が公的な場所で宗教を表すこと、つまり宗教

が公的な空間に侵入することを禁止している。ただ混同しがちなのであるが、個人の宗教の自由

は認められているということを確認しておく。

なぜ厳格にライシテの原則を徹底する必要があるのか。歴史的になぜライシテの原則が定めら

れたか、簡単に述べる。

フランスでは、長きに亘りカトリックと共和制国家との間には堅固な関係性があった。宗教を国家

の保護下に置くことによって、国家の安定性をはかり、統治を容易にしていたのである。しかし、近

代を通じて神の啓示よりも人間の理性を重視する思想が育まれ、1789 年に初めての政教分離が

定められた。1870 年には急進的な共和主義者による政権時(第 3 共和政時)に考えられた 3 つの

政策が実現し、現代まで至っている。第1に、カトリック社会において大きな影響力を持ち、世論を

操作していた修道会の権力を抑制すること。第 2 に、公教育からカトリック教会の干渉を排除するこ

と。第 3 に包括的な教会と国家の分離である[内藤 1996:56]。

教育については、段階的に非宗教化がすすんだ。1881 年初等教育が非宗教化され、82 年に

は公立初等中学校での宗教教育を禁止し、86 年には初等教育から聖職者が排除された。1904

年には、修道会が教育活動を行うことも禁止されている[内藤 1996]。

神の啓示よりも人間の理性を重視する思想と先に述べたが、ここでイスラームとの価値観の違い

が生じる。私的生活と公的生活との区別のない宗教法と結びついている文化には、政教分離の法

則は受け入れがたいのである。このライシテの原則を個々の市民の振舞い方を規制するようなレベ

ルまで拡大すると、衝突が起こり得る。特に、ムスリムとフランス社会との間で、この宗教とライシテ

の原則の関係性は 1989 年に論争となって表出する。この事件により、ヴィジブル・マイノリティの可

視性がより言われるようになったのである[内藤 1996]。

この事件は 89 年、パリの北の郊外クレイユ市の公立中学校で、モロッコ人、チュニジア人を親と

する 3 人の女子中学生がスカーフで顔を覆って登校し、そのまま授業を受けることを学校長が拒否

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したことに始まる。本人達はスカーフを脱ぐことを拒み、保護者との話し合い、イスラーム関係者の

抗議、国民教育大臣(当時リネオル・ジョスパン)の声明、国民議会での質疑等、波紋を呼んだ[宮

島 1996]。

この事件は、生徒の宗教の自由を尊重する見地からいって、学校内において宗教シンボルを着

用することはライシテ原則と両立できるが、これ見よがしのシンボルの着用等によって他の生徒にと

って圧力やプロパガンダになること、自己あるいは他の生徒の尊厳や自由を侵害すること、健康や

安全に危険をもたらすこと、学校の行う教育活動に支障をきたすこと等は許されないという見解が

コンセイユ・デタ(最高裁判所)により出され、その線に沿って解決が図られた[内藤・阪口

2007:113]。

ムスリム達が彼らの信仰心に従って、公共の場である学校にスカーフを持ち込んだことにフラン

ス社会は大きな衝撃を受けた。しかし、以前からムスリムが存在しなかったわけではないのに、なぜ

イスラームの可視性がこの事件からさらに言われるようになったのであろうか。

一つはフランス社会が、この事件をきっかけに彼らの存在に目を向け、「フランスに同化したマグ

レブ移民」という見方をやめ、「ムスリムとしてのマグレブ移民」に気付いたからである[内藤 1996]。

また、フランスで教育を受けた第 2 世代が、ムスリムであることを隠そうとはせず、積極的にアピー

ルすることも多くなってきていることも理由の一つとしてあげられる。それは、フランスの社会システ

ムや政治に対する不満や、不安が、フランス社会への批判、そしてイスラームの覚醒へと繋がるか

らである。来仏して定住しムスリムとして生きること、それは彼らがフランスに対して人としての主張を

始めたということなのである。イスラーム文化が「可視的」という根拠はないが、「可視的」という表現

がフランス社会の中での彼らの異質さを強調し、それを排除しようとする気持ちが背後に隠されて

いるといっても過言ではない[内藤 1996:63]。

第 3 節 移民法改正と現政権下の移民政策

2007 年 5 月にニコラ・サルコジ(Nicolas SARKOZY)大統領が誕生し、フランスにおける移民政

策も過渡期を迎えている。第 2 章の最後に、2006 年の移民法改正と現サルコジ政権下(2009 年 1

月現在)の移民政策を取り上げ、現在のフランス政府が移民に対しどのような姿勢をとっているの

かみてみたい。

2006 年移民法改正

2005 年当時内相であったサルコジは、パリ郊外で起こった移民系青年の事件を発端に起こった

暴動などを受け、2006 年 6 月に移民法を改正した。2003 年に当時も内相であったサルコジ自身が

成立させた法であり、「サルコジ法」と呼ばれる。自身も移民出身のサルコジだが、移民規制委員

会の議長を務めるなど、移民政策に関しては移民管理の厳格化路線を取っている[独立行政法人

労働政策研究・研修機構 2008.12.12]。

2006 年移民法の特徴は、①移民の選択的受け入れ、②移民流入の抑制、③社会統合策の強

化という 3 点があげられる[CLAIR 2008.12.12]。

①は、能力や才能のある外国人、有資格労働者、修士レベルの学生などには門戸を広げ、そ

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れ以外の移民には条件を厳しくするというものである。つまり、科学者や知識人、企業家、芸術家、

高水準のスポーツ選手などの才能や能力によってフランスに貢献することができると認められた

人々を優先的に受け入れようという考えである[CLAIR 2008.12.12]。移民選別が促進されていると

いえる[独立行政法人労働政策研究・研修機構 2008.12.12]。

②では、家族呼び寄せの制限を拡大すること、不法滞在取り締まり強化、婚姻に基づく滞在許

可証の条件の厳格化などがあげられる。家族呼び寄せの際に、1 年以上正規に滞在していれば

移民たちが自分の家族の呼び寄せができたが、18 ヶ月(1 年半)に変更された。また、家族呼び寄

せをする際、収入や住宅などの条件も厳しいものとなった。例えば、家族呼び寄せの申請に、勤労

所得が少なくとも SMIC(法定最低賃金)以上であることという条件が規定されている[独立行政法

人労働政策研究・研修機構 2008.12.12]。これは、「家族的移民が増えることは財政負担が増えこ

そすれ、フランスの経済や威光にとってプラスにはならないという考え方によるもの」とされる

[CLAIR 2008.12.12]。

また、10 年以上の滞在を証明できる不法滞在者への正規滞在許可証の自動交付制度を廃止し、

不法滞在者を取り締まる姿勢をさらに堅固にした。フランス国籍を有する者との婚姻関係に基づく

正規滞在証については、「結婚 2 年後」から「結婚 3 年」に改正された[独立行政法人労働政策研

究・研修機構 2008.12.12]。

③ で は 、 フ ラ ン ス へ の 滞 在 申 請 者 に 受 け 入 れ ・ 統 合 契 約 ( CAI:contrat d’accueilet

d’integration)という書類への署名が義務付けられるようになった。移民の流入規制、選別化の促

進とともに移民の社会統合の促進が重要視されていることが 2006 年次の移民法改正において特

徴であると注目したい。これは、滞在許可申請者とフランス共和国で交わされるものであり、移民は

フランス語や市民教育講座に出席することを約束し、それに対し国家は就職や生活・教育等に関

する情報の提供や各種支援を保障するという契約である[独立行政法人労働政策研究・研修機構

2008.12.12]。

具体的には、書類を作成する社会監査員との個人面談、共和国の原則と価値・市民の基本的

権利と義務を教える公民教育、フランス語の試験の実施と入国者の語学レベルに応じたフランス

語の講習、フランスでの日常生活に関する説明会(医療や社会保護、教育や子供を預けるための

様々な方法、職業訓練や雇用、住居に関する情報や知識についての講習)、ソーシャルワーカー

との面談、があげられる。この CAI は 2003 年度に 12 の県で試験的に実施されたものであるが、

2006 年度末には 95 県まで拡大、また、CAI に署名した人数は 2006 年度では 95,693 人で署名率

は 96%となっている[独立行政法人労働政策研究・研修機構 2008.12.12]。

2007 年以降のサルコジ政権

このように、内相時代から移民取締りや移民管理の厳格化路線をたどってきたサルコジだが、

2007 年 5 月に大統領に就任する。サルコジ政権の移民政策では、「選択的移民政策への転換」と

「社会統合の促進」が二つのキーワードとして主張されている。サルコジはまず、移民・統合・国家

アイデンティティ・共同開発省を創設。これは、今まで外務省、内務省、労働省、法務省などに分

散されていた移民に関するすべての内容を統括するため創設された。このサルコジ新政権では、

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移民出身の女性 3 人を閣僚に起用した5ことも特徴である[独立行政法人労働政策研究・研修機

構 2008.12.12]。

また、2006 年度の移民法改正で、SMIC 以上の収入があることが条件とされていたが、今回さら

にこれを強化し、「SMIC と同額から SMIC の 1.2 倍まで」と定められた。CAI ではさらに、親に子ども

のフランス社会への同化、特にフランス語の能力の向上について誓約を求めており、契約に反し

たとみなされる場合、家族手当支給の減額や停止もありうるとされた[独立行政法人労働政策研

究・研修機構 2008.12.12]。

サルコジ政権下の移民規制強化法案で、特徴的なのが「家族呼び寄せの際に血縁関係を調べ

るために DNA 鑑定を求める」というものである。これは任意であるが、母子関係にのみ実施され、

2009 年 12 月 31 日まで試験的に行われる。これには、野党や人権保護団体から反対の声があが

り、国民からも疑問視され、40 都市で抗議運動などが行われたが、違憲とは見なされず、成立に至

った[独立行政法人労働政策研究・研修機構 2008.12.12]。

フランスの移民政策はサルコジ政権下で今後も大きな改革が行われることが予想され、過渡期で

あるといえる。フランスでの共生社会の形成にあたって今後の動向が注目されるところである。

まとめ

第 1 章では、フランスの移民受け入れの歴史、その時々の移民政策を取り上げた。フランスの移

民の歴史は、移民が奨励されていた戦後の労働力不足の時期から、オイルショックを受け、その

時々の内閣の方針の違いはあれが、次第に移民に対し制限する方向に向かっている。

また、第 2 章ではフランスの移民の割合の特徴を、移民政策の概念やフランス国家の原則であ

るライシテの法則、教育の場面から問題として表出しやすく、これからのフランス政府の移民政策

やフランス国家の方向性を左右するであろうヴィジブル・マイノリティを主に取り上げることによって

見てきた。また、現政権の移民政策を述べることで、戦後から現在に至るまでのフランス政府の移

民政策の流れを簡単にまとめた。

移民はこれまで労働力として受け入れられたり、また、経済停滞からくる失業の懸念による 74 年

以降の新規受け入れの停止や政治的理由による亡命など、経済的、政治的な要素で語られるこ

とが多かった。しかし、家族呼び寄せが多くなり、2 世、3 世の代になってきて、フランス社会で定住

する移民が増加してきており、もはや経済面や政治面で特別視されるのではなく、フランス社会で

共に暮らすことを念頭に置いた政府の政策や、地方自治体、市民団体の対応が必要とされている

のではないか。

移民のアイデンティティや文化を否定することなく社会生活全般で移民たち、特に第 2・3世代

がフランス社会で同等に暮らせるような多文化共生の社会を、移民大国と呼ばれるフランスがどう

すれば達成できるのであるか、筆者なりに第 3 章以降で考察していきたい。

5 モロッコ人とアルジェリア人を父母に持つ移民 2 世のラシダ・ダディ氏が法務大臣、アルジェリア

移民 2 世のファデラ・アマラ氏が都市政策担当閣外大臣、セネガル出身のラマ・ヤド氏が人権担当

閣外大臣に任命された[CLAIR 2008.12.12]。

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第 3 章 共生社会に向けて

第 1、2 章では、フランスを移民が多い国の一例として、移民受け入れの歴史や移民増加要因、

移民政策の概念や現在の移民政策などを明らかにした。第 3 章では、移民が生活するうえで生じ

る問題、また、移民・外国人を含むマイノリティへの支援を行う団体やその活動例などをあげ、どの

ように平等な社会を推進していくことが可能なのかを筆者なりに考察したい。特に筆者が問題意識

としてあげた、移民の第 2・3 世代(移民や移民出自の子どもたちや青少年)に関わりの深い教育

やアイデンティティなどの現状を整理し、それをどのようにフランス社会が共生に向けて支えていく

ことができるのか考察したい。

第1節 文化面での現状とこれから

この節では、教育・アイデンティティ形成など、移民が経験し得る具体例を挙げ、主に文化面で

の現状を明らかにしたい。教育の項ではフランスの義務教育を簡単に紹介し、移民の子どもたち

がどのような状況にいるのか見てみたい。アイデンティティの項では、アイデンティティの形成の仕

方、フランスで生活する移民や移民の子どもと第 1 世代との差などを移民が直面する現状として、

また今後の展望などを筆者なりに考察したい。

教育

フランスの教育状況

まず、フランスの義務教育制度について概略を説明する。フランスの義務教育は、小学校(6

歳)からリセ(中等教育の後期 3 年間)の一学年(16 歳)までの 10 年間である[下條 2003]。国籍を

問わず、全ての子どもに等しく就学の義務が定められている[原田 1988]。フランスの教育・学習上

の特徴は、教育は学校が独占せず、親・教会・コミューヌ(市町村)・地域社会が、教育・学習の時

間を共有している点があげられる。なお、義務教育未満の年齢の子どもの教育状況についてはこ

こでは割愛する。

また、教育方法は教育現場に任されているということ、教育課程マスター主義が徹底している点

も特徴として挙げられる。義務教育においても、教育課程を習得しなければ修了とならず、留年生

や落第生が非常に多い国といわれている。日本人には考えられにくいが、小中学校にあたる年齢

でも行われる。この落第・留年の制度は先進国の中でもフランス特有であり、同じ学年にも年齢や

学習意欲に差異が生じているとしばしば問題視される[下條 2003]。

また、フランスでは教育を受ける場所を特定していない。義務教育は 6 歳から 16 歳までと定めら

れているが、教育の場は、学校以外の企業などの教育施設や家庭などでも可としている。多くの国

が国立・公立学校または私立学校と規定しているのに対し、フランス独自の教育観念といえる[下

條 2003]。

このような状況下で、フランスでは近年、私立学校での教育が目立ってきている。伝統的に公教

育重視政策を掲げてきたフランスだが、2000 年 9 月末には、私立学校は全体の 18%を超えた。ドイ

ツやイギリスが常に 10%前後であるのと比べると私立学校での教育率が高いことがわかる[下條

2003]。

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幼稚園・小学校では私立学校の占める割合は 14%であるが、中等教育課程だと全体の 20%近く

にのぼる。1990 年代後半には、バカロレア6への合格率で私学修了者が優位だったこともあり、公

立学校と私立学校の格差が生じてきている。また、こうした傾向は、公立学校における児童生徒の

ふぞろいということをもたらし、公立学校への不安・混乱を招きつつある[下條 2003]。

このようなフランスの義務教育制度、教育状況下で移民の子どもたちの就学状況はどのようにな

っているのであるかみてみたい。

フランスでは教育課程マスター主義を取り、落第生や留年生が多いと前にも触れたが、それだ

けでなく、落第、学力遅進、ドロップアウト、就職準備コースへの集中、進学コースからの落ちこぼ

れなども存在し、問題視されている。この状況は、移民の子どもたちとも無関係ではない。1960 年

代には小学校低学年の落第率は 20%、中等課程で 18%であったが、2000 年代前半には中等課

程の修了時を除いて 5%前後と減少してきている。この 5%の落第率には、移民が関係しており、彼

らの家庭の経済状況、住環境が良好とは言えず、親の学歴が低く、また、教育観もフランス的でな

いなどということが関係している[下條 2003]。

また、マグレブやアフリカ出身の子どもたちが多い公立小中学校では、多くの親は自分の子ども

をそこに入れないために例外的措置を取ろうとしたり、引っ越したり、私立学校を選ぶという近年の

傾向がある[ミュリエル 2003]。これが私立学校の教育率が高くなってきたという、前述の現代フラ

ンスの教育の兆候につながるのである。

公立学校が避けられがちな傾向の根本にあるのは、公立学校の質の悪さ、また、教育の現場で

もゲットー化(郊外化)が進んでいるということにある。移民出身の子どもたちが多い地域(パリの 17

区、18 区、19 区、20 区)や郊外では、ブール7や黒人しかいないという学校も少なくない。80%の子

どもが移民出身という郊外の学校もある[ミュリエル 2003]。

公立学校がゲットー化してきているのはゲットー化した郊外地区が存在するからであるとジョシュ

ー大学の社会学教授マリズ・トリピエは言う。「移民は常に、受け入れてくれる社会層に同化するの

で、学校はそのときの社会問題が凝縮した場」とも述べられている[ミュリエル 2003]。

フランス人の親たちは子どもを私立に入れたがり、学校のゲットー化はますます進んでいる。しか

し、移民の親たちも、公立学校を避け私立に通わすこともある。公立学校での落第率の高さ、均等

でない教育の質が子どもの将来に影響を及ぼすことがあると考えるからである。しかし、それが可

能なのは、一般的に比較的裕福な移民層であるとも言える。学校の成績の悪さや落第、落ちこぼ

れなどは、家庭の状況や経済的に恵まれているかに起因する。家族の状況や社会環境が良けれ

ば、外国人または移民出身の生徒はフランス人の生徒と同じくらいの成績であるとミュリエル

[2003:80]は述べている。

6バカロレア (Baccalauréat)という、中等教育修了認定と大学入学資格を兼ねる国家資格、すな

わち国家が認める学位の一つである[下條 2003]。 7 ブール(Beurs)。アラブ(Arabe)やアラブ人を意味する rebeu をもじって作られた言葉。侮蔑の意

味合いを込めてフランス人がマグレブ第2世代に用いた呼び名。しかし、フランス生まれのマグレブ

第2世代であるので、フランス人である。今日では意味合いが変化し、マグレブ第2世代自身が自

らのアイデンティティを主張するのに用いることもある[ミュリエル 2003]。

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移民を含むフランス人の教育段階にある子どもたち皆が、共に平等に教育を受けることができる

ようになるべきであると筆者は考える。戦後移民してきた人々が、家族呼び寄せして定住し始め、2

世 3 世の世代になり、共存に向けてますます理解されることが必要である。つまり、違いがあるとい

うことを知り認識した上で、政府も差異を強調せず、また同化を強いることのない平等な教育を提

供するべきである。

ここで、実際に移民の子どもたちの学習状況についての状況を述べ、多少の考慮がなされてい

ると思われる義務教育制度を見てみる。

1970 年代前半までは、第 1 章に述べたような同化主義的な政策が教育の分野でとられていた。

「入門学級」や「適応学級」などといった、フランス語が話すことができない子どもを対象に特別に

構成される学級で、徹底的にフランス語を学ばせ、普通学級に同化させようとしたのである[桑原

1994]。

しかし、1975 年からは移民の子どもの出身国の言語・文化の教育を学校内で保証するという政

策が登場する。「基礎教育に就学中の外国人生徒のための母国語の教育」に関する 2 国間協定

を締結し、本国から派遣される教師が、小学校に在籍するその国出身の子どもたちに母国語を週

3 時間教えるという施策であった。ポルトガル・スペイン・チュニジア・モロッコ・ユーゴスラビア各国

の政府とフランスが締結したものである。この取り組みは、フランス人の子どもたちも参加可能であ

ったため、異文化理解教育としても機能していた[桑原 1994]。

しかし、子どもたちは第 2 世代が多く、親の希望とは裏腹に出身国に対して文化的劣等感を刺

激してしまうという問題点が指摘されるようになってくる。母語教育も大切であるが、それだけでは

移民出身者ということを強調し、フランス人としてフランスで生活していくのにあたり、出身国の文化

に偏りがちで、その特異性を強調してしまうという問題点もあげられるのではないかと筆者は考え

る。

異文化間教育

このような流れを受け、近年では「異文化間教育(Intercultural Education)」の可能性が模索さ

れるようになってきた。文化の異なる多国間の相互作用を公教育の中に促進させ、教育制度に新

しい文化的価値を創造しようという取り組みである[桑原 1994:258-259]。

異文化間教育とは、異文化との接触や交流を契機として、あるいは異文化との接触と相互作用

が恒常的に存在する構造的条件のもとで展開する、人間形成にかかわる過程であり、また異文

化・異民族との接触と相互作用の過程や結果に即して、あるいは接触・相互作用を想定して、行

われる教育的活動である。また、異文化間教育の対象としては、1.移民・在留民・難民、2.多民族

国家の少数民族、3.一般の子ども達であるとされる[江淵 1997]。

また、今日のヨーロッパでは、特に近年のイスラーム教を背景にする移民、域内の外国人、言語

的・文化的・宗教的な背景を異にする人々との共存のための教育も異文化間教育と称している[江

淵 1997:237]。

マイノリティの子どもに求められるものは、1.国家の言語を含む(アングロサクソン社会では英語

を意味する)社会の共有する価値を学ぶこと、2.文化的文脈の中で、彼らの母語を学ぶこと(文字

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の学習を含む)、3.自分自身の言語、文化だけでなく、自分が住んでいるところの民族の言語と文

化に接近すること、4.社会の多文化的な性格を理解し価値づけ、そして社会の中のさまざまな文

化を認識することを学ぶことの4点であるとされる[江淵 1997:192]。

移民たちの出身国の文化・言語、彼らの住んでいる文化・言語を理解することにより、彼ら自身

のアイデンティティを確認することができる。自分たちの持っている文化・言語のうえにさまざまなも

のを築きあげるということを意識し、そのプロセスを異文化間教育で育むことができたらと良いと筆

者は考える。

具体的には、出身国の文化的アイデンティティを保持、発展させながらも、一方で受け入れ国の

中に最適な仕方で適応していく、といったことが目指されている。

異文化間教育は、国籍を持っていてフランス人であるのに可視的なことから平等に扱われず教

育において不平等が生じたり、落第制度などがあることから落第・落ちこぼれなどが多かったり、地

域差があるなどのフランスの教育において、多文化共生の概念だけでなく、フランスにおける義務

教育段階における子どもたちに有益であるのではないかと筆者は考える。今教育を受ける第 2 世

代がさらに定住し、新たな世代が教育を受けるという流れが続き、ますます多文化共生の概念、共

存するということを意識することができるのではないかと考えるからである。

異文化間教育を普及させるためには

上で取り上げた異文化間教育だが、いまだ発展途中であり、実践し、研究を重ね、学校制度や

教師、子どもたちに合ったものを作り上げていくことが重要である。現在あまり普及していないという

現状があるが、普及していない理由を見ることで今後の異文化間教育の可能性を考察してみた

い。

内藤[1996:91]がドイツで二言語教育8・異文化間教育があまり普及していない理由について 3 点

述べているが、筆者なりに地域に限定せずに加筆・修正したものを以下に述べる。

1.ホスト社会の意識

ホスト社会が二言語教育のような母語を介した教育自体に熱意を持っておらず、必要性を感じ

ていない。

2.財政上の問題の問題

移民の多い地区の学校では、多くの国籍、出自を持った子どもたちが混在しているので、仮に

異文化間教育を制度化しようとしても、異なる出自、文化を持った子どもたちに対応する教材

や教師を配置するのには、財政的に不可能である。

3.カリキュラムを作成する上での問題点

フランスやドイツでは、前述の通り、学校教育での教育方法は教育現場に任されているというこ

とがあり、移民の子どもに対する教育の実施方法や内容も学校に委ねられている。そのため、

異文化間教育や二言語教育も担当する教師の意思と努力に頼る部分が大きい。

4.移民社会側の問題

8 移民の母語とホスト国の言語を併用して授業をすること。単なる母語教育とは区別される。

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母国の文化に執着が強いとされる第 1 世代は子どもに母語教育を受けさせたいと考えるが、第

2 世代は移住した国の言語をコミュニケーションに使用するほうが容易であり、現実的に必要と

考え、移住した国の文化との相互関係を理解するという異文化間教育の理念が、親たちに浸

透していない[内藤 1996:91-92]。

つまり、文化の相互関係を理解するという異文化間教育の理念が、ホスト社会でも移民社会でも

あまり浸透おらず、社会全体が一体となって、二言語教育・異文化間教育を推進しようという態勢

ができていないということが理由の一つと言える。

では、どのように移民との共生を視野に入れた教育を実践していくことができるのであろうか。以

下に経済開発協力機構9(OECD)が取り組んでいる、主に西欧での移民の子どもたちの教育につ

いての研究プロジェクトを取り上げる。OECD では、異文化間教育を行っている機関ではないが、

移民・外国人との共生を目指した教育についての提言を行っているので、ヨーロッパ諸国でどのよ

うに実践できるのか筆者なりに考えてみたい。

ヨーロッパ各国での移民・マイノリティを含んだ教育についての課題

前述の OECD では、戦後、移民労働者が流入し、言語的・文化的背景を異にする人口が増加し、

受け入れ国において文化的・民族的相違によるハンディキャップを持った少数民族の子どもたち

の学校教育上の諸問題が顕著になってきたという事実を重要視した。そして、「教育と文化的言語

的多元主義」(Education and Culture and Linguistic Pluralism:ECALP)という名の研究プロジェク

トが開始され、実態調査や統計の収集などが行われた[江淵 1997:240]。

ECALP では、移民・外国人の統計的・数量的な調査も行ったが、ヨーロッパ各国の教育に対す

る政策や学校教育施策への提言も行っているので、筆者なりにまとめてみたい。

1.各国の政府担当者の異文化間教育への認識が、「他の文化に親しみを持つこと」ということ

を学校教育において実施する際に重視したが、マイノリティの子どもたちのみを対象にして

いる。また、マイノリティの子どもたちにその出身文化を補うということで止まっており、「相互

的な」教育の観点に立ってはいない。

2.各国政府の政策立案者が、移民やマイノリティの文化的アイデンティティの確立ということを

強調したが、逆に出身文化を固定化してしまい、移住先で変容する彼らのアイデンティティ

や文化が考慮されていない。

3.学校教育では、子ども、親、教師、地域の連帯が必要不可欠であり、このことを政策に反映さ

せるべきである。移民、マイノリティの在籍する学校や担当教師の質にも、移民の子どもた

ちへの学校教育への適応の失敗の原因が挙げられるべきであり、また、異文化間教育の

可能性を求めるべきではないか[江淵 1997]。

という3点である。

移民・マイノリティへの対応としての「移民の子どもたちへの教育」ではなくて、定住化が進み、第

1世代から次第に世代が交代され、フランス国籍を持つ移民出身者も増えていくという状況などに

9 経済開発協力機構(Organization Economic for Co-operation and Development:OECD)

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より、「すべての人々への多文化共生のための教育」(異文化間教育)が必要となってくるのである

[江淵 1997]。つまり、移民の出身国の文化や教育観だけが強調されるのではなく、受け入れ国の

社会における子どもたち全員が、多文化、多言語、などの存在を認め、理解するような教育を保証

するべきであると筆者は考える。

また、学校のみならず、親、教師、地域の共同関係による連携が必要であるとも考える。フランス

では、移民やマイノリティが多く住む都市近郊の地域に、社会的・経済的・文化的なハンディキャッ

プが学業達成を阻害する地区として教育優先地域政策10(ZEP)を採用しているので第3章2節で

フランス政府の政策の一部として取り上げたい[江淵 1997]。

アイデンティティ

アイデンティティ形成

第1節の前半部では、フランスの義務教育を取り上げ移民・外国人の子どもたちはどのような教

育状況下にいるのかを取り上げた。彼らはどのようなアイデンティティ(identity)を持つのであるか、

ここで考察してみたい。

自分がどの民族に属するのか、何人なのかという民族意識のことを「エスニック・アイデンティティ

(Ethnic Identity)」という[栗橋・森 2006]。また、自分はどの民族の言葉、文化、習慣、価値観、社

会ルール、人間関係のあり方、コミュニケーション・スタイルなどを取り入れ、自分を形成していくの

か、ということも含む。

移民の子どもが移住した国でこのエスニック・アイデンティティを形成していく過程には、大きく4

つのタイプがある。栗橋・森[栗橋・森 2006]は、アメリカに住む日本人を4つのタイプに分類してい

たが、ここではフランスに住む移民・外国人を当てはめて筆者なりに考えてみたい。

1、 出身国のアイデンティティを強く持つタイプ

出身国の価値観、考え方を持ち、同じルーツを持つ人々が多い地域内で生活をし、出身国の言

語を使って生活する。

2、 フランス人としてのアイデンティティを強く持つタイプ

フランス人の価値観、態度、考え方を身につけ、フランスの社会・生活習慣に従い、フランス語を

主に使って生活する。

3、 バイカルチャラル(bicultural)・タイプ

フランスや出身国の文化、価値観、習慣などの自分にとって好ましいところ、合っているところを

取り入れ、自分独自のアイデンティティを確立し、生活している。

4、 出身国とフランスの両方の文化に否定的なタイプ

どちらも拒絶してしまい、自分に自信を持つことができず、否定的になって生活している[栗橋・

森 2006]。

これは一つのモデルに過ぎず、すべての移民をこのようなタイプに当てはめることは不可能であ

10 教育優先地域(zone d' éducation prioritaire:ZEP)[宮島 2006:157]

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るともここで確認しておく。また、どのタイプが優れているかというような議論もしないが、第 3 のバイ

カルチャラル・タイプがフランスに移住し、定住化がすすむ第1世代や、生まれがフランスでありフラ

ンス国籍を持ち、移民出身者ではあるが、フランスに定住している人々にとって、適当なのではな

いかと筆者なりに提案したい。

また、義務教育段階の子どもは、アイデンティティ確立の時期である。子どもがどのようにアイデ

ンティティを形成していくのかは、学校での教育、家庭環境、親のエスニック・アイデンティティ、育

つ文化背景や社会背景、育つ環境によって違ってくると言える[栗橋・森 2006]。

このことから、筆者はフランスでの移民・外国人の子どもの生活では親、家庭環境、地域などの環

境が与える影響が大きいと考える。影響力があるからこそ、多文化共生に向けての意識を改革して

いくことも可能であり、大きな推進力となり得るのではないか。実際の家庭内、親のエスニック・アイ

デンティティの状況を次で見てみたい。

第1世代、第2・3世代のアイデンティティ

移民の中でも、第1世代と第2・3世代11との間にアイデンティティの在り方、フランスに対する考え

方に差があるといわれる。

第1世代では、出稼ぎ労働で一時的に来仏し、いずれ出身国に帰国するという考えのまま数十

年経過し、実際には帰国することができず、結婚し子どもを生み、定住しているケースも多い。その

ような人々には、フランスの生活、文化に心を閉ざし、否定的で閉鎖的な態度でいる人々も少なく

ない。「いつか帰る」という思いを持ち続ける為に、子どものフランスでの教育に対し積極的でない

ということもあげられる[ミュリエル 2003]。また、第1世代では、母国の文化に執着が強いと言われ、

フランス語の読み書きに不自由があり、教育水準が低い人々も多い[内藤 1996]。

家庭環境が子どもに及ぼす影響は大きいと筆者は考えるので、子どもも自然とそのような態度が

身につくとも考えられる。しかし、帰国を視野に入れていた移民の第1世代が帰国を踏み切れない

のは、フランスで生まれ、育った子どもとのフランスに対する意識の違いも理由の一つであると言わ

れる[ミュリエル 2003]。休暇で帰ってきたり、永住しようとして戻ってきても、第1世代(両親)の出身

国の保守的な宗教観やジェンダー観念に適応できず、祖国になじまないことが多く、親の反対を

振り切ってでも、フランスに帰ってくるという例もあるとホフステード[ホフステード 1995]は述べてい

る。人生の一部、または生まれ育った国で、考えている以上に多くのものを吸収しているのである。

前述のエスニック・アイデンティティの形成がタイプ 1 であっても、定住が長くなってくるうちにタイプ

2 のアイデンティティを確立していくのではないか、と筆者は考える。

しかし、第2章の第1節で述べた、ヴィジブル・マイノリティ(マグレブ移民の第2世)のようにフラン

スで生まれ、フランスの国籍を持っているのに、教育や就職の段階で差異を感じ、また、出身国に

も自分の帰属意識がないというような状況も第2世代のアイデンティティ形成に影響しているという

ことができ、これはタイプ4に近いと筆者は考える。

移民問題では、非行に走る若者がメディアに取り上げられがちであるが、「親に認められない、

11第1世代とは、フランスに移民した第1代目の人々を指す。第2・3世代とは彼らの子どもや子孫た

ちを指す。

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教師やクラスメイトに好かれていない」といった敗北感や絶望感や不安、不当に扱われること、また

は自分のフランスでの帰属意識を求めての、移民の若者の真実の声とも捉えることができる。フラ

ンス政府、自治体、教育現場、家庭環境などが、移民の社会化のプロセス・相違を認めた上での

共生を目指していくべきではないであろうか。

新たなアイデンティティの確立

第3章第1節の最後に、アイデンティティ形成の 4 つのタイプの中のタイプ 3、バイカルチャラル・

タイプを確立したと筆者が考える、ある移民(ドイツに移住)の例を取り上げる。

カヤ・トゥールオウル(47 歳)

ドイツに移民労働者の第 1 世代として渡ったトルコ人。町工場での見習いから身を起こし、現在は

工場を二つ経営し、トルコ人だけでなく、ドイツ人も彼の工場で働いている。同じくトルコ人移民の

女性と結婚し、5 年前にドイツ国籍を取得。親がドイツ国籍であるので、自動的にドイツ国籍を持っ

た二人の子どもがいる12。

カヤ氏は、トルコ人の義理人情に厚い人間関係を軽蔑しがちなドイツ社会に反発を感じながらも、

ドイツ社会が強い経済力を持ち、法律によりシステマティックに運営され、トルコ人にもビジネス・チ

ャンスを与えてくれることに敬意を払っている。カヤ氏は、前述のように母国の文化に愛着が強いと

言われる第 1 世代だが、単にドイツとトルコという二つの文化の選択というアイデンティティの揺れで

はなく、二つの現実を直視し、熟知したことによって彼独自のアイデンティティを確立した。異質な

文化の存在を認め、謙虚に敬意を払うことで、単なるトルコ人でもドイツ人というどちらにも埋没して

いない[内藤:1996:138-139]。

カヤ氏はトルコとドイツという 2 つの文化の障壁を乗り越え、その上に自己を確立し、バイカルチ

ャラルなアイデンティティを確立したと言える。このように独自のアイデンティティを形成し、出身国

の文化・価値観を忘れることもなく、移住した国の文化・社会制度にも適応していく、これが多文化

共生への考え方であり、統合の仕方が可能であり、適当なのではないかと筆者は考える。

第2節 社会的現状とこれから

フランスには「自由・平等・博愛」の理念があり、この理念を共有することによってフランス共和国

の成員となることができるという考え方がある[内藤 1996:15]。つまりイギリスやオランダのように、異

なる文化背景、価値観や行動様式を持ったコミュニティ(エスニック集団)としては認められず、個

人としてフランス社会の理念を共有し、フランス社会に参加することで、フランス市民と認められる

のである。このような理念からヴィジブル・マイノリティへの偏見が生まれるのではないかと考える。ヴ

ィジブル・マイノリティと呼ばれる人々は、一般的に目に見える宗教実践や身体的特徴を有してい

ることで、フランス社会に馴染んでいないようなマイノリティ集団というように捉えられてしまうからで

ある。

また、移民もいわゆる一般のフランス人もさまざまな社会サービスへのアクセスを平等に保障さ

12 ドイツでは血統主義が取られる。第 1 章第 1 節の国籍の取得を参照。

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れるべきであり、制度の改善が必要であると筆者は考える。政府による法制度、教育制度、社会制

度などのハード面が差異を認めた上での平等を提供し、その上で国際交流協会や財団、民間企

業、市民団体や市民活動などがフォローアップしていくといった形での活動が、フランス社会での

共存の実現へと功をなしていくのではないかと考える。

また、定住しフランスで生活している移民や移民出身者(2世、3世)がいつまでも特別視され、

周辺化13がこれ以上進むことがないような意識改革、移民たち自身も母国の社会制度や価値観・

文化に固執しすぎることなく、自分が今生活しているフランスの社会制度、価値観、文化をうまく取

り入れながら生活していくことが、一つの国で多文化共生社会が実現し、移民と地域住民が共存

していけるのではないのだろうか。

このような考えから、以下で現在のフランスの移民に関わる政策やフランスでの市民活動や移

民・外国人自身の活動を取り上げ、移民との共存社会の実現に向け、どのようにフランスが転換し

ていくべきか筆者なりに考察し、提言したいと思う。

EU

移民問題を取り上げるにあたり、フランス限定の施策ではないが、まず EU(欧州連合)の移民政

策をとりあげる。EU は超国家機関であり、依然として移民にかかわる政策は基本的には各国の主

権に属するという考え方が強い。移民問題について EU レベルで扱う問題といえば、移民・外国人

の各国での権利や処遇についての提案や勧告がさらに増えていくだろうという点である[大島

2007]。

その一つの例として、2005 年 10 月から 11 月にかけてフランスの大都市郊外で移民の若者たち

の暴動が起こったとき、移民政策を基本的に国家政策に委ねている EU が沈黙を守っていることが

できず、働きかけたことがあった。バローゾ欧州委員長は、「フランスの郊外の若者の失業は大問

題だ」と発言し、解決のために 500 万ユーロの資金援助を申し出た[大島 2007]。フランスはこの申

し出を謝絶したが、このような事態はかつて例がなかった。EU 定住外国人や市民権を行使する移

民が増えるとともに、EU が移民政策に関与する必要性の認識が高まってきているといえる[大島

2007]。EU が、各国に委ねられている移民問題にどれだけ踏み込むのかは、今後の動向を見守り

たい。

また、移民の定住化、第 2 世代への世代交代の進行、第 2 世代における学業達成の困難、労働

市場とのミスマッチ、高失業、移民多住地区の環境悪化(ゲットー化)などの移民にまつわる諸問

題が西欧各国(フランス、ドイツ、イギリス、オランダ、ベルギーなど)で共通の要素として生まれてき

ており、EU の共通課題であると大島[2007]は述べている。

これを受け EU では、加盟国内の相対的低開発の非産業化地域や、問題を抱えた都市地域に

構造基金を配分している14。フランスでは、2007 年時点で 7 都市15地域が低所得、劣悪ないし不安

13 周辺化。同化すべき理想的な中心社会が想定され、そこへの地域的、文化的、社会的な同化

が果たせない人々が、そのあいまいな帰属ゆえにかえって独特な性質をもってしまうこと[内藤

1996:274]。 14 アーバン・パイロット・プロジェクト(UPP)と呼ばれる[宮島 2006:202]。都市再生の革新的取り組

みをサポートすることを目的とした EU の取り組み。1990~1993 年に UPP I が、1994~1999 年に

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定雇用、差別、排除などの諸問題が存在する都市地域の指定を受け、構造基金が交付されてい

る。その多くは移民・外国人が多住で、高失業率である都市地域であり、住宅・雇用・社会的援

助・教育の分野で、自治体と協力しつつ住民サポートを行っているアソシアシオン(association)16

が、基金の受け皿になっている[宮島 2007:202]。

また、フランス政府の対応としても都市環境の悪化に伴い、1996 年に、「問題都市地域(Zones

Urbaines Sensibles:ZUS)」という優先施策対象地域が定められている。これについては次のフラン

スの政策の項で取り上げる。

フランスの政策

問題都市地域

第 3 章の冒頭でも触れたが、フランスで移民は異なる文化背景、価値観や行動様式を持ったコミ

ュニティ(エスニック集団)としては扱われず、フランス社会の理念を共有する個人として、または低

所得、失業、学業達成上の困難、都市地域の環境悪化などの枠組みで考えられる。前述のフラン

スでの優先施策対象地域では、「大規模集合住宅、劣悪な居住外の存在、および居住と雇用の

間の著しい不均衡」にあるとされ、フランス国内で 750 地域が ZUS に指定された[宮島 2006:203]。

1999 年の国際調査集計をもとに、宮島[宮島 2006:203]は ZUS の特徴として、平均して人口の

約半分を移民・外国人とその子どもたちが占めているとしていて、ZUS は移民の状況を反映してい

るとしている。また、高い比率の若者人口から成り、約 3 分の1は学業失敗者にあたり、30~40%が

失業中である[宮島 2006:203]。

しかし、指定されてはいるが効果的な施策がとられておらず、移民を含む低所得者、失業者、学

業達成上の困難を感じる子どもたちなどへのフランス政府の対応が必要となってきている。

ポジティヴ・アクション(教育優先地域)

第3章1節では移民の子どもたちを取り巻く教育状況を取り上げたが、ここでは実際の教育面で

のフランス政府の対応として、教育優先地域(以下、ZEP17 と示す)を取り上げる。フランスでは、

学校教育や職業教育にかかわるポジティヴ・アクションが組織されているが、アメリカでの女性と特

定の民族・人種に対するアファーマティヴ・アクションやイギリスでの教育内容に民族アイデンティ

ティを反映させるポジティヴ・アクションとは一線を画している。なぜかというと、フランスのポジティ

ヴ・アクションの特徴は「人」ではなく、前述の ZUS などと同様の概念で、「地域」を対象にしている

からである[宮島 2006:156]。

ZEP の公的趣旨は、子ども・青少年の学校的成功、そして彼らの社会的統合にとって危機となる

要因、障壁が存在する地域において、教育活動を強化すること、改善することである[宮島

2006:162]。ではなぜ「地域」に焦点が当てられているのであろうか。

UPP II が実施された[通商白書 2004 2008.1.10]。 15 ヴァランシエンヌ市、ミュールーズ市、ルベー=トゥールコアン、マルセイユ市、オルネー・スー・

ボア市、リヨン市、アミアン市[宮島 2006:202] 16趣味やレジャーを一緒に行う同好会的な色彩の強い非営利団体[日本総合研究所 2008.12.1] 17 脚注番号 8 を参照。

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ZEP の対象指定は、当該学区の外国人人口比率、失業率、児童生徒の学業挫折率などの指

標を組み合わせることで行われる[宮島 2006:156]。特に、移民・外国人の多住地域とは言及され

ず、「恵まれない状況にある階級(classes défavorisées)」の人々という対象の表し方をしている[宮

島 2006:161]。特定の民族や人種に焦点を絞ることは、フランス共和国の平等の普遍主義に反

すると考えられるからである。しかし、ZEP 策定にあたっての課題は、外国人・移民の児童・生徒へ

の対応であり、実際 ZEP に指定された学区の多くは、移民・外国人の子どもの比率が多い。外国

出自の生徒または児童が全体の 30%以上であることが、ZEP 指定の決定的条件であるといわれ

ている[宮島 2006:161]。

次に ZEP 施策の内容を述べる。指定を受けた地域の公立初等・中等学校には、それ以外の一

般の学校に比べて平均 2.7 倍の予算が配分される。この予算は原則国費でまかなわれる。これに

より施設、設備、機器などの物件費や、教員、補助教員などの増員も行うことができる。また教員よ

りも広い範囲(文化、芸術、スポーツ、野外活動など)の教育エイジェント18を雇用、または協力をあ

おぐことができる。このように地域独 自の教育プロジェクトを作り上げることができる[宮 島

2006:162]。

しかし、ZEP では言語をはじめとする文化の側面で、特にこれといった新しい施策を含んでいな

い。ZEP の指定を受ける学校でも、言語はフランス語のみであって、移民の児童・生徒の母語教

育や母文化教育は行われない。ここにも、以前に少し触れたアメリカやイギリスの教育制度とは異

なる点があげられる。

フランスでも移民の子どもに対する「出身言語・文化教育(ELCO19)」が行われていないわけで

はない。しかし、正規の学校教育外であり、送出国に教育内容も教員の派遣も、給与支払いも委

ねられている。フランスの教育問題を扱う国民教育省側に、母語・母文化教育は重要視されてい

ないことが伺える[宮島 2006:164]。

しかし、母語教育だけではなく、1 節で述べたような異文化間教育のような出身国の文化とフラ

ンス文化両側面を合わせもった教育が必要なのではないかと筆者は考える。

また、ZEP の実施による成果は、当初期待されていたものとは異なり、著しい変化は報告されて

いなかった。2005 年 10 月以降大都市郊外で失業問題などに不満を持つ、移民第 2・3 世を含む

若者の騒擾事件などが引き起こされたが、メディアの報道ともあいまって、ZEP が低学力、高落第

率、暴力や麻薬とも結び付けられ、ZEP の認識へのステレオタイプになりかけているともいえる[宮

島 2006:167]。しかし、これらの騒動を受け、2005 年 12 月ドビルパン首相は、雇用と教育を柱とす

る対応策を示し、教育面では保護者の責任意識の向上や ZEP 政策の強化を掲げた[文部科学省

2006:87]。

具体的には、・ZEP 指定地域を見直し、もっとも困難な地域に支援措置が集中するように改め

る、・教員研修を充実させるとともに、教員に対する特別手当や経歴上の優遇措置を改善し、教

員組織の安定化を図る(ZEP に勤務する教員の異動が激しいため)、・大学生やグランゼコール20

18 「アニマトゥール(animateur)」と呼ばれる[宮島 2006:162] 19 出身言語・文化教育。ELCO:les enseignements de langue et culture d'origine 20 「グランゼコール(Grandes Écoles)」フランスの高等教育機関の一種で、国家枢要の人材を特

権的に輩出するところ。学生は国家公務員として扱われ、給与が支給される[はてなキーワード

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の学生によるチューター派遣事業や有名進学校(パリのアンリ 4 世校など)への特別入学許可など、

ZEP 内の優等生に対する特別支援措置を充実させる、といった取り組みが新たに盛り込まれた

[文部科学省 2006:93]。

ZEP の今後の課題は、「文化的な相違を踏まえたうえでのきめ細かい施策であること」、また、「移

民たちの集団形成やその文化的活動を奨励すること[宮島 2006:170-171]」とある。移民・外国人

がフランス社会と対立、もしくはフランス社会から孤立しないような、彼らの実生活に目を向けた、

多面的で柔軟な施策が教育面で求められているといえる。

市民や移民・外国人自身の活動

フランスでは 1981 年まで外国人の結社が認められず、またイギリスやドイツなどに比べボランタリ

ーな結社の活動が自由に活発に行われてこなかった。中央集権国家としての性格が強く、NGO な

どの組織が育ちにくいとも言われている[宮島 2006]。しかし、81 年に外国人結社が自由化され、

郊外の町で、移民の子どもたちのおちこぼれを防ぐための補習教室が開かれたり、反人種差別結

社21などが移民の青少年たちによって活動し始めた。これは移民の青少年たちが、上からの管理

の対象でもなく、単に援助を受けるだけの対象でもなく、自分たちでアイデンティティや生き方を模

索しようという存在になったという点で注目したい[宮島 2006:208]。

しかし、こういった若い世代の文化活動は流行や盛衰が激しいうえ、社会的存在を反映する不安

定さがあるともいえる。第 3 章 1 節で触れたアイデンティティ形成でのタイプ4のように、自分の出自

が関係する国のことをよく知らず、またフランス人であるとも確信できず、自分のアイデンティティの

あり方に自信を持てない移民の青少年たちは、文化活動といっても過激であったり、拒絶にいきが

ちであることも多い。メディアなどの報道も相まって、否定的なイメージも持たれ易いが、こうした移

民・外国人たちの自助活動が活発化し、下からの声をあげていくべきであり、少しでも社会に変化

をもたらすことができるのではないかと筆者は考える。

また、不可欠性、生活密着性により、持続的に援助活動を行っているグループやネットワークも

存在している。家族呼び寄せでやってくる 30 代・40 代の女性の生活相談、通訳、役所での手続き

などを行う「女性仲介者(femmes relais)」という団体[宮島 2006:209]、人種差別や性差別・家族の

問題などで悩むマグレブ出身の若い女性たちの受け入れと支援を行う「ナナ・ブール(Nanas

beurs)」という組織[ミュリエル 2003]などがあげられる。

これらの活動からも分かるように、フランスでは移民・外国人の支援のための政策や活動というこ

とではなく、低所得者や失業者が多い地域や女性や学習達成上の困難を感じるような弱い立場

にいる人々の不平等を認め、それへの支援という概念に基づいていると筆者は考える。

また、前にあげたような組織や活動への EU や政府、地方自治体からの補助金による財政的なバ

ックアップやその間に立つ非営利組織が、フランスでのマイノリティとの共存が可能な平等な社会

構築に向けて必要であるともいえる。

2008.12.16] 21 「SOS ラシスム(racisme)」などのグループがあげられる[宮島 2006:207]

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第 3 章 2 節では EU、フランス政府、市民・外国人の活動と平等な社会をつくることができるアクタ

ーを大きく 3 つに分け、その活動を紹介した。フランス政府の国レベルの対応ももちろん必要であ

るが、それと連動して市民や移民・外国人を含むマイノリティ達自身による草の根的な活動も、社

会的な統合に必要なのではないかと筆者は考える。

これらのことを踏まえて、第4章(終章)では、序章で問題意識として述べたことに対しての筆者

なりの意見をまとめたい。

終章 共生社会の実現に向けての提言

終章では、第3章で述べたフランスでの共生社会に向けての取り組みの成果や政策の施行後

の状況、フランスのこれからの展望などを筆者なりにまとめ、提案したい。また、序論でも述べたが、

筆者の問題意識にある日本の外国人への対応も簡単にまとめ、筆者なりに今後の展望を提言し

たい。

本論文では、フランスを移民大国の一つの例として、フランスの移民の歴史や増加要因・現状、

また、移民を含む低学歴者や低所得者への政策などを取り上げフランスでの移民を総合的に述

べながら、一国内で異なる文化を持った人々が共生できる社会をどのようにつくっていくことができ

るかを考えてきた。本論中でみてきたように、1974 年には新規移民の受け入れが停止され、家族

呼び寄せの場合以外は公的には移民が許可されないという流れが現在まで続いている。移民規

制の色が強い現在のフランスであるが、今後、移民の子孫がますます定住していくにあたって、社

会的・文化的に平等で共生可能な社会を形成していくことが必要であると考える。

しかし、実際に人種差別が存在しないわけではなく、移民の第2・3世代を含む若者の騒擾事件

なども幾度か起こっており、社会不安が存在していないとは言えない。雇用においても、2006 年の

労働省が発表した採用時の人種差別に関する調査結果22によると、採用の際に著しい差別がある

ことがわかった[独立行政法人労働政策研究・研修機構 2008.12.12]。

この調査は、学歴・職歴など人種や民族以外については全く同じ内容の2通の履歴書を送付し

て、企業の採用時の反応を見るという内容である。調査の結果、企業がアフリカやマグレブ出身者

よりもフランス出身の応募者を優遇したケースは全体の 70%で、逆にアフリカやマグレブ出身者が

優遇されたケースの 13%に対して圧倒的に多かったことが判明した。また、採用時における差別の

大半は面接に至る前の最初の接触から存在するという事実も明らかになった。履歴書の名前や顔

写真から外国出身または移民というように判断された応募者が、次の段階にすすめないということ

が、差別と見なされたケース全体の 3 分の 2 で行われている。履歴書の匿名化と顔写真の添付廃

止も検討されているが、いまだ実現に至っていない[独立行政法人労働政策研究・研修機構

2008.12.12]。

フランスで生まれ仏国籍を持ち、法的には平等な権利を享受できる立場にいる移民の子どもた

22 ILO(国際労働機関)がフランスの社会統合省の調査・研究統計推進局(Dares)に資金提供し、

パリ、リヨン、マルセイユ、リール、ナント、ストラスブールの 6 大都市で 2006 年に実施、労働省が同

年 2 月発表[独立行政法人労働政策研究・研修機構 2008.12.12]。

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ち(第2・3世代)が増えてきている。しかし、ヴィジブル・マイノリティのように出自、身体的特徴、母

語、宗教実践、価値観や宗教観、文化習慣などの独自性により、「フランス人」でありながらも差別

を受けたり、教育や雇用などの段階で社会的に不均等を感じているということが実際存在してい

る。

また、ZEP の項で述べたような 2005 年の大都市郊外で起こった若者の騒擾事件などからも分か

るように、現在の移民問題は人種差別、失業、貧困、教育、宗教などの社会問題が複雑に関わり

合っているといえる。

今後、移民の子孫がますます定住していくにあたって、フランス政府は社会的・文化的に平等で

共生な社会を形成するために、移民や移民の第2世代を含む、低所得者や失業者の多住地域や

教育などに困難を感じる人々への改善策を強化していくべきであると筆者は考える。

移民、また移民の第 2・3 世代が貧困や低所得、環境悪化した大都市郊外や非行、暴力といっ

た負のイメージといつまでも結び付けれ、そこから脱せられずにいては、文化面でも差別や偏見が

なくならないのではないだろうかと筆者は考える。つまり、移民に限らず低所得者や失業、貧困、低

学歴など社会的に低い立場にいることを余儀なくされている人々を底上げするような政策、対応が

求められてくるのである。社会的な統合がなくては、差別や偏見がないという文化面での統合も実

現せず、筆者が提案する共生社会の実現はないのではないかと考えるからである。

移民政策は矛盾する 2つの側面を持ち合わせていると言われる。移民流入の規制および在留移

民・外国人の管理(immigration policy)と、在留移民の生活、権利、社会・政治への参加といった

統 合 に 関 わる 移 民 政 策 ( immigrant policy )の 両 面 である[ ル ・ モン ド・ デ ィプロ マテ ィー ク

2008.12.15]。

移民管理や取締りの厳格化の方向にある現在のフランスだが、移民や外国人、その子どもたち

が今後ますます定住化していくなかで、彼らを「フランス国民」として平等に扱い、その権利や生活

を保障するべきであると筆者は考える。そのためには、フランス政府は様々な社会サービスへのア

クセスの権利保障、雇用対策、都市と郊外の地域格差の解消、住宅などの保障、政治参加の権

利付与、差異を認めた上での柔軟で決め細やかな教育の提供などが求められているのではない

だろうか。

また、EU や国際機関などの超国家機関が、フランス政府の移民・外国人へ権利や処遇について

の対応に対して提案や勧告を行う必要もあるだろう。そして、NPO や NGO、国際交流協会や財団、

市民団体などが移民・外国人とその子孫たちを含む弱い立場にいる人々の生の声を聞き、家族間

の問題や宗教など文化的な問題に対して、実情に合った草の根的な支援措置を行っていくという

画一的でない支援措置が求められているのではないかと筆者は考える。

ここまでフランスの移民問題について述べてきた。終章の最後に、筆者の意識にある日本の外

国人政策などについて簡単に触れ、日本がこれから移民大国と呼ばれるフランスから学べることが

あるか筆者なりに考察し、日本の外国人政策などへの提言を行い、まとめとしたい。

日本での外国人登録数は、2007年末で 2,152,973 人である。 外国人登録者数の日本総人口

1 億 2777 万 1 千人に占める割合は、1.69%となっている[入国管理局統計 2009.1.10]。また、そ

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の割合は永住者が 439,757 人であり、前年に比べ 4 万人ほど増加している。外国人登録者の国籍

の数は 190 であり、内訳は中国が全体の 28.2%を占め最大であり、ついで韓国・朝鮮、ブラジル、

フィリピン、ペルー、米国となっている[入国管理局統計 2009.1.10]。

日本はフランスとは異なり、国籍取得に血統主義を採る。国籍やエスニックを“異分子”的にとら

えがちで、肯定的なイメージが伴わない傾向にあるとされる。差異を人種・経済差別につなげやす

い雰囲気があり、どこか国際的な人材が育ちにくいという風土が根強いともいわれる[駒井

2003:283]。移民がもともと多い国や多民族国家の国とは社会的な背景が異なり、日本人=「日本

国籍で日本人顔」というような単純な考えの人も多く、日本に暮らす外国人への偏見や戸惑いも存

在しているよう感じられる。

一般的にオールドカマーと呼ばれる、在日韓国・朝鮮人、中国人や日系人の第 2・3 世代も少な

くなく、彼らに対しての日本社会の対応が問題になることもしばしばある。しかし、新たに来日し定

住を選択するニューカマーも増加しており、フランスの移民問題では第 2・3 世代に焦点を当て論じ

てきたが、今現在の日本では特にニューカマーへの対応が必要なのではないかと筆者は考える。

日本でもフランスのように、専門職や熟練労働に就く外国人は積極的に受け入れるが、非熟練

労働に就く外国人は受け入れないという基本的な政策が示されている。また、日本では、前述の

在留移民の生活、権利、社会・政治への参加といった社会定着に関する移民政策(immigrant

policy)が今まで整備されていなかった。しかし、2006 年 4 月に行われた経済財政諮問会議で、総

務省が「多文化共生の推進に関する研究会」を設置し、「多文化共生推進プログラム」の報告書が

まとめられた。これにより、外国人の就労・就学・生活環境の整備について、省庁横断的に検討し

ていくことが決定した[日本政府の外国人政策 2009.1.10]。

「多文化共生推進プログラム」の具体的な内容は、①コミュニケーション支援、②生活支援、③

多文化共生の地域づくり、④多文化共生施策の推進体制の整備、の 4 点が地方自治体の多文化

共 生の 推 進につ いての 必 要な 取り 組み として 取 りまとめら れている[ 総 務 省 ( 報 道 資 料 )

2009.1.10]。外国人住民を生活者、地域住民として認識するという観点から考えており、外国人住

民に決して寛容と言えない現状が存在する日本に必要な姿勢であると筆者は考える。

実際に、地方自治体の現状を筆者の地元である長野県上田市を例にとって見てみたい。長野

県上田市では、総人口が 165,681 人のうち、外国人登録数が 5,219 人であり、長野県市町村では

最も外国人が多い[上田市市役所 2009.1.10]。日本全国で見れば、長野県は外国人が決して多

い県ではないが、序論でも述べたように、筆者の通っていた小中学校には各学年に 2.3 人のブラ

ジル人の子ども達が通っていた。学習に困難を見出しているように見えたし、彼らに合った教材や

柔軟なカリキュラムや取り出し授業23がなく、対応できる教員もいなかったように思う。また、住宅の

面でも住民と衝突していることもあり、筆者が地元にいたのは 2005 年までだが、自治体による受け

入れ態勢が整備されているとは言えない状況のように感じた。

上田市では、前に述べた総務省の「多文化共生の推進に関する研究会」による、「地域におけ

る多文化共生推進プラン」を基本とし、2007 年に多文化共生のまちづくりを目指して具体的な事

23取り出し授業。外国から来たばかりの子どもたちに対して、通常の授業とは別室で日本語を集中

的に教える活動[FICEC 2009.1.13]

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業を実施し始めた。具体的には、国際交流協議会を設立や日本語教室のネットワーク作り、外国

人集住都市会議24への参加などがあげられる[上田市市役所 2009.1.10]。筆者が実際目で見て

感じたような、教育や住宅などの実際の生活面にこのような事業がどれだけ到達できるかという成

果はまだわからない。しかし、地方自治体での外国人支援対策の基盤が整うことは、日本での多

文化共生社会の実現にとって一つの重要な点であると筆者は考える。

外国籍あるいは日本語を母語としない住民が、日本で生活を営む場合、日本語習得が生活上

不可欠の課題となる。フランスの例では、言語教育にあまり触れなかったが、筆者はここで日本で

の日本語教育について少し提言したい。日本語学習ボランティアに関わった経験から感じた筆者

の考えであるが、言葉を話すことができないと外界との繋がりを否定しがちであり、就業可能な職業、

人間関係や行動範囲も限られてしまうと感じ、日本語教育の必要性を感じたのである。

文化庁文化部国語課の平成 13 年の調査結果によると、国内における日本語教育の機関・施設

数は 1590 機関・施設、日本語教員数は 24353 人、日本語学習者は 13 万 2569 人となっている[駒

井 2003:181]。2009 年現在ではさらに増加しているものと思われる。同調査による日本語教育に

おいて区分別に見た「機関・施設数」と「ボランティア数」の内訳を見ると、任意団体が多く、これら

は日本語ボランティアによる日本語教室であるといわれる[駒井 2003:182]。

外国籍住民や日本語を母語としない住民の日本語学習支援は、自治体行政の役割が大きいと

いわれる。特に外国人が多い地域では、自治体と外国人支援ボランティアや団体、NPO、NGO な

どが協力し合い受け入れ態勢を整え、積極的に活動すべきであると筆者は考える。実際、筆者が

関わった東京都町田市、神奈川県相模原市の日本語教室25では、財団法人や市、自治体と市民

によるボランティアが一緒に運営を行っていた。

また、それらの施設では、多言語26での相談窓口なども設置されている。日本語学習支援に限

らず、自治体の公共機関において、多言語による表記や案内を充実させることや、多言語に対応

できる人材を公共機関に置く、そのような人材の育成に力を入れる、小・中学校などの公教育の場

に多文化に対応した教育や教師の充実などが求められているのではないかと考える。

フランスやドイツなどの移民が多いヨーロッパ諸国や多民族国家のアメリカのように、元々移民や

外国人が多いという歴史的な背景とは異なり、日本は移民や外国人に対応する基盤がないように

考える。そのため、日本社会は今後、様々な理由で来日する外国人を日本社会を構成する一員と

捉え、さまざまな社会サービスへのアクセスが保障する制度の早急な改善が必要であると考える。

住宅や仕事、教育等の社会面で、フランスでの事例でも述べたような周辺化や住みわけ27が

24外国人集住都市会議。南米日系人を中心とする外国人住民が多数居住する自治体の関係者

が集まり、多文化共生への課題について考える会議として、平成 13 年 5 月に設立される。2009 年

1 月現在で 7 県 26 都市が参加[上田市市役所 2009.1.10] 25筆者が関わらせていただいたのは東京都町田市の町田国際交流センター、神奈川県相模原市

のさがみはら国際交流ラウンジの日本語教室。 26ポルトガル語やタガログ語、英語、中国語、韓国・朝鮮語など 27住みわけ。移民や外国人とホスト国の国民が接触を避けて没交渉を保持しようとすること。よりスト

レスの少ない生活空間を確保するために空間や時間をずらすこと[駒井 2003:31]。

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進まず、一国内で多文化の共生が可能な社会にフランス、日本はどのように転換していくことがで

きるであろうか。

フランスと日本に背景に大きな違いはあるが、ホスト国に暮らす国民自身が自文化中心主義に

陥らず寛容になること、政府や地方自治体が移民・外国人も自国の社会の一部と考え、開かれた

行政を展開すること、自治体や任意団体、NPO、NGO などの連携・協同関係がどちらの国でも重

要であると筆者は考える。

また、移民・外国人自身が出身国の文化・価値観を固執も否定することなく、ホスト国の社会制

度や価値観、習慣や教育制度などを自分なりに好ましいところ、合っていると思うところを取り入れ、

独自のアイデンティティを確立し生活していくことができれば良いのではないか。このようにして一

つの国内に異なる文化背景を持った人々が共存し、格差や差別がない共生社会への実現へと向

かっていくことができるのではないかと筆者は考える。

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