13
マ レーシア 半島部地方都市 における 中心部 発展 ジ ョホール ルアン を例 として * I.は じめ に 多民族国家 マ レーシアは ,現 ,人 口約 1千 8百 万人 (1991年 )1)を 抱え,1991年 には ,都 人 口率 2)が 50。 6%3)と 都市国家 シンガポール , ブルネイに次 いで,東 アジアで 3番 目に高 国である。その 数値 は隣国 の タイ (18.7%1993 年),イ ン ドネシア (30。 9%1993年 )4)を はるか に上 回 って い るに もかかわ らず,バ ンコ クや ジャカル タのような数百万 大都市 はマ レーシ アには存在 しない 。首都 クアラル ンプールで さ え も 100万 人を僅かに超えるのみである。 マ レー シアの 都市人口はここ20年 ほどで急 激な増加 を示 した。 1970年 ,マ レーシアの 都市 人口は 280万 人程度で全人口のおよそ 27%を めていたにす ぎなか ったが,1980年 には , 450万 ,約 34%を めるにいた り ,さらに, 1991年 には約 890万 ,50。 6%と 全人口の 半数 以上を占 めるようになった これ らの ことは ,マ レーシアにおいて, クア ラル ンプ ールや ナン ,イ ポー , ジ ョホール ルといった都市はもちろんのこと ,地 中小 都市 において も急激 な都市人 口の増加が見 られ ることを示す (第 1図 )。 その 結果 として,当 の ことなが ら ,都 市人口の 増加 に伴 ,大 都市, 地方中小都市 の如何 にかかわ らず,そ れぞれの 都市 自体 も急成長 を とげた ことが考え られ る。 通常,都 市 はその 発展過程で都市域を徐 々に 拡大 していきなが ら ,次 第 に大 きな都市 発展 ,常 にその 姿を変化 させてい く。 しか し ,そ 発展過程 中で,い つも コアとな って きたの ,中 心業務地区 (CBD),つ まり ,都 心部であ る。都心部 は商業,行 政など都市 の主要 な施設 が集積する場所である。それゆえ,都 市域 大 とともに,そ 規模 に合わせて都心部 の空間 的な広が りも同調 してお こって きた。 つまり , 都心部 はその 都市 発展 出発点であるととも ,そ の発展過程 は都市 発展 の歴史を反映 し た もので もある (林, 1990)。 本稿は ,多 民族国家,マ レーシアの地方都市 クルア ンの 中心部 に焦点 をあて,そ 中心部 形態を明 らかに し ,そ れにより地方都市発展 一 側面 を明 らか に しよ うとす る もので あ る。 ,本 稿 は 1992年 7月~9月 ,1995年 1月3 ,8月 10月 に行 った現地調査に基づいてい る。 H。 研 究 の 目的・ 方 法 と研 究 対 象 都 市 1.研 究の目的と方法 本稿では ,マ レーシア半島最南部 , ジョ ホール (Johor)州 クルアン (Kluang District) クルア ンを例 に取 り ,(1)マ レーシア半 島部 地方都市 における中心部 形態 とその発展過程 を主 に建造環境 か ら明 らか にす る こと ,お ,(2)中 心部 内部 形態地域 とそ こに関わ り合 う人 社会経済的特性 とのあいだの 関係 *駒 澤大学大学院地理学専攻 (博 士課程) - 87 -一

マレーシア半島部地方都市における中心部の発展 ―ジョホー …repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/16620/kci009...何二からほ|ざf書ナ曽し, バト・

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  • マレーシア半島部地方都市における中心部の発展

    ―ジョホール州クルアンを例として一

    竹 林 和 彦*

    I.は じめに

    多民族国家マレーシアは,現在,人口約 1千

    8百万人 (1991年 )1)を抱え,1991年には,都市

    人口率2)が

    50。6%3)と 都市国家シンガポール,

    ブルネイに次いで,東南アジアで 3番 目に高い

    国である。その数値は隣国のタイ (18.7%1993

    年),イ ンドネシア (30。9%1993年 )4)を はるか

    に上回っているにもかかわらず,バ ンコクや

    ジャカルタのような数百万の大都市はマレーシ

    アには存在しない。首都クアラルンプールでさ

    えも100万人を僅かに超えるのみである。

    マレーシアの都市人口はここ20年 ほどで急

    激な増加を示した。1970年,マ レーシアの都市

    人口は280万人程度で全人口のおよそ 27%を

    占めていたにすぎなかったが,1980年 には,

    450万人,約 34%を占めるにいたり,さ らに,

    1991年 には約 890万人,50。6%と 全人口の半数

    以上を占めるようになったつ。

    これらのことは,マ レーシアにおいて, クア

    ラルンプールやペナン,イ ポー, ジョホールバ

    ルといった都市はもちろんのこと,地方の中小

    都市においても急激な都市人口の増加が見られ

    ることを示す (第 1図 )。 その結果として,当然

    のことながら,都市人口の増加に伴い,大都市,

    地方中小都市の如何にかかわらず,そ れぞれの

    都市自体も急成長をとげたことが考えられる。

    通常,都市はその発展過程で都市域を徐々に

    拡大していきながら,次第に大きな都市へ発展

    し,常にその姿を変化させていく。しかし,そ

    の発展過程の中で,いつもコアとなってきたの

    が,中心業務地区 (CBD),つ まり,都心部であ

    る。都心部は商業,行政など都市の主要な施設

    が集積する場所である。それゆえ,都市域の拡

    大とともに,そ の規模に合わせて都心部の空間

    的な広がりも同調しておこってきた。つまり,

    都心部はその都市の発展の出発点であるととも

    に,そ の発展過程は都市の発展の歴史を反映し

    たものでもある (林, 1990)。

    本稿は,多民族国家,マ レーシアの地方都市

    クルアンの中心部に焦点をあて,そ の中心部の

    形態を明らかにし,そ れにより地方都市発展の

    一側面を明 らかにしようとするものである。

    尚,本稿は1992年 7月 ~9月 ,1995年 1月 ~3

    月,8月 ~10月 に行った現地調査に基づいてい

    る。

    H。 研究の目的・ 方法と研究対象都市

    1.研究の目的と方法

    本稿では,マ レーシア半島最南部の州, ジョ

    ホール (Johor)州 クルアン県 (Kluang District),

    クルアンを例に取り,(1)マ レーシア半島部の

    地方都市における中心部の形態とその発展過程

    を主に建造環境から明らかにすること,お よ

    び,(2)中心部の内部の形態地域とそこに関わ

    り合う人の社会経済的特性とのあいだの関係の

    *駒澤大学大学院地理学専攻 (博士課程)

    一- 87 -一

  • 70

    解明を目的とする。そこで,以下の3つ のこと

    によって上記のことを明らかにする。すなわ

    ち,①中心部の範囲の画定と中心部の発展過

    程,②中心部商業地域の都市景観,③中心部商

    業地区の形態地域と社会経済との関係である。

    具体的にこの研究では,主として形態的な建

    造環境 (Built Environment)か ら形態地域

    (MOrph010gical Region)を 区分することにより

    中心部の形態を分析する。この形態的研究は,

    都市景観を作る要素の建造物の様式,配置,機

    能の変化に関わり, さらに都市発展過程の歴史

    的視点とも深く関係している。なぜなら,建造

    環境は,その大部分が建造された時期の社会,

    経済,技術的な条件をそのまま反映したものだ

    からである。しかしながら,中心業務地区 (中

    心業務地区のみではなく都市全体ももちろんの

    ことであるが)は,様々な要素が複雑に絡み

    合って作られている。このためそれを分析する

    には,建造環境という側面ばがりでなく,社会

    地域学研究 第 9号 1996

    1980

    第 1図 マレーシアの都市人口の変化

    経済環境や知覚環境といった側面からも接近が

    必要である。そこで, この研究では,一部,社

    会経済環境からのアプローチも取り入れ,統計

    的に抽出された形態地域とその地域に関係する

    住民の社会経済的特性との間の関係を解明する

    ことによって, クルアンの中心部の統合的な分

    析を試みた。

    2。 研究対象地域―クルアンー

    1991年,人口約 13万人の行政区, ムキム・

    クルアン(Mukim Kluang)の 中心都市クルアン

    は,マ レーシア半島最南端のジョホール州のほ

    ぼ中央の内陸部に位置する (第 2図,第 3図 )。

    第 1表が示すように,ク ルアンの人口は 1980

    何二か らほ |ざ f書 ナ曽し, バ ト ・ パハ ソヽ ト (Batu

    Pahat),ム アー (Muar)を 抜いてジョホール州

    第二の都市になった (第 1表 )。 クルアンの都市

    地域の人口は98,937人 (1991年)で ジョホール

    州 の中で は州都 ジ ョホール・ バル (Johor

    Bahru)に つぎ第 2位である0。 り11都 ジョホー

    Population

    30,000,000

    25,000,000

    20,000,000

    15,000,000

    10,000,000

    5,000,000

    0

    19

    Rural Areas

    Other Urban Areas

    一- 88 -一

  • マレーシア半島部地方都市における中心地 (竹林)

    第 2図 研究対象都市

    ル・バルからクルアンまでは直線距離にしてお

    よそ80キ ロメー トル,マ レーシア半島を縦断

    し, シンガポールとバンコクを結ぶマレー鉄道

    の急行でおよそ 1時間強の距離にある。列車は

    平均して 2時間に 1本の割合で走る。また,住

    民が最も良く利用する高速バスは,高速道路の

    開通に伴い,大幅に時間が短縮され, 1時間半

    でクルアンとジョホール・バルを結ぶ。クルア

    ンとジョホール・ バルを結ぶバスは本数 も多

    く,2つのバス会社があり,20~ 30分おきに発

    着している。

    クルアンとは, マレー語で「こうもり」を意

    味し,20~ 30年程前までは,ク ルアンの町でも

    多くのフルーツを食す大型のこうもりが見られ

    たという。しかし,開発が進んで現在では,近

    郊のランバット(Lambat)山で見られる程度で

    ある。

    内陸部に位置する都市クルアンの歴史は 80

    年はどで,周辺の町と比較しても,そ の歴史は

    決して古くない7)。

    何世紀もの歴史を持つ, マ

    ラッカ(Malacca)な どと比較するとずっと新し

    い町と言える。R.To Grimths(1966)に よれば,

    クルアン誕生の直接の理由は, ジョホール州政

    府の「州都移転計画」だったという。1916~

    1918年 にかけてジョホール政府はクルアンが

    地理的にジョホール州の中心部であることを理

    由に, ジョホール州からクルアンの州都移転を

    計画した。もっとも, この計画は歴史的・経済

    的な理由で 1918年 に断念された。しかし,こ の

    当時, となり町のニヨォー (Nylor)か らグマス

    (Gemas)間 の鉄道建設用の枕木の採木の,中国

    人労働者の町として,ク ルアンはその役割を

    担った。その後まもなく, ジョホール州の東西

    海岸を結ぶ,バ ト・パハットからメルシング

    (MerSing)へ 向かう道路建設の拠点としてクル

    アンは発達した。その後のクルアンは,天然ゴ

    一- 89 -―

  • 地域学研究 第 9号 1996

    第 3図 ジョホール州の行政区

    第 1表 ジョホール州の主な都市の人口変化 1957~ 1991

    1957 1970 1980 1991

    Johor BahruKluangBatu PahatMuarSegamat

    74,909

    39,294

    31,181

    39,046

    18,445

    136,290

    43,272

    53,291

    61,218

    17,796

    246,395

    50,315

    64,727

    65,151

    34,008

    442,250

    98,837

    84,538

    70。637

    41,079

    Source: after Kok Kim Lian, Chan Kok Eng and Yearbook of Statistics Malaysia 1993

    ムのプランテーションの中心部として開発が進

    められた。現在では,プランテーションの宅地

    化,工業用地化が進み,幹線道路に沿った住宅

    団地の建設,工業団地の建設といった都市の発

    達が見られる。

    HI。 クルアン中心部の形成と発展

    1.中心部の範囲

    中心部の範囲の画定には,様々な方法8)が使

    われているが, ここでは,建造物の建築様式と

    機能をもとに画定を行った。特に,建築様式で

    は,マ レーシアの都市の景観を形成していると

    思われるショップハウスを判断の基準に用い

    た。また,機能面では,行政施設,公共施設を

    基準とした。この条件によリクルアンの中心部

    を画定したものが第 4図である。点線の内側が

    中心部と規定した所である。

    クルアンの中心部を形成する要素として,行

    政施設,公共施設,商業施設があげられる。こ

    れらの各施設は, マレー鉄道と国道 50号 (バ

    ト・パハット~メルシング通り)と の交差点を

    中心に,西側の小高い丘と東側のムンキボル

    一- 90 -一

  • (Mengkib01)り ||ま で広がっている。 そして, こ

    の中心部を取 り囲むように,マ レー人と華人の

    それぞれの集落"が取 り囲んでいる。そのため,

    中心部と後背地の居住地区との景観の差は明確

    であり,そ の境界はかなり明瞭である。また,

    北西側は軍の基地になっているので,境界は明

    瞭になっている。

    しか しなが ら, 中心部ゴヒ側のハ ジ・ マナン

    (Htti Manan)地区の住居が再開発によって取

    り壊 され,中心部が北側に拡大 してい くよう

    に,中′とヽ部の範囲は徐々に拡大 しつつある。ま

    た,1994年末に完成 した新バスステーションを

    中心に, ムンキボル川を越えて中心部は拡大 し

    つつある。

    2.中心部の発展

    中心部の過程の分析では, ショップハウスの

    建築年代,建造物の年代,様式,配置,機能の

    各側面と, クルアンの都市成長の歴史的視点と

    対応させて,中心部の発展過程を分析する。特

    マレーシア半島部地方都市における中心地 (竹林)

    に, ショップハウスに注目するのは,マ レーシ

    アの都市において,最も伝統的な商業活動の場

    はショップハウスだと考えられることと,同時

    に, ショップハウスが中心部の面的拡大の大き

    な要素になっていると考えられるからである。

    第 5図はクルアン中心部におけるショップハ

    ウスの建築年代を示したものである。

    最も古いクルアンのショップハウスは 1920

    年代に鉄道線路の西側に建築された。当時はこ

    の付近に小さな市が立ち,2~3台のバスが発着

    するバスターミナルがあったという。現在は,

    この市場もバスターミナルも現存はしないがバ

    ト・パハット通り沿いの色とりどりな果物を売

    る10軒程の露天商にその名残りを感 じること

    はできる。さらに,1920年代,30年代前半は,

    マレー鉄道の東側に沿って, ショップハウスの

    建築が行われた。

    1930年代,40年代になって,少 しづつショッ

    プハウスがメルシング通りに沿って,東側に建

    第 4図 クルアンの土地利用と中心部

    -91-

  • 築されていったのは,バスターミナルが鉄道線

    路の東側に移動し,そ れと共に商業活動の中心

    も移動したことが主要な原因だと考えられる。

    第二次世界大戦以前の古いショップハウスを

    東側から覆うように,郵便局,病院,公園,電

    話局,学校,旧マーケット,サ ッカー場など,

    様々な公共施設が作られ中心部はさらに東側ヘ

    拡大した。

    1950年代中頃のマレーシア独立時前後には,

    かなりまとまったショップハウスの建築が行わ

    れ,さ らにその外側に中心部が拡大した。しか

    し,メ ルシング通りの南側は,ム ンキボル川を

    越えて開発が進められることはなく,メ ルシン

    グ通り北側だけが拡大したのみだった。この当

    時作られたショップハウスは1930年代のよう

    な豪華な装飾が施されたものではなく、機能重

    視の 3階 4階建てのものに変化 している。ま

    た,シ ョップハウスの屋上に,さ らに居住ス

    ペースをもう1階建てまわしたものもこの時代

    地域学研究 第 9号 1996

    には見られる。バスターミナルもさらに東側ヘ

    移動し,近距離専用バスターミナルとして 1994

    年末まで使われていた。

    1969年 の多数の死者を出したクルアンの大

    洪水のあと,徐々に東へ拡大 しつつあった

    ショップハウスはさらに東側に建築された。

    マーケットは中心部北側の郊外ヽ移動し,市場

    跡地はホーカーズセンターヘ転用された。この

    ころのショップハウスは一戸一戸が独立してい

    るものではなく,1ブ ロック全てが連続 した

    ショップハウスの形態に変わり, 階数も4階 5

    階建てのものが主流になっている。

    1980年代以降,新たな連続したショップハウ

    スの「黄金三角地帯」Ю)と 呼ばれる区画がバス

    ターミナル北側にできると,繁華街はその地区

    に移動した。さらに,1994年 にはり|1向 こうにバ

    スターミナルが移転し,ハ ジ・マナン地区の再

    開発が着手された。今後,中心部のさらなる拡

    大・移動が予想される。

    [ 1 1

    圃 ~1930

    EII]1931~1945

    Eコ1946~ 1957

    蜻 m1958~1969

    聾 圏19子 0~ 1979

    饉 E1980~1989

    囲1990~

    □ 呻 a

    第 5図 クルアン中心部におけるショップハウスの建築年代

    一- 92 -一

  • 以上のことから, ショップハウスの建築年か

    らクルアンの商業地域の発展傾向をまとめると

    以下のようになる。①1920年代の最も初期の発

    展段階では鉄道線路の西側,バ ト・パハット通

    りにショップハウスが作られた。②1920年代後

    半から1930年代後半では,シ ョップハウスは

    鉄道線路東側に沿って建築された。③第二次世

    界大戦前後はメルシング通りに沿って建築され

    た。④1957年の独立前後はメルシング通りから

    北側の背後を埋めるようにショップハウスは作

    られた。⑤1969年の洪水以降はムンキボル川ま

    でショップハウスの開発は進められた。このよ

    うにクルアンの商業地の発展は西から東へ帯状

    に広がり, さらに,北へと面的な広がりを示し

    ている。

    マレーシア半島部地方都市における中心地 (竹林)

    第 6図 クルアン中心部の交通規制

    IV.ク ルアン中心部の空間分化

    1。 中心部の土地利用

    クルアンの中心部はショップハウスに代表さ

    れる商業地区とディストリクト・ オフィスなど

    の行政地区,さ らに,学校,病院,郵便局など

    の公共施設地区とから成り立っている。クルア

    ンの中心部で特徴的なことは,商業地が主に鉄

    道線路の東側に広がっているということと,行

    政施設や公立学校,病院などが西側の小高い丘

    の上に立地していることである。しかし,郵便

    局,電話局,消防署,市民ホール,サ ッカー場

    などは,鉄道線路と平行 して 1920~ 1930年後

    半に建築されたショップハウスと1950年代に

    建築されたショップハウスとに狭まれるように

    作られている。

    鉄道線路の西側の行政施設や公共施設は,

    各々の敷地は広く取られ,駐車スペースも広く

    一- 93 -―

  • 地域学研究 第 9号 1996

    取られている。その一方,近年の自動車増加に

    よって,十分な駐車スペースを確保できない線

    路東側の商業地域は,多 くの道路を一方通行に

    することにより (第 6図),各通りの両側に有料

    の駐車スペースを設け対処 しているH)。 しか

    し,週末の夕方になると,駐車スペースを見つ

    けだすのが困難を極め, クルアン中心部の商業

    地域では渋滞が引き起こされている。さらなる

    駐車スペース確保のため,1994年末のバスス

    テーションの移転と移動したタクシー乗り場の

    跡地は,30台 ほどの駐車場に転用されている。

    現在のクルアン中心部の土地利用は,そ の発

    展の歴史を良く反映したものである。発展の方

    向が西から東へ帯状に進んだために,鉄道の線

    路 と平行 に;シ ョップハ ウス,公 共施設,

    ショップハウスといった帯状の土地利用が認め

    られる。しかし,郊外の拡大と共に,現在の中

    心部は十分に有効利用されているとはいえない

    状況となってきているため,帯状に狭まれた公

    共施設を,再開発によって十数階建ての多目的

    ビル建築にする計画が持ち上がってきている。

    2。 ショップハウス利用の空間分化

    (1)平面的利用

    第 7図 はクルアン中心部の建築年代別に

    ショップハウスがどのように利用されているか

    を示したグラフである。また,第 8図はメルシ

    ン通り以北の中心部におけるショップハウスの

    1階部分の利用を示した図である。

    ショップハウスの利用を平面的な考察する

    と,ま ず,第一に指摘できることに,1970年代

    以降の新しく建築されたショップハウスは集客

    力に優れた小売業やスーパーマーケット,銀行

    や金融業,さ らに,オ フィスヘの利用が目立つ

    ことが上げられる。特に,1990年代に建築され

    たショップハウスは, クルアンの最高地価地点

    であり,「黄金三角地帯」と呼ばれクルアンの最

    も賑わう場所となっている所では,青山や原宿

    で見かけるような,靴や服を売るおしゃれなブ

    ティックが目立つようになってきている。メイ

    バンク (May Bank)な どの大手の銀行の支店も

    「黄金三角地帯」周辺に立地する。銀行,金融業

    は,主に 1970年代以降に建築されたショップ

    ハウスが利用されいる。

    これとは対照的に,最も新しい「黄金三角地

    帯」から遠ざかり,古いショップハウスに向か

    うにつれ,伝統的な小売店が日に付 くように

    なってくる。「黄金三角地帯」から通りを一本隔

    てると,マ レー人の民族衣装を売る店や,香港

    あたりでもよく見かける漢方薬を調合して売る

    店が 2,3軒連なるようにある。特に,メ ルシン

    グ通りには漢方薬を売る店が軒を並べている。

    そのメルシング通りを西に歩き,マ レー鉄道線

    路近くになると,磨かれたショーウインドウと

    売り手と買い手の間の鉄格子が人目を引く,宝

    石や貴金属を売る店がこれまた連なって並ぶ。

    さらに,1930年代のショップハウスが連なる

    ステーション通りに入リクルアン駅に向かうに

    つれ,鼻をつく臭いと独特な音楽と共に,店先

    で売られているものはがらりと変わり,イ ンド

    系住民向けの食材や音楽テープを売る小売店に

    変わる。クルアンの住民は, この通りを「イン

    ディアンストリート」と呼ぶこともある。

    また,メ ルシング通りからステーション通り

    を鉄道線路に沿 って南下 し,中心部南側の

    ショップハウスに来ると,も はや,「黄金三角地

    帯」のような活気はなく,かつての銀行の支店

    が閉ざされたままぽつんとあったり,入り口を

    封鎖されたままの,荒れ果てたショップハウス

    も目に付く。この辺りのショップハウスの 1階

    部分はオフィスや工場として使われている。し

    かし,幾つかのショップハウスはリニューアル

    されたり,壊されて,十数階建てのビルに生ま

    れ変わったりしているところもある。

    第二次世界大戦以前の古いショップハウスの

    最も多い利用法は,住居としてである。この住

    居としての利用は,新 しいショップハウスにな

    一- 94 -一

  • マレーシア半島部地方都市における中心地 (竹林)

    レス トラン・食

    堂 。バー

    5%

    空地 。空=・

    車場

    オフィス

    空地・空=・

    車場

    医院・病院

    レス トラン・食

    堂・バー

    空地・空=。

    車場

    スーバーマーケ

    ット・小売業

    ~1930

    スーバーマーケ

    ット・小売業医院・病院

    オフィス

    床屋・美容室

    スーバーマーケット・小売業

    1931~ 1945

    その他

    空地 。空室・駐

    車場

    1958-1969

    その他

    スーバーマーケット・小売業

    スーバーマーケ

    ット・小売業

    銀行 。金融機関

    ホテル・旅館

    オフィス

    ホテル・旅館

    8%

    住居

    1946-1957

    その他

    1970へ′1979

    その他

    鶴賜

    空地・空室・駐

    車場

    ホテル・旅館

    8%

    レス トラン・食

    堂 。バー

    オフィススーパーマーケ

    ット・小売業 オフイス 住居

    1980-1989

    レス トラン・食

    堂 。バー

    空地・空室

    車場

    スーバーマーケ

    ット・小売業

    11

    オフィス

    銀行 。金融機関

    1990~

    第 7図 クルアン中心部のショップハウスの建築年代別利用

    ・ 駐

    ―- 95 -一

  • 地域学研究 第 9号 1996

    ‥曹

    8謹」園圏

    〓L

    ち艇誇

    田国

    :]

    一- 96 -一

  • マレーシア半島部地方都市における中心地 (竹林)

    ればなるほど,そ の占める割合は低下し,特に

    1階部分では皆無になってしまう。このことは,

    ショップハウスの伝統的な職住近接という関係

    が希薄になってきていることを示している。

    クルアンの中心部におけるショップハウスの

    平面的な利用は,必ずしも,最高地価地点を中′とヽに同″己ヽ円的に展開するのではない。ショップ

    ハウスの建築年代によって,そ の利用方法は大

    きく異なっている。新 しいショップハウスほ

    ど,そ の利用は集客能力が高いスーパーマー

    ケットやブティックなどが占め,古いショップハウスは伝統的な小売店や工場としての利用が

    目立つ。

    (2)空間的利用

    第 2表はショップハウスにおける垂直的な利

    用分布を示したものである。そもそも,伝統的

    なショップハウスは通りに面した 1階部分は商

    業用として, また,2階部分以上を住宅用とし

    て作られているために, 1階部分では圧倒的に

    小売業を中″いとした商業利用が行われている。

    特に,第二次世界大戦以前のショップハウスは

    2,3階建ての伝統的なショップハウスであるが

    ため,2階部分以上はほとんどが住宅利用と

    なっている。しか し,1957年 の独立以降の

    ショップハウスは4階建てが主流となり, 2階

    以上の住宅としての利用は極端に減って行き,

    代わりに,オ スィスや金融業の利用が目立つ。

    また, ショップハウスを学校として利用する

    ケースも見られる。その場合は,運転免許証取

    得のための自動車学校は別にして, 2階以上で

    開校しているケースが多い。これは,主に,2階

    以上の方が賃貸料が安いという経済的な理由に

    よるものだと考えられる。同じ理由で,2階に

    床屋や美容室が多いことも指摘できよう。

    逆に,主に, 1階部分でしか利用がされてい

    ないものに,個人病院があげられる。特に,第

    二次世界大戦後から1960年代のショップハウ

    スの 1階部分に病院としての利用が目立つ。

    2階以上での利用が目立つものに, ホテルや

    旅館の利用が上げられる。大抵の場合,ホ テル

    第 2表 クルアン中心地におけるショップハウスの垂直的利用 (1995年 10月 )1階

    戸* %2階 3階 4階

    戸 %戸 %戸 %5階

    戸 %6階

    戸 %7階

    戸 %

    スーパーマーケット0小売業 266レストラン0食堂・バー 51銀行・金融機関 45空地・空室・駐車場

    “オフィス 27医院 0病院 24住居 H娯楽施設 14工場・工場 14自動車学校 6床屋・美容院 6学校 6不動産業 5旅行代理店 4公共施設 0ホテル●旅館 0

    51.3 31 6.7

    9。8 20 4.3

    8.7 27 5。 9

    7.7 37 8。 0

    5。 2 77 16.7

    4.6 11 2.4

    2.1 172 37.4

    2.7 3 0.72.7 2 0.4

    1.2 0 0。01.2 33 7.2

    1.2 9 2.01.0 3 0.7

    0.8 1 0.20。0 6 1.30.0 28 6。 1

    7.2 11

    1.5 28.3 22

    12.5 30

    23.5 39

    0.8 128。0 57

    0。4 10 0

    0。8 10。4 06.4 110.8 20.0 00.8 28。 7 17

    5。 6 0 0。 0

    1.0 0 0.0

    11.2 3 10。 7

    15.3 2 7.1

    19。 9 7 25。 0

    0.5 0 0.029.1 12 42.9

    0.5 0 0.00。0 0 0。 0

    0.5 0 0。00。0 0 0.0

    5.6 0 0.0

    1。 0 0 0.0

    0.0 0 0.01.0 2 7.1

    8.7 2 7.1

    0。0 0 0。 0

    0.0 0 0.00。0 0 0。 00。0 0 0.0

    28.6 0 0。 0

    0。0 0 0.042.9 2 50.0

    0.0 0 0。0

    0.0 0 0.0

    0。0 0 0.00。0 0 0。 00。0 0 0。 00。0 0 0。 00.0 0 0。 0

    28.6 2 50.0

    0.0 0 0.0

    19

    4

    22

    33

    62

    2

    74

    1

    0

    2

    1

    17

    2

    0

    2

    23

    0

    0

    0

    0

    2

    0

    3

    0

    0

    0

    0

    0

    0

    0

    2

    0

    合計 519 100。 0 460 100.0 264 100.0 196 100.0 28 100.0 7 100.0 4 100。 0

    *こ こで使 う戸とは, 1軒 2軒の軒にあたるわけではない。 例えば, 隣り合うショップハウスの壁を壊 し,連続 して営業 している店舗は,2軒分ならば 2戸,3軒分ならば 3戸 と数えた。これは,よ り正確な面積で比較を試みたいがためである。

    Source: Author's neldwork

    ―- 97 -―

  • や旅館は,一つのショップハウスだけではな

    く,複数のショップハウスの壁を取り払い,つ

    なげて営業している場合が多い。ホテルや旅館

    は, 1958年 から1980年代に建てられたショッ

    プハウスに多く見られる。

    一つのショップハウスを単一の業種が地上階

    から最上階まで使うことは,金融業を除いてほ

    とんどなく,大抵がいわゆる雑居ビルのような

    形態をとっている。そして,当然のことながら,

    1階部分の利用は,集客能力が高い業種が占め,

    上の階に上がるにしたがって,粗放的な利用形

    態に変化している。

    V.お わ りに

    1992年の夏,初めて訪れたクルアンの町は,

    その後,訪れる度に,そ の姿を急速に変え,そ

    のスピードと変化の大きさには,いつも,ただ

    ただ驚かされるばかりであった。クルアンはマ

    レーシアの経済発展や町の成長ぶりをはっきり

    と目で確かめることのできる所である。

    本稿では,マ レーシアの地方都市, クルアン

    の中心部に焦点をあて,中心部の形態と発展を

    明らかにすることによって,地方都市発展の一

    側面を明らかにしたものである。

    商業活動の中心の場になるショップハウスの

    建造環境により明らかになった, クルアン中心

    部の形成と発展は,鉄道線路西側のバ ト・ パ

    ハット通りのショップハウスを起点に東側へ鉄

    道線路に沿う形で進められ,そ の後,帯状に拡

    がった。そのため,帯状に公共施設が狭まれて

    立地するのもクルアンの特徴である。現在,そ

    の開発は北側へ面的な広がりを持って進められ

    ている。

    クルアン中心部のショップハウスの土地利用

    は,必ずしも,最高地価地点を中心に同心円的

    に展開するのではなく,中心部の発展と密接に

    関係し, ショップハウスの利用方法は異なって

    いる。しかし,最高地価地点を示す所では,集

    地域学研究 第 9号 1996

    客能力が高いスーパーマーケットや小売業が店

    を構え,そ こから遠ざかるほど,伝統的な小売

    業や工場など粗放的な利用に変化 して行 く。

    水平的な分布では, 1階部分を商業部分を商

    業利用するケースが圧倒的に多い。 また,2階以上 は,従来か らの住宅利用に加え,新 しい

    ショップハウスでは,オ フィスとしての利用 ,

    学校としての利用といった方法も増えてきてい

    る。

    本稿では, 残念ながら,「インディアンス ト

    リー ト」に見 られるような,都市中心部におい

    て民族間のすみ分けには言及 していない。多民

    族国家ゆえの地方都市の特徴が, どのように都

    市の発展に,ま た,中心部の発展に影響を与え

    ているかという点は,稿を改めて論ずることと

    したい。

    謝 辞

    研究を進めるにあたり,駒澤大学の交口善美

    教授には常に暖かい励ましとご指導をいただい

    た。現地,ク ルアンでは,Thomas Tanさ んに宿

    泊の世話を,李國治夫妻には食事はもとより,

    様々なことでお世話になった。資料収集では,

    M.D.K.U。 の皆さんにお世話になった。以上の

    方々に厚 くお礼申し上げます。

    1)Department of statistics,1994,Yearbook of

    statistics 1993に よる。

    2)都市人口の規定は各国によってまちまちで

    あるが,1991年のマレーシアのロセンサス

    では,人口集積 1万人以上の住宅地域で,

    少なくとも 10歳以上の人口の 60%が非農

    業人口であり,30%以上の家屋に近代 トイ

    レ設備が整備されている地域の人口を指

    す。

    3)1)に同じ。

    4)Britannica 1994 Book of yearに よる。

    一- 98 -―

  • 5)1)に同じ。

    6)1)に同じ。

    7)Grimthsに よれば, クルアン周辺の町, ラ

    イ ア ン ラ イ ア ン (Layang―Layang), ニ

    ヨォー (Nyior), ムンキボル (lMengkib01),

    パ ロー (Pa10h),レ ンガム (Rengam)そ し

    て, カハ ン(Kahang)は クルアンより歴史

    が古 く,ラ イアンライアンは 1905年 には

    既に町が作 られていた。

    8)マ ー フ ィー と ヴ ァ ンス (Murphy and

    Vance,1954)に よる中,い業務高度指数と中

    心業務強度指数の 2つの指数を用い,中心

    部を画定する方法などが上げられる。

    9)中心部の北側は,1994年か らの再開発に

    よって消えて しまったが,華人の集落が

    あった。また,東北側にはマレー集落が,

    さらに,西側,南側には華人の集落がある。

    10)「黄金三角地帯」という呼び名は,中国語新

    聞『星州日報』の記者によって初めて付け

    られた。

    H)駐車スペースの前方に,料金メーターが備

    え付けられている。 10分間につき 10セ ン

    ト (約 4。 5円 )。

    マレーシア半島部地方都市における中心地 (竹林)

    参考文献

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