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− − 16世紀に始まる世界の一体化は、19世紀に急 激に進展し、「空白地帯がなくなる」という意味 では、20世紀初頭にほぼ完成した。その19世紀 の主役は、いうまでもなく大英帝国だった。今回 は「パクス = ブリタニカ」の時代を中心に、19世 紀の世界はどう変化したのかについて、あたらし いとらえ方を紹介する。例によって『タペスト リー』36〜39ページの大きな地図を広げながら、 お読みいただきたい。 ヨーロッパの近代化とは何だったか 19世紀にヨーロッパでおこった「近代化」に ついて再検討すると、従来の世界史における近代 史の教育は、極言すればイギリスを典型とする ヨーロッパの近代化を、日本が学ぶべきお手本と して教えるために存在した。だが「アメリカの時 代」や「東アジアの奇跡」をへて21世紀に入っ た現在、世界史全体にとってのヨーロッパ近代の 意義は、かなり縮小している。またヨーロッパ近 代について、長年教えられてきた内容のかなりの 部分が、すでに定説の座を失っている。最新の研 究成果によりつつ、ヨーロッパ近代史で今後も本 当に必要な内容の真剣な検討が求められている。 それなしで「詳しすぎるヨーロッパ近代史」を教 え続け、不足しているアジア理解やアメリカ理解 (!)に割くべき時間を奪うことは、大袈裟にい えば、対アジア・対米関係を中心として危険な歴 史観を振りまく勢力に、手を貸すようなものだ。 これは、19世紀のヨーロッパの飛躍的近代化、 世界制覇の意義を否定しようとするものではない。 問題は近代化や世界制覇の中身で、産業革命と市 民革命だけでは、もはや通用しない。 経済面でいうと、紅茶と砂糖など消費生活の話 題が増えてきたのはよいが、ほかにも大事な問題 がある。第一は、イギリスがフランスとの覇権争 いのなかで築いた、近代的な徴税と国債、それら を支える銀行などのシステム(財政革命)である。 その延長上に、イギリスの覇権がしばしば、ラン カシャーの産業資本家よりロンドン・シティの金 融業者を中心とするジェントルマン資本主義の利 害を反映するものだったという、有名な事実がく る。産業資本は健全、商業資本や金融資本は不健 全、などという道徳論でなく、高校生が将来、主 権者として租税・財政・金融をコントロールでき るような歴史教育をする必要がある。 また「ものづくり日本」の教育としては、産業 革命のほか軍事革命・交通革命なども含め、技術 がもつ独自のインパクトをもっと強調したい。こ れは理系志望の生徒を面白がらせるだけではない。 従来の教育では洋務運動の例などを引いて、「近 代市民社会や科学的世界観が根づいていないとこ ろでは、近代技術だけ導入してもだめだ」と教え てきた。が、現在の中国やアメリカ合衆国(世界 最大のIT技術大国の指導者は神による天地創造 を信じている)の事態を「科学的」に考えるならば、 技術は独り歩きすることを認めるべきなのである。 社会・国家の面では、19世紀資本主義の酷薄 さだけでなく、理想化されてきた近代市民社会そ のものの負の側面にもふれる必要がある。近代市 民社会と切り離せない「国民国家」が、資本主義 か社会主義かを問わない国家形態の問題として、 多くの問題をはらんでいたことは、今や常識だろ う。とくに、だれがある国の「国民」であるかは、 自然に決まるものでなく、しばしば諸勢力の争い、 少数派の差別や切り捨てがおこったことには―― ドイツ史以外でも――必ず注意させたい。 これまでのようにたくさんの固有名詞や事件名 を持ち出し、延々と時間をかけずとも、以上の説 連載ゼミナール グローバル・ヒストリー 第5回 パクス = ブリタニカと 19 世紀の世界 大阪大学教授 桃 木 至 朗

パクス=ブリタニカと19世紀の世界...16世紀に始まる世界の一体化は、19世紀に急 激に進展し、「空白地帯がなくなる」という意味 では、20世紀初頭にほぼ完成した。その19世紀

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Page 1: パクス=ブリタニカと19世紀の世界...16世紀に始まる世界の一体化は、19世紀に急 激に進展し、「空白地帯がなくなる」という意味 では、20世紀初頭にほぼ完成した。その19世紀

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 16世紀に始まる世界の一体化は、19世紀に急

激に進展し、「空白地帯がなくなる」という意味

では、20世紀初頭にほぼ完成した。その19世紀

の主役は、いうまでもなく大英帝国だった。今回

は「パクス = ブリタニカ」の時代を中心に、19世

紀の世界はどう変化したのかについて、あたらし

いとらえ方を紹介する。例によって『タペスト

リー』36〜39ページの大きな地図を広げながら、

お読みいただきたい。

ヨーロッパの近代化とは何だったか

 19世紀にヨーロッパでおこった「近代化」に

ついて再検討すると、従来の世界史における近代

史の教育は、極言すればイギリスを典型とする

ヨーロッパの近代化を、日本が学ぶべきお手本と

して教えるために存在した。だが「アメリカの時

代」や「東アジアの奇跡」をへて21世紀に入っ

た現在、世界史全体にとってのヨーロッパ近代の

意義は、かなり縮小している。またヨーロッパ近

代について、長年教えられてきた内容のかなりの

部分が、すでに定説の座を失っている。最新の研

究成果によりつつ、ヨーロッパ近代史で今後も本

当に必要な内容の真剣な検討が求められている。

それなしで「詳しすぎるヨーロッパ近代史」を教

え続け、不足しているアジア理解やアメリカ理解

(!)に割くべき時間を奪うことは、大袈裟にい

えば、対アジア・対米関係を中心として危険な歴

史観を振りまく勢力に、手を貸すようなものだ。

 これは、19世紀のヨーロッパの飛躍的近代化、

世界制覇の意義を否定しようとするものではない。

問題は近代化や世界制覇の中身で、産業革命と市

民革命だけでは、もはや通用しない。

 経済面でいうと、紅茶と砂糖など消費生活の話

題が増えてきたのはよいが、ほかにも大事な問題

がある。第一は、イギリスがフランスとの覇権争

いのなかで築いた、近代的な徴税と国債、それら

を支える銀行などのシステム(財政革命)である。

その延長上に、イギリスの覇権がしばしば、ラン

カシャーの産業資本家よりロンドン・シティの金

融業者を中心とするジェントルマン資本主義の利

害を反映するものだったという、有名な事実がく

る。産業資本は健全、商業資本や金融資本は不健

全、などという道徳論でなく、高校生が将来、主

権者として租税・財政・金融をコントロールでき

るような歴史教育をする必要がある。

 また「ものづくり日本」の教育としては、産業

革命のほか軍事革命・交通革命なども含め、技術

がもつ独自のインパクトをもっと強調したい。こ

れは理系志望の生徒を面白がらせるだけではない。

従来の教育では洋務運動の例などを引いて、「近

代市民社会や科学的世界観が根づいていないとこ

ろでは、近代技術だけ導入してもだめだ」と教え

てきた。が、現在の中国やアメリカ合衆国(世界

最大のIT技術大国の指導者は神による天地創造

を信じている)の事態を「科学的」に考えるならば、

技術は独り歩きすることを認めるべきなのである。

 社会・国家の面では、19世紀資本主義の酷薄

さだけでなく、理想化されてきた近代市民社会そ

のものの負の側面にもふれる必要がある。近代市

民社会と切り離せない「国民国家」が、資本主義

か社会主義かを問わない国家形態の問題として、

多くの問題をはらんでいたことは、今や常識だろ

う。とくに、だれがある国の「国民」であるかは、

自然に決まるものでなく、しばしば諸勢力の争い、

少数派の差別や切り捨てがおこったことには――

ドイツ史以外でも――必ず注意させたい。

 これまでのようにたくさんの固有名詞や事件名

を持ち出し、延々と時間をかけずとも、以上の説

連載ゼミナール グローバル・ヒストリー 第5回

パクス=ブリタニカと19世紀の世界

  大阪大学教授 桃 木 至 朗

Page 2: パクス=ブリタニカと19世紀の世界...16世紀に始まる世界の一体化は、19世紀に急 激に進展し、「空白地帯がなくなる」という意味 では、20世紀初頭にほぼ完成した。その19世紀

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明・例示は可能だろう。

自由貿易と植民地支配

 「世界の工場」イギリスを中心とする国際分業

体制が、19世紀に全世界に広がっていったことは、

従来から知られた通りである。タペストリー 180

〜183ページ「世界の一体化」も参照したい。

 この時代で注意すべき点の第一は「自由主義」

である。そこに業種としての産業資本の利害が反

映していることは間違いないのだが、19世紀半

ば以降のイギリスが「世界の銀行」だったことも

忘れてはならない。問題はどの種の資本かという

より、当時のイギリスが「規制さえなければなに

をしても必ずもうかる」圧倒的な立場にあったと

いうことだ。「穀物法廃止」も外国の安い穀物が

好きなだけ買えたからできたことで、覇権を失っ

た20世紀のイギリスは、農産物自給率の向上に

精を出すことになる。またヨーロッパ大陸諸国で

も、国民国家形成を急ぐとともに、プロイセンの

ように保護主義をとる国も出現する。

 東南アジア・東アジアで典型的にあらわれたの

は、「自由の強制」である。アヘン戦争に始まる

中国侵略はその典型である。素直に「開港」つま

り「イギリス人の経済活動の自由」を認めればよ

し、さもなくば武力に訴えてでも認めさせる。そ

の場合に「不平等条約」や植民地化が正当化され

るのは、文明国のルール通りに振る舞えない国は

強制措置を受けても当然、という理屈だろう。無

理にどこでも植民地にする必要はないからそうし

なかったまでで、世界に自分のルールを押しつけ

ていった点ではのちの帝国主義列強と同じだ、と

いう角度から、19世紀半ばのイギリスを「自由

貿易帝国主義」と呼ぶ場合もある。

 イギリスの時代のもうひとつの特徴は、汽船や

鉄道の発達に支えられた、「国際労働力移動」の

急速な拡大である。アメリカ大陸では、従来の黒

人奴隷に加えて、南欧・東欧やアジアからも大量

の移民労働者が到来した。19世紀半ばに奴隷制

が廃止に向かうと、英領インドから東南アジア・

オセアニアやアフリカ東南部へ、中国からも東南

アジアやオセアニア・アメリカ大陸へ、大量の出

稼ぎ労働者や移民が送り出された。貧しかった明

治の日本からも、多くの移民が東南アジアやハワ

イ・アメリカ大陸に渡り、若い男性中心の植民地

都市や新開地の需要に応えて、「からゆきさん」

も海を渡った。アメリカやオーストラリアだけで

なく、東南アジア群島部なども人口構成がおおき

く変化したことは、現代まで影響を残している。

 以上の「自由」や「規制緩和」の強制、巨大な

労働力の移動などを学ぶことが、きわめて現代的

西漸運動

環大西洋革命

イ ン ド 洋

1821

1825

1819

1821

1823

1822

1818

ラプラタ連邦として独立宣言1816

ペナン

アデン

シンガポール

香港

ワシントンニューヨーク

モントリオール

メキシコシティ

ドロレス

エスキモルト

カラカス

スクレ

ボゴタ

アヤクチョリマ

リオデジャネイロ

サンティアゴモンテビデオ

ブエノスアイレス

パリ

ロンドン

ウィーン

ベルリン

リスボンジブラルタル

マドリード

ケープタウン

ダーバン

カイロ

アデン

セバストーポリ

トルコマンチャーイテヘラン

マドラス

ペナンコロンボ

ボンベイボンベイ

オムスクイルクーツク

オホーツク

イリ

パース

モスクワ

サンクトペテルブルク

バタヴィア

シンガポールマラッカマラッカ

広州香港

南京 上海

カルカッタ

北京

ペドロパヴロフスク

長崎

江戸

根室

シドニー(ポートジャクソン)オークランド

1850年までに州となった地域( )

キューバハワイ諸島

セネガル

アラスカ

黄金海岸

シエラレオネ

アセンション島

ソコトラ島

セントヘレナ島

モザンビーク

ジャマイカ

モーリシャス諸島

セイシェル諸島チャゴス諸島

モルディヴ諸島

アルジェリアエジプト

南下政策

ジャワ島

(1819英)

(1824英)

東ティモール

ビルマ

アチェ

(1815 英)セイロン

ムガル帝国(1858滅亡)

シ ベ リ ア

東アジア進出

ニューカレドニア島1853 仏植民地

1788 ~流刑植民地 1840英植民地

イスタンブル

沿海州

イギリス領インド

イギリス領カナダ

アメリカ合衆国

メキシコ

中央アメリカ連邦

ブラジルペルー

ボリビア

大コロンビアギアナ

スペインポルトガル

オランダ プロイセン

イギリス

フランス オ-ストリア

ムハンマド =アリー朝

ギリシアペルシア

ケ-プ植民地

オス マ ン 帝 国

オランダ領東インド

越南

イギリス領インド

清朝鮮

日本

ニュージーランドイギリス領オーストラリア

ロ シ ア 帝 国

アルゼンチン

シャム(タイ)

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西

(江戸時代後期)

ツアモツ諸島

フォークランド諸島

サンタクルズ諸島

p.169

 イギリスの快速帆船(クリッパー)

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L

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55

ラテンアメリカ諸国の独立

1789 フランス革命1830 七月革命1848 二月革命

1783アメリカ合衆国  の独立

ハイチ独立1804

1815 火山噴火(スンバワ島)火山灰による冷夏 ヨーロッパで異常気象発生。アメリカへの移民加速。

1828 トルコマンチャーイ条約ペルシア(イラン)の半植民地化の端緒。

1786年のイーデン条約で,貿易自由化。英国製品がどっと流入して経済破綻,革命へ。ナポレオンが大陸封鎖令で挑戦するも,敗北。国内改革で工業化目指す。

ナポレオンの大陸封鎖に対して,大西洋逆封鎖。他国のアメリカ植民地の取り込み,本国からの切り離しを画策。

独立後,大陸封鎖令時に,英の大西洋逆封鎖に反抗(米英戦争)するも,南部の綿花プランテーションと英との結びつきは続く。

独立を支援してもらうと同時に,貿易自由化。事実上,英の経済支配下に入る。

大陸封鎖令に反抗して穀物輸出。英の穀物法廃止で結びつき強まる。

対ロシア防衛の支援を受けるにつれて,不平等条約締結,貿易自由化。

ナポレオンの本国占領時のどさくさで,英との関係強まる。

アヘン密輸と武力で自由貿易を押しつけられ,香港島割譲(1842南京条約)。

1854年,アメリカと日米和親条約を結び,開国にふみきる。

イギリス(1850年)

イギリスの拠点都市   イギリス領の島

イギリスとの関係に関する事項

フランス(ナポレオン3世退位時1870年)

スペイン(1850年)

旧スペイン植民地

ポルトガル(1850年)

旧ポルトガル植民地

オランダ(1850年)

ロシア(クリミア戦争開始時1853年)

ペリー来航経路

列強とその領土

イギリス・ロシアのユーラシア分割インド兵シパーヒーを用いた拡大(1800~1900年)ロシアの拡大(ロシアの南下政策     )p.187

19世紀前半の世界19世紀前半の世界

最新世界史図説タペストリー 五訂版 p.36 〜 37

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な意義をもつことはいうまでもないだろう。

「貧困の共有」と「勤勉革命」

 イギリス中心の国際分業体制、いいかえれば近

代世界システムは、植民地にならなかった地域を

も、「イギリス非公式帝国」に引き込み、特定の

食料や原料、それに「低賃金労働力」などの輸出

基地、イギリス工業製品の市場という役割を押し

つけていった(フランス、オランダ、スペイン、

ポルトガルなど他のヨーロッパ諸国の植民地も、

宗主国よりイギリスの工業製品の市場だった)。

 ただし、スペインから独立したもののイギリス

への従属を深めていったラテンアメリカ諸国のよ

うなケースとくらべて不思議なことが、アジアで

たくさん見られた。南京条約後の中国内地で、イ

ギリス綿布はなぜあまり売れなかったのだろう。

イギリスが生産したのは長繊維綿花による薄手の

綿布で、アジアで需要される短繊維綿花による厚

手の綿布だったという「川勝理論」は、理由の半

分でしかない。上海を中心とする華人ネットワー

クによって、イギリス綿布も東アジア諸地域に流

入してゆくのだが、そのいっぽうで日本でも中国

でも、インド製の綿糸(工業製品!)を原料とす

る綿布生産が勃興する。その過程では、いきなり

近代的な大工場ができたのではなく、近世以来の

小農経済を土台とする農家副業や都市の零細家族

経営が、それなりに良質の製品を安価に生産しえ

たことが、おおきな意味をもった。

 東南アジアが全面的に植民地化する19世紀後半、

島嶼部(群島部)を中心に世界市場向けの輸出品

生産(コーヒー、砂糖、スズなど)が急速に拡大

し、インド人・中国人・日本人などの出稼ぎ・移

民労働力によって密林が切り開かれてゆく。その

際に必要な資本、重工業製品、交通・通信・都市

インフラなどはイギリスからもたらされたが、プ

ランテーション・鉱山の労働者が食べる米は東南

アジア大陸部のデルタから、着る綿織物はインド

やのちに中国・日本から、石油ランプとマッチ、

雨具、自転車や人力車などの日用品も中国や日本

から流入した。つまりヨーロッパ主導の植民地開

発を利用しながら、アジア各地の農業生産だけで

なく軽工業も発展し、それらの商品を扱う華人や

インド人の商業ネットワークなども再強化された

のだ(対ヨーロッパ向けでは壊滅したインド綿工

業は、アジア向けにはかなり発達する)。

 従来、こうした動きは所詮英米資本主義をしの

ぐ力はなく、低賃金・長時間労働に頼るアジア資

本主義の後進性の象徴だと見なされてきた。たし

かに人類学者クリフォード・ギアツが強制栽培制

度以降のジャワ農村を「貧困の共有」と描いたよ

うな、欧米資本主義を利するばかりで自分の経済

的「離陸」にはほど遠い事態も、あちこちで見ら

れた。だが後進性をいうだけでは、20世紀末の

「東アジアの奇跡」は説明できない(そこに依然

として見られる非近代性をいうのは簡単だが、欧

米にあまり従属しない巨大な工業力と経済パワー

の出現を軽視するのは、「欧米崇拝の一種」だろ

う)。このため現在では、資源は豊富だが労働力

が不足した大西洋経済圏が、資源浪費型の大規模

経営や機械制工業を生んだのと対照的に、歴史が

古く労働力過剰な東アジアでは、近世以降に小規

模経営で資源節約・労働集約型の独特な市場経済

を生んだ、これが日本を含む東アジアの経済成長・

近代化の基盤となったのだ、という理解が一般化

してきた。つまり近代化・工業化にはヨーロッパ

型と東アジア型という2つのことなる類型があっ

たと考えるわけで、西洋の産業革命(industrial

revolution)に対して、東アジアでは勤勉革命

(industrious revolution)が起こったのだという、

日本の速水融、杉原薫らの説が世界に受け入れら

れつつある。

ヒンドゥー寺院(シンガポール)