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マンリー公式訪問の記録(2015年 8月 3日~7日)
小田原市長 加藤 憲一
【8月 3日】
14:45、自宅を出発。途中渋滞があったため、湾岸を回避しアクアライン経由で成田へ。
19:45頃、予定より少し遅れて出発。久しぶりのロングフライト故か、機内ではあまり寝付けず。
【8月 4日】
6:30頃、シドニー空港到着。
出迎えてくれた現地添乗員のカルーソ眞由美さんと合流、借り上げ車両にてマンリーへ。真冬ではある
が、気温は 10℃くらいか。幹線道路は、朝の通勤ラッシュで、ものすごい車の数。シドニー中心部を抜
け郊外に入ると、次第に緑が多くなり、閑静で敷地のゆったりした高級住宅街のマンリーに至る。
9:00 頃、「ノボテル・シドニー・マンリー・パシフィッ
クホテル」着。早めにチェックイン、3 日間滞在のための
荷物整理や資料準備を済ませる。市長らとの昼食まで時間
があるので、ホテル前のビーチへ。5 年前と変わることな
く、明るく美しい。海岸通りからコルソ(商店街のメイン
ストリート)などを散策。
12:15、先月小田原にも来られた、マンリー市役所の姉妹都市事務担当であるトリュシュさんが迎えに
来てくれた。ランチ会場への道中、マンリーの最近の様子を伺うと、「毎日 2 件くらいは新しいカフェ
ができている感じ」とのこと。確かに、魅力的かつ個性的なカフェやレストランが、密度を増している。
ちなみに、マンリーを訪れる観光客は、年間で 1000 万人
を数えるそうだ。
12:30、ジーン・ヘイ市長、ヘンリー・ウォン助役、アラ
ン・ル・サーフ姉妹都市委員会会長らと合流、港前のシー
フードレストラン「ガーフィッシュ」で、昼食会。ヘイ市
長は、5 年前とさほど変わらず、お元気そうだった。会食
の中では、マンリーにおける最近の地域課題などが話に。
増え続ける自動車の駐車場確保、また近隣市町との合併の
是非などが、大きな問題になっているらしい。
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14:40頃、アラン会長の運転で、マンリー市内の視察へ。市街地から太平洋に突き出している半島「ノ
ースヘッド」の岬で、太平洋からシドニー湾にかけての素晴らしい眺望を堪能。その後、マンリーの郊
外住宅地を抜け、ノースヘッドの対岸へ。ここからは、マンリー中心部の地形と街、その周辺に広がる
緑豊かな住宅街の様子が手に取るように望まれた。周辺の木立には様々な動植物が生息しており、生活
環境の中の十分なスペースからは、生活上・精神面のゆとりが伝わってくる。
18:30 姉妹都市委員会メンバーであるフォスターご夫妻宅でのホームパーティーへ。高台の住宅地に
ある広大な邸宅で、持ち寄り式の歓迎パーティが開かれ、私、文化部長のほか、「ときめき小田原国際
学校実行委員会」の山田副会長、委員である栢沼さん、中高生たちの引率で来ている市職員の堀井さん・
西山さんらが招かれ、マンリー側はヘイ市長以下 20名
近くの委員さんたちが集った。5年前の訪問でお目にか
かった人たちをはじめ、毎年の国際学校で小田原を訪れ
た人たちなど、懐かしい顔ぶれ。お互いの消息と元気を
確認、毎年の交流事業におけるご尽力への感謝を伝えた
り、今後の交流事業について語り合ったりと、久しぶり
に会ったとは思えない和やかなパーティだった。夜は、
すっかり晴れ上がって星空に。日本の真冬ほどではない
が、外気温は 7~8度くらいか。
【8月 5日】
5:00 起床。水平線にわずかに雲が残る程度の、快晴。ビ
ーチは静かで、美しい。朝食前、日の昇る前のビーチで深呼
吸。夜明け前からかなりの数のランナーやウォーカーが行き
かい、ビーチ沖ではカヌーやスウィムの人影も多い。この町
の人々のスポーツ習慣の徹底振りはすごいと感じる。
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6:50 頃、朝食を済ませウォーキングへ。ビーチのはずれ
では、100 名近いシニア層の人々が、真冬の朝の海に飛び
込み、500mは離れているであろう景勝地・シェリービー
チを目指して遠泳しているではないか!驚きである。
振り返って望むマンリー以北の海岸線の景色はすばらしい。シェリービーチを越え、木立に分け入る
ウォーキングトレイルをたどり、5 年前にも訪ねた男子校セント・ポールズ・カレッジの前を通ってホ
テルへ戻る。約 1時間のウォーク。海と市街地、そして丘陵部が密接している地形は、小田原と似てい
る。
8:30、マンリー市役所前に集合、小田原からの中高生たちと合流。ヘイ市長らも交えて記念撮影。市
庁舎の 2階のホールにて、マンリー市長表敬訪問。ヘイ市長から中高生たちに親善証書と Tシャツ&帽
子が贈られる。両市長および山田副会長によるスピーチの後、お互いにプレゼント交換。ヘイ市長から
は、オーストラリアの海岸写真集を頂く。私からは、小田原鋳物の「さはり風鈴」をプレゼント。
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引き続き、隣室にて「モーニング・ティー」。ゲスト
をもてなす、ちょっとしたティー・パーティで、生徒た
ちはケーキやジュースを歓んで頂き、くつろいでいた。
毎日やっているわけではないだろうが、コミュニケーシ
ョンを深める意味で良い習慣だ。
10:00頃、生徒たちは幾つかのグループに別れ、マンリー市役所管轄の各仕事現場へ。私は、4人の女
子たちのグループに帯同、5年前にも訪れたことのある、土木・建設・森林管理関係事業の統合拠点「デ
ポ」へ。建設、道路水路等整備、各種設計、資源リサイクル、更には看板作成、金属加工など、日本で
は通常、別系統で設置されている行政拠点、あるいは民間に委託しているプロセスなどの事業機能が、
ひとつの敷地内に配置され、緊密な連携が図られている。
驚いたのは、樹木管理の厳しさ。樹木の伐採や枝払
いは厳格な許認可制となっており、5m以上の高さの木
は、公有地ではもちろん、私有地も含め、勝手に伐っ
てはならず、無許可で伐った場合は重い罰金が課せら
れる。基本的に、樹木はきわめて大切にされており、
それがこの町に緑深い、豊かな空間が形成されている
大きな要素となっている。
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小田原との親善の証として設けられている小径小田
原クロースには、これまで何度かにわたって桜が植樹
されていたが、生育が悪かったらしく、別の植物に植
え替えられていた。その隣の広大なグラウンドの横に
は、かなり広めのドッグランが設置されており、各家
庭から飼い犬を預かった人たちが続々と犬を連れてき
ていた。犬も慣れているようで、嬉々として走り回っ
ている。また、隣接するスイミングセンターは、大幅
な増築工事が行われている。総額約 13億円をかけての
工事だが、使用料収入などにより事業費は 15 年ほどで回収できるとのことだ。全体として、スポーツ
振興はたいへん盛んに進められている印象がある。
続いて、ミドルハーバー沿いにある市管理の緑地公園
へ。広大な公園スペースにはキッズガーデンがあり、ま
た市が設置し民間事業者にリースされているカフェが
ある。また、バーベキューを楽しむ人たちのため、誰も
が無料で使える電気式のバーベキュー装置があるのに
は驚いた。逆に意外だったのは、公園にある巨大なマツ
科の大木(成木の樹高は数十 m に達する)を、眺望の
邪魔になるという理由なのか、枯れさせる薬を樹幹注入
する輩が居るらしく、防護のため幹周りが木柵で覆われ
ていた。この美しい町でそんなことをする人たちがいる
とは信じがたい。
前日も訪れた、海越しにマンリー市街地を望むスポッ
トを再訪。生徒たちは歓声をあげ、しばし風景に見とれ
ていた。小田原の街を思い出しただろうか。
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12:45頃、シェリービーチに、班行動していた中高生た
ちが集合し、毎回恒例のバーベキュー(焼いた肉やソー
セージをパンに挟んで食べる)。ここでも、先程の公園と
同様のバーベキュー用調理施設が設置されており、マン
リー市の消防職員が、機器の利用方法を解説しながら手
際よく調理して下さった。この日はマンリーでは珍しい
ほどの寒さで、私も含め子どもたちもガタガタ震えなが
らの昼食。それでも、元気な男子生徒たちは、そのあと
海に飛び込んだようだ・・・。
14:00、午後は公式行事が組まれていないため、現地在住添乗員のカルーソさんの案内で、シドニーの
中心市街地を視察。シドニーの中心部(シティ)、セントメリー大聖堂、古い街並みのあるパディント
ン地区、シドニーでは最も古い町であるロックス地区などを訪ねる。1788 年に英国移民船がシドニー
に上陸した際、最初に拠点となる街として開かれたのが、ロックス地区。今も、当時に作られた建造物
などが保存され開拓時代の雰囲気が残っており、観光の名所でもある。地区内を散策し、このあたりで
最も古いとされるパブに立ち寄ったりしながら、地元で暮らし働く人たちの空気感に浸る。
帰りは、オペラハウスの近く、船のターミナルである
「サーキュラー・キー」から、船でマンリーへ。約 30
分の所要時間でマンリーとシドニー中心部をつなぐ、市
民の大切な足だ。甲板のベンチに腰掛け、沈み行く夕日
に照らされたシドニーの街並みや、湾沿いの山や住宅街
をしばし見やる。
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18:00、姉妹都市委員会メンバーのジョン・オブライア
ン夫妻、昨夜お世話になったフォスター夫妻らのご招待
で、市庁舎近くのレストランで夕食会。日本では見たこ
ともない、長さ 2m!ものピザが登場したり、引率者の一
人・栢沼さんの誕生日祝いにサプライズのケーキが登場
するなど、マンリーの姉妹都市委員会の皆さんの心から
のおもてなしに、深く感謝。
【8月 6日】
6:30頃、ウォーキングに出発。風は強めながら、前日と同様、素晴らしい快晴。マンリーの港から「ノ
ースハーバー」と呼ばれる入り江沿いに延びる約 10 ㎞のウォーキングトレイルを辿る。朝日を受けた
入り江沿いの風景は格別に美しく、その眺めと環境を求め、トレイル沿いには何億円もするという邸宅
が海を見下ろして立ち並んでいる。通勤・通学、ランニング・ウォーキングの住民たちと何度もすれ違
う。トレイルのところどころ、特にビューポイントには、必ずベンチが設置されており、散策するには
この上ない環境だ。
7:10頃、ノースハーバー奥の公園に到着。この公園は、かつては入り江の最奥部の低地で、高潮など
の被害を受けていたという。マンリー市が埋め立て、広大な公園として利用されている。野球場が優に
ひとつ入りそうな広々とした芝生の園地には、中央に大きな樹木があり、周囲は緑溢れる住宅街で囲ま
れ、キッズガーデン、バーベキュー施設のほか、公園に面して保育園らしき施設もある。若い女性たち
の早朝トレーニング、近隣住民たちのウォーキングや犬の散歩など、ゆったりとした時間が流れる贅沢
な公園環境だ。
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7:30に、ジョンさんと合流。潮が低く、対岸の森林保護区へ干潟を徒歩で渉る。藻に覆われた岩礁の
上を歩いているとき、滑って転倒、したたか頬骨を打ったが、気にせずウォーキングを続行。元マンリ
ー市長や、近隣の住民たちと挨拶を交わしながら、巨木の生い茂る、真鶴の「御林」のような森を抜け
ていく。日本ではそうそうお目にかかれない、こんな巨木の森が、マンリーでは市街地の至近に点在し
ている。森を抜け、地元の人たちしか来ないであろう小さなビーチへ。朝から初老の男性が海水浴に興
じている。戻って、ジョンさんもメンバーというヨットクラブのクラブハウスをご案内頂く。対岸には
ヘイ市長の邸宅もあるとのこと。
9:30 今日は 8 月 6 日、原爆が広島に投下された日。マンリーでも、交流事業のプログラムの一環と
して、シドニー湾を見下ろす市内の平和公園にて広島被爆 70 年にあたっての平和祈念のセレモニーが
行われた。ヘイ市長、ウォン助役、アラン会長はじめ姉妹都市委員会の主な面々、そして両市の学生た
ちが揃っての、アボリジニ式のお清めとお祓いの儀式。ユーカリの葉を焚いて煙を出し、その煙を浴び
ることで、忌まわしき災厄から守られる、ということのようで、アボリジニの男性が、裸でその儀式を
行ってくれた。
両市の生徒たちは、前日までに折鶴をつくり、会場に掲げ、それぞれの代表生徒がメッセージを朗読。
最後に、各自が手にしていたプラカードを全員そろって掲げると、「マンリーと小田原の友情は永遠に」
といった趣旨のメッセージ。かつて太平洋戦争ではシドニー湾で海戦を交えた、日本とオーストラリア。
その恩讐を超えて、今は両市の若者たちが共に世界平和を願い、手を携える。素晴らしいセレモニーだ
った。
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10:30 平和公園から程近い「リトルマンリー」と呼
ばれるビーチへ。ここにある、市所有・民間運営のカ
フェで、アラン会長らと休息。こじんまりした、しか
しとても美しいビーチには、小さな子どもをつれた若
いお母さんたちが集っている。カフェは、夏のシーズ
ンだけでなく通年営業しており、飲み物や軽食は勿論
のこと、ランチやディナーも提供されるという。観光
客のみならず、ご近所の皆さんにとっても貴重な、こ
んな場所が至る所にあるのは何とも羨ましい。
11:00 港の近くにある、マンリー・アート・ミュージアムへ。市がかつて海水浴客向けの更衣施設と
して利用していたものを改装、現代アートの美術館にしたという。館内の企画展では、戦争にちなんだ
パッチワークの名品や、各国からの現代アートが展示されていた。
それにしても、ビーチ沿いの歩道といい、それを囲む巨木の並木といい、マンリーの海岸沿いは本当
に美しい。小さなお子さん連れの母親や家族たちの姿が、いたるところに見える。
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14:00 港に併設の人気レストラン「Hugos Manly」
で、ヘイ市長やアラン会長らとランチを済ませ、徒歩
で、「マンリー・ボーリング・センター」へ。日本で
ボーリングと言えば 10 ピンを倒すゲームだが、オー
ストラリアではペタンクとボーリングを合わせたよ
うな「ベアフット・ボール」が一般的。この日、両市
の生徒たちが交流を一層深めるべくこのゲームを行
っており、その様子を観戦。
このゲームは、屋外に設けられた芝のコートで、ソ
フトボール大くらいのボールを、30mほど先に置かれた目標のできるだけ近くに投げる(というより、
転がす感じ)という、いたってシンプルなもの。ところが、ボールの重心がずれているため、目標に近
づいて速度が落ちると、ボールが曲がっていく。この軌道を予測するのが難しく、腕の見せ所となる。
私たち大人もレーンを借りて投げてみたが、なかなかうまく行かず、つい熱中してしまう。こちらの国
では、ドリンクや料理を楽しみながら、コミュニケーションの一環として行われるようだ。
ともあれ、両市の生徒たちは、もはや小田原もマンリーもなく、すっかり打ち解けている。
18:30、マンリー市役所にて、25周年を祝う公式夕食会。マンリー市の姉妹都市委員会の皆さん約 50
名が集い、ヘイ市長、私、山田副会長がそれぞれスピーチを行ったほか、両市の各メンバーがプレゼン
ト交換など。隣席となったヘイ市長とはもちろんのこと、この交流を始めて頂いた故・ジョアンソーバ
ン女史の息子であるマルコム・ソーバンさん、シドニー総領事館の宮川首席領事、ほか多くの皆さんと
歓談。
今回、これまでこの事業を育てて頂いた、ときめき国際学校の尾﨑紀昭会長は、体調がすぐれぬため
参加が叶わなかったが、ヘイ市長やアラン会長をはじめ、マンリーの多くの人たちが、尾﨑会長への感
謝の言葉を述べておられた。私もまったく同じ思いである。今回の訪問を通じて、両市の絆、そして今
後に繋がる全体的な友好関係は、一層深まったと感じた。
最後は、アラン会長の音頭で、日本流に三本で手締め。再会を期して、皆に別れを告げた。
23:00 明朝の出発を前に、マンリーのビーチの気配を胸に収めようと、冷蔵庫のコーラを手にバルコ
ニーへ。松並木越しに波の音が大きく響き、夜空にはたくさんの星。ちょうど正面には、日本では冬に
しか見ることのないオリオンが大きく輝いていた。