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ニューズレター 9 2015 3 30 日発行 外国語学部における人材の養成、 教育研究上の目的 外国語によるコミュニケーション能力、幅の広い教 養を修得し、語学のエキスパートでありながら、豊 かな人間性と幅広い教養を兼ね備えた人材の育成を めざす。 *************** 岡山大学大学院に進学 川上 将広さん (英語学科 2015 3 月卒業。在学中 2012 年米国ミシシッピ大学に交換留学生として 1 年間派遣される。 2015 4 月より岡山大学大学院 会文化科学研究科 比較社会文化学専攻言語情報 論講座に進学予定。) 私は今春から岡山大学大学院へ入学し、生成文 法の観点から英語の統語構造を研究します。ほん 1 年前には、まさか自分が大学院へ進学するな どとは思ってもいませんでしたが、今は自分のや りたいことをやれることは何より嬉しいことだと 実感しています。この大学生活 4 年間で培ったこ とは私自身を大きく変えました。そんな私が大阪 学院大学で経験したことを紹介したいと思います。 私の大学生 4 年間で最 も大きな影響 を与えてくれ たのが大学 2 年次生のときに経験したアメリカへの交換留学で す。単に語学に興味があるという程度の理由で、 大阪学院大学外国語学部英語学科へ入学を決断し た当時の私の語学力は皆無でした。そんな中、同 じ外国語学部で英語を流暢に話す多く学生に出会 い、負けず嫌いな私は英語を話せるようになると いうことがいつしか大学生活での一つの目標にな っていました。そして、大学 1 年次生のときに大 学の交換留学プログラムに出願し、アメリカのミ シシッピ大学へ 2 学期間の留学資格を頂きました。 帰国後、どうしたら英語を話せるようになるの かとよく後輩たちに尋ねられますが、私は特に 1 日何時間も図書館に籠っていたり、英語の単語帳 や文法書と睨めっこをしていたわけではありませ ん。約 1 年間をアメリカで生活し、アメリカに住 む子供のように自然と身に付いたとしか考えられ ません。代表的なもの は単語です。hang out, appreciate, guys, y’all, awesome のような単語 はアメリカ生活で自然 と身に付き、現在でも 私が英語を話すときに よく使う表現です。また、 beautiful, super, wonderful を(「美しい」等の意味とは別に)一律に良い意味 として用いる、How’s it going? 等を挨拶の際に使 ってみるなど、英語の表現のニュアンスが少し理 解できたように思えます。海外留学をすることが 言語習得の必須条件とは言いませんが、大きな効 力を及ぼす一つの要因になることは間違いありま せん。外国語習得を目指す学生には是非考慮に入 れてほしいと思います。 そんな留学生活も終わり、日本に帰国したのは 大学 3 年次の 5 月です。ある程度、自分の英語力 ニューズレター 第 9 号 大阪学院大学外国語学部 外国語学部は実績主義 ―夢を実現した先輩に続いて下さい― 2015 3 30 日発行 ミシシッピ大学時代 川上君は後列中央 1

ニューズレター 第9号2015 年3 月30 日発行 ミシシッピ大学時代 川上君は後列中央 1 ニューズレター 第9 号 年3 月302015日発行 に自信を持ち、これからも英語力を伸ばしていき

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ニューズレター 第 9 号 2015 年 3 月 30 日発行

外国語学部における人材の養成、 教育研究上の目的

外国語によるコミュニケーション能力、幅の広い教

養を修得し、語学のエキスパートでありながら、豊

かな人間性と幅広い教養を兼ね備えた人材の育成を

めざす。

***************

岡山大学大学院に進学

川上 将広さん(英語学科 2015 年 3 月卒業。在学中

の 2012 年米国ミシシッピ大学に交換留学生として 1

年間派遣される。2015年 4月より岡山大学大学院 社

会文化科学研究科 比較社会文化学専攻言語情報

論講座に進学予定。)

私は今春から岡山大学大学院へ入学し、生成文

法の観点から英語の統語構造を研究します。ほん

の 1 年前には、まさか自分が大学院へ進学するな

どとは思ってもいませんでしたが、今は自分のや

りたいことをやれることは何より嬉しいことだと

実感しています。この大学生活 4 年間で培ったこ

とは私自身を大きく変えました。そんな私が大阪

学院大学で経験したことを紹介したいと思います。

私の大学生

活 4 年間で最

も大きな影響

を与えてくれ

たのが大学 2

年次生のときに経験したアメリカへの交換留学で

す。単に語学に興味があるという程度の理由で、

大阪学院大学外国語学部英語学科へ入学を決断し

た当時の私の語学力は皆無でした。そんな中、同

じ外国語学部で英語を流暢に話す多く学生に出会

い、負けず嫌いな私は英語を話せるようになると

いうことがいつしか大学生活での一つの目標にな

っていました。そして、大学 1 年次生のときに大

学の交換留学プログラムに出願し、アメリカのミ

シシッピ大学へ 2 学期間の留学資格を頂きました。

帰国後、どうしたら英語を話せるようになるの

かとよく後輩たちに尋ねられますが、私は特に 1

日何時間も図書館に籠っていたり、英語の単語帳

や文法書と睨めっこをしていたわけではありませ

ん。約 1 年間をアメリカで生活し、アメリカに住

む子供のように自然と身に付いたとしか考えられ

ません。代表的なもの

は単語です。hang out,

appreciate, guys, y’all,

awesome のような単語

はアメリカ生活で自然

と身に付き、現在でも

私が英語を話すときに

よく使う表現です。また、beautiful, super, wonderful

を(「美しい」等の意味とは別に)一律に良い意味

として用いる、How’s it going? 等を挨拶の際に使

ってみるなど、英語の表現のニュアンスが少し理

解できたように思えます。海外留学をすることが

言語習得の必須条件とは言いませんが、大きな効

力を及ぼす一つの要因になることは間違いありま

せん。外国語習得を目指す学生には是非考慮に入

れてほしいと思います。

そんな留学生活も終わり、日本に帰国したのは

大学 3 年次の 5 月です。ある程度、自分の英語力

ニューズレター 第 9 号

大阪学院大学外国語学部 外国語学部は実績主義

―夢を実現した先輩に続いて下さい―

2015 年 3 月 30 日発行

ミシシッピ大学時代 川上君は後列中央

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ニューズレター 第 9 号 2015 年 3 月 30 日発行

に自信を持ち、これからも英語力を伸ばしていき

たいと思っていた私は、半年後の就職活動へ向け、

英語を使える海外営業職をベースに業界研究をし

ていました。そして、就職活動が解禁される 12

月から本格的に就職活動を始めたのですが、あま

り私の思うような企業との出会いはありませんで

した。面接で常々自分の能力を伸ばし成長したい

ということを繰り返す私には、企業への献身さが

欠けていたように思えます。企業に属する以上は

会社の売り上げが第一であり、個人の成長はそれ

に続くものなのかなと今では思います。

大学 4 年次になっても内定を頂けず、時間だけ

が過ぎていき、6 月の上旬に再び自分自身を見直

しました。自分は何をやりたいのか、何が好きな

のかを考え抜いた結果、やはり残ったものは英語

でした。ではこの英語をどう活かすのか。その答

えが私の進路です。自分が今まで「こういうもの」

として学び、何の疑問も持たずに受け入れてきた

英語のさまざまな表現に関して「なぜそうなのか」

という疑問を傾けると同時に、言語そのものに関

して、自然言語を支配する一般的なルールを模索

し、私たち人間が持つ抽象的な体系としての文法

的知識へと導く仕事にとても興味を持ちました。

そして、言語学的知見から、私のように大学から

本格的に英語を習得したいという学生の手助けを

したいと思うようになりました。

大学 4 年次の夏休みから外国語学部の川本先生

に時間をいただき、大学院進学へ向け、そして私

の将来へ向けて約半年間、言語学、特に最新の生

成文法の研究の個人指導をして頂きました。実は

それまでに川本先生から何度か大学院進学を打診

されていましたが、卒業後は就職するものという

固定概念のようなものに囚われていてお断りをし

ていました。そんな一貫性を欠き、都合のよい時

にだけ先生を利用しようとする私を川本先生は快

く受け入れて下さり、英語学の基礎中の基礎から

ご指導頂いたことには感謝してもしきれません。

指導をして頂く中で、さらに英語のおもしろさを

実感でき、今までなぜこうなるのかと疑問に思っ

ていた英語の構文も詳しくわかるようになりまし

た。そして何より、自分が好きでやりたいことを

することが出来ていることに、充実した時間を過

ごせていると感じました。

そして、2 月の大学院入試に挑み、合格を頂く

こととなり、今までお世話になった川本先生を始

め、多くの大阪学院大学関係者の皆様に良いお知

らせができることが何より嬉しいです。私の大学

生活は大きく留学、就活、大学院入試の 3 つに分

けられます。留学で好きなことを見つけ、就活で

自分の本質に気が付き、大学院入試で将来の見取

り図が決まりました。これは単に私の経験談です

が、皆さんにも何かにチャレンジしてみて、そこ

から何かしらの結論を

導いてみてください。

やってみて損だとして

も、損だという結果が

わかることは皆さんの

今後の人生に大いに意

味があると思います。

「好きなことで、生きていく」これは動画サイト

YouTube に動画を投稿する人々(俗に言う

YouTuber)が掲げる座右の銘のようなものです。

一見甘い考えのようにみえますが、私は人間が生

きる上での本質をとらえているような気がします。

やりたくないことを嫌々やったところでそこに表

れる成果は平凡なものです。しかし、好きなこと、

すなわち自分のやりたいことならどうでしょうか。

他人が嫌に思う努力や作業も苦とは思わず、むし

ろ楽しみながら出来るのではないでしょうか。そ

して、そこには他人には成しえない成果が表れる

と私は思います。皆さんも是非、自分のやりたい

ことや好きなことを本気で考えてみてください。

自分の好きなことなら自信を持って、何事にも取

り組めるはずです。やりたくないことを嫌々やる

のはやめてください。そして、自分自身に価値を

見出しましょう。代わりのいる人間ほどつまらな

いものはありません。私は来年度から、将来、英

語学の何々の研究だったら日本の川上将広にしか

頼めないと言わしめるような研究者を目指します。

(カワカミ マサヒロ)

Times Square で 新年のカウントダウン

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ニューズレター 第 9 号 2015 年 3 月 30 日発行

***************

東北大学大学院に進学

角田 裕三さん(英語学科 2014 年 3 月卒業。2015

年 4 月より東北大学大学院 文学研究科言語科学専

攻に進学予定。)

私は、2014 年度、大阪学院大学外国語学部を卒

業した角田裕三と申します。中国で日本語教師と

して約 4 年間の日本語指導に携わった後、本学に

臨んだ社会人学生です。外国語学部では、主に「こ

とば」にまつわる課目等を履修し、今年、東北大

学文学研究科言語科学専攻に合格しました。

日本語教員として

の教師生活を辞め、

大阪学院大学へ進学

するきっかけとなっ

たのは、入学試験の

際、面接官だった教

授の一言です。当時

私は、勤めていた北京の日本語学校との契約満了

で帰国、次の勤務先を探している最中でした。「進

学もアリかなあ」などと軽い気持ちで大阪学院大

学外国語学部の試験に臨み、面接試験の際、面接

官の先生に、自分の日本語教員としての教師生活

における反省点や学習に対する意欲について赤

裸々に話したとこ

ろ、「ぜひ来たま

え!」と言われま

した。社会人とし

て進学するのは、

どこか恥ずべきことだと感じていた私は、その気

前の良さ、度量の大きさに驚き、ぜひこの大学で

学習してみたいと、ぐっと心が動きました。因み

に、その面接担当の教授というのは、入学後にゼ

ミで 2 年間お世話になることになる吉田卓教授で

す。今では私の“親父”的存在になりました。

本学での学生生活において、当初、肩を並べる

同級生との温度差に苦悩しました。新たな知識獲

得を目指す私と、高校の延長としてリラックスし

て大学生活をおくる彼らとの学習意欲に対するギ

ャップ、その「温度」の違いです。当然といえば

当然のことですが、対する教授の方々も学生達の

意欲云々、全体を包括的に指導する、中立的な立

場を取る方が多く、「もっと詳しく教えて!」と、

心の中でいつもそう望んでいました。そんな私に

拍車をかけたのが自主的学習、とりわけ読書です。

講義中、気になったことは講義終わりに質問、軽

くあしらわれることも多かったのですが、図書館

で確かめさらに追究するため借り出して読んでい

ました。本学の図書館は教授の方々もよくおっし

ゃるとおり、まさに「たからの宝庫」であり、一

方、「たからの持ち腐れ」でもあります。とりわけ、

地下書庫には他大学以上に外国語書物がたくさん

眠っており、一見の価値はあると思います。そん

な、講義と読書を繰り返す生真面目な大学生活が

功を奏してか、さらに大学院進学という良い選択

肢に進むことができたように思います。

私が進学する言語科学専攻は、その名のとおり

言語そのものを科学的に研究する分野で、一浪で

回り道しましたが言語好きの私にとっては願って

もないグラウンドです。入試において専門科目、

面接等はそれなりにヤマを張り挑みましたが、十

中八九肩透かしを食らい散々な結果でした。一方、

共通科目については、思いがけず米国地方紙が引

用されており、英字新聞購読を日課としている私

にとっては得意分野で、思いのほかすらすらとで

きました。浅はかな推測よりも日頃の積み重ねが

重要だと、つくづく思い知らされた次第です。

私は、学部で学んでいる皆さんへのメッセージ

として、時間はもとよりお金を無駄にしないでほ

しいと願っています。お金は本当に貴重であり、

大学生活における莫大な費用は決して自らまかな

えるものではなく、ほぼ全てご両親が支払ってい

らっしゃると思われます。にもかかわらず、講義

をサボったり居眠りしたり、はたまた私語で講義

を邪魔したりして、本来の「仕事」を疎かにして

いる学生をよく目にしました。本当にもったいな

いです。ご両親が一生懸命に働いて支払ってくだ

中国で生徒たちと 左端が角田君

中国での日本語教員時代

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ニューズレター 第 9 号 2015 年 3 月 30 日発行

さったお金を決して無駄

にせず、学問に打ち込ん

で欲しいと思います。ホ

トホトつまらない苦言か

も知れませんが、一社会

人の立場からみれば、こ

れは当たり前のことなの

です(自分自身も若い頃、

学生の本分を疎かにしてい

ましたが・・・)。

(カクダ ユウゾウ)

***************

6 年間の歩み

中川 瑞己 さん(2012 年 3 月英語学科卒業。在学中

の 2009 年ドイツのトリア大学に交換留学生として 1

年間派遣される。現在、YMCA や大阪産業大学で外

国人に日本語を教えている。)

こんにちは。大阪学院大学外国語学部英語学科

卒業生の中川瑞己です。2012 年に大学を卒業し、

現在、日本語教師として働いています。

在学中は英語学科だったにも関わらず、ドイツ

語に夢中でした。勉強すればするほど楽しくなり、

2 年次の秋、トリア大学へ 1 年間の交換留学をし

ました。ドイツ語習得に必死だった私は、日本で

積んできた努力の成果が見られると期待していま

した。しかし、すぐにあっさり裏切られてしまい

ました。こちらの意思が伝わらない、会話になか

なかついてい

けないなど、

疎外感を感じ

る日々でした。

そんな中でも

勉強だけは毎

日続けていま

した。

私に転機が訪れたのは、台湾人の留学生に出会

ってからでした。彼らは一人だった私を仲間に入

れてくれて、わからないなりにも言葉を尽くして

言いたいことを伝えてくれたり、こちらの言いた

いことも粘り強く聞いてくれました。彼らの温か

さに心を打たれた私は、「将来は必ず台湾へ行って、

恩返しをしたい」とその時決心しました。

大阪学院大学では 4 年間、専攻科目に加えて「日

本語教員養成課程」の科目も履修していました。

留学から帰国後は、留学する前以上に日本語教員

としての勉強に力を入れました。そうすることが、

台湾へ行く最短の道だと考えたからです。「日本語

教員養成課程」の科目は学部の単位にはなりませ

んでしたが、日本語教員になって台湾の日本語学

校へ日本語を教えに行くのだという情熱に突き動

かされていました。

念願かなって、台湾の

彰化 YMCA 日本語学校

に就職が決まりました。

2012 年 3 月、大阪学院大

学を卒業してすぐに台湾

へ飛びました。ドイツ留

学時代の仲間だった台湾

の友達も、私の台湾赴任

を歓迎してくれました。

新しい環境に一念発起がんばろうと思っていまし

たが、一つ問題がありました。私の中国語能力が

皆無だったことです。ドイツ語をしっかり勉強し

てから行ったドイツとは異なり、中国語は全く勉

強したことがありませんでした。実際、生活する

中で困る場面はたくさんありました。ですが、ど

こへ行っても台湾人は私の味方でした。私がわか

っていなかったら、わかるまであの手この手で伝

えようとがんばってくれるのです。私は心から「こ

の場所を選んでよかった」と思いました。

日本語学校の仕事は

すべてが自分の身にな

るものでした。ただ、

まだ日本語が初級の学

生に中国語での説明を

台湾彰化の大仏前で右が中川さん

台湾八卦山で YMCA 総幹事と

ドイツにてクラスメイトと 後列中央が中川さん

万里の長城で 前列中央が角田君

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ニューズレター 第 9 号 2015 年 3 月 30 日発行

求められたときは大変でした。ドイツに着くなり

それまで勉強してきたドイツ語を試してみようと

したドイツ留学のときとは逆で、台湾では現地へ

行ってからも半年間も中国語を学ぶことに手を付

けていなかったのです。学生が私が教える授業を

消化不良のまま帰っていく姿を見て、いつも心苦

しくなりました。「わからないと不安」、私は留学

経験からこの気持は誰よりもわかっていました。

日本語を教えるだけではなくて、私も彼らと同じ

ように勉強して、彼らの言葉で説明できるように

なろう、そう思ってやっと中国語を習い始めまし

た。

これまでに外国語学習の経験があったからか、

中国語の勉強開始後はメキメキと上達しました。

特に周りからは「発音がほぼ正確だ」と評価され

ました。それに気を良くした私はさらに頑張りま

した。そして、台湾から日本に帰国する直前には、

日常会話には困らないレベルになっていました。

2014 年 4 月に日本へ帰国し、その後は大阪の

YMCA に勤務しています。台湾とは異なり、複数

の国の人を相手に授業を行うのは楽ではありませ

ん。ですが、それもまた新しいスタートだと思い、

日々奮闘しています。今後はさらなるステップア

ップのため、自身を磨いていくつもりです。

(ナカガワ ミズキ)

***************

涙と感謝のお遍路の旅

丸山 良太 さん(2015 年英語学科卒業。2015 年 4

月より大阪学院大学大学院 国際学研究科に進学予

定。)

今夏1か月をかけて四国 88 寺

を巡礼しました。私がこの旅に出

かけることになったのは 3 年前の

秋の出来事がきっかけでした。当

時なぜか体調のすぐれない日々が

続いていた私は、救急車で運ばれ

CT 検査を受けることになりました。そして翌日、

医師から「キアリ奇形とそれに伴う脊髄空洞症で、

手術をしないと将来動けない体になるだろう」と

言い渡されました。『1 リットルの涙』というドラ

マに「自分が病気と認めるまでに 1 リットルの涙

を流しました」というセリフがありましたが、私

も何リットルの涙を流したのかわからないくらい

泣きました。その後、2 度手術を受けましたが結

果は思わしくなく 3 度目の手術が必要であると言

われました。しかし、この手術はリスクが高いこ

とから、もう少し病気が進行するまでしないほう

がよいだろうとのことでした。そこで私は、今年

の夏休みが私にとって大学生活最後の夏休みでも

あり、どうせなら体が動かなくなるまでにどこか

大きな旅に出かけようと決意し、中学生の時から

行きたかった四国遍路の旅に出ることにしたので

した。

7 月 31 日夕刻、友人や先生

方に見送られ学校を出発し和

歌山港へと向かい、フェリー

に乗り徳島港から四国に入り

ました。ところが折しも台風

12 号が接近しており、四国到

着 2 日目から大雨になってしまいました。10 番切

幡寺にたどり着いたところで、寺の住職さんから、

台風で潜水橋が渡れず途方に暮れているオースト

ラリア人の女の子がいるので、誰か英語で彼女を

安全な所まで案内してくれないかと頼まれ、私が

潜水橋まで駆けつけました。その女の子は、渡る

予定であった潜水橋の前で呆然と立ち尽くしてい

て、話を聞くとスペインのサンティアゴ・デ・コ

ンポステーラヘの巡礼路を訪れた時に日本の四国

にも同じような美しい巡礼路があると聞き、ここ

まで来たのはいいけれど英語が通じず困っている

ということでした。そこで私は

前日に宿で聞いていたほかのル

ートで彼女がその日泊まる予定

だったホテルまで案内してあげ

ました。翌日 11 番藤井寺から柳

水庵まで向かった際は、急勾配

11 番藤井寺

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ニューズレター 第 9 号 2015 年 3 月 30 日発行

ニューズレター 第 9 号

発行 2015 年 3 月 30 日

発行者 大阪学院大学外国語学部

発行者住所 〒564-8511 大阪府吹田市岸部南二丁目 36-1

(電話) 06 (6381) 8434

(学部 URL) http://www.osaka-gu.ac.jp/dhp/gaikokugo_gakubu/

の道を台風の大雨のなか、何度も滑り何度も転び

何度も谷に落ちかけました。でも落ちそうになる

度に何かが背中を押し返し、谷とは反対の方向に

転げさせてくれました。その時「同行二人」とい

う言葉の意味を改めて感じました。弘法大師様が

一緒に歩いてくださって危険から私を守ってくれ

ているのだなと思いました。

その後は順調に進ん

だものの、ついに石鎚

山 60 番横峰寺(海抜

750m)、三角寺山 65 番

三角寺(海抜 450m)、

雲辺寺山 66 番雲辺寺

(最高峰海抜 91l m)の 3 つの寺を巡る難所にさ

しかかりました。なんとか 65 番三角寺にたどり着

いた時にはすでに体力の限界を超えており倒れそ

うになっていました。その時、階段の上から「ち

ょっと待った!」という叫び声と共に杖を突いた

おばあちゃんがものすごい勢いで階段を駆け下り

てきて、私を駐車場の横にあった自動販売機に連

れて行き、1000 円札を出してジュースを買ってく

れ、残りのお釣りを私のポケットに入っていた財

布に入れてくれました。「山の上のお寺さんはしん

どい。若いのに偉いな。」と声をかけ応援してくれ

ました。私はその言葉に涙を流し心の底からあり

がとうと言うと「ここまでお接待をいろいろと受

けてきたと思うけど、お接待と普通のボランティ

アとは何が違うかわかるか?ボランティアはして

もらった人が『ありがとう』って言うけどお接待

はした人が『ありがとう』って言うんやで。だか

ら私からありがとうって言わせて。」と教えをいた

だき、お礼を互いに言い合って別れました。その

後 66 番雲辺寺で辛そうにしているお遍路さんを

見かけた私は「先程私も死に

そうな顔をしているところを

親切なおばあちゃんのお接待

で助けていただいたんです。

その時のお釣りが余っている

のでよかったらそこの自動販

売機で一緒にジュースを飲み

ませんか。」と先程のお釣りを出

し一緒にジュースを飲みました。

そのお遍路さんはまるで若返っ

たかのように元気を取り戻し二

人して山を下り次の目的地へと

向かいました。

その後、ここで語り尽くせないほどたくさんの

素晴らしい人々との出会いをさらに経験し、つい

に 88 番大窪寺にたどり着き、私のお遍路の旅は完

結しました。最初に病気を認めるまで何リットル

の涙を流したかわからないと書きましたが、今回

の旅で流した涙の量は遥かにそれを超えました。

地元の方々の温かいお接待、そしてお遍路さん同

士の助け合い—-毎日感謝の涙の大洪水でした。

(マルヤマ リョウタ)

***************

編集後記

今号で取り上げた 4 名の卒業生たちは皆、いった

んは高い壁にぶつかり、大きな挫折を経験しました。

川上君は就職活動が思うように運ばず、角田君は一

度大学院入試に失敗し、中川さんは留学先のドイツ

で実力不足を痛感させられ、そして丸山君は深刻な

病気の宣告を受けました。しかし、彼らはそんな苦

しい状況のなかにあっても冷静に自己を分析し、決

して諦めずにそこから努力を積み重ねて成功に繋げ

ました。 キーワードは「諦めない!」ということ。私もこ

の年齢になって、教え子たちから教わりました。阪

神淡路大震災から 20 年目、そして東日本大震災から

4 年目の今年、繰り返される自然災害にも決して諦

めずに立ち向かう力強く粘り強い日本でありたいで

すね。—“Our best successes often come after our greatest disappointments.” (Henry Ward Beecher)

(YK)

66 番雲辺寺

88 番大窪寺

6