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I8 2 「自己」 マンダラの中 近代の発明を再発見するユング思想を J W ハイジック 「私の討は彼らが建てた AJ 家に自分で住み、彼らが栖えたぶどうの実を自分で食 べる・:彼らの手で作ったものを自分で使いきるであろう。」(イ 1 二二節) 「自分には自己というものがあるかどうか市民がみんな自分自身で疑っている ような都市以上に空恐ろしい光景はありえない。」 (G-K ・チェスタトン「正 統とは何か』第三章) はじめに マンダラと自己というと、 一般の西洋の宗教学者の出にただちに浮かぶのはスイスの深田腐心理学者 C ・。. ユングの名前であろう。なぜなら、無意識の心理学をマンダラの解釈にはじめて適用し、 マンダラ現象自体の もつ神秘性・密教性に対する西洋精神史の関心を古めたのがユングだからである。周知のように、 想の背後にあった意図は、インドやチベットのマンダラは、東西問わず無意識が自発的に打ち出すイメージと パタン の共通の形態を証明することにあった。 ユングの発 マンタ寺ラの中心における「白己」 ユングはとの共通的のパタンを「元型」と名づけ、元型の象徴的表現 とともにその意味内容も晋遍的だと論じた。総じてこの意味内容はこころにおける意識や無意識の諸勢力の本 コスモグラムプシコグラム そのぷ場から見たマンダラは、宇宙図の形をもって人間の精神図を描き、そ つまり究極的な心的現実が 来的で、調和的な全体であった。 してマンダラの中心にはこれはユング独自の貢献であったが 11 最高の価値、 シンボル 立っとする。ユングはその中心を「自己」と名づりた。しかも元型的象徴として、究極的剥実を表現する自己 にはすべての心的象徴 ω 共通の意味が結晶しているとユングはいう。そこからは、仏、伸、ブラフマン、遣な どのイメージを心的現実として同一視するに至るまであと一歩であって、故にマンダラが白己そのものの措子 とされる。こういったマンダラの定義からユングは、 キリスト教の神話の中で生まれ育った者が、非キリスト 教的象徴を打ち出すことができるばかりか、諸宗教の特殊性を乗り越えた、 しかも自分の生き甲斐に役立つ笠 2 感として西洋人が「東洋的マンダラ」を受け入れる可能性も認めるようになった。 I9 ユングがはじめてマンダラの心理的解釈を示唆したのは一九二九年の論文の中であったが、 十数年前から -

マンダラの中心における...I8 2 「自己」 マンダラの中心における 近代の発明を再発見するユング思想をめぐって| J ・ W ・ ハイジック

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I8

2

「自己」

マンダラの中心における

近代の発明を再発見するユング思想をめぐって|

J

・W・ハイジック

「私の討は彼らが建てたAJ

家に自分で住み、彼らが栖えたぶどうの実を自分で食

べる・:彼らの手で作ったものを自分で使いきるであろう。」(イザヤ書、六五章、

一二

1二二節)

「自分には自己というものがあるかどうか市民がみんな自分自身で疑っている

ような都市以上に空恐ろしい光景はありえない。」

(G-K・チェスタトン「正

統とは何か』第三章)

はじめに

マンダラと自己というと、

一般の西洋の宗教学者の出にただちに浮かぶのはスイスの深田腐心理学者C・。.

ユングの名前であろう。なぜなら、無意識の心理学をマンダラの解釈にはじめて適用し、

マンダラ現象自体の

もつ神秘性・密教性に対する西洋精神史の関心を古めたのがユングだからである。周知のように、

想の背後にあった意図は、インドやチベットのマンダラは、東西問わず無意識が自発的に打ち出すイメージと

の共通の形態を証明することにあった。

ユングの発

マンタ寺ラの中心における「白己」

ユングはとの共通的のパタンを「元型」と名づけ、元型の象徴的表現

とともにその意味内容も晋遍的だと論じた。総じてこの意味内容はこころにおける意識や無意識の諸勢力の本

そのぷ場から見たマンダラは、宇宙図の形をもって人間の精神図を描き、そ

つまり究極的な心的現実が

来的で、調和的な全体であった。

してマンダラの中心にはこれはユング独自の貢献であったが1

1

最高の価値、

シンボル

立っとする。ユングはその中心を「自己」と名づりた。しかも元型的象徴として、究極的剥実を表現する自己

にはすべての心的象徴

ω共通の意味が結晶しているとユングはいう。そこからは、仏、伸、ブラフマン、遣な

どのイメージを心的現実として同一視するに至るまであと一歩であって、故にマンダラが白己そのものの措子

とされる。こういったマンダラの定義からユングは、

キリスト教の神話の中で生まれ育った者が、非キリスト

教的象徴を打ち出すことができるばかりか、諸宗教の特殊性を乗り越えた、

しかも自分の生き甲斐に役立つ笠

2

感として西洋人が「東洋的マンダラ」を受け入れる可能性も認めるようになった。

I9

ユングがはじめてマンダラの心理的解釈を示唆したのは一九二九年の論文の中であったが、

十数年前から

-

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20

自分自身で「マンダラ的」な絵を書いたことがあったが)、最初の積荷的なマンダラ説は一九三七年であって、

いうまでもなく、今日のより徹底的なマンダラ研究は、

晩年までマンダラに対する関心は少しも減らなかった。

彼の根本的な発想から少しずつ離れて行き、現代ではインド・チベットの学者の中でもユングのマンダラ説は

ほとんど引用されていない。

いわんや若い日本の学者にはほとんど知られていないようである。要するに、

ニL

ング思想を忠実に守ろうとする純ユング派以外の学者たちには、

それが造り出された時代、

その由来や陪史、

それが関係する文献などからきり離された象徴として「マンダラ的」なイメージを取り扱うこと、あるいはそ

の明細や多様性を軽視することは、学問の良心に背くことのように考えられてきた。

現代の専門化された学問は、

ユングのような心理学的なマンダラ研究を修正しようとするだ付ではなく、恐

らくどんな一般的マンダラ論に対しても大きな疑問符をつけることであろう。しかしながら、深層心理学その

ものを完全にマンダラ研究から追放して、

その研究を現代の「専門神話」に任せることは必ずしもマンダラの

理解を進める役に立たないと思う。

マンダラが人間の内的宇宙を措くために外の世界の比時を使用する限り、

深層心理学の問いや立場が不可避であるともいえるかも知れない。

マンダラの心的意味がユング心理学によっ

て最終的に明白になるかどうかということは別として、

とにかく人聞の「内部」を探ろうとするいかなる特殊

な説にもその解釈字的前提があるので、現代の人間観を昔の文献、絵画のうちに書き込む危険が常にあること

をま、ず認めなければならないと思うc

まさしくこの意味で、

ユング思想をめぐって白己とその基にある近代の

自我概念を問題にすることこそが、この論文の円的である。

真の自己の探求

日常の「什我」とは異なる「真の白川己」の探求T

という概志は、近代の意識に棋を下ろしたように思われる。

その探求を実行することが可能であると考えようが考えまいが、

またそれを望ましいと考えようが考えまいが、

それは、概念としては、技術、産業、義務教育、臨床医学、高速輸送などの概念とともに、

そしてこれらの概念と同様、真の自己の探求もまたかなり最近の発明であって、二百年前に

一般の言語の中に

染み込んできた。

はわかりきったものでは決してなかった。さらにぞれらの概念と同じく、近代以前の時代には想像もできなか

マンダラの中心における「自己J

ったある社会制度を可能にし売のである。

しかもこの概念は、近代の批判的な思想に重んぜられるために、そしてまたそれに代わる考え方に転覆され

ないために、歴史性をもつことをも必要とした。ところが、外的な社会秩序の形成や存続と直接関係のある概

念とは異なり、真の白己の採求というのは人間性の不変で内的な構造を語ろうとする。したがってその概念を

支持する歴史は、人類の適時的な発展を弁明する上りも、むしろ外的な出来事の経過を離れれば離れるほど事

実であるような共時的な原型を発見することを求めるのである。

とはいうものの、人間性の超歴史的構造を表現する概念の歴史は、社会的進歩を主張する摩史と比べて、よ

り「神話的」である、あるいはその前提が概してより透明であるというわけでは決してない。むしろ現代人と

2

してのわれわれの時同概念には両積の佳史がしっかり絡み合っている。

一方では、目下の最も驚異的な新発明

21

心中にも働いている古来の旧類引を再発見することによって、

われわれは「進歩」や「発展」

の思想が現代に

幽岨

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かげてきた呪文からはじめて救われる。他方、人間性に対する最も呼重されてきた「原型」的思想の時代的特

殊性を認めることによってのみ、

われわれは異なる価値を有する人に自分の価値観を永遠の真理として信奉さ

せることを避けることができる。

それゆえ、真の自己の探求とそれに伴う日常の自我からの解放をここで取り上げる目的は、これらの概念を

ふつう考えるよりも遥かに近代的なものであるという

旬んできた神話的霊気とでもいったものを問題にして、

ことを論じることにある。

というのは、真の自己の探求を人生の中心的関心であると考えていようが、単なる

自惚れの仮面と見なしていようが、あるいはそれにまったく無関心であろうが、現代の誰であっても実際その

言葉が意味している内容をだいたい理解している。すなわち、日常の白我より深い、より尊厳的な人間性の中

、むを探し求めることをそれが意味しているということは明らかなのである。もちろん自我と自己の解釈は様々

であって、中には重要な相違点もあろう。

しかしながら、これらそれぞれの梱違点を評価する際に、

-r-v日「こ

ナJ

,f/品同守

JU

内的、主観的体験の立場、あるいはただ単に客観的と、£張される古典的な允場に止まってはならない。

、-AH11し

νてLP194

の場合にも、近代の意識の特殊性を無視する限り、その評価は中途半端にならざるをえない。

疑いもなく、真の自口の探求の「神話化」にはその健全な面がある。例えばそれは、従来の制度的な形式を

越えた「霊性」

の回復に対して共に関心をもっ心理学左心不教との接近を促進することになった。あるいはまた

それは、仏教とキリスト教の境界で語躍する諸宗教間対話にも、多くの実を結ぶ一つの広場を提供してきたの

さらに同時に、聖典の原文を肢密に検討し、

である。

ユダヤ・キリスト教の「魂」や仏教の「無我」を生産し

たそれぞれの精神史の相違を主張する学者もまたこの同じ広場にいるであろうが、

それも同様に健全な出来事

であるに違いない。

ところが、これらの努力にもかかわらず、本節の主題である「真の自己の探求」という

ωは、結局人聞の古

米からの首一遍的な営みとして認めるぺきものであり、われわれはそれを再発見したにすぎないのだという背後

にある前提を問題にする余地はないように思われる。この前提は理性が届かない信条となる限り、もう一つの

現代的な迷信にすぎない。この信条は、今世紀のはじめから数多くの準宗教・哲学・心理・倫理的な運動が

種々の「自己啓発L

の伝道を支持し、また伝統的な世界宗教や臨床心理宇の重要な部分となってきたが、ほと

んど未反省のまま存続してきたと言えるであろう。確かに人間の「内性」の神秘を問題にする場合、理性の働

きを補うために迷信がある程度必要であるが、この迷信が理性を抑圧する程になれば、

それは病的になる。日

常の自我より深い、

より真実の白己に対する信奉には、

そのような危険があると思う。

こういった問題点を一つ一つ取り上げる研究を短い論文にまとめることはまず不可能である。ぞれは、真の

マンタ.ラのL}J,心にお付る「臼LJI

'H己の探求という現代の概念を構築してきたさまざまな思想の歴史を整理した上で、その構築がなぜ今世紀の

人々にとってそれほど魅力的であるのかを説明するという課題をも負わなければならないからである。それと

同時にそのような研究は、二十世紀末にその概念の意味内容がほとんど一般の常識になってきたという事実と、

その概念の意味内容を古代の文献のうちに読み込むこととの関わりゃ)も取り上げなければならない。一一一一口うまで

もなく、このような研究を実行するためには、歴史に広く網を打って、その捕獲物をよりわけるために大胆な

2

それはともあれ、このような試みは、現代の世の中で人生の目的とは

何かという問いに対して真の自己という概念を対応させる試みと、少なくとも同じ程度に役立つものであると

私には思われる。ともかくここで、おそらく今世紀における「自己」の再発見の最も古典的な主張の一つであ

推理が要求されることになるであろう。

23

るC・G-ユングの深層心理学に焦点をあててみよう。

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ブロイトとユング、自我と自己

自我を意識の巾心とはするが、

(七回可与の)全

しかし立識以外のいわゆる「無意識」

の働きをも含むこころ

体の巾心とはしないという発想はブロイト独'川の百献であった。

だれでも体

その考え庁の天才的なところは、

験したことがあることを表現していて、

しかもそれを合理的に考察できる論理を打ち出したーところにある。

ロイトの論山内は心的工、ネルギ|

こころの坐まれつきの導管を流れるそのエネルギ

一ヴ円門]()

の論山内であって

ーに圧力、がかかることによって、

その流れが氾濫したり、

その方

あるいは冗に戻ったり、

それが流出したり、

向を変えたりするなどの水力学の比輸をもって展開された。この論理体系の中で什我の働きは笠動性と能動性

i

|あるいは自由と限定ーーの混合である。簡単に言えば、自我はその矛盾の真中に立って、全体の同一性

(一己巾ロ汁一3一

寸)

を保持しようとしながら、同時にこころの自由を

γり、それらを拡大しようとする役割を栄たす

のである。

一方、何々の

E

什我は社会の通念や慣刊によって形成されるが、

その超

21我(出己完円高C)

は子の届

かない天空のように自我の上に珪える。他方、山我は原欲望(正)

の海洋のトに汗かぶ孤独の筏であって

市南の恒星によって自分の針路を決めようと試みるが、強い出流のために常に失敗せざるそえない状態にある。

カントの抽象的で楽観的な

我が内には道徳法則がある」

という信奉に対して

l

我が卜には星空があって

ロイトの場合は

ただちに拒百できない悲観的役知恵があった。

ブロイト独

'Iの用語ーーをk

-

与岨門社民{〕

σR-n『-を玩何日

一般の経験にあまりにも近く、

自我の論聞の詳細はさて置き、

は新しいこころ

の構造と深い関係があっ

それは

l

機能」が心的1

作在」として物象化されることを

一変するに

こころの

強調しているのである。後で指摘するように、

'H我の物象化(ぐ号包括-一与己ロドヨ一{一22cコ)

一廿

JJhHこ

一以じ主士HHJU

l土

導入されたが、

それが一般の思想の中に入ったのはブロイトを通してであると一一口えるであろう。

ユングの思想はブロイトのそれとかなり違った方向に発展したが、限定された、閉じた体系の中の無意識の

エネルギーに衝き動かされた、自我を中心とする立識という恨本的観念からは少しも離れなかった。ただユン

グはブロイトの悲観主義を相んで、

カントに近い楽観主義に一民った。すなわち、{子市

般や人生そのものは無

打的な働きであり、道徳は外的圧力によってのみ精神に書き込まれるのであって、無意識のこころは本来的な

人間の自由に抵抗するのだというフロイトの確信に、結局ユングは納得することができなった。彼は、自我・

超自我・イドというこころの構造を否定して、

それに代わるこころの働きの慎範を作り出したが、彼もまたブ

ロイトと同じく、

そのそれぞれの成分を当然

ωことのように物象化し、こころの根本的な働きの形態を存在す

マンダラo)rr心における「杓己」

るものの働きと考えた。

ユングによって完成されたこころの構造の細かい説明はほとんど省かざるをえないが、

とにかく彼の最も独'lな概念であ一る「自己」を開解するために必史なことだけには触れておきたいと思う。

それを排除した。

ユングは、

フロイトの超自我を数冊紀にわたって蓄積されたきた世論」と呼んで軒蔑し、

そしてその代わりに彼は、社会の山内恒や習俗とーともに桐人の思い出を含む多層的な無意識の浅い部分に位置す

る「個人的」な同を提出した。

そして宗教、文明、主術などの諸機能を理解するためにブロイトが超白我に訴

えたところで、

ユングは「白己」を使間した。

ブロイト全集には「自己」(含∞

ω己Z円)という名詞が一回だけ登場するが、それは代名詞的な意味で使わ

れている。それは意図的であったように思われる。一一パ語のレベルについてだけ一一行えば、(山内山田

ω巳ず出グ汁『ぬ

ω巾}同

2 2ラ

などの名詞形は少なくとも二世紀以降の西洋・巾近東のあらゆる言語に現われるが、それは塊、人格、意識、

-

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ことろ、精神(しばしば身体を含んだ)などの代用をする一言葉であった。それにもかかわらずフロイトがその

言葉をわざわざ避けたのは、漠然とした言葉をなるべく明確な術語に書き換える窯阿が彼にあったからであろ

ユングの方は自由に自分なりの意味で「自己」という名詞を深層心浬学に導入するこ

ぅ。それはどうであれ

とができた。すなわち、自我に相関するものとして、

しかも意志の中心たる'日我と同じように事実的に存在す

るものを指示する用語として導入したのである。

ユングは自己をこころの「別の中心」とみなしたが、

それは

精神分裂や通常は一つである人格が複数になる病的な「多重人格L

を意味するわけではない。

ユングの自己は

むしろこころの本性に存在する意味と十全性への要求がそこに結晶した観念である。フロイトにとってはその

ような'l己という観念を立てる根拠はどこにも存在しなかったが、彼の自我と超自我の観怠がなかったら、

ごL

ングの

'H己も考えられなかったであろう。

ユングの思想において自己とは一義的な概念ではない。晩年の著作に至るまで彼はその多義性を処分するこ

とができなかった。ユングはブロイトと異なり、断片をうまく接合して論じるために用語の意味を一時的に歪

める癖があることで悪名高いが、

しかし「白己」

の暖昧さの場合には何かそれ以上の理由があると認めざるを

えない。

フロイトとは別なこころの構造の礎石となるだけではなく、従来のキリスト教に反

対して無意識に対して積極的な意義を与える確固とした立場を確立する役割をも果たさなければならなかった

ユングの自己は

ユングのp

日己概念は西洋の宗教的想像力を支配して来た魂の概念の力を吸収する試

みであったと言えるであろう。要するに、ユングにとっては、白己概念とは、ウィリアム・ジェ

lムズをはじ

め司とする二十世紀の心理学が否定した魂の概念の実践的および理論的な機能を、それに代わって果たすべきも

しかし什己は魂の存在論的性格を奪い取っても、

のである。結局のところ、

のであった。

ユングの意に反する伝統的な倫理的側面は除く

べきであった。罪、

天の報いと罰などを取り消したとしても、魂の概念には、幾千年にもわたって種々の文

化・言語・思想の影響を受けてきたために生じた多義性や矛盾や神秘がまだ残っている。それらの多くはユン

グの白己概念にも存続しているが、まさにそれゆえにこそ、無怠識の中心たるユングの自己には魅力があるの

であって、しかもまたそれゆえにこそ、ユングはこの概念をキリスト教全体(その表の伝統と裏の神秘的伝統

をも含む)の広い綴織

μ織り込むことができた。そしてそこから自己をキリスト教以外の示教、とりわけ仏教

における同種の概念の解釈に適用することもできたのである。

こうしたことを通してユングは、自分の既成宗教から離れてもその宗教の伝統そのものは尊重するという彼

自身の立場が二十世紀の霊性の新しい方針になると確信したようである。彼の思想がこれまでに集めてきた関

心から判断するならば、

たとえその思想の大部分はごく少数の読者にしか理解できなかったとしても、この点

マンダラの中心における|自己!

においてユングは決して間違っていなかった。

しかしそれだけではもちろん論理の破壊の罪や思想の不正確さ

を大目にみる理由にはならない。

ところがユング自身は、様々な議論をした後に結局、心理学はその最も深い

非ム円理性をその誇りとすべきだと結論を下した。役ぜならこころ自体は結局われわれの貧弱な理解力を越える

存在だからである。この結論に疑いを差し挟むことはできない。ただユングが理性の働きに対して引いた限界

線を考え直す必要は卜分あると思う。

自我

μ依存する自己

2 円/

2

真の自己に対立するものとしての自我に対する批判は、多くの場合われわれの考える自己が近代的な自我概

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念にどれほど依存しているかということを軽視している。この円常的自我という前提が真の白己の優先性をいえ

持する方法には主として二つのものがある。

まず第一にその前提に正面から挑戦して、物象化された自我を否定するとともに、世界における他の物に対

して行為するような意識の中心を「所有する」個人という概念を支えるさまざまな比輸を自覚にもたらし、そ

そうすれば真の自己は、主と客、医界と意識、知ることと為すごととなどの区別を

れを批判する方法がある。

越えた現実に「参加」する個人の本来の状態として提出されうる。こういった挑戦の一番徹底的な形は仏教思

それというのもこのような形は論理的にも実践的にも、古来、心と無心、我

想のうちに見られるであろうが、

と無我の対立によって養われてきた考え方だからである。

真一の

'H己の優先性合論じるもう一つの方法は、自我の川口的あるいはその完成として自己を提出することにあ

る。すなわち、種が地に落ちて死ぬことによって花として復活する、あるいは平凡な人聞が怪獣に打ち勝って

隠れた宝物を手にすることによって英雄になるというよう令決定的な「変容」という比喰を用いて自我と自己

を考える方法である。魂の運命を解くこのような比輸は、

キリスト教思想において長い歴史をもっているし、

その象徴的伝統は自我と自己の対立を解くユングの心理学の基盤ともなった。

西谷啓治と自我の否定

二十世紀の仏教思想家の中で真の自己の問題を最も徹底的に取り上げた者の一人である西谷啓治は、デカル

トの門

CEZが代表的な自我概念であると考えたが、それは恐らくデカルト自身が持っていなかった概念を対

象にした批判であった。

知るという行為(デカルトの円高比三の主体である白我から真の'日己という本来的存在へと優先牲を移す

試みにおいて一需重要な点は、

gm一円。の自我と比較して、なぜ真の自己は主体に愛着をもつことがいっそう

少ないのかということを一不すことにある。この問題提起の前提としては、

gEぎの主体が大体ブロイトとユ

ングが考えた「自我」であるということ、

つまりそれが、全体としての人格やこころ、あるいはそれらの種々

の機能、

またさらに精神や魂のような生命原理や霊的原理とは異なる主体であるということである。

フロイトやユングの思想ばかりか、深層心理学全体にほとんど言及していないが、似たような

自我概念は彼の著作のうちに口見いだされると思う。西谷は、デカルトの

gm-さの主体とは「自己自身の内に

閉じ寵った自己のあり方」である「自我」に他ならないと考えてい

μ。そして、その自我の超克とは、自己を

西谷自身は、

マシダラの中心における「自己l

聞き、何人の人格・精神・意識・主体性などとの同一視から自己を解放することにある。ここで西谷は、デカ

を和訳の「我考う、故に我あり」から敢えて解釈し、その

ルトの有名なラテン語の文句

(g阻円c-2mcEE)

「我」を「自我」とした上で、デカルトの「自我概念」を批判する。たとえこのような論証の仕方が自己概念

の定義に大いに役立ったとしても、デカルトに自我概念があったという前提は時代錯誤であると言わざるをえ

:、。

ふ匂しデ

カルトはコす宮口一mp己()コ三命的己{mewをラテン語で書く際には、主語ののぬ。公使用しなかった。これは単に

ラテン語の文法のしからしめるところだけではない。もしの問。の概念を彼がもっていたならば、

dmC222

と占くことも可能であった。

しかし実際には、デカルトの

『省察録』には自我という名詞が主要伝役割を果た

2

している箇所は一つとしてない。

むしろデカルトが示そうとしたのは単に次のごとである。すなわち、身体・

29

感情・精神などの機能はすべて意識から収り除くことができるが、

ただ一つ考えるという機能だけはそうする

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30

ととができない。

つまり人は考えながらも自分が考えていることを知らないということは不可能であるという

ごとを彼は強調したにすぎない。それゆえ、考えることは意識の最も決定的な機能である。第六の「省察」に

おいてデカルトは自分自身と自分の精神と

rH分の魂とを区別していない。そして、デカルトの翻訳者はこのい

ずれにも

71我」(同町内完())

とパリう訳語そしばしば当てているが、デカルト自身は決してそうしていないので

ある。彼は、考える円分を単なる「内的源泉」あるいは円

2

8性EEとし、人格・主体・精神そのものと異

の概念を用いない。要するに、西谷が言う「デカルト的自我」とはデカルト哲学を批判するため

なる「自我」

に作られた後代の発明なのである。

先に指摘したように、これは単なる言語の問題ではない。意識的な行為の主体である一人称を物象化するこ

と、すなわち考える意識という「もの」

(5印)を意識から区別し、立識の支配者として設定することである。

デカルトが「庁す」というのは、「]o-E」や「]めロ

CE」と同じように、文自体の文法的な構造について話をす

るような場合||例えば、この日巳という語

(AtEJ

1

iを除けば、ありえない言葉づかいであった。

は動詞の前に置かれるべきであると言うような場合

ところが「自我」という名詞が一般の一一一口語にしっかりと根づ

いてしまったために、物象化された一人称を過去の文章の中に読み込むというこのような間違いがしばしば、

しかもごく自然に起こるようになったのである。

同様に近代以前の仏教も上述した意味での物象化された名詞としての「自我」を批判しなかったが、それも

また、ただ単にその概念をもっていなかったという理由によるのである。しかし西谷がこの近代の発明として

のデカルト的自我を批判する目的は別のところにあると思われる。要するに、自覚を聞いた、より真実で、よ

り深い

「自己」

の概念を強化するために、

その自己を自我と一切無関係のもの、すなわち「無我」として主張

することこそが彼の目的なのである。その無我は、従来の主体性の観念の否定に止まらず、近代の主体性の詰

概念の否定をもそのうちに含んでいたように思われる。西谷は自己を「《あるザ仇なす》外なる》の力動

的関連」に達する「真実の自己中心性」と見なしている。その白己の課題とは、まだ存在していない何かを円

的にすることでも、あるいはすでにある白我を何か別のものに変容するととでもない。そうではなくて、

むし

ろ「あること」と「あるべきこと」とはすでに一つであるということに目覚めることである。換言すれば、白

骨中止崎昔時伝合廿山我の個性を養成・完成するあらゆる苦みからの解放こそが向己の真の働きであると西谷

は説いてい必o

結局自我と自己との関係は、種と花との関係、あるいは凡夫と英雄との関係ではない。むしろ

両者は妄想と真実のように、

そもそも存在論的に異なっているのである。

マンダフの中心iニおける「向己j

西谷のデカルト的向我論は、立の自己についての彼の説明に不可欠なものではない。しかも、意識の所有主

たる物象化された

rH我という近代の概念に対する批判としての彼の無我的自己は、古典的な仏教思想とも連続

その上それは、現代の無意識論に入り込入だ自己の概念に根本的な疑問を提示する

しているように忠われる。

ものになると言えるであろう。

しかしながら、ここで問題にしているのは、仏教の古典および修行のうちには

われわれ現代人が有するのと同じ自我概念がすでにあったのであり、

それゆえにこそそれは現代人の自我概念

を批判することができたのだという前提に他ならない。

2

ユングにおける自己の多義性

2

はしため

ユングの自己概念ははじめから近代の自我の端女であった。所有物的な物象化された自我を前提とした上で、

それらの属性を自己に移すことによって彼はこの前提を強化し加。自我も自己も伝在論的には同一水準にある

3'

Page 8: マンダラの中心における...I8 2 「自己」 マンダラの中心における 近代の発明を再発見するユング思想をめぐって| J ・ W ・ ハイジック

32

ιたい

ものであったし、両者はともに「皮袋」によって限定された特定の個人の内側に存在するものであった。

ブIゴ

イトの自我と同様、

界を越えることができないのと同じく、自己が他者の自己に参加するあるいは参加されることもまた不可能で

ユングの一番の関心は、意識とともに無意識の要素をも含むほどこころの概念を拡大することにあった。

ユングの自己は共同的な聞をもつが、畢寛「我が自己」である。自我が個人のこころの限

ある。

しかし個人のこころが空惣であるかどうか、こころが本来個人のうちに閉じ込められたものであるかどうかな

どといった関心は彼にはなかったようである。その意味で、西谷の「真の自己」

の概念と比較すれば、

そもそ

もユングの自己は一つの「他我」なのである。

精神史的に一」一日えば、

ユングの自己概念は、個としての人聞をより中心的な位置にまで白めようとする徹底的

それは前世紀のヨーロッパ思惣から直陸相続した理念である。彼の場合にそれは、私的な

営みであると岡時に人類全体の共有の希望や知忠の貯蔵所でもあるものとしてこころを再定義することを意味

した。こころの先天的理念として、自己とその積々の原型的象徴とは、対立するその若々のエネルギーを調和

な実験であったが、

させる力をもった。

ユングはその理念の実現過程を「個性化」と名づけた。たとえブロイトへの追悼文の中で

フロイト心理学の哲学的前提は検討されなかっ記」と偲んではいるとし

「師匠自身の哲学的な不備のために、

ても、こ(にろが自己完結的存在であるというブロイトの根本的概念をユング自身もまた深一刻に疑問視すること

はなかった。むしろ、こころの現象以外の形而上学的なものの存在については何も知らないと主張する際に、

こころが自己完結的であるというこの「事実」を彼は繰り返し指摘したのである。白分の理論とブロイトの理

論との一番重要な相違点は、むしろ自我の力だけで実行できない個性化の変容を可能ならしめる行為者の存在

を論証するところにこそあった。そのような行為ができなければ、自己というのは、円分の髪の毛を引っぱっ

て自分を泥沼から引き上げるかのような、妄想的で、虚ろな自我の願望に終わってしまう。

まず、

ユングは自我に「陪い面」を付け加えた。意識の中心としてはたらく自我は踏み越えられない

その影の面に積極的に取り組み、それに意識の光を当てることによってのみ、自我は、無意識の何

「影」

をもつが、

人的な層よりも深い、集合的な層へとはじめて突破することができる。自我は無意識の中ではあたかも小きな

そこで夢をみるのだとフロイトが考えたのと同じように、

火花のような形で存在し、

ユングもまた、自我は無

意識の物事を体験する行為者であり、神秘的な下界に旅し、色々な宝物を手にし、意識の世界に戻ってそれら

を評価するというように考えて、自我の行為の範岡をそ拡大した。

それにもかかわらず、個人的無意識の影郷…固から最も自由で、透視力を有する白抜ですらも、意識と無意識と

の統合を表現する自己の理念を実現することは結局できない。自我が心全体の中心ではないと強調するユング

マンダラの中心における l肖己」

つまり自我の先天的限界を

にとって、この結論は当然である。このようなわけで、無意識にもう一つの中心、

越える行為者として自己を設置するしか方法はなかった。そのため彼は自己の概念を単なる理念ではなく、

種の「自己実現的な理念」として再定義した。このようにして彼は、自己とは、こころがなりうる可能性を表

現する原盟的象徴を発生させることができるといった再度の最小限度の働きを常に行ないながらも、自我の刺

激なしでは最大の力を発揮することのできない潜在的な「勢力」

であるとした。鳥の両翼

ωように、こころの

意識の中心とこころの無意識の中心という一一つの行為者が協力して、こころ全体をその最終的な統合にまで進

ませるのである。

2

ここで意識の限界からの自我の「救い」を意味する自我の「例性化」

の意味内容が問題になる。こころの最

33

終的な目的が個人の生涯という範囲に限られている以上、自己が

zH我を吸収するという可能性はまったく存在

Page 9: マンダラの中心における...I8 2 「自己」 マンダラの中心における 近代の発明を再発見するユング思想をめぐって| J ・ W ・ ハイジック

34

しないのであるから、

この目的を実際に達成する可能性も問題にならないように思われる。

そこでこの白我の

消失への無限の接近という困難を取り除くため

ユングは自己の定義にもう

つの属怯を付け加える。

すなわ

ち、理念であり、

また理念が実現するように働く行為者でもあることに加えて、臼己は

「現実的な所う」

でも

あるということになる。

要するに意識と無意識を含むごころの全体は、

もうすでにそのまま自己なのである。

因みにユングは、ゲ

1テの名文2

ヨ♂EP君。門己

FHE2コ(汝である者、

その者に成れ)

を好んで自己に適用し

た。彼がこころの国を描く際に用いた多くの比喰と同じく、

この演言もまた治療過理にとって必須のものであ

「ノ、一心、、品、

ぜ中ムカ

ぞれ以上に実際に働いているこころの事実を述べるものであるとユングは主張する。彼の一一一一回うとおり

それが治療のための方便以上のものであるならば、

ユングにおける自己の多義性は無視してはならない。

すなわ九

自我の最初の行為とその他者である自己の行為との論理的な不均衡を退けてはならない。

プJで

は、自我が意識の可能性をすべて成就するためには

無意識を他者として認め、

できるだけその内容を意識化

しなければならない。

自己は働きかける前から、

最終

すでに自我を他者として含んでいる。

他方、

ぞれゆえ、

的に行為者は一つ、すなわち自己のみしか存在せず、

自我は一種の自己欺楠

(ユング自身が批判するいわゆる

「無意識の膨張」)

また白我の行為は常に意識に反映し、

これに対して、

その発回肢を指導する。

になってしまう。

自己の行為は集合的無意識にそのような影響を与えることはなく、白己は常に所住の現実のままに存続する。

(ユング自身が批判した

山川己の行為は自我にのみ影響を及ぽし

それゆえに自我のみが心的変容の対象になる

いわゆる「自我意識の膨張」)

という結論は不可避のようである。

要するに

ユングは自我の概念を比較的はっきりさせ、

」ころの内容の暖昧さを自己の概念に集中させたと

しか考えられない。実際には、この作戦はユング思想の発展にとって決定的であったかもしれない。これを理

解するためには、

ユングの自己の多義性が単なる欠点に留まらず大きな実を結んだという事笑の背後にある思

想の構造を採し求める必要があるが、ここで働いているモデルを二つだけ指摘したいと思う。

3

自己の背後にあるモデル

上述したように

ユング心理学は西洋の霊性伝統全体における様々な人間の「内性」

マンダヲの中心における「自己j

白己

集合的

恒久的

不可知、不可支配

単純な対立のモデルをもってこれを整理することにより、白我と自己の心理学を支え

観念を包括するという目的をも含んでいる。それは乙ころと古来の集合的知恵との直

接的な関連を作り出す先天的「原型」を提起するために必要であった。

いうまでもな

く、魂・塊・霊・精神・心などの概念の歴史はきわめて複雑であり、

しかも特定の伝

統の中でさえ言語的な一致すらもない。こういった概念の混沌から出発したユングは、

可知、口I支配

る思想や象徴の多くを発見することができた。

そこに含まれる諸々の象徴の内容は別として、これは、反対物の対立だけではなく、

一時的

個人的

白我

その最終的な統合を期待するモデルである。ユングにとってこのような

g一月五

gzm

o匂℃C己

Z25のモデルが象徴論の基盤となるためには、まず第一にこのモデルがこ

ころの構造の中に発見されるのでなければならなかった。

こころは特殊的と普遍的という二重の歴史性を有する。特殊の歴史が普遍の歴史からの評価(自我に対する

2

批判としての自己)を必要とするならば、

その普遍的歴史が真実で、信頼できるものであるという証明も必要

しかしながら、著作集を全体としてみれば、こころの普遍

3ラ

となる。

ユングは滅多にこの問題を取り上げない。

Page 10: マンダラの中心における...I8 2 「自己」 マンダラの中心における 近代の発明を再発見するユング思想をめぐって| J ・ W ・ ハイジック

36

的歴史件について三つの互いに関連し合う前提がユングにはあ一って、

それらが東西の宰性的伝統に対する被の

解釈を支えているのだということを見て取ることができると思う。

l

こころの進化H身体と同様、こころは集合的に構造されており、

やはり身体と同様進化するものである。

である象徴・心像・観念こそが一

iウィンの進化論風に、個性化の過程の指導に対する一番の「適者」

番恒久的に「生存」し続けると考えられる。

2

こころの前宅リキリスト教の従来の霊魂創造識が主張するように、個人のこころが他の心とは無関係に

生まれて、同定的な形で永遠に存続する(か死ぬ)のであれば、個々のこころの成田木が人類全体の知理に

したがって私のこころは、私の誕生以前にすでに生きていたと考えなけ

蓄積されることは不可能である。

ればならない。

3

こころの考古川fH「個体発生は系統発午を繰り返す」という十九世紀の生物学の出理に従って、個作化

の過程において個々の自我は人類の歴史を原始時代から現代まで再経験することができる。

この三つの前提はどれも、個々のこころと別に存在する「集合的なこころ」という概念を必要としなかった

が、それは個々の人間と別に「人類」が存在しないのと同様である。むしろ生物学的な「本能」という単純な

概念だけで無意識の歴史的連続性を保証することができるとユングは考えたのである。

先の二つのモデルをムはわせて、

ユングは、従来の宗教における絶対者を自己と同一視できるほど||あるい

は逆にいえば、神や仏などを自己と区別できないほど||宗教の内容を無意識の生産物とする解釈を一層徹底

的に進めるようになった。

そして心理学の限界を指摘する批判を前もって処分してしまうために、このよろな

絶対者と自己との以一別をしようとする形而卜干の試みすらも結局無意味であり、

それどころか間違ってさえい

ると説き加える。その厳しい立場にもかかわらず、

ング自身が形而上学的な前提をもっていることを明らかにしている。要するに、こころの一部としての自己の

ユングの自己概念が近代的な自我から生来したことは

工L

存在論的役現実や性格は、自我のそれと同ピ程度に確実であるが、

しかもそれは、「度袋」

の内部に限定きれ

た伺人の所有物としてのみ存在するのである。

先に述べたモデルにしたがって、

ユングの成熟した思想には、互いに重なり合うが論理的には区別せざるを

それらはいずれも自我と自己とが同一水準にある存在の対立で

えない少なくとも六つ

ω自己の概念があるが、

あることを前提としているのである。

(1) 本来の十全性川個々のこころの実際上の十全性

生成の可能性H形成されつつある「個性化」を目標にする十全性

集合的無意識の行為者川個性化の過程の中心的動力

達成された十全性川こころの諸勢力を調和することによって達成された結果

2

マンダラの中,心における「自己」

3 (4)

5

宗教の超越的絶対者の原型H神・仏・迫などの象徴と同一視される象徴

超越と内在との統合としての宗教的絶対者の原理h神と人間の統合であるキリストあるいは開E守

6

ような象徴レ一同一視される象徴

ιのrH己の多義件を取り上げて、

ユング心珂学の治燥法としての実践的価値や効果を問題にするつもりはな

ぃ。ただ、論理の対象にした無意識の所与や歴史的材料の中に本来は存在しなかった特定の近代的自我の概念

2

がなげれば、こころの目的としての真の自己やその探求、

またその概念を用いる象徴論が発想されることも決

37

しでありえなかったということを主張したかったにすぎない。

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一一『司

38

所有物的な物象化された自我の由来と疎外の問題

西洋の精神史においては、今から二百年ぐらい前まで「自我」や「自己」という言葉は単なる再帰代名詞と

この代名詞の対象は現に働いている主体・個人・心・魂・精神などにすぎなかった。

我が魂、我が心、我が精神などの言葉遣いが意味をもっているとするならば、魂・心・精神などという言葉は

この代名詞の「我」とか「自分」を修飾するものに他ならなかった。つまり「我」が魂・心・精神を所有する

ということではなく、我即魂・我即心・我即精神ということである。二百年以上前の文献の中でこれまで私が

出会った「白我」や「自己」の名詞形は、いずれも主体の機能のみを意味しており、主体と別に働く有機体あ

るいは存在物を設定するようなものは一つとしてなかった。

して用いられてきたが、

これまでの研究から私が判断する限り、物象化された自我という概念を西洋精神史に紹介したのはフィヒテ

の『知識学』であった。そこでフィヒテは、働いている意識としての内的自我と非自我である外的世界という

区別に根拠を与える「絶対的自我」を仮定する。主体のこの新しい考え方、すなわち経験的自覚の物象化は、

近代の精神史にとって画期的な出来事であった。普通の主体性と異なる「白我」を語るフィヒテの意図は、従

来の魂概念を再定義することではなく、意識に特定の中心をもうけることにあった。

カントが自我の実体化は自我の位置を下げるものと考えたのに対して、

フィヒテ自身にとってはそれは白我

の位置を高める理由となるはずのものであった。

ところが、この概念のその後の適用をみると、実際には、第

一人称の代名詞{与がその対象である個人そのものからある意味で疎外されるという事態が生じ、続いて深

層心理学がその疎外をさらに一般の思想体系の中にもち込み、結局それは現代の常識になってしまった。「労

働」というとただちに勤務先や給料を、「教育」というと学歴を、「健康」というと臨床検査の結果を連想する

ことに我々は慣れている。それと同じように、「自我」という概念は人聞の心理に対する特殊な前提を事実へ

と変化さ耐弓こょに白宣づ犬。こ

ωよ↓K辻代IAは、、王同日

ω第一ム称時(都)奇使用札寸、謡件閉め叫第三IA同

形(自我)のことを語るということを学び、その結果人格性を非人格的に、非人格性を人格的にするような変

の「白我」)を行なうようになった。すなわち近代人は、文学批評家の横光利一が六十年あまり前に

換(「私」

適切にも「第四人称」と名づけたものの文法を、あたかも新しい方言を習得するかのように身につけてきたの

である。

マンダラの中心における「自己」

とにかく、主体を生かし、感動させ、その価値を向上させると大昔から信じられてきた「霊魂」の概念にお

ける非人格的な側面と、フィヒテにおける白我の絶対性とを関連させるためにはほんの一歩しか必要でなかっ

へlゲルが『精神現象学』

「もの」としての自我と普遍的な「精神」や「霊魂」としての自我とをへ1

ゲルは区別する。彼によれば、白

我には、聞かれた意識的な次元に対する「絶対的否定性」である隠れた神秘的次元があって、それは主体の

ではなく、暫時的に主体に与えられているものである。このような発想によってへ

lゲルは物象化

「もち物」

2

された白我の「白己疎外」および他の白我からの疎外を避けようと意図した。ところが実際には疎外の問題を

解決するどころか、へ

lゲルの戦略は宇宙的現実全体の中心的働きへとそれを投影してしまった。この意味で

へlゲルの思想は、百年後のユングの思想の先駆けであるということができるであろう。

39

先に述べたように、

ユングの思想における内的な「他者」

である自己の物象化は、

まず主体の行動と区別す

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40

ぺき

rH我の物象化に依存している。自己が示唆するように思われるこころの非人格化は、現実の中で人格に一

同中心的な位置を割り当てることになり、

こころの内の本米の疎外は、内的な真のr

川己を「再発見」しようと

する自己中心的な営みへの愛着に変化する。外見卜、自我と自己との医別は、超人格的な「大宇宙」

(H自己)

とそれを反映する人格的な「小宇宙L

という健全な対照をこころの中に設けるようなものである。

11 我

しかし

ユングの大宇宙の観念は一貫して心理的なものであり、個人的な省察の結果が、

その背後あるいはそ

の根拠にある

こころの範囲を越えた外的な現実よりも人間的な価値をもつことになる。人聞の体験を超越す

る霊的な世界が存在するかしないかについての判断をあくまでも杭否するユングが、人間以外の大自然を人生

の価値観の源泉と考えなかったということは偶然とは思われない。衰えつつあるキリスト教の「神話」が現代

人の真の自己の探求を指導できなくなってしまったと批判するユングの価値観もまた、その神話と同じように

あまりにも人間中心的であり、大自然を軽視していた。この意味において、錬金術の文献に対するユングの解

釈は

いくらその「業」(白日)

の神秘的な両を照らしているとしても、

その人間中心的傾向は明瞭であるし、

被が錬金術の洞察合産業化された技術の諸問題や自然の崩壊の諸問題に適用しなかった理由もそれによって説

明されうる。とにかく、ユングの思想全体において、原型的な存在物としてのr什我とr什己は、現代のこのよう

な問題から遊離した立場を、

あるいは少なくともそれに対して無関心な立場合とるものであった。

同じように、

たとえユングの心理宇において無意識の集合性が論じられているとしても、「頁の'什己し

;土

実際の社会的な次一瓦もまた欠けている。自我における社会的次元は、個人のこころの中の意識の光と無意識の

との、混合である個人的歴史に現われる集合性にのみ限られている。

根源的場所・時間的特殊性は、倫理の問題が凶かない刊格をもっ

)j

無意識においては

社会的次元の

「原型」

の集合性へと完全に吸収されている。

その限りにおいて、こころを寸私有財産いとみなす個性化の過程は、

そればかりかそれによって特定

ωある社会秩序を支えているのだという批判を招く

いくらそれが「出層的」だとはいっても

社会批判を無制しており、

のである。

ユングの思想に通じている人々の間では

こういった問題との取り組みはまだ不十分であると思わ

O

才之

一_._./¥

結び

岡谷哲学に言及したことを除けば、

上に論じたことは西洋のユダヤ・キリスト教の伝統の一部に見られる物

象化・所有物化された自我と2

什己の概念に限られているc

マンダラの中心における「白己|

ユングが材料公求めてい東洋思想の中を掠し回ったこ

その成果についての評価は様々である。このことを問題にすることも興味深くない

しかしながら、F

什我と

rH己の問題全取り上げることによって現代の仏教古典文献の解釈がどれ

ほど近代の心理宇から影響を被っているかという問題の々がさらにおもしろいし、まだイ八刀検討されていない

ように思われる。

とはよく知られているし、

一J

+ノ戸に十4F

、dA、Ao

t4yhw

}ι'争

/

また真の

pl己の探求に関して、仏教とキリスト教の比較研究は

剣に検討すべきだと思う。そこには両伝統の中の自己と自我の観念だけではなく、それぞれにおいて指導的役

割を果たしている比鳴すらも多く登場する。私自身の見たところでは、まさにこのグノ

1シス主義の非常な豊

さらに既成の神学に

、二世い紀のグノ

lシス

の文献を一層真

2

富さと魅力のために後のキリスト教の伝統は霊塊を明確に定義することができなくなり、

41

とっては密教的・神秘的伝統による補足会必要とすることになったのである。

そうであれば、現代の深層心理

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42

芋よりもグノ

lシス派の文献とそが、仏教とキリスト教における真の

PH己の探求の比較研究の課題を見出す磁

石になるかもしれない。

それはともかく、以上の論文が、継続しつつある、

しかも字いにもいかなる合理的批評によっても止めるこ

とができないような人間的精神の「什伝」に無理に添付された単なる脚注にすぎないということは、雪明性の歴

史に大雑把にでも通じている人ならば誰でもわかることであろう。神学者L・ボロスが賢明にも書いたように、

偉大な宗教的観念に対する反省が負う義務は、「神秘に添付されるすべての物象化を取り除くことにあ

rι」。た

だし、それはこの物象化の除去という作業自体が神秘を同じように隠してしまわない限りにおいてのことであ

る。単寛、唯一の「真」の自己とは自己の恒久の探求に他ならない。そして臨済禅師の訓戒はここでも一番妥

当である。すなわち、自己に建つては、自己を殺せ!ということである。本論文の冒頭に置かれた引用句は

この意味の覚え書にすぎなかったのであるが、繰り返し繰り返し本論文中で確認されてきたような気がする。

チェスタトンが非難している近代的自己の探求は、原文が置かれている文脈なしでもその意味がすぐに理解

できる。われわれは彼の想像するような都会の光景の空恐ろしさを体験したことがあるし、

その基礎にある理

念が一般の言語のうちに定着する過程も見たことがある。しかしながら、現代人は日常的な自我と互の自己を

区別する言葉遣いを学んできたが、自分の内牲について何を本当に信じているのか、何をただ信じさせられて

来たのかということを区別するすべはまだ十分身につりてい令い。同じく冒頭に置いたイザヤの予-一一一口は、われ

われが創る世界はわれわれ自身がその中に住める世界でなければ、またわれわれが最も大きな情熱を込めた観

念はわれわれ自身が現に使いさることのできる観念でなければならないという和やかな光景の大幻視を提出し

ている。このような山由を実現しようとする人聞の内牲に対する考え万のみがわれわれの信頼に値する。それ

マンタゃラのL[I,[',、における「自己」2 43

以外の真のF

目己の探求は倫理LL認めることができないのである。

++-圭ロ(

1

)

(

U

ヘLPミ内に{司、JQ

司、含一w

品一ωhw()Y

(2)

英語版の匙へhshh号、周忌きとには去巾混同という一一円染が問凶現われるが、その一一凶日(品一品吋)たけがドイツ訴の己知的

巾-m巾号以内一一)えの一訳語である。品、

η地の場合は

(EHN5wZ75込町)いずれも己芯百日間巾ロ巾司句史己や己回出回目5202の無

頓着な一訳である。これに対してユング全集にほ

asrF己か、本論文の山町で説明される意味の術記として

TM以上も使

用されている。

(3)

丙谷啓治「宗教とは何か』(東京、創文社、一九七

O年)二

O頁。

(4)

「精神がただムつのことであると、すなわち考える機能やその内的源泉であると主張する折は、私の知る限り、私以前

には誰もいなかった。」

(OEミ三]円ドピコ。

(5)

『{一ぶ教とは何か』二八七二八八百一、『西回幾多郎その人と思想』(東京、筑摩書一房、一九八五年)一七

h

七九瓦

参照。

(6)

ニのような危険を認めたものの、ユングの自我と自己との概念は同じ民にかかったようである。例えばユングは次の

ように書いている。「新訴は驚くほど自分を実体化し、しかもそもそも表現しようとする現実を代侍する傾向がある。」

p~~ミミ司ミケロ…30

(7)

町三pu之内乱=ミ時h

H

印一品吋・

(8)

ある州究会においてユングは無意識が形而上学的介作であるという旨乃花一一一口をした。すなわ叱彼は「無意識はすべて

のも仰の未知性℃ある」といった。また別の研究会において伎は、ある患者をその息子の夢を通して分析した事例をデり

て、無意識の「精神的伝染」という表現を用いているが、その考、ぇ方の重大な帰結には触れていない。ト内町宮、

a

g

b湾ミ呂町苫門司込お芯HNV対同

(HCMZ)

一EL)諸民地ZK山昌白守vmvuH》出『同同(忌ω∞)ニ∞e

同VE

ユN282'一泊印

(9)usrFが初めて登場する箇所は

qFq丸町苫町長え円刊号、日

3.agk内pbhh~nP3(口出血)の第六節である。翌年に祉に出た

C35へまなに23VR昌hpぬき九九hph誌に町、-念品定詰民雪量芝ミは、この概念の論均的な帰結によって、その大部分を占めら札て

いヲhv

Page 14: マンダラの中心における...I8 2 「自己」 マンダラの中心における 近代の発明を再発見するユング思想をめぐって| J ・ W ・ ハイジック

44

(刊)染川人称(自分をみる凶分)という償光の発想は、折口学史や心閣内学史ではなく、アンドレ・ジッドの忘識観における

H我の解脱への願望という思想にその基盤があり、著者とえ叫おとの歴史・民放的ながぴっきそ仮定するものであった。横

光利一「純粋小説諭」、『改造L

(

一九三五年同月)参照。

(日)ユングはそ、7考えなかった。彼は、へ|ゲルを「変装した心理学ぶ」でありながら「精神分裂病患おの誇大妄相心的な

ことばを一詰った」と評価しでいる)へ

lケル日まさに自分に問じ譲ったニニろの疎外を突減しようとしだからこそ、ヨー

ロッパ精神史に及ぼした彼の影響は消極的なものであったのだとけう皮肉な結論に結局ユングは到達したのである。(リミ

守主町九号、。司、、デ∞一戸市山由1l吋()

(ロ)このテ

17について二冊の書物を指摘できる00・】

ZRT巳自己見戸冨CO刊少巾合必

Jqs札口守町、ミ一言ご当大

LPsh¥

同凶ミ九九hNZ~~b尽~ロh一ミ(りL(戸J4d

円。円}内一回)出口口出FHU由N)

レ一いう論文集は、この問題をめぐる思想の雑多な寄せ長めと論点の不明

瞭さとを代表する一一備である。ーとりわけ久松真今が設定きせたユングとの「対話」は翻訳力不十分きや独断的山花が惹起

する対話の挫折の代表的な例である。(この対話はが局この書物に掲載されることになったc

しかしユングはその刊行に

反対した

L

その理由はその内群が余りにも未整理的で、非学問的であったということである。逆に久松はその刊行を歓迎

したが、その理山は、心理出了が自分の狭い純国をようやく突破しようとしており、神仏教がそれに役LH-

つということを一び

すことができると考えたからである。この二人を較べると、学問の良心と伝道の良心との差がそこにあるということもわ

かる二それ

E対照的に、〕・〕〔一同「昨巾喝、きNhEA同長討さ、E

M

ZぎzhpH-ムむN.QE宅、mV5HFH?、032H(戸。E

Cロ問。己己巾仏間巾w

-hecは、ユングの思想を深く促え、評価した上で、ョ

iロソハがつくり出しな従米の「東洋思想」をよく理解した好著

である。

(日)小村正「向己の探求』(東京、青土社、一九八九年)は、上述したり恩味での歴史的態度をとっていないが、彼が使用す

る幅広い歴史的資料はまさにその必要性を明白にしている。わ}戸田ユ

2、H,

ai--FMq翌日hkc¥『居間

FJkq(わき手ユ仏岡市・出回つ寸54

司口同〈巾円留守勺

5545g)という画期的な研究は、東九汀思想における自己の概念の歴史的制究の必要性を認めている(印包

品)。

(日)

戸白色目的

-Z品切

C「C由。同Jph」

$hHh弓ミbSHF(Z2司

JヘC「}内一DoCM2cE唱戸坦叶

ω)、ロムい