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第 490 号 2 0 1 0 年 (平成22年) 12月10日発行 © http://www.jnpc.or.jp 75 20 53 56 2 使使使調2010年行事回顧 0 公示2日前に開催した「9党党首に聞く」(6. 22) 1度に9党党首がそろったのは初めて

ジャーナリズムの役割とは 日本記者クラブ会報 · 企画回数は140回。昼食会 20回、 記者会見 53回、研究会 56回、囲む会 回である。(

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Page 1: ジャーナリズムの役割とは 日本記者クラブ会報 · 企画回数は140回。昼食会 20回、 記者会見 53回、研究会 56回、囲む会 回である。(

( )�

日本記者クラブ会報第 490 号2 0 1 0 年(平成22年)12月10日発行

〠一〇〇

−〇〇一一

東京都千代田区内幸町二ノ二ノ一

   

日本プレスセンタービル

©社団法人 

日本記者クラブ

�http://w

ww.jnpc.or.jp

 

かんむりが取れて官僚の官になっ

た」が会場を沸かせた。

 

民主党代表選討論会(9・2)の

方は、代表質問チームが小沢一郎氏

に対し、普天間基地、財政・消費税、

さらに憲法75条(「国務大臣は、そ

の在任中、内閣総理大臣の同意がな

ければ、訴追されない。ただし、こ

れがため、訴追の権利は、害されな

い」)などの問題を鋭く追及した。

山田孝男毎日新聞政治部専門編集委

員が「会報」でいみじくも記したよ

うに、小沢氏も「『剛腕』ならではの妙

案があるように見えて、そんなもの

はないことが分かった。菅直人首相

の頼りなさも浮き彫りになった」。

 

もっとも、これらの討論は、どれ

ほどの判断材料を国民に与え、国民

を啓発したのだろうか。日本の政治

の混沌を見るにつけ、そして、日本

の外交の散乱を見せつけられるにつ

け、こういう時代におけるジャーナ

リズムの役割とは何だろうかと考え

込んでしまう。

 

ダメな現状をダメだ、ダメだ、と

書くことだけが役割ではないはず

だ。しかし、どこがダメかと書くこ

とがいまは一番必要なことかもしれ

ない……。何とも言いようのない脱

力感に囚われるこの年の瀬である。

(朝日新聞社主筆)

し、進化することだ」

 

何の変哲もない返答だけに、かえ

って現実味があった。

 

参院選9党党首討論会と民主党代

表選討論会にも触れておかなくては

ならない。

 

9党が一堂に集まった党首討論会

は、2時間で9党の交通整理を無事

こなし、参院選のキックオフの役割

を果たした。みんなの党の渡辺喜美

代表の一言「菅さんは草の根のくさ

当時の事情や裏話を聞いた。

 「地域深考」(8回)は、地方の元

気印の首長、ビジネスマンを招き「さ

さやか成長」「手作り成長」の現場

の試みと息吹をすくい上げた。

 

今年もまた大荒れ。大ニュースが

飛び交った一年だった。日本記者ク

ラブの行事も盛りだくさんだった。

 

企画回数は140回。昼食会20回、

記者会見53回、研究会56回、囲む会

��回である。(�2・3現在)

 

出席者の多かった会見を上から挙

げれば、ホセ・ルイス・サパテロ・

スペイン首相、丹羽宇一郎新駐中国

大使、白川方明日本銀行総裁、岡田

克也外相、ゴードン・クロビッツ米

ジャーナリズム・オンライン共同設

立者、リチャード・アーミテージ米

元国務副長官、宮本雄二前駐中国大

使、程永華駐日中国大使など。

 

研究会では、「消費税はなぜ嫌わ

れるのか?」(5回)を立ち上げた。

村山富市元首相、成田憲彦元首相秘

書官、野田毅自民党税調会長など、

消費税に直接、関わった方々を招き、

混沌たる時代

 

ジャーナリズムの役割とは

2010年行事回顧

 「世界の新聞・メディア」(�0回)

研究会に登場したクロビッツ氏

は、米経済紙「ウォールストリー

ト・ジャーナル」の元発行人であ

る。課金サービスを代行するベン

チャーを設立した。

 

新聞はどうやって持続可能なビ

ジネスモデルを描けばいいのか。

 「デジタルの独自コンテンツを

充実させ、無料と有料とコンテン

ツを組み合わせることだ」

 

紙媒体の方はどうなるのか。ど

うすればいいのか。

 「紙の将来には楽観的だ。条件

が一つある。デジタル時代に適応

企画委員長 

船橋 

洋一

公示2日前に開催した「9党党首に聞く」(6. 22)1度に9党党首がそろったのは初めて

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2010. 12. 10 No. 490 お薦めの本

に残った  冊3

2010年

 年末恒例の『本』企画です。ことしは「はやぶさ」、ノーベル化学賞ダブル受賞などでサイエンスにも注目が集まった1年でした。そこで各社の科学技術・医療担当の女性記者9人にお薦め本を挙げていただきました。年末年始休みの読書の参考にいかがでしょうか。

 科学技術を社会がどう扱うか、市民が専門家の説明を聞いたうえで合意点を探り出す「コンセンサス会議」という取り組みがある。これを日本で初めて98年に試行し、広めてきた若松征男・東京電機大教授による実践報告(①)は、科学技術への市民参加を議論するのに必読だろう。②は、朝日新聞の大先輩の最新刊。新しい社会保険制度をつくるときの関係者の奮闘ぶりを知ると、骨抜きや改悪を許すまじと闘争心が湧く。③は無口で知られた天才物理学者の初の本格的評伝。人間ドラマとして感涙もの。

 今年もノーベル賞で盛り上がったが、個人的には2年前の下村脩さんが印象深い。①は家族のために書いた自伝。もっと研究したいのに「ノーベル賞にかかっちゃ、どーにもなりません」と本気で嘆いていた科学者の頑固な研究姿勢に学ぶ点は多い。②の主人公も違った意味で頑固で変わり者の植物学者。科学とは関係ないが、今年の「マイブーム」は③の著者だった。長年見逃していた不明を恥じつつ、「獣の奏者シリーズ」と「守人シリーズ」を読破、日本にも優れたファンタジーがある贅沢を味わった。

①クラゲに学ぶ ノーベル賞への道� 下村脩著(長崎文献社)②地球最後の日のための種子 スーザン・ドウォーキン著 中里京子訳� (文芸春秋)③獣の奏者 外伝 刹那� 上橋菜穂子著(講談社)

①科学技術政策に市民の声をどう届けるか� 若松征男著(東京電機大学出版局)② 物語 介護保険 いのちの尊厳のための

70のドラマ� 大熊由紀子著(岩波書店)③量子の海、ディラックの深淵グレアム・ファーメロ著 吉田三知世訳(早川書房)

 ①科学技術分野で存在感を高める中国。中国の日本大使館に勤務した官僚がその実力を冷静に分析した。国家級研究所なのに低価格の実験装置の製造・販売が仕事だったり、広大な土地がありながら、政治家の影響力で観測に適さない場所に天文台を設置したりなどの例を紹介。一方で世界を驚かす研究成果も。実像を知る重要性を再認識。②円高に物作り企業の嘆きが続く。通貨安で自国の輸出力を強化する「近隣窮乏化政策」との表現に納得。③軍事巨大プロジェクトの進め方はこういうものかと興味深い。

①「科学技術大国」中国の真実 � 伊佐進一著(講談社現代新書)② グローバル恐慌──金融暴走時代の果

てに� 浜矩子著(岩波新書)③戦艦武蔵� 吉村昭著(新潮文庫)

 小川洋子という小説家の発想の豊かさ、観察力の鋭さに圧倒される。①は、ありえない永遠を無意識に求めてしまう人間の悲しい性を実感できる短編集だった。恋愛でも複雑な人間関係もない。名前すらない主人公の置かれている状況で話が進む。読み終わるとなぜか、ほっとした。水木しげるブームに乗って読んだ②は、淡々とした語り口とシンプルな絵が、余計に戦争未体験世代にも響いてきた。未熟な道具しかない江戸時代以前の処刑や割腹などで人はどのように死ぬのか、長年の疑問に答えてくれたのが③の「項の貌」。

①夜明けの緑をさ迷う人々� 小川洋子著(角川書店)②水木しげるのラバウル戦記� 水木しげる著(筑摩書房)③項の貌� 渡辺淳一著(朝日新聞出版)

印象

高橋真理子朝日新聞社報道局員(科学医療グループ)�979年入社

青野由利毎日新聞社論説室委員 �980年入社

知野恵子読売新聞東京本社編集委員 �979年入社 

西村絵かい

 日本経済新聞社科学技術部 �997年入社

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2010. 12. 10 No. 490科学・医療担当記者

 ①はヒトゲノム計画に対抗し、民間から全解読に迫った米国のクレイグ・ベンター氏の自伝。ことし5月、ベンター氏らが合成ゲノム細菌の作製を発表すると知り慌てて手に取ったが一気に読めた。学界権威との確執やベトナム戦争従軍歴はドラマチック。②もきっかけは仕事だったが収穫。連綿と続く人類史の中で、1人の人間が存在する奇跡とはかなさが織り込まれている。③は担当した小惑星探査機はやぶさにちなみ(内容は無関係)。冒頭の「河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている」が素敵。

 趣味と実益を兼ねて医療ミステリーを読むことが多いが①②はその中でも出色。電車の中で涙が止まらず困った。①は心臓移植という特異なテーマに謎解き要素を加えながら、関係する人々のドラマをきっちり描いている。移植を受けた少女の想いが切ない。②は尊厳死をめぐる婚約者、家族、医師らの苦しみや葛藤が重く深い。正解はなく考えさせられる。③は�4歳で殺人を犯した3人の少年の物語。あらすじからの先入観は裏切られ、読後に強い印象が残った。レビューなど読まず一読いただきたい。

①死者の鼓動� 山田宗樹著(幻冬舎文庫)②無言の旅人� 仙川環著(幻冬舎文庫)③空白の叫び(上・中・下)� 貫井徳郎著(文春文庫)

①ヒトゲノムを解読した男� J・クレイグ・ベンダー著 野中香方子訳� (化学同人)②日本人になった祖先たち� 篠田謙一著(NHKブックス)③石の来歴� 奥泉光著 (文芸春秋)

 ①長年連れ添った伴侶を亡くすことの重さを、垣添さんの妻への深い思いを通じて、まざまざと知った。私は結婚3年目だが、年を重ね人生の終わりを迎える時、互いにどんなことを思うのか、思いをはせた。②命とは、生きるとは、家族とは何か、考えさせられ、さらに、予期しない結末に「やられた」と思った。③1つ1つの「言葉」に細心の注意を払う記者という仕事。が、普段いかにあいまいな言葉を使っていることか。「確かにそうだわ」と同感しつつ、我が身を振り返る、気軽に読める1冊。

① 妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録

� 垣添忠生著(新潮社)②私の中のあなた � ジョディ・ピコー著 川副智子訳(早川書房)③ズルい言葉� 酒井順子著(角川春樹事務所)

 理学部出身の「りけ女」です。①理系文系も草食系肉食系も問わず。弱さ、脆さ、はかなさ…その響きだけでなぜか人を惹きつける“fragile”というキーワードで、神話や民俗学、遺伝子学までを読み解く。折りに触れて読み返しそうな1冊。②世紀の大ニュースの舞台裏。その時科学者は、アメリカ国民は、メディアは…新しいものに出会った時、科学はどこまでも「人間臭い」から面白いと思う。③「同情」と「共感」の違いを生物学的に解説。豊富な研究例が現代の人間社会について考えるきっかけに。

①フラジャイル 弱さからの出発 � 松岡正剛著(ちくま学芸文庫)② かくして冥王星は降格された─太陽系

第 9 番惑星をめぐる大論争のすべてN・ドグラース・タイソン著�吉田三知世訳(早川書房)

③ 共感の時代へ─動物行動学が教えてくれることF・ドゥ・ヴァール著� 柴田裕之訳(紀伊國屋書店)

 ①著者の貝谷氏は�0歳の時、難病の筋ジストロフィーと診断され、�4歳で自力歩行ができなくなった。介助がなければ生活できない貝谷さんと新人ヘルパーのあゆさんとの7年間のやりとりがほのぼのと描かれている。一緒にすることはとてもできないが私自身、今年膝のケガで入院し生まれて初めて介護が必要な生活を経験したこともあり共感した。②ペースメーカー治療を実現する心臓刺激伝導系の構造を発見したのが日本人であることはあまり知られていない。③哲学を身近なものに考えるきっかけに。学生時代にこうした授業を受けてみたかった。

①介護漫才 � 貝谷嘉洋著 (小学館)②ペースメーカーの父・田原淳 � 須磨幸蔵著 (梓書院)③ これからの「正義」の話をしよう─い

まを生き延びるための哲学 � マイケル・サンデル著 鬼澤忍訳 (早川書房)

杉浦美香産経新聞社社会部兼科学部 �988年入社

斎藤香織共同通信社科学部 �999年入社

三浦直美 時事通信社社会部(科学班) �99�年入社

田中陽子 NHK報道局科学文化部 2002年入局

清水沙矢香TBSテレビ報道局経済部 2002年入社

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クラブゲスト

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2010. 12. 10 No. 490

▼謙虚な精神と自由なこころ

 「�0月6日夕方から、人生が変わ

ってしまった」

 

炭素結合を安定して作り出すクロ

スカップリング反応は、私たちも今

年の受賞候補として準備していた

が、これに関わった研究者は数多

く、日本の有機化学者だけでも数人

の名前があがる。6日の発表でスウ

ェーデン王立科学アカデミーが選ん

だ3人の受賞枠は、結局1人の米国

人と、日本での知名度は低かった

が、応用に直結する成果をあげた鈴

木章、根岸英一両博士だった。それ

だけに受賞者の驚きと喜びも、ひと

しおだったろう。

 

世の中には「カメノコ(ベンゼン

鈴すずき木 

章あきら.

ノーベル化学賞・

北海道大学名誉教授

��・1(月)昼食会 

司会 

高橋純二理事

橋本五郎委員 

出席 

�28人 

HP動画・速

記録

環)」と聞いただけで拒絶反応を起

こす人たちも多いが、「私たちの身

の回りは炭素が結びついた物質でで

きている。その仕掛けを読み取り、

新たな反応を導き出す。化学は創造

の楽しみです」という世界観には、

共感できる人たちも多いのではない

か。

 

最近、飲み始めた血圧降下剤の製

造には「鈴木先生のクロスカップリ

ング反応が使われています」と薬剤

師に教えられ、「世の中に役立つ仕

事ができてよかった」と実感。そし

て、資源の少ない日本が生き延びる

ために、常に新たな技術や価値を供

給し続けることが不可欠だと説く。

 「科学と教育は、成果が出るまで

に長期間が必要。(ノーベル賞など)

いまの成果は、明治以来の政府の温

かい心が育み、ようやく花開いたも

ので、行政には大きく長期的な視点

を持ってほしい」

 

研究と創造の第一線には、努力と

共に「謙虚な精神と自由なこころが

不可欠」といい、若い人たちには「一

度、日本を出て、外から眺めるよ

う」、声をかけ続けている。

 

読売新聞編集委員�

小出 

重幸

▼“抑止力”を問う

 

柳澤氏の朝日新聞への寄稿(今年

1月)は大いに話題になった。つい

先日まで官房副長官補という首相官

邸の中枢ポストにいた人物が、「海

兵隊が沖縄に駐留することで得られ

る抑止力とは何か。それを明らかに

しなければ、普天間問題は永久に迷

走する」と、米軍普天間飛行場の沖

縄県内移設に疑問を呈したのだ。こ

の問題提起が鳩山内閣の迷走に拍車

をかけたことは間違いない。

 

日本記者クラブでの講演でも、現

役時代には考えられないような率直

な発言が続いた。「鳩山内閣を見て、

抑止力がわかっていないと思った」

「そもそも、何を抑止するのか。北

朝鮮か中国なのか」「仮に中国であ

るなら、中国の何を抑止したいの

か」「日米同盟が必要だというが、

日本はどこ

まで何をす

るのか。そ

の定義なく

して、海兵

隊の役割も

定義できな

柳やなぎさわ澤 

協きょうじ二 

元内閣官房副長

官補(安全保障・危機管理担当)

��・2(火)著者と語る『抑止力を問う』

司会 

萬直樹委員 

出席 

84人 

HP動画

い」など次々と疑問を提起した。

 

さらにその矛先は政治家にも向け

られた。「海兵隊が台湾有事に対す

る抑止力になるというが、それはい

ざという時に海兵隊を使うというこ

とだ。米国との事前協議で出動を認

めなければならない。そのことの意

味をわかっているのか」と、政治家

の薄っぺらな議論を批判する。

 

現役時代から、安保政策の常識を

ひっくり返すような問題意識を持っ

ている人だったが、立場上、おおっ

ぴらに発言することはなかった。政

策に反映させることはもとより不可

能だっただろう。

 

講演の冒頭、「これまでは組織の

枠にとらわれて、安保政策について

根本的な疑問を出して、ゆっくり考

えることができなかった」と防衛省

や副長官補に勤めていた時代を振り

返った。今後は、安保政策について

大胆な問題提起をし続けていきたい

そうだ。『抑止力を問う』(かもがわ

出版)はその第一弾の作品で、6人

の専門家を相手に、これまで吐き出

すことができなかった問題意識をぶ

つけている。

 

朝日新聞編集委員�

 

薬師寺克行

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クラブゲスト

( )5

2010. 12. 10 No. 490

アウドロニウス・アジュバリス

リトアニア外相

▼対ロシア“対話継続”が肝要

 

リトアニアは旧ソ連から独立後、

日本と外交関係を結び、来年は20周

年を迎える。それを前に経済関係の

より一層の強化を目指し、レーザー

関係の企業など��社の幹部を同行し

て来日した。

 

ジャーナリスト出身で、ラジオ局

や新聞社に勤務した経験を持つ。冒

頭のスピーチで「私は歴史作家の吉

川英治、映画監督の黒澤明、映画俳

優の三船敏郎のファンでした」と明

かし、日本の文化に敬意を抱いてい

ることを強調した。

 

大臣として外国貿易も担当してお

��・4(木) 

記者会見 

司会 

中井良則

事務局長 

通訳 

池田薫 

出席25人 

P動画

り「わが国と日

本との経済関係

はまだ弱すぎ

る。もっと関係

を拡大するよう

提案したい」と

熱っぽく語っ

た。会見後、前

原誠司外相と会

談し、租税協定などの法的枠組みを

作るようアピールした。

 

会見の日は、ロシアのメドベージ

ェフ大統領が北方領土を元首として

初めて訪問した直後だったこともあ

り、真っ先に「ロシアとうまく付き

合うにはどうしたらいいですか」と

いう質問が出た。

 「日本と同様、ロシアとの間には

未解決の問題が残っているが、根本

的な問題を解決せずに未来を築けな

いと、ロシアと専門委員会を設置し

た。難しい問題もあるが、対話を続

けることが大事だ」

 

リトアニアは第一次大戦末期、ド

イツ占領下で独立を宣言したが、独

ソ不可侵条約により40年8月、ソ連

に併合され、90年にようやく独立を

勝ち取った。ソ連からの独立闘争で

は、タフな交渉の末、死傷

者も出ているだけに、外相

のアドバイスに説得力を感

じた。

 「独立を勝ち取ったとき

の気持ちは」との質問にも

「話すと長くなる」といい

つつ「独立できたのは奇跡

的だった。当時の国際関係

も味方し、時代が独立させた」とや

や興奮気味に語っていた。

 

毎日新聞出身�

飯島 

一孝

米よねくら倉 

弘ひろまさ昌 

日本経団連会長

��・5(金) 

昼食会 

司会 

斎藤史郎理事

長 

小此木潔委員 

出席 

�24人 

HP動画・

速記録

大言壮語できるはずはない話で、率

直な受け答えに私は米倉さんの誠実

さを感じた。

 

個人的に興味を持ったのは、若者

を海外協力隊に入れて2〜3年海外

で活動してもらう構想を、関係者に

働きかけているという話だった。国

内で仕事がないなら活躍の場を海外

に移し、そこで農業・医療・教育と

いった専門分野をいかして仕事をし

たら大変な経験になるし、外国の人

とのコミュニケーションも勉強でき

たら、これからの人生にとって有意

義だろう。協力隊の人達が困ってい

るのは帰国してから受け皿がないこ

とだ。経団連は、こうした人達を積

極的に雇い入れる気運を高め、雇う

仕組みを作ってほしいものだ。

 

それにしても。米倉さんから、アフ

リカ向けに薬品をすり込んだ蚊帳を

作った話や、トイレの掃除の仕方で

JALとANAのサービスを分析す

るなど、面白い話を聞いてきた人間

としては、米倉さんらしさが伝わっ

てこなかったのが残念だった。経団

連の会長ともなると、「かみしも」を

脱ぐわけにはいかないのでしょうね。

 

NHK解説委員�

山田 

伸二

▼手堅いデビューだが“らしさ”は?

 

米倉さんが経団連会長に就任され

てから半年、記者クラブへのデビュ

ーは手堅いものだった。経団連が提

唱する三つの課題への取り組み、

税・財政・社会保障の一体改革、ア

ジア・太平洋地域の経済統合、民間

主導の経済再生について丁寧に説明

された。でも、経団連はお役所、組

織に乗ってのコメントで特に興味を

ひくものはなかった。

 

面白かったのは、質疑応答の中で、

「経団連は法人税の引き下げを求め

るが、それが実現しても雇用を増や

したり賃金を上げるはずはない」と

いう批判に対して、「雇用拡大は確

約できない」と答えたこと。法人税

の引き下げは、経済の活性化の必要

条件かもしれないけれど十分条件で

はないだろう。これでうまくいくと

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クラブゲスト

( )6

2010. 12. 10 No. 490

▼人道援助は日本のソフトパワー

 「2002年、アフガニスタンは

平和と安定の時代を迎え、開発と発

展の段階を迎えたと言われた。だ

が、我々は同意しなかった。30年以

上続くアフガニスタンの戦争状態

は、今も決して終わっていない」

 

あの年、自分はアフガンの何を、

どう書いたか? 

他紙は? 

欧米の

報道はどうだった? 

タリバン政権

が崩壊し、暫定行政機構が始動した

時期である。筆者自身も、当時の

「楽観」を反省せねばならぬ身だ。

 

赤十字国際委員会(ICRC)本

部でアフガン周辺諸国のプロジェク

トを統括するデ・マイオ氏の分析

は、出席者にそんな思いを抱かせな

がら、なお慎重で抑制的だった。

 

不安定さを増すアフガン、戦闘に

洪水が加わり、情勢が複雑化してい

ジャック・デ・マイオ 

赤十字国際

委員会(ICRC)南アジア事業局長

��・8(月)記者会見 

司会 

石郷岡建委員 

通訳 

西村好美

出席 

23人 

HP動画

関心」へ転じかねない状況に、デ・

マイオ氏は言葉を強めて言った。

 「混乱が続くこれらの国々では、

ICRCしか入れない地域も多い。

スタッフは、武器も護衛もなしに活

動に当たっている。我々の身を守る

ものは、赤十字の旗のみだ」

 

ジュネーブのICRC本部は、国

連欧州本部や各国大使館と向き合

い、これらを見下ろす高台にある。

話題の書名ではないが、組織は「超

然」とした中立性を最重視する。

 

それゆえ通常の取材では、特定国

の対外政策に関するコメントは敬遠

されがちだ。だが本会見では、日本

の役割に対する明確な言及があっ

た。中国やロシアを相手に、外交の

自信が大きく揺らぐ現状にあって、

例外的な発言を「リップサービス」

と切り捨てる余裕はなかろう。

 「ICRC最大の支援国の一つと

して、日本は自らの立場を世界に主

張してほしい。人道援助に貢献する

姿勢は、それだけで日本外交を強化

するソフトパワーとなるはずだ」

 

読売新聞調査研究本部管理部長兼

主任研究員

渡辺 

▼垣根を越えよう

 

��月の第

24回日本エ

イズ学会学

術集会・総

会のテーマ

は「垣根を

越えよう」

岩いわもと本 

愛あいきち吉 

日本エイズ学会会長・

東京大学医科学研究所教授

��・9(火) 

研究会「HIV/エイズ」

司会 

宮田一雄委員 

出席 

24人 

HP動画

いて、厚生労働省エイズ動向委員会

の委員長を務める岩本氏は2009

年の動向を、新規のHIV感染者報

告は1021件で過去3位、エイズ

患者報告は431件で過去最高と同

数などと説明。

 

新規HIV感染者は日本国籍男性

で、同性間性的接触を感染経路とす

るものが多数を占めていることを挙

げて、特に男性同性愛者を中心に検

査・相談・予防に関する啓発活動を

進める必要性を指摘した。

 

また昨年は検査・相談件数が減少

し、今年も低調に推移していると

し、「不安だと思ったら検査・相談

に行くという前向きの行動をするこ

とが重要」と警告。「医療や対策に

は、当事者が参加できるように」と、

ここでも垣根を越える必要を強調し

た。

 

世界のHIV流行の大半はアフリ

カだが、世界人口の6割を占めるア

ジアの動向にも注意を払うべきだと

した。さらに先駆的な対応をしてい

る「アジア諸国からもっと学ぶべき

だ」と述べ、国境を越えた協力の必

要性を訴えていた。

 

共同通信出身�

西内 

正彦

である。集会には毎年、「基礎」「臨

床」「社会」の分野から専門家や現

場で働く人まで2千人近くが集ま

る。だが、自分の分野と関連するセ

ッションだけに参加するという縦割

り状態に陥りがちだった。

 「今回は毎日、全体会合を開き、

他分野の人にも知ってもらう。最終

日には各分野のハイライトを短くま

とめて報告するセッションも設け

た」と、分野の垣根を越えて交流し、

HIV/エイズの最新情報を共有し

ようという狙いを話した。

 

そして、心、民族、人種、男と女、

男と男、HIV陽性者と感染してい

ない人などの間の垣根についても、

「問題意識として今一度考えてもら

いたい」とも語った。

 

日本のHIV/エイズの現状につ

るパキス

タン、内

戦の傷に

あえぐス

リランカ

……。「楽

観」が「無

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クラブゲスト

( )7

2010. 12. 10 No. 490

坂さかば場 

三みつお男 

前駐ベトナム大使

▼賃金はまだ中国の半分以下

をしながら、中国ほど矛盾が表面化

していないように見える。

 

今年9月まで現地でベトナム人と

付き合っていた坂場氏の見方は、「な

るほど」と思えるものだった。

 

①2000年の歴史のほとんどは

中国との戦いか内戦②歴史上、南北

が一つの国だった期間はごくわず

か。統一のプロセスはなお進行中③

DNAの中に北への脅威認識が組み

込まれている一方、中国の文化的影

響は強い④団塊はドイモイ以降に生

まれた世代⑤世界でもまれな楽観主

義⑥ゆるやかで圧迫感のない共産主

義、などである。

 

権力闘争のない政権交代によって

 

近年のベトナムの変貌ぶ

りには驚かされる。日本だ

けでなく、韓国や台湾企業

が競うように進出し、高層

ビルが林立する。古都やベ

トナム戦争の戦跡を巡る観

光客には、敵国だったはず

の米国人も多い。社会主義

政権による資本主義経済へ

の開放という微妙な綱渡り

��・�0(水) 

研究会「大使に聞く」

司会 

西川孝純委員 

出席 

8�人

HP動画・速記録

渡わたなべ辺 

靖やすし 

慶応大学教授

▼トクヴィルの話を聞くような

 「オバマ大統領の再選の可能性は

低い」。世界にとって最大の関心事

でありながら、専門家が明確な予測

を避ける問題に対し、リスクをとっ

て、きっぱりと答えてくれた。

 

文化人類学者らしい、フィールド

ワークの手法でアメリカを歩き、幅

広く、奥行きある、この国の社会を

観察してきた結果なのだろう。根拠

は要旨次のようだった。

 

アメリカは依然として1980年

のレーガン革命以来の保守潮流のな

かにある。2008年のオバマ当選

は70年代以前に強かったリベラル潮

流への回帰を意味しない。�0年1月

に連邦最高裁が企業による選挙広告

に上限を設けないとの判決を出した

のも、2年後の共和党有利説を補強

する──。

 

では、だ

れが共和党

の大統領候

補になるの

か。

 

08年にも

出馬したロ

��・��(木)研究会「日米中」⑭ 

司会 

会田弘継委員 

出席 

62人 

HP動画

ムニー前マサチューセッツ州知事が

最有力と、これまた明解に述べた。

ただし、ペイリン、ハッカビー両氏

など、やはり2年前の名前にも言及

し「来年9月以降に本格化する選挙

戦でダークホースが出るかもしれな

い」と慎重論も。

 

アメリカ社会を論じる学者は、多

かれ少なかれ、アレクシス・ド・ト

クヴィルを意識しているのだろう。

渡辺氏の近著の題名は『アメリカン・

デモクラシーの逆説』。170年以

上前に書かれた名著「アメリカにお

ける民主政治」を連想させる。明快

な語り口もトクヴィルの筆遣いに通

じる。

 

学生時代は記者の仕事にも関心が

あり、某社外報部でアルバイトした

が、激務ぶりを見て無理と判断し、

文化人類学者になったという。

 

だからか、雰囲気は学者より記者

に近い。近著に触れて「(題名に)『逆

説』とあり、しかも岩波書店から出

ているので反米の本のように思われ

るかもしれませんが、そうではあり

ません」と笑わせた。

 

日本経済新聞特別編集委員

伊奈 

久喜

安定した政治が保たれ、今後も7%

以上の高度成長が見込まれる。人々

も加味すれば、楽観6対悲観4ぐら

いのバランスだそうだ。

 

東南アジア諸国連合(ASEAN)

の中でも、統合の発展に最も熱心な

国。南シナ海では中国との領有権問

題を抱える。東アジアの地域統合や

中国との付き合い方を考えるうえで

も重要な国だ。

 

在留の邦人は届けのない人も含め

た推定で1万5000人ほど。韓国

人は7万人、台湾人は�0万人以上い

るそうだ。

 

原発や新幹線の輸出だけでなく、

もっと付き合いを深めていい国であ

る。

 

朝日新聞論説委員�

真田 

正明

は勤勉で、賃金は

中国の半分以下。

石油、石炭、ボー

キサイトにレアア

ースまである。

 

なにか投資の勧

誘のようだが、財

政と貿易の双子の

赤字、通貨ドンの

下落などの問題点

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クラブゲスト

( )8

2010. 12. 10 No. 490

▼注目点は「中国」と「天然ガス」

 

毎年この

時期、パリ

のIEAは、

「世界エネル

ギー展望」

を発表。3

田たなか中 

伸のぶお男 

国際エネルギー

機関(IEA)事務局長

��・�5(月)記者会見 

司会 

篠原昇司委員

通訳 

森岡幹予 

大野理恵 

出席 

76人

HP動画

 

しかし、中国を悪者と決めつける

だけでは、地球に未来は来ない。中

国には別の顔もある。すでに風力発

電と太陽光発電で世界を牽引し、主

要供給国になっている。電気自動車

の開発にも積極的だ。あの経済力と

技術力と人口(市場パワー)をうま

く使えば、低炭素エネルギーの普及

に貢献できるかもしれない。

 

もう一つのポイントの「天然ガス」。

米国発のシェールガス革命で、世界

の天然ガス埋蔵量は数倍に増え、価

格も下がった。エネルギーの歴史でも

特記すべき一大事件だ。このあたり

の事情が日本では正確に知られてい

ないのが残念だ。天然ガスは、石炭・

石油と違って二酸化炭素排出が少な

い優等生である。世界中が天然ガス

の利用拡大に動き始めた。田中さん

は「来年の展望では、天然ガス動向の

章を設け、分析したい」と明かした。

 

最後に田中さんは、「廉価な石油

の時代は終わった」と断言した。温

暖化対策の推進は費用がかかる一

方、石油輸入額減少という果実を得

られる。その果実は、今想像してい

るものより大きくなりそうだ。

 

毎日新聞出身�

今井 

年前から事務局長の重責を担う田中

さんは、これに合わせ、「展望」解

説の行脚を続けてきた。

 

今年の「展望」の書き出しは「未

曾有の不確実性」。平たく言えば、

どうなるか分からない。でも、田中

さんの話を聞いていて、ポイントは

2つだと理解した。「中国」と「天

然ガス」である。

 

中国のエネルギー消費量は昨年、

米国を抜いて世界一になった。それ

でも1人当たり消費量は先進国の3

分の1。�3億人が先進国並みに消費

すればどうなるか。自動車保有台数

は現在の4千万台が3億5千万台に

なる。想像するだけで恐ろしい。中

国が世界中でエネルギー資源を買い

あさる背景がこれだ。まさに「中国

の重要性を強調しすぎることはな

い」(「展望」)のだ。

▼「米国」の幻想から目覚めよ

 

20年前に「日本/権力構造の謎」

でセンセーションを巻き起こしたオ

ランダ人ジャーナリスト、カレル・

ヴァン・ウォルフレン氏は、近年の

米国に厳しい目を向けている。

 

最新刊の『アメリカとともに沈み

ゆく自由世界』(徳間書店)は、悲

観論に満ちた米国批判の書だ。

 「今日は楽しくない話になるが…�

…」。こう切り出した氏は「かつて

の米国は、自由世界の秩序を守る存

在だったが、今では混乱を引き起こ

す勢力になっている」と断言した。

 「米国の金融産業は、軍産複合体

と同様、もはや政治のコントロール

が及んでいない」とも指摘した。

 

オバマ大統領も、結局大胆な変革

に取り組めなかったと見る。

 「私は欧州の立場で論じているの

ではない。高

い識見を持つ

米国人に依拠

しているの

だ」とも強調

した。Jam

esCarroll,�A

nd-

カレル・ヴァン・ウォルフレン

ジャーナリスト

��・�7(水)研究会「日米中」⑮ 

司会

濱本良一委員 

通訳 

長井鞠子 

出席 

85人 

HP動画

rew�Bacevich,Jam

es�Galbraith,

Chris�Hedges

と、リベラル派の論客

たちの名を列挙した。

 

氏の批判は、鳩山内閣に冷淡だっ

た米国の対日姿勢や、米国に「従順

な」日本外交にも向けられた。

 

司会者やフロアからは「米国が冷

淡だったのは、普天間問題がこじれ

たからではないか」「尖閣諸島の事

件もあり、日本では日米同盟の重要

性がより一層認識されつつある」と

いった疑問も提示された。

 

これに対して「オバマ大統領は一

握りの日本専門家に任せきりで、普

天間に関心はない」「日本が米国に

屈するなら、中国は日本をまともな

相手と考えないだろう」と応じた。

 

一方で、強大化する中国に対して

は、日中間に安定的な相互関係を築

くことを提唱するにとどまった。

 

中国や緊迫度を増す東アジアの国

際情勢に対しあまりに楽観的と感じ

たのは私だけだろうか。かつて日本

のシステムを論じた時のような鋭い

切り口から、いずれ中国についても

正鵠を得た分析を示して欲しいとい

う思いが残った。

 

読売新聞論説委員�

天日 

隆彦

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クラブゲスト

( )9

2010. 12. 10 No. 490

▼東京で「滅多にない瞬間」を

 

グテーレス国連難民高等弁務官の

今秋の来日は、感慨もひとしおだっ

たようだ。タイの難民キャンプから

ミャンマーの少数民族カレン人の家

族27人を、日本は今年「第三国定住」

という新しい枠組みで受け入れ始め

た。日本記者クラブに来る直前、高

等弁務官は都内でこの家族らと対面

した。記者会見では自ずからこの問

題に力が入った。

 

ミャンマーと言えば民主化運動指

導者アウン・サン・スー・チーさん。

民主化運動弾圧があった1988年

が出発点と考えがちだ。しかし、少

数民族の難民問題はそれより40年も

前の1948年から始まっている。

国境沿い

のタイ側

にはいく

つも難民

キャンプ

が点在

し、この

60年間、

タイ軍に

囲まれキ

アントニオ・グテーレス 

国連難民

高等弁務官

��・�8(木) 

記者会見 

司会 

坂東

賢治委員 

通訳 

小松達也 

宇尾真

理子 

出席 

52人 

HP動画

ャンプ内に半幽閉状態だ。「移動は

できない。仕事はない。そして希望

はない」(弁務官)状況で子を産み

育て世代を重ねた。

 

東京で会った子どもらからは「(新

しい環境への)恐れはあってもチャ

ンスへの強い熱意を感じることがで

きた」と弁務官は対面を振り返った。

「子どもたちは新しい人生を踏み出

せる」と将来への希望が生まれてい

ることに熱い思いを隠せない。

 

国連難民高等弁務官事務所(UN

HCR)関係者によると、難民問題

に取り組む毎日はときに「絶望感や

空しさ」にさいなまれる。戦火を逃

れどうにか生活の場を確保できて

も、難民の目に希望を取り戻すこと

の難しさを感じ続けている。弁務官

がこの日、都内で見たのは「難民救

援活動を続けていても滅多にない瞬

間」だったという。

 

第三国定住は2005年から世界

で始まっているが、アジアでは日本

が第1号。今回はまだ試験運用だが

「ぜひ成功させて規模を大きくして

ほしい」と弁務官は今後の本格運用

に強い期待を表明した。

 

時事通信外信部�

松尾 

圭介

▼民主化先導者の自負と自信

 

何と若々しい国家元首だろう。会

見場に現れたエルベグドルジ大統領

の第一印象だ。だが、質問に対する

受け答えは堂々たるものだった。

 

人民革命党の一党独裁体制が崩壊

してから、今年でちょうど20年。こ

の間のモンゴルの歩みは平坦ではな

かった。この20年をどう総括してい

ツァヒャー・エルベグドルジ 

モンゴル

大統領

��・�9(金)記者会見 

司会 

宇治敏彦副理事長 

通訳 

大束

亮 

出席 

96人 

HP動画

和的な政権交代が繰り返されてきた

ことと、過去20年で経済規模が�8倍

になったことをあげた。

 

確かにアジアでは、まず経済発展

があって、そのあとに民主的な体制

への移行が進むという例が目立つ。

だからこそモンゴルは、アジアの他

の国々が学ぶ模範となり得る──。

こんな思いを感じ取れた。

 

一方で、率直な反省の言葉もあっ

た。一度ならず「いろんな過ちや失

敗をおかした」と語った。そのうえ

で、失敗から学び改善していく姿勢

を強調した。

 

日本との関係では、資源開発を軸

に経済協力への強い意欲を明らかに

した。特に印象的だったのは日本企

業への不満とも聞こえる言葉。「日

本の企業は、他の国々の企業が動き

出してから、ようやく動いてきた。

最初に進出すべきだ」。

 

中国とロシアに挟まれたモンゴル

が置かれた環境は、厳しい。だから

こそ「第三の隣国」の一つとして日

本に寄せる期待は大きい、と感じさ

せる記者会見だった。

 

日本経済新聞論説委員兼編集委員

飯野 

克彦

るか、との問いへの答えには、民主

化を先導してきた指導者らしい自負

と自信がにじみ出ていた。

 「広いユーラシアのなかで、政治

と経済を同時に民主化した成功例で

ある」。こう語った大統領はさらに

言葉を継いだ。「政治と経済を同時

に改革するのはアジアの道ではない

と言われるが、モンゴルは小さな国

ながら成功した」。証拠として、平

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クラブゲスト

( )�0

2010. 12. 10 No. 490

▼欲張りと疑い深さで研究

 

2010年のノーベル化学賞に決

まり、ストックホルムの授賞式に向

かう途中に帰国して、日本記者クラ

ブの昼食会で縦横に語った。「多少

あいまいな面もある化学が私の性に

合っていた」と話し始めた。帝人に

入社後、フルブライト奨学金で米国

に留学、ペンシルベニア大で学び

「学問の知識を植え付けられた」。

 「周期律表に化学のエッセンスが

収められている」が信念。周期律表

でdブロックにある遷移金属の多彩

で素晴らしい反応性にひかれた。「特

にパラジウムは百万回も欲しい有機

化合物を効率的に作ってくれる。受

賞で一番のポイントはパラジウムの

触媒作用が認められたことだ。これ

根ねぎし岸 

英えいいち一 

ノーベル化学賞・

米パデュー大学特別教授

��・25(木)昼食会 

司会 

井田由美委員

瀬川至朗委員 

出席 

9�人 

HP動画・速

記録

で有機合成に革命を起こした。遷移

金属の触媒はますます重要になる」

と自負した。

 

この分野では日本人研究者の活躍

が目立つ。「受賞する我々3人はラ

ッキーだった。貢献度の高い方が何

十人もおられる」と同じ分野の研究

者に言及した。「今関心を持ってい

るのは光合成。二酸化炭素と水から、

太陽の光で炭水化物を合成する光合

成は古来、自然がずっとやってい

る」と窓外の日比谷公園の林を示し、

「絶対に必要なのは金属の触媒。人

工的に必ずできます」と夢を語った。

 

触媒に使える元素は約70しかな

い。「2種類の元素を使えば素晴ら

しい反応ができる。金属の組み合わ

せの妙を50年かけて実証してきた」

「周期律表を参考にしながら、欲張

りと疑い深さで研究してきた」「研

究は個人力に大きく頼る。誰でもで

きる。出るくいを伸ばしていく方が

全体を引っ張る力になる」と話し、

「私も後期高齢者入りしたが、80歳

まで数年ある。化学的光合成の開発

などに挑戦していきたい」と意欲を

見せた。

 

共同通信編集委員�

小川 

▼麻薬に代わり拡大するATS犯罪

 

東アジア、

東南アジア

は世界でも

急速な経済

成長を遂げ

ている地域

サンディープ・チャウラ 

国連薬物犯罪

事務所(UNODC)政策分析・広報部長

��・25(木)記者会見 

司会 

高畑昭男委員 

通訳 

池田薫 

出席 

25人 

HP動画

タミンが中心で、地域内の押収量は

この5年間で3倍に増えている。さ

らにエクスタシーと呼ばれるMDM

Aなどの合成も広がっている。

 

わが国ではメタンフェタミンは5�

年に覚せい剤取締法が制定され規制

されているが、最近になって使用が

再び広がった。2004年以来国内

では最も多く使用されている薬物

で、大麻は二番目になっている。09

年に押収されたメタンフェタミンの

最大の原産地は中国で、次いで香

港、メキシコ、カナダ、ロシアで、

密輸はこれら諸国に加え南アフリ

カ、トルコからも行われている。

 

09年の薬物関連逮捕者のうちメタ

ンフェタミン関連の逮捕者は78%を

占める。最近では国内の暴力団とイ

ランの密売集団が国外の密輸組織と

ネットワークを組むようになった。

 

わが国は国連薬物犯罪事務所に対

する支援国になっている。薬物犯罪

がますます国際的組織で行われる時

代になり、製造、密輸の規制強化と

汚染対策は、国際的な取り組みが一

層必要であることを痛感させられ

た。

 

日経BP参与�

澤井 

だが、その裏では覚せい剤の汚染が

急速に広がっている。国連薬物犯罪

事務所がこのほど調査した「東・東

南アジアにおけるアンフェタミン系

覚せい剤(ATS)などの薬物の最

新パターンと動向」を発表、その概

要をチャウラ氏が会見した。同氏は

調査で得られた現状を根拠にした対

策の重要性を強調した。

 

ATSが多くの国で、ヘロイン、

大麻などの麻薬に代わり乱用拡大し

ている。空中・地上調査で探知でき

る薬物用植物と違い、ATSはどこ

でも合成できるために発見しづらい

からである。

 

またATS製造に必要な前駆物質

は広く処方薬に利用される物質で、

医薬品産業が存在する地域では、横

流しによる不正製造がしやすい。A

TSとしては作用の強いメタンフェ

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クラブゲスト

( )��

2010. 12. 10 No. 490

茂もてき木 

守まもる 

全国農業協同組合中央会会長

▼業界保護でない情報発信を

出産業になる」といった根拠薄弱な

楽観論にも違和感を覚えていた。

 

半面、農家を大量動員し、鉢巻き

姿で反対を叫ぶJA(農協)グルー

プの運動スタイルにもあまり共感で

きなかった。「この姿が報じられる

ほど、世論はむしろTPP参加に傾

くのではないか」と感じたほどだ。

 

その農協界トップの茂木守全国農

業協同組合中央会(全中)会長がジ

ャーナリストを前に何を語るか。大

いに注目したが、やや消化不良気味

に終わった印象は否めない。

 

米豪との圧倒的な生産条件の差、

品質格差があっても防ぎきれない輸

入の増加、経済指標には表れない農

業の多面的機能など、ポイントは押

さえていたが、本来目指すべき貿易

 「平成の開国」「自由貿易

と農業再生は両立できる」

といった抽象論が先行する

環太平洋パートナーシップ

協定(TPP)参加問題。

個人的には「それが果たし

て開国なのか」と疑問を抱

き「自由化すれば農業は輸

��・26(金)記者会見 

司会

小此木潔委員 

出席 

87人 

HP動画

秩序や農業保護の在り方、国内農業

の体質強化へ向けたJAグループ自

厳しい指摘にも、単に「大半の農家

が農協を支持している」「農協も改

革に取り組んでいる」というだけで

なく、農協がなぜ農家にとって必要

な存在なのか、現在の農協のどこに

問題があり、どう改革しようとして

いるのかを、もう少し具体的に示す

べきだったのではないか。

 

会見には時間の制約もあり、これ

だけで判断するのは厳し過ぎるかも

しれない。しかし、農業を守るにせ

よ、改革するにせよ、最も大切なの

は消費者であり納税者でもある国民

全体の支持だろう。「開国か否か」

といったキャンペーンに反論するに

は、単なる業界保護と受け止められ

ない情報発信が求められる。

 

毎日新聞編集委員�

行友 

身の取り組み

など、もう少

し踏み込んで

語ってほしか

ったと思う。

 

質疑で出た

「農協は農家

の敵」という

▼革命後、最大の転換点に

 「いわば『横綱』はベネズエラと

中国、『大関』は旧宗主国のスペイ

ンと、ブラジルでしょうか」──。

キューバにとって重要度の高い国を

「相撲の番付」になぞらえランキン

グ。1時間半の講演は、国の成り立

ちから対日関係まで「この際、キュ

ーバのすべてを知って!」という、

持ち前のサービス精神にあふれてい

た。

 

06年、腸内出血で死線をさまよっ

たフィデル・カストロ前国家評議会

議長。世界広しといえども、やれ立

った、歩いた、しゃべったと、その

一挙手一投足が話題になるのはこの

人しかいない。社会主義の時代は遠

くになりにけり。しかし、今も人々

はキューバとフィデルに惹かれ続け

る。大使もそんな一人だろう。

西にしばやし林 

万ま

お寿夫 駐キューバ大使

��・26(金)研究会「大使に聞く」 

司会

川村晃司委員 

出席 

37人 

HP動画

き立てる。しかし大使は「カストロ

の演説は内政に触れないし、ラウル

も重要案件については病床の兄に相

談している」と否定した。

 

経済が困窮しても、なぜキューバ

は生き延びているのか? 

これにつ

いては「赤い貴族=特権階級」が存

在せず、国民の恨みを買わなかった

ことに加え、「米国の制裁こそが求

心力を高めカストロの味方をしてき

た」と逆説的に解説してみせた。

 

ただ、そんなキューバも「革命後、

最大の転換点を迎えている」と断言

する。キューバは〝愛人〟のようだ

と言う人がいた。独立後は米国に依

存するが、革命で袖にすると、今度

はソ連にぴたりと寄り添う。ただ、

そのパトロンも金が尽きると、今度

はベネズエラに乗り換えて……。

 

そして今度は、新たなパトロンに

腕を絡めるのか、それとも米国とヨ

リを戻すのか。かの地では大好きな

クラシックのCDも入手困難で不満

でしょうが、もう少しキューバの行

く末を見届け、また解説を聞かせて

ください。

 

日本経済新聞前サンパウロ支局長

岩城 

 

昨今の、

カストロの

表舞台への

復活を「弟

ラウルとの

確執」とマ

スコミは書

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クラブゲスト

( )�2

2010. 12. 10 No. 490

第191回施設運営委員会

(��・�� 

小会議室)

 

9月、�0月のアラスカ売り上げと貸

室利用状況について事務局が報告した。

出席 

上松委員長、國府、佐藤、阿部、

塚田の各委員。

第317回会報委員会

(��・�2 

小会議室)

 

��月号について意見交換した後、�2

月号と1月号の編集について協議した。

出席 

住田委員長、大谷、小西、近藤、

菅谷の各委員。

第399回会員資格委員会

(��・�8 

小会議室)

 

�2月1日付の会員入退会を審議し、

理事会に答申した。

会議報告

出席 

白石委員長、梅田、布施、松田、

梅野、井上、山本、工藤の各委員。

第403回企画委員会

(��・�9 

大会議室)

 

司会担当の委員が行事を報告した

後、今後のゲスト候補を協議した。

出席 

船橋委員長、小此木、星、倉重、

橋本、濱本、脇、原田、高畑、西川、

長谷川、神志名、和田、泉の各委員。

第102回総務委員会

(��・25 

小会議室)

 

クラブ会員の拡充問題について前回

に引き続き協議、拡充案をまとめた。

出席 

朝比奈委員長、斎藤理事長、今

井副理事長、岩崎専務理事、白石、星

野、久保、上松、小櫃、鳥居の各委員。

か結果が出たら、それを自分の考え

でネジ曲げていくのでなく、それに

対して素直に謙虚に考えていく態度

▼しかし、これだけでも不十分。そ

こに、幸運の女神がたまたまほほえ

むときに、大変な成果が生まれる。

はっきりしていることは、努力しな

ければ、絶対に幸運が生まれること

はない。そう学生には話してきた、

と 

▼そんな鈴木さんでも、へたる

ときも、思うようにいかないときも

当然あっただろう。そんなときは学

生たちと愉快に一晩酒を飲んで、翌

日、また集中して再挑戦したようだ。

(玄)

意味では平等に。サイエンティスト

やエンジニアだけでなく、銀行や商

業に携わる人にも、記者の皆さんに

も、それはある、と 

▼でも、それ

をうまく生かすには、次の3つが欠

かせない。第1は注意深いこころ。

第2は一生懸命やろうと努力する精

神。第3はものに対する謙虚さ。何

 

ノーベル化学賞の鈴木章・北

大名誉教授(��・1)。大きな

発見は偶然からやってくるとい

うような意味で、昔から科学者

はこの言葉を使っている、と 

▼幸運がやってくるチャンス

は、人間だれにでもある。ある

セレンディピティ

▼首相の真珠湾弔問で同盟の深化を

 

共同通信

ワシントン

支局長など

日米関係を

半世紀にわ

たってウオ

ッチし続け

松まつお尾 

文ふみお夫

氏 ジャーナリスト

��・29(月)研究会「日米中」⑯ 

司会 

会田弘継委員 

出席 

88人 

HP動画

半世紀を迎えた今年、普天間飛行場

移設問題などで傷ついたようにみえ

る同盟関係を深化させる契機になる

と信じている。

 

ジョン・ルース駐日米大使が今

夏、初めて広島の平和記念式典に参

列した。「あれは本国の指示ではな

く、大使自身の発案といわれる」と

明かした。米本国でオバマ大統領の

支持率は低下し、「謝罪につながる」

という国内の反発を押しての大使の

参列。「日本も過去にとらわれず、

新しい発想でやっていかねば」

 

戦時中、疎開先の福井で空襲を経

験した。B29が投下した焼夷弾が不

発だったために「生き残った」とい

う体験が、日米報道にかかわる原点

だ。今回の講演もまず、サンフラン

シスコ講和条約について触れること

から始めた。「全面講和か単独講和

か国論が別れた。その後、ロシアな

どとの交渉をきちんとしなかったツ

ケがいま出てきている」。そういえ

ば来年は、講和条約締結60周年に当

たる。さまざまな外交のツケに直面

する節目の年なのである。

 

毎日新聞社会部編集委員 滝

野 

隆浩

た松尾氏は、いったん経営側に身を

置いたあと、02年に現場復帰を宣言

した。世界各地を渡り歩きながら論

文を発表し続ける77歳の口調は、穏

やかだが示唆に富み、聞いていて胸

のすく思いがした。

 

ここ数年は近著『オバマ大統領が

ヒロシマに献花する日』(小学館)

にあるように、東アジアとの和解問

題に取り組んできた。米大統領が被

爆地を訪れることを切に望んでい

る。その前提として中国、韓国と真

の意味での歴史和解を求めている。

さらに、意外に知られていないこと

だが、ハワイ真珠湾のアリゾナ記念

館を歴代首相が一度も訪れたことの

ない事実を挙げ、首相の次の訪米を

「真珠湾弔問」から始めるべきだと

提案する。そのような積み重ねが、

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2010. 12. 10 No. 490

 「核兵器廃絶と人類滅亡のどちら

が先か」。表題の意図するところは、

核の脅威が身近に忍び寄っているこ

とを示すことにある。製作会社は地

球温暖化問題への関心を世界的に高

めた映画「不都合な真実」を手掛け

たところと同じ。

 

骨太のテーマにうってつけの製作

陣で臨んだわけだが、核問題という

「目に見えない

恐怖」をどのよ

うに世界中の

人々に訴えるの

かという命題

は、クリアされ

ないまま終わっ

てしまったとい

う印象が残った。

 

消化不良感の

主因は問題の見

せ方にあるので

はないか。圧倒

的な数のインタビューをつなげるの

を基本線に、ドキュメンタリー手法

を貫いてはいる。

 

それでも核の恐怖が伝わってこな

い。カーター元米大統領、ゴルバチ

ョフ元ソ連大統領をはじめとした超

大物も登場し、米ソが核戦争の瀬戸

際にあったことも描き出してはいる。

こうした証言の重要性を否定するつ

もりはないが、現場のルポをもっと

交えないと製作側が視聴者を特定方

向に誘導しようとしているのではと

疑ってしまう。

 

テーマを「核の闇市場」に絞った

ことは、核不拡散問題を1時間半の

映画に編集するうえで悪くはない。

核関連の物質・技術・部品のずさん

な管理状態を指摘し、密輸の実態を

浮き彫りにしては

いる。

 

それでも何か足

りない。核問題に

はオバマ米大統領

による昨春のプラ

ハ演説の後、楽観

論が漂い始めた。

しかし、オバマ氏

だけでなく、製作

陣も広島と長崎を

訪問してはいない

だろう。

 

この映画に欠けているのは、被爆

の悲惨さというリアリティーなのだ。

深刻なテーマをドキュメンタリーで

描きながら、ファンタジーのような

印象を与えてはかえって危険だろう。

 

日経CNBC経済解説部次長

桜庭 

クラブゲスト試 写 会

被爆の悲惨さの現実感は?

©20�0�N

UCLEA

R�DISARMAMENT�

DOCUMENTARY,�LLC.

カウントダウンZERO 11.15

 

取材、報道、評論活動などを通じて

ジャーナリストとして顕著な業績をあ

げ、ジャーナリズムの信用と権威を高

めた個人を「日本記者クラブ賞」候補

としてご推薦ください。

 「選考基準」は左記の通りです。

①現役ジャーナリスト個人に与えられ

る賞である(現役という意味は現に活

動しているという意味で故人は対象と

しない)。

②スクープ賞ではなく、特に最近数年

間の業績が顕著であることが重視され

る。

③その存在および業績が、ジャーナリ

ズムの活性化と成熟にインパクトを与

えるような個人を顕彰する。

 

会員および会員社に属する方々が候

補有資格者です。所定の推薦書があり

ます。参考資料の提出など詳細は事務

局(3503─2752 

長谷川)へ

お問い合わせください。

「クラブ賞」候補者

   

推薦の締切は1月31日

マイBOOK 

マイPR

朝鮮半島201 

年鈴置 

高史

(日本経済新聞編集委員)

不気味なアジアの近未来を小説で 

メディアはニュースが発生した後に

「なぜ、起きたか」を説明する。だが、

それではもう間に合わない。物事の

展開が速くなり、解説を読んでもら

った時には「手遅れ」だからだ。

 

そこで「近未来」をフィクション

の形式で書き「そんなことが起こり

うる」現在の危うい構造を説明した。

 

書き終わった瞬間に尖閣と延ヨ

ンピョンド

坪島

の事件が起きた。中国が韓国の社債

を大量に買っていることが判明した。

我ながら不気味な物語になった。

(日本経済新聞出版社 

1、995円)

現代ロシアを見る眼

山内 

聡彦(NHK解説主幹)

プーチン10年の総合的な分析 

メド

ベージェフ大統領の北方領土訪問を

きっかけに日ロ関係が風雲急を告げ

る中、ロシアで何が起きているのか

再び関心が高まっている。本書は

「プーチンの�0年」をキーワードに

現代ロシアを読み解こうとする試み

である。KGB出身の無名のプーチ

ンが連邦崩壊後、混乱を極めたロシ

アをいかにして立て直したのか、そ

してその功罪をどう見るのか。本書

は新生ロシアの方向性を決定づけた

プーチンの�0年の総合的な分析に挑

むものである。木村汎、袴田茂樹両

氏との共著。

(NHK出版 

1、260円)

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2010. 12. 10 No. 490 ワーキングプレス

 

��月26日深夜、参院本会議で仙谷

官房長官に対する問責決議案が可決

された。閣僚席で苦虫をかみつぶし

た仙谷氏は、群がる記者団に「ノー

コメント」と一言発しただけで国会

を後にした。

 

ざっくばらんな中堅・若手議員の

多い民主党にあって、仙谷氏は番記

者との間に緊張感を漂わせる数少な

いベテラン政治家だ。知識欲が旺盛

で、野党時代は議員会館の自室に山

積みとなった書籍や雑誌に目を通し

ては、「これ、読んだか」と記者に

議論を吹っ掛けることもしばしばだ

った。答えに窮すると、「今の若い

のは勉強が足りんよ」と叱責される

のも常だった。

 

かと思えば阿波弁できついジョー

クを飛ばし、眼鏡の奥でニヤリと目

を細める。仙谷氏の旧友によれば、

「丸坊主でいたずら好きだった仙谷

少年」の面影は、64歳になった今も

色濃く残っているという。生来の話

し好きと面倒見の良さから、「仙ち

ゃん」「親分」などと呼んで慕う議

員も多い。

 

そんな仙谷氏が、最近はマスコミ

を遠ざけるようになっている。

 

ぶら下がり減りぶっきらぼうに

 

官房長官に就任した直後に比べ、

夜回りやオフレコのぶら下がりで記

者の質問に応じる回数は極端に減っ

た。毎日2回行われる記者会見でも、

「いま申し上げた通り」とぶっきら

ぼうに繰り返したり、質問をはぐら

かして煙に巻く場面が目立つ。就任

当初にはあった余裕が感じられず、

眉間に深いしわを寄せた仙谷氏の

「強こ

わもて面」ばかりが紙面やテレビを通じ

て発信されるようになってしまった。

 

輪をかけたのが、臨時国会での相

次ぐ「失言」だ。仙谷氏は政府参考

人として出席した官僚に「将来を傷

つける」とどう喝まがいの発言をし

たり、国会内での写真取材を「盗撮」

野党からの執拗な追及の防波堤役を

買って出なければならない立場にあ

る。2002年にがんを患って胃を

全摘手術したこともあって、「相当

疲れている」(閣僚の1人)とかば

う声もある。

 

中傷合戦に終止符を

 

仙谷氏は最近、「記者会見でも国

会質問でも、自分の考えを明らかに

してから私に質問してほしい」と、

ぼやいているという。仙谷氏の理想

とする「熟議の民主主義」には程遠

い、というわけだ。

 

ただ、低調な論戦を招いた一因は、

仙谷氏が謝罪や撤回に追い込まれて

も、なお不満をあらわにする攻撃的

な姿勢にあるように思う。不毛な中

傷合戦や押し問答に終止符を打つた

めには、仙谷氏がもう一度自らの言

動を振り返ってみることが必要だ。

 「私はこう考えるが、仙谷さん

は?」

 

百戦錬磨の一言居士に真正面から

論戦を挑み、丁々発止の受け応えに

胸躍らせる──。そんな生き生きと

した熟議の場を取材現場でも早く取

り戻したい。

と表現した。自衛隊を「暴力装置」

と表現したことも、野党から痛烈な

批判を浴びた。内閣の要である自ら

が度重なる謝罪と撤回を迫られ、野

党に対してやすやすと攻撃材料を与

えてしまった。

 

とりわけ問題なのが盗撮発言だ。

「厳秘」と書かれた資料を予算委員

会室内で無防備に取り出したところ

あずま・たけお 

1995年入社 

長野

支局を経て2001年から政治部� 

�0年

6月から仙谷官房長官番

百戦錬磨の一言居士 

仙谷番

▼東 

武雄

(読売新聞社政治部)

熟議の場取り戻しましょうよ

を撮影された仙谷氏は、責任を報道

側に転嫁し、国会内での撮影規則の

見直しにまで言及した。「報道の自

由」を脅かすかのような言動に対し、

日本新聞協会在京8社写真部長会は

陳謝と発言修正などを求める抗議書

を提出した。

 

同情の余地もなくはない。仙谷氏

は「守り」が苦手な菅首相に代わり、

仙谷さん

衆院予算委員会開会前にカメラマン席を指さす仙谷官房長官 左は目をつぶる菅首相(��.��5)=鷹見安浩記者撮影

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2010. 12. 10 No. 490ワーキングプレス

 「デモ参加者が暴徒化しています。

日本人と分かったら殺されかねませ

ん。現場を離れます」。�0月�7日夜、

中国四川省綿陽市で反日デモを取材

していた記者から電話で受けた報告

は、緊張と恐怖からか、声が極度に

上ずっていた。

 

9月7日に沖縄県・尖閣諸島付近

で中国漁船衝突事件が起きて以来、

中国側の強硬な反発と対抗措置、建

設会社フジタ社員の拘束、各地の反

日デモなど日中関係を揺るがす大き

な出来事が相次いだ。さらに、習近

平国家副主席が次期最高指導者とし

て事実上確定する一方、民主活動家、

劉暁波氏のノーベル平和賞受賞決定

もあり、われわれの中国報道は2カ

月余り、1面トップ級の大ニュース

を追いかけ続けた。

 

記者がまさに「死ぬ思い」までし

た一連の報道は、中国での現場取材

の重要性と難しさをあらためて痛感

させてくれたと言える。

 

中国各地で相次いだ今回の大規模

な反日デモは、四川省成都市など3

都市で�0月�6日に起きたデモが発端

だった。当初は成都の情報しかなく、

すぐに中国総局(北京)の記者とカ

メラマン、上海支局の記者を現地に

派遣する手配をしたが、しばらくし

て陝西省西安市でも起きたとの情報

があり、上海支局記者の行き先を西

安に変更させた。その後、中国国営

通信の新華社が河南省鄭州市でも発

生したことを伝えたが、休日でもあ

り、3カ所目に記者を出す余裕はな

かった。

 

目と耳で直接確認するしか…

 

共産党宣伝部の方針で翌�7日以降

は中国メディアがデモを報じなくな

ったため、取材はインターネット上

の書き込みと現場取材だけが頼りと

なった。不確かなネット情報を手掛

かりに、広大な中国でデモを取材す

るには、空振りを覚悟で各地に記者

族自治区銀川市で小規模デモがあっ

たとの情報があるが、現地入りして

いたわが社のカメラマンがその時間

帯に警察に拘束されていたため、状

況ははっきりしないのが実情だ。

 

国内メディアへの規制強まる

 

海外支局の中で、中国ほど現場取

材が求められている国はないのでは

ないか。中国に対する国際的な関心

が一段と強まる中、外国メディアに

対する取材制限が緩む一方で国内メ

ディアを対象とした報道規制は強化

され、中国当局にとって都合の悪い

ニュースほどわれわれが現場に行っ

て確認する作業が必要になるからだ。

 

わが総局の岩崎稔カメラマンが今

年5月に訪中した北朝鮮の金正日総

書記の鮮明な写真をスクープして新

聞協会賞を受賞できたのは、間近で

取材している新華社などの中国メデ

ィアが当局の許可が出るまで報道し

なかったためという側面もある。劉

暁波氏のノーベル平和賞と岩崎カメ

ラマンの新聞協会賞は、いずれもこ

の国の特殊な政治体制が与えてくれ

たともいえ、共産党の一党独裁が続

く限り、中国での現場取材の重要性

はますます高まっていくだろう。

やカメラマンを派遣し、われわれの

目と耳で情報を直接確認するしか方

法がなかった。

 

日本の新聞紙面で見る限り、綿陽

でのデモが暴徒化した様子を直接取

材できたのはわが社だけだったよう

だ。現地入りしてデモを取材した新

聞社もあったが、暴徒化する前に記

者が引き揚げたらしい。後から現地

入りした別の記者は、片付けられた

現場の写真しか撮れなかったとい

う。粘り強く、そして命懸けの取材

で写真を撮って雑観を書いた記者

に、今も敬意を表している。

 

反日デモの取材はその後も続い

た。翌週末23、24日はネット上のデ

モ呼び掛けをもとに江蘇省南京市、

甘粛省蘭州市、山東省渮沢市に記者、

カメラマンを出す手配をしたが、直

前になって計�0カ所以上で呼び掛け

があることが判明。慌てて河南省開

封市、陝西省宝鶏市も取材先に加え

た。南京、渮沢、開封は空振りだっ

たが、蘭州、宝鶏ではデモが発生。

宝鶏でのデモは反政府スローガンも

混じっており、現場に取材要員を出

していなければ、他社に後れを取り

かねない状況だった。

 

記者が現場に行っていない他の地

方でデモがあったのかどうか、実は

今も分からない。3週目にも寧夏回

かとう・やすし 

1985年入社 

経済

部 

中国総局などを経て 

2008年か

ら中国総局長

反日デモ 

中国総局総力戦

▼加藤 

靖志

(共同通信社中国総局長)

不確かなネット情報を手掛かりに

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2010. 12. 10 No. 490 2010. 12. 10 No. 490

120キロ。第三セクター鉄道とし

て日本一の距離だ。もともと採算性

が低く、沿線の人口減少、自家用車

への転向で経営状況は極めて厳し

い。旅客輸送を同社が担い、県がレ

ールなどを所有する上下分離方式を

採用。県は実質的な赤字分となる年

間�6億円を負担する。

 

地域の魅力再発見のチャンスに

 

東海道新幹線など地方負担がなか

ったケースとは事情が異なり、この

新幹線開業は総額1500億円にも

上る財政負担という痛みを県民が強

いられてきた歴史の上に成り立った

ものだ。今後も函館延伸に向けた北

海道新幹線の工事が本格化すると県

負担がさらに増加することを忘れて

はいけない。

 

マイナス面ばかり並べてしまった

 

�2月4日、東北新幹線が全線開業

し、東京から青森市まで高速鉄道の

動脈がつながった。開業時、東京─

新青森駅間は最短3時間20分(現行

は約4時間)で結ばれる。

 

1972年の盛岡(岩手県)以北

基本計画決定から実に38年、新青森

駅開業は長く「県民の悲願」に位置

付けられてきた。

 

この開業に当たり、JR東日本は

俳優・三浦春馬さんを起用したテレ

ビCMを首都圏や青森県内で連日放

映。県や県観光連盟は��月上旬、東

京・表参道の目抜き通りで青森ねぶ

た運行を敢行し、新幹線開業と青森

観光をアピールした。

 

ここまでだとさぞかし県内も歓迎

ムード一色に染まり、大盛り上がり

かと思われるかもしれないが、なぜ

かターミナルとなる青森市民の反応

はいまひとつ。

 「約38年、待ちくたびれた。エネ

ルギーがしぼんでしまった」「もう

新幹線で騒ぐ時代じゃないよ」

 

理由の一つには新青森駅がターミ

ナルの機能を果たすのは5年間だけ

という背景もある。新幹線は201

5年には函館まで延伸する。将来の

通過駅化の懸念が先に立つというわ

けだ。

 

また、並行在来線・青い森鉄道の

経営も大きな課題。JRが経営上、

維持できないと判断した東北線を地

元が引き継ぐ。

 

岩手県との県境から青森市までの

( )

東北新幹線全線開業

5年間だけのターミナル〜重い県民負担だが〜

■阿部 泰起(東奥日報社政経部)

青 森 発

するなど一躍全国区に。今回も「十

和田バラ焼き」「黒石つゆやきそば」

など隠れた名物が人気を呼び、県民

が地域の魅力を再発見する契機にな

っている。

 

開業当日は、ねぶた運行やディズ

ニーのパレードなど県内各地で記念

イベントが目白押し。来年4月から

JR各社は青森観光キャンペーンも

展開。学会、スポーツ大会などの各

種コンベンションも多数予定され、

県内はにぎわいを見せるだろう。

 

だが、この原稿の締め切りは��月

29日。残念ながら�2月4日開業後の

青森県内の様子をお伝えすることが

できない。

 

果たして青森はどうなっているの

か。新幹線で冬の青森を訪れていた

だきたい。

あべ・たいき 

1993年入社 

200

8年4月から政経部で新幹線を担当

新幹線試乗会でにぎわう青森市の新青森駅

が、新幹線開業が千

載一遇のチャンスで

あることは確かだ。

実は青森県内の新幹

線開業は2度目。02

年の八戸駅開業では

郷土料理の「せんべ

い汁」にスポットが

当たり、その後、B

1グランプリで3年

連続銀メダルを獲得

一口メモ 東北新幹線 20��年3月5日には東北新幹線に新型車両E5系「はやぶさ」がデビューする。 国内最速の時速300キロ走行し、東京─新青森間を3時間20分で結び�3年春には320キロにまでスピードを上げ、同区間の所要時間を3時間5分に縮める。

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2010. 12. 10 No. 490

れるような旅館にしたいね」。2人

は代替地移転後の旅館の姿について

夢を語り合っている。

 

隣接する老舗旅館の高田屋も同様

の理由で��月25日に休業。最盛期に

20軒以上が営業していた旅館は5軒

になった。7代目の豊田明美社長

(45)は「200年を越える高田屋

の歴史から見たら、休業は一時的な

もの。何年先になるかわからないが、

落ち着いたら必ず再建したい」と誓

っている。

 

干上がっちゃうよ

 「温泉街をざっと見て、そのまま

別の所に移動しちゃう。川原湯に泊

まったり、店に寄ってくれるお客さ

 

馬淵澄夫国土交通相が��月6日に

八ツ場ダムの地元、群馬県長野原町

を訪れ、「(ダム)中止の方向性とい

う言葉は使わない」と表明。中止前

提方針の撤回と受け止めた同町の高

山欣也町長は「1年間のよどみが少

し晴れた」と喜んだ。

 

意見交換会メド立たず

 

しかし、その後「(中止)方針の

大転換を言ったわけではない」と、

政府高官や民主党幹部が相次いで発

言。地元にはしらけムードが漂って

いる。すぐにも開かれると思われた

馬淵国交相と地元住民との意見交換

会もめどが立っていない。

 

前原誠司前国交相が昨年9月に中

止を表明して以降、本体工事は凍結

されたが、道路や代替地整備などの

生活再建事業は継続されている。建

設中の姿が十字架のようだと注目さ

れた不動大橋(湖面2号橋)は橋げ

たがつながり開通を待つばかり。高

台の代替地には家屋が続々と建設さ

れ、付け替え国道の一部区間が暫定

的に開通した。

 

しかし、川原湯地区や川原畑地区

の人口は�0年前の3分の1以下に減

少。川原湯温泉街では旅館の休廃業

が相次ぐなど、ダム問題の長期化で

地域の過疎化が進んでいる。

 

同温泉街で最大の収容客数を誇っ

た老舗旅館の柏屋。ダム中止表明以

降、先行きが見通せなくなり、十分

な設備投資ができないとして4月に

旅館を休業。日帰り温泉のみに切り

替えた。

 

旅館を休業しても光熱費や固定資

産税など多額の維持費がかかり「貯

金を切り崩してしのいでいるのが現

状」と豊田幹雄社長(44)。それで

も6月に結婚した若女将、香織さん

(37)とともに玄関先に四季の花を

飾り、笑顔で客を迎える。

 「おじいさん、おばあさんが子ど

もや孫たちと一緒に、安心して泊ま

( )

八ツ場ダム

漂うしらけムード長期化で過疎化も進行

■羽鳥 秀介(上毛新聞社中之条支局長)

群馬・長野原発

まはごくわずか」。川原湯温泉

街で飲食店を営む水出耕一さん

(56)は深いため息をつく。紅

葉シーズンはにぎわったが、そ

の後客足はさっぱり。道路の整

備状況や旅館の動向を見なが

ら、代替地へ移転するタイミン

グを計っているが「1人もお客

さんが来ない日もある。(馬淵

国交相は)来年の秋までに検証

すると言ってるが、その前に干

上がっちゃうよ」と焦りを口に

する。

 

馬淵国交相は��月6日、来年

はとり・しゅうすけ 

1993年入社 

2009年3月から現職

一口メモ 個別ダム検証の進め方 全国83ダムを地方整備局や県などの事業主体が検証する。ダムなしの治水策を複数つくり、ダムによる治水と、コスト、安全性、環境への影響などの基準で比較。事業の合理性を総合的に判断する。宅地のかさ上げや水害保険などはんらんを前提にした対策も検討。利水面の事業評価も行う。報告を受けた国交相が最終的に事業の是非を判断する。

八ツ場ダムの地元、長野原町を視察する馬淵国交相ら=11.6秋

までにダムの是非を決める検証結

果を出すとも表明した。その先に、

ダム問題から解放された住民の笑顔

はあるのだろうか。

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( )�8

2010. 12. 10 No. 490

 

�0年程前        (旗を

見せろ)という言葉がはやったこと

がある。日本の国際貢献、中でも安

全保障分野への参加に不満を持つ、

当時の米政府国務副長官で、今秋当

クラブでも会見したリチャード・L・

アーミテージ氏が、言い出しっぺだ

ったとされる。日本ではその頃、イ

ラクやアフガニスタンのテロ防止作

戦に伴う、インド洋での後方支援に

自衛隊が参加すべきかを含め、国連

PKO(平和維持活動)の枠から一

歩踏み出した、安全保障への貢献が

論議の的になっていた。

 

以下は、それから更に一昔さかの

ぼり、日本が自衛隊のPKO派遣に

より、目に見える(旗が見える)国

際安全保障の仲間入りを目指してい

た時期、いわば〝自衛隊PKO〟が

実現する前夜の体験である。

 

1989年、昭和が平成と変わっ

て日も浅い頃、当時東京の国連広報

センター所長代行で、プレス担当を

されていた中村恭一さん(元毎日・

現文教大学教授)から、ナミビア(旧

南西アフリカ)で国連が執行する、

独立選挙の準備状況を取材しないか

というお誘いを受けた。

 

日本からも選挙監視団

 

この選挙は、長らく南隣りの南ア

フリカ共和国(南ア)の実質支配下

にあったナミビアを、国連管理・国

際監視下の民主的選挙を経て独立に

導くためのもので、ナミビアの首都・

ウィントフクには、アハティサリ国

連事務総長特別代表(後のフィンラ

ンド大統領)を長とする、UNTA

G(国連ナミビア独立移行支援グル

ープ)の本部が置かれ、文民部門に

は日本からの要員も参加していた。

 

しかし、課題であった自衛隊を含

む軍事部門への参加は、この時点で

はいまだ実現しておらず、この取材

旅行への招待はマスコミを通じて、

PKOの実態を日本国民に伝えるこ

とにより、自衛隊派遣への地ならし

をしたいとする、国連側の意図も込

められていたように思う。

 

ナミビア行きには、報道局外信部

から解説委員室に移ったばかりの私

を含む、5社(朝・毎・読・共同・

NHK)�

の記者と中村さんが参加

し、9月�0日成田出発、欧州・南ア

経由で3日目の朝ウィントフクに入

った。南アのヨハネスブルク空港で

は、国連と不仲の南ア当局が我々に

入国ビザを出さなかったため、一夜

を空港待合室で明かす羽目になった。

 

当時のナミビアは、日本の2倍強

に当たる広い国土に人口約150

万、大西洋岸南部と内陸東南部は広

大な砂漠に覆われ、産業といえば沿

岸の漁業と中北部高原の農牧に頼る

〝最貧国〟であり、ウラン、ダイヤ

モンド、銅、亜鉛など豊かな地下資

源は、冷戦の代理戦争と言われたア

ンゴラ内戦などのあおりで開発が遅

れ、交易の港も南アの飛び地として、

まだその支配下にあった。

 

我々は、首都ウィントフクのPK

O本部でまずアハティサリ特別代表

と会見し、PKOの現状と選挙実施

の見通しなどを聞いた後、市内や郊

外の黒人居住区などを取材したが、

私はカメラクルー無しのビデオ携行

取材だったため、慣れない撮影や貧

しく非衛生な生活環境に、気疲れし

たのを思い出す。

 

ナミビアの住民は、オランダ、ド

イツ、南アと長く続いた白人支配の

下で差別や搾取に苦しんだだけに、

独立運動の中核だったSWAPO

(南西アフリカ人民機構=翌年独立

後の政権与党)に親近感を持ち、水

道や電気もない居住区暮らしから、

一日も早く脱出したいと望んでいた。

 

我々はチャーター機でアンゴラ国

境に近い、北部の町・オシャカチに

も足を伸ばした。眼下には草原を移

動するキリンの群れや、真っ白に輝

く塩湖などが見えた。

 

降り立った町では、選挙運動の行

列やポスターなどに迎えられ、風呂

書いた話 書かなかった話

堀内 

敏宏

“自衛隊PKO”前夜

 

ナミビア 

国連の独立支援活動を見る

“Show

�the�flag”

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( )�9

2010. 12. 10 No. 490

敷ほどもある大きな投票用紙に吃驚

した。オシャカチ行きは、ここから

さらに東の奥地で選挙管理に携る日

本人の国連要員・島田貫吾さんと会

うためだった。すっかり日焼けした

島田さんは、住民に選挙の意味や仕

組みを理解させるのが大変だと語

り、この地域から内陸の大湿地帯・

オカバンゴに注ぐ大河の周辺では、

何人もの子どもを含む住民がワニの

犠牲になるなど、危険な環境の中で

の仕事であることも教えてくれた。

 

ちなみに島田さんとほぼ同じ頃、

ジュネーブの国連人権センターか

ら、ナミビアに派遣された日本人の

男性職員は、着任後任地に向かう途

中、交通事故で殉職しており、島田

一時的にせよ国際政治の表舞台に復

帰し、冷戦後世界の安定をかけたP

KO活動がにわかに脚光を浴びた。

 

国際貢献 

旗は見えたか

 

日本でもその後、マスコミ・世論

の影響もあってかPKO協力法など

が成立し、カンボジア和平と再生の

ためのPKO(UNTAC=国連カ

ンボジア暫定統治機構=事務総長特

別代表は明石康氏)に、初めて自衛

隊の部隊派遣を実現するなど、次第

に存在感を高めていった。当時、外

務省でこれらの法整備に奔走された

のが、高須幸雄国連政策課長で、つ

い先頃までニューヨークの国連日本

代表部の首席大使を務められた。

 

自衛隊派遣を含む日本の国際貢献

は、その後PKO以外に災害救助や

難民支援などの国際緊急援助、さら

には国連が直接には関与しない、有

志連合(多国籍軍)の後方支援にも

間口を拡げて来た。

 

それでも、冒頭で触れた〝旗を見

せろ〟という外圧が消えたとは言え

ない。その陰には、バブル崩壊後の

経済停滞と財政難で、日本のODA

が90年代の世界第1位から、現在第

5位まで減ってしまったことや、自

衛隊のイラクでの人道支援と航空支

援が終わり、インド洋で国際テロの

封じ込め作戦に従事する有志連合艦

船への、燃料補給業務からも撤退し

たことなどにより、日本の存在感が

かえって薄まったことなどがある。

 

昨年の政権交代後、現政権はイン

ド洋での補給活動を、アフガニスタ

ンへの民生支援に切り替え、向こう

5年間に50億ドルを拠出するという

が、具体策はいまだ明らかでない。

こうして、日本の安全保障貢献が目

立たなくなる中、日米同盟には隙間

風が吹き、中国の対日揺さぶりが激

しさを増している。

 

中国は、南シナ海についで東シナ

海の制覇を目指し、尖閣諸島をめぐ

って一段と攻勢に出たほか、インド

洋にも覇権拡大の意図をうかがわせ、

中東からの日本への原油輸送ルート

すら脅かされかねない。

 

現政権が、このような情勢を客観

的に見詰め、国際安全保障への貢献

は一見遠回りでも、〝旗を見せる〟

ことで日本への認識と信頼・親近感

を深め、国際政治・外交の味方を増

やして、日本の国益につながること

を改めて認識するよう強く望みたい。

書いた話 書かなかった話

ほりうち・としひろ会員 

1937

年生まれ 

60年NHK入局 

ニュー

ヨーク特派員 

ジュネーブ支局長 

外信部長 

解説委員など 

94年退局

後 

小平市教育委員長を務めた

さんもニューヨークに帰任後、交通

事故で亡くなられたと聞く。心から

ご冥福を祈りたい。

 

ウィントフク最後の夜は、一同そ

ろってレストランで野牛ステーキと

南アワインのディナーを味わったが、

店の入り口には南ア支配の名残を示

す、人種隔離の表示が残っていた。

 

1週間余のナミビア取材を終えた

我々は再び欧州に飛び、そこで三手

に分かれたあと再びニューヨークで

合流し、国連の取材に当たった。

 

ロンドン経由で入った私は、国連

本部で当時のデクエヤル事務総長

(後のペルー首相・外相)に、今で

言うカメラつきのぶら下がり取材を

し「3つ質問するが…」と前置きし

て、地元記者団からブーイングを浴

びつつも「日本のPKO参加拡大を

期待する」などの答えを得た。

 

取材の段取りをしてくれた女性報

道官は、後にイラクに赴任し国連事務

所の爆破テロにあって殉職している。

国際貢献の犠牲者は、国籍、男女、

軍民を問わないことがよく分かる。

 

一方、ベルリン経由で米国入りし

た仲間は、その1月余り後、東西民

衆の手で破壊されて、〝冷戦に終止

符を打った〟ベルリンの壁を、崩壊

直前に見る機会に恵まれた。この冷

戦終結がきっかけとなって、国連は

アハティサリ特別代表(左奥)のブリーフィング1989.9.12

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2010. 12. 10 No. 490

 

まさかマリリン・モンローの亭

主だった男が展望風呂に一人で入

っているとは思わなかった。〝大

リーグの至宝〟といわれたジョ

ー・ディマジオとの初めての対面

だった。1970年代半ばの春2

月。400勝投手の金田正一監督

率いるロッテ・オリオンズ(現マ

リーンズ)がキャンプを張る鹿児

島でのことである。

 「あの山はなんというのか」と

ディマジオ。うす煙を吐く雄大な

桜島を教えた。午後3時ごろ、ホ

ことだが…」と切り出したら「そ

うくると思ったよ」と笑ってかわ

された。このころ喘息のためサン

フランシスコから気候のいいフロ

リダに移って生活していた。イン

タビューの後、のど飴を売店で買

って渡した。喜んで1つ口に入れ

ると「グッド」。

 

翌朝、ディマジオから自宅に電

話がかかってきた。「これから君

の会社に行くよ。そこで会おう」。

さすがにびっくりした。そこで用

意したのがディマジオの自伝洋書

本(化粧箱入り)と硬式ボール、

写真。この3点セットにサインを

してもらった。彼はサインをしな

いことでも有名なのだが、快く書

いてくれた。飴がよほどうれしか

ったのだろう。ディマジオにイン

タビューした最後の日本人記者は

オレだ、と密かに思っている。

私が会ったあの人 スポーツ編⑫

リレーエッセー

モンローを最後まで 愛した孤高の人

▼菅谷 齊

新婚旅行で日本に立ち寄った2人 ファンが殺到し飛行機の非常口から脱出する騒動となった

1954.2.1 羽田空港 共同通信社提供

ジョー・ディマジオ

る。4�年には不滅の56試合連続安打

を記録。桁外れの実績から「孤高の

人」といわれた。引退後も政府主催

のパーティーには政府専用機が送迎

し、ロシアの大統領ゴルバチョフが

サインを求めてくるなど、その存在

は超一流だった。

 

モンローとの新婚旅行は日本だっ

た。ところが9カ月で離婚。きっか

けは映画「7年目の浮気」にあっ

た。地下鉄の送風口の上でモンロー

のスカートが舞い上がる有名なシー

ンの撮影をディマジオが目撃。ディ

マジオはスーツにネクタイで野球場

テルの最上階。時間は午後3時ごろ

の真っ昼間。「部屋のバスは使わな

いのか」と尋ねると「狭すぎるんだ

よ」と言って笑った。日米の野球の

話をしたのだが、背中を流しましょ

うか、とはついに言えなかった。そ

れでも一瞬とはいえ〝裸の付き合い〟

である。顔を覚えてもらった。

 

イタリア移民の漁師を父に持つデ

ィマジオはヤンキースの打者として

活躍。兵役3年を除き�3年間で首位

打者、本塁打王、打点王は各2度、

MVP3回。すごいのは�0度もワー

ルドシリーズに出場したことであ

に通う紳士として尊敬されてい

ただけに、妻のあられもない姿

にショックを受けたのだった。

それでもモンローの葬儀を取り

仕切り、墓にいつも赤いバラを

供えた。

 

十数年後、ディマジオのロン

グインタビューに成功した。私

が勤務した共同通信の「チャン

ピオン」という企画で、浦安市

舞浜のホテルで会った。実は、

ディマジオはインタビューをま

ず受けないことで知られていた

のだが、ここで展望風呂の縁が

生きた。最後に「マリリンとの

(すがや・ひとし

元共同通信運動

部)

「私が会った人」シリーズの〝スポー

ツ編〟は今号で終了します。明年1

月号からは同シリーズ第3弾「私が

会った〝若き日の〟○○さん」を始

めます。

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( )2�

2010. 12. 10 No. 490仲  間

 

1978年に�5歳で国費留学生とし

て来日。1年半の日本語研修後、東京

学芸大附属高校、横浜国大・同大学院

経済学部に進んだ。卒業後、タイ外務

省に入省。今回は4年ぶり2度目の東

京勤務になる。9月から特別賛助会員。

 

日本の内政と二国間の経済関係を担

当しているが、最近は日本の話よりタ

イの政治情勢について切り出されるこ

とが多い、という。早速、その質問を。

 「最近の反政府運動は、ネットを使

い、海外からも迅速に動員できる。そ

のためこれまでのように政権崩壊後、

暫定軍事政権ができ、新憲法をつくり、

文民政権に引き継ぎ、事態が沈静化す

ることが難しくなってきている。反政

府派は貧富の格差問題をうまくとりあ

げ、地方の人を煽っているようなとこ

ろがある。タクシン政権がこの問題に

取り組んだのは評価されるとは思うが」

 

政治情勢とは関係なく、タイは日系

企業の一大拠点として重要度を増す。

最近の日本の報道はタイの産業をほめ

すぎのところもあるのでは、と指摘す

る。「一部の企業を除き、外国から技術

を導入し、組み立てるのが産業の中心

をなす。車のエンジンを独自開発する

といったレベルにはまだ達していない」

 

長男は都立高校に、次男は都内の区

立中学に通う。自分よりも日本語がう

まくなったと、流暢な日本語でうれし

そうに話した。�

(石川)

15歳で日本語留学

また日本に 帰ってきました

シントン・ラーピセートパンさん

タイ大使館公使

●ホームページ 

リニューアル準備中

 

現在、事務局ではホームページの

リニューアル作業を進めています。

まもなくお披露目の予定です。

 

最も大きく変わるのはトップペー

ジです。いまやクラブの情報発信の

柱となった「ユーチューブ日本記者

クラブチャンネル」の最新動画をトッ

プに置き、一般の人にとっても魅力あ

る装いにします。もちろん会員の方

の利便性をあげる工夫もこらします。

 

目玉は「会見カレンダー」。開催

予定や行われた会見をカレンダー形

式で表示し、参加申込もネット上か

らできるようになります。また、会

見のデータベース化を図り、検索や

記録へのアクセスを容易にします。

●捨てられなかった切り抜き

 

師走になると、机のかたわらに積

んだ新聞の切り抜きを一枚一枚、あ

あ、こんなこともあったのだと、カ

レンダーをめくるように一瞥して、

申しわけないが屑籠へ処分する 

そのなかで、ザ・コラム「スピード

と便利さのわな」は、引き出しで越

年させることにした。朝日の外岡秀

俊編集委員が7月2�日の朝刊に書い

たものだ。テーマはデジタル化だ 

▼あれほど日本代表の活躍にわいた

サッカーW杯も、固唾をのんで見守

った参院選開票も遠い日のように思

える、と書き出す。以前は遠い昔の

ことを「つい昨日」のように思い起

こすことが多かったが、記憶の保持

力や喚起力が衰え、昨日のことをつ

い忘れるほど忘却のスピードが加速

している、と続く 

▼そんな思いの

記者が、電子書籍元年といわれた東

京国際ブックフェアに足を運ぶ。そ

の報告の後、二人の人物のコメント

を紹介している。一人は書家の石川

九楊氏で、こんな具合だ 

▼デジタ

ル化によって、仮想の裏社会が、現

実の表社会になっていくようだ/い

ま起きていることの本質は通信の異

様な発達。文化を創造するという生

産行為には、何のかかわりもない/

書物は書き手が無意識の領域から、

必死で新しい言葉を汲み上げてきた

歴史の累積だ/チャットはおしゃべ

り。ツイッターはつぶやき。言葉を

生む行為を軽視し、通信だけが異常

に特化した結果だ。電子書籍は個人

でも出版できるが、編集や校閲とい

う自制もなく、私的な言葉を垂れ流

すだけだ/言葉は本の手触りや質感

に根差し、色やにおいを引き連れて

立ち上がる。ツルツルの触感しかな

い端末では、情報は伝わっても言葉

は立ち上がるまい 

▼そして最後

に、消える本は要らない。たまたま

書物の形態をとっただけの本が多す

ぎた──と述べ、本物なら紙の本は

残る、と。紙の新聞もそうあってほ

しい 

▼二人目の東大の西垣通教授

は次のように発言している。ネット

には、無料で人々にサービスを提供

し、衆知を結集して社会に役立たせ

るという理想主義もあった。だが、

現実にはそうはなっていない/ネッ

トの民意といっても、それは刻々と

変わる最大瞬間風速にすぎない。

人々はいつも主体的に選択している

わけではなく、流れに巻き込まれる。

それを『民主主義』と標榜するのは、

危うい、と。�

(玄)

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2010. 12. 10 No. 490

情報発信

 クラブ施設では会員による各種の会合が行われています。企業や大使館などの賛助会員も記者発表の場としてクラブを利用しています。

■ポーランド環境相会見 COP�0(生物多様性条約第�0回締約国会議)に出席のため来日した、ポーランドのクラシェフスキ環境相が記者会見を行った(特別賛助会員のポーランド大使館主催)。埋蔵量の多いとされるシェールガスについては、調査を進めており、3年後にはその量を確認できるだろうと語った。会見後、ポーランドの気候変動防止政策に関するビジネスセミナーも開かれた。(��.�� 大会議室)■民放東京支社に働く女性の集い 年に�回開かれる民放で働く女性の集いで、今回が27回目。テーマを「私たちが今、知っておくべき沖縄の本音」とし、佐古忠彦・TBSテレビアナウンサー・記者、嘉手納央揮・琉球放送記者の基調講演、対談などが行われた。(��.�6 �0Fホール)■日本映画記者会総会 朝日、毎日、読売、日経、産経、東京、夕刊フジ、共同、時事、NHKで構成する映画担当記者会の総会が行われた。(��.��3 宴会場)■日本新聞協会地域貢献大賞表彰式 日本新聞協会が、新聞販売所や従業員個人が各地域で行っている貢献活動のうち、特に顕著な功績のあったものを表彰している。今年の大賞は、�974年からミニコミ紙を発行し続けている、兵庫県上郡町の山本新聞店・山本良平所長に贈られた。詳細は協会のサイトhttp://www .p r e s s n e t . o r . j p / ab ou t / c ommenda t i o n /chiikikouken/index.htmlで。(��.��8 �0Fホール)■辺真一氏の北朝鮮分析 未来をひらく日本委員会(尾畑雅美会長�http://www.nihoniinkai.com/)で、辺真一・コリアレポート編集長が講演した。金正恩氏の後継に向けて動き出した北朝鮮情勢の分析・展望について話した。(��.��8 �0Fホール)■中国の軍事力 アジア問題懇話会で、中国軍事専門家の平松茂雄氏が講演した。(��.�20 宴会場)■手嶋龍一氏講演 日本英語交流連盟(松平恒忠会長�http://www.esuj.gr.jp/)で、ジャーナリストの手嶋龍一氏(元NHKワシントン支局長)が「混沌の世界、日本の行方」のテーマで講演した。(��.�24 �0Fホール)■パレスチナ首相講演 首相として初来日したパレスチナ自治政府のファイヤード首相が講演した(主催=中東調査会)。イスラエル政府が入植地での住宅建設を続ける限り、二国家共存構

想は実現不可能になるとして、建設凍結を強く求めた。イスラエルの残りものをもらい受け、国家の条件を満たさないような形でパレスチナ国家を樹立する考えはない、とも語った。(��.�25 �0Fホール)■放送人政治懇話会 以下のようにゲストを招いた。大塚耕平・民主党広報委員長(��.��0)、山口壮・民主党政調筆頭副会長(��.��7)、高山智司・民主党国対筆頭副委員長(��.�24)。

▼池いけ だ

田 信のぶお

男 �970年日本経済新聞入社。政治部、経済部、ブリュッセル特派員、英文日経編集長、製作統括本部長などを経て日経編集制作センター社長。現在、同社顧問。

 世の中がますます不透明になっている時代。これからもナマの情報をじっくり見ていければ、と思っています。

▼塩しおや

谷 喜よしお

雄 �972年日本経済新聞入社。科学技術部次長、筑波支局長、科学技術部編集委員、論説委員など。

 科学や技術は安直に富を生む打ち出の小槌で、環境は天賦の無尽蔵な資源という、前世紀の遺物が未だ幅をきかす日本の先行きを、もう少し見つめたいと思います。

▼土つちや

屋 繁しげる

  �969年毎日新聞入社。社会部、政治部、政治部編集委員など。2009年から�0年まで、中国・維坊学院大学副教授。

 中国での大学教師体験を踏まえて、日本メディアにおける「中国報道」を考察するとともに、日中両国間の友好増進に努めたいと思っています。

▼栩とちぎ

木 誠まこと

  �970年日本経済新聞入社。テヘラン特派員、商品部次長、金融部次長、日経アドレ編集長、日経ウーマン編集長、経済解説部編集委員など。

 40年半にわたり第一線での記者生活を送ってきましたが、「生涯一ジャーナリスト」として活動を続けていきたいと思います。

▼花はなだ

田 攻おさむ

 �972年共同通信入社。内政部長兼論説委員、業務局次長兼企画部長、KK共同取締役事業本部長、同取締役情報企画本部長など。

 「歩いて日本を元気に」をスローガンに全市町村でのウオーキング大会開催を進めている。都市と地方の交流を深め地域活性化に役立てたい。

▼村むらた

田 泰やすお

夫 �969年朝日新聞入社。経済部次長、ウィークエンド経済編集長、論説委員、編集委員(いずれも財政、農政、環境担当)など。

 朝日新聞社で経済分野を担当、特に農業・環境問題にかかわってきました。現在は農政問題のジャーナリストとして活動しています。 

新しいOB会員●賛助会員の会を開催 11月4日「日本の政治は良くなるか─民主党政権の行方」

 主要各社のベテラン記者などとの懇談の機会をつくってほしい──賛助会員の要望で始まった「賛助会員の会」の��回目。今回は田﨑史郎・時事通信解説委員を講師に行われ

た。クラブの企画委員でもある田﨑氏はオフレコで政治家の素顔なども交えて、衆参ねじれ国会の舞台裏や菅政権の行方を語った。 参加者�5社32人

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和 食和 食

洋 食洋 食

( )23

2010. 12. 10 No. 490

 行事予定(�2/3現在)�2月�7日(金)�7:00〜�7:45(�0階ホール)

天野之弥 IAEA事務局長▼2011年経済見通し研究会 1月�2日(水)�5:00〜�6:30(�0階ホール)

ロバート・フェルドマン モルガン・スタンレーMUFG証券 チーフアナリスト

1月�4日(金)�5:00〜�6:30(�0階ホール)関志雄野村資本市場研究所 シニアフェロー

1月28日(金)�5:00〜�6:30(�0階ホール)岩田一政日本経済研究センター理事長

1月3�日(月)�5:00〜�6:30(�0階ホール)斉藤惇 東京証券取引所グループ取締役兼代表執行役社長 

ホームページの「会見カレンダー」で、日時の変更なども含め、最新のクラブ行事をお知らせしています。

 クラブの電話 ダイヤルイン

 バー、レストラン、宴会

和食レストラン(9階)3503−2723

洋食レストラン(�0階)3503−2766

貸室予約、宴会打ち合わせ3503−2724

受 付3503−2721

会員事務� 3503−2725経 理   � 3503−2728クラブ行事への申し込み� 3503−2722

会見申し込みアドレス� [email protected]

ブルー・ローズ 今月は射手座をイメージしました。ドライジンをベースにグレープフルーツジュ

ース、バイオレットリキュールを加えた香り豊かなカクテルです(630円)。

師走懐石 �2/24(金)まで 先付:鱈白子、前菜:合鴨ロース煮など、椀:清汁仕立て:刺身:3点盛り、焼物:鰤照焼き、

煮物:百合根饅頭、揚物:海老慈姑揚げ、食事:温稲庭うどん、季節の果物、グラス冷酒付き(5,250円)。ふぐ特別コース 2/25(金)まで 先付:ふぐ煮こごりほか、刺身:ふぐ刺し、焼物:鰤照焼、揚物:ふぐ唐揚げ、ふぐ鍋、食事:ふぐ雑炊、甘味:抹茶アイスクリーム(5,775円)。必ず事前予約をお願います。� (板長 渡邉実)

カニづくしコース �2/27(月)まで クラブミートカクテル、ズワイ蟹の唐揚げサラダ添え、特棒タラバ蟹のグリル&蟹と野

菜のトマト風味リゾット、ゆずシャーベツト、パン、コーヒー(2,980円)� (シェフ 黒須修一)

 予約電話 和食3503-2723 洋食3503-2766

HP http://www.jnpc.or.jp/

資料室 「会見速記録」:11月の新規掲載

●米倉弘昌経団連会長昼食会スピーチ(��.�5)●島内憲前ブラジル大使「24時間の長旅に耐えてでも、一度訪問すればわかるその潜在力」(�0.��8)●佐藤陽一 Googleブックス担当マネージャー「Googleの電子書籍とは」(9.��3)●成田憲彦駿河台大学学長・元細川護煕首相秘書官「国民福祉税構想の経緯」(8.��9)�

会報委員会委員長=住田良能委 員=大谷 徹 大寺廣幸 小西美和子 近藤憲明    菅谷 齊 富田 恵 羽原清雅  堀 徹男    渡辺雅明事務局=長谷川和子  本庄五月(電 話 03−3503−2752 FAX 03−3503−727�)

<会員現況>法人会員��32社 基本会員�752人個人会員��,480人 法人・個人賛助会員�69社��76人特別賛助会員�83人 名誉・功労会員�9人� 計20�社�2,500人

◆日経ホール 新春ジャズスペシャル 日本ジャズ協会2�のメンバーらが、ゲストボーカルに森サカエ、ナオミ・グレースらを迎え、テネシーワルツなど定番ジャズナンバーを演奏します。�/�3(木)�8時半開演(5,000円)問い合わせ:03-3943-7066� http://www.nikkei-hall.com/◆サントリーホール ニューイヤーコンサート2011 恒例のウィーンの演奏家によるお正月コンサート。今年はオペレッタの殿堂、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団がアリアやウィンナワルツなどを奏でます。�/�、2、3��いずれも�4時開演(5,000円から)問い合わせ:03-3584-9999� http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/◆王子ホール 能と狂言 雙ノ会 能と狂言の謡の世界を楽しむ会です。能の名曲「井筒」ほか、恋の妄執を描く「鉄輪」を題材に、能と狂言の舞いくらべもお楽しみいただけます。�/25(火)�3時半開演(2,500円)問い合わせ:03-3567-9990� http://www.ojihall.jp/

 会員名簿をお届けしました 今年も��月�日付での「会員名簿」を作成し、�2月初旬に発送しました。まだお手元に届いていない方、届いた名簿に乱丁などの不備があった方は事務局の斎藤(03-3503-2725)へご連絡ください。

会員社のホールで開催されるイベント情報です

 1月18日に新年会員懇親会 恒例の新年互礼会員懇親会を�月�8日(火)午後6時から�0階ホールで開催します。今回初めての試みとして、法人賛助会員各社の社長や特別賛助会員になっている大使館の大使なども招き、会員とともに新年を祝っていただきます。 今年の予想アンケートの結果発表と来年の投票、お楽しみの福引きは例年通り行います。多数の参加をお待ちしています。

 法人賛助会員として共同ピーアールが入会 メディア・リレーションズを中心とした広報活動の支援、コンサルティング業務などを行っている共同ピーアール株式会社が法人賛助会員として�2月から入会しました。登録会員は下記のお二人です。大橋 栄 代表取締役社長木村忠久 取締役

 年末年始の閉室のお知らせ和食・洋食レストラン:�2月28日(火)の昼まで。事務局、ラウンジ:�2月28日(火)の午後3時まで。新年は�月4日(火)から事務局、ラウンジ、洋食レストランとも通常通りオープンします。和食レストランは昼のみの営業といたします。5日からは通常通り、昼・夜とも営業いたします。

<訃報> 藤原和彦会員(読売新聞出身 67歳)が��月�9日に、山田年栄会員(日本新聞協会出身 87歳)が��月22日に死去されました。謹んでお悔やみ申しあげます。

Page 24: ジャーナリズムの役割とは 日本記者クラブ会報 · 企画回数は140回。昼食会 20回、 記者会見 53回、研究会 56回、囲む会 回である。(

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2010. 12. 10 No. 490

 

これ、レッドカード(��月26日夜の問責可

決)をつきつけられたとき─ではない。それ

より前の��月�7日、参院予算委の前田武志委

員長から、こともあろうに「仙谷総理大臣!」

と呼ばれてしまったときの顔である。

 

おいおい委員長、おちょくるのもいい加減

にしてくれよ。そうでなくても俺は、出しゃ

ばり、居直り、はぐらかしなどとヤジを浴び

ているんだ─とでもこぼしている心境だろう

か、この厳しい表情は。

 

この人の失言・暴言、迷言は枚挙にいとま

なしだが、「暴力装置でもある自衛隊」とい

う妄言には唖然とするばかりだった。これは

戦後日本の左翼用語の典型だったから。

 

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの

使用はともかく、ロシアの革命家レーニンは

「国家は特殊な権力組織であり、ある階級を

抑圧するための暴力組織である」(『国家と革

命』岩波文庫)などと。それを1960年代

の左翼活動家は常套句に使った。

 

仙谷さんの発言は、うっかりミスとか言い

間違いのたぐいではない。「夢む

び寐にも忘れら

れない」というやつだ。だからこそ、つい口

に出た。

 

この人はまだイデオロギーの船酔い状態か

ら抜けでていない。生理的リズムのバランス

が崩れているのだ。

 

雀百まで踊り忘れず。DNAは怖い。

(石井 

英夫)

撮影 

長田 

栄作( 

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おさだ・えいさく

共同通信社写真部

●DNAは怖い

参議院予算委員会 11.17