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京都精華大学紀要 第三十八号 −47− フロイトのメディア選好とテレパシー 平 田 知 久 1 HIRATA Tomohisa 1. はじめに ── フロイトのメディア選好という問いの射程 限りなく素朴に見える次のような問いを、本稿の端緒としたい、──精神分析学の創始者S・ フロイトは、メディアに対するどのような選好を持っていたのだろうか。あるいはどのような 選好を持つことになるのだろうか。 一般的にこのような素朴な問いは避けられがちである。というのも、素朴な問いは答えの焦 点をぼやけさせるからだ。例えば、個人の選択には、様々な個人的素養、社会的要因が複雑に 絡むため、解を導くのが非常に難しい。そしてその解は、フロイトの個人史や精神分析学にお いてのみ意味があるようにも映るだろう。加えて、フロイトは現代メディアを選択する余地は なかった。それゆえ、仮に私たちのメディア社会を分析する参照点として、フロイトの理論を 持ち出すとしても、相応の制限が掛けられて然るべきであり、そうでなければ時代錯誤的な印 象を免れはしないだろう。 しかし、この時代錯誤を、J・デリダはあえて犯そうとする。 もし、次のような仮定をするならば、私としてはそれが指し示すとある言葉で満足しよ うと思うのですが、百年来の精神分析学的な記録保管の風景を、見違えるほどに変えてし まう地理−技術−学的géo-techno-logiqueな衝撃を、思い描いたり考えたりすることがで きるでしょう。その仮定とは、フロイトとその同時代人たち、そして彼の友人や直接の弟 子たちが、手書きの幾千もの手紙を書く代わりに、MCIやAT&Tのテレフォンカードや持 ち運びのできるテープレコーダー、コンピューター、プリンタ、ファックス、テレビ、電 子会議téléconférencese、そして何よりも電子郵便(E-mail)を使っていたならば、とい うものです。 私としては、このような回顧的なSFに、この講演の全てを割いてもよかったのですが。 あるいは、皆さんと一緒に、大きな揺らぎ後の、そしてこの揺らぎの《余波》の事後性の

フロイトのメディア選好とテレパシー - Kyoto Seika University...通とも言われる(Freud 1986=2001: 542)その量は、他のメディアに比して選好されたと判断

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京都精華大学紀要 第三十八号 −47−

フロイトのメディア選好とテレパシー

平 田 知 久1

HIRATA Tomohisa

1. はじめに ── フロイトのメディア選好という問いの射程

 限りなく素朴に見える次のような問いを、本稿の端緒としたい、──精神分析学の創始者S・

フロイトは、メディアに対するどのような選好を持っていたのだろうか。あるいはどのような

選好を持つことになるのだろうか。

 一般的にこのような素朴な問いは避けられがちである。というのも、素朴な問いは答えの焦

点をぼやけさせるからだ。例えば、個人の選択には、様々な個人的素養、社会的要因が複雑に

絡むため、解を導くのが非常に難しい。そしてその解は、フロイトの個人史や精神分析学にお

いてのみ意味があるようにも映るだろう。加えて、フロイトは現代メディアを選択する余地は

なかった。それゆえ、仮に私たちのメディア社会を分析する参照点として、フロイトの理論を

持ち出すとしても、相応の制限が掛けられて然るべきであり、そうでなければ時代錯誤的な印

象を免れはしないだろう。

 しかし、この時代錯誤を、J・デリダはあえて犯そうとする。

    もし、次のような仮定をするならば、私としてはそれが指し示すとある言葉で満足しよ

うと思うのですが、百年来の精神分析学的な記録保管の風景を、見違えるほどに変えてし

まう地理−技術−学的géo-techno-logiqueな衝撃を、思い描いたり考えたりすることがで

きるでしょう。その仮定とは、フロイトとその同時代人たち、そして彼の友人や直接の弟

子たちが、手書きの幾千もの手紙を書く代わりに、MCIやAT&Tのテレフォンカードや持

ち運びのできるテープレコーダー、コンピューター、プリンタ、ファックス、テレビ、電

子会議téléconférencese、そして何よりも電子郵便(E-mail)を使っていたならば、とい

うものです。

    私としては、このような回顧的なSFに、この講演の全てを割いてもよかったのですが。

あるいは、皆さんと一緒に、大きな揺らぎ後の、そしてこの揺らぎの《余波》の事後性の

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後での、このような別の記録保管の光景を想像してみても。というのは、我々がいるのは

そのような地点なのですから(Derrida 1995: 33-4=1996: 16)

 事後性という言葉はここでは措くとして、まずは全体をまとめておこう。フロイトとその同

時代人は、手紙を主要なメディアとして用いた。しかし仮に、彼らが電話、テープレコーダー、

コンピューター、そして何よりもE-mailを使っていたならば、精神分析学の記録保管の風景は

「大きな揺らぎ」によって全く別のものとなり、その全く別のものとは、私たちが現在そのよ

うに生き、また目撃している社会のそれである。

 むろんこのような発言は、時代錯誤的なものとして棄却されてもおかしくない。だが、デリ

ダ自身がこの想像を「回顧的なSF」と呼び、あえてそれを私たちが生きる社会と接続するな

らば、彼が賭けているものを掬い取る余地があるのではないか。本稿を貫く問いはこのような

ものである。そこで以下では、フロイトとメディアの関係をさらに詳細に論じることでデリダ

の発言のかけ金をはかり、その射程を明らかにしたい2。その過程で、フロイトのメディア選

好を問うことから始まる問題系が、フロイトの論じた「テレパシー(精神感応)」という主題

へとつながることが見えてくるだろう。

2.フロイトのメディア選好と別離(死)、あるいは情報の伝達速度と伝達確度

 まず、「19世紀中葉(1856年)から20世紀初頭(1939年)を生きたフロイト個人」という観

点からすれば、彼が関与したメディアは、例えば写真や鉄道、手紙といった、彼の人生とその

歩みを共にするように、技術的進展から実用化の可能性が高まって世界規模の拡がりを見せた

もの、さらには彼の生涯のうちに発明された電話、ラジオといった、現代に生きる私たちにと

っても馴染み深いものまで含まれる。

 そして、少なくとも以上のメディアについては、フロイトが直接に、そして積極的に関与し

た記録がある。まず、フロイトの写真は多く残っており、彼のイタリアへの鉄道旅行とそれに

続くエディプス理論の発見の経緯、およびその含意については、M・バルマリ(1986=1988)を

代表とする諸論考がある。さらに、手紙と郵便(技術)については、精神分析の誕生とその理

論的展開を語るうえで必須のものである。また、十川幸司の示唆に従えば、電話の発明後数年

も経たない1895年に、フロイトはそれを自らの診療所に設置し、さらに自らの分析技法を説明

する比喩としても用いており、1909年には映画を鑑賞している(十川 1999: 64)。そして、彼

はその最晩年の1938年に、ラジオでドイツのオーストリア併合の一報を聞くことになる(Gay

1988=2004: 714)。

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 だが他方、──手紙という例外を除いて──、フロイトはこれらのメディアについて、あま

り良い評価を下してはいないように思われる。例えば、彼は『文化への不満』において、「文

化における技術の進歩」という枠組みから「技術の進歩はわれわれの幸福可能性の問題にと

って無価値だとまで断定するのはいきすぎ」(Freud 1930=1969: 450)だと断りを入れつつも、

次のように論じている。

   距離を縮めてくれる鉄道などがなかったら、子どもが生まれ故郷から出ていくということ

もないので、したがって、その声を聞くための電話も不必要であろう。大洋航路などが開

設されていなかったら、友人は船旅には出なかっただろう、そうすれば友人の安着を知る

ための電報も不要であろう(Freud 1930=1969: 451)

 私たちはここで、三つのことに注意しなければならない。まず、上の引用で明らかに否定的

に言及されているメディアは、フロイトの人生の後半に発明され、実用化されたものだという

ことである。次に、それらのメディアが否定的に言及される理由は、物理的な距離が踏破され

ることで、諸個人にとって親密な関係にある人々の別離が、いわば反作用的に暗示されるとい

う点にあること、そして最後に、別離の極点に死(の予兆)が結び付けられているということ

である。

 とするならば、フロイトのメディアに対する態度は、アンビヴァレントなものであると言え

るだろう。なぜなら、彼にとってメディアとは、積極的に享受される対象であり、ときには自

らの理論にそれらの含意を組み込みうるものであるにもかかわらず、他方で親密な人々との別

離を、そして別離の究極としての死を暗示させるものだからである。また、メディアをメディ

アたらしめている特性の一つが、まさに物理的な距離の踏破性にあり、それが空間的・時間的

に高まることがメディアの「進歩」と呼ばれるならば、E-mailをはじめとする現代メディアに

対するフロイトの評価は、良く見積もったとしても、上のアンビヴァレントが深まったもの、

──すなわち否定的なもの──、になるだろう。

 だが、数あるメディアの中でも、手紙と郵便(技術)はフロイトにとって特権的な地位を占

める。先のデリダの指摘どおり、フロイトは膨大な量の手紙を書き送った。一説によれば2万

通とも言われる(Freud 1986=2001: 542)その量は、他のメディアに比して選好されたと判断

するに足りるものである。

 また、フロイトの手紙の資料的価値は、精神分析学の領域に限ったとしても、第二次世界大

戦によって散逸もしくは廃棄される可能性があったW・フリースとの書簡にまつわる、フロイ

トとM・ボナパルトとのやり取りが一つの「ドラマ」になるほどであり、特にフロイトとフリ

ースの間で交わされた書簡については、精神分析学の初期の理論形成において重要な役割を果

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たしたことがよく知られている(Freud 1986=2001: v-xviii)。

しかし、フロイトが選好した手紙と郵便(技術)は、どのような点において他のメディアから

区別されるのだろうか。デリダはE-mailとの比較を念頭に置きながら、フロイトにおける手紙

と郵便(技術)の重要性について次のように語る。

   郵便技術という例は、間違いなく特権を受けるに値します。まず何よりも、手書きの書簡

が精神分析学的な記録保管の中心で果たした重大で例外的な(様々な科学的計画の歴史l’

histoire des projets scientifiquesにおいても例外的な)役割という理由があります。それ

どころか、ある部分は出版されず、別の部分は秘密にされ、そしておそらく別の部分はま

た、──例えばフロイト自身によって──、根源的に、そして取り返しのつかないように

破壊された巨大な集成を露わにし、それを検討することは、いまだやめられてはいません。

ひょっとすると、精神分析学の理論的・実践的次元において、上のような制度と郵便的コ

ミュニケーションや郵便の形式、あるいはその媒体、そしてその平均速度とが結びつい

た、歴史的で偶然的ではない理由が問われなければならないのかもしれません。手で書か

れた手紙が別のヨーロッパの町に届くのには何日もかかり、このような遅れと無関係だっ

たものは何もありません。あらゆるものが、この基準のままなのです(Derrida 1995: 34-

5=1996: 17)

 デリダはここで、精神分析学の記録保管と手紙および郵便(技術)との関係を示唆しつつ、

同時に手紙や郵便(技術)が別のメディアから区別される二つの指標を提起している3。

 一つ目は情報の伝達速度である。手紙と郵便(技術)は、他のメディアに比べて「遅れて届

く」ものである。例えばE-mailに比せば、手紙と郵便(技術)による情報伝達の「遅さ」は明

白であろう。そして二つ目は、情報の伝達確度である。確かに、手紙と郵便(技術)は、フロ

イトやその近親者によって手紙が破壊・隠匿されたり、手紙が送付される過程でどこかに紛れ

てしまったりするように、他のメディアに比して情報の伝達確度は相対的に低い。他方で、再

びE-mailを例にとれば、その伝達経路の直接性や単純さから、「ある情報が意図された場所に

届く」という伝達確度は、手紙や郵便(技術)に比して高いと言うことができるだろう4。

 ただし、さらに考察されねばならないのは、情報の伝達速度と伝達確度の差異が、精神分析

学や私たちの生きる社会の記録保管の風景に、いかなる影響をもたらすのかである。このこと

に答えられなければ、デリダの指摘を、「情報の伝達速度や伝達確度に相対的な差異が存在する」

という単なる事実認識にとどめるものにしてしまうだろう。

 それゆえ、本稿で問われるべきは、フロイトが「絶対的な情報の伝達速度と伝達確度を持つ

メディア」換言すれば「絶対的な同時性と直接性を持つメディア」をどのように論じ、それを

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どのように自らの理論で扱ったかである。というのは、このことが明らかになれば、その「絶

対性」を基点として、情報の伝達速度および伝達確度(の差異)と精神分析学との関係を考察

することができるからだ。そして、そのとき注目に値するのが、フロイトの「テレパシー(精

神感応)」に関する諸論考である。

3.精神分析学とテレパシー

 フロイトはテレパシーについて『夢とテレパシー』(Freud 1922=2006)という論文を残し、

『精神分析入門』(Freud 1932=1971)の続編(第30講)として「夢と心霊術」という論考を書

いている。また、彼にはさらに刊行も発表もされなかった『精神分析とテレパシー』(Freud

[1921] 1941=2006)という、時期的にはもっとも早い論考もある。年代的にはフロイトの後期

の研究に属する3つの論考の存在は、彼にとってのテレパシーというテーマの重要性を示すも

のだろう。

 ところで、これらの論考でフロイトが提示するテレパシーに関する様々な例でも、やはり親

密な人との別離(死)が問題になっている。例えば彼は、テレパシーという現象について、次

のように言う。

   われわれがテレパシーの事実と言っているものは、ある一定の時に起こるある出来事がそ

れとほぼ同時に遠方にいる人物の意識に上るというのに、われわれが知っているような

伝達の手段がそこにはまったく見当たらないと言う事実をさしているのです。その出来

事は受信者である一方の人間がある強い感情的関心を寄せている人物に関係していると

いうことが、その際暗黙の前提となっています。つまり例えばAという人物が事故に遭う

とか、死ぬとかします。すると、その人と深い関係にあるBという人物、すなわち母親な

り娘なり愛人なりが、そのことをほぼ同じ時刻に視覚か聴覚かによって知るというわけで

す。従って、聴覚による場合はまるで電話で知らされたようなふうになるわけですが、し

かし実際はそれは電話ではなくて、いわば心の無線電信によって知らされるのです(Freud

1932=1971: 264)

 ここには、フロイトのテレパシーの定義に続いて、それが電話に比されるような、ただし電

話のようには合理的な説明がつかない同時性と直接性を持ち、親密な人々の別離(死)を暗示

することが記されている。それゆえ、フロイトにあってテレパシーとは、彼が「アンビヴァレ

ント」な態度をとったメディアのうちで、同時性と直接性の観点からすれば、もっとも範例的

なものであると言えるだろう。

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 そしてフロイトは、「テレパシーが存在するとすれば、それはどのようなメカニズムになっ

ているのか」という問いを立て、それを精神分析学の観点から説明しようとする。ここではそ

の一例として、彼が残した論考から、ある女性が弟から「お母さん、お母さん」と呼ぶ知覚を

受け取ったその時に、弟が遠く離れた戦場で戦死していた、というテレパシー的現象を引いて

おこう。そのテレパシーはもう一度繰り返され、2日後にその女性が母親と会うと、母親がひ

どくふさぎこんでいることに気がつく。その理由は、その女性が弟からのテレパシーを受け取

ったのと同日同時刻に、母親のもとに弟が「お母さん、お母さん」と繰り返し叫んで現れ出た

からだという。そこで、その女性はすぐに、自分が受け取ったテレパシーのお告げのことを思

い出す、というものである。

 この事例に対するフロイトの解釈は、次のとおりである。

   ことの成り行きはむしろ、ある日息子がテレパシーで自分に訴え出た、と母親が彼女に報

告した、ということだったのかもしれません。そうするとすぐさま彼女には、同時期に同

じ体験をしたのだという確信が発生します。そのような想い出の錯誤は、現実の源泉から

引き出されているがゆえに、強迫的なまでの強烈さをもって登場しますが、それによって

心的現実性は物的現実性に転換されることになります。想い出の錯誤のどこが強烈かと

いうと、その錯誤が姉のうちに存する母親との同一化の性向の、よい表現となりうるとこ

ろにあります。「お母さんは息子のことを心配しているけど、わたしが本当の母親なのよ。

だからあの叫びはわたしに向けられていて、テレパシーによるお告げを受け取ったのはわ

たしなのよ」(Freud 1922=2006: 339)

 この解釈では、親密な関係にある人々の別離(死)が暗示されていると同時に、母娘間の子

ども(弟)をめぐる葛藤から、女性が自らを母と同等の位置に置こうしていることが示唆され

ている。精神分析学では、このような両親と子どもの間の情愛的関係における葛藤は、エディ

プスコンプレクスと呼ばれる。すなわち、異性の親に対して求められる情愛的関係が、同性の

親とのアンビヴァレントを生み出すという過程、そして自らが異性として振る舞うことで、同

性の親に対して情愛的関係を結ぼうとすると同時に、異性の親に対するアンビヴァレントを形

成するという過程である。

 なお、エディプスコンプレクスにおける両親への情愛と葛藤は、普段は無意識的なものとし

て抑圧されており5、そのような情愛と葛藤が、現実の社会関係(の現象ないしは表象)と結

びつき、現実の様相が幾分か改変されつつ立ち現れる。精神分析学が夢に注目するのは、それ

がこのような「現れ」の場となるからであり、場合によっては、──思い出の「錯誤」として

テレパシーを受け取った女性のように──、完全に意識化されることもある。以上のようなプ

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ロセスにおいて、抑圧されたものがそれ以降の現実との関係で意味を持つという事態が、冒頭

のデリダの引用にあった「事後性」である6。そして、そのとき立ち現れた光景は記憶として

残ったり、再び抑圧されたりするという道筋を辿る。それゆえ、デリダが「精神分析学の記録

保管の風景」と呼んで問おうとしていたのは、具体的には、精神分析学における記憶について

の考え方やそのあり方、そしてまた、私たちの生きる社会における記憶についての考え方やそ

のあり方なのである。

 さらに、フロイトはテレパシーを「思考転移」(Freud 1932=1971: 269)の一つとしても語

っている。「ある人物の心の中に起こったこと、すなわちいろいろな観念や興奮状態や意志衝

動が言葉と符号という周知の伝達手段を使わずに広い空間を通ってある他の人物に伝えられう

るという現象」(Freud 1932=1971: 292)という、テレパシーとほぼ同じ定義を持つこの現象

には、精神分析技法としての「転移」が容易に読み取れる。

 元来、精神分析学における転移とは、幼少期に抑圧された両親への情愛や葛藤が、精神分

析家に差し向けられることを意味する7。精神分析家は患者からの転移を利用し、無意識的な

ものとして抑圧された情愛や葛藤が、患者の現在の現実の社会関係、──この場合は患者と精

神分析家の関係──、に結びついて起こる症状を解き明かすことで、その恢復を図る。それゆ

え、このような転移関係にある患者と精神分析家の間で交わされる情報は、抑圧されたものに

関わるという点で、「つねにすでに到来していたもの」という様相を帯びる可能性が高い。よ

って、フロイトは、精神分析学的見地からすれば、テレパシーは「その実証の困難にもかかわ

らず、それはきわめて頻繁に起こる現象だとみてさしつかえありません」(Freud 1932=1971:

293)と言う8。つまり、彼は精神分析学における治療の実践が「絶対的な情報の伝達速度と伝

達確度を持つメディア」を用いた状態に酷似すると言うのである。

 以上のことから、フロイトは、ある人物の心的過程で、抑圧されたものがそれ以降の現実と

の関係で意味を持つこと、あるいは彼の別の表現を用いれば「抑圧されたものの回帰」という

事態が、別の人物の無意識的なものへと伝達することこそが、テレパシー現象の本態である、

と帰結する。

   精神感応過程の本質は、ある人物のある心理的な行為が別の人物に同一の心理的な行為を

起こさせるという点にあるとされています。それら二つの心理的な行為の間には、ひょっ

とするとある物理的な過程があるのかもしれません。すなわち心理的なものが一方の端で

物理的な過程に変わり、その物理的な過程が他方の端で同じ心理的なものへ変わるという

ふうになっているのかもしれません。そうだとすると、それは電話で話のやりとりをする

際に見られるような転換に類似していることは明らかでしょう。もし心理的な行為に代る

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このような物理的等価物を手に入れることができたらどうでしょうか。私が申したいのは、

物理的なものと従来「心理的」と呼び習わされてきたものとの間に無意識的なものを挿入

することによって、精神分析はわれわれにテレパシーのような諸経過を想定する心構えを

させてくれたということなのです(Freud 1932=1971: 292-3)

4.フロイトのオカルティズム批判

 ただし、フロイトは上に見てきたような精神分析学によって説明されるテレパシーの存在は

認めるが、それ以外の説明、──例えば当時流行していたスピリチュアリズムにおける降霊や

霊との交信など9──、によるテレパシー的現象の存在については、これを「昔の宗教的信仰

であったり、原始人のすでに克服された信念により近い代物であったりする」(Freud [1921]

1941=2006: 291)ものとして否定する。例えば、先に挙げたテレパシー的現象の例では、フ

ロイトは母が受け取ったとされるテレパシーを考察に含めようとはせず(Freud 1922=2006:

339)、オカルト的な意味でのテレパシーの実在性について、いかなる判断もつかないと問いを

開いたままにしている(Freud 1922=2006: 342)。また、フロイトは「オカルト研究」への協

力を求められていたが、これを固辞したとも語っている(Freud [1921] 1941=2006: 293)。

 このようなフロイトの態度は、一つの科学であることを志向していた精神分析学をオカルテ

ィズムから守るという観点から見れば、至極妥当なようにも映る。事実、3篇にも上る論考を

残したフロイトのテレパシーという主題への「執着」については、彼の周囲にいた人物たちが

懸念を示し、フロイト自身も、テレパシーに執着することが、自らの仕事の妨げになっている

と訴えていたことが知られている(十川 1999: 67, 新宮(編著) 2007: 86)。

 だが、フロイトが「絶対的な情報の伝達速度と伝達確度を持つメディア」を自らの理論にお

いてどのように扱ったのかを明らかするという課題から、テレパシーをその範例として考察す

る本稿においては、彼がテレパシー的現象の説明にいかなる差異化を図ったのかを、もう少し

丁寧に見ておくべきだろう。

 フロイトは、テレパシーに関する3つの論考で、精神分析学とオカルティズムの「共通点」

について言及している。例えば、『精神分析とテレパシー』においては、

   オカルティズムへの興味の増大が、精神分析にとって脅威であるのかどうかは自明のこと

ではありません。反対に、両方の側で互いに共感を抱くようになるという時代も十分考え

られるでしょう。両方とも、公認の科学の側から同じように冷淡で倣慢な取り扱いをされ

てきました。精神分析は今日でも神秘説の疑いありとみなされていますし、それが言う無

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意識なるものは学校知識の与り知らぬ、天と地の間の事物に数えいれられています(Freud

[1921] 1941=2006: 290)

 このような、公認の科学からは認められなかったという観点から、精神分析学とオカルティ

ズムが同じ境遇にあるとする考え方は、フロイトのテレパシーに関する他の論考にも見られる

ものである。そしてここでは、精神分析学が公認とされなかった理由に、まさに無意識的なも

のの存在が挙げられている。

 他方、3つのテレパシーに関する論考において、フロイトはオカルティズムを同じ観点から

批判する。例えば、それは次のような言葉に顕著である。

   大多数のオカルト主義者を突き動かしているのは知識欲でもなければ、羞恥心──否定し

ようもない問題に向き合うことを科学はこんなにも長く忽せにしてきたという羞恥心──

でもなければ、新たな現象領域を科学の支配下に置こうという欲求でもないのです。オカ

ルト主義者はむしろすでに確信し終えているのであって、それにお墨つきをもらって、あ

からさまに自分の信仰に帰依するための正当化を求めているだけなのです(Freud [1921]

1941=2006: 291)

 ここでフロイトは、精神分析学=科学的実践、オカルティズム=宗教的信仰という、ある種

馴染みの対立を示しているのではない。というのも、彼に従えば、オカルティズムは、科学を

自らの信仰の正当化に用いるからである。それゆえ、「科学主義」を標榜していた当時の英国

心霊現象研究協会(SPR)に対する辛辣な批判とも読めなくもないこの言明は、テレパシーの

メカニズムに対する説明ではなく、テレパシーを根拠づける方法の差異を示そうとしているの

だと考えなければならない。このような文脈から、フロイトが「分析家は度しがたい機械論者・

唯物論者」であるとして、オカルティズムが浸透していた当時の社会的時流に警句を促しつつ、

次のように述べていることには注意を払っておいてよい。

   科学的探究の方法とは、オカルト主義者にとっては科学を超えてゆくためのはしごの役目

を果たすに過ぎません。あまり高くのぼったら、それこそ大変です。周りで話を聞いてい

る人々が疑いを表明してもお構いなしです。多数の人々の異論もオカルト主義者を止める

ことができません。

   ・・・分析の作業は、秘密めいた無意識にかかわるからといって、そうした価値の倒壊を免

れるだろうというのは虚しい希望です。人間に馴染みの霊たちが究極の説明を与えてくれ

るなら、分析的探求が苦労して心の知られざる力にアプローチしたところで、関心は寄せ

てもらえないでしょう(Freud [1921] 1941=2006: 293)

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フロイトのメディア選好とテレパシー−56−

 論難されているのは、霊(死者)やそのような存在が発する情報を根拠としてテレパシーの

存在を説明する方法である。その是非は措くとして、このような説明は、メディアと親密な人々

の別離(死)との関係についてのフロイトの理解とは相容れない。というのも、フロイトのメ

ディア観からすれば、親密な人々の別離(死)は、死者からのメッセージのように直接的に届

くものではなく、メディアを媒介とした情報の到達の後に、付随的に暗示されるものだからで

ある。

5.テレパシーと死の欲動

 では、フロイトはどのようにして自らの立場を、オカルティズムから区別したのだろうか。

また、フロイトが説明するテレパシーのメカニズムにおいては、いかなるかたちで親密な人々

の別離(死)が暗示されることになるのか。そのとき、フロイトがテレパシー的現象を論じる

にあたって、精神分析学を次のように自己規定していることは注目に値する。

   人間の欲望の蠢きが有する力に対し、つまり快原理の誘惑に対し、極度に不信感をもつ分

析家は、客観的な確実性に少しでも到達するためなら一切を犠牲にする覚悟ができていま

す。犠牲にされるものとは、遺漏のない理論のまばゆいばかりの威光であり、完成された

世界観を所有しているという胸の高鳴る意識であり、筋の通った倫理的行為にむけて幅広

く動機付けられているがゆえの満足感のことです。こうしたものの代わりに分析家は、断

片的な知識のかけらと、不鮮明なところがあっていつなんどき改変されるかわからない基

本的仮説とで満足します(Freud [1921] 1941=2006: 291)

 冒頭の「快原理の誘惑に対し、極度に不信感をもつ分析家」という言葉から、この一文の最

後に言及されているものが、『快原理(快感原則)の彼岸』(Freud 1920=2006)における知識

と基本的仮説であり、そこで彼が快原理に反し、その彼岸を指し示す「死の欲動」という概念

を導入したことは、周知のことであろう。それゆえ、まずもってこの文章が意味することは、

精神分析が快原理に従って「遺漏のない理論」、「完成された世界観」、「筋の通った倫理的行為」

に満足することなく、快原理の彼岸=死の欲動を勘案するものだということである。

だが、この文章にはそれに留まらない含意がある。というのは、ここでフロイトが「快原理に

従って満足している学問」として想定しているものが、公認の科学だからである。例えば、そ

れを「厳密学」(Freud [1921] 1941=2006: 290)とも言い換えながら、フロイトは、

   この厳密学の権威を献身的に防御することになんら利害をもっておりません。精神分析学

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自身は、因習的に制限され固定化されたものや一般的に認可されたものすべてに敵対して

おります(Freud [1921] 1941=2006: 290)

と語っている。よって、先の文章は、公認の科学に対する批判と差異化としても読まれなけれ

ばならない。他方で、再度想起すべきは、フロイトにとって公認の科学とは、精神分析学とオ

カルティズムを神秘説として同一視するものであったということである。だとすれば、先の文

章は、精神分析学とオカルティズムとの間の差異化を図るものとしても読まれなければならな

いだろう。

 以上のことから、死の欲動とは、テレパシーにまつわる差異化を担う論点であると言える。

そこで以下では、『快原理の彼岸』における快原理と死の欲動に関する考察を概略しておこう。

フロイトによれば、快原理とは「ある不快な緊張に刺激されて始まり、ついで、最終結果がこ

の緊張の低下に合致するように、つまり、不快を回避し快を産出するように、舵取られて経過

してゆく」(Freud 1920=2006: 55)という法則のことである。その例として、外的要因からく

る不快な緊張とその恢復については、強い光が眼球に入ったときに、すぐさま目を閉じてそれ

を遮断し恢復に努めたりすること、またフロイトが「欲動」という言葉をあてる、内的要因か

らくる不快な緊張とその恢復については、空腹や性欲の満たすことといったものが挙げられる。

『快原理の彼岸』を執筆する直前において、快原理は諸欲動を貫く精神分析学の前提となって

おり、欲動が内的要因からくる不快な緊張とその恢復を意味するものであるという点で、人間

の心的現象のすべてを司る原則ともなっていた。

 ただし、快原理は「自我の自己保存欲動の影響下で現実原理4 4 4 4

によって取って替わられる」

(Freud 1920=2006: 58 傍点は原文では隔字体)ことがある、とフロイトは言う。現実原理とは、

快原理に従う性欲動のように性急な快の産出ではなく、

   最終的に快を獲得するという意図を放棄することはないが、しかし、満足を延期したり、

満足のいろいろある可能性を断念したり、快に至る長い回り道の途上でしばしの間不快に

耐えたり、といったことを要求し、また貫徹させる(Freud 1920=2006: 58)

という原理である。だが、まさに性欲動がそうであるように、快原理が現実原理を越え出るこ

ともしばしばある。ただし、このような対立的な関係にありながらも、性欲動と自己保存欲動は、

共に不快を避けて快を産出するという点で、生命体の維持に貢献している。フロイトがこれら

二つの欲動を「生の欲動」と総称するのは、このことに由来する。

 そこから、フロイトはさらに、快原理の観点からすれば想定外のものとして「端的に不快な

こと」を反復するという事態ついて思弁をめぐらせる。例えば、戦争体験や列車事故といった

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フロイトのメディア選好とテレパシー−58−

不快なショック体験を、何度も夢10で反復するというのがそれである。また、現実に不快な行

為を繰り返すという経験も、ここには含まれる11。彼にとって、このような事態が想定外であ

ったのは、それらが性欲動と自己保存欲動に介在する不快の契機を、むしろ積極的に引き受け

ており、それゆえ欲動一般の傾向性として「より以前の状態を再興しようとする、生命ある有4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

機体に内属する衝迫4 4 4 4 4 4 4 4 4

」(Freud 1920=2006: 90 傍点は原文では隔字体)、すなわち生命以前の死

へと至る衝迫が暗示されるからである。

 そして、この時点でのフロイトは、死の欲動を自らの理論体系の中に組み入れるのか、それ

ともそれを棄却するのかを決めかねている。例えば『快原理の彼岸』の行論で、彼は何回か「死

の欲動に見えるものはやはり生の欲動かもしれない(死の欲動は存在しないかもしれない)」

という説明を行っている。だが、そのたびに翻って、死の欲動に対する別の説明を試みよう

とする12。その議論の歩みは、この論考の最後に引用される一文にあるように「跛行」(Freud

1920=2006: 125)と呼ばれてしかるべきものである。

 だが、フロイトは『快原理の彼岸』以降の様々な論考で、死の欲動を自らの理論に位置づけ、

その再体系化を図ろうとしている。そして、死の欲動をめぐるフロイトの再体系化のあり方は、

本節の冒頭の問いにとっても無関係ではない。なぜなら、再体系化が死の欲動をめぐってなさ

れるという点で、それは精神分析学とオカルティズムの差異を示すものだと考えられるからだ。

 ただし、この再体系が本稿に果たす役割はそれに留まるものではない。ここで注目すべきは、

性欲動(生の欲動)において、それに反する死の欲動が示唆されるということ、そしてエディ

プスコンプレクスの過程で抑圧される両親への情愛が、性欲動の代表例とも言える存在だとい

うことである。さらに、フロイトが説明するテレパシーのメカニズムにおいては、抑圧された

このような情愛=性欲動が、テレパシーを受け取ったという(錯誤の)思い出によって克服さ

れようとするまさにそのときに、親密な人々の別離(死)が暗示されることを、ここで思い起

こしておこう。それゆえ、死の欲動をめぐるフロイトの再体系化は、フロイトが説明するテレ

パシーのメカニズムにおいて、親密な人々の別離(死)が暗示される理由を、何らかのかたち

で説明するものであると言えるだろう。

 そこで次節では、「サディズムとマゾヒズム」に対する彼の考え方の変遷を見ながら、フロ

イトの再体系化のあり方を確認したい。なぜならフロイトにおいて、サディズムとマゾヒズム

は、まさに欲動の性格やその対象との関係を示すものであり、死の欲動の導入にあたって、も

っとも変化を被ったものだからである。

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6.精神分析学におけるサディズムとマゾヒズム

 フロイトは、死の欲動を論じる以前は、性欲動の特性として、それが制圧的に、破壊的

に、あるいは攻撃的に愛する対象に向けられる様を「サディズム的」と呼び、この種の対象

が断念されなければならなくなったときに、性欲動が反転して自らの自我を対象として引き

起こされる二次的なサディズムのことを「マゾヒズム」と呼んでいた(Freud 1920=2006: 112,

1923=2007: 24)。

 だがフロイトは、死の欲動に対する考察を踏まえて、サディズムとは本来、死の欲動に由来

すると仮定した方がよいのではないかと自問する(Freud 1920=2006: 111)。すなわち、ある

人間個体に存する死の欲動が、自らに向けられた生の欲動としての性欲動によって、別の対象

へ向かうように反転を被ったものが、本来のサディズムではないかと考えるのである(Freud

1920=2006: 111)。そこでフロイトは、二次的なサディズム=マゾヒズムという見解を撤回

し、人間個体に存する死の欲動から「マゾヒズムはまた第一次的なものでもありうるだろう」

(Freud 1920=2006: 113)と言う。

 さらにフロイトは、『マゾヒズムの経済論的問題』(Freud 1924=2007)と題された論考で、

このようなサディズムとマゾヒズムに関する理解を洗練させ、精神分析学の諸概念との連関を

図ろうとしている。なぜなら、彼はその論考で、マゾヒズムに「性源的4 4 4

、女性的4 4 4

、道徳的4 4 4

」(Freud

1924=2007: 288 傍点は原文では隔字体)という三つの段階的4 4 4

区分を設け、それを生の欲動と死

の欲動の交錯からエディプスコンプレクスの克服までの諸側面に対応させようとするからだ。

 まず、性源的マゾヒズムとは「ある条件下でのみ生ずる性的興奮」(Freud 1924=2007:

288)であるとされる。フロイトに従えば、その発生プロセスは次の二つである。まず、リビ

ードLibedoすなわち生の欲動13が人間個体に備わっている死の欲動を外的対象へと向かうよ

うに転じさせる際に、その一部が有機体の内部に留まる。なお、このとき外に向かわされた

欲動は、愛する両親を対象とする「原サディズム」(Freud 1924=2007: 293)になる(Freud

1924=2007: 298)。次に、有機体の内部に留まった死の欲動が生み出す苦痛と不快が、生の欲動

によって回避され快を産出するように仕向けられる際に、性的な興奮と結び付けられる(Freud

1924=2007: 292)。

 このような、生の欲動と死の欲動の間に生まれる、特異なプロセスにおいて、「苦痛快」(Freud

1924=2007: 289)として生成したものが性源的マゾヒズム14であり、それは続く「他の二つの

形態の基礎」(Freud 1924=2007: 289)をなすものである。というのも、女性的マゾヒズムは、

性源的マゾヒズムの発生に際して、「外に向けられ投射されたサディズムあるいは破壊欲動が

ふたたび取り込まれ、内に向けられ・・・以前の状況に組み入れられ」(Freud 1924=2007: 293)

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フロイトのメディア選好とテレパシー−60−

て発生するからである。それゆえ、女性的マゾヒズムは、死の欲動の考察以前に「二次的サデ

ィズム」と呼ばれたものとほぼ等価なものであり、「猿ぐつわをかまされ、殴られ、殴打され

・・・」(Freud 1924=2007)といったマゾヒズム的空想が、自らにおいて実現することを欲する。

 さらにフロイトは、男性マゾヒストを例にとりつつ、このマゾヒズム的空想の特徴の一つが、

──まさにそれが「女性的」と形容される理由でもあるが──、「その人物を女性的なものの

特徴を示す状況に置くこと、すなわち去勢され、交接され、または子供を産むことを意味して

いること」(Freud 1924=2007: 290)にあると言う。ここですぐさま気づかれてよいのは、こ

の特徴がエディプスコンプレクスの過程の一つとしても読まれうることである。というのは、

このとき男性マゾヒストは、自らが異性(この場合は女性)として振る舞うことで、あるいは

異性の親へと同一化することによって、同性の親(この場合は父)に対して情愛的関係を結ぼ

うとしているからだ。ただし、女性的マゾヒズムにあっては、情愛的関係を結ぼうとするものが、

原サディズムの対象であった愛する両親の形象であり、それが自らの内に取り込まれたサディ

ズムや破壊欲動の基点ともなっている。つまり、このような「マゾヒズムの苦悩には、それら

の苦しみが愛する人によって加えられる、あるいは、その愛する人の命令に従って苦しみに耐

えるという条件が伴う」(Freud 1924=2007: 294)のである。

 他方、フロイトは、女性的マゾヒズムの空想のもう一つの特徴として「罪責感」、すなわち

「当人が何か悪いこと(それが何であるかはっきりしないままである)を犯し、その罪を、あ

りとあらゆる苦痛を伴う、責め苛む手続きによって償わなければならないと考えられている」

(Freud 1924=2007: 291)ことを挙げ、その空想が「マゾヒズムの第三の形態、すなわち道徳

的形態に転じる」(Freud 1924=2007: 291)と言う。道徳的マゾヒズムとは、フロイトに従え

ば「無意識の罪責感」(Freud 1924=2007: 295)によって自我が苛まれるという状態のことを

指す。ただし道徳的マゾヒズムの場合、自我を責め苛む担い手は愛する人でなくてもよい。そ

ればかりか、苦悩を科するのが「愛する人なのか、あるいは誰でもいい他人なのかは全く問題

ではない。それが非人格的な力あるいは境遇によって引き起こされたものでもよい」(Freud

1924=2007: 294)とされる。

 では、この転換はどのようにして起こるのか。それは、エディプスコンプレクスの克服の過

程に相当する、次のような一連のプロセスである。すなわち、エディプスコンプレクスの克服

においては、禁止を担う権威あるいずれかの両親15への同一化によって、両親への情愛と葛藤

が抑圧される。ただし、その抑圧が十全に果たされるためには、抑圧されたということも抑圧

されるのでなければならない。なぜなら、抑圧の基点が自らに知れるならば、再び葛藤状態に

引き戻されるからだ。

 このようにして、両親への情愛と葛藤は抑圧され「脱性愛化」されるが、そのとき、意識化

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されない何ものかが両親への情愛を禁止し、それに自我が従っているという事実は残り続け

る。このような、無意識的な禁止を自我に対して発することになる「何ものか」に、フロイト

は「超自我」という言葉を当て、それが個人の良心や道徳を司るものになると述べる(Freud

1923=2007: 31)。道徳的マゾヒズムとは、超自我から発せられる禁止に従属すること、すなわ

ち無意識的な罪責感へと従属することに快を見出し、さらに禁止を受けるべく「目的に合わな

いことを行い、自らの利益に反する仕業をしでかし、現実の世界において開かれているチャン

スを台無し、時として自分の生存そのものを無に帰さなければならない」(Freud 1924=2007:

299)ような状況を欲することを指すものである。

7.フロイトの再体系化とテレパシー

 以上のことから、死の欲動をめぐるフロイトの再体系化のあり方とは、自らの内部で前提に

なっているものと、その前提に由来する自身にとって違和的なものの双方を維持しつつ、矛盾

なく体系化できるように自らを変容させていく、というものであると言えるだろう。そして、

このような再体系化のあり方を、①フロイトのテレパシーに対する説明と、②フロイトが提示

するテレパシー的現象の例において、テレパシーを受け取ったと(誤認)する女性の心的過程

に適用することによって、精神分析学とオカルティズムとの間の差異と、フロイトが説明する

テレパシー的現象のメカニズムにおいて、親密な人々の別離(死)が暗示される理由を説明す

ることができる。以下では、このことについて詳しく論じていこう。

 まず、死の欲動をめぐるフロイトの再体系化において前提となっていたものは、「快原理が

諸欲動を貫くこと」であり、この前提が意味するのは「あまねく欲動が快の産出をめざすこと」

である。そして、フロイトのテレパシー現象に対する説明における、この前提の対応物は「テ

レパシーが存在するとすれば」というフロイトの仮定であり、それが意味するのは、むろん「あ

らゆるものがテレパシーで交信しうるならば」ということであろう。そして、女性の心的過程

における同じような対応物は、先の仮定が現実化されたもの、すなわち「母が子ども(弟)か

ら母を呼ぶテレパシー受け取ったという記憶」だと言える。

 以上のような条件の下で、フロイトの再体系化の過程においては、先の前提に由来する自身

にとって違和的なもの、例えば快原理の性質を部分的に持ちながら、その性質に反するような

傾向性を有する死の欲動が示唆される。よって、フロイトのテレパシーに対する説明における

このような存在には、あらゆるものがテレパシーで交信しうるならば、と仮定したことそれ自

体から、少なくともそのように仮定した4 4 4 4 4 4 4 4 4

という点で、それを疑っていること(つまり、真にあ

らゆるものがテレパシーで交信しうるならば、そもそもそのような仮定は必要がないというこ

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と)が示唆されると考えることができる。そしてそのような示唆の担い手は、フロイト(の精

神分析学)となり、それゆえ彼は、テレパシーの実在性について、問いを開いたままにせざる

をえなかったのである。また、自らの「信仰」のための科学的説明を必要としているという意

味では、オカルティズムも本来はこのような示唆を受けていると言えるだろう。そして、女性

の心的過程において、母が子どもから母を呼ぶテレパシーを受け取ったという娘の記憶から示

唆されるのは、テレパシーが存在するにもかかわらず、自分を含む他の人は弟からその人を呼

ぶテレパシーを受け取らなかったということであり、娘はそのような認知を持つことになろう。

 さらに、フロイトの再体系化の過程では、快原理が諸欲動を貫くこと、換言すれば生の欲動

の存在と、死の欲動の存在の双方を維持しつつ、矛盾なく体系化できるように自らを変容させ

ていくのであった。前節でサディズムとマゾヒズムを経由しつつ確認したのは、まさに二つの

欲動をめぐる精神分析学の理論変容の過程である。このことについて、フロイトのテレパシー

に対する説明におけるこのような変容は、彼のテレパシーに関する三つの論考を比較した場合、

そこで扱われる精神分析学の中核概念の数や、それらに関連付けられながらテレパシーが語ら

れる割合が段階的に増えていくことが、その具体例となる16。つまり、フロイトは、テレパシ

ーの実在性については問いを開いておくが、自らの理論のうちで、テレパシー的現象の説明に

供しうる部分については、それらがテレパシー的に機能したり、テレパシーに関係したりする

ものとして論じていくのである。例えば『快原理の彼岸』の執筆以前に、フロイトはある技法

論において、「病者の無意識が供与してくれるものに対して、医師は自分の無意識を受容器官

として差し向け電話の受話器が支持台に合わせられるように、分析者に自分を合わせなければ

ならない」(Freud 1912=2009: 252)と述べている。この技法上の注意の21年後に、テレパシ

ーのメカニズムの説明が付け加えられたものこそ、第3節の最後に引用したテレパシーに関す

るまとめである、と言ってもそれほど無理な主張ではあるまい。他方、オカルティズムは、あ

らゆるものがテレパシーで交信しうるということに対する疑念を、究極的には霊を実体化させ

ることで解決=解消する。それゆえ、精神分析学とオカルティズムの差異は、まさに自らの変

容可能性を認めるか否かという点にあるのだ。

 では、女性の心的過程における変容は、どのようなかたちで起こるのだろうか。まず、「母

が子ども(弟)から母を呼ぶテレパシー受け取ったという記憶」と「テレパシーが存在するに

もかかわらず、自分を含む他の人は弟からその人を呼ぶテレパシーを受け取らなかったという

認知」は、抑圧された同性の親との葛藤(と異性の親への愛情)を強く喚起するものだという

ことに注意を払っておこう。それゆえ、女性の心的過程には、そのような記憶や認知をもとに

して、母娘間の葛藤において自分が勝つか、あるいは少なくとも引き分けるような認識がもた

らされる可能性がある。そこで、フロイトの再体系化の条件に則り、先の記憶と認知が書き換

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えられることなく、娘が勝つか引き分けるかするような認識が成立する可能性を考えてみよう。

そのとき「母も確かに子どもから母を呼ぶテレパシーを受け取ったが、同時に娘である私も弟

から自分を母と呼ぶテレパシーを受け取った」という認識が成立する余地が、論理的には残さ

れている。そしてそのとき、弟が姉のことを母と呼んでいるということに暗示されるものが「も

し姉と弟が直接対峙しているとすれば、このような間違いは起こらないのではないか」という

感覚であり、それこそが親密な人々の別離(死)の形象なのである17。

8.おわりに ── 初発の問いをめぐって

 最後に、デリダの問いから導かれた本稿の初発の課題、すなわち、情報の伝達速度と伝達確

度の差異が、精神分析学と私たちの生きる社会における記憶についての考え方やそのあり方に

いかなる影響をもたらすのか、という課題に答えるために、フロイトが死の欲動を自らの理論

に取り入れることによって、自らの理論が被った変化について次のように述べていることを確

認しておこう。

   どのような道筋を辿り、どのような手段によって、死の欲動がリビード〔生の欲動〕に飼

い馴らされるに至るのかについて、生理学的に理解する手立てを、われわれは一切有して

いない。精神分析の思考圏内でわれわれがもつことができるのはただ次のような仮説だけ

である。すなわち、両種の欲動が、さまざまな割合で実にさまざまなかたちで混合し、結

合している。その結果、われわれはそもそも死の欲動や生の欲動を、その純粋な姿ではなく、

それらの種々異なる混合体として見積もるほかないということである(Freud 1924=2007:

292 〔 〕内は引用者の補足)

 精神分析学の前提であったはずの生の欲動は、死の欲動をめぐる再体系化の過程で、純粋な

かたちで把持できるものではなくなったことが分かる。ただし、このことは生の欲動と死の欲

動が不可知になったということを意味するものではない。例えば、二つの欲動の傾向性の混合

の結果である性源的マゾヒズムは、「生命にとってきわめて重要な死の欲動とエロース〔生の

欲動18〕との合金が生じた形成場面の証人であり、名残」(Freud 1924=2007: 293 〔 〕内は引

用者の補足)として分析の対象となりうるからである。

 ところで、精神分析学における人間の心的構造のモデルであり、また記憶構造のモデルでも

ある「心的装置」もまた、『快原理の彼岸』を境に決定的な変化を被った。すなわち、それ以

前は知覚を受け取る側から順に「意識」「前意識」「無意識」という区別を基本的な構造として

いたものが、以降では順に「自我」「エス」「超自我」という区別になる19。そして、後者の心

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フロイトのメディア選好とテレパシー−64−

的装置の構造化は、まずは欲動の働く場としてのエスがあり、自我はエスと地続きになってい

るものの、他方で知覚系と結びつくことによってエスから分化して発生し、自我がエスの中に

取り込んだ人格の形象がエディプスコンプレクスの過程で超自我となる(Freud 1923=2007:

18-30)、という三つの段階で進む。それゆえその構造化は、第6節で確認した、死の欲動をめ

ぐる再体系化における三つの段階に対応している。

 そして、前者と後者の心的装置を比較する際に、後者において純粋なかたちでは把持できな

くなる混合体は、思い出せるものと容易には思い出せないもの、つまり記憶にかかわるもので

あり、その混合のあり方を読み解く鍵が抑圧(抵抗)になる。というのは、『快原理の彼岸』

以前の心的装置では、思い出せるもの/容易に思い出せないものという区分が、意識と前意識

/無意識という区分に合致し、その区分が抑圧(抵抗)の有無として考えることができたのに

対して、それ以降の心的装置では、自我/エスという区分が、意識的なもの4 4 4 4

/無意識的なもの4 4 4 4

という区分に対応し、エスの内部に思い出せるもの/容易に思い出せないものという区分、す

なわち抑圧(抵抗)が置かれるからである。つまり、後者においては、抑圧されていない無意

識的なものとして、自我と地続きになっているエス(エスと地続きになった自我)が想定され

ることになり、そのとき、ある記憶のどの部分が抑圧されたものであるのかそうでないのか、

あるいは治療過程において、それまで意識化されなかったものが抑圧されたものであるのか否

かを、一義的には決定できなくしてしまう。そこで残されている方途こそ、記憶の各部分の抑

圧(抵抗)のあり方を分析することなのである。

 さて、ここで想起すべきは、フロイトが説明するテレパシーのメカニズムにおいて、「同時

に娘である私も弟から自分を母と呼ぶテレパシーを受け取った」という認識は、抑圧されたも

のや現実の社会関係(の現象ないしは表象)、さらには親密な人々の別離(死)の形象といっ

たものの混合体であり、精神分析家がその認識を、抑圧(抵抗)を鍵として読み解く場合には、

いったんはそのすべてを現実のものとして受け取らなければならないということである。それ

ゆえ、テレパシーという絶対的な伝達速度と伝達確度を持つメディアは、精神分析学における

記憶についての考え方やそのあり方を、一時的にではあれ不分明なものにすると言えるだろう。

また、このテレパシーの絶対性を基点として、手紙や郵便(制度)を選好したフロイトの精神

分析学が、E-mailや電話を用いたとすれば、記憶についての考え方やそのあり方に、一時的に、

相対的にではあれ、不分明な部分をもたらすことになると考えることができる。

 他方、デリダによれば私たちの生きる社会は、いまだに手紙や郵便(技術)の基準で構成さ

れているのであった。だがそこでは、すでに手紙や郵便(技術)に比してより高度な情報の伝

達速度と伝達確度を有するメディアが登場し、それらは社会の構成物として受容され始めてい

る。

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 よって、デリダは、私たちの生きる社会が想定する以上の伝達速度や伝達確度をもつメディ

アを受容しつつあるという現状が孕む問題を、ここまでに見てきたようなフロイトの再体系化

を通して考えることを提案していたのだと言える。そのとき、E-mailが「前代未聞のリズムや

擬似瞬間的な方法」(Derrida 1995: 35=1996: 17)で作動していることに対する、次のようなデ

リダの問題指摘は、私たちの生きる社会における記憶についての考え方やそのあり方が、不分

明になる可能性を示すものだと考えられる。

   私は次のようなより重要で明白な理由から、E-mailという例を特権視するでしょう。とい

うのも、今日の電子郵便は、ファックス以上に、人間のあらゆる公的・私的空間を変形させ、

そして何より私的なことや(私的あるいは公的な)秘密と、公的なことや現象の境界を変

形させる見込みがあるからです。(Derrida 1995: 35=1996: 17)

 そしてそれゆえにこそ、──あるいは、時代錯誤という評価に抗しつつ言えば──、まさに

私たちの生きる社会においてこそ、精神分析学が要請されているとも言えるだろう。その必要

性は、もしフロイトが説明するテレパシーのメカニズムの空間に、精神分析家がいなかったら、

つまり、その空間から「一時的にではあれ」という留保が取り除かれてしまったら、と想像す

るだけでも分かる。

 ただし、そのとき必要とされる精神分析学に求められる課題も大きい。なぜなら、そのよう

な精神分析学には少なくとも一つの条件、すなわち自らの再体系化を厭わない、という条件が

付されることになると考えられるからである。

1 京都大学大学院文学研究科研究員(グローバルCOE)[email protected]

2  このような問い立ては、本稿が初めてではない。十川幸司は先のデリダの引用から、極めて興味深い

(反)精神分析論を展開している(十川 1999)。

3  ここには、「なぜフロイトは手紙と郵便(制度)を選好したのか」という問いも伏在しているが、この

ことについては別稿で改めて論じることにする。

4  むろん、E-mailにおいても、アドレスの記入ミスなどによってメールが正しく送られない可能性は存

在するが、それは単純な人為的ミスである。実際、正しくアドレスが指定されれば、E-mail(情報)

は必ず届く。だが、手紙においては、正しく住所が書かれていたとしても、それが配達される過程で

の技術・制度的な問題から、間違った場所に届けられたり、紛失されたりする可能性がつねに残る。

5  二重のエディプスコンプレクス、およびここでの抑圧についての考え方については「自我とエス」

(Freud 1923=2007: 28)を参照。フロイトはそこで、前者のエディプスコンプレクスの過程を「表」

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フロイトのメディア選好とテレパシー−66−

と呼び、後者の過程を「裏」と呼んでいる。

6 このような「事後性」の解釈については、信友建志の論考が参考になる(信友 1999)。

7  転移のこのような解釈については、「精神分析入門(続)」の第27講「感情転移」(Freud 1932=1971:

164-90)を参照。

8  十川は自らの治療経験から「そこ〔分析治療中〕においては通常の対話よりも偶然の一致というもの

が生じやすい。それはあたかもそこにテレパシーでも働いているかのようにである」(十川 1999: 68-9

〔 〕内は引用者の補足)と述べている。また、フロイト自身も、H・ドイチュの例を引きながら、分

析中にテレパシー的現象が発生していることを論じている(Freud 1932=1971: 391)。

9  以下の英国スピリチュアリズムに関する記述については、J・オッペンハイム(Oppenheim

1985=1992)の論考に負っている。

10  先にも述べたとおり、精神分析学において、夢は抑圧されたものの回帰が起こる場として考えられて

おり、その意味で快原理が貫徹される場でもあった。このことについて、もちろんその夢の内容が夢

を見た本人にとって不快な場合もある。だが、それも抑圧されたものの観点から見れば充足(快)を

受けている、というのがフロイトの基本的な考え方である。

11  例えばその代表例は、フロイトの孫の有名な「糸巻き遊び」である。それは、母親を意味するおもち

ゃを投げて、糸で手繰り寄せることを繰り返すというものであるが、フロイトの解釈によれば、この

遊びは、自分から母親を遠ざける(別離させる)という不快を反復するものである。

12  例えばフロイトは、災害神経症者の夢が災害の情況に当人を連れ戻すのは、快原理に従って当該情況

の不快の克服をやりなおそうとしているのだ、というもっともらしい仮説を提示する。だが、フロ

イトはそれでは不十分だとばかりに、快原理の裏面で働く欲動の傾向性の存在を仮定しようとする

(Freud 1920=2006: 85)。

13  フロイトはここでの性源的マゾヒズムの説明において、生の欲動ではなく「リビード」という言葉を

用いている。リビードという言葉は、元来性欲動に備わったエネルギーを指すが、フロイトの理論に

おける性欲動それ自体の位置付けがその時期や論考の対象によって様々に変化するため、リビードに

一義的な定義を与えることは難しい(Chemama and Vandermersch (ed.) 1998=2002=529-31)。ただし、

この論考における生の欲動とリビードは、次のことが念頭に置かれる限りで等価なものと考えてよい。

すなわち、リビードは性欲動のエネルギーであり、生命体の維持に貢献するものであるということで

ある。事実、フロイト自身も、この論考の冒頭で、生命の維持を担うのは「生の欲動すなわちリビード」

(Freud 1924=2007: 289)であると述べている。

14  それゆえ、フロイトは、「いくつかの不正確な点を度外視するならば」と断りを入れつつも、サディズ

ムとマゾヒズムの同根源性に言及している(Freud 1924=2007: 293)。

15 ただし、フロイトにあってこの位置を占めるのは、しばしば父の方である。

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京都精華大学紀要 第三十八号 −67−

16  なお、このことについて、フロイトのテレパシーに関する最初の論考である『精神分析とテレパシー』

の翻訳者の須藤訓任が、テレパシーに関する最後の論考である「夢と心霊術」とを比較して、「このよ

うなテーマを論ずることについてもはや疑念を示さなくなっている」と述べていることは注目される。

17  このことは、単にこの事例に限られることではない。と言うのは、抑圧されたものをテレパシーによ

って充足させようとすれば、そこに立ち現れる光景には、両親への情愛が十全に貫徹されなかった原

因である葛藤が付随し、そのような葛藤を産み出す基点として取り込まれたいずれかの両親の形象そ

れ自体には、そもそも生命体の内部に存した死の欲動が外に向けられ、サディズムあるいは破壊欲動

という性質を帯びることになった性欲動が、その対象を断念したということが付随することになると

考えられるからである。

18  タナトス=死の欲動に対置されるエロースは、生の欲動の総体を意味する言葉であるが、生の欲動に

性的次元が存在することを積極的に指し示すために使用される(Chemama and Vandermersch (ed.)

1998=2002=40)。

19  フロイトは『自我とエス』において、「超自我は、たえずエスの近くにあって、自我に対してエスの

代役をつとめることができる。それはエスの奥深くに潜り込んでおり、したがってその分だけ、自我

と比べて、意識から遠くはなれている」(Freud 1923=2007: 48)という位置づけを行っている。また

彼は、『精神分析入門』の第31講においては、超自我をより自我に近い方に位置づけている(Freud

1932=1971: 326)。

文献一覧

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(2010年5月10日受稿/ 2010年11月9日受理)