9
Tsutsui Working-Paper-Plus Essays A 感性と対話 Senses and Narratives 1(1) 2018 38 エッセイ A フロリデーション(水道水フッ化物濃度調整法)の歴史 筒井 昭仁 *1 抄録: 水道水フロリデーションは、水道水中のフッ化物濃度をむし歯予防のために適切に保つ方法であり、日本 を除く多くの国で実施されている。フロリデーション実施中の水道水の利用は、社会経済格差を超えて、子どもと 大人の歯をともに強化し、むし歯を予防している。 フッ素は地球環境に存在する元素の 1 つであり、 19 世紀初頭、水道水フロリデーションの歴史はヒトの健康にと って害あるものとして始まった。 今回の総説では、水道水フロリデーションの歴史を疫学的な観点から整理した。日本でも 1950-60 年代に水道水 フロリデーションが導入されたが、現在では未実施である。最近日本では、健康格差が顕著になってきた。歯磨き などの個人口腔衛生だけではなく、公衆衛生施策としての水道水フロリデーションの実施も検討すべきであると考 える。 [ 感性と対話 1(1) 38-46, 2018] Key words:水道水、フロリデーション、フッ素、口腔衛生、むし歯予防 *1 NPO 法人ウェルビーイング附属研究所、大名、中央区、福岡市、Japan 連絡先: E-mail[email protected] はじめに フッ化物とヒトの関わりは100年ちょっと前の「困ったこと: 斑状歯」から始まった。 「困ったこと: 斑状歯」を解決するために生活する人々の日常が調査され、原因が、人類の 歴史以前から地球環境に存在している自然の元素: フッ素であることがわかった。飲み水の “過量のフッ化物” が「困ったこと: 斑状歯」をもたらしていたのである。以降、多くの研 究が積み重ねられ、「困ったこと: 斑状歯」の解決が図られた。加えて「良いこと: むし歯予 防効果」という有益性が発見され、ヒトの健康のために利用されるに至ったのである。 新規の薬(化学物質)の開発が、「化学的な合成→動物実験→ヒトを対象とする臨床研究→ 一般のヒトへの応用」といった手続きで行われるのに対して、フッ化物利用は全く異なる経緯、 すなわち、「自然の元素」と「人々の日常生活」の関係の中でみつけられたのである。 Working Paper Plus

フロリデーション(水道水フッ化物濃度調整法)の歴史 筒井 …...Tsutsui Working-Paper-Plus Essays A 感性と対話 Senses and Narratives 1(1) 2018 40 している6)。

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Tsutsui Working-Paper-Plus Essays A

感性と対話 Senses and Narratives 1(1) 2018

38

エッセイ A

フロリデーション(水道水フッ化物濃度調整法)の歴史

筒井 昭仁*1

抄録: 水道水フロリデーションは、水道水中のフッ化物濃度をむし歯予防のために適切に保つ方法であり、日本

を除く多くの国で実施されている。フロリデーション実施中の水道水の利用は、社会経済格差を超えて、子どもと

大人の歯をともに強化し、むし歯を予防している。

フッ素は地球環境に存在する元素の 1 つであり、19 世紀初頭、水道水フロリデーションの歴史はヒトの健康にと

って害あるものとして始まった。

今回の総説では、水道水フロリデーションの歴史を疫学的な観点から整理した。日本でも 1950-60 年代に水道水

フロリデーションが導入されたが、現在では未実施である。最近日本では、健康格差が顕著になってきた。歯磨き

などの個人口腔衛生だけではなく、公衆衛生施策としての水道水フロリデーションの実施も検討すべきであると考

える。

[ 感性と対話 1(1) 38-46, 2018]

Key words:水道水、フロリデーション、フッ素、口腔衛生、むし歯予防

*1 NPO 法人ウェルビーイング附属研究所、大名、中央区、福岡市、Japan

連絡先: E-mail: [email protected]

はじめに

フッ化物とヒトの関わりは100年ちょっと前の「困ったこと: 斑状歯」から始まった。

「困ったこと: 斑状歯」を解決するために生活する人々の日常が調査され、原因が、人類の

歴史以前から地球環境に存在している自然の元素: フッ素であることがわかった。飲み水の

“過量のフッ化物” が「困ったこと: 斑状歯」をもたらしていたのである。以降、多くの研

究が積み重ねられ、「困ったこと: 斑状歯」の解決が図られた。加えて「良いこと: むし歯予

防効果」という有益性が発見され、ヒトの健康のために利用されるに至ったのである。

新規の薬(化学物質)の開発が、「化学的な合成→動物実験→ヒトを対象とする臨床研究→

一般のヒトへの応用」といった手続きで行われるのに対して、フッ化物利用は全く異なる経緯、

すなわち、「自然の元素」と「人々の日常生活」の関係の中でみつけられたのである。

Working Paper Plus

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Tsutsui Working-Paper-Plus Essays A

感性と対話 Senses and Narratives 1(1) 2018

39

第Ⅰ期:記述疫学

斑状歯の流行と原因調査の時代

フッ化物とヒトのかかわりについての最初

の報告は、イタリアにおけるある風土病であ

った。

1901年、・ナポリ駐在のアメリカの検疫官イ

ーガー(Eager JM)1)が、ナポリの港(図1,

①)からアメリカヘ出発する移民に黒色歯や傷

のある歯(Chiaie teeth)が目立つことを報告している。原因については、ベスビオ火山(図

1, ②)に影響を受けた泉の水の飲用らしいことなどを記述している。

1910年代になり、米国の歯科医師マッケイとブラック(McKay FS, Black GV)2,3)は、コロ

ラド州コロラドスプリングス(図2, ③)を中心とする中西部一帯に斑(まだら)模様を呈す

る歯(斑状歯: mottled teeth)の流行がみられることに注目し、原因を探るための広範な調

査を開始した。その結果、斑状歯は、

特定の水源利用者に限局していた。

そこで生まれ育った者のみにみられた。

永久歯の萌出が終わってからの新規転入者にはみられなかった。

斑状歯流行地域ではむし歯が少なかった。

を報告している。しかし、原因は、「飲料水中のなんらかの物質」というところまではわかっ

たものの、当時の水の分析技術では、これ以

上は無理であった。なお、これらの調査結果

から、斑状歯が流行しているアイダホ州オー

クレー(図2, ④)の行政に対して水道水の水

源変更を指導し、斑状歯の発生予防に成功し

ている4)。ちょうど、この半世紀前の1854年、

英国ロンドンで500人規模の死者を出した原

因不明の疫病(後に、コレラとわかった)の

調査を行い、原因と思われる井戸を特定し、

ポンプの柄を取り去ることによって流行を終

息させた疫学研究の祖スノウ(Snow J)の仕事5)に匹敵する内容である。

1930年代になると、鉱山技師であったチャーチル(Churchill HV)が斑状歯の流行している

アーカンサス州ボウアイト(図2, ⑤)の水を分析し、13.7ppmという高濃度のフッ化物を検出

図 2 フロリデーション歴史地図-米国

図 1 フロリデーション歴史地図-イタリア・ナポリ

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感性と対話 Senses and Narratives 1(1) 2018

40

している6)。同時期、スミス(Smith MC)、ベル−(Velu H)らも、斑状歯流行地域の飲料水中

のフッ化物濃度が異常に高いことを報告している。また、飲料水中のフッ化物濃度の測定から、

濃度と斑状歯の症状(軽症〜重症)が関連していることもわかってきた7)。ラットなどの動物

に実験的に高濃度のフッ化物を含む水を飲用させ、斑状歯が発生することも確認されている8)。

以上の結果から、疫学の因果関係証明の5つの要件である関連の①強固性、②一致性、③時

間性、④特異性、⑤整合性が揃い、斑状歯の原因が飲料水中のフッ化物であることが特定され

た。“斑状歯” という症状を主体にしていた名称は “歯のフッ素症(dental fluorosis)”

と、原因を反映した名称に改められた。

第Ⅱ期:分析疫学

飲料水中フッ化物濃度と歯のフッ素症、

むし歯有病状況の関係に関する疫学研究の時代

1930年代、米国国立衛生研究所(NIH)(図2, ⑥)のディーン(Dean HT)は、歯のフッ素症

を正常から重症を、正常: normal, 疑問型:

questionable, 極軽度: very mild, 軽度: mild,

中等度: moderate, 重度: severe(外見上困る症

度は中等度と重度)の6段階に分類する基準(別表

参照)を作成9)し、歯のフッ素症の流行予防を主

目的とする広範な疫学調査を開始した。この調査

では歯のフッ素症流行地域にはむし歯が少ない

というマッケイ、ブラックの情報にもとづきむし

歯有病状況についても調べている。調査対象は、

水道水中フッ化物濃度の異なる21地域の永久歯が

生え揃った12〜14歳の7,257人であった(図3)。

その結果が図4-1, 2にまとめられている10, 11, 12)。図4-1は、横軸の対象地域の水道水中フッ

化物濃度と歯のフッ素症の症度別の発現頻度(%)が色分けして描かれている。同時に一人平

均の永久歯むし歯本数が破線で示されている。図4-2は、歯のフッ素症について、外見上困る

症度(中等度と重度)だけを抜き出したものである。この疫学調査から、研究の主目的であっ

た外見上困る歯のフッ素症(中等度と重度)は、フッ化物濃度1.8ppm以上で発現していること

がわかった。さらに、副産物として、フッ化物濃度が0から1ppm付近の間で、むし歯が急勾配で

少なくなるという大変有益なデータも得ることができた。

図 3 米国の斑状歯の流行が報告された地域

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感性と対話 Senses and Narratives 1(1) 2018

41

図4-1 水道水フッ化物濃度と歯のフッ素症、むし歯 図4-2 水道水フッ化物濃度と歯のフッ素症

(moderate, Severe)、むし歯

以上の歯のフッ素症の流行状況とむし歯有病状況に関する調査結果をふまえ、ディーンは以

下の結論を導き出している13)。

飲料水中フッ化物濃度が1ppm以下であれば歯のフッ素症の流行がなく、1ppm前後のフッ

化物を含む飲料水は、むし歯の発生を大きく抑制する。

ここに、①歯のフッ素症流行予防の方法が確立すると同時に、②現状のむし歯が半分以下に

なるという新しいむし歯予防の方法が発見された。

これらの飲料水中フッ化物濃度と歯のフッ素症、むし歯の関係については、英国(図5)14)、

日本(図6)15)などでも同様の結果が確認されている。

図5 水道水フッ化物濃度と歯のフッ素症、むし歯-英国

*地域歯のフッ素症指数(CFI): 歯のフッ素症有病状況

から計算され、地域の歯のフッ素症の流行状況を診断す

る指数。

0.4以下-問題なし、0.4〜0.6-境界域、0.6以上-外見上

困る歯のフッ素症(中等度と重度)が流行しており、水

源を見直す必要がある13)。

図6 水道水フッ化物濃度と歯のフッ素症、むし歯

(日本・北関東)

0 0.2 0.4 0.6 0.8 1.0 1.2 1.4

飲料水中フッ素濃度と永久歯う 蝕, および歯のフッ 素症所有状況の関係に関する研究

0

10

20

30

40 8

6

4

2

0

一人平均永久歯むし歯本数(本)

歯のフッ素症所有状況(%)

水道水中フッ化物濃度( ppm)

むし歯

歯のフッ素症

10

8

6

4

2

0

100

80

60

40

20

00.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0

Very m ild 極軽度

M ild 軽 度

M oderate 中等度

Severe 重 度

一人平均永久歯むし歯本数(本)

歯のフッ素症所有状況(%)

水道水中フッ化物濃度( ppm)

むし歯

10

8

6

4

2

0

100

80

60

40

20

00.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0

M oderate 中等度

Severe 重 度

一人平均永久歯むし歯本数(本)

歯のフッ素症所有状況(%)

水道水中フッ 化物濃度( ppm)

むし歯

0 0.2 0.4 0.6 0.8 1.0 1.2 1.4

飲料水中フッ素濃度と永久歯う 蝕, および歯のフッ素症所有状況の関係に関する研究

0

10

20

30

40 8

6

4

2

0

一人平均永久歯むし歯本数(本)

歯のフッ素症所有状況(%)

水道水中フッ 化物濃度( ppm)

むし歯

歯のフッ素症

10

8

6

4

2

0

100

80

60

40

20

00.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0

Very m ild 極軽度

M ild 軽 度

M oderate 中等度

Severe 重 度

一人平均永久歯むし歯本数(本)

歯のフッ素症所有状況(%)

水道水中フッ化物濃度( ppm)

むし歯

10

8

6

4

2

0

100

80

60

40

20

00.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0

M oderate 中等度

Severe 重 度

一人平均永久歯むし歯本数(本)

歯のフッ素症所有状況(%)

水道水中フッ化物濃度( ppm)

むし歯

0 0.2 0.4 0.6 0.8 1.0 1.2 1.4

飲料水中フッ素濃度と永久歯う 蝕, および歯のフッ素症所有状況の関係に関する研究

0

10

20

30

40 8

6

4

2

0

一人平均永久歯むし歯本数(本)

歯のフッ素症所有状況(%)

水道水中フッ化物濃度( ppm )

むし歯

歯のフッ素症

10

8

6

4

2

0

100

80

60

40

20

00.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0

Very m ild 極軽度

M ild 軽 度

M oderate 中等度

Severe 重 度

一人平均永久歯むし歯本数(本)

歯のフッ素症所有状況(%)

水道水中フッ化物濃度( ppm)

むし歯

10

8

6

4

2

0

100

80

60

40

20

00.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0

M oderate 中等度

Severe 重 度

一人平均永久歯むし歯本数(本)

歯のフッ素症所有状況(%)

水道水中フッ化物濃度( ppm)

むし歯

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第Ⅲ期:介入疫学

各種フッ化物応用法研究の時代

1945年に、Deanを中心とするNIHの研究班は、米国ミシガン州のグランドラピッズ(図2, ⑦)

で、水道水のフッ化物濃度を人為的に1ppmにコントロールするフロリデーション研究を開始し

た。他にも、ニューヨーク州ニューバーグ(図2, ⑧)、カナダのブラントフォード(図2, ⑨)

でも開始されている。15年後には、グランドラピッズの小児のむし歯は、対照地区のマスキー

ゴン(図2, ⑩)との比較で、ほぼ半分になるという結果を得ている。また、自然の状態で1.2ppm

のフッ化物を含むオーロラ(図2, ⑪)のむし歯有病状況とほぼ同じ状況になったことが確認

された(図7)。外見上困る歯のフッ素症(中等度と重度)の発現もなかった(図8)16, 17)。

図7 グランドラピッズの10,15年後のむし歯の減少 図8 グランドラピッズの歯のフッ素症の発現状況

第Ⅳ期:一般化

公衆衛生施策として普及の時代へ

グランドラピッズ他の自然を模したフロリデーションのむし歯減少の結果を得て、米国内各

地にフロリデーションが広まり(図9)18)、今では水道利用人口の74%(2億1千万人)が利用

するまでに普及している(図10)19)。

0

2

4

6

8

10

12

6 7 8 9 10 11 12 13 14 15

マスキーゴン 対照地区

オーロラ 天然で1 .2 ppm

グランド ラピッ ズ 1 9 5 4 , 1 9 5 9年

一人平均永久歯むし歯本数(本)

年齢 歳

図3 フロリデーショ ンのう 蝕予防効果 ( Arnold FA et a l. , 1 9 5 7 , 6 2 )

0% 20% 40% 60% 80% 100%

16

15

14

13

12 Normal: 正 常

Questionab le 疑問型

Very m ild ごく 軽度

M ild 軽 度

図4 歯のフッ素症発現状況

年齢

米国のフロリデーショ ン利用人口の推移

公共水道水 利用人口

総人口

フロリデーショ ン 利用人口

天然のフロリデーショ ン 利用人口

3.0

2.5

2.0

1.5

1.0

0.5

0

1940 1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010 年

人 口(

CDC: Fluoridation growth

英国の水道水フッ化物濃度とむし歯、 歯のフッ素症 Forrest JR, 1 9 5 6

一人平均永久歯むし歯本数(本)

7

6

5

4

3

2

1

0

4

3

2

1

0

地域歯のフッ素症指数

一人平均永久歯むし歯本数

地域歯のフッ素症指数

歯のフッ素症発現境界域

水道水中フッ化物濃度( ppm)

0.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0

図 9 米国のフロリデーション普及図 10 米国の州ごとのフロリデーション普及状況

(2014 年)

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43

ちなみに、ホワイトハウスや議事堂のある首都ワシントンDCの水道水は100%フロリデーシ

ョン実施となっている。

20世紀の最終年1999年にCDC(米国疾病管理予防センター)は、20世紀100年間の「10大公

衆衛生事業」を選定した(図11)20)。フロリデーションもその1つに選ばれている。

国際的にも、世界保健機関(WHO)が1969年の第22回世界保健会議において全会一致でフロ

リデーションの実施を加盟国に勧告し、世界規模で普及が始まった。日本はこの議案の共同

提案国でもあった21)。世界では現在約4億人以上の人々がフロリデーション水を利用してい

る。マレー(Murray JJ)22)は、世界23カ国からフロリデーションの乳歯むし歯予防効果、お

よび永久歯むし歯予防効果に関する研究、それぞれ66編、86編を収集し、国の違い、民族の

違い、生活の違い、さらにむし歯有病状況などの違いを超えて、フロリデーションが現状の

むし歯を乳歯で半分、永久歯で半分以下にしていることを確認している(図12)

図11 米国疾病管理予防センターが選んだ

20世紀の「10大公衆衛生事業」

図12 世界のフロリデーションの

乳歯・永久歯むし歯予防効

このフロリデーションの研究をベースに、

歯の形成期に適量のフッ化物を摂取する形

の食塩フロリデーション、牛乳フロリデーシ

ョン、フッ化物錠剤の全身応用法や、生えて

きた歯の表面から作用させる形のフッ化物

塗布、フッ化物洗口、フッ化物歯磨剤などの

局所応用法が開発され、多くの人々に利用さ

れるまでなった(図13)23, 24, 25)。

日本においてもフロリデーションの試験

研究が行われている。厚生省、文部省の

0 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100

Hawaii New Jersey

Oregon Idaho

Montana Louisiana

New Hampshire Alaska

Utah Pennsylvania

Vermont Wyoming

Arizona Mississippi Oklahoma California

Kansas Washington

Massachusetts Arkansas Nebraska

Nevada Colorado New York Missouri

New Mexico Florida

Alabama Texas Maine

Rhode Island Delaware

North Carolina Tennessee Wisconsin

West Virginia Connecticut

Michigan Ohio Iowa

South Carolina South Dakota

Indiana Virginia Georgia

Maryland North Dakota

Illinois Minnesota Kentucky

District of Columbia

米国のフロリデーション利用者割合(%)

( 2 01 4年)

*: 水道水利用者を分母として計算

8 0 % 以上

5 0 -7 9 %

5 0 % 以下

100

3 0 2 0 1 0 0 0 1 0 2 0 3 0 4 0編

永久歯( 全 86 報告)

乳歯 ( 全 66 報告)

う 蝕予防率( %)

1 2

1 1

2

3 3

3

1 7

8

フロリデーショ ンのう 蝕予防効果

( M urray JJ. , 1 9 9 1 )

世界2 3ヶ国から fluo r i da t i on の乳歯う 蝕予防効果( 6 6編) 、 永久歯う蝕予防効果( 8 6編) を収集し予防率のヒスト グラムを作成した。

0 - 1 0

1 0 - 2 0

2 0 - 3 0

3 0 - 4 0

4 0 - 5 0

5 0 - 6 0

6 0 - 7 0

7 0 - 8 0

8 0 - 9 0

1

2 4

1 5

8

5

8

5

20世紀の偉大な10大公衆衛生事業 CDC( 米国疾病管理予防センター)

1 . ワクチン

2 . 交通安全

3 . 職場の安全

4 . 感染症のコント ロール

5 . 心疾患, 脳卒中による死亡の減少

6 . 安全で健康的な食品

7 . 母子保健

8 . 家族計画

1 0. タバコの健康被害の認知

CDC: Ten Great Public Health Achievements -- United States, 1900-1999 . MMWR 48: 241-243, 1999.

フッ 化物配合 歯磨剤

フッ 化物歯面塗布

フッ 化物洗口

食  塩 フッ化物濃度調整

フロリデーショ ン

フッ 化物錠剤

0 2 6 8 14 16 億人

図5 世界のフッ化物応用普及状況

1 9 9 0年

2 0 0 0年

2 0 0 9年

2 0 1 2年

1 5億人

4 .5億人

2 .1億人

3億人

4 .4億人

9千7百万人

1 .6億人

2千万人

1億人

2千万人

3千万人

2千万人

1千5百万人

図13 世界のフッ化物利用状況の推移

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感性と対話 Senses and Narratives 1(1) 2018

44

補助を得て京都大学医学部の美濃口が中心となり、

1952年に京都市山科地区でフロリデーションが開始

された。出生から永久歯の生え揃う12歳まで追跡調

査を行うという意図から12年を目処に0.6ppmで実施

された。11年後の調査では、対照地区であった修学

院地区との比較で永久歯むし歯予防効果38.1%を得

ている(図14)。このやや低い予防率はフッ化物濃

度が山科の至適とされた0.76ppmより低い0.6ppmで実

施されたことが関係していると考察されている26)。

他にも医科領域および水道工学、さらには実施に関

する法的解などの数々のデータを得て、所期の目的を達成したとして13年間継続して終了と

なった27)。

沖縄県では1957年から米軍管轄下でフロリデーションが広範囲に実施され、県民の約60%

が利用していた。しかし、1973年の日本への返還の際に中断となっている。調査の結果、永

久歯むし歯が50.2%予防されていた28, 29)。また、三重県朝日町でも1967年に開始したが、浄

水場施設の拡充にともなって中断となっている。3年9カ月という期間の短さからむし歯予防

効果確認には至らなかった30)。現在、日本のフロリデーションは未実施の状態である。ただ

し、国内各地に点在する米軍基地の多くでフロリデーションが実施されている。

まとめ

自然の状態で、その土地の地質に依存した様々なフッ化物濃度の水を飲食に利用する人々

を調査し、「困ったこと:斑状歯」がなくなるフッ化物濃度が見いだされた。さらに、副産

物として人々にとって「良いこと:むし歯のない歯」をもたらす “ちょうどよい” フッ化

物濃度が発見された。

フッ化物とヒトの関わりは有史以前からであり、その関係調査には100年以上の歴史があ

る。さらにヒトの健康のために利用されて既に70年以上が経過し、世界中の多くの地域で安

全に利用され、大きなむし歯予防効果が確認されている。

参考文献 1) Eager JM: Denti di Chiaie Teeth. Publ Hlth Rep. 16: 2576-2577, 1901.

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History of Water Fluoridation

Akihito TSUTSUI *1

Abstract

Water fluoridation, which adjusts the fluoride concentration of tap water in an optimal to prevent dental caries, is implemented

in many countries except for Japan. Drinking fluoridated water keeps teeth strong and reduces dental caries in children and adults

beyond social economic disparity.

Fluorine is an element that exists in the global environment. The history of water fluoridation began with disadvantages to

human health in the early 19th century.

The aim of this review is to describe the historical process of water fluoridation from an epidemiological point of view. Japan

has introduced water fluoridation in the 1950s and 1960s, however is currently discontinued. Recently in Japan, health inequality

has become noticeable. Not only individual oral hygiene such as tooth brushing but also implementation of water fluoridation as

a public health measure has to be considered..

[Senses and Narratives 1(1) 38-46, 2018]

Key words: water fluoridation, oral hygiene, public health measure, dental caries prevention

*1 NPO Well-being Research Institute, Daimyo, Chuo-ku, Fukuoka, Japan