Upload
others
View
1
Download
0
Embed Size (px)
Citation preview
- 24一
コンラ ッ ド,フ ォードと
映画的形式
カメラ ・アイからモンタージュヘ
横 山 徳 爾
小説はいうまでもなく空間的および時間的に延長する距離と領域を包含す
る乙とができる云術形式である。従って小説作品のなかでの個々の 「細部」
を構成する出来事や場面はいかに些細なものであれ,それぞれが空間的およ
び時間的意義をもら,全体としての作品の効果を読者に伝達するうえで,独
自の役割を演じているといえる。しかし読者としては目下読人でいる 「細
部J の宅間と時聞に注意、を集中してしまう乙ともあり ,異なる空間で、のハラ
レル ・アクション(並行事件)の意味を読みとったり ,時間的にも過去ない
し現在の出来事との関連で個々の場面や情景の合蓄を理解する乙とをつねに
読者に期待する乙とはできない。それにもかかわらず小説家が作品で、表現し
ているのは作品において漸明的に達成される全体的効果に外ならず,個々の
「細部」の単純な集積ではない乙とは当然である。 ζ 乙l乙小説家の当面する
技法ヒの問題の一つがあるわけであり ,コンラッド (JosephConrad)やフ
ォード (FordMadox Ford) は ζの問題を自分たちの創作万法の根本問題
と考えていたといえよう。すなわち,小説における表現にかかわる「同時
性J (‘sim u lta nei旬、)や 「時間的要素の空間化 (‘spatialization of the
temporal element、)という問題は時間と主題を創造するイメージと いう点で
映画ぷ術と共通する点が多い。
コンラッドの小説家としての基本的信条は 『ナーシサス号の黒人Jへの序
文 (Prefaceto The Nigger 01 the ‘N a r C 15 S U S ' , 1897 )にみ られる ζ とは周
知のと乙 ろである。
小説はーーもしそれがし、やしくもふ:術である 乙と をめ さすなら ば,気質K訴え
る。そして事実,それは絵両, 者米そしてあらゆるぷ術とrr jJ様に,一つの気質が他
( 310 )
,
'"
f'
• 』
. 、.
. .. ~, I、
ー
、
支 2
11ムl_rいn なぜな |らその
;;;.. (1) I'f ([) :~(nl .. f;:.) I i. -i 卯!
i乙i
む C一、 t'_il , 思して・j:ElJ, それは他のいか丈
の…ー
'山い,,11-1代、I}.I.・ J '-、 ;4二ιiよはいからで ,d>る
l. I的かJ?かれttfi位ド
ることぞめざすならば, その
i""_ """"川 J.b.": I_. 1', .1庁、阻 1J 11
t t
l'
カ~1897 ~.:I
たものであ !I
A ガーネサト {12dward
11
- 26-
Garnett)からの芸術家としての独立宣言を意図した乙とが指摘されてい
る:要するにコ ンラッドは『黒人~ H:. よ って小説家としての自覚を獲得できたのであり ,乙の事情は 『黒人』についてコ ンラッ ドが 「私に可能なあらゆる
誠実でも って私自身の気質によ って人生の一局面の真実を描乙うとする私の
最初の意識的に計画された試み」といっている乙とからも察せられよう。乙
の 「序文Jが‘tomake you see' としづ原則に示さ れるコ ンラッ ドの視覚
的映像による印象主義小説珂論の表明という面だけでな く,より広範囲な哲
学的重要性を含み,コンラッドにとって個人的意義が大きい乙とが明らかに
されているがJ乙乙では乙の 「序文」の印象主義の表明としての意味に焦点
をあててみたい。
1896年 5 月 26 日付書簡でガーネ ッ トは 『救助者~ (The Rescuer)の官頭
の部分を称賛して,i開巻第 1葦:は極めて芸術的です。まさに第 1章にふさ
わしいものです。乙の情況は読者を大 きな力でとらえます。それはまるでそ
''R's-
・生/
j...,.....~
c
-
71
[, ・
• • • • の海域で 1カ月を過ごしたかのようにはっきりと力強く見る乙とができます
(乙れは最高の称賛です); とコンラッドに書き送っているように , to
make you see、の観念はコンラッドにとってまさに「課題」であ った。
と乙ろで乙乙に極めて興味深い事実は,コンラッドの「序文」の16年後に
アメリカの映画監督グリフィス (D. W. Grif五th,1875-1948)がコンラ ッ
ドと同じ‘tomake' you see' という言葉を使って,6「私が達成しようとして
いる課題はとりわけあなた方に見させる乙とである」と述べている乙とであ
る。グ リフィスは詩人 ・劇作家と しての経歴のある人物であったが,乙乙で
は映画監督として発言しているのである。コン ラッドが言葉による表現の喚
起する映像の連続によ って小説の効果が視覚的に形象化主れる乙とを意図し
たのに対し,グリフィスは視覚的映像の連続が彼の意図する物語を表現する
乙とを期待したのであり,要するに彼らの考えにある視覚的映像とその効果
についての認識は同じであるといえよう。
そ乙で映画における方法論はしばらく置き,まずコ ンラッ ドやフォードは
読者に「見させる乙と」すなわち視覚的具象化を達成するためにいかなる方
法に頼ったであろうか。コ ンラッ ドとフォードはともにまずフロベール
(Gustave Flaubert)の,次いではモーハッサン (Guyde Maupassant)の
心酔者で、あり; ‘le mot juste' を珂想とした乙とはいうま?もないが,言
葉の厳密な研究と注意深い選択としづ根本原則に忠実であり j完成された形
式美と審美性の追求という点で彼らはフランスの巨匠たちの弟子であったの
( 312)
en首
litil;
~e~~
-p ・
向
a''
•••• --E
・E
・-
。nrf,
ベミ弓
τffl、念、c)‘
-F船
U
LMMh
ロ
もキよ
わIEυ
『エ
ー
• l~
~J
-• 、,
コ If ドと映両的形式 27
で コ ドの とフ口ベーノ びモ一八Jッサンの
-同- 一トンの
る
,
f
一K4
ソlUL
7Fく
ヴ
似
と
r・ムU
1
3
m
文一べ
m論
H
,‘.,
一,且,
E
ムの
J
r・
-
K
M
F
H
J
h
必
im
の一
孔‘乙で
仕えている乙とはブルー
1857)の研必以来,以近
とんどつねに "~ .~'}立すると
る 「細部の映写的操作
的引物の(史Ji]
一匂閤,
-型-
-圃圃崎、圃・
.,BEa
一、J-z-a
ra nlanipulat:ion
La 7~e111 at I~Oll
deta:il')
lの
J的印伝
e 50ω仰0,ω"川111げ1Ant,州t,白lIt『t-0仰0
(れ‘、冶CCliiHiiHm!『口n問1
ntr'11附 ltale,. 1凶86ω9) その{他也i民乙おける ‘、冶川a叶l汁i卜置h.
1ている。そしてマリーとスヒーゲル
11m Erammar.の先駆者・と認めて t
-アイの問題からみて付け加えるべきはフロベ
unj>assibilit.e' )であるが.乙の考えはフォードの
乙通じるものである。すはわらフロベールK
アクション民対して容観的で冷的な~@tj'] を維持
L、Education
Jq
のζ
E
C
ンの
一 と
くi
-園田・・・ の つ幅勺ノ
-q-M
loofn
のいづれのjiZでもなL
るけれども ,作者F]
る乙とをIrJJ能l乙し,作中人物lζょっ
4める乙とになる。フォードもrriJ
Vにあたって完全な自己抑制をめ
ノミ t:. ζ 丈f匁
"
か
ost ,'~Ol1l0 . 1
ると説lいている。コンラス |ドの ;ノストロ
kJ?の出はほぼ完全i乙消滅しているとし
~;) f'Jrt3r I C f(tJけられる乙とはなく .アクンの
口
メ
と
フ
カ
を
乙
の
マ
,
V臼ン
4f
エ
,41
十
a
r」
で
後
ルの例
・アイ;
える
ノJ のに11:1
乙 Fの
るf_J彼は 38与はH乙l訪ねて来た。みん佐野氏へi11かけていた。彼!(
のいるのが限につか位かった白窓脱がしめであったの
ゐル i;..tI • ア, 臥のたが鎚1)1三い総をいくつもそ142の1-:'ζrJ Iいでt
f:nその観は家ltのfql乙くだけ"}~JI二にふるえでいた凸面mlJ
:/ -"右?~t!ているのである
313
- 28-
たコップを伝つてのぼり,底K残ったリンコ守酒のなかにはまり乙んでブンブンいっ
ていた。煙突からさし ζ む陽の光が,暖炉の蓋をビロードのように見せ,冷たい灰
をほのあおく照らしていた。窓と暖炉の闘でエンマが裁縫をしていた。頚巻をして
いないのであらわな肩の上に細かしリFの雫が見えた;8
乙のようなカメラ・アイによる些細な 「細部Jの描写による空間的雰囲気
の醸成と鮮明な視覚的映像の提示は同時にコンラッドの特色でも ある。
『ノストローモ』の第 l部第 1章におけるスコラの町とその自然環境の描
写は,カメ ラ・アイによる視点の移動を効果的に利用した視覚的映像の連続
であり,映画における大写,近写,遠写,中間距離撮影などの方法を想起さ
せるものである。以下において乙の章を「細部」の映闘的操作の観点から詳
細に分析してみたい。第 1パラグラフは 4つの文から成り立つが,まず第 1
文でスラコはかつてスペインの統治下にあった乙とがポされ,オレンジ畑の
華麗な美しさが乙の町の歴史の古さとの関連で言及されてから,スラコが港
である乙と,しかし牛皮と藍をあっかう地方的な沿岸貿易港であった乙とが
示さ れる。そして第 2文では昔日の征服者たちのガ、レオン船が広大な湾の凪
によって動けなくなってスラコの港から締め出されていた乙とが教えられる
が,乙の風がなくて停止するガ、レオン船の映像によって示されたスラコ沖合
の湾とその凪の様子は,さらに第 3文に至って暗礁や大嵐によって接近でき
ない世界の他の港との比較となり,次の第 4文によって第 1パラグラフにお
いて与えられた断片的知識がスラコの町とその背景の遠写によって総合され
る。 「スラコは高い山々からなるその城壁Kは黒雲が喪服の出け布のように
かかって,まるで、大洋へ向って開いている巨大な半円形の無蓋の神殿のなか
に入っているかのように,深いフラシード湾の荘厳な静寂のなかに貿易世界
の誘惑に屈しない不可侵の聖域を見い出していたのであるJ作者は乙の第 1
ハラグラフを構成する 4つの文のなかに,スラコの町の歴史と地理.の概略を
印象の積み重ねによって圧縮する乙とに成功しているだけでなく,商業世界
の接近の暗示や乙の町をおおう 「喪服の掛け布」としづ映像の挿入によって
読者の連想を自由に飛朔させているといえよう。クランクショー (Edward
Crankshaw)が指摘しているように「緊張ないしは努力が少しも示されない
でJo乙れだけの凝縮された内符か読者の意識に伝達されうる乙とは論時的に
肖尾一貫した叙述によらず,映像の不連続と飛躍によって説者の連想に多く
が期待されているからに外ならない。
( 314 )
広,, -".
折,
•
震の5:
おむとと.
• RHMg
‘・ -, 、.
』で1:
.へ宇ーー
あE咽
.1t 日
dR
・句
、R
-r机
'ra
AahJ
・a,AH、
九守山口
h
hHThEF
-・aHU
----‘A
u
----
?AH
UH
-'ハぜ
歩hr
、‘
アッド'.フ 4 と映尚的形式 29
円 2ハラクラフではカメラは !コスタゲアナ共和国のよ1lf(ぐな梅山総のf
かの乙の~MJLい存!?ljil l部の~~ Jjの側 ~ 1(' r.. rtJJけられ,術作沿いの山脈の自立後の仰
iiiR11がjfラ1iえするブンタ ・マラと呼ばれる微々たる岬Ilζj丸点があわされるnζ
ζで・悦点が訟に湾のJll央官(St.乙 1I設定されて.そ乙からは ζのフンタ ・マラ岬そ
のものは比えず,その背後にある険しい山のlljが~l'乙'ワった反射のようにカ
かに認められる J姿がjAiワによってとらえられる。
次の第 3ハラグラフではOfll文で湾の I他の側 , Iとあるアスエラ平仏がり
し111されるが'.乙れは i閃光のように附く地平線 l二にふんわりと浮かぶjFj-ぃ
ilJの仰なした氏以 iのような;粧を比せる。第 2文ではさらにカメラは乙の平
lQ |(乙接近 lし,r荒涼として無秩序l乙散らばる尖ったれぞiや峡谷が市ills{lζ断
切勺ている引の多い、!勺也 ~ ( P. 3)が近'iJによってワしjiiされるが.この
‘Close-t0.の子法はさらにがれ、てアスエラ 14iUが [臓の多L、低木の茂みで1つ
おわれた砂地の行恨の陥路の制のと ζろで,~切れζつつまれた泌j;:地的かられfl
びているれそiの多いで乙ぽ乙の以のように迩かに泌へruJつてのびて lいF
(p,. 3)形状が不ぷれる。さらにこの i:地にはノkがなく市本が'1.:えな lい乙
れるが'.それはまるで ~ 引いによって約らされている : (p_
Cとくであり ,アスエラの荒涼とした i:地のノぐリが挿人されるのである n 乙
乙ではじめて乙のJ山 fJの{主L~とその伝説に焦点があてられるが,カメラは彼
のよt:~還を大ηによ ってとらえるが,それは22144 の小作ノ
のノ|:自れ、たら,砂私1jきびの点や・かCのとうもろ ζ しahJ3・勺て{nJマイルも dj
くるおとなしいインディオたちの克明な ;細部」にわたる揃'Tsである n そしてここで彼ら山民たらの間でいじられている伝説が忠人主れる
なわち炊じられたアスエケの財・1伝説で‘あるが,乙れは 「伝説によれLi,・
ftfから多くの日険者たちがこの tk際しで身全亡ぼしている (P. 4)のT
が.人びとの記悩lζ残っている E活としてれ体的な?・つのtiz探しのエヒソード
が|話られる。このエヒソードの導入はヴィネット(vi区間tt:e)のむ法{ζ 上 F
といえよう。 ζの小説の1r浩司j的ともいえるリアリティの創造があまり市佐で
台い人物のヴィネットによると ζ ろが大きい ζ とはゲラード (AlbertGue
ra:rd)が指摘するところであるn 伝説!こよれば.多分アメリカ人と思われ
λ2 人の船乗りが博:tJ~f きでやくぎ者の 1:地の若者と話らって '. 1. ~liのろ{
を悩み,乙の半島の行根の臓の多L、低水のむから奥地へ入って行ったと L
つにおいて,乙の主主探しの-fjlの所ぞi;告ぶすのに.まっすく
315
31
てしまう。船の前JJでは, hliのために風のない湾頭は Iじっと動かえ.cL
不透明な12:の大きな塊り jで満ちている。乙乙でカメラは完全l'乙湾から陀の
Hへftijって,í まれな iiJjれた制 j のコルディリェラの向く終えるの ζ ,~~ り tの11f墜を'リしlfiiし,イゲロータの高い山頂告とらえる。
次の銃 8パラグラフでは山脈の彼JJから舛った院がやがて点J14llζなるとと
に,F51:から山々の践を消し去り,二日が{Jt地からうねつでお認し、はじめ, LlJ
脈はまるで出のなかに消えてしま勺たかのように飢え江〈壮ろ A との土うに
して 11読者ははじめて点正面iからスラコの町の背後氏自立然と幹.えるイゲ l口ータ
の縦姿を悦日げにおさめる乙とになる。作LIすべきは拙ワが対象のl客観的説明
に厳密に限定されている乙とであり ,輪$15や形状という外ilfdのJdi山ζ努)Jカ
111されていることである。
は.;'dハフクラフにおいては,第 8ハラグラフとは対照的lζ伎のブラシード
湾ぞワし iiiす。;ょi: lは雫向く ~nl,、|二って 「全く凡通しlのきかない階以 lが下界
のJiElの湾~-.rflIを包んでしまい.神の1:Jでさえ人間の手がそ ζでいjをしていF
か~~~ ,いiijす乙とができないという聞の世界である。
乙の湾の作辺l っゆると
c
市本でおおわれた側面から淡水の泉が初き!11している様fまで近ワKよって
とらえたあとは,その全i誌を r1マイルの!返さのエメラルド色の緑の
!壊地;としてi4PJによってとらえる。乙の視点l乙至るまでのカメラの
極めて円滑であり ,スラコの町.を111心とする広範聞なトポグフフィ
lζ'1:].しiilしたのちに,段後の八ラクグ'ラフでで、スラコの沿港Lの全鼠鼠l比i
れる。「グレート ・イザベルぬのそのほい側から眺めると ,日は 2マイルrjjlにまるで海jiiの一様な湾!日1から斧で断ち切られたように急な入LIを通りお
けて.スラコの港の点只rltへ飛び込む、のである。それは長jj形の,湖水の
うな水である。-...fJの側ではコルディリェラの短い樹の多い突出部や峡谷カ
出向 lをなして海の水際、まで降りてきており ,他万の側ではスラコの大平肱の
広々とした眺裂が泣くの万で乾L、た泌のかかった乳白色の神秘へと次第i乙
ている。スラコの町全t 広大なるオレンシ
317
- 32-
畑のなかの白い展望台のきらめき一ーは山脈と平原の闘で港からは少し距離
があり,海から見ると視野に入らなかった。J(P. 7)
乙うしてスラコの町とその背景の映像は完全に読者の意識のなかで立体的
に構成される。クランクショーは乙の第 1部第 1章をすべての文が二重の役
割を果し,表面的陳述以上のものを伝達しているとして,表現上の構成と短
縮の完結した傑作であると評価している。カメラ ・アイの写し出すのはあく
まで画面であるが,その苧面l乙展開される視覚的映像に没入する乙とによっ
てモンタージュの効果が可能となり,過去と現在の時間は総合され,立体的
空間世界を構成する乙とができるのである。
カメラ ・アイからモンタージュ効果への過程をたどってみたが,さらに小
説の構造から見て問題になるのは語り手の意識である。語り手としての例え
ばコンラッドのマーロウ (Marlow)やフォードのダウエル (Dowell)の使
用によって語り手の意識の導入によるクロノロジーの自由奔放な前後移動が
小説技法の理論として生まれたのはコンラッドとフォードの合作時代のζ と
であった。クロノロジーの分解によるダイナミックな印象の連続という方法
は彼らが最も巧妙に活用したものであり,それは読者の興味を喚起し,持続
させるための策略としての要素をもっとともに,また他方では小説のリアリ
ティを達成するための有効な手段であった。コンラッドの場合も乙乙ではじ
めてフロベールとモーパッサンの影響から脱して彼自身の創作方法に到達し
たといえよう。
乙うしてコンラッドやフォードにとっては小説は言葉によるイメージの連
続によって読者の頭脳に喚起される映像が読者に複雑な人生の全体的印象を
伝達する乙とができる作品で、ある乙とが可能になったのであり,そのような
作品は必然的にクロノロジーの再構成を伴うものであった。小ぎれいに構成
され,論理的に整然とした小説の方法ではコンラッドやフォードが洞察して
いた人生の複雑さとリアリティを捕捉する乙とができないのである。乙の事
情はフォードが次のように具体的に説明している。
われわれにとって極めて早い時期に明らかになった乙とは,小説とくにイギリス
の小説の問題点は整然と筋か通っているということであった。と乙ろが人か仲間と
知己となる際~L,決して整然と乙とが運ぶという乙とはないのである。自分のゴル
フ・クラブで一人のイギリス紳上と出会う。彼は還しく,健康で,最上級のイギリ
( 318)
•
,
凶酢
『戸
Id
hHHUF
e'F.
zb
・h
ル.制HH
td
円、h柑れ】「
1:おれて;
11:なも;
RSi;F
Eになi
,_
• 3
4
・,avgむTn・
-『
--t R
Tハd
・
9
.
‘
、
・λ『刊、
-
-lHV
、
、』,
・ねhu、
lr、
圃・
- 34-
注
1. Preface to The Nigger of the ‘Narcissus', pp. ix -x.
2. David R. Smith, Conrad's Manifesto: Prφce to a Career (Philadelphia, 1966;
London, 1975), PP. 52 -55参照。
3. Joseph Conrad, Last Essays, p. 95.
4. Smith, op. cit., pp. 47 -77.
5. 日wardGarnett (ed.),μtters from Joseph Conrad,“Introduction", p. 19.
6. Alan Spiegel, Fiction and the Camera Eye (U. P. of Virginia, 1976), P. xi参
昭 。
7. Ford Madox Ford, Joseph
1965), P. 208参照。
Conrad: A Personal Remembrance, (New York,
8. Ford Madox Ford, Thus to Revisit (New York, 1966), p. 10参照。
9. Smith, op. cit., PP. 61 -62; Jocelyn Baines, Joseph Conrad: A Critical Biogra・
phy (London, 1960), pp. 145 -48参照。
10. George Bluestone, Novels into Film (University of California Press, 1957; 1971).
11. Spiegel, op. cit.
12. Harry Levin,“Madame Bovary: the Cathedral and the Hospital," &says in
Criticism, 11 (Jariuary 1952).
13.Victor Broπlbert, The Novels of Flaubert (Princeton, 1967).
14. Hanna Charney,“Images of Absence in Flaubert and Some Contemporary
Films," Style, Vol. 9, No. 4 (Fall 1975), 488 -501.
15. Edward Murray, The Cinerruztic lmagination, (New York, 1972); Spiegel, OP.
Clt
16. Wayne C. Booth, The Rhetoric of Fiction (Chicago, 1961), PP. 81 -82参照。
17. Thu'i to Revisit, P. 138参照。
18. 伊吹武彦訳 『ボヴァリ一夫人~ (岩波文庫)上巻, 29 -30頁。
19. Joseph Conrad, Nostromo: A Tale of the Seabωrd (Rinehart Editions, 1966),
p.3.
20. Joseph Conrad: some Aspecぉ 01the Art 01 the Novel (New York, 1963), P.
182参照。
21. Conrad the Novelist (Cambridge, Mass., 1958), PP. 183 -84参照。
22.Cra出shaw,op. cit., P. 185参照。
( 320)
ドiJ
Jj jw
't 37
,lbidーしPl
,3,21