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アベノミクスは成功するか? 日本の過去20年の
遺産の克服デニス・ボトマン
ステファン・ダニンガージェラルド・シフ
国 際 通 貨 基 金©International Monetary Fund. Not for Redistribution
本書は「アベノミクスは成功するか?日本の過去20年の遺産の克服」からの抜粋である。
1990年代はじめのバブル崩壊以降、日本経済は持続的な回復を実現するに至っていない。日本経済に対する試練の核心には、四つの緊密に連関した課題がある。すなわちデフレの克服、成長のかさ上げ、財政の持続可能性の確保、そして金融安定の維持である。これらの目標は、日本の急速に進む高齢化、根づいてしまったデフレ期待、そして抑制された成長にはまりこんだ世界経済という状況の中で達成されねばならない。多くの事が賭かり多数の目標があるため、日本には、包括的で良く調整された相互強化的な諸改革が必要であることは明白である。この認識が「アベノミクスの3本の矢」と呼ばれる日本経済の再生計画の核心部である。本書では、積極的な金融緩和、成長志向型の財政健全化計画、そして活気を取り戻し潜在成長力を促すための構造改革及び金融部門改革といった、複数の面で相互強化的な改革を検証している。著者は、アベノミクスを分析しその世界への影響を評価するとともに、各政策分野について提言を行っている。
本抜粋には、目次及び第1章が含まれている。
本抜粋は、ドラフト版からの引用である。引用及び出所については出版された最終版を参照されたい。
Can Abenomics succeed?: overcoming the legacy of the lost decades 編集: Dennis Botman, Stephan Danninger, and Jerald Schiff.ISBN: 978-1-49832-468-7出版日: 2015年2月 フォーマット: デジタル・ペーパーバック、6x9 インチ、約185ページ。 価格: 25.00米ドル
本書に関するお問い合わせは、下記までお願いします。International Monetary Fund, IMF Publications
P.O. Box 92780, Washington, DC 20090, U.S.A.Tel.: (202) 623-7430 Fax: (202) 623-7201
E-mail: [email protected]
© 2015 International Monetary Fund
注
©International Monetary Fund. Not for Redistribution
iii
目次
序文 v
頭字語と略語 vii
1 アベノミクス:「失われた10年」から「3本の矢」へ�����������������������������������������������������1ジェラルド・シフ
2 アベノミクス:伝統的、非伝統的金融政策、20年からの教訓 ������������������������������ 11デニス・ボトマン
3 アベノミクスは人口高齢化の逆風を克服できるか ������������������������������������������������ 29デニス・ボトマン
4 日本の財政リスク ��������������������������������������������������������������������������������������������������������� 51齊藤育夫
5 高齢化社会における財政健全化の選択肢 ������������������������������������������������������������� 69齊藤育夫
6 日本の成長への試練:必要性と潜在力 �������������������������������������������������������������������� 91ステファン・ダニンガー、チャド・スタインバーグ
7 労働市場改革:アベノミクスの成功に不可欠 �������������������������������������������������������107青柳 智恵、ジョバンニ・ガネリ
8 金融部門におけるアベノミクスの機会とリスク ����������������������������������������������������125サーカン・アースランアルプ、ラファエル・ラム、マルハー・ナーバー
9 民間の投資と創意工夫を促す ���������������������������������������������������������������������������������147康 仲植
10 日本の世界経済における役割とアベノミクスのスピルオーバー効果 ��������������163デニス・ボトマン、康 仲植
寄稿者 179
インデックス 181
©International Monetary Fund. Not for Redistribution
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v
序文
日本経済に対する試練の核心には、四つの緊密に連関しながら異時点に起こる問題がある。すなわちデフレの克服、成長のかさ上げ、財政の持続可能性の確保、そして金融安定の維持である。これらの目標は、日本の急速に進む高齢化、根づいてしまったデフレ期待、そして抑制された成長にはまりこんだ世界経済という状況の中で達成されねばならない。
読者の大半は次に挙げる衝撃的な統計について既に御存知かと思う。2013年の日本の名目GDPは1990年代半ばの水準と比べ約6%も縮小したのだ。この一因が執拗なデフレであることはほぼ疑いがない。とはいえ、この間の低成長が、通常のバブルの後遺症や人口高齢化、そして技術的収斂の効果の低減ではなくデフレからどれほどもたらされたかを、正確に数量的に把握することは依然として困難だ。それゆえ、リフレ努力の成功によりどれだけ生活水準が向上するか、そしてこれらの潜在的恩恵が1990年代と比較し小さくなっているかを測定するのも難しい。他の先進諸国と比べ、日本は生産性上昇という面では比較的良好な成績を残してきた。これは、最大限の成果が、資本蓄積の増大、つまりアウトソーシングするのではなく国内投資を増やし、低賃金で人的投資もあまり行わない非正規雇用を増やすのではなく、高い質の雇用機会を追加して提供することから生まれる可能性が高いことを示唆している。日本銀行の量的・質的緩和策はより大きなポートフォリオのリバランスと金融リスクテイクを起こし、インフレ期待を上昇させ、総需要を支援するはずだ。そしてそれは、補完的な財政及び構造面の諸策と相まって日本経済を復活させ、デフレを完全払拭することに大きく役立つはずである。
もうひとつの衝撃的な統計、それは、先進諸国・地域間でも前例のない国家債務のGDP比率だ。現時点で240%を超え、過去5年間に50パーセントポイントも上昇した。日本の将来にとって、債務比率を確実な減少軌道に乗せることで、財政の持続可能性を回復することは優先課題だ。政府債務の増大にもかかわらず日本の債券利回りは極めて低い水準で推移してきているが、これは日本の投資家の著しい国内投資志向などの特殊要因などに一部よる。特に将来的に日銀が2%のインフレ目標達成後に量的緩和政策を終了させるにつれ利回りの上昇が展望されるようになれば、こうした特殊要因のどれもが継続するとは将来的に保証されてはいない。実際、経済・金融の安定性を維持するようなかたちでの、すべての種類と償還期限の資産の金利の正常化の管理は、政府の財政調整戦略の信頼性に少なからず依存している。
野心的な構造改革はアベノミクスの持続的成功の要だ。デフレの終結と政府の過剰債務の抹消は潜在成長率にプラスであるが、この努力自体が将来の経済に期待する成長率に大変大きく依存している。とりわけ野心的な労働市場改革は、金融政策の波及経路を強化し、インフレ期待の上昇を賃金上昇へ転嫁させる度合いを高
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vi アベノミクス:「失われた10年」から「3本の矢」へ
めることで、日銀のインフレ目標達成を加速させることになろう。また、野心的な構造改革は、恒常的な賃金上昇の期待を高め、短期的に需要底上げを支える。最近の欧州の例に見られるように、成長加速を伴わない財政健全化は成功しないことが多い。よりダイナミックな日本は、多角的な視点からも鍵となる。金融、財政の拡大への過度な依存と、不適切な通貨下落を防止するからだ。
多くの事が賭かり多数の目標があるため、日本には、包括的で良く調整された諸改革が必要であることは明白である。この認識はアベノミクスの核心部であり、この本の各章は、アベノミクスを日本と世界のために成功させるため、金融政策、財政調整、構造と金融の部門改革の各分野について詳細な提言を行っている。
この本のさまざまな提言はひとつのパッケージとして提示されている。そして理想的には、アベノミクスの「3本の矢」それぞれにおいて均等かつ同時に進展することが期待される。そうなれば相乗効果を生む意味からもなおさらだ。しかし、各政策分野をどれほど重視するかは、その時の状況を考慮し判断しなければならないとの明らかな認識がある。これはたとえば、2014年4月に消費税を8%に引き上げた際などに明確となっている。その後の弱い需要や実際と期待双方のインフレ率が反転する可能性に直面して、日銀は2014年10月、資産購入プログラムを大幅に強化した。政府も消費税10%への再引き上げの延期を決断するとともに、財政に対する信頼性を維持するための中期的な健全化計画を作成することを一段と重視しながら、さらなる財政刺激策を決定した。この経験からの鍵となる教訓は、この本に提示されたアベノミクスのための各課題の全てとはいわずとも大半は、日本の努力が成功するために実行される必要があろうが、読者は優先課題が経済状況の推移に応じて時には調整される必要があることを、心に留めておく必要があるということだ。
これは単に日本についての本ではない。継続する弱い需要と公的及び民間のバランスシートの高い脆弱性に直面した時、政策担当者は各自が持つすべての政策手段を協調して実行するべきであるというこの本のメッセージは、今日の世界経済地図における他の重要な地域にも該当するところだ。それゆえ世界の政策担当者は、日本の経験とこの本で提示された分析から学ぶべき多くの事があると確信している。
デビッド・リプトン筆頭副専務理事
国際通貨基金
序文
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vii
頭字語と略語
BoJ 日本銀行CAO 内閣府 CPI 消費者物価指数 DSA 債務持続可能性分析(IMF) ECG 超過費用増加率FDI 海外直接投資 FLP 女性労働参加FTA 自由貿易協定 FY 会計年度(日本では4月1日から翌年3月31日)G7 先進7カ国 G20 20カ国・地域GDP 国内総生産GIMF 世界統合金融財政モデル(IMF)IMF 国際通貨基金JGBs 日本国債OECD 経済協力開発機構 QQE 量的・質的緩和R&D 研究開発REIT 不動産投資信託 SMEs 中小企業TFP 全要素生産性TOPIX 東証株価指数TPP 環太平洋経済連携協定 VAR ベクトル自己回帰VIX VIX指数ZIRP ゼロ金利政策
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1
第1章
アベノミクス:「失われた10年」から 「3本の矢」へ
ジェラルド・シフ
失われた10年からの脱出過去20年は日本にとってたやすいものではなかった。「失われた10年」は、実際には低成長とデフレが続いた15年だったわけだが、その後2008~2009年には世界金融危機、さらに2011年には悲劇の東日本大震災が発生した。この期間、大型の財政刺激策や、断片的だったかもしれないが大規模な金融緩和といった政策対応がなされた。しかし、特に人口減少や急速な高齢化といった強い逆風の中で行われた、こうした対応の効果はわずかだった。例を挙げるならば、1997年から2013年にかけ日本の名目GDPは7% を上回る「減少」を記録した。
何が間違ったのかいくつかの要因が働いたが、1990年代初めの日本の資産バブルの破裂が鍵となる役割を果たした。バブル破裂後に、銀行システムのバランスシート修復、企業のレバレッジ解 消 、家 計の純 資 産の再 構 築 努力の三つが 相まって需 要を抑 制した。1997~1998年のアジア金融危機による外生ショックも需要の不足を助長し、長期間の緩やかなデフレと停滞気味の成長が続く環境を醸成した。
いったんデフレが根づいてしまうと、それは教科書通りの影響を経済の各側面に及ぼした。企業は投資を控えるようになり、家計は高額商品購入から遠ざかり、価格がいずれ下がるとの期待から購入を先延ばしするようになった。資産運用戦略はデフレ環境に合わせて調節された。つまり家計から金融機関までが、ポートフォリオを、名目利回りは低いが安定した実質リターンを提供する、通貨や預金、政府証券など「安全資産」へシフトさせた。そして企業は日本の旧来の労働慣行であった終身雇用に消極的となり、その代わりに、基本給与が低く雇用の保障が低められ、福利厚生も少なく生産性も低い「非正規従業員」を増加させた。
「何が間違ったか」の一部は、5月28日に東京で開催された日本銀行金融研究所主催の「金融危機後の金融政策」コンファレンスでのデビッド・リプトンIMF筆頭副専務理事の講演、「デフレーションからリフレーションへ: 日本の新しい金融政策の枠組み、効果、広範な教訓」をベースにしている。
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2 アベノミクス:「失われた10年」から「3本の矢」へ
第2章で議論されたように、需要管理手段がこの厳しい環境の中でさまざまな方法で発動されたが、デフレを決定的に終わらせることには失敗した。特に、日本銀行
(日銀)は、さまざまな方法で金融面の支援を実施した。政策金利をゼロ近傍まで引き下げ、他の先進国・地域に先んじて量的緩和と資産購入を試みた。振り返ってみれば、この経験は、政策の最終目的を明確に説明することと、その目標に向けた一貫した緩和実施の必要性を明白にした。しかし、ここでの金融政策の失敗は、民間部門がレバレッジの解消と、バランスシートを修復し、純資産を再構築することを至上命題としている時に、中央銀行が需要を刺激することがいかに難しいかをも浮かび上がらせた。第3章が浮き彫りにしているように、出生率の急速な低下と平均寿命の更なる伸びは「失われた10年」を通し、かつてないペースで日本社会の高齢化と収縮を引き起こし、国の困難をさらに深めた。これは潜在成長率の低下、デフレ傾向、そして大規模な社会保障支出による大きな財政プレッシャーを助長した。
日本は衰退しているのかこうしたことから、日本は、2012年末の第2次安倍政権のスタート時に、低成長、穏やかなデフレ、そして過去にほとんど例を見ない公的部門債務に縛られた状態になっていた。より広く言えば、国内、海外の多くの人々が日本は避けられない衰退をたどっているとみるようになっていた。潜在的解決策の想像が難しく、ましてやその実行は化石化した政治システムのなか一層困難と思われた。
しかしこの見方は常に大げさだった。日本の成長が減速し物価が長い緩やかな低下を示しながらも、その経済と社会は力強さをみせていたからだ。
• 一人当たりGDPと特に生産性は、他の先進諸国・地域とほぼ一致する伸び率を記録し続けた。
• 2011年3月の地震と津波からの急速な回復は、日本国民と同国経済の賞賛に値する耐性を示した。多くの犠牲者に加え、この悲劇は経済に厳しい打撃を与えた。全電力の4分の1を供給する原子力発電所の全てが運転停止、その後も閉鎖が続く一方、サプライチェーンの混乱が日本の一部地域の生産を事実上停止に追い込んだ。それにもかかわらず、成長は2012年第1四半期までに4%を超えるまでに回復した。
• 過去15年間、数次の改革はその後の経済の活性化をもたらした。特に小泉元首相時代の2001~2006年は、より良い結果を達成することは可能であることを示す顕著な例だ。
とはいえ、日本が大きな試練に直面していることは明白だった。根強いデフレは経済の勢いをかなり奪ってしまった。人口高齢化と労働力減少、低下する潜在成長率と急速に膨張する公的債務は、明らかに新たなアプローチが必要であることを示していた。
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シフ 3
「3本の矢」-過去からの決別こうした試練のなか、安倍晋三首相は2012年遅くと2013年の早い時期に、日本経済を再生させる包括的なアプローチを打ち出した。「3本の政策の矢」という言葉に要約される、積極果敢な金融緩和政策、機動的な財政政策、そして潜在成長力を高める構造改革だ。
その狙いは次のものだ。金融緩和と財政刺激によるデフレからの脱却により、実質金利が下がり投資と消費、そして円が少なくとも一時的に下落し、輸出が促進される。構造改革が短期的な心理を改善し、より長期にわたる一段と高い成長が確保されよう。また実質的な資金調達コストの低下と成長率の上昇が、債務のダイナミクスを改善するだろう。そして信頼性のある中期的財政計画は、政府債の利回り高騰のリスクを減らし、慎重な調整ペースを可能にする。これらの政策の相互補完性が鍵で、3本の矢すべてが成功に不可欠だろう。しかし、これら全てが計画通り運べば-それはかなり大きく不確実な仮定だが-将来的により高い成長と財政危機のリスクがより低く、ダイナミックさが増した日本が出現するはずだ。これはアジア地域及び世界の経済にとっても重要なプラスとなろう。
アベノミクス-マインドを変えるしかしこれらすべてが上手く働くのだろうか。これは決して明白ではなかった。アベノミクスで試されたことは、低成長とデフレ的均衡から正のインフレとより高い持続的成長という新たな均衡への飛躍という前例がないものだった。また、このシフトにはリスク選好への更なるシフトが必要であり、これには、企業、消費者、金融機関による期待と行動の変化が必要である。日本の成長見通し、及び政府が必要な改革を実行する能力を持っている-この双方に対する信頼が鍵となろう。これらの変化を起こすことは容易ではなく、3本の矢すべてが放たれなければならないだろう。失敗はデフレへの逆戻り、あるいはそれどころか、日本の財政への信頼喪失と信頼喪失によりあらゆる悪影響が起こりうる。しかし、こうしたリスクを内包しているものの、それまでの現状維持状態よりはリスクは低い。それまでの現状維持は、明確に不幸な結末に向かっていたとみられるからだ。
長いこと維持された期待を調整する必要を考えれば、安倍政権は日本の内外で日本に関する「会話を変える」ことで大きな成功を素早く収めた。2012~2013年、経済に携わる者及び観察者の誰もがアベノミクスの「3本の矢」の議論を知らずに済ますことはできなかった。安倍首相本人が空飛ぶスーパーヒーローとして「エコノミスト」の表紙を飾った。Jポップの音楽グループでさえ、この新首相の名前から取った経済政策の讃歌を作った。「アベノミクス」のブランド名は大きな成功を収めたことは明白で、期待が果たす主要な役割を考えれば、これはささいな成果ではなかった。しかし、高い期待は簡単にくだかれ、最終的には正しい政策が仕事をするための機会を作るだけで終わることはままある。
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4 アベノミクス:「失われた10年」から「3本の矢」へ
金融政策‐漸進主義の終わり2013年4月、日本銀行は「3本の矢」の1本目の矢を放った。約2年のうちに安定的な方法で2%のインフレ率を達成するという、新たな量的質的緩和策の枠組みを発表したのである。資産購入は、過去の漸進主義からの明白な別離を示すものだ。また、この目標の達成に必要な期間は同枠組みを継続させるとのメッセージを、真正面から送ることを目的としたフォワードガイダンスもその別離の証だ。もう一つの違いは、金融政策の有効性は、成長期待を昂進し価格モメンタムを支援する補完的な財政・構造改革に依存しているという考え方を、より明白に表明したことだ。アベノミクスの初期に、政府と日銀の間で取り交わされた協定が最も顕著な例である。
第3章で詳しく述べられているように、金融政策は、物価と実体経済に四つの相互関連している経路で波及するとされた。第1に量的質的緩和策は、長期実質金利を低く抑えて国内需要を増加させ需給ギャップを狭める。第2に日銀の金融機関からの日本国債の大量購入は、国内、海外融資の増加など、ポートフォリオのリバランスにつながる。第3に対話の強化と実質インフレ率の高まりがインフレ期待を上昇させる。最後に、少なくとも一時的な円の下落はインフレ率を上昇させ、需給ギャップを縮減させる。
金融政策におけるこれらの重要な変化は、欧州経済に対する懸念の大幅な低下と時を同じくし、世界経済の見通しを向上させ、日本への大量の安全逃避資金のフローを逆転させた。これは幸運にも短期的に円を一層下落させる効果を持ち、円は実質実効レートベースで2012年9月から2013年5月までの間に約24%下落し、早い段階でインフレ率とインフレ期待の上昇に貢献した。しかし、このインフレ支援の源はやがて失われ、他の波及経路にその役割を委ねた。2%という目標に向けその後も着実に前進してるが、日銀は現時点ではまだ目標の半ばに達したに過ぎない。
財政政策‐現時点では支出し、後で節約?新政府は、アベノミクスの「離陸期」をはじめ、過度に成長を抑制せずに厳しい財政試練を乗り切るという、微妙な舵取りを迫られていた。
第4章が論じているように、政府債務増加という長期的傾向を反転させる、明確で説得力あるプランが緊急に必要とされていた。公的純債務残高が1990年の13%から2012年には134%に増加する一方、総債務残高は240%近くに達し、どちらの尺度でみても先進国・地域中最も多くなっていた。この債務の増加は、国内投資家の政府債に対する旺盛な需要で、それまで問題なく資金手当てされてきた。しかし欧州周縁国での同時期の経験が、投資家の見方は急速に変わり得るし、信頼がいったん失われれば、それを取り戻すには極めて大きなコストがかかるということを明確に示していた。さらに、人口減や家計貯蓄の減少を含むより長期のトレンドは、この問題で政府に有利には働かなかった。
明らかに調整は必要だったが、当時展開していた欧州の経験は、成長なき調整はうまくいかない可能性が高いことを示していた。こうしたなかで、アベノミクスは、短
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シフ 5
期的には経済を躍進させるために財政刺激の活用を提言する一方、長期的には必要な調整を約束した。その橋渡し役は、投資家の信頼を維持し、全ての計画を脅かす政府債利回りの急騰を回避するのに、十分に具体的で信頼のおける中期的財政計画となろう。しかし、長期間にわたり巨額な財政赤字を抱え、債務が増え、いかなる調整も徐々にしか進行しないことを考えると、この信頼を維持するには、単なる約束を超えた、少なくとも最初の段階でのある程度の行動が必要となろう。
第5章は、調整プランが、赤字削減を達成しながら労働と投資へのインセンティブを高める一連の諸策に頼りながら、出来る限り経済成長を後押しするものであることが必要であることを強調している。この調整ではまた、歳入の拡大とともに、急速に増加している社会保障支出を含めた支出を管理し、この大きな調整の全体の負担が、確実に幅広く分かち合われるようにする必要があろう。
アベノミクスの最初の年は、大方の予想通り、調整よりも刺激が主題だったが、この流れが転換しているかもしれない。2013~2014年にかけてのGDPの約1.5%に達する一連の刺激策に続き、政府は2014年4月に消費税を5%から8%に増税した。これは国家債務負担に対処する最初の大きな一歩だった。政府は当初2015年10月に消費税10%への第2次引き上げを予定していた。しかし、4月の第1次引き上げ後の予想より弱い経済成長を考慮し、2017年まで再引き上げを延長することを決めた。日本は依然、GDP比での公的債務を引き下げるという究極的目標に向け、極めて限られた進歩しか上げておらず、第2次引き上げが延期されたなか、具体的な中期的計画の作成が特に緊急性を高めている。現在作成中といわれている2015年に発表予定のこの計画に、多くがかかっている。
第3の矢‐潜在成長力を高める第6章が明らかにするように、財政と金融の刺激策のみに頼っていたら、アベノミクスは究極的には成功しないだろう。現在の年率0.5%程度と低い水準にある潜在成長率を1.5%からさらには2%へ実質的に引き上げるとともに、持続可能な民間主導の成長への切り替えが喫緊に必要とされている。この必要な変換は難しいであろうが、この章で議論されているように、前例のない事ではない。これまでに説明したように、緩やかなデフレからの恒久的な脱出が、日本に必要な転換を一部支えるとともに、デフレのコストを逆転させるうえでも有益だろう。しかし、これに必要な取り組みの大半は、新たな成長戦略に要約された包括的な構造改革からもたらされなければならないだろう。
過去15年間、日本は成長戦略を持たなかったわけではないが、その経済パフォーマンスへの影響を見出すのは難しいだろう。これまでの戦略は成長への最も根本的な障害を避ける傾向にあった。そしてその障害は通常、政治的にも最も対処が難しいものだった。しかし、安倍政権の初期において、「今回は違う」との現実的な希望があった。第1に、最初の2本の矢を大胆に放ったことにより、安倍首相は成長に注力する姿勢を強調した。それに加え、自由民主党が国会の両院で多数を握り、首相の人気も高水準にあるなど、改革に向けた政治的環境が著しく改善していた。
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6 アベノミクス:「失われた10年」から「3本の矢」へ
政府の成長戦略の明確な像は、多くの人々が期待するほど早く現れてきてはいないが、おおまかな内容は特に2014年6月の改訂で見えるようになった。人口動態による労働力の減少を相殺するために、同戦略は女性と高齢者、そしてかなり制限された形で外国人労働者の労働参加を向上させることを狙っている。また、環太平洋経済連携協定(TPP)や他の貿易協定への参加は、日本と急速に成長するアジア市場との統合をさらに進め、対内、対外の海外直接投資をひきあげ、農業やサービス部門で大いに必要とされている、規制緩和に対するインセンティブを与えよう。経済特区はさまざまな形の規制緩和の「実験室」としての役割を果たし得る。法人税減税と企業ガバナンスの向上は、企業の高い企業内貯蓄率の引き下げの一助となろう。そして一連の政策は、安定した金融部門を成長エンジンへと変貌させよう。とはいえ、構造改革のより野心的で、明確に定義されたプログラムが、成長の大幅かつ持続的な底上げを確実にするために必要となろう。
第7章は、特に積極的な労働市場改革の必要性について点検している。労働市場改革は、経済パフォーマンスを多くの側面で向上させ得る。上で指摘したように、より多くの人を労働力に迎えることは不可欠だが、これまでの対策ではそれを達成するまでの道のりはまだ相当ある。しかし、日本の労働市場の二重構造、つまり伝統的に手厚く保護され報酬の高い正社員とともに、「非正規」社員が増え労働力に占める割合が相当の規模になっていることは、重要な試練を投げかけている。とりわけ、この二重構造は訓練に対するインセンティブを削ぐことで、労働生産性を限定的にしているようだ。また、これは、女性が出産後に正規のキャリアパスに戻るのが困難であることからも分かるように、女性の低い労働参加率の一因となっている。たとえば、正規と非正規雇用社員のギャップを埋めるような新たな労働契約を使って、この二重性を縮小することは有望にみえるが、政府はまだそれに手をつけていない。
成長をファイナンスするそれ自体は正式な「矢」ではないが、金融セクターは新たな政策枠組みで重要な役割を果たす。アベノミクスはリスク選好を促すことに尽きる。そしてこれには、より積極的に融資機会を探し新たな企業を育てるような、それまでとは異なる金融セクターが必要となる。同時に、リスクテイクの増大は金融監督でやや異なった点への注目も必要となる。
第8章で強調されたように、日本の金融システムは、健全ではあるものの、成長を支援するためにもっとできることがあろう。ベンチャー・キャピタルや他の起業会社への融資で他の先進国・地域から遅れを取る一方で、そうした会社よりダイナミクスさに欠ける中小企業(SMEs)が信用保証によって存続を続けられている。
新たな金融政策の枠組みは既に、金融機関が成長を支援するための機会を提供している。日銀が量的・質的緩和を開始した2013年4月には、日銀は既に政府の新発債の約70%を購入しており、2014年10月の追加緩和ではさらにその比率を上
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シフ 7
げた。日本国債のエクスポージャーが減少するなか、銀行は国内及び海外でより積極的に機会を求めることが出来る。実際、国内融資は長年にわたり減少が続いていたが、ここへ来て中小企業向け融資も含め年率3%のペースでの上昇に転じている。また、一部の大銀行は、海外での利益が全体の利益の3割に達する成長著しい新興市場アジアなど、海外市場への拡大により強く焦点を当て始めている。とはいえ、地方銀行、保険会社、年金基金などの一部機関は政府債への強い需要を維持し様子見を続けている一方で、その他の銀行は日銀に大きな余剰預金を維持している。
構造改革は金融仲介の隘路の解消に資する。特に現在の中小企業向けの信用支援システムは、銀行による与信リスク分析並びに存続不能の中小企業のリストラか清算へのインセンティブの双方を弱める傾向がある。同時に、リスク資本は、設立し操業を始めたばかりの企業に限定されている。これは経済のダイナミズムに不可欠な、企業の自然な誕生と消滅のプロセスを大きく阻害する。与信規律を回復するために信用保証を段階的に廃止し、一段と的を絞った企業支援に置き換えることが重要だろう。資産担保型の融資を含め、資金調達源の多様化を進めるべきだ。そして政府年金基金のガバナンスと投資規則の改革は、資金をベンチャー・キャピタル・ファンドや他の革新的な資金源に提供する可能性を秘めている。
一段とリスク選好で高い経済成長を遂げるという新たな均衡への移行は、管理可能と考えられるものの、試練を伴う可能性がある。たとえば、イールドカーブがフラットになれば、銀行、とりわけ地方銀行に、収益率を上げるために過剰なリスクを取る圧力が掛かるかもしれない。より多くの金融機関が海外へ出て行くなか、新たな経済環境の下でリスク評価を行うことになり、海外活動での資金調達リスクのある程度の増大を負う。金融規制当局者は、そのようなリスクに警戒する必要があろう。
将来へ投資する生産的融資が軌道に乗るためにはもちろん、与信に値する借り手からの強い需要が必要だ。実際、潤沢な流動性にもかかわらず、総体としてこれまで与信が低くしか伸びていないのは、主に銀行が融資に消極的なのではなく需要が弱いためだ。
第9章で議論されているように、「失われた10年」が始まって以来日本での投資は減少軌道にあり、国の資本ストックは、企業内貯蓄が伸びる一方で劇的に老朽化した。このトレンドを逆転させることは、アベノミクスの成功を確保する上で大きな前進となる。同章で、投資は将来の経済パフォーマンスに対する期待と経済政策の確実性に、最も強く反応することを発見した。これは野心的な改革プログラムは、短期的にもポジティブな経済的影響を持ち得ることを示唆している。資金調達制約は中小企業、特に新規参入とサービス部門の大きな制約要因であり、金融セクターの改革の必要性を改めて示している。
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8 アベノミクス:「失われた10年」から「3本の矢」へ
果たしてアベノミクスは機能しているか? こうして、安倍政権は日本銀行とともに大変大きな政策変更を実施したのであり、他の政策変更も複数予定されている。これは実際の経済パフォーマンスにどのような意味があっただろうか。つまりアベノミクスは機能しているのだろうか。
構造改革は金融仲介の隘路の解消に資する。金融政策のビッグ・バンは多くの人間が想像するよりはるかに効率的に、実際と期待のインフレ率を上昇させた。これは実質金利を下げ、資産価格を上昇させ、消費、与信需要、そして一番最近では投資の活性化に貢献した。政府は2014年4月政治的に難しい消費税引き上げの決断を下した。これは予想したより大きなマイナスの影響を成長と信認にもたらしたが、経済は現在ゆっくりと持ち直し、今後数四半期の成長見通しは潜在成長率を上回るものとなっている。基本給の伸びは控えめではあるが、総給与はここ何年でも最も力強いペースで伸びている。また輸出量がついに増加を始めるという初期兆候があり、これは今後の投資の成長にとり良い前兆であろう。総合すると、これは刺激策から、これまでなかなか実現できなかったより持続可能な総需要の原動力への交代を支えるだろう。
とはいえ、日本が完全に復活していないのは明らかだ。給与と輸出は上がり始めたが、その持続可能性には疑問が残り、政府の政策が信頼感を醸成し続けることに多くがかかっている。
全てを勘案すると、とりわけ輸出、そしてこれに深く関連している投資の成長が、依然として驚くほど伸びが鈍く、大幅な円の下落にもかかわらず、純輸出はGDPのマイナス要因になっている。一部にこれは、貿易収支は通常通貨安になってからある程度時間を経てから初めて改善するという「J-カーブ効果」を反映している可能性が高い。しかし、同時に日本企業が生産拠点の海外への移転を加速化させ、エレクトロニクスのような以前の先導的産業が国際競争力を失ったなど、輸出の伸びを抑える重要な底流的基調があるようである。これらの基調は、経済への逆風が続いていることを浮き彫りにするもので、日本国内にいかに高付加価値で技能集約型の生産を維持するか、真剣に考える必要があることを示している。
そして多くの事が進展をみせたものの、依然多くの事が今後悪い方向へ向かう可能性は残っている。新たな世界的金融ボラティリティの発生や世界成長の減速は国内経済活動のブレーキとなり、経済が離陸しようとしているその時に円高を引き起こす可能性も拭い去れない。
しかし、より大きなリスクは国内要因だ。つまり自己満足、あるいは政治的障害から日本がアベノミクスを、財政、構造改革の重要な部分が欠落する部分的な達成しかできず、国をまたデフレへ逆戻りさせるか、あるいは公的債務問題への対応能力を含む信頼の広範な喪失を招くことだ。
©International Monetary Fund. Not for Redistribution
シフ 9
アベノミクスは世界に対し何を意味するか?アベノミクス、より広く言えば日本が成功するか失敗するかは、世界にとって大変大きな意義がある。15年に及ぶ低成長にかかわらず、日本は世界第3位の経済大国で、純債権国と交易国のトップグループにとどまっている。また、かつてない公的債務負担と戦っており、それが失敗すれば世界経済にとって大きなネガティブな影響を及ぼし得る。
第10章が説明するように、アベノミクスは他国にさまざまな形で影響を及ぼし得る。ただ、個々の国に正味どれだけの影響を与えるかを特定するのは難しい。円の下落は直接の競合国である韓国などにとってコストとなるだろう。それと同時に、日本がアジアのサプライチェーンの上流で重要な役割を果たしているため、投入部品価格の低下という恩恵を地域にもたらすことを意味するだろう。日本の金融機関と家計の資産ポートフォリオ・リバランスは、新興アジアを含む諸外国への資本流出を引き起こすだろうが、流出先国のマクロ経済状況によって望ましいかどうかは異なるだろう。これまでのところ、そのようなスピルオーバーは抑制されており、資本の純流出は限定的で日本の輸出は明確に増えだしていはいない。しかしアベノミクスが成功すれは、それは大きなスピルオーバーを上で説明したような形で起こすことになろう。
これらの個々の経路は重要だが、それらを超える最重要ポイントはダイナミックで成長を続ける日本は、疑いなく近隣諸国、アジア地域、そして世界経済にとって利益であるということだ。
さて次は?このビジョンを実際に達成するために、日本は一連の困難な試練を克服しなければならない。大規模で10年あるいはそれ以上かかる財政調整が必要となるだろう。人口は高齢化と減少が続く。そして世界経済は間違いなく、数次にわたり不安定化し、危機さえ経験するであろう。そして成功でさえ、新たな試練を招くだろう。たとえば、日銀の大規模資産購入を如何に終了させるかだ。こうした潜在的困難に対し、日本はその改革課題を実行する確固たる姿勢を示さなければならない。この本は、その経済転換を達成するための各政策分野での提言をまとめたものである。
©International Monetary Fund. Not for Redistribution