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― 35 ― Ⅰ はじめに ピアノなどの楽器に人がはじめて触れる時、第1段階としてしなければならないことは、言うま でもなく、楽譜を読むことである。すなわちそれは、音の名前や長さの意味を知ること、休符の名 前や役割を知ること、リズムを知ることなどの基本的な決まりを学び、楽譜というものについて、 基礎的なことから、1つ1つ覚えていくことである。 第2段階としては、第1段階で学び、頭で理解したことを体で覚えていく作業が必要となる。ピ アノを例にあげれば、指の1本1本を独立させ、自分の思った通りに動かせるようになるための反 復練習にかなりの時間を割くことになるだろう。時間をかければかけるほど上達する段階ではある が、曲のレベルも同時に上がっていくため、人によってはこの段階で多くの時間を費やし、楽器を 弾くということが、楽譜を忠実に再現することとなり、それ以上のことを考える余裕がなくなって しまうのも無理はないかもしれない。ただ本当に楽譜を忠実に再現できているのだろうか。 楽器に触れて間もない初心者であっても、音楽の本来持っている美しさを表現できるようになる こと、そして、その喜びを感じられるようになることは可能なのではないか。また、その美しさや 喜びを誰かと共有し、伝えていくことも可能なのではないか。本稿では、その可能性を探り、初心 者であっても、表現者の1人となるには、どういう心構えで音楽と向き合っていけばいいのか、と いうことについて考えていきたい。 Ⅱ ピアノ初心者の共通点 まず、ピアノ初心者の演奏の共通点と、問題点をあげていきたい。 音符の長さや休符の意味を理解し、音もある程度間違わずに弾くことのできる段階の初心者のピ アノ演奏の共通点は何か。それは休符の短さではないだろうか。 例として、田中ナナ作詞、中田喜直(Yoshinao Nakada 1923-2000)作曲の「おかあさん」の楽 譜を参照してみる。 ピアノ演奏における歌うことの重要性 The Importance of Singing in Piano Performance 中 村   愛 Ai NAKAMURA

ピアノ演奏における歌うことの重要性gakuin.shirafuji.ac.jp/gakuin/school/vol16/Narahoiku... · 2015. 6. 2. · 例として、田中ナナ作詞、中田喜直(Yoshinao

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  • ― 35 ―

    Ⅰ はじめに

     ピアノなどの楽器に人がはじめて触れる時、第1段階としてしなければならないことは、言うま

    でもなく、楽譜を読むことである。すなわちそれは、音の名前や長さの意味を知ること、休符の名

    前や役割を知ること、リズムを知ることなどの基本的な決まりを学び、楽譜というものについて、

    基礎的なことから、1つ1つ覚えていくことである。

     第2段階としては、第1段階で学び、頭で理解したことを体で覚えていく作業が必要となる。ピ

    アノを例にあげれば、指の1本1本を独立させ、自分の思った通りに動かせるようになるための反

    復練習にかなりの時間を割くことになるだろう。時間をかければかけるほど上達する段階ではある

    が、曲のレベルも同時に上がっていくため、人によってはこの段階で多くの時間を費やし、楽器を

    弾くということが、楽譜を忠実に再現することとなり、それ以上のことを考える余裕がなくなって

    しまうのも無理はないかもしれない。ただ本当に楽譜を忠実に再現できているのだろうか。

     楽器に触れて間もない初心者であっても、音楽の本来持っている美しさを表現できるようになる

    こと、そして、その喜びを感じられるようになることは可能なのではないか。また、その美しさや

    喜びを誰かと共有し、伝えていくことも可能なのではないか。本稿では、その可能性を探り、初心

    者であっても、表現者の1人となるには、どういう心構えで音楽と向き合っていけばいいのか、と

    いうことについて考えていきたい。

    Ⅱ ピアノ初心者の共通点

     まず、ピアノ初心者の演奏の共通点と、問題点をあげていきたい。

     音符の長さや休符の意味を理解し、音もある程度間違わずに弾くことのできる段階の初心者のピ

    アノ演奏の共通点は何か。それは休符の短さではないだろうか。

     例として、田中ナナ作詞、中田喜直(Yoshinao Nakada 1923-2000)作曲の「おかあさん」の楽

    譜を参照してみる。

    ピアノ演奏における歌うことの重要性

    The Importance of Singing in Piano Performance

    中 村   愛Ai NAKAMURA

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     まず、1段目の第3小節目にある歌詞、「おかあさん」の後の4分休符、また、2段目の第1小

    節目にある歌詞、「なあに」の後の休符が短く感じられる演奏が多い。まず解決策として考えられ

    ることは、メトロノームを使い、それに合わせて演奏することであろう。確かにメトロノームは、

    機械的にテンポを定め、その正確性でもって、確実なテンポの演奏にしてくれる。例えば、誰かに、

    この速さで演奏したいと伝えるときに、数字を教えることにより、おおよそのテンポを理解しても

    らうことができる。また、テンポが速く、難しい箇所が出てきたときに、その難しさゆえに、遅く

    なってはいけない所で遅くなってしまう箇所を訓練するときには、大変便利な道具である。

     ただ、本当にメトロノームで合わせれば、テンポの問題はすべて解決するのだろうか。

     リズムを正しく演奏するためには、機械的にメトロノームで合わせるだけでは解決しないことの

    方が多いということを理解するために、歌詞がある曲であれば歌詞を、歌詞がない曲であればメロ

    ディをドレミで、どちらも大きな声で歌ってみることをすすめたい。なぜなら、ピアノを1人で弾

    いているだけでは分からないことが分かるようになるからである。なぜ、大きな声で歌うというこ

    とが大切なのかを、以下で、例をあげてみていきたい。

    Ⅲ ピアノを弾くということ

     ピアノを練習し、何時間も何年も何十年も弾いていくと、当然、時間に比例して、指は動くよう

    になり、難しい所もスムーズに弾けるようになってくる。指や手には筋肉がつき、細かい動きのコ

    ントロールも出来るようになり、しっかりと大きな音で弾くこともできるようになる。ただ、ここ

    に大きな問題があるように思われる。より速く、より強い演奏ができるようになるには、かなりの

    努力が必要であり、テクニックの素晴らしさは、確かに多くの人をひきつける。しかし、音楽を演

    奏するときに、速さや強さを目標にしていていいのだろうか。ここで、誤解のないように説明を加

    譜例1 「おかあさん」より第1- 6小節

  • ― 37 ―

    えると、テクニックはできる限りつけるべきだと思われる。「こういう表現がしたい」と思ったと

    きに、テクニックがないために、思うような演奏が出来ないのではいけない。光り輝く音がほしい、

    会場いっぱいに響きわたる音がほしい、熱い気持ちを表現するために、細かい音をできる限り速く、

    強く弾かなくてはならない。そう思っているにも関わらず、技術的な問題で出来ないということは、

    絶対に避けなければならず、初心者も、そうでない人も、自分のできる限りの努力をして、技術を

    みがいていく方向でいなくてはいけないだろう。ただ、技術は、表現するためには絶対に必要だが、

    目標にしてはいけない。音の少ない、ゆっくりした曲で、自分の音楽を表現できなければ、表現者

    とはいえない。逆に言えば、初心者であっても、誰かの心をとらえる演奏や表現をすることは十分

    に可能であるし、その可能性を、あきらめずに追求していくべきだろう。では、どうすれば、その

    可能性を広げられるのだろうか。

     ピアノを演奏することの最大の問題点は、息をしなくても弾くことができてしまう楽器であるこ

    とであろう。もちろん生きるために息はしているのだが、歌手のように息の吸い方、扱い方をコン

    トロールしなくても、ある程度指が動いてしまえば演奏できてしまう。そのため、演奏が機械的に

    なりやすく、聴いている人が、演奏者から置いていかれたような気持ちになり、一体感を感じられ

    ずに終わることがしばしばある。そういった問題点をはっきりと感じるには、アンサンブルを経験

    することが望ましく、1人で弾いているだけでは理解できないことを数多く学ぶことが可能である。

    アンサンブルをすることによって得られるものを、以下で、具体的にみていきたい。

    Ⅳ ピアノ奏者がアンサンブルを経験することの重要性

    (1)ピアノとヴァイオリン まずは、ピアノと同じように、息を直接使わない楽器である、ヴァイオリンとのアンサンブルで

    みてみよう。

     例として、フリードリヒ・ザイツ(Friedrich Seitz 1848-1918)作曲の「コンチェルト ニ長調

    (Pupil’s Concerto No. 5 in D major op.22)」をあげてみる。

     3小節目、rall.の指示があるので、ピアノは少しゆっくりしたテンポになり、4小節目で、主役

    であるヴァイオリンが登場する。ピアノは、4小節目の1拍目は休符なので、一緒に合わせる必要

    もなく、ヴァイオリン奏者が自分のペースで演奏することができるため、特に問題なく音楽は進む

    譜例2 「コンチェルト ニ長調 No. 5」より第12-17 小節

  • ― 38 ―

    であろう。合わせるという意味では、比較的容易であり、ピアノ奏者にとっては苦労を感じない部

    分である。

     一方、次の曲はどうだろう。

     以下では、フランソワ=ジョセフ・ゴセック(François - Joseph Gossec 1734-1829)作曲の「ガ

    ボット(Gavotte)」をみてみよう。

     曲の最初、ピアノとヴァイオリンが同時に始まるのだが、掛け声をかけて合わせるわけにはいか

    ない。また、曲のはじめの部分であり、微妙なずれでも目立ってしまう上に、ここが合わないこと

    によって、これからはじまる音楽の印象を変えてしまうおそれもある。小さな音で始まる曲である

    ため、観客も息をひそめ、耳をすましている。演奏者は、最大の集中力を発揮していかなければな

    らない箇所である。試しに誰かに掛け声をかけてもらい、合わせてみよう。それだけでは完全には

    合わない。たとえ誰かに掛け声をかけてもらったとしても、2人の奏者がそれに合わせて息をして

    いなければ、意味をなさない。小さな音で始まる曲のため、息も少なめで短めの吸い方がふさわし

    い。息を吸う時から、もう音楽は始まっていること、音が鳴ってから音楽が始まるわけではないこ

    とを、2人の奏者がともにはっきりと認識していることで、2人の息が合い、音楽の方向性が観客

    に明確に伝わるといえるだろう。

     次は、同じ曲の1部分である。

    譜例3 「ガボット」より第1- 4小節

    譜例4 「ガボット」より第17-20 小節

  • ― 39 ―

     ここも、最初はピアノとヴァイオリンが同時に演奏を始めるのだが、先ほどと同じでいいのだろ

    うか。ヴァイオリンにはフォルテの指示があり、ピアノにはメゾフォルテの指示があるため、音量

    は大きく、曲想はおおらかで、ゆったりとしている。そのため、息も大きく、そして長めに吸うこ

    とになる。このように、これから始まる音楽の雰囲気に合わせるため、息の種類だけでも何通りも

    考えられ、2人の奏者が、ともにそのことを感じていなくてはならないだろう。

     次は、パブロ・デ・サラサーテ(Pablo de Sarasate 1844-1908)作曲の「チゴイナーワイゼン 

    作品20(Zigeunerweisen op.20)」である。本来、管弦楽とヴァイオリンで演奏されるが、ヴァイ

    オリンとピアノで演奏される機会の多いこの曲を例にあげてみたい。

     ピアノとヴァイオリンの大きな違いは何か、と考えた時に、まず思い浮かぶのは、ヴァイオリン

    は自分で音程をとらなければならない楽器であるということだろう。ピアノも、間違った音を出さ

    ないようにするために、正しい鍵盤に指を置かなくてはならないが、よほど離れた音でない限り、

    音程の違いで大変な苦労をするわけではない。ただヴァイオリンは、何より音程をとることが難し

    い。

     では譜例5をみてみよう。1段目の5小節目のヴァイオリンは、同じ音を弾いているだけである

    が、5小節目から6小節目にかけての音は、音程が離れている。このように音程が離れているとこ

    ろで、ピアノがマイペースに弾き続けるのではなく、ヴァイオリンに合わせて、時間をかけるべき

    であろう。その様なことをしたら、リズムがおかしく聴こえるのでは、と心配する必要はない。聴

    いている人は、ヴァイオリンのメロディを心の中で一緒に歌いながら聴いているのであり、その音

    程の差を本能的に感じ取り、むしろ、かかった時間を、自然なものとして受け入れることができる。

     また、2段目の3小節目の2つのヴァイオリンの音は、さらに音程の差が開いている。当然、か

    譜例5 「チゴイナーワイゼン」より第45-56 小節

  • ― 40 ―

    ける時間は、音程の差が大きければ大きいほど、長くなる。機械で計測することが難しいほどの小

    さな差ではあるが、その差は、ピアノ奏者とヴァイオリン奏者が、一緒に歌ってさえいれば、簡単

    に解決することができる。

     人は歌うとき、音程の差があればあるほど、どうなるだろう。隣の音を歌う時と、離れた音に向

    かう時では、たとえ同じリズムであっても、ほんの少しとはいえ時間がかかることが、むしろ自然

    であり、機械のような正確さで歌っているわけではない。

     息を使わない楽器どうしのアンサンブルであっても、両者が歌い、息を合わせることで、音楽が

    自然に流れることがわかってくる。

     次は、もっと気軽にアンサンブルを楽しむために、ピアノ連弾で考えてみたい。

    (2)ピアノ連弾 ピアノ奏者のアンサンブルには、1台のピアノを2人で演奏する連弾と、2台のピアノを使って

    2人で演奏するものがある。ここでは、気軽にアンサンブルを楽しむために、1台のピアノを2人

    で演奏する、ピアノ連弾について取り上げたい。

     ピアノは、本来1人で弾く楽器であるため、2人で並ぶと狭く、簡単な曲を演奏するだけであっ

    ても、音楽的、技術的な役割分担等、様々な事を事前に決めておかなければならない。ピアノが関

    わるアンサンブルには、弦楽器とピアノ、管楽器とピアノ、打楽器とピアノ、歌とピアノなどがあ

    り、人数も、二重奏や二重唱だけでなく、複数の器楽奏者との三重奏などがあるが、ピアノ連弾は、

    1台のピアノを2人であやつる特殊な形態であり、その不自然さから、思っている以上に難しいア

    ンサンブルの形といえるだろう。

     まず、どちらの奏者が上下、どちらの音域を担当するのか、それだけでも、組み合わせを変えて

    取り組むと、いろいろな発見がある。高い音域を担当する奏者は、メロディを弾く確率が高いため、

    音楽をリードできる積極性と、1本の指でもしっかりとした音で響かせる技術がある方が好ましい。

    一方、低い音域を担当する奏者は、ペダルを踏むことになるため、ペダルに対する意識の高さが求

    められる。

     ペダルに関しては、1人で弾いていても、慣れと経験、音をしっかりと客観的に聴き分けられる

    能力が必要であり、適切に使いこなすのは、かなり難しい。単に音をつなげるためだけに使うので

    はなく、響きを増やすため、やわらかさをだすため、音量を増やすため、雰囲気を変えるためなど、

    ペダルの技術は、手や指の技術と同様の反復練習が必要となる。ピアノ連弾において、ペダルを担

    当する場合、自分の音と、もう1人の音、2人分の音を聴いて判断していかなくてはならないので、

    難易度がかなり高くなる。

     また、「左のペダル」と言われることが多い「ソフトペダル」の存在も忘れてはならない。ソフ

    トペダルは、音を小さくするために使う、ということが役割のように思われているが、本来はそれ

    だけではない。グランドピアノの場合においては、ソフトペダルの役割は特に複雑で、音色を変え

    るために使う、というのが、正しいだろう。様々な効果を狙って、工夫をし、ピアノの音色を自由

    自在に変えていく技術は、初心者にはあまりなじまないかもしれないが、ピアノという楽器の可能

    性を広げるためには、必要不可欠な技術の1つといえるだろう。特に、他の楽器とのアンサンブル

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    では、ピアノほどの音量を出せる楽器は少ないため、メロディなどの大事な音を引き立たせるため

    に使うことが多く、時に、ソフトペダルの存在がなくては、両者のバランスがうまく保てない場合

    すらある。アンサンブルをするために、ピアノ奏者は、適切に、そして必要な時にはいつでもソフ

    トペダルを踏めるように準備しておき、耳で、使うべきところを判断する能力を必ず身につけてお

    きたい。

     さて、ピアノ連弾の練習について引き続きみていこう。連弾といえども、まずは自分の担当する

    所を1人で練習することから始まるのであるが、自分のパートが完全に弾けたとしても、連弾の場

    合は、そこがスタート地点であり、ゴールではない。なぜなら、2人で1つのメロディーを奏でた

    り、相手の手が当たるなどして弾きにくい場合には、自分の指の位置を変更したり、もしくは、自

    分のパートを相手に弾いてもらうことで、音楽が自然に流れるというような事さえおきる。2人で

    弾いてみないと分からない問題が多く、その過程も含めて楽しむことが、ピアノ連弾の本当の面白

    さである、といえるだろう。

     ここで、ピアノ連弾曲、クロード=アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)

    作曲の「小組曲(Petite Suite)」から第3曲「メヌエット(Menuet)」の1部分をみてみよう。

     まずは冒頭。1小節目と2小節目では、2人でメロディを分け合っている。低い音域を担当する

    奏者は、自分の感覚で4分休符を感じるのではなく、高い音域を担当する奏者の付点2分音符を聴

    いて、それに応えるように自分の演奏をしなければならない。リズムだけでなく、音の大きさも、

    バランスが大切になる。まさに2人で1つの音楽を作っていく楽しさを実感できるところであり、

    このような箇所が数限りなくあることから、ピアノを演奏する人には、アンサンブル能力を磨くた

    めの練習として、また、音楽をしっかり聴く練習として、必ずピアノ連弾を経験してもらいたい。

    1人でピアノを弾いていると、しっかりと聴くことが出来ていないものである。音を聴いていなく

    ても、自分の手は自分自身でコントロールしているのだから、一応手が覚えていて、弾けてしまう。

    譜例6 「小組曲」第3曲「メヌエット」より第1-6 小節

  • ― 42 ―

    ただ、そういった演奏は、音は鳴っているけれども、音楽にはならない。集中して聴く訓練として、

    ピアノ連弾は最適といえるだろう。

     同じく、メヌエットからの1部分をみてみよう。

     上の段をみてみると、5小節目から、高い音域を担当する奏者の右手に、メロディの始まりがみ

    てとれる。低い音域を担当する奏者は、4小節目の細かい音符が気になる上に、5小節目が弾きに

    くく、難しいため、自分の演奏に夢中になりやすい。だが、本当に考えなければならないことは、

    自分の細かい音符のことよりも、メロディの始まりを感じて、一緒に息をすることであり、メロディ

    を歌うことである。

     次は、下の段をみてみよう。上の段から始まったメロディは、下の段の1小節目で区切りがある

    ため、歌ってみると、息継ぎをする場面であるといえる。低い音域を担当する奏者は、上の段から

    下の段にかけて、音は違っても、同じ形の動きであるために、淡々と進んでしまいがちであるが、

    ここで、一緒にスラーの切れ目を感じ、息継ぎをしなくてはならない。実際に、ここで息を吸い、

    呼吸を合わせることで、2人の音楽の一体感が保たれ、2人で1つの音楽を奏でることができると

    いえるだろう。そうすることで、2人の奏者だけでなく、聴いている人も、同じ空間を共有し、呼

    譜例7 「小組曲」第3曲「メヌエット」より第64-73 小節

  • ― 43 ―

    吸を合わせることができ、音楽の自然な流れに、安心して身を任せることができるのである。

     ここまでは、アンサンブルを経験することの意味、息を合わせることの大切さ、についてみてきた。

    これらのことは、ピアノ初心者にも、すぐに体験できる方法がある。それは、「弾き歌い」である。

    もう1度、譜例1の幼児歌曲、「おかあさん」に戻って、みていきたい。

    Ⅴ 弾き歌い

     幼児歌曲を練習するときに大事なことは、伴奏であるピアノに気をとられることなく、まず、歌

    詞をよく読むことではないだろうか。歌詞の存在により、表現のためのヒントが多くなっているこ

    とを大いに利用するべきであろう。

     では、譜例1の「おかあさん」の楽譜をみていこう。

     歌詞の始まりの部分で、「おかあさん」という「子」の呼びかけに対して、「なあに」と「母」が

    応じる形になっている。一息で歌うことも可能であるが、子から母へと、語っている人物が交代し

    ていることを強調するために、「おかあさん」と「なあに」の間に、十分に息をしてみよう。母と子の、

    愛情溢れるやりとりが目に浮かぶのではないだろうか。こういった場所で、歌詞の意味を考えるこ

    となく弾き歌いをすると、音楽を進めるだけになってしまい、休符が時間通りに、機械的に守られ

    すぎて、逆に息苦しく感じさせる原因となる。感情を込めて、大きな声で歌うことで、しっかりと

    した呼吸をすることになり、よりはっきりとした表現ができるようになるだろう。「表現すること」

    は、自分で理解しているだけではなく、「誰かに伝えること」なので、伝えたい、という思いの強

    さが強くないと、伝えることが出来ない。誰かに伝えるということの難しさを、常に頭において、

    歌詞に込められたものを敏感に感じ取れるようにしていくことが必要なのではないだろうか。

    Ⅵ おわりに

     本稿では、歌うことや、アンサンブルの大切さを認識することの重要性を検討してきた。音楽を

    演奏する演奏者にとって大事であるだけでなく、音楽教育に携わる者にとっては、さらに意味のあ

    ることのように思う。音楽を通して、誰かと息を合わせ、1つのものを作り上げることは、他人を

    思いやる気持ちを育てるきっかけとなり、作詞者が、歌詞を通して伝えたいことを、子どもたちに

    伝えることが出来るだろう。

     今後は、器楽曲、特にピアノの初心者が弾く機会の多いピアノ教則本を分析し、美しさを表現す

    るために必要なことを考えていきたい。

    引用文献

    ・譜例1 伊藤嘉子・小川宜子・妹尾美智子・長柄孝彦・早川史郎編 1991 保育の四季 幼児の

    歌110曲集 エー・ティー・エヌ p.14

    ・譜例2 兎束龍夫・篠崎弘嗣・鷲見三郎編 1965 新しいバイオリン教本 3・4巻 ピアノ伴

    奏譜 音楽之友社 p. 4

    ・譜例3 前掲譜例2 p.18

  • ― 44 ―

    ・譜例4 前掲譜例2 p.19

    ・譜例5 兎束龍夫・篠崎弘嗣・鷲見三郎編 1967 新しいバイオリン教本 6巻 ピアノ伴奏譜

     音楽之友社 p.84

    ・譜例6 安川加寿子校註 1997 ドビュッシー ピアノ曲集 Ⅸ 音楽之友社 p.18

    ・譜例7 前掲譜例6 p.22