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Meiji University Title Author(s) �,Citation �, 67(4-5-6): 131-164 URL http://hdl.handle.net/10291/11835 Rights Issue Date 1995-03-25 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

労働法と和解 - 明治大学...133 一労働法と和解一 以上述べた分裂の印象、表と裏の関係は、和解の理解に大事である。認する勢力(裏の顔)を心配したからである。表の顔だけでなく裏の顔を考えることも大事である。

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Meiji University

 

Title 労働法と和解

Author(s) 松岡,三郎

Citation 法律論叢, 67(4-5-6): 131-164

URL http://hdl.handle.net/10291/11835

Rights

Issue Date 1995-03-25

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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法律論叢 第六十七巻第四・五・六号(一九九五.二)

労働法と和解

131

  目 次

はじめにー日本人の法意識-和解への傾斜-

 一 アメリカの有識者の見た日本人

 ニ アメリカの法学者の見た日本人の法意識i裁判と和解の日.米の背景ー

1 日本労働法制定当初の夢と破綻

 一 行政救済に期待i迅速・無料・専門的解決-

 二 労働法制定当初の夢の破綻-裁判の続出i

H 労働事件と和解

 一 和解は労働法の充実が前提

 二 労働委員会における和解の浮上

皿 労働裁判と和解

 一 転・配転、単身赴任

 二 労働災害

 三 女性差別

W 和解の効用i二つのモデルー

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一 業務の確認と適用範囲の拡張

二 事件の後始末と新しい労使関係の示唆

あとがき1労働法当初の夢の命運

はじめにi日本人の法意識-和解への傾斜ー

法律論叢  舳 アメリカの有識者の見た日本人論

 極東の島国に育った日本人とはどんな異種の人間かという興味は、世界の学者・研究者により、いろいろの立場か

ら、持たれてきた。とくに、アメリカ人は、貿易や戦争などで日本と接触する機会あるごとに、日本人の建前と本

音、表の顔と裏の顔に接し、それを指摘し、日本人論に花を咲かせ、その作品でベストセラーになったものもある。

 ω 礼儀正しさと嘘つき

 ペリー提督時代の日本人について、ペリー提督の部下は、日本人を「世界でもっとも礼儀正しい国民」だと考え

た。ところが、ペリー提督自身は、日本人は、嘘つきで、逃げ口上ばかりいう偽善的国民だと公言している。この分

裂した印象は、歴史学者フォスター・リア・ダレスがいったように、「アメリカ人が日本人について考える場合の、

                     (1)

ひとつのパターンとなり、以後百年変っていない。」

 ② 喧嘩好きと同時におとなしく

 第二次大戦中の日本人について、「菊と刀」の著者ルーズ・ベネディクトは、分裂した印象をつぎのようにのべて

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一労働法と和解一133

おり、シーラ・ージョンソン氏は、これをつぎのように紹介している。

 「日本人は最高に喧嘩好きであると同時におとなしく、軍国主義的であるとともに耽美的であり、:….忠誠心があ

                                              (2)

るくせに裏切りやすく、勇敢だと思うと弱きになる。保守的なくせに新しいものにすぐ飛びつくところもある」

 ⑧ 基本的人権力ケラもなく1日本人の不断の努力を説く

 連合国が一九四五年日本を占領したとき、マッカーサー元帥は、その眼にうった日本人をつぎのように描いてい

る。 

「……基本的人権などカケラもなく、農民、労動者、小さな商店の経営者など、国民大衆は強引に容赦なく搾取さ

                           (3)

れていた。……日本は、まさに神話から抜け出たような国だった」

 だから連合国の援助によって一九四六年に作られた日本国憲法は、基本的人権を高く掲げた(憲法の表の顔)が、

他方、国民の不断の努力によって保持しなけれぽならないと謳っているのは(一二条なお九七条参照)、その権利を否

                                          (4)

認する勢力(裏の顔)を心配したからである。表の顔だけでなく裏の顔を考えることも大事である。

 以上述べた分裂の印象、表と裏の関係は、和解の理解に大事である。

ニ アメリカの法学者の見た日本人の法意識-裁判と和解の日.米の背景i

 明治大学とロサンゼルス校(UCLA)との共同研究のアーサー・ロゼット、我妻洋両教授の担当部分は、「日米

                 (5)

法制度の比較研究に関する一考察」である。

 その中から、アメリカと比較して、主に和解に関連して日本の法意識の特色を抽出してみると、次の二点に着目し

たい。

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134叢論律法

 第一に、契約で文書を整備し、契約対象者相互の責任を明確にすることより「日本の商慣習ではメモやロ約束が大

きな比重をしめている。」

 契約は、アメリカでは「将来予想される問題の発生に備えて、予防的な措置としての色合いが濃い」が、日本では

「過去に蓄積された相互の信頼関係の発現であり、それを確認するシソボリヅクな意味あいが強い。そのことは、日

本の契約にしばしぽ登場する、“誠意をもって”とかあるいは“両者協議の上”とかいう表現に明らかである。」

 第二に、日本では問題が起こると司法の強制的措置よりも、仲裁や和解といった途を選ぶことが多い。

 裁判は、アメリカでは、「信頼関係の修復のため活用される」が、日本では、「ハーモニi」、「和」の破壊になりか

ねない。だから日本では、裁判によるよりも、「和」に基づく問題解決を志向しがちである。

 このロサンゼルス校(UCLA)のアーサー・ロゼット、我妻洋両教授の作品は、両教授によれぽ川島武宜教授の

                                  (6)

日本人の契約観の特異性の観方に感銘を受け、それを通して論述したものである。

 筆者も川島教授の方法論に賛成であるし、また、筆者の見聞によっても両教授の日・米の比較法的論述にも、同調

するものである。

 若干述べると、第一に、日本の口約束は、通常である。民法でも、文書を要求するものは、贈与(五五〇条)、遺

言(九六〇条)など、少数に限られ、殆んどが、 口約束によってもよいとし、労働法でも、書面を要求されたもの

は、労働協約(労組法一四条)、賃金契約(労基法一五条一項、則五条二項)など稀な場合を除き、 口約束を認めて

いる。法律で要求しない限り、日本では、口約束やメモが多い。これが、日本とアメリカの大きなちがいである点、

両教授の指摘する通りである。

 第二に、両教授が述べられるように、アメリカ人の裁判による解決が信頼を回復するためのものであるとするに反

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労働法と和解

して日本人の裁判に対する受取り方が人間関係を破壊するものであるとするから、裁判よりも和解の道を選ぶという

ことになる。

 わたくしは、一九八五年に、アメリカのロボットによる死亡事件の調査のため現地に出かけて、アメリカ人の訴訟

好き社会を実感した。アメリカ人は、日本人からみると、些細なことでも、裁判所に訴訟を提起する。だから商店や

工場は、小規模のものでも訴訟にそなえて、顧問弁護土をかかえ、保険に加入をしている。実際弁護士の数と訴訟件

数は、日本と較べてはるかに多い。わたくしのでかけた当時の古い資料だが、弁護士の数は、日本では一万人に一人

であったが、アメリカでは四五〇人に一人であり、訴訟件数は、カルフォルニアだけで日本全体より多かったという

   (7)

報告がある。その原因は、いろいろあるが、日本人は、裁判を敬遠していることに大きな原因がある。

 その点について、コロンビア大学のM・K・ヤング教授の鋭い見解がある。筆老は、この見解をアメリカで発見し、

すでに、引用したこともあるが、ここでも、ふれておこう。曰く「アメリカでは、『まず、撃て、話し合いは後』と

いうのだが、日本人の通常のスタイルは妥結に導く話し合いを基礎に置く。日本では、起訴の前に、非公式、公式の

数々の警告が長い間行われる。アメリカ人は、個々人の価値と態度を強調するが、日本人は共同体の価値と利害をよ

り重視する。日本人は、その権利行使が私的な関係に与える影響を強調しまた、当事者の将来の長期の関係にどんな

          (8)

衝撃を与えるかを考慮する……。」

 その結果、日本人は、裁判よりむしろ和解や話合いを選択し、あるいは、あきらめてしまう。

135

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1

日本労働法制定当初の夢と破綻

行政救済に期待  迅速・無料・専門的解決ー

叢論律法

 日本は、一九四五年八月一五日に、ポツダム宣言を受託し、民主的平和国家の再生を世界に誓い、その印に、同年

に労動組合法を制定し、翌一九四六年に、日本国憲法と同じ国会で、労働関係調整法と労動基準法を制定した。

 それ以前の事から簡単に述べると、明治、大正、昭和の三代にわたって、日本が戦争に狂奔していた頃、労働者

は、まるで、機械以下の取扱いを受けていた。機械は、こわれると、修繕するが、労動者は、病気になると、解雇さ

れる。だから工場法の立案者の岡実社会局長官は、その立案にあたって、「夫レ職工ハ工業主ニトリテハ之ヲ生産用

具ノ一種ト看倣スベキモノナリ。機械に破損ヲ生スレハ工業主ノ負担二於テ之ヲ修繕スルハ当然ナリ」と述べ、又松

                 (9)

本丞{治博士も、人命の軽視を指摘している。

 又、当時の低賃金、長時間労働、差別取扱いに対して、労動者が団結して、その改善の要求を行動すると、治安警

察法、後には治安維持法によって、検察が発動し、裁判は有罪とすることも、少なくなかった。とくに、争議行為に

対しては、刑罰だけでなく使用者は、懲戒解雇で臨み、行政も、裁判も、これを認めた。

                               (10)

 これを背景に、一般に、労働組合は悪党か謀反人という風に受取られた。だから識者は、車は両輪がないと動かな

                         (11)

いが、右の車輪が経営者であり、左の車輪が労動組合であるとか、使用者と労働組合との関係は、親と子の関係であ

(12)

るとも、説いたが、第二次大戦に突入して、労動組合は、ウジ虫とされ、遂に、解散された。さきに述べたマッカー

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労働法と和解137

サー手記が指摘しているごとく、戦前三年間に『危険思想』のカドで六万人も逮捕され、裁判も、同調した。

 だから第二次大戦後一九四五年に労働組合法は、翌年制定された日本国憲法によって強化され、正当な団結、団体

行動を罰しないこととして、従来の検察に眼を光らせ、同時に、使用者に労動者の不利益取扱(不当労働行為)を禁

じ、その救済機関として、専門の民間人よりなる労動委員会を労働組合法の中に設置した。会長は、不当労動行為の

手続の過程で、和解の勧告権を有することとした(労働委員会規則三八条)。なお、労動委員会は、労働関係調整法

による争議のあっ旋、調停、任意仲裁の調整の作業の権限を与えられた。

 また、日本国憲法と同じ国会を通過した労働基準法は労働者は機械以下でなく人間であることを前提に人間らしい

生活を保障することを宣言し(一条一項)、同法の刑罰によって保障した労働条件をまもるため、従来にはみられな

い専門職の行政官としての労働基準監督官の組織を同法内に定めた。

 更に、公共職業安定所は、加えられ、サービスと中間搾取の取締りに乗りだした。

 いずれも、従来の人権を無視して弾圧に協力した裁判所に対する不信感を示している。

 又従来の経験からみて、事件が裁判所にかがると、解決に長くかかるし、費用も少なくない。労働者には、いつれ

も不利である。それに、裁判官は、一般の法律1法理理論には、すぐれているが、労働問題に対しては、理解がない

かも知れない。

 そこで、専門的な労働委員会や労働基準監督署等労働行政機関は、時間と金をかけないで解決を期待された。これ

で時間と金のかかる裁判に世話を受けることはなくなったと思われた。

 それは、大げさに言えぽ、民主的平和国家再生日本の終戦直後の労働法の夢であった。

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138叢論律法

二 労働法制定当初の夢の破綻-裁判の続出1

 労働委員会や労働基準監督署等で、解決し、裁判所までゆかないで、早急に、労使納得するという、労働法の当初

の夢は、完全になくなったわけではないが、そう長くは続かなかった。

 ω 不当労働行為事件

 労働委員会の例をとってみると、使用者が労働委員会の命令の取消訴訟を提起したとき、その命令は、確定しない

ことになるが、そうなると、判決確定まで相当の日時を要するから、受訴裁判所は、当該労働委員会の申立てによ

り、決定をもって使用者に対し判決の確定に至るまで、その労働委員会の命令の全部又は一部に従うべき旨の命令緊

急命令をだすことができることになっている(労組法二七条八項)。受訴裁判所は、長い間、労働委員会の命令を尊

重してきたが、吉野石膏事件で、東京地裁は、労働委員会の命令を取消した(昭54・2・1決)。東京高裁も(昭54・

8・9決)、最高裁も(昭55・2・29最口決)、結論においては、東京地裁に同調した。

 もっとも、吉野石膏事件以後、緊急命令の申立てを認容しない例は、比較的少なく、これに反して認容例(部分認

        (13)

容を含め)は、多い。しかし認容如何に拘らず又緊急命令のパイプ通さないで、裁判所-最高裁にもちこまれた件

数は、終戦直後の労働法の予想に反して、意外に多いといえる。

 しかも最高裁までもちこまれる件数が多くなるに従って中労委の段階で救われなくなったという印象を受ける。

 不当労働行為で、地労委でともかく中労委で救済されることが期待されず、最高裁までもちこまれて、長年月を経

て、救済されなかった場合は、物・心両面の損失は、大きいし、又救済されたとしても、役に立たない場合がある。

何年前の春斗の団交に応すべきであるという救済を受けても、どんな役に立つだろうか。又不当労働行為として救済

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労働法と和解139

され、労働運動の指導者が一〇年後に復帰しても、組合が、一〇年の間にすっかり変っている場合に、彼は、職場に

帰って、一人で、どんな組合活動が、待っているであろうか。

 既に述べたように日本人の気質は、和解を選択する気持が強いので、労働委員会ー中労委の判定機能に対する失

望、裁判所-最高裁の長期化に伴ういろいろの不安は、和解に走らせた。

 ②労基法事件

 労働基準監督署その他についても、云える。 たとえぽ労働基準監督署は、主として労働基準法を順守させるため

に、罰則を背景に監督をする。当初、労働基準法は、独立の、民主的専門職の労働基準監督官組織だけで十分である

と思われていたが、意外に二つの方向に展開した。

 その一つは、民事判例の続出である。労働基準法の制定当時、労働基準法の諸問題は、労働基準監督署が、迅速

に、無料で、専門的解決するものだと期待したこと、すでに述べた通りである。しかし期待通りゆかず、民事判例が

                                           (14)

続出し、わたくしは、一九七五年日本労働法学会誌に、そのことについて、わたくしなりに論文を書いた。その後、

労働基準法に関し、民事判例は、衰えることなく、残業、年休、就業規則、転勤、女性の昇進差別に関する最高裁民

事判例は、現在まで、すでに下級審を含めると、膨大な数に及んでいる。

 どうしてそうなったのであろうか。それには、いろいろの理由があろうが、その一つに労働基準監督署が、所期の

迅速、専門的機能を果さなかったことによる喝

 年休についてはいえぽ労働基準法によると、使用者は、「労働者の請求する時季に与えなけれぽならない」。これに

違反すれば、使用者は、六箇月以下の懲役または一〇万円(現行法では三〇万円)以下の罰金に処せられる。但し請

求された時季に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合においては、他の時季に与えても、右の刑罰

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140叢論律法

を受けないことになっている(三九条四項、一一九条)。

 労働基準監督署としては、事業の正常な運営を妨げるかどうかを判断し、妨げない場合には、請求したときに、与

えなけれぽ、刑事罰を発動するという毅然たる態度をとれぽ迅速に解決できたはずである。

 労働基準監督署で期待通りの救済してくれないと、労働者は、民事訴訟を提起する。請求は民法上の請求権、形成

権かが争われた。前者は、使用者が主張し、これに該当すれば、年休は使用者の承認を要すことになり後者は、労働

者が主張し、請求と同時に直ちに効力を生ずる。使用者の承認を要するか否かの論争は、裁判にかかる以前から、労

基法ができた後も、続いていたものであるが、それは、昭和四八年(一九七三年)に、最高裁で決着をみた。年休の

権利は、事業の正常な運営を阻害しない限り、目的いかんを問わず、使用者の許可ないし承認を要せず、自動的に生

ずるとい判旨である(昭48・3・2国鉄郡山工場事件、全林野白石営林署事件最口判)。それは、時季指定権と呼ぼ

れる。

 このケースは、昭和三七年に提訴されたのであるから、最高裁の判決による解決まで、=年の歳月が経過してい

る。解決まで、いわゆる“一〇年戦争”が、斗われたことになる。行政、民事の分野でも同じことであるが、一〇年

以上かかるものが、少なくない。二五年戦争」、「二〇年戦争」といったぐあいである。金のない労働者として、と

うてい、たえられないことである。

 最高裁民事労働事件のもう一つの特色として、判決の中に、判決の結論として、民法の公序良俗(九〇条)、に反す

る目的i「不当な目的」、「信義誠実」に反する方法(一条二項)、「濫用」(一条三項)1主として酷に失する結果を

重視するものが多発しており、また、第二次大戦後、特に、最高裁民事労働事件で、結論に、「合理性」の表現が使

    (15)

用されている。

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労働法と和解一141

 これらの表現は、日頃、法律に疎遠の素人にも、理解できるものであるだけに、素人も意見を有する。だから、「そ

のことは、裁判の長期化に対する悩みの解決と同時に、解決の糸口ともなる和解えの傾斜となるのだろう。

 その二は、労働行政判例の増加である。労働者は、業務上死傷病の事故を受けた場合、たとえ、これが使用者又は

労働者の過失による場合であっても、国から労災保険法の保護を受ける。その第一次認定者は、労働基準監督署であ

る。これに事実上最終的な迅速な解決をしてもらうことが当初の夢であった。

 しかし法的には、労働者は、労働基準監督署の業務外の認定に不服の場合には、労働保険審査官、審査会を経て、

裁判所に行政訴訟を提起することができることにしたのは、法の立前上当然である。

 この行政訴訟で、最高裁までいったケースは、比較的少ない。国側労働省は、高裁で敗訴すれぽ、それ以上、上告

することは、比較的少ない。最近の和歌山労基署長(ベンジジン)事件(平5・2・16最日判)は、国側が上告して

敗訴した珍しい事件であるが、最高裁まで争われた例外に近いものというべきものである。労災事件は、被災者を迅

                    (16)

速に救済するという見地から望ましいことである。

 この事件も、提訴後一七年に及び、夫は地裁の判決がでる前に、最後の二人とも、死亡した。行政訴訟でも、長び

き、老齢化し、死ぬまでに、判決をみたいという気持が、原告側に強く響き、又訴訟の長期化とともに、財政の逼迫

に、年老いた妻、遺族の弁護活動は、衰えがちである。ここにも早期の和解の途が期待される。

 労災行政事件で、使用者の過失から生じたものについては、労働者は、国に対して労災補償を請求すると同時に使

用者に対して民事賠償を請求できる。使用者の民事賠償責任については、不法行為の面(民法七〇九条)から追求さ

れていたが、昭和五〇年代になって、労働契約に付随する安全配慮義務違反の側面(民法四一五条)から迫る方法が

裁判の世界で増加し、被災者に軍配をあげる判例が、頓に数を増した。その最初の最高裁の判決は、陸上自衛隊八戸

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  車両整備工場事件である(昭50・2・25最日判)。

囎   その後、安全配慮義務の法理で被災者を救済した最高裁判決は、いくつも、続いて出されているが、労災行政に関

  連して出されたものは、いずれも民事判例同様長年月かかっているし、その間、被災者本人は、既に他界し、妻は、

  すでに老いている場合が、通例である。和解への期待がかけられる所以である。

11

@労働事件と和解

叢論律法

和解は労働法の充実が前提

 和解の意義について、民法は、「和解ハ当事者力互二譲歩ヲ為シテ其間二有スル争ヲ止ムルコトヲ約スルニ因リテ

其効力ヲ生ス」と定め、当事者の互譲を説いている。(六九五条、その和解の効果について、六九六条)。

 それは、当事者の対等人格と契約の自由を前提としている。

 しかし労働者は、使用者-資本家に対して決して対等ではなく、契約の自由を有するとはいえない。特に、不況の

場合に、そのことは露骨に見える。

 労働者と使用者との関係は、ドイツでは使用従属関係筈プぎσq凶σq犀⑦潔と呼ばれている。それは、既に古典的学説で

あり、批判も、ないこともないが、日本の労働省労働基準局も、最高裁判所も、その影響を受けているし、日本の労

                                (17)

使関係を考える場合に、便利なので、この考え方が、日本では、有力である。

                                                (18)

 従属関係とは何か。カスケル教授の有名な反対論もあるが、ジンツハイマー教授の法社会学的考え方を軸として、

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労働法と和解143

従属関係理論をわたくしなりに理解してみよう。

 文切型になって、やさしく云うと、労働者は、労働力を売って生活するが、原則として売り惜しみができないか

ら、労働者は、生産手段を有する使用者に対して、経済的には弱者の地位にあり、経済的従属関係註『畠。冨h岳畠①

⇔ぴげぎσq一σq訂一けの下に、使用者の一方的に決めた値段で労働力を売り渡し、その後、使用者の指揮命令の下に従事す

る。その場合使用者は労働者の労働力を超えて人格を支配する至る。これを人格的従属関係や⑦ωO旨=昏①餌げ冨 σq蒔

犀①詳という。

 日本では、会社人間といわれ、極端な場合には、会社のために犯罪も犯し、あるいは命をも犠牲にしないとも限ら

                                    (19)

ない。そこまでいたると、人格的従属関係は、ギールケの中世的身分的従属理論に近い。

 このような従属関係下にある使用者と労働者のトラブルの和解は、労働者に自由はなく、結果は、対等でなく非人

間的な解決で終ること、明らかである。そこで、和解に有識者があたるとしても、その背景に、労働法の保護がない

限り、限界がある。そもそも和解は、当事者の対等の力と納得が前提である。

 労使間のトラブルの和解は、労働法の誕生によって、はじめて期待ができる。

 それゆえ、従属関係をなくして、人間として解放するために、市民法では、契約の自由として認められることに対

しても、いちいち、刑罰をもって介入する(例えぽ労働基準法など)と同時に、労働者が使用者と対等に取引するた

めに(労基法二条、労組法一条)、正当な団結、団体交渉その他の団体行動権を承認し(憲法二八条)、労働組合法

は、正当なその行為に対して罰しないとし(一条二項)、正当な争議行為に対し使用者の賠償を排除した(八条)。

 特に、労働組合法は、市民法と異なり使用者に労働者の団結、正当な組合活動に対する差別取扱、正当な理由なく

団体交渉の拒否、労働組合に対する支配介入を禁じている(七条)。初期においては、その不当労働行為に対して直

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144叢論律法

ちに刑事罰を科することにしていたが、現行法は、確定判決によって支持された労働委員会の救済命令に違反する場

                       へ

合にはじめて、不当労働行為をした者に一年以下の禁こ若しくは十万円以下の罰金又は併科に処することとした(二

七条、二八条)。

二 労働委員会における和解の浮上

 不当労働行為の和解は、労働委員会規則の調査の手続(三七条)と審問の開始(三九条)の間に(三八条)規定さ

れている。

 同規則三七条の二によれば、委員会は、「当事者に対し、審査中であっても、審査の実効を確保するため必要な措

置をとることを勧告することができる」とし、同規則三八条は、「会長は、適当と認めたときはいつでも、当事者に

対して和解を勧告することができる」と定めている。

 もとより労使の自主的和解は、民事法と同じく可能である。この職権による和解は、労働委員会による不当労働行

為手続の進行中-何も調査手続と審問手続との問に限定されるものではないがーの一齢として位置づけられていると

ころに意味がある。

 しかし理論的にいうと、元来、犯罪にも通ずる不当労働行為を斡旋、調停にも類する和解の方法で解決すること

は、準司法的事項と準行政的事項の混同であり、また、労使関係の自主的解決という本来のすじにかえすことを遅ら

せる心配がある。

 とはいえ、裁判は、労働問題に理解がないし、又、時間と金がかかるというので、労働委員会制度ができたのに、

その労働委員会の不当労働行為事件も、意外に、長い時間を要する。労組法七条二号の団交拒否事件に二年有余を要

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労働法と和解145

すといった事件も少なくないので、裁判所に団交応諾義務の確認を仮処分の訴えの方がはるかに解決が早いという声

もあるが、労働委員会は、裁判所とちがって、「団交権の性格とか労組法七条二号の解釈かを念頭におくのでなく……

公式非公式に打診し、円満和解の可能性を探るのである。……法形式にそって単に救済命令を下せぽよい対応ではな

い。こうした対応は、七条二号のみならず、 一号、三号事件においても同様である」と、山本吉人教授は結んでい

(20)

る。達見である。

 山本吉人教授の茨木地労委会長の気持としては、裁判所と労働委員会の対比は理解ができる。それにしても労働委

員会の不当労働行為事件は、長すぎる。不当労働行為の多くは和解によって解決しているのはその為である。

 不当労働行為救済手続のなかに導入された和解は、不当労働行為の救済命令をめぐる形式主義を補い、また、日本

の企業内労使関係から労使双方共知りつくしていることもあって、その気持になれば、相互の傷を少なくして迅速に

         (21)

解決することもできる。

                                             ヘ  ヘ  へ

 しかも外尾教授は、和解は、当事者の話合いによって解決することであるから、将来の労使関係にしこりを残さな

いという利点を有するし、また、なによりも簡潔・迅速に事件を解決することができるという長所をもっている。だ

からこそ、八割あまり和解・取下げによって解決しているのであるとしながら「労働委員会は、団結侵害の救済機関

                                          (22)

であるという筋だけはきちんと通したうえで、和解の勧告をすべきであろう」と釘をさしている。

 外尾教授の八割以上の和解・取下げの指摘は、数字はともかく、和解の多いことは、大同小異である。ごく最近の

中労委の審査事情は平成三年、四年、五年度別に見ても、中労委で、救われたといえるものは、きわめて僅少である。

そしてその審査期間が、委員会制度を立案した趣旨に反して長すぎる。だから「中央労働委員会の命令が『出ない』、

出ても『遅い』、その上内容が『悪い』ため、『出ない・遅い・悪い』と評されてすでに久しい」「少くとも不当労働

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146叢論

行為の審査機関として中労委は、もう『死に体』に近いといっても過言ではない」といった、中労委に対する辛口の

         (23)

批評がでているのである。

 さらに、最高裁までゆくと、長期にわたり、又労使にとって結論が不安だけでなく打撃も大きい。労使に和解の気

持が出てくると、中央労働委員会は、責任を回避することができない。

 それは、手打ち式程度の場合もあるが、命令の形をとらなくても、実質は、命令と同じ内容のものであったり、将

来同じような不当労働行為をしない予防1ある意味では、救済中心の命令より進歩的内容のものであったりする。そ

れは、労働委員会に提訴する以前、提訴して以後、示された労使の力関係、信頼関係による。

m 労働裁判と和解

律法

転・配転、単身赴任

 ω 和解の威力の源

 右に述べた労使の力関係を背景に労使のしこりをなくする期待の下に、和解は、転・配転、単身赴任の世界にも、

あらわれている。

 裁判の法解釈として、労働組合法第七条(正当な組合活動を理由とする転・配転差別、正当な組合活動に対する介

入にあたる転.配転)、労働基準法第三条(信条差別転・配転)などの労働法規、民法第九〇条の公序良俗に反する

ことを目的とする転.配転はもとより労働協約、就業規則は、夫々法規範的効力が認められるので(労組法一六条、

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労働法と和解147

労基法九三条)、労働協約、就業規則に違反する転・配転も無効とされる。又労働契約で、業務と場所を定めた場合

それに反する転配転も無効である(労基法二条二項)。

 以上のような法規範に違反しなくても、裁判上、濫用とされ、転・配転が無効とされたものは、①不当な動機・目

的でなされた場合、②業務上の必要性のない場合、③合理的基準に該当しない場合、④人選の相当性、公正を欠く場

合、⑤信義則に合致しない場合、⑥業務上の必要性に比べて労働者とその家族の人間らしい生活(労基法一条一項)

の受ける不利益が大きい場合、⑦クリーソ・ハンドでない場合等である。

 しかも裁判所はこの認定するにあたって、先例、慣習を探求、さらに、合理的解釈をしている。

 転・配転、単身赴任について、法解釈を多角的にすると、裁判は長期化せざるを得ず、又、見解がわかれる。戦後

転・配転について、最高裁までいって解決されたものは、二件しかない。この問題は、むしろ、和解で解決するべき

問題である。とくに、夫婦別居せざるを得ない転・配転の場合には、事前、事後を問わず、納得が大切である。その

場合にも、和解が、それを成功させる力がある。

 ② 転・配転-東亜ペイント事件i

 東亜ペイント会社は、大卒の主任待遇の営業担当者Aを神戸から名古屋に転勤を命じたが、Aは、家庭の事情を理

由に拒絶したので、Aを懲戒解雇にした゜

 Aは、大卒資格の営業担当者として入社したので、勤務地を大阪に限定する旨の合意はなく転勤命令権を認めた上

で、転勤命令権の濫用にあたるか否かが争われた。その中で、特に、大阪を離れたことない実母(七一歳)、保母と

して勤務し資格取得のために勉強中の妻(二八歳)、長女(二歳)は、いつれも大阪を離れることができないため、

残して赴任させることは、一審、二審とも濫用とした(右⑥)。

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148叢論律法

 しかし最高裁は、Aに与える家庭生活上の不利益は、「余人をもっては容易に変え難いといった高度の必要性に限

定すること」は相当でなく「転勤に伴い通常甘受すべき程度のものというべきである」とし、濫用でないとした。一

審、二審と最高裁の考え方の差は、法理論の差というよりは、業務の必要性と家庭の不利益のバランス感覚の相違で

ある。その意味では最高裁の年老いた裁判官の企業寄りの意識が強く、一審、二審の若い裁判官の庶民感覚を軽視し

ている。

 ㈲ 16、18年目の復帰和解

 しかし最高裁は、転.配転が「不当な動機、目的をもってなされたものであるとき」は、権利濫用とし本件につい

て審理が十分になされていないとして、大阪高裁に差し戻して審理をさせることにした。会社は、Aの会社の爆発

事故、労使協調批判に対する報復の目的でなされたものではないかなどの審理も十分させたかったのであろう(昭61

・7・14 最口判)。

大阪高裁で、一九九二年(平成四年)二旦吉2八年ぶりに和解が成立捻・会社は・転勤拒否を理由とした

解雇を撤回し、解決金を支払うことにした。また、同じく大阪から静岡へ長期出張の命令を拒否した理由で解雇した

別の社員も、ほぼ同じ条件で和解した。会社は、最高裁で一応の勝利を収めながら、訴訟提起してから、一六年、一

八年も長すぎる経過を経て、K等の復帰和解に応じた、なぜだろうか。

 同社の人事部長は、「裁判をこれ以上いたずらに長期化させることは、企業の本来の活動に支障を来すことにな

る。熟慮の上、和解を決意した」と述べている(平4・1・8読売新聞、東京新聞)。

 会社をして和解を決意させた程、原告の抵抗が強かったし、又不当な意思の認定は、裁判になじまず、結局、和解

にゆだね、原告を一六年、一八年ぶりに復帰させたのである。

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労働法と和解149

 ω単身赴任

 東亜ペイント事件、朝日火災事件に関する最高裁判決は、単身赴任に関するものであるが、いずれも会社の不当意

思、不当労働行為が中心である。前者は、不当意思を中心として、和解復帰したものであり、後者は、高裁判決前す

でに復帰したものである(註24参照)。いずれも、法規違反、濫用の考え方を適用している。

 しかし判決がそれを適用する場合には、形式化し、硬直化するので、共稼ぎの場合には、自ら、非人間的な取扱い

にならざるを得ない。帝国臓器製薬事件(平成5・9・29)では、八年間も、別居している。東京と大阪間であるか

ら、近距離といっても、新幹線だけで、往復四時間はかかる。一週一度帰えったにしてもその費用や単身赴任の費用

を支給しても、共稼ぎ夫婦の生活の変化の心痛、経済上の損失は、人によって異なるにしても八年間の別居は、通常

の夫婦生活の限度を超えてはいる。裁判所の判断ではなじまない問題である。

 又、チェース・マンハッタン銀行事件(平成3・4・12 大阪地裁)では、大阪から東京へ単身赴任を余儀なくさ

れるのでい子育て中三人の女性は、退職した。Mは、単身赴任したが、夫と同居して協力扶助義務や夫と共に三人の

小学生である娘のもっとも必要な日常生活、教育上のアドバイスの責任と子供の権利(ILO勧告騰号や子供の権利

条約)その他母親として果し得ない不利益は、決して業務上の必要性に劣らない。その判断も、裁判所の法律判断を

こえるものがある。

 そのさなかに単身赴任は、組合役員を歴任し、出産後も勤務を続ける妻に対する嫌がらせなどを理由としたものと

主張し、家族が同居する権利を侵害するとして、夫婦は、それぞれ九〇年十一月と九二年一月に提訴し、九四年五月

に、別居生活は限界を超えていると、大阪弁護士会に救済を求めた。労使共、大阪地裁の勧告もいれ、夫は、九四年

一〇月三日付で、同居可能な関西空港支店に異動した。四年ぶりの和解復帰である。

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150叢論律法

 同じく共稼ぎのSは、元国鉄労働組合の本部支部の書記長であったが、国鉄の分割、民営化に伴い鉄道総研に採用

され、一九八七年三月に宮崎の実験センター勤務を命ぜられた。Sは、東京の家族で生活していた当時も家事を共同

分担し、こどもとの対話を大事にしてきたので、悩んだが単身赴任をした。

 Sの申立てに東京弁護士会が九一年三月家族と同居することができる勤務地にかえすよう勧告したが、鉄道総研が

拒否したので、Sは、八二年四月に東京地裁に訴えた。九四年六月二一日、東京地裁で、和解が成立し、七年三月ぶ

りに単身赴任が解消された。この事件は、不当労働行為と家族の暮しの破壊の二つの面があった。

 S夫婦の弁護にあたった江森民夫弁護士は、「裁判まで訴えなければならない現実は異常であるというべきでしよ

う。現在日本のなかで『単身赴任』者は四八万人いるといわています。『単身赴任』が仮にやむをえない場合でも、

企業利益優先ではなく、一定の時期には、「単身赴任」が解消されるという、働くことのルールを確立することがい

かに重要であるかを考えさせられた事件でした」と述べて臥砧。

 ケースにより、また鈍い動きであるが、転・配転、単身赴任について、和解は、裁判の硬直性を緩和しつつある。

二 労働災害

 労働災害は、多く刑罰や損害賠償を伴う、人道主義も働き、裁判が長引くと、被害者は、年老い、あるいは死亡も

でるので、他の分野とくらべ、和解が比較的多く、目立っている。だから、要約にとどめるとしても、一応の解明を

したい。

 ω 六価クロム禍和解の行方

 六価クロム禍判決(昭56.9・28東京地裁)は、クロム禍で肺・胃などのガン死亡又鼻中穿孔などの障害につい

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労働法と和解151

て、会社の人権侵害の不法行為責任を認め、一〇二人に、計一〇億五千四百六十二万円の支払いを会社に命じた。

 この判決後、原告、会社双方の(和解)話合いにより、会社は、判決の命じた損害賠償の外に、判決で救済されな

かった人々を含めて、判決プラスニ億円余の解決金を支払うこととし、社長は、はじめて謝罪し、葬式も社葬にし出

                                       (26)

席し、双方とも控訴しないこととし、被害者は、社長に対する刑事訴追申立てをとりやめた。

 ② 第一化成事件等和解全盛時代

 「週刊労災」は、平成を「和解全盛時代」と呼んでいる。同誌によれぽ、一九九二年いわゆる高額任意和解とされ

た第一化成工業爆発事件(最高は一億三二五〇万円)、袖ケ浦製油爆発事件(最高一億二千万円)、広島橋ケタ落下事

件(最高八千万円)は、一件馨除き、すべて提訴されずに和解で解決した(広島橋ゲタ事件では遺族三人が和解を不

服として提訴した。)

 一九九二年の五月、大森電設事件で六四一九万円という高額判決が久しぶりにだされたが、四千万円以上の高額判

決二〇件をみると、平成になってからわずか二件(もう一件は広瀬興業事件の五、五四九万円)で、いかに高額判決が

少ないかわかる。そのかわり、和解では上位一〇件がすべて平成になってからであり、“和解全盛時代”といえる。

 しかも和解金額は、判決の金額より高額となってきた。「週刊労災」調べによると、昭六三年末では、判決……約

五、〇六九万円、和解……約四、=二八万円であったが、平成二年末では、判決……約五、一七八万円、和解……約

           (27)

六、六一六万円となっている。

 ⑧ 画期的じん肺和解の現出

 じん肺は、ベソジジソと同じように、その発生時期が不明確で、長期間を経過した後に発病することもある。それ

ゆえ従来の判例によると、まず、消滅時効の発生時期について考え方の対立があり、また、その病苦の精神的な苦し

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152叢論律法

さに拘らず、慰謝料の認定額が、安すぎた印象を受けた。

 その意味で、北海道金属じん肺和解事件は集団訴訟だが、提訴以来十二年ぶりに、】九九二年七月以降、久々に、

会社が参加し、被告会社十一社全社が一審判決前に全面解決し、百二十一原告全員に総額約十八億千五百万円を支払

った。死者一八〇〇万円、生存者は、症状に応じて一、三〇〇万円から一、六〇〇万円とした。注目すべきは、時効

の適用を認めない形で解決したことである。

 また、大阪地裁によると、大林組の下請会社の従業員は計約七年間トンネル工事に従事した結果、じん肺と認定

されたが、会社はじん肺防止のための安全配慮義務を尽くしていなかったことは明らかとして、慰謝料二千万円を認

め、約四千三+万円の支払を命じ奈、・の仮払いをも・て和解が成立したことにし・和解条項がつくら鶏・

 この両和解条項は、画期的なもので、前老は、時効の適用を認めないことにし、後者の認めた慰謝料二千万円は、

従来、管理者の最低度のじん肺患者の慰謝料については、一九八九年三月に福岡高裁の千二百万円~一千万円、一九

九〇年三月の東京地裁の最高千六百万円に較べて高い。

 長崎じん肺訴訟事件(平成6・2・22最日判)は、第一に、時効については、時効の援用は認めたものの、「消滅

時効は最終の行政上の決定を受けた時から進行する」とし、第二に、慰謝料について、高裁の「一千二百万-一千万

円」は、「低きに失し、著しく不相当」とした。それは、右の両和解と同じ方向の線上にある。

 この最高裁判決後、福岡地裁は、福岡県の旧筑豊炭鉱で働き、じん肺になった元炭鉱労働者と遺族計四百八十人の

原告と被告企業五社に対して、①被告は患者の症状に応じて二千百万-一千万円を支払う、②民法上の時効を認めず、

労災未認定者を含めた原告全員を救済対象とするなど原告側の主張にほぼ沿った和解案を提示した。それは、国にも

                             (29)

責任を求めるものである。国は、その受入れを拒否する意向を伝えたが……。

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労働法と和解153

 ω 難しい二炭鉱和解事件

 北海道夕張北炭事故は、一九八一年一〇月一六日に、坑道からガスが突出、火災が発生し、死者九十三人、重軽傷

                                             (30)

者三十九人の大惨事であった。その九十三人の死をめぐる会社の決断、遺族の嘆きは、まるで地獄図であった。翌年

八月、五犠牲者の遺族が提訴し、四次にわたる追加提訴があった。

 一九九四年三月一八日に、十一遺族、二十九人が、北炭、同社の元会長、国に損害賠償を求めていた訴訟第二回和

解交渉で、①北炭が原告に総額一億三千二百万円(一遺族当たり一千二百万円)を支払う。②原告は元会長と国に対

する請求を放棄する等の和解で妥結した。それは、北炭の元会長、国のいずれの責任にも触れない形で、提訴から約

十二年ぶりに終結した。

 原告の広谷陸男弁護団長は、「北炭が支払いを認めたことで、百パーセント勝訴判決に相当すると評価したい」と

述べ、一方、北炭の指田康惇常務は、「家族や関係者の心労に報いるためにも早期解決を選んだ」と和解理由を説明

  (31)

している。

 高裁、最高裁の道を避け、和解による早期解決を選んだことは、評価できるが、九十三人の死にいたるまでの会社

の非人間的措置に対して賠償額、慰謝料は、明確にしもっと高額にすべきだし、また、国の北炭に対する管理責任を

北炭も感じていたはずであるから和解の中でふれるべきであった。

 もっと難しい問題は、三池事件である。たんなる争議、裁判和解だけでは、事の本質を見抜くことはできない。国

の石炭政策の変更を頂点とし、解雇、組合の分裂、それに一九六三年(死者四五八名、CO中毒患者八三九名だした、

以下CO事件という)、六五年(上村事件という)、八四年の炭鉱災害による死老、CO中毒患者、六七年上村事件提

訴、七三年CO事件提訴等、大災害が続いているのである。

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154法 律 論 叢

 八〇年、上村事件の大阪地裁判決、高裁での和解、八七年CO事件和解、九三年和解反対組に対する福岡地裁の判

決がでた。更に妻の慰謝料については控訴中などの判決、和解による措置が出ている。

 被害生存者並に家族は、老令化して、早期に解決を希望する人達の意識、それとちがう長期戦論者、夫々の弁護

団、政党ないし派閥の指導が、複雑にからみ、和解を従来の方法で、アプローチすることは、慎重であるべきであ

(32)

る。 

かように、労働組合が分裂すれば、労働災害がおこりやすく、又それに関する和解の内容も、みるべきものは少な

い。こんな仮説は、この事件にも適用するように思える。和解後の裁判も、和解の上を大きくでることは、期待難で

ある。

 念のために、和解前の、当事者がほめている八〇年の上村判決と八七年CO和解とその後九三年の福岡判決とを対

比されよ。

  三 女性差別

 第二次大戦直後制定された日本国憲法第十四条は、性別について、「政治的、経済的又は社会的関係において、差

別されない」と定め、それと同じ国会で制定された労働基準法は、特に実害が眼についていた賃金について女性差別

を刑事罰で定めた(四条、 一一九条)。

 すべての立案者の気持は、憲法十四条との関係で、賃金以外の事項について女性差別をしてもよいと解決すべきで

   (34)

ないとした。しかしそれは甘かった。経営者は、罰則のある賃金差別さえ、行ったが、それ以外の人事差別は、公然

と、時には、男性労働者の協力(労働協約)の下に行った。その数は、驚くに値する。

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労働法と和解155

 行政は、手も足もでなかった。裁判所は、訴えでた女性に対して、戦後二〇年経た頃から民法九〇条の公序良俗に

反することを目的とする法律行為を無効とするという規定等によって、女性差別の結婚・出産退職、若年定年、定年、

転勤・配転を無効としている。その・とは、一九八六年の男女雇用均等法以後も変ら亀・

 その間にも、和解が登場している。その一は、静岡銀行男女賃金、昇格事件である。この事件は、男女差別賃金か

ら昇格差別事件に発展した戦後初の女性差別和解事件である。

 ω 静岡銀行賃金・昇格事件

 静岡銀行は、昭和四二年以降職務給を導入し、その職能は、①基礎業務職、②中堅業務職、③上級業務職、④主任

業務職、⑤監督補佐職、⑥監督職、⑦管理補佐職、⑧管理職となっている。

 この職能給制では、男女で明確な差別が行われた。たとえぽ過去三年間の考課実績が四号以上の者は、二九歳以上

の男性は主任業務職に格付けられたのに、女性は一ランク下の上級業務職に格付けられた。

 銀行は、賃上げのたびに本俸は、ひき上げず、職能給のみ引上げ、男女差別が、明白となった。Kらは、静岡労働

華局に鬼口した鋒静岡地裁に提訴した。静岡地裁は、五年後に、和解を提案し、労使双方とも・これを受諾遍・

 和解の内容の注目すべき第一は、Kは監督職に昇格し、又同じ条件の女性八名も、裁判で要求しなかった監督職に

昇格したことである。

 第二は、一〇〇名の女性の差別の是正と二年分の遡及支払いをしたことである。

 それは、Kが二年分に譲歩したためである。(昭55・10・20)

 和解について静岡銀行杉井広報室長の話「控訴から五年もたち、企業内の紛争を継続することは無益で、裁判所の

和解勧告を契讐和解した・和解で支払う分の格差蟻瞼艶・」

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156叢論律法

 ω 鈴鹿市女性昇格事件

 もう一つは、鈴鹿市女性職員昇格事件である。Yは、昭和二三年に鈴鹿市に就職、二二年経た昭和四五年に、後輩

である男性は係長級の四等級になっているのに気づき、「女性に対する昇格差別」として提訴した。

 たとえぽ昭和四六年の五等級から四等級の昇格者は男性二七名、女性八名だが、男性については対象者一律昇格を

認められた。

 津地裁は、Yは当然昇格対象者とされ、少くとも四等級一〇号俸に昇格されて然るべきであったとしたが、高裁

は、「任命権者に広範な裁量的判断をもって適宜包括的合理的な方法で評価すること」を認め、地裁の判決を斥けた。

Yは、最高裁に上告していたが、昭六〇年三月二六日、三等級昇格で和解成立した。

 大きな収穫は、全国初の女性公務員の賃金昇格差別和解の結果、市長が「性による差別は行わない」と約束したこ

とである。Yが提訴して=二年目であった。

 ③ 日産自動車家族手当事件

 日産自動車の家族手当制は、所属組合が、昭和五一年頃から労働基準監督署、労政事務所、都の男女差別苦情処理

委員会などの指導、勧告を引き出し、かなり内容が是正された。昭和五七年、会社は、組合との協定により、家族手

当を支給される世帯主は、夫または妻のいずれか多い方としたが、実際には、妻に支給されない。昭和五八年七人の

女性従業員が提訴した。

 東京地裁は、本件規定および運用基準の合理性にっいて、「労働基準法四条及び民法九〇条に違反するものでなく

……」とした。しかし「家族手当の支給申請に対し、女子従業員に対してのみ夫の収入証明等要求した」ことは、運

用上の差別待遇であるとして、女性達は、東京高裁に控訴し、高裁で和解が行われた(90・8・29)。

Page 28: 労働法と和解 - 明治大学...133 一労働法と和解一 以上述べた分裂の印象、表と裏の関係は、和解の理解に大事である。認する勢力(裏の顔)を心配したからである。表の顔だけでなく裏の顔を考えることも大事である。

 ①支給対象者を世帯主や長子に限るのをやめ、実際に家族を扶養している者に対しては、申請通り支給する。

 ②実際に扶養しているかどうかは、税法上の扶養家族かどうかで判断する。

 ③以上の考えに基づき、支給の範囲を「本人の血縁者」のみから「扶養している配偶者の両親、兄弟姉妹」にも

  拡大する。

などを主な内容としている(平成2・9・6朝日新聞)。かくして「世帯主」条項を取り除き、夫婦共働ぎの場合、

収入の多寡は問題としないことになった。家族手当は、賃金である以上、賃金の女性差別がなくなり、将来の年金に

影響する。

労働法と和解

W 和解の効用ー一一つのモデルーー

業務の確認と適用範囲の拡張

157

 同じく女性差別であるが、社会保険診療報酬支払基金昇格事件では、当初、男性なら、=二、四年で四等級(班長)

になれるのに、女性は、二六年以上でないと、昇格できなかった。

 T(団長)は、一八人ど共に、男性については昇格措置が勤続年数のみを基準とする一律昇格という性格のもので

あるのに、女性については、段階的にしか昇格させないのは、女性差別であるとして、提訴した。

 地裁はその差別が公序良俗(民法九〇条)に反することを目的とする法律行為として無効として支払基金に対し

て、女性職員に対する不法行為として損害賠償約九六〇〇万円の支払いを命ずる判決をした。しかしこの判決は、従

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158叢込fiva律法

来の多くの判決通り、使用者の昇格決定がない以上、課長、係長などの昇格の判決をしなかった(平2・7・4東京

地判)。

 しかし差別が無効であるなら、差別されている業務も、賃金も、それらを含む労働契約は無効となり、彼女たち

は、空白の業務をし、賃金を得ていることになる。空白のままに放置することは、裁判所としては、無責任である。

 しかも労働基準法は、使用者に対して労働契約の締結に際し、刑罰によって労働条件を労働者に明示する義務を課

し(一五条、一二〇条)、同法施行規則第五条第一項は、労働条件として、賃金、昇給とともに従事すべき業務および就

業の場所などを定めている。使用者は、そのような義務違反の違法行為をしていると解すべきでなく労働者と適法な

労働契約をしていると解すべきである。課長、係長のポストの空席がない限り、裁判所は地位を確認すべきで臥礁。

 筆者の提言は、使用者が東京高裁に控訴した後、東京高裁の和解で、実りをみた。

 第一に、このケースは、提訴から十一年もかかっている。しかし最高裁まで、事件が継続することを考えれぽ、労

使双方の和解の決断に、好感がもたれる。

 第二に、訴訟の提起後、昇格の是正が行われたが、和解により、労使の納得による男女昇格差別の完全な是正が行

われた。使用者は、不法行為の損害賠償義務というより差別の是正という債務を履行したわけである。

 第三に、判決ではなし得ないことであるが、この和解は、訴訟の当事者以外の組合の所属別にかかわらず、関係す

る女性全員に、昇格、賃上げを拡張した。

 従って東京地裁は、使用者に不法行為損害賠償として九六〇〇万円の支払いを命じたが、和解の解決金は、一億五

二六〇万円であった。

 第四に、この種の事件では、往々にして労働組合と女性は対立しがちであったが、本件では、労働組合ー全基労が

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女性の昇格問題に全面的に理解を示し、協力した。

 もとより弁護士や数知れない賛同者の合唱を無視できないし、また、女性差別撤廃条約の誕生など、

ぼれる国際的流れは、東京高裁における和解に道を開いたともいえよう。

女性時代とよ

一一

膜盾フ後始末と新しい労使関係の示唆

労働法と和解159

 事件のきっかけは、日立物流事件であるが、この事件では、お客から財布がなくなったという報告を受け(財布は

直ぐお客のところからでてきたのであるが)、大和営業所の清水所長は、運搬をしていた斉藤氏が帰社するやまるで

窃盗であるかの如く取扱い、最高裁も違法とする方法で(昭43・8・2)斉藤氏の所持品の検査や身体検査したの

で、浦和地裁は、夫々具体的に斉藤氏の名誉や同氏の同僚らに対する信用の侵害、プライバシーの侵害、身体的自由

権の侵害等を認め、三〇万円の慰謝料の支払いを命じた(平成3・11・22)。会社は、控訴をあきらめた。

 他方、労働組合は東京都労委に対し、会社が、①斉藤氏や組合の受けた慰謝料、②清水所長の処分、③同所長を管

理・指導する職制の処置、④再発防止策について誠実に団体交渉に応じないことが不当労働行為(労組法七条二号)

として提訴した。都労委は、平成二年一二月に結審し、地裁の判決より四か月近く後れて命令をだした。

 都労委は、対象が異なるにせよ、浦和地裁と丸反対の棄却の結論をだした(平成4・3・19)。

 第一に、斉藤氏及び組合への慰謝料支払について、組合は、会社の過去再三にわたる違法行為のうえ、重大な人権

侵犯行為に対して、従来の如き詑びでなくけじめとしたいというのに対し、会社は、それは当事者間にしこりを残す

と反対し、都労委は、会社の見解を「それなりに一つの見識」と評価し、民事訴訟等により、慰謝料を請求する途は

あるとし、会社が組合の要求に応じなくても不誠実といえないとした。

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160叢論律法

 「絶対に要求通り」あるいは「絶対に拒む」というのでなく労使の見解を「煮詰める」ことは、団体交渉の常識あ

り、これに応ずることは誠実であるまいか。

 第二に、清水所長の責任について、都労委は、「営業本部への転勤」を会社の処分として足りるとし、会社の団体

交渉態度を不誠実として非難することに当らないとする。

 しかしその内容が不明確であり、常識では、出世とも受取られる不誠実である。

 その他都労委は、上級管理者の処分、再発防止問題については、組合は、論議を発展させようとしてないと指摘

し、会社に不誠実はないとしているが、都労委は、中に入って論議を発展させる位の事をすべきでないか。

 このようにみてくると、都労委は、きわめて不親切であり、非常識であり、会社寄りである。不誠実とは組合側が

言い初めたことであるが、都労委は「不誠実」にのみに終始すべきでなく正当性にもふみこんで議論すべきである。

だから組合は、中労委に再審査申立て中労委は、再審査に着手したが、当事者は、中労委を経て行政訴訟になれぽ、

一〇年i二〇年もかかるかも知れないので、双方共和解の気持がみえた。たとえば会社側は、和解後であるが、「中

労委命令で決着をつけることが必ずしも将来の労使関係を良くすることにつながるとは限らない」とした(平成6・

7・15勤労部長発管理職各位)。

 中労委は、これを察知し、積極的態度に出て、和解協定書には、社長、委員長の外に、公益委員、労働者、使用者

の夫々の参与委員が、立会人として署名捺印した(平成6・6・20)。事件の五年六カ月経た後である。

 協定は、第一に、事件の後始末と再発防止を内容としている。会社は、①社長は本人に陳謝し、②委員長、組合員

に遺憾の意を表明し、③管理職への教育の徹底を組合に約束している。

 第二に、将来の労使関係にも想いを寄せて、会社及び組合は、「本件事件の解決を新たな労使関係の確立のための

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曙と認識して、対立感情を一切放棄し、労働協約の趣旨目的に則った相互信頼関係の確立に向けて協力すること」を

約束した。

 この和解協定は、判決と異なり、和解ならではできない文言を示している。Mの人権侵害を契機として、社長の陳

謝、遺憾の意思表示、管理者の教育の徹底などその解決と同時に、それ以前の管理職、会社の度重なる協約違反、法

違反、これに対する組合の抗議、管理職側の詑び、遺憾の表示が、十何回も繰り返されていた関係を正常化を含む

「相互信頼関係の確立」を訴えている。

労働法と和解161

あ と が きi労働法当初の夢の命運

、スペースがなくなったので、感想を含めたあとがきをむすびに代える。

 第一に、期待されて創設された行政機関が、意外に結論をだすのに時間がかかり、専門性を発揮せず、裁判所で敗

北が目立ち、そのことは、裁判所の判決に頼らず、和解を産んだ。

 第二に、裁判所に行っても、労働事件では、民法の公序、濫用の法理の外、正当性、条理などのゼネラル・クロー

ズによって複雑な心の問題に接すると、硬直な裁判は、限界があって、和解に道を譲る場合がでる。

 第三に、企業内労使関係であるから、企業はもとより労働組合、労働者は、企業内のことは知り尽しているから、

部外の裁判より和解に傾きやすい。

 第四に、裁判が長期化すると、原告側は、年老い、死亡し、費用も続かない。人道的眼が集中し、和解を急ぐ。

 第五に、裁判が長期化すると、被告企業側も、経営にとって支障を思うと、和解心をさそう。

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162叢論律

 第六に、裁判が長期化すると、世間の関心が強くなり、批判も高まるので、原告、被告両方とも、急いで、和解を

するようになる。

 第七に、裁判は、賠償を中心に、救済範囲は原告、被告に限定されるが、和解は、法の在るべき地位に是正し、し

かもその救済範囲は、同じく被害を受けている会社員に拡大適用される。かくして企業の安定が保たれる。

 第八に、和解は、現状維持中心の裁判と異なり、新たな労使関係を願い、相互の信頼関係の確立を期待するなど、

将来の展望も視野に置く。かくして企業内の平和が保たれる。

 第九に、和解の成功は、裁判の場合もそうだが、裁判の場合以上に、労使の力と信頼による。原告同志が物別れし

て、夫々、特定の異なる考え方をもって指導されている場合には、それだけ、原告の力と信頼は原則として弱まる。

和解の内容も劣る。公式論だが、原告には、統一と団結が前提条件である。

 和解は、労働法の当初の夢の一端を担っている面がある。

一法

註(1) シーラ・ジョンソン「アメリカ人の日本観」(鈴木健次訳)二一頁。

(2) 同書引用二二頁。

(3) マッカーサー手記・一九六四年一月二二日朝日新聞。

(4) 松岡三郎著「労働法のすすめ」二三頁-五九頁。

(5) 明治大学創立一〇〇周年記念事業学術調査委員会「学術調査研究報告書」一一二頁ー=四頁。

(6) UCLAの両教授が川島教授のどの書物に感銘を受けられたか、詳かでないが、読者に、本論の理解に手頃な書物として、

  川島武宜著「日本人の法意識」を紹介しておく。

(7) 松岡三郎「アメリカにおける命と体の値段を考える」法律論叢六十巻第二・三号合併号(一九八七年十二月二十五日)四

  二頁ー四四頁。

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労働法と和解163

(8) ζ一。冨。一【団o暮σq「智冨口Q自ε旨ぴq℃↓冨Z①毛《o爵日巨①伊↓器ω号ざ〉ロ㊧§ち。。卜。・

(9) 岡実著「改訂増補工場法論全」二四九頁以下また、機械より安い人命の値段について、松本黙治博士は、「我国に於きま

  しては兎角人命を軽視し財産の方は千円の物を殿せば千円の賠償を要するが、人間の方の生命は僅か百円かそこらといふ」

  と述べている。(明治四五年社会政策学会編纂「労働保険」二六一頁)

(10) 北岡寿逸「社会局の思い出」(労働行政史余録二頁)

(11) 大河内一男、松尾洋「日本労働組合物語昭和」六四頁。

(12) 松岡三郎、石黒拓爾共著「日本労働行政」一一八頁。

(13) 松岡三郎著「不当労働行為・労働協約」二〇九頁~二一一頁。

(14) 松岡三郎「労働基準法の現状と展望」(学会誌三六号)。

(15) 松岡三郎「日本労働判例におけるゼネラル・クローズの生成と展開」法律論叢六六巻三号。

(16) 松岡三郎「最高裁労働行政訴訟に思う」法律論叢六六巻四・五合併号一五五頁研究会記事松岡三郎「労災行政裁判に思

  う」労働法律旬報一三一二号四一頁。

(17) 現在、労働省労働基準局は、労働基準法第九条の労働老の判定基準として、使用者との問に使用従属関係があるか否かを

  みる。最高裁も、昭和五〇年に入って、使用従属関係を中心に労働者概念を拡大した(昭51・5・6中日放送管弦楽団事件

  最O判、昭51・5・6油研工業事件最e判)。このようにして最高裁も、従来民法の雇用関係ではなくても、使用従属関係

  を発見すれば、労働法の労働者とみなし、労働者概念を拡大してきた。

(18) =信σQoωぢN冨一目①ぴΩ歪巳昌αQρω゜ドO題゜

(19) O°ζ9①蒔ρ】)δ芝霞N①一p伍窃9窪ω芝①同言pσq。・ψω刈中

(20) 山本吉人著「労働委員会命令と司法審査」四六頁。

(21) 松岡三郎著「不当労働行為・労働協約」二一二頁-二一三頁。

(22) 外尾健一著「労働団体法」三=頁。

(23) 日本労働弁護団「労働者の権利白書i一九九三年版」一〇一頁-一〇三頁。

(24) 転・配転について最高裁判決は、第二次大戦後二つにすぎないが、東亜ペイントの外は、朝日火災事件(93.2.12)で

  ある。この事件は、全損保朝日火災支部神戸分会委員長を金沢営業所に転勤させたが、東亜ペイソト事件と同じく「転勤に

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164叢一論律一法

  伴い通常甘受すべき程度」で判断しているが、転勤は不当行為にあたるとし、又生活上の著しい不利益を企図した不法行為

  であるとして、転勤を無効とし、慰謝料一五〇万円の支払を命じた一審、二審の判決を支持した。会社は、二審判決が出る

  直前に金沢から京都支店に転勤させ、単身赴任生活は、終らせたが、最高裁に上告した。最高裁は、会社の上告を退けた。

  一審提訴から一〇年になる。

(25) 江森民夫「『単身赴任』事件の解決にあたって」(94・8・1京申央法律事務所」七頁。

(26) 判決内容について松岡三郎「職業病と法律ークロム禍判決を契機に」(法学セミナー一九八三年一月号二二頁)。

(27) 一九九三年八月四日週刊労災、一九九三年四月二}日週刊労災。

(28) 一九九二年八月一九日週刊労災、一九九三年六月九日週刊労災。

(29) 一九九四年一〇月二〇日東京新聞。

(30) 松岡三郎「労災予防の法思想の転換を1夕張炭鉱九三人死亡事件に寄せて(労働法律旬報一九八二年一月一〇日号四頁以

  下)。

(31) 一九九四年三月一九日朝日新聞。

(32) 宮島尚史「労働運動における裁判闘争の位置と意義」(学習院大学法学部研究年報29一九九四年)は、三井三池事件の裁

  判に対して、詳しく、多角的に捉えた力作である。

(33) 佐伯静治著「労働裁判三十年」一五六頁。

(34) たとえば寺本廣作著「改正労働基準法の解説」二二二頁。

(35) 松岡三郎著「女性社員の雇い方、使い方」一一一頁。

(36) 甲賀邦夫「静岡銀行における男女差別賃金の是正とその今日的意義」。

(37) 昭五五年(一九八〇年)一〇月一=日朝日新聞。

(38)松岡三郎「基金の女性問題に寄せて」(証言)。