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銭秘術忍 湖西田藤 流賀甲 世田十第

Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

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銭秘術忍

湖西田藤流 賀 甲世田十第

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古来忍術は秘密の術と言はれ、主〈文厳も至っ

て少なく、多くは口侍

.を以て師から弟子へと惇へられたのである。それでも著者の手元に集

められたものばかりでも三十種依り五十加はある。

之を集大成したら相嘗浩滑なものと左り、其の複雑と冗漫とは叉相

営多い事てあら'フ。之を新代式に縞み直して出版する事は私の一生の

仕事であって、前途精や遠いのである。

本書は私の鰻験から割り出して、最も簡にして要を得る方針の下に

作成されたものである。私は忍術傍統者の唯一人として現代に存在す

るものである。白疋迄帝都をはじめ全閣に一旦って、忍術の講演と賞演を

試みたる事数十回に及んで居る。短時間内に要領能〈恋術の大要を訟

Page 12: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

いて、聴者の理解を得る震に相営の苦心を積んだつもりである。其の

要領て以て編み出されたのが本堂問。てある。紙数少なきも、之に依っ

恋術の骨子たるべき黙は略ぼ了解され得る事と忠ふ。事者机上の編と

異り、私のは賞地の研究から生れた

のであるから、前口上や勿鶴ぶっ

た挨拶は全然抜きにして、端的に恋術の堂奥を示したものである。

音は北僚早局長、「凡そ持たるの要は英雄の心を牧携するにあり」とい

ふ一句を聞いて、モワ兵法は解った、

津山、だと言ったそうだが、能く

眼光紙背に徹するの賢明在る護者は、本書に依って「葱衡はモク解っ

た」と破顔一笑せらる当事と信ずる。著

藤者

西

湖コu

昭和十一年七月

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忍術の本領と目的:::・

..............................•...•....................................•..•....•..•.•.•

......••

..

我が邦に於ける忍術の愛蓬:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二

-----------------------------------------------------------------ji---ji----ji--:一五

草木の利用:・:・:・:;::::::::::::::::・::;:::::::・::::::::;:::::::;L:一九

用•••..•...•......

...

.•••••.....••...•••

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三

の土地の利用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・:・:・:・:::::::・こ九

••

1

(

)

用---------------------------------------------------------------------------------------------------------E

天象の利用

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一一一五

ヲて

1

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石と土の利用

ぺJ

生,き?とJ¥ |詰j(/)

利用

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欣類の利用・::;:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・盟

越知の利

m•••••••••

•••••••••••

••••••••••••.•...•••••••

••••••••••••••••••.••••••••••••••••••••••••••

.•..

・・:;:茜

色…M

仰の利用;;::・-Ji--・::・

---------------t・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・毛

心を以て心を制す::::;:・:;:::::::・・:jit--::;;:;・:;ji--:;:;:ji----R八

陽忍の術ll遼入りの事・・・:・::・:・::::

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始計六前依::::::::::ji---::::::-if--・::::ji---:ji--::::::::・::宅

桂タjσ〉符j

簡保

ペゴ

如mw術三簡保:;::;::・;・:;;;::--------------------------------------H・・・・・・・・・・・・・・・::::4::;主

の術・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七回

旦人の術二街依

. -. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

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身議の術

一筒依:・

ぺ,・ノ、

淳史:.a. 火術

簡保

-・・・、一

ノ一

袋mm術二

ノ、ノ、t

天眼.術二筒係:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・穴

弛づの術

筒イ伝

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cコ

山彦の

術・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・些一

陽忍の術ーl近

:::・:

-:・:・九五

略木術七筒俊

二JlJ

へ忍び入る時の用意・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん八

陪問:・・・・・・・・・・・・・・・:•••••

•• ,, .. ,,

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4

e44・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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Cコ

陰忍の術

忍の

一()凶

地問眠大要・・・:・・・....

••••••••••••••

• 一(い混

年齢と心行とにより限完を祭すぺき三街後:::;::ji--:::;:;・:;;・:::

一号

[1

3

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一げ同4付制・

・・・・::・;:::::・:・:;:・・:・・:::・・;::::::・:::・・・:・・:::::・・:・::・・:・;・

歩法の中座さがし・::

除影術.点簡保;•.

忍び入る

き夜の事八筒俊

必十入るぺき四筒僚;・・

陰形術一立箇俊:・:・:・・

家忍人配り三簡保・:・:

用心二簡保::..

下緒利用七術・;:・

通路仕掛け六筒僚

:-ji---

忍術の練習法

..

.••.........•.....

•......

••.....

..•....•.....••.......

.•..•............

.

..•..

‘ .......•....

忍術の武道精紳:;:::::::・::ji--:::::::::::;:::・

整息法と歩行術・・・・・・:・:・・:::::・・::::・:::・・・::・・.....••

•..

・・:・:・::・

4

一O八一Oル一一O一一-プ、主一一人

一一一一一・一一一一-一七

三八

一一一一九

e9 2Q 一四一一一

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跳躍

・飛飽術・::::

71<

陪同・:・・・:・:::

,qnι

心身の鍛練法

:・:

五億の練磨

::

内臓の練習・;:

毒物・いかもの喰ひ練習:;::::・

苦難に耐ゆる

の練習:・

武襲、遊勢百般の練包・:::::・・

忍者の服装と携帯武器及び道具類・::・

ト明日去:::ji--:::ji---

::・

:;

・・・・

2/fi4t

印を結ymは精一仰の統一••••.•.•.••••

•••........••..•.••.••.•••••.....••.•..•..

•.•••.••.•••.•..•

•••••••••••••••

印明護身法共他・:

大死

番の覚悟•••••••.•••....••••..•...•.......••.•.•..•...

•.•....••..•••••••.••

•••••......••••..•.•

•...

一四六

一四八

2三三五ヨヨl.一54一託す

一五九

一六一一一-t:t 一セ一一七八

一八五

5

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土砂ン、

小武器の研究•••••••••....•••••

••••••••••••••••..•••••••••.

••• ‘ ••••••••••••

•••••

••

••••••••••••••••

••••

一些一

飛泊具i!角手、穏し物i

!鋭と分銅il濁鈷ハ印度の武器〉l!十手、貸手、鉢割りll仕込

みもの!l投げ物と銭扇ll短棒ハ鼻捻り、。LUざ、ムハ寸‘手の内)i!短刀の使用法

現代喧嘩法指南

:;:;::ji---・:;::;::・

:;:・:::・

・:::・:三一

生兵法は大統の慕ll先づ月摘を務付げる!!不意の一

般i

l死地に陥って生きる1

・多数の暴

漢に裂はれれ揚合l

l槻手が兇器を有する揚合l

!敵手が隼銃を持つ場合

・:::::::・・:--ji--:::・・・:::・ニ一一一一一一

侠特仲間のれ翁ll非人を隠匿すろ場合1

1呑兵師の元組は紳良様ll芥具附の名m仰の起源i

ー将凡附仲間の仁批判口上ll仁義口上は晴れの舞霊ii仲間の不文律

主神話京ぺ江主

コド::・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・:・・・・・・・・・・・・:・・:一一栄

.

hH14hιnMM-一メ・--E

忍術・保持目録について

/'-7L,.

6

Page 19: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍術の本領と目的

雲に駕し、震に隠れ、雷震を駆り、鮫龍を役し、随惑を使び、禽駄を御し、忽ちにして丈除

たんげい

の怪物と愛じ、忽ちにして尺寸の鼠と化し、自在に活躍して、陰搬出後、端侃すべからざるも

の、之れ古采忍術の妙と賞へられ、紳愛不可思議の頴象として、今も児童走卒は口を附いて、

兇来也、大蛇丸、仁木綿正、素茶娘、瀧夜叉娘、鼠小償、石川五右街門等の、グロテ

スクな仙波

東を着けた、芝居の緒次官に悦惚と見入る。誠に以て忍術の世界は心胸を躍動せしむべき祭惣の

別天地である。之が、本嘗であると言へば皆た本営であり、嘘であると一一一同へば、体刊盤。結局は

その解離の如何にあると忠ふ。疑心暗鬼を生やるは人聞の弱黙で、との弱駄に一烈じて人の問を

くらまし、人の心を迷はす庭に、忍術の極意が存するとも言へるだらう。

然らば忍術の本領は何かと昏一口ふと、それは日本男子の倫武精一仰の極致が、途に忍術といふ精

円1.I!o、

。‘'

Page 20: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

犯、

話必

4

妙なる武術に迄達したともいふべきもので、何れの閣の武術も遠く之に及ばないのである。

ω

ち普通の武術以上に、森幾百内象を役して、最も巧妙た用意周到た闘争術を考へ出したのが此の

忍術である。

而してその目的は何かといふと、端的に言へば、軍事探偵を目的として工夫され褒達し烈つ

たものである。軍事探偵程微かしい、危険なものはたいので、敵の披廓陣営を探り、北ハの作戦

計設を知らうといふのには、どうしても単身、敵地に乗込んで、資地に之を見届けたくてはな

らたい。との目的を淫する筋めには、普通の戦士以外、特殊た川窓と修練を要するとと論を挨

たない。

飛んで火に入る掻と同じ運命であるから、忍粁は、第一一札死を恐れざる脆勇を要し、死以上

に門険を柴みとすると一吉った心持でなければたらたい。つまり寓死に一生を得て還るといふ快

味を無上の祭とれる新燃が無くてはたらない。人間死を賭してとそ面白い事が都内山に有るので、

忍者は、死を恐れざる沈勇者でなければたら歩、叉誰人にも負けぬといふ武術上の自信がたく

てはなら歩、お人陶係に於て最も機敏でなくてはたらぬ。之が震には、銀山崎に烈しい心身の練

Page 21: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

眠時をして、人間業と忠はれぬ精妙た境地迄達したくてはたらたいのであるο

第一

、死を恐れざるが篤には、先づ心を正しくして君閣の第に一命を掠ぐるといふ大先悟を

定めたくてはたらたい。

一たび任務に付く以上は.水火をもmMせや死を以て之をやり途げると

いふ決心主嬰するのである。そして、共の武術や、

忍術の方法は之を善からぬ事に滋用しない

といふ事を天地…脚明に響ふ。之が自信の根一冗とたるのである。

空71;1.",,'、

?与

5必

5

Page 22: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

6

「忍術は仰れの時代から始まったか」とは.誰しも質問したい事で

bるが、

rて遡・確に之を立

設する事は難かしい。記録に残るものを調べると、支那では、上古伏議榊農より始まり、共後

資帝に至って盛んに行はれたと一言はるL

が、北ハ盛岡は今日に残ってゐたい。精や後代にたって孫

.かん

子兵法中には、第十三倍仰に「用問の篇」といふのがある。

之は確かに忍術の事で、兵法に内を治め外を知るといふのは、敵の内計密事等を委的知る事

である。

ωち、敵方の様慢を能く知るには、何の術を以てするかとたれば、其地形の模様、敵

の進退、人数の多少、敵ムnの遠近たどを速かに察して、我が主将に報告するのが、物見武者。

役目である。叉敵の塀端、初端迄近々と忍び行き、其の様酬胞を見聞し、或は城中、陣中に忍び

っ・4

ぴら

入っ

て民般の模様、陰謀、密計たど迄寝かに聞き、審かに見て、主将に報告し、方図曲一也の備

Page 23: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を定め、能く奇正に謄じて敵を伐つ事、之れ忍術の司る所である。若し忍術たきに於ては、敵の

計略を知って勝利を天下に金ふする事が出来たい。故に忍の術は軍に取って要用なものであるο

然らば、支那でも古来、忍術といふ名稿があったかといふに、それは異る。忍術と名づけた

かん

のは我邦の語で、支那では最初、央の闘で之を聞と言ひ、春秋の時分には更に諜と一一一一円ひ、敢闘

gく

2て

・3

時代後には、細作、遊偵、姦細たど呼んだ。六絡には、遊士と昏一口ひ、李金の陰経といふ音には

行川と呼んで居る。かく、時代により、叉主将の意に依って共名稽異り、我図では、

車、かま

2ピ

り、帯夜、襲、突破、菱、三ツ者、饗談、裂を言った。

支那の問謀、遊偵たどいふ語原は何かと見るに、孫子の用問鰐に

「間とは締際なり、入をして敵の錬隙に乗じて入り、以て英情を探知するたり」

かん、

とあり、間はすきま、ひまといふ意味である。即ち、人を以て敵のひま、すきま吃窺ひ一衆ぜ

しめて、

敵妓陣へ

入り、敵の陰謀密計高端の事を探り知らせ

て味方へ報告させ、或は使隙を鋭

へだっ

って敵の城陣へ入らしめて其の按営を焼き、夜討たどを謀る職である。叉聞の字には、

ざゐ

るといふ誤みがあり、之は忍術は隔るの術で、敵の君臣の中を議一一言を以て隔て、又は共の隣図

忍、

も官

7

Page 24: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

放‘

の京と和合の問を隔て遮ぎり、

援兵た

εのない様に取計ひ、或は敵の大将と共の士卒との中を

隔てL、和得する様の術を成すに依っ

て、へ

だっるといふ祈みをするのである。和漢ともに、

かん

古から敵方の内飢を謀り勝利を得た例は甚だ多い。倫ほ聞の字義に就ては

一訟に、門の中に日

を入れるの

で、

此術の賞理には、

敵の城陣へ間断たく突入る事、

へば、日光の門戸に送し映

じ、

少くとも股隙あれば、

直ちに差し入るが如く、速かに入るの義であるとしてある。此の理

は兆一だ微妙で、

凡庸粁の難守る所である。

ちょ

しのび

叉諜

の字、偵の字は二ッ・ながらうかがうと読む。凡て忍の術は、

遊びを髄として其聞に敵の

使隙を鋭ひ入り、

共の模様を見聞する眠たる故、之を遊偵たどL呼んだのである。楠正成の忍

術には、四十八人の忍者を三番に分ち、十六人宛、何時も京都に入れて置いたといムリ此の者

北ハが、

種々

の密計を肘ゐて京中の様鐙を鋭ひ知り、楠に報告したとい

ふは、之乙そ遊偵の意で

あらう。

叉細作と

いふのは、忍者が敵方へ行っ

て様位を能く見聞し、

大将に報告する・故、大将の謀略

の術を細かに作るといふ程の意である。姦細とは、姦は姦曲の姦、叉は倭姦などの意味である。

8

Page 25: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

凡そ忍術は表面には零常の慌にして、裏面に必や姦曲甚しく深き企みが有るからである。一冗よ

り忠義の道とは一マ一口びながら、共の仕事は、曲籾にして姦たる故に姦絢と名づけたのである。叉

こ・3じん

館い

Eいふは、

遊ぶ姿にして心に慮り深き故に、しか名けたものか。次に行人といふは、敵と

味方との問を往来する意であらう。

支那でかく幾度も忍討の名稀を援更したのは何故かと考ふるに、

一隠忍者は、「散某は忍況で

ある」といふ事を一般に知られたくたい。人の知らざるを以て大功を成す事が出来る。故に似体

く秘して世上に知れざる様にと、代々其名穏を改めたものであらう。

但し我閣で、之を忍者と佐一口ったには、相嘗理由がある。元来忍は、mAの心と堂聞いたもので、

一心竪貞にして機へば匁の

忍者が敵の便隙を鋭ひ、危険なる計を用ゐて忍び入るに営つては、

竪く鋭さが如くたくてはたらぬ。若し、心が鈍く軟か怒るに於ては、たとひ如何なる謀計を巧

みに行ふとも敵に近づく時、

気臆して事を行へ宇、心巴に平静を失ひ、

言葉が煩勝にして北ハ謀

略外商に額はれ、途に敵の鴛に捕はれ其身死するのみ怒らやJ

、味方の大事を誤るに至る。され

一心竪貞たる事刃の如く怒るを姿するといふ意味からして、吾が艇に於ては呉邦よりの名

tf

争時

9

Page 26: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を改めて、双の心と書ける字を此術の名となしたのであるυ

伊勢三郎義盛百首の忍歌にも、

「忍びには脅ひの道は多けれど、先づ第

一は敵に近づけ」

と詠んである。

の曾ざるみつものきょう沼ん

スツパ、第猿、

三者、饗談

然るに、忍者の事を別名俗務として便宜上種々に呼んだもので、

など一言った。スツパは伊賀、甲賀溢で古くから言ひ習はしたのである。策猿とは敵の内詮を見

ふつもの

る役であるといふ底から、しか呼んだものであらう。次に三者、饗談の起りは甲斐閣の武岡信

女時信は+内今の名勝として、忠勇謀計に透したる者を三十人認抱へ

、総を箆くし貨を厚くして

みつもり

間見、見分、目付と三ツに分ちたのが三者の由来である。

10

Page 27: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

我邦に於げる忍術の後達

我邦に於て、忍術らしいものL

一番古く賞行された記録は、日本武寧が、熊鎚征伐の時に、

たける

女接して川上桑に近づき短剣を以て之を刺殺した事で、此の女袋して敵営に忍び込んだのは、

創ち忍術の一ツであると言へる。共後人皇三十八代、天智天皇の御弟の天武天皇の時に、清光

親王といふ方が逆心を企てられ、山城図の愛宕都といふ所に城腐を築いて居ったο

天武天皇は、

P拡糊といふ忍者を澄はして、内から放火させ外から之を攻めて、途に討干した。之が、歴史

上に現はれた忍術の最初のものらしい。

北ハ後、源の義経は古今の武将として鞍術には、用意周到であったから、忍道にも巧みであっ

た。楠正成の事は前に述べたが、・一家康に至つては、忍者を重用して、我闘の忍術を大成せしめ

た恩人である。家康は、本能寺の愛

!l信長が光秀に殺された時、丁度入治して京都知四恩院に

忍、

もむ

最~

11

Page 28: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

毒事

J!""

Uヨ

滞在中であった。そとで直ぐ光秀を討たんと軍評定を開いたが、酒井忠勝の建佐一口を容れて、

旦引肌を泣け、居城滋松に引上げる事にした。応胸が、沿道に野武士が蜂起して、家康の傑かばか

りの手勢では、道中がとても危険である。共時、伊賀の忍者、服部宇蔵、穴山栂響、柘航三之

丞以下、伊賀甲賀二百人の忍者の謎街に依り、やっと蹄城する事が出来た。爾来、家康は、天

下を平定して徳川幕府を開く迄、

常に此の忍者を重用して戦陣の問に奇功を奏し、自らは江戸

に制・府を定むるに及んで、此の耐忍者に厚く酬ゐる露あり、今の字減門の外に屋敷を興へ、服

部必am州に此の二百人の忍者を指揮させた。半減門の名mmはモれから起ったのである。

此の伊賀、甲賀の忍者が克も世に問えたのはどうい

ふ識かと一宮一同ふに、省時職闘の代に於て、

忍術が全閣に後達した中にも、近江の甲賀郡、伊賀の伊賀郡あたりは、地形険しく、

山岳多く

谷叉深く、都に近い土地で、古来幾多の一家族が割捺して常に相守ふて居先」互に五百坪、千坪

の小さい城廓を築いて斥候を出し合って軍放を探るので、

自然に間諜細作の必要は特に感じら

れ、共地方を沙り歩く忍者に取って、

愛化の妙を泰くし十分に手腕を登輝すペき環境と機衡と

が多かった。

かくして共地方に忍道は大いに混迷し、

一唐の鍛錬が積まれた。共鴛に彼等忍者

1~

Page 29: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を伊賀栄、叩賀衆と名づけ、是が流一次となって、甲賀流、伊賀流を康み出したのである。

おんみつ

途に徳川の末期迄も、

此の爾一次の忍者は、江戸城の沿庭呑となり、叉は、際密の役を命ぜら

れ、之を忍目附と一一=nって回附の登下に属せしめ、常に諸閣の間諜の役を勤めた。共役人の居つ

たのが、一柳川の甲賀川に甲賀流の忍者が佐み、四谷の伊賀町には伊賀衆が住み、允ハ叉配下の者

こ・2がひ

を一、まとめに住はせたのが、

麻布の奔町であったυ

最初、甲賀組と伊賀組とを柿を似てL性は

せ、橋の名を甲賀伊賀橋、町名も甲賀伊賀町であったのが、

二ツ

一所にして第町と略されたの

である。

然るに、走穏に、徳川氏から軍一費、ゼられ、事費、重大た役目を勤めた忍者も、家康伐後年を

終て、首都府の待遇が怒くたり、彼等は不平を起して四谷大木戸の笹寺に集合し、待遇改将の叫

びを揚げた。それと同時に、江戸市内ては、毎夜辻斬其他、不思議た犯非が頻出して、幕府市女

仰向の人を驚かした。幕府では、服部卒減に命じて之が鋲撫に努力させたが、却々解決したい。

ヰ械は北ハ交を負ひ、妥左前知り墨染めの衣を卦一泊

τ借とたり、名を西念と改めて俗界と総を給った。

之が阿谷の寺町に現存する西念寺の起以である。

., . I区、

13

Page 30: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

般;

14

山川股私は叩筑波にM

脱するもの

で、甲賀五十三家の

一、

市山六家の和国伊賀守の流れを汲む者

である。甲内J流の

.組は戸潔白目義務、伊賀は百地三太夫といふが、之は仰れいLかげんのもので、

例の猿飛佐助たども賓在の人物ではあるにしても、講談本の猿飛は、

霧隠才減たどと同じく架

会の想像が大部分であらう。

一見来叩判(は五十三流と一一=円ひ、伊賀は四十九流に分れて居たが、後,次第に減じて、残った大流

汲は、伊賀、甲賀、芥川、

根来、扶桑、忍中、甲陽、紀州等二十凶五流にたった。今日では、

先等の忍術も、殆んど衰微して跡を留め歩、恐らく、私が日本に於ける忍術俸習者の最後の一

人であるだらうと思ふ。モんなら忍術は最早や此世に必要のたいものかと

いふに、私の考では、

却々然うではたい。忍術の精一柳と、北ハの術の膝用とは之を新時代に遁合して、

個人に護身法の

必巣あり、閣家に防敵の必要ある限り、益々必要のものである事を痛切に感守るのである。以

下本当を一一蹴する人は、

営然私の意の存する蕗を僚とせらる込一事と思ふ。

Page 31: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

今、忍訴が敵地に入って共内情を探り、目的を達するに付いては、多大の準備も練mnも要る。

先づ愛袋術を知らなくてはたらぬ。

ωち時と所とによりいろ/¥ーに姿を鍵じ容援を替へるので

ある。普通には、七方向と言って七種の援援を用ゐる、山伏、出家、猿薬師、商人、

放下師、

虚無…倫と普通人の打扮と以上七種である。共他にも臨機態費、何んでも化けるのであるが、大

健右の七種が出来ると、間に合ふ。其震には立汲に玄人婆人が勤まる位に修練を積まなければ

ならたい。邸ち虚無償としては、尺八を吹く、

放下師としては手口聞や奇術をやる。猿換師とし

一人で、寄席を打てる腕前迄修練する

のでるるυ

そしては

ては踊や唄を歌ふと吾一口ったもので、

敵地に入り、姓名を愛じて其藩の御用商人の庇に挙公人とたり、叉家中の仲間に住込みたどし

叉城中に入込み体手を求むるたどいふ手もある。

J5

Page 32: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

7JJ e、担、

~;j.f

但し、とんな事は単なる猿備行動であっ

て、

誰れしもが策が付き、民似られるので敢て術と

いふに足りぬ事である。世間一般が期待する忍術といふのは、芝居総にした忍術者の印を緒ん

で、鼠に乗り、蛇に一乗ったあの形である。

「あんな本は、質際出来るか?」といふ好奇心は誰しも持ってゐるととであらう。だが、之に

釘する件は単純である。「あれは文撃者察術家の祭想の所産で、資際、あの通りの事が出来る

ものでない。但し鼠や蛇を使って人の目をくらまし、心を迷はす、主ハ際に乗じて忍術の目的を

注すると

いふ事は出来る。」

お£ろ

仁木勝正は日頃鼠bL飼ひ馴らして之を懐中し、之を殿中に放って警術者を駁かし、騒がせ、

北ハ問に自身は、同じ警街者の服装をして殿中氏入り、所要の目的を淫したとすれば、之は鼠の

術と一一一口約

J

て差支へたい。但し、蹄正の鼠の術は失敗して、弾亙は更に姻の術を起して遜れたと

一言はれてゐる。焔の術は火薬である、高一の用意に火薬を懐中し、敵の包閣に遭った際、之に

貼火して爆強せしめ、北(物凄い光景に敵手左姻に巻い

て身を院したのである。

鼠小併次郎士ロも、能く以の術を使ったと一一言はれてゐるが、之は鼠の鳴き閥抗や、物を噛む音牢

16

Page 33: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

利用して、人の家に忍び入り、財費を奪ったといふのであるが、

之を文皐者をして「鼠と化し

た」と想像の畿を揮はしめたのである。つまり擬音に依って人を鼠たりと忠はしめたのである。

之を芝居がかりに想像化すると、鼠小借、鼠と化して舞牽を走り廻り、

賛を吸え逃げ去るとい

ふ場面を現出して、観客の好奇心を満足させるととにたる。

同じ事に、犬の術といふのもある。之は、忍者が危地を除して逃ぐる際、巧みに犬の鳴き務

をして、附近の犬を呼ぴ集め、北ハ身は治早く遁逃して姿を消す。被害者側の人迷が騒いで山内て

どっち

見る頃には、犬が往来に鳴き吠えてゐるo

扱ては‘彼の賊、犬に化けたかと、北ハ犬を取詰める

といふととにたって、長物の犬とそ災難である。

,次に大蛇丸紅どの蛇も、文患者

の空想から捕かれたもので、忍術者は能く蛇を馴らして懐に

17

入れ、之を放って燈火を消し、叉は女中の溜りたどへ放って仰天せしめ、大駁ぎをして居る際

に、出入商人か仲間風に装ふて難たく其家に入り込み、主人の首を掻くとか、物を取るとか自

分の目的を達するのである。

か守松

北ハ他、霧際才械は、蝋次を撒いて敵の目を潰した。猿飛佐助は身儲較援にして、木氏小川川閃

Page 34: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

謡、

様、堺でも屋根でも飛び渡った。凡て、物を利用し、我が精…仰を統一

して、

或は忍び込みに、

或は遁走に、一柳費不思議と見せかける業をしたのが忍術者の特色で、

一寸人間離れのした妙術

とも一言へるであらう。

4

されば忍術家は智惑を絞って、

いろ/¥tと物迎化勝一上の褒明をした。毒瓦斯、毒薬、火薬、

結火器、探附…燈、妖怪愛化にばける矯めの道具。それから、忍び込みに妥する道具には、細砂

かぎな

b

よじ

子の類、簡箪た竹梯子、釣純

(之は高い蕗へ引ツかけて北ハ細に捉まっ

て禁上る〉、水を波る迫具

一として備はざるはたい。

・とん

由来、忍術は、隠身術、遁身術と見たされてゐる。それで、忍術者が雨手を胸の鹿へ纏ってF

など、

何か況文を唱へる、

il即ち印を結ぶと忽然として共鹿に妖術が現出し、各自の好みの禽獣が

現はれて、忍者を乗せ

て天に昇り、地に潜り、践腕と姿が消えて、後には腹風

一陣、鬼気人を

之ん

州民ふといふ、物凄い場合が現はれると想像されたものである。そとで天地人の三遁とか、木火.

どん

土金水の五迩とか、いる/¥tの遁身術が俸へられて居る。

併し、人聞は、死たL

い限り土にはたれない。回地や断崖に身を付けて、暗夜這手の目をく

1$

Page 35: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

-2ろ

らますのが土遇、水中に潜って首ばかり出し‘頭に枯卓でも被って居るのが水遁、木の洞に隠

れるのが木遁といふ風に考へると、此の如き遁身術は、日常誰れしもが行ふ事である。唯だ、

忍術者は、そとに普通以上の工夫を凝らして常人の考へ及ばぬ庭まで淫したのである。前の天

地入の三遁とても、天遁とは気候、人遁は風俗人情、地遁は地理に通じてそれを利用する意味

はか申ごig

と解間作されて居るので、

諸葛孔明が上は天文に通じ、下は地理に熟し、紳機妙算、

錦町を怜蛭

の袈に淫らし、勝を千里の外に決するたどは、矢張り天地人の三遁にも賞るものである。

ひっ舎よ

5

とんた風に考へると、三遁といふも五遁といふも畢寛同じ事で、仮りに分類をして見た丈け

の事でるる。人間の智惑を働かしたら、森羅寓象、取って以て我が利器とすぺきもの殺げて数

へがたいのである。十遁、百遁、千遁、高遁限りたいのである。そんた手数た勿憾らしい事を

いふ要はない、忍術は高物を巧みに利用せよと言

へば足るのでるる。以下、此の利用訟に就い

l~

Page 36: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

量必

tむ

て理論と質際を柏町して少し漣ぺて見ゃう。

人間に手近いものは草木である。到る庭木や草のたい虎はないのである、忍術は之を利用す

る惑をば忘れたい。草を利用する事は津山にある、先づ草の茂みへ隠れる、草を被る、枯草の

中へ潜る。叉木へ

隠れる方法も津山にある、立木の茂みに隠れたり、綴朝の様に木の洞に隠れ

やしろ

たり、

ある場合には、開や家に潜んで北ハ身を金ふするのも一一般の木の利用である。併し、

之が

たて

宇っと巡んだものになると、上州館林の板女の様に、

一枚の板に身を隠したり、叉は

一本の丸

太にぴたりと身を附けて巧に人の目を一時ますのもある。坂原ト俸が宮本武蔵を相手に鍋益で身

在隠したといふのも、訟十る嵐之れ叙道から来た事であるが、

一両からは木を利用したもので

ある。叉

放に

一人

の忍者あり、不窓に敵に出台ったとする。岡山訟を見ても隠れる場所はたい、はた

と川Mb怨したο

此時闘に入ったものは、前前に二三本の杉の木立ちである。此の杉の木をどうも

しゃうがなしゃうたもの

であるが、此際、彼に取っては、回定が唯一の綴りである。紋は、章太

芯先りにお一の杉の木に飛び付き、さながら木登りするやうに見せ掛けたυ

が、之は敵を誘ふ

20

Page 37: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

計略であるから、如何にも手軽に殆んど敵の限に留まらぬ位にして、北ハ依すっと木の後へ廻り、

一気に次の木の後側

へ廻り込み、

更に敵の見えない方向へと背迭するのであるο

底が之を敵の眼から見ると、大愛複雑な場面に怒る、則ち相手は木へ登ったと思ひ、兎に仏川

上の校の方へ目を注ぐ。然るに北ハ時には、忍者は己に第二の立木の後へ走った、のである。かく

して敵が再び地上に眼を勝じない中に、

自分はやJ

ん/

¥h

後、返するのである勺かく敵のけを避け

て背進ずると

いふは、忍術の上には最も大切た事で仲々六っかしい。然し筑を付け工点ずれば

決して出来ない事ではない。

それから門とか塀の庭で、他人の限から耽けゃうとするには、ぴったりと背中をほ併に

つけ、

zt

成流れの歩調で、静かに反釣の方向に外れて了ふのである。此の横流れとは、了皮蟹が這ふ抜

に筏に沙むのである。是は背がら忍びの歩調と一一一一ロって、忍術者は卒常から此の歩み方を線科し

て居るのである。是に慣れさへすれば、速度も平く身髄も疲労が少ないっそして、

此の械減れ

bLやると、前商に敵の様子を見て居て、後には、何か身初となるべきものを伽へた形になり、

忍者の必伊勢としては理怨的である。

沼、

1恒

21

Page 38: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

ひhM

此の横流れの歩み方といふのは、先づ左の足を守っと右の方へ捻り出す。すると雨足はX形

町内

‘・&畠

になるから、今度は右の足を忠ひ切って同じく右の方へはたける。共時足は全く入の字形にな

る。更にまの足を前回通り右の方へ大きく捻り出して、再びX形の足たみにたる、之も慣れる

と、

ゃん

/X跳ぶが如く歩む事は出来、普通の歩き方よりは徐程便利である。

彼の源頼朝が、

ぴつ

石橋山の合戦の際に、木の洞へ隠れた事や、大塔宮が終植の中へ隠れた事や、家康が茶臼山の

投に、辛くも草の中へ潜っ

て危険を免れたたど、何れも本の利用であっ

τ、是等は誰人にも舷

則されるのでゐる。

次は火の利用に就て考へて見ゃう。入犬俸に出る犬山道筋といふのは、本来作者馬琴の怨像

の人物であるが、併しあれは、資際に行はれ得る践を馬琴が巧に取入れて生かしたものである。

あれば何んでも火影さへあれば、容易に行はれるのである。

Page 39: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

震際の例を一ツ一示すたら、或時一人の警官が、夜中一人の怪しい男を揃

へて之左村端れの駐

布所へ

引立てやうとした。途中迄来ると、暗い道端に作んで居た若者が、不意に。ノツと燐寸を

市ったので、

警官は忠一はホJ

ふり返る途端に件の怪しい男は、するりと手を抜けて何れへか消え

失せたυ

警官は驚いて、「あツ失敗った!」と叫びたがら、無関に駈け出した。共後から件のmd

は傍の樹の蔭からのそりと立ち出て、警官の後影を嚇笑したがら、跡白浪と消え失せた。

それから二三年経って、此の男が警察の手に捕へられた時、自炊した庭に依ると、彼は、習

ふともたしに火光を利用したもので、前の斡{呂をまいた時なども、不意に閃いた燐寸の光に警

官が一瞬の気を取られた隙に、逸早く共手を抜けて、彼は共僚、前のめりに足元の草の中へ隊

げ込み、

一二聞を這って樹木の根元に身を滞ませたのであった。廃が、

一・方拡叫ん日の方では、火

の光に鰐いて、

一寸精紳が飢れた底へ、曲者が抜け出したので、愈んバ混飢し足一冗へは気が付か

十、隷もたく駆け出したのであったυ

此の庭が、犬山道筋と犬川薙助の像下と同じ事に怒るの

である。

畑の利用とい

ふ事も、多くの場合、火の利用と一致したものであったが、共の趣きに至って

忍、

最盛

23

Page 40: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

は飴料集(る。即ち火の場合は、

24

;弘

d老ル-'J,t[

いづれかと一一一一口

へば動的であるのに、姻の方は静的である。前者

は秘極的であり後者は治桜的であり、北ハの気分が大い

に異るのである。畑の百例は、絵り様山

ないのであるが、共の径とれは縫資な成絞を牧め得らる与ので、十分興味ある研究に腿する。

北川人に惚術の心得が出来て居たら、此法を行ふに左まで肉難を感じなからうと忠ふo

恭し州が

民むに立ち騰って居るとすると、敵を正面に取って後へ返るし、叉、畑が左方何れかへ膨く場

令には、叉夫に随って方たり左たりへ身を運んで、敵の脱線を発れるのである。斯うして左右

と後とに行動するから丁字形にたるのである。

とんな事からして、忍術者は、常にこ様の準備を心

の中に持って居たくてはたらぬ。

一は他

動的事物を利用するとと、こは自動的事物を利用するととである。他動的といふのは、自分で

{lg

は欣て求めもし・なければ激矧もして居ないが、何んでも茶践に現はれて居るもの、叉は明監に

共応へ現はれて来たものを捉へて、それを原則通りに利刑するのである。自動的とは、自分が

柏ほめ北ハ応へ現はれて来る何物かを設期してそれを利則するとか、叉は自分で何か特別の準備を

してmむいて、いざといふ場合に、特定の事物を故意に出現せしめて夫を使加する事をいふ。

Page 41: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

故に焔の利用の場合にも、共庭に焔の無い場合には、自ら求めて共慮へ畑を現じさせる。北ハ

方法としては、或は火薬を燃やすとか、

或は次へ石次を交ぜたものを爆獲させるとか、又は或

る仕かけの中へ入れてある瓦斯を放散するとか、種々の方法で北ハ目的を達するのである。此例

の利用は、忍術として極めて興味深い。

失は熱の利用であるが、之は火熱を要するものであるから、共感用純国は犠めて狭く、Awv

特殊の場合の外は、殆んど使用する事がないのである。併し綿製形的臨服用は却,R

庚いもので、

JLや〈

一例としては、源義靭が最後を途げた長田の風呂覚め、橋正成が長柄桁何の

極の興味がある。

熱湯攻め、たどは設も名高いもので、此径の際問とし

ては卓出したものであるυ

市井の喧嘩沙

汰に見ても、沸え立った織瓶や薬錐を投げ付けたり、火鉢を投げ付けたりするのが能くある。

之も熱の利用と山一一同へる。

,次に火の利用

ll之は忍術の方では能く用ゐるもの

で、熱の利用に比してはやっと償値あるυ

何でも少し

の光があれば、直ぐそれbL機舎にしてパツと・自身の姿を隠すのである。的ち之宇一泌

川する場合には、刀で石をがツしと切り付けた梨却、務叫〈と飛び散る火花を利川した-P、叉は

f持

のに剖 J

Page 42: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍.

争~l

双方互びに挑み合って居る時、パツと一道の大光閃くのを利用したり、或はがmmの光でも、街

‘ん灯

の光でも流星の光でも、凡て明援に愛した光を利用して、北ハの

一瞬に、逸早く身を隠すとい

‘ 26

ふのが此法の長所とする魔である。

以上、焔、熱、光たど何れも火の部に入るのであるが、扱て此の火の利用といふ事は、火と

いふ一つ

の現象が入用であっ

て、前の木の様に、何時でも何慮でも自由自布に行へるとは以ら

危い0

・少し用術上の不便は-bる。併し其の不便が・める丈けに、

いざ之を用ゐるとたると、却々

回総出しい働きにたる

ので、他の方法では迎も得られない妙麗もある。

八犬俸の犬山道筋の場合などがそれで、彼は銭と石とか拍摩してカチリと一閃の火花を獲し

た利那、

ふっと姿を掻き治したのである。共機紋な動作と手際の精細・なのには、

何人もあっと

融向山間せざるを得たい。前にも一一一ロった通り、入犬侍中の豪傑は、馬琴の答想の人物であるが、併

し、共の事の可能性丈けは十分認めて宜しい。此場合、道筋は、敵と波り合って居るのである

から、双方の作意は以度に飢(杯附されて居る

ぜたとへ民の樹夜とは言へ、敵の

一進

一退伎は判る。

故に茄し敵が

一歩でも身を退くと見れば.直ぐ電光の如く突込むので、とても退く事は出来た

Page 43: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

ぃ。其の危念の場合に、何かばっと一閃の火影でも見えると、相手の眼底に突褒的刺戟が入る。

英一瞬峨力がくらまされる。其の機を利用して附撲に他へ身を退いて了ふのである。質際此の

瞬間は、相手の限が盲にされて居るから、其時に正商を突破しても、決して自分の姿を認めら

れるやうた事はたいのである。

火の利用の安際上最も規模の大きいのは、日本武牟の来夷征伐の史資であるο傘が村野の事

を焼かれた際、反釘に此方からも火を放ちて焼き立て、遂に凶賊を燐減したなどは、最も大き

た方法に属する。元来忍法には、陽忍と陰忍と

二つがあっ

て、

傘の採用したのは此の陽忍に相

営する。陽忍は所謂表忍術と稽すべきもので、陰忍は裏忍術に相蛍する。言葉を換へていふ怒

らば、我身を現はして尽たがら・身を枕するのは防身術の骨子であり、且つ其の行ひ方が如何に

も正々堂々として居るのであるから、之を稀して表の術といふ。叉徹頭徹尾姿を現はす事をし

くら

ないで、飽迄も相手の

Rを臨まして此方の身を金ふするのは、

つまり裏の道を行くので之を装

と稽する。

だが、最も確笠た火の利用法としては、どうしても基礎を科事の上に置か忽くてはならぬ。

27

町、

釘4

Page 44: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

沼、

館も

28

モと

で忍術家の

一秘法として、火薬たるものが-w応用されたのである。それは初めて技術的でも

あり.同時に管際的功用は驚嘆に値するものがあるυ

故に火を利用せんとする釈の者は、何時

何鹿にでも、火といふ事を忘れてはならねじ雲光石火危機

一髪といふ場合に、少しでも火気が

あれば、

忽ち之を利用するのである

M

今火梁利用の一例を騒ぐると、設に

一忍者あり、人跡もたい雌で忠ひがけたい敵に出合った

とする。迫も誘常手段では敵を制する事が出来危いのであるから、設て別意の火薬を此際に利

用する。共利用法は、火薬を小突然爆税収させるのであるο

此の場合には、必守録然たる管制特と、

って屠る扇子なり手布なり在、反釘の方面にぽんと投げ上げるが早いか、

じーと身を沈めて地

閃んたる火光と漆々たる姻祭とが現はれるが、此の一一一つの中で最も重要たのは畑集である。之

は忍術者が極秘する珍重の武器で、思腕然たる音符と企ハに、ばツと稜する火光に乗じ、自分の持

そ遺ふやうにして、反針の方向へすっと走り去るのである。が一宮ロム迄もたく此場合、出来る間以

りは焔の流れに随って走るのである。

Page 45: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

之は土地の利に依って身を遁れるのである。例へば、敵に迫びかけられて、売れる除地がな

い場合、足元に講でもあれば、共中へ逸早く潜り込んだり、刀〈悶辻でも-bれば、

一方へ込跡を

はっきりと付けて置い

て、

却て反到の路へ走り去るとか、父、何か道に隙碍物でも治って泣い

とれであるc

卸ち、車鞍を逆に穿いて逃げ出すとか、途中の小さな

て駆け出すとかいふのが、

橋を破議して立ち去るのも此の法に属する。

次に同じ土地でも.山とか穴とかを利用する法がある。

多くは山野の取り還りに

mゐられ、

戦殺の際などに多く陪服用される。

個人の場合に時として際刑される事があり、小さた丘や凝り

F

土を小椋に取ったり、足元にある穴に身を隠したりするのである。

会憶にいふと、土の利用といふ読は際加の区域は非常に僚く、共の利則法定しきを得れば、

最も安全で且つ確寅た功果が牧められる。土砂の際用といふ事は最も手近かな方法で、小さい

通郵

29

Page 46: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

窓、

JM

一一塊の土も大き危働きをするο

土は或る場合には最も通貨な臼演しとも怒る

のであって、念た

30

場合などは、遁営危挺身法であるc

今、敵に出舎はした場合、直々と足下の土を取ってばつと

投げ付けるとするc敵に務め共の

m意あれば格別、

さもないと十中の八九、吃度酎上に土を.没

けるJ

土は脆いもの故、北ハ依パツと崩れて、多少とも敵の目に入るから.共瞬間に治早く身を

反釘の方向へ飛ばして了ふのである。

十の隣町は大したもので、世界大戦の如きは、土鼠戦と迄言はれた。院大友新民畿を作って雨

市川制侍する庭が、

まさに土の利用法の競争であった。

総じて此の金の利則には

一つ

の機智が必要である。

創ち蛍意的妙の頓智が必要で、

之に依つ

て金地憾のものを忍術にMmmする

のである。

刀をぴかりと光らせ

て敵の白をそれに奪ふ際に、

む吃の知く身を遮れるなどは、光り

の利用であると同時に又金の利用でもある。更に叉相手の

Page 47: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

フイと傍の方へ身を反らせると、

一時此方の姿は相手の限から消えるのである。

AUP一鋭す方法としては、其漫に鍋でも釜でも銭瓶でもあったなら、石たり木たりで力をい側めて

モれを叩〈のである。此場合、相手は、はっとして一瞬英方へ目を料守るから、北口虚に乗じて

更に金物の利用として偉へらる

Lのは、左の一例である。之は、機智頓才に依って危念を沼

れたので、誰人にも行へる事である。或家へ一国の慈漢が不意に製ふて来た。主人は此の形勢

に営惑したのであるが、沈着な労であり多少忍術の心得もあったので、気を落活けて倣の誌を

掻く用意をした。先づ手況の机の上にある文銀、小刀、それから火鉢の中の火籍、床の間に在

った合属性の置物、

香焼など、大念ぎ取り集めて、それをがちゃ

/Vと鳴らし・ながら、自分

人であるのに、

「さア皆た

一緒に出ろ、構はんから片端から這つ付けて了へ!」

と叫んだ。悪漢共は是は意外と驚いた、

fk

「不可々々、もう防ぎが付いて居て、

大勢居るらしい。刀たども持って居る、之は配艇にはや

れん」

31

Page 48: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

と顔見合せて、やがて共俊波数して了ったといふのでるる。

32

も一つの金の利用は、之とそ本営の金で、九相銭を北ハ億利用するのである。即ち懐中して鰐る

をつ

銅貨怒り銀貨怒りを密と握って、それといふ時、敵の顔へ叩き付けるので、=一ツ問ツ一絡に投

あた

げると一ツ位は命中する。目や鼻へ中ったら大した効果がある。正宗の費刀よりも、紙の沿さ

つが一

mm能く切れるといふのも嘗節の府県相であるが、武術忍術の一手として銅貨の礁を使用す

る事は、

却々の思ひ付きであらう。

之は水無を利用するもので、態用範国が庚い。河、海、池、井戸たどある。共同の原則の下

に場合々々に膝用するのである。あたやといふ場合に、前面の判中へ飛び込んだり、叉舶から

海中に投じて、波のまに/

¥h

姿を潜めて居るのも、日頃の水練に依っ

て出来る忍術の

一手で、

彼の鳥井又助が姫川で加州の大守を刺したなどは、此術の妙である。

Page 49: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

井戸を熔用する事に付いては面白い話が多い。曾て或る旧舎で、

一人の正直た若者が、数名

の無磁波に要せられて図った。兎に角、逃げ出しては見たが、悪漢北ハは、際問もたく迫っかけ

る、若者は材開封絶命、見ると路傍に井戸がある。彼は井戸板の下に在った手頃の石を抱き上げ

て、どぷんと井戸の中へ投げ込み、穿いて居た草履を此ハ慮へ棄て、北ハ身は逸早く地を這ふ様に

して茂み

の中を走り抜けたのである。

這ふて来た怒漢北ハは井戸の水管を開き、

「ゃッ、野郎井戸へ飛込んだf

あツ、草履が股ぎ楽てもムある。」

と、罵りたがら、寄ってたかつて井戸の中を覗き込んだが、中は暗い

から直ぐには見蛍が付

かない。それとれとしゃべって居る聞に、若者は難たく逃げ終うせたのである。

一%来此の水の利用といふのは他の方法に比して昨応用が比較的困難でもある。

何前ならば、是

はどうでも水線透者とい

ふ事が保件とされるからである。水練達者でなければ、発会に水を除

用する事が出来たい道理である。彼の兇徒たどが、

警官の乎から枕する

のは、能く此の遁法を

やる。敵に治ひ詰められて前方に水漫々の川があるとたると、能くぎんぷと.飛込んで、姿は見

え宇佐りにけりといふのがある。

円。、Jo.)

Page 50: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

m 必A

34

だが、首尾能く水の中

へ潜ったとした庭で、

主ハまL

荷一ぐ何れかの地結へい泳ぎ附かうとするの

は、寧ろ不得策として避け-なければならぬ。相手が

一人か二人位の少人伽俄である場合は、第ろ

水へ飛び込pbだたら、共遜に鼻と口丈け水面に出してしばしいん一

hして居るのもよろしい。陸

の方では、

飛び込んだぞ、下流の方へ直ぐ廻れ」とか「早く向岸

へ廻れ!」とか畳一ロつ

「やッ、

て、下の方や向ふへ

駈けて行くのが人情の常である。共聞に此方は浮に付い

て寧る少し上流の

カから陸へ上って、一也ぐ掌の中へでも隠れて居ると宜しいc

も一

つ水を利用して敵の限から股ける方法がある。それは川でも地でも湖水でも何でも、身

は巳に敵の手中に陥らんとする際、何か手蛍hy次第、傍にある物を水中に投じて、ばツと水紋

が立った底を逸平く、自身は敵の手を免れて身を隠すのである。

尚一つの膝用法としては、水を敵の面上に注ぎかけるのである。強め用意した水があれば結

械、無ければ手近にある水を利用し

て、不意にやるのであるから、相手は、はっとして後退る

ぐ。共の一瞬間を利用して、

更に第二の攻勢に出づるのである。是は、忍法の方では、最後の

苦手と稿するもので、北川通の場合には際用する事を紫じられてbる。

Page 51: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

我々が通常に知って居る天象を、最も巧妙に且つ機合的に利用するのである。例へば円中の

場合には、自分は太陽を,Vにして立つのであるο

此の様た場合には、敵は太陽の後光に目を射

られて、判然と相手の動静を見る事が出来なLから、北ハ弱貼を利用して、自分は忠ふ健に働く

事が出来るのである。

叉、風とか雨とか、

四国とかいふ天象も古くから多く問ゐられた。

烈風の日に敵を風下へ取っ

て火を飛ばすとか、叉今日の鞍術の如く、毒瓦斯を浴せかけたりするので、斯くの如きは、

寸した思ひ付きの様であるが、質織の場合には意外の大功を牧める事が出来る。雷鳴忽どは故

も際どい隠用でるって、雷雨の音などが劇しい時には、北ハ撃に紛れて敵の手元へ附け入ったり、

智一一の日には白装束で敵の限を掠めたりする

のは、数々用ゐられる践でるる。

所謂天象を熔則するととは、忍術の中でも極めて高山内たものと目されて居る。抑々も人間は

-田園.

35

Page 52: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

窓、

舷も

天を紙き、

地左踏むやうに出来て居る

ので、此の天を利用するといふ事と、共の範悶は際大仰…

惑である。放に天象利用に遁十るといふは、やがて忍術の奥伎を'件付したもので、忍術的技能

の故高頂に達したものと言へる。今それ、天象利用の標本ともはるべきは、天候の餐化を路用

する事で、例ぜば、彼の露関亙といふ閣は、普から外閣と戦争するには、能く般多風雲の気候

を利用する。之は、自閣民は、怒気に馴れて照るから、熱閣の人間在囚らせる

一つの方法であ

るοをく政義に於ける天後利用であって、震に大きな規模を立てL

居るのである。

一方叉、熱闘では、夏季を利用して、懇関の兵を図らせるといふ手もあるコ普からの兵蓄に

も、上は天文に通じ、下は地理に熟すとま固いてあるc

故に天象を利用する事は、大智者の能く

する嵐で、晴れたw伐に忽然即断雨の来る事を渓想して二仕事をするといふのもあるο「今迄晴れ

渡った径が忽ち鎮祭に蔽はれ、天地忽く晦冥とたると北ハに紫電一閃、さツと降り来る大雨に衆

じて姿を治した」とか、

又は「互ひに秘術を蒸し、火花を散らして鞍ふ折しも、月は一陣の雲

に呑まれて四設は再び関黒となったので、共のまL姿を隠して了った」といふ様なのは、何れ

も北ハの天象の愛化を利用した忍術物語りの、華々しい場合を飾るのである。

36

Page 53: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

石は仰れの尚加にも容易に得られるものであるから、此の際用範聞は甚だ民い。例へば、哨法

裁に人あり、不闘敵手に認められた場合、此方に何んの用意も健悟もたかったら、必然敗を

の場合、思ひがけぬ敵k

mAMけったとする。手早く二ツ三ツの小石を拾って敵の川上を望んで投

げ付け、敵が

bツとたじろぐ問に、治早く身を隠して了ふのも忍術の一方法である。更に、必

震筒、石鳥居、石橋たどを利用して巧に自分の姿を隠すとともある。

取る事とたらう。若し、不断の用意あり、注意を怠ら訟かったならば、如何なる場合にも、関

々と'献に討たれるものでない。彼の心は逸早く、地上の何物かを利用する方商に注がれるので

ある。土、石、橋、塚、丘、樹木、邸宅、澗堂、川流、穴、溝など、到る鹿に利用すべき材料

は、有り鈴る怒多い

のである。地の利を取るといふ事は.天の時を得ると同じく、兵法の極意

であり、同時に庚義の忍術である。地の利を取る時、そとに、能く、総天動地の華々しい活動

話7

Page 54: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

叡-

を現出する事も出来るのである。

33

且つ、地の利を臨服用する一事の中で、大切たる一

方法は、地に同化するといふ事である。之は

忍術の一大賀典である。同化といふと難かしくたるが、昔から

「紛れる」とか「似せる」とか

いふ事がある。

つまり是は、自分の身を地

の模様とか、周園の事物とかに同じ様にして了ふと

いふ事であっ

て、動物の保護色と同じ関係に立つものである。

此事は、

忍者の小さい掛け引きの聞に行はれるばかりで往く、随分と多方面に態用されてあ

る。軍隊のカ

1キ

1色服の如きがそれで、遠方から見ると、土の色と紛れるので、共の所有を

隠すのである。

叉此頃では、飛行機から直下に見付けられるのを防ぐ矯に、兵士は、精子の上

に縞み袋を被り、

いざといふ時には、此の編み袋の中へ草を

一杯に入れて被ると、ん会中の飛行

機から見ると、草原と区別が付か訟いのである。背渡へも比の卒袋を被ぶせる様にしてある。

普からの忍術者は、

其時と相場合に態じて、衣服や被物や、携帯の武器拡ども充分に注意を挽つ

ナー・3ぞ

たものである。手拭を蘇扮染めにしたのも此意味である。

夜縫などの、好んで黒畿東であるのは、脅から

の定りであるが、主とし℃夜間に仕事をする

Page 55: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

彼等には、是とそ全く忍術の法則にはまったものである。民の閤でなくとも、黒荻束で限かに

地上にしゃがんで居たら、容易に人の自に入らぬのである。

生きた人間の利用

なれおひ

人間を共催忍術に利用する。其中の反問策といふのは、世間の馴ムロひ喧嘩の如きもので、共

のどさくさに紛れて二人とも次官を隠す如きである。反問術の愛形として背肉策といふのである。

是は自分の身左苦めて、身を股するのである。例

へば、今甲は乙の震に捉へられんとする切迫

諮った場合、甲は一つの普肉策を行ふのであるο

印ち、最早此上は仕方たいから、線紺の辱め

に舎はんよりは、寧ろ潔く自決すると見せ、

双肌股いで短刀を我が腹に軽く突き立て、少しば

かりの出血を見せる。乙も意外の感に打たれて隠路する胞を、却て共の短刀で乙を突き刺して

菟れるといふ様た事をする。

も一つの人身利用は、他人の身を利用して我が安全を園るのである。敵の家へ忍び込んで褒

沼、

舷・

:39

Page 56: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

m ,也、

見され、

一身危険に・瀕した場合など、北、家の妻女とか母とか子とかを逸早く怒っ

て、之を眼前

40

元来人身利用の主眼とする庭は、人といふ活物を利用して、夫に依って第三秤の眼を船ずの

の入賞とするのである。之などは、十分に心身の鍛錬を積んだ者に行はれ得る。

であるから、中々興味がある代りに、叉

一歳の品目も折れるが.共成績も面白いのである。つま

り第三者を符来って敵の眼から股れ去るので、機聴を要する人込みの中で、慈事bq

働く者北ハが

能くやる手で、すりが、人の財布hqe怒って、之を他の通行人なり仲間怒りの扶

へ忍ばせるなど

もそれである。或は、釘一一一者と敵手とを機合的に衝突させて、共際に自分は脆州する事たどで

ある。

此方法は一寸岡純であるが、うまく行けば効果が大きい。併し第三者に釘する手段が捕

劣であっては、却て反釘に利用される廃れがあるので大いに注意を製する。

U〈什八刀が或者の民似をして危地を脱するのは面白い方法である。

併し之も時と場合で膝用に

雄日匂がある。叶一間一般に知られた質例は、例の安宅闘の緋度であるが、他にも忍術には之に類

wpら

似のが多い。見富也が、北越寺一れの津で賀子といふ忍子に鈎変装して、強慾代官を誕かしたのも

との租の方法である。児一首也は、忍仰に於ける古今の達人で、特に共の蝦基の術の精妙は他の

Page 57: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

迫隠を許さぬ白地であるが、共の忍術的際用は、時として蝦墓の術以外にも種々の妙用を示した』

無論普から、誰々は何の術に長じて居ると一一言った隠で、

主ハ術以外を使

へぬといふ

ωではなく、

、、.、、

唯だ英人の得意として蝦基たり、なめくじなりを佼ふとい

ふに過ぎ守、時と場合では、変化極

りたくあらゆる術を泡時適度に後現したものである。

彼の惑七兵衛景清の如く.魚鱗を目の中へ駿めて非人に見せかけたり、支那では後譲が茨を

容んで岡山とたり以て人の目を腕ましたり、叉赤穂義士の如きも、或は飽鈍屋になったり、問屋

にたったり、

扇子屋にたったりして、敵の綾子を窺ったりしたのも皆た同じ熔用である。八犬

俸の中には、

彼の会餓大助が、乞喰と怒って身を潜めたといふのも同じ事である。今日でも、

刑事巡採など犯人を追跡する場合には、能く其の容貌や姿を竣へて、何人にも刑事と憎られぬ

やうにする。穏を生やしたり、

蝋細工で鼻の形を鑓へたり、叉は

J

留を被っ

て鳴門坊主を綴じたり

する

のでbるが、斯う巧妙に愛化されて

は、

如何怒る題渓も気が付か・?に居るのである。

坊主闘にたるたどは随分思ひ付きであるが、秀吉が四天王位馬に遁はれて、辛くも寺へ逃げ

込み、

早速興髪を剃り、知らぬ瀕し

て護所で味噌を抱って居たたどは、大した忍術の妙諦であ

争街

~l

Page 58: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

翻i

る。支那でも、此の姿を錨混じて人を誌かした話に、例のお舷俸と有名た面白い話がある事は、

4j1

史記列俸の中広詳しいから此には略す。

a島

烏の利用といふ事は、患に鳥類共物を除問するばかりでなく、叉烏の仕方や様子をも真似℃

巧に他を紛らす底に妙味を生やる。之に就て一つの面白い質例がある。或者が、嘗て他家へ忍

彼は行きたり之を挺ヘボンとん企へ投げ上げた。鶏は非常に驚いて、

コケ/

¥とけたhましく鳴

ぴ込まうとすると、辺製く家人に後見されて、狭い庭の隅へ迫ひ詰められて了った。図って

/X工夫するが、制強妙計も出たい。すると、共施へ一一仰の鶏がチヨコ

/X走り出たので、

いたので、退手の者の日が忠は十兆方へ縛じた瞬間に、北ハ宥はひらり身を齢へして、追手の足

元からずっと駈け抜けて何れへか姿を隠した。はっと焦が付いた温手の者は「アツ曲者め、鶏

の術bL使ったか!」と言って、呆然と四濯を見廻はしたといふのである。

Page 59: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

但し、忍術である以上、m単に機合的事資をのみ利用する事に安んぜ守に、更に数歩を進め

τ、

如何危る場合にも自分に都合の好い機舎を作る事を心がけなくてはならぬ。郎ち汲め

一一仰なhy

二羽山なりの小鳥か、或は之に類したものを用意して、

いざといふ場合、不意にそれを・対ぴ尚さ

せるといふのが寧ろ積極的工夫である。小鳥位の利用は大した事でもたい様に思はれるが、事

貨は中々然うでない。普述、人聞は、小鳥が飛び出しても、

ふっと集を締じさせられる

ωが常

態である。兎に角其の小鳥の行街を一寸でも見定めるのであるから、ヰハ滋に隙が生やる。北ハ間

に此方は敏挺に身を隠して了ふのである。

小鳥は形の小さいものであるから、少し共使用に憤

れさへすれば.築外の好果を牧める一事が出来る。忍術成めは、火薬の燃に物凄い物の細川用法を考

へると同時に、叉此極小鳥の利用法等も習練したものである。

小鳥で引合ひに出される話は、例の石橋山の木の、洞へ隠れた頼朝である。梶原景時が、此の

洞の中へ弓を突込んだ時、二mmの鳩がばた/

¥1

と飛び出して、

初判迂回一角く安中へ舞ひ上ったとい

ふので、長時は「やア、鳩めが飛ひ出した。鳥が印刷る牧ぢや、人間は居まい

」と高初慨に笑ひ出

ど・3

したので、他の者も之に同じて共庭を行き泌ぎる。鳩は、頼朝ム+一俊の方で、猿め用意したもの

長~

沼、

43

Page 60: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

汐7,ι凶、

視t

続-

44

か、長時が計絡を蓬らしてやった事かは問ふ庭にあらや、兎に角、巧みな烏の利用の一手とし

て、此の場合を見るのである。

叉、

支那では鶏時狗盗の輩といふ事があって、鶏の鳴く獲を真似て危難を菟れた一役例が史上

に測はれて居る。即ち例の碕の設挙対が、強秦に使して、外交談判の失敗に終り、身は囚はれ

せつ伶

ゃうといふ切場詰った事にたる。そとで従者諸北ハ、夜中に遁走したのであるが、守幽谷閥迄孫延

びたが、

夜が明けないから閥門が閉まっ

て厄る。開くのを待って肘ては、突の這手に捕へられ

る、

絶針絶命の場合、従粁の一人に鶏鳴を山県似る事の名人が舟て、コ

ケコ

lと高らかに箕似た。

ずると、近所の鶏が皆な之に同じて鳴き出したから、門務は夜が明けて定刻になったと忠び、

、.、.、.

門を闘いて通行人を過した。平良骨骨ハ・主従、龍のあぎとを免れて無事本闘に陥る事が出来たとい

ぬら

ふのである。之などは、烏の利用の設なるもので、手濡さ宇に敵を歎き絡へたのである。

北ハ他大鷲の術などい

ふのが、古から能く侍へられる。併し、之は、鷲の剥製を頭から被つ℃

見せたり、首丈け鷲の似総を使って、徐の庭は、が山内で作り、

雲一梯ひや鳶形に作ったものを携

殺して、夜中に人を敷いたといふ巧妙な智恵である。小鳥の軽妙た術に封して、之は鷲を銭烏

Page 61: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

と同氏れた昔の心理作用を利用し、威力を示した積極的に敵を斬りまくるとか、

M人は、

次第に後

即応りする時、敵の念這を阻む手段である。

獣類利用は臨服用の臨聞いもので、忍術家には避だ豆婆たものである。犬、猫、鼠、肢の…ねたも

のから、大は牛、馬、虎、鹿、猪、熊、何んでも利用される。そして、元等mm類に特典な霊能

作用がある様な事を、忍術者の方では日頃世人に吹き込んで、そとに何か幻係不忠誠な錯慌を

宏、

-録

45

誘導して泣くのである。

之を除用万商から見ろと、雨者相挑んで、

今や危機一髪といふ場合に、思ひがけなくも

一必

の鼠が忽然と現はれて、問者の中間にあって、手でも摺り合せる犠な不思議な妥態をしたとし

たら、そとに何と訟く一種の一例秘的た疑惑心を起させる。そとが忍術者の附け目なのである。

甘い間一般に停

へられる彪では、彼の仁木路五は好んで鼠の術を使ったといふ。鼠は小動物で、

Page 62: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

恋1

之を馴らすと殊に白鼠の如きは、主人の懐に安住して能く言、ふ事を鍵くものであるから、何時

でも携帯するに好都合である

“小鳥だと、袋息死を起させる心配もあるが、鼠は其鮎至って無

遺作なものである。

仁木の鼠の術といふのは、

一種の妖術であるかの如く信ぜられて居るが、決してそんなもの

-でた

い。

上手の人間の粉紳言動は、ん品に劣った者におして、幻妖的威力を一示すといふ事に飾北川

するのである。鼠が偶然に現はれたか、叉は後て用意し℃持って居た鼠を、仁木はそとへ放っ

たとするc

すると、相手は緊張し切った心に一黙の波紋を生じて茶庭に際が出る、モとが仁木

の衆やる露である。

古から人々の胸底には、動物それん¥に一

つの榊終不可思議な属性が備はってあると考

へら

れて居るので、是が特に忍術家の精一脚箆動に大なる助けとたるのである。紋の税家阿蒋利の話

たど左前んで、鼠d

の妖気といふ事を不思議に

ω山ひ、あんな小さな動物でも、時としては不思議

の精を現はすと考へて居るから、今突然鼠が飛び出すと、そとに何か怪しい術が行はれて居る

ではないかといふ疑念を生やる。

46

Page 63: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

一たび起った疑惑心は投薬を生ヒて、際限もたく幻魔錯発へと導く。されば此の内側感心とい

ふのは、忍者の附け目で、共底に隙とか虚とかいふ忍術獄特の舞遵を制くのである。かくして

一日一虚に爽やれば、忍術者の方では思ふが俸に相手の心も目も臨ます事が出来る。されば、敵

手の心の段慢を探る様に、先づ此様た小さい動物を放って見るので、比貼、忍術者の精一柳修養

に鴎する。

源頼光は一代の勇豪で鳴らしたもので、営時世間を騒がした稀代の怪賊、茨木の成笠丸とい

ふのを捕へ来って、之を我が邸内に縛めて置いた。流石は鬼童丸、何時の間にか仰向鍛の鎖を捻

ぢ切って逃亡して了った。家臣等驚き、あの曲者を逃がしては、虎を野に放った如き酬である

といふので、八方探索したが見付ける事が出来たい。共中、観光は一日例の凶天王の身者を随

含ウ

へて野に出た。すると、路傍に一疋の死んだ牛が筏はって居る。吃とみ」れへ目を付けた税光は

一バうむ、脊共、彼の死牛は怪しい姿一鰻ぞ、疾く吟味せい!」

といふ。流石は古今の武将丈けあって、自が高い、少しも油断たく心を配る

ωである。ヲてζ

で四天王の間々、それとばかり駈け付けて泌牛に近づくと、牛はむく/¥l

と動いて忽ち猛然と

霊感

~7

Page 64: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

露出

身を起した。之を見た凶天王の商ん、

「扱てとそ奇特たれ、それ取り挫けい!」

とばかり之れに立向ふと、北ハの腹から鬼堂丸がばつと飛び出した。

「やア山地叢丸怒るぞ、それ逃がすた!」

ととちらは前後左右から取容いたので、流石の鬼童丸も再び縛め‘られて了ったο

一時たりと

も牛の腹中に潜み、頼光の外出を狙って居た的地震丸の所業は、欺類利用の忍術である。之に封

一方頼光としては、素より勇名を後世に残した武将丈けあって、

して、

一一個の比牛を見るが早

いか、之を怪しと脱んだ眼力は縫践すぺきもので、名勝叉忍術を心得て居たのである

J

若し、

之が武一男一方の人聞であったら、油断して死牛に近づき、鬼重丸の抜き討ちに舎って一命を滋

した事であらう。

更に獣類利用の興味あるやり方は、火牛の謀といふので、之は支那では、済の間態が、夜戦

たい土つ

の・際牛の尽に松明を結び付け、之に火をつけた。牛は熱くて犠らたいから、bT狂刷叫になって、

敵陣

へ突進した、国軍の箪は共後から進んで、狼狽して居る敵を破ったといふのである』其他

49

Page 65: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

にも此の火牛を利用して敵を歎いた計略は幾つも語られて居司令

ち、

夜中、山麓に兵を伏せ‘

火牛を山上に迫ひ上げる。敵は之を見て、相手方の兵は山を越へて沼尽くのであると考へ、之を

迫繋すると、資に闘らん、伏兵の借地めに退路を取切

d

られて大敗するといふのである。

更に叉、死鳥を利用して大難を菟れた事は、「棒読弓張月』の源篤朝である。-f

・は戦破れて職

場に燐き絞されたと思はれた

γ、援に間らん銘篤の腹を割き、北ハ馬に身を投じて火祭を避け辛

く生き延びたといふのである。事の質おは兎に角として、被服廠に飽った人総の中にも凹地に

這って土気を吸ひ、上の方は、他の人々の集闘で火気を防いだ者は一命を助かったといふ、絡

むしろ

れた蹄を被って対たら、火山消も毒瓦斯も防げる事であらう。篤朝が馬腹に潜んで維を免れた話

は、馬琴の傑作であるにしても、例の犬山道筋の場介と同じく、質際に行はれ得ぺき事で、験

類利用の一方法として面白い研究であらう

秀吉が、山崎で明智方の勇将、

四天王但馬に迫ひ掛けられた時、逃げ場を失って総劉絶命と

なった。力と税む加藤清正も我に続か歩、但馬は鬼一仰の如く猛って迫って松市る。道は間前中の

一本畷手、今はどうする一部も出来たい。説H

通の入問たらば陰祭泣喪して、

rrんパーと敵に首を

1rJ 11中、

争好

最盛

.9

Page 66: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

歩の英雄丈けに、最後の一瞬迄決して落縫もせデ、自暴自棄もしたい。自分は股馬に修つ

τ必、

忍‘

il.

50

授くる場合であるが、そとは流石に一百姓の小枠より、途に天下を取るといふ器用人、古今猪

死に鞭bz加へて逃げ走って居るのだが、忽ち思ひ付いて此愛馬に身代りさせる術を考へた。

ひらりと烏より飛び下り、馬の頭を退ふて来る但馬の方へ向けて置いて、後から刀を持って

したたか情的の尻を軒り付けた。馬は敬向いて一獲高く蹴ハ¥や、

一本路を但馬の方へ向って疾走し

た。はたと出曾した但馬は、身を避ける徐地もたい、手負ひ猪にも似た馬の突撃に流石の但民

も一寸後退せ・?に腐られたい。前足を上げて復ひかぶって来る応の死物狂ひの勢には手も出た

かった。やツと此方も断みはだかった出曾頭に、強力無双の但馬は‘大手を披げて馬の前足を

取って、うんと金剛力を出し、之を引捲いで銭石落しに

「えlツ」とばかりに泥田の中へ投げ

込んだものである。馬はそれきり起き上らたい。

一息吐いて手の麗を打梯ぴ、扱て向ふを見る

と、狭商冠者は何慮行きけん影もなし、もう逃げて了った。

「猿にでも早い奴ぢや」と、四天王も呆然と立ち悲したのである。

斯うして、馬を放って但馬

を古しめ、共隙に身を院した秀吉の計略は、由民に嘗意印妙で、忍術の極意路用の妙を後却した

Page 67: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

ものである。元来、秀吉は、古今の名勝でありたがら、他。信玄、信長、家康、民間父子など

の如く、忍術者を多く召抱へる事をしなかったとき口はるLも、北八資自分自身が草股取り奉公か

ら立身して、多年の辛苦抑制難の問に、

忍術の事は能く/¥考へたものと見え、忍術者に額見守

とも、自分の才売で何んでも出来ると信じて居た事であらう」今わ畷路の難と一γ

一同ひ、味噌何日り

坊主の計略と一寸一口ひ、忍術者としても古今調歩なの

である。

獣類の利用は多方面に一同一り、却々興味あるもので、且つ共の効果も硲貸である。早く言へば

生き物を我が身代りにするやうなも

のであるから、生命が一一つある形で、買に首一.貨な忍術引・

b

るο

能く行はれるのは犬の利用である。犬は、元来、非常に敏捷であり、且つ怜例た性げを有

して居るもの

であっ

て、

欺類中、最も詑く人間の心意に渇ヒて印刷るのであるから、之を利用す

るに蛍つては、往々に驚くべき成績を犠げる事が出来る。故に犬の利用といふ事は、

一方、忍

術者にも重要であると同時に、他方忍び込まれる方の側にも重要た用心棒である。寸人を利川す

る事に就ては、後段別に詳しく述ぺるつもりである。私の甲賀流浪では、犬の術といふ惑を特

に賞用するので、之は最も迎詰め友行き方で路震性が多いのである。従って私の方では犬の研

認、

b缶

也、

[;1

Page 68: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

究が一芥需品ぜられた」番犬、警察犬、軍用犬たど

弘、

嘗節、無電時代と言はるム開明の世にも

(j!1

グ7J~、

富島

犬丈けはム佐々常用されるのも、つまりは共の意味から来るのである。但し、共の詳細川は後廻し

として、放にはナを利用する方ではなく、敵としての犬から遁れる方面を考へて見ゃうo

-勿論とは犬bq一利用するといふ秘何倒的忍術に釘膝した逆手で、謂はぜ治鋭的たものであるから、

忍術の性質Sらは一径の防ぎ乎と見るべきものである。今考へて見ると、夜陰に人家を製ふや

うな曲者は、何よりも先きに此の犬といふものを恐れる。第

一に之を髭理しなくてはならぬ

雌がれナノは本能として共の喫先、総由党、現嵯など優れて居る。之を院しゃうといふは容易でない

然し、略物のの謀長と一一一一円はるL人聞は、叉も一つ

f.は手であるから、

いろ/

¥h

と犬を挑んける工夫

をする。

つ走る虎モれにはごつ

の法がある。

ωち北ハ一は犬を誘惑する事、北ハ二は犬を亡きものにする

事此

ω二つしかない。先づ犬を一誘戒心する…山市を考へると、最初に、犬の鳴撃をして一円一犬を手

元へ

引先川せるリ

口信や平内鼓ちでブを呼ぶと、人間である事が判るから、犬の鳴撃を民似て、他

の犬が議ひ一比点。たやうに思はせるのである。飼主の方では別に怪し・まない、夜の事故、此方の

Page 69: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

委は認められない。モして一旦犬を手元へ引寄せて何か餌を輿へ‘共犬を味方にして了ふ。之

は惚けの術で‘背通の相場令には多く之が態用される

のであるο

弐に犬を亡きものにするといふのは、仕事の上では積極的な還方である。即ち、前

ω如く、

犬を誘ふて一旦手元へ呼び寄せ、之に毒物を輿へて縫すか、さもなければ他へ引いて行って、

安全た彪に禦ぎ留めて了ふのである。但しとんな仕事は、誰にも出来るのではないο

迎も純一事

である。鳴務を練習して犬を手元へ引寄せるといふは、忍術者の大仕事たのであるο

日頃の線

羽田が必要であるυ

時+

も一つ猫の鳴き獲を昨服用する事も妙である。

猫八式に巧妙にたったら、忍び込みには持って

来いで、文郊の鶏鳴狗盗に加へて、猫忍とでもせ一口ひたいのである。嘗て一一刑事が犯罪検怒のた

むき〈

めに、兇賊と目ざした者の家に忍び込み幾晩も張込んだ

のである。慮が、踊るしい像の下へ人

って、盛挨っぽいο長時間潜んで居たので、

つい堪らなくなって、

ふっと一つ咳が附た

ωであ

る。「さア大捷!」、大罪を犯そうといふ惑漢の一事とて、

日頃用心はしてゐる、忽ち之乞聞き谷

めて、

「何か放の下に居る!」と、彼は耳を澄し

て加盟の下へ気を飢ばったらしい。

忍、

重度.

53

Page 70: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

刑事は、・失敗ったと忠ったが、もう後の祭でどうにもたらない。哨墜に考へ付いたのは、猫

54

の箆似である。早速手を騒く口に嘗てながら、小さた獲で-一ヤ1ノーとやったのである。猫八

如き巧妙なものではないが、大事の相場合、

一生懸命でやった仮穫が、どうにか成功したもので、

兇漢は「あL、狛だったか、もうあの捻猪が仔を産む頃だが、

ハ、、、、、」と笑ひ聾υ

下に

開局る刑事はほっとして胸を撫で下した。

虫といふと何とたく人に一種の凄味を努えさせる。虫類、長虫と来ると、見ただけでも不気

味だと顔を背けるのが常であるから、之を忍術に利用すると、妖気が伴ふて人の心を惑観する

に足るのである。

児霞也の蝦纂の俗側、大蛇丸の蛇、白縫姫が蜘妹を使ふたど、

いろ/¥1

の虫使ひが居る。皆是

れ虫の利用として見るペきものである。或る意味からして古来忍術と虫類とは相伴ふものと考

Page 71: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

へられて居る。之といふも、虫類は慨して陰性たもので妖気が勝って居るから、榊秘的拡方面

に利用されるには沿説へたのである。虫が陰性たのは、大抵陰気な、漁策のある底に育ち‘共

形性や行動がはっきりしない。何とたく陰険なものに見え、人の心を惑はすのである」

加之、世間一般に、虫類を異様なものに考へる習慣が存して居る。何んと言っても虫類程に

気持の惑い動物は他にたいのである。そして蜘妹の化け物が頼光を悩ましたの、蝦基の泊は異

欣ゑ作用をするの、蛾の毒が恐ろしいのと言はれ、何れも夜陰に出波するのが多い慮から、人

心に怪異た印象を烈へるも営然である。

放に、思ひがけたい場合に、

幻想を誘はれる矯めに疎っと・身の毛のよ立つ

ととさへ

あるのである。そとで、忍術者は此の機

一疋の毛虫が突然現はれたとしても、何んだか一抑制拠不可思統な

舎を利用する。忽ち相手の心中に虚が生やる。共廃へ一寸愛った行動をして見せると、

一種の

暗示がかL

る。幻覚鈷m%が乎停って精一仰が混鋭するo

もう腰が浮いて居るから、此方の思ふ坪

へはまるとい

ふ順序である。

虫の利用として最も能く知られたのは、大蛇とか娘一念、山駒山松、

、、、、

ためくじ注どで

bるが、最近

理、

最必

65

Page 72: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

耳にした而白い一例は燥を挺用した話である。球間合に一人の山内年、があった。村内に二一一一の敵

56

副I.!.、

6街

E必

があった。

一日ゆくりたく彼は、此の敵とばったり出合ったじ凶暴な敵故日頃から避け℃mmた

のであるが、哨瑳

ω場合、避けも逃げも同派ない。殆んど首惑して了ったのである」仕方なく、

いきなり、路傍の草原へ飛び込んで隠れやうとしたが、北ハの草の葉には、疲れ切ったらしい二

均約の蝶々がm閉まって居た。諮問年は従へると、今しも怒鬼の様になって自分の後を迫ふて来た敵

の間へと投げ付けた。二mmの蝶々はびっくりしてひら/Xと舞ひ飛んで、敵の函を蔽ふた。敵

は奥様の感に打たれ、

一瞬之に気を取られて目を胸じた隙に、青年は草原の中を遣って逃げ、

何れ

へか次官・を隠して了ったといふのである。営意邸妙の忍術の窓を鰐したものである。

向ほ忍術の方では、常に虫類の特性を研究し、共の行動を製んで巧みに敵手の限を晦ます事

を心がけ

h

なくてはたらぬο

例へば吾人が滑り込みといふ運動を取らうといふ場合には、蛇の動

作を用ゐる。叉静っと相手方や周国の様子を鏡ふやうな場合には、

蝦基の不動姿勢を用ゐる。

叉何か四透に注意でもする場合には、蜘株の総勢を接ぶのであるが、是等の事柄は、忍術上に

於ける健勢上の重要な心得とたるのである。殊に初心者には大いに注意すべき黙である。

Page 73: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

魚を晦服用しての忍術は賓際としては、其賓物を臨応用するといふ事は殆んど傾向…く‘患に北ハの形

穏動作といふ黙が取入れられたのである。今、魚の形欣ゑどを考へて見ると、共施に却々岡白

い現象が褒見されるのである。即ち其鰻の前方と後方とが尖って居るのは、進んだり泣いたり

へんぺい

する動作を倣捷たらしめんが篤で、共の左と右とに扇卒ではあるのは、水中で一や静を保って居

るのに便利たらしむる震である。

五口々忍術者として接ぶべきは、此の特性を備へた形態動作である。則ち左の如き魚類の形態

に見て、進むこと、退くとと、崎けかむとと、沈むとと、右するとと、左するとと、動くこと静

まるととを息んで、所謂忍術家としての隙鑓健勢を曾得すべきものである。そとで、魚の形態

を膝用したもので面白いのは、今日盛んに使用される空中飛行般の如きものである。叉海中の

悪魔として大いに恐れられて居る滞水艇や、或は魚形水雷の如きも、みた魚の形態に製んだ彬

次Y,也、

争時

57

Page 74: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

58

認、

露畠

迭である

J

鮪から見ても、魚婦の利用とい

ふ事は、決して無意味なもので訟いととが解る。

だが、魚民利用としての変際的効用は、水中に於ける自在なる働きといふ事であって、此一

事とそは、古来魚川崎利用の精髄として重んじられたのである。邸ち水中の自在なる働きといふ

意味は、敵の

Rを挫けて水中に潜んで居る事、

一歩進んでは、水中から躍り出で与一敵を撃っ

とたどであるが、此の様た動作は忍術おとして必要で、

是たくしては震に完備した忍術計と総

する事が出来たいのである。

出氷山院が、干鰯般に潜んで危念を遁れた話は、気朝がほmの腹へ隠れて焼死を免れた活にも似て

u

f

b

o

n

居る。更に後陸棚天皇、隠岐の島からた遁れ遊ばされた時に、舟人等は敵の遣手を協がく乎段と

して、初を漁舟の舟底に隠し参らせ、日正ハ上に多くの千魚を積んだと体へられるのであるが、走

なども全く魚限切利用である。

心を以て心を制す

Page 75: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

最後には我が心の作用である。邸ち自分のA

り一怖と気力とを以て相手方を制するの色あるο加む

術には、是が根本を伐材して腐る。

一部の人は忍術を一種の催眠術である如く考へる

のも、み(く

此の精一柳作用である。臨機膝愛の智惑の働きに依って身を穏すのもある、叉度胸一つで相手方

を取挫くのもある。かの武減坊緋度が、安宅闘で宮樫左衛門を附着し、無事に通り抜けたと

ふのは智術の一つで、矢矧の橋上で日士口丸が終賊の張本蜂須賀小山ハを川町かしたのは度胸の一例

であらう。

次に大撃に叱陀して相手の皮附胞を抜くのがある。彼の高山彦九郎が五僚の橋でmm盗

を一帰退治したなどはそれである。此の大喝叱陀といふのは人間の気力の表象である。

相手の

気を呑んでかk

るので、締めかの一喝たど北ハ妙諦をつかんだ澄り方である。

要するに心を以てらを制するには、主として敵の心理を臨応用するのである。何れの忍法とて

も、紫より相手の心理作用を釘象として行はれるに定ま

って居るが.併し・此

の心理作用は、全

〈相手の心を逆用するものであるから、中々に困難であるが‘英代り能く之を癒用する時は、

是問料確笈た術はないのである。何よりも光きに相手方の集合と

いふものを知ら怠ければたらぬ。

m挫の問に、此の相手はどんな心術を有って居るかといふ事を澗祭したければ怒らぬ。此の澗

刀才Jl!.、

ぷj

6府

鎧l

..

59

Page 76: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

60

沼、

察さへ正しく確賓に行はれた・ならば、

此方の心術を以て相手の心を・自由に引き廻すたどは、素

より易々たるものである。

兵術家・などの言葉に、

敵の機先を制するといふのがあるが、若し能く敵の機先を制するとと

が尚来たとすると、

最早や八分の勝利は此方に牧め得たものであるが、之と反鈎に敵の矯めに

機先を制せられるととがあっ

ては、連も勝利は受来たいのである。怒

るを

忍術を製ぷ者が、容易に上達しないといふは、此の心的方面を疎かにするからである。大抵

は先づ身慨を隠す事を主として考

へるからである。心から先きに隠すとい

ふ事には少しも梨が

附かない

のが原凶である。心を隠すと

いふのは何んだか非常に難かしいやうに問えるが、要す

るに之は敵の心の小に、会く我が心を取り込めて了ふといふととで、

つまり敵の或る弱い心の

中に、自分の強い心を乗じさせて了ふのである。

喰たら

勿論人間の知発の前きなどは、心と

いふものがあっ

ての事であるから、

北ハの本元の心さへ取

り牧めるととが川来さへすれば、形のあるものなどは容易く敵の眼から泊減させる事位は、さ

して銚しい事ではないのである。それには先づ此方の丹田に存する気を鋲めて、相手の気を凶

Page 77: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

から呑み込んで了ふといふのであるが、そう口でいふ様に易々と他人の集が呑まれるもの

では

ないとは、誰しものいふ事である。

併し賢際に於ては誰入も、日常とんた風に随分と他人を呑んで掛り、叉は反釣に意気地なく

呑まれたりして居るので、人間が二人出舎はして何方かY呑まれる、所調、食ふか食はれるか

二つ一ったのである。

一寸した談判事の場合に見てもさうである。何とたく、

妙に自分の方が

下回にたって了ふ事がある。闘えたどは全く相手に策を存まれて了ったもので、共結果とし

ては、

何事にも始終下手に廻らされて頭が上らたくたるのである。叉路左行くにしても、ぐっと丹同

に集を入れて歩いて居ると、先方から来る者が、妙に自分を、避けて通るのである。出馳が是と反

ね到に、

若し内分の気に軽い庭があると、今度は先方が避ける庭か、却って此方が避けて歩かた

ければたらぬ結果とたる。

是印ち、

呑むと呑まれるとの隈別の存する髭で、他府と思考したけれ

ば怒らぬ鮪である。

彼の印を結ぶといふ忍術の最頂黙は、此の心作用の極致である、此事は後段に詳述する。

更に我が心を以て我が形を隠すといふ工夫がある。是は我が精神作用に依って、

自己の形態

争野

活必

61

Page 78: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

グ71...、

v~

彬・

を隠匿するといふのである。之は全く自身以外に何物をも膝用し注い場合の事である。例へば、

63

今、廃々とした冬の枯野の中で大勢の敵に出合ったとすれば、此際緩むべきは全く自身より外

にはないのであるから、此時に自分の形態を隠して一

身を全ふするには、どうしても我が心一

つに頼らなくてはならぬ。是が大愛雄かしい問題で、之を解決するといふととは、やがて忍術

の堂に入る事である。

方法としては積極的のもので最も大臆たものでたくてはたらぬ。それから此術を行ム上には、

常に共場合に相隠した一つの機智を要するのである。必宇紛れの術が伴ふのである。即ち今捻

に多数の敵手が現はれて、注も無事に遮れる一撃が出来たいと見た場合には、

直ぐ一辺成仮袋訟を

行って我身を安全にするのである。例へば、自分は恰も北ハ敵の人数の中の一人である如くもて

なし、巧みに敵のはを晦ますが如き方法である。

乙んな事は出来そうもな

いと思はる与が、

は昔から往々用ゐられて、大怒る成功を牧めたものでbる。殊に戦争たどの際に斥候などが、

往々此の紛れ込み術を際用したもので、

北ハの膝用如何によっては至大友影響を輿へ

、時として

は献の前線に針して、重大な川批飢をさへ

惹起させる事が出来たのである。

Page 79: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

要するに死地に入って活路を見向すといふので、忍術の最後の極意とされてある。身を扮℃

てとそ浮む潮もあれといふのがそれである。故に死の受悟といふ事は忍術を通じて必要たもの

で、如何なる場合にも、如何たる手段を用ゐるにしても、心の底には常に死の先憎を要する。

さもないと、いざといふ時の放れ業は出来守、空しく犬死する事とたらう。

弐に我が心の作用に依り、無形物を利川する忍術もいいる/

¥lある。北ハの一つは脅線の利用の

如きものである。之は、締家の一喝とも多少異り、銃盤一切授にて敵の心を傍かして共隙に付け

入る如き、叉雨や風の普に紛れて敵地を自由に出入したりするのが之れで、忍術以めには絶好の

機合であるο

認、

争苛

京郵

63

古来忍術には種々の方法があり、却々複雑たもので、忍術が一種の魔法であるとか、不思議

の一脚通力であるとか言はれた。昔は今日の様に、

迎化態といふものが普及して尽なかった。そ

れでも其道々々では夫れん¥特別た研究があって、それが相蛍た洞化化製智識を開後した。修験

者や忍術兵法対などは、随分熱心に之を研究したο

彼の真言秘密の法と苧一一円った様なものや、所

間武欝者などが使ったと丑一回はれる幻術とかいふものたどは、皆た此の理化開学的研皆んに依っ

て得

Page 80: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

沼、

たものである。

64

働者が或法で身から光りを務抗したり‘叉武婆者が・忽ちにして雲を起し雨を降らしたりするの

は、全く迎化接的設備に依って一つの奇蹟を示したのである。則ち我が忍術者なども此種の事

ほと伎

を十分研究して、忽ちにして風を起し雲乞呼ぴ、或は寓丈の猛火を越しらせ、凡眼では解擦の

出来ぬ現象を見せた。回定等は幻術と一一一一円はれたもので、而も共線基を勝一術の上に存立せしめて居

るから、之は忍術としては最も面白い現象である。

古来忍術を目して一部不可思議のものと思ったのは、主として幻術と言った様た概念宣有つ

たからである。邸ち此幻術に依って何か呪文を唱へると、忽ち不思議た事が現はれる様に考へ

たのである。併し此の幻術も別段紳通力でも魔術でもない。今日の科接から見ると何人にも出

来る業で、巧妙た手段に泡ぎない。北日の撃者も「幻術といふは、まぼろしといふ事にて、之を

一極の妖術の如く心得るは間法ひなり。まぼろしは、目亡ぼしにて、他人の闘をほろぼすとい

ふ義怒り」と設いて居るのが至営である。普から停へられる忍術者の不思議友術は、今日では

理化製の癒用と催仰向術の膝用とも見るべきもので、決して紳通力ではたい。

Page 81: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

それで、此の幻術が如何たるエム口に忍衡に臨服用されて居るかといふに、先づ主として敵手。

気を飢さしめるに用ゐられたのである。つまり敵を面喰はして共出に飛じて自分の身酬胞を隠す

のであって、共人の忠ひ付かぬ事をするから、

一寸考へた底では幻術とも魔術とも忠はれるの

である。古来の隊法ゑどいふ事も、

多くは此の類であって、冷静に視察すると紫より怪しむべ

きものではたいのである。

忽、

を長

65

Page 82: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

66

史、

京E

定必

陽忍の術!遠入りの事

九そ忍術には陽術あり陰術あり、陽術といふのは、謀計の智惑を以℃、己れの姿を現はしな

がら敵中へ入るをいふのである。陰術とは人の目を忍び、姿を隠して忍び入るをいふのであるο

此雌には先づ千獲高化の計略を以て敵の隙を計り、忍び入るの俗怖を一示す。

故に之を陽怒と鋭す

る。共の秘術は、臨機般的攻である。古への名将も、

「忍を木として時宜を以

て畿に隙じ、用を新たにすべしom思なる忍者は此理を緋へや、直ちに

古法に拘泥して、

史に凶玉

の低きに勝やる

の震に遇ぜざる故、敵械の掘が深く際く、石底の高

く発へたるを見ては、早や呆れて忍び入る事も叶はぬなどいふは、官にや、舟に刻して叙を求

め、桂に鯵して震を封するの類、嘘ふぺし」ο

と拾いてある。温故知新といふ一品もあり、忍術の将来も愛にある。以下先づ陽忍述入の方法

Page 83: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を設誠一する。

-L・ノ、

(一)「四方髪」

とい

ふのは、逢ふ底に随って髪を愛やるの計略であるο

即ち、時と所とに依り、川氏、山伏、

ねご

根来もの、叉は女の姿、北ハ他閑々に依り呉る庭の月額の剃り校種々線々に愛守るもので、とれ

ぞ四方援を基として獲に際じ改むる妙計である。

赤坂の城に立筋った湯浅孫八入道を、楠正成が攻め亡ぼした時、恩地左近正俊

γ此の計略を

同ゐた事は、史管一に納かに記してある。叉、高倉の宮が御謀反の時、長谷部信連が計略で作いけを

女姿

κ作り、

鶴丸といふ笠子に袋に物入れて捻はせ、六俊助太輸{一京信が傘を持って沿似をして、

道で怪む者もゑく三井・寺に落着かせられたのも、此

の四方髪の舷別である。

つまりは純々と谷

授を縫

へて他人の目を欺く事をいふのである。

宏、

右ぽ

舵-

街5

67

Page 84: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

ハ二)「諸冷の生業の萎或は物真似等に至る迄、手線を積む事は、愛吾一口化姿の計略である」

68

沼、

回定は敵地に忍び入る時、共婆や一言葉ばかりを似せても‘北ハの生業の婆を知らざれば、

忽ち此

方の計賂は露現する。故に其の似せんとする者の姿や言葉は昏一ロムに及はやJ

、共生業の謀術を平

生矧同感したくては危らぬ。仏間へば出家に似せんと思はど、共の宗国日の息?を脅ぴ共寺へ往来し、

近初回して後、時到って誘時の事を起す時、伶と密談し、若し敵方に於て、此計略に凶って我身

ぜん答え

の民備を知らんため探り来て穿撃する事あらば、

「紛れなき伶籍の者であるこ

と、

堅く答へて呉れと約束を定め置くのである。斯うして始終の計時金く備り、而して後賞

行に取りかLるのである。叉虚無償たらば尺八を能く脅ひ、締話も製ば泣くてはたらお。

秦の始皇崩じて、二吠皇帝天下を治め、共威未だ盛たりし時、陳勝といふ者、魚の腹中に隙

際主と替いた札を入れて海へ放ち、

叉、央防と

いふ者は、狐の鳴く真似を巧にしたので、彼は、

夜に高い庭へ登って狐の真似をし、「大楚起っ

て秦亡び、

隙勝王たらん」と暗き披んだυ

人々奇

異の忠を鴛し、

奏の世が傾いた兆であると忠ふた。此勢に乗じて起ったのは、

楚の項mmと漢の

Page 85: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

高温で、途に秦を亡ぼしたのである。

(三J

「常に諸閣の風俗地形の模様を知るぺき事」

是は日頃心がけて、

図々の風俗、方一一一口、地理た芝、何庭には山林川津あ

p、何応は険阻叉は

平易なりたど、

叉は黒程の長短、路の庚狭など、

鹿路、納路、径路迄も能く知り先えて泣く事

が必必であるo

是等の事を乗て知り置く時は、警へば府軍の場合にも、

人に後れても必や兵市川

に到り易い。叉他閣人の風を似せて敵方

へ入る時、敵が共闘の地理風俗を問はんに、

之に幻し

て寝付かに答を鴛さん偽である。

(四)「粂て務方の城主の印書を潟し泣くぺ

き一闘争」

是は常に諸方の城主、大将方の印を求め置く事で、それに依って計略を行ふ事が出来る。邸

ち共人の印需を傑作して謀に用ゐるのである。印の相逮有つては計敗る。叉能替の凝箪を能く

する者を抱

へ置くと、

敵大将以下の策を凝する

に自由である。

(五)「粂々諸大将の旗、趨、指物、

立物、常紋紘一寸を能く斜地ゆぺき事」

右の事を能く兜えへて計異を以て忍び入りたる時、敵が色々の事を尋ね問ふ時、能く之に答

63

Page 86: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

へる事が出来る。叉は隠忍紛忍等を用ゐて忍び入り、此庭彼廃に潜行する折柄、

敵に見怪・まれ

70

る時、蛍分の抜け品一一同の用を矯すのである。

公ハ)「粂て名と裂とを深く際くすべき事」

凡そ忍者たらん者は粂て大将へ一誹

へ、治世の時にも常に忍者の銃を深く際さたくてはならぬ。

親しき却と雄も、仮初にも此術の勝劣を言ふ事勿れ。刷乱世にたれば、敵が味方にもあり、味方

忍が敵でも在り、叉計踏をもって忍び人りたる時、

常に我を見知りたる者敵方にありて、彼乙

そ縫某の忍び者ょたどL

一一言はるL時は、

折角の謀も詮無きのみたら歩、果ては我身を亡ぼし、

主将の客とたる事がある。放に常に名と刻一一とを深く隠し

て、

隠遁者や平士の如く袋はたくては

ならぬ。かくして飢世に及んで、忍術を用ゐる事が州来る。ムハ諮問く.

hgさ

「腕ぬ鳥牧町さに娘、たんとする時、早く飛んで翼を飲め、

猛獣将さに術開たんとする時、耳を持めて

傭伏す。

聖人将さに動かんとする時、

必中

mm色有り」

と、

老子日く、

「大作は智なく.犬山誌は謀たし」

Page 87: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

孫子日く.

「善く戟ふ者は智名たくmw名たし」

と、忍者たらん者は、此語の意味を専ら心としなくてはならぬ。

桂男の術三箇傑

p

(一)「経労の術といふは、月中に桂男のある意たるぺき事」

言は、叛逆すべき者、敵とたるペき者を常により能く見付け置きて、共城中陣中家中なとへ、

警へば桂男が月中に在るが如くに、常に忍者を入れ世くぺし。主ハ忍粁たらん人には、粂んパ税し

みの往き者、知日の深からざる者、

信少たき者たどには、中'n其任を授くべから十。親凡弟叉は

甚だ縦しみ厚き者中にて、

智居mmwの備りたる訴を扱し、北ハ上、其人の入賞を取り、且つ幹一紙を

脅かせ、重々約束を定め澄はすべきものなり。

ハニ)「少女生れていそ穴丑を入れ置くべき一挙」

手腎

71

Page 88: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

街-

政・

是は税しき者の中に容顔美しき児童あらば、深き計略を以て手を廻し時節到来の時を窺ぴ、

大功を奏すぺきものである。但し此術は塾虫叉は遁士と怒って尽‘なくては、いぎといふ時、人

に商館を見知られて露現する廃れがある。設虫とは君に旅を受け訟がら、君臣相約して共身が、

君に仕ふる事を深く隠し、たとへば都の訟とか大阪などの様怒る廃に、何となく初めから住居

し、時に至って窃かに君民許定の上にて、敵の中へ入れ置くをいふのである。

此計略の人は片田舎の人口の少たい鹿に住居しては、却って人に怪まれるから、成るペく多

くの人が集まる庭が宜しい。,次に遁士といふは、片岡舎の草深い庭に引絡り居りたる者の、才

知百有っ

て信厚く、傍らざる者を聞き合せて、高禄を奥ふる約束を以て静かに召出し、末頼もし

く一一百ひ聞かせて、共時に至って俄に敵内へ入れ置く者をいふので

bる。或は穴丑とたって敵按

近畿に町家在家等に住し、常に敵の家中供に貌しみ、味方寄来る折柄は、

首地に居合はしたる

ちんどく

とそ寄なれなど言ひて、敵に奉公の身とたらん事を笠む時、敵方にては柑州議とはゆめ/

¥h

知ら

十喜びム口、ふ事疑ひたきもの怒り。信長公の家臣に十五六児童の勝れて手跡の務用たるを、今川

新介方へ奉公に出し給ひ、新介が手跡'に少しも建は宇能く似せて後に謀議同を認め、主君義一冗と

7~

Page 89: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

不和にたし、今川家を処して絡に義一冗を滅ぼせる事日記れ確設あり。

ごこ)「相談入、通路へ泣くべき一挙」

右の如くして味方の者を敵の中へ入れ置きても、扱て味方の大将

ヘ通路なくては机闘が山恨

一人は敵川崎の近濯に居て諸事談合し、

たい。故に商人出家等に姿を餐じて、

敵巾・広人って代へ

る児童の一一言葉に様縫を見開し、委曲に事を内通する手阪にしたくてはたらぬο

又一人は、味方

へ往来して北ハ様飽を主将に通告する

のである。殊に児支を挙公させて泣くのでは、北ハの刻とか

九とか稿して敵械の近遜に住金はせ世くのであるο

三箇僚

〈一〉「如彩の術とは、形あれば影の燃やる如き事」

危の

今、敵が叛逆を起するの兆灰かに問えると等しく.影の形に膝守るが如く、

速かに倣の城下

へ行っ

て奉公を祭むのである。之は、敵の叛一巡謀計が、未だ起らぬ巾に山かけるのである。若

73

Page 90: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

nJ It.!;,、

も符

し行く事遅ければ、敵の心に不容を起させて、家公を許さぬ事一ともたらう。故に初めから人々

に見知られ居る者ではいかぬ。動賞虫や遁士をふ定向けるのである。

(二〉一,通路へ笹くぺき事」

組の中の誰かを、道心者叉は商費人に姿を愛

へて減の近訟に置き、味方主将

への注進の矯め、

叉は時の宜しきを見計らひ引入れる矯めである。

(一二)「若し敵方から一小森を起し、

怪む事ある時は、彼女似子の術を行ふ事」

依女似子

の術といふのは、計略を銭して仮りに妻子を排へて一絡に連れ行き、敵巾に入つ℃

入賞とするのである。

入賞が無くては入る事を許さたい様た敵におしては、此の仮の…妻子とい

ふのを作るのである。

争時

くノ

一の術といふは、三字を一

字とした者を忍びに入れる事をい

ふ。

74

Page 91: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

刷みでは入りがたいと見る時、くノ一印ち女を忍びに入れるの

であるd

凡て女は共心姦制にして

ewし

智も口も筏き者故、人選に十分注意を製する。そして誓紙を竪く改めさせ、

能〈ム門岡.約束を

告一円ひ聞かせ、共後よき方便を以て敵の奥方へ

這はし、

或は北ハ従者の役者に念りとも仕へを出む

時は、

事成らむといふととなし。

かくしみの

(二〉「隠餐術を以て入るべき一帯」

之は前のくノ

一と合闘を・なした上でやる術である。女が己に敵・将の奥方へ

奉公が叶って後、

折りを見て奥方

へ申入れるには、

「手前、宿に預け泣きましたる木績を取符せたいので御ざい支す」

と、何気たいさまに一一一同ふと、

大抵の人は歎かれるので、況んや奥方にが、ては狛ほ伐心友ど起

さ子、容易に之を許すものである。

扱て許しを得たとなると、

前以て北ハ時刻を門々の森Af

へも

断り置き、愈

一々英木慣を入れる時、忍者は共中

へ入って行くのである

J

但し木似は二重底にし

て、上には衣裳を入れ下を重くするのが宜しい。孫子に、

「始は践女の如く終りは枕兎の如し、

敵担ぐる及ぼや」

忍、

争好

1泌

75

Page 92: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

i6

とい

ふは此窓である。

かくしみ

n

-何ほ、此の際笈の術は、敵方に我を見知ったる者が多く℃、別して方便を行ひがたい時の謀

計である。歪磁の秘計である。右の術を能く川ひて忍び入る時は、守り厳しき名城とても、必

守宅みを達するの

である。

里人の術二筒依

(一

)「敵閣の里人を入る

L事」

是は敵の妓

へ忍び入らんと忠ふ時、味方の勢未だ寄せぬ前に先づ敵閣へ行き、北(地の日頃不

一やで居る者の中、

気がさ有りて武勇の名を得んと一銭々

岡山ふ者、叉は共闘の大将、頭人、

奉行等

を符て恨み憤る者あって、時節到来を待っ

て居る者、或は味方に親族縁者たどのある人を聞き

訓・へ

、AU問ほ北ハ時、{且き方便を運らして、此の如き人を味方に刀口寄るか、叉は彼が宿所

へ行って

主ひな

なりとも、先づ金自巾を一埠く賄ひ、若し軍功あるに於ては、知行何程宛て行はるべしと約して我

Page 93: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

が主将の朱印を之に奥ふる。其上にて人質を取り、

誓紙を閏くしも

いかにも深計を以て彼を敵

城へ入れるのである。敵将の方では、

素より自分の閣の者であるから之を疑はない。故に北ハの

入り易き事我家に入るが如きもの

である。

(二)「里人の従者と成って忍び入る事」

是は里人不成功か、叉は若拍車者かの場合に、我は其里人の従者と成って敵城へ入り、諸事談

合して味方の大将と合闘を定め、能き時八刀に放火するのである。補正成が、相模入道の下知に

随て紀州安田の庄司を退治の時.勝尾山に陣を取って敵の位を見る事三日、共後、野伏北ハを召

してー

「此溢に'知りたる野伏や有る」

と問ふた。或野伏答へて、

「手前の知り居る者候」

とて入人連れて来た。正成は金銀を多く組(へ、

「国疋伸一叩の野伏を漣れて敵陣の中を見て参れ」

...

77

Page 94: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

!T1 I~缶、

是主

とい

ふ}

「易き一事に候」

とて、其中六人を連れて敵陣へ忍び入り、

一日中紛れ居て次の夜飾り来hy、敵の様惚そ物語

るo

正成は彼等を一人宛別に問ムて居た庭、何れも同じ答である。初ては疑ふべから?とて衣

討をして勝利を得た、国疋等も単一人の術でるる。

身虫の術二箇僚

(一

〉「身虫と成るぺき者を見定むる事」

身虫とは.敵に事へ居る対を味方の忍者と怒す故に、

敵の腹中の虫の北ハ身を喰ふに似たとい

ふ芯味である。先づ此者を目利きし、選定する事が至って大事である。若し目利き港ふ時は、

却って災起る事明かである。北ハ見定めやう如何にといふに、

どが

て刑罰を受けたとか、叉は小さい科友のに、大きな刑左受けて死んだといふ共の子孫に賞る者

一つには、共人の前代が罪無くし

'7~

Page 95: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

4

ヴ一には、高枕に昇進すべき筋目の者で、且つ才智ある人たるも、傍悲の妨げに依って佼びく

く、口惜しく残念に忠ひ居るらしい者。

第一一一には、大たる忠義功名有り訟がら知行簿く、あはれ他の宅骨れにも事へ

てホ身をもすぺき

米を「何んの忠功もたく唯だ阿訣の議医を厚く幸し、

去りとは暗主かた」と常に思ふ訴。

四には、智葱賢く才ある者たれど、大将と和合せ守、やLもすれば念りを栄り.九つ伐しさ

-宵に仕はる者。

五には萎能サ一に勝れたるも、賎官に役せらるL

に図て、仕を致さんと願へども許され歩、若

し他の君に仕へるたらば之を妨ぐべき様態故、是非往く獄止し居る単行。

八には、父の名跡認しく立って、外開宜しから守、

口惜く思ふ底ある者。

中ハには、父子敵味方に分れ、鞍に及ぼじ、親子兄弟北ハに釣敵とゑらん事を悲むもの。

七には、慾心甚だ深く金銭高知行を笠み、叉は反復愛詐にして粂々二心ある沢υ

お八ケ僚の見定めは、大憾の事をいふのである。日記を悲として能くヱ夫を叢ぬるに於ては、

方7,也、

争匠

1r}

Page 96: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

共人の心底を考へ、

謹んで之を定め、主ハ上にて時宜の方便を行ふべきものである。

80

〈二)「身虫とたすべき術の事」

上に所調、身虫とたすべき者を見定めたるも、扱て此方の計時を知らすぺ

き術は、一府難か

しい

J

悲し妄りに北ハ密事を通守る時は、犬伝る災害とたるο

故に共の身虫と成るぺ・き者を見定

めて後、身虫とならでは叶はぬ様に計る事が肝姿である。共方便は区々たれど、心得の鴛に一

こを記す。

先づ我が主将と相議して金銀多く給はり、富める浪人と姿を愛へ

、共見定めたる者の一巡回目.i

山ハ照一の問に居宅を定め、北ハ上にて彼と総を給んで、此方の世帯が、彼富むたらば、縁を結ぶ一品

も速かに行はれる。扱て交りを厚くし、

彼が好事を察して其好む道を以て便とし、金自巾を一昨く

防ひ、いかにも交りを泌くし、英中何か物語りの序に戯吾一口などに托して、以て漸々に彼が心底

を誘ひ見て密談に及び、高知行の朱印たど取輿へ

、父母妻子たどを人質に取り、誓紙を堅め、

約束合闘を態く定めて用ゐると市内事叶ふものである。凡そ人は老少に限ら守、色と慾とを離れ

て忠義を思ふ者は世に稀れである。潤色を以て交を求むるに疫を現はさどる者は・ないのである。

Page 97: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

登火術三箇係

ハ一)「敵方に猛威を振ふ謀ぬある時、俄つ

℃北ハ人の謀叛の廻文の隠蓄の尺仰を持ち行き、或

は共謀陸の方

へ味方の大将よりの相園の蕃札、叉は味方に初日きて敵方に成りたる米あれば牟と

して此者隠謀を以に入者に作りて相聞の骨一同札を調

へ持ち行くべき事」。

之を喰ふれば、

漢の稼信、唐の玄宗の安藤山、

我邦にては源義経たどの如く、都計智略の入、

敵将の中に在って、

若し此人たど謀叛せば天下危かるべ

したど、敵方の諸人危ぶみ忠ふ折から、

能く時節を鋭ひ考へ

て、係っ

て英人の謀叛の廻文の隠蓄を調製し、叉味方の巾に北ハ人の一仏政か

表くは朋友か、殺ねん¥毅みたる人か、

さも徒黛もすべ

き程の人と、諸人も忠ふぺき人の方へ

内通の隠蓄を調製して、

一人の男を忍者に仕立

て、

彼の隠警の返拍刊を衣

の襟たどに封じ入れ、

敵城の近議に怪しげたる鐙にて行く時、敵国疋を見処口め、忍者たりとして訴へ出づるに、直ちに

捕はれて限定を責め問

へども

一膝ニ膝にては答へ守、強ひて是を安め問ふ時、是非たく白欣して

<rJ I~'

81

Page 98: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

a2

沼、

蝉;

針t

彼の隠世一同.返翰喝など取出し、

北ハ上にて此人謀叛の会を現はす。此術に付きて隠武田の書き方、叉

政広川地待められたる時の模様、白欣する時の模様は書面に現はしがたき華々口停あり。

ふくろがへし

ょ地は次に迷ぷる袋嚇酬の術を刑ゐて、敵将と共謀臣と隔家へ二人別冷に仕へさせる。そして訟

医の次に仕ふる者に、

謀医の隠蓄を懐中させて味方の将へ持ち来らしめ、わざと途中で捕はれ、

敵将へしかん¥とル央官白秋する。

一方には、味方の将より右の謀医方へ

書欣として、

裏切り合

同の事を丁寧に笠間きつくし、衣の僚の中などに入れて敵械の近溢をのたれ歩く中態ざと捕はれ、

敵が民同め問ふ時、前と同じ様に内飲する。或は味方を背いて敵の旗下に成った者がある時には、

北ハ者の方への隠訴を作成して裏切りの相聞の舎を持たせ遣はし、

怪しき風慌を見せてわざと敵

に捕ヘられ、敵責め問ふとも、

一際にては答へや、資が度重って後、彼の際審bt

取出し、北ハ上

にて此人降参の一帯は賞の降参に非守、後に裏切を鴬し叉火を放たん震である、と斯う答へるの

である。

大程、此鐙火の術は敵方の様慌心腹迄を能く知っ

て後、いかにも人の心に膝じて此術を現は

すのである。

Page 99: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

へ二)「紛忍隠忍等にて窃盗に入る時は、何時も敵の謀医の方への名宛にて裏切桐閣の隠警を

調製し、衣の襟の中に入れ行くべき事」

北バ意は、塗火術の心たくして紛忍隠忍等にて敵城

へ忍び入る時は、

早路敵の謀臣へ

名宛てに

して、裳切り相闘の隠卦粛を調製し、

衣の襟の中たどへ

縫込み行くのである。共故は、

随分密計

を制すとも、若しり時現し捕はるL時、敵は必や窃盗に来た理由を問ふ。いかに究め問ふも臼欣

してはならぬ。責め問ふ事頻りなるに及んで、始めて

口を開き、我が

一命を宥し給はじ御方の

一'大事左中上げん。此事、我身若し白山肌せざるに於ては、

御方の危難は格壁の中から起る事と

たるであらう。只今起らんも計られ歩、故に我が

一命さへ

た赦し

にてば、只今白紙すぺし。唯

だ死刑に行はるL

上は、いかに責めらるL

とも白紙仕ら、?と言って止むのである。此に於て敵

必十一一首はん、放が

一人仰を占有さん稜に一大事を有の健に白紙せよとο

此者叉答

へて、

「一命仰赦免の謡、御悲劇紙を以て庶一マ一同たき回目を硲めたい」

といふ、敵も

一大事の由なれば我が申す鹿に随ふであらう。北ハ時.彼を人保…き彪に作れ行き、

ω封じ込みたる襟の隠蓄を取出し、

宏、

活必

8~

Page 100: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

「御方の誰々反り忠致すべきの約束にて、何月何日攻め入るべき怨め、北ハ時節相棒へ

て裏切せ

84

忍、

語感

られ・?との意を惇へる銭めの使者として、拙者忍び入った次第に仰ぎる」

と、前後の辻楼を合はして告ぐるのである。

但し此の術は、能く敵方の戒容を内々聞き脳け、

いかにも似た事を隠警にも紋せ言葉にも述

ぺたくてはたらぬ。高

一、敵が承知せ歩、何んで然緩の事あらん、中んN

侭たるぺしと品一円ふ政危

場合には、之に答

へて、

「然らば、我等の使として人を差遣はされよ。英、誰々・万より内々に遣はしたる密武田は誰誕の

手に有り、取寄せて御覧に入れませう」

と℃、愈々使者を逆立てる事とたる。衆て敵方の印蓄少しも蓬はぬ様に似せて反り忠の蓄を

認め泣き、若し要用の節は人を使として取らしむる事を前以て約束してある事故、此時に営つ

て共計がぴったりと合ふ。斯うなると大抵は死を免れ、叉敵の内乱を起す事もあらう。若し、

此誌は成就せ・?とも、敵軍互に疑び合って敗軍の前表ともなる。

(三)「大将の恕投球き者を蛍火の術を以て忍ばする時は、表装を以て忍を佼ふべき挙」

Page 101: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

凡モ怪火衡を使はする者は、

大将の恩賞厚〈蒙り殉死をも潟すべき程の者か、或は子を多く

育んで食なる者かを伎はすが宜し

い。若し思の薄き4nu〈は議命を知らぬ者を伎はず時には、必

や心仙波りして却って味方を亡ぼすぺき計時を篤すものでわる。此お極めて大事である。孫子日

「抑島知百に非ざれば聞を用ゐる能は十、仁義に非ざれば問を使ふ事能はやJ

、微妙に非ざれば、門

之質を得る事能はや。三軍の事、問より親しきはたく、

事は問より総なるはたし」

とリ放に恩賞薄き対を忍宥として用ゐるのは大いに立しからや‘併しながら、事的此むなく

して之を用ゐる時には、叉別に慮りを裂する。

元来、共れには性繰剛にして儲古多婦、多く事に湛へや、移りおき者を同叫んで伏はすので

b

る。共時、北ハ者に計略を授くるには、首内端、計略の装を午一一口ひ聞かするのである

d

例へば凶に向

って攻めゃうとい

ふのを来に向うと一一=門び、北は南といふ如く、

諸事一義を示して‘告ぐる事被し

やかにするのである。

すると、右の忍者は、

一冗より性腺念たる者故、必や敵中広入って捕はれ、官内家出航する時は

最必

色主

85

Page 102: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

郁t

語ダ

鈎L

1'/) .l以

一命を宥し高級を輿へるが、悲し白欣せざるに於ては、共身死刑に行はると責められる。とん

な場合には主のω芯波厚き者ですら、義の足らぬ輩は、

大抵反聞と成るが常である。況んや思議

く事に地へ守、意潟く多一一一一同怒る者は、味方の後備北ハ地何事も敬はった依に白欣する。敵叉之を

信託とするから、敵方の計略は皆以聞の反問とたる、

従ってそれはムnぜて味方の勝利とたる事

明かである。

ふくろが、し

〈一)「袋献とい

ふは、心を反挺する事袋を裏表に袈すが如く怒る事。」

共ぷは、忍者敵方へ往きて凶縁を求め城中に入り、

「来は伊賀閣の者で、幼少の時より多年忍術を手練仕り、如何なる被陣へも忍び入る事、鵜の

水に入るよりも容易く箆ゆる故、若し召伎はれ候はど如何校の城陣へも忍び入り申すぺし」

とて利か特別の業を現はして見せ、

80

Page 103: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

「一暦奥深き事は秘続放御覧に入れがたし」

と説く。然る時は

.a枇たらば必中堅み叶ひ、共の家区に取立てらるL

必定でわる。

扱て、松経て味方が此披へ押寄せん米る時、叉段初、味方の将と激て約束の上の本故、味方の

陣庵などに無用の小屋たどを掛けさせ置いて、

北ハに放火などして手柄を立て愈々敵に心を許さ

せ、同時に、味方へ往来の度ごとに倣方の事忽ふ依に主将に告げ知らせ、宜しき時節に附みて

敵城に放火し.叉方便を以て夜討たどし、

或は作作νせの反り討などし、或は付入りに敵域に人

って即時に攻め許すのである。

此術は、

袋を一義へ反して叉去に以すに似て居る彪から、ふ鋭献が

術と競す。是等の方便を行はんとせば、兎角忍者は常に入に見知られぬやうにする

γ肝裂であ

る。つまり遮士として世間から隠れた生活をして居たくてはたらぬ。

会己「右に述べた術が行ひがたい場合には、殺て敵の城陣へ

出火りする者の従者と成って山川

入すぺき事」

凡そ敵の城陣

へ出入りする粁は、出家、留者、座頭、猿創しなど、般人前人の類である。共

外、

敵一政へ出入する者を聞き定め、共者の従者とたって打連れ、敵中に入りて後.色々

の計略

忍、

87

Page 104: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

も居

j;必

を辺らし、或は議一一一門等を以

て敵の家中の内飽を起し、互に疑の生やるやうにし、時至って後、

集て主将と契約の如く放火するのである。

康安一冗年に筑紫の博多にて、菊池肥後守の家子、城越前守が、方便を以て松浦凝hz夜討にし

大勝を博した事、委尚史資に残って居る。是等の術すら、北日は設口を構へて行ったのであるか

ら、況んや平生敵の披陣へ出入りする者の従者と成って入いる時は、入られぬといふ事はない

佐官であるο

天唾術二箇係

(

つほ

天唾術といふは、天に向て唾する時は.以て我身に降る如く、敵より味方へ入りたる忍

者却って敵の筈とたる事をいふのである。若し敵方より忍者入り来て味方之を捕ふるに於ては、

則ち忍者に向って、

「放若し艮り忠などの志あらば、放が一命を宥すぺし、共上高知行を興、ふべし」

83

Page 105: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

た芝色々一守一同を議して問ふに、かの忍者之を承知するに於ては、邸ち大将の知行朱印等を奥へ、

彼が妻子等を窃かに呼取り、誓妖を警かせ、彼が心中金く疑ひたきに至って敵方の様健審かに

問ひ知り、之に依って蔦事の計略を祭出するのである。且つ彼を以て敵

へ忍びにやる時は、敵

おた

は自分方の忍者として油断する故、首内事の計略思ふ健に能く中り、敵を滅ぼす事容易である。

此術を孫子は反問と名付け、反問段芝能き術はたしと一一=口った。

(二〉「敵の忍者が味方の城陣屋の中へ参り、或は塀下、石垣の洛へ

来る時は、

北ハれを知らざ

る鐙にて、却て我が城中の計略等を係り聞かせて、反って味方の忍者と・たすべき術」

今、敵の忍者が味方の城陣へ忍び入りたるを見付けた場合には、

態ざと係り、之を知らざる

風に装ひ、我が軍中の事共諸事見聞する様に計るのである。彼共事を民と心得て師h

夕、敵中

共俊告知する時、敵将是を誠と思び、共言に相癒する軍の用意計略を立てるのである。

然るに此事たるや、元来味方の方で敵の忍者と知ってわざと軍中の事を、

・袈は表に茨は・装に

傷れy

‘間違ひを以て計った事故、敵の目算は外れて敗軍するのである。此術は敵の忍者が、味

方の石垣溢迄来ても之を捕へる事の出来友い相場合か、

叉は我が城障の中へ忍び入い

った事は知

忍、

89

Page 106: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

?J7 ,皆、

~噌νIJ

通l!・

れども、北ハ忍者が何れの者かしかと知りがたい時、右の謀計を高撃に語り、或は北ハ形容を見す

るのである。此術と事とは別にして心は同じきものである。

弛弓の術二笛候

(一〉「弛弓の術とは、弓を張る時は三日月形になると雑ども.弛むる時は本の如く一月へる意

也Lー

したが

凡そ忍者敵に捕はれたる時は、表面はいかにも敵に身を委ね順ふとも、

一袋町は心底堅く義を

内すり、反問を矯さ

rる卒、弛みたる弓の如くなるに依って此術の名とするのである。初忍者が

敵の院とたった時、敵方から反問になる校勧められたたら幸ひ、

若し勧められなかったら、此

ト心から近んで反問になる五を附ひ出づるのである。

「来は忍者波世上止むなく一旦は彼方へ奉公の身となったやうなもの弘

、彼方の所行は天理に

Hき、共上士たる者の主人と仰ぐべきの人にもあら子、行末籾秒、もしから守、且つ我々

への命令

90

Page 107: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

議く表裏のみにて信貧に非守、某不倫円・なりと難芝も、向後御鴛に忠節を致さん。

一命をお的し

給はらば、幸に御ざる」、

と一言葉巧みに巾述ぺると、敵は喜んで、

「然らば一命を宥助しゃうが、但し汝逆心ゑき誓文を意向き、人質を窃かに召し越せよ」

と言はん、

共時申すべ

きは、

「人質の事は味方の大将に取られ候上は、

早速には召取る事困難たらんも、行米計らって行取

り御渡し致しませうο然るに、

某此度、二心の事少しにても味方へ風向

bらば、向後此方の討

時の妨げとなるべし、

析す文の事は、

菜園より所望の庭

に御ざいます」

と答へるυ

品川段、

「某二心なき詮搬を沿所墜とあらば、粂ねて敵陣の様子は知ったる事故、今夜にも多って放火

して御斑に入れませう」

とらわ

と。そとで粂て計り置き、高一良れとたった時の計略として、諜し合せてある味方の小尾た

どへ放火し、叉は新入り罪人の首たど左取って跨るのである。かくする時は敵も還に心を絞め

m J山、

市府

E怠

91

Page 108: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

る。其の潮合を見て味方へ往来し、其毎に主将とムロ闘を定め、敵携に放火し、敵の大将を討取

る事も有らう。

から

〈二〉「味方の忍者を敵方にて揚め捕って、味方の妓の近港迄一連れ来り、謀を言はしむる事あ

り、北ハ時の心得の事」

敵が我方の忍者を揚め捕り、味方の城隊の塀際相際たどへ引来って計略を白紙さする事があ

る、北ハ時は敵の命令通りに逐一言ふが宜しい。何故たらば最初敵陣へ忍び行く時、主将と約束

して、市内一捕へられた時の事迄打合せて置くもの故、英際は敵の命に従ふとも、粂て合闘の事

故、此時に営って味方更に勤締押すぺき理由もたいのである。此の如くして敵に心を緩めさせ、

時節到来せば敵の城陣へ放火し、叉は議口たどを構へ、或は敵の首ゑど取り返き去るのである。

差去さ

や主hu

'E・F

やまびとの術は、慢は手を拍つ髭から起るのであるが、響の一音は此と彼とにあり、君臣の問

92

Page 109: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

此の如くにして忍びに出かける事をいふのである。今、忍者が、

初めより此君に事ふる事を世

人みた知るから、敵方へ行って出仕の笠をたす事も成しがたい。叉

一亙の計踏を以て敵方

へ出

仕するとも、終には隠謀銘現して身死するのみたらや、却て味方の害となる事是より大たるは

たし。

故に此震に事ふる事世人能く知る故に、

君臣密談の上にて、

併せて巨大たる牲をたし、

栄之

を聞いて大に般賢し、

牢獄に下し、

或は家宅を波牧し、這放たどして君臣相等ひ、

一合戦して

五人七人と雑兵を打殺し退きたどして、

共上にて敵方

へ行き、

右の読計を巧みに利用し、

如何

っか

にも良質の情を見せ、疑の無きやうにして敵の方

へ出仕を望む時は、

敵も事ふる事を許さ・?と

いふ事は泣いであらう。

日な

かくして敵の臣とたり、

後色々

の忠節ぶりを蓋し、

老中出頭人等を種々財費をもて賄ひ、

甘内

人々

の好む遣を以て敵の腹心に取入り、或は敵将と密談し、

味方へ忍び入り放火たどをし、共

往来の度びに味方の大将へ敵方の様髄首同事通知し、

時到らば、敵将を討って退くか、或は味方

に外より攻めさせて、

城陣の内より放火するか、兎角一英の時仇

EU従って事を翁すのである。

6貯

93

Page 110: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

!7J JlよA

新川義興を竹襟右京売が謀って討った幕、叉は-一亦壁の戦に、央の孫纏の臣、実葦が苦肉の認を

用ゐて、

訟に前回繰の大軍を盛殺した誌など之に類したものである。

94

Page 111: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

陽忍の術l

近入りの事

近入りとは、敵と封陣して戦争朕態の時、陽術を以て忍び入る作法を記したもの

である。同

より能く謀る者は、

未だ兆はれざるに謀るともいふ通り、

戦争欣態にならぬ以前に於て、前に

述ペた逮入りの術を行ふに如くは怠いの

であるが、すでに近々と釘陣の時は、用心政しきに図

って危き事ではあるが、止むを得十此術を用ゐるの

である。

略本術七

箇保

ハ一一)

敵の城陣の様械はせ一同ふに及ぼ歩、敵方の老中、

物頭、奉行、近初日、叉は出顕人、

或は

何時奏者、使番.門呑等の姓名叉は居宅の在所迄能ん二一時ね問ひ置く事が肝要である。共外'一れの衆

沼、

告忌

9月

Page 112: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

居室.

銘E

の一族因縁の人の筋目、何れの関長の者で、如何様怠る家業であるかたどに至る迄、余々能く

知って置く一事。孫子日く、

「凡そ軍・の態、たんと欲する所、竣の攻めんと欲する慮、人の殺さんと欲する慮、必や先づ其守

将の左右弱点拘門者会人の姓名を知るぺく、

znが聞をして必や之れを索め知らしむ」

と。此の如き事を知る時は、

一つには時の智略の用とも怒り、二つには共親類方よりの使な

Eに織変じて忍び入る時の用とも怒り、

三つには、議好を構

へ、敵方を離間するにも用ゐられる。

悲し之を知らざる時は、計策を立つる基本もたい事とたる。

(二)「右の様健を問ひ知る術の事」

前僚に述べた様た事を知る震には、どんた方法を取るべきか。夫には、敵方を背いて浪人と

なって居る者か、叉は敵方へ出入りする出家、商人、座頭、猿紫の輩に然々近づき問ひ、逐一

書き記し泣くのである。消し知らざる時は、敵城沢溢の市人、百姓たEK能く問ムペく、叉味

方節減して敵攻むる時か.或は互に他閣にて釣陣の時は、敵の城陣に近い山村へ行き、敵方の

が仰苅りの者、樵夫等に便り、宜き計略を以て問ひ定むるが宜しい。故に矢立を懐中して聞くに

96

Page 113: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

従って寄き博めなくてはならぬο

ハ三V

「我が在所を侭る鴛に他閣の風俗方一言迄を能く識るぺき事」

今若し自分は伊賀甲賀の者であるとい

ふ・ならば、敵は用心する事と・なるから、能く知って尉

むらぎと

る所の他図の邑塁を、自分の在所であると侭るがよい。併し其風俗や言葉がムロはぬ時は、敵愈

hk

怪み不審を鴛すものである故に、共闘風や方言を能く

/X知って置かたくてはならぬ。

(四)「諮問の城主領主等の印形を持ち行くぺき事」

此事は上段に己に述べたのであるが、近入りの術に専ら用ゐる事があるから、愛に再設する。

(五〉「仮の妻女を漣れ行く事」

若し連れ行かざる時は、

設中氏之を求める事。

ハムハ)

凡そ忍術は、何れも同じ意味ではあるが、別して、陽忍の近入りの場合には、敵の動

作や一言語怒ど、初めから能くノ

X考へて行はたくてはならぬ。

ハ七〉「近入りの時は猶更に相圏、約束を能く定むぺき事」

凡そ相闘といふは、夜は飛脚火、入子火、

一町火等の類、

のろし

叉萱は、狼煙、旗、貝たどである。

沼、

雇描

97

Page 114: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

約束といふは、相闘を比する時、大将、鼓を打ち、凱襲、

銭砲の獲を彩しくして攻むる事の契

約である。己に敵の城内に忍び入って放火しゃうとても、右の如き相固たくしては成功したい

のである。

敵陣屋

へ忍び入る時の用意

(

)

敵が陣屋に居る時、忍び入らんと忠は宮、前夜潜かに行きて敵の提灯の紋を能く見届

けて蹄り、同ぴ形の提灯を作り、翌日の夜、之を懐ろにして敵の陣屋近くへ行き、手早く共札

v'ぴ

に火を入れ、張在、夜廻hy、或は鋒火呑等の委に幾じ、

機を見て忍び入る事。

(二〉「物見の術を用ゐて、敵が夜討に山内る事を知ったたらば、

一人は共回目を味方の大将に牛肉

げ、兆徐の者は敵の川づると片互ひに敵陣に忍び入る術」

凡そ敵が夜討をしゃうと忠ふ時は、域内が平日と迷ひ、火の光りが多く怒るとか、又は小八や

馬の脚き吠ゆる蕗又は例にたく柏子オの一育もなく、夜番夜廻りの戒めの聾も問え守、凡てが縛

PS

Page 115: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

かであるの

で察せられる。叉は小物見や、旗義物の勃飢の憶などで祭せらるL

ものである。

什六

時忍者は敵将に近き茂林、深草の中に潜んで敵の出づるを待ち、敵が出たら、片瓦ひに城内

入るのである。此時には忍び入るに三つの利がある

U

一には、凡モ夜討は敵の不意を計る事故、幣かに械を出づる事とて、兎角は敵をけ日るのみ考

へて、却て敵に謀らるL事を考へたい、い阪に比時忍者の来るべしとは拶更ら知ら・?に肘るυ

あは

二つには、夜討出陣の時故、事繁移

にして泌たどしいおに、心取紛れて微細の穿包起は州か

ない

のである。

=一には、城門を出入する者が多いから、どのやうにもして忍び入るに便である。

おひcbι凶凶

以上三つの利有る故、敵のムn詞を知らたくとも、勢せ守して忠ふま与に忍び入る事が山来る、

且つ城中の敵が少危いから、

第一放火し易い。北ハ虚に乗じて却て味方より攻むる時は、敵方釘

かたたがひ

く者少くして敗るaA

道理。故に此の参差の術は近入りの最上紙秘と一言はるah

っこ)「姿を援じて賎卒と怒り、

或は離れ行く術の有利な事」

凡モ姿を愛じて賎卒とたる術が、

何故に有利なるかといふに、甲胃を若た立波な士は人目に

忍、

99

Page 116: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

立つもの故、

必や敵方に見符められる。放に紛れ忍には、

賎卒と姿を愛へるがよろしい。賎卒

雑兵は、人の自に立た宇、心を惹かぬものであるo故に忍び入る事も容易で

bる。但し敵の陣

中城中無事で、静雄た時には、却って賎卒が怪まれる。兎角時宜を察して機に陥んで行は往く

てはならぬ。

昔、近江図姉川の合戦に、

朝倉義景の臣、遠藤諮問右衛門といふ者、自に立ったる甲胃を若し

首を提げて、敵将織田信長の勢に紛れ入り、信長と差違へて死せんものと志し、陣中を駈け廻

った。それを竹中久作といふ信長の家来に見附けられ、組伏せられて首を取られたとある。是

などは、遠藤が、賎卒と姿を愛十る術を知らぬ不健の結果である。

向ほ、とんた事の鴛に、敵将の馬印を常から能く見識り置き、叉人数の国く集った彪へ

と志

すと、共践には大将が居るの

である。叉離行の術の利といふは、

一一速にたって行く時は、見後

められ易い。

一人々々離れて行く時は、見処nめらるL者があっても、仲間の中幾人かは妨げた

く忍び入る事が出旅るのである。

100

Page 117: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

《一〉「敵抜から、夜討か重合戦を仕かけて引退く際、之に附入る事」

重夜を限らや敵が軍を出し味方と入飢れ載って、共後で敵が引退く時に営つては、忍者は、

VCと除骨骨ひじるし

太刀ム口や検合たど自ら刀槍を揮って闘ふ事よりは、等ろ方々に走り廻り.敵の合問、合印たど

を聞き付け、叉は見付ける様に心がけたくてはたらぬυ

(二)「主将と契約の上、餌を以て敵を誘ひ出し、加ぬ志伽畑、水月術等を以て忍び入る一事」

凡そ餌とは、香や餌を付けて海川の魚を釣る如く、出でぬ敵を誘ひ出す術である。

一には城を攻むる時、之を三方から攻めて、

一方は空けて泣くο

すると、そこから虚に乗じ

て敵の後詰めの兵が入るべき筈である。斯うして置いてから、右後誌の大勝の使者であると詐

り、所説擬印を使用した謀蓄を作製し、潜かに行きて後詰めすぺき由、叉は兵糠等bz遺すぺき

旨を申込み、円限たども定めて蹄夕、営日の夜に入って牛馬に似せ荷を着けやり、自らは馬子

震愈

101

Page 118: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

認、

躍、

となり、大勢を引入れ、主将が北ハ後から入って一患に敵乞攻むるといふ計略であるο

正成が渉

坂の城で湯浅を降参させたのも此の術であった。

こには、味方が最初に攻寄するには、日暮時を選んで進み、敵披に近々と陣を取る事。

三には、

味方小勢出張の時は夜寧の事。

内には、味方小勢出張して平却一た地に陣する事。五

には、似せ放似せ幕似せ丘(線等の事。

右の如き術を時と所の宜しきにしたがひ、敵の慈の膝じ

かた

、がひ

たる様にし、敵を披中より誘ひ山し、

或は参送、水月の術を用ゐるのである。

偽ほ右の如くして参義、水月の術を以て忍び入る時、専一に用心すぺき一事四ケ依ある。

一一は、敵の城陣の中、東西南北にて迷ふ時の鴛に.心あての人をしかと諮り誼き、若し敵方

より鴻ね間ふとき、心聯倒して間違った事を口走らぬ様にする事。

こには、敵のムn詞を忘れや、合印を失は守して敵の作法に随ひ、敵の詞に隠び行ふ事肝要で

ある。三

には、人の少き地で合悶の樫を早く揚げて、忍び入ったるしるしを味方へ告ぐる事が肝要

である。合闘を拘げる事が手遅れになると、災摘が出来るもの故、早い程宜しい。

102

Page 119: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

以上の他にも、いろ/¥tの忍び入り術が工夫されてある。何れも人心の機械を抗ったもので、

忍術の要試仰を設いたものである。つまりは、間牒術の本憶であって、

山間同筋の軍隊に在っても此

の極の用意は、

mu同然必姿たものと忠はれる。能くいふスパイ戦術、

託事探偵術も、形とそ以(れ

北ハの心理的方面は、永劫に熱る事がたいのである。温古知新の姿を能く考へなくてはならぬ。

、、、.、.、、

よまよいごとを必術の本

指bL

一本差出せば、自分の姿は消えて大蛇や大鷲に畿やるたどいふ、

憾であるやうに思ふのは途方もたい誤りである。今日新聞統上にさへ

、外腐のスパイ

γ邦人の

婦女子を手に入れて、寧の機総を盗まうとする記事が現はれる位であるから、況んや米だり桜銘

されざるスパイが、何れだけ多人数入って居るか知れない。

スパイ術邸ち忍術であるから、古

人が心血をからして工夫した忍術の心理的分子は、今後釜々之を研究したくてはならぬ。

右の他、近入りの術が滋山に有るが大胆胞に止め置き、次に陰忍の法として、自然忍の術の従例

を少し述ペて見ゃう。前述したのは敵の城中や陣中へ忍び入る場合であるが、之からは陰忍bL

以て他人の家に入る方顕である。営節窃盗、強盗繭頻んケたる場合、十分に参考とたるべき

m心

である。!n

2也、

103

Page 120: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

程、

秘陰忍の術i家忍の事

他人の家へ忍び入る事は容易である。城中、陣中と罪、り、戦争放態でもたいのであるから、

行きたり刀捻で答められる様た事はないのである

ψ

併しながら彼を知り己を知り百戦殆からデ

といふ位で、先づ共家の案内が解らたくては、仕損守る事が多い。旦又、忍び入っても、目差

す敵人の療所を容易に知りがたいのである。その篤に彼是と疑ふ中に時刻移り、反って敵に悟

一旦忍び入っても益たきに終るものである。

られて、

故に忍び入らんと忠は

r先づ敵の屋敷門口の様子、或は道路の・厳狭、曲直、家作り住居の様

子、或は袋殿或は門戸の開閉の難易、錠や掛け金、極、尻差たどの口問、叉床鳴りたど仔細に知

らなくてはならぬ。更に叉敵の智恵の深海、平生の心がけ、晴好趣味、家内の男女の名迄委し

く知って泣かなくてはたらぬ。共上、北ハ家の近所へ行き、儀所たがら見計ひ、亦姿を縫へ仮滋

104

Page 121: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

して共家へ行って見て考へ、鴎りて後我が組中の者と談合して謀略を定め、ムロ討、合印を究め、

若し仲間が分散した時には、務ムロふべき場所迄定め、寓遺潟たきを期して後忍び入る事である。

扱て、次は家人の熟睡を計る事。

〈一)「春の事」

春は天気暖かに長関たれば、人の心もとけて長閑に悠々として身健一だるく取町れるものであ

る、殊に中春から末は愈々暖かになるから寓民眠るc

〈二)「夏の事」

夏は査至って長く、

夜至って短かく、中にも五月後から六月中は、登の炎熱遊しい。放に人

は疲努を催す事が多い。

且つ夏の末は夜に至っ

ても蒸し暑き故、管より平く限る事も川派十、

短夜術以て短く、北ハ上夏の末は土用とたる。土用は土の司である温漁の祭が行はれる、凡そ人

105

Page 122: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

!'7 Il!.、

市街

106

の身例制が燥く時は限り少たく、漁る時は股が多い。大盤老人は限少く、若者は眠りが多いのも

此の道理である。故に夏の末は人が熟眠する時節であり、殊に夜の一亥の時刻(今の十時から十

一時)から涼しく怒るもの故、人の身鰭も安楽と怒り能く眠る。右の心得故、雨たどしょぼし

よぼと降る夜は、漁りも増し涼しくも怒り、依て人の限りも深いのである。

会一J

「秋の事」

秋は金の策で、燥気が行はれる。故に草木の葉凋落する。前にも述べた如く、人が燥く時は

眠りが少ない。時季冷かなれば、人の身鱒筋肉迄竪くたって転脱が少い。随って精紳も蹴かに

たり、加へて輩短く夜が長いから、注々々眠りが少たい。されど七月は残暑とあって、大時五の

オのな味とたる。

(問)「冬の事」

ぶJ

は水の気故、至って寒い。身心共に竪闘で草臥れ撲むといふ事がたい。故に眠つでも兜む

る事が口寸い0

・万米・夏秋冬の定訟である。されど睡眠の厚滞は人にも依り、時にも依るもので

b

↓QO

Page 123: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

(一

)「老来肥疫に依り限努を察すぺし」

ひえ

凡そ老人は身憶に、漁ひと暖気。とが少くして燥き冷がある故、睡眠が少ゑい。人にも依るが‘

年齢と心行とにより眠債を祭すべき三箇篠

大燃老人は夜半迄限り、夜牟過ぎ八ツ七ツ(二時から四時迄)から醒める事が多い。年のエム口

でいふと、四十歳以上の人は右に蛍る。若い人は気盛たる故、・夜更けて朝に至っ

て能く恥るο

問応れ老若の異る廃である。此の老若の心持を以て論やる時は、大穏痩せた人は附り少く‘肥え

た人は眠りが多い道理である。痩者は浪り少たく、肥者は漁りが多い。

ハ二)「心行に依て眠慌を察する事」

大関心敏く念はしき人は睡眠が少たい。叉心暗々として悠長た人は限りが多い。行儀

mく少

しも自志を飢さね者は眠り少たい。叉行儀不正にして俄初めにも平臥を好み、自惰市併な訴は似

る事深い。卒生噌み鋭く、臥するにも稽を解か歩、衣類を渇く浴て寒さを朕はや、

大術大食を

6腎

ti:3

!鉢

107

Page 124: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

露郵

せや、経飢を恨み、前向事的党情ある者は睡眠少たい。眠りても鐙むる事が早い。平生噌みたく、

夜更しを好み、大泊食、夜食を好み、淫慾深く、遊興を好み、毎事随意に任十る人は能く眠る

ものである。

〈三〉「心安築なると苦患たるとに依り眠りに潔深あり」

凡そ、心に物思ふ事も怒く、安楽怒る人は能く眠り、叉何事にても物を背にする事多く、或

は最震の子女を亡ひ、叉親兄%を北人ひ、患多き人は眠が浅い。叉息一向でも禁事でも、真に之を

好む者は夜を眠る事少たく、諸事饗能の心掛けのたい者は、夜を能く寝るのである。右は人に

因り眠りの潟深を知るの大要であって、人の寝込みに乗じて忍び入る者に取っては、能く研究

したくてはならぬ。

「犬有る家に忍ぶ術の事」

103 •

Page 125: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

凡そ忍び入らんと思ふ家に、犬ある時は、吠ゆるにより入り難い。之に入らんとすれば、先

づ二三目前夜、焼飯一つに馬銭一匁をまぜたのを犬に輿へて、之を取除く工夫を要する。との

馬銭を加へた焼飯を食ふと、犬は死ぬといふ秘薬である。

歩法の中座さがし

「座さがしの事」

今敵の家内へ忍び入り、敵人が我を知って隠中に身構へ居るかも知れぬ時.此の座さがしを

行ふのである。共法は座の左右の端を仰れたりとも‘時宜に態じて歩き、太刀を抜きかけ、翰

を一二寸程かけ、其鞘にて探り、人の営るを試み、品目同る時は、直ぐ鞘を突き外づして切り付く

るのである。此術は、下絡の七術の内の術でるるが、敵の家を歩む時には是非用ゐるのであるο

忍、

争賢

109

Page 126: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

110

4野

かIZ,

弘FH

》ノ

rqE

(一

)「日光の光簡を遊くる事」

月の光は外から内へ送込み、火の光りは内から外へ

差出る。故に月夜に忍び入る時は、必43

月のいぷ友歩行してはいかぬ。例

へば、月が東天にあれば、東方を除いて他方を歩行する。叉家

内から屋外の物を狙ム時は、火の光の外へ差し出である所からせまってはいけたい。

月光と反

針になる犠にすべきである。

(二ν

「風上を除いて風下を歩行すぺき事」

敵の風上を泊り、又は風上に居る時は、此方の物音を敵が逸早く聞き付け、

叉火細川の匂ひな

左往敵が肌ヘぎ付ける事がある。叉敵方の物一耳目を聞き、敵が眠って居るか否かを知らうとしても、

口分が風上に居つては叶はぬ事である。故に止むたくし

て風土を歩行する場合には一音せぬ様に

戒めなくてはならぬc

風下を歩行する時は、

敵万の事は能く問え、我方の事は敵へ開へ守、大

Page 127: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

利がある。

(三)「民たき時の軒の竹薮を遊くぺき事」

何一し風吹いて騒がしい時は、

竹薮を歩行しても苦しからやノ。

ハ四)「日焼けした藻‘草の中、

等を避けよ」。

但し、雨の夜、或は夜更けて銭の浮ぷ時は、草も援も鳴り脅がしないものである。

(五)「水の動きを欣ふぺき事」

凡そ溜り水を渡る時は、渡る麗が敵から見えないとしても、浪が立つ故、敵は北ハの立つ浪を

見て、其れと気が付くのである。右五ケ僚は忍者注意すべき事である。

忍び入るべき夜の事八街係

ハ一)「祝吾一同の明の夜」

飢一一需の夜は酒宴飢舞たどで夜更かしをするから、

入ァ

(今の午前二時頃)

らSあ

の時分に均明き段

万7礼治

111

Page 128: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

たらば、

北ハ夜猪段以て忍び入るに宜しい。此の夜は悦びの心計りで、戒めの心が少たいもので

11:2

ある。つ

一)「病後の夜」

北ハ次の、主人、

・妻女、子供ゑど患ふて久しく夜誌をし、一旦快気有って家内の人気を寛げた夜、

或は大事の念病を忠ひ、其病が怒った夜、叉は鮫げ間日たどの夜は、敵家の者能く眠って居る

のである、共の般に一来十るが宜しい。

っこ)「遊興の夜」

凡そ敵家に飢舞、月待たど何事にでも遊興ありて、子丑寅迄〈今の午前一時頃から明方迄)

起き居て、後疲たる夜は能く限る道理故、共の虚に乗じて忍び入るが宜しい。但し、新茶の時

一考を要する。茶は人の眠を妨げる。

(問)「隣家に火事叉は珍事有った明の夜」

前の夜に隣家に火事院時其他何か大事の有った時は、北ハ近溢迄眠る事の友く、北ハ上草臥れる

もの故、明の夜は能く限るものである、共時能く虚質を見計って忍び入るがよい。

Page 129: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

(五)「地円誇努役の夜」

舎も

普請を鴛して終日肝を煎り、或は何事にても心努し、

叉は遠路へ行き跨って、草臥れ泌たる

夜は北ハ家へ忍び入るに好都合である。放などは、

能く草臥れ能く限る道理である。殊に松友の

長閑炎熱怒る時は、蹴刺草臥れて方角もたきもの故、是等の時には必守忍び入る事をねる。

(ムハ)「愁嘆事の有って後の二三夜」ふ

宏き親妻子を死たし、愁嘆して北ハ刷りは歎き明かすと雄ども、看病の篤に草臥れ、心附W波爪刀

するから、北ハ二三日の夜は大館能く限る。殊に愁嘆の事-bった家では、

男女さし集ひ、繰一す一口を号一円ひ、宥は久しく起きて属るものである。さりとて共身金石に非ざれば、

一七円の問は、

一族の

夜牟入ツ頃よりは熟眠するが常である。況んや共家京市の者又は寄り合った者北ハは、

根本から心

に愁があるともたいから、備段以て能く眠る道理である。叉愁事の有った共日の黄昏の時は、

人K

ぎはっき諸事吟味が薄いものである。紛れ忍びには好都合である。但し其問の虚賓の見様

は逐一

室内き現はせるものでたい、各自能く考へる事。

(七)「風雨の夜」

113

Page 130: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

風雨の・夜は物語日開えたい。放に古から風雨の夜を忍びに川ゐた。且つ雨の夜は支は涼しく冬

114

王仏、

語必

(;ik

は絞か故、人身安換にして眠りが深いものである。此時忍び入りの好機であるo

是を雨烏の術

とい

ふ。雨鳥は風雨の時に出づるものである。雨のふ伐に忍ぶとも笠喝など被る事は無用。

ぅノ〉「騒動の夜」

凡そ敵家の近傍何事か騒動ある時は紛れ入るに立しい。昔、湯船の皇に、久保右術門とい

忍訴があり、或家へ忍び入らんとして日の募方に共屋敷へ行って見た慮、大庭に薪を津山続ん

であった。彼れは先づ此の薪の聞に隠れて内の様子を窺って居ると、折柄念雨しきりに降出し

ほしと

たれば、家中の男女此の薪を手々に取入れ、天井へ梯子をかけて上げた。久保右街門はとれ幸

ひとばかり、部下北ハの少し後から薪を捻ぎ、打紛れて内へ入り直ちに天井へ

上り、

持った薪を引

拾いで伏して尽たο夜更け人静まった時、

時分はよしと起き出てんとしたので、薪が鳴り竹も

鳴った。此時、家人一人眠ら・?に居たのか此物丞同党聞付けて怪しみ、主人を起して右の由を告

げる。主人は槍を持出して下から天井を突き廻った矯め、久保右衛門の額の真中に刺さった。

、、、、

久保府筋門少しも騒が十、それを英、まL衣の袖で拾のしほくびを握った。

Page 131: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

出家主ば拾を引取って一言ふには、

「何か手答へがあった。併し人間たらば槍に血が付くべきぞと、火を賄じて給を比たけれども、

巴に袖で拭ひ取ったから血が少しも付いて居ない、扱ては人間では無かりし」

とて家主も下人も安心して寝て了ふ。久保右衛門はやがて天井から下りて来て、家主親子、

主従同五人を刺し殺して立退いたυ

共の傷が癒えて後、

額に穴が残った信州に、諸人は紋生火久

保ポ街門と呼んだ。細川じて最初から思ひがけない事でも、時の立しきに従ひ、気燃を川すが必

ポの肝裂とする所である。

叉雨夜の事に付いて一場の談柄がある。昔、

一人の忍者が、仲間と二人で、用心政しい家へ

雨夜に傘を中一定して忍び行き、仲間に傘を差させ

て雨滴れの落ちる所に置いて、自分は裏口に忍

んで居た。然るに雨傘に雨の蛍る一耳目を共家の番人が聞き付けて、勝目を揚げて遁ひ出した。共騒

ぎに彼れは易々と入り込み家主を刺して本笠を遂げたといふ。総じて忍術は裂を用ゐる事を州知

一とする。風雨、闇夜に限ら歩、共愛術教の趣に依って用ゆるが忍びの妙意である。

忍、

l15

Page 132: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

e急必ず入るべき四箇篠

〈一〉「裏口土り入るぺき事」

凡モ裏口工り忍び入るに、主ハ得がムハツある。

一には、凡て人の家屋敷共に、表には要窓口を能くすれど、裏手の要害は表口稜丈夫にして居

伝い。こ

には、裏口は人の出入りも寡きもの故隠れ易い。

=一には、表口には呑を置くも、裏は心易く思ふて悉く油断する事がある。

同には、裏口には一旦身を隠す廃もあるものである。

五には、

裏口の戸は表口より溺く、掛け鋭も粗末なものが多い。且つ家人も裏口は心安く思

うて油断して居るが常である、随って垣や掛銭も締りを忘れて寝る事が多いからである。

六には、表口より奥へ入るには、遠くして

Eつ幾つも戸を開けて入らねばたらや、見付けら

116

Page 133: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

るL筈である。裏よりは奥

へ近いから、戸を聞ける事も少なく、

恋々々以℃見処uめらるkh

本山ザき

道理である

oE敵の臥所へも近い。故に裏手から忍び入るを隠忍の常法とする。

。一)「奥より口へ入る事」

右の如くして裏手から屋敷中へ入り、敵家の奥の寝所へ

共催入るに、

北ハ得三つあるο

一には、上の僚に記せる如く、

一議口からは戸を幾重も聞け守し

て、

荷一ちに敵の寝間近く入る

事が出来る。

こには、敵若し思ひ

の外怒る』胞に臥して居る事ありて、

共場所を世帯ね探す時、奥口から入る

時は、鍵、掛金をば外して入るだらうとは、

敵岡山び付かぬ事である。

三には、奥口から行けば、

若し敵が眠ら・?に居ても、怪まるtA

事たく処口めざる道理である。

会一)「表よりは座敷よりの事」

凡そ表口から忍ぶ事は惑いに定まって居るが、併し、

一裏手から入るべき便りたき時は、座敷

から入るがよろしい。何故たらば、

座敷の戸は一

首一一で、其内は大祇襖か障子に怒って居るから、

たとへ掛金や尻差の用心がしであるにしても、何れかと品一一口へば聞けよいものであるu

つまり座

J山、

令官

117

Page 134: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

放から忍び入る誌は易い。座敷は己に家の内故、奥へ入る口々

の締りも少たい。叉座敷には家

118

人が取る事が滅多にた

いから、北ハ蕗から・臭へ通やる戸のしまりが強くて入りがたい時には、

九泣き出て外から入るにも自尚である。放に裏口から忍び入る便りのない時は、座敷から入る

ぺき一弟、古からの替市ひ停

へである。但し之も場所にも図る事故、

一概には一一一同へお。

(川)「窓、後

の下、走りの下」

凡モ袋内へ入るに是等のいい同一は泊沿な場所である。引一下地窓、迷子窓は或は切り入り、或は

印して入ろに口仰い。叉縁の下の犬防けの廃は大低手経に出来て居るもの故、放して入る事が容

まし冒

切である。叉ポ比柵の下などは入りよく出来て居るから、戸を開けて入るよりは右の筒所から

奴び入るお、之れ俗忍の常法である。

(一

)「初めて屋敷とハ以内とへ入りたる隠家の事」

Page 135: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

せつゐゐ

初めて屋敷の中へ入りたる時は、一一言ふに及ばざる事たれど、雲際、橡の下、竹木の必りたる

所、植ゑ込みの中、材木、薪たどの有る何かの物…陰に一光づ隠れて、よき時分を鋭ひ、

家・門へ

忍び入らなくてはたらぬ。叉家内へ入りたる時は厩、天井、

大祭の下、中床の

下、或は花道札(

の聞に一先づ隠れて袋内の隙を鋭ひ、人の限りを待たなくはならぬ。屋敷へも案内へも、忍び

たモがhH

しか

入るには.黄寄時の人而も碇と知れやJ

、諸人のざわ

つく時、

紛れ入っ

て右の隠れ所に一先づぼ

るL事もあるべし。

ハ二〉「観音隠の事」

糊量目隠れといふは、敵の呑人が廻る時少しも騒が子、壁、垣等、叉は植木、材木、新木など、

総じて何れの近遜へたりとも立寄り、袖にて顔を隠し、目ばかり少し出し鼻息をもせ守、息の

敵へ掛からぬ談にして少しも動かやJ

、隠形の呪を唱へて立ちて居るを観音隠れと

いふ。叉、初H

を敵方へ向けて立って居るのも宜しい。此の如くする時は敵は見付ける事がたいのである。古

から此の隠れ方にて利を縛た例が多い。此理を知らざるものは、敵の来ると見て直ぐに逃げん

として動くにより、却って足の一背や息ざしの音、或は物に行き蛍れy、或は康芥・などを路み、彼

2ワ1I品、

定必

119

Page 136: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

m ,凶、

争時

舵.

走れと身を動かして見付けらるL事がある。

・2づらかく

(三〉「鶏隠れの事」

鶏隠れといふは、手足を屈し首を引き込め、物の近所

へ寄り、寒夜に霜を総くが如く術伏し、

隠形の況を口内に唱へ居るをいふのである。此際決して敵の方へ前を向けて仰向に伏す事勿れ。

即日。伏すに五一徳あり、仰向に伏すに五損あり。

一には、敵の方へ顔を見せ仰向に伏す時は、面が白々と見ゆるものである。路に・たりて顔を

隠し伏す時は、

顔の色が見えたい。故に敵が見付ける事がたい、是れ一徳である。

こには、男は陽怠る故、

践するは順ゑり、仰は逆である。仰はいきれ出て、息ざし荒くなり、

敵に問かるth

道理である。是れ損である。叉路にたる時は息ざし弱く、

息の話回も低いから、開

ゆる事がたい。是れ徳である。

三には、人の息を我が息と通やる時は、必十人に知らるLものである。故に仰は損、隠は徳

たり。四

には、仰向に伏す時一は、身鰭材料かたら守して庚がる。

之に反して、践は身健約やかにな

120

Page 137: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

るもの故、見付られざる相がある。故に損徳の差がある。

五には、路向きに瀕を隠し伏す時は、敵見えぎる放に精一の然、銭石の心あり、仰向に伏す

時は敵比ゆる。然れば必宇臆病の祭出て、敵の見付けざるに早く逃げんと忠ふ心

ω鷲き動く放

に、mwも動き忽ち見付けらるL却ドJ

である。若しどうでも仰向に伏さたくてはならぬ場合には、

袖で創凶を隠して伏するがよい。若し敵が怪み火を以て見るならば也ちに逃ぐるぺし。それと

も、能き限場所・ならば、度胸を据ゑて忍んで居るも立しい。況んや敵が火をも持たやに夜廻り

ばかりするならば、此術を矯して拘強く隠る与がよい。

すから、此術を以て隠れすました事が少くないのである。伊賀の忍粁は、石になるとの許φ

るは此の事をいふのである0

・おの如くたれば、身心石の如・くたり、散も之を石かと川山ふ道理で

ある。昔、忍者が或る城へ忍び入り、

一息入れて居る底へ夜廻りが来たから、やがてん合掘の中

へかけ入り、鶏隠れの術で伏して居た。夜廻りが、羽底の忍者を騰ろに見付けて拾で突いた。

腹を突き抜いたけれども、忍者は少しも動かやに尽たから、夜廻りの守、

「扱ては人間ではたかったそうな、動きもしない」

l~

Page 138: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

117 J!.:.'、

最忠

と一言って共催立ち去った。後で忍者はそるノ'11身を起し、共愉叫に火を放って焼き立てた。

122

(肉)「敵に試付かれたる時の方便三つあり」

一に物民似の術、こに傍一一言を私語、三に逃走の術

・3

さん

物山県似の術といふのは、敵が物一音を聞き、胡散なりと枕を上げて聞く鰹たらば、犬猫の山いか

、む初出など民似て、犬猫たりと忠はす事。

次に俄一マ一同を私語するといふのは、

家内に居ても、塀の外に居ると忠はずる俄言、或は殴より

外に肘っても内なりと敵に忠はする傷一言、或は敵の後に味方の者が居る殺にする場合。総じ℃

昔、

一人の忍者が或る家

へ忍び入り、

北ハ家主を討たんと狙ったが、用心縦しく不疫の品併を誼

ぬ怖がいふ事m阿佐一口怒る故に、

敵は北ハ言を賓と思ふ様に工夫して私語するので

bる。目見を陰中陽の

術といふ。

いて奥の・純問に・挺て居る

ので、忍び入るぺき隙もたく、久しく者人の眠るを待って居た。丑の

(今の二時より三時〉に至り、草臥れて眠りたりと覚えて、しん/¥lと静まり共上火も消え

て見えな

い。

忍訴は時分はよしと思ひ、戸を開いて入らんしたが、差金聞くして戸は容易に悶

Page 139: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

eh叫

すb

かたいっ依って闘の下の土を鋤で掘り取り、

火をあけて、今や入らんとして頭を穴より差別し、

家内の模様を鋭ひ見る魔に、

彼の呑の者目を醒したりと見え、窃かに息ざしの昔、岡山円筋の鳴る

昔、床の鳴る脅たどした。いよ/¥}資否を捻かんもの

と、忍者は寒夜に.泌を聞くが如く閉まり

聞いて居ると、やがて此方

へ近づく足音がする。

忍者之を聞き英俊火から出て居た、

番の者穴

の近く迄来て、忍者がモ一度穴から入る庭を一

突きと構

へ居る閉山にね比えたから、忍者はそと官、

傍一一=門を構へ

て回く、

「呑の者が目を畏ましたらしい、此廃からは入れたい。いざ疾〈袋をば立退き、奥の物低のぷ

から入る事としゃう」

といふ。そしては、仲間の物一一一口ひらしく、

「いかにも元もである、いざ参らう。共上で、

と、仲間の仮援母一口ふ。番人之を聞い

て傍一一百とも知らや、

一向は物置の戸を明けて入るがよからう」

「扱ては忍者大勢と見えたり、

濫りに這ひ立て与は叶ふまじ、然らば奥より大勢で入るつもり

と見ゆる。

夫を待受けて討取ってやらう」

I 術

,硲

123

Page 140: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

と考へ、総かに行って主人をも起して此回目を諮り、

奥の口

で待って居た。共の有様を忍者は

1.~4

量感

早くも祭して、先刻堀った穴からする

/¥ーと入り、家主の寝間を捜して行くと、折から、有明

の消火淋しげに知ってあり、

家主は己に起き出て、身符ひする彪

へ忍者する/

¥l

と行き、

「ι一品ぎ沿出あれ」

s‘ゃ

と私給いた。家主はモれを味方の番の者と心得、更に警戒もたかった庭を忍者は、共位刺殺

し続中へ乞泊して逃げ川したっ番の者が之を聞き、

「狼給あり出て合せ!」

と院を揚げる。家内の者はいふに及ぼ守、隣家の者迄走り出て来た。忍者は粂て企てたる事

故、百穏銃を廿犬山伐の近所の竹林の端に据ゑ、火を付けて退いた。逗手の者は此の雷訪問を聞いて

総き、

「扱ては、敵が大勢此慮に出て銭胞を打っと莞えた。之はどうしたものか」

と、互に篤り騒いで居る問に時刻移り、其聞に忍者は一史徐も逃げた。

一方追手の者共は英

夜は竹林を守つ℃夜を明かし、翌朝、敵範り居るかと仔細に授がしたけれども、宵需銃のみ銭

Page 141: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

「扱ては愈々繰られたか、

口惜しい」

って人彰もたい、

とわめい

て各々立退いたといふのであるο

叉、或る忍者が小身た者に遺恨が有って之を討たんと決心し、

或夜共家

へ忍び行き、戸を明

けたり締めたりした

J

家主之を聞き付け潜かに終所から起き川て、戸の内側で身構へして待つ

て居た。忍者は外から此様子を感付き、扱て私語するやう、

「亭主が起き出でたそうた、今夜は忠ひを途ぐる事も出来まい。とんな時は滋早く退くに如か

たい」。

と言A

ば、

「4

んも/¥

1・」・

と、自問自答して、二人の忍者が居る様に足音迄して、

一町ばかり退く慨にけ凡せ、共俊徐々

と立蹄りて戸の側へ

行き、監に添ふて居た。家主は敵僑り退くとは知ら守、共戸を開け惑さじ

と迫ひ出つる慮を、戸の際で一刀に斬って本撃を途げた。是は何れも敵を待ち居て不意に討た

12D

Page 142: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

んとする謀略の装を掻き、却って我が謀略とした術である

J

126

忍.

震郵

三に逃走術といふは、己に共の家に忍び入り居る時、敵が見後めて起き出でたらば、此方一

人の時は英俊逃げて戸を出た鳴忌日をさせ、戸の外へ出た様に見せかけて、共貨は家内に止まり、

敵が這ふて出た後、自分はいよ/

¥3

奥へ進み行き、狙ふ敵を討ち取るのである。又、二人入つ

た時は一人乞逃げさせて敵に退はしめ、

一人は奥へ入るのである。但し、

是は敵の郎総番人た

どの起き出でた時のやり方である。若し共の起き出た者が蛍の敵で

bる怒らば、戸の側に待居

て直ちに刺殺すのである。

CA〉「敵に追討されるか、叉は封降しても我れに利たしと見て浪散する時の方法が八つある」

e

ひ4

一一は狸返き、こは百ω回銃退き、三は茨袋一時き滋き、四は木石を卑き水中へ勉つ術、五は迫手

に裂やる術、大脅術、六は珍事出来と呼んで閉門する事、七は門有-一閉窓一瞬一J-

君出御-之術、八

は狼様、狐隠の事。

扱て、

一の狸退きといふは、敵が念に迫ひ出て己に後を切らるhA

と思ふ時は、脆き留まるの

つ・h

斯くすれば敵は我に突き蛍り、援き倒る事がある。共時此方より新付ける。敵我が左

である

Page 143: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

右の脇を迫ふ時は、脆きて倒れぬ位にする。敵は競ひ我より先きに行くもの故、共時太刀にて

敵の腿を殴ぐるのである

敵が我左越しざまに斬る時とても、我は脆いて居ると、太刀の常る

事が少ない。叉這ふて来る敵と四五聞も聞離ある時は、門戸の脇、叉は道側の少しでも身を隠

すぺき慮ヘ師同時立寄るのであるc

這ひかくる敵は、逃げる者が先きへ行ったとばかり心得、必

や先

へ走るものである。敵我が前を迫る一事問五問たらば、やがて後へ引返して退くがよい。

時、後から来る敵に合ふ怒らば、如何にも育英を憶かにして、

「敵は彼一例へ逃げて行った、

一二人追っかけて行ったο若し敵が返して闘はど味方が難義する

であらう、念ぎ給

へ」。

と皆げ、自分は横道

へ退くがよい。古狸が犬に迫はれた時、此の形を以て発るtA

といふから、

此の術を狸退きといふのである。

こに百官銃退きといふは前に述.へた如く‘迫ふ敵との間十四五問もあるか、叉は犬よりも近

づくとも、

棚田く鶏隠れをして居るに依って敵に見付けられ

?に走り廻りたどする時は、鵜て茂

み薮怠どの端、或は人たき小屋長屋の近所へ行き

.百雷銃を鳴らす時は‘敵は共髭に夜討の者

量必

]27

Page 144: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

ヌYIl!i、

令官

震S

が居ると思ひ、そとへ寄り集ふから、北ハの問に脇へ外づして退くのである。

宝石裟察隊き退きといふは、竹で作った茨哀を持ち行きて、退かんと忠ふ路或は戸口に、自

1::8

札昔、

一人の忍討が、敵の家の家一燃に見答められて迫びかけられた。忍者は逃げざまに茶釜程

分が入る前に之を蒔いて置くのでるる。いざ退散とたってからでは、気忙はしくて蒔く事が出

来ぬものである。但し止む・怠ければ山内散の時に蒔く事もある。すは竹羨援を幾つも糸につ怒ぎ、

退く時、引き釣って持って跨った事もあるといふ。自分では、北ハ変を踏まぬ様にい托窓し、蒔い

てある践には込を綾げやに、足の官訟を土から縦さやに滑り歩む事が肝要である。

内の木石を印引き水中に勉つ術といふのは、暗夜に敵が我を遁ひかくる時、卑い水中

へ木石を

掲げ詳し、

共の落ちた音を敵に聞かせて我身溶ちたりと忠はせ、敵が北ハ髭

へ行く問に我は逃げ

退かん矯めの謀である。

の大石の有ったのを引捻ぎ、塀端

へ走り行き、かの石を掲げ、我は塀より此方に鶏隠れをして

居た。泡乎の粁此一七を附い

て、「敵は塀の外

へ飛び出した」と感迷ひをし、門を問いて迫ふて出

た。北ハ聞に忍討は後へ戻り、奥の室へ忍び入ると、英次の主人が今の騒ぎを開いて出て来る魔

Page 145: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を討ち.果した。

叉、或る忍者が或る家へ忍び入ったるに、

家主起き出て追っかけ来る。忍者

uaの仰なる荻の

中へ走り込んだ。家主薮の中は迫ひ詰め難く思って、

暫時、立ち留まった。忍者は、薮中の土

塊を取って薮の外へ弛げる、家主は北ハ物一青を聞いて、「扱ては山者滋の外

へ忍び川てたり」と心

得、路道から逗ふて行く。共闘に忍者は薮から川て、共・採へ忍び入ったといふ話である。

五に、討手に挺じて大企問を揚ぐる術といふのは、敵が我を見仔め、高艶に殴ぎ細る時、物bL

も言は‘?に静かに逃げる時は却って人に怪まれる。北ハ際には少しも隠れんと瓜ふ心なく、陽に

這乎の風をして、

我から大撃を揚げ、「夜討入りたり出合へ!」

と罵り走る時は、敵も怪む心を

起さたい。

向ほ此時一つの方便がある。それといふのは、例へ

ば我聞に退きたがら「盗人は策へ拡げた

そうた、何れも東へ追っかけ給へ」と.人々に背ぐるのである。回定を遂の術といふ。此の如き

時の錦に、

羽山織の表は柿色に、裏は薄鼠色に染めたのを渚て、忍び入る時は柿色を上にして行

き、追手に紛れて逃ぐる時には鼠色を上にして若るのである。昔の忍宥は斯談の術bL鈍して利

12:>

Page 146: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を得たといふ。

1ごO

男才lt:I、

れに、珍一事出来、門を悶ぢよと呼ぶ方便とは、

昔去る忍者が域内で窃かに狙った敵を討取っ

た庭、

近聞の者共がそれを聞き付けて川合ったから、忍者は仏日山ぎ逃げ出した。未だ保有の事と

τ

門は開いてあった。忍者忠ふ様、「治手の者共を比の門の慮で喰ひ憎めさせて、心あく退くに如

くはない」

と。依って門々で呼ぶには、

「只今城中に喧雌が出来た、門を閉めて一人も城外へ出さね様、殿様より仰燭れでわる。相梢

へて油断めさるた」

と高践に呼ぴ走った。呑の者北ハは員賓と心得て念に門を閉ぢた。兎角する間に忍者は、心易

く退き去ったといふのである。此方便は笠間か又は似円たどの門の開きある時、敵が治っかける

のを妨ぐ術である。

七に、門が問ぢてある時、君俄かに川御と呼ばる術といふのは、大身の屋敷又は城内たどへ

忍び行きて後、出る時門すでに閑ぢてあらば、門口で、

「君俄かに何地へ出御あり、念ぎ門を開けよ」

Page 147: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

と、裳一両に呼ぶのである。或は、

「何地へ御伎を承る」といふか、叉は「大事出来、火元の検分を仰付けらる」

たEh一言ふて門を開けさするもよい。其他、臨機の方便もあらう。先づ出づる事を能く工夫

して後、入るペし。人を懲つにも、先づ退く事を能く考へて後に行ふべきである。

八に、狼際、狐隠れといふは、敵が大勢這ひ出て‘二枚身逃げ去りがたく以ふ時、木へ登って

隠る‘与を狗隠れといふ。此の如くする時は、大抵見付けられやに済む。殊に業の茂った大木は

甚だ宜しい。叉、

敵が温び山で、方々より人起り逃げ走り難き時、水の中

へ.飛込み総身-E水中

に入れ、甑ばかりを出し、頭に蕊章、建菜、木葉たどを被り隠るLを狐隠れとい

ふのである。

猟師が鈴砲で狐を射った慮、共玉確かに狐に中ったけれども、即死する稜でもなかった。狐は

傷が痛みて逃げ去りがたく、機師の見えぬ廃に小川の淵が有ったから、狐はやがて共中に飛込

み、溺の端怒る洞へ寄りて身を水中へ入れ、鼻と口ばかりを水より上へ出して、藻草を被って

居た。R

犯を狐隠れといふ。

昔、尾州の名古屋の者が、或る大身の人に遺恨るり、黄昏の時分その屋敷へ紛れ入った。折

震窓

131

Page 148: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

しも支の事故、敵は定めて行氷をしに出るか、又は小便な

Eに出るであらう。共時飛び掛り討

132

ち巣さんと思び、湯殿の近援に隠れて居った。笑の如く、敵が行水に出た廃を難怠く討って、

廿角度数芝山川た。夫れと知るや、共家の者はいふに及ば守、隣家隣町の人迄騒ぎ出して港っかけ

開き谷め、大勢方々から起き州でた」二人は危く逃げ出したが、

一人は先きに塀の外へ出たの

て採る。共脅今は遮れ難く忠ぴ、傍の水堀の端に柳の茂りたるを見て其湖へ飛込み、柳の下へ

顕ばかりを水から出し、柳の業を頭に被り、身一は水に沈ませて居った。寄合ふた敵共は即日乞

燃やし、掘削柵をよく/¥h見廻ったが設に見出し得やして退散した。彼者は隣方にたり郷を出て

難なく逃げ去ったといふ。普から名将は場の中の藻や蓮の葉などを取除かせ、柳を切って少し

も隠れ家のない様にしたといふ。

叉料隠れの方便を設明せんに、昔、忍者二人連れにて某家へ忍び入った慮、敵家の者が之を

に、他の一人はどうしたのか逃げ出る事が出来守、・十へたる柏の木へ登って葉の中に隠れて鰐た。

追手の者企ハは納の木に人が居る一島市は知ら守、屋数の内外を探ねたけれども、曲者の影もたい。

地nhH

・家内ご附っ

て慾て了った。然るに先きに外へ出た者は、仲間の出るのを待っても問℃訟の念

Page 149: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

いので、心えなく思ひ叉立ち腕り、

屋敷の外から内の様子を附いたけ

引いども何の音もない。依

-r

て屋敷の中へ入りそろ/¥i探ねると、柚子の木の上に物音がする、扱ては此慮に舟ると然付き、

A

芯ぎ降りよと低撃に促す。上たるな日く、

「先刻より降りんと思へど、

拍子の針が身に立っ

て降わ

る事が山川来ない」

下たる男臼く、

「沙汰の限り臆病なる事工、

念ぎ降りよ」

上なる男痛や/Xと一言って降り得たい。その時、下たる男一つの思築bt翁レ、

「尚宏は拍子の木に上っ

て賠る、方々出合ひ玉

へ」と高擦に呼んだ

U

拍子の木の児、剰の姉き

も忘れて飛び下り、

二人連れにたって逃げ去ったと

いふ、長もがH設の一

つである。

家忍人配り三箇僚

ハ一)「児振り」

771 IC山

主主

J j3

Page 150: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

今忍び入らんとする家に絞ける長屋部屋、隣家たど人の出合すべき道々毎に、見張り人を置く

]34

沼、

のである。此の見張り役は、十分の武功者でなくとも宜しいが、唯だ落付いた人間を要する。

総じて、何れの役も臆病で粗忽で同情のたいものは怒いが、取分け見張りに、粗忽怒る同情た

き持bL白く一事、大いに惑いと古から忍者の聞に昏一口び停へてるる。

粗忽にして同情たき者を見張

りに泣くと大損が三つある。

一に、同情のない者は、忍び入りたる者の出て来るを待ちかね、うざっき歩き、或は慌てL

ムn闘を開きも見もせやしてゐるに依って、

諸事の言びムnせが無径とたるものである。

こに、家内へ忍び入った者が退散する時、ム口調もかけ歩、敵かと思ひ過って味方を打ち、或

は敵かと忠ひてムn園もたきに、

逸早く逃げ去りなどするものである。

三に、外から来る敵方の者を味方と思ひ誤り‘

又外から来る味方を敵かと忠ひたどして、鰭

事粗忽にして不定たもの

である。之が震に味方一同も迷って、折角言ひムロはした事皆逗ひ鋭れ

るのであるο

斯かる大損ある故、見張り殺は何者にても苦しから守いふは味方大敗の基である。

放に英人を選み、人々の気質に感じて諸役を定め左くてはならぬ。創ち遁材議所といふのが夫

Page 151: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

れである。人間の生れつきに依ると蛾も、大践活い者は

'm気盛んにし℃強けれど、粗忽不巧者

hr

であり、

老人は綜ち着き功者であるけれども、動もすれば忠実過ぎ℃機を失する事がφる。唯

だ生得の剛山山才魔ある者の三十四五歳から五十歳迄の者が、費行にも見張りに宜し叫

(二)「仕手の事」

仕手とは仲間の中で、

賞地の仕事を引受ける者をいふ。凡そ仕手の役は二大事の役なれば、

勇、謀、功の三つに迷した者でたくては勤まらぬ。仕手二人共同が宜しく‘

一人は、家の戸を

開き、忍び入るべき所作を銭す。

一人は敵の鼻息其他隙を鋭ひ聞いて、所作をなす者に告げ、

叉内の様子を通路人に背げ、

通路人の口を開いて之を仲間の仕手に告ぐる役目であるc

泊路人

といふのは、見張りの内一人が英次の土問或は仕手の者の居る近川まで行き、仕手添ひの者の

下知を外のAn闘絞

へ通報し、同時に外のム円園役の昏一口ふ所を仕手添ひに通報するのである。M人此

際、戸口停に人を世い

て見張ら金広くてはならぬ。回記は家内の者を

一人も残さ宇討ち取る偽でわ

る。そ乙で此の戸口に付き居るの謀略が三つある。

一ーは、地上八九寸の高さに、戸口に縦を績に張り置き.敵飛び出さば共縦が足にかAhν

倒る

沼、

13.5

Page 152: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

認、

量生、

ah

もの故、そとを討つ事。

こに、変を戸口符に町内き、敵の足に踏み立たするのである。

三に、戸口泣くに居って、脇差で突くのである。総じて、

家内縁側たどでは突くが宜しい。

〈一一一)「ム口闘持並にAn闘の印、鈴火の事」

凡そ令凶持の役は、問方から見ゆる小高い所に居って、鈴火を弘て内の事を外へ

一通じ、叉外

の…山引を内へ油、予る佼である。合閣の印とは、分散した時、敵と・mm方と紛る込者故、

一向に向き

手以で鉢各をする様な一事をいふのである。次に鈴火といふは、合間役の拷帯する絡で、鈴は風

鈴であり、火とは紙脳火である。之に火を付け長き竹の先きを一口八程制り置き、合間幾ったり

崎晴寺。

とも北ハ竹に押み付け、諸々の張り同勢に見せてム日間約束迷背たき様にする約火である。総じて

校のAF

け川は鳴物か、

火光でなくてはならぬもの

である。夜令戦たどには、提紫、太鼓‘貝た"と

で令凶をするか、共探が大に過ぎる故、家忍びの場合にはエム口一息い。風鈴の替は、小さきもの

故、政に問かるL一事なく、叉遠く問ゆるもの故、・家忍びの合固に泊する。叉紙燭の火は稽や背

也を必び、人が見ても叙が付かぬものである。故に家忍びの合闘に、風鈴、紙紛が宜しい。

136

Page 153: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

'し、

-・・・4・

.(ご「疲川に有明を制すべからや」

めん

gん

火を祈け泣きおに紙燭を愉へ置くがよい。寝間に有明行姥たど怪く時は、敵に見すかさるL

に依って注意を泌する。火の外へ洩れぬ様に工夫すぺし。又寝姿を見せぬ様にすべし。

ハニ)「陸気を梯ふ工夫」

陸気を梯ふには、冷水にて顔を冷し、叉、身の努苦を肢はやJ

、寒くとも海着をし、

飽食せや.

妥りに平臥せ43、行儀竪くし、

夏も蚊を厭は歩、扇を使は守、諸事十一円努を厭はざる時は、限る

事も少たいものである。第一に房事を恨む事肝裂である。此の恨みがたいと、

身幽胞が疲努し、

何んとしても限り深いものでるる。鹿島熟の対す時は、冷水で断酬を洗ひ、叉水たくば唾でY

々を溺

すがよいc忍

重患

l37

Page 154: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

宏、

13S

(ご敵に帝を切られた時か、叉は臥床中、念ぐ事有りて俄かに起きて帯の所在知れぬ時は、

ガの

rwを幣にするのである。回定が矯めに下絡は八尺に作る。

)

波枕と言って、大小の下絡の末を結び合せ、平臥の身の下に敷いて渡る。若し刀脇差

を盗人が取らんとすると直ぐ限を突す道理である。叉、念たる時は、結びたる下緒を取り、首

座探しの時にも利がある、座さがしの事は別項に述ぺてある。

に掛け、知慨を結び訟がら走る事も出来る。

(一ニ)

ハ四)

使がある。

(五)

〈ムハ

V

塀絞りの時、下絡を塀に投げかけて自分は塀に上り、下絡を手繰って万を取り上げる

野中の幕張りに利附する。

人を縛る時に下絡を利川す。

Page 155: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

鑓停。之は下緒の先きに小刀を結び付け、刀を抜きて右に持ち、防を左に待。て、敵

(七》

の鑓に下絡をからみ付けて鑓を取る術である。

遁路仕掛け六箇保

(一)「勝一蹴,V」

..

之は屋敷の内外とも、敵の忍者が来るぺき通路に仕かける3

杭を二本立て筏木を結び、大竹

の先きに細い竹を付け、

積水が外れる採に作り、敵来、かば外れて腐を殴る

d

敵は暗夜の事とて、

人が照て院を郷ったと忠ひ退散するのである。

ハニ)「釣押し」

是は、家の鴨居の上或は敵忍の来るべき通路に仕かけ‘敵が戸を開くるや否や落下し来り、

敵に負傷せしむるもので、仕かけが種々

あるσ

合ニ)

42

愛蒔き」

1~~

Page 156: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

敵忍の来るべき屋敷の外に、菱を蒔いて置く。

(四V

「敵彩、我躍の事」

門同から組織を我が寝間迄引き結び、敵忍入る時は、鳴き丑日乞脇氏せしめ、敵忍を驚かレ、且

つ殺は闘を鳳ぬますのである。

ハ五)「大竹箆の事」

戸。入口に大竹を跳ね仕かけにし℃置き、敵忍の面を欧打するのである

d

会ハ)「縄張り昼立ての事」

銀先きなどで戸締り不充分な時には、織を張り、戒は

一・万のm

授を上げて戸障子を此方に党ぜ

てmaく、敵忍び山市て共戸際予を開けるとも丞が重いから容易には開かぬ。

140

Page 157: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍術の練習法

忍術の武道精神

扱て、忍び入りの方法がいかに研究された所で、忍消其者の心身の鍛練が出…米て居なかった

ら何んの役にも立たたい

3

そとで、忍術者の心身鍛練といふ事が何よりも大切な事に・なる。

鍛‘

練法については後に詳しく述べるが、忍術の忍は忍耐の忍怒りとさへ一一一同はるミ位で、忍術者は

極端に忍耐強くたくてはたらぬとしたものである。第一志操堅闘で、心正しく、如何依る困難

にも耐え忍ぶ筑塊を要する。

凡て

の忍術停警は、最初に先づ正心篇と一7一ロムのを置いて、正しい武道精一柳の必要を訟いて底

る。邸ち忍者とwm賊とは本質的に遠ふもので、盗賊は私慾、忍者は大義のために術を行ふもの

認、

l岳l

Page 158: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

であるo

だから君園のため、践に必要たもの以外は盗まねζ

とにたってゐる。従って忍者の子

語必

142

供でも、

心が大義を行ふに遁したいと殺が認めれば、術を停へたいで停蓄を火中するととにた

ってそり、術を口体する相場合に他の人が盗関した時は必十階殺するととになってゐる。

忍者は非常に秘密を重んじたもので、被中から忍びとして一次遣されるととは、殿桜と忍術者

二人の悶の者しか知ら泣い。

家老でもとれを盗閲すれば暗殺する沿きてである。ゐ庭呑といふ

のは紀州流の村桧左太夫が最初であるが、忍者はかうした便法を講じて御目見得したものと思

はれる。

それで、忍者は、結婚なども、忍術者同士山以外の人とはさせぬといふ建て前であった。そし

て伊賀、甲賀ともに後縫44のない時、叉あっても遁蛍でたい時は、他流のものを連れて来て跡

をつがせた。そとで、其の遁蛍た資格といふはどん怒依件かといふに、それは、疋直、頭脳の

鋭敏、身慌の敏捷の三つを要素とする。正直は忍者の精一柳的た必須僚件で、盗賊と異たると乙

ろである。到脳の鋭敏は六感の働きが銃く、記憶力のよいζ

とを意味す。たぜかといふにたと

へば城の見取闘の如きは、頭に記憶するだけでノートするととが出来ぬから、頭脳の鋭敏は忍

Page 159: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

者として常然のととである。

に中水は下 。け波を上の紙・れ濡t:t上闘すめれを殴呼でん込き突を首

整息法と歩行術

a・・・・¥一

墨‘

5音

盤、

忍術を皐ぶには、どんな順序でやるかと

いふに、

先づ遁常な候補者を得て、之を試験して見るので

ある。それには上闘の如く、四斗樽位の大きいほ側

に水を満たした中へ、北ハ者に首を突込ませて、十

分絵りも我慢させる。之は余程心臓の強い者、殆

んど商務動物の様た者で・怠ければ出来たい恋であ

る。此の第一

の試験を通過すると、次には、庇伐

の上へ紙を張りそれに水を撤き、北ハ上を姥らせるν

之は紙を破らやに渡る丈けの、生れたがらの敏捷

J 13

Page 160: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

注者でたければ川来たい事で、木反小伶や‘猿飛と一一=ロはれた佐助など、治談への人間であった

114

!J7 IC. ..

v~

釘d

事であらう。

おの試験、に及第した妙子に、愈んパ忍術の練習をさせるのであるが、北ハの方法としては、先づ

整・息術を絞脅させる。之は品の先きに軽い綿防帽を付けて呼吸させて、それが少しも動かぬ佼静

かに日仏をするのである、よく次の間へ入って来た人が其の息使ひで察せられるといふ事がある‘

ので、整息は忍びの釘

一に必要なものである。

次ぎは歩行術である。それには先づ爪先き歩き、それから匙の甲で歩く、此の二つが歩行術

の民的である。次に附仰を一様に開いて尻を地に付けるので、

とのかたちは凶洋のダンス

にも

あるが、さうしても股が裂けない

とい

ふ線路をする。以上三種の足の練習をして、それから歩

行術に移る。とれには沙き六方と言って、前方、後方、横歩き、斜歩き、這行それから泌歩と

六日刊、ある。前方へ歩くのは普通の歩き万で、

遠足の歩き方である。

とれには力紙と一一一円って‘紙

を八ツに折り奥歯に噛み、自分の足元を見たがら小刻みに歩く。顔を上に向けると、鼻腔へ風

5つむ

の択抗が来て、それだけ疲労するから、精やし伽向き加減が宜しい。之れで一時間に阿塁、

Page 161: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

に四十恩を歩くといふのが忍術の定法としてある。共の速力は、胸に一{目出んを溢てL

それが滑

D

落ちたい涜皮の一巡さでιなくてはいけゑい。叉は

一反の布を襟につけて、その先が走ってゐる問、

少しも地につかたい線符をやるのである。

次に杭に歩く方法は、抑止X形に組んで歩く。之は日に=一十八里が定法としてある。此の歩

き方は塀の側耐を併に添ふて歩く時には、人間の胸の厚さ丈けの間隔、つまり七八寸の狭い島

でも歩けるのである。それから斜め沙きとか後歩きも、随時必要があるもので、忍びの勾めに

は、何時どんな必姿が生じないとも制限らない。次ぎに這ひ歩きといふのは問夜を歩く潟めの定

法である。闇夜に危険区域を歩くには、遣って地上を透かしたがら歩く。すると鵬,ろ

b倣の

影が見秘められるので、此の歩き方は忍者には是非必要である。

それから不具対を袋ふ時の歩行術としては、三種の沙術を練習する。それは前にも一

寸述べ

たのであるが、先づ放初はトウ・グンスのように指先で立っ

て歩く稽古、次で足先を内側にま

げて足の甲を下にして歩く稽古、次ではとのこつを交互にくり一巡して、平然たるように稽古す

る。これはどんなにしても足首が折れたい線路で、貧際上の利用としては、山ル山広の民似をして

'" 11占‘

庇・

14Q

Page 162: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

認、

一塁もこ畏も行くととが出来る。非人姿で竹杖にすが夕、片足を爪立てL片足を績にねぢ曲げ

て、足の甲で歩い

て行けば片輪者と誰だって見る。

歩きの次は跳びである。

mm翼のたい人は素手で飛ぶ事は出来ないが、跳躍して議を越へ、採

を乗り越す事は出来る。その練習をするのである。此の跳ぴ方にも六法あり、前跳び、後跳び,

同跳ぴ、巾跳ぴ、横跳ぴ、斜跳ぴ、たど歩行術と同ヒゃうたものである

J

此H

泊の忍脊は五十尺の高尚から飛降りるを定法としてゐる。それ以上飛ぶには風呂敷たり何

んなりを、口と雨手で三方にひろげて飛ぶυいは立パラシュ

ートをつくるの

である。勿織を渚て

ゐる時は一則手を後へ廻して羽織の裾を僚げて飛ぶ。とれも同ヒ理箔で、私はさうして四十冗尺

bt挑んだととがある。叉闘の如き

一一部の.J-

フシユ1トが、七百年前に工夫されて居たと言はる。

それから幅跳びは三問、高跳びは九尺である。共の練習をするには、先づ一坪の地に臓の賓

~49

Page 163: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を蒔き、麻は民直ぐに成長力の速いいものであるから、其上を毎日跳び越

へる練習をする。

毎に高くなって行く、之を三年位の間繰り、返し練習し、彼方此方と跳ぶ稽古をするのである。

夫れから山聞を跳び廻る時には、革衣を身に着けるv

全身汗まみれになると、革・は段々一縮ん

で、身慨をメめ付けて窮屈にたるのを我慢して、猪段も跳び廻るのである。とれで汗を掻かた

トーユ シラパれれき夫工に前年百七

"' 7也ゐ

量産,

古務.l~YÉ を上の腕

147

Page 164: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

沼、

間乙ゐでん沼、 〈長lこ中7ltていわく lこ口 を兵逝

と一一百っ

て居るが、忍者も之と同じで七十貫伎が一

人前としてある。之は、甲賀の忍者の話であるが、

家人が毎晩新しい草履や草粧を枕一冗へ鐙くと、墾

靭それが全部すり切れて居た。つまり夜中に起き

て、夫れ丈け走り廻り荒い練脅をした事にたる

ρ

争時

以上地を走る術、宗一飛ぶ術が山内来る様になると、

今度は水を潜る術だ。モれには、忍び泳ぎといふ

て流れるやうに、手足を動かさや泳ぐ方法もある。

一度水中に飛び込んだら二三時間牧は、姿を見せ

I.S

Page 165: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

争kぷ怒に中水棒るえわくに日

.貝.遺るふ周i二く tを中水

J:L りメ結晶

ド 母国

習IZr ロ為v

友いといふ様に巧みに泳がなくてはならや、道具

を持って入る時は、

五六時間位水に漬って居る怒

者もあったと一言はれてゐる。一泳ぎ六訟と一一一一向って、

水の底を歩く法、水中の中間を泳ぐ法、水上を行

く法、脅を立てやに泳ぐ法怒どある。徳川首都府に

仕へてゐた伊賀流の忍単行が、幕府瓦解で食ふに図

って、

を滋へ

入って鯉をとっては資り食ひ宣して

ゐたととがある。

一度沿濠へ入ると六尾の鰹を持

ってあがって来るのである。

爾手、

雨脇、股‘額、

危どでたくみに鯉をはさむといふ法者であるο

術ほ長らく水中にゐるには道具がある9

一種の

静水器で、四百年前に出来てゐ℃、水中綿も大い

に研究されたのであるc

上に絡げたものは水中に

14!}

Page 166: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

使用した鐙具む随併にして、今日の浮き援と同じ工夫が、巴にあった事な

ε参考に供したいと

思ふ。

160

Page 167: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

心身の鍛練法

以上特殊の練習と同時に、忍者は五慌の練腐をする。普通、指を逆に取られると痛くて私ら

たいものだが、それを平然として居る様に、我れと我が腕の関節、指の閥節を外づして滋取り

を無効に蹄せしむるといふ練習をする。それと同時に叉指一本位折られ挫かれでも、平然で居

る様怒強い意地を養ふ。

それから指力と乎刀の力を養成する。之には

)尺阿方の箱の中へ砂を入れて、手を突込む練

習をする。そしてそれが出来ると小砂利にする。次に固まった粘土にする。そして、手首位迄

ぐさりと入る様にたると、今度は普通の地面へ突込む練習をする。かく練磨を積むと、敵のザザ

n ,也、

161

Page 168: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

Oi

笛へ十ぷりと乎刀を突込む位は遺作ない

ので、敵の肋閉{目を引抜くととも出来る様にたる@割仙枕守

の先翠には生潟の尻肉を捜み取ったといふ例もある位だ。だから忍者の指はみ放経国のようた

竪さと抑制さがある。此日の品闘騒粁は板に釘を打ってとれを毎日放く練習をしたもので,あるが、忍

者もモれと同様指先きをウンと強くする。

との指のカで天井も旬へる、格宮へ弁の格子を指でhv

ツカりつかんで渡る。八盤の民間なら二分か三分で渡るととが出来る。

叉、忍訴は磁のカも鍛へる。之は頭を柱へぷツ付けて稽古するので、私もピ

1ル場四十本を

続けざまに説にぶっつけて破ったととがある。とれは忍者ではたいが、頭で仰斗得を州問で金

部ぷつ演してしまったり、五寸釘を額で打ちつける男が千住にゐる。

これ丈けの練習が川来、同時に鰐術剣術が出来て来ると、全身不死身の如くゑb、少し位叩

かれ挫かれても平気で腐られる。腕や仰を析られでも、自分の仕務を某さたい内は一歩も退か

たい。指を析られても片腕を斬られても、最後までやり通すといふ精一脚で行く。私は少年の頃

竹を腹へ問、

冗寸佼突刺されたととがあるが、築もつけや三日

m鰯務をしただけで癒った

Q

快心を持たたいといふととが一番の要訣である。

1δ2

Page 169: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

おろを

扱て五憾の練勝、如何に強くとも、内臓の鍛練が疎かであっては何んにもたらぬといふ虚か

ら、忍訴は此方耐にも、人間業と忠はれぬ迄の荒行をやる。第一一に無臭の術に入るので、とれ

は憾臭を避けるのである。それには.酒も煙車も用ゐ守、叉臭い物を食はたい。茶、大務、玉

葱など、特殊た臭を税収ずる者は食はたい。脂濃い物を食はない、設汗の多い物を飲またい。と

かす

れば人の目を掠めて通るとか、

一室に隠れ忍ぶ時、共鰻臭に依って勘付かれる腐れがあるから

である。

次には絶食に耐える練羽田、叉不眠不休で過す練習、叉反釘に術策上の交際には.見栄飲島常食を

して平気で舟られる練捌闘をする。私は平素沼も煙車も肘ゐたいが、いざ必要とあれば斗沼たほ

際さたい。酒は人を醇はしむるといふが、

醇うて怒らぬと受悟し

て飲むと決して酔ふもので危

ぃ。戦地で斥候に出る時、菰被りを一一得鏡を抜いて飲み放題飲んだが、誰も醇は・なかったとい

宏、

令官

153

Page 170: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

ふ話もある位で、忍者は斗酒を飲んでも醇はぬといふ建て前である。異常飲暴食した場合私は胃

154

の仲縮運動に依って、内容を腸に選ると飽満の苦悩たどいふ事はたい。之も常に貸演して居る。

とれまでの忍者で大食のレコードは、「伊飢記」等に出てゐる一度に生米阿貫目づ

主食ったと

いふのがある。忍者は酒を呑むのは五合から二升くらゐまでを酒をがわといひ、三升から五升

をなめるといひ、五升から一斗まで幾らかのむとい仏、

、、

一斗五升以上を大酒といっ

てゐる。

私も大食では天どん八杯、かけ祷婆二十五杯、酒八升五合、煙車十箱といふレコ

ードを持つ

てゐる。しかし平素は泊をのまたい、煙車を

のむ際は鼻からのむ。かうやって鼠掛から吸ふと

-一

コチンが完全に胃や肺に吸牧されて、

口から吸ふよりは=コチン

の毒が多いわけである。さう

やっては平素

-一

コチンに劃する抵抗力を養って置く。いざといふ時いくら煙車を吸はされても、

それで頭がグ一フ/¥ーするようたととにたらぬ。煙もはき出さたい、胃のたかへ入れる。出さう

と以へば出せる。腹を燥でると煩が口からムク/

¥h

出て来る。普泌は川町草はのまたい

のである

が、必要の時は肺へ

でも肖へ

でも、芝と

へでも自由に煙を入れる。

次に粉…脚を統

一する事に依って五官の感受を鋭敏にする練管。之は人間の聴先は、

平時の十

Page 171: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

四倍位迄鋭敏に・なるし、腕党は八倍、喚鹿児味魔は三倍する。忍者が、或邸内に忍入るに際し、

共自然の壁に耳を立てて精一柳を凝らし、或は怒き筒を嘗てると、・庚い家でも此ハ内部の話撃が聞き

取れる。紋脊の次が孫ちる音、

害のさLと降る音、蝿の飛ぶ一耳目、針の落ちる音も聞かれる。間

夜地に伏して耳を澄ませば、数丁先先きの物一音も手に取る如く問えるなどいふのも、此港の消

息で、之は誰しもの賓験する鹿である。況んや、それを背骨抜切とする忍術者の総覧に於て沿やだ。

毒物・いかもの喰ひ練習

それから忍術者には、

意殺といふ危険がつき伴ふ。之を股がれる鴛には内臓を強健にし、

志を悶まして、

毒物にも打勝つといふ練労をし、叉木石、土砂、

思議何んでも食ってやるとい

ふ悪食的な練習もする。特に血判欣とか密警とかを敵に奪はれる庭れあり、

之を安全に投築叉

は銭楽する隙のない際には、之を阪中に燕下すると

いふ必要もあり、

何んでも食ふといふの

忍者の建て前である。

155

Page 172: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

π3 ,也、

主主.

私も此方面の練習を多少ゃったもので、硫酸、精酸、猫いらや,,、一明γ、武町応、蛇、苧-愚たど

食っ

て何んともたいし其他精子のコ

ップ、燦十品、

屋棟瓦の類も食ふととも出来る。富士山宏山の

途中の崇を食った話もあるが、別段美味いものでたいにしても、食って食

へぬ事はない筈であ

る。腺病質の児が壁や熔の次の塊り、木茨など好んで食ふ庭bL見ると木、石、

土砂、何んでも

必要忙際して・尖へぬ事はな

い佐官である。忍術者は常にそんな必姿に迫られる。忍者は人の邸へ

忍び込み、床下へ伏して照るとした場合、何日間も身動きの出来たいmm自になると、床下の土

なを嘗めてでも飢を凌ぐといふ事もあるの

で、此れ程の練習が必要なのである。

私の、硝子コ

ップを食った資例は己に八百七十九簡に及んで居り、刀〈煉瓦は一簡を食ふに四

十分かaA

り、屋根瓦一

枚食ふには二十五分から三十分間を要する。

斯うしていざといふ時、設

抑制減の矯め、平生からとんた荒行をや

って不死身の鐙を作る。

元来忍者は病気を最も軽蔑するω

病気とは積んで字の如く気を病むととで、集ゑんか病まね

ばいth

んだ。持病は病を持っと書くがそんたものは持たたいがいL。無理でもさう信じてゐるο

胃が必いのは胃がサボってゐるのだから、

とんた時に流動物たんぞを入れてやって胃を甘やか

156

Page 173: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

すと、却って聞にのってサボるから‘堅い不消化の物を入れてとらしてやると癒るといった瓜

に.非常に積極主・議訟のでるる。

苦難に耐ゆる

の練習

総じて忍者は、人間として耐

へ得る限り

の練泌を勾し、叉智力の限り研究をし、

物理化壊を

際刑し、叉心川崎作川を利用し、

それでもっ

て斥伎の役目、特偵の任務を勅め、時には敵陣に入

って火を放ち叉敵将を暗殺し、

敵の秘密書類を奪ふとい

ふ、最も大切た仕事をしたのだ。

倫ほ忍術者は、敵に捕へ

られて拷問にかけられ、迫害を受る場ムけが多いのだから、

平常、身

憶を苦しめる事に馴れて居たくてはならや、

北バ偽には随分と思ひ切った練習もする。共練仰と

して試みたのは針を差す事で、之は盈針大のものを、

顔面から耳、舌、

全身へ二百五十本も差

したレコードがある。述も痛くて苦しい事のやうだが、思ひ切って了ふと何んでもなく平気で

やれる.舌へ

針を差したま

与、

人と符をする伎は治作たいととであるu

1T] II!.、

6母

舵、

157

Page 174: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

沼、

Af.

争時

叉五位を強健にする特殊の練磨としては、八貫目から十五六貫目の鋼鉄の角分銅を以て胸部

を打つ事もある。昔、回向院の角力取が、

敵手の猛烈危頭突に耐える健力を養ふ矯めに、米

俵を天井から釣って、それを弟子

に撞木の如くして自身の胸を打たせたとい

ふ訴もあるが、

う一式ふ事は、

板の聞の剣術や盛の上の柔術とは大分蓬ふ。兎に角とんた烈しい練矧自に依って出

来上った忍術といふものは、世界に類のない武術であり、

内川武の閥、日本人の誇りとして、

を現在に麹膝せしむる必要が大いにある。

倫ほ設で一つ人間の健力といふ事

に就いて一一守一閃したいと忠ふ。中山内に健康健の人であるたらば、

何れ丈けの外.墜に耐え付られるかといふ事を知って置く事は、昨今の様に紳経衰弱とか、

J

アカ

タンとか

の流行時代には特に必要と忠ふ。

勺ぶ

まぶた

先づ限の力と

いふ事に就て考

へて見る

と、人間が目を膜った験の力は、自分の値重の約三分

一の草さを釣り上げる事が出来る。

それから歯の力は、

健全の薗であらば、婦人は乳呑見を

抱いて、天井の筏に喰ひ付いてぷら下る丈けの力を持ってゐる。

叉横に引かれる時の支え力は、

自分の桟重の七倍には耐え得る。仰向きに臥た力は、十五貫

158

Page 175: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

の鰻重者にあっては六百貫の重さに耐え、十八貫の人は八百貫の物に耐えるとしたものだ。外

闘人の見世物に、自動車を右に一釜、左に一牽付けて頑張って見せるが、あれは大力のためで

伝く物理忠一上山口同然の事たのである。叉仰向きに臥て、共上に六七人も乗った自動車を載せて見

せるたども不思議でもたいととだ。だから、自動車に撲かれて死ぬるなどは、あれは精…仰の抑制

い矯めで、自ら然死して居るのである。

それから人間が立って居る時、普通、三四千ポンドの

物を腰に下げる丈けのカはあるのだ。共カを褒揮し得たいのは、精紳カが紋乏して居るからで、

民に精一仰を強くし、何事でも出来ぬ事はたいといふ信念を持ってやれば、どんた事でも出来る。

石にも矢が立つのである。

武塾、

遊北部一百般の練習

心身の鍛錬については剣術、四四術たどいふ普通の武術は営然之に属するのであっ

て、所謂武

頚十八番何んでもやらなくては危らぬ。私は共方面でも極力練習を積んであるので、それ以外

認、

lñ~

Page 176: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

も腎

にも武道としては、武器の持合せがない時の用意として、南鐙殺倒流務法、心月流手裏剣術、

一体流捕手術から大間流棒術訟どもやった。

北ハ他、愛袋術の六カ出の事は前に迷ぺ

たが、虚無償、猿紫、手品、危んでもやる然に前阿部ぷに

通じ怒くてはならや、踊りも稽古をして藤間流の名取りであるし、新聞紙

一枚あれば尺八も吹

けるし、

口でザアイオリン、

マンドリンの由民似も州来る。唄は嘗て大阪で、明治以来の流行歌

を放迭した事もあって、寄席懇人のやる位の事は何んでも川来るο

鎚人の方では、動物の擬音を実物にするのがあるが、多くは一寸した真似であり、

本仲間の時

採になって民たいo

猫や犬の鳴き弊左出すにしても、

一通りの墜しか出してゐないが、本蛍の

的段はその動物の習性険性をハツキリ出さねば怒らないのである。大健猫の鳴撃はたやすいも

ので、狛は品の一斉で、鼻をつまんで務を山内せば誰でも出来る。

しかし犬はむつかしい。犬は三

十五音とい

って三十五通りあり、白、黒、ブチ、赤等によ

ってそのなき臨も港ふ。一

一匹の犬の

院時をやっ

て居る時の鳴き務から、最後に

一方が咽まれて小引ひを引きたがら退散して行く時

の鳴き盤、叉、怪しい者を見つけた時のたき聾.老犬と子犬の的憶をたき分けるなど、随分海山

JGO

Page 177: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

あるω叉、塀を越えた時は犬の胴ぷるひの擬一斉もある。

甲賀流では、動物を利用する術には、特に犬を利用する。是は、

犬は人恩に最も多く、何時、

何庭にでも居るし、叉敵の番犬たども肘るから、特に犬を研究して之を利用するのである。火

念の場合、

犬の鳴き擦を以て近所の犬を呼ぴ集め、北ハの喧騒にまぎれて、逸早く・身を股れやう

とする。追手は外

へ出て見て、多くの犬に吠えられ「扱ては曲者が犬に化けて身を隠したか!」

などよ馬り合ム中に、此方は易々と逃げ師へるのである。犬の擬音は、私も相鴬練習を積んで、

今では犬と話が出来る位の自信を有ってゐる。

兎に角、

忍者は、入のやる事は何んでもやれ注いものはないといふ立場で、共の一つの惑と

しては徐長類似の事もやる

のである。之は遊認でなく長剣た必要から起った事である。それと

いふのは、

家僚が天正十一年に江戸城に移った時には、

甲賀、伊賀の忍びの者もともに率ゐて

移位したが、訪問の大名遼もゐの/

¥tかうした伊賀守、甲賀者を傭ひ入れたから、だんだん土

着の忍術家は分散し

て令閣に鎖まって行った。骨同時は忍術家が一園

一裁を調査する報酬は百依

といはれ、各緒大名は佼んに彼等を鯨使して敵械を調斎させ、見取闘を作らせたものである。

亨34也、

福志

lGl

Page 178: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

p1 IU.・

~

私の所にもかうした見取聞は保山集めてある。中には距離を歩数で調ぺてあるよう拡散嶋〈ぺき

lf.2

詳細たものもある。とれを殿様に報背する時は、土問邸ち立盤的模型を作って献上したもので、

金景の心得も忍訴には必袋たものとされてゐた。またかうした見取囲製作には、目算が異常に

巧みでないといけぬ。地口の披は決して直角には作って尉たかったからである。

Page 179: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍者の服装と携帯武器及び道具類

最初に忍術者の袋来と携帯武器に就いて簡単に迷ペ

てみよう。

芝居の舞妥では、百日かつらに鎖かたびらm一一一銭束で建も立派で、

殿様以上にえらい豪傑に見

えるが、

従際はそんた重苦しいものでなく、極めて軽捷なものであるu

其服装も黒袋束で往く、

モほうぞ

表は溢染、装は鼠染めだ。之は、表を笠間に靖、官設は夜間に着るのである。それから蘇初染め

の手拭を常に携帯して居る。之は、溢染めと同じ色で、頬被りに通し、又此の手拭で減過する

と、汚水を飲んでも害を受けたいといふ建て前である。

次に、懐中するものは、一

種弱特の食糧で、

極めて少量で而かも滋養盤富たもの。之を造る

ほしあわぴ

ふ〈,ゃ5

には、千飽、大姿、千鯉、精米、夜苓、

寒晒、鰻の白千、

格肉、生松の甘はだ、氷砂糖、委関

共他のものを交ぜ合ぜるとしてあり、今日の智識を以てしでも、何れも選りによった滋養物で

宏、

163

Page 180: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

ある。

次に、忍術者の帯刀は、普.通

二尺三寸の刀の定法よりは大分短かいもので、之は狭い底を這

ったり室内で闘ったりするから、出来るだけ短くし邪魔にたらぬ様

K作る。鍔は、普通よりも

大きくし、下げ緒はやJ

っと長くし、鞘は銃製の丈夫たものにする。之は携を上る時など、刀を

立てかけ、共鍔に足をかける鴛めで、下げ緒を長くするのは、上から刀を引き上げる時の便宜

であるu

前門事が斯ういふ風に別意周到な庇は、普通戦場へ出る戦士と趣を異にする。

懐中には、限り襲、爆錦、変の食・など常に用意して屠る。此の眠り薬も古くからの忍術者間

に停はった秘停で、大した後見なのである。之に瓢火して北ハ臭ひを喫ぐと宿直の武士北ハ耐え切

れや似〈なるといふもので、忍びには無くてならぬ口問である。爆弼も、竹筒の中に火薬を仕込ん

だもので、之に恥火して敵へ投げ付ける。それから敵に迫はれて遁げる時には、愛撤きをする。

之は鋭製の変の質形のもので、

敵が此の菱で足を刺されてひるむ問に、逸平く危地を枕する

ので、例の石川五右衛門が、太閣の千鳥の香憶を盗んで逃げる際に、鈴張りの廊下を素足で波

ったから椛らない、千鳥の時き脅そっくりた一首がして褒組列したといふので、あんな場合には、

164

Page 181: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

綿車肢を穿くのが常法であるとして居るυ

先づ.h.右衛門は此

のお.抜りの廊下を踏み損ねて夫政

したのに、今度は逃げる際、愛扱きの川意も無か

ったといふので、忍術者として大の乎終であ

ると非難されてゐる。此の菱扱きには、本物の変の貸でも宜しいο叉竹で作って糸で繋いでb

り、使用後、そっくり糸を手繰って持ち腕るたどいふ

のもあるc

定法としては忍術者の六具と吾一円はれ、忍び込みの時には、あみ笠、かぎ縄、石筆、紫、三尺

手拭、打竹を用意する。他に僚ろ火やのぼり木、眠り薬たども持ってゐる。限り務、は多く庭木

でつくるο

敵に眠り薬を沼にまぜてのませ、向分はソツと下毒剤をのむのである。今日の戦争

で伎はれるイベ

リツ

ト、

シウカベンヂル、ポスゲンなどの様た毒ガスも皆植物でつくったもの

である。逃げる時小さな火薬をたげると、それで五六人くらゐは倒隠せる。芝居でやる仁木部

正は巻物をくはへてゐるが、資はあta

した形のもの

に薬が仕込んである。

忍者は常にあL

いふものを持ってゐて、

いざ敵に這かけられたとたると白い煙、担一…い惚をあ

のなかから吹き出してにげる。

ああいふものをくはへて敵をにらみつけると、敵も何か呉療が

公とると見て寄りつけない。また大勢の敵にとりまかれた時、どの方向から見ても忍者が正面

lG5

Page 182: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

万7II.!.、

向いてゐるように兇せるために、顔の津山ついた商をもって行き、

とれをかぶって、手にまた

多くの双を持つ

のである。

千手観音、十

一面観音のようたもので巧い趣向である。

次ぎに忍術に使用する種々の道具類につい

て述べて見ょう。此の事は、巴に随所に記述した

様にも忠ふが、前述の携帯別口mと、道具とは、叉多少異る髭もあるから、簡単に左に記してみ

ゃう。

今、高い塀を飛び越えたり、錠前をあけたり、

小さい穴を潜ったりするにはどんた道具を用

一健、穴をくどるのは親指と人差指で闘を描いた伎の大きさがあれば、人間の身縫は

ゐるか。

穴へ入れるととが出来るといはれてゐる。猫はあの口髭丈の扱がりの穴があれば、繁に股けら

れるのである。

以下諸々の道具を説明すると、先づ、忍び熊手之は織の先きに三叉の銭の熊乎がついてゐ℃、

とれを塀、

屋根などへかけ、縄をよぢ張る。長さ五寸くらゐの小竹が十数本縄に通ってゐて、

下からしごきあげると一本の竹のように真直ぐになり、小竹に一

つ一つ足をかけて登るので

b

るο

弐は縄梯子、

とれは普通の縄梯子である。次は浮橋。縄梯子を演にしてたもので、谷や川

166

Page 183: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

長さ武丈五尺、横六寸、腕縄又は藤縄で作る。

銭釣凶の如くで、磁石等険しき上に木立わる所

に用ふ。巻

キ弟

長さ七尺位。

銭輸闘の如く縄を付り一一筋は輸の中に入る。

之忍器を過す器也。

窓、

重意

大竹を制令ぜて作る。上下を業で包む。

@¥'I 官民

167

Page 184: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

設、

を波る道具である。先端に大き注釘が数本ついてゐて、

168

とれでさL

へるのであるο

次はグモ梯

かさ

子、小さた滑車・に縄を過したもので、抑制の一

端に綻のようた鈎がついてゐて、とれに自分の身

慨をつるしたり、荷物をつるして、滑車を屋川似たり塀たりに打ちつけて引上げる。

戸締め器、之は氾形に曲った小さゑ銭の道具で、とれを障子や戸の問へはさみ込むとどうし

ても附けるととが出来たい。吹は忍び頭巾、

とれは普通の忍び関巾で、防禦別のもので、折必

式にたってゐるので携帯に便利である。次は長襲、以上の道具を入れて沿く袋で、同時に現在

火事の際川ひられる救命袋と同じ役もっとめるのである。

以上の外、忍術の探械道具と

いふの

は無数である。大別すると、

高い彪へ登る銭の道具、水

中に使用する道具、戸を開く道具、次に火器とたる。火器は古来忍術で一番叢く見たもので、

あれだけで一冊になって居る。

火邸付は忍術裏道の根元と一宮ロはれて、共用は、

第一

に、

城郭陣営の堅固なるに釣し、之に放火焼失する事が利あり。

第こには、登夜北ハに味方と合闘を矯すには火光が一呑有利である。

..

Page 185: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

第三には、風雨にも消えざる短火は以て味方の難を救ふの利があるο

そとで火器は百除種工夫され、

巧妙を秘めたものである。仰いし今日の電燈、瓦叩剤、火薬たと

の後建の矯めに、是等の多くは.小用に蹄した形である

J

それでも其の時と場合に熔守る方聞の

工夫を熟議翫味する時は、今日の火力を一暦に進歩褒淫せしむる事が出来ゃう。兎に角、我等

閤民の組先が、是れだけの工夫褒明をしたとい

ふ結だけでも敬服に値するのである。共名稀だ

けを並ぺて見ても、用意と工夫の程度が解る。

五岡県煙火方、雨煙火、風雨煙火、生滅火の法、水の明松、義経水短火。上々水症火極秘の方、

打松明、振り松明、やばら松明ハ之れは.振れば消え、吹けば燃え、火先を小刀にて洛せば叉

燃える)。袖火方、

敵討築、義終火。水鋒方、水火仰閥、

一寸火縄、濡火縄狼煙方.不滅松明、総

火佐、夢烈火、猿火、懐中火、手火庄、手の内火、天狗火、水火、共他数ふる

に阪がない。岬'M』

れが、何れも完全危製法を説明して居るので、試みに二三共の製作法を述べる。

水火縄||硝(七十匁〉、水

(夫自にこ盃)英中に火縄

一曲入れ煎じ、樟七十州地、松脂五十匁、

稼の箆の泊にてねばみに解き,火細川の上に引き、扱て悩械を鎗きて何渇も引きて用ゆο

万7II!.、

活必

169

Page 186: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

市街

最郵

l70

風雨矩火

li苧屑百〆、総五匁、文百匁を白くなる程に採み一夜水に浸す。賞十匁、樟五十

匁、船十五匁、胡腕八州地、松脂二十匁、イボグ五匁、龍三匁、松山税制紛二十五匁.館一公八匁。

右は、ほんの一例であるが、能く、鼠や牛の糞を交ぜる法が書いてあるたどは、多年の経験

から命日得した秘術であらう。

叉、戸を開ける器械たどは、津山に闘解が出て居る。錠といふのは、営節の令一庫は特別丈夫

で復雑訟錠前であるが、其他は大抵よい加滅危もので、現に税関の人達は、放客のカパン怠ど、

船中で遺作たく開い℃調ぺる伎であるから、忍術の方の開器が、今後にも十分参考と怒るもの

が多からうと忠ふ。日本の忍術者は世界一番の稜明家で、

何れの図よりも先きにいる/¥の新

夜明をして居たと一ず一口はれる。唯それが軍用機密に信仰するので、公表したかったといふのも

一辺

ある事であらう。

Page 187: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

印を結ぶは精神の統

倫ほ一づ印を結ぶといふ不思議の術は、之とそ忍術の玄妙奥諦と見られて居るのであるが首

節、無線電信といふ大鷲明もある佼で、人間も自分の一心凝っては精一仰の働き一つで、敵乎を

自在に操縦する事が出来るとも一一百へる。印を結ぶの術は、

つまり自分の精一柳を統一し、我必・予

せつ恰

勝ち得るといふ信念を作り上げるのである。湾事休すといふ切端詰った際にも、-帥気動飢せ・予

剣光裏に寓人を安ん守る集塊を磨き、心服を明かにし、何れか一方に血路を開くの工夫をする

借地で

bる。死を恐れざる者稜強い者はないので、敵の包圏中に在って冷眼以て隙を見出し、活

路を附くといふ武道の奥義が裁に在るのである。菅は孔明、櫓門に愛子を曳い

て琴を鴎じ、以

沼、

171

Page 188: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

て能く老治たる仲遼を斥けたといふのも此の妙諦で、印を結ぶは琴を弾、デると悶じ心であるo

172

u, λ』占、

霊感

此の不動の一心成って始めて、

忍術の妙技も成功する。

そして精榊統

一の方法として、古来の体滑一向には、・忍者が先づ呪文を唱

へ、印を結ぶ事にして

ある。かくして術者は心の安定を得、精…紳伊一信仰に結び付けて自信力を強めるのである。昔か

ら良一吉宗では、

身、口、

意の三密を具足する事を数へた。良一一百の方ではとの三つが完全に一致

した時に、印身成怖が出来るとされてゐる。忍道ではと

の身を印、口を呪文、意を概念と結び

つけて、印と呪文と概念が一致すればそとに法力が直に兵頴されると苧一一口った。かうしたととる

に科接的に構成されてゐる忍術も、あくまで紳併にたよ

ってゐる

ので、

己れを正しくしてそ乙

に榊悌の加惑を仰ぐといふのは、我れ乍ら進んで危地を胃かす忍術家に取っては、唯一の心税

みであったに逮ひたい

のである。

Page 189: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

普から九字護身法といふのがあって、之を兵法九字の大事として居た。

「抑々九字の事は、心を護るの大秘法にして軽忽のととにあらや。共の法先づ毎朝手洗口駄を

し、北に肉って濁策を吐き棄て、東方に向って口を聞き、息を内に引き、

生気を吸ふ事=一たび

宍に簡を叩く事三十六、下心を安静して之を修す。或は旗にて叉山中、際野、或は夜行、叉悶

室、孤居にも是を修すれば、自身忽ち成カを増し、諸々の怨敵、悪魔、狐狸の底迄.便を制ひ

障碍を銭す事能は守。一柳妙不測の大秘法と信じ、疑の心を生やる事たく至信以て之を行ふベし。

但しかく総き法たれば、共の人卒常仁慈忠孝の志無くして、非法滋行の族は吏に験たく、却て

冥罰を蒙る。心、)北直潔白に、天道を長れ、人道に背か歩、己が家業、を大切にし、正直に此法

を修すれば、必守利益等しく、銀賊水火難一切.盗事災厄を免れ、ん女穏身護の秘法にして衆人の

保同に廃く師俸の回目を体ふるもの怒り。

大摩利支傘天秘授兵法九字の大事は、身心を竪刷にし、蓬力を増し、怨敵を退け、慈胞を郷

ひ、惑袋、邪鬼、妖怪を滅ぼし、惣じて一切の厄難を除き、諸々の願ぜ一を成就回一糊たらしむる

の紳術なり。至心に停授して久しく修する人は霊験愛たり」

恋、

173

Page 190: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

'v1 IL:.‘

も??

と記されてある。紳併は導入義人を助け護るの

で、心の正しからデ私利私谷を専らとする者

には、此の功徳をも鼠ハ

ヘな・の

としてある庭は、我が武士道精…仰の精鐙である、

扱て此の印を結ぶに付い

て段、

九字に膝じて九怒の方式がある。

一猫鈷の印、二大金剛倫印、

=一外獅子印、四内獅子印、一江外縛印、六内線印、七知日参印、八日輪印、九隠形印、最後に此の

九字印を切る矯めの刀印である。之は、例の「臨兵闘者問陣列在前」

の九字に嘗てるもので、

之P一同凶併すると左の如くである。

臨印の鈷濁

丘ノ、

印輸問。金大

濁鈷印

左右の手をうちへくみて頭指をたてあはす

天照皇大紳

毘沙門天

大会側輪印

二手うちにくみ頭指を下へ付中指にてか

らむ

正八幡犬神

十一面観世音

J74

Page 191: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

関印字獅外

者皆脚

空9,c、

外獅子印

語惑

&:'7: a・省、

内獅子印

外緒的印

左右互に中指にて頭指をからみ大指先名指

小指を立

て合す

春日大明神

如意輪観世音

左京互に中指で先名指とからみ大指頭指小

指を立てムロす

加茂

明紳

不動明王

二千公の/¥外へくみ合す

稲荷大明紳

愛染明王

175

Page 192: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍陣印縛内

列印拳智

在問

内線印

智拳印

日輪印

十指互に内

へくみ入るtA

たり

住吉大明紳

正観世一音

左四指をにぎりて頭指をたて右にして闘の紙

く左の頭指をとる

丹生大明紳

阿漏陀如来

左右の大指頭指先きをつけ徐の四指は開き散

す写日天子

漏勃菩薩

~7~

Page 193: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

一主主ー

閑印形隠

隠形印

左の手をうつろにL

ぎり右の手の上に位く

摩利支天

文珠菩薩

次に刀印を結び九字を哨へながら闘の如く実くのである。

沼、

允寺

鯵哲?い 1

177

Page 194: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

語感

沼、

印明護身法其他

方九字の印以外にも、結印の方式はまだ/

¥l津山にある。その

一つに護身印明といふのがあ

る。

「得三業、三部被甲、日疋を護身法といふ、十八契印第

一にして、秘密の印言なり。此法を修せ,

んと欲せば、身器を清浮にし、壇上を装飾して供典を備へ、五慌を地に地ちて本働時を鰻奔し奉

り、誠心に修業すぺく。

如法に行やれば、身、

口、意につくる庭の罪障を消除し、コ一部諸鎗の加護を蒙り、身を竪問

ならしめ、諸々の魔性を降伏し、水、火、

盗、病一切の厄難の恐れたからしむ。異に之れ未曾

一何の符法なれば、謹んで行ひ奉るぺ

し。此法は償初出然に秘する廃たれども二三笠の信士の懇詩す

るに任せて梓に零するものなり」と。

以下右謎身法印明の闘併を示す。

178

Page 195: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

..-司、・・旬開園岨.

、--

三業

是は、

身、口、

意に作る蕗の諸々認識来を減して、清浄なる一品7

を何せ

しむる印明である。

---、一司-・~・、ーJ

悌部三味耶印

/ "園町、

一一・・・酬_.、hー"

蓮華部三昧耶印

除するのである。

忍、

重品

左右の手を打合せ

て業中を空虚にす、之をほ心λμ口A

めといふ。

呪文左の如し。

h

J

2

φ

hw

徐州

b

しρ

t

是は、十方三世諸仰の護念を得て、北ハ人即を増し、稲葱を長十。

前の印にて掌を開き、風指の端を二中指の上節につけ、二大

指を隠して頭指の下節に安んや。之にも呪文左の如し。

b

日疋は観世音菩薩紘一寸の諸々の菩薩の加持を得て一切の紫、随一乞消

179

Page 196: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

171 11:.¥

政:

(四)

金剛部三味耶印

聞となる。

mMJP

左右の五指左開き散らして大指小指を相つけて、八葉蓮華の

形の如くする。呪文左の如し。

陰ん

b

p

E

3

f

崎肢郷諜納婆線也。沙女蜘附一計

是は金剛部の諸傘の加被を得て、

一切の病維を除き、竪聞の

18~

左掌をかへしふせて外へ向け、右を仰ぎて手の背を

つけ、大指小指互ひに

はしを引きかけて、鈎の如くす。呪文左の如し。

g怖悼むわ

・崎隣日慮

u

納婆際也

υ

沙女脳附詞

Page 197: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

不動明王金縛法

此の法を行ふには、先づ九字護身法と不動経を讃請する。次に叉左の歌を唱へる。

(五)

護身三味耶印

たらしむ。

(六)

是は諸々の天・腿の障碍を除き一切の厄難を除け、身をして堅固

二手内に交えて、二中指の端を合せ、二頭指を少し曲げて、

二大指にて無名指のもとを沿す。呪文・左の如しO

Bむ

b

'

略際日羅銀慨。鉢羅捻政移也

か次臨腕骨

次に世間で能く一一一ロム不動の金縛りといふ

のを問解する。

「よるくともよもや許さ守縛り紹不動の心ある

に限らん」。

次t乙忍

181

Page 198: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

以上、紡印の大略である。

錦絵の忍術の闘は何れも幻怪を極めたもので、百日笈に金ピカ

鎖かたびら装束で、手は左右京ねて人差指を上に向けて居る所は、世界何れの魔法にも武術に

も凡られぬ形である。之は右の九字の印から耐神化したものである。要するに忍術の結印は前に

印輸涜轄忍

市街

lS~

東方

l降三世夜叉明王

南方i軍多利夜叉明王

西方l大威徳夜叉明王

北方l金剛夜叉明王

中央l大日大翠不動明王

O真一一一一口!をんびんびしからからしぼりそわか

も説いた通り、生死岸頭に立っ

て、

一身を紳仰の加護に任せて疑は守、我が心を安定して死中

の活を得るの心得である。紳に頼る事はやがて我が力に頼る事である。我は宇宙の一分子であ

る以上、亦榊の一分子である。我は一刷

l宇宙と合総して、モとに無限の大威力を得る工夫とも

見られやう。人聞は危念存亡の場合には、手足を張るとか手に汗握るとか、我れ知らや手を合

Page 199: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

せるとか、手の作刑は…脚愛不可思議である。

雨手を合せて印を結ぶといふのは、此の自然の衝動から考へ出された事であって、心と形と

相即した庭に玄妙の機がある。

「心だに絞の道に叶ひたば、

新らやとても紳や守らん」といふ

も道迎ながら、忍者叉正しき心を以て一脚明加護を新る心の表現が結印となったものである。と

一一言った虎で平生邪慈の心術では、

いざといふ時、一榊悌を祈るとも威力は生じないのである、況

んや敵を調伏する事をや。常に危地を踏む忍者は、常に正しき心を以て勇気を養ふのである。

以上越ぺ来った方法と、道具と、身穫と三ツ揃ふたら鬼に金棒で、天下無敵である。かくし

て忍者は、鬼一脚を役するが如き妙術を行ひ得ると稽して差支えたいのである。

共笈は理誇めに

考案した、人力の限りを悲した仕事でるって、何んの不思議とい

ふ姑もたいのであるが、之が

官際に行はれた結果から見ると、全く芝居がかりの不可思議極まったもので、

此の忍術に引掛

って、損害を受けた方の人々から告一同はせると、共場の突然た出来事と、

狼狽と、

総鰐と、恐怖

とからして、五寸の基が五尺にも見え、火薬の爆裂は、

雷震雲霧にも見え、仁木競正は、資際

ZワIL品、

や野

足掛

183

Page 200: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

m II!.、

Z必

錦t

鼠に乗って居たとも見え、才般は務に隠れたとも見える事であらう。

嘘と一式ヘば嘘、本営と一一一一口へば本山田問、忍術の妙は、

敵手を夢幻拐に陥れる底にある。而して之

が武術練習の極設でもあるので、今日の様に板張りの道場に、

間を着けて竹刀を鱗へ

て、

審判

官付きの遊瓶詰剣術とはそれとそ窓壌の差がある。不意を打たれたから負けたたどーへ涼しい顔

をし

て居られるも

のではたい。

184

Page 201: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

大死一

番の受悟

九字を切り印を結ぶ事に依って精一脚の統

一を間り、心を平静にして、,危念の場合に活路を見

出すとい

ふ事と同時に、人聞は叉大死

一番の発悟を姿するのである。我日本閑の武道精一仰とて

も、

共の線本は死を恐れぬ兜悟から愛する

のである。死を恐れて有くも生を得んと飲するに於

ては、

Eんたにしても最後の鐙悟が出でや、心の安定を得-たい。

「百戦の工夫一

杯に出づ」

といふ事があって、

入問、

分別に飴ったら理績にこだはらやに、

杯の渦を飲めと数

へであるが、之と同じ事に心の安定は、死を決する魔にのみ生やる

J

窮して

悲嘆に呉れ、めそ

/X泣いて居るだけだは、心が愈よ鋭れて名案も山川たいもの

である。

一日一死を宛惜して了ったら心朗らかになり、自分の身を第三者の地位から観察する事が出来

る。そとに始めて放済策も考へられるのであるd

之が死中に活を得る忍術の極意にも常ゐので、

185

Page 202: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

政、

英一例として示された

一つの饗

へ話とい

ふのが極めて興味あるものでるる。此話は盗賊の事に

しであるが、共の趣旨とする心地は箆み其物でたく・

人心の機微を示した貼にある。人間死を決

して始めて生を得るの妙試仰を示したもの

として、持続翫味する侭値があると忠ふのである。是

は忍術悼ん民一向中に載せられた秘録である。

昔、

一人の盗人が有っ

一子を儲けた、此の子成長して思ふゃう。

「己れはまだ税父から議人の術を匂って居ない。此の僚、貌父に死怒れたら何んで生精し得や

ぅ。経人の子は能人の外に生活の方がたい。とんた山中に人泉般れて住み、

村人とも交際して

たいから、疋業に就くたよりもたい。」

と、そとで

一日父親に向って盗人の法を数

へて呉れといふ。父の盗人、

「宜しい、之も我等初予の病命たらん。貴厳に能人の術を今夜教

へ遣はすから、設が跡につい

て来い」

それから日が謀れると、

親子二人、村里

へ下り、或物持の家

へ忍び入り、

長持を開いて、中

に夜った財貨を取出し、

親盗人のいふ事に、

186

Page 203: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

「沿前此長持の中へ入れ」

子は、町四一説紅色でるったが、親の命に任せて中へ入ると、親は長持の援を元の如くにし、外

から錠を卸るし、盗み出した物を駒田ゑ取持ち、扱て高撃に、

「盗人よ/¥!」

と呼ばはって逃げ去った。家人大いに縫き皆起きて見たが、盗賊の婆は己に去って見え歩、

屋内に異欣もたいから、長持の事も気が付かや、やがて騒ぎも静り叉寝℃了った。長持の中に

封ぜられた子絞人は扱て困った。

「親父は何故乙んた事をしたのだらう。兎に角自分も今夜中に逃げたければ、夜明けては迎も

逃げる方もたい。何とか工夫しゑくては」

と、いろ/、考へた末、絡釣絶命、勇気を奮ひ起して

一計を笑じ、指の爪で長持をがり/¥蟹

いたο

それは鼠が物をかじる一沼田に擬したのである。家人叉目を受まし、

「今夜は州知て/¥l物騒であるわい。何かごそ/¥tがり

/-X愛た事ぢや、も一度起きて調べて見

ゃう」

~

語感

187

Page 204: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

と起き出て.

188

7T1 ,ピ4・

手討

「此の長持の中に鼠が入って居るそう怒、大事なumも有る事故、開けて見なくてはたらぬ」

とやがて益を開けると、子盗人は中からさっと身を降らして飛び出で、家主を突き倒して掌

駄犬走りに逃げた。

「ゃれ盗人よ!」

と.山間き狼狽して之を迫っかけた。子盗人は逃げて屋外に出て、井戸の端迄来た時、しばし

息を縦ぎ、何成迄も退びかけられては堪らたいと考へ叉一

計を案じ、

傍の大きた石を見附けて

之を井戸の中へ落し

て逃げた。

主ハの水晶円が深夜の祭にとだまして物凄かったので、

「銀ては盗人は井戸へ潟ちた!」

とばかり、そとへ行ってあれとれと罵る際に、子盗人は難たく我家へ殴ったじすると貌箆人

.

は一,手前どうして飾って来た!」

走れ/¥tと子盗人は諮る、親盗人は満足げに子盗人を見て、

Page 205: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

「手前は洛人になれるぞ!」

とす口った。つまり殺は子を捨てたので、子は必死の発信を定めて途に謀略を悟ったのである@

彼は身を捻て切って捕へらるLか、モれとも逃げ終せゃうか二つ一つの度胸を定めだから、途

に一命を菟れたの

である。兎つ逗ひっ心惑ふて居る聞は、

智略も出ないが、

命を飢…きものと先

悟したから、此の場合の事怖が明かに憎られて、相膝の智略が尚て身を免れたのである。

父、昔、唐の玉銀悪といふ者が、

茶の間を征伐のため数千人を引卒し、兵般に取乗り、

透か

に海上を経て泰に赴き、共の清橋といふ践に着いて・舟より上り、丘ハ線衣類をば共催舟に入れ世

き、

甲骨、

器械ばかりを舟から取出し山に登り、共夜の風に任せ

て舟を海上透かに流して了つ

た。それから玉鋲は軍勢に向って告ぐる様、

一,見る通り舟揖、衣類、兵線、悉く流して了った。我が故郷の長安城へは高里一の路がある。

上は進んで戟ひ勝たざるに於ては、再び本閥

へ跨る事が出来たいのである」

闘疋を聞い

て兵士北ハ一時は怨み顔であったが、能く考へると、必死を極めて駿ふ

一途あるのみ

3

といふ鮪に白熱が付き、臆病対も勇敢に怒り、死物狂ひで践ひ、身を捨て切り、先きへ

/Xと戦

も腎

量惑

139

Page 206: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

沼、

f荷

ひ進んだ潟めに

190

品訟に擦の大闘を屈服せしめたといふ事がbる@

Page 207: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

.

以下の諸編は、余が多年忍術研究線M自の問に得たる副産物であ

る。是又興味ある事に属し、徐服あらば之を忍術秘録の中

へ遁

主総ち込む筈であったが、本試問褒行が念たりし矯め北ハ都合も付

か歩、そのまふ以せたる次第でるる。

191

窓、

Page 208: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

m A山、

宅cj

小武器

の研究

カに絵らぬ限り、大きい武器、

長い武器の有利である事は勿論でbる。品目は槍は戦場の長器

と奮った位でるるつ封建時代に侍の表道具として、大小笠公然手挟む事の許された時代には、

各自、自分の乎に合ふ日本刀を殺したのであるから、小さい武器、隠し物たどの必要も余りた

かった。それでも、高一の場ムnを後恕して、用心の鴛め護身の鴛め、創ち防禦則としていろい

るの小武務が考案された。武術に精妙で、用意附到た人程小武器の必要を感じた。それが矯め

にいる/

¥l

の小武拠仰が考案されたのである。

今回、帯刀が禁じられ、而かも人間が幾多の危険に暴露される時代に在つては、小武器に類

する物の必要を切に感守るといふ、則心竪問・恋人も相蛍多かるべき筈である。関自然に軍隊bり、

市町村に器祭あるといふ文明開化の今日にあっては、各自の護身術たど絵計ものだと考へる人

19~

Page 209: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

が多い。併し毎日、

新聞紙上に現はれる刃物沙汰、暴行沙汰には、後の祭りとなる事が多いの

である。所詮、人間は我が乎我が足を以て我身を誤る外たいのである。「まさか」「滅多に」な

どいふ祭休めたぞ考へる人が、得てしてやられるのである。尚武閣の日本人が、古来とんな小

武器を祭出したかを今日再検討して見る事は、

趣味変袋北ハに待らる也事と忠ふ。

不窓の敵を防ぐにしても、

或る距縫を附てL仕事をするのは最も安全であるο

そとで飛道具

といふ小沢器が考策され、北ハの顕著なものは手裏剣である。

一鰭武士に飛ぴ道品、は卑法たどL

言ばれたから、他の投げものに比して、最も州制裁のよい、人自に付かぬ飛道具、たる手姿剣が珍

重されたも賞然であらう。刀の翰へ仕込んで置かれるので最も便利であり、小柄、英伎で乎茶

剣にもたるのである。

手裏創にはいろ/¥ーの仕方があった乙十字形や、矢車形たどは、英の一端をこ木の指でつま

んで泌に投げるので命中絡が多い。之は、特殊たもので、刀の翰へ仕込む絡には行かたい。何

忽、

t信

話藍

193

Page 210: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

主1寺の時つむ偲;袋手

ミネ(

手泉鉱打ち方

弘、、4,aa,、

れかと言へば携帯不便た方の道具であるが、府

194

妙忽業を姿せやJ

、練習も少くとも宜しい。つま

り後代にたって手よりは頭を働かした道具であ

る。敵と近づいた場合には、常節の接生が竹刀

の鍔で敵手を打つ様に、此の十字や矢車の尖端

で敵を打つ事も出事るので、そとが

一つの新築

でもある。小刀形の手裏剣の伎刑法は、尖先き

を手前にし‘柄の方を向ふにして逆に半周して

敵の顔へ刺すと

いふ建て前であり、之が撲の締

妙を裂する滋であり、エ夫の使れた廃でもある。

上迷したら三川問の川町雛から命中する。素人が

投けた此で、芭ぐ命中するといふ識にも行かた

いが、練包といふのは恐ろしい。或人が一文銭

Page 211: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を投げたのが柱の釘へはまった。之は偶然たので共後繰返しても嘗らたい。それを根気能く数

ヶ月練習したら、思ム桜に出来たといふ。

武術生業であった時代には、手裏剣の練習位は心がけのよい人には蛍然の事であった。但し

飛ぴ道具であるから、表看板を出して教授するといふ事はない。各自密かに練習したものらし

ぃ。剣道の一部として修業されたものであらう。それで手裏剣には、根岸流、新月流、荒木流、

毛利流、義尾流たどいふのが古警に散見する。蛍節の曲惑として板へ突入を縛し、或る距離か

ら小刀を投げて、

一寸と離れたい身遜に刺して見せるといふのもある。手裏剣術を見世物にし

た形である。梁として巧妙なものである。

手議剣代用物には、婦人の弊‘かが

Pいがある。

努には剣形に作ったものさ《あり、加がわ

しも乎裏剣用に作ったものがある。叉男の使用する針があった。之は、援援の問へ隠して置い

て、いざといふ時、敵面へ投げ付ける工夫である。双援へ二本づっ忍ばせて居たといふ。是等

手裏剣代用物は、何れも相嘗霊味を持たせて、

且つ重心の位置を考慮に入れて作ったものであ

る。

19o

Page 212: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

角手、隠し物

]f)s

,次に怒く小さい武穏では、

「角4T」や「隠し」といふのがある。

角手は、闘の如く指訓械に角

を付けたもので、之を中指にはめ、敵の乎を捉へて強く振り、角の伐材めに敵は摘さに地へ

宇参

って了ふ。之は制剛一流、

一傍流では角手と吾一同ひ、

叉荒木一郎、清心山況では「隠し」と一寄った。本

物の隠し広は、閣の如き

一種のメリケンサック式の物がある。之は鎖かたびら式の作法で、

総d

M喝魚

手創丸活支-d

hv晶子とωふぶ-F木・ザ

a咽d否・

3-流

42?

‘asa司は眠時といふ

zt'ザンゾ

闘の手套のやうにたり、敵の而を打つ

のである。

叉同じ様た材料で、手や立を似附設するものを作り、

敵の打って来る白刃を手づかみにして悲ふといふ

のもある。メリケ

ンサックの起因も、

東洋停統か

も知れぬ

J

同じ隠しの部に入るべき武器に、手の中へ鋭利

な刃物を忍ばせて、

小指へ

角乎式のもっと巾の庚

Page 213: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

いものを指一杯にはめて、之を手刀にするなどいふ工夫、あったν

子市や手套をかけて此の匁

物を隠し、平手で敵を斬るといふ物凄いととである。或一心仰が間合宥の削前で、此の手刀で猫

を祈って見せた。モれと知らぬ間合者が手の肉でも修業すれば、新れると間かされて驚嘆し、

共の練習法を問ふた

Q

侍は、

真面目に説法して、

「裏の小川へ

行って、早い流れを、毎日、平手で逆に水を切り、モれが水流を飢さたlv付…に冴

えて来ると、

犬でも人間でも首が斬れる」と教へた。国会岩が程経て此侍を叉訪問し、

「沿陰で、私の手刀も紋に立つ迄にたりました」

といふ。待は怪しんで、共庭に居る犬をやって見よといふ。さっと

Rにも切らぬ早業で、回

でか手を臓のげたと見るとギヤ

ンと一盤、犬の首は落ちて鮮血縫った。待は桜山崎て、後栓長る

べしとばかり、

共路此同・合者を閤打ちに斬って奨てたといふ話もある。講談本たどに、偽撲が、

此の小指の隠忍を佼則した事が見えたやうに思ふ。之たどは物凄い小武器だ。

g貸

湿

tH

Page 214: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

鎖といふと、直ぐ鎌を聯想するのであるが、鎌は小道具の様でるるが、賃地には鎖鎌といふ

のは随分と大がLりた、道場一杯雨手を鋳げる大武器である。連も懐中したり寓一の護身用な

Eいふ建前のものでゑい。農が鎖と分銅丈けの小道具は、数種工夫された。鏡子、

銀飛、微慶

危どいふのがある。微塵といふのは闘の如きもので、之はむき敵をば、共一端か又は中央の環

へ指を通して丸分銅で打つ。離れた敵へは投げ附ける。敵が刀で斬つ℃来たら、鎮で捲くとい

ふ仲々考へた道具で、全館の長さ一尺であるから、懐中へ忍ばせるに好都合でもある。

銀飛は、岡の如く、分銅へ

鎖を附け、

直端

へ紐が着いて居る、之は片手で振って投げ付ける

か、又は敵の面を狙って打ちからむのである。或る馬方の喧嘩上手が、堅い手綱宇一作り、いざ

とたると其の端を結び玉にして、それで敵を打ったといふ。し訟やか怒鞭位に弾力がある手綱

へ、大きく結び玉が付くと相賞た武器にたったらしいが、滅多に肉を破って血を出す事がたい

ので、後が商倒がゑくてよかったといふ。同疋ゑどは新時代の護身具にヒントを奥へる代物であ

らう。共に似た小武器には、銭を縮緬の細い長い袋に入れて懐中し、敵をひっばたく、叉切合

ひの時は、共俊鉢巻にしたといふ。中々気の利いたやり方である。捕方たどにはな銚へなので

198

Page 215: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

.-.健三'

Z卒

健聴胤(屯最}

『・晶司

φ持也

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領=一え

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品ハ十自の鉄製E-い党を聞はニ吾八の領支付ける

U花健三'eーを位mt飼旬

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投rZ叫

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P回流鎖介銅

一母恒三尺

4

な曲何?Am-Hウ〈

S

a.‘が忍

ある。十手が邪魔にたる場合にはとんなものが

質変であったらう。

銀平といふのは、園の如く、角手と、銭と、

勺岱

分銅と、手甲を防ぐ鍔を備へた武訴で、鎖物で

は一番工夫を積んだものであらう。下方の角乎

を左手の指にかけて、三尺の鎖を振る。銭に渇

してある鍔は、自由に上下する仕かけである。

右手の甲が始終此の鍔で保謎されるから、敵mA

-e

も恐る与に足ちゃ、隙あれば、分銅で打つ、又

は鎖を左右の手であしらって、敵刃に捲き付け

る。叉左手で、敵の手を振ると、角手が利く、

敵に取っては容易たらぬ難物である。モれで懐

中へ忍ばせる事が出来る。忍術者の場合には、

199

Page 216: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

絵えんもん

此の鍔を塀や後門たどに引っかけ℃磐ぢ受る助けにも怒らう。

次に戸間流の鎖八刀銅といふのがある。撫で角二尺の環にして、雨端に角分銅を付ける、雨手

に持って、左・石渡化自在に敵を打つ。叉敵の刀をからみ取る。之は、

「細い鎖丈けの袋に入れ、家に沿りては、座右に泣き常に翫とたし、戸外に出づる時は、袋の

依艇に挟み、須央も身を離さw為れば、

絡にに臨みて袋あるべし」

と戸田流の記録がある。

濁鈷、(印度の武器)

調鈷は、本来天笠の兵器としてある。昔は天笠邸ち印度では、庶民階綾は武絡を貯ふるw引を

件付されなかった。彼等は甚だしく無力無防御況の地に置かれた。そとで祭出したのは此の濁鈷で

るる。今日見る様ゑ相嘗精巧たものではたかったらう。小形で一極りのものであるから、懐中

して隠し道具としたものであらう。後代には専ら仰具とし、府県一一言問宗たどで用ゐる。本名は杵で

ある。推破知の杵といふ事で、法を設き疑を断つとしたものである。又

一切の俗慾を切断する

~OO

Page 217: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

の設としてあるo

銅を以て作り、共の雨端、各々一尖なるは濁鈷、

三叉あるは三鈷、五叉なる

具体だね議を器宣之

燭台6

ェ錨

銘渇摩

!&武だね 員長を併髪

&毛;:::=.~ささ玄〉Q:

は五鈷といふ。帯地に濁鈷といふ名稽は狗鈷

形の織模様をしたものをいふのである

-借家

では、例の沼を般晶表湯といふ絡で、抑制鈷とは

係筋の隠詩である。叉溺鈷を十字に組合せた

のは掲患と骨一口ふ。

一見悌具と目されはしたものふ、信唆に取

つては、帯刀を許されたい身に、主要な武絡

しゃ〈

e・軌

である。錫杖や金剛杖といふ武器は伶次にる

り、彼等は錫杖一本あったら、山に入っ

て猛

隊毒蛇を滋治し、堀立ての堂字を建て一山の

関胞とも怒る様に、勇猛不選結仰の気践と共に

武樹齢をも練習したものである。殊にも由民雷同宗

201

Page 218: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

の俄は、手足の利く者と目せられた。そとで彼等は隠し武器として、慈悲忍辱の身に短刀も簡

はゆし、此の濁鈷を振って護身の用に供した。

濁鈷の使用法は、之を振って、敵を・突き打つ。柔術者に取っても「蛍てる」鴛めに絶好の道

口央である。叉相常丈夫に出来て、重さもあるから、投げ付けるに手頃である。平たい溺鈷は命

中稼も多く、叉中納りの振り具合も三鈷冗鈷の州場合にも狙ひが付きよいのであるリ

一つ突かれ

又は投げ付けられたら、致命傷を興へる事も出来ゃう。務鈷の紋様は、相務的で、複雑で雅趣

ふ包

があり、例家の所持口問としても、愛慾切断の詮として振るといふも、態はしいのである。身に

寸釣を帯び・?といふ難場も、四殉摩形の十字の濁鈷一つ振って居たら、答務には百倍も増した武

絡である。

北ハ他仰像には、毘沙門天、摩利支天訟ど、何かしら武器を振り、右手を高く駁して居るのが

能く見らるLo

殺人剣活人剣の誌もあり、仰と苧一一回へば、掻も殺さぬ柔弱一方と考へるは大間遠

ひである。それで老伶ゑども銭如意を携へて腐る。之も立派た武器で、わらび手に一紛が捻い

て作られた如意の一撃は、人の頭脳を破裂せしむるに足る。彼等が肢臥之を・身設から放さなか

。O~

Page 219: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

ったといふも、護身の意味があり、武士が雨刀を離さなかった秘なものであらうο衆生を済度

ぬごみ

する筋には、剛勇知…双合間力を必要としたのである。叡山の山俗、根来や奈良の法所など、点u

日の武力は恐るべきものであった。

十手、資手、

鈴割り

目だは嘗節のチャンバラ欧設で、皆様hoなじみの朱房の十手と来る

U

小武穏として

一般に能く

知られたものは、短刀と十手であらう。

十手の密類は無数に多い、縫っ

たbのでは荒木流の十

乎といふのがある。之は中途迄空洞にして、蛇顕に仕込み、

打ち込む時、此蛇興が背を出レて

敵bL強打するのである。上方と下方に太刀モギが附いて居るなど.用意同到である

J

受ける、

打つ、共に完備した道具である。

本来、卜乎は、十指を合さた程、捕hy方に取って威カがあるといふ意で之を名格としたと品一一円

はれる。普通知物川の十手は一口八ご寸とし

てある。

之は逆手に握っ

て、自分の腕に、

チ首から

肘迄添へ、

敵の白現を受け切めて、主ハのかぎの手で白刃を引き落すとしたものである

Q

普通ノ

忍、

-磁

203

Page 220: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

恋、

3野

遣を

の手首から肘巡の寸法を一尺二寸としたものでるる。

J

刻イ

費支

i廿!モT

i'" 手の種議委

204

別名、質手、叉鉢割、釆などいふのもある。片かぎ

のものも、

同かぎの鍔止なっ

℃居るのも

尺ーは法寸、でのもつ持く 如の図は方ち持の手十

、でのも 1:'t! はあlこさ長の肘(:tれそ。寸定がす三こ

れくに元手、し外てげ受で身鍛Itれくてつ車rrで刀

の敵 、りじねを先~でんさ(えを身刀でギモ刀太 11."

L、おてげらかi二手i:t紐。るへ捕てり入げつlこ塗身

、しにう予ぬれ隊ちか鍾身もで合場のどな打組、て

敵、しわまり振ら手十てつ持iこ手を紐(:t際の合立

。るすも lこ用つ打を等腕部面部頚の

Page 221: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

ある。本来は、逆手に握って敵の忍をもぎ取るといふ建て前たがら、

時には、際を見て烈しく

打ち込んで、敵の手を萎えしめる場合もある。捕方用として最も多く使用された武器で、敵bL

生捕る矯め泣のである。

西洋体策のものが先祖であるとも言はれる、

南轡舶来の十手といふのは、十字架形で、損り

は鞘の様に凶い柄を手の内に付けてある。

それ丈け掻りが太く、

具合ずよい。町奉行など、上

役の持った十手は、又一工夫を加へた納身の長いもので、逆手用よりは打込みを主とした務へ

である。鍔かぎを付けた上に、西洋式の節手鍔怒りに手の甲を防ぐ作りにたったものさへある。

上闘の形である。

朱房の威力といふのは、

徳川時代には大したもので、鼠小備の自には猫の尾

に見えた事であらう。長い紐の一端を我手に還って、

捕物の場合、十手を賊の足へ打付けたり、

拷問の場合に使用したり、十手捕織を預る身分といふ事は、町内の覇権を援る事であったらし

ぃ。帯刀を許されたい町人枇舎に在つては、十手は最上の武器であった。

鉢割といふのは、精鋭で作り、刀形に扇平にしたもので、反りがあるし、その一撃で以て鉢

金を割ると

いふ建て前である。小道具としては、カの箔り、打込みに遺した作り作である。そ

沼、

20~

Page 222: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

~ 11:.、

れに鍔迄附いたのがある。腰に叫品川せる。

十手の形が卑俗に見えるが、鉢劉は武士の披都品とし

てあ、見劣りがしない。

次に獲しといふのは、鍛の短い棒で、手一冗に紐を附けてある。之は、無手よりはよからうと

いふほで、んゅの矯に持っ

て行かうといふ位の慮、

一春な手軽た十手である。

近年後明された十手には面白いものがあるo

主として紘一山祭川としてゐる、昼めば五寸、繰肘

せば北ハの三併の一日八五寸にたるo

長さ五寸に直径七八刀牧の銭力の凶筒の中に五寸の螺旋僚を仕

込み、北ハ中に更らに丘寸の

一段絢い螺旋僚を仕込み、之を懐中から出すと同時にばつと打つ

行くと、繰出しのばねが二重に出て、敵を打つ1

ばねであるから航仰を付けたい。滅多に脳山政務

も起さたい。主として敵の手を打って萎えさせるのである。遠慮合総なしに、全力で打込んで

立しいといふのであるο直ぐ墨むと五寸の丸旅とた

って、邪魔にもならたい。仕込もの闘中の

絞初のものがそれである。

~06

Page 223: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

仕込みものは婦人ものが多い、斧が仕込みになって応たり、ー!とんな小さい仕込みでは、

4土ヱ"}λv もの

6mチ形の短刀

争野

色長

何んの役にも立つまいと忠Aは勘遼ひで、人間

の身憾は弱いもの、顔

へ裁縫針が一本・刺さった

ら倒れるだらう。況んや三寸位の小刀で、必死

の場合ぐさりとやられたら、たとへ

婦人の力で

も、不意を討たれた大のMU

が致命傷にならない

迄も、兎に角念所の痛手に一度は倒れる一帯であ

らう。戦場の甲山同試合たら、

幅腐の肉の厚い鐙

通しなどいふ短刀でたくては役に立

つまいが、

一千阪の敵へたら、努の仕込でも十分だらうJ

それから、婦人持の扇子の仕込みがあるμ

ほんも@

って繊細な、由民物の扇子と見た虎は遼はない様

に作って、殺の問

へ差して熔て阪はしいものが

n円円il'i. I

Page 224: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

171 ,仏、

、、、た主伊

ある。長さ五寸の細い引かでも、ぐっと突いて一挟りしたら、六尺男も、

あっ

と魂

Wる一獲で此

世の別れと怒る。何れは身分ある人の委女の差料として、相嘗小細工を利かしたものを見かけ

る。芝居で附扇子一本で、

暴漢を抑へる手も能くあるので、況んやそれの仕込みが有効であり、

懐剣と縫って、何時はに差して居ても、他からそれと気付かれぬ蕗が妙である。

-

d

d

F

・るA7

男物には、畑鈎円筒の仕込みがある。腰に差して柄を抜くと、仕込みにたって居るのだから、

平沼間に合ふ。

徐り便利過ぎ℃抜く然もたく、手が先きに行って、却って忠はぬ巡持殺しを二

人迄して、十年間の鹿刑を食った大阪の土佐奴、

1

1土井久吉などいふのがある。之は前科三

十六犯、人殺し十徐人といふ近来の大賊で、今も八十一設で頑強に生きて居り、刑期を卒へて

川紙し、今では大阪で免囚保総事業をやってゐる。

約慨が胴管筒の仕込みを抜いた訴は斯うだ。今から二十年も前の事、終身刑が大赦や減刑で満

期山獄となり、改心して王業に就いて居先が、或る晩の事、微酔機嫌で心部川橋にか‘ふると、橋

の上ははハならぬ光景。殺気立って、疋版の巡査が右往左往、群衆の問を掻き魁はして、何か探

ねて照る様子。士井久吉、

一人の若遁が今網にかLらうとして、絶鐙約命の

ふと気が付くと、

~08

Page 225: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

場リモれが日頃見知りの小併で、掬挨を働らく相賞名を知られた腕利きu

そとへ来掛った久士同

を見詰めて、憐みを乞ひ救ひを求むる目附きに鏡えて居る。久士口も可愛惣にたって見殺しも出

来、チ、健よと小刻みの速歩に橋の上へ

よる/¥hと進むや、今、共の若迭を姉へゃうとする疋搬

巡査の腕へ、危たかしく「御免よ!」ともたれ掛った。

「とらつ、何を:::貴様!」と、部~有が、問山はぬ邪魔をされて大喝する般に、若迭は飛鳥の如

avpa

く人混みの中へ

逃げ入った。「之はとんだ粗相で消みません!」と久吉は目をとろんとして謝非

ったのであるが、捕へかけた烏を逃がした巡査は怒集滅菌、久士口を鍛山部で撲ぐらうとする。久

-P

吉、多年活功の早業で、燕の如く換はす。橋の上で、巡夜と組打ちにたった。それと見るや他

の巡版や和服越が、久中山内を呉犯人と見て一一冊に走り寄る。久士ロは事大袈裟になって些か問った。

どうにか此場を逃げやうと一歩返ると、巡査は一斉に追っとり込めて司

気の速いのが、

「捕つ

た!」と叫んで突っかL

って来る。久士口は、

「遠ふ/¥!」と絶叫Lて共手を逃れたが.「逃が

す怒!」と前後左右

一時に製ふて来る。

捉まっては面倒と、久吉は焦せる。巡査は凶方から泊る、共制利那「何をする!」と大喝した久

:忍

2Q9

Page 226: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

!T1 ,也、

合余

士口の乎が‘我知らやJ

、左の腰に差した煩管筒の柄へかL

って、抜くともたし白匁

一閃、滑って

「モ

7

筏ざまに刺したが、一

人の巡査の隣腹を貫き、返す双に後から来、た巡奈の脈問の畿を深く保った。

よろノklと嫌倒しにたる。鮮血が走って問溢が市川紅。

あっとばかり

M巡査は蹴昼をつかんで、

出合頭の一

瞬の向来事で、久士ロは夢中であったといふ。

一時間経って耐巡奈は死亡した。それ

で折角一止換に就いて居だのが、叉十年喰

ったとい

ふ。ピストルを有って居る者が自殺したくな

ったり、仕込みを有って居る者は、抜くともたく抜いて了ふ。但し畑管筒の仕込みは、山側めて

便利な武器である事は確かだ。

投げ物と銭一筋

「戸田流述内品ての法」といふのがあるc

「遠営ては、

所謂限潰しなり、水捕りの具ともいふ」

とほがらLのζ

と必明してある。之は仰附加しを投げつけるのである。北ハ製法は、石次のあく水の中に饗辛制、

T円守山、の二

松防綱、山川猟注入れ、

瓶など

に貯へ

泣き、河肢の皮に

て浩れる水胞

(夏季小児の弄ぶ河豚袋、

イ思

忽ち快

同市丸没)

捕抑への時、相手の商部に投げ注げば、

しに入れ、之を扶に入れ置き、

!HO

Page 227: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を閉ぢて閃く能は‘?としてあるυ

常節夜応でゴム水胞を紙で釣る、あの点おもちゃと見れば刷建

ひたい。但し之は水を用ゐるの亡、毒瓦斯とか粉未の方が一

府便利であらう。例の催涙ピス

ルたども、水液を射注するものである。紙包みの次を投げるなど、或る距離を隔てL限つぶし

を央れる法は、

脅からいろ/¥と考案された。卵の殻に次を詰めて限渋しにした話もある。

もっと工夫を擬した方法には、国周の中に限潰しゃ毒物を包んで.之を政

ω顔へ投げ付けると

いふのがある。叉は絢末にした毒物を、・擦れ遥ひざま、風上から紋に向っ

てぱっと投げ、それ

を慣例で煽いでやるといふ方法もあった。之を霞扇と一一一一同った。AV

田節憲一九斯を使ふと同じ工夫であ

る。一立僚の橋で、大の到の緋監が、被衣を引っかけた米衆姿の牛米を認めて、

「着けいの、待ちねい」

と来る。

「何か用か」

と、人を喰った大風な物一一百ひ‘

宏、

や陪

2会

211

Page 228: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

認、

2歪

「小件、生意気山一円ふた」

~12

「一言ったがどうした」

いて白い粉が霞と散って緋慶の顔に中ると、

ハクシヨン

、限がピリ/¥して向ふが見えたい。

「何にV-1-

小倫、共刀を置い

て行け」

「ホウ欲しくば取つで見ょ。」

「手前の共の背負って居るのは何んだ、大きた大工道具のやうだが、夜業に橋の修繕でもする

つもりか」

「ほざいたりな小伴奴、貴様の首を修繕して遣はず」

bし

大難刃を滞の様に拷〈し立てhA

来るのを、牛若は手にした扇を。ノツと投げ付ける、

それが関

薙刀を無茶脊茶に振り廻はしたが、芳治の姿は見えや、様の欄粁の上から朗かな撃がして、

ご皮・2

「木偶の坊、顔を洗って出産すがよからう、午努の終の様に手前の首危どは、麿が黄金の太刀

で給総するは比一一と勿鱒たいぞ、去れ!」

「何を此の俺れに毒つぶてを央れたた、:;:ぁ、限が開かれぬ、

息が詰まる。」

Page 229: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

方「だ不、 4事

そたつ奴ちぢだや

鞍馬

そ天れ 狗、の

手つのぷI潟てるを方食へ つ、て

危く、ぷし、なや、いみ、。 を

欄2す粁之るへや切うりで付はけアζ まら アご大 若事いのぞ長物オカ~ 1 折tし 止と

ゃうぞc」

「何を小癒た、己れやれ、人を盲目にして息を塞げるとは、:::」

「はah

犬、たわけ。七つ道具を背負って載が出来るか、

我を諮れと凶ωム。隠る千家を西海の藻屑

とたさんため、近頃、鞍馬山を降った源氏の御曹子、

牛来たるぞ。下郎、疾く鉱atを解いて降

参せ!」

「ハ

¥

ては寧公には源氏の沿曹子よな、:;:」

と.紳箆七つ道具をかなぐり楽℃大薙万を後へ投げて平伏するといふ。牛若の、逮常てに緋

慶戦闘力を失って、あやまるとい

ふ寸法。

同腕といふのは、さまん¥に利則されたもので、那須興市の扇の的、熊谷直貨は国慨を穆げて、

透かに海中の敦伎を呼び戻す。大将は戦陣に、床んに腰かけて銭扇を振る。謙信の泌下の謀将、

直江山城守が、語大名列座の・席で珍しい銭を廻して見せたのを扇子で受けた。

~Iff

213

Page 230: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

", , λ五、

官会

翠を

「貴公之は御丁寧た事で」

と、隣席の挨拶におし℃、

「いや、銭といふ物は、

乞食の手にも波る、きたな

いもので御ざる。拙者手を鯛るaA

事は妓び

で仰ぎる」

とやった見識に、

一座をあっとι一一ロはせたとやらゆ普から、武嬰者、武者修業者に銭扇は附き

物であった。銭扇で白匁を叩き務す位の業がなくては、

一人前でないとしたもので

bる。明治

三十年頃迄は、浅草溢で頑問扇と名けた木扇を交って居たο

之は上野彰義除で名を取った柳原

他吉の作ったものと言はれた。議穫の方では、榊原健士口、か・彰義段の戦争で、勤王方を八十何人

斬ったと読んで居ゐが、共賢一人も斬って居ないといふのが本堂らしい。但し創意の頑間扇が

一木あったら、榊原は、二十人や三十人は叩き伏せる腕を有って居たらう。貌骨丈けを精織に

して上品作りの鍛局私仏どには、普通の扇としか見えないのがある。

一寸肢に差して、相蛍に役

立ったものであらう。倫低投げ物には石投務がある。かの、ダピデが、ゴリアテを石投げ器で

ふ'つんばい

討取ったとあるが、我闘にも瓢石といふものを使用した例がある。賃金問たどに闘が見えるが、

!U4

Page 231: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

使用された質例の記録は徐り見営らない。

短棒、(鼻捻り、

ひしぎ、穴寸、手の内)

的作は菅沼、大道具と見られ、直ぐ六尺棒といふのが持ち出される。併し、

「鼻捻り」

「六寸」

「手の内」たどい

ふ一短いものもbって、

有合せ物を利用する貼からいふと、手取早く使利で

b

り、

敵を傷け守して喉を絞めたり安めたりするに好遡である。今日の様に血が一滴出たら大騒

ぎに怒る時勢には、

短棒を心得てゐて霊祭であらうc

一鴨棒は長いのが普泡で、山本勘助の兵法的穴義母右たどには、長さ八パとしてあるが.普通は

六尺を用ゐたものである。身長叉は目より下の寸法を各自の健格に合せた俸が宜しいとした流

義もある。紳道無念沈たどでは、杖と一一言って、間尺二寸が定用としてある。雨乎を鎖げて手の

内に納むるを定寸としたのもある。

モとで長俸は六尺、牟棒は三尺といふ定寸もある。

ステツ

キは、杖と・年様の中間物といふ践であらう。

近頃は老人法の間に、

ステッキ術といふのが練習されて居る。此日の都万は今のステッキであ

m 3且A

自余

3霊

215

Page 232: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

認、

e象

るから、天下太平の時代、紳士に諮物は無用と吾一回っても‘どうせステッキを持つ位なら、ステ

いもがら

ツキ術も考築されて然るべく、何よりも、苧殻の様な飾物では議身の用にはたらない。用心深

い人のステッキは、

犬殺し式の太物も殺風景たがら、要件は鰻裁のよい事、折れぬ一事、狂犬ゃ、

鋭心者や人建ひの不意討を防げる事忽どに属する。細くて軽くて折れたい物が宣しい。である。

都合地では成る丈け短い方が宜しい。小武器と

~

u'" しぜ」

恩義

R、

してのステッキは、有功訟ものである。

嘗って

ステッキ一本で、土地の憎まれ者,の暴行者を

-尺-7-一す

大守

四十回も撲って殺した例がある。普通常用の

_¥... r、

一アツキであったといふのが有利保件で、=一年間

£'mw附け

の執行猶繋になったといふ。止日‘ならば、悪漢を

斬ったので、斬り得といふ庭だ。ステッキも武術家の白から見ると大したものだ。

手頃の小武具、としては、「捻品り」、

「ひしぎ」、「六寸」、「手の内」と段々短かいものにたる。

内持捻りは、大抵木製で、長さ一尺四五寸、径一寸位の大さである。製園用の丸守木といふ庭で

%16

Page 233: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

あらう。之は坐布に資き、叉窓の下、

襖の麗たど、目立たぬ鼠に備

へると、

何か火念の場合、

主入丈けに在雌が解って居るから、

直ぐ役に立

つのである。

人に見付けられでも木の丸棒で短

いから、別段悩りが惑いやうな事もたい。謎身の意味で結構である。鼠が山川た仰が入ったと言

つては、能く物尺で叩いて、それを割るのであるが、そんた場合にも此の必捻りは能く間に合

ム。中には‘

青貝散しの漆塗りにした上等たものもあって、大鎚沿となしい泡具に見える。叉、

興物の方では、鈴製で長さ二尺佼のものもあった校だ。

「ひしぎ」は、

一尺二三寸の丸棒で、

之は、鈴扇と十手の合の子の様た使ひ方をしたυ六寸は、

長さ六寸が定法、手の内は乎凶暴中に入る位の銭製の棒で、国又は角の作りがある。何れも握タ

持って、

念所を打つ突く。六寸の方は、逆に持っ

て喉を締めたり、手や腕の山仰を締めつけたり、

叉は指の問に送し入れて掻り、資めつけて敵を多らす事に用ゐる。此の術は、

都でも、

鉛鎌・で

小物があれば利用出来る

ので、

道場の溜剣柔道練習ばかりでたく、品目の人は大勝小心結成ねて、

も、.ヘ

ン軸でも、文銀でも、周氏寸のとんた納かい廃起集が付いて、

自身猟りで練習して居た

のである。

217

Page 234: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

2主

.i'1"7: 1旨ム

短刀の使用法

小武器の玉は嘗然短刀なのであるが、短刀の型は無数で、甲的問に属して使用するものは一尽く

丈夫に出来て居るし、平時の用心ものは、納く軽いのは自然であらう。飽く芝居で懐剣や短刀

を逆手に撮って、白引かの問を切り抜けるが、見えを切るには、

どうしても滋乎でないと凄味が

映らたい。併し時と場令で、必やしも逆手と限ったものでたい。

一人々々で、敵を正面に取っ

た場合には、誰しも尖先きを突き付ける。営時、mAを下にするのが普泊であるが、走は考へも

のだといふ。上から叩き…治される隠れがあるし、叉主ハ倭上からおとと抑へられては、用を銭さ

伝い一都にたる。それでmAはとに向けて、尖先を少し明治して檎へるのが

一番有利で②る。其儀敵

の喉を突いて行っても、

反りが下

へ向いて居るから、上へ外れる事はない。そし

τ、敵が押へ

る事も出来たい。但し抜き打ちに憶を潜ませて、大勢の間宮くむり抜けゃうといふ場合には、

営然逆手に揮って敵の下腹部を刺すといふ事にならう。逆手で正問から、敵の上半身を犯ふと

いふは、迫も勝手が必いとしてある。一北商の敵

へなら、逆手よりは下から刺し突くの様へ業が

213

Page 235: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

早〈怒る。

やす甲がた

商洋の短剣ハダツガl〉といふのは、納長〈先が尖って、銭形に出来、十字形の鍔が附いて

居る。懐中用には鍔が邪胞だらうが、腰に手挟むか革で釣るには便利だらうο

素人には佼ひょ

いやうに向来て居る。悪漢の出刃を逆手に構へる訟どは、芝居形では絶好であるが、どうせ家

人同志の喧嘩で、相手は素手と来たら、逆手でも何んでも勝利は出刃にある。海軍将校の短剣、

交通巡芥の短剣は、西洋ダツガ1形で、あれは、素人にも使ひよからうο

叉地円通警官用の侃剣

は、細身で軽くて、

昔で言ったら女持ち、片手用として、絡手鍔もあり、飢闘の際には、打つ

てつけのものである、燕返しの早業位には行きさうだ。

小武器小武具として数へ立てらるぺきものは、まだ/¥l滞山にあらう。含み針、鉢会、懐中

鏡を手拭で包んでの鉢金代用たど、護身用として考笑されたものが幾らもありさうだから、他

日補ふ事とする

d

唯だ以上の記池から見て、更に工夫をしたら、日常有り合せの小道具で、

身の山伐に玄つ物が津山に褒見利用される事と忠ふ。大工道具でも、裁縫用のコテでも、彫刻刀

でも.文銀殺用の絞切りでも利用すべきものは無数にある。石を投げ付けるといふのが、

子供

会長

21~

Page 236: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

台余

の時代からの飛道具第

一位の利採である。山田問節の野球狂連中が、手頃の石を三四聞の距離で百

都民百中と来たら大したもので、果費や、鶏卵なども、頗る商白い役目をする事であらう。往年

議選館の鬼と一言はれた横山作二郎氏、喧路上手で知られた男で、つまりは用意周到でもあった。

噴嘩の仲裁に入るに、素手で飛び込む緩往事はたい。或時は、鐙繰用の木製唖鈴が有り合せた

のを握って、大勢鋭闘の間を押分けたといふ。

今日現在、有りの健の撃剣柔道を完全ゑ武術であると思つて

はいけたい。今日は武術がスボ

激流や怒議に出合ったら、今の

νコードホルダーも、地H

遇の川師や漁夫の足下へも迫付かたからう。武徳合の立波た免欣を有

って居ても、づぷの素人にのされるといふのは、どうしたものか。日本精神だの術武闘だの、

ーツ化されて居るので、

「プ

1ルの水泳」と似たものである。

紳州男子だの、と言ひたい人間は、根本からの立て直しが必要である事を考へたくてはなるま

ν、。人間は、武絡を凡て取上げられると、肉弾斡を考へる。手と足で働く。さうして琉球の穏に

察手術が工夫された。柔術も徒手{会参で、白刀を携へた敵に嘗る工夫迄したのである。又武技

2!!O

Page 237: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

HH

@

夕、、、、

を接ぴ得ない婦人には、自と奔やかんざしの類を以て身bL獲る工夫もあった。又殿中とか人中

では大武器をもてないから、自然小武器を懐に忍ばせる事になった。従って小武器は大きい武

務以上に賞用された場合がある。支那朝鮮の背龍万などいふ大武器は、とけ公としで、賞用武

器は小さいものが多い。大小二本差した徳川時代の侍も、

一生に一度真剣で祈り合びをした人

問は.幾人もたからうが、小武器で手柄をしたり、難を免れたりした例は無数で

bらう。

最後に

一言したいのは、今日一番優良ゑ小武器は、

一握りのピストルで

bる。併し、ピスト

ルは普通人の手応迫も入らたい。関家が之を禁止して居るのである。

一般人の武器として推奨

ずる一事が出来たいっ唯だ敵のピストルに謝して、此方はどうしたらよいかといふ需品大研究が磁

る。英は喧嘩指南C

一つとして次項に詳細越べる事とする。

221

Page 238: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

事す,也、

iH・

台余'

のりの..~J

現代喧嘩法指南

.,

.

生兵法は大療の装一

喧時指宵といふと祢穏な項円であるが、之は飢弘常者に出合した時の心得といふ意味である。

びし

で、以下資られた喧嘩に釘し、

高止むを得守之に路じて取挫ぐの術を訟かうと忠ふc

絞って之

を利用、一:勺に営って、間以い者同志、叉は強弱杓謝する唱嘩の場に、強者の参考にたるべき話で

は毛頭たい。放に我と忠はん腕に完えの猛者たちは、との一

篇を設まで緩んだら、もう後を絞

けて悩む必要はない。

さて以上の前九布きに依つでも川僚た通り、本篇は弱者が強者に釣する場合の秘術である。故

に本気になって之を活用すれば、相手がたと

へ柔道何段、剣道幾段、梯子段何段闘と名乗る穏

の達人でも、

ピクともするものではたい。とちらがよく見た所、如何に弱々しく貧弱であらう

Page 239: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

とも、やせても枯れても生きて動〈人間一匹、

決して底抜けに弱かるペき筈はたい。弱いおは

弱いたりに叉特殊の武務を奥へられてゐる。叉貧にとの事授とそは一

切の武術の生れる原則で

あって、武術の必要と効果は設に夜る。

た宮古来、生兵法は大波のもとである事だけは常に愛らぬ良理であって、資地に常り、

あら

ゆる場合の知識と心得とを充分に頭に入れた上で事を行はない限り、とかくに問迷ひのもと

たり易・い。なほ飴談たがら、由来、武はえを止めるの意で、受け手であり、防禦をキ一とするを

以て本mmとする。

先づ気を落付ける

ととろで之が一朝喧嘩とたると、受け手であるからには勿論吹きかけられた側になる。従つ

て身に降りかL

る火の子は梯は・?には居られないが、しかも川来れば火の子のかL

らぬ所に泣

けるを以て上乗の策、とする。即ち三十六計にぐるに如か十といふのは、決して戯談でたしに戦

術の紙意である。

n d也、

223

飴ミ

.",晶、品

Page 240: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

沼、

従って伐にmAを合せるのは、

殿ひの最上のものではない。喧嘩の最初に営つては、出来る限

224

り機を見て逃げるに越した術はたい。雨が降りさうだと見たら、

降らね先に雨具の別意を忘れ

たいのが策の得たるもの

であらう。喧嘩・も亦之と等しく、最初に身をかはして、吹きかけられ

ても相手にたらぬのが第

一である。そのためには、たとへ

事が突盛の問に起っても、先づ逃げ

られるだけは最初に》逃げたさいと沿勧めする。

例へ

ば女の方AN

が、皐身時夜の裏道などで暴漢に漣過した場合には、よしゃ前後に人ツ子一

人見えたくても、相手を恐れる心持ちだけは決して外形に現さ学、平然として之に際援すペき

である。

蛍然たそれる筈の女が、築に相遣して落ちつき掛ってゐるのを見れば、相営飢恭ゑ男でさへ、

却って底知れぬ薄気味.惑さに裂はれて、公ぢけづくのが常である。

先づ溶ちつくと言ふとの一宇都は、あらゆる武道に共泊した第一の秘訣であり、設から一切の

機に際じ綿況に臨んでの愛化、所手段が生れて来る。故にとの際にも先づ落ちつい

τ、環境と相

手とを観祭し、出来れば他の人の居る遜まで相手を誘羽υJuw明

Page 241: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

が最上。策である。不

-撃

然し、さうする徐裕もたい程、突如後からmmmmひ締めに抱きすくめられた場合には、落ちつ

いて臭ぬ闘をギリ/¥h噛み合せる気持で満身のカを込め、後頭部を以て相手の顔に総烈た一般を

喰はせるが良い。敵は必・予鼻血を出すか磁を折るか、いづれにせよ相蛍の痛手をうけて、抱き

つい℃ゐた乎を絞めるに相違たい。

蒸し叉、相手が不意に片手をかけて来た場合、即ちしただれかLるたり、女と油断して局た

Eに乎をかけた時は、かけられた側の肘を、それとたく充分に引いてたいて念に之を力任せに

様に突き出して見る。つまり俗にいふ肘銭砲一後!

関術の方で一一=ロへば之

ωち「篭光の営身」

の一乎、痛烈に敵の協腹をつくととになる。大がいの相手怒ら、先づ此の一撃で完全にグア:::

となる。

不幸、現れ出でた恭漢が大兵肥満、たとへば祭間選手に類する怪物で、容易にのがれられた

22fj

Page 242: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

2余

3立

いと見てとったら、

いき怒り地面にとピみ込んで、うづくまってしまふ。

そしてきも突然の恐

226

念に猫撫で聾に怠ったりして、ともかく油断し切って寄り添ふと共に、

一しょにと立み込んで

怖から持病のサシコミでも起ったといふ恰好で、場合に依つては簡をかみ鳴らし、ひく/¥h、

捻り撃たど立てて見るのも面白い。

かうすれば、

いかに怪物でも、さすがに面喰って、或は叉多少鈍いのに怠るととれ幸ひと、

…むぢかと顔をすり寄せて来るものである。途端にとちらは減身のカを込めて、頭注り額怒りで

相手のツラに猛烈紘一一療を喰はせたがら、忽ち飛び立ってのがれ去るがいL。

或は不幸、

一変に監禁せられ、絶封絶命の危機に際舎した場合ゑどには、相手の男の肝心た

A

守山所を蹴上げる捻り、

統然として之を援り泣すといふ手もある。悲し叉事は腕問に起って、之

等の妙手を施すに暇なく、接吻を強要せられたりしたら、遺憾・ながら汚ゑさ口惜しきを留く忍

んで、相手の望むがまhh

に任せたらしく取りつくろひたがら、突如暴漢の舌の先を噛み切っ℃

ゃるのも而白い。非常の場合、

とれしもなほ汚し犯されるよりは良からうではゑいか。然しま

づとth

らが、叉忠ふに最後の手段でもあらう。

Page 243: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

A

死地に腐って生きる

ととるで今までは見釣女の場合、次は男同志一人と

一人の暁噂に移る事とする。とちらも一

人相手も一人たら、たとへ

共の相手が

J

アンプシ

lのやうた乃至はパンクロ型の、叉は太刀山、

尚mmケ綴そっ〈りの力士であらうとも、先づ最初に落ちついて相手の隙を銭ひ、カとカのお抗

では所訟隣算はたい相手にせよ、イキナリ敵の自の中に指を突き込むか、乃至は目玉を突きつ

y

かすか、島ツ柱を打ち折ってやる党悟で、電光石火の捨て身の一撃を見舞ひさへすれば、大関

に於いて先づ勝を得るものと断言できる。

市対するに此の場合も先づ、最初に落ちつき錦っ

て、敵の念所につけ入るのが最上の策である。

もし相手がとちらを甘く見て、

不用意にも眼鏡をかけた健で迫って来たりすれば、傷つけてや

るまでもたく、

先づその眼鏡を挑ひ十浴したYけでもう充分に、逃走の際を得るい誌が・尚来るもの

である。また非力のものが抑制力恋敵に向った時、たとへ

一旦'無念にも脈し伏せられたとしても、

なほ且つ相手の肉を喰ひ、千切る位の意気込みで狂犬のやうに潟身の力を込めて佼みつけば、

7i:'ヲ,1晶、

S余

~27

Page 244: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

住金

十中八九敵は悲鳴を上げて手を弛め、充分に虎口を院して逃げ去る伎の徐紛は得られるもので

228

ある。

多数の暴漢に襲はれた場合

多勢の暴漢紅土等に仰艇はれ栓禁せられた場合には、逆上の徐り渡狂した如くよそほって、自

ら着衣を引ぎ裂き、手に営る総物を破壊し、唄び叫ぴ泣き笑って、充分に狂態を演出しさへす

れば、多くはさすがに呆れ果℃L

暴行を加へ得るものではない。之を賓演する自信がたい人々

は、心婦の極、念に病を渡した形をよそほぴ、打ち臥したまth

吻も畳一同は守に背闘して見せ、何

事をも知らぬ顔にすごすのも亦一法である。

強盗その他に押し入られた際には、之にも先づ第

一に心を静めて驚かキ恐れ守、平然とし℃

無銭抗に相手が繋むまL

の金銭を奪ふに任せ、愈々彼の夜盗氏が事終って心をゆるめ、いざ飾

らうと立ちかL

る其の瞬間を狙って、俄然大喝一撃するもよし、叉獲物をとって足梯ひの一手

見事に相手をなぎ倒すも妙であらう。とにもかくにも彼が気を抜いた共の肢に一栄ヒ.突如敵除

Page 245: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

を寒からしめるのを第一の脇訣とする。

相手が兇器を有する場合

相手に依つては兇務を有する場合もある。たとへば先づmA物を以って迫っ

て来たと仮定しょ

とれにも第一に落ちつい

℃驚かぬ事を絶釣必要とする。そして身を退いてとの敵から逃れ

去らうとは企て・?に、相手に川試して人を切らうとする意志があるか、乃奈は半稔る怖

γらせの

道具にすぎたいかを、

先づ以っ

て見極める必要がある。そして相手に斬る気のたい場合には、

刃物の如何にはか与はらや、すべて前段、兇絡のない時の訟を利用する

d

もし刀〈、良に相手が殺気を有すると見℃とったら、彼が斬りかLらうとする隙を貌って瞬間

にその手許にとび込み、忽ち間近に迫って兇器を叩き落し、念所に

一撃を加へ得れぽ申分たい。

いづれにしても之等の双を持つ敵に向った場合、とれから逃れゃうと企てる事は最も拙劣た

下位爪である。一柳影械の歌にも、

「打ち治ろす大刀の下ζ

モ地獄放れ、踏み込みてとそ浮ぶ溺もあれ」

認、

229

Page 246: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

と菅口び体へられてゐる。

230

して、ピストルの的を常に動指させ友がら近づき、

一路モ

の手もとに飛び込むか、乃至は数歩

敵手が傘銃を持つ場合

敵手が務銃を持つ場合、

とれを二つに考へょう。その一つは聞に相営の距離がるり、ねらび

定めて火策を切らうと付け狙はれてゐたとする。

-行は殻近のピストルのやうに碍丸の型の小さい場合には、たとへば一後や二登、からだの中

にそれが飛び込んだ所で、よく/¥l蓮が惑く嘗り所の面倒の時のほか、メツグ伝一命にか与は

る縫の心配はたい。むしろ意気地の友い入聞が、

ヤラレタ!といふ自己暗示に依つ℃絶命する

位のものである。だが然し弾丸たどには蛍ら泣い方が、確かに有難いには蓬ひたい。

所で相蛍の距離さへあれば、足を殊更に千鳥に運び、からだを前後左布に不規則に犠り動か

の距燥をおいて腕み合ってゐるうちに、敵が曳金を引かうする瞬間、突如デングリ一巡しを打。

て先方のぬんもとを製ひ、之を制すと北ハに念所に

一一懲を吹はせるも良い。

Page 247: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

第二は冷たいピストルの銃口が間近に突きつけられ、差しきに至つ

τはそれがからだの一部

に接して差しつけられてゐる時、

敵は必十我が目に注意を集中してゐるものである。かういふ

欣態に泣かれると、素人は兎角銃口や曳金の部分、或は敵の目付きに注意を怒はれ易いけれど、

之等には断じて気をとられてはたらたい。勿論との時も亦.や然として、敵の背後に我が税仙献を

置き、さたがら尚脅の後方より、

我が附援者の近づき治りつtA

あるが如き気配をよそふ必妥が

ある。その上たほ出来得るたらば、

との仮想の味方に微笑を怠り、目くばせを交して、敵を挟

恕する勢ひを一示すが良い。

との場合、尚者は必や之に注意を奪はれ、その背後に不安を感じて、思はや'ふりかへって後

ろに目をやるか、乃至はチラと傍見をする筈のものである。との相手の悶線の務った隙に乗じ、

ピシリ相手のピストルを績に叩き落ずか、乃奈は片手をもってピストルを械に押し外づすと共

VL

一方の手を伸して組みつくか、目叉は'M併に猛烈た突きの一手を加へるが良い。

共の他随時に際しての足場、器物の撰びかた、照明その他光線のとりかた‘日明夜、月夜、ォ

中‘山中の駆引き、戦法等、数へあげると際限がたいけれ

εも、一と先づ訟に打ち切っては泣

忍、

齢、

~

231

Page 248: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

くが、部粁は単に誌上指市に止まらや、ω官一みの向きには震地指南のmwをも惜むものでたい事を、

特に訟に改めて明一一一目して置かうο

23~

Page 249: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

仁義仲間の種々相

侠客仲間の仁義

我が日の木は仁義の図。侠客にも博徒にも香具師にも、

土方、馬方、船方、何れの枇併にも

仲間に釘して仁義を立てる怒らはしがある。共中にも侠客は設も畿を軍んじ、簡をぬ問ぷ純一仰が

旺盛である。

蕗が、此の仁義といふ事が一縛して、初封面の挨拶口上を迷ぺる事の意味にも取られるり此

の口上といふのは、普通の人の口上とは異り、

一定の型があって、危か/¥やかましいものと

してある。先づ侠客の仁義口上の作法から述ペる。

今一人の侠客の子分が、放をかけて江戸の侠客の家を訪ねる場合乞見ると、彼は先づ自分の

局にした振分け荷を北ハ家の戸楼への外へ卸るす。決して荷を持った催玄閥へ入つてはいけたい。

2霊

233

Page 250: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

それから初織

の級友解いて入口の外

へ立ったま与、

雨乎は真直ぐにして膝頭

へ付け、

「た願ひ仕ります」

と始めて撃をかける。

共慮

へ英家の若い者が出て来て、放人の綾子を見てから、

「沿入りなすって下され」

と挨拶する。

「御免蒙ります」

と言って放人は先づ玄関を左足から入る。此際、人殺したど兇扶持ちの宥は右足から入る定

めで、之は大事た事である。普通左足から入る者は、修業に歩く者と認められる。

扱て、

土仰に入つ

ての仁義、

「沿蹴ひ仕ります。

蛍川貸一冗さんの伺さん沿宅はとちらさんでどんすか」

一.手前でござんす」

「しがたい者、放中でござんすが、沿願ひ仕ります」

「た入り下さい」

!~,j

Page 251: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

「御免下さい」

と言って、それから、外

へ置いた荷物を持って入る。此際Mm織の紐を爾乎に持っ

て挨拶する

といふは誇のある事で、何虞の何者とも知れぬ抜人故、

共れが敵の廻し者であらうも知れ宇、

おひ〈ち

そんな疑ひを受けたい潟である。若し懐手でもして居ると乙首でも振って、近よりざま刺しか

L

るといふ危険があるから、

全然敵意の無い詫捺に、手の置き憎胞をAM織紐と

一所に膝一政へ泣く

のである。長い間の習慣上.そんゑ作法が附来上ったものであらう。

τ、荷物を取って、数獲へ近づき、

む治姐いさんは、沿宅でございませうか」

「親分さん、

「夫婦共に不在で御ざんす」

此の問答も一つ

の定まった作法で、

親分夫婦に敬意を表して臼ふのであるが、之に謝して、夫

婦共不在と答へるのは、強って面舎する要も怒い一事故、居っても属らんといふのが普通であるυ

放人の方では、夏らに、敬意を表して、

ab

「外、上さん、

h

自宅でございますなれば、LK

柄引合せを頗びます」

窓、

絵、

i援

236

Page 252: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍、

j陵

といふ。之は、取弐ぎに山内て居る者の上に立つ兄分の者が居るたら、英人へ宜しくとL

ふ意味

236

「どう仕りまして、手前北ハ、しがない者で御ざんす、

治控へ下さい」

である

「折感しく不在で御ざんす」

手前以外の者にあいさつは要らぬといふ意味。

「早速沿願び仕ります」と旋人の方では、立って繭手を膝頭に

bてて

「手前はしがない者、放

中でござい・まずから沿控へ下さい」

「沿捻

へ下さいますのが本意で御ざいます。」

「沿一言葉に従び控

へ居ります。正座は矢穏でございます」

「早速沿控へで、有難うございます。初の治目遇りでございます。従って下劣は、上州は関定

忠治親分の家の若者某とばっする者にございます。御覧の通り未熟考の族中でございます。」

然う言っ

て、包んだみやげの乎拭を義出して、

「上さんへ

、早速で御ざいます。御覧の通りな粗末たもの。勝手元の沿手拭きにもと存じまし

Page 253: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

て」「早速の御好意頂戴仕ります」

と受けて白分の左へ置く。それから茶が出るο

気を利かして、

「沿柴になさいませ」

といふ。茶は、三口に呑み、三分残して土問へあける。

放人は共際にもmm織紛を指へ挟んで居る。之は着る貫総のたい人間であるといふ謙遜と、乎

を自由に使へたい虎を見せる。

しがない者の畿中と自分を卑下する意味である。そしてから、

「結構たお茶頂戴致しました'一

と向うへ二三寸返して、

「早速御馳走になりまして沿臨申上げます」

といふ。すると、今度は受ける方で帖面を出して、

「御姓名を一つ沿記しを願ひます」

と促す。

蓄を

237

Page 254: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

!;fJ IL!.・

~

「粗筆でございますが」

と手に帖面を持って書く。

上州何某親分方の莱と書いたのを伏せて渡して、

「"とうぞ御利じ読みを願ひます」

此時、帖面をH凡て、普通二十銭包んで路用そ助けるといふ事にする。

親分の名に依り叉五十

一回と出す事もある。受ける方では三度迄迷臆して、

「結構なものを、

:・:・かゃうの御心配を頂きましては」

「御遼肢には及びませんυ

とちら宅夫婦共不在で御ざいます。御僻退た〈治納め下さいませ」

「御上桜の御好意で、

懐中致します」

然う言って、銭を懐へ入れるc

εちらの方へお出になります」

「新橋へ

参ります」

「新橋に長谷川とい

A親八刀さんが居ります」

そとへ道順の業内をしてやるυ

2a8

Page 255: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

「沿限致します」と立って手を下げ、「早速会目通り、御手厚き仰配慮沿みやげ迄頂獄致しまし

て有難うございます。再燃ha

自にかL

る時も御ざいませうから」

之れで仁義も終り、路用を貰って立別れて行くのである。

罪人を隠匿する場合

以上は玄関先きでの仁義であるが、若し晩遅く行ったものとか、叉は喧嘩とか人殺しとかし

て、共家に隠配って貨はうといふ場合には、叉仁義挨拶も自然呉る。若者の方ではそれと綴し

て好意を述べる。

「暗い事で御ざんすから、叢・継を取ったらょうござんせう」

といふのは、夜に去ったから泊って行けといふ意味である。

それで家

へ上って泊った時には..

沿膳が出て、飯はてんと盛り二杯と定まって居る。例の『居

候三杯自にはそっと出す』たどは、此の二杯の規則を破るのであるから、内設でそっと出すの

である。てんび盛り二杯で、沿謄に附いたものはきれいに皆た食ふのである。残しては粗米に

~29

Page 256: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

たるからである。

240

沼、

兇飲持ちの場合だと、例の右足から入るので、最初から解って居るから、之は罪人隠匿で、

二階へ寝かす。

着物は着たまL

で足袋も穿いて居る、三ツ

とはぜの中二ツ丈けはとはぜをかけ

て居る。直ぐに立上り逃げる用意である。異嬰があると、下から「ヱヘン」と接梯ひの合間乞

するむ上では直ぐ之に際ヒて「ヱヘン」

と受ける。若し受ける事を忘れる程に眠って居ると、

水をかけられる。又は不用意を叱られて、木剣で撲られると言った厳しいものである。

泊った者は、

一宿一飯の義務として、主ハ家に出入り

il他の親分との聞の喧嘩紅どがあった

一命を失ふ危険があっても加勢に出たくてはたらぬ。泊って居る聞は、客分注がらも共の

間下と同じ一事である。

それから、

此の喧時が仲裁が入って仲直りの場合とたると、叉巌めしい儀式を行ふ。仲直り

の場所は、四方席にして上下なしの坐を設ける。

そして紳前で手打をするので、普通に三枇様、

印ち.一一一仰を祭る。近年にたってからは、天照皇大一柳宮、春日大明紳、明治紳宮とした。以前に

ば極原一柳宮、八幡大一柳宮匁どもあった。

Page 257: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

紳は千日しめを張ると錐も、邪怪の家に来らやと言ったもの

で、

室内を清め、正也た心で仲

直りをするといふ事にした。三賓の上へ、生きた制を腹合せに、向ぴ鯛にして紳前に供へ、御

紳酒徳利を添へる。三々九度の手拍ちで図く牧めるc

最後に「ちよちよん」と拍つから、

つま

り十回になる。

呑異師の一元祖は紳農様

次に仁義仲間としても最も民く知られ、今日に綬いた者は「やし」である。「やし」の布引を「寄

兵師」「矢士」「野士」などL

書く、共の守本愈は…脚農様である。紳畿は支那の「炎帝一柳則被氏」

として十八史略に問て来るのぜ、人身牛首としてあるが、之は牛に似た顔で、雨角を生して居

たと言ふ。紳農は人民に農業耕作の方法を数へ

、叉百草を挙めて始めて踏襲を致明し、更に日

中市を銭レ、交易して退かしむとあり、

之は市場を開き物々交換の法を数へたのである。「や

し」は薬師の降稀であるとも一一=口託、叉霊の褒明した槌、妻、久野どが十一二種もあって、

それが脊兵と稀せられ、一例曲援は香具師の一冗組であると見られて居る。此の脊具仰が今日の鯵応

E歪

:!41

Page 258: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

恋、

告余

商人と迄袈遣したので、彼等は自分の家業を一抑農業と呼び、…紳農様を紳援に飾hy、紳酒を供へ、

税分子分の盗事は此の紳農の型的で行ふのである。

それで一般露庇商人、印ち大遊間人の事を香具師と呼び、之を「やし」

と読ませる。共の

「やし」が前記の如く「薬師」「野士」た

どとも書かれる理由は如何といふに、薬師は榊撲の

本領で、従来我閣の臨留者仲間が、薬師様を祭るのは、欝薬の一冗組たる紳農様を祭るのである。

西洋では、

ヒツポグラテスが駿道の元祖であると同じ一事である。ヒツポクラテスは、内洋組元

「未だ天を知らやんば協がぞ

作川に生れた希倣人で、

ピグゴ一フス波の哲忠一者として一

代の煩儒、

能く人を知らんや」と喝破して、先づ天地自然の大法を講究し、それから持じて人憾の研究に

入り、臨法を税収明したのである。彼は西洋の…紳農様である。共感設は北海道大簡明数授、今絡博

士の治瀞な議官越に依って可たり詳細に我閣に紹介され、前陸軍々啓総監、石黒忠恵翁などは此

の官官の者に議川柳を呈して北ハの持を謝して居る。之は主として、陰陽自然の大法から人健の生理

を冷じたもので、今日に残された問悩が津山に此意向中に含まれて居る。

そして

二千絵年を経た

今日迄、夫等の重大問題は殆んど解決されて居たい。それといふのは、ヒツポク一フテスより二

242

Page 259: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

三百年後に現はれた賭道の大家が薬物治療を主とし、生理病源の根本研究を次ぎにした銭に、

今日の西洋擦は共の流れを滋み薬物皐が褒達して、生理壊が褒達したかった震であるときロはれ

る。今や日本文明の復興時代となり、頻りに皇漢密接が提唱せらると熟還に在hy、和漢洋を綜

合した震の同国道が、我々日本人に依って大成せらるL時期が到来したものであらう。邸ち草根

木皮の紳曲演腎術が大成せらるL

のである。紳曲演の皆道を誇った序でに、西洋の一神山民党るヒツポ

クラテスの名著ある事を紹介して以て、世人が之を一通一蹴してそとに稽古徴今、大いに絞明す

る鹿あらん事を希望する,次第である。

香具師の名務の起源

扱て最初我闘に起った「やし」は大道商人として、

或は戸別に鱗れ寝具りたどもした。

共の褒

ロ聞は製薬と香具であった。越中富山の築資りたどは英の停統に属したものである。叉我閣の中

世暗黒時代と一一一一口はるL鎌倉時代、足利時代には、知識の本相場は各地の寺院であって、此の寺院

が多く奨を貰ったのである。硲借と吾一同って高野山の倫自身が庚く天下に行商した。それが主と

認、

絵、

.24:3

Page 260: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

万3d也、

争時

E霊

告余

して薬積や杏などであった。叉東大寺、西大寺などでも家停の妙薬といふものがあって、それ

が天下に実際められたのである。

モして「やし」は築師の詰まった名穏であるときロム事になる。叉彼紘一寸は同時に細々しい諸道

凡ハを貰ったからそれが家具師であり、主として薬種と似よりの香の道具を持歩いたから脊具師

とたり、それが、重賓がられる虎から、段んに薬よりは雑ロmが多くたり、香具師とたり、それ

を矢張り「やし」

と讃ませる事とた

った。命「野士」と「矢士」の説明が残るのであるが、「野

士」

「野武士」の特靴、失士は弓矢を立て道具にして薬や香具を賛り歩いたから起った名郁

であるといふ。印ち我闘には、戦闘の聞に、北ハ主家が滅んで浪々の身とたったものが、何等の

定業もたく、所論野武士と糾して山賊風の宥と怒り、五しい方へ進んだ者は、行商又は露底前

人となった。

印ち香具師なのである。北ハの野武士を「野士」と読んだο

叉彼等は武士の表道具

-

SA

たる弓矢を看板に持ち出して、松井源水の瀦楽廻しの如く、永井兵助の居合抜の如く行客の目

を惹き、

それに依って本商衰の薬品を賢るといふ寸法にしたもので、之は文字通りの矢士なの

である。

!N4

Page 261: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

香具師仲間の仁義口上

香具師の仁義111仁義とは彼等仲間では、

挨拶口上の意味に伎はれて居るが、

前にも述べた

通り、本来は堅い交際の問に仁義の精紳を主として、関絡を強聞にする意味から来たもの

tb

る。併し、仁義を述べるといふ風に使ふので、初封商の口上をいふのである。

とんな口

k侠拶

は、侠客仲間でも、香具師仲間でも.土方、馬方何れにあっても、人情と義恐が同じであるか

ら、北ハの文句も略ぼ同じものである。唯だ筒粗の差と、丁寧と荒っぽいとの別があり、時と場

合で多少づL異ふのである。侠客に比して香具師の方は大分釈雑た物一マ一同びをする、叉は.浮は

ついた僻常言葉も交るのである。

一寸雪nび返すが、

一般には香具師の事をテキ屋といふ。之は何から来たか。

北パの初め、

一寸

し」の事を「や的」ともじった。忠助を忠公とか忠的とかいふ、あの遁用mm.呼である。あの「や

的」がと言って印刷る中に、今度は、逆に物の名を呼ぶ包慣から

一4

やてき」が「的ゃいにたって

了った。之が今日片仮必で書く

「テキヤ」の起原で‘あの脊兵師的といふ庭を「テキヤ」ずと

窓、

官会

215

Page 262: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

酒落れて呼ぶ事になったといふ。之は頗る賞を得て居るやうに忽はれる。

!!46

t余

此の一アキヤと一一再はるL脊具師たるものは、全然、官憲の制裁外に置かれたかに見ゆるが、質

は然うでたい。ちゃんとした捻があったc

それは、

徳川幕府の享保二十年に、町奉行大岡越前

守が制定したもので、五ケ僚に規定され、公儀の法度俊文は竪く守り、物の焚買も竪質に致す

事とか、武家に針して慮外左京予をしてはいけゑい。他所から来て抑賢りをする者は早速関一冗

治ひ返す。容共川仲間は商賓の場所では、互に相援け、連れ立って賜る事。仲間が病気の際は

見舞をなし、病人を介抱する一事。香具師の親分は、子分から願詮文を取り、行街出所不定の者

は仲間に取っ

てはたらぬ背景たどである。

それで、外岡から楽屋たどの密総入する者を防ぐ銭め、叉、不還の者を取押へる震に、町奉

行は、谷具師の抑制分に十手捕制刊を輿へたといふ事である。新ういふ開係から香具師は、

一種の

探偵を粂ねた時代もある。そとで悶じ香具怖の姿をして居ても本物か、叉は傷物であるかを見

究める銭に仁義口上に依って之を試みる必要も起った。それで彼等の問の仁義は大鑓やかまし

いものになり、之を自在に言び得るやうでなければ、いれhrとして制裁を加へられる。其鴛に

Page 263: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

彼等の間の初釣商の挨拶は可なり般格なものにたり、自分法より上手の侠客仲間の仁義を見暫

って、相川間同威張った口上を取替はしたものである。

仁義口上伏晴れの舞塞

何底ぞで未知の脊兵師同士

γ出合はしたとする。互に、相手が仲間らしいと見ると、mmの平

い方から先づ口を切るο

「之はゐ-初に御ざんすが、間違ひやしたら御免たせ

い。沿友淫さんと見受けやした

γ、:・」

と、相手の商をじっと見る

「さやうにござんす。お銭へ下さい」

と相手は、自分が脊兵附仲間である事を承認して、自分の方から先づ和郎って、挨一拶を述べ

るから、控へて央れといふのである。すると此方も謙遜して、

「先づた控

へ下さい」

と向うへ花を持たせる。

247

Page 264: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

「い

やた控へ

下さい」

248

忍、

G余

言歪

と又譲る。二三回押返しつL相手が上位を取って控へ

る事とたる。すると、此方は本文の挨

拶に移る。

「早速た按へ

下すっ

て有難うござんす。揚げます言葉前後致しましたら御免下さい。乎前生閣

は収京にござんす。東京と・申し

ても庚うござんす‘下谷は上野東叡山、

一九重絡がござんす。共

下に坂下町は二丁目二番地、稼業親分は藤政二水中対方と申しやす。

手前姓名を揚げま.すは失

間さんに御ざんすが、

いがみ

の健太と申しやす。稼業は未熟のかけ出し者にござんす。いづ方

に参りをしても、

土地の抑制分さん、叉沿友建さんに御面倒を、おかけ申しやす。何卒商問問沿見知

りの上、今月後一品般御腕懇に願ひやす」

丁寧に頭を下げる。此際、羽織の紐を解き‘爾手は膝頭に付けて左右穂能く鱗へる。相手が

相骨肉な親分と見て一

一庖丁寧にする場合には、先づ下駄を股いで鼻緒の上から下駄へ乗るといふ

ので、之は侠客と異って率経・は穿かや、大抵下駄穿きだからである。それから此のmm織粧を解

くのは、商人の作法の一っと見られたものである。商家では、古から小僧雇人には羽織を着せ

Page 265: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

たい習慣で、成長して一人前の蒋頭格にたった時始めて羽織を奥

へられるのである。それで此

の脊兵川の仁義の際に、自分は未だ例織を着る殺な身でたい、ほんの駈け川しであると鰍遜し、

羽織を防ぐつもりで、純を外して挨拶するのであるといふ。

も一つには、前の侠容の仁義の場合と同じく、相手に約して敵意のないとい

ふ表川をした形

である。懐手といふのは得て物凄いものであるから、雨手は良直ぐに版関

へ付ける。心地が之を

霊登

219

反鉛にMm騨していざといふ場合、初織が、邪蹴だから、直ぐばつと股いで敵に突殺する川意だ

といふ総もある。之れも一

理あり、同様に取っても義支たい。但し「た控へ下さいまし」とい

ふのは、相手を控へさせて自分から先きに名乗る、印ち先方を立てた作法である

omうして二

=一皮譲り合った上、相手が自分より下位のものといふ見営が付くと、「それでは沿言葉に甘えま

して、逆位かは存じませぬが控へさせて頂きます」と挨拶するのである。若し川酬を削遮ったと

なると、後で具合が惑い事に・たる。

扱て二刀がおの泌り仁義を述べ移ると、今お控へて居た相手方は、同じゃうた作訟で以て返

躍をする。

Page 266: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

者室

「申し公くれやして失隙さんで御ざんす、手前生閣と申ずは、南海むは紹伊図、長演の海は庚

うござんす・:・:」

と一言った工合、同じゃうた受け膝

へをして最後に、

「宜しく沿願ひ申しやす」

と結ぶ。

「手前とそ宜しく沿慨ひ申しやす」

と受ける。

此の作法が立浜に川来たいと、相手から馬鹿にされる。卒生から飽く稽古してよどみたくし

やぺるのである。勿論、香具師稼業でもしようといふ者に務舌の法者危らぬはなし、ロ八丁手

八丁で持った附授。大道で人を釣るには、身振り格好から、自の配り方から、ロを附いたら風

を明り月を奔するの快仰と本冷たくてはたらぬので、しゃぺる問は誰れにも負けないといふ自信

を持って居り、仁義ロト一が共の最も得意とする慮、晴れの舞牽を勤めると言ったもので

bる。

侠客仲間の重々しい仁義に比べて、此の方はやっと砕けて気軽く爽かたものである。

250

Page 267: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

普の源平合戦・たどで、「我とそは武綴閣の位入、

熊谷次郎直賞たるぞ:::」と名黙ったあた

hv、同じ心意気であらう。何れの枇舎でも、名乗りを揚げて見参と来る廃が、白木人の此の上

たい卵管れとする蕗で、

之が昔の雲助駕飽屋、馬方、土方、何れの一町舎にも及んで属た。それぞ

れに仁義らしい仲間の挨拶もるり、叉尻を捻くってごろつく時の言ひ草もあった。彼等が、放

人を囚へて強請る場合、

叉武家に盾突いて喧嘩を賢る場合の言ひ草とそは、

痛快侃…類たもので

漫馬、吻弄を制め、自分は日本

一のえらい人間であるやうた、誇張した口上が芝居や鱗談の見

世場、聞かせ場とたって居る。要するに此の仁義たるものは、武士の名乗り妨げの民似から起

ったものらしく、それを低級にして、「ござんす」とか

「愛するものは」とか、「やす」と言葉

でやる彪が面白いのである。

仲間

の不文律

上越の香具師仁義は、

一人が

一人に向った時の事で、

仲間の大寄合たどの時は、叉同黙った口

上を述ペる。営節は、人間も文字を知hy、智識も笠宮で、

名刺交換舎などいふ駆使た第もやる

忍、

251

Page 268: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

金余

が、彼等香具師仲間には無事文盲が多いから、名刺などいふものは持たない。それに、名刺交

換は礁に顔を見もせ守、扶へ入れて了ふので、どれが誰れやら後では解らたい。そとで彼等は

大勢居並んだ前で、

一人々々仁義を吾一回ひ交はす。それに依って商鑓や牲格がはっきりと現はれ

て相手に記憶されるのである。大勢国座の場合、順位に廻して仁義を述べるのであるが、彼等

仲間の版佼は地H

過と滋に左廻しである。之は隣りの男の懐ろへ、しかと物を入れると一育った集

分である。

とんた時の仁義は、先づ主催者側から口を切る。

「斯様、高峰併受けましての仁義は失躍さんに御ざんすが、御免蒙りやす。手前到って口不調

法に御ざんす。上げます言葉に前後間連びのありました節は、平に沿許しを蒙りやす。:::」

走れ以下は、前の

一人々々の場ム?と同じである。斯うして一人々々、営節で言へば

7分間の

自己紛介をやる形である。

将兵附仲間は、勿論表而は不正たらぬ稼業を白登大道で営むものでるるが、併し北ハの多数は、

何れかと一言へば××の集合で、はたけばごみの出る者が多い。それで洗ひ立てる富市は然物、仲

25%

Page 269: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

間同士の喧嘩たど、大怪我をしようと、殺されようと、明るみへ持出さ守、仲間内で始末を付

ける。共代り喧嘩へ仲裁が入ると、

一先づ共人へ義理を立てL預けるといふ堅い慣例である。

それからモ一ツ仲間の規則として特に般家たのは、人一安に手を出す事と、場安即ちが・い業上や持

場所の牧入を談腿化す事に釣する制裁で、之を犯した宥は破門、所挑ひ、騒いのは指誌めと苧一回

って指の先きを切って詑をするのである。

とんた仁義

u上の面白い相場面も、

普通の人には一寸見られたい

ので、自たは映設に作ってト

1

l危り、巧者た滑mm諸子の冴えた口調でやったら、

一寸呼びものにたらうと氾はれる。存共

師も、底喪hy、大滋賀り、叉は立資りなど与、資り方がいろ/¥1あった。今日でも京都に上立

賞、下立樹氏たどいふ町名がある。立費り‘をしたとは何んの事か、飢践の問、京の女人貧困の極、

立費りをレた。上半身に民ずるは、紅、白粉、街、努、油たどである、之が上立資。下立制以り

は下駄、

雲駄、台帰属、足袋、脚絡、都品位腰紐と一一員ったものであるが、夜庖の方では、防い軒下

で接吻は×X×、それから:;:×××もあった

il江戸だって柳原川岸の材木泣場の問で、毎

夜、女共が騰のもつ焼斉-を野ったといふから、買ひ手に事を飲かたい限D、上下何んでも資る

護霊

253

Page 270: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

~

のが普からの援であった事か。

香具向。視はれたのは、奈良靭の頃と一一一誌はる。此の時代に支那、朝鮮-bたりから奇術師が渡

のちらMM

来した。それは呪師と号一同はれ、

ロに呪文を鳴

へると、愛幻奇怪の術が生守る。刀を容んだり、

種子を縫いて印鑑に花を咲かしたり、縄を天上へ投げて‘夫れへ馨ぢて天へ登るゑどいふのだ。

とんたのは皆な大治訴訟人で、それが又薬だとか、強社鮒だとか、不老不死の民合ゑどで人を釣

る。三関誌に尚る在慈といふ男は此方の大家で、支那では共頃から疾くにとんた奇術が浸透し

て居たので

bる。之は心ヘ衆に釘する催眠術のやう危ものであったらう。

話幕時代には、政府に拘突いていざと伝ったら武士に反抗した者に侠客仲間があった。此の

侠客気性から起った新代の批士が、政黛を作り政府に反抗して政黛内閣迄潜ぎ付けた。脊具師

の混居間人が、今日では

J

アパート迄漕ぎ付けて、金構の主佼を占むる迄に成長したと見たらE

んたものだらう。泥下駄の俊、真直ぐに入っ

て行って、歩き・ながら七階迄の飾りロ聞を物色する

彪は、大港問胞の延長と見られぬ事はたい。

そし℃七階の食堂といふ、ぎっしり鰭詰めの椅子

一つへ位付いて、十銭の蜜豆から五十銭の洋食を大念ぎに酒気も注しに詰め込んで、さっさと

!.?54

Page 271: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

立退くあたりは、三管前の砲兵エ限前の五庭飯の進化位に見たら、今日の大方の淑女緒子の問

逮ひの怠いhm繁みの一ったる大

J

アパートも、

つまりは紳鎚坂たり、庚小路た夕、新宿たりの大

道脊具師応bL

一一附に総合したものに外たらたいのであらう。

本一気のよい、青天井の下で、二月の寒風仰骨冷やかゑる夜庖に、長民戸一向を振るって、路行く

紳士の足を停めしむる、香共師一辺の威風は、

Eさに堂々たるものでもあらう。

呑具師も品川初は野武士、薬師から出後したものときnはるL丈けに、初釘面の名乗りをする習

慣を持綬したのであらう。そして初期には、義理堅く、所制仁誌を重んやる風があった事と以

ふ。それが、時勢の規制緩と共に、種々たる不良不還の徒が共の領分に雑って、兎もすれば、不

正な方面へ趨り、香具師と言へば、いかもの、いんちき、

棒にも答にもかL

らぬしれものと見

らる与に至ったのである。今円仁義枇舎で、

一般良民の問に劉り入って共の区別を判然と付け

かねるものは、多く此の脊兵師仲間であhy、特に昭和五年頃、警腕隠が一般銭信を許して失業

救拙仰の一端とたし

τ以来は、停統の香具師と良民露底商との煎別も付かぬやうにたb、露底物

に良不良が混在して玉石混交の形である。油断がたら・ないのである。

型、

255

Page 272: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

絵生…脚様脱走記

(

-

)

人間は…仰様には怒れゑい、天には井れない。と一寄って地の底へも滑れない。つまり人間は天

と地との間にある存在だ。紳と禽訟との問を往来する生物たのである。併し、人川は誰しも紳

様にたりたいと望む。だが、

一方一脚様抜ひにされた人聞は、

「もう懲り

/Xだ二度と紳校には・なりたくたい」

と、民WA

の炎天に、淑安から出て来た人の校に、ほっとして汗を拭く事でるらう。

私向身が一度…仰い似にされた終験から、然うM山ふのである。

(

)

お6

Page 273: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

抑んH

私が山市・一柳様にされた由来といふのは、明治問十年代の千里眼透脱の流行の潮に乗り上げ

させられた緒川加であった。私が常時流行の透脱と

いふ不川〈議た現敏を考

へて、自ら之を練習し

て、再三浦一確た北ハの質勝、を世人に知られた一事が、迭に私乞して生一柳様たらしめたのである。

明治四十三年以来、御船千総子の透耐震験を初めとし、

長尾郁子、兵制誠

一、本抗鋭次郎、

堕附孝作、川崎逃たどいふ透腕能力者が綬々と現はれたので、やがて稲末、今村ゑどといふ協

士迄が熱心に異に賀験研究に従事して、

一時は勝一真を騒がしたものであった。然るに未だ充分

怠る成績の認がらぬ中に、千鰯子の自殺、失で郁子の病死とたり、やがて激烈なる反釣論も出

て、透脱能力者といふのは一一部の山師であると注し、共後に出て来る透耐者は、直ちに隊一治を

267

加へられて、透腕術たどといふ話も無くたって了った。

だが、私は滋腕とか千里山とかいふ事を聞いて、忽ち必ひ営った一与がある。日記は人聞に誰し

も持つ

τ居る、

一ツの精…柳作

mであらうと考へたのである。脅から高伶の、智織のと背はれた

者がさまん¥の議官をしたり、透税をやったりした詩は津山るるし、例の一柳懸りたどと言ふて、

紳窓が人聞に湖沼り移って‘

紳秘た自問自答をやり、千里限、透鋭、議一一=門伝どをしたといふ話も

Page 274: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

沼‘

ある。モれに例の催眠術といふのがるる。そんた事で、私は共頃此の催眠術に凝っ℃、精一柳統

一とか自己催眠とかいふのに心を潜めて、

いる

/Xと工夫をしてゐた折りの事と

τ、此の透説

術といふ嘆にいたく心を窓かれ、直ちに之が研究に若手した。

〈三)

一冗来私には、

乙んな精…柳作用に関して幼時から一

ツの機縁があった。といふ事は‘私は純江

戸ツ子として潟議・は公闘の附近に生れたのであるが、主ハ後或る事制で七八歳の頃五日市に移

り、日夕秩父の建築をUんて暮らす身とたり、山の紳秘にあと

がれを持づ事とたったQ

そし

τ、

共頃、

五日市遜から秩父の山入りをする行者、山伏たどの姿を見ては、母に向つ

τ、然ういふ

人総の生活欣態を問ひ、北ハの山上生治の紳秘らしいものを考

へて、朝な夕なに、附近の峯々の

へと心を馳せたのである。

子供の頃から紛ういふ紳秘のあとがれを抱いて馬た常に、私一は又-御祈時とか、燃隙とかいふ

事にも心を惹かれ、何時とは怒しに、その方法を脅ひ魔え、

一種の妥初に騒られ

τ、自身、山

258

Page 275: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

伏にもたb、行者にもたつた祭で、他の子からは停気狂ひに扱はれた事もある。それが鵠ヒて、

遂に私は一一一峯の行宥生前の中に入って行った。そしている/、彼等の行動を見、之を総修した

のである。私は彼等行者の山中生活の欣態を、日夕仔納に見るに至って、

共の絵りに人間離れ

のした脊践的た行動にすっかり会どかされて了った。

彼等行者連は我々里人の様に、三度三度米の飯を食ふといふ事をしたい。山中に生守る自然の

物を採って食ふ。飯でなければ食へ怒いたどいふのは新参者で、此の一耽舎では下の下なるもの

とされてゐる。然して是等新参の米の飯を食ふ連中とても、叉却々やかましい捻があって、勝

手に火を焚く事は山梨ない。皆訟行者の本部へ行っ

て火絡を貰って来る。つまり行者仲間では、

火といふものを紳盗視するので、

火を作るには天眼鏡で以て日輸の光線を焦紡に集め、共れを

木瓜移す。雨天の日には竹と桐の木を摩擦して火bL起し、騒い鍛冶国内茨に此火を移して火を作

るのである。火を本部に支ひに行く者は、此の茨火を手掌に受けてぷう/¥吹きたがら一丁二

丁と運んで来る。そして飯を炊くにしても、普通鏑釜を用ゐ歩、専ら自然を利用する。彼等は

米を麻布の袋に入れ、渓流へ下りて袋の俊にぎぷ/¥3と洗ふ、それから袋の口を縛って地へ埋

259

Page 276: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

金主

沼、

め、上から火を焚〈。斯うし

て火に営り訟がら話をして居る聞に、米は蒸れて軟かい飯にたる

のである。

功そ積んだ行者に友ると、

殆んど米の飯は食はたいやうだ。松の汁皮とか、山中に得られる

いる/

¥B

の木・の賓とか、特有の食物を婦る。朝鮮金剛山の仙人と一一一日はるL者は、松の甘皮など,

を常食として居ると一マ一円はれ、

彼等は今に、水と宗一気丈けで生きる工夫をするのだと知ったとか。

所関窓を吸ひ霞を容んで生きる仙人修業た

のであらう。私が見、た三峯・の行者も、そんた修業を

渓る科皮迄試みたのであらう。酒たども、猿の治ったものを見付けて来て飲むのであった。又

行者は一本簡の足駄を穿いて往来するが、あれは山の上り下りに都合がよい。三峯の杉の密林

の問を、片方の乎に法燥の貝を抱

へ、片手と一本商の足駄穿きの雨足を突ツ張つ℃木登りさへ

するのである。

彼等は又生きたがらにして遠隔の地と通信をする、天眼通を有って居るかに見えたomm想し

℃坐って.居るかと忠ふと、

彼等はっと立上り、指を{企に向けて動かして、居間統一辿信のやうゑ事

を寸る。

それで以て、

加賀の白山とか初後の初黒山とかに話をする。「何日には他から行者が

%60

Page 277: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

来る」といふ通信が来たのだといふ。それが遁確に営るのである。乙んた事は不忠誠であって、

少年時に之を目撃した私にしては、今に疑問とたって居る。彼等は山路を行く時には、随鼠に

草を結んだり、木の校を結んだりする。それで後に来る者は、此の取や枝を見て、先行者が幾

人有ったといふ事を知る。叉は何日頃にどういふ事をするといふ沼知をするのである。折り折

り叉彼等は、

金剛杖を却って雨人相懲つ練習をする。今の杖術、俸術のそれである。武術を練

脅するのであって、かくして猛獣毒蛇を退治する腕を磨くのであるc精妙た術を待た者は、十

数聞も離れて居る、獄献を縫す事が問来るのである。

ζ

んた事を私は見ゃう見民似に、多少練矧回したのである。之は手を取って数へる純類のもの

でたく、自分で工夫を凝らし、

いろ/¥hと練習を積んで民の境に達するの外はたいので、下根

は数へがたいとしてある。先淫のする事を見習って行を積むので、

ひたすら

いのである。静座隈想して只管に工夫を凝すのである。私は折り/¥B五円市の町から三義へ行

一'n方法を敬へる事はした

つては、行者の仲間入りをしたので家庭からは不良見放ひにされた。併し・本営に様々の事を見

売えたのである。遼沙の方法などは軍受注もので、行者の中には一日開五十里から六七十里を

~i

2dl

Page 278: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

行く者さへあった。百貨白の物を背負って二十里も行くと云ふ強力鼠のもbった

Q

新ういふ不思議た行者生活を一度見受えた私は、製校に入って後も閥単科には一向身が入ら守、

何時も一例秘伝事、不思議な事にばかり心を囚はれて、校内でも嬰り者であった。それが途に、

或時

mT校の試験問泌を、何といふ事怒しに忠ひ蛍てL物議を脱した。それが後で考へると、精

一脚統一して限惣した一級の透視作用のやうたものであったやうに忠ひ、忽ち之が千里限とし℃

持て脱され、大いに評利されると、自分たがら一柳泊カがあるやうに考へさせられた。

(囚)

斯ういった地の出米て居先蕗へ、時は明治四十三年、前述の千鶴子、郁子の透叫が許制され

て途に事郎作を騒がしたのであるから、私も之に際一Vされて、頻りと透問術を研究して見た。鹿

が絞初の中は却々巧く行かない。営時の透制といふのは、密封した木箱、限封せる鍛瓶の中の

紙片の文字、或は物慨を透比する

ll印ち不透明た隔隊障碍物を透して共中に在る物を明かに

透見するといふので、比種の事は三千年の普から六一神通の内に数へられたもので、古来幾多の

2ô~

Page 279: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

賞験識は東西何れの閣にも仰はり、各闘の心銀製界では競ふて之を研究して居るのであるc

扱て私は、右の様に内.験に取りかLり、

北ハの透腕物を凝視して観念を凝し、徐々に精一仰の統

一を闘って見たが、そとへ自分の想像で以て種々の事物を浩り出し、共の認定に心を悩まして、

.ただ迷ふばかりである。之ではいかぬと朱を取直せば、今度は選定した一物のみがちらついて

際れたい。途に気がいら/¥hして中止する。

脈問くして叉賓験に着手しては又中止、

途には根気

も衆きて止して了ム。叉次の日も同じ事を繰り、返す。かくして十数日を過したが、

斯かる失敗

ぽ・3

の問に、何時とはたし、若と透脱が川来るやうた焦がし出した。そとで私は愈々勇気を振ひ起

し、自ら種々の質験を試みた。即ち、失践者、紛失物、病気たど、いる/¥hとやって居る中に、

失敗もすれば成功もする。斯うして辛苦の結巣、私は自分の透制能力に、或貼迄自信bL持つや

うになったのである。

(五)

大正三年の春の頃、

一目、友人の終介で私を訪問した男があった。彼は、失践者の行方を透

263

Page 280: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

問して貰ひたいといふのである。私は幾度も断はって見たが、是非にと乞はれて、止むたく透

視に取掛った。但し

一円一やるとなると、決心が出て自信も加はり、精一仰が共献に緊桜して自ら

紳迫力ある訴の如き昂穏を舞えた。最初私は静座棋目して、

じっと概念を凝らし、それから徐

々に紛糾の統一を闘っ

て行くと、初め耳・の没に問えて居た騒訪日が段々と聞えなく怒った。と思

ふ頃又もやゴウ/¥tと凄まじい青響と北ハに、何んだか停車場と鈍ぼしい場所が見え、やがて其

滋に一人の女の姿が認められた。髪の毛の多い屑毛の濃い、そして-MWの低い口の大きい、白秘

をつけた女で、浅黄色の枠紡の諸物に茶とM

一一…の腹合せの殺をメめた、何践とたく商山以上りらし

いと川はれるjm柄ゑ女である。同時に女の手には、古い信玄袋が持つであり、紫色の風呂敷包

を小脇に抱へて舟るのが私の自に入った。それが今停車場前の或る旋館へ入って行くのである。

私は透叫から努めて、今見た光景を訴すと、北ハ男は目を陸って、

「北ハの女の姿や服荻は悉く泊中して居ます、その泊りです。して兆の停車場といふのは何鼠で

御ざいませう」

差問ふ。私はも一度問念を凝らして無我の境に入

って居ると、ぼんやb、何虎からともなく

~64 •

Page 281: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

「千葉」の二字が凶の中に浮んで来たのである。是れで此の透説は完了したのである。共男は

事ぴ勇んで、早速千葉へ行って捜索すると、私の透制の通り停車場前の放館に英女が滞在して

居たとい

ふので、飾っ

て来て私に感謝を述べて居た。

私が此の透川刊に費した時間は僅か五分間であったが、夫が潟に私の身憾の疲努した認は非常

たものであった。併し此の一回の終験に依って、精一仰の統一を園って、民の無我一念、民のん会

一一一除一に到ゆ恋すれば、何事でも透制し得るといふ確信を得たのである。

(六)

共後、震験を東ね経験を積む中に、私は大して骨を折らんでも、或る鮪迄透脱が出来るやう

にたった。

同時に、

私が透脱をするといふ噂が停はったらしく、いろノ¥た人が訪ねて来て

は、私に透腕を頼む。病気の判断、紛失物の行方、扱ては運勢とか相場とか、或は縁組みなど

を言って来る者もあり、中には、私をまるで資卜者か何んぞのやうに忠ふて訪ねて来る人も少

くたい。私は前然、夢中にたって透税術に凝って居たものだから、何も貫一験の材料だ位に考へ

26A

Page 282: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

官会

て、・夫絡の巾込を片ツ端から引受け℃焚験をやって見た。共結果は無論失敗も多かったし又成

功したのも少くたかった。併し、斯うした幾度とない慢除の結果は、途に私をして透捌術に闘

する一ツの締まった概念を得せしむると同時に、

献身的に之が研究をやり、的眠術的方面からの

研究に取掛らしめたのである。

兵中大正一九年の秋、私は非常に面白い透闘賞験をした。

一日、友人の紹介で私を訪問したの

は、五十歳伎のけ川のよい婦人でるった。

共の諮る虎は斯うで

bる。

比の婦人に一人の娘があっ

たu

昨年の募、或人の世訴で婚を取った。虎が夫記身憾の強健であった娘が、

m府が来てからは

兎角他康M

紛れ歩、家の中も而白く行か守、此頃では何んとなく愛鰐病に総ったゃうで困って居

る。或る有名た日勿者に観℃もらったら、驚くぺし娘には免震が滋いて居るとの事である。それ

から早池不問様だの、行計だのと岳部ね姐って、共の生箆のrn一附胞を見℃もらったら、それは北の

方の却の作一露だとか、南方の女の怨みだとか一一百って、種々雑多の生盤が現はれ、之が矯に娘が

却て悩まされて気が援になる。母判例にしても、終日庄一盛の事ばかり忠ひ鼠ふやうに伝ったとい

ふのである。践

へ、私が前述の

一T奨・の失隠人を透-脱した話を凶き停へて、私に生向誌の正偶を見

246

Page 283: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

届けてもらひたいといふのである。

之は比一一と突飛た事で、却℃私の方が驚いた。

一日一は断って見たが強ひての頼みなので、私は生

感はあるかたいかといふ事は別問題として、兎に角、

北(娘が何の潟に誕際病に躍ったかとい

事を透制するととにした。最初型の如く静座眼目して概念を凝らし、

徐々に精一柳の統

一を闘っ

て行くと、漸次雑誌日が消えて悦惚とした欣態がしばし絞いたと必ふと、突然私の隣纂に、一一一十

前後の、背の高い角刈の、

意気がった男の姿が浮んで来た。次で北(の男が下町風の小締路拡絡

••

子戸の絞った家へ、這入って行く鹿が見えたのであるリその皮の表札には「木間」とい

ふ二字.

が見えた。思

im

私は此透耐を終へて替の欣態に復へる迄には、僅か五分と三秒間を要したのであZG早部其

の婦人に今腕た庭を話すと、婦人は、「まア!」

と言ってしばし呆れ顔に私の顔を腕て居先が、

やが

τ卸慌を阪はしながら詩る、

••

「恐い

/1.ではあの本間とい

ふ男の生露でしたか。

それですっかり解りました。共の本間と

いふのは、制仙の娘に於初結婚を申込んだ男です。モれが、少し都合があって断ったので、大鑓

207

Page 284: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

官会

に恨んで居るとの話を聞きました。・:・:然うでしたか、あの男の生鐙でしたか!」

e

・e

鯨人は、それと解って、永い間の謎が解けた様に喜んで腕った。私が本間を本間と見たのは

透腕力が足りたかったのか、それとも表札の文字が消えて居たのかはっきりした

い。

(七)

l、

以上、紅の…仰泌カの一班とも見るべき経歴を一寸物語ったのであるが、巴に幼時から、或る

特殊な精紳作用の研究に忠を滑めて居た私に取って、

とんな事は、蛍然の錫結である様に思は

れるυ

践で、私の透腕が愈々評判にたって、

一部の人から、生紳撲の降生でもある様に噂された。

といふのは共頃、隠同の一柳様といふのがあって、初振りよく大した噂たのでつまり、一脚様はや

り熱が昂まって居たからである。夫れに私は北ハ頃異様な長髪姿であったので、

一暦紳様らしく

思ばれた。といふのは、私は生本市頑闘で強情で、劣ける事が嫌ひで、従って人に頭を抑へられ

る惑が大総ひ。床屋へ行くと、髪を刈るに頭をつかまへて抑へるから、モれがいやさに滅多に

268

Page 285: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

床屋へ行かない。加へて生来の不精者とあって、

髪が仲び放題、長く局にかL

って居るu

それ

も一部は、少時から憧がれた山伏、行者の姿Kあやかる称気も手停った事であらう。兎に角白

面長髪、紳様にはな説への風髄であったに相法たい。

J

此の私の稚気と街気に附け込んで、

私を暖かく抱き上げた智謀者が現はれた。共男は私を抱

き込んで、板橋の紳様にしたのである。私もいたづら掠りの二十三四歳の青年時代であったか

ら、それア面白からう位の彪で、うかうかして居る中に、共の男が主とたり、

数名の仲間を作

り、或る停道式の場所を板橋の町に開き、私をモとへ勧請したのである。私は共気もなく、毎

日さまざまの人が入り替り立ち替り訪問するのを好い加減にあしらって、

大抵の事に生返事を

して居たのが山宗って、今は否感たし、そと

の紳座へ着いて、端然と俗人を見下るして、皆んな

から奔まれたければならぬ不思議た身分となって了ったのである。何んだか夢の様た話で、何

時どうし℃一柳に奉仕する身にたったといふのか自分にもしかとせぬυ

(八)

万3,I!I、

26~

Page 286: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

!ll JI.!.、

街t

争青

扱て…脚様といふものは、大庭えらい物であり、叉大愛第居訟ものでもある。

「之は械州御影のお伴土院の僧侶だった利平が、破戒の罪で俗界に墜落したのを、倒幕念M

酬の銭

め、軍資金を作らうといふ野心を抱く小泉百介に拾はれて智識様と立てられ、生側線として芝

は愛宕の山で雨乞ひの新一時をする。

それが営って、百株共の信仰を得て本営の生仰様にされる」

••••

,といふのが、吉川英治作の「遊戯若様」の本欄であるが、多くの場合、紳様といふのは捻が

れる御利輿で、之を捻ぐ智慈者が後るに控へて、それを自分の生業にするのである。されば紳

様としての私の役目は、至って能のたい仕事でbる。

私の透脱能力が評判にたって世凶では之を紳通力と呼び、それが信者を呼ぶのである。遊戯

菩薩の附乞ひが偶然に蛍ったのとは異って、私のは自畿の能力の結果であるが、人聞は高飽で

たいから一から十迄仰んでも見透すといふ誇には行かない。甚だ宛東ない次第であるが、愈々、

一脚湿の下の凶肢に端然と坐って、神殿を伺ひに来る人々と接する段にたって、始めて解った事

は、来る人々

が向分で自分の事を皆んたしゃべって央れるから、此方は居ながらにして何んで

も解り、判断も付くと

いふ事であった。それに豆大た事だあると、私が積みもせぬ中区、総務

210

Page 287: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

の人冷がその旺溢する俗智に依って、ちゃんと答集を作って呉れる。

最初は私も愉快であったο

覇気尚々人を朕服して、血気盛んた二十阿波の白面の智生が、

隠して紳綴と崇められ、〕紳殿浩りの相川品な建物の呉服に、白衣内袴に長髪をさばいて十二品の

問に…制捜を設け、しめを張り、共下に誌で治った凶臨の上に端泌して、自ら私は一柳たるが如く

に跨るのであった。総務あり執事あり、h

品川生十数名あり、玄関番が控へて、妄りに人を泊さ・4J

大した威風である。一寸考へると金く大しいたものである。総務の方では、どんな究停をするの

か知れぬが、一例肢を求むる者が日増しに多くなる

J

一般俗人、市井のJ

繰りたい者ばかりが迷信

的にやって来ると思ったに、笠に図らん、堂々たる大官、大臣時めく従業家、政誕の飢袖など

迄がやって来て榊核不口私へ公伺ひを立てる。共の求むる腐は、政界の具勤、官業外の鑓動、株

の高低などの判断である。本名は並べる事はしないが、

あんた人迄と総かるL地位に居る人物

に、山少なから守あったのである。私も全く意外の感に打たれた。

私にそんた一事の旭川間た判断が出来る筈のものでたいのであるが、モとは京受注もので、

席以卜者と逮ひ、一例校の前へ来る発等の亡者は、先づ自家、自然の内情を詳細に申上げて後、勝

2恋

rll

Page 288: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

官室

理E

援を何ふ事にするのでるるから、間違引ゅのたい政黛の由民棺を居ながらにして知る事が出来る。

それが、共場で即答したければならぬといふでもたい、彼等は自家の内情を詳述して、共の設

も機微な或る一結、岐れ

μの大事ゑ庭だけ方か左かと何ひを立てるのであるから、殆んど自問

自答の形である。私は之を獄って鶏いて居ると、何とでも好い加減に、わ"がを出さない程度の

返答をする事が出来る。或は数日中、ゆっくり紳慮を伺って沿返事をするゑど込いふ乎もある。

然うして隠る麗

へ、今度は反釣の政策人が来て叉自黛の内情真相を逐一一仰に奉台して、おか丘

かの岐路の判断を乞ふといふ事になるから、私にしては附政築の内怖が乎に取る如く解る。之

を加減乗除すると、品一定引残りの判断は必然に出ても来るのである。何んとも縫注、滑稽たー事で

資手と貿乎とが祉を割って各自の思わくを詩って行くとしたら、中に立つ者は十分に美味い汁

を吸ふ事が出氷ると同じ一暴である。一例援の前では強を昏一同ふ事はゑらぬとしてあるから、態AN

別をかけて榊肢を何ひに来る者が、心にもたい出鱈目をいふ事はたい。何れも切端訪って苦し

い時の…柳川けを乞ひに来るのであるから、くど/¥hと愚・刻を並ぺ他人には滅多に円外せぬ事迄

打別けてしゃべる、之乞慰いて居る私には、大凡その判断は必十付くのである。丸きり蛍人に

27~

Page 289: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

解らたい事を聞きに来るのでたく、解り切った事の岐れ目に迷ふて居るのであるから、私陀し

ては克もらしい、どっち付か宇の受け答をする事は治作もない。

Rつ英人の弱貼をつかむ取も

出来る。中世頃の総馬法王の沿終得らしい露似は何時でも出来るので

-bる。怨日の饗銭が多い

時には州五百尉も上ったとかいふ。

(九)

「榊様に沿伺びをするには、隠し立てをしてはいかぬ」といふ銭蒐た捻を掲げ吃位くのである

から、来る者は符なさらけ出して内怖を自白する。そして「是はどうしたものでせう」と紳段

を求める。私の方に準備村議のない事に、何とも判然した答をし得たい場合には、何れ二三日

中に叉米いと言ふてやる。或は線務の方から好い頃ムnに取たして郎す、どんな雑題でも、一仰桜

の御深慮は即答を避けるたどといふ逃げ手はある、一柳様の箔を明治す絞た事はしたい。公須山の

雨乞ひの智識様と異って、此方は本物の透刷能力者たのだから、折り/¥1総務迷をおかすやう

た名判断を下す事があって、愈んN

生…紳談の評判が高くたる。

278

Page 290: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

政界や管業界の一流者の第三番討が来る頃にゑつては、前二者の語った底に依つ

τ、内情が

大陸判って腐るのだから、彼方から一一一一円はぬ内に此方から一一日ってやると絞らは驚嘆する。新聞記

者、建が、板橋の一仰絞の五附胞を見届けゃうとて押しかけて来る頃には、此方は大分功を積んでA

此方は敵味方相方の桜秘的報を援って居るのだから、機微た消息を逆襲的に聞かせてやると、

彼らは驚嘆して、流冶は一柳様の例。同一托であると目を臆る。

大限侠座して天下

の形勢を知り、世ω介の知識を集め、前客の談を受費して後客を掩清たらし

めたと川じととに、一柳絞の智認は他から集めるのであるから、それが透制であり、神秘である

が如くれ見え、聴く者之を…柳慧たりとして之を賀行したいと箭が蛍る様に忠ふ。板橋の榊様が能

く合るのではたい、来る者が花札をさらけ出して見せて、自づと嘗てさせるのである。期うゑ

ると大官の軍役のといふのも馬鹿の様に見える。そして、自分は本営にえらい一柳様にたった様

にも必へて、

一践の夢遊病者らしい気分にさへたるのである。

「己れは榊校だ、本仲間にえらい生紳様だ、世間の者が貴賎老若皆訟判断を乞ひに亦ゆるのだ。己

れは天下を取った」

~74

Page 291: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

といふ気になって、

全く愉快た事に考へられた。少し馴れて来ると、此の神様間演は大混紙

集たもので、元来一例意といふものは、きっかりと具鐙的に示さるL佐官のものでなく.紳喰的に

漠然と隠.街の談に出るのが古今東西の例たのだから、どうでも抜け潜りが山梨る。

一般の俗人が榊絞に沿伺ひを立てる場合を見ると、老来に依って異る。老人の来る者は少い。

其の用件といふのも、

男女間の附係などは稀れで、

多くは子孫の事とか相続問題に開削して居る。

憂欝不安の顔をして来る者は、我が子女の行衛とか、家屋地所の問題で図って居る場合たどで

ある。反釣に北ハの若人の嬉しそうな顔をして来るのは、我が子女の結婚に就て何れに決めゃう

かを迷ふて居る場合たどにある。叉一治い者の場合を見ると、不安の顔をして来る者は、前途C

不安、相総問題、勝一校の試験成績に関する事、叉就職問題、慾愛関係などで、家庭の事情から

相蛍姥雑た事柄もある。何か慌てhh

京市る者は「失せ物」の判断で、時には易者の紹介に岡崎する

様たのも来る。私が一例型下の国座に坐って獄って其の入、遺の顔を見て居ると、大陸の見営が付

「君は何々で来たやうに必ふが:・・:」

沼、

~6

Page 292: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

a会

と問ふと、

来者は忽ち口を切って詳細に説明する。有りそうた問題の犬きい範図に締れて行

276

〈と、

来者は之に共鳴して問はや'詩りをする。

「ォi北ハの事は、顔に現はれて居る」

と言ふと、来・者は一柳様の明祭が犬したものだと感服して居る。十中の二三営れば、彼等は度

除を抜かれて融制嘆し、他の七八が外れてもそれを問題にもしない。

「紳も米系の事は遡確には解らたいものだ」

といふ、世間一般の概念らしいものがるるので、誠に私に取っては都合がよい。何等か不安

を感じ心迷ふ者は、榊の托宣を求めるのが人情の常で、

正直、黒直た新程一柳様の鎚兇たのだ。

つまり亡者は招か守して附いて来るのである。易者の場Anよりもやっと仕事が築たのだらう。

走ら亡者に向って、

「震は世間から剛情者と号一回はるL

が、震は大渡柔順た気質たのだ」

といふと共人は喜んで有難く私を趨奔する心になり、自分の思ふて居る庭を正直に一言ふ。そ

れだから私の判断が営る。私が嘗てるのではたい、向ふから蛍てさせてくれるのである。針手

Page 293: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

の持ち札を見て了ったら、

此方の持ち札も問遼ひたく決まると言ったものだ。人を凡て一迎有竹

の一

一部を捕

へ、

そとから出立しては後の辻畿を合せて、

封者の祭に入る様友事を一言ひくるめる

底が此方のコツである。

不正直者と見ても、

「震は正直だから」

と曾

へば相手は喜ぶ。

そして、

「其の正直た心棋の矯めに何時も縁の下の力持ちをして損をする形だ」

と曾

へば絞れは非常に等んで、

流石は一例様だけあって人の心の臭・民迄見透して居らるLと感

心する。極めて泊俗たる精一脚分析を行

へば、一柳様位ひは勤まるのである

d

臼勿者に絞ペて百・併もえらく見える一柳様にたり、判断の仕事は大混築たのであるから、

一度榊

様に・なったら止められたい愉快紅ものである。遂にはmm目を外して尻尾を叫したりするのが多

ぃ。若し私がもっと意気地たしでるり臆病者であり、叉もっと然撃で、続々小泉校如何度の敬育

しか受けて居たい人間であり、絞って自己反省の能力もたかったのたら、もっと/

1えらい紳

稼にも忽れた事であらうと忠ム。が併し、

一例様といふ生業は私には泊したかった。

Zi7

Page 294: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

〈十)

私は、刷機に崇められて、最初は愉快であったがやがて、

つくん、と人生に針する悲哀を感

じた。私の一柳様生前が飴りにもMm鹿k

々しかったのである。私のする事が徐りに無意味で、そ

れに窮屈であり、退屈であったからである。鐙の中に封ぜられたゃうた生活は、無窓・味で飽き

ノtーしたのである。

第一に私は紳様であるから、成る丈け口を利かないやうにしたければたらぬ。冗談一ツ一育ふ

事が悌られるのである。貌が訪ねて来ても直ぐ飛んで出て面合する欝にも行かたい。三十分も

玄闘に待たせてからでたければ、自室へ請じ入れる都合が付かない。思った事も滅多には口に

出して言へたい。

一言一行鐙く束縛される。使川へ行く時も一丸六人の寄生が附い℃来る。ザ抑絞

でるるが故に、俗人の絞に民を放って好い気持と笑って居るやうな不謹慎な事をしてはいかぬ。

便所の中でも普を立て、放毘する事が出来友いのである。

外出の時とても同じ事で、豪勢に寄生が五六人附いて来る。溌芋をかじった寄生営時の由民似

~í3

Page 295: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

たどは出来たい。ほしい物があってもそれを手軽く、沿いそれと買ふ事も川来たい。訟で友定

に逢ふても‘迂潤に話も川涼冷たい。

一,R

段腕が附いて居る形で

bる。高貨の人は野人趣味をmm

揮して、縄のれんへ入って見るたどいふ繁みは得られんと同じ絞に、秩父の山中で行喝ののみ子

入り迄した野人たる私が、到底とんた生前には培えられたいのである。何か吉例とか、官者の

縮問とかで、奈緒た御馳走の席に臨む場合にも、妥聞にして是からが座が賑かほたり、特を除

いで大いに寛いで愉快を識さうといふ段にたってくると、必守生一柳絞たる私一人丈けは取除け

者にされる。

「俗人の飢雑たさまを、一例撲のha

目にかけては:;:」

といふ様た事で、私は貸の山に入りゑがら乎を安うして師らたければならぬ、注中から滴りで、

好き勝手た潟へでも行かれるでもたし、誠に以て不都合千寓な生活である。勿論、私は自分か

ら計制して一例絞商自民を始めたのでは泣く、或る策士の沿一柳血(とたったのであるから、共人の銭

に除計の束縛された却もあらうが、併し、地方の製校の先生はそば屋

へ入って、いわがわ一ツ

を詰文する事も後めたいと同じ様に、此の一柳様は方々の人から民く顔を見知られて居るから、

釘9

Page 296: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

第一不作法た鹿でも見られたら一週で神様の償値が失はれる民れがある。六十を越して俗世の

~{)

快築に、何与野心

のたい泉銭材木の人間たら知ら歩、二十間援の私には、迫も我慢の怒らたい

窮鰭たものであった。

「一柳仰は凶に居るとは愚かなり何底にもたし、南にぞあり」

といふ欲があるやうに、泊向身にあるといふ事と、南方にあるといふ事とを引くるめて言った

のであるが、まあ、

一寸痩せぎすた、

姿の何彪かしまった彪のある、低脳に近い者が、紳様と

立てられるに泊して居る。制ロ者は一例校にたっては居られたい。

(十一)

走より先き一川様の仰威光が強くたるに連れて、

寄生も多くたり、枇命的にも大たる勢力を張

った。政界人の川にも、又警察方面へも私共の手が仲びて行って、段々無理押しが利く事にた

かS

一歩を譲る形である。多勢居る寄生議は、私の威力を銭に着て

る、引間では我得一銭を悌り、

傍若無人の振舞をするやうになり、咋今の暴力圏にも似た傾向を生じた。板橋の生紳様は、枇

Page 297: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

命的に俗怜の槻勢を握る事とたったのである。それ丈け、兎もすれば寄生共の行動には恕しが

だい怒採さへ作ふので、私は内心兆一だ背しい。

制緩のお一ずが不良暴m砲を行ひ、

一沙問法へば不

荒行動に陥らぬとも限らぬ。之れでは私の一

分が立たたい。一柳械もコ一年勤めて、

mmmばかりで

も紘一へがたい底へ、とんた饗訟の自に徐る不良ぷりは、私をして一

一貫にMm気を他さしめた。私

は川山ひ切って、生一例様の凶陸から縦れやうと考へた。それと打開けでは総務の方では承知し左

いし、muh生北ハも山一一けはY・米から孫ちた波になるので、どうあっても私を引mwめるに相法たい、ね

は人知れ中川帆橋の…紳担を去って、

一時身を隠そうといふ事を考へて局た。

共折り勃muしたのは、彼の縦波大助の虎の門に於ける不敬事件であった。天下の脊年は大い

に悦慨して、時の内務大阪K氏の貸住を問はなければならぬと言ひ川した

OR接いれ任のあるも

のとは言へ訟からうが、要路の責任粁としてK氏が衆目の的とたったのである0

・途に彼等科川年

は恭力に一祢

へ、

K内務大陸の邸宅に悶入し、

北ハの不都合を誇り、果ては戸障子、襖他兵の嫌ひ

往く手賞り弐第之を破壊し、特約さへ捻ぎ込んで、

K氏に向殺せよと騒ぎ以てたのである。是

等青年の中に私の方の饗牛一も二一、加はって居るとかいふ噂が作一じた。斯うたっては事が牧ま

281

Page 298: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

らない。

警察が恭力取締りの手入れをする事ともたらう。さたきだに飽き/、,した一柳様の地位

ZI!!

が、養生の恭穆に依って煩はされる一奈は心外の沙汰である。私は熟慮は己にしてある。今ぞ断

私は北川以のいたづら気分から自分の透制能力を試して見る好機合とも忠ひ、

板橋に邸を鱗

行の好機と考へて、共時、

板橋を院して大阪に赴き、生紳様の様た気持を取扮てたのである。

大阪では私は長髪を切り、俗人とたり閥粋舎の鴬に表カした。日記が叉波澗を生み、而白い話

になるのであるが、何れは他日私の自叙俸の一部として発表する機合もあらうと思ふ。兎に角、

榊割下の生活から枕して後鶏具箱を終た今日、之を問販して見ると、世に何蕗北ハ虚の生紳桜だ

の牛一仰い様だのと一一=nって居る、

何々数何々図たどいふものを信仰する人の気が知れゑいoek官で

も大授業家でも大政治家でも犬山田回一家でも、

とんと馬鹿げて見えるのである。先年、猫の死般を

機の下から引出して奔ませ‘商人や株屋方面の迷信を煽って、

一時評判になったのが忽ち消滅

したなどは、新代日本に在って賞然のととである。品目であったらあんたのが、邪澗淫澗になっ

て、大いに世人を議はした事であらう。怪しげた迷信を流行させるたどはつまらたい。

へて世人から生一例捺だの

と許制されたのであるが、何んだか廷として熱に浮かされた患者の如

Page 299: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

き心境であった様に忠ふ。世間には紳懸りと一言って、

一柳意が我身に乗り怒り、自問自答に依っ

て、紳貨をMmめるたどいふ信仰者も少なからや存花するもので、私の透観も利一仰統一の必要

上、一柳壇の下に白衣姿で端座し、ロ間行方正、資に一柳に器・仏比する人の心で居る方が、後計に能力

を愛知したかに見える。

私自身は伎一柳様とも何んとも思って居ない。喰だ…仰に事

へる心で属、た

に泌す』怒い。世に紳仰の加謎といふ一暑があるが、弱い人間の力で出来ない事も、一脚仰を念じ、

震の加護に税よる事に依って鮪撃を遣しゃうとするのは人情の自然であらうψ

但し此の弱鮪に

付け入って、

いろ/LI

のトリックを別ゐ、人の耳目を欺き、而して之を純一脚の鍍妙た作用であ

り、紳仰の加議に依るものであると抑制する者がある。一柳様にされた機快訴の序に、以下少しく、

此種トリックの二一二をさらけ出して、世人の迷夢を発・手品したいと思ふ。

(十ニ)

1. 普から、心的限術といふものがあり、之は一一位不可思議た心mm作用に依り、榊秘的危事を行ふ

・』4・

もの、そとに榊仰の加識がるると主張するのである。彼の「探湯術」とか、

燐火箸を扱い℃も

続,,也、

!93

Page 300: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

fl

会長

火傷したい「銭火の術」、全身に太い針を刺し貫いても、痛みも感じたい血も同たい「無痛刺針

Ji4

術」。「火波術」、「mA渡術」「合間不壌身術」、

「鳴火術」たど滞山にある。私の質験に依ると、

固定住サの術は何んの不思議も喝ない事で、全燃科忠一的に詮明し得られるし、何人も質地之を行び得

るものである。

第一の探湯術を行ふ者は、先づ腹水で乎を洗ひ清め『臨兵閥単刊符陳列左前』といふ九字の既

文を出へ、そして指川で安中に岡本・の縦級を重き、次に共上に五本の内側仙慨を鐙いてから、

「さら/¥Eと沸く湯怒れども立寄れば、池の清水と早くゑるぺし」

といふ呪文を唱へ、扱て徐るに、ぐら/¥hと沸ぎって腐る湯の中へ手を義込むのである。其

態度がいかにも紳銭の秘力を併り来って人間業でたい絞に見えるのであるが‘併し共の装を見

ると、生理的物判的制論で併恕されるのである。彼の行持たどが、此の探湯術を修するには、

富士山とか御獄山とかいふ高い山上で行ふ。之がトリックの一つである。高山は答集稀簿にし

て気邸が低いから湯の沸騰が平く、平地で百度乃至百二十度の火力を要するものが、健か七十

五度伏で沸騰する。そんなら少し熱加減た風呂湯位のもので、手を入れても身憶を入れても何

Page 301: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

んともたいのである。それから、先づ手を清めると紛して盤ゐ水ピ波けるのが一つの仕かけで、

それが遮断物の問を策して、湯の熱さが直接皮勝に縮れたい。艇は山黙を吸牧ずる力の強いもの

であるから、熱乞皮膚川で遮へぎる効がある。盛の代りにアルコールを翁けたら一局有効であ

る。行者は探湯には、鍋よりは後を別ゐる。鍋は潔く際いから一而に熱く危るが多だと底が深

いから‘巾央は早く沸くけれども縁の方は沸き方が遅い。モとを狙って此の微温い部分へ乎を

差し込むのである。之を見世物にする香共師連だと、湯の・巾・へ

軍曹を入れる。すると忽ち沸総

して、

いかにも熱いやうに見える。要するに此の如き探湯は、心録術も紳仰の加訟もいらたい、

誰にでも川来る仕かけに怒って居るのである。

「剣のmA波り」は一名路忍術ともいふ。光鉾陣織として秋水したLる如き白刀を立てた上を、

紫足で渡り又は・梯子の如く組んだ剣のmAを昂降するので、観る者をして膚にω択を生ぜしむる、

一見危険至極の術である。此侃仰は昔は良品一一口秘密の法術とゑし、

秘総六方の一つとして、最重大

観され、門外不出の秘術として、唯だ口授口俸に依って僅かに臭俄を授けた。之を行ふに蛍つ

ては、様々な例文を喝へ、印を結び、

一心不鋭にたって紳併の加護に税ると信じて行ったもの

28i

Page 302: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

t:i;、

惑を

f長

である。民す秘密の法を修する一行者の打明話に臼く、

「向介は最初の利倍、民商Uになって身を縛め、それん¥h祈隠たどして剣渡りの印を結び、呪・寸〈

を悶へて、それぜmAの上を渡って居たが、主ハの後純度も之を行ふ悶に、印も呪文もいらぬ、誰

れにでも川来る事の様に川山はれ、帥mだ気を落着け、注意して静かに剣の翠を渡って見ると、少

しも足が斬れて阿川ない。そとでいる/¥l考へて見ると、人間の足と限らキ何んでも真直ぐに刀

物の上にむいたなら、滅多に紛れるものでたい。それが斬れるのは、暴党刃物の上bL滑らすか

らであるu

mA波りの術も紛う解って見ると、生理、物理の問領で、一新筒師、紡印、開文危どは用

のたいもの、唯だ初心析が、自分の条を静め、自信力を偽る潟めの一方俊民一過ぎ乞い」

とリ現に私は此の刃渡を一場の沿慰みとして幾度も賓験して居るのである。

も一

ツ「民剣白mAの術'一といふのがあって、

回定は昔、柳生流や官民彩流たどで、極意秘俸の一

っとして非常に系大制したものと肴はる。印ち氷のやうた真剣を以て腕を打って引き、或は白

双を握って引き、叉は頬へ一文字に白忍を引いても決して祈れ怒いといふ訟である。奥行脚た

どが此の術を行ふ時には、mAに萎の泊など綾る。但しそんな無駄た手段には及ばぬ。震は聯れ

.!So

Page 303: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

たい物理法則に依るもので、…仰仰も不思議もいらぬ事である。之は忍を引く時、カの平均を失

はないやうに注意する丈けで山川来る。平均を失ふと斬れる。

でるるから反のある刀ゃ、鍔のあ

る刀は引く時に、カの平均を犬ひ易いからやりにくい。術宥は大概内鞠か化込杖のやうた一はり

の少たい、鍔たしの刀を使川するのである。聞記も私が度々質験して舟る事だ、何時でも試めし

て見られる。

唯、

一般人は高一斬れやしたいかと考へて跨川崎し、それが矯に手元が狂ぴ、過失

を生中る事がないと限らぬ。兎に角、道理上決して斬れるものでない事丈けは保授する

J

次に「火伴術」

といふのは、

相門的仕かけが大きいので、

制偶者を総かすのでるる。此術は能く

例外似山の行者叉は山伏などが行ム方法で、先づ桧割木又は木茨を長さ二問、巾一九尺位に提き並

ぺ、共の四隅に竹を樹て、日民連綿を張り御幣を立て、四隅から火を放って炎AM

と燃えて居る問、

行者は「火液詞}や「火鍛腕詞」を上げて新騰を行ふ。扱て木炭が悉く火にたった頃、助手は

棒を以て徐燐を背問過に叩きつけ一ゃらにする。殊に人の渡るべき民巾の路筋丈けは、まるで火の

気の見えないm何回く叩きつける。それから方々に駿を撒くo

特に人の渡るベさ怖筋の入口には

L・2b

m内山の照を積んで置いて、

渡る人には共の墜を耐足の鯨で能く踏みしめさせ、充分漁して泣い

~7

宏、

官会

Page 304: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

Z弘

てから波らすのである。

行者は先づ火に幻して九字を切り、綬いて「森」といふ字を蛍円き、次に「斌」の字を火に向

って此聞いて、最後の一貼だけを日比一花に打ち込み、そして大海の印を結び「オンアピラウンケシ

カンマンボロン」とい

ふ明文を五伯七惜したがら、素足で小足に早く波り、後信者や診拝者bL

綬いて波らすのである。同記が火波術なのである。

此術bLmm附心箆一術家は、法力とか一脚力とか秘して、

非常に紳秘不川誌の秘法の如く吹潟して

腐るのであるが、併し事代は決して不必議でも紳秘でもたい、物洲現象の一震験に過ぎぬ。

何故ならば、一冗然、判官薪や松茨は、他の淡に比して火力が弱〈又消え易い。今試みに松の淡

火をmuの上に洛して直ぐ拾ひ上げると、焼痕がないのみか、却って火が消えて昂るものである。

相似決は期総に火力の山仰い蕗へ、共上へ深山の箆を撒くから一段と火力を減じ、紫足で波つ

τも

火似をする程に熱くは皮膚に感じたいのである。

とんな絞な所制心娘術、一仰秘現象たるものは、他にも深山あるが‘廷は又一拐して幹細に述

ペる機合もあらうし、私の生紳絞の賓験談は走れで一旦終りとする。

おS

Page 305: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

忍術俸書目録に就て

古来忍術に闘する保持

ll文献といふものは絡針秘密にされ、滅多に世に一示されたかった。

忍術共物も門戸を桜って能人でも随意に製ぶといふ一都も川派歩、第一忍何者が何自助に肘るかさ

へ知れぬ松にしたのである。従って、北ハの川町笠岡たども一子相似

ll向からお子へと体へられ、

他人の鋭ひ知るw引を許されゑかった。そして、大事訟貼は記録にも紋せられ歩、唯だ仰絡の問

に口で体へ詰問されたのである。之は忍術北九物の性質上賞然の事でるらう。前にも述べた泌

p.

何務の総菜は忍術者であるといふ事が明かにたったら、品川問は之を旅意人物にするから、忍術

清も忍術を施ヂによしたしで、存在の債似が無くたる。己に忍米自らの存在をも料密にした訟

であるから、共の体書の械秘されたも砂同然である。

それでも忍術粁は作自心佼えの鴛め、術に関する記録物を作ったもので、殊に徳川時代天下

信長

箆栂

Page 306: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

泰子の同諸々の駿術も唯一歩し、各般の調率も綿密にたったから、

此の風潮に衆ぜられて、忍術

の文献も各自の鋒潟で相蛍の量に建する迄書き残されたので

bる。今、著宥の乎一%に在る中の

一一部を左に鋭す。

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天地人三冊

E高

i毎

---az--,I

F

十世(延銭九年〉

上下

二冊

伊焚者大向給

一mwハ寛政九年)

軍決侍川集中窃絞巻

三巻

甲賀忍之川町米来記

一mW〈文化二年・V

忍術秘伸縮忍H総

iJfr

甲賀組山特番

一mW(天保十年・》

伊賀者巾緒

一mW〈享保二十年V

伊賀之対御山緒之強虫同

一世〈質勝十

一年V

~90

Page 307: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

甲賀二十一

家先祖嘗

伊貧者火術秘書

伊賀者火術秘体昔

忍続一盗流 秘密i戦帯 手之鑑巻

高川集海軍妥秘記

m賀流勉術.制審

郷家流出納箆秘傍

忍術具之間合

忍術Mm意秘密経

訓閥集中一火透論

-・ー・ー・・ーー・

聞各

自任

. -

(究文十二年V

一mW〈寛永一冗年)

fJ~ iHt 愈官EfJIt 傘一巻(俊長九年》

念港官E官E

201

Page 308: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

八門沼周之谷

iIIJ'

!9!

一子相伴常流忍大極秘

m

忍道梯構論判漠忍利詮詑川抄

・甲賀流忍之訟

甲賀流忍術秘書感議縛

忍E 忍問答 夜、

記術

開港(・双一総三年V

上中下三谷(延賓九年》

官II' iJD

亨享保保・1・ -1-ノ、-~ . 年、J 、J

主総出(延賛同年V

皇漢山来事

一程ハ延費同年》

二十一審(廷賛同年》

土中下三位匂(寛文一冗年》

一巻《天王十三年》

箪随臆浪記忍之巻

忍術英議秘警

ノ、十

傘傘

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Page 309: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

昭和十一年八月十四

H印刷

昭和十一年八月十八吋溌行

著号変EfJ ~ n

作行席リ所

「忍術秘録」奥付

【定債一回玄+銭】

西

東京市紳田川阻紳保町ニノニ九

電話九段〈岱)二九五五番

振替東京八四

O八三番 澗

く所AOlJ印枇失宏・京来〉

Page 310: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

世死

西

虚主タ忌

t~五目口

会文線

ルピ付九ポ組

λ

人生れて一

度は必中死たLければ怒らぬ。死は高人の縫け難き般然たる端慢である。

しかしてと

の死

の問題に就て、古今東西の哲思考、宗教家が各々心血を注いで、モの

道を説いてゐるのである。

今一者以引が日はんと欲するのは、

死の問題

についての形而上接的解説ではたい。死と

は何ぞやの珂論的解脱抑は、しばし患者、宗教家にまかして泣かう。先立死の発情如何

によって新しき天と地が開かれ、失意は得意に愛り、偉大たる仕事が完成される事笈

を、

著者はあらゆる方面よりとの生ける事震を集成して、死の覚悟のいかに重大怒る

意義あるかを高剥せんとするのである。

いまや総ての方商に行き詰りを感じ、

何とかして現欣を打破せんと凶えてゐるの

ある。商人も、

令一町長も、質業家も、軍人も、患者も共他すべてが。而してζ

の解決

方法とそは一に「死の健悟」如何にかL

つてゐる。

Page 311: Fujita Seiko - Ninjutsu Hiroku

~ " τ二一『

〈日本海員組An副命首長)

内容目次

演る漂流者の手間

海に闘する詩歌

海の践を訴るタ

謎ゆ失綜

海洋に関する、迷信と女性

戯山「ダンキ」

或る船長り泣嘗

海洋文鳳平の紫拙

側加工船

精ス

露中 9

を2

チシプ

1の最後

絶海の武陵桃源

線鈍物語

海人夜話

貿易風航海を総ふ

帥を凡し人々

海上生前の思

ω出

大小作と縁のめる人々

情周介e

ゲ』驚

-YLK我閥海運

の開跡巡

讃.J、

定債-間五十銭

日本海員回介を脊負って立つ説明対は、またそ

の雌知怒るやbLもつ

τ、機名を績はれてゐる。

ヘンネ

1ム米庄太刀雄の名は、骨って高等商

般胤一段

hzmるや「仰のローマンス

一を著して

洛協の紙似を角からしめたのである。

海洋に

関する文棋を沿っては、怒らく著者は税関に

長ける最高峰・であらう。

今やまた一メル・エスプリを議ふ一たる.随

名の下に、海に附する交感、

詩歌、物詩、戯

曲、漂流淡、荷談、紀行、研究.論文を集め

て世に断る。海洋日本を絞へる我々は‘また

此の一審「ぺ洗町一宮縫ふ」の名・文を得て、

海洋的利の同県縫に鰯るLをねかり。

乞ふ上述の内政官円次を管見して、必読され

ん事を。