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vol.35 ※表紙は QOL House ー病は気からー /渡部 陽治 道都大学美術学部建築学科 2008年度 道都大学美術学部建築学科 卒業設計優秀作品 Cover Design : " QOL House " by WATANABE Youji, An outstanding work by a graduating senior, class of 2008, Dohto University. ISSN 0917-5253 発行/道都大学 美術学部 国際建築研究所 2010年3月10日 企画・編集/国際建築研究所 制作/bosco 印刷/株式会社北海道機関紙印刷所 道都大学 美術学部建築学科 国際建築研究所 機関誌【イグルー】

FUJITSUKA Mitsumasa 20写真は建築家の岡啓輔が自力で建設中の自宅で、建築名は「蟻 鱒鳶ル」(アリマストンビル)。地の「蟻」、水の「鱒」、空の「鳶」、巨

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Page 1: FUJITSUKA Mitsumasa 20写真は建築家の岡啓輔が自力で建設中の自宅で、建築名は「蟻 鱒鳶ル」(アリマストンビル)。地の「蟻」、水の「鱒」、空の「鳶」、巨

vol.35※表紙は QOL House ー病は気からー /渡部 陽治

道都大学美術学部建築学科2008年度 道都大学美術学部建築学科 卒業設計優秀作品

Cover Design : " QOL House " by WATANABE Youji, An outstanding work by a graduating senior, class of 2008, Dohto University.

ISSN 0917-5253

発行/道都大学 美術学部 国際建築研究所   2010年3月10日企画・編集/国際建築研究所制作/bosco印刷/株式会社北海道機関紙印刷所

道都大学 美術学部建築学科 国際建築研究所 機関誌【イグルー】

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 写真は建築家の岡啓輔が自力で建設中の自宅で、建築名は「蟻鱒鳶ル」(アリマストンビル)。地の「蟻」、水の「鱒」、空の「鳶」、巨匠の「ル」から岡の友人が名付けた。 岡がこの地に鍬をいれたのは40歳の2005年11月26日。そして、僕が藤森照信と供に初めて訪れたのは、それから約3年後の2008年9月の暑い日だった。 坂の途中にある敷地は約40㎡、両隣をマンションに挟まれた隙間のような土地である。すでにGLから1層くらい顔を出していたが、岡啓輔は、ここに地下1階地上3階、合計100㎡のRC建築を作っている。 約1年かけてGLから3m掘り下げる途中、各時代の層からモロモロが出土したそうだ。-3mはいつの時代の地表だろうか。その土は久しぶりに陽と風に触れたのだ。 そこが岡啓輔が立ち上げる建築のベースとなったが、岡自身にも、セルフビルドが可能になるベースがある。設計は無論だが型枠大工の経験が7年と長かった。他に土工、鳶、鉄筋工、大工などの経験があり、これが「一人ゼネコン」の工事を進める上で大きな力になっている。資材の砂利やセメントは道から-3mに落とされ、攪拌機とともにこのレベルに置かれ、混合攪拌後、バケツに入れてウインチで上階に運び、RCを打設する基本システムを作っている。図面は頭の中にあるらしい。物理的な資材はすべて現場内に置くしか余地はなく、そこから、まるで蚕が糸を吐き、繭を作るように作業を進めているのだ。 岡のRC打設は独特で、深さ70cmと決めている。人力だけで事を運ぶためもあろうが、打ち継ぎ面を徹底的に掃除することで、水漏れをなくすためだそうだ。掃除は半端ではなく、掃除機をかけ、ブロアーで飛ばし、水圧洗浄機で徹底的に洗う。それには70cmという手が届く深さが限度だという。また、この深さだと RC の横方向への圧力も大きくなく、危険と失敗がない深さで、しかも打ち継ぎから壁を自在に振ることも容易だとも言っている。地下擁壁の RC にはベストンという石の粉をまぜて打ち、特別な防水は行わなかったが、問題はなかった。また、小

規模な建築の場合、RCはルールを守れば、木造軸組のように技術を要する方法より、セルフビルドに向いているという。 1年2ヶ月ぶりに再び現場に行くと、セットバックした部分が1層ほど進んでいるが、建設現場の進行スピードというより、なんだか植物の生長を見るようだった。 聞くと「完成まで、あと、3年かなぁ」という。大変だろうけど、楽しそうだなぁ。こんな楽しいことを金を払って、他人にやらせてたまるか、と思っているかもしれない。 フッと、「-3mの地面には地層から出てきた石やモロモロを配置した庭を作りたい」だと。庭かぁ狭小地に、魔物だぞ庭は。岡は最も古い地表にこの地の歴史をちりばめたいのか、それとも古い地表をいたわるのか。岡の余人の及ばない感性が見えた。 岡啓輔も偉いが、奥さんの忍耐と寛容と援護がなければ成り立たない作業なのは間違いない。 この建築、実に建築家・岡啓輔45歳の処女作である。

E a r t h - t e c t u r eアース・テクチュア

写真家

藤 塚 光 政FUJITSUKA Mitsumasa

H e l i c o主宰

20[岡啓輔の「蟻鱒鳶ル」]

アリ マス トンビ ル

20

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欧州の暗い冬

  北海道の冬は寒く厳しいけれど、明るくて爽快だ。年を重ねてから、冬がいいなど思ったこともなかったけれど、今はそう思う。 この冬は、三カ月余りオランダ、ロッテルダムで暮らしていた。11月は、ほとんど毎日冷たい雨が降っていて、日差しを浴びたのは、いや目にしたのは、1週間で数時間である。いつもどんよりとした雲が覆い、夜と夜明けの区切りがなく、日中も薄暗く、夕方と夜の区切りもない。話には聞いたことがあったが、これが「欧州の暗い冬」だと肌身に沁みてそれを感じた。 借りたアパートの場所も悪かったかもしれない。移民が多く暮らすその地域では、12月に入っても、クリスマスの華やかで、ロマンチックな雰囲気はない。日本では、クリスマスの電飾がオーバーではと、議論しているとのニュースを耳にしたが、この地にいると、暖かい明かりに飢え憧れる。住宅の窓辺の明かりも、キャンドルも必然だ。センスの良いインテリアも、重苦しさを和らげるためだろう。 静かな朝、カーテンを引くと、アパートの前の運河がすっかり凍りついていた。十数年ぶりとのことで、一時、スケートを楽しむ子供たちの歓声で、心が和んだが、その日から寒い風は強まったようだ。オランダの住宅地は、世界で一番美しいと今でも思ってはいるが、都市では、ごみや犬の糞が放置され見苦しい。麻薬や売春も認める国の二面性と旅人には

思えるが、そう単純なことではないのだろう。 帰国した次の日、朝と感じる日が差してきた。雪に反射してより明るい。雪も悪くはないものだと思ったりして、勝手なものだ。

●魚眼図「欧州の暗い冬」北海道新聞 H21(09).3/5 付より

 「格差社会」と「住み分け社会」とは、スラムのあるような開発途上国では同意語でもあるが、先進国では、少し意味が違う。「格差」は、主に収入など金銭的なものだが、「住み分け」は、人種、宗教、年齢(主に老人)、そして職業や趣味趣向など人生への姿勢の違いによって住み分けられている状況を言う。その典型的なものが、同胞が集住している例である。 オランダのロッテルダムは、ヨーロッパ最大の港湾都市であり、多民族都市でもある。私の暮らしていた家から街の中心部に歩いて行くと、リトル・イスタンブールに始まり、リトル・カサブランカ、リトル・デリー、そして駅近くが定番のリトル・シャンハイとなる。それぞれ 100mほどの商店街には、お国の衣類、祭事用品、旅行会社、理美容院、食堂があり、スーパーマーケットに行けば、その国の食料はほとんど手に入る。バスに乗れば、いわゆる白人は一人もいないこともよくある。一方、デパートや美術館(無料日でも)に行くと、逆に移民の人を見かけることはほとんどない。 各国でよく見かけるが、芸術家(一般に貧しいので家賃が安い)が集住している地区もある。時々ア

トリエの開放日があり、展覧会のパーティーがある。ぶらぶら歩き回って、ワインなどいただきながら雰囲気を味わうのもまた楽しい。 窓に張られた「売家・貸家」の不動産会社のインターネットページを開くと、その物件1km範囲の居住者の傾向を表示しているものもある。これは「格差」や「差別」ではなく、人それぞれに、快適空間が異なるということである。

●魚眼図「住み分け社会」北海道新聞 H21(09).5/22 付より

“European Dark Winter” Winter in Hokkaido is cold and severe, but it is bright and refreshing. I stayed in Rotterdam, the Netherlands for three months in this winter. In November, it rained almost everyday. The sky was covered with grey clouds, daytime was dark and there was no separation between evening and night. I felt that this was European dark winter.

“Segregate Society” The gap society and the segregate one, they almost mean the same in the third world countries, but not in the advanced ones. The word segregate as cited above, implies differences of a race, a religion, an age and so on. For example, Rotterdam has some ethnic sections like Little Delhi etc.. You rarely see white people riding on buses but you seldom see immigrants in the museums or in the department stores. You would come across the housing information showing ethnic backgrounds of the residents in the area where the proper ty is located within one kilometer. It connotes that people respectively have their own comfortable spaces.

欧州の暗い冬

住み分け社会

 2008年11月から翌年2月まで、私はオランダ・ロッテルダムに暮らしていました。聞くところによると前年

は、穏やかな晩秋から冬であったようですが、この年は十数年ぶりの寒さですっかり運河も凍りついた。

一時陽光を求めて、フランス・プロヴァンスへの旅にでましたが、当日マルセイユが23年ぶりの積雪とな

り、海岸でスキーを楽しむ様子が、ニュースで流れていました。やっと空港が開いたのは2日後でした。

1888年、フィンセント・ヴァン・ゴッホがアルルの駅に降り立った日も、28年ぶりの積雪だったというから、

運が良いと思いましょうか。

I lived in Rotterdam, the Netherlands, from November in 2008 to February in 2009. That winter was coldest in the past dozen years or so and the canals were frozen over. When I took a trip to Provence in France, it snowed in Marseille for the first time in 23 years. Maybe I was lucky because the snow also lay thick on the ground for the first time in 28 years on the day when Vincent van Gogh got off the train at Arles Station in 1888.

美術学部建築学科 教授国際建築研究所 所長

倉本 龍彦KURAMOTO TatsuhikoProfessor, Department of ArchitectureDirector, Instiute of International Architecture

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European Dark WinterFRANCE

GERMANY

I T A L Y

SWITZERLANDAUSTRIA

BELGIUM

NETHERLANDS

UNITEDKINGDOM

S P A I N

LUXEMBOURG

0 3 【欧州の暗い冬】European Dark Winter 【欧州の暗い冬】European Dark Winter

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  海外で散歩に出ると、カフェに立ち寄ってコーヒーを片手に、ぼんやりと外を眺めているのも楽しみだ。しかし間違っても「カフェ」であって、「コーヒーショップ」に入ってはいけない。ここオランダでは、「コーヒーショップ」は麻薬を扱う店だから。 立ち寄ったカフェは、マース川(上流ではあのライン川という)の河口近くの波止場にあって、日当たりも良く、行きかう船でゆれる波頭が光り、気分が良い。でも気分が良いのは、どうもそのせいばかりではない。気がつけば、大きな人が多いオランダにしては、珍しく椅子の座が少し低めで、私にも馴染みやすい。そして何より先ほどから静かに流されている音楽が、ビートルズ以前の、あの「いとしの」オールディズである。 店の人も親切だったし、料金も他に比べて安かったこともあり、知人に会うとすぐに「こんなカフェを見つけた」と自慢した。すると彼は、「それは、スピーキングカフェだよ」と答えるのだ。え、それは何。 オランダの居住形式は、ほとんどが

集合住宅(マンションやアパート)だ。昔から、大海原に乗り出すのも、堤防を造るのも、共同作業だったから、抵抗感もないらしい。高齢者専用の集合住宅も多くある。ロッテルダムでわずかに戦災をまぬがれ、中世の面影を残すデルフス港一帯は、再生が盛んで、奇抜な高齢者用集合住宅も多い。 しかし、集合住宅はやはり閉じた空間だ。そこで、「スピーキングカフェ」が登場する。高齢者が孤独感を感じたら訪ねるカフェで、ここでは、一人きりの人には、話しかけなければならないのがルールである。

●魚眼図「スピーキングカフェ」北海道新聞 H21(09).4/27 付より

“Speaking Cafe ”

It is a pleasure to look vacantly at the outside in a cafe if I go to foreign countries. However, you must never go to the “coffee shop”, because the “coffee shop” treats drugs in the Netherlands. The “coffee shop” is different from a “café” in the Netherlands. In addition, there is a shop called “speaking café” in the Netherlands. The speaking cafe which comes if an elderly person feels loneliness. There is a rule here that you must talk to person coming alone.

スピーキングカフェ

600 5

デン・ハーグ市庁舎 アイントホーフェンの現代建築(以下D、E同様)

デン・ハーグ市庁舎 内部

デン・ハーグの現代建築

A

ロッテルダムの現代建築(以下A、B、C、D同様) アイントホーフェン美術館

アムステルダム 湾岸地区の現代橋

アムステルダム 湾岸地区の現代建築(以下F、G同様) F

アイントホーフェン美術館 内部 D

B C

D

ロッテルダムの現代長屋

ロッテルダムの刑務所 E G 路上小便器(アイントホーフェン) 立小便は罰金90ユーロ

【欧州の暗い冬】European Dark Winter 【欧州の暗い冬】European Dark Winter

アムステルダム

ユトレヒト

スヘルトゲンボス

アイントホーフェンフェンロ

ロッテルダム

北海

デルフト

デン・ハーグ

NETHERLANDS

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  仏・プロヴァンスの主要都市マルセイユを訪れたのは、この冬。二十数年ぶりの大雪の翌日で、ヨットの上に雪が積もっていた。画家ゴッホのように、凍てつくオランダから、陽光まぶしい南フランスへ逃げて来たのに、寒気も一緒にくっついてきてしまったようだ。 そのマルセイユには、世界で最も有名な集合住宅がある。1952 年(昭和 27年)竣工、長さ 165m、高さ 56m。中には、350 戸ほどの住居と、バー、レストラン、来客用宿舎、生鮮食料品店、幼稚園、運動場まで備えた、1600 人の小さな村といえるものだ。 ここへ行くには、22 番のバスに乗って、バス停「ル・コルビュジェ」で降りる。このル・コルビュジェこそが、この建物の設計者で、20 世紀で最も著名な建築家である。 この建物には、数多くの目新しい試みがあるが、その中でも、ここの住居の形態(形式)が特徴的だ。極めてシンプルなのだが、見慣れた同じ 3LDKの住居が連なるのではなく、独身者から、子供 8 人の家族までに対応した 23 種

類の住居で成り立っている。少し専門的だが、このことを可能にしたのは、本体の柱や梁と分離した箱が住まいとなっているからで、家族が多い家は、その箱を増やせば良い。マッチ箱の外箱が構造本体で、中箱が家なのである。 建物を見た人が誰でも驚くのは、巨大なピロティー(1 階部分が 2 階に浮いて、1階は柱だけのもの)だ。 コルビュジェが理想を具現化したものである。「都市の大地は公に解放され、途切れることのない公園として、歩行者のものになる」と。

●魚眼図「マルセイユの集合住宅」北海道新聞 H21(09).6/29 付より

“Housing Complex of Marseilles ”

I arrived at Marseilles, one of the major cities in Provence, on the very next day of the heaviest snowfall in twenty years. Marseilles is noted for its huge housing complex built in 1952. The complex has roughly 350 housing facilities, capable of housing 1600 residents, along with bars, restaurants and shops. In order to get to the complex, take No.22 bus and get off at the street called Le Corbusier. The street is named after one of the world-renowned architects in the twentieth century, Le Corbusier, because it is he who designed the complex.

マルセイユの集合住宅

800 7 【欧州の暗い冬】European Dark Winter 【欧州の暗い冬】European Dark Winter

ニーム

マルセイユ

マルティーグ

アヴィニョン

アルル

地中海

FRANCE

マルセイユの下町(以下A、B同様) マルセイユ 旧慈善院 ユニテの屋上保育園

ヨットの上に雪マルティーグ旧市街(以下D、E、F、G同様)

D

E F G

かの有名な、カラフルなバルコニー

マルセイユのユニテ マルセイユ ユニテの内部

A B

マルセイユ港(以下C同様) C

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  南仏の古都アヴィニョンには、10 日間も居た。行く所がなくなると、ローヌ川に行き、アヴィニョンの橋(サン・ベネゼ橋)を眺めていた。朝日の橋も、昼も夜も眺めに行った。  12 世紀に竣工したこの橋は、1660 年の大洪水で 5 分の 4 が失われた。それ以来無用の橋であったが、川の途中で途切れたその姿が美しい故に、今日まで現存している。橋は橋脚部がアーチ形の石橋で、長崎市のめがね橋のような半円ではなく、皇居の二重石橋のような 3 分の 1 円だから、水面に映ると切れ長の目になる。やさしく女性的だ。 南仏にはもう一つ美しい世界遺産のアーチ橋がある。ニーム市に給水するために造られた、ポン・デュ・ガール水道橋だ。全長 275m、高さは何と 49mもあるというから、十四,五階のビルの高さになる。橋は 3 層のアーチ石橋で、こちらは堂々としていて力強い。紀元前から存在していたというが、納得できる風情だ。 このようにアーチは、石や煉瓦積み建築の、窓などの開口上部を構成する

技術で、古代の組積造建築最大の発見でもある。石造文化の地方では、聖堂の回廊や都市の外廊はことごとくアーチである。一方、日本建築は木造が基本だから、開口部は容易で、したがって曲線よりは、縦横の直線が魅力である(山口県岩国市の錦帯橋など、奇跡と思える木造アーチもあるが)。 街を離れる前に、もう一度アヴィニョンの橋へ。橋は夕日を受けて、少しずつピンク色に染まっていく。ずーっとみとれていると、不思議なことに橋は、仏のように静かに微笑んでいるようであった。

●魚眼図「アヴィニョンの橋」北海道新聞 H21(09).7/29 付より

“The Avignon Bridge ”

When I stayed at Avignon in France, I often went to see the “Avignon Bridge.” It was completed in the12th century and 80%of it was lost by the big flood in 1660. But it has been existed and we can see it now. The “Avignon Bridge” was made of stones and has arch- formed piers. The form is beautiful and has a “female” image. ( There is another famous bridge in South France. It is the “Raised Aqueduct of Pon de Gard.” ) The art of “Arch-formed” has been used since ancient age and it is a representa-tive art in stone- cultured countries.

アヴィニョンの橋

010 9 【欧州の暗い冬】European Dark Winter 【欧州の暗い冬】European Dark Winter

ニーム

マルセイユ

ポン・デュ・ガール

ヴィルヌーヴ・レザヴィニョン

ゴルド

ボニュー

地中海

アヴィニョン

アルル

FRANCE

ゴルド村 全景 アルルのサン・トロフィーム教会 アルルのサン・トロフィーム教会 回廊 ゴッホ「夜のカフェテラス」

ゴッホの入院した病院ポン・デュ・ガール橋

ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンの修道院アヴィニョンの集合住宅

アヴィニョンの橋

ゴルド村 中心広場

ゴルド村 路地 ボリーの石の村 B

A C

セナンク修道院(以下A、B同様) 雪のボニュー村(以下C同様)

ゴルド村 斜面にへばりつく家

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Alberta Hospital(大学病院・アトリウム:ペデストリアン空間)

Pedway(Above)-Ⅰ(民間ビル間を繋ぐ)

Hub Mall(学生寮+Shopping mall)

Edmonton downtown Map(Compact City Core System)

Pedway(Above)-Ⅱ(通路がカフェ空間と融合)

実技技能講習会

建設工事現場見学会

校舎前景

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【 特 別 寄 稿 】 O p e n C o l u m n .

開校式の写真

北海道名寄産業高等学校建築システム科長

和田 博之WADA Hiroyuki

地域に信頼される職業人を目指してーまちづくりをとおした人づくりー

『北方圏積雪寒冷地都市アルバータ州のこころみ』

 本校は、名寄光凌高校と名寄農業高校が統合し、平成21年4月に開校したばかりの新しい学校です。工業科、農業科、家庭科による職業学科集合型の専門高校として、地域と連携した取り組みを積極的に展開し、地域産業の将来を担う職業人を育成しています。 平成21年度北海道教育委員会より「専門力Upプロジェクト」実践研究校に指定され、3カ年かけてものづくりを中心に地域と連携を図り、社会に貢献しようとする正しい職業観を育成する取り組みをしています。また、各種検定や資格取得をはじめ、ジュニア

マイスター顕彰受章にも力を入れています。 建築システム科のプランニングコースでは、各種コンペの応募や、名寄市役所や商工会議所などの協力を得ながら、名寄市空洞化対策の都市計画案など、まちづくりを考える勉強を進めています。 テクニカルコースでは、ものづくりコンテストをはじめ、建設現場見学や熟練技能者による実技講習会、3級技能検定(建築大工)実技課題対策などを実践し、成果を上げています。

アルバータ州はカナダ西部に位置し、内陸各州都へのハブ空港としてのバンクーバー市(*今期の冬季五輪開催地)から1.5時間余りで州都エドモントン市や1988年冬季五輪開催地カルガリー市などロッキー山脈を背景に寒冷地都市を抱えている。 エドモントン市はダウンタウンが“Compact city core”で構成され、比較的狭い範囲に商業施設・市役所等・広場含む公共施設が集約され、地下鉄と各レベルでの歩行空間がリンク

している。1970年代より構築が進められた街だが人口79万人を寒さから守るための工夫が中心街の民間施設をどのように結ぶかについて“Pedway system”が屋外に出ることなく循環歩行を可能にしている。そこには福祉的要素としてのユニバーサルデザイン化やサスティナビリティを心得た冬期間の暮らしの在り方が内部と外部空間要素に深い配慮の目が向けられている。さらに多民族国家としての福祉政策の多様性や先進性に感心させられる。都市福祉環境への意識の根底には歴史のプリミティヴな移動生活から学んだ暮らしが起因しているのかも知れない。 多積雪寒冷地の都市・札幌にとって多くの示唆が伺える。

積雪寒冷地・都市福祉環境調査研究Edmonton,Alberta,CANADA

木下泰男KINOSHITA Yasuo

非常勤講師・地域建築道東圏+J.Ma.J.研究建築思潮アトリエ

坂下裕基SAKASHITA Hiroki

●第24期生 (静岡県立静岡工業高等学校出身) 静岡県立島田工業高等学校 教諭

水野絢介MIZUNO Shunsuke

●第24期生 (静岡県立島田工業高等学校出身) 静岡県立島田工業高等学校 教諭

卒 業 生 を 訪 ね て

M e s s a g e f r o m A l u m n i .

大学で教員を目指し願いが叶う

 私達が道都大学に進学を決めたきっかけは、高校時代の担任である永田進先生、杉山諭先生の推薦でした。国内でも数少ない美術学部の建築学科に進学することに決めました。静岡から北海道という遠いところで生活をしていく不安もありましたが、担任の先生の「実家から離れたところでいろんな勉強し、人間を磨いてこい」という話を聞き、迷わず決めました。 在学中は、教員を目指していましたので教職課程も受講し、1 日の中で空き時間が無いほど多くの講義を受けました。友人と協力し建築設計競技に参加したり、道内の建築物巡りをしたり多くの経験をしました。また、卒業設計では一日中製図板に向かい、納得のいく作品を完成させることができました。 卒業後は、静岡県に帰り工業高校の講師をさせていただきながら教員採用試験を受けていました。実際に教壇に立つことで 40 人の生徒に教えることの難しさや、1 時間の授業をつくる為の準備がものすごく必要なこと、授業をするには建築だけに留まらない幅広い知識や経験が必要だと痛感しました。また、生徒の人生に関わるという大きな責任を感じながら勤務しております。 私達は、夢を持ち目標を設定することにより努力をすることができました。これからは、目標を持って取り組むことを生徒に伝えていきたいと思います。

文:坂下裕基

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佳 作審査員

特別賞

池本 進「水色の伝承~「変わるもの」・「変わらないもの」~」北海道札幌工業高等学校建築科3年

梅本 昌慶「みたらし団子屋の船頭さん」兵庫県立東播工業高等学校建築科2年

岩橋龍之介「思い出の石橋と共に」大分県立日田林工高等学校建築科2年

東 優樹「船頭の家」北海道名寄産業高等学校建築システム科3年

大川 勇太「渡りに舟の家」青森県立青森工業高等学校建築科3年

中込 慎也「橋。記憶。そしてつながる~記憶のパズル~」山梨県立甲府工業高等学校建築科3年

加藤 智哉 「北斗七星~地上に輝く家~」北海道札幌工業高等学校建築科3年

【倉本 龍彦賞】小野田 まり「舟が結ぶ心と輪」静岡県立科学技術高等学校建築デザイン科3年

【山口 すみ子賞】水村 祐太「心の中に残る記憶」埼玉県立熊谷工業高等学校建築科3年

優秀賞

最優秀賞 古浦 昭保「釣堀と歴史を残す渡し舟」埼玉県立熊谷工業高等学校建築科3年

大森 貴之「未来を乗せた舟~自然との調和~」静岡県立科学技術高等学校建築デザイン科3年

第 6 回 道 都 大 学 美 術 学 部高 校 生 住 宅 設 計 コ ン ク ー ル

A HOUSE DESIGN CONTEST 2009[総評]審査委員長 倉本龍彦

 第6回道都大学美術学部高校生住宅設計コンクール「渡しの船頭の家」は、「渡し」自体が現実社会にほとんど存在せず、「今日も日本の静かで平和な一日が終わります。(始まります。)」は、モバイルで、ピーピーやっている時代には、日々実感のないことです。高校生にとって、全てが想像の空間でしたでしょう。難題だったナーと、心配していたにもかかわらず、少し減ったとはいえ、全国39高等学校から、今年も力作184作品が集まりました。 今年の、建築家をめざす高校生諸君に考えてもらいたい要素は以下のことでした。

 1-隠居夫婦の住居計画2-思い出の残し方3-小商店とお客4-川辺の利用 そして先にも書きました、5-日々の平和な一日などでした。 今年も、例年に負けない優れた作品が集結しました。力作を提出してくれた学生諸君には、深く感謝と敬意を表します。また、ご指導いただいた先生方の時間と労力に頭がさがります。尚参考までに、面白いことに店舗で一番多かったのは、やはり団子屋でした。

池本 進 中込 慎也 岩橋龍之介

東 優樹 大川 勇太 梅本 昌慶

 舟屋棟、住居棟、憩い棟の3棟が、円弧に入り込んだ川に対して、扇状に配置されていることが成功の要因です。各棟の待合室と資料室、料理屋厨房と住居、足湯と民宿の設定も良く、平面計画も無理なく整っています。何と言っても、京都府伊根の舟小屋のような、川側の立面が美しい。「渡しの利用者だった皆が、ここに渡しが在ったことまで失いたくない」との気持ちも十分にあらわれています。図面自体も見事で、大きさの違う3艘の舟など、力量が感じられます。

松枝 真希「扇舟屋」山梨県立甲府工業高等学校建築科3年

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 平成 21年度の建築学科卒業設計展は平成 22年 2月 16 日(火)から 21 日(日)までの 6日間、札幌市民ギャラリーにてデザイン学科卒業制作展と同期開催された。 卒業設計の作品の全ては、時代を反映しCAD・CGの表現方法によるものであった。また、卒業論文は、要約した内容をビジュアル的にプレゼンテーションしたボードが展示された。 今年度の卒業設計のキーワードをみると、共生、交流、助け合い、育成、激励、振興、自立、まちおこし・・など等。例年みられる若く少々荒々しい作品は影を潜め、建築物を通して「誰かの役に立とう」という優しい作品が目に付いた。卒業設計は最終審査会を含めると 5回、卒業論文は 4回の審査を経て最終の成果品となったものである。各作品には学生の深い思いが込められている。四角い箱、曲がりくねった線などその奥に隠された意味を表現しようと四苦八苦の毎日であった。学生達はこの作業の中で、自分の考えを表現すること、正確に伝えることの難しさを実感したことだろう。 この卒業設計・論文に費やした時間は今後、社会に出てから必ず役立つことである。そして、試行錯誤しながら創り上げるよろこび、この記憶は一生学生たちを支えてくれると思う。

 今年で4回目となる「道都大学学生作品展」が平成22年2月1日~6日、札幌時計台ギャラリーで開催され、これまで恒例となった駅逓の模型を展示しました。今回制作した駅逓は大正9年に開設され、北見地方の開拓に重要な役割を果たした北見市留辺蘂町に現存する管内最古の旧武華駅逓(現開拓資料館)です。この駅逓の特徴は白く塗られた柱や軒先、さらには1・2階に設けられた統一感のある白枠の上げ下げ窓に見られました。最大の特徴は当時の駅逓の

模範とする形に忠実に建てられた建築です。そのため、平面図から当時の駅逓の模範とする形をうかがい知ることができます。 今回も昨年同様に詳細な図面等が残されていないため、現地にて調査を実施することになりましたが、遠方のため何度も調査に行くことはできません。そこで10月10日~11日の1泊2日と短い時間ではありましたが、寒い中スタッフ全員が集中して外部・内部の実測調査を行い、その調査データをもとに約1ヶ月をかけてCADにより図

面を作成しました。細かな寸法がとれなかった場所は、写真等で納まりや取合いを確認しながら図面を制作しました。3ヶ月にわたり外部・内部とも細部にまでこだわり、全員の協力によって縮尺1/10の精巧な模型が完成し、全員達成感を得ることが出来ました。これまで学生作品展に向け、建築学科3年生が毎年作り上げてきた旧島松駅逓所、旧簾舞通行屋、本願寺駅逓、に続き旧武華駅逓の制作に携わり完成を迎え先輩の意思を引き継ぐことができて光栄に思います。

 今後、模型づくりを通して得たことを就職活動や将来の社会人としてのスキルアップに役立てたいと思います。後輩にも模型作りは将来の貴重な体験になるので、是非引き継いでほしいと思います。 最後に模型制作にあたりご協力いただきました北見市教育委員会の方々にお礼を申し上げます。

FUJIYAMA Yuki藤山 裕貴(棟梁)

キ ャ ン パ ス報 告 1

Campus Report 1

キ ャ ン パ ス報 告 2

Campus Report 2

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美術学部学生作品展2010

平成 21年度美術学部建築学科卒業設計展

スタッフ

岩田拓也

扇田傑

大沼綾

川村成幸

四家井明日香

瀧川友里

中屋敷真也

藤山裕貴

諸岡佳苗

八代大夢

油井俊介

横山由季

文:美術学部建築学科3年

美術学部建築学科 准教授

SASAKI Tetsuyuki

佐々木 哲之

Page 10: FUJITSUKA Mitsumasa 20写真は建築家の岡啓輔が自力で建設中の自宅で、建築名は「蟻 鱒鳶ル」(アリマストンビル)。地の「蟻」、水の「鱒」、空の「鳶」、巨

ホーム側から見る駅舎

美術学部建築学科 教授

A N D O J u n i c h i安 藤 淳 一

夜景 センターホール 古レールを使ったサッシ

コンペ最優秀案(西村氏) 自由通路の内観エントランスホールの吹抜け

古レールを使ったファサードとレンガ壁

岩見沢複合駅舎

設計株式会社ワークヴィジョンズ西村浩

 官営幌内鉄道の手宮-幌内間開業(1882年)に伴い、岩見沢駅の歴史がスタートする。以後、北海道の石炭産出量増加とともに輸送中継地としての重要な駅となる。正面のマンサード屋根が特徴的であった三代目の駅舎(1933年)は、2000年12月10日未明の出火により焼失する。プレハブの仮駅舎を経て、2009年3月、新駅舎が完成した。 新駅舎建設では、JRグループ初の公募型コンペティションを実施した。趣旨では、単なる駅の機能を備えるだけではなく、地域交流の拠点、地域活性化の施設などの役割、そして駅舎としての変わらない価値、時代の変化に耐えられるデザインの質が求められている。出品された376作品中、最優秀の西村氏の計画案をもとに設計が進められた。その案の根幹には、変わり続ける価値に対して「時の痕跡」となるデザインというコンセプトがある。痕跡を表す素材は古レールとレンガ。古レールは、鉄道の街・岩見沢の記憶として、駅舎全体を包み込むガラスのカーテンウォールのマリオン(方立て)に。レンガは、開拓期以降の鉄道施設に欠かせない素材として選択され、北海道の伝統的工法である「小端空間積み」が採用される。さらにレンガを建築材料としてだけではなく、駅前再生に向けた市民活動へ結びつける。「市民に愛される駅、市民と一緒に造る駅」を目指したレンガの寄付募集。市民はもとより国内外から多数の応募があり、4,777名の氏名・出身地が刻まれた刻印レンガが正面外壁に積まれることとなった。コンペ自体も画期的であったが、JR施設の外壁に個人名が刻まれたのも初めてのことである。 新駅舎建設をきっかけに、市民協働型の街づくりが一歩前進した。多くの方の思いが詰まった駅舎をぜひ一度訪れてほしい。

「2009年度グッドデザイン大賞」受賞第54回鉄道建築協会作品賞「最優秀協会賞」受賞第34回北海道建築賞「北海道建築賞」受賞

この建物を

見よう

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 32年ぶりの熊野である。当時は二十数名の同僚や学生を案内する役目があり、風景の裏に潜む霊力を読む余裕はなかった。見落としたことが気になっていたので、世界遺産“紀伊山地の霊場と参詣道”人気で賑わうなか、忘れ物を探す旅に出た。 熊野には人々を魅了する不思議な力がある。伊勢にも出雲にもない空気が漂い、山も川も海も独特の霊気が舞い降りている。その源は何か。熊野では、どこに行っても露出した岩や岩盤に出くわす。国道脇に鎮座する花の窟神社や獅子岩、急な階段を松明片手に駆け下りる御燈祭で知られる神倉神社のごとびき岩、海に向かって立ち並ぶ橋杭岩、そして急斜面を切り開いた棚田が美しい丸山千枚田にも一枚岩がでんと構えている。独自の表情をもつこれらの岩に対峙すると、

熊野一帯の地中でつながる大地の鼓動が語りかけてくるかのようで、吹き抜ける風も“蟻の熊野詣”で賑わった古の人々の声に聞こえてくる。熊野は、街道や参詣道はもちろんのこと、山奥や川沿い、海辺のどこを歩いても熊野の岩盤と空気が連なり、32年前と何ら変わらぬ姿がそこにあった。これが熊野たる所以なのだろう。 参詣の終着地・熊野三社(本宮大社、速玉大社、那智大社)には、神の使いとされる“八咫烏”が祀られている。2010年はサッカーワールドカップイヤー。熊野三社へ足を運ばれる方は日本代表の活躍を祈願すると共に、大地の鼓動や古の声にも耳を傾けていただきたい。

大地の鼓動を感じ古の道を歩く

紀伊山地の霊場と参詣道

ITO K

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伊藤

 寛

美術学部建築学科教授

や  た がらす

いわや

獅子岩

丸山千枚田 熊野本宮大社参道入口 神倉神社 ごとびき岩 神倉神社 急斜面の参道

橋杭岩 花の窟神社

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