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作/山俊一訳 第幕 第幕 第三幕 第四幕 第五幕 [#改 [#ここか1げ] ……の国王 ……の王子、先王の息子、現王の ……従長 …………の息子 ……廷臣 ………廷臣 ……廷臣 ……廷臣 ……………廷臣 紳士……廷臣 ………隊の将校 ……隊の将校 隊の将校 ……の家 たち ……の王子 国の使者たち ……王、の母 ……兵士船員使、その従者勢 [#ここで[#改あすじ 気味な雰囲気にとざさた、の城の物見台で悲劇の幕があが。 城壁に、亡くなった王の亡霊が登場す。亡霊は王子 招き、自分が現王に殺さたこと、は王位うばい、王子 の母でもあうばって王にした、と語。亡霊のことばで、父の死

Hamlet en Japones

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ハムレット ウィリアム・シェイクスピア作/大山俊一訳 目 次 第一幕 第二幕 第三幕 第四幕 第五幕 解説 年譜 [#改ページ] 登場人物 [#ここから1字下げ]

クローディアス……デンマークの国王 ハムレット……デンマークの王子、先王の息子、現王の甥 ポローニアス……侍従長 ホレイショウ……ハムレットの友人 レイアーティーズ……ポローニアスの息子 ヴァルティマンド……廷臣 コーニーリアス………廷臣 ローゼンクランツ……廷臣 ギルデンスターン……廷臣 オズリック……………廷臣

一紳士……廷臣 牧師 マーセラス………王宮警備隊の将校 バーナードー……王宮警備隊の将校 フランシスコー…王宮警備隊の将校 レイナルドー……ポローニアスの家来 役者たち 道化二人(墓掘り男) フォーティンブラス……ノールウェイの王子 部隊長 英国よりの使者たち ガートルード……デンマーク王妃、ハムレットの母 オフィーリア……ポローニアスの娘 貴族、貴婦人、役人、兵士、船員、使者、その他従者大勢 ハムレットの父の亡霊 場所 デンマーク [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] あらすじ 暗い不気味な雰囲気にとざされた、デンマークのエルシノア城の物見台で悲劇の幕があがる。 暗い夜の城壁の一画に、亡くなったハムレット王の亡霊が登場する。亡霊は王子ハムレット

を招き、自分が現王クローディアスに殺されたこと、クローディアスは王位をうばい、王子ハ

ムレットの母でもあるガートルードをうばって王妃にした、と語る。亡霊のことばで、父の死

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の原因を知るハムレット。しかし、亡霊のことばを信じてよいものか。この亡霊ははたして父

の霊なのか、それとも悪魔の出現なのか、叔父クローディアスは本当に父を殺したのか。 ハムレットは復讐のために狂気をよそおう。だが、老臣ポローニアスの娘、オフィーリアは

ハムレットから愛も正気も失われてしまったことを嘆く。王クローディアスも身の危険を知り、

ハムレットの殺害をたくらむ。ハムレットには一刻の猶予もならない。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] 第一幕 第一場 エルシノア城 城壁の楼台《ろうだい》 〔バーナードー、フランシスコーの二人の歩哨登場〕 【バーナードー】 そこにいるのは誰か? 【フランシスコー】 違う、誰何《すいか》するのはこっちだ。止まれ、官姓名を名乗れ。 【バーナードー】 国王万歳! 【フランシスコー】 バーナードーか? 【バーナードー】 その通りだ。 【フランシスコー】 きっちりと時間を守ってくれたな。 【バーナードー】 いま十二時を打った。さあ休みたまえ、フランシスコー。 【フランシスコー】 交替してくれて、まことにありがたい。ひどく冷えるぞ。まるで胸が悪

くなるようだ。 【バーナードー】 勤務異状はなかったか? 【フランシスコー】 ねずみ一匹出なかった。 【バーナードー】 そうか、ではお休み。 もしホレイショウとマーセラスに会ったら、 二人とも立番の相棒だが、大急ぎで来るよう言ってくれたまえ。 【フランシスコー】 やって来たらしい、足音がする。おい、止まれ! 誰か? 〔ホレイショウおよびマーセラス登場〕 【ホレイショウ】 味方だ。 【マーセラス】 デンマーク国王の忠良なる臣民。 【フランシスコー】 ああご苦労さん。 【マーセラス】 ご苦労さん、休んでくれたまえ。 君と交替したのは誰だね? 【フランシスコー】 バーナードーがわたしの代わりだ。ではご苦労さん、後を頼む。〔退

場〕 【マーセラス】 おおい、バーナードー! 【バーナードー】 おおい、ホレイショウはそこにいるか? 【ホレイショウ】 ああ、ほんのちょっぴりだけだがね。 【バーナードー】 やあホレイショウ、ご苦労さん、マーセラス君、ご苦労さん。 【マーセラス】 ところで例のもの、今晩も現われたかね? 【バーナードー】 何も見なかった。 【マーセラス】 ホレイショウいわく、「そんなものは単なる妄想にすぎん」と。 そしてわれらがすでに二度もこの眼で見た、例の恐ろしい姿に関しては、 彼自身はそのようなものの存在は、絶対に信じようとはしないのだ。 されば彼に頼んで一緒に来てもらい、今宵一晩まんじりともせずに、 共にじっと歩哨に立ってもらおうという次第。 かくして例の幽霊また現われ出たならば、われらの眼の正しさを 彼ホレイショウに思い知らせ、かつはそれに話しかけてもらおうという所存。 【ホレイショウ】 ちょっ、ちょっ、出るはずはないよ。 【バーナードー】 まあ坐りたまえ、ここでさらにもう一度、君の耳に攻撃をかけてみること

にしよう。 君の耳ときたらまさに難攻不落。二晩もぼくらが見たという話を、 絶対に聴き入れようとはしないのだから。

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【ホレイショウ】 では坐ることにいたします。 そしてバーナードーの物語に耳を傾けることにいたしましょう。 【バーナードー】 じつは昨晩のこと、 それ向こうに見える、北斗星から西に寄った所にあるあの星が、 今燃えて光っている、ちょうどあのあたりの天空《てんくう》を照らす場所、 あのあたりへさしかかったとき、マーセラスとこのぼくは、

そのとき鐘はちょうど一時を打っていたが…… 〔亡霊登場〕 【マーセラス】 静かに! 話はそれまで。あれを見よ、また現われた! 【バーナードー】 まったく同じ姿だ、お亡くなりになった先王にそっくりだ。 【マーセラス】 ホレイショウ、君は学者だ、話しかけてくれ。 【バーナードー】 前の国王そっくりではないか? ようく見てくれホレイショウ。 【ホレイショウ】 そっくりだ。恐怖と驚異の念とでぼくは完全に打ちのめされた。 【バーナードー】 話しかけてもらいたいようだ。 【マーセラス】 質問してくれホレイショウ。 【ホレイショウ】 お前はいったい何ものだ、夜のこんな時間、わがもの顔にふるまうとは? しかも、亡くなられたデンマークの前国王がご生前において、 威風堂々ご出陣になられたときの、あのりっぱな勇ましいお姿で 現われるとは? 天に誓って命令する、この問いに答えよ! 【マーセラス】 気分を害したようだ。 【バーナードー】 それっ、向こうへ動いて行く! 【ホレイショウ】 待て! 答えろ、答えろ! 答えろと言うに!〔亡霊退場〕 【マーセラス】 行ってしまった、それにどうしても答えようとしない。 【バーナードー】 どうしたホレイショウ、ぶるぶるふるえ、真っ青ではないか。 これでも単なる妄想以外の何ものでもないかね? さあ、どうお考えだね? 【ホレイショウ】 神のおん前にて誓って言うが、ぼくのこの眼でしかと見、 しかと確かめたのでなければ、とてもこんなことを 信じるわけにはゆかないのだが。 【マーセラス】 先王とそっくりではないか? 【ホレイショウ】 まったくうり二つだ。 あれはたしかに前国王が、あの傲慢《ごうまん》無礼きわまるノールウェイ王と かつて一戦を交えられたあのときに、お召しになられていた甲冑《かっちゅう》だ。 あの強面《こわおもて》はたしかに、前国王が氷上の会談において、 ポーランド人どもを一喝《いっかつ》されたあのときのお顔だ。 奇怪千万だ。 【マーセラス】 かくしてすでに二回、しかも申し合わせたようにこの丑《うし》三つ時、 威風堂々、われらの歩哨線近くを通って行かれた。 【ホレイショウ】 これをどう解釈すべきか、正直このぼくにもわからない。 だが、ごく大ざっぱにぼくの考えを要約すれば、 これは何か、奇怪な突発事がこの国に出来《しゅったい》する前兆に違いない。 【マーセラス】 まあ腰を降ろしてくれたまえ、そしてわかっている向きは話してほしい。 いったいなぜかくも厳格無比な見張りを続けて、 この国の忠良なる臣民にあえて塗炭《とたん》の苦しみをなめさせているのか? それに夜を日に次いでの大砲の鋳造、外国からの 大量の軍需品の調達、一体これは何のためなのか? 何ゆえに船大工をあれほどまでに強制的に就労させているのか おかげで連中は平日と日曜日の区別がまるでないではないか。 いったい何が起ころうというのであろうか、かくも昼夜をも分たずに 汗水を流し、急ぎに急いであえて強制労働を続行しているというわけは? おわかりの向きは話してもらいたい。 【ホレイショウ】 よし、ぼくが話そう。 真偽のほどはわからないが、少なくもうわさではこうだ、わが先王は、

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そのお姿は今しがたわれわれの前に現われたばかりだが、 周知の通り、かつて高慢な野心に駆られたノールウェイ前国王、 フォーティンブラスに挑戦されて、万やむを得ず

一騎打ちをされたことがあった。その果たし合いでわが「勇敢なる」ハムレットは…… われわれの知るかぎりの世界、ヨーロッパではそう呼ばれているのだが…… フォーティンブラスをみごと血祭りにあげた。彼フォーティンブラスはかねて、 紋章法の形式を正しくふんだ正規の契約書によって、 彼の生命はもちろん彼の所有するいっさいの土地財産を、 その果たし合いの勝利者に帰することを約していた。 それに相当する抵当物件は、わが国王の側からも 当然提示されていた。そしてそれはわが王敗戦ということになれば、 当然フォーティンブラスの相続すべきものとなったのだ。 ところが事実は、両者によって調印されたほかならぬこの案文によって、 フォーティンブラスのものはあげてハムレットの所有ということに 相成ってしまった。そこで今度のことだ。くだんのフォーティンブラスは、 かっかと燃え上がる血気に、のぼせにのぼせ上がって、 かねてからノールウェイの国境周辺のあたり、ここかしこに、 食いぶちを餌《えさ》に無法者どもをかき集めていたのだ。 そして何か胃の腑《ふ》の力を必要とするような企みに その連中をば使おうという魂胆だ。ということはつまり…… わが国の側から見ればそれは見え透いていることだが…… このわれわれの手から無理やりに強硬手段に訴えても、 いま述べた彼の父親によって失われた土地・財産を、 あえて奪い返そうということにほかならない。ぼくの考えでは、 わが戦争準備の主たる原因は、つまりはこれだ。 このものものしい警戒態勢、国を挙げての強行軍、 大騒ぎの根源は、つまりはこんなところにあるのだ。 【バーナードー】 ぼくもそれ以外には考えようがないと思ってる。 だから無理もないことだ、これらの戦争のかつての主役であり、 現に今もそうである先王そっくりの不吉なお姿が、 完全武装のいでたちで、わが歩哨線を通過されるとしても。 【ホレイショウ】 まことこれしきのこと、心の眼を悩ます塵《ちり》一つにすぎない。 かつてローマ帝国最も華やかなりしころ、 強大を誇ったジューリアスが倒される直前、 墓はその住人が出て空家《あきや》となり、経帷子《きょうかたびら》を着た死人どもは、 ローマの街頭でキーキー、ギャーギャーわめいたということだ。 天上界では星は火の尾を引き、血の雨がしょぼ降り、 太陽は蝕《むしば》まれてしまった。それにあの潤《うる》んだ星、つまり月も…… 海神ネプチューンの帝国はその影響下にあるのだが、 病み蝕まれて、あたかも最後の審判の日を思わせた。 殷鑑《いんかん》遠からず、これとまったく同じような、恐ろしい出来事の前兆を、 常に運命に先行する前ぶれとして、 またやがて起こるべき不吉な出来事の序の口として、 天と地とはこれまで、ともに力を合わせて、 わが風土、わが同胞にさし示してきたのだ。 〔亡霊ふたたび登場〕 が待て、そらあすこに、あれがまた現われた!〔亡霊その両腕を広げる〕 たとえ毒気を受けようとも断じて通さんぞ。止まれ。おのれ、まぼろしめ! もし何か音が出せるなら、声を出すことができるなら、 さあものを言え! もし何かこの世に思い残すことがあり、その思いを遂げさえすれば お前が安らかに眠れ、しかもそれでこっちの名誉にも障りがないというならば、 さあ話せ!

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もしも何か国家の大事にひそかに通じ、それを事前に知っていれば、 その大事を未然に防げるというようなことがあるのなら、 さあ話せ! またあるいは、もしお前が生前、横領した宝物を どこか大地の腹の中深くに秘匿《ひとく》したというのなら…… お前たち亡霊どもはそのために死後よく化けて出るというが……〔鶏の鳴き声〕 さあ話せ、待て、話せ! 止めろ。マーセラス! 【マーセラス】 この槍ほこで一撃してみせようか? 【ホレイショウ】 やりたまえ、どうしても止まらなければ。 【バーナードー】 こっちだ! 【ホレイショウ】 こっちだ!〔亡霊退場〕 【マーセラス】 行ってしまった! あんな威厳あるお姿に、こんな荒事《あらごと》のまねをしてみせたのは、 われわれとして、まことによろしくないのではなかろうか? あのお姿は、斬りつけてもただ空を斬るばかり、派手に立ち回っても、 はっきりするのはわれわれの敵意だけ、完全なひとり相撲《ずもう》だったではないか。 【バーナードー】 鶏が鳴いたとき、何か言い出しそうだったのだが。 【ホレイショウ】 すると何か罪を犯したものが、恐ろしい召喚状を受け取ったように、あれ

はぎくりとした。聞くところによれば、 鶏は朝の来るのを告げるラッパ手、 そのかん高い鋭い金切り声で、 日の神の眠りを眼醒《めざ》めさすのだ。その警報の声を聞いて、 海中にいようが、火中にいようが、地中にいようが、空中にいようが、 あの、定めの棲処《すみか》をあとにさまよえる精霊は、その定住地へと あわてふためいて帰るのだ。そのことが真実だということが、 いま眼の前で起きたこのことではっきりと証明された。 【マーセラス】 鶏の鳴き声とともに、はかなくも消え去ってしまった。 ある人のいわく、わが救世主の生誕を祝うとき、 つまりクリスマスのシーズンが近づいてくると、 暁を告げる鳥、鶏は夜通し鳴き続けるということだ。 そしてその聖なるときにはいかなる精霊も外を出歩かない。 夜は清らかで、星が人の命をにわかに奪うというようなこともなく、 妖精どもも襲うことなく、魔女たちも魅惑する力を失くし、 あらゆるものがそのときには、すべて清められ、祝福されるということだ。 【ホレイショウ】 ぼくもそのように聞いている。そしてある程度それを信じる。 が見たまえ、朝が真赤なマントに身を包んで、 それ、向こうの東の丘の露を踏んで登ってゆく。 これで夜警は解散することにしよう。それでぼくの考えでは、 今宵われわれがこの眼で見たことを、若君、ハムレット王子に、 報告申し上げようではないか。というのはぼくの命にかけて誓うが、 この精霊はわれわれには無言だが、ハムレット様には話すに違いない。 君も彼の耳にこのことを知らせることが われわれの義務でもあり、友情でもあるというふうに考えてくれるだろうね? 【マーセラス】 ぜひそうしよう。それにはちょうどよい、 今朝《けさ》ハムレット様がどこにおられるか、わしはよく存じている。〔退場〕 [#改ページ] 第二場 城中の会議室 〔ファンファーレ。デンマーク国王クローディアス、王妃ガートルード、侍従長ポローニアスと

その息子レイアーティーズ、廷臣ヴァルティマンドとコーニーリアス、顧問官や従者たち、最

後に王子ハムレット登場〕 【王】 予が心から敬愛措くあたわざりし先王、兄ハムレットに関する 追憶はいまだ生々しく、しかしてわれわれも心を悲しみにうち沈め、

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また国を挙げて悲嘆の眉一すじを織りなすことが、 われわれにとってきわめて当然のこととはいいながら、 さりながら理性をもって愛情の気持を懸命に抑圧した結果、 兄の死を悲しむといえども賢明な節度というものを忘れず、 またあわせて、われわれ自身をもいとおしむべきだとの結論に達した。 しかるがゆえに、予のかつての姉上、現在のわが王妃、 この勇武の国デンマーク王国を相ともに担う女性帝王を、 予はいわば、うちひしがれた喜びをもって、 一つの眼はしあわせに輝き、他方は悲しみに視線を伏せて、 葬儀に喜びを、婚儀に悲歌をもって、 喜びと悲しみとを同一重量だけ秤《はかり》にかけて、 予が妻として娶《めと》ることといたした。このことに関しては予はまた、 かねてよりこの儀に関し心から賛意を表されてきた 諸賢の進言をも十二分に考慮に入れた。すべて衷心より感謝する。 ところで皆もすでに知っての通り、ノールウェイの若侍、 王子フォーティンブラスは、予の力をば過少に評価してか、 それとも予が親愛なる先王ハムレットの死去によって わが王国が支離滅裂、秩序を失ってしまったと考えてか、 おのれが絶対優勢だというはかない夢につい誘われて、 彼はためらうことなく煩わしい手紙をわが方によこし、 彼の父よりわが勇敢なる兄王に譲られた土地をば…… すべて法にしたがい、約定《やくじょう》通りに行われたるはもちろんなるが…… 無条件に返還することを求めてまいった。彼については今はこれだけだ。 ところで予自身にとっても、この会議に列席の諸賢にとっても、 目下の問題はつまりこういうことになる。予はここにノールウェイ国王、 つまり王子フォーティンブラスの叔父に書を送り、この点に関し、 甥の行動を抑制するよう申し入れた……王は病《やまい》あつく病床に伏し、 このたびの甥《おい》フォーティンブラスの意図に関しては、

いささかも関知していなかったのだ…… 募兵も、徴兵も、徴発も、すべては国王の統治する臣民の中から 実施されているのであるから。それで予はここにコーニーリアス、お前と、 ヴァルティマンド、お前の両人を、ノールウェイ老国王宛の この書状を運ぶ使者として任命することとする。 ただし、国王との折衝に際して両人に与えられる権限は、 ここに明確に規定されてある範囲を、 絶対に逸脱してはならない。 さらばじゃ、挨拶はよいからただちに出発せよ。 【コーニーリアスとヴァルティマンド】 ではただちに、またもろもろの万端《ばんたん》、

すべて仰せのごとくに。 【王】 その点いささかも疑わぬぞ、心から両人の健闘を祈る。〔両人退場〕 それでと、レイアーティーズ、君の用事は何だったっけね? 何か予に頼みごとがあったんだね、何だったかねレイアーティーズ? 筋道さえ通った話なら、君がデンマーク国王に頼めば、 話し損ということはないはずだ。頼みというのは何だね、レイアーティーズ? 君の頼みとあれば、君がそれを口に出す前にかなえてやりたいくらいだ。 首と心臓とは切っても切り離せない間柄、 手は口にとって欠くことのできない有用なもの、 ところがデンマーク国王と汝《なんじ》の父親とは、それ以上の間柄なのだ。 頼みというのは何だね、レイアーティーズ? 【レイアーティーズ】 陛下、 フランスヘ戻りとう存じます、なにとぞ陛下のご寛大なるお許しを。 実はそれがし、陛下の戴冠式に列席いたすために 急拠《きゅうきょ》フランスから馳せ参じた次第にございますが、

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正直に申し上げて、そのお勤めも果たし終えた今は、 またフランスヘ戻りたいとひたすらに思い、かつ願っておりまする。 ここに陛下のご寛大なるお許しを、ひたすらに願い上げ奉ります。 【王】 父上の許しは得たのかね? どうなのかねポローニアス? 【ポローニアス】 じつは陛下、しぶしぶの私から無理無体に許可をもぎとりました次第。 それは執拗に頼み込みまして、とうとう根負けいたしまして、 あれの希望にむりやり承認の判を押させられました。 なにとぞお許しをお与えくださいますよう、私からもお願い申し上げます。 【王】 都合のよいとき、いつにても出発するがよいレイアーティーズ、 好きなだけ滞在してよいぞ、行動を慎んで存分に楽しむがよい。 ところでハムレット、わしの甥にして、しかもわしの息子…… 【ハムレット】 〔傍白〕近親関係はいま少しはまし、親近感はさらになし。 【王】 お前にはまだ雲が懸かっているが、どういうことなのか? 【ハムレット】 そうではございません陛下、日の御子に当たりすぎたのです。 【王妃】 ハムレットや、そんな陰気くさい顔をするのはもうやめて、 デンマークの王様にはもっと親しみのあるお顔をなさい。 いつまでもうつむいて、すでに地中に葬られた お父上を捜すのはもうおやめ。お前も知っての通り、 これは万人の共通の道。「生あるものはすべて死す」とか、 自然の生命から永遠へと帰することなのです。 【ハムレット】 そうです、仰せの通り、万人共通の道です。 【王妃】 もしそうなら、 お前の場合だけは、なぜそんなに特別なふうに見えるの? 【ハムレット】 「見える」! とんでもない。「見える」なんてぼくにはわからない。 ねえ母上、単にこの黒い外套だけではけっしてないのです、 きまりきった、しかつめらしい喪服でもありません、 また、無理無体に出した、見せかけだけの溜息のあらしでもなければ、 そうだ、眼の中に怒濤《どとう》渦まく涙雨でもない、 また、ありとあらゆる悲しみの型・様式・メーキャップをかねあわせての、 顔の上だけの、世にも哀れなしょげたふうでもないのだ、 このぼくの真の姿を表現できるのは。なるほどこういうものは「見える」、 やろうと思えばいくらでも芝居がやれるからだ。 だがぼくの心の奥底には、外にはとうてい現わし得ない何ものかがある。 それ以外のものは要するに、すべて悲しみの飾り、衣装にしかすぎない。 【王】 亡き父上に対して、かくも心からの喪に服するとはハムレットよ、 まことにもってりっぱ、実に見上げた性根《しょうね》というほかはない。 だがわかってほしいのだ、君の父上もやはり父親を亡くしたのだ、 そしてその亡くなった父親もまたその父親を亡くしているのだ。 そして後に残された者がある期間、親に対する子の勤めとして、 葬送の悲しみにくれているのは理の当然。しかしあまりにも頑固に 悲嘆の涙にかきくれていることは度を越して頑迷固陋《がんめいころう》、 不敬の謗《そし》りを免れない身の振舞い。男のすることではない。 それは天の理法にも背くかたくなな意志というものであり、 堅固ならざる心の構え、堅忍不抜さを欠く精神、 まこと愚かにして、ききわけなき理解力の持主たることを示している。 必ずそうならざるを得ぬものと知り、かつわれわれをめぐる 他のすべての身近なもの同様、ごくふつうな茶飯事であるものを、 いったいなぜかくもまるで子供のようにむきになって、 夢中になる必要がどこにある? バカバカしい! それこそ 天意に反し、死者を冒涜し、自然に背く大いなる罪、 これほど理性を愚弄《ぐろう》した話はない。その理性は口を開けば、 父親の死は万人共通の道なることを説き、 そもそもの初めての死体から今の今しがた亡くなった者に至るまで、

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「こうならざるを得ず」と叫んでいるのだ。どうか後生だ、 この甲斐なき悲しみを、さらりと投げ捨てて、 そしてこの予をば父親と考えてほしい。ここに明言しておくが、 汝《なんじ》こそは予が王位の第一の継承者である。 予は生みの親が息子に対していだく愛情に比べて、 優るともけっして劣ることのない大いなる愛の気持をもって、 汝を遇したい所存である。ウィッテンベルクの大学へぜひとも 戻りたいとのそちの考えは、実は予の希望に 最も逆行するものだということを知ってほしい。 どうか予の願いをいれて、この土地にとどまり、 予の目のよろこびともなぐさめともなるように、 予の重臣として、身内として、息子としてとどまってくれ! 【王妃】 母の願いもどうか聞いてください。ハムレット、 お願いだからわたしたちのそばにいて、ウィッテンベルクに行かないで。 【ハムレット】 でき得るかぎり仰せの通りにいたしましょう、母上。 【王】 これはまた、うれしくも、いい返事を聞かせてくれるではないか。 デンマークにとどまって、予と同じに振舞うがよい。さあ、ガートルード、 このやさしい、素直なハムレットの承諾の言葉ほど、 わしの心をよろこばせるものはない。その喜びのしるしとして、 デンマーク王が今日は祝杯をかたむけるごとに、 雲にもとどけとばかりに大砲を打ちとどろかせ、 大空高くこだまさせて王の酒宴にこたえさせ、 そして雷鳴として大地にまた鳴り響かせてやろう。さあ、参ろう。〔ラッパ吹奏。ハムレット

を残して一同退場〕 【ハムレット】 おお、この汚れに汚れた肉体が、いっそ溶けてしまえばよい、 溶けて露となって流れてしまえばよい。 さもなくば永遠なる神が、自殺を禁じたもう掟《おきて》を、 とり決めないでいてくれたらと思う。おお神よ、神よ! この世の中のしきたりなどはこのおれにとっては、 退屈で、平凡で、単調で、何の役にもたちはしない! ああ、いやだ、いやだ、まるで雑草が生い茂った庭同然だ、 けがらわしいものばかりが、すべてわが物顔に はびこっている。ああ、こんなことになろうとは! まだ亡くなってから二月《ふたつき》だ、いや、そんなにもたっていまい、二月もたっていな

い。 あんなにすばらしい王だったのに、あれとこれを比べてみると、 まさにアポロの神と半人半獣の森の怪物ほどの違いだ、 こよなく母上を愛されて、荒々しい風が母上の顔にあたることをさえ 非常に気にされていたのに。天よ、地よ! こんなことはすべて忘れてしまいたい! 母上は父上によりそって、 まるで食べれば食べるほど、なお食欲が増してゆくように よりそっておられた。それがわずか一月《ひとつき》もたたぬうちに、

もう考えるのは止めよう……弱き者よ、汝の名は女なり…… たった一月、母上がナイオビのように涙にむせんで、 父上のなきがらを送ってゆかれたときのあの靴が まだ古くもならないうちに……その母上が、その母上が…… おお神よ! 理性の力など絶えて無い獣でさえももっと長く

喪に服したであろうのに……人もあろうにおれの叔父と結婚した、 おれの父上の弟と。叔父とはいえ、このおれがハーキュリーズとちがうくらい、 父上には似ても似つかない。一月もたたぬ間に、 まだいつわりの空《そら》泣きの涙が 赤く泣きただれたその目に残っている間に、結婚してしまった。 おお何と浅ましくもあわただしい性急さで、急ぎに急いで

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あの不倫の床《とこ》へかくもすばやくおもむくとは。 これはよからぬことだ、よかろうはずがない、 だが、たとえこの胸が張り裂けようとも、断じて口には出すまいぞ。 〔ホレイショウ、マーセラス、バーナードー登場〕 【ホレイショウ】 殿下、ごぎげんよろしゅう! 【ハムレット】 みなも元気で何よりだ。 ホレイショウ! まちがいもなくホレイショウだろうね! 【ホレイショウ】 相違ございません、殿下、殿下の忠実なる臣下ホレイショウです。 【ハムレット】 何を言うのだ、君はぼくの友人だ、お互いにそう呼び合おうではないか。 ときにどうして君はウィッテンベルクからこんな所へ、ホレイショウ? や、マーセラスか? 【マーセラス】 殿下! 【ハムレット】 やあ、元気かね!〔バーナードーに〕やあ、今晩は。 だがいったいどうしてウィッテンベルクからここへ? 【ホレイショウ】 例のサボリぐせでございます、殿下。 【ハムレット】 いや、君のかたきの口からだってそんなことは言わせないぞ。また、君自身

がそんな自分の悪口を言ったって、 そんな事を真《ま》に受けるようなぼくの耳ではない。 君が怠け者でないことくらい、とうの昔からご存知なんだ。 しかしこのエルシノアに、いったい何の用があるというのかね? よし、君が酒を飲むことを覚えるまでは帰さないぞ。 【ホレイショウ】 殿下、私はお父上のご葬儀に参列するために参りました。 【ハムレット】 君、よさないか、友だちがいもなくぼくをからかうのは。 その実、母の結婚式に参列するために来たのだろうが。 【ホレイショウ】 そう申せば、殿下、まことに追いかけるようにとり行われました。 【ハムレット】 節約、節約だよ、ホイレショウ! 葬式のときのご馳走が、 冷たくなって結婚式の宴会に出されたというわけさ。 こんな嫌な日にめぐり合わせるくらいなら、ホレイショウ、 天国で憎い敵《かたき》に出会ったほうが、まだずっとましだ! おお父上、父上のお姿が目に浮かぶようだ。 【ホレイショウ】 どこにですか、殿下? 【ハムレット】 いや、心の目に浮かぶというのさ。 【ホレイショウ】 一度私はお目にかかりました。ご立派な王様でいらっしゃいました。 【ハムレット】 どこから見ても実に立派な人だった。 二度とあのように立派な人間に会うことはあるまい。 【ホレイショウ】 殿下、じつは私、一昨夜お目にかかったらしいのです。 【ハムレット】 お目にかかった? 誰に? 【ホレイショウ】 殿下、お父上の陛下にです。 【ハムレット】 なに、父上だと! 【ホレイショウ】 ま、しばらくおしずまりください。そしてどうか、 私の申し上げることをよくお聞きください。私がこの両君を証人として、 この、世にも不思議な事の一部始終を殿下のお耳に これからご報告申し上げます。 【ハムレット】 さあ、ぜひとも聞きたい。 【ホレイショウ】 じつは、この二人、マーセラスとバーナードーの両君が、 二晩つづけて歩哨《ほしょう》に立っておりましたその折に、 すべてが死んだように静まりかえった真夜中のころに、 それが起こったのでございます。亡き父上陛下とそっくりの姿のものが、 額からつま先まで寸分のすきもなく甲冑《かっちゅう》で身をかため、 両君の前に現われたのです。まことにおごそかな足取りで 二人のそばをしずしずと、しかも堂々と通りすぎました。三度までも おそれおののいて目をみはっていた二人のそばを、 それが手にした国王の杖でも容易にとどくくらいの、すぐ近くを。

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この二人はあまりの恐ろしさに、ブルブルとふるえるばかりで 声をかけることすらできなかったそうです。このおそろしい話を、 両君は内密に私に洩らしてくれたのでございます。 それで私も三日目の夜に、一緒に歩哨に立ちました。 するとどうでしょう、二人が話してくれた通りに、時間も、 その形も、話どおり寸分たがわずに、 亡霊が現われたのです。私はお父上陛下を存じ上げていましたが、 この左右の両の手でも、あれほどよく似てはおりませんでした。 【ハムレット】 して、それはどこで? 【マーセラス】 私どもが歩哨に立ちます楼台の上にでございます、殿下。 【ハムレット】 話しかけてみなかったのか? 【ホレイショウ】 もちろん話しかけましたとも、殿下。 しかし何の答えもありませんでした。ただ一度だけその姿は、 頭を上げて何か物言いたげに、 そんな構えをしたように思われました。 しかしちょうどそのとき、大きな声で鶏がときをつくったので それにひるんであわてふためき、みるみるうちに 姿を消してしまいました。 【ハムレット】 まこと、不思議だな。 【ホレイショウ】 殿下、まさしくこれは本当のことなのです。 そしてこれを殿下にありのままご報告申し上げることは、 歩哨の規則に定められたことと考えました。 【ハムレット】 そうとも、そうとも。だがどうもぼくは気にかかってしかたがない。今夜は

君たちは歩哨にたつのか? 【マーセラスとバーナードー】 さようでございます。 【ハムレット】 武装してと言ったな? 【マーセラスとバーナードー】 はい武装しておりました。 【ハムレット】 頭からつま先まで? 【マーセラスとバーナードー】 殿下、さようで、頭から足の先まででございます。 【ハムレット】 では顔は見なかったのだね? 【ホレイショウ】 いえ、見ました、殿下。顔当てを上げておりましたから。 【ハムレット】 で、不きげんな顔をしていたかね? 【ホレイショウ】 怒りというよりは悲しみを顔にたたえておられました。 【ハムレット】 青ざめていたか? それとも赤かったか? 【ホレイショウ】 ひどく青ざめておられました。 【ハムレット】 そしてじっと君を見つめていたのだな? 【ホレイショウ】 そうです、じっと。 【ハムレット】 ぼくはその場に居合わせたかった。 【ホレイショウ】 そうしたらどんなにか驚かれたことでしょう。 【ハムレット】 そうかもしれん、そうかもしれん。長い間いたのか? 【ホレイショウ】 普通の早さで百を数えるくらいの間でございます。 【マーセラスとバーナードー】 いえ、いえ、もっと長かったと思います。 【ホレイショウ】 ぼくが見たときはそう長くはなかった。 【ハムレット】 ひげは灰色だったか、どうだ? 【ホレイショウ】 それはご生前、私がお見かけいたしました通り、 銀色をまじえた黒でした。 【ハムレット】 今夜ぼくも歩哨に立とう。 もしかするとまた現われるかもしれない。 【ホレイショウ】 現われると保証いたします。 【ハムレット】 もしそれがあの高貴な父上のお姿をしていたなら、 ぼくは必ずそれに話しかけて見る。たとえ地獄が大きな口を開いて 黙れと命じようとも。君たちにもお願いがある、 もし今までもこのことを誰にも話さずにいてくれたのなら、

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どうかこれからもずっとこのことを内密にしておいてもらいたい。 そして今夜、これ以上にどのような事が起ころうとも それをけっして他人に口外することなく、そっと胸におさめておいてもらいたい。 この好意に対しては必ずおかえしをするよ。ではこれでさようなら。 楼台の上で、十一時と十二時の間に必ず 君たちに会うことにしよう。 【一同】 かしこまりました。 【ハムレット】 いや命令ではなく、友だちのよしみで頼むのだ、さようなら。 〔ホレイショウ、マーセラス、バーナードー退場〕 父上の亡霊が甲冑に身を固めて! これはただごとではない。 何かけしからんことがあるのだ。ああ早く夜になればよい! それまではじっと、じっとしているのだ、悪事は必ずや、 たとえ大地がそれをおおいかくそうとも、人の目に立ちあらわれるものだ。〔退場〕 [#改ページ] 第三場 ポローニアス邸の一室 〔レイアーティーズと妹のオフィーリア登場〕 【レイアーティーズ】 もう必要な荷物はすっかり積みこんだ、ごきげんよう。 それからオフィーリア、風の都合さえよかったら そして船の便《びん》さえあるならば、どうか精出して怠けずに 便りをよこしてくれよ。 【オフィーリア】 怠けると思って? 【レイアーティーズ】 それからハムレット殿下と、あのいいかげんな思し召しについては、 若いときのほんの気まぐれ、あそびと考えたがよい、 人生の春にさきがけたすみれの花のようなものさ、 早咲きだが、すぐしぼんでしまう。美しいが長もちはしない、 束の間の楽しみを与えてくれる香水のようなもので、 それだけのものさ。 【オフィーリア】 ただそれだけのもの? 【レイアーティーズ】 それだけのものと考えたがよい。 育ちざかりの人間はただ筋肉や体つきだけが、 大きくなるわけではない。人聞の身体が大きくなるにつれて、 精神や魂の内部的な働きもそれと同時に 生長するのだ、おそらく今は殿下はお前を愛しておられるだろう。 今のところは殿下のお気持はきれいなもので、 汚れも偽りもないだろう。だがお前はよく考えなければいけない。 殿下のご身分は高く、お気持はご自分の心のままにはならないのだ。 なぜなら殿下ご自身がその貴いお生まれに従わねばならないからだ。 殿下は身分のいやしいものたちがするように、 何でも勝手に料理することはできないのだ、つまり殿下のお心一つに、 この国全体の安全と福祉がかかっているからなのだ。 だから殿下がお妃を選ばれるときでも、そのことは 殿下が主君であられるこの国全体の賛成と承認によって 裏づけられなければならない。だからもしお前を愛するとおっしゃっても、 お前としてはこれだけはわきまえておくのが賢明というものだ、 殿下が口約束だけでなく、実際に行為にあらわすことができるものだけを 信じるのだ。このことはつまり、デンマークの国民全体の承認を得て はじめてすべては実現するということだ。 だから、もしうっかりあの方の恋の歌に耳をかたむけて信じこんだり、 心から好きになったり、たいせつな操をあの方の若気の要求に 投げだすようなことをしてしまったら、それこそ お前の名誉にどんな傷がつくか、よく考えてみなければいけない。 用心しておくれ、オフィーリア、いいかね、用心するんだよ。

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お前自身をお前の愛情の背後において、 欲情の危険な矢面には立たないようにしたほうがよいのだ。 つつしみ深い乙女は貞節のシンボル、月にその肌を見られても、 それだけで十分みだらなことだというじゃないか。 貞操そのもののような女でも、世間の悪口は逃《のが》れ得ず、 害虫は蝕む春の若芽、 いまだ開きもやらぬ蕾《つぼみ》のうち。 そしてうら若き青春の朝のしっとりとした露にこそ、 おそろしい疫病の毒気は最もしのび込みやすいのだ。 だから油断してはならない。用心の中にこそ万全の対策ありだ。 若さは誰がそばにいなくても、とかく自身で暴発しがちだ。 【オフィーリア】 お兄様のりっぱなお教えはたいせつにしまっておいて、 私の心の見張りにしましょう。でもお兄様こそ、 悪い牧師さんが時々そうするように、私だけに けわしい、いばらの天国への道をお教えになりながら、 ご自分は傲慢で、向こう見ずの放蕩者のように、 歓楽の桜草の花咲く欲情の道をお歩きになり、 ご自分のご教訓をお忘れになっては困ります。 〔ポローニアス登場〕 【レイアーティーズ】 それは心配無用。 ぼくは長居をしすぎた。だがお父様が見えた。 二重の祝福を受けることは二重に神の恩寵を受けるということ、 どうやらもう一度お暇ごいをしたほうが都合がよさそうだ。 【ポローニアス】 まだここにいたのか、レイアーティーズ、早く船に乗れ、困ったやつめ! 船の帆はとうに追手の風をはらんで、 皆お前を待っているわ。さあ、わしの祝福を受けてくれ。〔彼の手をレイアーティーズの頭に

おく〕 それから少しばかり教訓を言ってきかせるから、心の中に ようく刻みつけておくのだぞ。思っていることをむやみに口にするな、 無茶な考えはすぐ行動に移してはならんぞ。 人と親しくするのはよいが、けっして誰でもござれはならんぞ。 友だちができて、一度よい友だちだと見きわめがついたら、 鋼鉄のたがでしっかりとお前の心にまきつけておけ。 だが、まだ友人としての羽も十分揃わぬ、かえったばかりの連中を迎え入れて、 誰彼《だれかれ》の見さかいなく握手をしてはならんぞ、心せよ、 けんかに巻き込まれるな。ただしだ、いったん入りこんでしまったら、 お前の力を相手に思い知らせてやるまで徹底的にやるのだ。 誰の言うことにも耳を傾けよ、ただし、簡単に相づち打つことはならんぞ。 誰の意見でもよく聞け、ただし自分の判断はさしひかえておくのだ。 服装はお前の財布の許すかぎりりっぱにととのえるがよい。 ただしあまり奇抜なのはいかん。りっぱでしかもけばけばしくないように。 衣装というものはしばしば着る人の人柄をあらわすものじゃ。 そしてフランスでは特に、身分の高い、地位の高い人たち、 つまり由緒ある貴族の人たちは、とりわけこの点ではすぐれている。 それから、金は、貸すことも借りることも絶対にならんぞ、 金を貸すとその金ばかりか、友だちもなくしてしまうことが多いからな。 また金を借りると、とかく節約の心がにぶるものなのだ。 最後にこのことをよく聞いてくれ。おのれ自身に忠実であれということだ そうすれば必ず、夜が昼につづくというくらいにたしかにだ、 お前は他人にも絶対に不実にはなれんはずだからだ、 さあ、ゆけ、わしの祝福がこの教えをお前の心に深く刻みこむように! 【レイアーティーズ】 では父上、これにてお暇《いとま》いたします。 【ポローニアス】 用意はすべて整っている。召使いたちがお前を待っている。

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【レイアーティーズ】 さようなら、オフィーリア、ぼくの言ったことを よくおぼえていてくれよ。 【オフィーリア】 私の胸にしっかり錠《じょう》をかけておきます。 そしてその鍵《かぎ》はお兄様におあずけいたします。 【レイアーティーズ】 さようなら。〔退場〕 【ポローニアス】 何だ、オフィーリア、あれが何を言ったというのだ? 【オフィーリア】 あのう、お父様、ハムレット様についてのことですの。 【ポローニアス】 それは、よいことを言ってくれたな! 何でも噂によると、殿下はこのごろしきりに、 お前の所にこっそり来られ、お前もまたお前だ、 いい気になってお相手をしているとか言うことだが。

もしそれが本当なら……わしにそう言ってくれた人がある、 用心のためにといってな……わしはお前に言わなければならない、 お前という人間はこのわしの娘としての名誉というものを、 はっきりとわきまえておらんのではないかということをな。 殿下との間に何があったのだ? かくさずに言ってみなさい。 【オフィーリア】 お父様、殿下はこのごろ何度となく、この私に お心のこもったご愛情をお示しになりました。 【ポローニアス】 ご愛情だと、はっはっ! 笑わせるでない。お前はまったくうぶで、 こんな危険な状態にはかつて遭遇したことがないみたいなことを言う。 その殿下の≪お心≫とやらをお前は本気にしているのか? 【オフィーリア】 私にはどう考えてよいものかわかりません、お父様。 【ポローニアス】 よし、よく教えてやろう。お前はまだほんの赤ん坊だと思いなさい、 そんな贋金《にせがね》みたいなお心付けを本物の金貨と思って、 ありがたくおしいただいているのだからな。自分というものを≪心して≫大切にしなさい。 さもないとさんざん追いまわされたこの言葉を息切れさせないために、 もう一つ試みるなら……わしは世の笑いもの、とんでもない心得《こころえ》ちがい。 【オフィーリア】 お父様、でもハムレット様はとてもきまじめなご様子で、 私にプロポーズなさるのです。 【ポローニアス】 そうだ、それこそポーズだけというものだ、ばかばかしい。 【オフィーリア】 お父様、あの方は、おっしゃることはけっして偽りではないと、 あらゆる聖なる誓いをなさいました。 【ポローニアス】 それがいわば山シギをつかまえるワナさ。わしもよく知っている、 血気が燃えさかっているときにはな、心ここにあらずで、 出まかせの誓いの言葉を口にするものさ。この燃えさかる焔《ほのお》はな、オフィーリア、 ぱっと光っているほどには熱はなくて、誓っている最中に 光も熱も共に消えてしまうというようなそんなもの、 ほんものの火と考えてはいかん。いいか、これからは 嫁入り前の娘らしく、お目にかかるのも控え目にするのだぞ。 やすやすと殿下の休戦申し込みを受け入れるのではなくて 和戦の交渉はもっと高飛車にやれよ。ハムレット様はな、 信用してもよいが、何と言ってもまだお若いのだということを忘れるな。 それにお前なんかとはまったく違って、繋《つな》がれている紐は ずっと長く自由なのだ。要するにだ、オフィーリア、 殿下の誓いのお言葉などは信用してはいかん。そんなものはな、 そのうわべに着かざっている美しい色とは裏はらに、 要するにけがらわしい申し込みを執拗に繰りかえす取り持ち役にすぎんのだ。 ごまかしをかくすために、敬けんにして聖なる誓いを 口にしているだけなのだ。以上、これを要するにだ、 はっきり言っておくが今後はどのような事があっても、 ハムレット殿下と話したり、言葉をかわしたりするために、 時間を無駄についやしてはなりませんぞ、いいかね。 わかったな、はっきりと申しつけたぞ、さあ、おいで。

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【オフィーリア】 おっしゃる通りにいたします、お父様。〔退場〕 [#改ページ] 第四場 城壁の楼台 〔ハムレット、ホレイショウ、マーセラス登場〕 【ハムレット】 冷たい夜気が身にしみる。寒いな。 【ホレイショウ】 まったく刺すような、きびしい寒さです。 【ハムレット】 何時ころかね? 【ホレイショウ】 まだ十二時にはなりますまい。 【マーセラス】 いいえ、十二時は打ちました。 【ホレイショウ】 本当か? ぼくは聞かなかった。そうだとするともうそろそろ、 亡霊の歩き回る時刻になったわけだな。 〔トランペット吹奏、二発の大砲の打ち上げられる音〕 殿下、あれは何ですか? 【ハムレット】 王が酒宴を開いて夜通し飲み明しているのだ。 祝杯をかたむけ、千鳥足で踊って無理に気勢をあげているのだ。 そして王がライン酒をのみほすそのたびに、 太鼓をたたき、ラッパを吹いて、王の飲みっぷりを はやし立てているのだ。 【ホレイショウ】 そういう習慣なのですか? 【ハムレット】 そう、実際そうなんだ。 しかしぼくは思うのだが……ぼくはこの国の生まれだから その習慣にはなれているのだが……こんな習慣などは 守るよりは破ったほうがずっとましだと思っている。 この国を挙げての大酒飲みのおかげでわれわれは、 ごうごうたる非難を世界中から浴びせかけられているのだ。 この酔いどれめ、豚めとののしられ、 われわれの評判はさんざんなもの、おかげで、 どんなりっぱな振舞いをし、功績を立てようとも、そのために、 われわれの名誉は完全に骨抜きにされてしまうのだ。 これは個人の場合もよくあることなのだが、 なにかその本性にささやかながら欠陥があったりすると、 たとえば生まれつき……これは当人には何の責任もないはずだが、 どう生まれようと人間わざではどうにもならないことなのだから…… ある気質が発達しすぎてしまって、 理性の垣や囲みを破ってしまったり、 または好ましい習慣なのだが、その節度がすぎて 弱点となってしまったりすると、そういう人々は、 造化《ぞうか》のたわむれであるにせよ、運命の星のいたずらであるにせよ、 あえて言うがその一つの欠陥を背負いこんでいるそのために、 その人がほかにどんなに純粋な美徳を備えていようとも、 人の心が担《にな》い得るかぎりのどんなに多くの美点があろうとも、 そのたった一つの欠陥のために、世間一般からは 弾劾《だんがい》を受けることになる。ちょっとした汚点のために、 すぐれた性質までがすべて疑われ、 身の破滅となってしまう。 【ホレイショウ】 あ、殿下、来ました! 〔亡霊登場〕 【ハムレット】 もろもろの天使よ、神のみ恵みの担い手たちよ、どうぞわれわれをお守りく

ださい。 汝が善良なる精霊だろうが、それとも地獄の悪霊だろうが、 天国の霊気を運んで来たものだろうが、地獄の毒気をもたらしたものだろうが、 汝の目的は悪意にみちたものだろうが、それとも善意に満ちたものだろうが、

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汝がそのような話しかけずにはいられない姿で現われたからには 汝に話しかけてみたい。わたしは汝をハムレットと呼び、 国王、父上、デンマーク王と呼ぼう。さあ答えてくれ。 不可解でわが心を絶望させないでくれ。さあ言ってくれ。 なにゆえ、死して棺におさめられ、儀式通りに葬られた遺骸《いがい》が、 墓衣を破って出て来たのか? なにゆえに汝の墓は、 汝が安らかに埋葬されるのをわれわれが見とどけたその墓が、 その重い大理石の口蓋《こうがい》を開いてふたたび汝を吐き出したのか? いったい全体これはどうしたわけなのか? 冷たい屍《しかばね》になったはずの汝が、ふたたび甲冑に身を固めて、 もれ光る月の夜に、かくもふたたび帰りおとずれて、 夜をかくもおそろしいものにするとは! そしてわれわれ愚かなる者は、 われわれの魂ではとうていとどかない様々の思いで、 かくもおそろしいほどに心をかきみだされてしまうとは? さあなぜだ? 何のためだ? われわれにどうしろと言うのか?〔亡霊、ハムレットを招く〕 【ホレイショウ】 いっしょに来るようにと手招きしております。 何か殿下にだけ打ち明けたいことでも あるかのように。 【マーセラス】 それにあのように丁重な物腰で、 殿下にもっと離れた別の場所にくるようにと招いておりまする。 でもいらっしゃってはいけません。 【ホレイショウ】 けっしていらっしゃいますな。 【ハムレット】 何も言おうとしないな。それならぼくが行こう。 【ホレイショウ】 いけません、殿下。 【ハムレット】 いったい何が恐ろしいのだ? ぼくは自分の生命《いのち》など、ピンほどの値打ちにも考えていない。 それにぼくの魂に対して、あの亡霊がいったい何ができるというのだ? 魂はあれと同じように不死身なものではないか? またぼくを呼んでいる。ついて行ってみよう。 【ホレイショウ】 もしあれが殿下を海の方へでもおびきよせたらどうなさいます? それとも海につき出しているおそろしい絶壁の方へ 殿下をおびきよせてゆくかもしれません。 そしてそこで悪魔本来のおそろしい姿に変わって、 殿下の理性の力をすっかり奪い、 殿下を狂気の淵にでも投げこんだらどうなされます? どうかよくお考えください。 そのようなおそろしい場所は、ただそこに立っただけで、 ほかに何の動機がなくても、はるかに広がる大海原を眺め、 とどろく大波の音を聞いただけで、気違いじみた考えが おこって来るものなのですから。 【ハムレット】 おお、呼びつづけている。さあ行け、ついて行くぞ。 【マーセラス】 いらっしゃってはいけません、殿下! 【ハムレット】 えい、手を放してくれ。 【ホレイショウ】 言うことを聞いてください、行ってはいけません。 【ハムレット】 ぼくの運命が呼んでいる。 この体の血管の一つ一つがひきしまって、 ネメアの獅子《しし》の筋肉のようにたくましくなる。 ぼくを呼んでいるな、さあ二人とも手を放してくれ。 いいか、邪魔をするやつは、それこそ亡霊にしてしまうぞ。 どけというのに! さあ行け、ついて行くぞ。〔亡霊とハムレット退場〕 【ホレイショウ】 夢中になってすっかり気狂いじみてしまわれた。 【マーセラス】 さあ、われわれもついて行きましょう。お言葉にしたがってはいられません。 【ホレイショウ】 行こう。いったいこれはどうなることだろう? 【マーセラス】 デンマークでは何かしらが腐っているにちがいない。

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【ホレイショウ】 天が導きたまうだろう。 【マーセラス】 ともかく、われわれはついて行こう。〔退場〕 [#改ページ] 第五場 城壁の楼台の別の場所 〔亡霊とハムレット登場〕 【ハムレット】 どこへおれをつれて行くつもりか? 言え、もうこれ以上はついて行かぬぞ。 【亡霊】 聞け! 【ハムレット】 聞くとも。 【亡霊】 すでにわしの時刻は迫っている。 わしがまた硫黄《いおう》のもえる苛責《かしゃく》の焔に 身をまかせねばならぬ時が。 【ハムレット】 おお、気の毒に! 【亡霊】 わしをあわれむよりは、わしがこれから打ち明け話すことをば 心して聞け。 【ハムレット】 話せ、聞く覚悟はできている。 【亡霊】 この話を聞けば、復讐の覚悟がいるぞ。 【ハムレット】 どういう話だ? 【亡霊】 われこそは汝の父親の霊である。 しばしの間、夜の闇をさまよい歩くのがその宿命、 そして昼は業火につつまれて断食せねばならぬのだ、 この世にあったときに犯したいまわしい罪の数々が すべて焼ききよめられるまで。もしこのわれに禁を犯して、 わがおそろしき牢獄の秘密を語る自由があれば、 その話を打ち明けたいのだが、そのただ一言だけでも 汝の魂をうちさいなみ、汝の若き血を凍らせ、 汝の両の目は流星のごとく、その星座から飛び出し、 汝の束ねて結んだ前髪はほぐれて、 猛《たけ》り狂う山あらしの針毛のように一すじ一すじが逆立つのだが、 そのような世にもおそろしい話を聞かせてやろうものを。 しかしこの永遠の国の秘密を現世の人の耳に 打ち明け語ることはできぬ。聞け、よく聞け、 もし、汝、その父をかつて愛していたならばー 【ハムレット】 おお神よ! 【亡霊】 残酷、非道な殺人に復讐せよ。 【ハムレット】 殺人だと! 【亡霊】 どのような殺人でも非道でないものはない。 だがこれこそはまこと非道、絶無、残酷きわまる殺人だ。 【ハムレット】 早くおきかせください、この私が思想よりも、愛の想いよりも、 もっと早い翼に乗って、復讐めがけてまっしぐらに、 飛んで行けますように。 【亡霊】 よく申してくれた。 もしこれを聞いてお前が復讐に奮い立たないというなら、 お前は冥土《めいど》に流れる忘れ川の岸辺にはびこる 肥えた雑草よりも、よほど鈍いと言わねばなるまい。ハムレットよ聞いてくれ。 わしが庭でまどろんでいる間に蛇にかまれたと伝えられ、 デンマークじゅうのすべての者が、このような わしの死に関する偽りの報告であざむかれているのだが、 じつは、よいか、よく聞いてくれ、ハムレットよ、お前の父の生命を うばったというその蛇は、現在その頭に、 父の王冠を頂いているのだぞ。 【ハムレット】 やっぱり、そういう気がしたのだが。 ではあの叔父が?

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【亡霊】 そうだ、あの兄嫁を犯し、人妻を奪ったけだものめ!

その奸知《かんち》にたけた魔術と反逆の力をもって…… ああ、かくも巧みに誘惑するとは、なんたる邪悪な知恵、 おそろしい力であろうか……わしの貞淑無比と見えた妃《きさき》の心を、 あいつの恥ずべき情欲へと完全になびかせてしまったのだ。 おお、ハムレット、なんというあさましい堕落だ! わしは結婚の儀式のときに彼女に誓ったその誓いを つねに守りつづけて来たのに、その気高いわしの愛にそむいて、 わしのもとを離れ、あのようにわしに比べれば はるかに天性も劣っている、卑劣きわまる男に 心を移してしまうとは! しかし貞節な女は、たとえ邪淫《じゃいん》が天人の姿となって 誘惑しようともけっして動かされないものだが、それに反して みだらな女は、輝かしい天使と契りを結んでも、 天上の床《とこ》に飽きてしまって、ごみための腐った肉を あさり歩くものだ。 だが、待てよ! もう朝の空気がただよいはじめたようだ。 手短かに話そう。わしはいつものように午後のひと時を、 庭で午睡をしてすごしていたのだが、そのとき、 わしの油断に乗じてお前の叔父がひそかにやって来た。 おそろしいヘボナの液を小びんの中に入れたのを持って、 そしてらい病のように肉を腐らすその毒液を、 わしの耳の中に注ぎこんだのだ。その力は、 人間の血とは相容れないおそろしいもので、 水銀のように、たちまちのうちに、体のすみずみまで あらゆる血管の中を流れ流れて、みるみるうちに、 その効力をあらわし、清く澄んだ血液を、 あたかも乳の中に酢《す》をたらしたそのときのように にごりこごらせてしまうのだ。わしの血もその通りになった。 わしのなめらかな肌はたちまちのうちに≪かさ≫をつくり、 らい病やみのように、きたならしい、あさましいかさぶたで 全身おおわれてしまったのだ。 こうしてわしはねむっている間に、自分の弟の手にかかって、 生命も、王冠も、王妃さえも一時に奪われてしまった。 自分の罪業の咲きほこる真最中に生命を絶たれ、 聖餐もすまさず、何の準備もせず、臨終の塗油《とゆ》も行われずに、 ざんげもせず、許しも受けず、神の裁きの前に、 すべての罪業を背負ったまま引き出されたのだ。 おお何とおそろしい、おそろしい、おそろしい事だ! もしもお前に子としての情愛があるなら、これを捨ておいてはならぬぞ。 デンマークの王家の神聖なる寝所をあのように、 いまわしい情欲、邪倫《じゃりん》の床としてはならないのだ。 だがこの復讐をお前がいかなる手段で遂行するとも、 お前は汚らわしいことを考えたり、母上に危害を加えようなどと たくらんではならぬぞ。母上のことはすべて天に任せておけ、 そして母上の胸の中にやどる苛責のいばらの刺すにまかせて、 彼女《あれ》の心をさいなませておけばよいのだ。さらばだ、急いで行かねばならぬ! ほたるがそのかすかな光をうすらせはじめて、 朝が間近に来ていることを告げている。 さらば、さらば、さらば! わしを忘れるな。〔退場〕 【ハムレット】 おお、もろもろの天使たちよ! おお大地よ、それから何がある? 地獄も一枚加えようか? ばかな、しっかりしてくれ、わが心よ! そしてお前たち、筋肉も、一度に老いこんでしまうな、

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しっかりとこのおれを支えてくれ。「わしを忘れるな」 わかったとも、あわれな亡霊よ、この混乱した頭の中に 記憶が座を占めているかぎりは。「わしを忘れるな」 いいとも、このおれの記憶の手帳《メモ》から、 おれはすべてのくだらない、ばかばかしい書き込みを抹殺する、 すべての抜き書き、すべてのスケッチ、すべての過去の印象、 若いころから観察してそこに書きとめておいたあらゆるものを。 そしてお前の命令だけをただ一つとどめておこう、 おれの頭のこの分厚な書物の中に、 ほかのくだらぬものとは混ぜ合わせないで。よし、天に誓って! おお、何という悪らつな女! おお悪党、悪党、やさしい笑みを浮かべているおそろしい悪党め! さあ、おれのメモだ。ここに書きとめておいたほうがいい、 やさしく微笑んでいても、やさしく微笑んでいても、しかも悪党たり得ると。 少なくともデンマークではそういうことがたしかにあり得るのだ〔書く〕 さあ、叔父さん、しっかり書きとめたぞ。さあ次はおれ自身のモットーだ、 そうだ、これだ、「さらば、さらば、わしを忘れるな」 おれはもう誓ったぞ。 〔ホレイショウとマーセラス登場〕 【ホレイショウ】 殿下、殿下! 【マーセラス】 ハムレット殿下! 【ホレイショウ】 天よ、どうぞ守らせたまえ! 【ハムレット】 なにとぞそのように! 【マーセラス】 おーい、ほーい、殿下! 【ハムレット】 ホーい、ほーい、それ、こっちだ。 【マーセラス】 いかがでした、殿下? 【ホレイショウ】 どうでした、殿下? 【ハムレット】 いや、驚くべきことだ! 【ホレイショウ】 殿下、どうか話してください。 【ハムレット】 だめだ、他人に洩らしてしまうだろうから。 【ホレイショウ】 私は誓って、そんなことはいたしません。 【マーセラス】 私もけっして他言しません。 【ハムレット】 では、ききたいが、人間の心でこんな事が考えられるだろうか? だが他言はすまいな。 【ホレイショウとマーセラス】 誓って他言はいたしません、殿下。 【ハムレット】 このデンマークに住んでいる悪党は、どいつも大悪党でない奴は 一人もいないのだ。 【ホレイショウ】 そんな事を言うために、殿下、亡霊がわざわざ墓から 出て来るには及びますまい。 【ハムレット】 その通りだ、君の言う通りだ。 だから、もう余計なくどい話はやめにして、 お互いにここで握手して別れるのがいちばんいいと思うのだ。 君たちだってそれぞれ用事や、やりたいことがあるだろう、 誰だって用事や、やりたい事はあるものだ、 お互いにそれぞれのね。ぼくはどちらかと言えば、これからぼくは、 お祈りでもしたいのだ。 【ホレイショウ】 殿下、おっしゃることがとほうもなくとりとめがございませんが。 【ハムレット】 気にさわったらどうか許してくれたまえ、 ほんとうにすまなかった。 【ホレイショウ】 とんでもない、気にさわったりはいたしません。 【ハムレット】 ところがホレイショウ、さわることがあるんだよ、 聖パトリックにかけて、ひどくさわることが。今夜見たものは、 あれは正真正銘の父の亡霊だ、はっきり言っておくが。

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しかしわれわれの間で何があったかは、君たちはさぞ知りたいだろうが、 それはどうか我慢してくれ。さあ君たち二人とも、 ぼくの親友であり、学者であり、軍人であるのだから、 ひとつぼくのささやかな頼みを聞いてほしい。 【ホレイショウ】 どんな事ですか、殿下? よろこんで承りましょう。 【ハムレット】 今夜君たちが見た事をけっして誰にも知らさないでくれ。 【ホレイショウとマーセラス】 けっして知らせはいたしません。 【ハムレット】 いや、誓ってくれ。 【ホレイショウ】 誓って、 殿下、他言はしません。 【マーセラス】 私も、殿下、誓って。 【ハムレット】 この剣にかけて。〔剣を抜く〕 【マーセラス】 もう私どもは誓いました、殿下。 【ハムレット】 さあ、この剣にかけて、さあ。 【亡霊】 〔地下から〕誓え! 【ハムレット】 は、はあ、こいつめ、お前もそう言うのか? そこにいるのかね、正直もの

め! さあ……君たちもあいつが地下でいっているのを聞いたろう! 誓ってくれたまえ。 【ホレイショウ】 誓いの言葉をおっしゃってください。 【ハムレット】 けっして今夜君たちの見た事を他言しないと、 この剣にかけて誓ってくれ。〔彼ら誓言する〕 【亡霊】 〔地下から〕誓え! 【ハムレット】 「ここぞと思えばまたあちら」か、ようしひとつ場所を変えよう。 さあ、君たちもここへ、 そして君たちの手をぼくの剣にかけてくれたまえ。 この剣にかけて誓ってくれ、〔彼ら誓言する〕 今夜君たちの聞いた事をけっして他言しないと。 【亡霊】 〔地下から〕誓え! 【ハムレット】 うまいぞ、もぐらさん! なかなか早く地の下を掘って歩くじゃないか。 りっぱな鉱夫だよ! もう一度場所を変えよう、君たち。 【ホレイショウ】 じつになんとも、これは不思議なことだ! 【ハムレット】 だから珍客だと思って歓迎してやってくれ。 ホレイショウ、君の学問では思いも及ばぬことが 天と地との間にはたくさんあるんだ。 ところでさあ、 ここで、前にやったように、決して、ごしょうだから、 今後ぼくがどんな不思議な奇妙な振舞いをしようと、 おそらくは今後はそうしたほうがいいと思うのだが、 いつわりの狂気を装うためにだ、 君たちはそんなときのぼくを見ても、けっして、 こんなふうに腕を組んだり、こんなふうに頭をふったり、 また、何かさも意味ありげな言葉を口にして、たとえば、 「うん、うん、よくわかってるぞ」とか、「説明しようと思えばできるのだから」とか、 「話そうと思えば」とか、「してもよいというなら、する人もいるだろう」とか、 こんなあいまいな事を言って、君たちがいかにもぼくの秘密を 何か知っているようなふうをしてはいけない……これを絶対誓ってくれ、 神の今後のご加護にかけて、絶対に誓ってくれ! 【亡霊】 〔地下から〕誓え!〔彼ら誓言する〕 【ハムレット】 休め、休め、さまよえる亡霊よ! さあ、諸君、 ぼくは心から君たちの好意にすがりたい。 そしていまはこのハムレットは、つまらん一個の男になり果てているが、 そのうちに時勢が好転したら君たちへの親愛の情は、

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ぜひ何らかの形であらわしたい。さあ一緒に行こう。 いつも君たちの指を口にしっかり当て、気をつけてくれたまえ。 世の中はすっかり関節がはずれてしまった。なんといやなめぐりあわせだ、 こんな世の中に生まれ合わせて、これを正す役割を負わされるとは! もうやめて、さあ、いっしょに行こう。〔退場〕 [#改ページ] 第二幕 第一場 ポローニアス邸の一室 〔ポローニアスとレイナルドー登場〕 【ポローニアス】 この金と書きつけをせがれに渡してくれ、レイナルドー。 【レイナルドー】 かしこまりました。 【ポローニアス】 レイナルドー、お前がせがれを訪ねて会う前に、 あれの行状についてあちこち聞きこみをしてくれると しごく都合がいいのだが。 【レイナルドー】 私もそのつもりでおりました。 【ポローニアス】 おお、よく言ってくれた。ほんとによく言ってくれた。いいかね、 まずパリにどんなデンマーク人がいるか、聞き合わせてくれ。 そしてどんなふうに、だれが、どのくらいの暮し方で、どこで、 どういう仲間とつき合い、どのくらいそれに金をつかっているか。 そして何げなく、遠回しの質問や誘導尋問をして、 彼らがせがれのことを知っているとわかったら、 今度は直接に個人のことを聞く場合よりももっと突っ込んで尋ねてくれ。 お前は、そうさな、ほんの少しだけ彼を知っているようなふりをするがよい。 たとえばこんなふうにだ。「わたしはあの人の父親や友人は知っている、 それにあの人のことも少しばかり」とな。わかったかね? レイナルドー。 【レイナルドー】 はい、よくわかりました、だんな様。 【ポローニアス】 「少しばかりは知っています。でも、くわしくは知りません」と言うんだ

ぞ。 「しかし、わたしの知っているその人なら、なかなかの乱暴者で、 これこれの道楽がありましてね」と、口から出まかせのつくりごとで、 彼《あれ》に難くせをつけてくれ。ただ言っておくがな、 あれの名誉を傷つけるようなひどい事はけっして言ってはならんぞ、 この点だけは十分注意してくれ。だが若い者にありがちの 浮わついた、奔放な、乱暴な欠点なら 何を言ってもかまわんぞ。 【レイナルドー】 賭けごとなどもなさると申しましても? 【ポローニアス】 かまわんとも。酒をのむとか、決闘のまねをするとか、乱暴な口をきくと

か、 けんかをするとか、女を買うとか、そのくらいはいいだろう。 【レイナルドー】 でもそのようなこと申し上げては、あの方の名誉を傷つけることになりま

しょう。 【ポローニアス】 いや、そんなことはない。非難するときの言葉づかいにさえ注意すれば。 あれはいつも女のところに入り浸っているというような、 そんな汚名をきせられては困るのだ。 わしの言うのはそんなことではない。ただ言葉巧みに彼の欠点を話し、 つまりはせがれがいささかはめを外した結果で、 若い者の気ままな心のつかの間のはけ口、 誰でもがおちいりやすい血気にはやった あらっぽい行動なのだと思わせてほしいのだ。 【レイナルドー】 でも、だんな様。 【ポローニアス】 なぜそんなことをするのだと、このわしに尋ねたいんだろう?

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【レイナルドー】 はい、だんな様、うけたまわりとうございます。 【ポローニアス】 よく聞いてくれ、わしの目的はな、 わしはこれがとてもすばらしい思いつきだと考えているのだが、 お前がせがれに少しばかり汚点をつけるのじゃ、 ちょうど新品でも作っているあいだには少々汚れるようにな、 よく聞いてくれよ、 お前が話している相手は、つまりお前が探りを入れている相手だが、 もしお前が難くせをつけた当のその若者が、 前述のごとき罪を犯すのを実際に見たことがあれば、 彼は必ずやお前の話にこんなふうに相づちを打ってくるに決まっているのだ。 「そうですね」とか何とか、または「そうだね」とか、「さようでございます」とか、 その男の身分にふさわしい、またその国の言葉をつかって ちがった言い方をするだろうが。 【レイナルドー】 そうでございます、だんな様。 【ポローニアス】 それでだ。その男はこう言う……こう言う……ええと、わしは何を言おうとし

ていたのかな? たしか何か言おうとしていたのじゃが、どこで話をやめたのかな? 【レイナルドー】 「こんなふうに相づちを打つだろう」とおっしゃいました。「そうだね、

とか何とか」 それに「さようでございます」あたりでございました。 【ポローニアス】 「こんなふうに相づちを打つだろう」か、そうそう、そこだ。 彼はこのように話の結末をつけるだろう、「その人なら知っています、 会いましたよ昨日、または先日、 あるいはいついつしかじかの日、これこれのお方と。おっしゃるように 賭けごとをしていましたよ、よっぱらっていましたよ、 テニスでけんかしてましたよ」と。それともまたは、 「あの人がいかがわしい家へはいるのを見ましたよ」と言うかもしれん。 つまり換言すればじゃ、女郎屋とか、そんなような所へじゃ。 わかったかな。 つまりこの手を使えば、お前の偽りの餌《えさ》で、真実という鯉《こい》がつれるのだ。 こんなふうにして、われわれのように知恵と分別のあるものは、 ボーリングでやるように、遠まわしにカーブを描きながら、 間接の方法で、実は事の真相を明らかにするのだ。 いいかな、いまわしがここに講釈、伝授した方法によって、 せがれの様子はつきとめられるのだ。どうだわかるかな? 【レイナルドー】 はい、わかりました、だんな様。 【ポローニアス】 では行くがいい、気をつけて行けよ。 【レイナルドー】 はい、だんな様。 【ポローニアス】 お前の目で、せがれの様子をよく見とどけるのだぞ。 【レイナルドー】 承知いたしました、だんな様。 【ポローニアス】 せがれには好きに笛を吹かしとくのだぞ。 【レイナルドー】 はい、だんな様。 【ポローニアス】 元気でな!〔レイナルドー退場〕 〔オフィーリア登場〕 おお、オフィーリア、どうしたのだ。 【オフィーリア】 お父様、お父様! 私はほんとうにおそろしゅうございました。 【ポローニアス】 いったいぜんたい何がおそろしいのだ? 【オフィーリア】 お父様、私が私の部屋で針仕事をしておりますと、 ハムレット様が、上着の前を全部はだけたままで、 頭に帽子もおかぶりにならずに、お靴はよごれたままで、 靴下どめもなさらずに靴下は足首のところまでずらせて、 お顔の色は真っさお、ひざをガタガタとふるわせて、 そしてとてもとても哀れっぽいご様子をなさって、 まるで地獄からやっとのことで抜けだしてきた人が、

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そのおそろしさをお話なさるかのように、私の前にいらっしゃるではありませんか。 【ポローニアス】 お前が好きで気でもふれたかな? 【オフィーリア】 お父様、私にはわかりませんが、 でも、たしか、気がかりでございます。 【ポローニアス】 して、何と言われるのだ? 【オフィーリア】 私の手首をしっかりとおつかみになったのです。 それから腕の長さいっぱいにおはなれになって、 もう一方の手をこのようにひたいの上にかざされて、 まるで私の絵でもおかきになるかのようにじっと私の顔を みつめていらっしゃるのです。長い長い間そうしていらっしゃいました。 そしておしまいに、私の腕を軽くお振りになって、 三度も頭をこのように上げたり下げたりなさり、 それは悲しそうに、深い溜息をおつきになりました。 まるでその溜息がお体をこなごなにくだいてしまって、 あの方のお生命《いのち》を絶ってしまうかのように。それからやっと私をお放しになり、 そして肩越しにお顔だけこちらにお向けになったまま、 目がなくてもお歩きになっていらっしゃれるかのように、 目の助けもかりずに、お部屋から出て行かれました。 最後までわたしの顔から視線をおはなしにならずに。 【ポローニアス】 さあ、わしと一緒においで。王様をお捜ししなければならぬ。 これこそまったく恋に狂ったというやつで、 これが昂《こう》じると、およそ人の世の激情が われわれの本性を苦しめるように、意志を自在に駆使して 絶望的な行動にあえて赴《おもむ》かしめ、 ついには自らを破滅に導いてしまうのだ。困った事だ…… お前は最近何かつれない事でも言ったのかね? 【オフィーリア】 いいえ、お父様、ただお父様のご命令通りに、 あの方のお手紙はお受けいたしませんでしたし、私のところに来られることを おことわりいたしました。 【ポローニアス】 それですっかり気が狂ってしまわれたか。 わしはもっとよく注意し、よく物事を判断した上で 対策を講じるべきだったのじゃ。わしはほんのじょうだんで お前をなぐさみにしておられると思い込んでいた。とんだ邪推だったわい。 いやはや、わしのような年配の者にはありがちのことじゃ、 若いものがえてして分別が足らないで失敗するように、 わしらは自分たちの思いすごしから他人をも判断してしまうのじゃ。 さあ、王様のところへ行こう。これはお耳に入れておかねばならぬ。 なまじ秘密にしておいたりすると、恋のなんのと申し上げて ご不興をこうむるよりも、もっと大きな不幸が起こらぬでもない。 さあ、早く。〔退場〕 [#改ページ] 第二場 城中の一室 〔ファンファーレ、王と王妃、ローゼンクランツ、ギルデンスターンその他の者たちを従えて登

場〕 【王】 ようこそ、ローゼンクランツとギルデンスターン かねがね君たちには会いたいと思っていたのだが、 実は君たちの力を借りたいことが起こって、このように至急に、 君たちに来てもらったのだ。聞き及んでいるかも知れないが、 ハムレットがすっかり変わってしまった。変わったという以外にないのだが、 外面的にも内面的にも、以前の彼とはがらりと 人が変わってしまったのだ。いったいどうしたわけなのか、 あれの父親の死以外のどんな原因があって、彼があんなに

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わけもわからぬほどに変わりはててしまったのか、 わしにはまったく判断がつかんのだ。そこで二人に頼みというのは、 君たちは二人とも子供のときからあれと一緒に育ち、 若いころからあれの気心もよく知った仲と言えるだろうから、 君たちにしばらくの間、この宮廷に滞在してほしいと ぜひ頼みたいのだ。君たち二人が相手になって あれの心を慰めてくれたり、また折りにふれて 君たち二人が気づいたことから、わしにはよくわからないが、 何かあれの心の悩みの種があるのか、それをつきとめてほしい。 それが明らかにされれば、なおしてやる道もあろうからな。 【王妃】 ハムレットはあなた方のことをよくお噂しておりました。 ほんとうにあなた方ほどハムレットが親しくしている方たちは 他にはないと思います。もしできることならば、 あなた方の親切なご厚意を示してくださって しばらくの間私どもと一緒にここにいらしてください。 私たちの希望をかなえて、役に立っていただけたら、 あなた方がここへ来てくださったことは、王様がきっと心にとめて しかるべきお礼の方法を講じてくださるでしょう。 【ローゼンクランツ】 両陛下、 なにとぞ陛下がわれわれ臣下に対する大権《たいけん》をもって、 ご希望通りをお命じになられますよう、 お頼みになるなどとは恐れ多い。 【ギルデンスターン】 われわれ両名仰せをかしこみ、 心をこめてわれわれ臣下たるべき者の務めを相果たします。 陛下の足もとにわれわれのかぎりない忠誠をささげたてまつって、 ご命令のままに相勤めまする。 【王】 ありがとう、ローゼンクランツにギルデンスターン。 【王妃】 ありがとう、ギルデンスターンにローゼンクランツ。 ではこれからすぐに、あのように変わり果ててしまった 息子ハムレットをどうか訪ねてやってください。誰か、 このお二人をハムレットの所にご案内しなさい。 【ギルデンスターン】 神よ、どうかわれらのここでの存在と行動とが、 ハムレット様のお気に入り、お役に立ちますように! 【王妃】 アーメン!〔ローゼンクランツとギルデンスターンと数名の従者退場〕 〔ポローニアス登場〕 【ポローニアス】 陛下、おつかわしになった者たちが、ノールウェイから めでたく戻ってまいりました。 【王】 お前はいつもよい知らせをもって来てくれるなあ。 【ポローニアス】 さようでございますか、陛下? あえて申し上げまするが、 私は上なる神および国王陛下に対する義務を 私どもの魂同様に非常にたいせっなものと心得ておりまする。

そして私は思うのでございますが……もしこれが間違いでございましたら、 私の頭はもはや以前のように正しく国事に参与することは できなくなったと申さねばなりますまい……つまり私は ハムレット様のご狂気の真因をつきとめたと思うのでございます。 【王】 おお、それを話してくれ。ぜひともそれを聞きたい。 【ポローニアス】 まず使節の方々をご引見なさいますように。 私のご報告は吉報という饗宴のデザートともなりましょうから。 【王】 では自身で使者を迎えて、ここへ連れて来てほしい。〔ポローニアス退場〕 ガートルード、ポローニアスが言っている、あの男は 息子ハムレットの病気の、まことの原因をつきとめたそうだ。 【王妃】 それはあれの父親の死、それに私どものあわただしい結婚というような、 ごく大体のことにすぎないのではないかと思います。

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【王】 そうだな。ともかくよく問いただしてみよう。 〔ポローニアス、ヴァルティマンド、コーニーリアスとともに再び登場〕 諸君、ようこそ! ところでヴァルティマンド、ノールウェイ王からはどんな返事だ? 【ヴァルティマンド】 まことに丁重なご挨拶で、くれぐれもよろしくとのことでございます。 こちらからの最初の申し入れで、ただちに王は使者を出され、 甥ごの徴兵をおさえられました。それまで王はそれが、 ポーランドとの戦闘の準備とばかり思っておられたのです。 しかしよく調べてごらんになりますと、その徴兵が、 まさに陛下に対してされていることがおわかりになりました。 かくしてノールウェイ王は、病弱にして老齢の王を かようにあざむくとはと、ひどくご立服で、フォーティンブラスの 逮捕を命じられました。フォーティンブラスは直ちに王に従い、 ノールウェイ王の叱責を受け、とどのつまり、 叔父王の前で、かたく誓言《せいごん》されたのでございます、 二度とふたたび陛下に対したてまつり兵を起こすことはしないと。 それを聞かれて老王は非常にご満悦、 フォーティンブラスへの年金として三千クラウンを約束され、 徴募された兵士たちをそのまま、 ポーランド討伐の軍としてさし向けられることとなりました。 つきましては老王からのお申出《もうしい》でといたしまして、委細はここに 書きしるしてございますが〔書面をさし出す〕この目的のために 陛下のご領内を、ここに書きしるしてございまするように、 安全の保障とご許可をちょうだいいたしまして、 無事通過させていただきたいとのことでございます。 【王】 いや、結構、結構、 いずれ機会を見てゆっくり読ませてもらい、 とくと考えた上で返答させてもらおう。 ともかくも、首尾よく使命を果たしてくれたことを感謝するぞ。 さあ休んでくれ。夜にはあらためて一席もうけよう。 まことにご苦労であった。〔ヴァルティマンドとコーニーリアス退場〕 【ポローニアス】 上首尾に終わり、大慶|至極《しごく》に存じます。 陛下ならびに王妃さまに申し上げます。ここに詳細にわたり 王権とは何か、はたまた臣下の義務とは何かにつきまして また何ゆえに昼が昼で、夜は夜であり、時は時であるかを ご説明申し上げますことは、いたずらに夜と昼と時を浪費するものでございます。 したがいまして、そもそも簡潔は知恵の魂、 冗漫はその手足、うわべの飾りにすぎませぬゆえ、 私も簡単に申し上げますが、王子殿下は気が狂われました。 あえて気違いと申し上げます。つまり真の狂気とは何ぞやと ご説明いたしますなら、それは狂気に非ざるものに非ずして何ぞや、 しかし、それはさておいて…… 【王妃】 修辞的な言い方はよい、要点は? 【ポローニアス】 いえ王妃様、私が修辞学などとはめっそうな! 殿下のご狂気はまことでございます。残念ながらまことのこと、 まことなるがゆえに残念。いやはやあまり上手とは言えませんな。 だがそんな言い方はもうおさらば、もう修辞学などは使いますまい。 殿下はご狂気ということを一応お認めいただきまして、 つまり、その結果の原因をつきとめることが肝要でございます。 と申しまするより、この欠陥の原因をつきとめることでございます。 つまりこのような欠陥のある結果には必ず原因がございまして、 そこに問題が残され、残された問題の結論はかく相成ります。 さあご思案。

私に娘が一人ございます……もっとも私の下《もと》にいるあいだは、のはなしですが……

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その娘が……親の口から申すのも何ですが、まことに出来がよく…… 私にこれを渡しましてございます。どうぞしかとご推察のほどを。〔読む〕 「この世のものとも思われぬ、わが心の偶像、うるわしくよそおえるオフィーリアヘ」 これはどうもぐあいのわるい表現、いやな表現でございますな。「うるわしくよそおえる」 というのはどうもいやな言い方でございますな。まあ、ともかく読んで見ることにいたしまし

ょう。こう書いてございます。〔読む〕 「かのすばらしき、真白き御胸《みむね》にこれをささぐ……」と。 【王妃】 これがハムレットからオフィーリアヘあてた手紙だというのですか? 【ポローニアス】 王妃様、どうぞお待ちくださいまし、ありのまま読んでさし上げます。 「星が火であることを疑うもよし、 太陽が動くことを疑うもよし、 真実を虚偽なりと思うもよし、 されどわが愛を疑うことなかれ。 おおいとしきオフィーリアよ、われ詩をつくるすべを知らず。わが恋の苦しみは限りなけれど、

われそを詩歌に托するすべもなし。されど、ああ、われひたすらに汝《なれ》を愛す。おおわ

がいとしき人よ、そを信じたまえ、いざさらば こよなくいとしき人よ、この体の生ける限り、永遠に汝《なれ》のものなるハムレットより」 この手紙を娘は私の言いつけ通り、私に見せました。 そればかりか、殿下のお申し込みのお言葉をも、 いつ、いかようにして、いずこにてというように こまごまと打ち明けましてございます。 【王】 だが娘御はどのように あれの申込みを受け入れたのかな? 【ポローニアス】 陛下は私を何とおぼし召しますか。 【王】 そりゃもちろん、忠実で名誉を重んじる人物と思っている。 【ポローニアス】 私もそうありたいと願っております。しかし陛下は何とおぼし召される

か? もし私がこの燃えるような恋が、翼をのばして飛んでいるのを見て…… じつを申しますと、私も前々から存じておりましたのです、 つまり、私の娘が話してくれますよりずっと以前からでございますが…… もしこの私が机やメモのような役割しか果たし得ず、 このことに対して私が黙認し、唖をきめこんで沈黙し、 この恋を見て見ぬふりをしていたといたしましたなら、 陛下ならびにここにおいでの王妃さまは、何とおぼし召されるか? しかし陛下、私はただちに手をうちましてございます。 私はわが姫君にかくのごとく申しきかせました。 「ハムレット様は王子様であられる、お前の相手になられる方ではない。 これはかなわぬことである」と。それから私は娘に命じました、 ハムレット様のお出ましになる所へはけっして近づいてはならぬ、 またお使いの者にも会ってはならぬ、贈り物をいただくことも相成らぬと。 このように命じておきましたところ、娘は私の忠告を実行に移し、

かくして王子様は……事の次第をかいつまんで申し上げますなら…… 恋にやぶれ、悲しみにうち沈まれ、お食事ものどに通らず、 夜もおやすみになれず、ご衰弱なさいまして、 はては心もそぞろになられ、このような経過をたどりにたどって、 ついにそれが昂じて現在ごらんのようなご狂気の状態、 われわれの悲嘆はいかばかり。 【王】 〔王妃に〕ほんとうにそう思うかね? 【王妃】 そうかもしれませぬ。ほんとうらしゅうございます。 【ポローニアス】 これまでにも、この私が「かようでございます」とはっきり申し上げて、 しかもそうでなかったためしがはたしてございましたでしょうか、 ぜひうけたまわりたいものでございます。 【王】 わしが知っているかぎりではなかったな。

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【ポローニアス】 ここをここから切りとってくださいませ、もしこれがまちがっておりまし

たら。〔彼の頭と肩とを指して〕 何か手がかりさえございますなら、どんな秘密の真相でも、 必ず私は見つけてごらんにいれます。たとえそれが、 地球の真中にかくされておりましょうとも。 【王】 どのようにしてこれ以上つきとめるかね? 【ポローニアス】 ご存知のようにハムレットさまは、時として何時間もこの廊下を、 お散歩になられます。 【王妃】 そうね、ほんとうに。 【ポローニアス】 そのような折に一つ娘を王子さまのところへ放ってみましょう。 そして陛下と私はカーテンの陰にかくれておりまして その出会いを見まもることにいたしましょう。もし王子様が娘に言いよられず、 また恋のためにあのようなご狂気になられたのでもないならば、 なにとぞ私の国王補佐としての大任をご解任ください。 私は牛馬の尻を追い、肥えたごでもかついでいましょう。 【王】 やって見るとしようか。 〔ハムレット本を読みながら登場〕 【王妃】 ほら、あの子がかわいそうに、うち沈んで本を読みながら参りました。 【ポローニアス】 さあ、両陛下とも、早くあちらへおいでなさいませ。 私がすぐにもお相手をしてみせまする。では失礼つかまつりまして。〔王、王妃、従者をしたが

えて退場〕 ハムレット様、ごぎげんはいかがでいらっしゃいますか? 【ハムレット】 元気です、おかげでね。 【ポローニアス】 私がおわかりでございますかな? 【ハムレット】 よくわかっています。魚屋〔「魚屋」という言葉には「女郎屋」という意味

も含まれている〕だったね? 【ポローニアス】 いえいえ、そうではございません。 【ハムレット】 じゃ魚屋くらい正直であってもらいたいね。 【ポローニアス】 正直者と仰せられますか? 【ハムレット】 さよう、今の時勢では、正直者は一万人に一人ぐらいの割に相成ります。 【ポローニアス】 なるほど、それはごもっともでございますな。 【ハムレット】 なぜならば、もし太陽が犬の死骸に蛆《うじ》をわかせるなら、太陽は屍

《しかばね》に口づけする神だから ……ところで娘がいるかね? 【ポローニアス】 ございますとも、殿下。 【ハムレット】 じゃ日向《ひなた》をあまり歩かないほうがいい。世の中を知ることはいい

が、男を知るのは困るからね、気をつけたまえ。 【ポローニアス】 〔傍白〕それ言わぬことではない。娘のことばかり言っていなさる。だが

はじめはこのわしに気づかずに、魚屋だと言われた。だいぶひどくイカれていなさる。わしも

若いころには、色恋のために、これとまったく同様、ひどく苦しい思いをしたもんだ。も一度

話しかけて見よう。殿下、お読みになっていらっしゃるのは何で? 【ハムレット】 ことば、ことば、ことば。 【ポローニアス】 はて、どういうことでございますか? 殿下。 【ハムレット】 事を構えるって、誰と? 【ポローニアス】 今お読みになっていらっしゃることは何かとお尋ねいたしましたので、殿

下。 【ハムレット】 悪口さ。皮肉なやつがいわく、老人は白いひげであり、顔はしわだらけ。目

からは濃い松やにのような目やにを出し、知恵まことに乏しく、膝はがたがただと。ぼくもま

ったくその通りだと思うのだが。なにもそんなに書き立てることはないだろう。君だってカニ

のように後ろへ後ろへと歩いて年をとって行けば、いつかはぼくと同年輩になるだろうからね。 【ポローニアス】 〔傍白〕気が狂っているとは言いながら、話にはちゃんと筋がとおってい

るわい。殿下、外気に当たらないようになさいまし。 【ハムレット】 墓の中へでもはいるか。

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【ポローニアス】 なるほど、そこなら外気に当たりませんな。〔傍白〕何とうがった事を

時々言われることか……正気の者の口からは、そんなにうまくは出てこないようなことを、気違

いがかえってうまく言いあてるものだ。ここらで引っ込んで、さっそく娘とうまく出会わせる

方法を考えよう。殿下、これにておいとまをいただきとう存じます。 【ハムレット】 その「いとま」って奴ぐらい、ぼくがよろこんで手ばなして、君にやりたい

と思っているものはないさ。例外は、このぼくの生命《いのち》、ぼくの生命、ぼくの生命だ

けだ。 【ポローニアス】 では。こきげんよろしゅう! 【ハムレット】 退屈千万な老いぼれどもめ! 〔ローゼンクランツとギルデンスターン登場〕 【ポローニアス】 ハムレット様をお捜しか? あそこにおられるわ。 【ローゼンクランツ】 〔ポローニアスに〕ごきげんよろしゅう。〔ポローニアス退場〕 【ギルデンスターン】 わが敬愛する殿下! 【ローゼンクランツ】 わが親愛なる殿下! 【ハムレット】 ああ、君たちか! 変わりはないかね、ギルデンスターン君、ああローゼン

クランツ君! 二人とも元気かね? 【ローゼンクランツ】 まずまず世間並みでございます。 【ギルデンスターン】 しあわせすぎないのがかえってしあわせと申しましょうか、 幸運の女神の帽子のてっぺんというわけにはまいりません。 【ハムレット】 と言って、靴の底というわけでもあるまい? 【ローゼンクランツ】 そうでもございません。 【ハムレット】 じゃ君たちは腰のあたりというところかな、彼女のご寵愛の真中どころだろ

う。 【ギルデンスターン】 たしかにそのあたりで親しくおつかえ申しております。 【ハムレット】 女神の腰の下あたりでか? たしかにそうだ、女神は気まぐれな淫婦だから

な。何か変わったことはないかね? 【ローゼンクランツ】 何も別にございませんが、世の中がだいぶ正直になったようです。 【ハムレット】 じゃこの世の終わりも近いというわけだ。だが君らの言うことはまちがって

いるぞ。もっと細かく尋ねるがね、いったい君らはどういう罪があって幸運の女神の手でこん

な牢獄へ送られたのかね? 【ギルデンスターン】 牢獄でございますって、殿下? 【ハムレット】 デンマークは牢獄だ。 【ローゼンクランツ】 では世界も牢獄でございますね。 【ハムレット】 そうともりっぱな牢獄さ。その中にたくさんの人の独房や、監房や、地下牢

がある。そしてデンマークがいちばんひどいのだ。 【ローゼンクランツ】 私どもにはそうは思えませんが、殿下。 【ハムレット】 じゃ、君らにはそうじゃないんだ。つまり、もともとものには善とか悪とか

いうものはなくて、考え方一つでどうにでもなるものなのだ。ぼくにとっては牢獄だ。 【ローゼンクランツ】 それは殿下のご大望のせいでございましょう。お志に比べましてこの

国がせますぎるのでございましょうから。 【ハムレット】 いや、とんでもない。ぼくはくるみのからの中に閉じこめられても、無限に

広い大宇宙の王と自分を考えることもできるたちなのだ……ただぼくが悪い夢さえ見なければ。 【ギルデンスターン】 その夢がとりもなおさずご大望なのでございます。大望を抱く人の求

める実体自身が夢の影にすぎませんから。 【ハムレット】 夢それ自体が影ではないか? 【ローゼンクランツ】 その通りでございます。大望などというものは、まことにたわいもな

い空虚なものでございまして、つまり影の影にすぎないのでございます。 【ハムレット】 それでは乞食が実体で、帝王や今を時めく英雄などは乞食の形とも言うべき

か? こんなヘリクツは宮廷へでも行ってやろうか? リクツをこねるのはどうも苦手だ。 【ローゼンクランツとギルデンスターン】 お供いたします。 【ハムレット】 いや、とんでもない。ぼくは君たちを召使いなみに扱いたくない。じつをい

うと、ぼくはおそろしくつきまとわれているのだ。だが友だちのよしみで答えてくれないか。

君たちはどうしてエルシノアに来たのかね?

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【ローゼンクランツ】 殿下のごきげんを伺いに参りましたので、他に目的はございません 【ハムレット】 ぼくは今、この通り乞食の身分だから、お礼の言葉も同様に乏しい。が、礼

は言わしてくれ。そしてぼくなどの礼としては、半ペニーでも高すぎるくらいだ。君たちは呼

ばれたのじゃないのか? それとも自分の意志で来たのか? まったく自由意志の訪問か?

さあどうなんだ、ぼくには正直に言ってくれてもいいだろう。さあ、黙ってないで言ってくれ。 【ギルデンスターン】 何と申し上げたらよろしいか。 【ハムレット】 なんとでも、ただ要点を言ってくれ。君たちは呼ばれたんだな、ちゃんと顔

に書いてあるぞ。君たちはそれをかくしおおせるほどずるい人間じゃないんだ。ぼくにはわか

っているんだ、王と王妃が君たちに使いをやったっていうことは。 【ローゼンクランツ】 何のためにでございますか? 【ハムレット】 それはこっちが聞きたいところだ。だがわれわれの友情に訴えて、若い者同

志の信義によって、つねに変わらぬわれわれの友愛によって、その他弁舌さわやかな者がいう

ことのできるあらゆる手段に訴えてたのむ。率直にかくさずにぼくに言ってくれ。君たちは呼

ばれたのかどうか? 【ローゼンクランツ】 〔ギルデンスターンヘの傍白〕どうしたものだろう? 【ハムレット】 〔傍白〕いや、相談したってだめだ、こちらはちゃんと監視しているぞ。友

だちならそんなよそよそしいまねをするな。 【ギルデンスターン】 殿下、実はお使いを頂いて参りました。 【ハムレット】 そのわけはぼくが話そう。そうすればぼくのほうが話したということで、君

たちが秘密をもらしたということにはなるまいからな。王や王妃に君たちが誓った言葉に少し

の傷もつかずにすむだろう。ぼくは最近……どうしてか、わけはわからないのだが……まったく元

気をなくしてしまい、常日頃していたスポーツもやめてしまった。まったくのところ気持がふ

さいで重苦しく、このすばらしい地球という建造物も、ぼくには荒涼たる岬のようにしか思え

ない。このたぐいなく美しい天蓋《てんがい》、大空も、いいか、この頭上をおおうすばらし

い青空、黄金の火をちりばめた壮麗な天空も、ぼくにとっては、けがらわしい、毒気にみちた、

蒸気の寄せ集めとしか思えないのだ。人間とは何とすばらしい傑作であろう。高貴な理性と、

無限の能力・姿および振舞い、動作は見事でたぐいなく、理解力においては天使のごとく、ま

ったく神にもまごうもの……この世を飾る美しいもの、万物の霊長……だがこのぼくにとっては、

この塵のかたまりが何だというんだ? 人間なんてぼくには少しもおもしろくない。もちろん

女もさ。君たちは笑っているが、女ならばと言うんだろうが…… 【ローゼンクランツ】 けっしてそんなつもりではございません。 【ハムレット】 それなら「人間なんて少しもおもしろくない」と言ったとき、なぜ笑ったの

だ。 【ローゼンクランツ】 そのように人間がおもしろくないとおっしゃいますなら、役者たちが

参りましても、殿下からはさぞかし貧弱なおもてなししか受けられないだろうと思いましたの

で。じつは私ども途中で彼らの一行を追い越してまいりました。彼らは殿下のご用をおつとめ

いたすために参るところでございました。 【ハムレット】 王の主役を演じる役者も大歓迎だ。その国王陛下に敬意を表してやるぞ。遍

歴の騎士の役をやる者にも十分に剣や楯《たて》を使わせてやるぞ。恋人役にもただで溜息を

つかせはしない。変わり者にもぶじに終わりまで話をさせてやろうし、道化役には笑い上戸の

見物をたっぷり笑わせてもらおう。女主人役にはどんなせりふでも勝手に言わせてやろう。さ

もないとせりふをトチるからな。どこの一座のものかね? 【ローゼンクランツ】 殿下が以前ごひいきにされていた、町の悲劇役者たちです。 【ハムレット】 どうして旅になど出たのだろう? 町にいたほうが、評判の点でも、収入の

点でもずっといいはずだが。 【ローゼンクランツ】 おそらく町を出たのは「禁止令」のためで、これも最近の劇団改革の

ためでしょう。 【ハムレット】 彼らはぼくが町にいたころと同じように評判がいいのだろうか? 彼らは今

でももてはやされているかね? 【ローゼンクランツ】 いえ、そうはまいりません。 【ハムレット】 どうしてだ? 古くさくなってしまったのか? 【ローゼンクランツ】 いえ、相変わらず一生けんめいやっておりますが、ただ殿下、この節

は雛《ひな》のような少年俳優の一座があらわれまして、とんでもないかん高い声を出してや

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っておりまして、それがまたとてつもなく人気があるのでございます。この連中がただ今は大

流行でございまして、時代ものの芝居は……連中はそんなふうに呼んでおりますが……すっかり彼

らの攻撃のまとになってこきおろされております。細身をさした当代の伊達《だて》者たちも

少年劇団の脚本を書く作家たちも羽根ペンにおそれをなして、めったに「時代もの」の芝居に

は近よりもしないとのことでございます。 【ハムレット】 何だと? 少年たちだと? 誰が彼らを抱えているのかね? 給料はどうな

んだろう? かん高い声で歌えなくなったら、彼らはどうするつもりかね? その連中だって

年をとって……ほかによい口もありそうには見えないから……いずれ「時代もの」の役者になるの

だろうが、そうなったときに、やがては自分たちの落ちゆく姿の悪口を言わせるとは、作家た

ちもひどい事をするものだとうらみはしないだろうか? 【ローゼンクランツ】 まったく、双方ともにこの争いはだいぶやかましくなってまいりまし

た。そして世間ではこれをけしかけることを罪とは考えておりません。ひところは、少年劇団

の作者と在来の役者が、なぐり合う場面のない芝居はさっぱり売れないというくらいでござい

ました。 【ハムレット】 そんなことがあるだろうか? 【ギルデンスターン】 実際ひどい皮肉の応酬でした。 【ハムレット】 少年俳優たちが勝ったのかな? 【ローゼンクランツ】 その通りでございます。ハーキュリーズも地球ごとさらわれるという

ほどの勢いでございました。 【ハムレット】 としても別に不思議でもないかもしれん。というのは、ぼくの叔父がデンマ

ーク王になると、ぼくの父が生きていたころは叔父をばかにしきっていた連中が、叔父のけち

な肖像画一枚を二十、四十、五十、いや百ダカットも出して買おうというのだからな。いや驚

いた、科学的に説明できるかどうか知らんが、まことに不可思議この上ない。〔ラッパの吹

奏〕 【ギルデンスターン】 役者たちが参りました。 【ハムレット】 両君ともよくエルノシアヘ。握手を、さあ。 歓迎にはつねに正しい儀礼というものが付きものだからな。こうして両君をねんごろに迎える

のは、役者たちにさしのべるぼくの歓迎ぶりが……ぜひとも愛想よくやらなければならんのだが

……君らに対するのよりも盛大に思われてはならないからだ。よく来てくれたな。それにしても

ぼくの叔父なる父も、叔母となった母も、とんだ思いちがいをしている。 【ギルデンスターン】 何をでございますか? 【ハムレット】 ぼくは北北西の風のときだけ気違いさ。風が南向きになれば、ぼくは鷹とさ

ぎの区別ぐらいはつくのさ。 〔ポローニアス登場〕 【ポローニアス】 これは、これは、皆さんごきげんよろしゅう。 【ハムレット】 おい、ギルデンスターン、そして君もだ。よく聞いてくれよ。そこにいる大

きな赤ん坊は、まだおむつをつけてるぞ。 【ローゼンクランツ】 たぶん、二度目のおむつってわけでございましょう。年寄りはふたた

び子供に帰ると申しますから。 【ハムレット】 ぼくは予言するが、きっと彼は役者たちのことを言いに来たのだ。聞いてい

たまえ。そうだ、その通りだ、たしか月曜の朝だった。たしかそうだ。 【ポローニアス】 殿下、申し上げることがございます。 【ハムレット】 閣下、申し上げることがございます。ロシアスがローマの役者だったとき…… 【ポローニアス】 役者たちが参上いたしました、殿下。 【ハムレット】 そうら来た。 【ポローニアス】 私の名誉にかけまして…… 【ハムレット】 驢馬《ろば》にのってかけつけたとき、役者たちは。 【ポローニアス】 天下の名優たちばかりでございます。悲劇、喜劇、歴史劇、牧歌劇、牧歌

的喜劇、歴史劇的牧歌劇、悲劇的歴史劇、悲喜劇的歴史劇的牧歌劇、古典劇的なもの、一致を

守らない新しいものなど、何でも可ならざるはなしでございます。セネカも重すぎず、かと言

ってプロウタスも軽すぎず、台本通りでも、即興でも、何をやらせても、天下無比の役者たち

でございます。 【ハムレット】 おお、エフタ、イスラエルの裁きのつかさよ、見事な宝をお持ちじゃな。

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【ポローニアス】 宝とはどのような? 【ハムレット】 そら、 「たった一人のかわいい娘、 こよなく愛したその娘。」 【ポローニアス】 〔傍白〕相も変わらず娘のことばかりを。 【ハムレット】 エフタどの、わたしはまちがっているだろうか? 【ポローニアス】 私をエフタとお呼びになりますならば、さよう、私にもこよなく愛する娘

がございます。 【ハムレット】 だめだ、そうはつづかないぞ。 【ポローニアス】 ではどうつづくのでございますか、殿下? 【ハムレット】 そりゃこうさ、 「何の因果《いんが》かしらないが」 次はもちろん、 「お定まりの話、こうなった」…… くわしいことはこの聖歌の第一節を見ればわかるよ。そら、ぼくの気晴らしになる役者たちが

やって来た。 〔四、五人の俳優たち登場〕 や、師匠たち、よく来てくれたね。みんなよく来たね。達者で何よりだ。やあ、ごきげんよう。

おお君だったのか。前にはそんなにひげをはやしてなかったじゃないか、デンマークへぼくを

顔まけさすためにやって来たのかね? よう、これは、これは、若いご婦人、ようこそ、よう

こそ。この前お会いしたときよりは、かかとの高い靴をはいたくらい、天に近くなられました

な。どうかあなたの声が通用しない金貨のように、ひびが入ってつぶれてしまいませんように。

諸君、よく来てくれた。フランスの鷹匠のように見つけたが最後、何でもいいから手当たり次

第とびつくぞ。さっそく何かきかせてくれ。さあ、君の得意な所をやってくれ、さあ、何か調

子の高いやつを。 【第一の役者】 何にいたしましょうか、殿下。 【ハムレット】 ほら、いつか聞かせてくれたせりふがあったな。あれは一度も上演されなか

った。それともされたかな。としても一度くらいだったと思うが。つまり大衆にはあまり受け

なかったように思う。普通のお客には高級すぎるようだ。しかしあれは……ぼくに言わせりゃ、

またぼく以上に権威ある批評家たちもそう言っていたが……すばらしい芝居だ、場面の構成も十

分吟味されているし、巧妙にしてしかも行きすぎずに書き下ろされていたと思う。だれか批評

家がこんな事を言っていたっけ、味を強くきかすような薬味などもかけてなくて、きざな奴だ

と文句を言われるような言葉使いもなく、甘美にしてしかも健全、虚飾の美よりははるかにま

さった自然の美しさをもった、手堅い手法で書かれていると。あの作の中ではぼくのとても好

きなせりふがあるんだ。イニーアスがダイドーに語るところだ。ことにプライアムの殺害を語

るあたりだ。もしまだ覚えていたら、ここのあたりからはじめてくれ、ええと…… 「たけり狂う虎のごとく、髪ふり乱したるピラスは…… 黒き鎧《よろい》に身を固め、呪われし木馬の中に 身をひそめしが、ぬばたまの夜に似て、 そのおそろしき黒き顔をばさらにまた、 おそろしき色にいろどりて、頭よりつま先までも、 今や紅《あけ》に染まりてもの凄く、 城主の最期をば恐ろしくも照らし出す、 燃えさかる町の焔に焼き上げられし、 父・母・娘・息子の流す血潮を浴びていろどらる。 かくして憤怒と焔に身を炙《あぶ》り、 こごりし血のりを全身にぬりたくり、 まなこは爛々《らんらん》として紅玉のごとく、

老プライアムをば求めたり……」 さあ、次をやってくれ。 【ポローニアス】 まったくのところ、殿下、抑揚《よくよう》といい、調子といい、まこと

にお見事でございます。 【第一の役者】 「たちまちにして彼をば見いだしぬ。

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老王ギリシア軍に立ち向かえども剣はとどかず、 老いの身に剣は思うにまかせず、うち下ろせしその剣は、 ただいたずらに地上に横たわるのみ。無敵のピラスは ここぞとばかり、プライアムめがけて打ちかかる。 力余りて狙いは外れしが、そのはげしき太刀風《たちかぜ》に、 王はもろくもよろめき倒れけり。心なきトロイの城も、 この一撃を感じたるごと、焼えさかる屋根もろともに どっとばかりくずれ落つ。そのおそろしき物音は、 さすがピラスの耳をも圧したり、見よ、その剣は、 老王プライアムの白髪の頭にまさに落ちんとして、 一瞬、空にとどまりて動きもやらず、 絵にかける暴君のごと、ピラスはしばし、 剣をはっしと下ろすことも忘れ果てて、 何事もなさずたたずみたり。 さるほどに、まさに暴風雨《あらし》のきたる前に、 大空もしずまり果てて、髪もその動きをとどめ、 烈しき風も声をひそめ、大地もまた 死のごとく静まりたるが、突如として雷《いかずち》とどろき、 天地を引き裂くごとく、ピラスもわれにかえりて 新たなる敵意に目覚め、はっしとばかり剣をふるえば、 剣は血潮ふきでプライアムめがけてうち下ろされたり。 その昔不滅のマルスの鎧をきたえんと サイクロプスの打ち下ろせる鉄槌《てっつい》もかくまで はげしくはうち落ちざりき。 おお運命の女神よ、汝《なれ》は何たる売女《ばいた》なるか! 神々よ、 衆議にはかりて、かくたる女神の威力を奪いたまえ! その運命の車の輪も軸も打ちくだきて その円きこしきを天空より地獄の底へと、 投げ落としたまえかし!」 【ポローニアス】 これはちと長すぎる。 【ハムレット】 お前のひげと一緒に床屋へ行くといいかな。さあ、つづけてくれ。この老人

はおどけた歌か、色事でなければ、すぐ眠ってしまうのだ。さあ先をやってくれ。今度はヘキ

ューバのくだりを。 【第一の役者】 「されどああ誰《たれ》か、かなしきかな、ぐるぐる巻きの王妃……」 【ハムレット】 「ぐるぐる巻きの王妃」? 【ポローニアス】 これはうまい、「ぐるぐる巻きの王妃」はうまい。 【第一の役者】 「素足のままにて駆けめぐり、もえる焔も 流す涙で消えんばかり。昨日まで王冠をつけし その頭《こうべ》には古きれまとい、王衣とて身につけしは、 あまたの子をうみて、やせほそりしその腰に、 あわててまといし一重《ひとえ》の毛布のみ。 ああ、誰かこれをまのあたりにして、毒舌のつづくかぎり、 運命の神を呪わざる者やある。 おそろしきピラスが無残にも、わが夫の手足をば 切りさいなみてなぶれるを、その目に見しあわれ王妃は、 天をもつんざく悲しき声を上げて嘆きたり。 もし神々にしてこれをみそなわせたまわらば、 地上のことには絶えて心動かさずとあらざるかぎりは、 かならずや空に燃ゆる星の目をも涙でうるおし、 悲しみをあらわしたまわん」 【ポローニアス】 おや、あんなに青ざめて、目には涙さえ浮かべているではないか。どうか

この辺でやめてくれ。

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【ハムレット】 結構だとも、残りのせりふはまた後で聞くことにしよう。ポローニアス、ど

うかこの役者たちを手抜かりなく休ませてほしい。いいかね、十分に歓待してやってくれ。こ

の人たちはこの世の中の縮図とも、手短かな年代記とも言われる人たちだからな。生きている

うちに悪口を言われるくらいなら、死んでから悪い墓碑銘をかかれるほうがましだからな。 【ポローニアス】 殿下、この者たちにそれ相応の待遇はいたします 【ハムレット】 おい、おい、とんでもない。そんなんではだめだ。もし一人一人、身分相応

ということになれば、鞭《むち》をまぬがれる者は誰もいないぞ。お前の身分に相応した扱い

をするのだ。相手の値打ち以上のもてなしをすればするほど、こちらの親切が光るというもの

だ。さあ、案内してやれ。 【ポローニアス】 では皆さん、どうぞ。 【ハムレット】 諸君、ついて行きたまえ。明日は一つ見せてもらおう。〔ポローニアスは第

一の役者を除く他の役者一同とともに退場〕 ねえ、君、『ゴンザーゴウ殺し』が演《や》れるかね? 【第一の役者】 はい、殿下。 【ハムレット】 それを明日の晩やってもらいたいのだ。ことによるとぼくが十二行くらい、

あるいはもっと書き加えたいと思うが覚えてくれるだろうね。 【第一の役者】 よろしゅうございますとも。 【ハムレット】 よろしい、あの人について行きなさい。だがあのじいさんをあまりからかっ

てはなりませんぞ。〔第一の役者退場〕〔ローゼンクランツとギルデンスターンに〕じゃ、君

たちにも今晩また会うとしよう。エルシノアにはよく来てくれた。 【ローゼンクランツ】 ではおいとまいたします。〔ローゼンクランツとギルデンスターン退

場〕 【ハムレット】 ああ、さようなら。やっとこれで一人になれた。 それにしてもこのおれは、なんとやくざな卑劣な人間だ! あの役者はつくりごと、人の情けのそらごとに、 精魂のかぎりを打ちこんで想像力を働かせ、 そのため顔色もすっかり青ざめて、 目には涙をため、なりふりかまわず、 声はとぎれとぎれ、その一挙一動がすべて、 心に描く人物と一致しているのだ。しかもそれがすべて、 空ごとのためなのだ! 何と不思議な事ではないか? ヘキューバのためか! ヘキューバが彼にとっていったいなんだ? ヘキューバにとって彼が何だ? 彼が泣くだけのことがあるのか? もしおれのこの悲しみの、 この動機ときっかけが彼にあったとしたら、 彼は何をしでかすだろう。舞台を涙で溺れさせ、 そのおそろしいせりふですべての見物の耳をつんざき、 罪のおぼえのある者を気違いにし、おぼえの無いものも肝《きも》を冷やさせ、 無知なものをも完全に圧倒して、目や耳の働きを まったく奪い去ってしまうだろう。だがこのおれはどうだ! にぶくてのろまなやくざ者、ぼやぼやと 夢心地にものぐさに日を送り、目的を達しようともせず、 言いたいことも言わずにいる。父国王のためにさえ、 王権とたいせつな生命さえも非道に奪われた 父王のためにさえ何もできないではないか。おれは卑怯者か? だれがおれをならず者と決めつけて、おれの頭をなぐりつけ、 おれのひげをむしりとって、この顔に吹きつける奴があろうか? 鼻づらを引きずり回して、大うそつきめと本気になって ののしる奴があるだろうか? 誰がそんな事をするだろうか? いいとも、おれはそれを甘んじて受けよう。なぜならば おれは何と言われても、腹を立てる気力もなくて 鳩のようにおとなしく、気が弱いのだ。 勇気があればとうの昔にこの悪党を殺して、その肉で、

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空とぶ鳶《とび》を肥やしたはずだ。 非情にして残虐、好色にして不人情な悪党め! おお、復讐だ! や、や、何というおろか者だ、このおれは! こりゃりっぱだぞ。 父を無残に殺されたその息子のこのおれが、 天国からも地獄からも復讐をせよと促されながら、 口先ばかりで淫売女《いんばいおんな》のようにくどくどと述べたて、 ののしりちらしたり、呪ったり、まるで女のくさったように。 あきれ果てたゲスめ! げっそりだ! さあ、頭を働かせる! そうだ、かつて耳にしたことがある、 罪を犯した男が芝居を見ているうちに、 舞台の迫真の演技に動かされ、 魂の奥底までも感動し、たちどころに 犯した罪を告白したということだ。 人殺しには舌はなくとも、ふしぎにも必ず自分から、 しゃべり出すということだ。あの役者たちに言いつけて、 父上の殺害に似た筋の狂言を 叔父の前でやらせて見よう。そして彼の顔色をうかがうとしよう。 叔父の急所に探りを入れよう。少しでもぎくりとしたら、 それからはこっちのものだ。おれが見たあの亡霊は、 あるいは悪魔であるかもしれない。悪魔というものは りっぱな姿をよそおう力を持っているとか。そうだ、 おそらくおれの気の弱さと憂うつ性に乗じて…… とかくそのような気質のものに強く働きかけるというから…… おれをまどわして地獄に落とそうというのかもしれない。おれは もっとたしかな証拠がほしい。そうだ、芝居こそは、 王の良心を捕える絶好の手段だ。〔退場〕 [#改ページ] 第三幕 第一場 城中の一室 〔国王、王妃、ポローニアス、オフィーリア、ローゼンクランツ、およびギルデンスターン登

場〕 【王】 それで、話をどう向けてみても、いったいなぜ彼が このような狂気をあえて続けているのか、平静なるべきその日々を、 なぜかくも騒がしく危険な狂気をもって荒々しいものにしているのか、 その理由を聞き出すことはどうしてもできぬというのだな? 【ローゼンクランツ】 ご自身も気が錯乱したようだとはおっしゃっておられますが、 どうしてそうなられたか、その理由については固く口を閉ざしておられます。 【ギルデンスターン】 また、どう見てもその点にふれられることを好まれないようでした。 そしてほんとうのことを何か聞き出そうと、 どう話をさし向けてみましても、まことに巧妙に狂気を装って、 適当に話題から外れてしまわれました。 【王妃】 快く迎えてはくれましたか? 【ローゼンクランツ】 紳士にふさわしいごりっぱな態度でした。 【ギルデンスターン】 だがご自分の気持を無理無体に押えておられました。 【ローゼンクランツ】 ご自分からは話をされませんでしたが、お尋ねしたことには まことに自由にお答えになられました。 【王妃】 何かおもしろい遊びごとに誘ってみましたか? 【ローゼンクランツ】 じつは王妃殿下、私どもがこちらへ参上いたす途中にて、 ある役者どもの一団を追い越しました。それでそのことを申し上げました。 するとハムレット様はそれを聞かれて、何かおよろこびの

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ご様子でした。その連中はすでに到着、参内《さんだい》の準備もできております。 そして手前の所存では、今宵《こよい》ハムレット様の御前にて何か上演いたすよう、 すでにご下命をいただいている様子。 【ポローニアス】 まこと、その通り。 そして両陛下におかせられましても、何とぞご観覧あらせられますよう ぜひともお誘いしてほしいと、ハムレット様が手前にご依頼あられました。 【王】 よろこんでそうしよう。ハムレットがそういう気持になってくれて、 わしも心から満足に思う。 どうかこの上ともあれにすすめてほしい、 この種の娯楽に専念するようすすめてほしいのだ。 【ローゼンクランツ】 承知つかまつりました、陛下。〔ローゼンクランツおよびギルデンス

ターン退場〕 【王】 ねえガートルード、君も退《さが》っていてほしいのだ。 じつは、ハムレットがここへ来るよう、ひそかに使いを出しておいた。 ここで、あたかも偶然に、オフィーリアと、 出会うようにだ。 彼女《あれ》の父親とわたしの二人は、この場、やむを得ないスパイとなって、 こちらからは見えるが、あちらからは見えない所に陣取って、 二人の出会いを率直に判断しようというわけだ。 かくしてハムレットの動作をあるがままに観察することによって、 あれの乱心が、はたしてオフィーリアヘの恋のためかどうかを、 判定することができるのだ。 【王妃】 仰せの通りにいたします。 それからオフィーリア、あなたのためには、ハムレットの乱心の原因は あなたのその美しさなのだというような、うれしいことになりますよう、 心からお祈りしています。そして同時にあなたのおちからで、 あれを元の姿に戻すことができますよう、心からお祈りしています、 栄《は》えあるお二人のためにね。 【オフィーリア】 王妃さま、わたくしもそのように願っております。〔王妃退場〕 【ポローニアス】 オフィーリア、お前はここを歩いていなさい。陛下、御意《ぎょい》なれ

ば、 われわれはここに陣取ることにいたしましょう。〔オフィーリアに〕 この本を読んでいなさい。 こんなふうに外見《そとみ》だけでもお祈りをしていれば、こんな所に一人いる いい口実になる。もういやというほど見せつけられて来たことだが、 われわれはよくこんな間違いをやらかしてしまうのだ、 外見は信心深く動作は敬虔《けいけん》でも、内実は悪魔自体にほかならぬ、 それを砂糖をかぶせてその本性をくらましているのだ。 【王】 〔傍白〕おお、まさにその通り! 何という苛酷な鞭を、今の言葉がおれの良心に与えることか! 白粉《おしろい》を塗りたくった淫売女の両の頬を、白粉自身と比較しても、 まさかおれの行為をおれの飾り立てた言葉と比較したときほどの、 鼻もちならぬ醜悪さではあるまい。 おお、何たる重荷! 【ポローニアス】 ハムレット様の足音が。さあ陛下、われわれは退っておりましょう。〔国

王およびポローニアス退場〕 〔ハムレット登場〕 【ハムレット】 在るか、それとも在らぬか、それが問題だ。 運命という強暴な石弓から射ち出される石や矢を じっと心の中でこらえているほうが崇高なのか、 それとも武器を取って怒濤《どとう》のごとき難問の海に立ち向かい、 真向から対決して葬り去るほうがよいのか。死ぬとは、つまり眠ること、 ただそれだけのことだ。いま仮りに眠ることによって

Cristian
Rectangle
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人の生にはつきものの心の悩み、数多くの肉体上の苦痛を すべて忘れ去ることができると考えてみよう。それこそ 願ってもない大団円《だいだんえん》ではないか。死んで、そして眠る。 眠れば、おそらくは夢をみるかもしれない。そうだ、それが困る。 このあさましい世の束縛をやっと払いのけたあげくの果てに、 その死という眠りの中でどんな夢を見なければならないというのか? われわれはここで躊躇《ちゅうちょ》せざるを得ない。この無惨な一生を かくも長々と生き続けてゆくのは、つまりはこのためなのだ。 というのは、いったい誰がこの世の鞭と侮蔑を耐えてゆくものか、 権力者の横暴、傲慢・無礼なやからの罵詈譫謗《ばりざんぼう》、 かなわぬ恋のあつい涙、延び延びの裁判、 傲慢・不遜なこっぱ役人、りっぱな人物がじっとこらえる 下劣なやからの不当なさげすみ、何で我慢するものか、 抜き身の一突きで、誰の世話にもならずに、いとも簡単に この世におさらばができるというのに? このいやな人生の重荷を いったい誰が汗を流し、苦しみあえいで耐えてゆくものか? すべては死後の何ものかを恐れているからだ。 いまだ知られざる国、その国境《くにざかい》からは 旅行者は永遠に帰らない、これがわが意志を挫《くじ》き、 われわれをしてその見知らぬ国へと旅立たせるよりも むしろこのあさましい現世をじっとこらえさせるのだ。 かくして思慮はわれわれ全部を臆病者にしてしまう。 かくして、断固たる決意を示す血色のいい顔色は 物思う青白い色ですっかりと塗りつぶされてしまい、 そして天《あま》がけるような大いなるもくろみ、企ても すべてこのためにその流れの方向を歪めてしまい、 そして行動の名を失ってしまう。しっ、静かに、 美《うるわ》しのオフィーリア。姫君、そちの祈祷の中には わしの罪もすべて挙げておいてくれよ。 【オフィーリア】 ハムレット様、 その後ずっとごきげんうるわしくいらっしゃいますでしょうか? 【ハムレット】 その言葉、心からかたじけない。しごく結構、結構、結構。 【オフィーリア】 ハムレット様、これはみな前にいただきましたものでございます、 じつはずっと前々から、お返し申し上げようと思っておりました。 さあ、どうぞお受け取りくださいませ。 【ハムレット】 いや、それはできない。 君に何かをやったおぼえは断じてない。 【オフィーリア】 ハムレット様、くださいましたことはよくよくご存じのはず、 それに、それらのお品をよりすばらしくするような 美しいお言葉も添えてございました。その香りも消えた今は、 お返しいたしたく存じます。わたくしとても心の誇りがございます、 すべて贈り物は贈り主の気持によりて貴しと申します、 さあ、お受け取りくださいませ。 【ハムレット】 ははあ! 君は誠実か? 【オフィーリア】 と申しますと? 【ハムレット】 君は美しいか? 【オフィーリア】 ハムレット様、どういう意味でございましょうか? 【ハムレット】 つまり、君が誠実でしかも美しいというのなら、君の誠実さと君の美しさと

は仲よくさせるべきではないということだ。 【オフィーリア】 美人には誠実なお方よりもっと良いお相手がある、とおっしゃるのでしよ

うか、ハムレット様?

Cristian
Rectangle
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【ハムレット】 さよう、その通り。というのは美の力は、誠実・貞節の力が美をその同類に

変える以前に、いとも簡単に貞節を堕落させて売女《ばいた》にしてしまうからだ。これはか

つては逆説だった、しかし今ではまぎれもない事実となった。以前は君が好きだった。 【オフィーリア】 事実ハムレット様、わたくしもそのように信じさせていただいておりまし

た。 【ハムレット】 君はこのおれを信じるべきではなかった。いくらいい芽を接《つ》いだから

って、台木の癖はかならず残るものだ。おれは君が好きではなかったのだ。 【オフィーリア】 それではわたくしはますます間違っていたことになります。 【ハムレット】 お前は尼寺へ行け〔「尼寺」は当時「淫売宿」の隠語でもあった〕。なぜ、

この上さらに罪人どもをつくろうとするのか? おれ自身は相当に誠実だ、だがそれでも、お

ふくろはおれを産んでくれなかったほうがよかったのだと思うくらいに、実にいろんな点でわ

が身が責められるのだ。おれは非常に誇り高く、復讐心が強く、野心家で、罪の数々はよりど

りみどり、いちいちはっきりとした思想にまとめたり、想像で形を与えたり、時間をかけてそ

れを実行に移すなどはとうていできないくらいだ。こんなやからのこのおれが、天と地とのあ

いだを這《は》いまわっていったい何をしようというのか? われわれはみんな名うての大悪

党だ。誰一人信用してはならん。尼寺への道を行け。君のお父さんはどこにいる? 【オフィーリア】 家におります、ハムレット様。 【ハムレット】 それならドアを固くしめておけ。道化を演じるのは自分の家だけにするよう

にな。さらばだ。 【オフィーリア】 おお、なにとぞハムレット様をお助けくださいますように、天使様! 【ハムレット】 もしお前が結婚するんだったら、この呪《のろ》いを持参金にくれてやろう。

たとえお前が貞節なること氷のごとく、清純なること雪のごとくであっても、世の悪評からは

絶対に逃れさせんぞ。お前は尼寺へ行け、さあ、さらばだ。それとも、どうしても結婚したい

というなら、阿呆と結婚せよ。頭のいい連中なら、お前らと結婚すればどういう怪物にされて

しまうか、ようく知っているのだ。尼寺へ行け、さっそくにだ。さらばだ。 【オフィーリア】 おお天使様、ハムレット様をどうぞもとのお姿に! 【ハムレット】 おれはまたお前たちの厚化粧についても聞かされている、いやというほどだ。

顔は神様のくだされたものだ、それをお前たちは自分の手で全然別物にしてしまっている。お

前たちは速いダンスのステップで、または軽やかな歩調で気取りに気取って歩く。舌足らずの

甘ったれた口調でものを言う。神の造りたもうたものにアダ名をつけてはよろこんでいる。よ

ろめいてバカなことをしでかしては、あら! ちっとも知りませんでしたわ、などとシラを切

る。くだらん、もうたくさんだ。おかげでこっちも気が狂った。いいか、結婚ということはも

うおしまいなのだ。すでに結婚してしまった連中は、たったの一人だけを除いてはみんな生か

しといてやるぞ。ほかの者は全部いままで通りにしといてやるぞ。尼寺へ! 行け!〔退場〕 【オフィーリア】 おお何という気高い御心《みこころ》がここに打ち倒されてしまったこと

か! 宮廷人の、武士の、学者の目、舌、剣。 うるわしの国を挙げての期待の担い手、華《はな》。 流行のかがみ、作法の手本。 あらゆる人の尊敬の的《まと》、すっかり、すっかりだめになってしまった! そしてこの世でいちばんあわれ、みじめなこのわたしは、 ハムレット様の愛のしらべ、愛の誓いの蜜を吸ったその後で、 今やその気高くして、いとも崇高な理性が、こわれてガラガラ音になった 美しい鐘のように、あさましい調子はずれになり果てたのを見る。 あの咲き誇る若さの花、たぐいなき立派さ、美しさも、 狂気の毒気ですっかり凋《しぼ》んでしまった。何という悲しみ! こんなひどい目に会ったとは、こんなひどい目に会おうとは! 〔王およびポローニアス再登場〕 【王】 恋だと! ハムレットの気持はその方向には向いていない。 また話すことも、いささか論理には欠けるところがあるが、 狂気のようではなかった。心の奥底には何かがある。それをあの男は 卵でもかえすように、憂うつな面持ちでじっと抱いているのだ。 それがかえってひなになると、何か大事になるのではないかと

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大いに気づかわれるのだ。それを前もって防ぐために、 じつはわたしは大急ぎで決断を下したのだ。 すなわち、あの男を急きょイギリスヘつかわすことだ。 滞納している予への年貢を取り立てのためである。 所変われば品変わるで、異国の海や陸の景観は、 あの男の心の奥深くに根を張っているわだかまりを、 おそろしくきれいさっぱり追い払ってくれるものと思う。 いつもいつもそのことばかりを考えこんでいるために、 いつものハムレットではなくなったのだ。この考えはどうか? 【ポローニアス】 うまくゆくと存じます。ですが、このわたくしはやはり 殿下のご不例《ふれい》の根源、その発端は、ほかならぬ 恋の滞納からだと固く信じております。これどうしたオフィーリア! ハムレット様のおっしゃったことは、もう話すにはおよばない、 一部始終は聞いた。陛下、なにとぞ御意のごとくになされますよう。 ですが陛下、もしおよろしければ、今夜芝居がハネた後で、 お母君の王妃殿下がハムレット様とお二人だけになられて、 ご不例の原因を明かされるよう頼まれてみては? 率直にです。 そしてこの私めは、およろしければ、お二方のお話が聞こえる場所に 身をおくことといたします。それでもご不例の正体不明ということなら、 そのときにはイギリスヘお遣わしください。またはご監禁ください、 陛下のご明察によって適当とおぼし召される場所ならどこへなりとも。 【王】 そうしょう。 身分高きものの狂気は、見張り無しに放置しておくわけにはゆかない。〔退場〕 [#改ページ] 第二場 城中の広間 〔ハムレットおよび役者三人登場〕 【ハムレット】 そのセリフは、お願いだ、いまぼくがやってみせたように、 スラスラと軽く舌に乗せてくれたまえ。もし君たち仲間がやってるように、大げさな口調でブ

ツくらいなら、町の触れ役人にでも頼んだほうがずっとましだ。またこんなふうに、まるで虚

空を鋸《のこぎり》で挽くかのように、大手を振りまわすことも願い下げだ。万事しずかーに

やってほしい。というのは感情の奔流・あらし、それに……おそらくはそう言えると思うんだが

……感情の大旋風においてこそ、それになめらかさを与える節度というものを修得し、身につけ

ることが必要だからだ。ああ、胸が悪くなる、頭にかつらかぶせた手合いが感情をずたずた。

ぼろぼろに引き裂き、土間のお客の耳も裂けよとばかりにがなりたてるのを聞くと。そういう

大向こうの大部分の者には、例のわけのわからぬパントマイムか鳴りもの入り以外のものは、

全然だめなのだ。こういう役者には、例のサラセンの狂暴な神ターマガントもまさに顔負けだ、

大いに鞭打たれるといい。ユダヤの暴君ヘロデ王をも出しぬくものだ。どうかこれだけはやめ

てほしい。 【第一の役者】 かしこまってございます、殿下。 【ハムレット】 だからと言っておとなしすぎても困る、すべては君自身の分別が君の指南役

だ。しぐさはセリフに、セリフはしぐさに合わせるのだ。自然の節度を越えぬという点に特に

注意を払いたまえ。その度合いを越したものはすべて演技の目的から逸脱したものだ。その目

的とするところは昔も今も、いわば自然に対して鏡をさし向けることである。りっぱはりっぱ

なりに、下劣は下劣なりに、今の世の中のすべてをあるがまま、印象通りの姿に写し出すこと

である。そこで演技の過剰、または不足の場合だが、これでは低級な連中は笑わせても、マシ

なお客はがっかりさせる以外の何ものでもない。ところがたいせつなのはそういうお客一人の

意見であって、その他の小屋いっぱいの有象無象《うぞうむぞう》などはどうだっていい。ま

ったくがっかりするようなへたくそな役者がいるものだ、有象無象がどんなにほめちぎったと

ころで、あまり悪口はたたきたくはないが、どう見たってとうていマトモなキリスト教徒とい

う柄ではない、いや、異教徒だってあれよりはマシだ、どだいそもそも人間の姿とも思えない、

それがものものしく歩きまわり、大声で吠えちらすものだから、こりゃ、てっきり、造化《ぞ

うか》の女神が自分でやらずに、誰か下働きに造らせ、おまけにひどくできそこなってしまっ

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たのではないかと思うくらいだ。こんな手合いの演じる役柄が人間だなどとは、とてもとても

言えた義理ではない。 【第一の役者】 その点手前どもでは、いささかは改め得たことと信じております、殿下。 【ハムレット】 いや、いささかではなく、すっかり改めてほしいのだ。それから、道化を演

じる役者には、きめられたセリフ以外はけっしてしゃべらせてはいけない。こういう連中は、

芝居にはまじめに考えなければならない問題がほかにあるのに、バカなお客どもを笑わせよう

として、自分自身で笑おうとするのだ。これは大変な心得違いで、こんなことをあえてする道

化役者は、まことにもって哀れというほかはない。さあ、準備してほしい。〔役者たち退場〕 〔ポローニアス、ローゼンクランツ、ギルデンスターン登場〕 おや、ポローニアス閣下! 国王は芝居をご覧になられるでしょうか? 【ポローニアス】 王妃ともどもご覧になられます。もうお出ましになられます。 【ハムレット】 役者どもに急ぐよう命じてください。〔ポローニアス退場〕 君たち二人も役者どもを急がせてくれたまえ。 【ローゼンクランツ】 承知いたしました、殿下。〔二人退場〕 【ハムレット】 おーい、ホレイショウ君! 〔ホレイショウ登場〕 【ホレイショウ】 はい、殿下、ご用でございましょうか? 【ハムレット】 ホレイショウ、ぼくは今までいろいろな男と付き合ってきたが、 君ほど一点非の打ちどころのない完全な男には会ったことがない。 【ホレイショウ】 いや、殿下、お言葉ですが…… 【ハムレット】 お世辞を言っているのではない。君にお世辞を言ってこのぼくが、立身・出

世ができるとでも言うのか? 食うためにも着るためにも、君が持っているただ一つの財産は 君の見上げた気性だけではないか? 貧乏人に誰がお世辞を言うものか? とんでもない、ご利益《りやく》があればこそバカな権力者の味もそっけもない手でも、 ご馳走に甘やかされた犬の舌はペロペロなめまわし、 膝を七重八重に折って平身低頭するフリをするのだ。君、聞いているのか? ぼくのこのかけがえのない魂が、選択ということが自由にできるようになり、 人というものを識別することができるようになって以来、 そのお気に入りとして心に封印したのは、余人ならぬ君なのだ。 君はすべてを受け入れながら、何事も受け入れない、何事にも動じない。 運命の女神が送り出す逆境も順境も、平然として 等しく感謝の念をもって受け入れる。理性と感情とがほどよく調和して、 ただいたずらに運命の女神の指先に操られる笛となって その思うがままの音色を出すというようなことのない人々は、 まことにもって祝福されているのだ。感情の奴隷とならないような そんな男がいるならば、ぼくはその男を心の柱に、そうだ、心の中の心に ぜひ掛けておきたい。ちょうど今のぼくが君をそうしているように。 ところで、おしゃべりが、いささかすぎたようだ。 今夜、国王の前で芝居が上演されることになっている。

その一つのシーンは父上のご最期……それは君に話した通りだが…… そのご最期のときの状況に、大変に似ているのだ。 そこで頼みがある、その芝居の一幕が進行しているときに、 君の精根のあるかぎりを傾け尽くして、 叔父を観察してくれたまえ。もし叔父が隠匿《いんとく》している罪が、 その中の一つのセリフで犬小屋から追い出されなければ、 われわれが見た例の亡霊は間違いなく地獄のまわしものだ、 そしてこのぼくの想像力などというものはまるで汚れ放題、 まさに天上の鍛冶屋《かじや》ヴァルカンの仕事場同然だ。叔父を注意してくれたまえ。 ぼくはぼくで、目を叔父の顔に釘づけにすることにしよう。 そして芝居がハネたら叔父の様子についての二人の所見を持ちよって、 最後の判断を下すことにしよう。 【ホレイショウ】 承知いたしました、殿下。

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もしこの芝居上演中に国王がスリをやらかして、しかもこの私が それに気づかないようなら、その盗品の弁償はいっさい私がいたしましょう。〔奥でラッパと

釜太鼓《かまだいこ》の音〕 【ハムレット】 みんなが芝居にやって来る。ぼくは気違いでなくてはならない。君も場所に

ついてくれたまえ。 〔王、王妃、ポローニアス、オフィーリア、ローゼンクランツ、ギルデンスターン、その他従者

たち登場〕 【王】 ハムレットや、どう毎日を送っているかね? 【ハムレット】 最高にです、実際。カメレオンの食べ物、空気を食べて毎日を送っています。

空約束《からやくそく》で腹一杯、鶏だってこうはマルマルとは太りません。 【王】 ハムレットよ、そちの言うことは何のことかわからない。わしへの言葉ではないだろ

う。 【ハムレット】 その通りです、そしてもうわたしの口から出してしまった以上、わたしの言

葉でもありません。〔ポローニアスに〕ポローニアス閣下、閣下はかつて大学で芝居をやった

ことがあるということですが? 【ポローニアス】 いたしましたとも、殿下。それでなかなかの役者だという評判を頂戴つか

まつりました。 【ハムレット】 何の役をやったのかね? 【ポローニアス】 ジュリアス・シーザーでございました。わたくしはキャピトルの神殿で殺

されました。ブルータスがわたしめを殺しました。 【ハムレット】 まったくブルブルの残酷な行為・役だった、そこでそんなコロコロの仔牛

《こうし》を殺すなんて。 役者の準備はできただろうか? 【ローゼンクランツ】 できましてございます、殿下。開演のご命令をお待ち申し上げており

ます。 【王妃】 こちらへいらっしゃい、ハムレット、わたしのそばに。 【ハムレット】 いいえ、母上、こっちに、もっと強力な磁石がございます。〔オフィーリア

の足もとで横になる〕 【ポローニアス】 〔王に〕いやはや! あれをご覧なさいませ! 【ハムレット】 姫君、君の膝で横になろうか? 【オフィーリア】 いけません、殿下。 【ハムレット】 ぼくが言うのは膝枕のことだが? 【オフィーリア】 それならよろしゅうございます、殿下。 【ハムレット】 ぼくが何か野卑なことを言ったと思ったのかね? 【オフィーリア】 いいえ、そのようなことはございません、殿下。 【ハムレット】 女の子の両の脚のあいだで横になるのは、別に悪いことではない。 【オフィーリア】 何でございますか、殿下? 【ハムレット】 何でもない、ゼロだよ、マルだよ。 【オフィーリア】 殿下は陽気でいらっしゃいますこと。 【ハムレット】 だれが、このぼくが? 【オフィーリア】 さようでございます、殿下。 【ハムレット】 まことわれわれは、天下に名だたる道化役。いったい人間は、陽気であるこ

と以外に、何をすべきだというのか? ぼくの母親を見よ、まったく陽気そのものではない

か? しかも父上が亡くなってから、まだほんの二時間もたっていないのだ。 【オフィーリア】 いいえ二月《ふたつき》の倍もたっております、殿下。 【ハムレット】 もうそんなにたったか? それならもう黒の喪服なんかは黒の本家・悪魔に

まかせて、ぼくはもう年寄りになったんだから、上等なテンでも着るとしようか。ほんとう

か! 亡くなって二月もたったのに、まだ覚えていてもらえるのか! とすると偉い人間の思

い出は亡くなって半年ぐらいは生きのびられる希望なきにしもあらずか。だが実のところ、そ

れから後は、教会の二つ三つなど建てねばなるまい。さもなければ、歌の文句にある張子の馬

同様、完全に忘れられてしまうのだ。「ああさりながら、さりながら、張子の馬が忘らりょか」 〔オーボエの音、無言劇役者たち登場〕

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王および王妃、仲むつまじく、王妃は王を、王は王妃を互いに抱き合って登場。王妃ひざま

ずき、王に向かって愛の厳粛な誓いの動作。王は王妃を抱き起こし、王妃の首もとに頭をもた

せかける。王は花の咲き乱れる堤の上にその身を横たえる。王が眠ったのを見て、王妃は王の

そばを離れる。入れかわりに一人の男登場。王の王冠を手に取り、それにキス、そして王の耳

に毒液を注入、その場を去る。王妃ふたたび登場。王が死んでいるのを見て悲嘆の動作。毒殺

者が二、三の従者らとふたたび登場。王妃とともに悲しむ素振り。遺体が運び出される。毒殺

者は数々の贈物をもって王妃にプロポーズ、王妃しばし拒むが、終わりにはその愛を受け入れ

る。〔退場〕 【オフィーリア】 これはどういう意味でございましょうか、殿下? 【ハムレット】 これこそまったくの「ミッチング・マレッチョウ」、つまり卑劣ないたずら

だ。 【オフィーリア】 どうやらこの無言劇は、お芝居の筋書きを説明しているらしゅうございま

す。 〔解説者登場〕 【ハムレット】 どうせこの男が説明してくれるでしょうよ。役者なんていうものは、秘密と

いうものが全然守れないのだ。何でもかでも、みんなしゃべってしまうのだ。 【オフィーリア】 あの方があの見世物の意味を解説してくれるのでしょうか? 【ハムレット】 そうだ。そのほか君がご開帳しさえすれば、どんな見世物だって。恥ずかし

がらずに見せてしまいたまえ、そうすりゃあいつも恥ずかしがらずに、何だって解説してくれ

るだろうよ。 【オフィーリア】 殿下は、いけないお方、いけないお方。わたくしは芝居を観ています。 【解説】 当劇団のため、またここに上演いたします悲劇のため、何とぞごゆるりとご観劇く

ださいますよう、 皆々様のご寛容、伏してお願いたてまつります。〔退場〕 【ハムレット】 何だこれでも解説か、それとも指輪に刻んだ銘《めい》とでもいうところ

か? 【オフィーリア】 ほんとうに短こうございますね、殿下。 【ハムレット】 女心またしかり。 〔劇中劇の王および王妃登場〕 【劇王】 「愛」の神がわれらの心を、「結婚」の神がわれらの手を、 神聖な愛の契りにわれら二人を固く結んで以来、 「日」の神はその車を駆って「海」の神のはるかなる潮路、 「地」の女神の円き大地をめぐって、さらに三十の回数を重ねた。 そして十二の三十倍の数の月は、その輝く借り衣をまとって、 三十の十二倍の回数だけこの世の回りを経《へ》めぐった。 【劇王妃】 私どもの愛が終わりを告げるその日までに、日と月とが これまでと同回数だけ、さらにこれから運行を続けまするように! ただ気がかりなのは、陛下は最近とみにご不例《ふれい》、 以前とは打って変わってのおふさぎよう、 それが心配でなりませぬ。とはいえ気遣うは私の仕事、 陛下はそのことについて、いささかのご心労あってもなりませぬ。 女というものは常に心配が過ぎるもの、その愛情と同様に。 そして女の心配と愛情とは常に正比例、 ともに皆無か、あるいは極端。 さて私の愛がいかなるものかは、これまでの生活でおわかりの通り。 私の愛情の大きさは、それはそのまま私の心配の大きさ。 愛情大いなるときは、些細の不安も心痛の種。 小さな心配が大きくなるところ、大いなる愛情はそこに育ちまする。 【劇王】 妃《きさき》よ、実のところ、最期の別れが近づいた。それもごく近々。 わしの体の全機能が停止して、わしの亡きあと、 妃よ、お前はこのうるわしの世界に、人々に敬われ、 人々に愛されて生きながらえるのだ。そしてやがては

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わしに劣らぬ夫をまた見つけて…… 【劇王妃】 それ以上は仰せられませぬように! そのようなことを考えますることは、私の心のこの上ない汚れ。 私がもし二夫にまみえるようなことあらば、その結婚には呪いを! 最初の夫を殺したような者以外は、絶対に二夫にまみえることなどなきよう! 【ハムレット】 〔傍白〕こいつはニガヨモギだ。 【劇王妃】 二度目の結婚をする動機となっているものは、 すべてが卑しい損得勘定、愛情などはみじんもござりませぬ。 二度目の夫がベッドで私にキスをするとき、 私はすでに亡き夫を、もう一度殺すことになりまする。 【劇王】 妃の考えが今はその言葉通りであることは、信じて疑わない。 しかしながら、決心するも人の常、またこれを破るも人の常。 決心などいうものも、しょせんは人の記憶の続くかぎり。 すさまじい勢いで生まれはするが、長く生きのびる力はない。 あたかも未熟の果実のごとく、いまは樹枝に密着していても、 やがて熟すれば、手を触れずとも自然に落ちる。 決心などというものは、いわば自分自身に課した負債・義務、 自身への支払いを忘れることは避け得られない。 烈しい感情の赴くまま、いかにわが身に誓おうとも、 その感情おわれば、その誓いの姿は、もはやない。 よろこびも悲しみも、いかにそれが烈しくとも、 激情ひとたび去れば、すべてその跡形もない。 歓楽の尽きるところ、哀傷またきわまりなし。 些細な出来事にて喜びは悲しみとなり、悲しみはまた喜びとなる。 すべてこの世は常ならず。とすればわが愛情も、 世の移り変わりとともに変化したとて、何の不思議もない。 愛情が世の中をリードするか、またはその逆であるか、 その証明はわれらに課された今後の問題。 しかし殷鑑《いんかん》遠からず、身分高き者零落して、その郎党は去る。 いや身分早しき者立身して、敵をば変じて味方となす。 愛情が世の移り変わりにかくて依存するも、じつは理の当然、 ことわざにいわく、順境にある者は友多く、 逆境にありて不実の友を試す者は、 たちどころに友を変じて敵となす。 しかし、話の筋をまた前に戻さねばならぬ。 われらの意志と運命とは、その赴く方角はすべて逆、 われらの意図はくつがえされてしまうのが世の習い。 考え自体はわれらのもの、結果はしかし、さにあらず。 今の今は、絶対二夫にまみえずと誓おうとも、 夫死すれば、その考えもまた死するもの。 【劇王妃】 大地よ、天よ、この私に光も食物も与えたもうな! 昼よ、夜よ、この私から楽しみをも安らいをも奪い去りたまえ! 私の信頼と希望とはすべて絶望に変わり果てよ! 牢獄の世捨人の椅子の上こそわが住まいとなれ! よろこびの笑顔をも蒼白にするもろもろの敵《かたき》どもが、 私がすべてよかれと祈るものと出会え、そしてそれを滅ぼせ! この世でも、あの世でも、永劫の苦しみがこの身を追え! もしもこの身がひとたび未亡人となって、また再婚することあらば! 【ハムレット】 もしもその誓いを今破っているとすれば! 【劇王】 まことに心深く誓ったものだ。王妃よ、しばらく一人にしてほしい。 体の力がますます抜けるようだ、このもの憂い一日の時間を、 ひと眠りしていささかまぎらしたい。〔眠る〕 【劇王妃】 安らかにおやすみあそばしますよう!

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そして私どものあいだに、不幸などけっして訪れませぬように!〔退場〕 【ハムレット】 妃殿下、この芝居お気に召されたでしょうか? 【王妃】 あの方、あまりにはっきりと誓いすぎるようね。 【ハムレット】 でも自分で言ったことは守るでしょう。 【王】 筋書きは知っているのかね? 何か障害になることはないだろうね? 【ハムレット】 はい、はい、ございません。あれは冗談にやっているだけでございます。毒

殺はホンの冗談でございます。傷害など金輪際《こんりんざい》ございません。 【王】 あの芝居の外題《げだい》は何というか? 【ハムレット】 「ねずみ取り」。おや! どうしてだとおっしゃるんですか? つまり、チ

ューすれば通ずってやつですよ。この芝居はヴィエナで起こった殺人事件を脚色したもの。ゴ

ンザーゴウというのが領主の名、その奥さんの名がバプティスタ。すぐ芝居をご覧になればわ

かりますが、これはまことに不ラチ千万な芝居です。だがそんなことは構わんでしょう? 陛

下および私ども、心にやましいところの無い者にとっては、一向にこたえません。鞍の傷ある

雌馬は、蹴りたいだけ蹴らせろ。こっちの背なは完全無傷。 〔ルシアーナス登場〕 あれはルシアーナスという男、王の甥《おい》にあたる。 【オフィーリア】 殿下は解説《ナレーター》役のように、何もかもご存じ。 【ハムレット】 君と君の恋人との二人で演じる人形劇だって、そのモーションの一つ一つを

解説してみせるぞ、もし人形どものいちゃつきぶりを、この目で見せてもらえるならば。 【オフィーリア】 ひどい、殿下はひどくいきり立っていらっしゃる。 【ハムレット】 おれのシッポを寝かせるのには、一声うめき声をたてにゃなるまい。 【オフィーリア】 言い方はますます良く、内容はますます悪い。 【ハムレット】 同じ文句でお前たち女どもは、男を騙《だま》すのだ。おい人殺し、さあ始

めろ。こらっ! そんな大ゲサな顔はやめろ! 始めろ、さあ、「しわがれ声の大ガラスは、

復讐求めていとも物凄く啼きさわぐ」 【ルシアーナス】 暗い心、はやる両の手、打ってつけの毒薬、しかも時あたかもよし。ある

ものは我と企む機会のみ、そのほかにはすべて動くものの影はなし。 汝《なんじ》、真夜中の薬草から採取された猛毒の混合液、 魔女の王ヘカティの呪文をかけられること三度《みたび》、その魔力は三倍増。 汝の魔法学と、そのおそろしい力とは、 健全なる生命をたちどころに断ち奪う。〔毒液を劇王の耳に注ぐ〕 【ハムレット】 あの男は王国を手に入れるために、王を庭で毒殺するのだ。王の名前はゴン

ザーゴウ、物語は現存し、上等なイタリア語で書かれている。見ていたまえ、あの人殺しがゴ

ンザーゴウの奥さんをモノにするから。 【オフィーリア】 王様がお立ちです。 【ハムレット】 見ろ、空《から》の鉄砲でカッカきたか! 【王妃】 王様、いかがなさいました? 【ポローニアス】 芝居をやめい! 【王】 明かりを持て! 退《さが》るのだ! 【ポローニアス】 明かりだ、明かりだ、明かりだ!〔ハムレットとホレイショウ以外全部退

場〕 【ハムレット】 これぞまさに 「手負いの鹿は泣くだけ泣かせろ、 無傷の雄鹿はのんきに遊ぶ。 眠るものありゃ、眠れぬものありさ。 とかく浮世はこういったもんさ」 ねえ君、これで、あと衣装に羽根をいっぱい着けさえすれば、たとえぼくが身代かぎりとなっ

たとしても、飾り模様の靴にプロヴァンスのバラをつけて、たかが役者どもの烏合《うごう》

の集まり、劇団の一|株《かぶ》くらいには十分ありつけるだろうね? 【ホレイショウ】 半株ですよ。 【ハムレット】 まるまる一株だ、ぼくは。 「君もご存じ、わが友ディモン、

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お国は王様はぎ取られ、 いまわがもの顔に君臨するは ほかならぬ、ほかならぬ……くんじゃく一羽」 【ホレイショウ】 「くんじゃく一羽」ではなくて「ロバ一頭」でしょうが。 【ハムレット】 ホレイショウ君、ぼくは亡霊の言葉に幾千万の金を積んでもいい。君も見た

ろうね? 【ホレイショウ】 はっきりとこの目で、殿下。 【ハムレット】 毒殺のセリフが始まるところで? 【ホレイショウ】 はっきりとこの目で見届けました。 〔ローゼンクランツおよびギルデンスターンふたたび登場〕 さあさあ音楽だ! 笛だ! 王様がこの喜劇お気に召さぬと言われるのなら、 それなら、おそらく、たいていは、お気に召さぬということだろう。さあ音楽だ! 【ギルデンスターン】 殿下、一言申し上げたき儀がござりまする。 【ハムレット】 一言などとおっしゃいますな、一部始終あまさずどうぞ。

【ギルデンスターン】 殿下、王様におかせられましては…… 【ハムレット】 さよう、王様がどうなされた! 【ギルデンスターン】 ご居室にてごぎげんことのほか悪《あ》しくあらせられまする。 【ハムレット】 お飲みすぎあそばされたか? 【ギルデンスターン】 いいえ、さようではござりませぬ、殿下。癇《かん》の癪《しゃく》

がおこったものと拝察されまする。 【ハムレット】 なら、とんだお門違い、賢明なる諸君としたことが、なぜ医者のところに行

かれんのか? このわしが王様に下剤をおかけ申し上げれば、王様はますますもって癇癪玉を

破裂あそばすことになるだろう。 【ギルデンスターン】 殿下、お話にいま少しまとまりをつけていただきとうござりまする。

これではあまりにとりとめがなさすぎまする。 【ハムレット】 いや、わしはとりとめがある。発言したまえ。 【ギルデンスターン】 じつはおん母君、王妃殿下におかせられましては、ご心痛のあまりわ

れら両名を殿下のもとへお遣わしになられましたのにございまする。 【ハムレット】 これはこれは、ようこそ。 【ギルデンスターン】 いいえ殿下、そのようなお辞儀でからかわれては困りまする。まとも

にお答えいただけるのなら、おん母君のお申しつけ、ここにお伝え申し上げまするが、さもな

くば、これにてさっそく失礼つかまつりとうござりまする。 【ハムレット】 それがわしにはできかねる。 【ローゼンクランツ】 何が、でござりまするか、殿下? 【ハムレット】 マトモに答えることが。わたしのおつむはマトモではないのだ。だが、でき

るだけはマトモに答えよう、君に。いや、おっしゃるように母上に。だから余事《よじ》はさ

ておき、要点にふれてくれたまえ。母上が……何だって? 【ローゼンクランツ】 では申し上げまする、こう申されておられまする、殿下のおん振舞い

は王妃殿下にとりましてまことにショック、王妃殿下はただただ仰天・驚嘆されておられるば

かりでありまする。 【ハムレット】 おお、息子ながらあっぱれ・感嘆至極。お袋をかくも共学させるとは! だ

がお袋のこの驚嘆にはその続きがないのかね? 申し述べたまえ。 【ローゼンクランツ】 王妃殿下には、殿下がお休みになられる前に、王妃殿下のお部屋でお

話をされたいと仰せられておりまする。 【ハムレット】 予は命令に従うであろうぞよ、たとえ予の母上の十倍もの母上であろうとも。

またこのほかに、予との取引があるのか? 【ローゼンクランツ】 殿下、殿下は以前はこの私めをごひいきにしてくだされました。 【ハムレット】 それは今も変わらぬ、この「スリ・窃盗の悪癖」おさまらぬ両の手に誓って

言うが。 【ローゼンクランツ】 殿下、殿下のご不快の原因は何であらせられまするか? もし殿下が

ご悲嘆の原因を友人にもお洩らしになられないとすると、殿下はご自身の自由の扉を、ご自身

でかたく閉ざされてしまうことに相成るかと存じまする。

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【ハムレット】 私は立身出世がいたしとうござりまする。 【ローゼンクランツ】 どうしてそのようなことを仰せられまする、殿下には次の王位継承者

としての、国王ご自身のお声がかりがあるではござりませぬか? 【ハムレット】 さようにござりまする、が「牧草茂る前に……」のことわざもござりまする……この格言はいささか古めかしいか。 〔役者たち笛を持ってふたたび登場〕 おお、笛か! わたしに一つ見せてくれ。ところで君とだけ話したいのだが、いったい君はな

ぜ、まるでわたしをワナにでもかけるかのように、回り道をしてはわたしの風上に立とうとす

るのか? 【ギルデンスターン】 殿下、私めの行動に、もし万一にもさし出がましきことありとするな

らば、それはすべて殿下を心から敬愛したてまつるからでござりまする。 【ハムレット】 それはよくはわからぬ。この笛を吹いてくれたまえ。 【ギルデンスターン】 私には吹けませぬ。 【ハムレット】 頼むよ。 【ギルデンスターン】 ほんとうに吹けないのでござりまする。 【ハムレット】 お願いだ。 【ギルデンスターン】 手に取ったこともござりませぬ、殿下。 【ハムレット】 やさしいさ、ウソをつくのとたいして変わらぬ。親指とほかの指で風穴を押

さえ、口から息を吹きこめば、じつにさわやかな音を出すものだ。見たまえ、これが風穴だ。 【ギルデンスターン】 ですが私には、いい音が出るようには操れませぬ。そういう芸がござ

りませぬ。 【ハムレット】 それなら言うが、君はこのおれを、笛よりもケチなものと思っているのだ!

君はこのおれを、笛よりも自在に吹き鳴らそうとしてござる。おれという笛の風穴を、すべて

知りつくしているというような顔をしたがっている。おれ様の心の底の秘密をさぐり出そうと

懸命だ。おれの全音域を、最低音から最高音まで全部を出させようと、しきりとおれをさぐっ

ている。じつはゆたかな、すばらしい音楽が、この小さな楽器の中にあるというのに。しかも

君は笛を吹き鳴らすことができない。いったい君はこのおれを、笛よりも吹き鳴らしやすいと

でも思っているのか? このおれをどういう楽器の名前で呼ぼうと、それは君の勝手だ。だが、

おれを怒らすことはできても、君がこのおれを自由に吹き鳴らすなどはもってのほかだ。 〔ポローニアス登場〕 閣下、ごきげんよろしゅう! 【ポローニアス】 殿下、王妃様が殿下とお話をされたいと申されておられます、いますぐに。 【ハムレット】 そら、あそこに駱駝《らくだ》そっくりの雲が見えるが? 【ポローニアス】 なるほど、いかにも駱駝そっくりでございます。 【ハムレット】 どうもいたちのように見えるが。 【ポローニアス】 いたちのような背中をしております。 【ハムレット】 それとも鯨《くじら》に似ているのかな? 【ポローニアス】 鯨そっくりでございます。 【ハムレット】 それでは母上のところへ、すぐ参ることにいたしましょう。〔傍白〕どいつ

もこいつも、みなおれをバカにしている。もう我慢ならぬ。〔声を大きくして〕すぐに参りま

す。 【ポローニアス】 そうお伝え申します。〔ポローニアスはローゼンクランツおよびギルデン

スターンを伴って退場〕 【ハムレット】 「すぐに」というはやさしい。 諸君、一人にしてくれたまえ。〔ハムレットを残して全員退場〕 今こそ夜は更け、まさに魔女・妖精どもの時刻。 教会の墓地も大口を開け、地獄自身もその毒気を この世に吹きかけるときだ。今ならおれは生血《いきち》をすすることもできる! 真昼の太陽が見たら、そのおそろしさにうち震えるような おそろしいことでもやってのけられるぞ! 待てよ、母上のところへ行くのだ。 おお、心の優しさだけは失くしてはならぬ! 暴君ネロのような 恐ろしい心が、この胸の中に断じて入りこみませぬように! いくら残酷でもいい、だが自然の情だけは失いたくない。

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母には剣のような言葉で話そう、ただし剣そのものは使うまい。 おれの舌と心とは、この点に関しては、まったくウラハラだ。 言葉の上では母をどのように責めたてようとも それを実行に移すことだけは、絶対に慎まなければならない。〔退場〕 [#改ページ] 第三場 城中の一間 〔国王、ローゼンクランツおよびギルデンスターン登場〕 【王】 どうにもあれは気に入らぬ。それに予にとっても事態は安全とは言いかねる、 ハムレットの狂態をこのまま放置することは。だから用意してほしい。 君たちの任命書はただちに作製することとしよう。 ハムレットを諸君と同道、ただちにイギリスヘ出立させてほしい。 国王としての予の立場からも、あの狂った頭から 刻々生長して予の身近に迫ってくる危険を、このまま 放置しておくことはまかりならぬ。 【ギルデンスターン】 用意をいたすことにいたしまする。 ただただ、ひとえに陛下におすがりして生きてござりまする、 もろもろの国民の平安のために宸襟《しんきん》を悩ましたもうこと、 まことに恐れ多くもかたじけなき限りにてござりまする。 【ローゼンクランツ】 われわれの個人の一人一人の生活につきましても、 世のあらゆる危険からそれを守るために、われわれは 全精神の力と機能とを傾け尽くしておりまする。ましてや そのご安泰に全国民の生命がひとえにかかりたてまつる 陛下のご心労はいかばかり。御稜威《みいつ》の衰退は 単にそれのみに止まりませぬ。あたかも一大渦巻のごとくに 周囲・近辺のものすべてを巻きこみまする。これは一つの巨大なる車輪、 はるかなる山の頂きにしつらえられて、その大いなる輻《スポーク》には 幾千の矮小なるものどもが接《つ》がれ、結びつけられておりまする。 そしてそれがひとたび山を降りれば、そのすべてのささやかな 付属物・付随物のたぐいも一落千丈、轟然《ごうぜん》たる その没落と運命をともにいたしまする。国王の溜息は すなわち、とりもなおさず全国民の悲しみ、嘆き。 【王】 ただちに準備をして、この緊急の航海に出立してほしい。 と申すのは、勝手気ままに歩きまわっているこの危険物に、 予は足かせをはめてしまいたいのだ。 【ローゼンクランツ】 早々に準備つかまつりまする。〔ローゼンクランツおよびギルデンス

ターン退場〕 〔ポローニアス登場〕 【ポローニアス】 陛下、ハムレット様がお母上様のお部屋へ参られます。 私めは壁掛けのうしろにて、事の次第を立ち聴きいたすことといたします。 王妃様は必ずやハムレット様を、強く詰問されることと確信しております。 それに陛下のお言葉通り、いや、まことに適切なご発言でありましたが、 お母上様以外の第三者が、何と申しましても親子の情は、 得てして事態の正しい認識を妨げるものでございますから、 おふたりのお話を立ち聴きするのがよろしいかと存じます。では陛下、 ごぎげんよろしゅう。お休みになられる前に、お伺いつかまつりまする。 そして一部始終を、ご報告申し上げまする。 【王】 かたじけない、ポローニアス殿。〔ポローニアス退場〕 おお、わたしの罪は鼻もちならぬ、その悪臭は天にもとどく。 兄弟殺し! これは人間の歴史始まって以来の、最初にして最古の 呪いを受けている。祈ることがわたしにはできない、 祈ろうという気持は、祈ろうという意志同様まことに強いのだが。 より強いわたしの罪が、わたしの強い意向を打ち負かしてしまう。

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そして、たとえれば、同時に二つの仕事に縛られた男のように、 どこからまず手をつけ始めるべきか戸惑うばかりで、 ついには両方ともやらないで終わってしまう。たとえこの呪われた手が 血ぬられた兄の血で、いささかはぶあつくなっていようとも、 すっかり雪のように真白に洗い去ってしまうだけの十分な雨が 恵み深い天にはないというのだろうか? 慈悲の徳は何のため? 罪を犯した者をこそ、これと面と向かって救うべきではないか? 罪を犯す前に救うか、または罪を犯した者を許すか、 祈りの功徳はこのいずれかの力を除いてほかに 何があるというのか? そうだ、勇気を出して上を向いていいのだ。 わたしの罪は過去のものだ。だがしかし、いったいどういう形のお祈りが、 いまのわたしの役に立つか? 「わたしの忌まわしい罪をお許しください」か? そうは言えない、人殺しをして手に入れたもの、つまり わたしの王冠、わたし自身の野望、それにわたしの王妃を、 この両の手にしっかりと握っているのだから。罪を許されて、 しかも罪を犯して得たものを持っていることができようか? この世の穢《けが》れきった流れの中では、たとえ罪を犯した者であっても、 その金ピカの手で札束切れば、とたんに正義は押しのけられる。 よくあるが、悪辣《あくらつ》な手段によってでも一度《ひとたび》権力の座につくと、 金の力で法を動かす。だが、天の上ではそうはゆかぬ。 ゴマカシはいっさいきかぬ。そこでは人間の行為はその本性あるがまま、 いささかの言い抜けもまかりならぬ。天の法廷ではわれわれの罪は、 厳粛なる事実として被告席にあり、われわれはそれに正面して、 厳正なる証人たらざるべからず。ではどうすればよいのか? 何を為すべきか? 悔悟のかぎりを試みよ。悔悟してしかも不可能なことがあり得るか? 真に悔い改めることができぬとき、悔い改めたとて何になる? おお何という無惨さ! まるで死同然の暗い胸の内! わが魂は鳥モチにかかったも同然、もがけばもがくほど、 ますます身動きならぬ! 天使たちよ、なにとぞわが試みをお助けあれ! かたくなな膝よ、折れ曲がれ! 筋金入りのわが心よ、 生まれたての赤子の筋肉のように柔らかくなれ! 何ごともつつがなく!〔舞台の後方に退き、ひざまずき祈る〕 〔ハムレット登場〕 【ハムレット】 今ならピタリ一撃でやれる、やつは今、祈っている。

それで今やってしまう……かくしてやつは天国へ行く。 かくしておれは復讐をとげる。こいつは一考の余地があるぞ。 悪党がおれの父親を殺す、そしてそのお返しとして、 その一人息子のこのおれが、余人ならぬその悪党を 天国へ送り届ける。 何だ、これでは傭《やと》われ賃仕事ではないか。断じて復讐ではない。 やつはおれの父親を殺した、罪深い姿のままの父親を、たらふく食べて、 五月の花のように咲き誇るあらゆる罪を背負ったままの父親を。 最後の審判における尋問については、天上なる神のみが知る事だが、 われわれの知る状況、考え方から判断すれば、 けっして軽かろうはずはない。だとすればこれが復讐となり得るか、 やつがおのれの魂を清めてその最期《さいご》の時にふさわしく、 万全の用意が整っているきやつを殺すことが? とんでもない。 さあ、剣をもとの鞘へ戻そう、もっとおそろしい機会の到来を待とう。 やつが酔っぱらっているとき、眠りこけているとき、気が立っているとき、 あるいは奴のベッドで邪淫《じゃいん》の快楽にふけっているとき、 賭博やバリザンボウの真っ最中、または救いのスの字もないような、 何事かをまさにしでかそうとしているその瞬間。

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そんなときに旅立たせてやろう、やつの踵《かかと》が天を蹴とばして、 真っ逆様に地獄へ落ちるよう、地獄同様の暗黒の、 呪われた魂を抱《いだ》いたままで。ところで母上が待っている。 この延命薬はお前の病苦の日々を延ばすだけなのだ。〔退場〕 〔王立ち上がって、舞台の前方に出る〕 【王】 わたしの言葉は飛び上がってゆくが、想いは地上に残る。 実の伴わぬ言葉が天へ届いてゆくはずがない。〔退場〕 [#改ページ] 第四場 王妃の居間 〔王妃およびポローニアス登場〕 【ポローニアス】 あの方はすぐに見えます。ぜひとも強くおっしゃらなければなりません。 悪ふざけも度が過ぎて、もう我慢ができないとおっしゃってください。 そして王妃様は、国王のご立腹とハムレット様との間に立たれて、 ほとほとお困りだということも。私めはここにて静粛《せいしゅく》にしておりまする。 どうか短刀直入にお願いいたします。 【ハムレット】 〔舞台の奥より〕母上、母上、母上。 【王妃】 承知いたしました。 ご安心ください。退《さが》っていてください。ハムレットがやって参ります。〔ポローニア

ス、壁掛けのうしろへ身を隠す〕 〔ハムレット登場〕 【ハムレット】 さあ母上、何用でしょうか? 【王妃】 ハムレット、お前のおかげでお父上は大変なご立腹。 【ハムレット】 母上、母上のおかげで亡きお父上は大変なご立腹。 【王妃】 これこれ、ふざけた返事はおよしなさい。 【ハムレット】 あれあれ、意地悪な質問はおよしなさい。 【王妃】 いったいハムレット、これはどういうこと? 【ハムレット】 はて何でしょうか? 【王妃】 この私をお忘れか? 【ハムレット】 いや、誓って申します、とんでもない。 あなた様は王妃で、亡きご主人様のおん弟君の奥方、 そしてまことに遺憾《いかん》ながら小生の母上であらせられる。 【王妃】 とても話にはならない。では話になる人を差し向けます。 【ハムレット】 まあまあ落ち着いて。じたばたはけっしてさせませんぞ。 いま鏡を出しますから、その中にみ心の奥底を とくとご覧ください、それまでは行ってはなりませぬ。 【王妃】 どうしようというの? まさかわたしを殺そうというのでは? 助けて、助けて、だれか! 【ポローニアス】 〔壁掛けのうしろで〕だれか! 大変だ、大変だ、大変だ! 【ハムレット】 〔剣を抜いて〕何ということだ! ねずみか? おのれ、これでもか!〔壁

掛けを一突きする〕 【ポローニアス】 〔うしろで〕おお、わしは殺された!〔倒れて死ぬ〕 【王妃】 おおハムレット、何ということを? 【ハムレット】 わたしが何を? あれは国王? 【王妃】 おお、何という浅はかな、残忍なことを! 【ハムレット】 残忍なこと? そうです、善良なる母上様、 国王を殺してその弟と結婚するくらいにはね。 【王妃】 国王を殺して! 【ハムレット】 さよう王妃様、たしかにそう申しました。〔壁掛けを上げ、ポローニアスの

死体を見る〕 この愚かにして浅薄な出しゃばりめ、さらばだ! お前をお前の目上の者と間違えたのだ。運命だとあきらめよ。

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これでお前もわかったろう、出しゃばりがいかに危険かということが。 母上、そんなに手を締めつけるのはやめてください。落ち着いて坐ってください。 そして私に母上の心を締めつけさせてください。必ずやそうしてみせます、 もしも母上の心が絶対何ものをも受けつけないというのなら別だが。 もしも忌まわしい慣習のために母上の心がまったくの鉄面皮《てつめんぴ》となり、 世の道理に対して金城鉄壁《きんじょうてっぺき》の備え、絶対受けつけないというなら別。 【王妃】 そのようなひどい言葉で訳もなくわたしにわめきたてるとは、 いったいこのわたしが何をしたと? 【ハムレット】 母上の振舞いこそは 花も恥じらう慎み深さに泥を塗り、 美徳を偽善者と呼び、純真な愛の 美しい額からバラをもぎ取り、そしてそこに 売女の烙印を押し、結婚の誓いを、 博徒《ばくと》の約束同様、一片の反故《ほご》とするもの。 おお母上の振舞いは、結婚の誓約の本体から その魂のすべてを抜き取り、聖なる愛の誓いを 意味なき言葉の狂想曲とするもの。この大地の上 天も顔を赤らめ、四大元の複合体としてのこの大地も、 最後の審判の日を迎えたごとく上気した顔つきで、 母上の振舞いに深く想い悩んでいる。 【王妃】 ほんの序の口で、しかもこんな大声で、 雷のようにがなりたてるとは、いったいこの私がどのような振舞いを? 【ハムレット】 これをご覧なさい、この絵を。それからこっちを。 二人の兄弟を描いた肖像画です。 ご覧なさい、この額には何という気品が宿されていることか。 日の神ハイピリオンの美しいカールの髪、主神ジュピターの額、 三軍を叱陀《しった》・命令する軍神マルスの目、 天を摩する山の頂きに降り立った 神々の使者マーキュリーの立ち姿、 調和と理想の真の姿、 これぞまさに世に示すべき男の模範と、 すべての神々は太鼓判。 母上、これが母上の前の夫でした。さあ次のをご覧なさい。 これが母上の現在の夫。たとえて言えば白カビの穂、 その毒気を受ければ、じょうぶな兄穂もしぼむ。母上、目がおありか? このうるわしの丘で牧草を食《は》むのをあえてやめて、 よくもこの汚ならしい泥沼でがっつけるものだ。実際、母上には目がおありか? 愛してるなどとは言わせませんぞ、母上のその年では 情熱の真っ盛りはもう過ぎたはず、終わったはず、 思慮。分別に従えるはず。しかもこれからこれへと歩み移る、 これはいったいどういうことだろうか? たしか感覚がないわけではない。 それでなければ欲望がおこるはずがない。しかし母上の感覚は、 疑いもなくマヒしているのです。いかに気違いが道をはずれようとも、 いかに感覚が狂気に縛りつけられていようとも、 こんな区別の場合に役に立ついささかの選択能力も残さぬとは、 絶対に考え得られない。いったいどういう悪魔が 母上を欺《あざむ》いて、こんな目隠し遊びをやらせたというのですか? 感覚がなくとも目さえあれば、視力がなくとも感覚さえあれば、 手や目がなくとも耳さえあれば、何もなくとも嗅覚さえあれば、 たとえ病弱でも、マトモな感覚のほんの一部でも残ってさえいれば、 これほど迷うこともあるまいに。母上、いったい差恥心はどこへ? 地獄の悪魔よ、 もしもお前が中年女の体に謀反を起こすことが可能だというなら、

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燃える若者にとっては節操などはろうそくのろう同然、 おのれの炎で溶けたとて何の不思議もない。若者のやまれぬ情火が 攻めたてたとて、何も恥だなどと大ゲサに騒ぎたてることもない。 霜枯れの年寄自身が、同じくウツボツと燃えているのだ。 理性は情念のポン引きになり下がっているのだ。 【王妃】 ハムレット、もうやめて! お前は私の目を私の心の底に向けさせる。そしてそこには ドス黒く染め上げられた汚点の数々が私には見える。 何をどうしようと、絶対に落とし得ない汚点の数々が。 【ハムレット】 それどころか、あぶらでテカテカに光ったベッドの汗の中で、 汚辱にまみれて吸ったり、なめたり、乳くり合ったり、

胸くそが悪くなるような豚小屋で…… 【王妃】 もうやめて! お前の言葉はみな剣となって私の耳に突き刺さる。 ハムレット、お願いだからもうやめて! 【ハムレット】 人殺しで大の悪党、 前のご主人の十の二十倍分の一にも及ばない ケチな下司野郎。国王を演じる道化役。 王国と王権とをかっぱらったチンピラのコソドロ、 棚からこっそり貴い王冠を盗んで、 それをば自分のポケットにしまいこんだ! 【王妃】 女もうやめて! 【ハムレット】 ボロボロの継ぎはぎだらけの道化の王様…… 〔亡霊登場〕 おお天使たちよ、その翼をもって私の上を羽ばたき、 私をお守りください! 尊きお姿よ、何用でございますか? 【王妃】 かわいそうに、気が違った! 【ハムレット】 のろまの息子を叱るために来られたのではありませんか? ただ徒らに時を過ごし、熱を冷まして、ご命令を 謹んで実行するという大事を怠っているこの息子を。 どうぞおっしゃってください! 【亡霊】 ゆめ忘れる事は相ならぬ。予がここに現われたのは余の儀ではない。 すなわち汝のおおかた鈍りかけた意志を鋭《と》ぎすますためである。 しかし見よ、汝の母上は困惑しきっているではないか。 母上とその苦しみ闘う心とのあいだにはいって助けてやれ。 ひ弱な体には考えごとが最もひびく。 ハムレット、母上に話しかけてやれ。 【ハムレット】 奥方、いかがなされました? 【王妃】 かわいそうに、お前こそどうしたというのか? 目はあらぬ方をじっと見据え、何やら虚空と言葉を交わして? お前の目にはお前の心がおそろしい顔を出している。 眠っている兵隊が戦闘準備のかけ声でおこされたときのように、 お前のねている髪の毛は、まるで生きものででもあるかのように、 びっくり立ち上がって棒立ちになっている。おおハムレットよ、 お前の熱し切った狂気の炎に、冷たい分別を 撒《ま》き散らしておくれ。何を見つめておいでか? 【ハムレット】 あの人、あの人! なんと蒼白く、ぎらぎら光っていることか! あの姿を見、あの怨みを聴けば、無情の石も 心をば動かされることだろう。そのように見つめてくださるな。 そのような哀れな動作を見ていると、私の険しい顔つきも和げられ、 そうなれば私の為すべき事は、そのふさわしい外観も口実も失くして、

あいつの血を流す代わりに、……たぶん私自身の涙を流すことになる。 【王妃】 誰に向かってお前は話を? 【ハムレット】 母上にはそこに何も見えないのですか?

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【王妃】 ぜんぜん何も。あるものはわたしには全部見えるはず。 【ハムレット】 おまけに何も聴こえませんか? 【王妃】 何も。わたしたちの話以外は。 【ハムレット】 ほら、あそこをご覧なさい! あの忍び行く様を? ご生前のいでたちそのままのお父上の姿! それ、いま戸口のところを出てゆかれる!〔亡霊退場〕 【王妃】 これこそまぎれもなくお前の脳中の妄想の所産。 このような実体を伴わぬつくりごとは、実は 狂気の最も得意とするところ。 【ハムレット】 狂気だなどと! 私の脈搏は母上のと同じに、まことにもって正常。 健康この上ない脈音《みゃくおと》をたてている。私がいま言ったことは、 狂気からなどでは断じてない。何ならテストを受けてもよい。 いましゃべった事柄を、そっくりそのまま繰り返してみせよう、 気が狂っていれば、言うことはでたらめに跳ねまわるはず。母上、後生だから、 しゃべったのは母上の過ちではなく、この私の狂気だなどと、 自分に心地よいコウヤクを心に貼るのはやめてください。 それは出来物の箇所を薄皮や薄膜で覆《おお》うにすぎない、 その内側ではひどい化膿が内部全部を冒し、 目には見えねど病毒がはびこっている。天に向かって告白なさい。 過去を悔い改め、将来に備えるのです。 生い茂る雑草に肥料を撒《ま》き散らして、ますますはびこらしてはなりません。 真実を言うのは美徳ですが、それでもわたしはお許しを乞わねばならんでしょう。 悪でコロコロに肥《ふと》りまろんだこの世の中では、 美徳も悪徳の許しを乞わねばならんからです。 さよう、悪徳様に尽くすお許しを得るために、最敬礼をせにゃならんのです。 【王妃】 おおハムレット、お前はわたしの心を真っ二つに引き裂いた。 【ハムレット】 なら、その悪いほうを捨てておしまいなさい。 そして残った半分で、もっと清く生きてください。 お休みなさい。だが叔父貴《おじき》のベッドヘは行かないでください。 美徳は身に着けていないというなら、せめてそのフリでもなさい。 悪習慣に対する感覚をすべて食べつくしてしまう 習性という例の怪物にも、まだまだ天使らしき点が残っている。 つまり、美しい立派な行為に慣れた者にはそれ相応に、 ピッタリと体に合った良い習慣というお仕着せを 同様に造ってくれるのです。今夜はお慎みなさい。 そうすればこの次に慎むときには、いささかなりとも楽になります。 そしてその次には、もっとたやすくなるでしょう。 習慣というものは、ほとんど天性をも変えることのできるもの、 鬼を家に入れるも、これを外に出すも、まことに おどろくほどに自由自在。もう一度、おやすみなさい。 母上が真に罪を悔いて、心から天の祝福を願うようなときが来ましたら、 わたしも母上からの祝福をいただきに参ります。ポローニアス殿については、〔ポローニアス

を指さして〕 わたしは心から後悔している。しかし、かくなるもすべては天の配剤。 天はかくしてわたしを罰し、かくして彼を罰したもうために、 わたしは天意の代行者、その打ち振るう鞭《むち》とならねばならない。 このあと片付けはわたしがします。彼の死に対しては、 十分に責任を負うつもり。ではもう一度、おやすみなさい。 わたしが残酷にしなければならぬのも、実は親切にするため。 「始め悪ければ、やがて大いなる凶事あり」のことわざもある。 そうだ、もう一言、王妃様。 【王妃】 わたしはどうすればよいのだろう?

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【ハムレット】 いま母上にやってほしいと頼んだことは、金輪際やってはならぬ。 あの脂肪ぶとりの国王の言う通りになって、また一緒に寝ればいいんだ。 助平ったらしい手で頬をつねってもらい、「かわいい子ちゃん」と呼んでもらい、 胸くそが悪くなるような汚らわしいキスの二つ三つもしてもらい、 あの呪われた指先で首筋あたりをまさぐりくすぐってもらえばいいんだ。 そしてそのお礼に、今夜のこのことをみんなしゃべってしまえばいい、 ハムレットはほんとうは気違いでも何でもない、 気違いのフリをしているだけだと。国王にしゃべったほうがきっといい。 というのは、いくら美しく、まじめで、賢明だといったって、 たかが一人の王妃では、ひきがえる、こうもり、雄猫ごとき奴を相手に、 こんなたいせつな事柄を隠しおおせるはずがない。だれにだってそれは無理だ。 いや、分別も秘密もあったものではない。物語にもあるように、 屋根のてっぺんで鳥籠の蓋《ふた》を開けて、 中の小鳥を飛ばせてやれ、そして例の バカ猿のように、おのれも鳥籠にもぐりこんで、 籠から飛び出て首の骨をへし折りゃいいんだ。 【王妃】 安心なさい、もし言葉が息からでき上がり、 息は生命《いのち》からでき上がっているものなら、わたしには お前の言ったことを息にする生命はない。 【ハムレット】 わたしはイギリスヘ行かねばなりません。母上はご存知で? 【王妃】 わたしとしたことが、 それをすっかり忘れていた。そう決まったのです。 【ハムレット】 書面はもう封印済みです。わたしの二人の学友が この連中はキバのあるまむし同然、最も信用ならぬ奴らですが、 その文書を届けることになっています。そしてわたしの先導を勤めます。 何か悪だくみがあるのでしょうが、勝手にやらせればいい。 自分の仕掛けた爆薬で吹っとばされるのを見るなんて、 まことに興味しんしんだ。彼らの掘る坑道の下を、 さらに一ヤード掘り下げて、月に目がけて吹っとばしてやろう。 さもなければ、どえらいことになってしまう。考えるだけでも楽しくなる、 敵・味方の坑道が一緒になって、突如顔を合わせるのだ。 この男がわたしに旅仕度をさせるのだ。 この臓物《ぞうもつ》は隣りの部屋に引きずっておきましょう。 母上、では、ほんとうにおやすみなさい。この相談役は 今や、これまでになく静かで、口が堅く、どっしりとしている。 生前はまことに愚かな、やかましいおしゃべりだった。 さあ、閣下とも、いよいよ最後のお別れだ。 おやすみなさい、母上。〔別々に退場。ハムレットはポローニアスを引きずって〕 [#改ページ] 第四幕 第一場 城中の一室 〔国王と王妃、ローゼンクランツおよびギルデンスターンを伴って登場〕 【王】 あの溜息、あの深い深い溜息には何かがある。 その意味がわからなければならない。わかることが望ましい。 君の息子はどこにいる? 【王妃】 しばらくわたくしたち二人だけにしてほしい。〔ローゼンクランツおよびギルデン

スターン退場〕 おお、わたしの王様、今宵はなんというおそろしい目に! 【王】 どうしたのだ、ガートルードよ。ハムレットがどうしたというのか? 【王妃】 まるで気が違って。いずれが強いかを競い合う 海と風とのようにたけり狂って。そのひどい発作の最中に、

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壁掛けのうしろに何か動くのを聞きつけて、 その細身をさっと抜き、「ねずみ、ねずみ」と大声で叫び、 その頭に来た無鉄砲さで、とうとう壁掛けのうしろに身をかくした あのご老体を刺し殺してしまいました。 【王】 何というむごいことを! わたし自身がそこにいたら、やはり同じことになっていただろう。 ハムレットの乱行はすべての人々にこの上ない脅威、 君自身にとっても、わたしにとっても、そのほか誰にとっても。 いったいこの残忍な行為は、いかにすれば申し開きができるというのだ? 必ずやわれわれの責任が問われることになるだろう。これを見越して、 この狂った若者は短くつなぐか、縛っておくか、 とにかく人前に出すべきではなかった。ついハムレットをかわいがり過ぎて、 適切な処置をあえて講じようともしなかった。 悪い病気の持ち主のように、ただただ世間に知られまいと、 いらぬ無駄骨を折ってあげくのはては、生命の髄《ずい》まで 蝕ませてしまうのだ。ハムレットはどこに行った? 【王妃】 殺したポローニアスの遺骸《いがい》を運んで行きました。 その亡骸《なきがら》の上にほかならぬハムレットの狂気が、 卑しい金属の鉱脈の中の黄金のように、清純さに 燦然《さんぜん》と輝いておりました。しでかしたことに涙を流しておりました。 【王】 ガートルード、さあおいで。 日が東の山々に昇り次第ハムレットを早急《さっきゅう》に 出帆《しゅっぱん》させることにしよう。この忌まわしいかぎりの行為に対しては、 われわれの王者としての威信と能力のすべてをかけて、 何とかこれを是認、釈明しなければならぬ。おいギルデンスターン! 〔ローゼンクランツおよびギルデンスターン、ふたたび登場〕 ご両人、君たちのほかにまだ数人の手助けを捜してほしい。 ハムレットが気が違ってポローニアスを殺してしまった。 そして母親の部屋からその死骸を引きずって行った。 ハムレットを捜してほしい。穏やかに話しかけて、 遺骸を礼拝堂へ運んでほしい。お願いだ、大急ぎでやってくれ。〔ローゼンクランツおよびギ

ルデンスターン、退場〕 さあガートルード、腹心の者から最も思慮深い者たちを呼び集めよう。 そしてわれわれのこれからの意図と、このたびの 不慮の出来事を知らせよう。それでたぶん中傷の鉾先《ほこさき》は…… 中傷という奴は人々の耳を伝わって世界の果てから果てへと、 ちょうど砲弾が狙いたがわずその標的に命中するように、 その毒気の弾丸を運んでゆくが……われわれの名前のほうには向けられずに、 ただいたずらに空を斬るだけとなるだろう。さあおいで、 わたしの心は不安と失望とで一杯だ。〔退場〕 [#改ページ] 第二場 城中の別の一間 〔ハムレット登場〕 【ハムレット】 これで安置したぞ。 【ローゼンクランツとギルデンスターン】 〔内側から〕ハムレット! ハムレット殿下! 【ハムレット】 おっと待てよ! あの物音は? ハムレットの名を呼んでいるのは誰だ?

ああ、やって来る。 〔ローゼンクランツおよびギルデンスターン登場〕 【ローゼンクランツ】 殿下、ご遺骸をどうなされました? 【ハムレット】 親戚にあたる泥と合体させたよ。 【ローゼンクランツ】 それはどこだかおっしゃってください。われわれは掘り出して礼拝堂

へ運ばなければならないのです。

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【ハムレット】 そんなこと信じてはだめだ。 【ローゼンクランツ】 信じてはだめだって何を? 【ハムレット】 つまり、ぼくは君らの秘密は守れるが、ぼく自身のは守れないなんてことを

さ。それに海綿なんかに尋問されて、国王の子息たるもの、いかなる原告応答ができるという

のだ? 【ローゼンクランツ】 殿下はこの私を海綿だとおっしゃるのでしょうか? 【ハムレット】 さよう、そのとおり。国王の愛顧、褒賞、権力、何でもかでも吸いとり放題

だ。だがこういう役人が最後には国王にいちばん役に立つ。つまり猿公《えてこう》がやるよ

うに、国王はこういうものをみんなあごの隅にしまいこんでおくのだ。まずは口の中にしまっ

ておくのも、結局は最後に呑み込むためなのだが。君らが拾い集めたものが入り用となれば、

国王は君らをほんの一絞り、君らはまた元どおりの乾いた海綿さ。 【ローゼンクランツ】 おっしゃることがわかりませぬが、殿下。 【ハムレット】 そいつはうれしい。悪党のセリフもバカ者の耳では眠ってしまうのだ。 【ローゼンクランツ】 殿下、ご遺骸の在り場所をおっしゃらねばなりませぬ。それからわれ

われと同道、陛下のもとへ参らねば。 【ハムレット】 遺体は王とともに在り、されど王は遺体とともに在らず。国王もしょせんは

かなき…… 【ローゼンクランツ】 「はかなき」ですって? 殿下。 【ハムレット】 はかなきものさ。王のところへ連れて行ってくれ。さあ、「きつねはどこだ、

みんなで捜せ!」〔退場〕 [#改ページ] 第三場 城中の別の一間 〔国王、二、三のものを従え登場〕 【王】 彼を見つけ、死体を捜し出すための使いは出した。 こんな男を自由に放しておくとはまことにもって危険千万! さりとて予が厳格一方の法律を彼《あれ》に適用することは控えねばならぬ。 彼は無知|蒙昧《もうまい》の一般大衆に愛されているのだ。 こういう連中の好き嫌いは頭ではなく、目で決まる、 そしてそういう状況下では、罪人の刑罰の軽重は問われるが、 当の罪自体は絶対問題にされない。万事を丸くおさめるために、 このたびの彼の突然の海外派遣は、表面はあくまでも 熟慮のあげくそうせざるを得なかったごとくに見せかけねばならぬ。 格言にいわく「絶望的な病《やまい》は絶望的な荒療法で救われる」 さもなくば助かる見込みは全然ない。 〔ローゼンクランツおよびギルデンスターン登場〕 これどうした! 何事だ? 【ローゼンクランツ】 陛下、ご遺骸がどこに置かれているのかハムレット殿下からは、 いっこうに要領を得ることができませぬ。 【王】 それで彼《あれ》はどこにいるのだ? 【ローゼンクランツ】 外におられます、陛下。御意を得るまで護衛をつけてござります。 【王】 予の面前に連れて来い。 【ローゼンクランツ】 おい! ハムレット殿下をお連れ申せ。 〔ハムレット数人の兵に護衛されて登場〕 【王】 これハムレット、ポローニアスはどこに?。 【ハムレット】 夕食のテーブルに。 【王】 夕食のテーブルに! どこで? 【ハムレット】 ある場所で。だがそこであの御仁《ごじん》は、食べているのではなく、食

べられているのだ。蛆虫《うじむし》どもがうようよとあの御仁を取り巻いて、今や汚らわし

い政治集会の真っ最中というところだな。あなたのような国王をも食べてしまう蛆虫は、さし

ずめ食事の帝王だと言える。われわれがほかの動物を肥らすのはわれわれ自身を肥らすため、

そしてわれわれがわれわれ自身を肥らすのは蛆虫を肥らすため。誰かのような脂肪肥りの国王

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と痩せこけた乞食とでは、ご馳走のコースこそ違え、いずれは同じ蛆虫のテーブル。それで一

巻の終わり。 【王】 おお、何たることを! 【ハムレット】 人は国王を食べた蛆虫で魚を釣る。そしてその蛆虫を食べて育った魚を食べ

る。 【王】 それで何が言いたいのだ? 【ハムレット】 他でもない、国王も乞食の五臓六腑《ごぞうろっぷ》をひと巡《めぐ》り、

ご巡幸あそばされかねないということ、の一部始終。 【王】 ポローニアスはどこに? 【ハムレット】 天国に。誰かを面会に出すといい。もし使いの者がそこで発見できなかった

ら、もう一つの場所をご自身で捜しなさい。だがもし、どうしても今月中に見つからないとい

うのなら、廊下への階段を上がって行けば、いやでも臭いが嗅ぎつけられる。 【王】 〔二、三の従者に〕そこを捜しに行け。 【ハムレット】 行くまで待っててくれるさ。〔二、三の従者退場〕

【王】 ハムレット、このたびの行為、そちの身の安全を特に考えて…… じつはそちの身の安全を、そちがしでかしたことを悲しむと同様 心からうち案じているのだが、今回の行為のために汝を 火急に旅立たせねばならぬことに相なった。それゆえ支度をしてほしい。 船の支度はできている、それに風は追い風、 同行者は待っている、何もかも用意整ったイギリス行き。 【ハムレット】 イギリス行きね。 【王】 さよう、ハムレット。 【ハムレット】 よろしい。 【王】 そうに決まっている、われわれの真意がわかりさえすれば。 【ハムレット】 わかっている、天使はすべてをお見通しだ。だが、さあイギリスヘ出発だ!

さらば親愛なる母上。 【王】 父上だ、ハムレット、わしも心からそちのことを思っているのだ。 【ハムレット】 さらば、わが母上。父上と母上とは夫と妻、夫と妻とは一心同体、だから、

さらばわが母上。さあイギリスヘ出発だ! 【王】 すぐあとを追え、何とか彼《あれ》を急がして乗船させてくれ。 遅らせてはならぬぞ。今宵、ぜがひでも出帆させたいのだ。 さあ出発だ! このことに関するこの他のあらゆる物件は すべて封印され、準備は終わっている。頼むぞ、急いでくれ。〔ローゼンクランツおよびギル

デンスターン退場〕 それに英国王よ、もし予の恩義をいささかなりともたいせつと思うなら…… 予の偉大なる権力によって汝もそれを思い知らされていると思うが、 デンマークの剣によって与えられた戦傷はいまだ生々しく、 傷口は今なお赤い口を開け、汝は心底からの恐怖心から

予に忠誠を誓っているのだから……予の至上命令を よもや冷淡に取り扱うことはできまい。書面には委細をつくして、 要するに一つの目的、ハムレットを即刻処刑すべしという命令が 述べられてある。英国王よ、それを実行してくれ。 あたかも予の血の中の熱病のごとくに、あの男は暴れまわる。 汝はそれを治すのだ。それが完全におさまったとわかるまでは、 どんなにいいことがあっても、それを喜ぶ気にはなり得ない。〔退場〕 [#改ページ] 第四場 デンマーク、とある平野 〔フォーティンブラス、行軍中の軍隊を率いて登場〕 【フォーティンブラス】 大尉、先行して予に代わってデンマークの国王に挨拶してほしい。 かねてのお許しによってフォーティンブラスは、約定《やくじょう》どおり ご領地内の行軍を実施いたしますが、なにとぞその警護を 願いたてまつると伝えてほしい。集合場所は心得ているな?

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もし陛下が何事か予に所用ありと仰せられるなら、 予が御前に参上いたして御意を承ることとしよう。 この旨伝えてほしい。 【大尉】 承知つかまつりました、殿下。 【フォーティンブラス】 〔軍隊に〕ゆっくりと前進。〔大尉を除き全部退場〕 〔ハムレット、ローゼンクランツ、ギルデンスターン、その他登場〕 【ハムレット】 お尋ね申しますが、これはどなた様|麾下《きか》の軍隊でありましょう

カ? 【大尉】 ノールウェイ国王の軍隊であります。 【ハムレット】 いかなる作戦|企図《きと》であられるか、できればお伺いいたしたい。 【大尉】 ポーランドのある一部の地区の攻撃であります。 【ハムレット】 指揮をされておられるのは、どなたでありましょうか? 【大尉】 フォーティンブラス殿下、ノールウェイ国王の甥にあたられる方であります。 【ハムレット】 ポーランドの主要部を攻撃されるのでしょうか、 それともどこか国境地帯を? 【大尉】 何も付け加えずに、事実だけをありのままに申し上げますと、 われわれはそれを所有するという名前以外には何の価値もない、 ほんの、一握りの土地を手に入れるために参るのです。 たったの五ダカットでも、五ダカットの地代でも、借り賃としては高すぎる。 あれを売却したところで、ノールウェイ側にもポーランド側にも、 それ以上莫大な代金がころげこむことは、まずないでしょう。 【ハムレット】 それならポーランド国王はそんな土地をけっして防衛はしないでしょう。 【大尉】 いや、すでに防衛軍が駐屯しているのです。 二千人の命と二万ダカットというような大きな犠牲を払いながら、 たかが藁《わら》一把ほどのこの問題の空しさを論じようとはけっしてしない。 これこそ贅沢と平和とに馴れすぎてできた吹出物、 どうして人が死ぬるのか、その原因は外側には出ないが、 内側はすっかりやられているのです。 【ハムレット】 いろいろとありがとうございました。 【大尉】 では失礼つかまつります。〔退場〕 【ローゼンクランツ】 殿下、さあ参りましょうか? 【ハムレット】 すぐにあとから追いつく。一足先に行ってくれ。〔ハムレットを除き全部退

場〕 すべてのことが、何とこのおれを責めたてていることか! おれの鈍った復讐心を駆りたてていることか! 人間とは何だ! その一生を費やしてやっと手に入れることのできるご利益《りやく》が、 ただ眠って、そして食べるだけだとは? まるで畜生同然だ。 たしか、かくのごとき偉大な理性の力をわれわれに与えたもうた神は、 前を見、後ろを見、その「神のごとき理性」の力を、 使いもせずに、ただカビを生やすためにくださったわけではあるまい。 ところでそれが畜生共通の忘れっぽさであるにせよ、あるいはまた 事柄をあまりにも厳密に考えすぎたための、

いささか弱気にすぎたためらいであるにせよ…… この考えすぎは四分すれば、知恵があるのは四分の一だけで、 残る四分の三は常におくびょう者だが……おれにはわからない、 何ゆえにこのおれはただおめおめと生きながらえて、 「これをやらねばならぬ」と口で言うだけなのだ? 理由も意志も方法も 全部が揃っているではないか? 大地をたたくにも等しい確実無比な実例が、 このおれを責めたてている。見よ、かくも人力《じんりょく》と金力とをつぎこんだ大軍が、 たかが一人の白面の貴公子に引率されているではないか? いと高き聖なる野心に誇らかに胸を張り、 見えざる危険をもものともせずに口を真一文字に食いしばり、 運命と死と危険のもたらすありとあらゆるものに、

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はかなくもかぎりあるこの身の命をば、喜んでさらそうとしている。 それも卵のからほどの事のためにだ。真に大いなることとは、 大いなる事由もなく単に些細なことのために戦うということではなく、 戦わねば武士の面目が立たないときに、一本の藁《わら》にも 戦いの理を大いに見いたすことである。ところがこのおれはどうだ? 父親は殺され、母親は汚《けが》され、おれの理性と感情とは 煮えくりかえっているのだ。しかもこのおれは何することもなく、 何事も眠らせっぱなし。そしてここに死地に赴く二万の兵士を見る。 恥ずかしいことこの上なしだ。これら将兵はいずれも 幻のごときはかなき武士の栄誉のために、あたかも憩いの床につくごとく、 喜々として自らの死地に赴き、一片の土地のために戦うのだ。 そこには兵どもが問題を決着させるために戦うだけの場所もなく、 戦死者を埋葬するに足る十分な墓地もなければ、 それを覆うに足る土地もない。おお、今より以後はおれの考えることは、 血なまぐさいことだけに決めた、ほかのことなど三文の価値もないぞ!〔退場〕 [#改ページ] 第五場 エルシノア、城中の一室 〔王妃、ホレイショウ、および一人の紳士登場〕 【王妃】 わたしは彼女《あれ》とは話したくない。 【紳士】 あの方はたってと申されています、じつのところ乱心のご様子。 まことにもって同情すべきものがあります。 【王妃】 彼女《あれ》は何を所望しているのですか? 【紳士】 父親のことをばしきりと申しておりまする。「聞きつけた、この世の中には、 ゴマカシがある」と申しております。そして咳払いしたり胸をたたいたり、 藁《わら》ほどのことに当たり散らし、訳のわからぬことを口走り、 その意味は半分ほども通じません。言うことはまったくのナンセンス、 ところがその体《たい》をなさない言葉使いは、かえって聞く者の心を動かし、 いろいろのシマ臆測《おくそく》を生んでおります。人々は想像をたくましゅうして、 聞きつけた言葉を都合のよいように継ぎはぎしてデッチ上げます。 あの方は身ぶりに手ぶり、ウィンクしたり、うなずいたり、 聞き手は誰でも「これは何かあるな」と、はっきりはしないが、 何かぐあいの悪いことがあるに違いないと感じるように相なります。 【ホレイショウ】 お話し合いをなされたほうがよろしいと存じます。事を企む連中に、 危険な臆測の種を播き散らさぬともかぎりません。 【王妃】 彼女《あれ》を通してください。〔紳士退場〕 〔傍白〕わたしの病める心には、罪の本性から当然ながら、 あらゆる些細な事柄が、何か重大な過ちの序の幕に見える。 手に負えぬ疑惑で罪は溢《あふ》れるばかり、 へたな看護は大ケガのもと。 〔狂乱のオフィーリア登場〕 【オフィーリア】 美《うるわ》しのデンマーク王妃はどこにおられますか? 【王妃】 これ、どうしたの? オフィーリア! 【オフィーリア】 〔歌う〕 [#ここから1字下げ] あなたの恋人とはっきりわかる その目じるしは? 帆立貝《ほたてがい》つきの帽子に杖、 サンダル靴の巡礼姿。 [#ここで字下げ終わり] 【王妃】 かわいそうに、オフィーリア、この歌はどういう意味? 【オフィーリア】 何かおっしゃいましたか? いいえ、どうかお聴きください。 〔歌う〕

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[#ここから1字下げ] その方はとうに亡くなりました、 とうに亡くなりました。 頭には緑草茂り、 踵《かかと》には、石ころ一つ。 おお! [#ここで字下げ終わり] 【王妃】 ねえオフィーリア、もうやめて…… 【オフィーリア】 どうぞお聴きになって。 〔歌う〕 経帷子は真白、山の雪…… 〔国王登場〕 【王妃】 陛下、ご覧ください、この有り様を。 【オフィーリア】 〔歌う〕 [#ここから1字下げ] きれいな花いっぱいに覆われて、 墓場に見送る真心の 愛の涙も降りはせぬ。 [#ここで字下げ終わり] 【王】 元気かね、お嬢さん? 【オフィーリア】 はいお陰様で。世間ではふくろうはパン屋の娘だったと申します。ほんと、

わたしたち、今は何だかわかりますが、これからどうなるかはわかりません。ごちそう様でし

た! お宅様の食卓に神様のお恵みがございますように! 【王】 父親を思ってのとりとめない言葉。 【オフィーリア】 お願い、このことについてのお話はもうやめて。でもその意味を尋ねられ

たら、こうおっしゃって。〔歌う〕 [#ここから1字下げ] あしたはいよいよヴァレンタイン、 何はともあれ朝早く、 乙女のあたしはあなたの窓辺、 いとしあなたのヴァレンタイン。 するとあの人起き上がり、着物かぶって、 部屋の戸開けた、 はいったときには乙女でも、 二度と乙女じゃ帰りゃせぬ。 [#ここで字下げ終わり] 【王】 おお、オフィーリア! 【オフィーリア】 そうだ、ねえ王様、誓い言葉はぬきにして、歌のしめくくりをしなくては。

〔歌う〕 [#ここから1字下げ] エス様にかけて、マリヤ様にかけて、 あら情けなや、あさましや! いざというときゃ、男はそうよ。 誓って言うが男が悪い。 転がす前は結婚すると、 たしかに約束したではないか。 男は答える。 お日様に誓って言うが、そのつもりだった、 お前と一緒に寝るまでは。 [#ここで字下げ終わり] 【王】 もうどのくらいこんなふうに? 【オフィーリア】 きっと、みんなよくなりますわ。我慢しなければいけません。でも冷たい

土の中に埋めるのだと思うと、泣けて仕方がありません。お兄さんには知らせてあげなくては。

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ではご忠告ほんとうにありがとうごさいました。さあ、お車をよこして! おやすみなさい皆

さん、おやすみなさい皆さん。おやすみなさい、おやすみなさい。〔退場〕 【王】 彼女《あれ》のあとを、しっかりつけよ。目を離してはならぬ、頼んだぞ。〔ホレイ

ショウおよび紳士退場〕 おお、これこそ深い悲しみという毒のため、すべては彼女の 父親の死から起こったことだ。あげくの果ては、見よ…… おおガートルード、ガートルード! 悲しみがやってくるときは単騎《たんき》ならず、必ずや 隊伍を組んで押し寄せてくる。まず彼女の父親が殺される。 次いで君の息子が国を追われる、その正当な処置の元はといえば、 ほかならぬ彼自身の無暴な行為。善良なポローニアスの死にあって、 国民はすべて疑心暗鬼の泥沼、不穏な私語の濁《にご》り江《え》によどんでいる。 そしてこのわれわれがやったことはといえば、まことにもって不手際千万、 ただただ、ひた隠しに隠して彼を埋葬したにすぎない。かわいそうに オフィーリアは正気も判断力も失せ果てて、 まるで絵に描いた人間、いやただの畜生同然となり果てた。 そして最後に、これらすべてといずれ劣らぬ大問題だが、 彼女の兄がひそかにフランスから立ち戻り、 疑惑に閉じこもって、韜晦《とうかい》の雲に身をかくしている。 それに彼の父親の死について悪性のデマをとばし、 彼の耳もとを汚すような輩《やから》もいないわけではない。 そのよからぬうわさは、事実を知らされぬままに、 万やむを得ず王たるこのわが身をヒボウし、 耳から耳へと伝わってゆく。おお愛するガートルードよ、 これではあの殺しの機械・大砲に狙われたも同然、 この身は満身これ致命傷だ。〔内側で騒音〕 【王妃】 おお、この物音は? 【王】 誰かいるか? 〔一人の紳士登場〕 予の衛兵はどこだ? しかと戸口を見張らせろ。 何事だ。これは? 【紳士】 陛下、ご避難を。 大洋が海岸線をはるかにのり越えて、 低地帯を蚕食《さんしょく》してゆくすさまじさも、 若いレイアーティーズが暴動の軍を起こし、 陛下の将兵を圧倒しているのには及びません。暴徒は彼を主と呼んでいます。 すべてのものごとの標準にして支柱ともいうべき 古代からの制度・慣習もあらばこそ、あるいは忘れられ、あるいは顧られず、 まるでこの世の中はこれから始まるのだといわぬばかり。 暴徒は口々に「選ぼう、レイアーティーズを国王に!」と叫んでいます。 帽子・手・舌を使って雲にもとどけとばかりにはやし立てています、 「レイアーティーズを国王にせよ、レイアーティーズを国王に!」 【王妃】 何と元気に、方向違いを吼え立てていることだろう! おお、まったくの逆方向、愚かなデンマークの犬たちよ! 【王】 扉はこわされた。〔内側で騒音〕 〔武装したレイアーティーズがデンマーク人どもを従えて登場〕 【レイアーティーズ】 例の王はどこにいる? 諸君、諸君は外にいてくれたまえ。 【デンマーク人たち】 いや、われわれも中に入れてください。 【レイアーティーズ】 ここは任せてほしい。 【デンマーク人たち】 承知いたしました、承知いたしました。〔彼ら戸の外へ退場〕 【レイアーティーズ】 ありがとう。戸を閉めてくれ。おお、なんじ忌まわしい国王よ、父を

返してくれ! 【王】 落ち着きたまえレイアーティーズ。

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【レイアーティーズ】 これでも落ち着いていられるという血が一滴でもあるというなら、 このおれはまぎれもなく私生児、母が不義を働いたことは明白な事実。 貞節にして一点の汚れない母上の、この両の眉のまん真中に、 売女《ばいた》の烙印を押すことになる。 【王】 レイアーティーズ、原因は何だ、 かくて威勢高《いたけだか》に予にたいして謀反の軍をさし向けるのは? 放してやりなさい、ガートルード。予の身を案じるにはおよばない。 国王のまわりには、神意によって垣がはりめぐらされている。 それゆえ謀反者は、その意図するところをわずかに垣間見るだけ、 その意志通りを実行に移すことはほとんどない。レイアーティーズ、言ってくれ、 なぜこうも荒れているのだ? 放してやりなさい、ガートルード。 さあ言ってみよ。 【レイアーティーズ】 父上はどこだ? 【王】 亡くなられた。 【王妃】 が、王のせいではない。 【王】 好きなだけ聞かせてやりなさい。 【レイアーティーズ】 父上はどうして亡くなったのだ? ゴマかされはしないぞ。 忠義心なんか地獄へ落ちろ! 臣下の誓いなんか悪魔に食われろ! 良心も神の恩寵も、みんな奈落の底へ落ちこんでしまえ! 地獄なんか恐くはないぞ。思いはただただこのこと一つ、 現世にも来世にも、この二つの世界にはもはや何の関心もない。 何が起ころうともかまわぬぞ、ただひたすらにこいねがわくは、 父上の仇を存分に晴らしたい。 【王】 誰もひきとめはしないぞ。 【レイアーティーズ】 世界中が何と言おうとも、必ずおれの思い通りにやってみせる。 方法・手段に関しては、微力ながら、うまく按配《あんばい》して、 最大限の効果を収めてみせる。 【王】 ねえ、レイアーティーズ、 君はたいせつな父親の死の真相を知りたいと思いながら、 しかも君の復讐劇の筋書きでは、まるで博徒同然、 賭けに勝とうが負けようが、敵も味方もあらばこそ、 目の前の賭け金全部を、君はひっさらってゆこうとするのか? 【レイアーティーズ】 いや、目指すはただただ父上の敵《かたき》のみ。 【王】 では、それが誰だか知りたくはないか? 【レイアーティーズ】 父上の良き友人たちに対しては、こうして両の腕を広げ、 自分の胸の生血《いきち》で雛鳥を育てるというあのペリカン鳥のように、 わたしの生血を絞っても、もてなすつもりです。 【王】 それでこそあっぱれ 親孝行者、まことの紳士にふさわしい言葉と言える。 このわしは君のお父上の死に関しては完全にシロであること、 そしてわしはお父上の死を心から傷み悲しんでいるということを、 この白日のごとくに明々白々に、君の心にはっきりと わからせてやろう。 【デンマーク人たち】 〔内側より〕あの方を入れてやってください。 【レイアーティーズ】 どうしたというのだ! あれは何の物音だ? 〔オフィーリア、ふたたび登場〕 おお怒りの熱気よ、おれの脳髄《のうずい》を乾かしてくれ! からい、からい塩の涙よ、 おれの目の感覚と力とを焼き尽くしてしまってくれ! 天に誓って言うがお前の発狂に対しては、天秤《てんびん》の柱も倒れよとばかりに、 相応の重さの仕返しを必ずしてやるぞ。おお五月のバラ! なつかしの乙女、やさしき妹、麗しのオフィーリア! おお天よ! うら若い乙女の心が年老いた男の命同様に、 かくもはかないものだなどということが、いったいあり得ることだろうか?

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親子の愛情はこまやかなもの、こまやかなればこそ 何か貴重な形見をば差し出して、愛する人の 後を追わせるのだ。 【オフィーリア】 〔歌う〕 [#ここから1字下げ] 死に顔にキレもかぶせず棺台へ、 ヘイ・ノン・ノニ・ノニ・ヘイ・ノニ、 墓にはしとど降る涙雨。 ごきげんよう、わたしの小鳩さん! [#ここで字下げ終わり] 【レイアーティーズ】 たとえお前が正気で、そしてこのおれに復讐を説得したとても、 これほどまでに動かされはしなかったろう。 【オフィーリア】 「アダウン・アダウン」と歌わなくてはだめよ、ほんとにダウンしてしま

ったというなら。まあ、紡ぎ車がよく調子に合うこと! 主人の娘をかすめたは悪い悪い執事

殿。 【レイアーティーズ】 この狂気の無意味の言葉は、正気の言葉以上だ。 【オフィーリア】 さあローズマリーをどうぞ、花言葉は「思い出」。ねえ、あなた、思い出

してね。それにパンジー、「物思い」の花。 【レイアーティーズ】 狂気の中にも一条の教訓、「思い出」と「物思い」はふさわしい。 【オフィーリア】 ういきょうはあなた、それにおだまきも。あなたにはこの悲しみの花ヘン

ルーダ、そしてこれはわたしの分。この花は日曜日には、「神の花」とも呼んでいいのよ。あ

ら、あなたの付け方はわたしのとは、ちょっと違うのよ。さあこれが雛菊《ひなぎく》、すみ

れもあなたに差し上げようと思っていたのに、みんな凋《しぼ》んでしまったの、父が亡くな

ったときに。極楽往生とげられた、とみんなは言うが…… 〔歌う〕 うれし、懐かし、すてきなロビン…… 【レイアーティーズ】 煩いも、苦しみも、悲しみも、地獄をさえも、 彼女はすべてを喜びに、美しきものに変えてしまうのだ。 【オフィーリア】 〔歌う〕 [#ここから1字下げ] ではあの人は、二度と再び戻らない? ではあの人は、二度と再び戻らない? さよう、さよう、その方は亡くなった、 だからあなたも死の床へ。 その人は二度と再び戻らない。 そのひげは雪のように真っ白く、 髪の毛はすべて麻のよう。 その人は亡くなった、亡くなった、 さあ悲しみは投げ捨てて みたま安かれと神に祈ろう。 [#ここで字下げ終わり] しかしてすべてのキリスト教信者の霊安かれと神に祈らん。皆さんごきげんよう。〔退場〕 【レイアーティーズ】 おお神よ、これが見えるか? 【王】 レイアーティーズ、君の悲しみについて話し合いたい。 それを断わる権利は君にはないのだ。さあ向こうへ行って、 君の意に最もかない、かつ最も思慮ぶかい友人数人を選び出したまえ、 そして君とわしの両方の言い分を聴いて、判決を下してもらおう。 もし万が一にも直接にせよ間接にせよ、予のこの手が、 もし汚れているとわかったら、予の王国をそっくり進呈しよう、 予の王冠、予の命、その他予の所有となっているあらゆるものを その償いとして差し出そう。しかし、もしそうでなかったら、 このところはこらえて、わしの言うことに耳を傾けてほしい。 ともに力を合わせて、君が心の底から満足がゆくように

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大いに骨を折ろうではないか。 【レイアーティーズ】 そのように願いたい。 父のあの無惨な最期、粗末きわまる葬儀のやり方…… 遺骸を飾るべき碑銘もなく剣もなく、また紋章もなく、 立派な儀式もなければ、見るべき葬儀の盛大さもない すべてはあたかも天からの声のごとくに、あらゆる人の耳にとどけと叫んでいる、 何としても疑念を晴らさねばならないと。 【王】 ぜひともそうしてほしい。 そして過ちあるところには、大いなる罰の斧を振り下ろさねばならぬ。 さあ一緒に行ってほしい。〔退場〕 [#改ページ] 第六場 同じ場所 〔ホレイショウが従者を伴って登場〕 【ホレイショウ】 わたしに会って話したいと言っている連中は何者かね? 【従者】 船乗りどもにございます。手紙を持参しております。 【ホレイショウ】 通してくれたまえ。〔従者退場〕 もしこれがハムレット様からでないとすれば、 いったいどこの誰からなのか、皆目見当がつきかねる。 〔船乗りども登場〕 【船乗り一】 こきげんうるわしく存じ上げますでごぜえます。 【ホレイショウ】 お前もうるわしいようだね。 【船乗り一】 そうありたいものでごぜえます。ホレイショウ様で? そううかがって参った

のでごせえますが? ここに手紙をば持参いたしました……イギリスヘ向かわれた大使様からで

ごぜえます。 【ホレイショウ】 〔読む〕「ホレイショウ君、この手紙を読んだら、この連中が王に近づけ

るよう、何とか方法を講じてほしい。彼らは王宛の手紙を持っているのだ。海に出て二日とた

たぬうちに、十分な戦闘装備の海賊船が追跡して来た。われわれの船あしはおそいとわかった

ので、見せかけだけの勇気をふりしぼって、引っ掛けカギで海賊船を引き寄せ、ぼくはそれに

乗り移った。とみる間に海賊船はわが船から引き離されたために、ぼく一人だけが捕虜になっ

てしまった。海賊どもは情けを知る義賊よろしく、このぼくを厚遇してくれた。実は彼らとて

も、そうしておけば、ぼくがお返しをしないではおかないことを、十二分に知っているのだ。

ぼくが王に送った手紙がぜひとも王の手に渡るようにしてくれたまえ。そして君はあたかも死

に神から逃げ出すようにできるだけ速く、ぼくのところへ飛んできてほしい。君の耳に入れた

い話があるのだ、それを聴いたら必ずや君も唖然とするだろう。だが、事の重大さを大砲の口

径にたとえれば、言葉という弾丸はまだまだ軽量すぎる。この連中が君をぼくのいるところへ

案内してくれるだろう。ローゼンクランツとギルデンスターンはイギリスヘ向かっている。こ

の両人については君に話すことがたくさんある。ごきげんよう。君の腹心の友、ハムレットよ

り」 さあこの手紙が宛名に届くように、さっそくに取り計らうこととしよう。 手っ取りばやくすませるのだぞ、それからこのわしを、 お前が手紙を運んであげたその張本人のところへ案内するのだからな。〔退場〕 [#改ページ] 第七場 同じ場所 〔王およびレイアーティーズ登場〕 【王】 さてこれで君は良心に誓って、わしの無実を認めてくれなくてはならぬ、 そして君の心の奥底に、味方としてのわしの存在を銘記しておいてくれ、 君のあの立派なお父上を殺してしまったその張本人が、 このわしの命を狙ったと聞けば、聡明な君のことだ、 事の真相はわかったことと思う。 【レイアーティーズ】 はっきりしたようです、だがおっしゃってください、

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いったいなぜこのような乱行を、告発もせずに放っておかれるのですか、 罪の性質はまことに兇悪、まさに死罪によって罰せられるべきもの、 陛下のご安泰、御稜威《みいつ》、ご賢慮その他いかなる点から考えましても さよう処置されるが当然と考えられます。 【王】 いや、二つの特別な理由があるようだ。 それは君にはまことに薄弱な理由と見えるかもしれないが、 わしにとっては強力なものだ。あれの母親の王妃は、 あれの顔を見ないでは生きてゆけないのだ。そしてこのわしにとっては…… それがわしの美点であるか、それとも天罰であるかは知らないが、 妃《きさき》はわしの命、わしの魂と一心同体となっているのだ、 つまり、星がその軌道を離れては運航することができないと同様に、 わしは妃を離れては生きてゆくことはできないのだ。もう一つの動機、 あれを公に告発することをさし控えているもう一つの理由は、 一般大衆があれに対していだいている大きな愛情だ。 彼らはハムレットの欠点・弱点を、その愛情に浸しきってしまっている。 その愛情は、投げこまれた木をすべて石に化するあの化石泉同様に見境なく 足かせも、あれがつければ身の誉れと考えるのだ。だからこのわしが、 たとえキャシャな出来の矢を放ったとしても、この騒がしい風の中では、 必ずやまた元の弓のところへ戻ってくるに決まっているのだ。 狙った目標に的中することなどは、万が一にもあり得ない。 【レイアーティーズ】 つまりかくして、このわたしはりっぱな父親を失《な》くすにいたり、 妹は絶望の果てに追いこまれてしまったというわけだ。 妹の価値は、もし以前にさかのぼって責めることができるなら、 こんなりっぱなのがまたといるかと、高い所から、あらゆる時代に向かって、 永久に挑戦することができるのだ。かならず復讐してみせるぞ。 【王】 そのために安眠をさまたげられるようなことがあってはならぬぞ。 予は危険が身に迫り、敵にひげを引っ張られるほどになぶられても、 しかもそれを冗談だと思うほどにまぬけで、ふぬけだなどと、 金輪際思ってはならぬぞ。どうなることか、近くわかることだ。 わしは君の父親を愛した、そして予自身を大事にしている。 そう言えば君は容易に想像がつくと思うのだが…… 〔一人の使者登場〕 おいどうした! 何事だ? 【使者】 陛下、ハムレット様からのお手紙でございます。 これが陛下宛、これが王妃殿下宛でござりまする。 【王】 ハムレットからだと! 持ってきたのは何者だ? 【使者】 船乗りだということでございます。私めが会ったわけではございません。 クローディオから手渡されました。彼が手紙を運んだ者に会い、 それを受け取りました次第にございます。 【王】 レイアーティーズ、聞いておれ。お前は退《さが》れ。〔使者退場〕 〔読む〕「最高にして全能なる国王陛下、私が裸一貫でご領地内に上陸いたしましたことを、こ

こにお知らせ申し上げます。明日ご尊顔を拝したてまつりたく、なにとぞおゆるしを得たく存

じます。その節、まず陛下のおゆるしを得た上で、私のこの度の突然の、而《しか》してそれ

以上に奇怪千万な帰還に関する委細申し上げたく存じます。ハムレット」 いったいこれはどういうことだ? 他の者も全部戻ったのだろうか? いや、何かの間違いだろう、根も葉もないたわけごとに違いない。 【レイアーティーズ】 筆跡はおわかりですか? 【王】 まちがいなくハムレットのものだ。「裸一貫で」! そしてここ二伸には「一人で」と書いてある。 これはどういうことだろう? 【レイアーティーズ】 私には見当がつきかねます。が帰ってくるがいい。 この世で、彼に面と向かって「こうしたのだ、お前は」 と言えると思えば、わたしの胸の中のこの痛みも

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これで暖められる。

【王】 もしそうだったら、レイアーティーズ…… いやそんなことがあり得るだろうか? いや、やっぱりそうかな? わしの言う通りに動いてはくれまいか? 【レイアーティーズ】 承知いたしました、陛下。 ただ私を説得して和平を結べとおっしゃるなら、話は別でございます。 【王】 君自身と和平を結べというのだ。所定の航路を離れて、 かくして国に帰り、もう二度と航海に出るつもりはないというのなら、 じつはいま、わしが心の中でじっくりと熟させている計画なのだが、 ある一つの手柄仕事にあれが加わるように働きかけようと思う。 その計画の下では、あれは必ずや倒れざるを得ない。 しかもあれの死に対して非難の声が上がるようなことは絶対なく、 あれの母親さえもそれを咎《とが》めることは相ならず、 不慮の椿事《ちんじ》と言わざるを得ない。 【レイアーティーズ】 陛下、お言葉通りにいたしまする。 そのご計画、この私めをお使いくださるようご配慮いただければ、 私にとってはなおいっそうの喜びにござりまする。 【王】 それこそ願ってもないことだ。 君は旅に出て以来、じつによくうわさ話をたてられている。 しかもそれは全部ハムレットの耳にはいっている。そのうわさでは、 君はある技芸に特に秀でているということだ。君の持ち合わせている その他の才能全部を合計したって、おそらくはあれほどまでには ハムレットの妬《ねた》みを買うには至らなかったろう。わしの考えでは、 価値の順番はきわめて低いものだと思うが。 【レイアーティーズ】 その技芸というのは何でこざいましょうか? 【王】 まさに若者が帽子につけているリボンというところだ。 もちろんそれも必要なものではある。若者に似合いなのは、 連中が身につけている軽快にして無造作ないでたち、 ちょうど、落ち着いた年配には余裕と威厳とを示す テンの毛皮の装束が似合いのように。二月《ふたつき》ほど前のことだが、

ノルマンディーのさる紳士がここに見えた…… わし自身フランス人にはずいぶん会ったし、また彼らと戦ってもいるが、 彼らはまことに馬術に長けている。が、この伊達男ときたら、 まるで馬の魔術師だ。まるで馬に根が生えたような男だ。 この男が馬を自在に駆使してみせるその技《わざ》は、 まるで自分自身がそのすばらしい馬と一心同体になり、 馬の本性の半ばをばゆずり受けたかのようだ。ことほどさように、 その男はわしの意表をついた。彼の演じた演技の数々は、 わしにはとうてい描き出すことはできない。 【レイアーティーズ】 ノルマン人でしたか? 【王】 ノルマン人だった。 【レイアーティーズ】 ではラモンに違いありません。 【王】 まさにその通り。 【レイアーティーズ】 彼ならよく知っております。全フランス国民の華、 全フランス国民の宝石であります。 【王】 その彼が君の実力を認めたのだ。 防御法における君の理論と実践とに関し、 君の方法が世にも卓越しているとレポートしたのだ、 特に君の細身の技術について。 彼は断言したぞ、君と太刀打ちできる相手がいるなら、 それこそ大変な見物《みもの》だと。フランスの剣士どもも、 もし君が立ち向かえば、基本動作も防御の姿勢も、 眼も何もかもがまるでだめだということだ。そこでレイアーティーズ君、

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この話を聴いたハムレットは、全身これ嫉妬のかたまりとなり、 ただひたすらに君がにわかに帰国し、君と剣をまじえることを 乞い願うばかりと相なった次第なのだ。

さて、このことから…… 【レイアーティーズ】 このことから何でございましょうか、陛下? 【王】 レイアーティーズ、君の父親は君にとって大事だったんだろう? それとも君の悲しみは心のこもらぬ上べだけのもの、 絵に書いた悲しみにすぎないものなのか? 【レイアーティーズ】 なぜそのようなことをお尋ねに? 【王】 このようなことを尋ねるのは、君が父親を愛さなかったと思うからではない。 愛情が始まるのは「時」だということを知っているが、愛情というものの 光と熱とを冷ますものもまた「時」だということを、 これまでの世間での実際の経験からわしはよく知っているからだ。 ほかでもない、愛情という焔自身の中にそれ自体の力を弱める 燈芯《とうしん》または燃えカスのごときものが存在しているのだ。 良好な状態を常に同じように保てるものは何もない。 良好なものもあまり多いと、水のたまり過ぎた肋膜炎同様、 たくさんあり過ぎて自らの命を絶つことになる。したいと思ったことは、 「したい」と思ったときにぜひ「やるべき」だ。「したい」の気持はよく変わる。 他人の言葉、行動、もろもろの外部の出来事に遭《あ》うたびに、 その「したい」の気持は、あるいは減少し、あるいは遅延するのだ。 そうしたあげくの果てのやるべきは、いわば浪費屋の溜息のごときもの、 一応は病人を楽にはするが、結局はだめにする。が、要点に戻ろう。 ハムレットは戻って来た。君が亡き父親の息子であることを、 言葉よりもむしろ行動で示すために、君はあえて 何をしでかそうとしているのか? 【レイアーティーズ】 教会内であろうと、きやつの喉をカッ切りたい。 【王】 そうだ、人殺しに聖域などあろうはずがない。 こと復讐となれば、場所などを選んではおれない。だがレイアーティーズ君、 こうしてはくれまいか、君の部屋に閉じこもっていてほしいのだ。 帰国したハムレットはやがて君が帰国したことを知らされるだろう。 わしは君の卓越した技能をほめちぎっている連中を、さらにけしかけることにする。 そして例のフランス人が君に与えた栄誉がもっと光るように、 二重・三重の上塗りをしてやろう。要するに、君ら二人を試合させ、 そして君ら二人のいずれかに賭けるのだ。あれは根が無頓着で、 無類のお人好し、策略などは微尽《みじん》も弄さぬほうだから、 試合用の細身などはよもや検《しら》べまい。したがっていとも簡単に、 もしくはちょっと細工をするだけで、試合用のなまくらでない 実戦用の細身を君は選び出せる。それをもって、巧みの一撃で、 君は父の恨みを存分に晴らせるのだぞ。 【レイアーティーズ】 ぜがひでもそういたします。 そしてさらにそのために、わたしの剣には薬を塗っておきましょう。 じつは、あるいかさまの薬行商人から、ある塗り薬を買いました。 これが大変な猛毒で、その中にナイフをちょっと浸しただけで、 それが血を吸うところ、いかに天下稀なる名薬も効き目はさらにありません。 たとえそれが、月の夜に効き目明らかなあらゆる薬草から集められた どんな名薬であっても、その毒でちょっとかき傷を作りさえすれば、 もうそのものの命を救うことはできません。私の剣の切っ先を、 この猛毒で一塗りしておけば、たとえかすり傷を負わしたとしても、 それは死を意味します。 【王】 このことについてはなおよく考えよう。 いつ、いかなる方法によるのか、われわれが演じようとするこの役柄に、 最も適しているかを比較|考量《こうりょう》してみよう。もし万一これが失敗したり、

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われわれの意図が愚劣な所作を通して見透かされたりするくらいなら、 初めから手をつけぬほうがよい。つまりこの計画は援軍・二軍が 絶対必要だ。万が一にもこれがテスト中に爆発しても、 断固持ちこたえられなければならぬ。待てよ! そうだ、 予は表向きには君ら双方の手練《しゅれん》に賭けることとしよう。 いい考えがある! 君らは立ち回りをすれば熱くなり、そのうち喉が渇くだろう……

ぜひそうなるように、どのラウンドも烈しく攻めたててほしいのだが…… そうすればあれが何か飲物を所望するに決まっている。そのときに備えて、 わしは大杯を準備させておこう。それを一すすりしてくれさえすれば、 たとえあれがたまたま君の毒の一撃を免れ得たとしても、 われわれの計画はそれで完全に持ちこたえられるのだ。だが待てよ、あの物音は? 〔王妃登場〕 どうしたのだ、妃《きさき》よ。 【王妃】 あたかも一つの悲しみが他の悲しみに踵《くびす》を接するように、悲しみは引っ

切りなしに続くのです。レイアーティーズ、あなたの妹さんは溺《おぼ》れ死んでしまいまし

た。 【レイアーティーズ】 溺れ死んだ! おお、どこで? 【王妃】 鏡のような水の面《おも》に白髪色の葉を映している 小川に沿って、一本の柳の木が生えています。 そこへ風変わりな花束を持って、あの人は参りました。 きんぽうげ、いらくさ、ひな菊、それにみだらな羊飼いらは もっと野卑な名前で呼んでいますが、わが清らな乙女たちは、 「死人の指」と呼んでいるむらさきの花などを手に持って。 そして垂れ下がった小枝にその花の冠を懸けようと、 やっとのことでよじ登ると、意地の悪いその枝は折れてしまい、 花環もろとも、あの人自身も、さめざめと泣く小川の中へ、 どうと落ちてしまいました。裳裾《もすそ》が広く広がって、 ちょうど人魚のようになって、しばらくは彼女を水面に浮かせておりました。 そのあいだあの人は昔の歌のきれぎれを、しきりと口ずさんでおりました。 あたかも自分自身の苦しみは、ほんの少しも感じないかのように、 自然に水に住み水の性と合っているもののように。 だがそのままで、いつまでもいることはできませんでした。 やがて衣装は水を含んで重くなり、 楽しく歌うあのかわいそうなお人を、川底の死の泥の中へ 引きずりこんでしまいました。 【レイアーティーズ】 ああ、それで、あとは溺れてしまったのですか? 【王妃】 溺れてしまいました、溺れてしまいました。 【レイアーティーズ】 かわいそうなオフィーリア、お前は水を見るのもいやだろうから、 もうおれは涙を流すまいと決心はするのだが、涙はとめどなく流れてしまう。 こればかりはどうにもならぬわれわれの習慣、天然自然の法則だ。 ええ、ままよ! 涙なんか出たいだけ出たらいい! 出つくしてしまえば、 そのときには女々《めめ》しい気持も消え失せるだろう。では陛下、失礼いたします。 私の心の中の火の言葉、めらめらと燃え上がりたいのですが、 この愚かな涙めがそれを溺れさせてしまうのです。〔レイアーティーズ退場〕 【王】 あれの烈しい怒りを静めるために、なんと骨が折れたことか! これでまたあれの怒りが再発するのではないかと気がかりだ。 だから後をつけよう。〔退場〕 [#改ページ] 第五幕 第一場 エルシノア 墓場

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〔くわとつるはしを持って二人の道化登場〕 【道化一】 あの女は自分で勝手に死んでいったのに、キリスト教徒としての埋葬をしてやる

のかね! 【道化二】 そうともさ。だからこれからすぐにあの女の墓を掘るんだ。検死官がその女を調

べて、キリスト教徒の埋葬をしていいと決めたんだ。 【道化一】 そんなことってあるもんか、あの女が「自己防衛」で溺れ死んだっていうならと

にかく。 【道化二】 だって、検死の結果そうなっちまったのさ。 【道化一】 そいつぁきっと「自己攻撃」ってやつだな。それにちがいねえ。つまりこうだ。

もしおれが承知の上で溺れ死んだとすりゃ、それはある行動をとった事にならあな。ところで

行動ってやつは、三つの部門に分かれるんだ。つまり行動する、おこなう、実行するというこ

とだ。「しかるがゆえに」彼女は勝手に溺れ死んだんだと言えるんだ。

【道化二】 まあ、聞いてくれよ、相棒…… 【道化一】 おれの言うことを聞いてくれ。ここに水がある、いいかね。ここに人間が立って

いる、いいかね。もしその人が水の所へ行って身投げをすりゃ、こりゃ、どうでもこうでも自

分で進んでやったことになる……いいかね。しかし水のほうが人間の所へやって来て彼を溺らせ

たとなりゃ、この人間は身投げしたことにゃならないだろう。「しかるがゆえに」、自分自身

の生命を絶つという罪を犯してない奴は、自分の生命をちぢめたことにゃならねえんだ。 【道化二】 法律ってそんなもんかね。 【道化一】 そうとも、まったくそんなもんさ。これが検死の法律さ。 【道化二】 ほんとのことを知りてえかね? もしこの女が身分のある女でなかったら、キリ

スト教の埋葬なんか、とてもじゃねえが無理というもんだ。 【道化一】 まったくその通りだ。家柄が古いとくりゃあ、身投げをするにしても首をくくる

にしても、ただのキリスト教徒よりぐええがいいとはまったく困ったもんさ。さあ、どっこい、

もう一ちょう掘るか! 庭師や土方、墓掘りが一番だ。みんなアダムの商売をつづけているん

だからな。 【道化二】 アダムって人はそんなにりっぱな家柄だったんかね。 【道化一】 アダムは最初に紋章《アームズ》を持ってたお人だ。 【道化二】 いいや、それは違う。 【道化一】 おや、お前は異教徒かい? 聖書をどんな読み方しているんだ。聖書にちゃんと

書いてあるぜ。「アダムは掘れり」ってな。腕《アームズ》がなくて掘れるかい? お前にも

一つ聞いてみるぜ。これがちゃんと答えられなけりゃ、ざんげでもなんでもして…… 【道化二】 なんだと! 【道化一】 石屋や、船大工や、大工よりも、もっとしっかりしたもの建てるのは誰だ? 【道化二】 そりゃ、絞首台を建てるやつさ。千人も店子《たなこ》が変わっても、まだしっ

かりしたもんさ。 【道化一】 そいつぁ気に入った。なるほど絞首台はいい。いいったってそれが何にいいん

だ? 悪いことをした連中に思いしらしてくれるためにか? だが教会より絞首台のほうがしっかり

してるとぬかすてめえなんぞは、まさにその悪いやつだ。「しかるがゆえに」だ、絞首台はお

前なんぞには最高にいいってことになる。さあ、もう一度やり直しだ。 【道化二】 「石屋や、船大工や、大工よりも、しっかりしたもの建てるのは誰だ」っていう

のかね。 【道化一】 そうだとも、すぐ答えられりゃ、休んでもいいぞ。 【道化二】 おっと、わかったぜ。 【道化一】 言って見ろよ。 【道化二】 はて、やっぱりわかんないや。 〔遠くはなれた所にハムレットとホレイショウ登場〕 【道化一】 もうそんな事に頭をなやますのはやめたほうがいいぜ。阿呆な馬はいくらたたい

たって早く走りっこねえ。だが、こんど聞かれたら、「墓掘りだ」って答えろよ。墓掘りの建

てる家はな、最後の審判の日までもつてえもんだ。さあ、あっちへ行って酒びん一つとって来

い。 〔道化二退場。道化一、掘りながら歌う〕

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[#ここから1字下げ] 「若いときには、ほれた、はれた、 おもしろ、おかしく思えたもんだ、 暇をつぶすにゃよおお、 これが最上とよおお、思えたもんだ」 [#ここで字下げ終わり] 【ハムレット】 あいつは墓を掘りながらうたっているが、自分のやってることを何とも思っ

ていないのだろうか? 【ホレイショウ】 習慣であんなにのんきになってしまったのでしょう。 【ハムレット】 まさにその通りと思う。あまり使わない手のほうが鋭い感覚をもつというか

らね。 【道化一】 〔歌う〕 [#ここから1字下げ] 「しのび足して、よる年波が おいらをがっちりつかまえて、 とうとう運んだこの土へ 昔の若さはどこへやら」〔頭がい骨を投げ上げる〕 [#ここで字下げ終わり] 【ハムレット】 あの頭がい骨だって、かつては舌があって、歌うことができただろうに。あ

の男はそれをまるで人殺しの祖先のカインのあご骨みたいに、地面にたたきつけてるじゃない

か? あの骨は今じゃこんなとんまな奴が平気で手玉にとっているが、かつては神をさえ手玉

にとった策士のものであるかもしれない。 【ホレイショウ】 そうかもしれません。 【ハムレット】 それとも宮廷につかえた者の骨かな。「お早うございます、殿下、ごきげん

はいかがでいらっしゃいますか、殿下」などと言っていたのかもしれない。あるいは、なにが

し殿の馬がほしいばかりに、その馬をほめそやしたなにがし殿の骨かもしれないな。 【ホレイショウ】 さようでございますね。 【ハムレット】 きっとそうだ。そして今は完全に蛆虫姫の想いものだ。あごなしになって、

墓掘りにくわで脳天をたたかれている。もしわれわれに見る目があるなら、えも言われぬ有為

転変《ういてんぺん》の姿がここにある。いったいこれらの骨は、棒遊びに使われるためだけ

に育てられてきたとでもいうのか? それを考えるとこの胸がいたむ。 【道化一】 〔歌う〕 [#ここから1字下げ] 「つるはし一丁に、くわ一丁、 それにおまけがきょうかたびらよ、 掘った泥穴がよおお、 こんなお客にゃ似合いってもんだ」 [#ここで字下げ終わり] 〔もう一つ頭がい骨を投げ上げる〕 【ハムレット】 また一つだ。こんどは法律家の頭がい骨かも知れないな。彼のあの大げさな

表現はどこへ行ってしまったのか。彼のへ理屈は、彼の事件は、彼の所有権は、そして彼のご

まかしはどこへ行ってしまったのだろう? なぜこのようなげすな男のなすがままに、どろま

みれのシャベルで脳天をたたかれても、なぜ殴打の訴訟も起こさないでじっとしているのだろ

う? ふん、さてはこの男、生きていたときには、差し押さえ証書や、条件履行の承認書、な

れ合いの譲渡証書や、二重証人や、名義変更などの手段を使って、しこたま土地を手に入れて

いたな。彼のこすっからい頭は今じゃ細かい土で一杯だが、これが彼の譲渡証書の譲渡の結末、

彼の名義変更の変更の結果か? 彼の証人はもう彼の土地買い入れにも証人にはなってくれな

いのか? 二重証人も、ただ一対の割り符だけの役にもたたないのだろうか? その土地譲渡

証書だってこの容れ物にははいりはしない。ゆずり受けた当の本人がこんなものになってしま

った今では。 【ホレイショウ】 まったくでございます、殿下。 【ハムレット】 証文は羊皮紙でつくるのかね? 【ホレイショウ】 そうでございます、牛の皮でもつくりますが。

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【ハムレット】 そんな証文に確認と安心を求める奴らは、羊や牛のようなものだ。この男に

話してみよう。おい、これは誰の墓かね? 【道化一】 あっしのでさあ。〔歌う〕 [#ここから1字下げ] 「掘った泥穴がよおお、 こんなお客にゃ似合いってもんだ」 [#ここで字下げ終わり] 【ハムレット】 なるほどお前のだろう。お前がそこにはいってるのを見ると。 【道化一】 だんなは外にいなさる。だからこれはだんなのじゃないね。あっしはこの中には

いるつもりはありませんがね、だんな。でもこれはあっしの墓でさ。 【ハムレット】 お前はその中にいて、しかもそれがお前のものだと言っているが、それは嘘

だ。墓というものは死んだ者のためで、生きているもののためじゃないのだから、お前は嘘を

言っていることになる。 【道化一】 すばやい一本! またまただんなの番でさあ。 【ハムレット】 だれの墓をほっているのかね? 【道化一】 どんな男のでもないんでさ。 【ハムレット】 どんな女のだね、それじゃ? 【道化一】 どんな女のでもないんでさ。 【ハムレット】 だれがそこに埋められるのかね? 【道化一】 前にゃ女だったものだよ、だんな、だけど……彼女の魂よ安らかに眠れ!……その女

は死んじまっただ。 【ハムレット】 なんとはっきりものを言う奴だ! われわれは用心して正確に話さねばなら

ん。さもないとたちまちあげ足をとられてしまう。たしかに、ホレイショウ、この三年という

もの、ぼくは気がついているんだが、とげとげしい時代になったものだ。百姓の爪先が宮廷人

のかかとのあかぎれをつっついているのだ。何年くらい墓掘りをやっているのかね? 【道化一】 一年は三百六十五日ある中で、よりにもよって前のハムレット王様がフォーティ

ンブラスにお勝ちなさった日からやっておりますだ。 【ハムレット】 それからどのくらいになるかな? 【道化一】 だんなにはそれが数えられないんですかい? どんな阿呆だって言えますぜ。あ

のハムレット王子様がお生まれなさったその日ですだ。気が狂ってイギリスヘ送られなさった

あのハムレット王子様ですがな。 【ハムレット】 ああ、なるほど、だが王子はなぜイギリスヘ送られたのかね? 【道化一】 そりゃ、気が狂ってしまわれたからさ。あちらでなら正気になりなさるだろうて

んでね。もしおなおりなさらんでも、あちらでなら、別にどうってことないからね。 【ハムレット】 どうして? 【道化一】 あちらじゃ目立ちっこありません、あちらじゃみんながあのくらい気が違ってま

さあ。 【ハムレット】 どうして王子は気違いになったのだね? 【道化一】 それがとても妙なんだそうで。 【ハムレット】 どういうふうに妙なのかね。 【道化一】 頭がおかしくなったんで。 【ハムレット】 原因はどこにあるのかね? 【道化一】 デンマークにきまってまさあね。あっしゃ子供のときから大人になるまでずっと

ここで墓掘りしてますがね。 【ハムレット】 土の中で人間がくさるまでどのくらいかかるかね?

【道化一】 そりゃ、もし死なないうちからくさっているんでなけりゃ……このごろはほとんど

埋めるまでもないような、梅毒のカサがいっぱいできている死体が多いからね……まあ、八年か

九年ぐらいもちまさ。なめし革屋なら九年はだいじょうぶもちますだ。 【ハムレット】 なぜ、ほかの者よりも長くもつのかね? 【道化一】 そりゃ、だんな、やつの皮は商売がらよくなめされているからでさ。ながいこと

水をはじきますだ。そしてな、この水ってやつが、死体をひどくくさらせるんでさ。このしゃ

れこうべは二十三年間土の中にはいっていただよ。 【ハムレット】 だれのかね?

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【道化一】 気違いじみたやつのさ。だれのだと思いなさるかね? 【ハムレット】 わからんな。 【道化一】 気違いで、ならず者のあの野郎め、疫病でもふりかかってくたばっちまえ! あ

いつは昔、わしの頭にぶどう酒を一びんぶっかけやがった。このしゃれこうべは、だんな、ヨ

リックだ。あの王様の道化師の…… 【ハムレット】 これが? 【道化一】 そうですともさ。 【ハムレット】 ちょっと見せてくれ。〔頭がい骨を手に取る〕ああ、かわいそうなヨリッ

ク! ぼくはあの男を知っていたよホレイショウ、すばらしい思いつきで、とめどもなくじょ

うだんを言うやつだった。彼は何千回となくぼくをおんぶしてくれたものだった。今それを想

像してもぞっとする。考えただけで胸がわるくなる。ここにぼくが何度となくキスしたあの唇

があったのだ。お前の皮肉なじょうだんはどこへ行ったのだ? お前の道化踊りは、お前の歌

は、お前のあのテーブルの人たちみんなをどっと笑わせる陽気な警句はどうした? お前はそ

の歯をむき出した表情を自分で皮肉ることもできないのか? げっそりとあごをつき出してし

まっているではないか? さあご婦人方の部屋へ行って、一インチほどの厚化粧をしたって、

結局はこんな頭になるのだと言って、笑わせてやれ。ホレイショウ、一つ教えてくれないか? 【ホレイショウ】 何でしょうか。 【ハムレット】 アレクザンダーも土の中ではこんなになったのだろうか。 【ホレイショウ】 その通りです。 【ハムレット】 そしてこんな臭いがしたのか? ペッ!〔頭がい骨を下におく〕 【ホレイショウ】 まさにその通りです。 【ハムレット】 人間の末路など、なんともあさましいものなのだ、ホレイショウ! 想像を

たどればあの高貴なアレクザンダーの遺骸《いがい》も、結局は樽《たる》の口をふさぐ泥の

栓くらいのものだ。 【ホレイショウ】 それは少々思いすごしのように存じますが。 【ハムレット】 まことに穏当にして事実に近い推測といえるのだ。アレクザンダーは埋めら

れた。アレクザンダーは土にかえった。土は泥だ。われわれは泥で粘土をつくる。彼が変化し

た粘土が樽の栓にならないとは限らないじゃないか。 帝王たるシーザーも死して粘土と化し 風をよけるための穴ふさぎにもなろう…… かつては世の中をおそれさせたその土くれが 今、冬の風をふせぐために壁の穴をふさぐとは。 しっ、まてよ! まてよ、しずかに! 王がやってくるぞ。 〔僧たちが行列して登場。オフィーリアの遺骸の後にレイアーティーズや哀悼者大勢、王、王妃

とその従者たち〕 王妃と宮廷の人たちがやってくる。彼らが送って来たのは誰だ? あんな半端な儀式で? これはどうやら 送って来たその死者が自暴自棄になって 自殺したものらしい。見たところ身分が高い者のようだ。 しばらくかくれて見ていよう。〔ホレイショウとともにかげに退く〕 【レイアーティーズ】 ほかに儀式はもうないのですか? 【ハムレット】 あれはレイアーティーズ! りっぱな若者だ、よく見ていたまえ。 【レイアーティーズ】 ほかに儀式はもうないのですか? 【牧師】 ご葬儀は教会の許すかぎりはりっぱに とり行ないました。ご死因にうたがわしい所がありますので、 教会の規則をもまげよとの陛下の大命がございませんでしたら、 教会の墓地でないところに、清められもせずにほうむられ、 最後の審判の日まで埋められるはず、手向《たむ》けのお祈りの代わりに 瀬戸かけや、石や、小石などがご遺骸の上に投げられたかもしれません。 ところがこのたびの埋葬には、乙女の花環も許され、 花を墓にまくことも許され、永遠のいこいの家ともいうべき墓に、 葬送の鐘とともにご埋葬いたしますのでございます。 【レイアーティーズ】 これ以上には何もしてはならないのか?

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【牧師】 なりませぬ。 心静かに死んだ者と同様に、鎮魂のミサ曲をうたったり 死後の平安を祈ったりいたしますなら、私どもは 葬儀の神聖をおかすことになります。 【レイアーティーズ】 埋めてください。 彼女《あれ》の美しいけがされぬ肉体からめばえて すみれの花よ咲け! おお、情けしらずの牧師! お前が地獄でのたうちまわっているときに、妹はきっと、 神につかえる天使になっているぞ! 【ハムレット】 なに、オフィーリア! 【王妃】 きれいなオフィーリアにはきれいな花を。さようなら!〔花をまきちらしながら〕 わたしはお前が息子ハムレットの妻になればよいと願っていた。 オフィーリア、お前の花嫁の床《とこ》を花でかざろうと思っていたのに、 今、お前の墓に花をまこうとは! 【レイアーティーズ】 おお、三重の不幸が、 三十倍にもなって呪われたあの男の頭上にふりかかるように! きやつの悪行がお前のいとも正常な心を お前から奪い去ってしまったのだ! しばらく土をかけるのを待ってくれ! もう一度この胸に妹を抱きしめるまで。〔墓の中にとび込む〕 さあ土を、生きる者にも死者にもともにかけてくれ。 この平地に土の山をつくり上げるまで、 あのピリオンの山々よりも高く、青色のオリンパスの 空にそびえる頂きよりも高い山を。 【ハムレット】 〔進み出て〕何者だ、そのようにはげしく泣き悲しんでいるのは、 悲しみの言葉が空めぐる星どもをも呪文でしばり、 あまりの驚きにぼう然と立ちすくませてしまうほどに、 はげしく泣き悲しんでいるとは! われこそは、 デンマークの王子ハムレットだ!〔墓の中にとび込む〕 【レイアーティーズ】 おのれ、地獄におちてしまえ! 【ハムレット】 そんな祈り方はないぞ。 さあ、お前の手をこの喉からはなせ! おれは怒りっぽくもないし、むこうみずな事もしないが、 あまり怒らすと、何をするかわからないぞ! よくよく慎重にしろ! さあ、手をはなせ! 【王】 彼らを引き分けろ! 【王妃】 ハムレット、ハムレット! 【一同】 お二人ともどうか! 【ホレイショウ】 ハムレットさま、お静まりください!〔従者たち彼ら二人を引き分ける。

二人は墓穴から出る〕 【ハムレット】 このことだけはおれは徹底的に彼と争う気だ。 おれのまぶたが動いているかぎりは。 【王妃】 ハムレット、このこととは? 【ハムレット】 わたしはオフィーリアを愛していた。四万人の実の兄だって、 その愛情のすべてを注いでも、このわたしほどには 愛することはできるものか。お前はオフィーリアのために何をしようというのか? 【王】 彼《あれ》は気違いなのだ、レイアーティーズ! 【王妃】 お願いだから、彼をほっておいてください。 【ハムレット】 さあ、どうしようというんだ、やってみせてくれ! 泣くというのか? 戦うというのか? 断食するというのか! 自分の着物でも裂くというの

か? それとも酢でもたっぷり飲むというのか? ワニでも食うというのか? おれだってそのくらいのことはできるぞ。まさかめそめそ泣くために来たのではあるまい。 墓の中にとびこんで、このおれに恥をかかせるという気か!

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生きながらお前の妹と一緒に埋められてしまえ! おれだっていっそ埋もれてしまいたいの

だ! おまえは大声で山がどうのこうのとわめきたてたが、その山がこのおれの上にも 何百万エーカーもの土をどんどんと積み重ね、 その頂きがしまいには太陽の軌道に近づいて焼けてしまうほどに、 あのそびえ立つオッサの山をイボほど小さくしてしまうまで積み上げろ! おれも負けずに大げさにわめいてやるぞ。 【王妃】 すっかり狂っているのです。 こんな発作がしばらくはとまらずつづいて起こっているのです。 でもすぐにおさまり、ちょうど雌鳩《めばと》が金色のひなを じっと辛抱して抱いているときのように静まって あの子は黙ってしまいます。 【ハムレット】 ねえ、聞いてくれ。 なぜ君はこのぼくにこんな仕打ちをするのだ? じつはぼくは君が好きだった。でもそんなことはどうでもいい。 勇猛果敢なハーキュリーズにはすきなことをさせておくがいいのだ。 猫は勝手になかせろ、犬は好きなようにのさばらしておけ。〔退場〕 【王】 ホレイショウ、たのむ、あれの面倒を見てくれ。〔ホレイショウ退場〕 〔レイアーティーズに〕昨夜の話をよく考えて、ここはがまんしておいてくれ。 わしはすぐにもすべての事を運ぶことにしよう。 ガートルード、息子には見張りをつけておく必要があるぞ。 この墓には永遠に残るような記念碑を打ちたてることとしよう。 静かなる平和のときが、やがて訪れることであろう。 それまではじっと辛抱して、事を運んでゆかねばならない。〔一同退場〕 [#改ページ] 第二場 城中の広間 〔ハムレットとホレイショウ登場〕 【ハムレット】 このことについてはこれだけだ。ところでまだほかにあるのだ。あのときの

くわしい事情を君は覚えているだろうね? 【ホレイショウ】 覚えているかですって? 殿下! 【ハムレット】 じつはぼくは何だかわけもわからず胸さわぎがして、 どうしても眠れなかった。どうやら 足かせをはめられた謀反人よりも、

ずっとひどい状態におかれているようにおもわれた。向こうみずにも…… 向こうみずが時にはかえってさいわいするものなのだが……そして 深く考えて仕組んだ計画がかえって失敗に終わってしまうのだ。 われわれが分別もなく計画しても、結局すべての仕上げは 神のお思召し通りだと教えられるのだ。 【ホレイショウ】 まったくその通りでございます。 【ハムレット】 船室からぬけだして 船乗りのきるガウンを羽織り、暗やみの中で ぼくは手さぐりで王の親書をさがし、ついに目的を達した。 その包みを手に入れたのだ、そしてそれをしっかりつかんで、 自分の船室へもどっていった。そして大胆にも、 いやむしろ不安のあまり、つい我を忘れて王の親書の 封をきってしまった。ところで、ホレイショウ、そこに何が書いてあったと思う? おお、じつにおどろくべき王の奸計! 王の命令書だった…… まことしやかにあれこれと理由を書きつらね、 これまでにぼくが犯した、かくかくしかじかの罪によって、 デンマーク王とイギリス王の安全のためにも、 この書面一読次第ただちに、寸刻のゆうよもおかず、 さよう、斧をとぐ間も待たずに、

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わが首をうちはねろとの厳命。 【ホレイショウ】 とても信じられませぬ! 【ハムレット】 ここにその親書がある。暇をみて読んでくれたまえ。 さて君はぼくがそれからどうしたか聞きたいだろう? 【ホレイショウ】 どうかお聞かせください。 【ハムレット】 このように悪党どもにわなをしかけられて…… ぼくの頭の中では、ぼくがその前口上を考えだす前に、

もうすでに芝居ははじまっていたのだ……ぼくは机に向かって、 新しい親書をつくり、それをきれいな書体で清書した。 かつてはぼくも、多くの政治家たちと同じように、 りっぱな書体で書くなどというのはつまらないことだと考えていたのだ。 そしてせっかく覚えこんだ書き方をも、できるだけ忘れようとつとめた。 しかし今度はそれがとても役に立ったのだ。教えてやろうか、 ぼくが何を書いたか? 【ホレイショウ】 ぜひともお聞かせ下さいますよう。 【ハムレット】 王の熱意あふれた依頼状の形式にしたがって、ぼくは書いたのだ。 英国がわがデンマークの忠実なる属領であるならば…… 両国の友情が棕櫚《しゅろ》の木のごとく栄えることを欲するならば…… 両国の平和がつねに小麦の花環を頭につけて 両国の友誼《ゆうぎ》のきずなともなるべきであるならば、とか、 そのように大げさな「ならば、ならば」をいくつか重ねて、 この親書の内容を一読了解のその上は、 もはや一刻のちゅうちょをすることもなく、ただちに、 この親書を持参いたしたる者を、ざんげするいとまも与えずに、 即刻死刑に処せられたしと書いたのだ。 【ホレイショウ】 して、封印はどのように? 【ハムレット】 そう、その点でもまさに天の配剤があったのだ。 ぼくは財布の中に亡き父王の印を持ち合わせていた。 それはデンマーク国璽《こくじ》をうつしたものだったのだ。 ぼくはその書面を前の親書と同じようにたたんで、 署名をし、封印をし、替え玉であることは全然知られずに もとのところに置いておいた。さてその翌日は、 前に話した海での戦いだ。その結果についてはもうすでに 君もじゅうぶん承知のはず。 【ホレイショウ】 それでギルデンスターンとローゼンクランツとは哀れ、はかない最期をと

げることに? 【ハムレット】 そうとも、あいつらは自ら求めてこのことにほれこんでいったのだ。 だからぼくはあまり良心の苛責は感じていない。あいつらの破滅は、 卑屈にとり入ったために、われとわが身で手に入れたものだ。 強者《つわもの》どもが丁々発止と火花を散らしているときに、 なまじ身分のいやしいものが、入りこんで来ることは まことにもって危険千万だ。 【ホレイショウ】 ああ、王でありながら何たることを? 【ハムレット】 いまこそぼくは断固やらねばならぬ。そうだろう? わが父王を殺し、わが母を堕落させたやつ、 この国の王に選ばれるわが希望を妨害し、 その上、卑劣きわまる手段を弄《ろう》してこともあろうに、 予の命をば釣り上げようとたばかった悪徳漢、こんなやつを、 この手で倒すことこそ、まさにぼくの義務ではないか。そしてこんなやつを、 人類の敵をのさばらせて、害毒を流させることこそ 罪悪ではないだろうか。 【ホレイショウ】 まもなく、イギリス王から、どのように事が運んだかを 王の許へ知らせて来ると思います。

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【ハムレット】 さして時間はかかるまい。しかしそれまでの時間はぼくのもの。 人間の生命などは、「一本」という間におわってしまうのだ。 だが、ホレイショウ、ぼくはとても後悔しているのだ。 レイアーティーズに対してつい我を忘れた振舞いをしたことを。 というのはぼく自身も父を亡くし、彼の気持が よくわかるからだ。ぼくのほうから和解を申し入れよう。 あまり彼が大げさに悲しみを表現するのでついぼくも、 あのようにカッとなってしまったのだ。 【ホレイショウ】 しいっ! 誰か来たようです。 〔オズリック登場〕 【オズリック】 殿下のデンマークご帰還、まことにおめでとう存じます。 【ハムレット】 ご挨拶まことにかたじけない。〔ホレイショウヘの傍白〕この水蝿《みずば

え》を知っているかね。 【ホレイショウ】 〔ハムレットヘの傍白〕いえ、存じません。 【ハムレット】 〔ホレイショウヘの傍白〕知らなくてさいわいだ。知っていれば災難だ。こ

いつは土地をたくさん持っているのだ。よく肥えた土地をだ。こんなロバ同様のまぬけなやつ

でも、牛馬をたくさん持っていれば殿様で、自分のかいば桶を王様の食卓へ持ち込むことだっ

てできるというわけだ。こいつは阿呆鳥みたいなおしゃべりの物真似野郎だが、今も話したよ

うに持っている土くれときたら大したものさ。 【オズリック】 殿下、もしただ今お暇でいらせられますならば、陛下からのご伝言を申し上

げたいのでございますが。 【ハムレット】 心をこめて謹んでうけたまわるであろう。ところで帽子は正しく用いるがよ

い。それは頭にかぶるものだ。 【オズリック】 かたじけのうございますが、大そうお暑うございます。 【ハムレット】 いやいや、どうして、なかなか寒い。北風だからな。 【オズリック】 はい、かなりお寒うございます、殿下。 【ハムレット】 だが、どうもぼくのような体質のものにはひどくむし暑いように思うが。 【オズリック】 さようでございます、殿下、ひどくむし暑うございます。どうしたわけでご

ざいましょうな。とにかくでございます、殿下、国王陛下が殿下にお知らせするように私にお

命じになりましたのでござりまするが、じつは陛下は殿下のためにすばらしい賭けをなさいま

したのでござります。その仔細《しさい》は…… 【ハムレット】 ねえ君、忘れないでくれたまえ……〔ハムレットは帽子をかぶるように身振り

で指図する〕 【オズリック】 いいえ、殿下、私はこのほうがよろしいのでございます。さて、レイアーテ

ィーズさまがご帰朝になりまして……まったく申し分のない紳士でいらっしゃいますな、あのお

方は、すばらしい長所をたくさんお持ちで、人との応待も洗練されていらっしゃいますし、お

見受けいたしましたところ、まことにごりっぱでございます。まったくでございます、あのお

方のことを適切に申し上げますならば、何と申しましょうか、あのお方こそ紳士道の要覧《よ

うらん》とも、お手本とも申し上げましょうか。つまり紳士たるべきものの望ましい天分をす

べて身に備えていらっしゃるからでございます。 【ハムレット】 君の口をかりても、レイアーティーズは少しも損することはないな。もっと

も修辞学的、項目別に、細かく細かく彼を分類することは、聞く者の記憶力を混乱させるだけ

だがね。しかも彼レイアーティーズの船足はとても速いので、とても追いつくことはできない

さ。だが、彼をほんとうに賞賛していえば、まさに彼は大物だと思う。彼のまれにみる才能は、

じつにすばらしいものと思う。だからそれを正しく表現するならば、彼に比肩し得るのは鏡に

うつる彼自身の姿のみだ。そのほかにどんなふうに彼を描写したとしても、それは彼自身でな

く彼の影にすぎない。 【オズリック】 殿下のご批評はこの上なくごりっぱでござりまする。 【ハムレット】 ところで話の要点は何だね? なぜわれわれはこのお方を、こうごてごてと

洗練もしない言葉で覆《おお》い包むのかね?。 【オズリック】 はあ、殿下? 【ホレイショウ】 他人の口から言われたのではわかりませんか? お宅にもできますよ、ほ

んとうです。

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【ハムレット】 どういうわけで、彼のことを言いだしたのかね? 【オズリック】 レイアーティーズ様のことでございますか? 【ホレイショウ】 〔傍白〕おや、もうすっかり財布の底ははたいたとみえる。金科玉条の名

文句も、もうお手上げか。 【ハムレット】 そうだ。レイアーティーズのだ。 【オズリック】 殿下はご存知ないことはないと存じますが…… 【ハムレット】 そう思ってもらいたいね。だがじつのところ、そう考えてもらったって、た

いしてぼくの名誉にゃならないがね。ところで何だというんだね? 【オズリック】 レイアーティーズ様がごりっぱなお方だということはおみとめにならないこ

とはないと存じますが…… 【ハムレット】 みとめるとは言わないよ、彼と優劣を競うことはいやだからね。だが、人を

よく知るということは、おのれ自身を知るということだろうがね。 【オズリック】 わたくしが申しますのは、武器にかけてはでございます。ですがあの方のと

りまき連中の評判によりますと、あの方はまさに無双《むそう》だということでございます。 【ハムレット】 彼の武器とは何だね? 【オズリック】 細身と短剣でございます。 【ハムレット】 なるほど君の言う武器とはその二つなのか、まあよいわ。 【オズリック】 陛下はあの方に、バーバリ馬六頭をお賭けになりました。それに対してあの

方は、六ふりのフランスの細身と短剣を、その革帯、剣つりなどすべての付属品とともにお賭

けになったとか承っております。その中でも三つの剣架《けんか》は非常に巧みに考案されて

おり、剣の柄《つか》ともよく調和しておりまして、まことに精妙な細工の剣架で、高雅な意

匠をこらしたものでございます 【ハムレット】 その剣架とは何だね? 【ホレイショウ】 〔ハムレットヘの傍白〕注釈がなくてはきっとおわかりにならないと思っ

ていました。 【オズリック】 剣突とは剣つりのことでございます。 【ハムレット】 腰に大砲でもぶら下げることができるようになれば、そんな言葉も内容にふ

さわしいが、それまでは剣つりとでもしておいてもらいたい。まあ話を進めよう。六ふりのフ

ランスの細身とその付属品、三つの高雅な意匠の剣架、それに対して六頭のバーバリ馬だね。

デンマーク対フランスの賭けというところかな。で、なぜ君が言うように「お賭けになった」

のかね? 【オズリック】 陛下は、その、殿下とレイアーティーズ様が十二ラウンドの試合をなさると

して、あの方が殿下に三点以上勝ちこされることはないとお賭けになったのです。ふつうの九

ラウンドに対して、プラス三ラウンド、計十二ラウンドという条件を出されました。それで、

もし殿下がそれにおこたえくださいますなら、いますぐにも試合ということになっているので

ございます。 【ハムレット】 もしぼくがいやだと答えたら? 【オズリック】 いや私の申しておりまするのは、殿下の否応《いやおう》のお返事ではなく、

殿下が挑戦をお受けになるかどうかということでございます。 【ハムレット】 ぼくはこの広間を歩いていよう。陛下の御意に召すならば、ちょうどぼくが

息を入れる時間なのだ。もしあの御仁が望むなら、そして国王陛下の気持が変わらないなら、

試合の剣をここへ持ち込むがよい。ぼくは陛下のためにできれば勝ちもしよう。もしだめなら

ば、ちょっと余計に打たれて、敗北の恥辱をよろこんで受けるだけだ。 【オズリック】 そのとおり復唱いたしてよろしゅうございましょうか。 【ハムレット】 君の例の華やかな言葉づかいで、伝えてくれたまえ。 【オズリック】 それではこれにておいとまつかまつります。 【ハムレット】 いや、これにて、これにて。〔オズリック退場〕あいつはせいぜい自分自身

にこれにてこれにてとやるがいい。あいつの取りなしをする者なんか自分以外に誰もいやしな

いのだからな。 【ホレイショウ】 あのタゲリは頭にからをつけたままでとび出して行きましたな。

【ハムレット】 乳を吸う前に、まず乳房に向かって最敬礼するやつだ、あいつは……いや、あ

いつばかりでなく、この軽薄な世の中でちやほやされている同じようなやつらも皆そうだが……時勢に迎合して、上すべりの処世の方法だけおぼえて、浅薄な知識の寄せ集めしか持ち合わせ

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ない。それが選りぬきの洗練された判断をもった人々の間でも結構通用しているのだ。だが試

しに一吹き吹いてみたまえ、泡は立ちどころに消えてしまうのだ。 〔一貴族登場〕 【貴族】 殿下、陛下がさきほどオズリックを使者としてご伝言をされましたところ、殿下に

はこの広間にて陛下をお待ちになっておられます由。陛下におかせられては、殿下がレイアー

ティーズとただちに試合をさせまするか、それとも今すこし後になさいますかを承ってまいれ

とのことでございます。 【ハムレット】 ぼくの気持は変わらない。すべては陛下の思召しのままだ。陛下のご都合が

よければ、ぼくのほうはいつでもよい。今でも、いつでも……もっとも今のように身体の調子の

よいときならばだが。 【貴族】 両陛下ならびに皆さま方がただ今こちらにお見えになります。 【ハムレット】 それはちょうどよい。 【貴族】 王妃さまが、殿下が試合をなさいます前に、レイアーティーズさまと仲直りをなさ

いますようお望みでございます。 【ハムレット】 それはもっともなこと。〔貴族退場〕 【ホレイショウ】 この賭けはどうも勝ち目がありませんな。 【ハムレット】 ぼくはそうは思わない。あいつがフランスヘ行ってからぼくもずっと練習を

つづけている。あれだけ有利な条件なら、ぼくも勝てるだろう。だが、君にはわかるまいが、

ぼくのこの胸のあたりが何とも気分がわるい。……なに、大したことはないんだが。 【ホレイショウ】 殿下、それはいけません…… 【ハムレット】 ばかばかしいことさ。たぶん女ならこんなことでも気にするだろう。 【ホレイショウ】 もしお気持が進まないなら、それに従って無理をなさらないほうがよろし

いと思います。私が皆様のお越しをおことわりし、殿下のご気分がすぐれないと申しましょう。 【ハムレット】 そんな必要はない。前兆などちっとも気にしてはいない。一羽の雀が落ちる

にも神の配慮がある。もし今来れば、もうこれからさきに来ることはない。これからさきに来

るのでなければ、今来る。いま来なければ、結局いつかはやって来る。覚悟がすべてだ。だれ

もこの世の中の経験からは早死にするということがどんなことかを知りはしないのだから、そ

んなことにこだわる必要はない。 〔テーブルが用意され、ラッパ手、鼓手、そしてクッションや試合用の剣や短剣をもって役人た

ち登場。王、王妃、レイアーティーズ、その他廷臣たちすべて登場〕 【王】 さあ、ハムレット、ここへ来て、この手をとってくれ。 〔王はレイアーティーズの手をハムレットの手ににぎらせる〕 【ハムレット】 どうか許してくれたまえ、ぼくが悪かったのだ。 君は紳士なのだ、どうかぼくを許してくれたまえ。 ここに列席している人々も承知だし、君もきっと聞いていると思うが、 ぼくはひどい精神錯乱になやまされていたのだ。 ぼくのしたことは、 君の感情や、君の名誉や、君の嫌悪の情を ひどくかきたてたと思うのだが、すべては狂気のためだとここに明言する。 ハムレットがレイアーティーズを傷つけたのか? いやハムレットではない。 もしもかりに、ハムレットが自分自身からもぎとられて、 ハムレットでないハムレットが、レイアーティーズを傷つけたとしても、 それはハムレットのしたことではない。ハムレットはそれを否定する。 ではいったい誰がした事か? 彼の狂気の仕業《しわざ》だ。もしそうならば、 ハムレット自身だって被害者側の一人になるではないか。 彼の狂気はかわいそうなハムレットの敵なのだから。 ここで、ご一同の前で、 ぼくが故意に君に危害を加えたのでは絶対ないという ぼくの釈明を、寛大な心で受け入れてくれたまえ。 ぼくの放った矢が屋根を越してしまって、偶然にも ぼくの兄弟を傷つけてしまったのだと。 【レイアーティーズ】 わたしの復讐の心を かきたてるもっとも強い動機であった感情の面では、

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そのお言葉に納得がゆきました。しかし名誉という点では、 どなたかしかるべきりっぱな先輩の方が仲に立たれて、 和解の先例とご意見を示してくださいまして、 わたしの面目を立ててくださいますまでは、どうしても 和解を承知するわけには参りません。しかしともかくも、 殿下のお示しくださった友情は友情としてお受けいたし、 それを傷つけるようなことはいたしますまい。 【ハムレット】 その言葉をよろこんで受けよう。 そしてほんとに素直な心で、兄弟同志として試合をしよう。 試合用の剣をくれ。さあ。 【レイアーティーズ】 さあ、こちらにも一つ。 【ハムレット】 ぼくは君の引き立て役だ、レイアーティーズ。ぼくの未熟に比べれば、 君の腕前は、まっくらな夜の空にかがやく星のように、 光りかがやくだろう。 【レイアーティーズ】 ごじょうだんをおっしゃってはいけません。 【ハムレット】 いや、じょうだんではない。 【王】 彼らに試合の剣をとらせろ、オズリック。 ハムレット、賭けのことは承知だね。 【ハムレット】 よく存じております、陛下。 陛下は弱いほうに有利な条件をおつけになりました。 【王】 わしは心配はしておらぬ。両人ともよく知っているから。 ただ彼のほうがだいぶ修業をしているから、ハンディをつけたのだ。 【レイアーティーズ】 これは重すぎる。他のを見せてくれ。 【ハムレット】 これが気に入った。試合の剣は皆同じ長さだね。〔ともに試合の用意をす

る〕 【オズリック】 はい、さようでございます、殿下。 【王】 テーブルの上にぶどう酒の大杯をおいてくれ。 もしハムレットが第一または第二ラウンドで打ちこむか、 もしくは第三ラウンドで見事一本返すことができたら、 すべての城壁から祝砲を打ち上げさせよ。 王はハムレットの健闘を祝して乾杯するぞ。 そして杯《さかずき》の中には大粒の真珠をなげ入れよう。 四代のデンマーク王の王冠をかざった真珠よりも さらにりっぱな真珠を。さあ杯をここへもて。 そして鼓手からラッパ手に伝えさせよ、 ラッパ手から城外の砲手に伝えさせよ、 大砲から大空に、大空から大地に伝えさせよ。 今こそ国王はハムレットのために祝杯をあげると。さあ、はじめい。 お前たち審判の者どもは、ぬかりなく見ておれ。 【ハムレット】 さあ来い。 【レイアーティーズ】 さあ、殿下。〔ともに試合をはじめる〕 【ハムレット】 一本! 【レイアーティーズ】 いやまだ、まだ。 【ハムレット】 審判! 【オズリック】 一本! たしかに一本。 【レイアーティーズ】 よし、もう一本! 【王】 まて、酒をくれ、ハムレット、この真珠はお前のものだ。 お前の健闘を祝して! 〔ラッパ吹奏。舞台裏で大砲の音〕 ハムレットに杯をとらせい。 【ハムレット】 いや、この一番をすませてしまいます。そちらに置いておいてください。 さあ〔ともに試合をする〕もう一本! さあどうだ? 【レイアーティーズ】 かすりました。たしかに。

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【王】 ハムレットがまちがいなく勝つ。 【王妃】 あの子は息切れがするのです。 さあ、ハムレット、わたしのハンカチをとって、汗をおふき。 王妃があなたのために乾杯しますよ、ハムレット。 【ハムレット】 母上! 【王】 ガートルード、それを飲んではいかん。 【王妃】 いえ、飲ませてくださいませ、お願いでございます。〔飲む〕 【王】 〔傍白〕毒杯なのだ。もうすべてが手遅れだ。 【ハムレット】 ぼくはまだいただきません、母上。あとでいただきます。 【王妃】 さあ、おいで。お前の顔をふいて上げよう。 【レイアーティーズ】 陛下、こんどこそ必ず一本とります。 【王】 さあ、どうかな。 【レイアーティーズ】 〔傍白〕だが、どうにも心がとがめてならない。 【ハムレット】 さあ、第三ラウンドだ。レイアーティーズ、君は本気ではないな。 ぜがひでも全精力でかかって来てくれたまえ。 どうやら君はぼくをからかっているようだ。 【レイアーティーズ】 そんなにおっしゃるなら、さあ、まいりますぞ!〔ともに突き合う〕 【オズリック】 まだまだ、双方ともまだまだ。 【レイアーティーズ】 それ、一本あり! 〔レイアーティーズがハムレットを傷つける。双方乱闘状態となり、互いに剣を取りちがえ、ハ

ムレットもレイアーティーズを傷つける〕 引き分けろ、逆上しているぞ。 【ハムレット】 とめられてなるものか、これでもか!〔王妃倒れる〕 【オズリック】 だれか、王妃を! 【ホレイショウ】 両方とも血を流しているではないか。どうなされました、殿下? 【オズリック】 レイアーティーズ様、どうなされました? 【レイアーティーズ】 みずから仕かけたわなにかかった山しぎのように、オズリック、 わたしは自身でたくらんだ悪事の当然の報いを受けたのだ。 【ハムレット】 王妃はどうなされました。 【王】 二人の血を見て卒倒したのだ。 【王妃】 いえいえ、そのお酒、そのお酒、おお、ハムレット、 そのお酒、そのお酒、わたしは毒に殺《や》られたのです。「死ぬ〕 【ハムレット】 おお、何たる卑劣漢! さあ、戸を全部しめるんだ! 王妃殺しだ! 犯人を捕《つかま》えろ! 【レイアーティーズ】 ここにおります、ハムレットさま。あなたの命ももういくばくもない

のです。 いかなる名薬も、もう役には立ちません。 あなたのお命はもう三十分とはもちません。 陰謀の道具は、それ、あなたのお手にあるその剣。 切先は鋭いまま、しかも毒をぬられて。忌まわしい企みは 結局私のところに戻って参りました。この通り倒れて、 もう二度と立ち上がることはできません。お母上は毒殺されたのです。 もうこれ以上はだめです。国王が、国王が悪いのです。 【ハムレット】 切先に毒もぬってあったと! さらば、毒よ、お前の仕事にかかれ!〔王を刺す〕 【一同】 王様殺し、王様殺しだ! 【王】 おお、助けてくれ! みなのもの、わしはまだ死んではおらんぞ。 【ハムレット】 おのれ、けがらわしき、極悪非道の人殺しデンマーク王め! この毒を飲みほせ! お前の真珠とはこれだったのか。 母上のあとを追うのだ。〔王死ぬ〕 【レイアーティーズ】 当然の報いです。 王が自分で調合した毒なのですから。 ハムレットさま、さあお互いに許し合おうではありませんか。

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私の死も、私の父の死も、あなたの罪でなく、 またあなたの死も私の罪になりませぬように!〔死ぬ〕 【ハムレット】 天が君の罪を許してくださるように! ぼくもすぐ行く。 ホレイショウ、ぼくはもう死ぬ。かわいそうな母上、さようなら! ここで一部始終を見て青ざめてふるえている諸君、 ここに演じられた芝居のだんまり役者か見物役の諸君、 もし時間があれば、諸君にくわしく話すことができるのだが、 このおそろしい死という役人がきびしくぼくをかりたててゆく。 もう仕方がない。ホレイショウ、ぼくはもう死ぬのだ。 君は生き残って、いろいろ疑問をもつ人々に ぼくのこと、ぼくの立場を話してくれ。 【ホレイショウ】 いや、とんでもない、 わたしはデンマーク人であるよりは、むしろ古代ローマ人でありたい。 ここにまだ酒がある。 【ハムレット】 君が男なら、さあ、ぼくにその杯をよこせ、さ、手を放せ、ぼくによこせ。 おお、ホレイショウ、もし事の真相がうやむやに葬られたら、 どんなにひどい汚名をぼくは死後に残すことになるだろう! もし君が心からぼくのことをおもってくれるなら、 しばらくの間、天国の幸福をもとめることなどせずに、 苦しくても無情なこの世の中に生きながらえてくれ、 そしてぼくのことを弁明してくれ。 〔遠くに進軍のラッパ。砲声〕 あの勇ましい物音は? 【オズリック】 若王子フォーティンブラスさまが、ポーランドから凱旋され、 ただ今イギリスの使節をむかえられて、 ただ今の礼砲をはなったのでございます。 【ハムレット】 ああ、ぼくは死ぬ、ホレイショウ。 烈しい毒がすっかりぼくの心の働きをだめにしてしまった。 ぼくは生きながらえて、イギリスからのしらせを聞くことはできない。 しかしぼくは予言する、次の王位継承権は、 フォーティンブラスにあると。ぼくの最後の言葉は彼のものだ。 彼にそう伝えてくれ、各種の事情もあわせて、 事ついにここにいたった事情を……あとは静けさのみ。〔死ぬ〕 【ホレイショウ】 今こそ気高い御心《みこころ》がくだけた。おやすみなさい、殿下。 天使よ、なにとぞ殿下の御魂《みたま》を静けきやすらいへとお導きください! おや、どうして太鼓の音がこちらへ近づいてくるのだろう!〔舞台裏で進軍ラッパ〕 〔フォーティンブラス、イギリスの使節たち登場〕 【フォーティンブラス】 さわぎの起こったのはどこだ? 【ホレイショウ】 何をお捜しですか? 悲しみと驚きでしたらお捜しになるのはおやめなさい。 【フォーティンブラス】 この屍《しかばね》の山は、無残な虐殺を大声で物語っている。お

お傲慢な死の神よ、 汝の永遠の館《やかた》ではいかなる饗宴が開かれようとしているのか、 このように大勢の貴人たちを無残にも 一挙に殺りくしてしまうとは! 【使節】 何というおそろしい光景だ。 英国からのわれわれの使命はついに間に合わなかった。 王のご命令は完全に実施されて、 ローゼンクランツとギルデンスターンが死んだというわれわれの報告を、 聞いてくれるその人の耳はもう感覚がない。 いったいわれわれは誰にお礼を言ってもらえるのか? 【ホレイショウ】 国王がご存命であっても、 感謝の言葉をそのお口から聞くことはできません。

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彼ら両名の死を命令したのは国王ではなかったからです。 しかし折りも折りとて、この血なまぐさい事件のときに、 あなたはポーランドの戦いから、あなた方はイギリスから ここにおいでになったのですから、これらの遺骸をば すべての人々に見えるように、高い壇の上にのせるよう命じてください。 そして私の口から、まだ何も知らないでいる人々に、 どうしてこのようなことが起こったかを話させてください。お聴きください、 不倫、残酷、非道の物語を、 偶然の誤解、偶発的な殺人事件、 巧妙な計画、やむを得ない事由《じゆう》によって惹き起こされた死の物語を。 そしてご覧の通り、手はずは狂い、計画はそごを来たして、 災害は企んだ者の上にふりかかる結果と相成った事のてんまつを、 正しくお伝えいたしましょう。 【フォーティンブラス】 それはさっそく伺いたいものです。 おもだった者たちすべてで承ることといたしましょう。 わたしはここに哀悼の意を表するとともに、この国の相続権をお受けする。 わたしがこの国にそのような権利をもっていることはたしかだ。 そしてその権利をこの機会に要求するのは当然と考える。 【ホレイショウ】 それについて私もまた申し上げることがあります。 それはハムレット王子自身のお言葉、多くの人々の賛同を得ること必定《ひつじょう》です。 しかし、まず今しがた申し上げた通りにしていただきたい。 人心がはなはだしく動揺している間に、これ以上の不幸が 陰謀や誤解の上にさらに惹き起こされませんように。 【フォーティンブラス】 四人の部隊長は、 ハムレットの遺骸を軍人《もののふ》にふさわしく壇上に運んでくれ。 彼こそはもしその地位につけられたなら、 最高の王者と成り得たであろう。彼の死去に対しては、 葬送の軍楽と儀礼砲をもって 高らかにこれをとむらうのだ。 死骸を運び出せ。このような光景は 戦場にはふさわしいが、このような場所では見苦しい。 さあ、儀礼砲を打つよう命じてくれ。 〔隊伍をととのえて退場。その後に葬送の儀礼砲ひびきわたる〕(完) [#改ページ] 解説 シェイクスピアの生涯 〔謎に満ちた生涯〕 シェイクスピアほど、世界中どこの国でも親しまれている作家はないであろう。そしてまた、

シェイクスピアほど、その伝記的資料が少なく、その生涯について曖昧な点の多い作家も他に

例を見ない。創造的な要素を非常に多く入れないかぎり、彼の伝記を綴ることは不可能である。 一九六四年はシェイクスピアの生誕四百年の記念すべき年であった。彼の生誕の地、英国の

ストラットフォード・アポン・エイヴォンをはじめ、世界各地で祝賀の祭典が大規模に行なわ

れた。四百年祭を迎えたこの年に、学者やジャーナリストたちを最もさわがせた事件は、彼の

埋葬されているストラットフォードのホーリー・トリニティ教会の墓地を掘りかえして、彼の

伝記について何らかの証拠を見いだそうという企てであった。多くの人々が関心を寄せ、熱心

にこれを願ったが、結局この願いは却下され、シェイクスピアはそのまま墓石の下に静かに眠

りつづけることになったわけである。 〔出生から喜劇時代まで〕 一五六四年四月二十六日にウィリアム・シェイクスピアが洗礼を受けたという記録がこの教

会に残っている。四月二十三日という生誕の日もこれから推定されたものである。彼の少年時

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代については、伝記的資料は何一つ残されていない。一五八二年に八歳年上のアン・ハザウェ

イという婦人と結婚したこと、そして三児の父親になった事が、わずかに残された記録である。

彼がロンドンに出て来て、劇団に加わり、劇作をはじめた日時もはっきりしていない。一五九

四年以後には彼は第一線に活躍する劇作家であり、また彼の劇団の株主として経済的にも彼の

地位は確保されていたと言えよう。当時盛んになって来た古典劇への関心、その技巧の修得、

若いシェイクスピアはするどい感覚と豊かな才能をもって劇作に励んだ。しかし疫病の流行そ

の他、彼にも逆境や不幸はおとずれたにちがいない。しかし彼はつねに観客の要望にこたえな

がら、次々と作品を重ねて行き、その豊かな人生経験とするどい人間洞察は彼の劇を次第に円

熟させて行った。 〔『ハムレット』執筆から悲劇時代へ〕 十六世紀から十七世紀へ、エリザベス女王からジェイムズ一世の治世へ、時代は移り変わっ

て行った。シェイクスピアはこのような時代に生き、そして劇作をつづけて行った。そして

『ハムレット』はちょうど新しい世紀のはじめに書かれた作品である。さまざまな劇の形式と

内容の中に次々と彼の創作意欲を表現して来たシェイクスピアは『ハムレット』にはじまるい

わゆる四大悲劇の傑作の中に新しい悲劇観を打ちたてて、人間の意識の問題にとり組み、その

矛盾と相剋の中に人間がいかに自己の主体性を求めて行くかということを扱った。そしてこの

ような彼の態度は、彼の生きた時代の思想を反映するとともに、時代や歴史を超越して、あら

ゆる人々に理解され、追求されるものでもあると言えよう。 〔晩年の作品〕 悲劇の傑作を書いた後のシェイクスピアの創作の意図と関心は、時代とともに、彼の観客の

要望とともに変化し、発展して行った。やがて彼は『冬の夜ばなし』『テムペスト』などで代

表される最後期の作品、いわゆるロマンスとよばれる幾つかの作品によって劇作を終えている。

そして晩年は故郷ストラットフォードに帰って家族とともに数年を過ごした事が推測される。

一六一六年一月に遺書を起草し、三月二十五日にそれに署名し、四月二十三日に死亡、同二十

五日埋葬された。五十二歳であった。 以上のべたようにシェイクスピアの伝記のほとんどすべての部分が推定と臆測にすぎないの

であるが、われわれに残された資料として、もっとも確かなものは彼の残した三十余編の劇作

と、ソネット集と、数編の詩作である。われわれはこの数多い作品の中に、シェイクスピアの

芸術的人間像をつかむことができる。そしてこれこそこの偉大な劇作家を理解するための最も

たしかな手がかりであると言い得る。 『ハムレット』について 前にも述べたが、『ハムレット』は一六〇〇年頃の作と考えられ、四大悲劇の最初の作と考

えられる。ここでもシェイクスピアは、他の作品におけると同様に、その材料を既存の物語に

求めた。「ハムレット物語」の根源は非常に古く、遠く北欧の伝説にまでさかのぼることがで

きる。 〔新しい悲劇観の確立〕 シェイクスピアの『ハムレット』については、種々の問題点があり、それぞれの問題につい

て学者たちの論争も活発である。しかしわれわれがまずこの作家について考えるべきは、シェ

イクスピアがこの作品において、彼の新しい悲劇観を打ち建てたということである。シェイク

スピアの悲劇観の追求は、初期においては、古典悲劇の形式と技巧の修得からはじめられた。

そして作を重ねるごとに、彼の悲劇観はより複雑なものに変化し、発展して行った。新しい時

代意識と、新しい人間観が、シェイクスピアの悲劇観を変容させて行った。そして『ハムレッ

ト』、『オセロウ』、『リア王』、『マクベス』のいわゆる四大悲劇において、円熟したシェ

イクスピアの悲劇観は、彼独自の展開を見せている。 〔亡霊をめぐって〕 このような見地からシェイクスピアの『ハムレット』の悲劇の本質を探ろうとする時、われ

われの直面する最も大きな、最もむずかしい問題は「亡霊」である。ロケットの飛びかうこの

二十世紀に、今さら亡霊について何を考えるのかと、疑問を呈する読者もあるかもしれない。

Page 81: Hamlet en Japones

しかし、初期の『リチャード三世』にも亡霊が現われる。『ハムレット』と同じ頃の『マクベ

ス』にも三人の魔女があらわれる。悲劇ばかりではない。初期の喜劇の大作『真夏の夜の夢』

にも妖精たちが出てくる。最後の作『テムペスト』では主人公の魔術が大きな意味をもってい

るのである。 こういう作品ばかりではない。「亡霊」自体が作品の中に登場してこなくとも、「魔女」が

実際に現われてこなくとも、こういう考え方自身はシェイクスピアのすべての作の根底にある。

さらに拡張して言えば、これはシェイクスピアに限ったことではない。他の同時代の作すべて

がそうである。同時代のイギリスの作でこういう傾向の強いものを、ちょっと思いついたもの

だけを列挙してみても、マーロウの『フォースタス博士』、グリーンの『托鉢僧ベイコン』、

ミドルトンの『魔女』、デッカーの『エドモントンの魔女』等々、当時の人気作・大作には超

自然的な要素を持ったものがじつに多い。シェイクスピアの『ハムレット』の「亡霊」がお気

に召さないとなると、実はシェイクスピアの作全部、否、同時代の作品全部、つまりは過去の

偉大な芸術作品は全部これを無視しなければならないことになる。これは二十世紀だけに生き

る人の悲劇である。 こういうタイプの人にはまず次のようにに借問したい。つまり、はたしてわれわれの生きて

いる二十世紀には、亡霊・魔女の類いは絶対に存在していないだろうかと。シェイクスピアは

一九六四年が生誕四百年祭であった。いまわれわれが科学の最尖端と考えている理論・実在が、

四百年後にもはたして科学であり得るだろうか。答えは明白であろう。われわれは生きている

かぎり、好むと好まざるとによらず、永久に亡霊と魔女の世界に住まざるを得ないのだ。われ

われは亡霊と魔女の世界から完全に離脱することはできない。ベイコンの理性は亡霊と魔女の

跳りょうする魅惑の鏡を、完全に払拭《ふっしょく》したかに見えた。しかしその実は、同じ

く亡霊と魔女の次の時代を創造したにすぎなかった。 シェイクスピアが『ハムレット』や『マクベス』に描いた超自然的な存在・考え方は、実は

当時の科学的思惟の最尖端を行くものであった。『ハムレット』が書かれたのが一五九九年遅

くか、一六〇〇年初めの頃、『マクベス』が書かれたのがその数年後の一六〇五年か、一六〇

六年の初め頃と考えられているが、当時イギリスでは朝野を挙げて、超自然的な存在をめぐっ

ての議論がさかんであった。その最たるものが国王ジェイムズ一世自身の『悪魔論』(一五九

七年スコットランドにて出版・イギリスでは一六〇三年が初版)に見られよう。これはもとも

と一五八四年に出版された妖術否定の本、レジナルド・スコットの『妖術の発見』に対して書

かれたものであるが(国王即位とともにスコットの著書の焼却が命令されたという伝説もあ

る)、悪魔と妖術師の関係などが、当時ふつうの対話の形式で詳細に述べられてある。国王ジ

ェイムズの本は、当時の貴族の必読の書であったから、この種の議論が当時いかに重要なもの

であったかは容易に想像され得よう。 シェイクスピアが「ハムレット」を書く以前のものとしては、次の二つが著名であった。一

つはスイスの新教徒による『亡霊論』で、一五七二年にロンドンで英訳が出版されている。も

う一つはこれに対抗して書かれたフランスのカトリック教徒による『亡霊論』で、一六〇五年

に出版されたその英訳はジェイムズ国王に献呈されている。後者の英訳の出版はおそらくは、

シェイクスピアの『ハムレット』のおどろくべき人気がその原因だったろうと考えられている。

その他直接・間接にシェイクスピアに影響を与えた亡霊論・妖術論に類するものについては枚

挙にいとまがないほどである。シェイクスピア自身、およびシェイクスピアが芝居を書いて楽

しませた当時の観衆は、ざっと以上のような超自然的な精神風土の中に育ったのである。亡

霊・魔女の類いは非常に身近な存在だった。それについて議論することは、当時の科学的思惟

の重要なトピックであった。 それならば、このような精神風土に育ったシェイクスピアは、亡霊・魔女の類いの存在を全

面的に信じていたのだろうか? この問いに対しては、答えはそう簡単ではない。まずこの点

では、シェイクスピアの師匠とも言うべきジェイムズ一世自身に、すでに相当に懐疑的なとこ

ろがある。彼の『悪魔論』もある点では、相当にホレイショウ的である。ところがその反対の

立場のスコットの『妖術の発見』にしても、今われわれがこれを読んでみると、これはまたま

ことに迷信的である。超自然的な思考がいたるところに見いだされる。このあいだに生まれた

シェイクスピアの思惟が、明白な黒白であり得るはずはない。信じていたと言えば、それは誤

りであろう。もしそうなら、ああいうハムレットの姿……父親の亡霊の正体の真偽をめぐっての

彼の悲劇的な苦悶……はなかったはずである。信じていなかったと言えば、それはなおさら大き

な誤りであろう。学者ホレイショウも、ついにはそれを信じなければならなかったのだ。登場

Page 82: Hamlet en Japones

人物の言葉・意見は作者自身を直接に反映するものではもちろんない。しかし『ハムレット』

の場合には、この悲劇全体の主題という立場から考えると、われわれは自信をもって以上のご

とくに言い切ることができる。つまり『ハムレット』では、亡霊の存在を信じるべきか、それ

とも否か、実はそれが問題なのだ。 亡霊の存在を信じないならば、われわれは懐疑主義者たり得る。それを拡張すれば結局は、

神は存在するか、それとも否かについても徹底的な懐疑主義者とならざるを得ない。それを信

じるならば、それはカトリック的な救いの国においてであるか……つまり亡霊は「煉獄」から現

われてくるものであるか。それともそれは新教的な、この世に危害を与えるものとしての単な

る悪であるか? 亡霊は信じるべきか、それとも否か、実はこれは当時の人々の、生きるため

の哲学の中心問題であったのだ。 〔『ハムレット』の悲劇の原型〕 ハムレットの悲劇の中心がこれだというのではない。ハムレットの悲劇の原型がここにある

というのである。この原型を様式化した具体的な方程式が、実際の悲劇的な選択となってハム

レットを取りまいているのだ。亡霊は信じるべきか否か、「亡霊」は真に父王の亡霊であるか、

それとも悪魔の化身であるか、死後の世界、永遠の世界は存在するや否や、神は存在するや否

や……生きるべきか死ぬべきか、復讐すべきか否か、復讐するとなれば、それは母親ガートルー

ドにも及ぶべきものであるか否か、母親も共犯なりや否や、母親ばかりではない、心から愛し

たオフィーリアは、はたして自分を愛しているや否や、その父親ポローニアスの単なる犬であ

るか否か、弱きものよ! しかしその弱きものは実は、ほかならぬ自分自身ではないか? 行

動に出るべきか否か、存在すべきか否かの悲劇的な網にかかって、要するに何の行動にも出ら

れないではないか? 役者どもを見よ、自分自身の悲劇でもないのに、涙を流して悲劇を演じ

ているではないか。しかもこのおれは、自分自身の悲劇に圧しつぶされて何もできないでいる、

この臆病者めが! この弱虫めが! しかしどうすればよいのだ? To be, or not to be は依然として解決されはしない。

これが解決されるくらいなら、この悲劇は初めから存在はしないのだ。解答が出ないことも初

めからわかっている。しかもその悲劇的な選択は容赦なく迫ってくる。亡霊は存在するや否や

……それは依然として問題である。 シェイクスピアは、人間が生きるかぎり必ずつきまとう、われわれの精神構造のこの一つの

基本的な悲劇相を描き出すに当たって、そのドラマを当時の科学的な思惟・方法論に従って、

かなり的確に科学的に展開せしめていると言える。それは作品のどの点を取り出してみてもそ

うだが、たとえば一幕一場のわずか十行にわたるホレイショウのセリフ [#ここから1字下げ] が待て、そらあすこに、あれがまた現われた!〔亡霊その両腕を広げる〕 たとえ毒気を受けようとも断じて通さんぞ。止まれ。おのれまぼろし奴! もし何か音が出せるなら、声を出すことができるなら、さあものを言え!(以下略) [#ここで字下げ終わり] に、実は当時の懐疑主義の立場、カトリックの立場、新教徒の立場の三つの立場が、要約され

ているのである。シェイクスピアの真実探求の真摯な科学的な態度が遺憾なく発揮されている

と言ってよい。たとえばこの「亡霊」を、現代のわれわれの一つの科学的な問題と入れ換えて

みよう。そしてその科学的な真実を追求する人間のドラマを描くとすれば、シェイクスピアの

とった態度・方法は二十世紀の現代にあっても、依然としてまことに斬新きわまるものである

ことが、容易に納得されるだろう。このことは同じく超自然的な要素を強く持った、同時代の

大作『マクベス』についても言えることである。 シェイクスピアの「亡霊」はけっして古くさいことはない。その意味さえ理解するならば、

シェイクスピアがいかに当時の最新流行のテーマを使っているかが容易に理解されよう。「亡

霊」は最も現代的な新しいテーマなのである。この最新のテーマ、人々の注目を最も容易に惹

きやすい最新・最大のテーマを自在に駆使して、当時シェイクスピアが到達することができた

最も深遠な人間理解と、最も円熟した演劇技巧とをもって、悲劇『ハムレット』を完成したと

ころに演劇人シェイクスピアの真の姿がある。科学はドラマではない。ドラマは「人間」であ

る。そして「人間」を描くドラマとして、喜劇・悲劇・ロマンス……等の各様の方法・態度があ

る。いずれも人間の真の姿を捉えようとするものであることに変わりはない。ある作家はこの

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中の一つのジャンルにその全生涯を賭けるだろうし、またある芸術家はこれら全種目を同時に、

巧妙に使い分けるだろう。シェイクスピアは時代の移り変わり、それとともに推移してゆく彼

の人間埋解と演劇技巧に対応して、ごく大まかに言って、喜劇―悲劇―ロマンスという線に沿っ

て、彼の演劇形式を推移せしめて行った。 〔悲劇作品の時代的背景〕 一六〇五年十一月五日、ロンドン全市民の心臓の鼓動は一瞬止まるかに見えた。国王・王

妃・閣僚など国家的な重要人物を一挙に葬らんとした「爆薬事件」が起こったのだ。陰謀を企

んだ連中は、近くの隠れ家から国会まで地下道を掘り、国会の真下に爆薬を集積していた。首

謀者の一人ガイ・ホークスは捕えられたとき、そのポケットには導火線があった! この事件

は要するに未遂に終わったとはいえ、そのスケールの大きな残忍さは全ロンドン市民を恐怖の

どん底に陥れた。これは新国王に対するカトリック教徒の不満から起こったものであったが、

人々が平安な気持を取りもどすまでにはその後数か月を要したほどであった。そしてこのよう

な大事件の後では必ずおこる流言飛語《りゅうげんひご》、翌一六〇六年三月二十二日にまた

大事件が勃発するというデマが、全ロンドン市民のあいだに流れたのである。いずれも『ハム

レット』が書かれた数年後のことであるが、エリザベス女王からジェイムズ一世へと国王が代

わった頃の、十七世紀初頭のイギリスの不安な社会状勢というものが、よく象徴的にあらわさ

れているように思われる。 この暗い、不安な社会状勢に対して、演劇人シェイクスピアが「喜劇」の枠を使うはずはな

い。人々の趣味・嗜好、彼自身の感覚は当然「悲劇」的である。またこれまでに数々の喜劇・

歴史劇・悲劇を描くことによって到達し得た彼の人間理解の深さは、その表現方法として当然

「悲劇」を要求した。これはけっして単なる偶然の一致ではない。 シェイクスピアの芸術的な目は、初期の喜劇時代から徐々に人間の「魂」に向けられて行っ

た。それらは一作一作ごとのシェイクスピアの血みどろの精進と言えるだろう。人間の行動と

それを動かす人間の内面的なもの、つまり行動と性格・思惟との関係論理にシェイクスピアの

目は集中されて行った。完全に善でも悪でもない人間が、ある環境・ある外的な力に支配され、

これに対抗しつつも、自己の内面的な弱点・欠点のために、やむなく悲惨な結末への道をたど

らざるを得ない……十七世紀初頭のシェイクスピアが没頭していたのは、このような悲劇的な人

間像であった。そしてこのような悲劇の考え方は、期せずしてギリシアのアリストテレスの悲

劇の概念と大体において一致するものであった。シェイクスピアがアリストテレスの『詩論』

を読んだという形跡はなく、むしろ読まなかっただろうというほうに学者たちの意見は一致し

ているから、この古典時代と文芸復興期時代との両大家はこの点期せずして一致したわけであ

るが、これはいずれの側の功績に帰すべきものであろうか。 〔四大悲劇にみられる人間探求の系譜〕

このような悲劇像に巻き込まれていたシェイクスピアは、一五九九年―一六〇六年頃の数年

間に『ハムレット』、『オセロウ』、『リア王』、『マクベス』などのいわゆる四大悲劇とし

て知られている諸大作を、陸続として発表して行った。しかもわれわれがここで最も注目すべ

き点は、シェイクスピアはこれらの作品において同じことを繰り返しているのではけっしてな

いということである。同じ悲劇観の根底の上に立ちながら、各種の種本を使いながら、千差万

別の人間を描きながら、しかもそれぞれの作品の根底にはそれぞれ異なった悲劇のパタンとい

うものをはっきりと規定している。人間にある外力が加えられた場合、人間の意識(思想・理

解力)は必ずこれに対して反応を示さなければならない。われわれは生きているかぎり、この

悲劇的な反応(選択)を逃れることはできない。われわれの自由意志・主体性はこの悲劇の対

決に背を向けることを許さない。この逃避を認めるのはただ「死」のみであろう。シェイクス

ピアはその四大悲劇において、この対決(選択)のパタンの規定を試みているのである。悲劇

という枠で可能なあらゆる探求を人間の行動・意識の面に向けているのである。そういう点で

は、シェイクスピアは数多くの悲劇を書いたが、これら四大悲劇は四つの作品で一つのまとま

った構想を持つ四部作と考えてよい。それぞれの作はそれ自身でもちろん意味を持ち、それぞ

れ独立した作品であるが、四部作という全体の構想の立場に立って考えてみると、その作の悲

劇性はさらに強調され、その悲劇性の意味がより明瞭となってくる。シェイクスピアの四大悲

劇は、それぞれの内面的なルールによってそれぞれの作ができ上がっていると同時に、それぞ

れのルールは互いに他の作のルールを規定し合い、全体で一つのまとまった悲劇の理念という

ものをつくり上げている。その意味では『ハムレット』の悲劇は、『ハムレット』のみで完全

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に理解されたとは言えない。『ハムレット』の悲劇は『オセロウ』、『リア王』、『マクベス』

とともに四部作をなし、その四部作の枠内において理解されたときはじめてその理解は完全だ

と言える。そしてこの悲劇のグループはさらに他の喜劇、歴史劇のそれぞれのグループと対

照・総合され、かくしてシェイクスピアの壮大なる一大人間喜劇の全部の枠が完成しているの

である。 〔『ハムレット』の悲劇の本質〕 人間の意識および行動の悲劇のパタンとしてシェイクスピアがまず取り上げたのが、「ハム

レット」の悲劇の型である。To be, or not to be である。人間の外部と内部との接触に

おいて、悲劇はまずここにはじまる。「ハムレット」一幕一場冒頭のセリフが「誰か?」とい

う歩哨の誰何《すいか》によってはじまることは、多くの批評家によく指摘されていることで

あるが、これが『ハムレット』の悲劇のそもそものはじまりである。これは人間の自我が存在

した時からの悲劇である。この問いは必然的に To be, or not to be に展開してゆく。

亡霊は本物か偽物か、事実父王の亡霊であるか、それとも俗間よく言われているように悪魔が

死者の形を装って現われ(これは悪魔が現われる一つの常とう手段)、ハムレットを地獄へ陥

れようとのワナか。本物なら直ちに復讐を考えなければならない。しかし亡霊が偽物だとした

ら? エリザベス朝の一つの理想的な王子として描かれているハムレットが、悪魔の言葉など

に耳を傾けては絶対ならない。亡霊は本物か、偽物か、まずハムレットの問題はそこから始ま

る。ハムレットの悲劇はそこから始まる。生命ある人間の悲劇がそこから始まる。 真夜中のエルシノア城は霧に包まれてすべてが暗黒である。その暗黒の中心ともいうべきも

のが亡霊である。しかしハムレットをめぐる暗黒は、単に亡霊の正体ばかりではない。父王亡

きあと自分の唯一つの生き甲斐であった母親、その母親の正体も暗黒の霧に包まれているでは

ないか。いったい母親ガートルードは父王の死とどういう関係にあるのだ? 母親も共犯か?

To be (guilty), or not to be (guilty) 。これはまさにハムレットの正面しなけれ

ばならぬ大問題だ。あのすばらしい前王のことを、あたかもさらりと忘れるかのように、たち

まちのうちにあの叔父と、人もあろうにあの叔父と再婚してしまった! 弱き者よ! 弱き者

は母親ガートルードばかりではない、恋人のオフィーリアはどうだ? 最近の態度は? 父親

ポローニアスのイヌになり下がったのではないか? いったい彼女は、to be (honest), or not to be (honest) なのか、それもエリザベス朝の恋人としての若王子ハムレットの

大問題だ。 この世は要するに雑草がわが物顔にはびこっている庭のようなものだ。何の生き甲斐もあり

はしない、いっそこの手で、剣の一突きで、このわずらわしい世の中におさらばしたい、だが

待てよ、死後の世界はどうなる? 身の毛もよだつ死後の恐ろしい世界は? われわれ生ある

ものでも、恐ろしい、わずらわしい夢を見るではないか? 死後の夢はどんなに恐ろしい?

それを考えると、自らの手で果てるのも考えものだ。しかし、生きる、生きていれば、エルシ

ノア宮廷の王子として、第一の武士として、断固復讐しなければならぬ、もしあの亡霊の言う

ことが真実ならば。復讐するとなれば、あの叔父を手がけなければならぬ、血を流さねばなら

ぬ、ウィッテンベルク大学学生のこの身が、血を流さねばならぬ……しかも血を流せば、国王を

殺したとなれば(おお国王殺しの罪の重さよ!)、当然自分も生きてはいられない、当然自分

の血も流すことになる! 「生きるか死ぬるか……それが問題だ」が、「生きて」いたとて復讐

すれば当然「死」となるではないか? それなら「生きる」( to be )ことは、つまりは

「死」( not to be )と同じことになるではないか? それなら、いっそこの世に別れて永

世の世界へ移ったら? それも「永遠に生きる」( to be )の一つの方法かもしれない。し

かしそのためにはこの世に別れなければならない(=not to be )。To be, or not to be はある意味では to be is not to be でもあり得るのだ! 何たる問題の複雑さだ! 考えれば考えるほど、行動の手も足も出なくなるのではないか。

かくして自分は拱手傍観《きょうしゅぼうかん》、何の為すところもない。まこと一個の下賎、

臆病者と成り果てたのだ! あの下賎な役者どもを見よ、自分自身の悲劇でもないのに、あれ

ほど声を立て、涙を流して熱演しているではないか? しかるにこのおれはどうだ? 真の父

親が殺されたのに、しかも何一つとして行動に出られもしない! この意気地なしめ! しか

し、どうすればよいのだ? 問題は依然として解決されていないではないか? To be, or not to be…… それは依然として問題なのだ……

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ハムレットはウィッテンベルク大学(マルチン・ルッターの大学)の学生であろう。そして

生まれつきが内攻的な性質でもあろう。そのためか彼の思惟の論理は、ややもすると抽象・一

般論へとはしりやすく、極端な結論に性急に到達する傾向がなきにしもあらずである。しかし、

この to be, or not to be は、もともとプラトン以来の一つの悲劇の型なのである

( esse aut non esse )。人間の意識における悲劇のワナの一つの伝統的なタイプである。

厳密な論理に従えば to be, or not to be に対する妥協点はない。いずれか一方を取れ

ば、他は捨て去らねばならない。一方を完全に捨て去ってこれが解決となるならば、この、or の悲劇的な選択の命題は、初めから提出されるに及ばない。いずれの側も否定することはでき

ない、しかもこの現実に生きる人間として、そのいずれをか選択しなければならない。そもそ

もからして、この命題は不可能なのである。人間の意識が生きているかぎり担う一つの悲劇的

な宿命なのである。しかもウィッテンベルク大学学生ハムレットの若くして鋭敏な哲学は、こ

の悲劇の命題と真正面から対決しようとしている…… To be, or not to be はそれ自身、人間意識の矛盾を内蔵する悲劇の命題だと言ったが、

その悲劇の矛盾からハムレット自身の場合もそうであったように、to be is not to be と

いうようなもう一つの悲劇の命題が生まれてくる。ハムレットの場合を離れて考えてみても、

人間意識の矛盾の悲劇の面から言えば、この or には初めから is … その他が「内包」さ

れているのだ。シェイクスピアの四大悲劇の他の作品への展開への糸口がここにある。シェイ

クスピアが『ハムレット』で提出した悲劇の主題は、それ自身、他の悲劇の主題へと発展する

宿命を担わされている。それが展開してゆくあらゆる相、人間意識の悲劇のあらゆる面を扱わ

ないかぎり、「シェイクスピアの悲劇」は完成しなかったのである。 〔『ハムレット』から『マクベス』へ〕 To be, or not to be から悲劇的に展開されるもう一つの悲劇的な命題、to be is not to be は、『マクベス』の主題である。『マクベス』一幕一場の魔女どものセリフ「好

いは悪い、悪いは好い」( Fair is foul, and foul is fair )がそれに当たる。

Fair および foul は非常に古くからある言い方で、当時は今の right ,wrong とほとん

ど同じ意味に使われていた。この「好いは悪い、悪いは好い」とは何のことであろうか? 説

明すれば簡単である。人間界の「好い」は魔女の世界の「悪い」であり、人間界の「悪い」は

彼らの「好い」、つまり人間界のそれと転倒した魔女の世界の価値判断を言った言葉である。

主人公マクベスは魔女どもの、この転倒した価値の世界に誘導され、ついには自らの魂を悪魔

に売り、ファウスト同様、妖術師の運命をたどることになるのである。 この謎めいた矛盾の言葉も、説明すればいとも簡単である。要するに前後の言葉を省いたも

の、数学で言えば方程式を省略したものであるが、シェイクスピアの『マクベス』ではこの省

略、それから生まれる一種の曖昧さがこの作の悲劇観を構成する重要な要素となっているので

ある。さらに説明するなら、説明のない、相反する言葉を単に並列・対照せしめた時に生じる

矛盾のショック感が、われわれをして一種の表現しがたい形而上の世界へと導き入れてゆくの

である。このトリックがこの作にはいたるところに仕掛けてある。『ハムレット』には見られ

なかった「好い」と「悪い」(つまり to be と not to be )の悲劇的な混同である。こ

れは単なる意志・主体の混乱では決してない。勇将マクベスの意志・主体は明晰そのものと言

える。なぜならば彼は自らの意志で「悪い」道を選択したのであるから。しかしながらその選

択自体がある悲劇的な宿命のために、ある不可避的なものであるとしたらどうだろう? マク

ベスの主体は明晰であると同時に明晰ならず、彼の意識は混乱にあらずしてしかも同時に混乱

である! 以上、『マクベス』の例においても見られるように、『ハムレット』の悲劇的命題は、四大

悲劇を通して、その複雑な展開を示している。シェイクスピアの四大悲劇は、こういう人間意

識が担わされている悲劇的な宿命に対する大胆な探求であって、かくしてシェイクスピアは新

しい彼の悲劇観を確立させることに成功したのである。(大山俊一) [#改ページ] 年譜 一五六四 四月二十三日頃、ストラットフォード・アポン・エイヴォンにおいてウィリアム・

シェイクスピア生まる。四月二十六日、ウィリアム受洗。 一五八二(十八歳) 十一月二十八日、ウィリアムはアン・ハザウェイと結婚。

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一五八三(十九歳) 五月二十六日、長女スザンナ受洗。 一五八五(二十一歳) 二月二日、ウィリアムの双生児、ハムネット(男)とジュディス(女)

受洗。 一五八七(二十三歳) この頃ウィリアムはロンドンに出る。 一五八九(二十五歳) 『ソネット集』の大部分を書く。 一五九〇(二十六歳) 『ヘンリ六世』第二・第三部を書く。 一五九一(二十七歳) 『ヘンリ六世』第一部完成。 一五九二(二十八歳) 三月三日、『ヘンリ六世』第一部上演。『リチャード三世』『まちが

いつづき』完成。 一五九三(二十九歳) 『ヴィーナスとアドニス』登録出版。『タイタス・アンドロニカス』

『レイプ・オヴ・ルークリース』登録。『ヴェローナの二紳士』完成。『じゃじゃ馬ならし』

上演。ウィリアム、彼の劇団の再編成にあたって株主として参加する。十二月二十八日、『ま

ちがいつづき』上演。 一五九五(三十一歳) 十二月九日、『リチャード二世』上演。『真夏の夜の夢』完成。 一五九六(三十二歳) 父ジョン、紋章( Coat of Arms )を許される。 一五九七(三十三歳) ウィリアムはストラットフォードのニュー・ブレイスを六十ポンドで

買い入れる。クリスマスに『恋の骨折損』上演。『ロミオとジュリエット』の第1四折判出る。 一五九八(三十四歳) 『ヘンリ四世』第一部登録。『むださわぎ』『ヘンリ五世』完成。 一五九九(三十五歳) 九月二十一日、『ジュリアス・シーザー』上演。『お気に召すまま』

完成。 一六〇〇(三十六歳) 『ヘンリ四世』第二部登録。『ヴェニスの商人』第1四折判出る。

『ハムレット』『ウィンザーの陽気な女房たち』完成。 一六〇一(三十七歳) 一月六日、『十三夜』宮廷にて上演。父ジョン死す。九月八日埋葬。

『トロイラスとクレシダ』完成。 一六〇二(三十八歳) 七月二十六日『ハムレット』登録、『ハムレット』オクスフォード、

ケムブリッジにて上演。『末よければすべてよし』完成。 一六〇三(三十九歳) 『お気に召すまま』宮廷において上演。『ハムレット』第1四折判出

る。 一六〇四(四十歳) 十一月一日、「国王一座」により『オセロウ』上演さる。十一月四日、

『ウィンザーの陽気な女房たち』上演。十二月二十六日『以尺報尺』上演。『ハムレット』第

2四折判出る。 一六〇五(四十一歳) 一月七日、『ヘシリ五世』上演。二月十日、『ヴェニスの商人』上演。

『リア王』完成。 一六〇六(四十二歳) 十二月二十六日、『リア王』宮廷において上演。『マクベス』『アン

トニーとクレオパトラ』完成。 一六〇七(四十三歳) 六月五日、娘スザンナはドクター・ジョン・ホールと結婚。『コリオ

レーナス』『アセンスのダイモン』完成。 一六〇八(四十四歳) 母メアリー死す。九月九日埋葬。『ペリクレース』執筆。 一六〇九(四十五歳) 『ソネット集』出版。『シムベリン』完成。 一六一〇(四十六歳) ウィリアム、ストラットフォードに引退。『冬の夜ばなし』を書く。 一六一一(四十七歳) 十一月一日、『テムペスト』宮廷において上演。 一六一二(四十八歳) 王女エリザベス結婚の祝いのために「国王一座」によってシェイクス

ピアの作品が多数上演された。 一六一三(四十九歳) 六月二十九日、『ヘンリ八世』上演。 一六一四(五十歳) ウィリアム、ロンドンヘ。 一六一六(五十二歳) 一月、遺言書を書く。二月十日、次女ジュディス結婚。三月二十五日、

遺言書に署名。四月二十三日、ウィリアム死す。四月二十五日埋葬される。 〔訳者紹介〕 大山俊一(おおやまとしかず) 一九一七年生まれ。東京文理大英文科卒。オハイオ州立大学

大学院卒M・A・ハーバード大学名誉研究員(一九六五~六)。中世および近世英文学専攻。

主著『シェイクスピア人間観研究』『ハムレットの悲劇』『複合的感覚』、訳書『ハムレット』

『マクベス』『オセロウ』『リア王』その他。

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