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総総総総総総総総総総総総総 STS research in Science & Techonology Shingo Hamada 3-12-2 201 Sendagi, Bunkyo-ku, Tokyo JAPAN, zip : 113-0022 Tél/Fax : 03 38 27 80 98 E-mail : [email protected] 題題 STS 題 題 総総 1990 題 題 STS 題題題題題題題題 STS題 題 題 、、、STS題題題題題題題題題題題 題 ・・。 STSNJ題題題題題題 題 題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 、。 題題題題題題 STS 題題題題題題題1980-90 題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題 、・。、 題題題題題題題題題題題題題題 STS 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題 、、、 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 、「」、 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題 、、 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題 、、。 題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題 題題 ・・、。、 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 STS 題題題 題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題 ・、、 題 STS 題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題 、、、 STS 題題題題題題題題題STS 総総総総総総総総総総総総総 題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題 、、。 題 STS 題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題 STS 題題題題題題題題題題題題題題題題題題 CNAM(題題題題題題題題)題題題 EHESS(題題題題 題題題題題題)題題題題題題題題題 題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題 。、 STS 題題 題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題 題題題 ・、・、 題題題 題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 、。、、 ・・ 題題題題題 題 題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題題 ・、「」、・。。 () 題題題 題題題題 題題題題 一:= A. Fagot-Largeqult 題題題題題題題題 J.Gayon 題題題題題題題題題題題 題題題題題題題題題題題題 :=( Gland Palais de la Decouverte題題題題題 題題題題題 題題題題題 := R.Rashed 題題題O.Darrigol 題 C.Debru 題 題題題題題題題題 題題題題題 := B.Bensaud-Vincent 題題題題題題題 題題題題題題題題題題(EHESS) 題題 :=、(Y.Cohen 題題題題題題 題題題題題題 CNAM):=STS R.Barre 題題題題題題題題題 A.Guillerm題題題題題 題題題題題題題題題題(A.K)題 題 :(D.Pestre 題題題題題題題題題題題題題 題題題題ENS, 題題題題題 題題題 題題題 ):= M.Morange 題題題題題題題題題題 題題題題題題X, 題 ):=(B.D’Espagnat, M.Bitbol 題 題 題題 題題題・・ Mine, 題 ):=(M.Callon, B.Latour 題題題題題題題題題題 題題題題題 題題題題題 ・・ (CdF) :=(I.Hacking 題題題題題 題題題題題 *1 題 ):= 題題題題題題題題題(MNHN, H.Reeve 題題題題題) 題 題題題題 題題 ・・ () CNAM 題題 CDHT 題題題題題 GrandPalais 題題題 題題題題題題題題題題題題 、体、 J.Adouze 題題題題題VilletteCHRST 題題題題題題題題題題題題題P.Corsi題 Fete de la science 題題題題題題 「」 -題題題題題題題題題題 Image & Science 題題題題題題題題 「」 1

History and Philosophy of Science, Science Technology and Society in France - Soken report

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総合研究大学院大学委託研究STS research in Science & Techonology Shingo Hamada 3-12-2 201 Sendagi, Bunkyo-ku, Tokyo JAPAN, zip : 113-0022 Tél/Fax : 03 38 27 80 98 E-mail : [email protected]

題名:フランスにおける STS教育・研究の状況調査導入

1990年代における日本の科学技術政策の変化をうけて、近年 STS研究が盛んになっている。この STS研究者層の増加にともなって、諸外国のこの分野との交流が増し、各国の研究動向を知るとともに、STS研究者を養成する各種学校・大学・研究所などの組識に関する情報が求められている。科学技術社会論学会および STSNJなどの関連論報または研究会においてすでにアメリカ・イギリスを中心とした紹介がなされておいるが、本稿はフランスにおける情報を綜合研究大学院大学委託研究調査によって提供するものである。 英米における STS研究者の養成は、1980-90年代の大学組織改革と連動して、独立した学部・学科を形成するにいたった経緯が紹介されている。この背景には、これ以前に英米に根強くあった STSストロングプログラムの影響が根底にあり、さらに加えて、この時期ににかけて起こった巨大技術の大事故問題、巨大科学の予算配分と社会への還元の問題等が突出した形で現れたこと、そしてそれらの「社会と科学」の関係調整を、アングロサクソン的民主社会の機能としていち早く具現化することが求められていたからだと思われる。 こうした社会表層にまで現れる科学技術活動の問題性は全世界規模で進行しており、とくに先進国における科学のもたらす影響は多肢にのぼり、またその意味の深さは生命の根元をゆさぶるものから地球環境への地質学的年代にわたるダメージ、または宇宙規模の資源開発まで、とますますその専門性を深めている。こうして拡大・深化し続ける科学技術活動を人間・社会科学的観点から捉え直す試みは、科学史あるいは科学批評という形で従来から各国に存在してはいる。ところが、この従来型の科学史研究の養成から科学政策あるいは STSの研究・評論活動にまで踏み出す過程は、それぞれ個人研究者の力量にまかされていた感があり、キャリアパスとしての STS研究者養成機関は、英米系のものがかなり確立度が高いと評されるが、ここでは、欧州スタンダードとされるフランス系の STS研究機関を詳述する。フランスにおける科学技術史・STS教育研究のバックグラウンドフランスにおいては、学術分野における歴史および歴史資料の蓄積が膨大で、歴史研究を重要視する国民性により科学技術の歴史研究の場が豊富に提供される。この土台の上に STS的議論が展開されるのが通常であるが、現在までのところ STSと銘打って研究養成をしているところは CNAM(仏国立工芸技術院)および EHESS(仏国立社会科学研究院)などが知られている。その他にも、伝統的な科学技術史研究を土台とする STS教育 研究の機関としては、パリ大七大学科学認識論・科学技術史講座、パリ第一・第四・第十大・学および、鉱山学校系の科学技術社会資源研究センターなどがある。今回の調査研究では、カリキュラムシラバス、セミナープログラムを収集することを目的としており、あわせて、代表的研究者とのインタビューなどにより得た STS教育研究のもつ研究行政上の効果などをまとめて紹介する。パリにおける科学技術史研究は上記の複数の大学・養成研究機関にくわえて、歴史資料公開管理や「科学の市民理解」の活動を独自に行なう機関などが複重に連携しあって、それぞれ特色のある講座・セミナー群を形成している。簡単に範疇化すると次のようにまとめることができる。(括弧内、代表的研究者または各種資源)

パリ第一大学:=科学哲学・認識論(A. Fagot-Largeqult精神医学生命倫理、J.Gayon進化生物論) パリ第四大学:=哲学としての科学技術史(Gland Palais de la Decouverte発見の殿堂) パリ第七大学:=科学認識論・科学技術史(R.Rashed数学史、O.Darrigol物理学史、C.Debru生物学史) パリ第十大学:=科学の社会認識論・科学認識論(B.Bensaud-Vincent化学史科学論) 仏国立社会科学研究院(EHESS):=科学技術史、社会文化史としての科学技術(Y.Cohen技術社会史) 仏国立工芸技術院(CNAM):=STS・技術史(R.Barre科学技術政策評価論、A.Guillerm産業技術史) アレクサンドルコイレ(A.K)科学史センター:科学技術史(D.Pestre物理学史巨大科学分析) エコル・ノルマル(ENS, 高等師範学校):=科学史・科学論(M.Morange現代分子生物論) エコル・ポリテクニク(X, 理工科学校):=科学基礎論(B.D’Espagnat, M.Bitbol量子基礎理論)

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エコル・デ・ミンヌ(Mine, 鉱山学校):=科学技術社会学(M.Callon, B.Latour科学技術社会資源論) コレージュ・ド・フランス(CdF):=科学哲学(I.Hacking自然科学実在論) フランス学士院(*1科学アカデミー):=学士院歴史公文書館 仏国立自然史博物館(MNHN, H.Reeve現代宇宙論)・植物園・人類史博物館(パリ第六・七大学付近) 仏国立工芸技術史博物館(CNAM附属、CDHT技術史研究センター併設) 発見の殿堂(GrandPalais、実験体験デモ参加型科学博物館、J.Adouze現代天文学) 科学産業博物館(Villette、CHRST現代科学技術史研究センター、P.Corsi) Fete de la science 「科学の祭典」-科学報道番組国際会議 Image & Science 「科学とメディア」 La Recherche「ラ・ルシェルシュ(研究)」誌 – 一般向け科学雑誌 Science et la vie「科学と生命」誌 - 一般向け科学雑誌 Pour la science「科学のために」誌 - 一般向け科学雑誌

このうち、第一と第四大学はソルボンヌ大学から派生したものがそのまま残っているもので、もともと哲学者・歴史学者の養成コースである。ただ、戦前までは主要な自然科学者がソルボンヌで活動し、またその歴史資料もこのソルボンヌを中心として残っていることから、上記のような内容のコースを形成するにいたっている。ここの教官は科学哲学研究者として知られる。 第七大学はソルボンヌの理学部として機能した経緯から、理工科学部を引き継いで現在まであるキャンパス(Jussieu)の科学史部門として機能しており、この部門の教官はもともと自然科学系研究者出身者が大半を占める。ここには科学史研究者の行政部署があり、REHSEISという仏国立科学研究庁(CNRS)の一部門がおかれている。この REHSEIS−パリ第七大学の科学史は非常に強固なインターナリズムの見方を保持しており、フランス科学史の代名詞ともいわれるエピステモロジーとして知られる。 これに対してエクスターナリスムの代表格として知られるのが仏国立社会科学研究院 EHESSである。これは日本で言う大学院以上の研究者養成かつ共同研究のための機関であり、当然のことながら社会科学者を養成する。この文脈で、ここの技術史は CNAMとの共同研究・養成が行なわれ、科学史はA.K.科学史センターとの共同研究・養成がなされている。 また第十大学(ナンテール)には社会認識論を基礎に置いた科学史・科学哲学の研究者がおり、EHESS、A.K.科学史センターおよび CNAMとの共同研究・養成を行なっている。エコル・ノルマルは第七大学の教授学講座、前述の科学史・認識論講座との人的交流が多い。これはエコル・ノルマル自体が理科系(物理・生物・地球等)の研究機関として機能しているのと、教員研究者養成という目的を持ち地理的に第七大学と近いためである。エコル・ポリテクニクはパリの南近郊にあるパレゾー台地に位置し、この一角を共有するパリ第十一大学、仏原子力庁(CEA)とならんでサイエンスパークとも称される。エコル・ポリテクニクには科学基礎論部門があり、素粒子場の理論で著名なHyizyson, D’Espagnatなどの量子基礎論研究の流れを汲む。パリ第十一大学は、ソルボンヌ大学理学部が手狭になった折に、ジョリオ・キュリーの主導でオルセーキャンパスとして作られた綜合理工系学部を擁する。大学内部には科学史または STS研究の養成コースはないが、科学史の研究者がGHDSOという名称の研究部会を形成している。つい最近科学知識普及の研究チーム(Centre de Vulgarisation des Connaissances)が作られた。 エコル・デ・ミンヌはグランゼコルのなかでもかなり古い鉱山学校であり、この学校の科学社会学研究センターにキャロン・ラトゥールが所属している。ちなみにこの鉱山学校は他のグランゼコルグループ同様にパリ校以外に地方分校をもち、あわせて鉱山学校グループを形成している。南仏ニースの近郊にあるテクノパーク=ソフィア・アンチポリスはこの鉱山学校の出身者のイニシアチブでポンピドー政権下に計画され、この敷地の一角に分校の一つがある。テクノパークの運営は現在にいたるまで鉱山学校グループの影響が強く、仏産業開発公社(DATAR)および基礎研究実用化センター(ANVAR)などの提携を経て、一般企業に開放されている。 コレージュ・ド・フランスは、形式上は市民に開放された講座ということになっているが、この講座の教授は政府指名であり、事実上フランス学士院(アカデミーフランセーズ)とならぶ学術界の最高権威者がポストを占めることになる。ここに属するラボ・研究者もアクティブであり、政府の科学技術政策や科学普及に関心を持つプラグマチックな風土があるため、STS的議論を好む傾向がある。フランス学士院はアカデミシアンとしてノミネートされた学術界の名士達が名を連ねる一種の社交界であるが、ここに科学史の歴史資料館があり、科学史研究の一拠点に数えられる。上述の大学科学史講座養成の一環としてこの歴史資料館で研修する機会があり、セーヌ川右岸の国立古文書館と並んでフランス史上重要な資料を数多く抱える。それ以外に、この学士院は生命倫理・環境汚染・科学技術と社会の問題な

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どで重要な声明をだす。これは後述するとおり、院内に COFUSIというUNESCO-ICSUの国内ブランチレベルの科学技術委員会を設けているためで、政府の科学技術白書と連動した報告活動をしている。 このうち自然誌博物館(MNHN)はキュビエ・ビュッフォン時代の古生物学・動植物学の研究領域を土台としているが、現在ではフランス国内各地の農学・生物学・動植物学・環境学研究者の研究網の要として機能している。この敷地の周りには、地理学研究所、鉱石・古生物博物館、霊長類研究施設を擁しており、16-19世紀の海外進出と自然探索ならびにその科学研究が密接に結びついていたことを雄弁に物語っている。その一角を占めるのがアレクサンドルコイレA.K.科学史センターである。戦後、科学史研究としての長い歴史と膨大な資料を持つMNHNからセンターが独立して、科学史専門家を養成するようになった。工芸技術史博物館は前述のCNAMに附属する産業技術・実験技術の資料館であり、19世紀の産業革命を刻印する技術資料が多く展示保管されている。このCNAMこそはフランス革命後に科学技術の大衆化を推し進めるために設立され、現在では理工系職業人の教育研究機関として機能している全国組織である。西暦 2000年にはミレニアムを記念して、「万博の知識大学Universite de tous les savoirs」と題するマラソン公開講座が開かれ、テレビ・ラジオ公開放送もされた。1980年代から 1990年代後半にかけてこの CNAM機関に職業教育の一環としての STS講座が存在した。現在はその講座が、ビジネスを指向したイノベーションシステム分析という内容に様変わりしつつある。 発見の殿堂(GrandPalais)は 19世紀後半から 20世紀前半におこった万国博覧会ブームの流れの中で、1937年パリ万国博の際に物理学者ジャンペランの主導によって設立され、その後ソルボンヌの科学技術資料館としての機能を果たしながら、現在では視聴者参加型の実験科学博物館として存続している。説明パネルや実験方法等からは博物館学芸員の工夫を凝らした創意が感じられるが、政府からは現代風の老朽施設と見られており、予算と人員のやりくりが大変との事である。科学産業博物館(Villette)は、戦後のポンピドー政権下でフランスの科学技術の独自開発路線を強化する一環としての科学知識の大衆普及を目的として建築設計されたものであり、ミッテラン政権下に完成した。現在では知識集約型・情報型科学博物館としてしられる。毎年フランスの新学年シーズンに当たる 9-10月期に、「科学の祭典 Fete de la Science」という名称の科学研究啓蒙活動が、仏文部省・研究省の主催によりおこなわれ、各種科学博物館・大学研究所ラボが公開される。この活動に連動して、「科学とメデア Image&Science」と題される科学報道番組の国際表彰会議がエッフェル塔・UNESCO・CNRS会場で開かれる、フランス政府・欧州委員会及び欧州各域のメディア団体等が協賛するこの活動は、科学研究そのものをどのように社会へ報道するかという観点から、サイエンスライター・科学報道メデア活動を奨励する主旨を前面に掲げている。出品点数は全世界から 400点にのぼり、ジュールベルヌ賞を初めとする、カメラ賞・プログラム賞・SF賞等が設けられている。 仏国内出版社による執筆編集で比較的良く読まれている一般向け科学雑誌として、特に「研究 La Recherche」誌は最新研究報告の他に研究者による文筆作品、哲学・歴史、STS分析を好んで掲載し、フランスの科学情報吸収がサイエンスライテングのスタイル大きく依存していることを物語る。「科学のために Pour la Science」誌はサイエンテフィックアメリカ誌の翻訳編集であるが、フランス人の中にも読者は多く、英米系の科学情報・サイエンスライターの即物的スタイルを評価するプラグマテズムがバランスをとって併存していることがわかる。 フランス社会の根強い特徴として、ディリジズム(行政主導 dirigisme)とエタィテズム(国有化 etatisme)が挙げられる。1950-60年代のゴーリズムに溯る科学技術の独自開発路線(原子力=原発・核燃料サイクル、通信=MINITEL、運輸=TGV、航空=コンコルド、防衛=核兵器等)を推し進めてきた事によりテクノクラシーを発展させてきた。この背景には強迫観念症とまで言われるハイテク・科学技術信仰があったと評されるが、これらの技術シーズは 1990年代までには完成の域を見ている。 現代の科学技術の風土を一望するためにはこれに地方分権化(decentralisation)とネオリベラリズム(neoliberalisme)という新しい軸を加えられる。グルノーブル・ツールーズ・モンペリエの地方大学・科学都市、ブルターニュ・南仏のテクノパークはそうした意味から捉えられる。 更に、他方でフランスは、戦後、学術研究者の大量公務員化を行なった国として知られ、その研究機構の一つが欧州最大の人員・規模を擁する仏国立科学研究庁 CNRSとして知られる。これはおよそ大学に基礎を持つ人文・社会・自然科学部門をカバーしたものであり、総数 42部門・総職員数(26,300人)を擁する。このCNRS以外の領域をカバーしている研究機構として、原子力開発を仏原子力庁 CEA(11,400人)が、医学・薬学関係の研究は大学病院とともに国立医療保険機構 INSERM(4,950人)という別組織が、農学・畜産・食料部門を国立農業研究機構 INRA(8,500人)が、宇宙開発・航空技術部門を国立航空宇宙研究所CNES(2,400人)が、船舶・海洋資源部門を国立海洋開発研究機構 IFREMER(1,300人)が管轄しているなどである。

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 その他の産業界への橋渡しとして、前述のようなエコル・ポリテクニク(先端技術)、エコル・デ・ミンヌ(資源)のほかにエコル・サントラル(機械、自動車)、エコル・ポンショセ(土木・建設)、エコル・ノルマル PTT(通信)、あるいは無数に近いグランゼコルグループとよばれる専門大学を繋ぐコンソーシアムなどがある。 公的機関で研究活動に携わる人口は全仏で 250,000人、企業内研究開発従事者が 165,000人といわれている。このうち、STS的議論に熱心なのは CNRSの研究評議会および研究員組合(syndicat)や、コレージュドフランス・フランス学士院を中心とする公的諮問機関、あるいは上述の四大博物館・大学などを中心とする科学技術史研究者のグループである。フランスにおける科学技術史・STSの調査研究さて本論に入り、今回委託出張研究で収集した情報を展開する。上述のように、9-10月期はフランスの新学年シーズンにあたり、科学技術を推進する仏政府の意図が随所の活動によって垣間見られるが、なかでも「科学の祭典 Fete de la Science」と題される事業が大きな柱である。この事業主体は仏教育省・科学研究省であるが、この傘下にある上述の四大科学博物館(MNHN・CNAM・GrandPalais・Villette)および仏国内全土の博物館が事実上の事業実行・情報配付機関となり、UNESCO・科学雑誌マスメデア・全国市町村などが協賛して全国的な事業の展開を支えている。この事業期間の皮切りとして恒例行われるのが今回訪問先に挙げた「科学とメデア Image&Science」と題される科学報道番組の国際表彰会議(19eme Rencontre internationales de l’audiovisuel scientifique)であり、今年は 9月 28日から 10月 27日までの間約一ヶ月かけて行われた。筆者は初日の 9月 29-30日にエッフェル塔会場を訪れて会議の内容を見聞した。この会議に出席した目的は、世界中の科学報道映像番組を集めて行われている科学技術研究と報道の関係を「市民による科学理解(PUS:Public Understanding of Science)」と呼ばれる STS研究の一分野の観点から、実地情況を調査する事にある。会議は、前述の各表彰部門事に賞を受けた報道プログラムを紹介し、コミッティーからのコメントと会場からの質疑応答を交えて、番組制作チームが紹介されていく。この出展作品はCNRSの「科学とメデア」部門にアーカイブとして保存され、会議にさきがけて出展登録された作品の全紹介を冊子の形で出版している。今回の訪問では、これまでに出版されたこの作品カタログを参照し、この事業自体の波及効果を考察した。まず第一の特徴として、この事業は国際表彰(コンペ)会議という面から全世界の報道メデアへの参加をよびかけておりその出展数が開始以来過去10数年にわたり一定数確保されて安定していることである。コミッティーボードは、各部門賞事に欧米を中心とする各国代表の 10名程度の委員からなり、UNESCO傘下にある IFTC(International Film, Television and Audiovisual Communication Council)という機関の各国サテライト組織が運営機能を構成している。賞の授与という観点からはフランス政府とUNESCOの名誉象徴の側面が強く、仏文部省・文化省・外務省・研究省およびUNESOCO事務総長の列席で行われる。この事業は先述した「科学の祭典」とまったく同期し一部は重複しながら約一ヶ月にかけて行われるので、活動が次のように幾つかのセクションにわかれて行なれる。これらは「科学の祭典」の活動としてもアナウンスされ、全国の博物館・研究所などが一斉に公開されて行なわれる。

1)研究者とメディアの専門討論集会:上述の表彰会議と付随するセミナー・研究会2)博物館・研究所等における科学情報一般公開:研究展示デモ会・セミナー・研究会・討論集会3)科学知識・科学技術情報に関する市民コンファレンス:討論集会・科学と芸術活動さて、これらの事業の PUS-PA/TA的観点における評価と事業の展開像を調査するためにパリ市科学産業都市Villette博物館事業将来計画・評価部を訪れてインタビューによる情報収集を行なったのでそれを記載する。パリ市科学産業都市Villette博物館とは、先述のように現代科学技術の体験的普及を目的とした知識集約型・情報型の科学博物館であるが、この組織構成は、仏教育省・研究省・文化省にそれぞれ属する事務・研究ユニット多数によって構成されており、いま述べている「科学の祭典」のみならず科学技術市民コンセンサス会議・博物館市民科学理解などの事業を企画・立案・実行・評価する、一種のエグゼクティブ組織となっている。したがってその事業の性質は、博物館の名称から想像するよりも遥かに役所的・シンクタンク的であり、さまざまな事業の報告義務を担い独自の情報発信を行なっていると同時に、館内に大きなスペースの公開図書館機能を併せ持って仏全土の科学技術情報を収集する情報基地ともなっている。事業将来計画・評価部門の担当者Marie-Pierre Hermann氏によれば、この博物館の PUS-PA/TA活動はおよそ次のようなものである。「科学社会への市民参加を意図して設立されたこの博物館は一般向けおよび専門図書・デジタルビデオライブラリー・科学技術史および科学論蔵書を一般市民に開放し、定期的にひらかれるセミナー・学術講演・聴衆参加討論(アゴラ)・食料保健問題に関するコンサルタント活動を一般市民に向けておこなってい

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る。」Vilette, Cite des Sciences et de l'Industrie, 2002/2003(2002/2003活動予定計画書より、本報告書添付、未邦訳)

I. 一般向け講演 A. 脳科学、精神、自我-認知科学の現在 B. 進化と生物多様性 C. 時間の哲学II.セミナー討論会 A. 死とは何か? B. 科学、技術と民主社会 C. 生殖、性、家系血統 D. 優生学の新しい展開III. コンファレンス・学術講演 A. 生物=産業技術における問題点 B. 脳科学の先端研究と自己のアイデンティティー C. 農業と持続可能な開発 D. 水と人間ー環境としての水問題 E. エネルギー問題 F. 宇宙科学の研究と生命起源研究 G. 南北問題ー健康保健の観点から

IV. 視聴者参加討論A. 地球環境と持続可能な開発ーヨハネスバーグサミットレポート B. 生物はだれのものか? C. 宇宙と地球空間ー地球上空から見た地球の姿 D. 感情と心理の分析ー感情はなにを表出させているか? E. エイズ問題討論 F. 携帯電話・インターネットの問題 G. 遺伝子組換作物は第三世界を救うか? H. 公正な水資源とは? I. エネルギー政策 J, 開発途上国と生命倫理 K. 企業と倫理 L. 科学、技術と民主社会 M. 公衆衛生政策 N. 安楽死問題 M. サイエンスフィクションの中のサイエンスイメージ

IV. 食料保健衛生問題に関するコンサルタント A. 神経変成病 アルツハイマー病・ハンチントン症・パーキンソン病 B. 医療におけるリスク C. 他V. 著者・研究者との出会い

これらはVillette博物館の従来型 PUS-PA/TA活動であるが、これに加えて、2002/2003年にはコレージュドフランスの一部研究教授などの活動を統合した、所謂「一般PUSと現代型博物館PUS実践-コレージュドフランスの実験」なる事業計画が行われている。(参考文献:1.La Vulgarisation scientifique, Pierre Laszlo, PUF, 1993, Paris , 2.Vilette, Cite des Sciences et de l'Industrie, 2002/2003,3.Universite de tous les savors, 2000 en France, Odile Jacob, 2001,Paris)

「1530年以来、ソルボンヌにおける神学・自由学芸(リベラルアーツ)教育伝授の硬直化に面して学芸の刷新を企図されて設立されたコレージュドフランスは、現在存在する様々の大学・グランゼコール・研究所などのもたらす科学知識を精査し批評する学者集団が縦横無尽に活動できる唯一の独立組織となっている。2002年、Vilette科学産業都市博物館において、従来コレージュドフランスの行なってきた市民公開講座を、現代の市民・科学社会の要請に応えるべく、新たな PUSプログラムとして開発し、一般社会へむけて情報開示し市民との討論活動を展開している」

コミッテーボード構成委員:ミシェル・キャロン(鉱山学校社会学教授)、ピエトロ・コルシ(EHESS-CRHST科学史学教授)、

ロラン・デゴ(パリ第七大学サンルイ病院医学教授)、オリビエ・ゴダール(CNRS/ポリテク経済学研究主任)、ピエールヘンリ・グヨン(CNRS/パリ第十一大学生物学教授)、フランソワ・エリチエ(コレージュドフランス人類学教授)、ダニエル・ヘルヴィエレジェ(EHESS/CNRS社会学研究主任)、エチエンヌ・クライン(CEA物理学研究主任)、ミシェル・セール(哲学者)、ディディエ・シカール(医学教授・仏国生命倫理委員会委員長)

こうした活動の背景には、フランス全体での「科学技術と社会」に対する問題の理論的対応があると思われるので、それを筆者の観察体験から構成し得る範囲で理論化してみると次のようになる。

PUS及び科学学知識移転のコミュニケーション方法様々の知が社会の中で混在し非限定の形で共有されているさまを野中-竹内は組織的知識創造の中

で「暗黙知」と呼んだ。野中-竹内理論は知識創造企業と呼ばれる日本的コミュニケーションの中から知的価値を見出し、それを「形式知」へと結び付ける価値創造プロセスを企業イノベーションの理論として明確化したものであった。ここで私たちは社会のなかに共有されている「暗黙知」としての「科学知・技術知」がどのような形で存在し、どのような形で伝播され、またどのような形で掘り起こされうるか、つまりどのようにすれば「形式知」として定型化されうるか、を考えねばならない。

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「科学知・技術知」の定式化と言った場合、その主な場は学校教育であると考えられるが、戦後50年以上を経た先進国高度産業社会においては、学校教育における理科離れが特に近年懸念されている。この理科離れ問題は先進国産業のイノベーションシステムと結びついており、これを解決するためには学校教育制度の改良では無理で、産業社会も含めたイノベーションシステムの全面的見直しをしなければならないと考えられている。

具体的には、産業人・社会人のキャリアライフにおける再教育・生涯学習サイクルの見直し・再構築で、事実、現代の消費社会の成熟とともにこの再教育・生涯学習サイクルの重要性に対する認識が高まってきている。ところが、一国国内のキャリアフィールドだけでは余剰の潜在学習能力を回収できず、海外の研究・企業活動あるいはNPO活動などへと展開がなされている。

21世紀初頭に起きつつあるニューエコノミーなる経済現象は、解釈の一説によると「学習進化する経済活動の知識化」とも評されるが、こうしたグローバルな経済環境の変化に応じるため、潜在学習能力を「博物館-ラボ-生涯学習・職能開発センター」のような仮想プラットフォームで吸収し、学習サイクルを生涯教育にまで展開してやる必要がでてくる。このプラットフォームの原型がフランスにおける「博物館-大学-CNAM」のネットワークである。

これはフランスにおける博物館が高等教育における教育・研究網の一環として位置づけられているためで、周知の如く欧米の博物館は科学革命以後「科学知・技術知」のインキュベータの役割を果たしてきた。現代社会における先端技術のインキュベータは経済指数に反映されやすい企業資本と考えられているが、ノレッジインキュベータとしての博物館は上に上げたリソースリストで見た通りである。

科学産業博物館のこのような活動集積と膨大な百科全書的知識を市民に開示し一種の方向づけをすることの背景に、「科学知・技術知」に対する経済解釈がある事は先に述べた通りである。この博物館には隣接してベンチャー中小企業支援対策事務所やコンピュータ・インターネット技術操作講習室が置かれたり、最近では、医療・保健・食糧問題などのカウンセリングデスクを置いて市民の要求に対応している。フランス現代化政策として政府の力が入っていることは見て取れる。

これらの問題の派生する根底には、情報開示のモデル化理論に際して「一般の科学理解(PUS)」というSTS研究上の現代的課題が多分に含まれていることが指摘されている。PUSのモデル化理論自体を構築することが本稿および今後の目的の一つであるが、その前にこの問題性を、科学技術史研究におけるラボラトリースタディーズがPUSに対してどのような反響を与えたかという観点から見てみよう。

現代科学研究の社会学的アプローチとしてラボラトリーにおける情報加工に関わる人的リソースの介入過程を詳細に分析したラトール・キャロンによれば、実験室を構成する人員の知識バックグランド構成は公教育で養成されたあらかじめある一定の範囲に定まったものを前提としているにもかかわらず、創造的知識の創出には予見不可能な情報加工プロセスによってもたらさせることが指摘されている。

ここでは、予見されている知識バックグラウンド自体が公教育というPUSの初期のモデル「拡散型」に由来する訳であるが、博物館における展示そのものはこの公教育モデルを補完し強化する媒体として機能すると考えられ、情報の加工プロセスを再現することには重点が置かれていない。なぜなら、公衆への知識伝達という目的には「正しい知識の伝達」のみが予見されており、「間違った知識」は科学技術の正当性からはアプリオリに除外される対象として扱われる。(* Steve Fuller « Science as the open society and its ideological deformations » UCLseminair)

今日のPUS観はもちろんこうした教育の正当性だけを強調するものではないが、この「正しい」知識と「間違った知識」の間にある予見不可能な情報加工プロセスは、リスク論としてまた科学技術の正統性(légitimité)をどう伝えるか、あるいはどのように脱構築(déconstruction)できるかという観点で、キャロンの言うところの「公共討論モデル」として発展しうる。(*)上記のViletteにおける現場研究者のデモンストレーションや視聴者参加型討論会などはそうした具体例である。(*)M. Callon « Des différentes formes de démocratie technique » Annales des Mines 1998 )

この「正しい科学」と「間違った科学」の狭間に様々な問題性が盛り込まれている。高岩氏がまとめているように、科学情報伝達の構造的な側面を「科学に関わる人々(アクターネットワーク)」と科学情報が様々な社会的文脈で伝播するところの「科学と社会の接点」の相互作用から切り出すことができるであろう。また、科学と情報がシンボルとして機能することに着目すれば、ハーバーマスやカンギエムの指摘したシンボルイデオロギーの側面を、「科学専門家の正統性」、「科学と民主的社会」また「科学の社会的制御」などに問題性を切り出せるであろう。

ここでは、行為としての「科学理解」を更に具体的実践としてすすめるために、フラーの言う「開かれた社会と科学理解の共和化(régime républicain)」というモデル(*)に着眼しよう。(*) Steve Fuller « Science as the open society and its ideological deformations » UCLseminair

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この「共和」というモデル化には、一般の科学理解が間違う可能性、間違ってもそれを再構成できる可能性を包含し、科学技術リスクの民主的・社会工学的制御をもたらすものと理解されている。さらにこの「共和」制を構成するのは、科学者・専門家・評価者の間で成り立つ「準専門的コミュニケーション」と、科学情報の受け手である一般が何某かの個別知識(Special Interest Group)にクラスター化して知識の共有・コミュニケーションを行なう、二元の構造からなる。前者をサイエンテフィック・コミュニケーション、後者をサイエンス・コミュニケーションと呼んでもよい。例として次のような対比が挙げられる。

天文学研究における専門天体学者とアマチュア天体観測者医療事故(HIV等)における医師・研究者と臨床患者遺伝子組換作物(GMO)に関する研究者とコンセンサス会議環境問題における研究者と地域住民・産業従事者原子力事故問題における行政・研究者と地域住民あるいは脱・反原発推進者

ここで問題となるのは、SIGを構成する種々の知識背景をもったサイエンス・コミュニケーションの性質と収束レベルであり、天体観測のようにアマチュアの研究報告が分野全体のかなりの部分を占めるものから、医療のように共形成モデルを実現しうるもの、あるいは英国シェラフィールド原発地域におけるローカルノレッジの妥当性など、客観対象とされる科学知識と一般の持つ技術知識のバランス・アンバランスによって理解の度合い、集約される認識の到達点が異なることがわかる。

これらを社会問題として一括りにするのではなく、フラーのいう「共和」制がどのように実現されうるかを考察しよう。フラーによれば、この「開かれた社会」への批判的知性を養成するのは大学自然科学教科の「歴史化」であるという。(*) Steve Fuller. « Making the University Fit for Critical Intellectuals : recovering from the ravages of the postmodern condition » British Educational Research Journal, vol. 25, No. 5, 1999

科学研究と歴史研究が、ある種共通の「社会認識」を共有してコヒーレントな活動をする様は「フランスの風景(*)」で述べたように、近代西欧の「科学的社会」というパラダイムを理解する鍵であり、これを広く解するならば、非西欧科学としての植民地科学・東アジア-イスラム圏科学なども射程に入ってこよう。ここでは誌面の都合上、これら非西欧科学の研究領域はすでに活発に活動されている他著者に任せるとして、当該関心事である「社会認識(**)」をサイエンス・コミュニケーションの中でどのように絞り出していくか、ということに焦点が当てられる。(*)拙著「フランスのSTS・科学史」STSNJニュースレター http://stsnj.org/nj/sts/sts-prog-Fr.html (**)平川秀幸「科学論の政治的展開-社会的認識論と科学のカルチュラル・スタィデーズ-」年報科学・技術・社会第7巻(1998)pp.23-57

フラーのコミュニケーション戦術には、科学史・科学哲学で言う所の実在論と相対主義の間の理性判断における葛藤は現代科学の教育をうける科学者の卵達・学生たちにもみられるという科学教育上の観察があり、その葛藤そのものを科学史からひもといて再構成し、歴史として再構築された場において参加者の意思決定を問うことが可能になる、というシナリオである。さしずめ、現代科学研究における史的再構成の場へ一般の意思決定への参与を促し、コミュニケーション方法論の援用によって科学研究の評価と分析を行なうことを目指した現代科学史理論と言える。

ここで、対象として何を史的再構成し、どのように意志参与し、またいかに評価と分析をおこなうかという事に答えるためには、科学史研究の具体性が必要とされるであろう。このアプローチ幾つかを、今回調査を行なった大学科学史講座の中から具体的に挙げて、論及する。

Paris-10 大学-科学産業博物館 (VILETTE- CRHST/ CNRS) - CNAM によるSTS・技術思想 技術史と技術思想を社会史の中で丹念に追う研究蓄積は CNAM(CDHT=Centre de l’Histoire des

Techniques部門)が一番豊富である。それに加えて、パリ第十大学で社会認識論・化学認識論を主催するBernadette Bensaude-Vincent教授と、科学産業博物館のCNRS研究者(館内に CNRS系の CRHST=Centre de recherche en histoires des sciences et des techniquesという部門が設けられている)Christine Blondelの主催したものである。ただし、このセミナーは特許・工業所有権に関する単位を与えるものではない。特許弁護士・工業所有権関連の経営工学はストラスブール大学またはエコル・セントラルで専門に養成されている。特許技術に関する歴史資料はフランス特許庁 INPI(Institut National de Propriété Insdustrielle) または CNAM(第二次大戦前までは CNAMが特許管理をしていた)でも調べられる。

科学と技術における発明 L’Invention dans les sciences et les techniques

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1.導入 Introduction 2.発明者のカテゴリ : 天賦の才能 ?または才能のメカニズムによるものか ? 発明の理論、ガリレイにおける発明戦略 :分析方法とアナロジー Catégories d’inventeur : Génie ou mécanisme ? Quelques théories de l’invention. Les stratégie de l’invention chez Galilée : analogie et méthode analytique 3.発明者に方法論はあるのか? 16世紀の機械劇場Y-at-il des méthodes pour inventeur ? : Les théâtres de machines au XVIe siècle4.発明は計画することが出来るか?Peut-on programmer l’invention ?  « Hunting for indigo » : Academic-industrial collaboration in the German chemical industry. « Getting quality out of quantity » : The Chemotherapy National Service Center5.発明ヒーローの生産 : 発明と直観、Clément Ader の例 La fabrique de héros : Invention et intuition, l’exemple de Clément Ader6.発明に関する新たな経済アプローチ Les nouvelles approches économiques de l’invention7.科学と産業の知的財産、応用研究ラボにおける設備と特許のプロトタイプ La propriété intellectuelle entre science et industrie. « Instruments, prototypes et brevets » du laboratoire aux applications pratiques. 8.発明は誰に属するか?TSF発明に際してのフランス側の異論A qui appartient une invention ? Controverses françaises autour de l’attribution de l’invention de la TSF. « Out of the blue ? » Assessing the hidden background to Marconis 1897 Patent 9.18世紀英国の公衆、市場、発明 Le public, le marché et les inventions en Angleterre au XVIIIe siècle10. パスツールワクチンの発明 L’invention de la vaccination pastorienne 11. 発明の歴史学・社会学へのフェミニストによる批判« Machine ex dea ? » Aperçu des questions posées par la critique féministe à l’histoire et la sociologie de l’invention

この技術思想論は、技術発明のプロセスを個別科学固有のエピステモロジー発展からアプローチする点ではHPS教育の一環ともとれるが、17世紀の近代科学革命をとおして特許または「科学知・技術知」に関する財価が科学研究の現場からテイクオフする様を研究主体者-機構制度-産業競争の観点から枠づけたもので、今日我々が知る一国の国力=経済イノベーション能力という物の見方に合致する。

発明技術論を「科学知・技術知」としての発展史に還元する前に、このHPS的アプローチを基礎づける伝統的な科学技術史研究グループの包括的紹介をしよう。今回訪問した「Paris-7大学-REHSEISの科学認識論・科学技術史講座」と「EHESS-アレクサンドルコイレセンターの科学論・科学技術史セミナー」である。

Paris- 7 大学 -REHSEIS の科学認識論・科学技術史 科学技術史家にとっての検証の対象となる20世紀同時代人は、客観的対象としての研究行為以外

に、20世紀の大きな特徴である科学技術と社会の関わりを自らが体現しつつ、科学技術のみならず社会の変貌そのものと科学研究者達を包む空気の変わり様を生々しく伝えてくれる。

この描写の質感が科学史家の生きる時代性に近ければ近いほど、あるいは史家の共有する専門知識・研究体験に近ければ近いほど、彼の提示する問題性は現代を生きる我々の目にも鮮やかに映り、科学史養成に必要な生の声を資料研究の現場に息づかせる。と同時に、固有科学研究の前線にも蘊蓄の深い彼のもたらすパースペクティブ=スケッチ構成は、現場の研究者達が現在の地平に連続する歴史を共有するのに役立つ。

科学者たちが自然の語りの中から目を凝らして科学的事実や法則を人々に伝えるように、科学史家達も、科学者達がそうしたように髪の毛をかきむしり、史実という無言の痕跡の中から事実の片々を拾い集めては事実の構成を試みる。そこに介在する科学史家の精神集中とは、長年を要する地道な資料収集と根気のいる史実再現の精緻化という作業を幾度となく経た後に、やがて歴史観として結晶化されるものだという。(*) Marie-Noëlle Bourguet « Introduction à l’histoire : objets, méthodes, problématiques », Epistémologie, Histoire des Sciences. Université Paris 7 Denis-Dideot マリーノエル・ブルゲ « 歴史学入門 : 対象・方法・問題性 » パリ第七大学科学認識論・科学技術史

ところが、この同時代性は時に厄介な問題、歴史研究または現代史としての科学史研究に課せられる様々な技術的条件、公文書開示の制限・科学的事実の定着度・歴史記述のみならず、批評論のもたらす時代性とその評価など、文章表現上の技術や発掘される資料のもたらすインパクトのような科学史記述定番の材料では回避できない思想上の問題を抱えることになる。この思想上の問題とは、現代の地平にたって過去を振り返る我々の足元に直接せまってくる歴史観のことであり、現代史に近いほどこの歴史観の影響を大きく受ける。

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今日の厳密科学がもたらすリアリズムと実証主義がその歴史的系譜と哲学的濾過を経てきたように、実証研究としての科学史研究にも歴史と哲学をメタ象捨する科学作用が課せられる。(*) この作用をメタサイエンスと呼ぼうと、テレオロジー的認識論と呼ぼうと、それは科学史家の学術的見地を表明するための代名詞にすぎないが、検証対象として近代科学史を選ぶか現代科学史を選ぶかによっては、この表明のトーンの発し方に、カンギエムの言う « 科学的イデオロギー »が介入する。(*) つまり、科学史家の象捨する史実痕跡分析にも、実験科学者がデータ処理に用いる « フィルター »なる投影写像を構成するのと同様の論理があり、それはメタ作用を目指しながらも 究極的に« 科学思想 »へと収斂しようとする。(**)(*) Jean Gayon « Méthodologie de l’histoire des sciences – méthodes et analyses de cas », Epistémologie, Histoire des Sciences. Université Paris 7 Denis-Diderot ジャン・ガイヨン « 科学史方法論-ケーススタディーにおける方法と分析 » パリ第七大学科学認識論・科学技術史 (**) Rashed « Méthodologie de l’histoire des sciences – méthodes et analyses de cas », Epistémologie, Histoire des Sciences. Université Paris 7 Denis-Diderot ロシジ・ラシェド « 科学史方法論-ケーススタディーにおける方法と分析 » パリ第七大学科学認識論・科学技術史

こうした科学思想の歴史的背景こそが研究プロパーを各固有の研究現場へと駆り立てる大きなファクターであるにも拘わらず、現場では研究結果は研究史から遥か遠くに引き離され、思想の痕跡さえも残さない環境作りがポストモダン・ネオリベラルという衣をまとって進行している。本報告では、こうした現状が科学史の大局から見ていかに危険であるか、という警告を取り汲み、科学の進展リズムに調和する科学知識・科学思想の絶えざる省察・検証を可能にする分野としてのHPS(*)の役割をあらためて掘り起した。(*) HPS=History, Philosophy, Sociology of Science 科学史・科学哲学・科学社会学の総称

この報告のリファレンスは表題にあるごとく、フランスにおけるHPSの教育研究現場の観察体験によるものであり、実際の教育シラバスと研究セミナーを多く参照する。それゆえ、記述の多くは現状紹介の意味合いが強くなるが、事実の羅列はなるべく避けて、教育と研究養成が現実の科学活動の何を見ているか、何を見ようとしているか、知見のフィードバックをどのように確立しようとしているか、等の点を明確にしたい。

ただし、ここでいうHPSなる名称は明らかに現代のアングロサクソン風命名法で、その名称における養成プログラムが科学諸分野から独立し、かつ人文社会科学内においてもその独立性が確保されるべく研究教育環境が強化されている、などの状況を鑑みねばならない。こうしたHPSの位置づけは、大学の学部構成理念や科学技術の研究現場のあり方と微妙に相互作用しながら定められている。

フランスにおけるHPS養成課程は、後に述べるようにかならずしもその名称の元に課程実体が同定しきれるものではないが、大まかにHPSの範疇に入るものとして、パリ第七大学-REHSEISの科学認識論・科学技術史HPS講座のシラバスを紹介する。

1.自然哲学 Formation à la philosophie 1.1科学史と科学哲学の起源 Les origines philosophique de l’histoire des sciences : Hegel et A.Comte1.2現代科学認識論の流れ Les grandes tendances de l’épistémologie contemporaine 1.3古代科学哲学とデカルト Science et philosophie dans l’Antiquité et chez Descartes

2.歴史学方法論 Formation à l’histoire 3.ケーススタディーと比較方法論 Analyse de cas et méthodes comparées

3.1科学史のための方法論 Histoire des sceinces : question méthodologique3.2歴史性と科学の内容-幾つかの物理概念 Contenu scientifiques et historicité : Quelque concepts de la physique (Les trois stades du principe de relativité – La construction du concept du temps physique – L’espace et l’espace-temps – Le vide) 3.3投影法史の諸問題 Problème de la perspective

4.科学史各論 Histoire d’une science 4.1数学史・認識論 Epistemologie et histoire de la mathématique 4.2物理学史・認識論 Epistémologie et histoire de la physique 4.3生物学史・認識論 Epistémologie et histoire de la biologie

5.科学と社会 Science et Société 5.1科学社会学への導入 Introduction à l’histoire sociale des sciences 5.2科学技術社会論 Les quatre cultures de la science et de la technologie 5.3植民地と科学 L’exemple de la science européenne hors d’Occident 5.4技術史導入 Introduction à l’histoire des techniques

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パリ第六・七大学(Jussieu地区)というフランスを代表する自然科学系学部キャンパスの中にあって、この科学認識論・科学技術史HPS講座は、自然科学と人文社会科学をむすぶ境界領域分野という設定がなされており、事実この講座自体の属するマクロ単位はGHSS(Geographie, Histoire et Société de la Science)という教育研究ユニットUFR (Unité de formation et de recherche)である。ちなみに、第七大学には 4学部(人文社会・理工学・医学・数理教育学)があり、18のUFRがある。UFRは仏教育省から割り当てられた大学行政上のユニットであり、第三課程といわれるいわゆる大学院博士課程以降の教育研究をおこなう。これに仏国立研究省系組織(CNRS・INSERM・IFREMER・CEA等)にのみ属する研究者・研究グループ単位が大学のUFRおよび個別講座に人的・物的・経済的資源として併設されている。したがって、上記のHPS講座の講義研究内容は、大学教官が指導するものと CNRS研究員の指導するものがあるが、博士論文およびポストドク研究は ProfesseurまたはHDR(Habilitation dirigé de Recherche)を保持する研究員が、すくなくとも、名目上の指導教官でなくてはならない。講義内容・使用文献の主なものは次の通りである。

1.自然哲学 - J.J. Szczeciniarz  « Les origines philosophique de l’histoire des sciences : Hegel et A.Comte » Epistémologie, Histoire des Sciences, l’Enseignement de la science mathématique à Université Paris 7 Denis-Diderotスツェシニアルツ(パリ第七大学数理教育学)科学史と科学哲学の起源 :ヘーゲル哲学とコント哲学- Dominique Lecourt « Les grandes tendances de l’épistémologie contemporaine » Epistémologie, Histoire des Sciences à Université Paris 7 Denis-Diderotドミニック・ルクール(パリ第七大学認識論・科学史)現代科学認識論の流れ - David Lefebvre « Science et philosophie dans l’Antiquité et chez Descartes » Epistémologie, Histoire des Sciences à Université Paris 7 Denis-Diderotダヴィド・ルフェーブル(パリ第七大学認識論・科学史)古代科学哲学とデカルト

2. 歴史学方法論 - Marie-Noëlle Bourguet « Introduction à l’histoire : objets, méthodes, problématiques », Epistémologie, Histoire des Sciences à Université Paris 7 Denis-Diderot マリーノエル・ブルゲ (パリ第七大学認識論・科学史)« 歴史学入門 : 対象・方法・問題性 » 2a 歴史・自然科学、実証主義の伝統 L’histoire, discipline scientifique : la tradition positive 2b アナル学派のパラダイム Les paradigmes de l’école des Annales2c 歴史人類学と心性の歴史Anthropologie historique et l’histoire des mentalité 2d 文化史の対象から実践まで、問題性の動向 L’histoire culturelle, des objets aux pratiques : les déplacement d’une problèmatique 2e 歴史における計りの使用、微視的語りと社会の構築Usages de l’échelle en histoire : la microstoria et la construction du social 2f 代象の歴史と集団的感性Histoire des représentations et des sensibilités collective 2g 文化史と象徴人類学、テクストとしての世界Histoire culturelle et anthropologie symbolique : le monde comme texte 2h 絶壁の際にある科学・哲学・歴史学Au bord de la falaise : science, philosophie, histoire

3. ケーススタディーと比較方法論- Jean Gayon « Méthodologie de l’histoire des sciences – méthodes et analyses de cas », Epistémologie, Histoire des Sciences. Université Paris 1 ジャン・ガイヨン(パリ第一大学科学哲学) « 科学史方法論-ケーススタディーにおける方法と分析 »- Roshdi Rashed « Méthodologie de l’histoire des sciences – méthodes et analyses de cas », Epistémologie, Histoire des Sciences. Université Paris 7 Denis-Diderot ロシジ・ラシェド(パリ第七大学認識論・科学史) « 科学史方法論-ケーススタディーにおける方法と分析 »- Michel Paty « Contenu scientifiques et historicité : Quelque concepts de la physique (Les trois stades du principe de relativité – La construction du concept du temps physique – L’espace et l’espace-temps – Le vide) » Epistémologie, Histoire des Sciences à REHSEIS-CNRS Directeur de recherche ミシェル・パティー(CNRS/REHSEIS研究主任)« 歴史性と科学の内容-幾つかの物理概念:相対原理の三つの側面-物理的時間の構築-空間時間-真空 »

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- Jeanne Peiffer « Le cas de la perspective et histoire de mathématique » Epistémologie, Histoire des Sciences à CNRS-Centre Alexandre Koyré ジャンヌ・プファイファー(CNRS/Cenre Alexandre Koyre研究員)« 数学史と投影法のケーススタディー»

4. 科学史各論 Histoire d’une science - Michel Blay « Histoire de la science classique à l"époque de Newton », Epistémologie, Histoire des Sciences à Ecole Normal Supérieure St Cloud, Lyon ミシェル・ブレ(エコル・ノルマル サンクル-リヨン) « ニュートン時代の古典科学の歴史 »- Olivier Darrigol « Lhistoire de la thermodynamique, histoire de lélectrodynamique », Epistémologie, Histoire des Sciences à REHSEIS-CNRS chargé de recherche オリヴィエ・ダリゴル(CNRS/REHSEIS研究員) « 熱力学の歴史、電気力学の歴史 »- Chistiane Vilain « Hisoire de la science galiléenne » Epistémologie, Histoire des Sciences à REHSEIS-CNRS, DARS(Observatoire Meudon)- Chargé de recherche クリスチアンヌ・ヴィラン(CNRS/REHSEIS-DARSムードン天文台研究員)« ガリレイ科学の歴史 »

5. 科学と社会 Science et Société - Benoît Lelong « Introduction à l’histoire sociale des sciences » Histoire sociale des Sciences à CNET-Francetélécom ブノア・ルロング(CNRS/Francetelecom研究員)« 科学社会学への導入 » - Terry Shin « Les quatre cultures de la science et de la technologie » Histoire sociale des Sciences à EHESS テリー・シン(EHESS研究員)« 科学技術社会論 - Pascal Crozet « L’exemple de la science européenne hors d’Occident » Histoire sociale des Sciences à REHSEIS-CNRS パスカル・クロゼ(REHSEIS/CNRS研究員)« 植民地と科学 » - Serge Benoit « Introduction à l’histoire des techniques » Epistémologie, Histoire des Sciences à Ecole Polytechnique セルジュ・ブノア(EcolePolytechnique)« 技術史導入 »

EHESS- アレクサンドルコイレセンターの科学論・科学技術史 科学技術史方法論セミナー1.導入2.カール・ポッパーによる科学の発展

- POPPER, Karl. « Vérité, rationalité et progrès de la connaissance scientifique », dans Conjectures et réfutation, Paris, 1985, p. 319-367

- BOUVERESSE, Jacques. « Positivisme logique et théorie de Popper », La Recherche, novembre 1974, no. 50, vol. 5, p. 956-962

- COUMET, Ernest. « Karl Popper et l’histoire des sciences », Annales, spt-oct. 1975, no 5, p. 1105-1122- LAUDAN, Laurence. « La dynamique de la science », trad. P. Miller, Liège 1987, p. 131-158 (chap. 4)

3.問われる科学の発展:トーマス・クーンのパラダイム論- KUHN, Thomas. « Postface 1969 » La structure des révolutions scientifiques, Paris, Champs Flammarion, 1983

(2ème ed. anglaise, 1969), p. 237-284- KUHN, Thomas. « La structure des révolutions scientifiques », Paris, Champs Flammarion, 1983 (1er ed.

anglaise, 1969), au moins l’introduction et les chapitres 3 à 8 4.ピエール・デュエムによる「実験的方法」の限界

- DUHEM, Pierre. « La Théorie physique », Paris, Vrin, 1993 (reprint de l’édition de 1914), chap. 6, p. 272-332- QUINE, Willard V.O. « Les deux dogmes de l’empérisme » dans De Vienne à Cambridge, Pierre Jacob. Ed.

Gaillimard., p. 93-121- BOYER, Alain. « Le problème de Duhem», dans l’introduction à la lecture de Karl Popper, Paris, Presse de

l’Ecole normale supérieure, 1994, p. 131-1505.ガストン・バシュラール:科学の歴史における規範としての現在の科学

- BACHELARD, Gaston. « L’actualité de l’histoire des sciences », conférence du Palais de la Découverte (1951), reprise dans l’Enseignement rationaliste, Paris, P.U.F., 1972, p. 137-152

- BACHELARD, Suzanne. « Epistémologie et histoire des sciences » in Rapport du XIIème congrès international d’histoire des sciences, Paris, Blanchard, 1971, tome I-A, p. 39-51

- FICHANT, Michel. « L’idée d’une histoire des sciences », in Sur l’histoire des sciences, Paris 1968, p. 96-139, particulièrement p. 105-137

- SIMON, Gérard. « De la reconstitution du passé scientifique », in Sciences et savoirs aux XVIe et XVIIe siècles, Lille, Presses universitaires de Lille, 1996, p. 11-30

6.ジョルジュ・カンギエム:規範的活動としての生命、価値としての科学

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- CANGUILHEM, George. « Le rôle de l’épistémologie dans l’historiographie des sciences contemporaines », dans Idéologie et rationalité dans l’histoire des sciences de la vie, Paris, Vrin, 1993, p. 10-29 et le Normal et le pathologique, Paris, PUF, 1979 (1er éd. 1966), p. 130-134 et p. 215-216

- FICHANT, Michel. « Georges Canguilhem et l’idée de la philosophie » in Geroge Canguilhem, Philosophie, historien des sciences. Actes du colloque (6-7-8 décembre 1990), Paris, Albin Michel, 1993

- SERIS, Jean-Pirre. « L’histoire et la vie », in ibid. - BRAUNSTEIN, Jean-François. « Canguilhem avant Canguilhem », Revue d’histoire des sciences, 1999, p. 9-26

7.バーネス、ブルアのストロングプログラムとSSK(科学の社会学)- MACKENZIE, Donald. « Comment faire une sociologie de la statistique … », in Michel Calon et Burno Latour

éds. La science telle qu’elle se fiat , Paris, La Découverte, 1991- BLOOR, David. « Sociologie de la logique ou les limites de l’épistémologie », Pandore, 1982, p. 3-26 (chap.1) - LATOUR, Bruno. « les règles de méthode », dans la science en action, Paris, La découverte, 1989, p. 426-427 - ISAMBERT, François-René. « Un programme fort en sociologie de la science ? », Revue française de sociologie

XXVI, 1985, p. 485-508- ISAMBERT, François-René. « Après l’échec du programme fort, une sociologie du contenu de la science reste-t-

elle possible ? », in Raymond Boudon et Maurice Clavelin eds. Le Relativisme est-il résistible ? Regards sur la sociologie des sciences, Paris, PUF, 1994, p. 51-76

8.ラトゥールとキャロン:アクターネットワーク理論-翻訳の社会学- CALLON, Michel. « The sociology of an Actor-Network : the Case of the Electric Vehicle », in Michel Calon,

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no. 2 (mars-avr 1999), p. 281-3179.実験的実践、科学の操作的側面

- SIBUN, Heinz Otto. « Reworking the Mecanical Value of Heat : Instruments of Precision and Gestures of Accuracy in Early Victorian England », Studies in the History and Philosophy of Science, 1995, 26, no.1, p. 73-106. Pour une présentation plus didactique et en français, on pourra se contenter de lire le numéro special sur James Jule des Cahiers de Sciences & Vie, no. 29 (oct. 1995) p. 58-80 (ainsi que p. 6-14 et 34-39).

- HACKING, Ian. « Concevoir et expérimenter », Paris, C. Bourgois, 1989, (1er éd. 1983), P. 303-38 (chap. 11). - RHEINBERGER, Hans-Jorg. Chap. 2. « Experimental systems and epistemic thing », in Toward a history of

epistemic things. Synthesizing proteins in the test tube, Stanford U.P., 1997, p. 24-37. 10.ミシェル・フーコーと知識権威の装置

- FOUCAULT, Michel. « Surveiller et punir », Paris, Gallimard, 1975, p. 172-210 - DELEUZE, Gilles. « Qu’est-ce qu’un dispositif », in Michel Foucault philosophe, Paris, Seuil, 1989, p. 185-192 - FOUCAULT, Michel. « Dits et écrits, vol III (1976-1979) », Paris, Gallimard, 1994, p. 299-302 - ROUSE, Joseph. « Knowledge and Power. Towards a political philosophy of science », Ithaca and London,

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- COUMET, Ernst. « Alexandre Koyré : la Révolution Scientifique introuvable », dans History and Technology, 1987, 4, 1987, p. 497-529

- KOYRE, Alexandre. « Sens et portée de la synthèse newtonnienne », dans Etudes newtonniennes, Paris, Gallimard, 1968, p. 27-47

- LINDBERG, David. C. « Conceptions of the Scientific Revolution from Bacon to Butterfield : A preliminary Sketch », dans David C. Lindberg et Robert S. Westman éds. Reapparaisals of the Scientific Revolution, Cambridge, Cambridge U.P., 1990

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- WESTMAN, Robert S. « Proof, poetics and patronage : Copernicus’s preface to the De Revolutionibus », in David C. Lindberg et Robert S. Westman éds. Reapparaisals of the Scientific Revolution, Cambridge, Cambridge U.P., 1990

- WINKLER, Mary G. et Van HELDEN, Albert. « Johannes Hevelius and the visual language of astronomy », in J.V. Field et Frank A. J.L. James éds. Renaissance and Revolution : Humanists, Scholors, Craftsman and Natural Philosophers in Early Modern Europe, Cambridge, Cambridge U.P., 1990.

- CUOMO, Serafina. « Shooting by the book : note on Niccolo Tartaglia’s Nova scientia », History of Science, XXV (1997), p. 155-188

A.文献学演習 D’un texte à l’autre- BRIAN, Eric et DEMEULENAERE-DOUYERE, Christine. « Histoire et Mémoire de l’Académie des Sciences

», Guide de Recherche, Paris-Londres-New York, 1996 - Que pourriez-vous trouver à l’Académie des Sciences qui complètent vos recherche actuelles

B.博物館演習:科学の遺産・記録・歴史 Patrimoine, mémoire et histoire des sciences

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B1. 科学史における実験器具 Instruments en histoire des sciences- VAN HELDEN, Albert. & HANKIS, Thomas L. « Introduction in the History of Science », dans VAN

HELDEN, Albert. & HANKIS, Thomas L (eds), Instuments, Osiris, vol 9, 1990, p. 1-6. - HUGUES, Jeff. « Plasticine and Valves : Industry, Instrumentation and the Emergence of Nuclear Physics »,

dans J-P. Gaudillère et Illana Lowy (eds) The Invisible Industraialist, Manufactures and the Production of Scientific Knowledge, MacMillan Press, 1998, p. 58-86.

B2. 遺産収集と科学博物館 Collections patrimonials et musées de science- LAISSUS, Yves. Le Muséum national d’histoire naturelle. GALLIMARD. 1995, Paris. - MERCIER, Alain. Un Conservatoire pour les Arts et Métiers. GALLIMARD. 1994, Paris. - MAURY, Jean-Pierre. Le Palais de la Découverte. GALLIMARD. 1994, Paris.

B3. 科学的遺産、歴史とアイデンティティーの確立 Patrimoine scientifique, histoire et construction identitaire- ABIR-AM, P « Introduction » et PESTRE, Dominique « Commemorative Practice at CERN : Between

Physicists Memories and Historians Narratives » dans P.G. Abir-am et C.A. Elliott (eds), Commemorative Practices in Science : Historical Perspective on the Politics of Collective Memory, Osiris no. 14, 1999

- ABIR-AM. P.G. « La mise en mémoire de la science », Editions des archives contemporaines, 1998. - EIDELMAN, Jacqueline. « Culture scientifique et professionalisation de la recherche », dans D. Jacobi et B.

Schiele (eds), Vulgariser la science, Ed. Champ Vallon, 1988, Seyssel, p. 175-191- Les actes des entretiens du patrimoine, en particulier : Jacques Le Goff (ed), Patrimoine et passions identitaires,

Fayard et Edittions du Patrimoine, 1998. - RICOEUR, Paul. « La mémoire, l’oubli , l’histoire » Seuil, 2000.

C.科学と市民 La science et son publicC1. 科学と市民:19-20世紀の歴史展望「科学研究の職業化と科学愛好家・公衆の発明」Science et public : perspective historique 19e-20e siècle “Professionalisme des sciences et invention de l’amateur et du public”

- SECORD, Anne. « Science in the pub: Artisans Botanics in early 19th century Lancashire », History of Science, 32 (1994), p. 269-315.

- BEGUET, Bruno. « La science pour tous. Sur la vulgarisation scientifique en France de 1850 à 1914 », Paris, Bibliothèque du CNAM, 1990, p. 6-29.

- GOVONI, Paola. « Nature à l’italienne. La presse de science populaire en Italie à la fin du XIXe siècle », in La science populaire dans la presse et l’édition, Paris CNRS éditions, 1997, p. 175-190

C2. 科学と市民:問われる科学 Science et public : La science en débat - BENSAUDE-VINCENT, Bernadette. « L’opinion publique et la science. A chacun son ignorance », Paris,

Synthélabo, 2000, p. 99-172 - RASMUSSEN, Anne. « Critique du progrès, crise de la science : débats et représentations du trounant du siècle

», Mil neuf cent. Revue d’histoire intellectuelle, 14 (1996), p. 89-113. - BOY, Daniel. « Le progrès en procès », Paris, Presses de la Renaissance, 2000, chap. 4 ‘Notre crise du progrès’,

p. 108-137C3. 「科学の市民理解」から科学的市民性へDes « représentations publics de la science »  à la citoyenneté scientifique Thème :「一般の科学理解」という概念の限界 Limites de la notion de « perception publique de la science »

- WYNNE, Brian. « Public understanding of science research : new horizons or hall of mirros ? », Public Understanding of Science, 1? 1992, p. 37-43

- WYNNE, Brian. « Misunderstood misunderstanding : social identies and public uptake of science », in IRWIN, Alan, WYNNE, Brian (eds), 1996, Misunderstanding of Science ?, Cambridge, Cambridge University Press, p. 19-46.

- SHAPIN, Steven. « Why the public ought to understand science in the making ? », Public Understanding of Science, 1, 1992, p. 27-33.

- IRWIN, Alan. « Citizen Science. A study of People, Expertise and Sustainable Development », London, Routledge, 1995.

C4. 「科学の市民理解」から科学的市民性へ Des « représentations publics de la science »  à la citoyenneté scientifique Thème :どのような科学的市民性か? Quelle citoyenneté scientifique

- CALLON, Michel. « Des différentes formes de démocratie technique », Annales des mines : Responsabilité et environnement, no.9, 1998, p. 63-73.

- KLEINEMAN, Daniel L. « Beyond the Science Wars : Contemplating the Democratization of Science », Politics and the Life Science, 16, no2, sept. 1998, p. 133-145.

- LASCOUMES, Pierre. « La scène publique, nouveau passage obligé des décisions ? », Annales des mines : Responsabilité et environnement, Avril 1998, p. 51-62.

- MARRIS, Claire. et JOLY, Pierre-Benoît. « La gouvernance technocratique par consultation ? Interrogation sur la première conférence de citoyens en France », Les cahiers de la sécurité intérieure, 38, 4e trim 1999, p. 97-124.

- LIMOGES, Camille. et CAMBROSIO, Alberto. « Controverses publics et biotechnologies : Les limites de l’information », Biofutur, v.no.100, April 1991, p. 87-90.

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- LEVIDOW, Les. « La démocratie biotechnologique », Biofutur, no. 192, sept. 1999, p. 33-35.- Site de loka institute http://www.loka.org

エコルノルマル       HPS      会議:パリ大七大学       REHSEIS      と       EHESS   -   A.K      センターを結ぶもの   科学史・科学哲学なる思考の営みはガリレオの「新天文学対話」のアリステレス運動学-ガリレオ

重力運動論の対比に見られるように科学的発見そのものが科学史の検証・哲学的論証を必要とした。現代のHPS研究が必要とする科学論を、フランスの科学史・科学哲学にその形跡を求めるとすれば、フランス革命後の制度的科学研究活動が始動する19世紀なかばにあって、「百科全書」啓蒙の精神を厳密科学知識の敷延に実現させようとしたオーギュスト・コントの「実証主義=ポジティヴィズム(著書:実証哲学講義)」が挙げられる。

フランスに限らず欧米の科学研究施設には、先人科学者の偉業をたたえてその名を冠した施設が作られることが多いが、このコントの名は、その名をつけた胸像がソルボンヌ教会(*5)の外庭を待ち行く人々の影に埋もれてたたずんでいるだけであり、ビュッフォン-キュビエの植物園・博物館(*6)、フーコーの振り子を模したパンテオン、パスカルの真空・気圧実験がなされたとするサンジャック塔、ラボアジェ-ゲイリュサックの化学を残すウルム街周辺の化学研究施設(*7)、などの同時代人に比べるとやや科学史上の刻印に薄い。(*5)旧ソルボンヌ大学校舎を兼ねる(所在地:パリ市5区)。ガロ・ローマ時代から存在するシテ島に連なるサンジャック街道に面する。ソルボンヌ発生の歴史記述については、C.H.Haskinsハスキンス著青木靖三/三浦常司共訳「大学の起源」現代教養文庫 1977 横尾壮英著「中世大学都市への旅」朝日選書 1992 ミシュラングリーンガイド「パリ」実業之友社及びその中の参考文献等を参照されたい。なお、この校舎は現在ではパリ大学という総名の下で、第一大学(現 Pantheon-Sorbonne :旧哲学部)、第二大学(現 Sorbonne-Assas:旧法経学部)、第三大学(現NouvelleSorbonne-Censier:旧人文外国語学部)、第四大学(旧人文・文明学部)、第五大学(現 ReneDescartes-St Germain Desprès:旧医学部)の総合事務組識としての機能を備えている。(*6) LAISSUS, Yves. Le Muséum National d’Histoire Naturelle. Découvertes Gallimard. Gallimard, 1995, Paris. (*7)パリ市物理化学学校 Ecole de Physique et Chimie Industrielle de Paris, エコルノルマル=高等師範学校EcoleNormaleSupérieure

にもかかわらず、このコントの名は歴史家・哲学者にとってのみならず現代の科学研究者にとってもいくつかの意味で振り返る必要がある。一つは、人間精神発展の史的エピステメーを表現した「神学的段階-形而上学的段階-実証的段階」論であり、20世紀の爆発的な科学発展をもたらした「理論と実験」という名の科学的発見の方法論を哲学理論として普及せしめた。と同時に、この実証科学の段階はコントが主張した諸科学の分離・分業化のはじまりであり、段階論の後衛に位置する社会科学の勃興と同時に科学研究そのものが社会科学の考察の対象となるマートン理論の先鞭をつけたと言えよう。

さてこのコントの実証主義が科学思想と結びつくためにはフランス革命後の様々な社会運動の流れを必要とした。ナポレオン革命政府によるエコルノルマル エコルポリテクニック等の既存ソルボンヌ教・会勢力に対抗する学術制度の施行、それに先立つ市民技術(CivilEngeneering)の職人制度としてのマソン(Maçonnerie) コンパニオン・ (Compagnion)の学校制度への受け入れを土木学校(エコルポンショセ)・鉱山学校(エコルデミンヌ)・工芸学校(CNAM)の開設によって制度化したことが挙げられる。特にこの工芸学校設立過程に際して、サン・シモン派の影響を強く受けた徒弟職人・労働者階層に対する社会的人権と科学教育の必要性の強調がなされたことは、この近代科学の制度化初期の思想的潮流にあった社会発展と科学知識普及と博愛という革命精神が共和国理念の大きな部分をなしている事を現在でも如実に示すものである。

現在・過去、フランス共和国において何がしかの科学技術活動に携わった者として、この共和国理念を引き継いだフランソワ・ピカール氏の「科学の共和国」(*8)という20世紀フランス科学史の史的エピステメーには少なからず共感を覚える。事実、フランスの科学技術制度は上述のグランゼコルをふくめ、仏国立科学研究センターCNRSにはじまる研究公務員の国民規模での大量組識化、大学教育と CNRS等個別研究機関の相乗り制度、CNAMや種々科学系博物館あるいはコレージュドフランスに見られる科学知識の市民開示の姿勢、あるいは西欧科学の伝統をそのもの体現するフランス学士院・科学アカデミーなど、科学史制度上メルクマールとなった機構を多く抱えている。(*8) PICARD, Jean-François. La république des savants

こうした新旧様々の組識・機関が渾然一体となって科学技術研究を推し進めていく様はまさに壮観であり、この現代的様相にアプローチするためにはそれに相応しい科学技術現代史の視点を確立する必要

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がある。現代的HPSの視点は、こうした科学技術の現代性と糸の目のように縦横に重なり合い絡み合っているものであり、個別科学の進展を絶えずフォローアップしかつ研究史の流れを制度・思想・国際関係などから多重に切断投影してみる複眼が必要である。

こうした方法論は個別科学専門研究者のピアレヴューや特定研究領域の総括史などに時折盛り込まれることはあるが、その多くは断片的回想録ともいえるものであり、現代的HPSの設定する次元空間の極一部にすぎない。願わくは、現代における専門家達の個別ピアレヴュー・総括史を公表する際に、HPSあるいはSTSの研究者との共著で研究自体のメタ評論を展開するスタイルを確立したいものだが、そうした試みは未だ定着するにいたっていない。

また第二次世界大戦後の科学研究の現場は、現代科学史家の設定する射程を常に乗り越え再設定させる様な合理性をたゆまず追求し、あるいは科学社会論者の練りに練ったスペキュレーションさえも当て外れにするようなダイナミズムとそして偶発性さえも備えている。現実の研究プロパー達だけがこのような世界像を共有するため、HPS研究やSTS研究でさえも彼らの目には時として気の抜けた清涼飲料の様に映る、と考えがちである。

ここでは、そうした科学技術プロパー達の「現場感覚」と人文・社会研究者達の科学に向ける視点「相対主義」のあいだに存在する現実感の乖離、自然・人間への関心の持ち方の非対象性は、ラトウール流の社会認識から言えばテクノクラシー内部の「客観性」というタイトルをまとった疎人間学的歴史虚構を肥大化させ、科学者をして血色の見えない能面のような振る舞いを横行させるだけであり、この点において、現代HPSの課題はこの客観性をまとった膨大な「科学的知識」の渦のなかからこの人間学的歴史性をとりもどすことにある、と言える。(*9) そして、こうした現代HPS研究の営みが何のために、いかなる地平を獲得せんとするのかが論じられなければならない。それはとりもなおさず、現代科学の抱える諸問題-科学技術のリスクとアセスメント、科学知識の普及、科学と民主社会、科学と国家、研究活動と経済等など-にアクセスするための地平を拓くためである。

本論考では現代HPSのもたらす射程とはこうした地平のパースペクティヴと問題群へのチャネル入口までを提供するものと限定する。その先にはSTS研究という、1970-80年代の学術的うねりを経て1990年代になってようやく結実しつつある学術分野の誕生が待たれており、この橋渡しをスムーズにし、自らの問題設定領域に対する言説の確度を高める精緻な« フレーム »を作るためにも、現代HPSとSTSとを区別しておこう。(*10)

(*9) PESTRE, Dominique. « Commemorative Practice at CERN : Between Physicists’ Memories ans Historians’ Narratives » in Commemorative Practice in Science. – Historical Perspectives on the Politics of Collective Memory – Osiris, vol. 14. 1999. Atelier de l’Histoire des Sciences au Centre Alexandre-Koyré アレクサンドルコイレセンター「科学史研究セミナー」における輪読に際して、ドミニク ペストルの「物理研究者の共有する記憶と科学・史家の叙事」が引用された。同様に、科学史方法論としての叙事方法(Narrative Methode)は Marie-Noëlle Bourguet (同掲 *1参照)による歴史方法論にても強調される。 « Comment on écrit l’histoire ? » la question du récit – L’art du récit historique (par François Hartog). Temps et Récit (par Paul Ricoeur). 「どのようにして歴史は書かれるか?物語性への問い」歴史の物語り方(フランソワ ハルトーク著・ )、時間と物語(ポール リクール著・ ) あるいは« Histoire culturelle et anthropologie symbolique » : le monde comme texte – The Interpretation of cultures (by Clifford Geertz). The model of the text : meaningful action considered as a text (Paul Ricoeur)「文化史とシンボル人類学-テキストとしての世界」文化の翻訳(クリフォード・ギアツ著)、テキストのモデル :テキストという意味のある作為(ポール・リクール) 等。(*10) 現代のSTS研究にも二つの方向性がある事に留意しておこう。一つは、1970年代英米におけるのブルアー・ザイデル達のストロングプログラムが科学技術政策として取り込まれたもので、欧州では科学技術活動を計画経済の中へ統合し社会主義政策を補完する役割を果たした。二つ目は、科学社会論(Sociology of Science)・科学知識論(SSK : Sociology of Scientific Knowledge)・科学と市民(PUS : Public Understanding of Science)・科学技術アセスメント等と言われる問題設定群へのアプローチであり、行政との密な関わりの点では民主的中立または行政との距離を取る。いずれにしても、STSには政治社会的位置づけが必要であり、その点で現代HPSとの明確な線引きができる。

さてこうして、現代HPSとSTSの輪郭をスケッチしていくと、コントの言わんとする実証段階の後衛に来る歴史学と社会学が現代科学研究の中に占める位置と役割を浮かび上がらせ、その面影を僅かながら明確にしてくる。

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EHESS-STS セミナーとフランス    STS アソシエーション  上記のパリ大学-EHESSにおける科学技術歴史家養成課程に対して、A.K.科学史センター−EHESSを中心とする科学史側からの STSセミナーが存在する。この両者が共催する科学史セミナーと言うのは実は無数にあってそのどれもが科学史の内容と同時に科学史のもたらす現代的問題つまり STS的課題を何らかの形で取り扱っている。その意味からすると STS的セミナーも無数に存在することになるが、ここでは STSと言う見方を正面から取り上げているものだけを考えて、その一つを紹介しよう。これは 1999-2000年に、A.K.科学史センター研究員 Christophe Bonneuilおよび INSERM研究員 J.P.Gudillière Ilana Lowy達の主催したものである。2000年以降、仏 STSアソシエーションが設立され、EUレベルの STS-PUSプログラムと連携してセミナー・研究会を恒常的に行なっている。

科学と社会: 政治・文化・法制度 Science et Société: Politique, Culture, Droit 1.概論: 科学・技術・社会(=STS)分野の新しい視野 Introduction générale: nouvelles perspectives dans le champ ≪ Siences, Technologie et Société ≫ 2.19-20世紀におけるテクノサイエンスのメタファー: リスク社会の問題性の出現 Les métaphores de la technoscience(19ème-20ème siècle) L'émergence de la problematique de la ≪ société du risque ≫ 3.20世紀における生命の科学と産業化 Sciences et industrialisation du vivant au 20ème siecle 4.20世紀の生命科学における法制度と実体化 Droit et appropriation du vivant au 20ème siècle 5.19世紀後半から 20世紀 30年代の衛生学による社会管理の問題点 Les hygiénistes, la question sociale et le contrôle du milieu entre la fin du 19ème siècle et les années 30 6.科学と国家: アメリカ合衆国及びアフリカ大陸における自然公園の開拓(1870-1950) Science, Etat et invention de la nature et des parcs naturels aux Etats-Unis et en Afrique noire (1870-1950) 7.環境問題: 科学専門家とグローバリゼーション−Amy Dahan による、温室効果の科学と政治 Environement, Expertise scientifique et globalisation . Amy Dahan: science et politique de l'effet de serre 8.遺伝科学をプリズムとして見た社会階層・人種・国家: フランス・ドイツ・英国の優生学のダイナミズム Penser classes, races et nations au prisme de l'hérédité: la dynamique des eug?nismes en France, Allemagne et Grande-Bretagne 9.自然性化: ホルモン体−科学へのフェミニズム批判の現れ La naturalisation du genre: le corps hormonal. L'émergence d'une critique féministe de la science 10.社会操作のための疾病測量: リスク係数を孕んだ生活統計 Quantifier la maladie pour gérer le social: de la statistique vitale aux ≪ facteurs de risque ≫ 11.Marie-Angele Hermitte による、テクノサイエンスの行政意思決定: 予防原則の出現 Marie-Angèle Hermitte . La décision administrative dans l'univers techno-scientifique: l'émergence du pricipe de précaution 12.進歩への異議: 1960-70年代の科学技術にまつわる政治課題の構築 Le progrès contesté: la construction d'un enjeu politique autour de la science et la technique dans les années 1960 et 1970

 このセミナーの導入部は CNAMのものとほぼ同じで、Pinch-Bijker達の科学的事実または技術産物の社会構成論的様相、Pavittの学術研究・技術発展・研究開発政策論、Wynneのエキスパート論を紹介する。現代のテクノサイエンス状況を生み出した 19-20世紀アメリカのベル研究所・GE等を例にとり、Beck-Rosenbergのリスク社会を導入する。

 Budd-Crononらの生命科学史への検討、とりわけ生命的自然の有効搾取の過程を指摘し、Edelman-Hermitte-Kevlesらの生物特許批判を展開する。この批判は主に 19世紀末にはじまった自然の有効利用・都市の発達と衛生学の科学政策的側面へ向けられる。この文脈でDunlap-Haysらのアメリカ・アフリカ大陸の大自然公園開発が、Weindling-McKenzieらの優生学批判が人口統計学との関連から論じられる。2大世界大戦間の女性社会進出を促進した背景として、化粧薬品・女性労働サイクル管理等内分泌学的研究に裏付けられたものであるというOudshoorn-FaustoSterlingらの論を紹介する。

 今日の地球環境問題につながる温室効果・オゾン層破壊に対して、Patterson-Edwardsらにより地球環境パラメータの測定と評価の数学的プログラムを開発してきた国際研究アジェンダとその政策決定過程を検討する。

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 前項 CNAMの欄で述べたように、こうした問題は定量的評価が難しい。かつ産業上の問題に絞り切れず批判を向ける対象が常にぼやけてしまう可能性がある。しかし、こうした自然科学と社会問題の直接的な関連付けは科学エピステモロジーのかなり基礎的な部分に触れる事がある。従って、科学史的アプローチからこうした定性的問題に取り組む必要は常に残しておくべきであり、研究手法の開発が更に望まれる。

コミュニケーション戦術としてのラボラトリー・スタディーズ(キュリー歴史館)実験室研究、実験器具研究の主眼は、実験科学者が理論と実験事実から素朴実在論としての「科学的真理」をどのように導き出すかを描き出すとともに、その際の「構成」を実験器具に関わるすべての技術要素知識と人・物・経済資源のアクター・ネットワークを精密に分析することで、実験研究自体の複雑さ、技術者・科学者の役割、実験室にもたらされた多様な知識の複次元性を再現を目指すことにあるといってよい。主として科学博物館のキュレーターと呼ばれる実験器具収集学芸員からもたらされた機器の系統的分析により、実験器具を製造する際の実験事実の概念化と技術上の達成レベルがどのように結びついていたかを考察することが出発点である。そして今目指す所の最終地点は、これらの実験室研究がサイエンス・コミュニケーションに対してどのようなメッセージ性をもつか、という点である。

ここでは次の三つのケースから、実験室研究とサイエンス・コミュニケーションがどのように発展しうるかを見てみよう。

1. オットー・シブンのJ.ジュール熱実験再現2. ミシェル・ピノのジョリオ・キュリーの加速器施設(生物物理実験)3. ペーストル・ギャリソンらの現代原子核・高エネルギー物理学実験

1.オットー・シブンのJ.ジュール熱実験再現オットー・シブンの主題は「熱の仕事当量の再現実験:英国ヴィクトリア初期における精密機器と精度測定」というものであり、19世紀後半マンチェスターで物理学者として活躍したJ.ジュールが行なったいわゆるジュール熱の仕事当量決定測定の実験を、シブン自体が1990年代にロンドン科学博物館において再現実験したものである。(*) SIBUN, Heinz Otto. « Reworking the Mechanical Value of Heat : Instruments of Precision and Gestures of Accuracy in Early Victorian England » Stud. Hist. Phil. Sci. Vol.26, No. 1, pp. 73-106, 1995

シブンによる「再現」は、J.ジュールの出版論文「熱仕事当量について(Philosophical Transaction, 1850, London)」で用いられた熱測定技術がヴィクトリア当時の産業革命のなかにあってとりわけビール醸造の職人技術から来る事に対する技術社会史的考察からはじまる。技術の社会史にあって、科学史家たちが「技能(skill)・暗黙知(TacitKnowledge)・賦能(Geschick)」と呼ぶ職人技術を、シブンは再現過程のなかで口伝かつ非記述の形による技術改善の連続と認識し、クリフォード・ギアツの「ローカル・ノレッジ」になぞらえている。

シブンは、オルデンブルク大学(独)物理学科の科学史・科学教育グループやマンチェスター・ロンドンの博物館と共同でジュールの熱機械(Paddle-Wheel)のレプリカをいくつか作成していくが、ジュールが論文の中で与えた熱動作の値からずれたものからある偏差(標準偏差 9.2%)をもって分布することが明らかとなる。ジュールは熱機械そのもののデザイン図や、この熱機械を作動し熱測定をするときの手順と注意事項も残しておらず、実験室における環境熱が測定結果に大きな影響をあたえ、熱測定をする熟練技師の環境熱管理が大きな要因であることを発見する。ジュールの残した当量値を導き出すには 1/100℃の精度が理論的に必要とされるのに対して、環境熱による測定のふらつきは 0.5℃にのぼる。これは当時も今も同じ実験環境上の障害である。多数にわたるシブンの試行の結果、ジュールは熱測定の高精度較正を行なったらしいことが推測される。

シブンはこれにより、ジュールの熱測定実験に不可欠であった要因を次のようにまとめている。

1) 通常産業革命を扱う科学技術史が熱蒸気機関の発展に重きを置くのに対して、熱測定の精密化は醸造業の職人集団内で持つ伝承の「技術マネージメント」に大きく寄っていたこと。しかもこの職人集団の伝承をある程度の歴史文書から追跡していくと、熱と仕事量が比例定数を介して相関関係にあること、熱媒体(空気・液体)によって媒質が特性熱をもつことを彼らが暗黙の形で認識していたこと

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が示される。これらの職人の技能(skill)は、ジュールの法則として定式化される科学知識が確立される以前に、熱動作管理を醸造行程に最適となるよう改善を重ねて伝承されていたこと。

2) 高精度熱測定のための職人ツール(Compagnon of the Bench)の大量生産。19世紀の前半には、熱測定機器の標準化と大量生産がなされている。これは、熱測定の高精度化と較正作業を職人達が広範に要請していたものであり、このツールを持つことが良き職人として認められることでもあったという。今日の技術倫理に相当する職人文化であると同時に醸造業に課せられた経済原理(品質保証)をも追求する社会認識が職人集団内で共有されていたといえよう。

さて、こうした技術職人のバックグラウンドとナチュラル・フィロソファーであるジュールの実験室における科学技術認識はどのように相互作用し、総合的理解としてのジュールの法則はどのようにして科学界の認知を得るにいたったのであろうか。シブンによれば、ジュールはもともと実験に携わる哲学者としては醸造産業の職人技術と文化をよく

理解した、彼らに非常に近い技術知識文化に身を置いていたらしい。ところが、熱仕事当量に関する初期の発表では、自然哲学としての論文の性格を持たせながらも、記述トーンが実験の確かさを印象づけるだけに終り、「数値的厳密」さに欠けるという批判を受けた。職人技術の正確さに信頼を置いていたために、伝達されにくい職人技術のスキルに記述が寄ってしまったためだ。ジュール自身は実験結果の確かさを訴えるために再現実験を公衆の面前でいくつか行なうが、結局 1850年の論文では、熱と仕事量を結ぶ定量的性質としての当量が定数として自然に存在する、という表現に留め、職人技術の知識についてはまったく触れなかった。このことによりジュールは、雑誌 Philosophical Transactionへの掲載を得たわけだが、この水面下には

当時の技能職人労働者とナチュラル・フィロソファー達の知識記述の違いがあり、サイエンティストという当時の造語によって科学知識の方向性をもたらしたケンブリッジの自然哲学者W.ウィーエルがジュールの論文の推考と科学知識としての組み立てに寄与したといわれる。このシブンの実験室研究は、再現実験という厳密科学の形を借りて、当時の技術レベルを実証するこ

とで技術の社会史を科学理論そのものからは離して描いた点に価値がある。この距離の置き方によって、実験室における科学技術の成り立ち、すなわち「技術知」と「科学知」の定立過程の違い、そこになされた知識伝達とサイエンテフィック・コミュニケーションの詳細を我々に伝えている。

2.ジョリオ-キュリーの加速器施設(放射線生物物理実験史から)2000年9月にコレージュドフランスでフレデリック・ジョリオ-キュリーの原子核研究史を振り

返る国際会議が開かれた。この会議は1998年に行なわれたベクレル、キュリー夫妻による自然放射能発見を記念する科学史事業の続編と受け取ってよいが、フレデリック・ジョリオ-キュリーとは技術者としてキュリー夫人の原子核研究を引継ぎ、加速器を用いた原子核反応によって放射能原子核を人工的に作り出したことで1935年にキュリー家の第一娘イレーネ・ジョリオ-キュリーと共にノーベル化学賞を授与された、当時の原子核研究パイオニアの一人である。現在では核化学とよばれる分野に多く残るこの人工放射能原子核の分離技術は、キュリー夫妻に溯る

自然放射能物質の発見の際に開発された極微量分析の技術が、実験室規模の知識財としてフレデリック=イレーネ夫妻の世代に継承されたものと、科学史の一般の読み方は伝え、またフランス国内においても一般の理解は仏文化社会史に見受けられる家系伝承の神話的存在の一つ、と受け取りやすい。しかし、この会議はそうした側面を社会迎合的にとりあげるのではなく、最近ミシェル・ピノ(*28)によって丹念にまとめられた原子核研究者フレデリックの科学者人生とその科学研究思想・研究史を土台にした科学理解である。講演参加者には現CNRS-IN2P3機構の現状報告や科学史家、科学評価論専門家、科学哲学者などの寄与があり、文字どおりの原子核研究専門家と一般をつなぐサイエンス・コミュニケーションの場となった。さて、フレデリックは前述したように技術者教育をうけた実験家であり、原子核物理学としての核反

応を調べながら加速器開発の研究をも行なっている。現代の分業化された巨大加速器装置に携わる科学研究者と技術者両方の仕事を一人でこなしたスーパー実験家で、同時代の実験・理論にすぐれたイタリア出身の天才物理学者エンリコ・フェルミに比肩する存在であるといえる。ここで注目するのは、ジョリオらの開発使用した加速器の系譜と彼の草案した研究計画である。(*29)

ラザフォードの原子核実験の成功により、1920年代後半にはフランスにも静電型加速器がいくつか設置計画された。パリ物理化学学校(EPCI*30)物理機械部のあるパリ南近郊 Cachan地区にヴァンデグラフ型加速器( 1935)が、パリ南郊外 Ivry地区のアンペール研究所にインパルス静電型加速器(1923-35)が、1930年代にはパリ市内コレージュドフランスにサイクロトロン型加速器(1937)とGrandPalaisにヴァンデグラフ型加速器(1935-37)が設けられた。こうした加速器建設ラッシュの背景にあるのは、1920年代後半の後期量子論完成と、原子核物理学の実験手法としての粒子線工学・検出器物理の確立、そしてコッククロフ

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トとローレンスらに代表される加速器科学の誕生であり、とりわけキャベンディッシュ-KWIベルリン(*31)-バークレーの加速器サイトをとりまく Thomson-Houston社、GeneralElectric社などの電気物理機器産業が介在したことが大きい。(*32,34)また、欧州レベルで研究プログラムの財政サポートを行なったロックフェラー財団の果たした役割が

大きく、フレデリックらのいたラジウム研究所は、ロックフェラーとならんで医学・生物化学系に投資の篤かったロスチャイルド財団からも援助を受けている。ここで興味深いのは、こうした産学複合プラス財団投資という研究資源環境の中にあって、フレデリ

ックの計画した放射線生物分野という新分野開拓の開発計画である。おりしも1928-36年にかけてレントゲン・キュリー療法に関わる放射線障害の規制がICRPという国際的制度によって整いつつあり、遺伝学者 J.Mullerのショウジョウバエに対するX線照射による突然変異、生物物理学者M.Delbruckによる低線量放射線の生物被爆効果の数学モデル解法によるDNA領域の空間的同定などが報告され、生物学が一大変化をとげつつあった。こうした知見はロックフェラー財団の研究プログラム投資を統括するW.ウィーヴァーらに投資政策の変更を行なわせ、重点投資の対象が物理関係の巨大装置から「分子生物学」へと転換しつつあった。英国においてはキャベンディッシュラボのブラッグ、バナールといった物理学者達が固体X線解析の

延長として有機資料の解析を手がけつつあったが、フランスにおいてはラジウム研究所のX線撮影・キュリー療法がパスツール研究所のラカサーニュら放射線医学者達の手に渡され、ランジュバン以降のX線固体解析が放射線生物物理として発展するには飛躍があり過ぎた。このため、フレデリックらが Ivryの加速器を増強するために草案した開発計画は「原子核人工合成に

よる生物化学効果研究のための加速器開発(1935*33)」であり、このための資金をロックフェラー財団に要請している。また、コペンハーゲンのボーアのところにいたヘヴェシーを、人工放射性元素を生化学トレーサーとして用いるための研究に招聘している。しかしながら、放射線医学者であるラカサーニュがフレデリックと連名で放射線生物効果に関する共

著報告を出したのはようやく戦争末期(1944)になってのことであり、キュリー文書館の実験ノート等からも具体的な生化学的照射効果をしるす記録は戦争終了後からとなっている。なお、この当時の照射効果の最大の関心は中性子被爆効果であり、X線に比べて約10倍被爆効果が高いと見積もられていた中性子照射を動物実験として行い、晩発性被爆障害を観測している。戦時中の加速器運転が難航し研究が思うようにはかどらなかったとは言え、この放射線生物研究を目

指した巨大装置科学がフレデリック一人の科学研究遂行責任となってしまった背景には、当時のフランス科学者社会の特質が指摘されている。ブルデューが明らかにしたような、グランゼコル出身者などに見られる知識階層の固定化という社会状況にあって、マリー・キュリーもフレデリック・ジョリオも移民あるいは市井の技術者階層というマイノリティー出身から科学者社会のシンボル的存在にまでなった。CNRSのような巨大中央集権組識を作って「科学的社会」の広範大規模な展開を行なう、社会工学的発想に長けたフランス人の知性はフランス革命に由来する「共和制」理念に紛れもなくよるのであろうが、一方で、限りなく細分化するビューロクラシーは個人のアパシーを助長し、個々の無責任をシンボル責任に転嫁するヒポクリット達を生み出さないとは限らない。フレデリックが、戦後原子力庁CEAの長官職を固辞し核兵器に反対を表明したのも、フランステクノクラシー族にとっては相当な軋轢になったが、彼のこの反応は、科学と社会を考える以前に「科学と人間」というテーマを与えてくれているように思う。なお、こうしたフレデリック研究はEHESSセミナーなどで「科学と社会における責任者(chef)の行

動分析と人間理解」というテーマの一つとして扱われている。

(*28) PINOT, Michel. « Frédéric Joliot-Curie » Odile Jacob. Chaptire VIII. Le manager de laboratoire. (*29) Archive Joliot-Curie/FoLSA/1(*30) EPCI=Ecole de Physique et de Chimie Industrielle パリ物理化学学校、パリ市内Ulm地区にあるエコルノルマルに併設された産業・科学分野の技術者養成学校(*31) KeiserWilhelmInstitute(*32) ELENBERGER, Michel. « Quel destin pour le laboratoire des Joliot-Curie ? » La recherche, 268 Septembre, 1994 vol. 25, pp948-949(*33) JOLIOT-Curie, Frédéric. « Les oevres scientifiques » PUF(*34) HINOKAWA, Shizue. « Frédéric Joliot-Curie and Cyclotron Development » The Journal of Humanities and Sciences, No. 4. (October 2000, Takushoku University), pp. 229-254

3.ペーストル・ギャリソンらの現代原子核・高エネルギー物理学実験1990年代初頭の米国SSC計画をめぐる議論により日本においても「大型装置科学」の社会的

意味から科学と社会を問い直す動きが起こっている。(*35)現代科学史の範疇に入れるにはあまりにアクチ

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ュアルな問題を多く含むこの問題設定と議論の進展は、科学研究者自身の直面するSTS・MOT的研究にとって格好の対象である。欧米においては、「巨大科学」という括り方で科学活動スケールの大型化を問い直すやり方は少なからず科学政策、あるいは時とし国際的科学者組識を巻き込んだ国際科学政治に対する社会学的考察を含んできたが、ここではややオーソドックスなHPS的立場をとるD.ペーストルのCERN(*36)研究とP.ギャリソンのHEP(*37)研究を見てみよう。

D.ペーストルは自身学生時代(エコルノルマル)に物理学を修めた後、現代科学史に転向し、1950-90年のCERN(欧州合同原子核研究所)における研究史のあらゆる側面を「セルンの歴史(*38)」として著した。その後Vilette科学産業博物館科学史部門においてSTS研究を手がけた後、現在CNRSアレクサンドル・コイレ科学史研究所を率い、現代の大型化する科学活動を現代社会史の観点から批評講究する様々なセミナー活動を EHESSと共同で行なっている。

ペーストルの「セルンの歴史」は、研究所設立における第二次世界大戦前に組織された欧州圏科学者の国際組識ICSUの果たした役割からはじまり、ニールス・ボーア(デ)、ルイ・ドブロイ(仏)、ウィリアム・ブラッグ(英)、ピエール・オージェ(仏)といった設立前史世代の「戦争と科学」に対する反省からのUNESCOへの働きかけ、1950年代の米ソ冷戦突入期に完成をみた第一世代加速器(シンクロサイクロトロン 600MeV)の建設過程とそれに関連する研究計画の推移などを追っている。その後第三巻は、米ソ欧の原子核・高エネルギー物理研究が三極体制となる1980年代以降を扱っており、素粒子の三世代クオーク・レプトン構造に至るまでの探求史は今日の物理研究者の知る所である。

ここでペーストルの現代物理史研究者としての観察は、1982-88年間にCERN研究所の内部で彼自身が体験した研究者達の「歴史の語り」に注意が注がれる。セルン・クーリエと呼ばれる研究所内外の研究者・HEPコミュニティーに配布されている月刊機関誌にしばしば掲載される「業績を残した偉大な物理学者の生誕記念記事」とかならずそれに付随される研究業績の紹介、またその研究が現在どのような形で発展させられどのような進捗状況を示しているか、など、勿論記事にされない研究所内のセミナーや行事にも参加した上で、ペーストルはこの「歴史の語り」こそが研究と研究所の正統性(legitimity)を体現し保持する意思決定のためのオペレーションなのだと言う。

設立10周年にあたる1964年のセルン委員会における「純粋科学研究と文明(Cecil F. Powell)」「欧州における共同科学研究(Edoardo Amaldi)」などの講演、ワイスコップやラビらの「科学技術と社会」に関する報告などにみられるように、先人の偉業を褒め称え、「科学と社会」の関連を掘り起こすややもすれば政治哲学的な議論を幾度となく喚起し、その上で現課題として関心を集めている研究開発上のテクニカル・アセスメントに言及する、これこそが「サイエンテフィック・コミュニケーション」だとペーストルは言う。

では、この専門家達の間で共有され伝達される「歴史の語り」とはいかなるものなのであろうか。ここにいたってペーストルは彼自身の科学史家としての問題意識をラディカルに鮮明化する。所内の研究者や技術者達の語る過去は上記のサイエンティフィック・コミュニケーションの影響を大きく受けて、科学事実の構成が「人間中心(Anthropo-centric)的な物語り(Narative History)」に支配されているという。

専門外の科学史家でさえ躊躇する科学事実の「内的真実性」と社会構成的な記述の間に生まれる「実在」をめぐる葛藤がここでは消失しており、正統な歴史として展開されるはずの客観的事実構成の合間に織り込まれる「人間臭い」先人研究者達の逸話的振る舞い、彼らをして文字記述としては残したくないと思わせるような社会政治的緊張を孕んだ過去の研究活動、これらの過去を語ることによる自分たちの現状への影響等など、過去は「様々な思惑」によって語られ、また「語って欲しい過去、語られたくない過去」が現場の研究者達と科学史家の共同作業を時にさえぎる。

この土壌の上に、「物理は面白い(Physics is fun)」というG.シャルパックやC.ルビア等のノーベル賞受賞者たちの若手研究者を鼓舞する「語り」が形成されている、とペーストルの眼には映り、「実在」をめぐって現場の人間が「今何をしているのか」という省察を歴史的文脈から切り離して、将来の発展形へつなげることのみが科学知識の価値だとするプラグマティズムに支配されている、と指摘する。その影で研究者達はフランス原子力庁CEAやNATOなどに関連する軍事イッシューにはまったく触れない。(*39)

しかも、この「歴史の語り」は若手研究者・技術者達の養成過程における彼らの「社会認識」を構成する重要な鍵となっており、彼らの一部が第一線の研究行政者として将来の研究政策に関与することを考えると、この「語り」は共同体内だけで閉じたローカルノレッジにするのではなく、科学史家を参与させた現代史記述として「サイエンス・コミュニケーション」にイノベーションするべきだと、ペーストルに主張させる。

さてここで汲み取るべきは、CERNのような巨大装置・国際的大規模科学の現場においても、現代科学史のアプローチによって、過去の一定の年代に政策決定・技術アセスメント・知識還元の果たした

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役割(あるいは果たさなかった役割)を評価するため、研究史の批判的検討を「サイエンス・コミュニケーション」の場へもたらすことが可能である、ということだ。この評価のためには、ノーベル賞受賞者の言説や大物科学者同志のピアーレヴューに惑わされることなく、「科学的真実の達成度」を計ることが必要不可欠であるが、現代の大規模科学にあってこの達成はいかにしてなされるか、あるいは研究計画として策定された実験はどのようにして完了するか、という点をギャリソンの著書「いかに実験は終るか?」から掘り起こしてみよう。

(*35)「大型装置科学の科学論」総合研究大学院大学研究会1998(*36) CERN Centre Européen pour la Recherche Nucléaire 欧州原子核研究所(*37) HEP High Energy Physics 高エネルギー物理コミュニティー(*38) PESTRE, Dominique « History of CERN » vol.1,2,3. Coedition with Armin Hermann, John Krige, Ulrike Mersits. North Holland, 1987, 1990 and 1996, Amsterdam. または « Commemorative Practices at CERN : Between Physicist’s Memories and Historian’s Narratives » Osiris, 1999, 14 :203-216 (*39) 最近シャルパックによる高エネルギー原子核研究と原子力・国防に関する一般向け図書が出版され、この中で共著者の軍事核開発専門家R.ガーウィンとともに、米国と歩調を共にするフランスの核開発の方向性を説いている。CHARPAK, George. GARWIN, Richard L. « Feux follets et champigons nucléaires » 「鬼火と核のキノコ」Odile Jacob, 2000, Paris.

橋本毅彦氏が書評で紹介されているように(*40)、ギャリソンの実験室研究(*41)は、キャベンデッシュ研究所(*42)のウィルソンらによる霧箱ガスチェンバーとよばれる高エネルギー素粒子検出器の開発過程から始まり、これを位置検出精度・エネルギー検出精度を高めるために開発された多重ワイヤー式比例係数検出(MWPC *43)への発展過程をおっている。高エネルギー原子核・素粒子反応過程で発生する多重粒子を識別・選別するために、この検出系からの信号をバッファリングし、コンピュータ上にデータイメージを構築しながら実験をすすめ、データ収集完了後にストックされたデータを再構築し解析にかける、現代の実験物理研究者にはお馴染みとなった「オンライン(Online)実験・オフライン(Offline)解析」の誕生である。

ここでギャリソンの認識論的主張は、1970年代に観測された中性カレントの存在をめぐって、科学的真理の決定不全性論(underterminisme)に立脚する社会構成主義論者ピッカリングの主張を退けることにある。当時のCERNの素粒子研究者達が、クワイン-デュエムテーゼを援用して中性カレントの存在を立証しようとする姿に、ピッカリングは職業研究者達の社会的関心・研究上の利益によって科学的事実が構成される様を見たわけだが、現代科学社会学の標準的教科書にも科学哲学と社会構成論の関連の一例として引用されるこの事例に対して、ギャリソンは科学者の実在論はあくまで決定完全性論(determinisme)を推し進めることにあるとしている。

このエピソードはしかしながら、現代物理学の標準的な教科書の中性カレント事象の解釈としては書かれていない。では、物理学徒とたる大学院学生や研究者にとって、このエピソードは科学的真実へ至る王道の脇道にすぎないのだろうか。効率の良いキャリアパスを邁進する職業研究者にとってはYesであろう。事実、事象発見から20年を経た現在、中性カレントの実体となるZ 0ボゾンの存在は確実であり、世の中ひも理論で騒がしい昨今、弱電磁相互作用を統一するワインバーグ理論を疑う研究者はもはやいないであろうからだ。しかし、ワインバーグ-サラム理論、ルビア-ファンデルメールらのW、Zボゾン検証実験といったノーベル賞級科学研究の歴史のなかに見え隠れするこうした「科学史的事実」の一つ一つは、伝承される正統史によって排除されうち捨てられるにはあまりに多くの科学思想的示唆を含んでいるように思われる。

ギャリソンの「いかに実験は終るか?」の終章は、上述の計算機を援用したオンライン・オフライン実験システムが世界各地の加速器サイトで様々なモンテカルロ計算シュミレーションを生み出した事に言及しておわっている。実はこれがHEP・原子核コミュニティー界隈においては終りの始まりにつながるのだが、これについては次章で言及する。

総じてギャリソンのこの研究から汲み取れることは、「失敗は発明の母」という科学研究者ならば誰もが持っている発見の精神(serendipity)をサイエンテフィック・コミュニケーションの落ち葉の中から拾い上げ、サイエンス・コミュニケーションによって再現可能にして見せることである。これにはオフライン解析ツールとして蓄積されてきたコンピュータ技術が威力を発揮することであろう。

(*40)橋本毅彦「実験と実験室(ラボラトリー)をめぐる新しい科学史研究」化学史研究第20巻第2号(1993)pp.107-121(*41) GALISON, Peter. « How Experiments End » Chicago University Press, 1987

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(*42) HUGHES, Jeff. « Plasticine and Valves : Industry, Instrumentation and the Emergence of Nuclear Physics », dans J.-P. Gaudillière et Illana Löwy (eds), The visible Industrialist, Manufactures and the Production of Scientific Knowledge, MacMillan Press, 1998, pp. 58-86(*43)MWPC Multi Wire Proportional Counter

CNAMの STS技術と研究に関する評価と未来予測-STS的アプローチ

仏国立工芸技術院 CNAMはフランス革命期にエコル・ポリテク、エコル・ノルマルなどと並んで科学技術の専門教育のために設立された機関であり、エコルポンショセ、エコルデミンヌ、エコルサントラル等の産業別グランゼコルと称せられる。17世紀科学革命にはじまる実証科学の発展と18世紀の啓蒙思想をうけた市民教育の思想を柱としており、その後の応用科学による産業の発達を受けた19世紀の産業革命期に多くの技術者を送り出してきた機関である。特に付設の技術博物館と技術史センターは、現代科学技術にまで至る前の近代技術の発展固有史に関する資料が豊富である。

科学史家村上陽一郎氏によれば(*)、近代大学史の中で工学部を総合大学に取り入れたのは世界でも東京大学が始めてであり、このときの工科大学の西欧における原型はこのフランス革命期以降の技術系グランゼコルであると言われる。この工科大学は一般に現在にいたるまで、フランス語圏では Politechnique、ドイツ語圏では TechnischeHochschuleあるいは TechnischeUniversitäte、アメリカ合衆国ではいわゆる五大州立工科大学等としてしられるが、ことフランス国内に関しては既存大学の中に工学部が統合されておらず、職業階層を前提とした技術系グランゼコルの方がエンジニア輩出のための主たる養成機関となっている。(*)村上陽一郎著「文明の中の科学」青土社

工芸技術院はその設立の自由市民教育の理念から、現在でも理工系職業人に門戸が広く開かれており、フランス国内に地方施設を持つ全国組織でもある。フランスの教育制度は極度な複線型であり、加えて大学の自由化、無数の専門教育機関により、履修年限・履修年齢層が極めて多彩である。日本の高等教育ににおいては、生涯における職業雇用制度との兼ね合いで職業人の再教育・サイドキャリアステップが極めて難しいが、フランスおよび欧米の職業・教育制度はこの点が非常に柔軟である。職場と本人の必要性認識度合いによって再教育・複研究が可能である。

こうした多彩な出身者層の参加によって起こることは、理論・実習の知識拡散型の教育を行なうだけではなく、個々の産業分野・研究開発現場で起こる問題を回収し、事例収集と分析を加えることである。形式は講義と実習およびセミナー演習、そして各産業分野の参加者による合同討論会などが多く、個別技術・経営手法・統計分析などテーマに応じた研究グループが院内に設けられている。かつ、大学院以上の学位を発行する制度も備わっており、最近日本においても採用されつつある社会人大学院にも相当するとも言える。

英米を初めとするSTS教育は1970年代の科学社会学におけるストロングプログラムの流れを組んでSSS(Social Study of Science)という大きな潮流となっている。仏国内におけるSTS教育は未だそうしたアングロサクソン的なプラグマティズムを収斂させておらず、技術系グランゼコル・理工系大学学部のいくつかでそうした流れを組もうとした時期があった。そのひとつが CNAMのSTSであったが、この講座は当初職業教育の一環としての企業内技術の問題(工場内の事故防止と品質管理、薬品・農薬品の安全性、産業公害の管理等)を扱うことを目的としており、固有産業技術に関わるリスクマネージメントの色彩が濃かった。

一方、経済活動としての研究活動・技術開発をどのように社会プログラムとして具現化するかという問題があり、これをSTS分析・サイエンスメトリー・評価予測の観点から発展させたものが、Rémi Barré教授の講究「技術と科学研究に関する評価と未来予測 Prospective et évaluation de la recherche et de la technologie」である。この講究は上述した LIPSの研究プログラムと密接な関連があり、参加者は現役の研究者・研究機関マネージャーなどである。

講究の構成は通年23回の講義と講義主題に関するセミナーからなり、現場の研究者・研究機構・産業団体・消費者グループ等を招いて公開討論を行なっている。

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Barré教授はユネスコのシンクタンク科学技術観測センター OST=Observatoire des Sciences et des Techniques www.obs-ost.fr を主催しており、このOSTは同名の諮問機関が英国議会に附置されている。

講義の概要は次の通りである。1.科学知識の創造・流通・評価に伴うメカニズムと課題Mécanisme et enjeux de la création, circulation et

appropriation de la connaissance2.未来予測の役割,戦略分析と評価;社会・専門家・技術評価・予防原則・研究の自律性 Les Fonctions

prospective, analyse stratégique et évaluation ; la relation – société : expertise, évaluation technologique, pricipe de précaution, autonomie de la recherche

3.科学知識の量的側面;研究活動とその効果の測定;原理・方法・批評と意思決定におけるそれらの役割Les connaissances quantitative – la mesure des activités de recherche et de leurs impacts : pricipes, méthodes, critiques ; leur rôle dans les processus de décision

4.未来予測と戦略分析;機構における(研究活動の)技術・プロセス・設計 La prospective et l’analyse stratégique : techniques, processus, design institutionel

5.研究・技術開発分野の様々な形の評価 L’évaluation et ses différences formes dans le champ de la recherche et de la technologie

6.フランス型研究システムにおける規制とその評価 Les régulations du système de recherche français et leurs évaluations

7.研究と技術開発の予測上の要素とパラメータ Eléments et paramètres d’une prospective de la recherche et de la technologie

講義はまず、科学知・技術知を社会資源としてどのように定義するかという点を巡って Foray-Gullec-Callonらの「知の経済学」と称される科学社会論を導入する。ここでは公的研究機関のみならず私的民間企業などから公開される論文・科学技術知識の性質も俎上にのせられる。その上でGibbonsのモード2科学活動が紹介され、Zimanによる科学活動に関する公共性、経済効果とますます結びついていく科学のあり方に関する討論が展開される。ここでは科学史に対する見方は社会構成主義で、Barnes-Bloorのストロングプログラム、Callon-Latourらのハードプログラム・アクターネットワークの理論を再確認する。その上に、EU委員会・OECDの科学技術政策に関するドキュメント分析が行われる。この分析では、欧州原子核研究所 CERN 欧州宇宙開発研究所・ ESAといった巨大研究機構の経済資源としての価値・人員構成・R&D等の評価がエコノメトリーの一環として行われる。ここで活用されるのは、科学技術指標(S&T indicator)とよばれる各種数値データ群であるが、統計処理に際しては Barré教授の提唱する戦略的分析という方法論が強調される。科学技術力評価のベンチマークテストとしてOECD・OST・SCI(Scientific Citation and Index)の指標データが用いられ、英仏間の比較がなされた。この方法論は評価対象を、個人研究者(Microレベル)・研究所等の組識機構(Mesoレベル)・国(Macroレベル)という適用範囲に明確に定義しており、其々の対象によって経済評価・資源割り当て・政策上の意志決定という科学研究活動に対するメタ判断を導き出す。この中で定性的重要度が置かれるのが、Mesoレベルの範疇にある研究グループ・研究所・機構に対する評価である。Microレベルの評価は個人のキャリアにとっては重要であるが、社会学的意味はまちまちであるかまったく見出せないことも多い。これに対して、Mesoレベルの研究活動はその目的・性格に社会的意味付けが必ずでき、先の経済評価や政策判断が明確に導き出せるという。例として先述した独仏間の原子力政策の違いをとろう。基礎・応用物理を含めて原子力へ携わる人員は

80年代後半まで両国間で大差はない。ただしこの分野の基礎関係については、ドイツの方がフランスの約二倍の人員の博士修了者を毎年雇用している。人員の過半数は技術者・テクニシアンである事、原子力基幹部門においての研究成果についても差異は大きくない。ところが、基礎部門の研究成果では加速器・新素材・実験科学の分野で、先述したように基礎研究から実用技術化転換の指標となる特許案件数において有為な差が出る。近年の米国エネルギー政策転換に端を発する核再開発の潮流においても、フランスは仏原子力庁・産学一体となった追随傾向を示しているが、ドイツは原子力基幹部門を EURATOM機構の範囲内にとどめて先端科学に投資を重点化しておりその分成果が特定されており優位にあると言ってよい(原子核先端科学におけるGSI(独)とGANIL(仏)の比較例等)。これに対して、フランスの基礎部門研究組識(CNRS-IN2P3機構)は CERN機構への貢献度が高いとされている。こうした比較評価は科学政策の判断材料として好適であるが、問題は原子力基幹部門の評価である。従来は、原発から出る電力が他資源のものより安いかどうかという問題も含めて、核廃棄物を抱えた核燃料サイクルを評価する事は難しかった。しかし現在では、結論から言うと原発電力と核燃料サイクルの評価

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は別物となりつつある。電力配給自由化により原発電力の単価は市場流通のレベルで評価され、核燃料サイクルの存続はもっぱら政治的判断(核政策・防衛等)によるものとなった。ドイツの脱原発政策は言うまでもなく、東西ブロックの消滅によるNATO軍の核戦略変更の影響が大きい。これに対して独自核戦略を保持するフランスには核燃料サイクルが不可欠となるが、核軍備を前提とする再処理に経済効率を導入しなければ一定の再処理量(つまり一定の保有量 !)で済む。一方、再処理に経済効率を導入しようとして高速増殖炉開発に乗り出したために効率追求に失敗し、結果として増殖炉の放棄につながったのだとも言えよう。現在では、核廃棄物の最終処分は地層処理が大勢となっており、原子力エネルギーが結局高価な資源であるとの評価に落ち着きつつあるが、現在地上に存在するものをさすがに放置するわけにはいかない。高価な代償を払ってでも処分するほかはないであろう。ちなみに加速器による破砕技術はコストパフォーマンス評価が著しく低く計画は暗礁に乗り上げている。以上が原子力分野への評価と判断である。さて講究は、科学技術指標・出版・特許の三大統計データをどのように総合するか、というサイエンスメトリーの定義に入る。ここではVan Raanの4つのアプローチ 1)ビブリオメトリーを中核とする科学知識の伝達と技術シーズの創造を評価する 2)科学技術に関するデータベース・図書館学といった情報システムの構築 3)基礎科学と応用技術の間の相互作用を解釈し、より経済的評価を明らかにする 4)研究開発制度に関する社会認識論を掘り下げる、を基本とする。こうした上で Science and Public Polcy誌などの評価記事を分析する。テーマとして「英国の研究開発はフランスのものより 2,13倍効率的である」「フランスの研究の質はイギリスのものより 20%劣っておりオーストラリアよりも下回っている」といった仮説が本当かどうかを検証する。この間、科学技術分野の諸団体を招いた会合が開かれ、博士課程の研究制度・ボストドクの採用メカニズム・ベンチャースタートアップの様子・研究公務員の採用とキャリアモニターのしくみ等が具体的に報告された。遺伝子生物関係の状況は前述したとうりである。最後に、このSTS学の柱の一つである研究開発の戦略的マネージメントに大きな時間が割かれる。この戦略論の基礎としてNonaka-Takeuchiのイノベーション学習サイクル論が導入される。いわゆる暗黙知としての社会資源を組織化し開発を加え戦略判断を導入する。このケーススタディーとしてソフトウェアベンチャーのスタートアップが紹介された。次に、欧州に10余りある統計予測(Foresight)集団の読み方をそれぞれ比較し、Foresightの類型として戦略シナリオ重視型・イノベーション学習サイクル重視型・社会予測重視型があることを認識する。これは経済と技術革新のタイプが国によって異なることを反映しており、各国産業社会のポストモダン状況に相関した対応を持つことが示される。これはAggregation指標として、組織的な研究パラダイム・研究アジェンダの開発能力とその財政サポートの参与度を、Steering指標として研究開発機構のインフラストラクチャー度・競争能力・研究アジェンダの社会への浸透プロセスを取った時に、このAggregation-Steeringダイアグラム上にオランダ・日本がAgrregationの高い国として、英国が Steeringの高い国として、フランス・米国が両指標のバランスのとれた位置に分類される、というものである。これら戦略的評価の応用として、欧州レベルの個別プログラム・研究所間の共同プログラムを評価する。例として、欧州航空宇宙研究所 ESA、英国諸大学間の共同研究アセスメント RAE、欧州-アイルランド間の研究交流援助による経済発展、EUREKAプログラム等の評価を検討する。この課程で研究政策ジャーナルでしばしば引用される研究者間のピアレヴューの評価妥当性を検討し直す。以上がこの講究の内容である。評価対象としてあげられた研究プログラム・機構は概して基礎研究から工学への応用がかなり可能なものであった。一方、環境問題・生命倫理問題を評価できるような対象が少ないことが難点である。

ジュネーヴフォーラム2002年日仏科学研究会議(JST2002)が開催される前段として科学技術イノベーション・ノレ

ッジモビリティーに関するフォーラムがジュネーブで開かれるとの知らせにより、仏国「科学の祭典」時期に同期して行われるこの会議に出席した。世界知的所有権連合(WIPO)敷地内のコングレスセンターには、地元ジュネーブの発明家集団と思わしき主催者の用意したプログラムが用意され、このプログラムの二日目より参加した。

この時期(10月 3-6日)は、ジュネーブ市内中心部に仮設された「MEDNAT自然療法医用技術」というコンベンションが開催されており、この展示コンベンションを見学した。フランス・ドイツなどではパラメディカルとして知られるこの分野であるが、源流は東洋医学であるはずの自然療法が西洋人のイノベーションの手にかかるとまたたくまに医用技術として開発される様を目の当たりにした。(添付別紙参照)

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圧巻は、東洋的「自然知(Naturkunde)・医学知(Gesundkunde)」に対する彼らの理論的解釈であり、質量ともに相当の熱意を感じた。今日、欧米に限らず、日本・東アジアなどでさえも西洋医学の補完医療として扱われるこの種の領域に多くの市民の関心を持って迎え入れられていることは、私たち日本人が西欧近代科学を受け入れ発展させたのとおなじモチベーションがあるかもしれない。

とりもなおさず、科学知識の一般理解(PUS)という面からも興味の持たれる現象である。

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