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第87号 (1) 昭和55年(1980)8月1日 盛岡市長且町7の60 岩手高等学校 中‾学:牧 版委員 黄任者 印刷所 山口北川印刷 年史 単行本 駿的 カタpク’-バソ7レッ ポスクー 所用 山口北州印刷 盛岡市青山四丁目的0585† 昭相方十五年J 前期石桜会役員 前期生徒会役員 去る四月二十五R〓り石桜 役員改選の結果、前期役員 が次のよう-こ決定し、すで に認証式を経て新しい体制 で活動を開始した。 新役員は次のとおりであ る。 ◎執行委員会 副会長 田中和斗 大矢裕ナ 渡辺 平子剛志 熊谷幹雄 桃山黍也 浅沼洋人 ○執行秦員 照井和久 又川 清水 星川光輝 石川元首 佐藤益文 鈴木和彦 佐藤隆二 高橋明広 (…)常任委員会 ○生活委員会 要員長 照井和久 副委員長 千葉孝之 菅原秀基 ○学習委員会 委員長 及川 副委員長 高邑道雄 大沢田毅樹 ○図書委員会 l l l l l l t r あろう。ある時は、一歩も 生徒会長再任にあたって 私が最近みた映画の一つ に、「北壁に舞う」という 映画がある。今まで数多く の山を征服してきた名もた い一人の日本人が、巨大な 壁ともいえる山に一七四時 間も一人で、長い孤独に耐 えたがらついに山に登りつ めるというドキュメントで ある。この映画の中では、 出演者は唯一、被のみであ る。あとは雪と山とが大部 分やあった。何故、彼はそ れほどまでにして、山に登 るのであろうか。 私はこの映画を見ていて ふと、ある人が有名な登山 家に、「あなたはなぜ、山 に登るのですか。」とたず ねた時、すかさず登山家は 「そこに山があるからさ。」 と答えたという有名な話を 思い出した。この官業を私 自身は、その登山家にとっ て山というものは、彼自身 の人生であり、どうしても 避けては通れない試様であ ると思う。おそらく、映画 の主人公も同じではないだ ろうか。巨大な壁である岩 にピッケルを力いっぱい打 ちつけている姿は、彼がそ の巨大な山に立ち向かいな がらも、一方では、自分の 人生に対しても、立ち向か 二しいる姿に思えた。 人生は、いろいろな巨大 な総をよじのぼることかも しれない.私は、今度の金 具再任にあたって、痛切に 感じたことは、私の目の前 には二つの巨大な壁が、立 ちふさがっていると思われ たことである。一つは、学 校というものであり、もう 一つは生徒という巨大な魔 である。おそらく、私は映 国の主人公のごとく、私の 仕事にとって、避けては逸 れないものであるから、こ の二つの壁に立ち向かうで 進めず立ち止まったり、も しくは、足を踏みはずして しまうかもしなない。しか し、だからといって、この 壁を登ろうともせず、下界 でじっとしているだけで、 よいものであろうか。ある 作者が、「他人がいなけれ ば人間は、存在できないご と言っている。まったくそ 委員長 清水 副葬貞長 藤沢康文 川守田雅啓 ○出版委員会 委員長 星川光輝 副委員長 岩渕光一 佐藤敬史 ○放送委見金 委員長 鈴木和恵 副委員長 直槻 青田 ○文化委員会 委員長 佐藤益文 副葬員長 高橋 信明 ○体育委員会 委員長 石川元喜 副葬貝長 雅子洋和 人藁 54年度後期奨学 金授与される 去る四月九日に昨年度後 期戌鎮優秀者十四名に奨学 金が投与された。 授与者は左記の通り 三年 高橋智明 二年 田村 小笠原和博 高橋明宏 一年 菊池祐一 細越建志 小泉修二 高橋 書田 永井栄一 軌山 儀谷幹雄 斉藤博斐 根反信之 (奨学金は後期」ハか月分の 授業料に相当する額が授与 される。) 早朝由時、突然眠りの中 から日を暖ましたせいか、 天兼だ虜がポヤツとしてい たが、窓を開け空を見ると 快晴の気である。 五時校庭に集合しバスに 分乗し、一路馬近しへ出 発。 昨年は下山の時に思いが けない負傷章が出て、救護 班の生徒、先生方々が大変 苦しい思いをした享が頭の 隅にこびりついている。 準備体操の後、六時三十 分登山開始。 何度登ってみても、一合 目から三合目までの啓す正 本当に苦しい。人一倍汗か きの私にとっては、汗がポ クボタと落ち脚の筋が張っ てきて、息が上ってしまう が、マイペースを持続して 「今が苦しく、辛抱する時 ぞ」と自分自身に気合いを 入れる。時々下界に広がる 美しい眺めが、一時の疲れ を忘れさせてくれる。また 一歩一歩前進。 しかし反面生徒達は粟疇 しい健脚で色々と雑談しな がら平気で量って行く。 前日から心配された天候 は、過去にない程の快晴に 恵まれ、気温も上らず、源 風が吹いて、順調な登山日 和であった。 五合巳、御談石に到着っ 視界もすっかり開け眺望は 姫神山、駒ヶ岳、早池峰が くっきりと浮びあがってい る。 この広大な大地の自然、 その中に生きている私達の 存在が、何かl点にしか鼠 えないような錯覚を感じさ せるような、広大な自然が 眼前に広がっている。年々 自然が破壊されてはいるけ れど、私達の故郷は、乗だ 自然の美しさが残されてい る。五合日を過ぎるともう 楽な登りで、測候所が近づ いて乗る。測候所で休憩し 昼食をとる。不動平から山 頂の道脛も意外ときつい登 りで上をJ見て登ると疲れ がひどいので、敗昔として 下を見て登る。校旗が建立 されている所で全員校歌斉 唱。 いつもならガスがかかっ たり冷めたい風が吹くこと が争いのに、孝ったく今度 だけは、蛮暗しい天気だ。 いよいよ松川温泉を目指 し下山開始。お花畑まで、 急な下りになるので、菊池 先生より、厳しい注意がな され、約一時三十分でお花 畑に到着、途中、加藤先生 の胸に大きな石が当った が、幸いにも怪我もなく、 ホッとする。松川温泉の湯 煙が見えるけれど、下り坂 の約三時間は、膝に負担が かかるので、結構つらい。 昨年はここで故障者が出た ので、気をつけながら下山 が進む。相変ず足場が恋か ったが、遂に松川温泉に全 員無事到着した凸 温泉につかっていると、 登山の苦しさが吹きとんで さっぱりとした気播が、今 でも忘れられない。 教生釆たる の通りだと、私は思う。そ” して、その二つの塗がなか ったら、自分自身の存在も ありえないと思う。 この二つの壁は、私が登 っていっても映画の主人公 の上うに私は少しでもその 壁を登って行こうと考え る。たとえ、そのことに対 して、人から無意味なこと であると言われても。 ▼新任紹介 今年は新しく我が校にい らっしゃった二人の先生方 に簡単な質問を試みました 質問事項 て担当教科 二、出身校 三、趣味 四、尊敬する人 五、生徒に二言 山本先生 一、事務 紫波高校 三、スポーツ、音楽鑑百 五、学校をさぼらないよう 佐藤先生 一、美術 岩手大学教 育学部 三スポーツ 四、へンリ1・ムーア 五、打ちこめる何かlつを 見つける 六月三十日から七月十二 日にかけて、本校に四人の 教育突習生の方が我が校に いらっしゃいました。 教生の皆さんにアンケー トを試みました。 質間事項 「担当教科 l「出身校 二「趣味 四、愛読書 五、尊敬する人 夫、学校への感想 七、生徒に一首 吉由文明 一、国語 三都留文科大学文学部 三、スケート(7イスホッ ケー)、妹雀 四、今菅物語、滝口入道、 高山樗牛、山月記、中 島敦、高橋和巳、三島 由紀夫、渡辺淳一の作 五、精いっぱい生きていて 尚お且つ心にゆとりの ある人 六、建物の立沢さに、只々 圧倒されるばかり 七、自分の意思をはっきり と主張できる人間であ ってほしい。 柴内三幸 一、社会、日本史 二、法政大学文学部 三、映画鑑質 四、夜明け前、夏昌漱石l 五、豊田武氏 六、新築され、生徒も多く なってびっくりした。 七、日的なもって人生を 二、大東文化大学外囲語学 写真、8-1、リ la召コ髭望0.- 松本亨 乗に環境が良くなりま したね G00d-un貯 5分mr Jpか Fck G喜d-喜好F yO亡 き・主 大平首相が亡くなり、県 人の鈴木総理大臣誕生か里 ともなれは、生徒の中にも 少なからず政治に興味をも つ人もいるでLェう。 大平首相の嫉合、カトリ ック葬、親族葬、県民葬、 そして国民葬と、亡くなっ てからも忙しい人でしたが ″人の噂も七十五日〞とは このことで、今は、その軒 の話は全く耳にしません白 鈴木氏の場合も、騒いでい るのは、一部分の人たちだ け………これでは、先が思 いやられます。しかし、一 方では、総理大臣に誰がな ろうが、政治が大きく変わ りでもしないかぎり、まる っきり無関心という人の方 が多いのが目につきます。 これは、我が校の石桜会に るのではないでし1うか。 生徒総会にしてみても、自 由参加にしたせいか、生徒 が少なかったのは、これか らの石桜会を大きく左心し ていくのではないでしょう ト. 「石桜」の紙面で、各文 化部の今年の文化祭への目 長井 一、 二、 三、 四、 五、 l・1 七、 現代国語 二松学舎大学文学部 将棋、読望 夏日漱石、太宰治 特になし 新しい校舎のこの岩手 高校で実習できて大変 うれしい 少年老い易く学成り捜 しを忘れずに 校内体育大会 六月十日、桑天に雨が混 つた空の下で昭和五十五年 度校内体育大会が行われ た。今年から新しく綱引き て、より一 一層活気のあるものとなっ た。成策は次の過り。 柔道 一年一位一E 二年一位二E 三年一位三も .ハレーポール 一位 二A バスケットボール 一位 三D 卓球 一位 教机 綱引き 一年一位一C 二年一位二B 三年∵脱三A 一年一位一D 二年一位二C 三年一位三D 総合 渡勝 三D 準優勝三A 三位 二B 二C 復活二年日の今年は、昨年 のビートルズフェアのよう な、同好会的団体も数多く 参加して、昨年以上の盛り 上がりを期待したいもので す。 七月、八月と要に入っ て、皆それぞれこの一年の 体勢が、かたまってきた頃 だと思います。 暑さでだらけた気持ちを ひきしめ、一、二年生は、 これからのために、そして 三年生は、最後の冒接に向 かって、自分の夏を見つ け、それを乗り越えられる よう、努力してほしいと思 います。

. l llll l tr 前期石桜会役員sekiou-ob.com/sekiounews/no87.pdf. l llll l tr あろう。ある時は、一歩も 生徒会長再任にあたって 田 中 和 斗 私が最近みた映画の一つ

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Page 1: . l llll l tr 前期石桜会役員sekiou-ob.com/sekiounews/no87.pdf. l llll l tr あろう。ある時は、一歩も 生徒会長再任にあたって 田 中 和 斗 私が最近みた映画の一つ

桜    新    聞           第87号(1)   昭和55年(1980)8月1日

発 行 所

盛岡市長且町7の60

岩手高等学校

岩 手 中‾学:牧

山 版委員 会

黄任者 青 田  稔

印刷所 山口北川印刷

年史 単行本 駿的

カタpク’-バソ7レッ

ト ポスクー 所用

山口北州印刷盛岡市青山四丁目的0585†

昭相方十五年J

前期石桜会役員

前期生徒会役員

去る四月二十五R〓り石桜

役員改選の結果、前期役員

が次のよう-こ決定し、すで

に認証式を経て新しい体制

で活動を開始した。

新役員は次のとおりであ

る。

◎執行委員会

会 長

副会長

藩 記

会 計

田中和斗

大矢裕ナ

渡辺 要

平子剛志

熊谷幹雄

桃山黍也

浅沼洋人

○執行秦員

照井和久

又川 見

清水 互

星川光輝

石川元首

佐藤益文

鈴木和彦

佐藤隆二

高橋明広

(…)常任委員会

○生活委員会

要員長 照井和久

副委員長 千葉孝之

菅原秀基

○学習委員会

委員長 及川 晃

副委員長 高邑道雄

大沢田毅樹

○図書委員会

l

l

l

l

l

l

t

r

あろう。ある時は、一歩も

生徒会長再任にあたって

田  中  和  斗

私が最近みた映画の一つ

に、「北壁に舞う」という

映画がある。今まで数多く

の山を征服してきた名もた

い一人の日本人が、巨大な

壁ともいえる山に一七四時

間も一人で、長い孤独に耐

えたがらついに山に登りつ

めるというドキュメントで

ある。この映画の中では、

出演者は唯一、被のみであ

る。あとは雪と山とが大部

分やあった。何故、彼はそ

れほどまでにして、山に登

るのであろうか。

私はこの映画を見ていて

ふと、ある人が有名な登山

家に、「あなたはなぜ、山

に登るのですか。」とたず

ねた時、すかさず登山家は

「そこに山があるからさ。」

と答えたという有名な話を

思い出した。この官業を私

自身は、その登山家にとっ

て山というものは、彼自身

の人生であり、どうしても

避けては通れない試様であ

ると思う。おそらく、映画

の主人公も同じではないだ

ろうか。巨大な壁である岩

にピッケルを力いっぱい打

ちつけている姿は、彼がそ

の巨大な山に立ち向かいな

がらも、一方では、自分の

人生に対しても、立ち向か

二しいる姿に思えた。

人生は、いろいろな巨大

な総をよじのぼることかも

しれない.私は、今度の金

具再任にあたって、痛切に

感じたことは、私の目の前

には二つの巨大な壁が、立

ちふさがっていると思われ

たことである。一つは、学

校というものであり、もう

一つは生徒という巨大な魔

である。おそらく、私は映

国の主人公のごとく、私の

仕事にとって、避けては逸

れないものであるから、こ

の二つの壁に立ち向かうで

進めず立ち止まったり、も

しくは、足を踏みはずして

しまうかもしなない。しか

し、だからといって、この

壁を登ろうともせず、下界

でじっとしているだけで、

よいものであろうか。ある

作者が、「他人がいなけれ

ば人間は、存在できないご

と言っている。まったくそ

委員長 清水 互

副葬貞長 藤沢康文

川守田雅啓

○出版委員会

委員長 星川光輝

副委員長 岩渕光一

佐藤敬史

○放送委見金

委員長 鈴木和恵

副委員長 見 直槻

青田 遠

○文化委員会

委員長 佐藤益文

副葬員長 高橋 智

幅 信明

○体育委員会

委員長 石川元喜

副葬貝長 雅子洋和

人藁 真

54年度後期奨学

金授与される

去る四月九日に昨年度後

期戌鎮優秀者十四名に奨学

金が投与された。

授与者は左記の通り

三年 組 高橋智明

二年 組 田村 塾

小笠原和博

高橋明宏

一年 姐 菊池祐一

細越建志

小泉修二

高橋 字

書田 敦

永井栄一

軌山 奴

儀谷幹雄

斉藤博斐

根反信之

(奨学金は後期」ハか月分の

授業料に相当する額が授与

される。)

岩 手 山 登

早朝由時、突然眠りの中

から日を暖ましたせいか、

天兼だ虜がポヤツとしてい

たが、窓を開け空を見ると

快晴の気である。

五時校庭に集合しバスに

分乗し、一路馬近しへ出

発。昨

年は下山の時に思いが

けない負傷章が出て、救護

班の生徒、先生方々が大変

苦しい思いをした享が頭の

隅にこびりついている。

準備体操の後、六時三十

分登山開始。

何度登ってみても、一合

目から三合目までの啓す正

本当に苦しい。人一倍汗か

きの私にとっては、汗がポ

クボタと落ち脚の筋が張っ

てきて、息が上ってしまう

が、マイペースを持続して

「今が苦しく、辛抱する時

ぞ」と自分自身に気合いを

入れる。時々下界に広がる

美しい眺めが、一時の疲れ

を忘れさせてくれる。また

一歩一歩前進。  \

しかし反面生徒達は粟疇

しい健脚で色々と雑談しな

がら平気で量って行く。

前日から心配された天候

は、過去にない程の快晴に

恵まれ、気温も上らず、源

風が吹いて、順調な登山日

和であった。

五合巳、御談石に到着っ

視界もすっかり開け眺望は

姫神山、駒ヶ岳、早池峰が

くっきりと浮びあがってい

る。こ

の広大な大地の自然、

その中に生きている私達の

存在が、何かl点にしか鼠

えないような錯覚を感じさ

せるような、広大な自然が

眼前に広がっている。年々

自然が破壊されてはいるけ

れど、私達の故郷は、乗だ

自然の美しさが残されてい

る。五合日を過ぎるともう

楽な登りで、測候所が近づ

いて乗る。測候所で休憩し

昼食をとる。不動平から山

頂の道脛も意外ときつい登

りで上をJ見て登ると疲れ

がひどいので、敗昔として

下を見て登る。校旗が建立

されている所で全員校歌斉

唱。

いつもならガスがかかっ

たり冷めたい風が吹くこと

が争いのに、孝ったく今度

だけは、蛮暗しい天気だ。

いよいよ松川温泉を目指

し下山開始。お花畑まで、

急な下りになるので、菊池

先生より、厳しい注意がな

され、約一時三十分でお花

畑に到着、途中、加藤先生

の胸に大きな石が当った

が、幸いにも怪我もなく、

ホッとする。松川温泉の湯

煙が見えるけれど、下り坂

の約三時間は、膝に負担が

かかるので、結構つらい。

昨年はここで故障者が出た

ので、気をつけながら下山

が進む。相変ず足場が恋か

ったが、遂に松川温泉に全

員無事到着した凸

温泉につかっていると、

登山の苦しさが吹きとんで

さっぱりとした気播が、今

でも忘れられない。

教生釆たる

の通りだと、私は思う。そ”

して、その二つの塗がなか

ったら、自分自身の存在も

ありえないと思う。

この二つの壁は、私が登

っていっても映画の主人公

の上うに私は少しでもその

壁を登って行こうと考え

る。たとえ、そのことに対

して、人から無意味なこと

であると言われても。

▼新任紹介

今年は新しく我が校にい

らっしゃった二人の先生方

に簡単な質問を試みました

質問事項

て担当教科 二、出身校

三、趣味 四、尊敬する人

五、生徒に二言

山本先生

一、事務 二 紫波高校

三、スポーツ、音楽鑑百

五、学校をさぼらないよう

佐藤先生

一、美術 二 岩手大学教

育学部 三スポーツ

四、へンリ1・ムーア

五、打ちこめる何かlつを

見つける

六月三十日から七月十二

日にかけて、本校に四人の

教育突習生の方が我が校に

いらっしゃいました。

教生の皆さんにアンケー

トを試みました。

質間事項

「担当教科

l「出身校

二「趣味

四、愛読書

五、尊敬する人

夫、学校への感想

七、生徒に一首

吉由文明

一、国語

三都留文科大学文学部

三、スケート(7イスホッ

ケー)、妹雀

四、今菅物語、滝口入道、

高山樗牛、山月記、中

島敦、高橋和巳、三島

由紀夫、渡辺淳一の作

五、精いっぱい生きていて

尚お且つ心にゆとりの

ある人

六、建物の立沢さに、只々

圧倒されるばかり

七、自分の意思をはっきり

と主張できる人間であ

ってほしい。

柴内三幸

一、社会、日本史

二、法政大学文学部

三、映画鑑質

四、夜明け前、夏昌漱石l

五、豊田武氏

六、新築され、生徒も多く

なってびっくりした。

七、日的なもって人生を

二、大東文化大学外囲語学

部写真、8-1、リ

la召コ髭望0.-

松本亨

乗に環境が良くなりま

したね

G00d-un貯 5分mr Jpか

Fck

G喜d-喜好F yO亡

き・主

大平首相が亡くなり、県

人の鈴木総理大臣誕生か里

ともなれは、生徒の中にも

少なからず政治に興味をも

つ人もいるでLェう。

大平首相の嫉合、カトリ

ック葬、親族葬、県民葬、

そして国民葬と、亡くなっ

てからも忙しい人でしたが

″人の噂も七十五日〟とは

このことで、今は、その軒

の話は全く耳にしません白

鈴木氏の場合も、騒いでい

るのは、一部分の人たちだ

け………これでは、先が思

いやられます。しかし、一

方では、総理大臣に誰がな

ろうが、政治が大きく変わ

りでもしないかぎり、まる

っきり無関心という人の方

が多いのが目につきます。

これは、我が校の石桜会に

るのではないでし1うか。

生徒総会にしてみても、自

由参加にしたせいか、生徒

が少なかったのは、これか

らの石桜会を大きく左心し

ていくのではないでしょう

ト.

「石桜」の紙面で、各文

化部の今年の文化祭への目

長井

一、二

、三、

四、

五、

l

1七、

彰現代国語

二松学舎大学文学部

将棋、読望

夏日漱石、太宰治

特になし

新しい校舎のこの岩手

高校で実習できて大変

うれしい

少年老い易く学成り捜

しを忘れずに

校内体育大会

六月十日、桑天に雨が混

つた空の下で昭和五十五年

度校内体育大会が行われ

た。今年から新しく綱引き

一層活気のあるものとなっ

た。成策は次の過り。

柔道一

年一位一E

二年一位二E

三年一位三も

.ハレーポール

一位 二A

バスケットボール

一位 三D

卓球

一位 教机

綱引き

一年一位一C

二年一位二B

三年∵脱三A

■一年一位一D

二年一位二C

三年一位三D

総合渡

勝 三D

準優勝三A

三位 二B二

C

復活二年日の今年は、昨年

のビートルズフェアのよう

な、同好会的団体も数多く

参加して、昨年以上の盛り

上がりを期待したいもので

す。七

月、八月と要に入っ

て、皆それぞれこの一年の

体勢が、かたまってきた頃

だと思います。

暑さでだらけた気持ちを

ひきしめ、一、二年生は、

これからのために、そして

三年生は、最後の冒接に向

かって、自分の夏を見つ

け、それを乗り越えられる

よう、努力してほしいと思

います。

Page 2: . l llll l tr 前期石桜会役員sekiou-ob.com/sekiounews/no87.pdf. l llll l tr あろう。ある時は、一歩も 生徒会長再任にあたって 田 中 和 斗 私が最近みた映画の一つ

(2)閏   昭和55年(1980)8月1日桜石第87号

高校総体問かる

第二回定期浜

奏会に向けて

●●◎…

◆○

第訟回虫手県高校総合体育大会か、前期五月二十四日~二十六巳、

中期五月三十一日~六月l盲後期、六月七RT九日に分けて、各地で

行われた。我が校は常勝の山岳部が都合で参加をとりやめ、卓球庭球

なども餞酪はしたが馨に埠やくことは出来ず、

手が東北大会の出場権を得るにとどまった。

● ◆ ◆ ◆ ●

軟式庭球部

六月十二日、岩手県営連

動公図テニスコートに於て

行なわれ堂々ペスト8に進

出した。

一国概岩

手2-1久慈

二回戦岩

手2-1官帝

三回戦岩

手2-0一関工

準々決勝

岩手0-2大船渡工

バスケットボール

四月二十六日、岩手大学

体育館で行なわれた。

一回戦薫

前半丁終直前につけられ

た差が、そのまま最後まで

ひびいた。

硬式野球部

五月八日、帰営球場に於

て行なわれた。

名刺育苗塩郎哉華人正

元謹 好俊 洋守

藤川田田多川場沼坪

退位宥桜納本小野浅大

左二三中投l遊揃右

市立00000001×1

岩手0000000000

123I~‘789計

ラグビー

五月三十二一日の両日

釜石南高校のグランドで行

われた。

掌上目2

012一素北

宴三門.8。一望谷

水泳部

七月五、六日花巻市民プ

ールに於て行なわれた。

200自由形

兵役誠一(j年)

2=Il・〇八位

480自由形

長根誠一(3年)

5‥45・5五位

100平泳

丸山盟(1年)

1・・25・1七位

100背泳

石川義勝(2年)

1=2~・4九位

400億人メドり-

石川義勝(2年)

6=57・5六位

ATnU∧Uリレl

石川、丸山、藤村、長

坂~=09・9九位

Dn〓U∧Uリレ】

石川、藤村、高橋(丸

山)、長坂

11‥I7~八位

総合九位

卓球

~月31日~6月1日にか

けて、新日鉄小川体育館で

行なわれた。

団体晩

t周軌岩手4-0山田

二回戦岩手411水沢

三回晩岩手114盛商

個人晩

一回較苅聞沢

2-0福岡

松村2-0久慈

二回戦 苅問沢0

-2韮和

松村2-0東和

三回戟 松村0-2啓北

ダブルス

一回峨 岩手2-0官商

二回戟 岩手112東和

バレーボール

五月二日、盛岡北高校で

地区予戦が行なわれたが、

博し八も県大会に出場する

ことができなかった。

掌エ日.515)碁石

葦。nm一2盛一

ハンドボール

七月七・八・九日にわた

って、岩手大学グランドを

会場として行なわれた。

葦ヱ門74)‖久慈

掌ヱ日用一義工

私たち岩手高等学校吹奏

菜部は、七月三十日岩手県

民会偲大ホールにて第二回

定期病奏会を開催致しま

す。こ

の演突会にあたって、

私たちが主張したい凛は大

きく二つあります。

一つは、「聴く人に悠銘を

与えたい。」と言う挙、そ

してもう一つは、「マーチ

ングのすばらしさを解って

もらいたい。」と言う事で

す。特

に二つ目のマーチング

に関しては、岩手県の高校

で行なわれているのは、私

たち岩手高校吹奨禁部だけ

なのです。確かに十分や二

十分の済技を行なうにも、

数カ月の練習が必秦です

し、吹きながら動く暴自体

かなりハードなのですが、

他県ではとても盛んでマー

チソクの大会となると、前

売り券は発売してすぐに売

り切れ、それも会場となる

体育肇等鱒 全席滑走なの

です。何

故、誰もが認めるマー

チソタの粟晴しさが岩手の

人たちには解ってもらえな

いのでしょう。淋しい事で

す。私

たちの演募金は三部構

成です。一部は、吹奏楽の

オリジナル曲を済実しま

す。二部は、ステージドリ

ル、マーチソタの事です。

三部はポップス■、映画音

楽からスウィングの曲まで

幅広く演要します。

昨年七月二十七日の第一

回定期浜奨金と、ほぼ同じ

形式ではありますが、演葵

曲目が幅広くなった点にお

いてでも成長したりではな

いかと思います。又、昨年

九月の全日本吹奏菜コンク

ール岩手県大会健勝、十月

東北大金銅貨は私たちに大

きな自信を与えてくれまし

た。又、数か月前、私たち

がいつもの様に吹奏楽の基

礎である、ロングト!ソを

外でやっていますと、ある

部員が中年の女性に話しか

てっきり苦情を言われるも

のと思い、女性の所へ行く

と、その話の内容は、私た

ちの演奏会を昨年見に行き

とても楽しかった。今年の

演奏会はいつですか、とい

う事でした。この上うな小

さな事も、私たちに力を与

えてくれます。

その他にも、他校の演奏

会はその学校の生徒がお客

配的絹㍍塁緑川

これに対し、私たちの病毒

会の客層の大部分が他校生

と一般の人々です。これに

関しては複雑な気持です

が。数

日後の演弄会に向けて

 

 

 

 

 

 

中学校修学旅行

させたい一心で練習にはげ

んでいます。

皆さん、ぜひ七月三十日

の演奏会に来て下さい。そ

してぜひ応援して下さい。

お股いします。

因丁おあ赤〉圏

新聞が大帳に遅れ、記事

の内容に食い違う点が生じ

てしまいました事を御了承

下さい。

右桜祭へ向けて

剣 道

五月三十一、六月t Rの

両日、盛岡第三高校体育館

で行われた。

団体(リーグ戦)

岩手1-3黒工

岩手2-2水盤

個人

一回軌 三滴2-0広水

後藤2-0宮水

二回戦 三浦0-2軽米

後藤1-2広水▼

浅沼2-0遠野

三回戦 洩将210花鰹

四回戦 浅沼0-2軽米

昨年の十月二十七、二十

八日の両日、我が校伝統の

石桜祭が三年ぶりに復落し

ました。一ケ月前に急拠取

り組みはじめ、掲示板や衝

立などを作成し、窒内裏伽

に欠ける面はあったもの

の、内容的には各部とも三

年ぶりとは思われ由はどの

出来はえ、また各バンドに

よるステージ演奏の方も充

実したものでした。

今年も十月四日、五日の

二日間、石桜祭が開催され

ます。

今年の石桜祭は、昨年を

土台としてさらに盛大な文

化祭となることでし上う。

各部とも、この石桜条に向

けての活動が早くもはじま

っています。

書道郡、絵画部は、今の

ところ個人ごとの作品製作

にあたっており、化学部、

物理部、生物部は、グルー

プごとの研究を進めていま

す。他

学部は、岩石採集を中

心に活動を行ない、石桜祭

までにはすはらしい標本が

出上がると言っています。

また、写真部は私の写異コ

ソテストを、吹突楽部は、

七月三十日岩手県民会館で

行なわれる定期演奏会と、

八月から始まる全日本吹奏

楽コンクール予選を兼ねた

部活動をしています。映画

部も、自作映画の投影と踊

集を行なっており、夏休み

中にはさらに新作が三本は

ど出来上りそうだとのこと

です。私

たちせ化委員会も、彼

らの努力がむだにならない

ように、また、岩手高校を

校外の人たちによく理解し

ていただけるように、活発

な委員会活動を行ない、伝

統ある右桜条をさらに大き

なものとし、後輩たちに伝

えていけるようなものにし

たいと考えています。

そのためにも、皆の意見

をひとつひとつ大事にして

いきたいと患います。また

昨年と同様、あまり例のな

いビートルズフ ェアなど

や、ステージでのロックコ

ンサート等、趣味的、マニ

ア的な催し物の発表を活発

にして、多彩な文化祭と

し、他にはないような、岩

手高校らしさというものを

表現してもいいのではない

かと患います。

石桜祭を復活させて二年

目の今年、何をするにも後

には、この二年目が大事と

されています。

皆の力で、今年の右横祭

を成功させるために頑張り

まLJ入ノ。

、‥、

六月二十四日午前五時二

十分、盛岡駅に集合し、校

長先生のお話や添乗員の田

鐸さんる紹介が行なわれた

後、ホームに入った。見送

りには校長先生、諸先生、

父兄の方々が見えられてい

る。五時五十五分、私遠を

乗せて急行「十和由一二号」

が発車した。いよいよ待ち

に待った修学旅行が始まっ

たのである。

青森までの三時間は、お

みやげ、旅館、見学場所の

ことらど、これからの旅程

について話がはずんだ。九

時過ぎに青森駅に到着し、

竃ちに遵枯船「大雪九」に

乗船した。「大雪九」では

銀紙重などを見学したり、

デッキに出て津軽海峡を眺

望した。函飽からは「北斗

三号」で札幌へ向い、午後

七時過ぎに「光栄ホテル」

に着いた。夕食や入浴を済

ませた後も友達どうしで話

がはずみ、十時に消灯した

が、なかなか院九ない。

二日貫の早朝、旅館を出

て北海道大学構内を散歩

した。やはり他にも、観光

に来た人が三人ほど記念写

真を撮っている。私達もク

ラーク博士の胸象の前など

で写真を撮った。木々の撥

やさわやかな朝の空気に接

し、その環境の良さはまさ

に北大ならではという印象

が強かった。

朝食後、大通公国のテレ

ビ塔や地下街に向った。札

幌オリソビックを機に地下

鉄が完成し、それに伴って

地下西が並んでいる。まだ

嘩陶も早く、開店時間前の

ところがあって少々残念で

ある。地下街を後にして、

次にサッポロピー∴工場を

見学した。ビール生成の過

径や、ぴんづめ、ラベルは

り、不良品を取り酸く作業

など、感心しなから見た。

恩後に、歴史ある記念館で

ジュースの試飲をし、アソ

ケートに答えた。

昼過ぎには野幌の開拓記

念館に向い、開拓時代の歴

史等について見学した。こ

になっており、付近に記念

等が立っている。まさに北

海道ならではの大自然がこ

こに展開しているという感

じである。

午後は.ハスで中山峠を通

り、洞爺湖へ向い、二日目

の宿である「ホテル大東」

に入った。

三日Rは.はじめに昭和

新山、アイヌ部落を訪れ、

アイ子竺鱒りや歌、また、

メノコ (女子)の奏でるム

ックルというめずらしい楽

器の音色を鑑賞した。また

ここには教頭のヒグマがい

て、中でも生後三か月はど

の子熊は、パンダのように

かわいいものである。

昼からは、虻田町の火山

科学館を見学した。体験室

での有珠大噴火の記録は、

噴火の恐ろしさや災害に対

処する住民の動きについ

て、克明に表現されたもの

であった。私達は、以前に

新聞やテレビなどの報道で

知らされていたとはいえ、

更にその認識を深めさせら

れたのである。この後、パ

スで函錦方面に南下する途

中、大沼公園に寄り、自転

車などで公国内を散策し

た。そして≡日日の宿であ

る港の川温泉の「花びしホ

テル」に入った。夕方に

は、函館山から百万ドルの

夜景を観賞すべく登っては

みたものの、あいにくの露

で時々遠くの先が見えたり

する程度で残念であった。

これは絵糞諺でがまんする

ことにLよう。

四日目に入った。いよい

よ最終日である。トラビス

チヌ修道院や五陵郭を回

り、昼過ぎに連絡船「津軽

九」に乗船。青森からは急

行「くりこき六号」で盛岡

に向った。楽しい旅行もこ

れで最後になった山もう少

し日数が長ければ上かった

という思いが、頭をかすめ

るが、現実はもはや変えよ

うがない。

七時に盛岡駅に到着。校

長先生、話先生、父兄の方

々の姿が見える。無事帰省

中のあらゆる世話をしてい

ただいた日鋼さんへ、お礼

をLたりして解散になっ

た。最

後にこの旅行に出して

くださった父母の方夫や、

校長先生をはじめ詣先生に

感謝すると共に、中学校時

代の良き思い比として、い

っまでも胸の中に残してお

きたたいと思う。

○鰐菓後記

石桜新聞第八十七号も遅

れに遅れてようやく完成し

ました凸本来夏休皇川に染

着の皆さんにお届けしなけ

ればならなかったのです

が、記事集めや編集の出だ

しが遅れた為にこんな事に

なになってしまいました。

僻んでおわび致します。

さて今回の紙面ですが、

毎年この時細の石桜新聞を

見ると高校総体をはじめと

する体育関係の記事や、石

桜会の新役員、高二の岩手

山登山といった内容ばかり

で、いささかマンネリ気味

な感じがしましたので、少

しでもそんな所を無くそう

と色々な試みを行ってみま

した。

格に今までの石桜新聞で

ほとんど取り上げられなか

った中学の修学旅行の■記事

などは、その意味で成功だ

ったのではないかと患いま

す。と

ころで楽しかった夏休

みも終り、いよいよ授菜が

初まります。これからは新

人戦、前期兼考査、石桜祭

等の行革が目白押しで準え

ております。残暑きざしい

折、夏休み気分な一新して

がんばりましょう。(箕は

この原稿は七月八日に雷い

たものです。)

最後に御協力いただきま

した先生方、各部の方々、

委員の方々にお礼を申し上

げます。(T)編集委員聯