2014 / 9 学研・進学情報 -2- -3- 2014 / 9 学研・進学情報 17 使 調便調今、科学が限界に来て 新しい学問が必要になっている ●インタビュー    中村桂子 JT生命誌研究館 館長 なかむらけいこ● 1936 年生まれ。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学 院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間 科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993 年~ 2002 年 3 月まで JT 生命誌研究館副館長。 使●視点・インタビュー

のでしょうか? す。かったことがとらえられたのでらこそ、それ … · どういうことでしょうか? 中村 私たち人間が自然科学と らです。という根本的な欲求があったかは、もともとは自然を知りたいいう学問を作って究めてきたの

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2014 / 9 学研・進学情報 -2--3- 2014 / 9 学研・進学情報

 

東日本大震災で発生した原子

力発電所の事故は、現代の科学

文明のあり方を厳しく問うこと

になった。しかし、いまだにそ

の答えは現れていない。

 

このまま何も変わらずに、社

会は3・11の前の状態に戻る

のか。それとも、科学文明のあ

り方が変わり、新しい何かが生

まれるのか。

 

日本の科学界を代表する一人、

中村桂子氏(JT生命誌研究館

館長)は、今、科学が限界に来

ていて、新しい学問が必要に

なっているという。その新しい

学問が立ち上がれば、社会も大

きく変わると話す。

いくら分析しても

全体は分からない

  

中村先生が著した『科学者が

人間であること』を読むと、科学

者や科学のあり方、技術者や科学

技術のあり方を問うています。ど

う変わらなくてはならないので

しょうか?

中村 

今の科学は、17世紀頃に

ヨーロッパで生まれた学問なん

ですね。その最大の特徴は、物

事を細かく分析的に見ていくこ

とにあります。

 

例えば、ニュートンは太陽の

光をただ見るのではなく、プリ

ズムを使って分光ということを

したんですね。この分析から、

太陽光は複数の波長の光で構成

されていると分かり、さらに分

析を重ねることで、もっと光の

特性も分かって、応用もできる

ようになりました。

 

科学はこれまで約300年、

自然を細かく分析的に見ること

で、そのまま見ているだけでは

分からなかったことを数多くと

らえることができました。

 

まずは物理学が先行しました。

物質をどんどん分析をして、物

質を構成する最小の素粒子を見

つけました。生物学でも、19�

50年頃にDNAが二重らせん

の構造になっていると分かると、

分析的に生き物を調べるように

なり、遺伝子の組み換え技術な

どを生み出しました。

 

科学から生まれた応用技術は、

人間の社会を変え、人々に便利

な生活をもたらしました。これ

はこれでとても素晴らしいこと

です。しかし、このまま自然を

どんどん分析していけば、そも

そも私たちが知りたかったこと

が分かるようになるのかという

と、実はそうではないと思うの

です。

  どういうことでしょうか?

中村 

私たち人間が自然科学と

いう学問を作って究めてきたの

は、もともとは自然を知りたい

という根本的な欲求があったか

らです。

 

宇宙が知りたい、地球が知り

たい、動物が知りたい、植物が

知りたい、物質が知りたい、そ

して人間が知りたい……これら

のものすべてが含まれる自然全

体を知りたいと思ったからこそ、

科学の研究は続けられてきたわ

けです。

 

仮に、遺伝子を限りなく分析

していけば、生き物が全体とし

て分かるようになるのでしょう

か。あるいは人間のことがすべ

て分かるようになるのでしょう

か。無理ですよね。

 

物事をあまりにも分析的に調

べれば、だんだんと対象が機械

のように見えてくるものです。

今、科学が限界に来て新しい学問が必要になっている●インタビュー     

中村桂子 JT生命誌研究館 館長

なかむらけいこ● 1936 年生まれ。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993 年~ 2002 年 3 月までJT生命誌研究館副館長。

科学の手法を確立したデカルト

やガリレオなどの人たちは、自

然や物事を機械のように見たか

らこそ、それまでには分からな

かったことがとらえられたので

す。

 

これは、必ずしも悪いことで

はありません。ただ、自然を機

械のようにとらえて、その機械

を構成する部品の仕組みがすべ

て分かったとき、果たして宇宙

が分かるのか、人間が分かるの

かといったら、どうでしょうか。

 

例えば物理学は素粒子までた

どり着きましたが、ダークマ

ターやダークエネルギーと呼ば

れるものの存在が見えてきて、

今の科学ではどうにも扱えない

ことが分かってきたのです。

今の若い人には

新しい学問を作る

チャンスがある

  

科学のあり方が間違っていた

のでしょうか?

中村 

そうではありません。誤

解してほしくないのは、科学が

自然を全体としてとらえられな

いと分かったのは、自然を機械

のように見る科学がとっても進

んだからです。素粒子やDNA

が分かったからこそ、そこを突

き抜けて宇宙や生き物の全体が

見えそうになってきたのです。

 

ただ、これまでのやり方がも

う限界にきているんですね。約

300年間、どんどん小さな世

界に入って行くことで分かった

ものがたくさんあったけれど、

自然をいくら分析しても、決し

て自然を全体としてとらえるこ

とができない。

 

こういうところまで私たちは

たどり着いたということなので

す。ここまできたら、宇宙とは

何か、地球とは何か、生物とは

何か、人間とは何かという、大

きな問いに本気で向き合わなく

てはなりません。このことは、

心ある科学者ならみんな考えて

いることです。

  

その大きな問いに向き合うた

めに、新しい学問が必要だと?

中村 

ものの見方や考え方、問

いの立て方を変えなくてはらな

い。自然科学といいながら、私

たちはこれまで自然に直接向き

合うことができなかったのです。

 

自然をそのままにきちんと見

つめることは、あまりに難しい

から、「分かるところだけ細か

く見よう」とやってきたのだけ

れども、もう今は自然を改めて

真正面から見なくてはいけない。

自然に向き合うことから新しい

学問が生まれるのです。

  

新しい学問とは、どのような

ものなのでしょうか?

中村 

今ある科学を全部使った

上で、真正面から自然に向き合

う。これが私の提案です。

 

これまでの科学よりも、はる

かに難しい学問になるでしょう

ね。けれども、これから科学を

大学などで学ぼうとしている人

たちには、この300年間の科

学を勉強しながら、自然全体に

正面から向き合うことにチャレ

ンジしてほしいですね。新しい

学問を自ら作れるかもしれませ

ん。本当にできたら、これほど

おもしろいことはありませんよ。

 

そんな大きなチャンスが今の

若者にはあるのです。今の科学

の延長線に新しい学問が生まれ、

科学が社会を大きく変えたよう

に、その新しい学問もおそらく

社会を変えていくでしょう。

●視点・インタビュー

2014 / 9 学研・進学情報 -4--5- 2014 / 9 学研・進学情報

日常の中で

すべてを重ねていけば

全体が見えてくる

  

中村先生は、生き物の新しい

見方として「生命誌」というもの

を提案されていますね。これも新

しい学問なのでしょうか?

中村 

新しい学問へ向けての一

つのステップです。

 

地球上の生き物は、38億年ほ

ど前に誕生し、進化を繰り返し

て多様化して、今に至っていま

す。38億年という長い時間をか

け、どのようにしてヒマワリは

ヒマワリになり、キノコはキノ

コになり、人間は人間になって、

このような多様な生き物が同時

に生きるようになったのか。そ

こを知らなければ全体像は見え

ません。

 

だから、共通の祖先から多様

な生き物たちが生まれてきた過

程と生物相互の関係を知ること

が生き物を知ることと考え、「生

命誌」を提案しました。

 

幸い、私たちは、細胞内の全

DNA、つまりゲノムの分析か

ら38億年の歴史と関係を知るこ

とができます。生き物の構造と

機能だけでなく、長い歴史と多

様な関係を知ることが重要で、

生き物を分析することから、生

き物全体をヒストリーとして見

ていく研究を進めています。

 

宇宙には宇宙誌があり、地球

には地球誌があるのです。宇宙

はどうやってできたのか。地球

はどうか。人間はどうやって今

のようになったのか。今につな

がる自然のヒストリーをひも解

く問いを立てなければ、自然の

本当のところは分からないで

しょう。

  

新しい学問を自ら立ち上げよ

うとするとき、何が大切になるの

でしょうか?

中村 

これまでの科学の知識と

日常の感覚ですね。普段の生活

で花を見たら、「美しい」と思

うのと同時に、どうして花がそ

のような形や色になったのかを

知ろうとすることが大切です。

 

私たちは、花を美しいと感じ

て、絵で表現することもできれ

ば、一方でその花の遺伝子を調

べることもできる。今までのよ

うに、科学者は研究室で遺伝子

を調べ、画家は美を求めて外で

花を写生して、互いに「やって

いることは全然違うよ」と言っ

ているのは、考えてみればおか

しなことです。同じ花を見てい

るのに、重なり合えないのです

から。

 

芸術家が、花の遺伝子がどの

ように働くと独特な色や形が現

れるのかを知ることで表現が深

まることもあり得ます。一方、

科学者が花の美しさを感じ取り、

科学の理解と「だから美しいん

だ」と重ねていく。新しい学問

は、そんな重なる場所から生ま

れるでしょう。

 

研究者も、芸術家も、スポー

ツマンも人間です。人間の日常

なら、すべてが重なり合い、み

んなが「宇宙って何なんだろう」

「生き物って何だろう」と語り

合える。そこから、今まで分か

らなかったものが分かるように

なっていくと考えるのです。

 

とても大きなテーマにチャレ

ンジしていくことになりますが、

今ようやくそれができる時代に

なりつつあるというわけです。

自然と向き合えば

問いを立てる力が

生まれてくる

  

今の高校生や若者は、新しい

学問を立ち上げる力があると思わ

れますか?

中村 

私が館長を務める生命誌

研究館には、高校生がやって来

ます。高校生たちに語りかけ、

話し合うと、原子力発電の問題

や環境の問題など、今の科学の

やり方では解決できないのでは

ないかと、感づいていることが

多いんですね。また、そのよう

な大きな問題に関心を寄せてい

る若者も少なくありません。

 

そういう若い人に、科学の歴

史やその限界について語れば、

何かを感じ、新しい考えも出て

くるのではないでしょうか。過

去の科学を否定するのではなく

て、今まで科学が築いてきたこ

とを吸収しながら、まったく新

しい方法で自然全体をとらえる

ことが必要になっていると、高

校生にもっと伝えたいですね。

学校でも考えて欲しいです。

 

学問の流れや科学の歴史を知�

っていれば、きっと若い人は自

分がおもしろいと思うものに出

会うものです。私が大学3年生

だったときにDNAに出会い、

「あっ、これおもしろい」と思

えたように、何かに心動かされ

るときが来る。

 

そのときに自ら問いを立てて、

一生懸命に研究に取り組んでい

く。それが何よりも大事なので

す。

中村 

自分の内側から問いが生

まれるようにすることでしょう

ね。自分が解きたい問題なら、

自然と勉強をするものですから。

 

私は農業高校が好きで、よく

訪問するんです。農業という営

みは、まさに自然が相手。農業

高校では、豚を飼ったり、トマ

トを作ったり、お米を育てたり

していて、生徒が一生懸命に世

話をしても、なかなかうまくい

きません。

 

動物は病気にかかるし、野菜

や米は日照りや長雨で弱る。そ

んな自然に対応しながら柔軟に

農業教育を実践していく。その

光景を見ているうちに、ここに

は本当の人間教育があると思う

ようになりました。

 

生徒は、意のままにならない

自然を前に、どうすればうまく

育てられるかと考え、困ったと

きは先生に助けを求め、解決す

れば先生を自然に尊敬する。汗

水を垂らして世話をしていれば、

その努力は成果となって現われ、

もっとチャレンジしたくなる。

 

私は生物学が専門ですが、自

然というのは本当に複雑で、複

雑で、複雑なんです。毎日、何

度も深く考えないと、付き合う

ことができないんですね。虫一

匹、花一輪、木一本に向き合い

続けるだけでも、人間は賢くな

ることができる。私はそう強く

思います。

 

農業高校に行ったら、自然を

相手にせざるを得ません。生徒

たちは夏休みでも生き物の世話

をするために登校してくるそう

です。先生たちが「来なくてい

い」と言っても、来てしまうと

のことでした。そんな若者たち

は、自分で考えて行動できる人

たちにほかなりません。

 

また、福島県喜多方市は、小

学校に農業科をつくりました。

ここの子どもたちはとても上手

に作文を書くのですが、いつも

自然に向き合うことで、自分の

内側から問いを発して、考えて

いるのだと思いますね。

 

もちろん農業高校は一例です。

どの高校でも生徒が自然に向き

合って自ら問いを立てて考える

ような教育が、今必要になって

いるのではないでしょうか。

(構成/宇津木聡史)

●視点・インタビュー

『科学者が人間であること』� (中村桂子著・岩波新書)東日本大震災で浮き彫りになった科学文明のあり方を問う一冊。科学者が人間であり、人間は自然の中にあるという日常の感覚を持つ重要性を訴えている。

  

自ら考

えて行動す

る力も必要

になりそう

ですが、ど

うすれば身

に付けられ

ると思いま

すか?