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東レリサーチセンター The TRC News No.117(Sep.2013) 21 ●[特集]リチウムイオン電池(4)表面分析を用いた負極SEIの構造解析 1.背景 リチウムイオン電池のグラファイト負極は非常に強い 還元力を示すため、有機溶媒を主成分とする電解液は速 やかに還元分解されるはずである。しかし、実際には電 池として動作し、優れた特性を示す。これは、グラファ イト負極表面に電解液由来の絶縁性の不動態被膜が形成 され、電解液の還元分解が抑制されるためであると考え られている 1︶ この被膜は、電解液の還元分解を抑制する機能だけで なく、リチウムイオンがスムーズに溶媒和、脱溶媒和さ れ、リチウムの拡散を阻害しない機能も持ち合わせてい る。このような機能性の被膜はSEI(Solid Electrolyte Interface︶ 2︶ と呼ばれている(図1)。被膜は電池の動作に 不可欠であるが、生成に電荷が消費されるため、不可逆 容量の原因となって、電池の特性にも影響を及ぼす。し たがって、被膜のキャラクタライズや電解液の反応機構 に関する報告も多く 3︲6︶ 、関心が高いことが窺える。 グラファイト負極 SEI O O O O O O EC DEC 溶媒変性物 :Li :溶媒 グラファイト負極 SEI O O O O O O O O O O O EC DEC 溶媒変性物 :Li :溶媒 図1 グラファイト負極上での表面被膜(SEI;Solid Electrolyte Interface)生成イメージ これまで弊社では、電極の表面分析、電極抽出物の有 機組成分析という二通りのアプローチにより、被膜分析 を行ってきた。抽出物の有機組成分析では、電解液変成 物の化学構造を明確化できる利点があるが、初期被膜は 極めて薄いため適用は困難である。したがって、初期被 膜についてはXPSTOF-SIMSのような表面分析手法 が有効である。 本稿では、弊社で作製した試験セルの1サイクル充放 電後のグラファイト負極についてXPS, TOF-SIMS分析 を行い、初期被膜の組成、化学構造、形態について考察 した事例を紹介する。 2.実験 コバルト酸リチウム正極、グラファイト負極、ポリ プロピレン製セパレータを用いたセルを組立て、電解 液{ 電 解 質; 1 mol/L LiPF6、 溶 媒;DEC(Diethyl Carbonate)EC(Ethylene Carbonate︶=11(容積比を注液して、試験セルを作製した。 充放電させていない試験セルを「充放電前」、0.1C1 サイクル充放電(4.2 Vから3.0 V)を行ったセルを「充 放電後」とした。これらのセルを不活性雰囲気下で解体・ 溶媒洗浄し、負極を各分析に供した。 3.結果および考察 XPSにより得られた負極表面の元素組成を表1に示 す。充放電前では、母材であるグラファイト、導電助剤、 バインダ由来の炭素、フッ素が主成分であり、電解液の 残渣に由来すると思われるリチウム、酸素、リンもわず かに認められた。充放電後ではリチウム、酸素濃度が増 加し、炭素濃度が減少した。その他、リンがわずかに増 加した。 2に充放電後の各成分の濃度を示す。これらの値は 各内殻スペクトルのピークフィッティング結果と元素組 成より算出した。 表1 充放電前後の元素組成(atomic %) Li C O F P 充放電前 0.8 71.2 1.8 26.0 0.2 充放電後 11.8 45.5 17.2 24.8 0.7 表2 充放電後の各成分の濃度(atomic %) 内殻 成分 濃度 C1s 活物質, 導電助剤 5.1 溶媒変成物 26.6 F1s F (無機塩) 4.1 F-C(バインダ) 18.2 P2p POx, PFxOy 0.3 P-F 0.4 C-C, CHx成分、酸素官能基を有する成分(C-O, C=O, O-C=O, ROCOORなど) 、およびCO3 2成分 元素組成および各成分の濃度より、₁サイクル充放電 後に形成された初期被膜では溶媒変成物が支配的であ り、電解質やその変成成分(F ,POx, PFxOy,P-F成分の寄与は小さいことが分かる。また、リチウム濃度は、 電解質由来のアニオン成分(F ,POx,PFxOy,P-Fの濃度よりも過剰であった。これより、リチウム、 [特集]リチウムイオン電池 (4)表面分析を用いた 負極SEIの構造解析 表面解析研究部 藤田  学 表面解析研究部 児島 幸子

(4)表面分析を用いた 負極SEIの構造解析 - TORAY...4.おわりに 本稿では、試験セルを用いて弊社で作製した1サイ クル充放電後のグラファイト負極についてXPS,

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東レリサーチセンター The TRC News No.117(Sep.2013)・21

●[特集]リチウムイオン電池(4)表面分析を用いた負極SEIの構造解析

1.背景

 リチウムイオン電池のグラファイト負極は非常に強い還元力を示すため、有機溶媒を主成分とする電解液は速やかに還元分解されるはずである。しかし、実際には電池として動作し、優れた特性を示す。これは、グラファイト負極表面に電解液由来の絶縁性の不動態被膜が形成され、電解液の還元分解が抑制されるためであると考えられている1︶。 この被膜は、電解液の還元分解を抑制する機能だけでなく、リチウムイオンがスムーズに溶媒和、脱溶媒和され、リチウムの拡散を阻害しない機能も持ち合わせている。このような機能性の被膜はSEI(Solid Electrolyte Interface︶2︶と呼ばれている(図1)。被膜は電池の動作に不可欠であるが、生成に電荷が消費されるため、不可逆容量の原因となって、電池の特性にも影響を及ぼす。したがって、被膜のキャラクタライズや電解液の反応機構に関する報告も多く3︲6︶、関心が高いことが窺える。

グラファイト負極

SEI

O O

O O

O OEC DEC

溶媒変性物

:Li:溶媒

グラファイト負極

SEI

O O

O O

O O

O

O OO OEC DEC

溶媒変性物

:Li:溶媒

図1 グラファイト負極上での表面被膜(SEI;SolidElectrolyteInterface)生成イメージ

 これまで弊社では、電極の表面分析、電極抽出物の有機組成分析という二通りのアプローチにより、被膜分析を行ってきた。抽出物の有機組成分析では、電解液変成物の化学構造を明確化できる利点があるが、初期被膜は極めて薄いため適用は困難である。したがって、初期被膜についてはXPSやTOF-SIMSのような表面分析手法が有効である。 本稿では、弊社で作製した試験セルの1サイクル充放電後のグラファイト負極についてXPS, TOF-SIMS分析

を行い、初期被膜の組成、化学構造、形態について考察した事例を紹介する。

2.実験

 コバルト酸リチウム正極、グラファイト負極、ポリプロピレン製セパレータを用いたセルを組立て、電解液{ 電 解 質; 1mol/L LiPF6、 溶 媒;DEC(Diethyl Carbonate):EC(Ethylene Carbonate︶=1:1(容積比)}を注液して、試験セルを作製した。 充放電させていない試験セルを「充放電前」、0.1Cで1サイクル充放電(4.2 Vから3.0 V)を行ったセルを「充放電後」とした。これらのセルを不活性雰囲気下で解体・溶媒洗浄し、負極を各分析に供した。

3.結果および考察

 XPSにより得られた負極表面の元素組成を表1に示す。充放電前では、母材であるグラファイト、導電助剤、バインダ由来の炭素、フッ素が主成分であり、電解液の残渣に由来すると思われるリチウム、酸素、リンもわずかに認められた。充放電後ではリチウム、酸素濃度が増加し、炭素濃度が減少した。その他、リンがわずかに増加した。 表2に充放電後の各成分の濃度を示す。これらの値は各内殻スペクトルのピークフィッティング結果と元素組成より算出した。

表1 充放電前後の元素組成(atomic%)Li C O F P

充放電前 0.8 71.2 1.8 26.0 0.2充放電後 11.8 45.5 17.2 24.8 0.7

表2 充放電後の各成分の濃度(atomic%)内殻 成分 濃度

C1s活物質, 導電助剤 5.1

溶媒変成物※ 26.6

F1sF-(無機塩) 4.1

F-C(バインダ) 18.2

P2pPOx, PFxOy 0.3

P-F 0.4

※ C-C, CHx成分、酸素官能基を有する成分(C-O, C=O, O-C=O,

ROCOOR' など)、およびCO32⊖成分

 元素組成および各成分の濃度より、₁サイクル充放電後に形成された初期被膜では溶媒変成物が支配的であり、電解質やその変成成分(F-,POx, PFxOy,P-F成分)の寄与は小さいことが分かる。また、リチウム濃度は、電解質由来のアニオン成分(F-,POx,PFxOy,P-F成分)の濃度よりも過剰であった。これより、リチウム、

[特集]リチウムイオン電池

(4)表面分析を用いた負極SEIの構造解析

表面解析研究部 藤田  学表面解析研究部 児島 幸子

Page 2: (4)表面分析を用いた 負極SEIの構造解析 - TORAY...4.おわりに 本稿では、試験セルを用いて弊社で作製した1サイ クル充放電後のグラファイト負極についてXPS,

炭素、酸素を含む化学種(有機リチウム塩やLiOHなど)も一部含まれる可能性が示唆された。 図2に、充放電前後のC1sスペクトルを示す。充放電後では活物質や導電助剤に由来する成分の強度が大きく減少し、一方でバインダ由来の成分の強度に顕著な違いは認められない。各成分の濃度を算出すると(表3)、充放電によりバインダは3/4に減少しているが、活物質や導電助剤はおよそ1/7であり、バインダに比べて著しく減少している。このことから、バインダ上よりも活物質や導電助剤が存在する部分で選択的に被膜形成が進行したことが推定される。これは、絶縁性のバインダ上よりも、導電性の活物質や導電助剤の存在する部分で還元分解が起きるためであると考えられる。なお、充放電後でも活物質や導電助剤が一部認められていることから、被膜の厚みについてはXPSの検出深さである数nm程度であると推定される。

c/s

2802842882922960

0.5

1

1.5

2

2.5

3

3.5

4x 104

Binding energy (eV)

バインダ (CH2-CF2)

活物質, 導電助剤

活物質, 導電助剤

充放電前 充放電後

図2 充放電前後のXPSC1sスペクトル

表3 充放電前後の各成分の濃度(atomic%)

バインダ*  活物質,導電助剤

充放電前 25.0 36.3充放電後 18.2 5.1

*F1sのF-C成分濃度

 TOF-SIMSより得られた質量スペクトルを図3に示す。充放電前後のスペクトルの比較により、充放電後に特徴的な成分を表4に示す。「充放電後」では、溶媒変成物などによる含酸素有機物や電解質変成物によるリン酸化合物、リン酸エステルなどが多く検出された。 TOF-SIMSのイメージングより(図4)、バインダのPVDFが弱い領域(青枠内)で電解質変成物や溶媒変成物がやや強く検出されている。この結果は、前述のXPS分析結果で示唆された、バインダ上よりも活物質や導電助剤の存在する部分で被膜形成が選択的に進行する可能性を支持している。

x 26x10

0.20.40.60.81.0

Intensity (counts)

x 2

20 40 60 80 100 140

x10

0.20.40.60.81.0

Intensity (counts)

x 26x10

0.20.40.60.8

Intensity (counts)

x 2x10

0.20.40.60.8

Intensity (counts)

m/z

m/z

HF2- F- PF6-

PO3- PO2-

LiF2-

LiPFO2- C3H5O3-

20 40 60 80 100 140

  図3 TOF-SIMS質量スペクトル     上段 「充放電前」の負2次イオンスペクトル     下段 「充放電後」の負2次イオンスペクトル

表4 充放電後に特徴的な成分

推定される構造 2次イオン

含酸素有機物(溶媒変成物など)

R-OC2H4O-R

R=H, Li, C2H5 など

C2H5O+

C3H5O3-など

リン酸化合物、リン酸エステル

R=H, C2H5 など

PO2-, PO3

-

C2H4PO4-C2H6PO4

-

炭酸塩 Li3CO3+ , CO3-

フッ化リチウム LixFy+ , LixFy-

CC2H5OOOR

CHOC2H5OOR

POO

ORRO

充放電前

充放電後

PVDF 電解質変成物 溶媒変成物

100μm

100μm

図4 充放電前後のTOF-SIMSイメージング

22・東レリサーチセンター The TRC News No.117(Sep.2013)

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Page 3: (4)表面分析を用いた 負極SEIの構造解析 - TORAY...4.おわりに 本稿では、試験セルを用いて弊社で作製した1サイ クル充放電後のグラファイト負極についてXPS,

4.おわりに

 本稿では、試験セルを用いて弊社で作製した1サイクル充放電後のグラファイト負極についてXPS, TOF-SIMS分析を行った事例を紹介した。その結果、初期被膜では有機物(溶媒変成物)が支配的であることが分かり、膜厚は数nm程度であると考えられた。溶媒変成物の化学構造には、エチレングリコール骨格や炭酸エステルなどが含まれると推定された。また、活物質や導電助剤の存在する(電子伝導性が高い)箇所で選択的に被膜形成が進行する可能性が示唆された。 本件ではHOPGを用いた模擬的な系ではなく、実際のデバイスと同様のポーラス電極で実施したことに意義がある。汎用的な手法を用いた場合でも、手法の組み合わせ、解釈の深化により、このような考察が可能であることを示した。しかしながら、エッジ面とベイサル面を区別して議論できておらず、検出された成分と電池特性との相関も不明であるなど、課題も多い。被膜の良し悪しを定性的・定量的に評価することを最終的な目標に掲げ、今後も被膜の構造解析に取り組みたいと考えている。

5.参考文献

1)Zempachi Ogumi, Langmuir, 12, 1535(1996).2)E. Peled, J. Electrochem. Soc, 126, 2047(1979).3) Kiyoshi Kanamura et. al., J. Electrochem. Soc., 142,

︵2︶,340(1995).4) Gregory Gachot et. al., J.Power Sources, 178,409(2008).5)Kang Xu, Chem. Rev., 104, 4303(2004).6)H.Ohta et al, J. Electrochem. Soc, 151, A1659(2004).7)Yixuan Wang, JACS, 124, 4408(2002).

■藤田 学(ふじた まなぶ) 表面解析研究部第1研究室 趣味:音楽、球技

■児島 幸子(こじま さちこ) 表面解析研究部第1研究室 趣味:食べ歩き、ショッピング

東レリサーチセンター The TRC News No.117(Sep.2013)・23

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