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Meiji University Title ���-�- Author(s) �,Citation �, 15: 121-131 URL http://hdl.handle.net/10291/11239 Rights Issue Date 1977-12-01 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

(6) はじめに 「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」...(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

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Page 1: (6) はじめに 「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」...(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

Meiji University

 

Title「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」-その

一考察-

Author(s) 松岡,二郎

Citation 明治大学大学院紀要 法学篇, 15: 121-131

URL http://hdl.handle.net/10291/11239

Rights

Issue Date 1977-12-01

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Page 2: (6) はじめに 「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」...(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」

1その一考察ー

区良

はじめに

 軽犯罪は、その違法性の程度が低く、法益侵害性の軽微な性格をもっ

                          (1)

ているから、可罰的違法性を認めるかの接点の問題になる。具体的にい

うと、軽犯罪法第一条第三三号前段が可罰的違法性の理論の適用場面で

あるか否かの問題である。すなわち、軽犯罪法第一条第三三号違反事件

                             (2)

はまさに可罰的違法性の理論の適用場面である、とする考え方と、軽犯

罪法はもともと軽微な犯罪を定型化したものであるから、可罰的違法性

                       (3)

を認めることは立法の趣旨に反する、とする考え方がある。しかし、可

                            (4)

罰的違法性の理論が認められるかどうかは刑法学上問題であり、この理

             (5)

論が未だに明確な法概念でないこと、そして、軽犯罪法第一条第三三号

前段の構成要件が刑法学上いかなる罪質のものであるか充分に分析がな

されていないように思われる。

 そこで、小稿は、可罰的違法性の理論が実務感覚より生まれたとする

(6)

見解もあるので、軽犯罪法第一条第三三号違反の実態をみたうえで、同

法第一条三三号前段の保護法益を明らかにしたいと思う。

注(1) もっとも大野教授は、 「可罰的違法性の問題は犯罪論における違法性の

  問題を超えて、むしろ軽微な犯罪とその取扱いの問題として考えられなけ

  れぽならないと思っている」 (可罰的違法性論の検討e刑法雑誌第二一巻

  四号四〇九頁)、とされ、さらにクリュンペルマンの所説を引用しながら

  「クリュンペルマンは、軽微な犯罪を、独立の軽微な犯罪と非独立の軽微

  な犯罪に分けて論じているが、その場合、独立の軽微な犯罪とは、違警罪

  として法律に規定されている犯罪であり、非独立の軽微な犯罪とは軽罪で

  あっても、その具体的な行為の違法内容が違警と同じような軽い処罰を要

  求するものをいうので、独立の軽微な犯罪は軽犯罪法の問題と考えてよい

  とすれば、非独立の軽微な犯罪の問題がいわゆる可罰的違法性の問題の中

  心ということになろう。」(大野前掲論文四一九頁)と指摘している。

(2) 軽犯罪法に可罰的違法性の理論を認めるものには、田中肇「軽微なビラ

  貼りに関する判例の検討」立命館法学一〇五一〇六号五四二頁、西山富夫

  「ビラ貼りと公害反対運動」続刑法判例百選一二二頁、福田平「ビラ貼」

  労働判例百選二三七頁、がある。軽犯罪法違反事件では高知簡裁判決(昭

  和四二年九月二九目、判例時報五〇八号八二頁)がこの立場をとる唯一の

  事例である。

(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

  ある。その立場を明確にした事例には呉簡裁判決(昭和四三年二月五日、

  判例時報五〇九号八二頁)があり、東京高裁昭和五〇年六月三〇日判決

一121一

Page 3: (6) はじめに 「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」...(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

  は、原則として可罰的違法性の理論の適用を認めない、としている(判例

  時報八〇四号一〇七頁)。

(4) 可罰的違法性の理論を否定する見解をとっているものは、木村亀二博士

  の「可罰的違法性」に関する一連の論文(法学セミナー一四三号-一五〇

  号)、「可罰的違法性」刑法基本問題六〇講四三二頁、などがあり、これを

 肯定する見解をとっているものは、佐伯千偲博士「刑法における違法性の

  理論」、藤木英雄「可罰的違法性の理論」、「可罰的違法性」などがある。

(5) 木村亀二「可罰的違法性」刑法基本問題六〇講四四〇頁

(6) 藤木英樹「可罰的違法性の理論」は、この見解にもとついて書れている。

一、

y犯罪法第一条第三三号違反の実態

 軽犯罪法は、警察犯処罰令に代るべきものとして、昭和二三年に公布

された。

 そこで、昭和二三年から昭和三一年までの軽犯罪法違反の総検挙者数

と同法第一条第三三号違反の検挙人員をみてみると、昭和二三年度の同

法違反の総検挙人員六〇九〇人に対して、同法第一条第三三号違反の検

挙人員八八人、昭和二四年度には同法違反の総検挙人員七〇一八人に対

して、同法第一十第三三号違反検挙人員一六九人、昭和二五年度には同

法違反総検挙人員八二六六人に対して、同法第一条第三三号違反検挙人

員三四九人などのように、同法違反総検挙人員から比べると同法第一条

第三三号違反検挙人員は、微々たるものである。昭和三六年度までの軽

犯罪法違反検挙者数と裁判統計を基礎に研究したものをみてみると、当

時の軽犯罪法の研究老がビラ貼り行為について一言も説明していないと

                           (1)

ころからもうかがえるように、なんらの関心をも示していない。この点

からみても明らかのように、昭和三六年度までの運用は治安というより

「小暴力から市民を守る」、という面を中心におこなわれていたとみるこ

とができる。

 しかし、その後に発表されたもので軽犯罪法の運用を説明するもの

は、同法第一条第三三号の検挙者数が同法違反検挙者数の上位五位以内

に入っていることを認め、同法第一条第三三号の実例として、 「電柱に

ポスター類を貼る行為や、ストライキなどの際に、工場や事務所の窓、

壁等にポスター類を貼りめぐらす行為などがしばしば起訴されている」

と指摘し、さらに「いずれにせよ、判例集などに登載される軽犯罪法違

反の無罪事件ないし第二条を適用して刑の免除を言い渡した事件の大半

               (2)

がこの第三三号に関するものである」、 としていることは注目にあたい

する。昭和四七年度までの同法第一条第三三号の運用を総括して、 「そ

の時々の取締方針によるものであろうか、年により変動が多い。」とし

                  (3)

「近時における検挙人員増加が顕著である。」、としている。そこで警察

などの当局の「その時々の取締方針」を推測する意味で、同法第一条第

三三号検挙者数の特徴をとらえてみると、昭和三四年度が四二五人、昭

和三五年度が四四八人となっており、昭和三三年度の八三人と比らべる

とその増加は異常なように思われる。そして、昭和三四年度、昭和三五

年度の総検挙者数が減少しているのに、同法第一条第三三号違反者だけ

が増加していることをみおとすことができない。昭和三四年度、昭和三

五年度の違反件数の増加は安保闘争が激化しビラ貼りなどの行為が増

加」、しかも当局がこれを厳重に取締ったことによるように思われる。

ただこのころは、その「多くは説諭・仕末書等警察段階での処理にとど

    (4)

まっていた。」、と説明されている。

一122一

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 次に軽犯罪法第一条第三三号違反事件数の増加が顕著になっている年

は、昭和四三年から昭和四五年までである。同法総検挙者数が昭和三四

年度や昭和三五年度とほぼ同数であるのに、同法第一条第三三号違反検

挙人員は、昭和四三年度に六三二人、昭和四四年度に八一五人、昭和四

五年度に八六一人と、昭和三四年度、昭和三五年度の同法第一条三三号

違反検挙人員と比べると格段の増加を示している。昭和四三年から昭和

四五年まであたりは、安保闘争や大学紛争などで当局が治安に非常に敏

感になっていた時期といえよう。

     (5)

 以上の統計と時代的背景より取締方針を推測すると、治安当局は軽犯

罪法第一条第三三号を治安法規として利用するようになり、今日ではそ

の方針は確立したとみるのが素直なみかたでなかろうか。

 ビラ貼り行為の内容を判例集に登載されている判例によってみてみる

と、「日韓会談反対……し(浦和簡裁昭和四〇年七月三日判決・下級刑集

七巻七号一四二二頁)、「教育の軍国主義化反対」 (最高裁昭和四七年六

月六日判決.裁判集一八四・四 七)、「第十回原水爆禁止世界大会を成

功させよう……」 (最高裁大法廷昭和四五年六月一七日判決・判例時報

五九四号三〇頁)、その他時局演説会告知ビラ(札幌高裁昭和四二年一

二月二六日判決判例時報五一六号八六頁)、南朝鮮人民支援ビラ (最高

裁昭和四五年四月三〇日判決・最高刑集二四・四・一九六)などのよう

に、むしろ政治集団の日常活動についてのものが多い。しかし、求人広

                       (6)

告や貸間広告などについては、 「電柱は国民の掲示板」と指摘されてい

               (7)

るように刑事責任をとわれていない。このことからみると、同法第一条

三三号が安保などのような大規模な政治目標に対して作用するばかりで

なく、政治集団の日常活動に対しても治安法規として作用していること

を示している。なお、この点について鈴木義男氏はビラ貼り行為につい

て「取締りの状況を統計的に確かめることができないが)」、として、さ

らに「ビラ貼りが訴追の対象となっているのは政治活動等に関係する場

合がほとんどである。もちろん、このことから直ちに不公平な訴追や取

                     (8)

締りが行なわれていると結論することはでき(ず)」ない、とする。しか

し、軽犯罪法第一条第三三号の検挙人員の増減とその時代の背景を総合

                    (9)

的に判断すれば、軽犯罪法が「機能的治安法規」としての役割を現実に

果しつつある、とみるのが妥当であろう。

 もともと軽犯罪法第一条第三三号がいわゆる「小暴力」から市民を守

ることを目的としているから、同法第一条第三三号が治安法規として機

能している・と縫犯罪法の妾犠に反するもので鶉・同法笙条

第三三号の運用の実態は、 「全体として公訴じたい治安目的に基づ、と

                         (12)

推定されるだけに、規制の仕方と根拠は重要な意味をもつ」だけでな

                     (13)

く、この法規の解釈にも影響を与えざるをえない。

注(1) 日原正雄「軽犯罪法は活動している」時の法令二六五号九頁、植松正

  「街の浄化と軽犯罪法」時の法令四三五号四三頁。

(2) 伊藤栄樹「軽犯罪法の二〇年」時の法令六三九号二三頁

(3) 伊藤栄樹「軽犯罪法」五二頁

(4) 谷村正太郎「”三矢作戦反対”などのビラは正当」労働法律旬報六三三

  号五頁

(5) 刑事犯に関する統計は、警察庁刑事局統計「昭和○○年の犯罪」による。

  但し昭和三九年以前は「犯罪統計書」による。なお伊藤栄樹・前掲書四六

 頁が比較的よく整理されているので、それを参照されたい。

一123一

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(6) 松岡三郎「労働争議と刑事責任」季刊労働法七九号一七頁

(7) 万井隆令「ビラ貼りと軽犯罪法」日本労働法学会誌三六号二二七頁

(8) 刑法判例研究六四頁

(9) 中山研一「軽犯罪法一条三三号と憲法二一条三一条」判例タイムスニ五

  二号五五頁

(10) 軽犯罪法の制定当時、裁判官の磯崎良誉氏は、軽犯罪法を治安法規とし

  て利用されることを予想して、 「軽犯罪法の適正妥当な運用のため、その

  『本来の目的』、その立法の趣旨を考えよう。」と述べ、「軽犯罪法立法の眼

  目は、われわれの日常生活関係を脅かす、ささやかな侵害行為を処罰の対

  象とし、その段階において社会防衛を全うするとともに、犯人を改善せん

  とするにあるものと信ずる。」とし、さらに「これが本法に課せられた使

  命であり、またその念願とするところであって、労働運動弾圧の尖兵であ

  るかの疑惑をかけられ、保守反動の汚名を着せられるが如きは本法の心外

  とするところである。」(軽犯罪法解義七頁)と指摘しているが、このこと

  は、軽犯罪法の性格のあいまいさを示しているように思われる。

(11) 軽犯罪法第一条第三三号が本来個々の市民の生活の平穏のためのもので

  あるから、政治活動としてのビラ貼り行為について、 二般市民の私的生

  活にたいしてとばっちりの受忍を求めることはできないが、政治権力や検

  察にたいしては、受忍の義務を求めることができる。この場合、一方の当

  事者に刑事罰をもって臨むことは、フェアでない。」(松岡三郎.前掲論文

  一六頁)、という批判が妥当する。

(12) 小林直樹「現代基本権の展開」一一三頁

(13) 木村博士は、 「刑法の解釈は、法益の外に、法全体の目的.刑法の目的

  はいうまでもなく、犯罪の客体、行為の意義等を考慮することを要し、さ

  らに、犯罪の法典上の地位・論理解釈・文理解釈・比較法的考察等.法益

  以外に、いろいろ重要な要素を考慮する必要のあることはいうまでもな

  い。」(刑法総論一六四頁)としている。

二、軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益について

軽犯罪法第一条第三三号前段については、構成要件が不明確であるの

                              (1)

で、憲法第三一条に違反するのでないか、という議論がなされている。

ある構成要件が不明確であるかどうかは、その法規範がなにを禁止また

は命令しているか明らかでないことである。そこで、軽犯罪法第一条第

三三号前段の保護法益は、なんであるかを明らかにすることが重要とな

る。なぜなら、保護法益は、刑法解釈において指針となるべきものであ

華そこで・軽犯罪法箋条第三三号の実態を検討したので、今度は、

この実態に対して裁判所がどういう態度を示したかを法益の面からみて

ゆくと、判例は、およそ五つの類型に区別できる。

 第一の類型は、保護法益を個人の財産権である、とする。東京高裁昭

和三九年四月三〇日判決は、 「同罪の保護法益は、これを従来の分類に

当てはめれば、結局個人(法人を含む)の財産権であるということがで

きる。」とし、その財産権の内容は、「東電広告株式会社が東京電力株式

会社との間の契約に基づき右電柱を含む同会社所有にかかるいっさいの

電柱につきこれを使用して広告業を営みかつその業務の遂行に必要な範

囲内においてこれを管理する権利」、としている(判例時報二八二号五〇

頁。同趣旨・東京高裁昭和三九年六月二二日判決・判例タイムス一八八

号九二頁、札幌高裁昭和四二年=一月二六日判決・判例時報五一六号八

六頁)。

 第二の類型は、保護法益を財産権としているがその物自体の効用を重

視するものである。滝川簡裁昭和四二年六月一〇日判決は、 「前記法文

の法益は、形式的に考えるのならぽ、 『他人の物に手を触れるな』とい

う人の日常生活における卑近な道徳律を法規範化したもので、すなわち

社会生活の秩序または公序良俗ということになり、実体的に考えるなら

一124一

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ぽ『物の在りのままの姿』、すなわち外観であると解するのが相当であ

る。」としている(下級刑集九巻六号八四五頁。同趣旨・高知簡裁昭和

四二年九月二九日判決・判例時報五〇八号八二頁)。

 第三の類型は、保護法益を個人の財産権の他に美観までも保護法益と

する。この類型に該当するものでも、若干のニュアンスの違いがある。

第一の類型に近いものとして、東京高裁昭和四四年七月三一日判決は、

「管理者の承諾を得ない、勝手なビラ貼り行為によって、客観的に、工

作物が汚損されるのは、普通であるし、管理者が、これにより、それ相

当の迷惑感とか、美観が損われたと感ずることも、これまた通例であ

る。」としている (判例時報五六七号九二頁。同趣旨・東京高裁昭和四

〇年一二月二二日判決・判例タイムスニ三八号一四八頁、高松高裁昭和

四四年三月二八日判決・判例時報五六七号九五頁)。 街の美観という社

会法益を重視するものとして高松高裁昭和四三年四月三〇日判決は「保

護法益(個人法益のほか、地域の美観等公共的法益も含めて)」、として

いる(判例時報五三四号一九頁。同趣旨・東京高裁昭和四四年六月二二

日判決.判例タイムスニ三八号二一二頁)。なお最高裁大法延昭和四五

年六月一七日判決は、 「軽犯罪法一条三三号前段は主として他人の家屋

その他の工作物に関する財産権、管理権を保護するために」 (判例時報

五九四号三〇頁)、としている。この判決の「主として」の意味は明ら

かでないが、 一般には下級審のいう美観を含ませるためのもの、と解さ

れている。しかし、多くの下級審では美観については、個人法益として

の美観と社会法益としての美観というニュアンスの違った美観を、必ず

しも明確に区別せず使用されている。結局のところ下級審の段階では美

観の意味について混乱が生じていることに注意すべきであろう。

 第四の類型は、保護法益を主として個人の表現の自由、とするもので

ある。呉簡裁昭和四三年二月五日判決は、 「自己の管理する場所にその

意に反してまで他人の政治的意見の発表を許されなければならない義務

は存在しない。むしろそのように他人の管理する場所を利用して勝手に

自己の政治的意見を公表することは、他人に自己の政治的意見を押しつ

けることと同様であり、他人の表現の自由を侵害するものである。」とし

ている(判例時報五〇九号七九頁)。

 第五の類型は、保護法益を社会法益、とする。中野簡裁昭和四三年九

月六日判決は、 「軽犯罪法第一条の法益は、公共の秩序、平穏の維持、

善良の風俗等社会性を有する道徳律の確保並びにその向上を期待するも

のであり」とし、さらに「特別ビラの内、 一部のものは、社会通念上是

認されない程度の偏狭なもの、思想的嫌悪感を与えるものの如きは、そ

のビラ貼り行為者と、思想感情を異にする一般公衆に対する物心の両面

における生活安定感の保護をも対象としなけれぽならない。管理者に対

する電柱の外観的美観の侵害の如きは、微々たるものであり、むしろ、

街路の景観に対する一般公衆のうける市街的美観を害うことに留意すべ

く、更に、一歩を進めて特別ビラの内でも、国家的権威(国家組織上)

を害し又は国家的利益に反する慮れのあるもの(で)」を考慮する、とす

る。 

このように、裁判所が軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益につい

て分れた見解を示しているのは、事実関係によるものの他に学説の同法

第一条第三三号前段の保護法益の見解の違いが影響しているとみること

一125一

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ができる。そこで、学説も判例とほぼ同様の類型化が考えられる。

 第一の類型は、個人の財産権を保護法益としている。第一の立場をと

るものには、「個人の法益に対する罪の性質をもつものとして」、第三三

                             (3)

号などを掲げ「いずれも刑法に該らぬ程度のものがここに問題となる。」

という見解がある。これをさらに明確にして、植松教授は、 「本号の予

想するところは悪戯程度の軽微な行為であるが、これも社会生活の平和

と秩序とそうして各人の自由とを尊重するために、厳重に取り締らなけ

ればならない。その意味において主として個人の財産権の保護を規定し

    (4)

たものである。」としている。

 第二の類型は、個人の財産権の他に美観を保護法益とする。学説もま

た判例と同じように、美観を管理権の内容として理解する見解と、美観

を社会法益として理解する見解に、分れている。美観を管理権の内容と

して理解する見解は、 「右の美観ということも、その保護法益の一つで

あると思われるけれども、その主たる保護法益はやはり『他人の家屋そ

の他の工作物に関する財産権、管理権』の内容に含まれるものと解する

      (5)

のが相当であろう。」としている。美観を社会法益と理解している見解

は、「本号の規定自体からみて、『他人の財産権、管理権』が主たる保護

法益であることは疑いないと考えるが、それがすべてであることは問題

があり」、として、「規定自体と法の趣旨に照らし、結局、主として他人

の財産権、管理権を保護するが、間接に都市の美観ないし社会生活の平

                 (6)

和と秩序を保護するものであると解される。」としている。

 第三の類型は、保護法益を社会法益とする。この立場をとるものは、

                     (7)

「本号は、社会生活の平和と秩序とを維持するため」、としている。

 軽犯罪法第一条第三三号前段に関する見解については、いままでに検

討したところからも明らかのように、判例、学説では多くの類型に分類

される。これらの分類は、大きく区別すれぽ社会法益と個人法益とに区

別できる。しかし、これらの判例・学説を綿密に分類・検討すれば同一

に論ずることができない内容をもっている。そこで、これらの分類をそ

れぞれ批判検討する必要がある。

 まず軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益を社会法益と考える判

例・学説を検討しよう。この見解に対しては、同法第一条第三三号前段

の構成要件がなにゆえに「人」とせずに「他人」としたのか、が問題と

(8)

なる。さらにこの保護法益を社会法益と解すると、個人をこえた社会の

利益を重んずることになり立法当時より懸念されていたこと、すなわち

労働運動や大衆運動に対しての弾圧法規として利用されることが容易と

(9)                         (10)

なる。これは軽犯罪法第一条第三三号の立法趣旨にも反することであ

る。従って、軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益を社会法益と解す

ることは妥当でない。同法第一条第三三号前段の保護法益は、個人法益

と解すべきである。多くの判例・学説もこのように解している。

 軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益を個人法益であるという立場

をとっても、その個人法益の具体的内容については、議論のあるところ

である。

 判例の第一の類型は保護法益を個人の財産権としてこの立場をとって

いるが、多くの場合に事例が電柱を対象としているため、その財産権の

具体的内容を広告独占権と解している。このことは、軽犯罪法第一条第

三三号前段が業務妨害罪の犯罪類型と解釈されることになる。しかし、

一126一

Page 8: (6) はじめに 「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」...(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

業務妨害は同法第一条第三一号によって保護されるべきであって、第三

一号と第三三号と重複して、軽微な業務妨害を保護していると解するこ

          (11)

とは、合理的な解釈でない。従って、判例が同法第一条第三三号前段の

保護法益を実質的に広告独占権とすることは、妥当でない。学説の第一

の類型は、個人法益の内容として「財産権」「所有権」「管理権」、などを

保護法益として掲げているだけで、より具体的に内容を示していない。

たとえば判例上多数の場合に電柱を対象とした場合が問題となるが、学

説は、どんな内容の財産権または管理権を保護しようとするのかが明ら

かでないからである。

 判例では第三の類型そして学説では第二の類型は、保護法益を個人の

財産の外に美観を含めたもの、としている。この美観については、すで

に指摘したように判例.学説ともそれぞれニュアンスの違った理解のし

方をしている。

 ところで美観を所有者・管理者が主観的に感じる美的感覚と理解する

見解の基本的立場は、 「本号の罪と刑法殿棄罪との相違は、結局行為の

侵害性の大小の差にありと解する。即ち殿棄罪を構成しない程度の侵害

性を持・た行為が本号の対象とするところなので麓・」とするもので

ある。この見解のように、軽犯罪法第一条第三三号前段と刑法上の殿棄

罪が単に量的な差と解すれば、刑法上の殿棄罪の解釈が確定すれば、軽

犯罪法第一条第三三号前段の解釈も確定することになる。しかし、現在

でも判例.学説において、刑法上の殿棄罪についての解釈が確定してい

(13)

ない。さらに器物損壊罪(刑法第二六一条)が親告罪(刑法第二六四条)

なのに、それより法益の侵害性も行為の違法性も低い軽微な犯罪である

                             (14)

軽犯罪法第㎝条第三三号前段が非親告罪である、という矛盾が生じる。

そして、 「刑法上の殿棄罪と本号の罪とは必ずしも罪質を同じくするも

のとはいえず、前者が一種の財産犯であるのに対し、本号の罪は単純行

為犯として規定されているのであるから、本号においては、美観の侵害

                 (15)

までは要件とされないと解すべきであろう。」と主張できる。判例でも、

東京高裁昭和四二年=月二四日判決は、 「同号前段は、直接的には個

人の財産権を保護法益とし、財産の管理・支配権を保護しようとするも

のであるけれども、…同罪は必ずしも刑法における財産犯と罪質を同じ

くすると限らず、…行為の形態は刑法の殿棄罪に類似するけれども、未

だ同罪が成立するに至らない程度のはり札行為を内容とするものであっ

て、構成要件上においては単純行為犯として捉えられているに過ぎな

い。従って同罪はいわゆる形式犯であって、実質犯・侵害犯でなく、所

論のように美観の侵害等特別の結果の発生を必要とするものでない。」

(判例集未登載、なお特別刑法e法曹会三三頁による)、としている。

従って、軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益として、財産権・管理

権の内容に主観的な美観を含ませることは、妥当でない。

 そのほかに判例では第三の類型そして学説では第二の類型で、 「街の

美観という社会法益を重視する」見解がある。この見解のように美観を

「都市の美観」・「地域の美観」という社会法益に解して、財産権ととも

に保護法益とするものは、妥当でない。なぜなら、軽犯罪法第一条第三

                             (16)

三号は、 「他人の家屋」や「他人のその他の工作物」を構成要件要素と

しており、文理上からも社会法益を予想していない。間接的にも同法第

一条第三三号前段に社会法益を認めることは、矛盾ないしは不徹底の批

一 127一

Page 9: (6) はじめに 「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」...(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

判をまぬがれない。

 ところで、軽犯罪法第一条第三三号前段は、 「他人の家屋」を構成要

件要素としている。この「家屋」には、当然のことながら個人の住居が

含まれる。この場合、同法第一条第三三号前段の立法趣旨は、財産権と

                         (17)

いうよりも自己の「プライバシー」の本拠地ともいえる住居に、その管

理者の承諾なく手をふれるな、というものであろう。ビラは、政治ビラ

にしろ商業ビラにしろ、なんらかの意思表示または意味のあるものであ

る。それを相手方の同意なしに貼ることは、相手方の思想.良心の自由

        (18)

を侵害することもある。さらに「プライバシー」というものが結局のと

                 (19)

ころ、他人から干渉されない領域とすると、ビラ貼り行為は、 「プライ

バシーの権利」を直接に侵害することになることはいうまでもない。判

例の第四の類型は、 「他人の管理する場所を利用して勝手に自己の政治

的意見を公表することは、他人に自己の政治的意見を押しつけることと

同様であり、他人の表現の自由を侵害するものである。」(判例時報五〇

九号七九頁)とする。この裁判所の見解は、大多数の判例が財産権を保

護法益としている点を考えると、軽犯罪法第一条第三三号の保護法益が

                       (20)

単に財産権だけでないことに気づいた点ですぐれている。ただ、判例の

                         (21)

事案は全て電柱や駅の壁や公共機関の掲示板などであるから、人格権よ

り認められる「プライバシーの権利」などの諸権利を根拠とすることが

                          (22)

できず、財産権の侵害を根拠にせざるを得なかったのであろう。しかし

軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益は、財産権だけでなくプライバ

シーの権利も保護法益とされている。従って、判例が同法第一条第三三

号前段の保護法益を単に財産権としたことは狭きに失する。このこと

が、同法第一条第三三号前段の保護法益を不明確にし、その結果解釈に

おいて憲法秩序によって実質的ないしは厳格に解釈せずに形式的または

             (23)

観念的に解釈されることになった。

 ところで、軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益を確定するため

に、住居侵入罪を素材にして検討することが有用であるように思われ

蘂すなわち・前に述べたような二つのいわゆる保護法益を包括した法

概念としては住居侵入罪(刑法一三〇条)と類似した保護法益が考えら

れるのでないだろうか。住居侵入罪は、住居の中に侵入してその事実上

の生活の平穏を侵害するものであるが、軽犯罪法第一条第三三号前段

は、家屋の中に入ることを要件としていないが家屋やその他の工作物に

ビラを貼ることで間接的にその事実上の生活の平穏を侵害しているもの

で臥総。ただ、軽犯罪法第一条第三三号前段が住居侵入罪と本質的に異

なる点は、住居侵入罪が住居の内側を構成要件要素(客体)としている

のに対して、同法第一条第三三号前段が住居の壁及びその延長線上を構

成要件要素としていることである。この違いが、住居侵入罪の行為態様

が「侵入」であり、同法第一条第三三号前段の行為態様が「貼る」とい

う殿棄罪に類似したもの、という違いになる。さらに、同法第一条第三

三号前段の構成要件要素である「家屋」や「その他の工作物」が広く社

会生活と直接に接する点に特徴がある。ところで個々の人権やその他の

法益に衝突が生じ、それぞれを侵害しあっているが、社会生活ではそれ

らの侵害の調整を行なうことが必要である。現実の社会では保護される

プライバシーや財産は、多かれ少なかれたえず侵害されているのであ

り、これを完全に防止することが不可能である。防止できるとすること

一 128 一

Page 10: (6) はじめに 「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」...(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

は、社会そのものを否定することになる。そこで、法は、どんな法規に

も一定の侵害を予定しているとみることができる。刑法学的見地より換

言すると、 「その侵害が、社会的に重大なものとなったとき、すなわち

                      (26)

ω。N凶巴巴9、ρロ暮でなくなってはじめて犯罪とされる」、 ということにな

る。このことは、軽微な犯罪を目的とした軽犯罪法についても同様のこ

とがいえる。そうでなければ、軽犯罪法の保護法益だけが絶対的な法益

の優位に立つことになる。これは、およそ現行の憲法秩序からみて是認

できない法益である。従って軽犯罪法にも、予定された一定の法益侵害

が必要である。

 そこで、軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益と住居侵入罪の保護

法益とは、同じように事実上の生活の平穏であるが「貼る」と「侵入」

とを比べると、ビラ「貼り」の方が法益侵害性が弱く、同法第一条第三

三号前段の構成要件要素(客体)が直接に広く社会生活と接しているの

で、ある程度のビラ貼り行為を規範が認容している面も少なくなく、こ

                       (27)

の意味で「正当化事由」との接点が微妙なものとなる。軽犯罪法第一条

第三三号前段の法益をくわしくみてみると、行為が個人の家屋やその他

の工作物に対してなされた場合には、住居侵入罪の場合の法益と同類の

法益を考えれぽよい。個人の場合には社会から干渉されたくないこと、

すなわち社会から離脱することを保護するのに対して、法人などの場合

には、その財をいかに社会に有効に使用できるか、すなわち社会との融

合を保護するものである。具体的には、その財産の機能を維持するため

の事実上の平穏を保護法益としている。判例で多く問題になった電柱を

対象にしたビラ貼りに対しては、現実にビラ貼りによって電柱の機能が

妨害されない限り法益侵害がなく規範が認容している範囲内である、と

  (28)

いえる。個人と法人とで同じ個人の事実上の生活の平穏を保護法益とし

ながら、このような差が生じるのは、自然人と法人との本質的な差によ

るといえる。

注(1) 構成要件が厳格でないまたは不明確とするものに、阿部照哉「軽犯罪法

  一条三三号と憲法二一条」ジリスト四五九号九〇頁・同「『ビラはり』と表

  現の自由」マスコミ判例百選一五七頁、清水睦「ビラはりと表現の自由」

  憲法の判例四九頁・中山研一「軽犯罪法一条三三号と憲法二一条三一条」

  判例タイムスニ五二号五六頁、小林直樹前掲書一一四頁、など参照

(2) 団藤博士は、 「たとえ文理的にみてある行為が当の構成要件に該当する

  ようにみえても、その予想する定型にあたらないときは、構成要件該当性

  を欠くものと解しなければならない。」(刑法総論七九頁)としているが、

  この見解には批判がある(平野竜一「刑法総論1)一〇一頁)。そこで木

  村博士のように、謳告罪や第一四二条の例をあげて「法益概念が刑法的概

  念構成又は解釈の指導概念として有する重要なる意義を認識し得るのであ

  る。」(刑法の基本概念一四〇頁)とされるのが妥当であろう。

(3) 中野次雄「軽犯罪法解説」法律時報二〇巻六号二八頁。同趣旨・磯崎良

  誉「軽犯罪法解義」=二六頁

(4) 軽犯罪法講義一七二頁。同趣旨・北川洋太郎「政治的自由の限界」判例

  展望四七頁、高橋和之「ビラ貼りと表現の自由」憲法判例百選五二頁。こ

  の他に、主たる法益を所有権・管理権とするものに可部照哉「軽犯罪法一

  条三三号と憲法二一条」ジュリスト四五九号八八頁、森長英太郎「ビラは

  り取締りと公訴権の濫用」ジュリスト三八九号四五頁、特別刑法〇三三頁

  など

(5) 綿引紳郎「軽犯罪法一条三三号前段と憲法二一条一項」法曹時報二二巻

  九号二四一頁。この他に「工作物・標示物の安全とその美観を保護しよう

  とするものである。」(大塚仁「軽犯罪法」一二頁)も同趣旨であろうか。

(6) 堀部玉夫「ビラはりと軽犯罪」法律のひろば四五頁。同趣旨・小野清一

一129一

Page 11: (6) はじめに 「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」...(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

  郎「新訂刑法講義各論」三=頁、清水睦・前掲論文四九頁。この他に

  「本号の立法趣旨は、主として、工作物および標示物に関する財産権・管

  理権を保護しようとするものであるが、あわせて、それらのものの美観を

  保護しようとする趣旨も含まれているものと解する。」(伊藤栄樹・前掲書

  二一九頁)も同趣旨であろうか。

(7) 野木新一・中野次雄・植松正「注釈軽犯罪法」九六頁

(8) 堀部玉夫氏は、 「本号は、他人の家屋その他の工作物にみだりにはり札

  をすることを犯罪としているのであって、自己の家屋等にはり札をするこ

  とを対象としていないから、単に都市の美観の保護のみを目的としている

  ものでないことは明らかであり、社会法益に対する罪とする考え方はとり

  得ない。」前掲論文四五頁、とする。

(9) 角田邦重「ビラ貼りと軽犯罪法」季刊労働法七七号一六八-一七〇頁参

  照

(10) 軽犯罪法の立法趣旨については、磯崎良誉・前掲書七頁、植松正・前掲

  書一四頁などに詳しい。いずれも軽犯罪法が労働運動や大衆運動に対して

  の弾圧法規として機能すべきでない、と主張している。

(11) 同趣旨・石村善治「電柱等へのビラ貼りを禁止した大阪府屋外広告物条

  例二条三項一号が憲法一=条に違反するか」判例時報五五一号=二一頁、

  中山研一・前掲論文五七頁、田中肇・前掲論文五二七頁。

(12) 磯崎良誉良・前掲書二二八頁

(13) 沢登俊雄教授は、 「器物損壊及び建造物損壊罪の構成要件の解釈をめぐ

  って、効用侵害説をとるのが、大審院以来の判例の一貫した態度である」

  とし、 「美観の内容については判例上変遷があり、おおむね拡大する方向

  へ動いてきたように思われる。現在では、普通の建造物や器物でもそれな

  りの美観という効用はあるものとされ、また美観の侵害を、人の嫌悪感や

  不快の惹起といった心理的なものにまで広げる傾向がみられるのであっ

  て、判例上効用概念は一層不明確となりつつある。」(「闘争手段としてのビ

  ラ貼りと器物損壊罪の成否」警察研究四四-九・=二六頁)としている。

(14) 中山研一・前掲論文五六頁

(15) 特別刑法e三四頁

(16) 軽犯罪法第一条第三三号前段は、単純行為犯であるから、客体が存在し

  ない。従って、厳密にいうと「家屋」「工作物」は、構成要件要素である

  と解するのが妥当である。なお住居侵入罪について、木村博士は、この点

  を指摘しておられる(刑法各論七二頁)。

(17) プライバシーの対象領域として代表的なパターンとして個人の家庭生活

  を掲げることができる(鴨良弼「刑事訴訟法の新展開」一四四頁)

(18) 小林直樹・前掲書一一四頁

(19) 伊藤正己「プライバシーの権利」七七頁

(20) 但し、この判決は電柱に対するビラ貼りについてのものであるから、理

  論の適用場面としては妥当性を欠く(同趣旨・田中肇・前掲論文五ご八頁)

  ように思われる。この判決の理論には多くの批判がなされている(阿部照

  哉「軽犯罪法一条三三号と憲法三一条」九〇頁、高橋和之・前掲論文五三

  頁中山研一・前掲論文五七頁)が、これらの批判は、妥当と思われない。

  これらの批判の基本的立場は、憲法秩序からみるとビラ貼りをした者の表

  現の自由とビラ貼りによって財産権を侵害された場合を比較し、その場合

  には前者の表現の自由に優位が認められるとして、それを保護しているよ

  うに思われる。しかし、軽犯罪法第一条第三三号前段の保護法益が単に財

  産権だけでないから、批判する学説は妥当でない。

(21) 清水睦・前掲論文四七頁は、 「まったく個人の家屋について、はり札は

  問題にならない。」と指摘している。

(22) 伊藤正己・前掲書一六四以下の頁で、法人にプライバシーの権利を認め

  ない、とする。

(23) 中山教授は、 「法益論からのアプローチの結論としては、軽犯罪法一条

  三三号の保護法益が不明確であって不当に観念化され拡大される危険があ

  る」 (前掲論文五七頁)とされる。これは中山教授が軽犯罪法第一条第三

  三号前段の「個人のプライバシーの権利」を保護するという機能を無視し

  たことによる、と思われる。

(24) 住居侵入罪は、個人のプライバシーの利益を刑罰法令上の保護法益の主

  たる内容としている(鴨良弼・前掲書一五四頁)。

(25) 類似の行為として「家の中に石を投げ入れたり、電話で呼び出したり、

  家の外で騒音を出したり」する行為(西山富夫「住居侵入の問題点」刑法

  講座五・一九四頁参照)。

一130 一

Page 12: (6) はじめに 「軽犯罪法第一条第三三号前段の実態と法理」...(3) 多くの判例は軽犯罪法に可罰的違法性の理論を適用することに批判的で

(26) 西山富夫・前掲論文一九四頁

(27) この点は「みだりに」の解釈として問題になる。そこで別の機会に詳細

  に検討したい。

(28) 判例の第二の類型が美観としての効用として「物の外観」とするのでな

  く、その物の経済上の機能を意味するとすれば、妥当な見解と思われる。

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