28
Meiji University Title �(�) Author(s) �,Citation �, 156: 241-267 URL http://hdl.handle.net/10291/8839 Rights Issue Date 1982-03-01 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

Meiji University

 

Title 「愛」の字に関する考察(下)

Author(s) 田中,佩刀

Citation 明治大学教養論集, 156: 241-267

URL http://hdl.handle.net/10291/8839

Rights

Issue Date 1982-03-01

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Page 2: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

「愛」の字に関する考察(下)

        ー始めに1

 前稿の内容を概説した上で、論を進めて見たいと思う。本稿の意図は、 「愛」という字の原義を明かにしたいということ

である。

 現行の「愛」の字は、字典の心部に属しているのが普通であるが、 「愛」の字の古い形は、現行の字形とは異なってい

て、種々の字形が有り、従って必ずしも心部には属していないのである。本稿の論とは関係が無いが、、中華人民共和国の簡

体字では、愛は「愛」という新しい字形となっていて》(爪)部に属している。

                   しん  しん  すい

 『説文解字』に見える「愛」 (1)の字は先と心と皮とから成り立っており、その字義は、「行見、杁反、悉声。」だとし

                                       あい

ている。この皮は、 『説文解字』には「行遅曳麦麦。象人両脛有所躍也。」としており、悉の字義は「恵也。」としている。

              しん       き             き  しん         あい         

 ただ、 『康煕字典』では、右の先の部分が先となっていて、兄と心とから成る悉を小象の愛の字だとして、 「悉者恵也。」

としているのである。

                        コ                      の                                                へさ

 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

241一

Page 3: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

               コ                                     あい

している。『説文解字」に拠れば、忌の字義は「憎悪也。」としているから、悉という字は、愛と憎悪という二つの相反する

意味を持っていることになる。

             あい  あい  あい     あい                                       すい

 また、 「大漢和辞典』には、悉・懇・暖および媛を愛の古い字形として挙げているが、これ等の字には皮の字が含まれて

いない。

 『大漢和辞典」に挙げられている愛の諸字形の字音は、すべてアイであるが、 (26)の字形には、アイの他にエという字

音も示されている。

 なお、前稿に若干の補足をして置くが、前稿三=一頁の五行目以下に述べたように、甲骨文の愛の字またはその異体字は

今のところ見あたらない。前稿執筆後に入手した貝塚茂樹氏他の『甲骨文字研究・索引」 (同朋舎、昭和五十五年十二月増

補版)で検べても見あたらなかった。

 前稿三二九頁の四行目に、 「字形の上部が或る形に描かれている(57)は」とあるが、実は「附図、その二」の(57)に

妾の甲骨文を記すべきところ、それを脱落したままで筆を進め、附図の(57)は甲骨文の兄という字になっている。従っ

て、右の四行目の(57)は(幽)に訂正して、本稿の附図に妾の甲骨文を示すことにした。

 また、前稿三三八頁の終りから二行目のコ=一頁の「愛」の中古音は」は「『愛」の中国中古音は」と字を補いたい。

 前稿執筆後に、白川静氏の『漢字の世界・2」 (平凡社、昭和五十一年)を入手した。そこで同書から、愛の字に関する

白川氏の見解を簡単に紹介して置こう。

           あい                   すい                                    あい  かい

 すなわち、白川氏は、悉と愛とは同字であるとし、皮は人の全身形を書いたものだとしている。また、悉と兄(私は此の

字をキと読んでいる)とは音が同じではなく、先は後ろ向きに人が口をあけている形で、悉が兄に従うのは、その後ろをふ

りかえる心情を示し、愛がその全体形である、としているのである。

一 242

Page 4: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

右の白川氏の先の字形に関する考え方は、私の考え方と略ζ同じであろう。私は前稿三二九頁の終りから三行目に、「(47)

         き

と(51)の字形中の先は、膝の向きの反対に顔を向けているので

に見える。」と説明した。

 以上が前稿の概略である。

、ちょうど肩越しに後方を振返っているような状態のよう

        十三

 中国古典に於ける愛の字の用例について其の字義を検討して見たいと思う。

 ただ、中国古典それぞれの成立年代を確定して、成立年代順に並べて字義の変遷を論ずることは、現段階では殆んど不可

能なことなので、資料として扱う中国古典は、常識的に判断して、成立年代が古いと思われるものの中から選んだものに過

ぎず、また、今日では成立当時の原本を見ることができないから、現行本では愛となっている字が、どういう字形で原本に

入っていたのかを知ることができない。従って通行本をそのままの形で資料として扱っていることを御諒承頂きたい。

一243一

 先ず五経から採り上げることにするが、 『周易』の「繋辞・下」第十二章には、

  八卦以象告、交象以情言。剛柔雑居、而吉凶可見 。変動以利言、吉凶以情遷。是故愛悪相攻而吉凶生、遠近相取而悔

 吝生、情偽相感而利害生。

とある。右の「相攻」の攻はセメルと読む字であるが、諸橋轍次氏の『大漢和辞典』 (大修館書店、昭和四十三年)の攻の

                                    コ            みが

字の項には虞注(呉の虞翻の注)の 「攻、摩也。」を引いている。攻にも摩にも玉や石を磨くという意味が有るが、この場

合は恐らく・触れる゜迫る・という意味で用いているのであろう・「馨」とは憂することと罫こと」の意味であり、

Page 5: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

115       109      (57)     (12) 、附図その五

窪㊥尺

116

Zて・論ノ

711

1iO      IO4      (14)      (5)

111   105 (26)  (6)

211

レよく

趨811

“キ《よ衙

119

(39)

115   107 (47)

120      114     108     (51)

*括弧0内の数字は前稿の附図の番号である。

         キ《

  

@ 

               (

    、

(8)

一244一

Page 6: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

謂わば愛情と騰齢とである。従って右の例文では、吉凶が愛情と憎悪とから生れるとしているのである。      ’

 右の例文の悟飾(誠実と虚偽との意に解される)と対比させて見ると、この愛悪の愛は、人間を対象としたものではある

が、変愛感情を意味する愛に特定することはできない。つまり男女間の愛というよりも、社会にある人間相互間の愛の意味

に解するのが妥当であると考えられる。

 次に、 『尚書』に就いて愛の字の用例を拾って見ると、 「虞書.大萬誤」に、

  人心惟危道心惟微。惟精惟一。允執腋中。無稽之言勿聴、弗訥之謀勿庸。可愛非君、可畏非民。

とある。有名な言葉であるが、 「可愛非君」は、人民は君主を生命としているので、愛すべきは君に非ずや、というのだと

解される。また、帝舜から見ると、人民の畏れる君主は愛すべき者である、という解釈も有る。これも君主に対する愛であ

るから、恋愛感情を意味する愛ではない。

 同じく『尚書』の「夏書・胤征」には、

  鳴呼、威克蕨愛、允済、愛克豚威、允岡功。其爾衆士、愁戒哉。

                へ         こそく                                  っ  

とある。宋の察沈は、「威ハ厳明ソ講ヒ∩愛ハ姑息ノ謂ヒ」と註しているが、亡の場合の姑息は婦女子の意味である。すな

わち右の例文の愛は、婦入や子供(妻子を指しているのであろう)、または、婦人や子供からの愛情、の何れかの意味に用

いられていると考えられる。             、

 また、 『尚書』の「商書・伊訓」には、

  立愛惟親、立敬惟長。始干家邦、終干四海。

とある。右の例文の「立愛惟親」とは、親を愛することから愛が始まるという意味であって、この場合の愛も勿論、恋愛感

一245

Page 7: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

情を意味する愛ではない。

 また、 『尚書』の「周書・酒譜」には、

  惟日、化我民、追小子。惟土物愛。厭心賊。

                                                 おも

            こ   どぶつ

とある。「惟土物愛」は「惟レ土物ヲ愛ス」と訓読し、察沈の註には、「文王ハ我ガ民ヲ化シテ、子孫ヲ教道ス。惟フニ土

地ノ生ム所ノ物ハ、皆、之ヲ愛惜ス。則チ其ノ心善シ。」としている。すなわち土物とは、その地方の産物、という意味で

     コ                       あいぼき      お

あり、この愛は、対象が人間以外であり、愛惜する(惜しむ)という意味で用いられているのである。

 同じく「周書・多方」には、

  爾乃迫屡不静。爾心未愛。

                           な

                    しばしば

とあって、察沈の註には、「汝ノ躇ミ行フ所、数ζ安カラズト為ス。汝ノ心、未ダ我ガ周ヲ愛サザルガ故ナリ。」と説明し

                          なんじ

                     だけし

ている。ただ、河田柳荘(河田迫斎の三男。名は罷。)ぱ、「爾ノ心未ダ身ヲ愛スル所以ヲ知ラザルカ。」と註している。い

ずれにせよ右の愛は男女間の愛を意味するものではない。          」         「

一一一 Q46一

                          却             けい   よ

 次に、 『毛詩』に於ける愛の字の用例を見よう。先ず、 「耀、国風」の「北風」の詩句中に「恵シテ我ヲ好ミセバ、手ヲ

擶♂テ同ジク行カン」とあるが、毛郭の伝には、 「恵愛、行道也。」としている。前稿に於てすでに述べたように、『説文解

字』に憂(、)は「行星としているが・また・漱(8)と眺(h)とか晟る齢(η)の字については「悉、恵也。」

としているのであって、右の毛伝はその意味で興味深い。なお、前稿の附図その一の(12)の字形は『説文通訓定市』に拠

ったが・『説文解字」や証文解字注』には・濫の部分が逆向きにな・た字形の轡蛎)であることを附言して置く。

                                    り                こうべ       ちちゆう

 同じく「蠣、国風」の「静女」の詩句中には、 「愛而不見、掻首蜘蝸。」とある。「愛スレドモ見ズ、首ヲ掻イテ蜘蛎ス。」

Page 8: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

と読むのが普通であるが、麟シメドモと訓ずる学者も有り、詩意の解釈も定まっていない(山田勝美氏は黙れて〈隠れて〉

見えないと訳している。)「愛しているのに彼女に会いに行けず、頭を抱え込んでためらっている。」とか、「愛しているのに

彼女は来てくれず、頭をかきながら往きつ戻りつしている。」などと訳し得るであろうが、この愛は通説に従えば美しい女

性への愛の意と解されるであろう。

 次に「鄭、国風」の「将仲子」の詩句中に

 「豊敢愛之。畏我父母。」、「豊敢愛之。畏我諸兄。」、「豊敢愛之。畏人之多言。」

                                                     あに

などの句が見える。これは荘公が祭仲から、荘公の弟の叔段の驕慢を諒すべきことを進言されたときの言葉であって、 「豊

あえ                       おそ

敢テ之ヲ愛セン。我ガ父母ヲ畏ル。 (決して弟を愛してはいない。私の父母の気持を察すればこそ我慢しているのだ。)」な

どの意味である。従ってこの愛は男女間の愛情の意味ではない。

              しゆうそう                                                             とお  つと

 また「魚藻之什、小雅」の「曝桑」の詩句に「心乎愛 、遽不謂突。中心蔵之、何日忘之。」とある。「心二愛ス、遽キ謂

       これ       いず                                                      よ

メザラン。中心之ヲ蔵ス、何レノ日力之ヲ忘レン。」と読まれているが、在野の君子を心の中で善しとして、遠くにいて、も

つと                                                                                

勤めてこれを思い、心の中に君子を思っていて忘れることができない、という詩意である。この愛も、君子を愛するのであ

るから、男女間の愛情の意味ではない。

 次に「蕩之什、大雅」の「蒸民」の詩句に「維仲山甫挙之、愛、莫助之。」とある。仲山甫に徳が有るのに、それを助け

                                              これ  あ      お

る者がいないという詩意で、ここの愛は惜の意味に解されて、「維レ仲山甫之ヲ挙ゲン、愛シキカナ、之ヲ助クル莫シ。」と

                                          

読まれているのである。ここも男女間の愛情の意味に用いていない。以上が『毛詩』に於ける愛の字の用例である。

247 一

次に『春秋左氏伝』に於ける愛の字の用例を挙げて見よう。かなりの数になるので、用例の順に従って番号を附し、引用

Page 9: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

箇所を示し、用例を掲げ、括孤内に私見を注記するという形にしたい。

1、隠公・元年-愛共叔段欲立之。 (武姜は荘公を憎み共叔段を愛した。母が子を愛する愛。)

2、同前」1君子日、頴考叔純孝也。愛其母施及荘公。 (子が母を愛する愛)

3、隠公・三年  石碓諫日、臣聞愛子教之以義方、弗納於邪。……君義臣行、父慈子孝沸兄愛弟敬。所謂六順也。 (荘公

は身分の低い妾の子の講を憂がるので・蕪が諌めた言葉。始めの愛は・親が子供を愛すること。次の愛は兄が弟を愛

すること。)

                                          かく

4、荘公・二十七年ー夫礼楽慈愛、戦所蓄也。夫民譲事楽和、愛親哀喪、而後可用也。 (晋侯が醗を伐とうとしたとき、

卸葡が反対したときの言葉。この慈愛は君主と人民との関係について言う。愛親の愛は親子または肉親相互の関係について

言う。)

                                           ぐ

5、僖公・五年ー将號是滅。何愛於虞。且虞能親於桓荘乎。其愛之也、桓荘之族何罪而以為裁。 (虞公を宮之奇が諫めた

           しん

言葉。何ゾ虞ヲ愛センは、晋が虞を愛しようか、という意味で、国と国との関係について言う。其レ之ヲ愛池バも晋が桓.

荘の一族を滅したことをいう。)             ・     ,         .     .  、’

6、僖公・十四年-慶鄭日、背施無親、幸災不仁、貧愛不祥、怒隣不義。四徳皆失、何以守国。 (飢饒になった秦が、晋

                                        

に米の輸出を頼んだが、晋の人々が許さなかった時、晋の大夫の慶鄭が言った言葉。この愛は他人からの恩恵という意に解

されている。)

7、.僖公・二十八年ー我執曹君、而分曹衛之田、以賜宋人、楚愛曹衛、必不許也。 (楚、曹衛ヲ愛スレバは、国と国との

                 せんしん

関係についていう愛である。先珍が晋侯に進言した言葉の中に見える。)

8、文公・元年  子上日、君之歯、未也。而又多愛。瓢乃乱也。 (楚子が商臣を太子にしようとした時、令罪の子上の言

一248一

Page 10: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

った言葉。この愛は、内寵・寵愛する者の意。)

9、文公・六年ー趙孟日、立公子雍。好善而長、先君愛之。且近於秦。秦旧好也。置善則固、事長則順、立愛則孝、結旧

則安。……先君是以愛其子、而仕諸秦、為亜卿焉、秦大而近。足以為援。母義子愛之。足以威民。 (晋の裏公が亡って、世

                                         これ        の

継ぎの霊公が幼なかったので、誰を世継ぎにするかの論が起った時、趙孟が言った言葉。先君之ヲ愛スの愛は親子の愛。愛

                         ここ

ヲ立レバ則チ孝の愛も同じ。先君是ヲ以テ其ノ子ヲ愛シテ・母義二子之ヲ愛スも同じである。)

10、文公・十五年ー恵伯日、喪親之終也。錐不能始、善終可也。史侠有言、日兄弟致美。救乏、賀善、弔突、祭敬、喪

哀、情錐不同、量絶其愛、親之道也。 (この場合の親は肉親を指しているから、其愛は肉親の情愛を意味している。)

11、同前i二子日、夫子以愛我聞、我以将殺子聞。不亦遠於礼乎。 (孟献子と二人の叔父との会話で、愛は叔父と甥との

関係についていう。)

12、宣公・二年-趙盾請以括為公族、日君姫氏之愛子也。微君姫氏、則臣独人也。公許之。 (愛子の愛は、親が愛してい

ることを指している。)

13、宣公・十二年ー厨子怒日、非子之求。而蒲之愛。 (子供を取り戻そうと知荘子が出かけたとき、同行の厨武子は知荘

子が敵を射る際に良い矢を除いているのを見て腹を立てた。蒲は楊柳のことであるが、矢の材料になるので、ここでは矢の

意。愛は大事にする、または惜しむの意。)

14、成公・二年-吾子恵微斉国之福、不混其社穰、使継旧好、唯是先君之徹器土地不敢愛。 (斉の使者が伝えた主人の言

葉で、愛は惜しむの意。)

15、成公ニニ年-韓原登挙爵日、臣之不敢愛死、為両君之在此堂也。 (愛は惜しむの意。)

16、成公・十七年ー難将作 。愛我者唯祝我使我速死。無及於難。 (晋の萢文子が祈疇師に頼んで祈らせた言葉。愛我者

一249一

Page 11: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

                                  の

は先祖を指すと考えられる。しかし天を指すとも考えられよう。いずれにせよ愛は男女間の愛ではない。)

17、裏公・三年~公跣而出、日、寡人之言親愛也。吾子之討軍礼也。 (親愛は肉親の愛情の意。)

18、裏公・十四年i師畷……対日……民奉其君、愛之如父母、仰之如日月、敬之如神明、畏之如雷震。 (愛は父母のよう

に君主を愛する意。)

19、裏公・二十一年i女徹族也。国多大寵。不仁人間之、不亦難乎。余何愛焉。 (叔向の母の言葉で、愛は愛するの意に

近い。)     ’                               ・

2・・裏公三+三年i季武子無適子・公弥長・憂悼子竪之・…白・弥耗吾皆愛之。(愛は子供への愛で奮。)

21、同前~孟孫悪減孫、季孫愛之。……藏孫日、季孫之愛我也疾疾也。(これも男女の愛ではない。)

22、同前ー生絶。長於公宮。姜氏愛之。故立之。 (この場合も親子の愛である。)          を

23、裏公・三十年i何愛於邑。邑将焉往。 (愛は惜しむの意。)

24、裏公・三十一年i子皮日、 。吾愛之。不吾叛也。使夫往而学焉、夫亦愈知治 。子産日、不可。人之愛人、求利之

也。今吾子愛人則以政。猶未能操刀而使割也。其傷実多。子之愛人、傷之而巳。其誰敢求愛於子。 (この愛も男女の愛では

なく、謂わば可愛がるという意味である。)  ”

25、同前-君有君之威儀、其臣畏而愛之、則而象之。……臣有臣之威儀、其下畏而愛之。…:.日、大国畏其力、小国懐其

徳。言畏而愛之也。 (君臣間の愛と、周書にある文王の徳に関する評である。)

26、同前-紺囚文王七年。……紺於是乎濯而帰之、可謂愛之。……故君子、在位可畏、施舎可愛。 (これも男女の愛では

ない。)                                         ’

27、昭公・元年ー不然激邑館人之属也。其敢愛豊氏之眺。 (愛は惜しむの意。子羽の言葉で、豊氏の廟を貸すことを惜し

一250一

Page 12: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

まない、というのである。)

                                  あい                 お

28、同前ー梁其脛日、貨以藩身。子何愛焉。 (竹添井々の『左氏会箋』には愛センと訓じているが、愛シムの意である。)

29、同前ー周公殺管叔、而察票叔。夫豊不愛。 (愛は兄弟間の愛である。)

30、昭公・三年  民人痛疾。而或懊休之。其愛之如父母、而帰之如流水。 (人民が為政者を愛する意。)

31、昭公・十二年-右罪子革……対日……今周与四国、服事君主、将唯命是従。豊其愛鼎。・…:周不愛鼎。鄭敢愛田乎。

(愛は惜しむの意。)

32、昭公・十三年-王聞翠公子之死也、自投工・車下。日、人之愛其子也亦如余乎。 (この愛は親子の愛である。)

33、同前-亡無愛徴、可謂無徳。 (韓宣子の問に、叔向が子干を批評した言葉で、亡命していても愛惜されている徴候が

無かったというのである。愛を徴の修飾語と解して置く。)

34、昭公・十六年-子大叔・子羽謂子産日……吾子何愛於一環、其以取憎於大国也。 (愛は惜しむの意。)

35、昭公・十八年-子大叔日、宝以保民也。若有火、国幾亡。可以救亡。子何愛焉。 (これも惜しむの意。)

36、同前  晋之辺吏譲鄭。日、鄭国有災。晋大夫不敢寧居。ト笠走望、不愛牲玉。 (これも惜しむの意。)

37、昭公・二十年1ー対日、臣不敢愛死。無乃求去憂而滋長乎。臣是以催。 (愛は惜しむの意。)

                                                                            のこ

38、同前-及子産卒、仲尼聞之出涕。日、古之遺愛也。 (愛は人を愛することで、 『左氏会箋』に「古人ノ仁愛ノ遺リテ

子産二在ルヲ謂フナリ。」と註している。)

39、昭公二一十一年i対日、君若愛司馬、則如亡。 (華多僚の言葉で、この愛は君臣の関係についていう。)

40、昭公・二十六年ー対日、礼之可以為国也久 。与天地並。君令臣共、父慈子孝、兄愛弟敬、夫和妻柔、姑慈婦聴、礼

也。君令而不違、臣共而不弐、父慈而教、子孝而箴、兄愛而友、弟敬而順、夫和而義、妻柔而正、姑慈而従、婦聴而娩、礼

一251一

Page 13: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

之善物也。(嬰子の言葉である。ニケ所の愛とも兄弟の関係で、兄が弟を可愛がる意である。)

41、昭公・三十二年ー昔、成季友桓之季也。文姜之愛子也。 (愛は親子の愛。)

42、定公・八年  対日、不敢愛死。催不免主。 (林楚が桓子に啓えた言葉で、愛は惜しむの意。)

43、定公・九年-詩云、蔽苦甘業、勿躬勿伐、召伯所菱。思其人、猶愛其樹。 (『左氏会箋」に愛セリと訓じているが、

この場合は惜しむという意に近い。)

44、哀公・二年-伐邪将伐絞。邪人愛其土。故賂以榔折之肝而受盟。 (愛は前例43と同じである。)

45、同前-大命不敢請、偲玉不敢愛。 (愛は惜しむの意。)

                                                  みず

46、哀公・七年-魯……背君之盟、僻君之執事、以陵我小国。邪非敢自愛也。催君威之不立。 (『左氏会箋」に自カラ愛

スルと訓じているが、自分自身を大事にすることを自愛といい、自惜と同じ意味である。)

 以上で「春秋左氏伝」中の愛の字の用例を終る。多少は漏れているかも知れぬが、殆んど総ての用例を尽、しているであろ

う。父子兄弟など肉親の関係に於ける愛や、君主と量下または人民との関係に於けゐ愛や、国家と国家との関係に於ける愛

(これも人間と人間との愛と見ることができよう)などである。

 なお、例19の場合は、女性が女性を批評している言葉(余何愛焉)で、 「どうして好きになれようか」と解するのが妥当

ではないかと思うが、別な意味に解釈する学者も有り、必ずしも愛するの意味に落着くとは言えないようである。

 ただ、右に列挙した「春秋左氏伝』の愛の字の用例四十六項目の中には、男女間に於ける愛情の意味の愛の字の用例は見

当らなかったし、人間以外の物品(例えば宝石など)を対象とした場合の愛は、惜しむという意味に用いられていた。例33

の愛徴は、愛する意にも惜しむ意にも解し得るが、もともとは愛するという意味であったと考慌られる。

一252

Page 14: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

 次に『礼記』に於ける愛の字の用例について考えて見よう。これも用例の順に従って記号を附して列挙することにした

い。a

、曲礼上-賢者押而敬之、畏而愛之、愛而知其悪、憎而知其善。 (賢者が人と交かる様子を述べたもので、愛は好意を

抱く意。)

b、檀弓上-申生有罪。不念伯氏之言也、以至子死。申生不敢愛其死。 (愛は惜しむの意である。)

c、同前ー曽子日、爾之愛我也、不如彼。君子之愛人也以徳、細人之愛人也、以姑息。 (愛は好意を抱く意。)

d、同前-且臣聞之。実有二道。有愛而巽之、有畏而実之。 (愛は愛慕することで、やはり好意を抱く意である。畏は畏

敬する意。)

e、檀弓下-巽而起、則愛父也。起而不私、則遠利也。 (愛は父を愛していちのであるがハ哀と解する説も有る。)

f、同前ー復尽愛之道也。有疇祠之心焉。 (愛は死者に対する愛慕の心である。)

9、同前-銘明施也。……愛之斯録之突。敬之斯尽其道焉耳。 (前項と同じである。)

h、文王世子-是故聖人之記事也、慮之以大、愛之以敬、行之以礼、脩之以孝養、紀之以義、終之以仁。 (記事の事は、

天子が養老の礼を行なった事蹟であり、愛之の之も養老の事蹟を指すと考えられる。従って愛は愛好する意。)r

i、礼運i故人皆愛其死、而患其生。 (愛は惜しむの意。)

j、同前  何謂人情。喜怒哀催愛悪欲。七者弗学而能。 (対象が特定されていないが、愛は人に対する愛情を抱く意で、

男女の愛とは認められない。後に飲食男女人之大欲存焉が別な段落に入っているので、右の愛に男女の愛を合めるのは妥当

ではないと考えられる。)

k、同前  故天不愛其道、地不愛其宝、人不愛其情。 (愛は惜しむの意。この部分は大順の世の説明である。)

一253

Page 15: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

                              の

ー、内則  子婦有勤労之事、錐甚愛之、姑縦之、而寧数休之。 (愛は父母舅姑が子婦を愛すること。右の文は解釈が区々

                     ゆるく   しばしばいこ

であるが、子婦に勤労の事が有ったら、しばらく縦し、数ζ休わせながら働かせる、の意であろう。)

m、同前  是故父母之所愛、亦愛之、父母之所敬、亦敬之。至於犬馬尽然。而況於人乎。 (曽子の言葉で、愛は愛情を抱

くの意。)

・・大伝百・治糎二日・報聖三日・挙弩四日・使熊吾・存勢(響に潔・察也ごとあるので・存を

アキラカニスと訓ずる例が有る。親愛する所を明らかにして公平を期することで、この愛も男女の関係についていうのでは

ない。)

o、同前-宗廟厳故重社覆。重社稜故愛百姓。愛百姓故刑罰中。刑罰中故庶民安。 (この愛は大切にするという意昧に近

い。)

P、楽記ー楽者音之所由生也。其本在人心之感於物也。是故……其愛心感者、其声和以柔。 (愛は心を修飾していると解

し得る慈愛の意。)

q、同前  仁以愛之、義以正之。如此則民治行 。 (愛之の之は、その前にある貴賎・上下・賢不肖などを指すと考えら

砦・この愛は仁によっ憂する意・)    .        。

r、同前  大楽与天地同和、大礼与天地同節。……明則有礼楽、幽則鬼神。如此則四海之内、合敬同愛 。礼者殊事合敬

者也。楽者異文合愛者也。 (愛は人間相互が抱き合う愛情の意で、謂わば人類愛である。)

s、同前  愛者宜歌商……騨直而慈愛、商之遺声也。 (この文は錯簡であるとされ、 「舜直而慈愛者宜歌商。温良而能断

者、…:.万物育焉。故商者五帝之遺声也。商人識之。」となるべきだという。従って愛者という形は無いので、愛の用例と

はしない。)

一一 254一

Page 16: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

t、祭義i心志嗜欲、不忘乎心、致愛則存、致懇則著。 (この愛は親を愛する心。)

u、同前-如見親之所愛、如欲色然。其文王与。 (愛は愛好するという意。)

v、同前  薦而不欲不愛也。 (この愛は、子供が親を愛する意。)

W、同前  子日、立愛自親始。教民睦也。 (愛は道徳的な意味で用いている。人類愛の意味に近く、必ずしも親を愛する

道という意味に限定しなくてもいいと考える。)

x、同前ー父母愛之、喜而弗忘。父母悪之、催而無怨。 (之は子供を指すと考えられるので、右の愛は親が我が子を愛す

る意。)

y、哀公問  孔子対日、古之為政、愛人為大。所以治愛人、礼為大。所以治礼、敬為大。……弗愛不親、弗敬不正。愛与

敬、其政之本与。 (為政者が人を愛することをいう。)

z、同前-孔子遂言日、古之為政、愛人為大。不能愛人、不能有其身。 (前項に同じ。)

P、表記  子言之。仁有数、義有長短小大。中心婚但、愛入之仁也。 (他人を愛することで、謂わば人類愛の意味に近

いQ)

抽、同前  惟仲山甫挙之、愛、莫助之。 (ヲシイカナと訓読し、惜しむの意。)

B、同前-子民如父母、有憎恒之愛。有忠利之教。親而尊、安而敬、威而愛、富而有礼。恵而能散。 (父母が子を慈しむ

如く、君主が人民を愛することをいう。)

皿、三年間  凡生天地之聞者、有血気之属、必有知。有知之属、莫不知愛其類。 (仲間を愛するという意。)

恥、儒行  行必中正、道塗不争険易之利、冬夏不争陰陽之和。愛其死以有待也。 (愛は惜しむの意。)

 以上が『礼記』に見える愛の字の用例である。殆んど総ての用例を挙げた積りであるが、或は見落しが有るかも知れな

一 255

Page 17: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

い。 『礼記』の場合も、

字を含む熟語は省いた。

いる。)

男女間の情愛を意味する用例は見出し得なかった。 (なお『周易』以下『礼記」に至るまで、愛の

但し二字の熟語を挙げている場合は、愛と他の字と切り離して解釈できると判断した場合に限って

十四

 五経を一通り見終ったので、次に四書ということになるが、四書の中で『大学』と『中庸』とは、既に「礼記』の中にそ

れぞれ一篇として入っているものであるから、ここで採り上げるには及ばない。中国古典の成立年代を定めるのは極めて困

難であるが、内容的に五経と並べ得るものは『論語」であり、 『孟子』の成立は恐らく五経よりもかなり後になると推測さ

れる。そこで四書からは『論語』だけを採り上げて、愛の字の用例を調べて見よう。

 〈学而第一〉子日、道千乗之国、敬事而信、節用而愛人、使民以時。 (愛は大事にする、いつくしむ、の意。)

 〈同前〉子日、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有余力、則以学文。 (人々を愛する、好意を抱く意。)

 〈八倫第三〉子貢欲去告朔之餓羊。子日、賜也、女愛其羊。我愛其礼。 (両方の愛とも、惜もむの意。)

 〈顔淵第十二〉子張間崇徳弁惑。子日、主忠信徒義、崇徳也。愛之欲其生、悪之欲其死。既欲其生、又欲其死、是惑也。

   誠不以富、亦祇以異。 (この愛も男女間の愛とは考え難い。)

 〈同前〉奨遅問仁。子日、愛人。問知。子日、知人。焚遅未達。……(この愛も男女間の場合ではない。)

 〈憲問第十四〉子日、愛之能勿労乎。忠焉能勿謳乎。 (愛は好意を抱くの意。)

以上が『論語』に於ける愛の字の用例であるが、ここでも男女の恋愛の意味に用いた例は見当らなかった。

一256一

Page 18: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

十五

 儒教の経典の成立年代を考えると、五経の次に四書が来るという順序は、ほぼ認め得ると思うし、孟子の生存時代を推定

すれば、 『孟子』という書物の成立は、 『論語』よりも後のことであろうと推測されるのである。

 さて、儒教以外の書物の成立年代を推定して、儒教の経典と関聯づけて成立年代順に並べるとすれば、極めて不正確なも

のにならざるを得ないであろう。例えば、老子は孔子の師であったという伝説が有り、墨子は孔子より後で孟子より前の人

であったと謂われ、荘子は孟子と同時代人であったと謂われているが、もとより此のような通説からだけで、 『老子』1

『論語』i『墨子』1『荘子』・『孟子』という書物の順序が定められるものではない。生没年も定かでなく、書物の成

立年代も明かでないものを順序立てて並べることは無理なのである。

 ただ、儒教の経典以外のものからも、幾つか例を引いて置きたいと思う。

一257一

      ろうたん

 『老子』は老瑞の著で「道徳経」とも呼ばれている。老購は孔子が礼を問うた人で、孔子よりも年長者であったと謂われ

るが、詳しいことは分らず、『老子』という書物も成立は漢初だという説が有る。

                              

 『老子』の「能為第十」に「愛民治国、能無為。」とある。この愛は人民を可愛がるという意味である。

 また、 「巧用第二十七」には、 「故善人者不善人之師、不善人者善人之資。不貴其師、不愛其資、錐智大迷。是謂要妙。」

とある。この愛は好意を抱くという意味であるが、善人(師)に対しては貴、不善人(資)に対しては愛となっている点

は、字の用法の上で興味深い。

 次に、 「立戒第四十四」に、 「甚愛必大費、多蔵必厚亡。」とある。省略した前の部分から考えると、この愛の対象は名

   n

Page 19: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

    

および貨であるから、大事にするという意味になる。但し、惜しむという意味に解しても通ずる所である。

 以上が『老子』に於ける愛の字の用例である。先にも述べたことであるが、愛の一字だけの用例を探したものであって、

例えば「愛養」の如き塾語は省略してある。なお、 『老子』の場合でも、男女の関係に於ける愛の字の用例は見当らなかっ

た。 

さて、ここで『墨子』に於ける愛の字の用例に就いて、若干言及して置きたい。周知の如く、 『墨子」には兼愛説も有る

ほどで、愛の字の用例は少なくなく、愛の字の内容を知る手がかりになるような記事も見受けられる点は注目していいと思

・つ。

 例えば「親士第一」の「雌有賢君、不愛無功之臣。錐有慈父、不愛無益之子。」という愛の字の用例からは、有功之臣や

有益之子ならば愛しているということが察せられ、賢君や慈父にしてすら、自分に有利なものを好むという人情の機微を衝

いた墨子の言葉を知ると共に、愛の字の用法が、無私無欲の愛から利害打算を含む愛まで含めていたであろ・7ことを察し得

るのである。

 「脩身第二」には、「君子之道也、貧則見廉、富則見義、生則見愛、死則見哀。四行者、不可虚仮、反之身者也。」とある。

この生と死とを生者と死者と解して、君子が生者に対しては親愛し、死者に対しては哀憐する、という牧野藻洲の説が有る

                   ロ                                                     れん

が、どうも賛成しかねる。やはり、ここの見の字は受身の形を作っていると考えて、「貧ナルトキハ゜則チ廉トセラレ、富メ

      ぎ                                               かな

ルトキハ則チ義トセラレ、生クルトキハ則チ愛セラレ、死スルトキハ則チ哀シマルー。」という意味に解するのが妥当ではな

いかと思う。

 『説文解字」には哀について「哀(39)、閾也。」と説明している。段玉裁の『説文解字注』の哀の字体は(39)と少し異

一258一

Page 20: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

なっているので、参考までに(601)として掲げて置くが、 (39)と基本的には同形である。

            °    - とむら いた              。

 さて、 「哀、閥也。」の閾の字義は、 「弔う、悼む、°憂える。」などであるから、死と結びついても不審なところは無いの

である。

 そして、右に引いた『墨子』の記述を見ると、貧・富と生・死、廉・義と愛・哀という形で対比させられている。そし

て、貧富は財産について、生死は生命について、廉義は精神について、愛哀は人格について言われているのだから、謂わば

同じ根を有していると考えられる。しかし、貧と富とは明らかに意味上では相異している。同様に、愛と哀との場合も、意

味は相異した文字である。この「墨子』の例で見ると、生きている人に対しては愛であり、死んだ人に対しては哀である。

日本語の古語の「かなし」には「いとおしい」と「歎かわしい」と両方の意味が含まれている(或は、両方の意味に用いら

れる)が、漢字の愛は哀に代用はできず、哀は愛に代用できないのである。これは字義を考える上で、極めて重要なことで

ある。

 「尚賢・中、第九」には、「且夫王公大人、有所愛其色而使(之)。其心不察其知、而与其愛。是故不能治百人者、使処乎

千人之官。」という記事が有る。愛は動詞と名詞とに用いられているが、 「其色」というのは、家臣の中の美貌の持ち主を

指しており、この場合は女性ではないと考えられる。また、 「其愛」は「其色」と同一人物である。愛する対象と愛する内

容との一例として興味深い。

 兼愛説に関って『墨子』には「愛利」という言葉が見えている。「兼愛・上、第十四」には「子自愛、不愛父。故麟父而

自利。弟自愛、不愛兄。故彪兄而自利。臣自愛、不愛君。故麟君而自利。此所謂乱也。」と述べられているが、自愛すなわ

ち不愛他の結果を自利としている点に注意すべきで、 「兼愛・下、第十六」に天下之利は「従愛人利人生」としていること

と考え合せると、兼愛説の輪郭を知ることができるのである。

一259

Page 21: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

 「経」や「経説」は解釈が難かしい篇であるが、 「経説・下、第四十三」に「仁、愛也。義、利也。愛利、此也。所愛、

所利、彼也。」とあるのを参考までに掲げて『墨子』についてはここで筆を止めたいと思う。なお、先に述べた如く、 『墨

子』に於ける愛の字の用例は頗る多く、ここには其の極く一部分の例を挙げたに過ぎない。

 なお一言附け加えて置くが、諸橋轍次氏の『大漢和辞典』巻四の 「愛」の項の六番目に「⑥こひする。男女が情を通ず

る。 〔戦国、斉策〕略。 〔注〕愛、猶通也。」とある。『戦国策』は前漢の末に劉向が編纂したものと言われるが、右の斉策

は、斉の閾王・下の、 「孟嘗君舎人、有与君之夫人相愛者。或以聞孟嘗君日、為君舎人、而内与夫人相愛。亦甚不義夷。君

其殺之。云々」の話を指していて、その中にある愛の注を引用しているのである。但し、私の手もとにある『戦国策正解』

には此の注は無く、この注というのは、恐らく漢の高誘の注ではないかと想像される。愛を情交の意味に用いるのは此れが

初出なのかどうかは知らないが、男性が女性を愛する意味に用いた例は、先に引用した如く、通説に従えば『毛詩」の「郡、

国風」の詩句に既に見られるところであるが、この場合には、愛が直ちに情交を意味するものでもなく、 『大漢和辞典」の

    こい

説明の「恋する」ということにしても、そのまま情交を意味するものではないから、『戦国策」からの引例は寧ろ極めて特

殊な場合だと言っていいと思う。  ’                          、       、

十六、

一260一

以上、愛の字の用例を数多く挙げて来たが、それは愛の字の成立ちと原義とを追究するための一つの手段であった。

右に挙げた愛の字の多くの用例から、私たちは先ず、愛の字の内容が大別して、「愛すること」と「惜しむこと」との二

つになることが分った。次に、異性を愛する(または情交する)という意味で用いられている場合が非常に少ないことが分

Page 22: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

                                                     の

った。親が我が子を愛したり、君主が人民を愛したり、人が世間の人々を愛したり、人が物品を大事にしたりする場合の愛

が大部分であった。

 それ等の用例は、愛の字の原義が、必ずしも恋愛感情を意味しているものではないことを示している。少なくとも、恋愛

の意味は派生的な意味であって原義ではない。従って、愛の解字に当って恰も恋愛の意味であるかのように論ずるのは、妥

当ではない。

 次に、本稿で扱った資料はすべて活字本であるために、すぺての愛の字は「愛」の字形に統一されており、他の字形は見

られない。それは字形の相異による用例の分類を不可能にしていることであり、愛の原義を追究する手がかりを失わせてい

ることになっている。

                      り                                    き

 諸橋氏の『大漢和辞典』に、魯をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで「忌」に同じだとしていることは既

に述べた(「二」参照)が、この説明の根拠は『正字通』と『集韻』とである。この説明は非常に興味深いものである。

 右の『大漢和辞典』の「忌」の字の項には、その意味を「①いむーイにくむ、ロねたむ、ハおそれる(恐)、二はばか

る・きらふ、ホさける、禁ずる。②いむ、③つつしむ。④いましめ。⑤うらむ。⑥おもひ(意)」(出典などは省略)として

いる。右の「忌」の字の意味から「恐れる、避ける、慎しむ」などの意味を取って、 「愛」の字の用例に当て嵌めて見たら

どうなるであろうか。

                             

 例えば『尚書』の「可愛非君、可畏非民。」が「可忌非君」(忌は、恐れる)であっても意味は通じないことはない。 「惟

土物愛」が「惟土物」 (忌は、慎しむ)でも意味は通じそうである。「爾心未愛」の場合も忌に置き換えられるのではある

まいか。

 『毛詩』の「螂、国風」の「愛而不見、掻首蜘蜻」の愛は忌(避ける)に置き換えても意味は通ずるであろうし、また

一261一

Page 23: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

「鄭、国風」の「豊敢愛之。畏我父母。」の場合も、忌(恐れる)に置き換えられるであろう。「蕩之什、大雅」の「維仲山

甫挙之、愛莫助之。」も、忌(避ける)に置き換えて意味が通ずると思う。

                           の

 『春秋左氏伝』では、15成公・三年の「臣之不敢愛死」は忌(避ける)に置き換えても不都合は無い。37昭公・二十年の

例でも同じことである。

 『礼記』の場合でも、b檀弓上の「不敢愛其死」は忌(避ける)に置き換えられる。e檀弓下の「則愛父也」も忌(恐れ

                               ロ   コ  おもい

る)と置き換えられるかも知れない。f檀弓下の「復尽愛之道也」の愛も忌(意)に置き換えて通ずるのではないだろう

か。また、i礼運の「故人皆愛其死、而患其生。」も忌(慎しむ)に置き換えることが可能ではないだろうか。肋表記の

「愛、莫助之」は『毛詩』の例と同一である。酔儒行の「愛其死以有待也」も忌’(避ける)に置き換え得るであろう。

      お

 「愛」を「惜しむ」と訓ずるのは、大切にするという意味から転じたものということができるであろう。確かに「君子ハ

  おし                                

日ヲ愛ミテ以テ学ブ」というような場合の愛は惜しむという意味であるが、それは毎日毎日の時間というものを大切にする

                                              つつ

からである。従って、「日ヲ愛シテ」と読んでも意味が取れないことはない。また「忌」に置き換えて「慎しむ」の意味に

取っても解釈できるのである。日本語としては「日ヲ慎シミテ」よりも「日ヲ惜シミテ」の方が受け取り易いであろうが、

「慎シミテ」と訓じても意味が分らないことはないと思う。

      あえ         おし

 ところが「敢テ其ノ死ヲ愛マズ。」というのは「生命ヲ惜シマズ」という言葉よりも分りにくく、「死ヲ愛サズ」としたの

                                  さ

では、なおさら分らなくなるのではないだろうか。もし「忌」に置き換えて「避ける」という意味に取り、 「敢テ其ノ死ヲ

避ケズ」とするならば意味は直ちに分ると思うのである。

 いま、 「忌」の多くの意味の中から幾つかを選んで「愛」の代りに置き換えて見たのであるが、なぜ意味が通ずる場合が

有るのだろうか。勿論、通じない場合も少なくはなく、それはここでは採り上げなかったが、意味が通ずるということは、

一一 262一

Page 24: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

あい  。         き       ぎ                                          ,       あい            き

悉(愛の古字)が忌の古字(悉)と同じだったからではないだろうか。そして、それは愛の古字の悉と、忌の古字の悉とが

同形であったからだと一おうは言えるかも知れないが、もともと「忌、憎悪也。」と『説文解字」に説明している忌が愛の

字と同一であるはずは無く、古字の字形が似ていたところから誤って混用されてしまったと見る方が筋が通っているのでは

あるまいか。

                                                     づ

 先述の如く、今日では資料の入手が不可能であるから、此れは仮説である。しかし、この仮説を立てることによって、愛

の古字が忌の古字であるという意味上の矛盾には説明がつく。更にもう一つ大切なことは、先(音はキまたはケ)と心との

    き                     ロ            あい

組合せの悉は、先(音はシン)と心との組合せの悉とは別字になるはずだということである。

                                               

 ここで前稿コ」の終りに紹介した山田勝美氏の『漢字の語源』 (角川書店、一九七九年版)に於ける愛の解字を再び引

用したい。

                  き                                  いん

 山田勝美氏は「愛」の字について、 「悉」が音を表しており、キの音の表す意味は「隠鋲 (こっそり)で、キの音が、既

置↓概αq巴↓悲巴と変ったとする。愛の字義は、こっそりと歩く意で、慈愛の意に使うのは借用であり、その意味の本字

 あい こころ  き  き                                                                           しん

は悉(心と兄11饅とからなる形声字で、 「人に食物を恵与する心」の意)であるとする。そして、象文がこの字の上部を亮

         き

に作るのは誤りで、兄に作るべきである、と説明している。

 山田氏の説明中にある字音の変遷や字義の論拠はよく分らないが、多分、朱駿声の『説文通訓定声』の所説を躇まえてい

るのではないかと想像する。ただ現段階では、山田氏の字音の変遷の説に若干の疑問が有るので、資料的により詳しい説明

を得た時点で同氏所説の妥当性を判断したい。また、 「人に食物を恵与する心」という原義の解釈については、今までに私

                               すい   あしあと

が見た諸説の中では、最も旦ハ体性の有る解釈になっている。山田氏は「友」(足趾の下向きの形)が「すり足でそっと歩く」

       へさ                                                                                                                                   き         き

意味を表し、 「悉」が音を表している、という基本的な把握から論を展開しているのであるが、ただ、先から餓(食物など

一263一

Page 25: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

                                   き                 しん

を贈る意)へと、食物にこだわって解字を進めているように感じられる。従って先を採る立場のため、先の字形を最初から

                 あい  しん

否定してしまっているのであるが、私は悉が先と心との合した字形であったという可能性をもっと慎重に考えて見るべきで

はないかと思うのである。

十七

 再び「愛」の字について『説文解字』に述べられている「愛(1)、行鬼。杁麦、悉声。」について考えたいのであるが、

先ず「行児」とは何を意味するのか、ということを検討して見たいと思う。

『説文解字」の中には・「(赫)・独行也・」「(蹴)・低頭疾行也.」、「(蹴)・行難也。」職延行也.」とか、愛の字の中

の郵についても「行遅曳麦友」とか記している。つまり往の条件や状況を示す言葉と共に往の字が用いられているのであ

る。

所が・憂」の字のみならず蘇)」「(しゆう、ーノー!-、)」「(簸)」「(塒)」「(鵬)」「(蹴)」「(静)」「(購)」h(麟)」「(鰍)」

 しよう                                                       

「(021)」なども、みな「行鬼」の二字による説明になっている。この行の字は、前に引用した如く、 『説文解字』には、

「行、人之歩趨也。」(行の字形は㈲である)となっている。従って「行見」は「人が歩いて進み行く様子」という意味にし

か解釈のしようが無く、それが愛の字を含めた「行見」という説明の有る総ての字の解釈にならざるを得ない。そして、も

                     ぎん                                    けん

し進み行く様子に何かの条件が加わる場合には(801)の字の如く「低頭疾行也」と説明してあったり、「慶」の字の如く

「虎行兜」と説明しているのである。をの説明が適切であるか否かは別として、許慎の定めた意味についてはその記述通り

                                 あゆ

に解釈すべきである、つまり愛の「行鬼」は、人の歩むさまという意味に過ぎないのである。この見地に立つならば、例え

ば「心がせつなく詰まって、足もそぞろに進まないさま」というような解字は、 『説文解字』の枠からはみ出た拡大解釈と

一264一

Page 26: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

言えるであろう。

 すなわち「愛」は「行亮」なのであり、 「行」は歩趨であり、 「歩、行也。」であり、 「趨、走也。」なのである。

 次に、 「杁友、悉声。」について検討して見ようと思うが、 『説文解字』に「行兜」と説明されている文字は、それぞれ

の部首を省いた残りの部分が字音(音符)になっているのである。ということは、同じ「行児」という意味でありながら、

部首の意味するものがそれぞれの字義に反映している、と考えることができる。

                    そう     おもむ           ちやく     ゆ    とま                 てき

                                                 「そ」は、

 そこで、それぞれの部首の意味を見ると、 「走」は、趨くという意、 「楚」は、行きつ止りつするという意、

         こう                        そく           あし                       すい

少し進むという意、「行」は、歩いて行くという意、「足」は、人間の足という意、である。そして「麦」は、前稿の「二」

に記したように「のろのろと足をひきずって進む」という意味なのである。

 段玉裁の『説文解字注』では、 「(5)、行見」の注として、「心部日、愚、恵也。今字、仮(26)為愚、而愚廃 。(26)

行兜也。故杁女。」と述べている。また、「悉、恵也」の注の中にも、 「許君、恵悉字作此(26)、為行兜。自(26)行、而

                                                                                

悉廃。」と述べているのである。本来の悉(愛する意)の字の代りに愛の字を使っている中に悉の字が使われなくなってし

まったという説明であるが有り得ないことではないだろうと想像される。しかし、どうして愛の字形が生れて来たのか、と

いう経緯については説明されていないのである。

一265

 そろそろ紙幅も尽きようとしているので、もう少し例証を挙げて論じたい気がするが、結論めいたものを記して見ようと

思う。

 重ねて言うことであるが、愛の字が古い形で記録されている資料を見ることができないので、飽くまでも仮説として物を

言わざるを得ないのであるが、現行の「愛」の字は、 「のろうのと足をひきずって進む」という意味の、 「アイ」という言

Page 27: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

葉をあらわす文字として、「悉」と「友」とを合せて作った文字ではないかと考えられる。前稿「九」に記したように反に

は「安らかに行く」という解釈も有るが、これはゆっくり進んで行くという意味の延長線上に在る。ただ、 「行きなやむ」

とか「進みかねる」という意味は麦にも愛にも無いと考えるべきである。

 英語のい○<①に相当する意味の愛という字の原型は、「説文解字注」に記す如く愚であったのではないかと想像する。前

               しん                                  

稿「二」に述べたように、篤の形は悉の形と同じである。従って愛の原型は患ではなかっただろうかと考えるのである。そ

  しん                          けい                  こうがい

して悉は『説文解字』には、 「(8)、首笄也。」とあり、髪に挿す笄(髪掻きの意)と呼ばれるもので、後には婦入の装身

          しん             あい

具となったものである。先と心とが合して悉の字となった理由に就いては現段階では分らないのであるが、憶測すれば或

は、美しく正しい心を意味したものかも知れない。そして 『広韻』の 「去声・十九」の項に見られるように、悉は、愛・

あい懸

・曖などと同音(鳥代切)である。

    あい          き                                   き

 この「悉」の字を「悉」と書き誤ることが右ったのか、別に悉という字が存在していたのかに就いても、現段階では分ら

   き                                                                        き          き

ない。兄と心との組合せになれば字音もキと読まれる場合が生ずるわけで、ただ先の古音と忌の古音とはそれほど近いこと

も無いが、中国現代語音では共に旨で一致しており (ヴェトナム現代語音では兄は琢で、忌は紅で少し異なる)混同

                      き   き                  あい

され易かったのではないかと思われる。そのために悉と忌とが混用された上に悉の字にまとめられ、恰も悉の字に、愛する

ことと憎むこととの両方の意味が有るかのように、誤用されるに至ったのではないかと想像されるのである。従って現行の

愛の字に統一されてしまった資料では、愛の字を忌の字に置き換えても意味の通ずる用例が見られるのである。

     あい

 最後に「悉」 (現行の「愛」)の字の意味について一言述べて置きたい。『説文解字」には「悉、恵也。」と説明している。

     おん                                   けい                                        コ

他の字では恩という字も「恩、恵也。」となっている。そこで恵の字を見ると「恵、仁也。」とある。 『説文解字』には仁を

しん                                     けい

親(したしい、仲が好い)であるとしている。つまり恵は、人間関係に於ける親しさをいう文字である。そして、メグムと

一266一

Page 28: 「愛」の字に関する考察(下) URL DOI...「愛」の字に関する考察(下) 田 中 楓 刀 諸橋轍次氏の「大漢和辞典」 (大修館書店)では、悉をアイと読んで愛の古字であるとし、更にキと読んで忌に同じだと

                                                   おん

かメグミとか訓ずるように、この親愛の情はこちらから相手に与えるものである。後世の用例から言えば、恩は相手から与

                                  あい

えられたメグミに外ならない。そうすると、今の字では「愛」と書く「悉」の字は、相手に与える親愛の情ということにな

       めぐ

る。すなわち「恵み」に通ずる心なのである。そして現行の「愛」の字は、「ゆっくり足をひきずって進む」という意味し

                あい

か無かった文字であり、本来は「悉」の字の意味とは関係の無い文字であった、と言えよう。

 以上に述べた「愛」の字に関する考察は、}つの仮説ということができよう。だが、その仮説の根拠は『説文解字」であ

って、架空の所論ではない。これ迄に『説文解字」については、古今東西の文字学者たちがその所説の誤謬や矛盾を指摘し

批判した例が少なくない。本稿に引用した段玉裁にしても、どちらかと言えば批判的な目で見ているようである。しかし私

は、古字を検討する上で、私たちよりも時間的に古字に対して近い位置にある『説文解字』を尊重したいと考えている。従

って本稿に於ても、 『説文解字』の所説を否定して自説を樹てた所は無いはずである。

 なお、文中に引用させて頂いた内外の先学諸賢の著述と所説に感謝申上げたい。また、本稿所論の粗漏不備について御教

示賜らば幸甚である。                                       ー完1

一 267一

(附記》 執筆後に気づいたが、 『毛詩』の「静女」の詩の「愛而不見」は、『説文解字』の優の字の項に「詩日、優而不見。」として

引用されている。そして優の字義は「彷佛也。」としている。山田勝美氏の『漢字の語源』の愛の説明の中に「もやもやしてはっき

りしない意」を挙げているのは、寧ろ優の字義とすべきではないだろうか。

 以前に発表した拙稿「”農”の字に関する考察」は、論説資料保存会によって、 「中国関係論説資料、第二十一号』 (昭和五十四

年分)の第二分冊・下、に再録されているが、この論の場合も、文字の原形と原義とを追究する方法に於ては、本稿と同じである。

御参照頂けるなら幸いである。

                                            (昭和五十七年}月上漸識)