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MS TODAY October 2013 http://www.m-system.co.jp/ ホットライン 0120-18-6321 Eメール: [email protected] 「連載」はWebサイトでもご覧いただけます。http://www.m-system.co.jp/mstoday/plan/serial/index.html 《著者略歴》 1940年生まれ。 1964年 東京大学工学部卒業。 1964年から2002年まで日立製 作所グループでコンピュータの開 発などIT関係の業務に従事。 2002年 酒井ITビジネス研究所 (個人事業)を開業。 IT関係の記事 を執筆、オーム社の雑誌およびウェ ブサイト「Tosky World」に掲載。 [ 趣 味 ]淡 彩スケッチ、エッセイ 執筆、旅行。 E-mail: [email protected] http://www.toskyworld.com/ 寿ウェブサイト「 Tosky World」 E-mail: [email protected] http://www.toskyworld.com/ 寿ウェブサイト「 Tosky World」 「連載」はWebサイトでもご覧いただけます。http://www.m-system.co.jp/mstoday/plan/serial/index.html プロプライエタリな世界 オープンな世界 OS CPU 周辺 機器 メーカーがシステムに 必要な全製品を提供 ユーザーが製品ごと にメーカーを選択 1 つの色は 1 つのメーカーを示す 図 プロプライエタリからオープンへ (概念図) 12 使姿使Plug-Compatible Machine 使調使使使使

ITの昨日、今日、明日 - M-System · 2020. 6. 25. · メーカーがシステムに 必要な全製品を提供 ユーザーが製品ごと にメーカーを選択 1つの色は1つのメーカーを示す

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Page 1: ITの昨日、今日、明日 - M-System · 2020. 6. 25. · メーカーがシステムに 必要な全製品を提供 ユーザーが製品ごと にメーカーを選択 1つの色は1つのメーカーを示す

MS TODAY October 2013  http://www.m-system.co.jp/ ホットライン 0120-18-6321 Eメール:[email protected]

《著者略歴》1940年生まれ。1964年 東京大学工学部卒業。1964年から2002年まで日立製作所グループでコンピュータの開発などIT関係の業務に従事。2002年 酒井ITビジネス研究所(個人事業)を開業。IT関係の記事を執筆、オーム社の雑誌およびウェブサイト「Tosky World」に掲載。[趣味]淡彩スケッチ、エッセイ執筆、旅行。

E-mail: [email protected]

http://www.toskyworld.com/

酒井ITビジネス研究所

   代表 酒

井 寿

ITの昨日、今日、明日

ウェブサイト「Tosky World」

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「連載」はWebサイトでもご覧いただけます。http://www.m-system.co.jp/mstoday/plan/serial/index.html

《著者略歴》1940年生まれ。1964年 東京大学工学部卒業。1964年から2002年まで日立製作所グループでコンピュータの開発などIT関係の業務に従事。2002年 酒井ITビジネス研究所(個人事業)を開業。IT関係の記事を執筆、オーム社の雑誌およびウェブサイト「Tosky World」に掲載。[趣味]淡彩スケッチ、エッセイ執筆、旅行。

E-mail: [email protected]

http://www.toskyworld.com/

酒井ITビジネス研究所

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井 寿

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   代表 酒

井 寿

ITの昨日、今日、明日

ウェブサイト「Tosky World」

「連載」はWebサイトでもご覧いただけます。http://www.m-system.co.jp/mstoday/plan/serial/index.html

プロプライエタリな世界 オープンな世界

システム

ユーザー

ユーザー

ユーザー

ユーザー

ユーザー

ユーザー

OS

CPU

周辺機器

メーカーがシステムに必要な全製品を提供

ユーザーが製品ごとにメーカーを選択

1つの色は 1つのメーカーを示す

図 プロプライエタリからオープンへ(概念図)

1213

第4回 

オープン化への道

 

コンピュータの世界では、当初は各メーカーが独自

仕様のハード、ソフトの製品を提供していました。そ

れらの製品間の接続仕様は各社の知的所有権に基づく

プロプライエタリなもので、他社の製品とは接続でき

ませんでした。

 

しかし、時代と共にこのプロプライエタリな壁は崩

れてゆき、各社が共通な接続仕様の下でハード、ソフト

の製品を分業するようになりました。プロプライエタ

リからオープンな世界に変わってきたのです。また、

ソフトの中身をオープンにして、共同で開発しようと

いう運動も起きました。

 

なぜこのように「オープン」に向かって進んだので

しょうか? 

コンピュータの歴史を振り返ってみま

しょう。

メインフレームの時代…PCMの繁栄

 

初期のコンピュータは、メインフレームと呼ばれる

非常に高価なもので、政府機関や大企業しか使って

いませんでした。製造・販売するメーカーも限られ、

1960年代の米国では白雪姫と7人の小人と呼ばれ

る8社だけでした。これらのメーカーがそれぞれ独自

のプロプライエタリな世界を構築していたのです。

 

しかし、小人たちは1970年以降順次姿を消し、最

後に残ったのは白雪姫のIBMだけでした。IBMの

メインフレームが「事実上の標準」になって世界中で使

われるようになったのです。

 

そうなると、IBMの接続仕様に基づいて開発さ

れた磁気テープ装置、磁気ディスク装置などが現れ、

PCM(P

lug-C

ompatible M

achine

)と呼ばれま

した。そして、ついにIBMのCPU自身を置き換える

PCMが現れ、IBMの市場の一端を侵食しました。

 

こうして、IBMのプロプライエタリな壁は事実上

崩れてゆき、製品ごとの分業が始まったのです。これは

IBMによる独占の弊害から逃れるため、ユーザーが

強く望んだことでもありました。当時は「オープン」と

いう言葉は使われませんでしたが、これはコンピュー

タの市場のオープン化の始まりともいえます。

パソコンの時代…「この指止まれ」

 

1970年代にパソコンが誕生しました。これもメ

インフレーム同様、当初は各社がプロプライエタリな

世界を構築していました。

 

1981年にIBMがパソコン市場に参入しまし

た。同社は後発だったので、開発期間を短縮するため

に、CPUをインテル、OSをマイクロソフトから調達

し、また、短期間に関連製品を揃えるため、内部の接続

バスの仕様を公開して、増設メモリや外部機器の接続

回路などを提供する企業を募りました。同社は、メイ

ンフレームのときと違い、最初から意図的に接続仕様

のオープン化を図ったのです。

 

この「この指止まれ」作戦は大成功し、IBMのパソ

コンの仕様が事実上の標準になりました。その結果、

IBMのパソコンの付加機構などの市場が育つと同時

に、IBMのパソコン自身のクローン(メインフレーム

のPCMに相当)が出現し、同社の市場を奪い始めまし

た。オープン化は「諸刃の剣」だったのです。

 

IBMはその対策として、PS/2という、高度な技

術を使い、クローンの開発が困難なパソコンを開発し

ました。しかし、事実上の標準は変わりませんでした。

もはや生みの親のIBMもこれを変えることはできな

かったのです。現在でもこの事実上の標準が継続して

います。

インターネットの時代…ボランティアの活躍

 

1980年代に入ると、米国の大学で「フリー・ソフ

トウェア運動」が始まりました。ソフトの使用、改変、

再配布は自由であるべきだという主張です。

 

自由に改変できるためには、ソフトの知的所有権を

制限して、「ソースコード」(実行用に変換する前のプロ

グラム)が公開されることが必要です。そのためこの

運動は「オープンソース運動」とも呼ばれます。

 

1980年代にはこの運動の成果は限られていまし

たが、1990年代に入りインターネットが広まると

本格的に日の目を見ました。インターネットは、元々

大学や政府機関の研究者がボランティアとして開発し

てきたものなので、開発したソフトを無料で公開した

り、公開されたソフトを共同で改善したりすることに

抵抗がなかったためです。

 

こうして、電子メールやウェブのソフトが次々と無

料で公開されるようになり、今日に至っています。

なぜオープンか?

 

では、なぜこのようにITの世界はプロプライエタ

リからオープンに変わってきたのでしょうか?

 

まず第1に、「ITの市場の独占化/寡占化が進むと

必然的にオープンになる」ためです。

 

IT製品は半導体とソフトウェアのかたまりです。

その原価の大半は固定費なので、量産効果が極めて大

きく、大企業はますます大きくなり、中小の企業は太刀

打ち困難になります。

 

そのため、市場の独占化/寡占化が進み、事実上の標

準が決まります。中には標準規格の組織が中心になっ

て規格を定めたものもありますが、その場合でも力の

ある大企業の意見が大きく反映されてきました。

 

事実上の標準が世界中に普及すると、そのシステム

に使われる製品を全部1社で供給することは、いかに

大企業といえども困難になり、必然的に、製品ごとに分

業するオープンな市場が出現するのです。

 

第2に、「プロプライエタリなソフトは、ユーザーの

多様な要求をタイムリーに満たすことができず、また

短期間で品質を安定させることが難しい」ことがあり

ます。そこで、ソースコードを公開して世界中の技術

者を動員して、多様化するユーザーの要求に対応し、ま

たバグの発見・対策に協力してもらおうという発想が

生まれたのです。

 

ただし、このソースコードの無料での公開には、メー

ルやウェブなどのソフトのビジネスを成り立たなくし

てしまったという弊害もありました。他に安定した収

入源がある大学の研究者などの片手間の仕事のため

に、多数のプログラマが失業しました。しかし、オープ

ン化のお陰で、インターネットのユーザーが無料で大量

のソフトを使うことができるようになり、莫大な恩恵

を蒙こうむ

っているのも事実です。今後もプロプライエタリ

とオープンなソフトは共存していくことと思われます。