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48 ♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・ 音楽との関わりはおそらく生まれる前からなのか も知れません。私の父は素人ながら音楽ファンでク ラッシックを中心としながら、洋楽ポピュラー・ジャ ズ・ミュージカルと多趣味で、それこそ SP レコード を集め、手回し式蓄音器で聴いていたそうです。そ の後も「サッチモ」の歌声等が流れていましたが、や はり中心はクラッシックで、「スプリングソナタ」「皇 帝」「田園」等、名曲のゆりかごの中で育ちました。 月日が過ぎて高校生時代、札響の「第9」の生演奏で Beethoven に感動し、 Live の魅力を知る事となります。 「ブライロフスキ」「アントルモン」「リリー・クラウス」 「チェルニー=ステファンスカ」等の Live を聴きに浮 き浮きとホールに足を運びました。その中でも際立っ て深い感銘を受けたのがA・ルービンシュタインの演 奏で、小走りにステージに上がり、背筋をピーンと 伸ばして弾いた雄姿は未だ脳裏に焼き付いております。 特にショパン「スケルツォ第2 番」と「火祭りの踊り」 は、スケールも大きく、朗々とホール中に鳴り響い た音を共有出来、忘れ難い思い出となりました。 上京し学生時代になると、主に東京文化会館で聴 いた巨匠達の演奏に開眼し、引き込まれてゆきまし た。W. ケンプの極めて精神性高きベートーヴェンの 「後期ソナタ第 29 番~ 32 番」と、天上の音楽と言え るシューベルト「D.960 遺作ソナタ 変ロ長調」、「即 興曲 Op.90-3 変ト長調」と、祈るようなバッハ「主よ 人の望みよ喜びよ」、それは温かく大きく包み込む人 間性の表現であり、崇高な生への歓喜を感じたもの でした。また S. フランソワの極上のコニャックのよ うな柔らかく甘美な音色のショパン「夜想曲 3 番、 5 番」、ドビュッシー「ベルガマスク組曲」等は、 文化会館のスタインウェイが全く異なる鳴り方をし たのです。香り立つまるで魔法のようなこの音を聴 けた事は得難い体験でした。 しかし、何といっても未だに心を揺さぶり続けて いるのは、レッスンの際我が師 故井口愛子先生に弾 いて頂いた演奏です。ショパン「バラード第 1 番」「練 習曲の数々」、シューマン「アベッグ変奏曲」等。魂 を揺さぶり、心底感動を覚えたかけがいのない宝で した。人間としても限りなく温かく、しかしこの上 なく厳しく、レッスン中何かに包みこまれたような、 非常に不思議な体験を覚えたのは私だけなのでしょ うか。 思い起こせば私が受験の際、愛子先生は心臓がお悪 いのに、寸前まで文字通り命をかけたレッスンをして 頂き、何とか無事桐朋に入学できました。卒業の際、 札幌での恩師 故林靖子先生が就職の声を掛けて下 さったので、帰るか残るか非常に迷いました。しかし、 私としては納得した勉強を徹底してみたい一心で東京 に残り、愛子先生の下で勉強を続けました。その時頂 いた曲が「バッハ:パルティータ第1 番」だったのです。 その日「前奏曲」を弾き終わり、レッスンが始まりま した。一応念入りに下調べしたつもりでしたが、い きなり「パルティータとは何?」との質問に虚 きょ を衝 れました。「え~と ・・・ ?」「舞曲様式でできた組曲の J.S.Bach:6 Partiten No.1 B-dur BW V.825 村上 隆 60

J.S.Bach:6 Partiten No.1 B-dur BWVでした。またS.フランソワの極上のコニャックのよ うな柔らかく甘美な音色のショパン「夜想曲 第3番、 第5番」、ドビュッシー「ベルガマスク組曲」等は、

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Page 1: J.S.Bach:6 Partiten No.1 B-dur BWVでした。またS.フランソワの極上のコニャックのよ うな柔らかく甘美な音色のショパン「夜想曲 第3番、 第5番」、ドビュッシー「ベルガマスク組曲」等は、

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音楽との関わりはおそらく生まれる前からなのか

も知れません。私の父は素人ながら音楽ファンでク

ラッシックを中心としながら、洋楽ポピュラー・ジャ

ズ・ミュージカルと多趣味で、それこそSPレコード

を集め、手回し式蓄音器で聴いていたそうです。そ

の後も「サッチモ」の歌声等が流れていましたが、や

はり中心はクラッシックで、「スプリングソナタ」「皇

帝」「田園」等、名曲のゆりかごの中で育ちました。

月日が過ぎて高校生時代、札響の「第9」の生演奏で

Beethovenに感動し、Liveの魅力を知る事となります。

「ブライロフスキ」「アントルモン」「リリー・クラウス」

「チェルニー=ステファンスカ」等のLiveを聴きに浮

き浮きとホールに足を運びました。その中でも際立っ

て深い感銘を受けたのがA・ルービンシュタインの演

奏で、小走りにステージに上がり、背筋をピーンと

伸ばして弾いた雄姿は未だ脳裏に焼き付いております。

特にショパン「スケルツォ第2番」と「火祭りの踊り」

は、スケールも大きく、朗々とホール中に鳴り響い

た音を共有出来、忘れ難い思い出となりました。

上京し学生時代になると、主に東京文化会館で聴

いた巨匠達の演奏に開眼し、引き込まれてゆきまし

た。W.ケンプの極めて精神性高きベートーヴェンの

「後期ソナタ第29番~ 32番」と、天上の音楽と言え

るシューベルト「D.960 遺作ソナタ 変ロ長調」、「即

興曲Op.90-3 変ト長調」と、祈るようなバッハ「主よ

人の望みよ喜びよ」、それは温かく大きく包み込む人

間性の表現であり、崇高な生への歓喜を感じたもの

でした。またS.フランソワの極上のコニャックのよ

うな柔らかく甘美な音色のショパン「夜想曲 第3番、

第5番」、ドビュッシー「ベルガマスク組曲」等は、

文化会館のスタインウェイが全く異なる鳴り方をし

たのです。香り立つまるで魔法のようなこの音を聴

けた事は得難い体験でした。

しかし、何といっても未だに心を揺さぶり続けて

いるのは、レッスンの際我が師 故井口愛子先生に弾

いて頂いた演奏です。ショパン「バラード第1番」「練

習曲の数々」、シューマン「アベッグ変奏曲」等。魂

を揺さぶり、心底感動を覚えたかけがいのない宝で

した。人間としても限りなく温かく、しかしこの上

なく厳しく、レッスン中何かに包みこまれたような、

非常に不思議な体験を覚えたのは私だけなのでしょ

うか。

思い起こせば私が受験の際、愛子先生は心臓がお悪

いのに、寸前まで文字通り命をかけたレッスンをして

頂き、何とか無事桐朋に入学できました。卒業の際、

札幌での恩師 故林靖子先生が就職の声を掛けて下

さったので、帰るか残るか非常に迷いました。しかし、

私としては納得した勉強を徹底してみたい一心で東京

に残り、愛子先生の下で勉強を続けました。その時頂

いた曲が「バッハ:パルティータ第1番」だったのです。

その日「前奏曲」を弾き終わり、レッスンが始まりま

した。一応念入りに下調べしたつもりでしたが、い

きなり「パルティータとは何?」との質問に虚きょを衝

つか

れました。「え~と・・・?」「舞曲様式でできた組曲の

J.S.Bach:6 Partiten No.1 B-dur BW V.825村 上   隆

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Page 2: J.S.Bach:6 Partiten No.1 B-dur BWVでした。またS.フランソワの極上のコニャックのよ うな柔らかく甘美な音色のショパン「夜想曲 第3番、 第5番」、ドビュッシー「ベルガマスク組曲」等は、

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事だけど、元々変奏を意味するのよ!この曲でも最初の前奏曲のモティーフ【譜例1】がアルマンド、コレンテ、

サラバンド、メヌエットに巧妙に活かされているでしょう。」「あ!本当ですね?」「ではもう一度前奏曲をどうぞ ?」

【譜例1】

【譜例2】    

再び前奏曲を弾き出すと直ぐ止められてしまいました。「もっと出だしのバスを響かせて、音色は輝かしく

透明感を持って、そして第2小節3拍目の変ロ音への頂点を感じて・・・(先生の出だしの模範演奏)・・・、それに

装飾音の入れ方が違うでしょう!」とお冠。私は最初の装飾音をリパッティ方式の【譜例2-1】で前奏曲全体をまとめていました。愛子先生はバッハの装飾音を拍頭から入れる原則を守るべきだとお考えで、【譜例2-4】で演奏され、直すように指示されました。ただ、ここに関しては、数日後わざわざお電話があり、「前奏曲出だ

しの装飾音は、よく考え試してみたけれど、貴方のでも良いかも知れない。【譜例2-1】直さなくても良いわよ。」と一人の生徒の装飾音についてここまで考えてくださる……頭が下がります。他の曲も印象深かったのですが、

特にサラバンド【譜例3】については「色々説があるけど、アラブが起源とも言われるの。もとは妖ようえん艶なダンス

が起源なのよ。」と高こうけつ潔で精神性溢

あふれる格調高き演奏。大体お手本を示す時はその曲の最初から最後まで聴かせ

て頂きました。

【譜例3】  

懐かしきレッスンの思い出深いこの曲をここ数年また勉強し直しております。若い頃は単純なも

ので、年齢と共にどんどんピアノが上達すると思っておりました。ところが、段々我が身の頭と指

の動きが鈍くなってゆく現実を悟さとり、それに立ち向かう毎日ではありますが、「我が心の曲」とし

て昨年お亡くなりになった札幌の恩師 林靖子先生の追悼演奏会で演奏させて頂きたいと思ってお

ります。

(むらかみ たかし 東京音楽大学教授)