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´ 人類 脱皮をねがって 1995。 8月 1945年 8月6日 、私 は当時京都大学湯川研究室在学中だ ったが、たまたま帰郷 して、 爆心か ら1・ lkmの 職町 自宅にいた。父母、兄 と捜、それに 5人 を失 い、結局私 人生 き存 らえている。 うち母、艘、姪 3人 は消息 も ついに不明。私 も3か 月におよぶ 高熱 と 貧血 (白 血球 700な )で 生死を紡裡 うも、奇跡 蘇生、で も広島を再訪できた のは翌年 5月。多 くの 偶然 と親切に生かされている私 としては、 5o年 たってなお、核兵 器廃絶 のメ ドさえた っていないことに、虚 しさの いに耐えがた く、 20万 犠牲者 々に 対 して も、情愧 念にたえない 。先亥 1の NPT延 長会議において も、核兵器 否定 ということについて、国際的には勿論、国内でさえ、 ついに 合意には到 た らなか った、 必要悪」とか 抑止力Jと かいって 。。 核兵器が究極 残忍な兵器でありなが ら、毒 ガス 等 と違 全面禁止 とな らず、 これを独占 的に 保有 し 続 ける国連常任理事国が世界に 君臨 している理由や経緯 は、た くさんあろう。 私 は、戦争道徳 対する世界的な不感症が、 (お そらく意図的に)戦 50年 潤漫 してき たことが、その 恰好な背景 (舞 )と なったことを指摘 したい 世界的な戦争道徳 類廃ないし 喪失 きっ けとなったのは、第 次大戦での日独 軍国 主義者 残忍な行為だったが、大戦末期には連合国側 もこれに倣 (或 いはやむを得ず) 般大衆や住宅地や人道施設に対する無差別攻撃を、大規模にお こなった。 一― ドレスデ ン、東京そ してあげ くの 果てが、 ヒロシマ ナガサキであった。実際、最近公表 された米 公文書によると、原爆投下地点 選定基準 一 は、 "爆 心から3・ 5マ イル 以内に人口 密集地があること "で あったとい う。 そ して戦後、 この 戦争道徳 違反を最大 理由に、 "戦 争犯罪 "の 裁判は裁かれた。 (こ のこと 自体にも多 くの 問題を含むか もしれないが、それは暫 くお くとして)し かし 不思議 な ことに、 この 戦争道徳 再構築ない し回復については、なん ら真食 Jな 議論 も、国際的な 話 し合 いもな く今 日に至 っている。理由は幾 かあろう 一― 天に 唾 と言われるおそれ とか "共 に天をいただかず "の 東西対立が戦後す ぐ始まった等 々― 。 けれども、戦後 秩序に 責任持 ってきたはずの 大国 の、 このことに 対する怠慢 は重大 と言わねばな らない その 結果、核兵器 のような大量破壊 殺致兵器 開発 と蓄積が当たり前 のように 続 き、恐 均衡が大国 論理 として 幅をきか してきた 。 さらに見逃 してな らぬのは、戦争道徳

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棒構薄筆

ヽプ

鍛‰´ヽ,J

ハ守∫1

人類の脱皮をねがって 1995。 8月

森 一久

1945年 8月 6日 、私は当時京都大学湯川研究室在学中だったが、たまたま帰郷して、

爆心から1・ lkmの職町の自宅にいた。父母、兄と捜、それに姪の5人を失い、結局私

一人生き存らえている。うち母、艘、姪の3人は消息もついに不明。私も3か月におよぶ

高熱と貧血 (白血球 700など)で生死を紡裡うも、奇跡の蘇生、でも広島を再訪できた

のは翌年5月。多くの偶然と親切に生かされている私としては、 5o年たってなお、核兵

器廃絶のメドさえたっていないことに、虚しさの思いに耐えがたく、 20万人の犠牲者の

方々に対しても、情愧の念にたえない。先亥1の NPT延長会議においても、核兵器の否定

ということについて、国際的には勿論、国内でさえ、ついに合意には到たらなかった、 。

・「必要悪」とか「抑止力Jとかいって 。。。

核兵器が究極の残忍な兵器でありながら、毒ガス等と違い全面禁止とならず、これを独占

的に保有し続ける国連常任理事国が世界に君臨している理由や経緯は、たくさんあろう。

私は、戦争道徳に対する世界的な不感症が、 (おそらく意図的に)戦後 50年潤漫してき

たことが、その恰好な背景 (舞台)と なったことを指摘したい。

世界的な戦争道徳の類廃ないし喪失のきっかけとなったのは、第二次大戦での日独の軍国

主義者の残忍な行為だったが、大戦末期には連合国側もこれに倣い (或いはやむを得ず)

一般大衆や住宅地や人道施設に対する無差別攻撃を、大規模におこなった。一―ドレスデ

ン、東京そしてあげくの果てが、ヒロシマ 。ナガサキであった。実際、最近公表された米

公文書によると、原爆投下地点の選定基準の第一は、"爆心から3・ 5マ イル以内に人口

密集地があること"であったという。

そして戦後、この戦争道徳の違反を最大の理由に、"戦争犯罪"の裁判は裁かれた。 (こ

のこと自体にも多くの問題を含むかもしれないが、それは暫くおくとして)しかし不思議

なことに、この戦争道徳の再構築ないし回復については、なんら真食Jな議論も、国際的な

話し合いもなく今日に至っている。理由は幾つかあろう一―天に唾と言われるおそれとか

、"共に天をいただかず"の類の東西対立が戦後すぐ始まった等々―。けれども、戦後の

秩序に責任持ってきたはずの大国の、このことに対する怠慢は重大と言わねばならない。

その結果、核兵器のような大量破壊・殺致兵器の開発と蓄積が当たり前のように続き、恐

怖の均衡が大国の論理として幅をきかしてきた。さらに見逃してならぬのは、戦争道徳の

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欠落に対する正義感の麻痺が、この50年間の国際紛争をどんなに悲惨なものにしたこと

かと言うことである。朝鮮戦争もベトナムも、そして冷戦解消後の東欧の底知れぬ聞いも

、一旦戦争となれば相手国の大衆も皆殺しされても上むなしとの雰囲気が、非戦闘員の殺

数に人類が不感症にさせられていることが、決定的な背景となっている。

"戦争道徳"と いう言葉ほど、空しくまた矛盾にみちたものはない。 しかし、国際紛争の

解決手段として戦争を放棄する国が日本以外には現れそうもない状況はまだまだ続 くであ

ろう。とすれば人類は、この問題に真食1にに取り組むところから、霊長類として最低限の

理性を取り戻す事から取りかかる他に道はないのではないか。そしてもし、これに目処が

付けば、また次が見えて来て、さらなる理性の進化も可能となるかもしれない。このこと

は同時に、ラッセル 。アインシュタイン声明の基本理念を具現する、ささやかな第一歩に

もなろう。

人間は個人として諦めたり悟ったりすることは比較的容易のようであるが、集団となると

中々厄介である。その理由は、動物としての自己保存本能と人間特有の時間認識とを利用

する各種の組織のためといえようか。しかし、歴史的に見ると、人間集団があるとき剖然

として変革し脱皮した例は多い。ルネッサンス然り、奴隷の廃止にしても、あとで考える

と、"よ くもそんなことが罷り通っていた"と思える様なことを経験している。環境問題

や公害問題についても、そういった例をおおくみている。

"京都フォーラム"のような幅広い科学者、哲学者、宗教家などを擁する場で、また45

回にもなるというパグウオッシュ会議なども、このような人類の基本的な脱皮の契機をさ

ぐって欲しいと切に思うものである。

以上