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Title Covering law 論争について

Author(s) 河瀬, 明雄

Citation 長崎大学教養部紀要. 人文科学. 1965, 5, p.105-125

Issue Date 1965-03-29

URL http://hdl.handle.net/10069/9519

Right

NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE

http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

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Covering law 論争について

(昭和39年8月15日脱稿)

河瀬明雄

歴史的知識-過去の人間事象に関する記述され,報告された知識-をめ

ぐる議論は,特に英米に於ける分析哲学,実証主義哲学の影響を受けて,その

力点が記述にあるのか或は説明にあるのか,換言すると歴史叙述は他の論述と

形の上でどのように異るか,歴史的説明は明確な,或は又それ程までではない

としても何らかの参照なしに果して可能であるかという特殊の問題に主として

置かれたのが大きな特徴である.勿論この問題と密接な関係にある他の諸問

題,例えば歴史的客観性とは何か,過去に関する種々の相対立する説明は一致

し得るか.歴史に於ける選択とは何か.歴史的真実は科学的真実となり得る

か,又人間性及び歴史に関する哲学的概念をそれは含むものか等々と切離して

は考えられないが,主たる傾向が上記の点にあることに異論はないであろう.

このことを証明するものの一二の例として,先ずGardiner, P.編のTheories

of History 1959 (就中その第二部歴史的知識及び説明に関する最近の諸見

舵)が挙げられ,こうした学界の空気に刺激されて研究雑誌History and Th-

eoryが1960年に創刊された.この雑誌は四つの部門に亘る論文,見解,読

論,ノート,文献の発表をその目的としている.即ち歴史の理論(原因,法

刺,説明,一般化,決定論),歴史鍍述(歴史家,歴史哲学者,歴史像その他

一般的歴史叙述の問題を解明する出来事),歴史方法(解釈,事実の選択,客

観性,歴史家の採用する方法の社会的・文化的意義),関係諸学科(歴史理論

及び社会に於ける諸問題と経済学・心理学その他社会科学との関係).尚この

雑誌は発刊頭初の目的を忠実に守り,中でも特に歴史鼓述乃至は歴史的説明の

分野に力点を置いて今日まで編輯されてきたと解してよいだろう.更に又極く

最近この問題をテーマとしたシンポジウエムがアメリカの大学で行われ,英米

の多くの研究者(哲学,歴史学両分野)の成果が公刊されるに至った.即ち

106 河瀬明雄

PhilosophyandHistory.ASymposium:ed.bySidneyHook.1963;Gen-

eralizationintheWritingofHistory.AReportofthecommittee

onhistoricalanalysisofthesocialscience:ed.byLouisGottschalk.

1963.等

勿論これらはその一部にすぎないのであって実際に各方面で論じられた全体

が尤大な数に上ることは,その文献目録を一見すれば明らかである.ところで

成果のすべてを検討し批判することは到底個人の力では不可能であるが,本稿

では1942年のTheJournalofPhilosophy39;p.35-48掲載のHempel,

C.の論文TheFunctionofGeneralLawinHistoryをもって始まった

歴史的説明に関する論争-この論争は-サイクルを略終了したものと了解す

る-について,この論の主導者であり且つ最後まで論争に参加したHempel

と,彼及びその一派の理論にCoveringlawtheoryという名称を付与して批

判したWilliamH.Drayとの問で取上げられた問題点に絞って論争展開の

跡を辿り,更にその結果の反省として一二の問題を提出したい.

IHempelの論-論争の出発点として-

自然科学と歴史学とを明確に区別するところのmethodofempathetic

understandingによってはじめて歴史に於ける真の説明が達成されるとす

る論に対してHempelは,真に歴史を説明するにはgeneralhypotheses

に基づく科学的なCausalexplanationに依拠しなければならぬと反論す

るHempelが.イタリックでmethodofempatheticunderstandingと記

した際(鑑Funct。ries。圭0品ofGeneralLawinHistory.¥ist。ryP.3522TFFLH」!Hf/こ果して誰の方法を指したものか明らかでないが,要するに彼の論は次のようなものであった.那

ち,このempatheticunderstandingの立場の主張する「説明しようとする

出来事の人物(主人公)の立場に歴史家は身を置いて想像すべきである」とい

うことは,頁の説明ではなくて自発的工夫にすぎない.説明というからには歴

史家が発見したものをgenerallawsの中で一般化することが是が非とも必

要で,換言するとexplanatoryprincipleを使用してはじめて達成される一

方,empatheticな方法は確かに有益なものには違いないが,たとえこれを用

いたからといっても,その歴史的説明が正しいという保証はどこにもない.従

Covering law論争について 107

ってこれは歴史的説明に不可欠のものとは考えられないと(鵠I-'53/・とこ

ろでこの考えと殆んど同じものがNagel,Eにもうかがうことができる.那

ち生命を持たぬ自然を研究するのと異って社会科学者は彼が理解しようとす

る現象にsympatheticimaginationを使用して自己を投入できるという事

実そのものは,その説明的仮定の根源に関する問には適切であっても,その正

確性についての問にはそうとはいえない.ある社会過程に於て行為者と共鳴関

係に入り得る能力は,実はその過程を説明する適切な仮説を発見しようとする

努力には自発的に大切なことかも知れぬが,個人とのempatheticldentific-

ation自体は知識とはならない.このような一致を成就することは主観的状況

を人間の能因に帰するということを支持せんがためにすべての統制ある探究に

共通する論理的原理に従って評価された客観的証拠の必要性を無効にするもの

ではないのである(慧structnee.P.冒reof:of¥

-'85/・更にこれと関連して歴史は自然科学とは異って,出来事を支配する一般法則

generallawsの研究よりもむしろ過去の特殊の出来事の記述を取扱うもので

あるといわれているが果してそうであるかと問うたHempelは,歴史学と自

然科学との射Elの類似性を強調する/FLH,¥¥P.354/'従って自然科学の説明並びに予知の原理から歴史的説明の原理を把握するという方向づけが行なわれるわけ

である.即ち「Cという特殊化された種類の出来事が,ある時ある場所で生起

した場合には何時でもEという特殊化された種類の出来事が初めの出来事の生

起の場所及び時間と特殊化された形で関係するある場所,ある時間に生起す

る・」/FLH,¥VP.345J・尚C,Eという記号はこの場合必ずとは限らないが止記法則に関係する出来事に適用された原因結果を示すために用いられる.従ってEの説

明とはEの原因又は決定因子Cを示すものと考えられるが,「CIc2c,と

いう一組の出来事が説明される出来事を生起せしめたという言明は,ある一定

法則によって指示された種類の一組の出来事がEという出来事と規則的に同伴

するという命題と同じである.」(賃id-,¥345/即ち,これを記号であらわすと次のようになる.

C----- initial conditions, determining conditions

L-・--・- general laws, universal hypotheses

E-・・-・--・consequence

explanans

explicandum

108 河瀬明雄

(以下本稿ではCL-Eと記す〕

要するに歴史的説明は問題としている出来事がバamatterofchance"で

はなく,ある種の先行的乃至は同時的条件を考慮して予期さるべきことを示す

ことを目的とするものであり,従って託された期待は予言でも占いでもなく一

般的仮説に依存する科学的予想である(諜i吉迂3-'49/・ただHempelはその一般

的仮説が個人の日常経験を通して,すべての人に親いしものとなっており,又充

分な正確さをもつと同時にすべてに関係のある経験に役立つ証拠と一致するよ

うな方法で公式化し難いため,歴史学や社会学に於て使用される説明は一般的

規則性を明確に言明することができないだけであるという(琵i缶9).このよう

に歴史的説明はある種の蓋然性を有するものであり,一般的にいってinitial

conditions更には叉universalhypothesesははっきり示されておらず,且

っ補充することもできない故(普id.,351巨の説明はexplanationsketchに留

るべきであるが,この点は自然に於てさえuniversallaws及び演樺的関係

はしばしば蓋然的仮定並びに帰納的関係にとって代られることのあることを認

めれば,歴史的説明を科学的説明の領域内に入れんとする試みも決して不当な

ことではないとして彼は飽く迄も全般的にみて歴史的説明のモデルは経験科学

的説明であると主張する.操返えしていえば,CL-Eに於てCもLも共に蓋然

性しか有しないがそれでも尚CL-Eの型に留め置くべきで,このexplanation

sketchのC及びLを一層確実なものにすることによって完全な説明へと近づけ

る努力を歴史家は遂行すべきであり,逆に≪(目に見えぬ)歴史の働き≫や

≪以前から定められた運命≫とかいった,法則とは全く別の陰鴨に依存するも

のは偽説明であるというのである.

以上概略みてきたHempelの歴史的説明に関する論は厳密な規定を含ま

ず,可成りのル-ズさがあるところから問題提起と同時にそれ自体おおよそ次

の三つの疑問点乃至は方向性を内臓していることが指摘でき,事実又論争は相

互に関連をもちながらもこの三方向に進展していったわけである.即ち(1)Fo-

rmofexplanationを整えるにはどうしたらよいか.(2)Initialconditions

そのものを正確にする.(3)Historicalgenerallawsというものは果して発

見できるか.

Covering law論争について 109

先ず(1)についてみると,Hempelの説明の演樺的理論は,歴史家の研究の

成果である具体的な個々の歴史鍍述には殆んどみることはできない.更に叉歴

史的説明に含まれるところのgenerallawsを強いて明確にしようとすれば

誤謬に陥らざるを得ず,演樺的方法はやがて分類化にまで押進められ,その結

果個別的記述からは程遠いものとなってしまう.従ってこのような欠陥を克服

するために例えば,emotionalexplanation,institutiveexplanation,c0-

mposialexplanation等々各種の説明型が工夫されるに至った.しかし乍ら

歴史家が歴史事実を説明する場合,理論を持込む必要はなく,体系が支配的で

あれば従ってその正確さも増すとも考えられるところから当然これらの分析の

力点はCL-EのC及びL特に前者に置かれる結果となり,(1)は理論的にも(2)の

問題に次第に吸収されていったのである.-ArtherLeeBurns;Intern-

ationalTheoryandHistoricalExplanation(HistoryandTheory,196

0,volI.No.1).(2)の立場は歴史的説明即歴史鍍述という形をとり,歴史に於

ける筋Plotの問題と密接な関係を有するものであるinitialconditionsの

すべてを記述することRankeのHwieeseigentlichgewesenや

どのような空白も許されない相互に本質的に関連性をもった出来事の世界を開

陳することこそ歴史的説明の本義であるとするOakeshott,M.の立場がこの

代表的なものであろう/Experienceandits¥Imodes.1933,P.143/・ところがinitialconditions

のすべてを記述し尽すことは如何ように考えても不可能なことであるから,磨

因に関する諸問題就中原因とみられる要素の中で特に特定のものを他の諸要素

よりも,その出来事の生起にとっては重要であるとする所謂relativeimpor-

tanceの問題が提起され,この場合相対的重要性(力点)の置き方従ってそ

こからいづれが重要であるかとする選択の問題が生じてくるのである.ところ

で歴史的説明は唯単なるcausalexplanation以上のもの,換言すると≪何

故(why)これが生起したか≫ではなく,≪何が(what)それを生起させた

か≫或は又≪どうして(how)これは生起したか≫の答をも含むものであると

の立場が展開され,やがてCL-Eという演縛的説明の型を突破ってより具体

的,経験的に人間に即した理解の必要性が説かれるに至った.従って(3)の

generallawsの問題は自然科学の場合と異ってむしろ逆の観点から理解され

110 河瀬明雄

なければならなくなる.即ち自然科学ではgeneral lawsの発見のために個

個の具体的事実の研究が行なわれたが,歴史に於ては個々の史実を理解する目

的の手段として法則を使用するにすぎない.しかし乍ら,勿論この場合歴史家

はgeneral lawsの単なる消費者として-換言するとIawsの生産者の立

場が否定される-止まるものではなく,ここにIaw-like, spatio-tempo-

rally limited general lawsという独特の型による説明- Carey B. Jo-

ynt and Nicholas Rescher; The problem of uniqueness in History

(History and Theory. 1961, vol, No.2)とかOn explanation in

History (Mind. LXVIII, No.271 July, 1959)等にみられる立場とか,更に

Nicholas Rescher and Olaf Helmer; On the Epistemology of the

Inexact Sciences (Management Science. VI, No.l Oct.1956).或はuni-

versalでもstatisticalでもないsome-less-than-imiversal laws,言い換

えると世の中に関する我々の常識を作り上げている正常な状態に基づく理解と

いう見解-Michael Scriven; New Issues in the logic of Explanation-

(in Philosoply and History, ed. Hook)があらわれてHempelのいう

general lawsは厳しくその内容を限定しながら法則の名に価するものを維拷

せんとの方向に進むか或は不明確なものへと移行してその梶を緩めて傾向とか

日常生活に於ける経験にまで至るかの二つに分れていったが,これらは何れも

皆ある意味でIaws本来の性質からみて一段とルーズなものになってCL-E

の原型を整える方向とは逆の結果を生むに至ったのである.

以上歴史的説明に関する議論の展開をみてゆくと, Hempelの提出した科学

的・潰縛的説明への接近言い換えると一般法則の中に個別現象を包摂して理解

しようとする試みは,彼のいうように単なる形の上での完全性の度合の相違

(蓋然的程度の差)だけでは割切れぬ幾つかの問題点を残し,再び振出しに戻

った感がしないでもない.しかし,この二十年間が全く無駄な論議に賛されて

しまったというのでは決してなく,歴史的知識に関するそれまで不明確のまゝ

放置されていた種々の疑問点や未解決の事項を曝け出して,これに多くの研究

者の注意を集め解決のメスを入れさせた功績は大であったといわなければなら

ぬ.従って次にはHempelとDrayの論争自体に光をあててみなければなら

Covering law論争について 蝣hi

め.

丑Drayの論-Hempeliansに対する反論として

先ずDrayは先にも指摘した(I)≪Formofexplanationそのものを整え

る≫という立場から歴史的説明の本質を解明しようとするのである.以下彼の

主張の主な点を挙げながらみてゆくと,彼は連続的系列の型をもって典型的説

明とみなすのである.実際の歴史を考察する場合Hempelのcoveringlaw

theoryでは充分満足のゆく説明は得られない.その理由は歴史の説明とは

≪何故生起したか≫よりもむしろ≪実際に生起したものは何か≫の発見であり

これは説明の型からいえば≪それはかくかくだった-itwasaso-and-so

-≫(HExplainingwhat"inHistory,p.403:TheoriesofHistory)な

る型に属するという.ところでこの型(連続的系列型)は更に幾つかの型をそ

の内に含むものである.先述したようにHempelは経験的に仮説を検証する

ことができない概念,例えば生物学のエンテレキーとか民族の荷負う歴史的運

命とか,或は歴史に於ける絶対精神の自己発現とかを含む説明は単なる陰鴨で

あって認識内容をもたないとしてすべての説明は法則によるものに還元される

べきであると主張するが,Drayはこれを誤りであるという.即ちcovering

lawによる説明の役割を他の(通常はそれ以前の)出来事や条件を参照して,

説明さるべきもの(被説明項)を予報することができることを明らかにするに

あるものと解した彼は,例えば1789年フランスで勃発した"革命"の説明は,

CiCa-・-・・-Cπがある時にはいつでも(必ず)革命が生起するという型の

法則によってそれが実際に勃発するということと決して同じではないとい

う(賃id.,¥4。4/-たとえ≪何故ある出来事が生起したか≫という説明が,生起した

ものを予知できた条件の明細な記述を要求し,更に又その予知がある法則の真

実性を研究者に託する点は認められるとしても,このcoveringlawtheory

が説明の全般的必要条件を示すものと考えるのは誤りであるという立場から

≪革命≫という事態を例にして彼は次のように論じている.即ち

レーニンの名声は1917年10月のロシアの反乱をバブルジョア革命"とはつ

きりと診断したことにあるといわれる.少くともレーニンが‖ブルジョア革

命"なる分類の判断の基準としたものの一部には歴史過程に関する彼の一般

112 河湘[IFj ijE

的理論即ちある種の結果は,ある種の法則によって生じるものであるという

ことがある.多くは語っていないがレーニンは非常に慎重にcovering law

の下に生起したものを提示している. ・--しかし乍ら,概念による説明が場

合によっては実際に法則の下での被説明項を包摂するものである点を諾める

ことは,こうした包摂が常に必要であるという見解に全面的に賛成するとい

うことでは決してない.分類用語のすべてがある正確な法則の条件文の帰結

節を満足させるように適用するところのものの承認を求めはしない.社会的

記述の普通の語として用いるり革命"という語は確かにこうした例の一つで

ある(控i芸。5)蝣

操返えすまでもなくDrayがこゝで明らかにしようとした点は,すべての革

命がCL-Eの型がcL-E〔1〕の形で,換言するとEがLに包摂された形で説

明されるものではないということであった.この両者の相違はDrayによれ

ばgeneralizir1gの解釈の仕方からきているのであるcovernlg law theory

の立場の人は`ノⅩであればy"という形で考えるが,先にもみたように連続的

系列のso-and-soとしての説明(即ちexplaining what)の立場のDray

はx,y and zの集合(xy&z amontto a q)として,換言するとCL-E型

をCL-E〔2〕の形で説明するのである.ただこの場合形はCL-Eなる説明

の原理を全く崩してしまう(C-E)かというと,決してそうではない.例え

ば1789年のフランス革命は全くユニ-クな出来事であって非反復的出来事を理

解するには"革命"一般に通用する概念で,この特殊の歴史事象であるフラン

ス革命を説明することは不可能なことであって歴史そのものの存在を無漸にも

亡きものにせんとする行為であり,歴史的理角削ま詳細な出来事を完壁に近いま

でも探求することによってはじめて達せられるとの主張には組せず,歴史の理

念を真実探求の学問とする努力は放棄しておらず,この努力を維持する限り何

らかの一般的概念の使用は避けることができない.

否むしろ積極的に求めねばならないことになろう.従って問題はCL-EのC

の内容であり,彼によるとこれは先述の如く連続的系列であった.しかしこれ

は理解できる諸段階の詳細な系列detailed series of "understandable,, ste-

psに還元することができ〔1〕のcL-E (法則の下での包摂が歴史的説明に於

Covering law論争について 113

いて充分条件となること)を否定することにもなりかねないわけである.

ところでDrayは〔1〕と〔2〕とを両方の極として,その間に因果的言語の論

理即ち"私がⅩを作り出す時はいつもyが続いて現われるならば,Ⅹはyの原因

である/LawsandExplanation¥vinHistory.1957,P.95/.という連続的系列による因果の関係

(a);並びに理由づけの説明,即ち人間の行為の理由となるものの説明"AがⅩを

なす理由はyであった."(設i号ヨ4巨いう行為者の立場に立-ての理由Cb)を

再び考慮し,歴史的説明とはこうした関係から"反対の駕待を生起する既知の

先行条件にもかかわらず,いかにして後の出来事乃至条件が生起し得たカ(b〕ノ,

を"連続的系列の型でもって(a),,``説明することH(㌢id.,¥162/をHempelのも

のとは全く独立に樹立しようとしているのである.

従って説明の理論の普遍的適用性に関するHempeliansの立場と実際に歴

史家か歴史を説明する際にこれを用いても殆んどその要求を溝足させ得ないと

いう現実との問にあってDrayがどのようにこの問題に対処したかがさしあ

たって我々の大きな関心事となる.彼は歴史家が具体的に活動する場合,理論

から遠く離れてゆく原因を次のように考える.即ち

coveringlawtheoryそのものには歴史家が普通使用する説明の概念に

対する感受性に欠けている.-歴史家が人間の行為の説明に際して普通意

味するものは,単に経験的法則に従って他の諸条件から推論されうるものと

して行為の遂行を示すことと概念上一致しない/TheHistollanati。n。芸icalExp-Actions

Reconsidered. Philosophyand History, 1963 P.108

ここに至ってDrayがcL-E〔1〕とCL-E〔2〕との間にあって飽く迄もCL-

Eという原型は維持せんものと努力しつつ,しかもどちらかというとCL-Eの

立場からの理解を最大限に生かそうとしていることが明らかとなる.

"合理的再構成"は実際から偏向してゆくかもしれない.しかしこの偏向が

悪しき意味の再構成とならぬように充分注意しなければならぬ(琵i号68)といっ

ていることでも明らかなようにここから彼のrational explanationの主張

が生れ,且つ支えられているものと解すべきであろう.従って実際に歴史家が

研究する態度や過程にできる限り密着して,この問題を考えてゆこうとする

114 河瀬明雄

Drayの微妙な立場がうかがえる.即ち歴史家が歴史上の人物の行為を説明し

ようとする際に,その人物が行動するために有した理由が何であったかを知ら

ないという点に問題がある.それを正しく理解するために歴史家が求めなけれ

ばならぬものは,その人物に開かれていると充分に考えられる幾多の行為をと

らせる見込みのある結果を含めて彼がその立場で本当に信じていたもの,彼が

達成しようとしていたことについての情報,要するにその人物のめざした日

的,動機に関する知識である(㌍i号。8.

従って歴史上の人物の行なったものに人間の行為の合理性が発見できれば,

それで成功というわけである.そのためには人間の行為の理解とその根本理由

との間の概念的結びつけが是非とも必要となる.これこそDrayのいうraト

Ional explanationの基本線である. -確信・動機と行為との結びつきを明

らかにする説明-

オレンジ公ウイリアムのイングランド侵冠の成功に関してトレヴェリアン

は,何故ルイ14世が1668年夏オランダから軍事的圧力を引上げたかを問い,

" (この行為は)彼(ルイ14世)の生涯に於ける最大の失敗"であったとい

う.彼の答は次のようなものである. Hルイ王はもしもウイリアムがイング

ランドに上陸したら党派性の強いこの国のことだから内乱が生じ,長い期間

に亘る混乱が続くことだろう.その隙に彼はヨーロッパを征服できると計算

≪calculate≫した. "更に"(ドイツでは)皇帝レオボルドに一撃を加え

る一方(イギリスでは)かのオランダ人が困惑しているのを喜んだ"彼は

りジェームズとウイリアムとの間の争いは必ずや好機を与えて呉れるに相

違ない"と考えた.トレグェリアンによれば,ここでルイ王の行為を理解可

能なものにしてくれるものは``事件を注目するのに決して不合理"ではない

・計算"の発見であった鰐i号。9.)蝣

Drayは歴史家(上の場合ではトレヴェリアン)の叙述に即して検討して歴

史的説明とは目的や確信をもった歴史上の人物の立場の計算による説覗(理由

づけの説明)であることを明らかにし, Hempelのいうexplanansとexph-

candumの結びつきの必要性を拒否する. Drayの,如何にして-可能の説

明-あるものが反対の仮定にもかかわらず,如何にしてそうなったかの説明

Covering law論争について 115

-ほ彼によれば叙述という形体を前提とする普通にみられるものであって,

そこでは一定の期待が出来事の一定の連続から喚起される.従ってこの芹待を

裏切る出来事の生起は歴史の場合には,何故それが生起したかというよりもむ

しろ,これがどうして生起し得たのかという問となってあらわれるのが普通で

ある.ところがこの説明では生起したものが生起しなければならなかったもの

であったということを明らかにするものではないから,法則の下での生起を包

む必要性はない,むしろ必要なことといえば,生起しなかったかも知れぬとい

う期待の基盤を移すことによって出来事の可能性を述べることであると考え

る.Drayは個々の歴史上の人物の行為に特有の説明に問題を絞って,前々か

ら彼の主張の核となっていたものを繰返えし強調しているにすぎないのであ

る.彼がこれに限定した理由は歴史的説明の主題が個人の行動だけに限られる

からではなく,歴史的関心の出発点であると考えたからである.

Drayは自分の論旨を明確にする手段として彼に対する反論の数々を整理し

て批判するという方法を採用した/ibid.,¥VP.110-J-その中の第一のものは,彼がト

レグェリアンから援用した``計算"に対する非難である.即ち歴史上の人物が

この計算の下で行動しない場合には彼の説明は失敗に終るのではないかとし,

東にこうした自覚的,知的態度で行動する人物は稀であるとする立場(Nowelト

Smith;Review,Philosophy,April1959,p.170-72)である.これに対し

てDrayはこの疑問は計算の意味を誤解したために生じたもので,ある行為

を合理的に理解させてくれるものは必ずしも歴史上の人物が自分自身具陳する

一連の命題ではない.その認知は行動と動機・確信との間の合理的結びつきに

ついての我々の理解から生れてくるのであって,哲学者のものはexplanansと

exphcandumとの問に存続しなければならぬある種の論理的関係について

であるが,この非主知主義的型での理解では歴史に於ける行為の合理的説明は

有意味のものとなるだろうという.第二はrationalunderstandingの範囲

が余りにも広汎すぎて出来事の生起した後ですべてのものを合理化する所謂

rationalization(我々の行為の説明としてよりもむしろ我々の聴衆を満足さ

せるために案出されたもの,)という働きと大して変らぬ危険さえあるという

批判(ま冒hnPassmorP。Iiticsan昌;Review,AustralianJournal^Hist。ry,1958,P.269/に対しても,Drayはそ

116 河瀬明雄

の危険性を否定はしないが,適当性の認知は歴史家のありふれた理解基準であ

るという主張は結局のところ概念上の論理の主張で,これをうけいれることは

人物の行為の理由が何であったか分ったと思った場合はいつでも,当然それを

実際に知っているということを含まない.その意味するところは,行為を理解

するという主張とその合理性をうけいれるという主張との間には概念的結びつ

きがあるということ,換言すれば説明に於ける型を整えるという問題である.壁

を整えるということは必ずしもその内容を整備する(正確にする)ことではな

く,この点はcoveringlawmodelも同じである.勿論そうはいうものの

rationalunderstandingを締め出してしまうものではないことを強調するの

である.第三のものは歴史上の人物の行為を理解するためには,その行為の理

由の発見に大きく条件づけられることは認めるが,しかしその行為の合理性を

了解すること-これはその人物の理由を正しいものと初めからきめてかかっ

ている-とは全然異った性質のものであるという反駁(慧・孟trawson;Reind,April1芯s

冒,p.).これに対してDrayは,この点について反論のあることを予想しつつ

も,なおrationalexplanationを放棄しなければならぬ程決定的欠陥とは考

えない.即ち決定をなすため物理的失敗についての理解が主張できないのと同

様に論理的過失の原因について合理的理解を主張することもできないのは明ら

かなことで,合理的適当性の基準は多くの点で欠点をもっているとは考えられ

ない行為に作用するものであるといっているに過ぎないとDrayはいう.そ

こで彼はこの基準を使用する場合歴史上の人物の立場から,その人物の行なっ

たことをやるためにはその人物の理由を正しいものと保証せずにはできない点

を付け加えて自己の説を補強するのである.従って"その人の論拠に従って"

とが`その人が説明する理由を参照して"とかという歴史に於けるempathy論

が,理解するという主張には歴史上の人物の思想を再考することができるとい

う主張が含まれているという重要な意義があるため力を得てくるわけである.

第四には,歴史上の人物の行為の理由を知ることでその行為は理解できる点は

認めながらも,そうした理由で行動したということ自体はcoveringlawの

真理に歴史家は従わざるを得ぬという立場からの批判/NowelPhil。ま1-Smith;Review,。phicalQuarter一呈y.April¥960/である.即ち歴史家が見出さねばならないものは,その人物の実際

Covering law論争について 117

の理由であって従ってすぐれた理由ではないことが明らかになった以上,実際

の且つすぐれた理由をもった人物が実際に行なったようにやる結果について何

らかの一般化を知る必要があるという.仮りに実際の理由がある意味ですぐれ

た理由でなければならぬとしても,すぐれた実際の理由はcoveringempiri-

・callawsによって説明される行為と密接に結びついているという付加的条件

が必要であるというのである.これに対するDrayの返答は結論的にいって,そ

の説明は飽く迄も連続的系列による説明でなければならぬとしてこれを拒否す

義.‖彼がかくかく≪so-and-so≫考えたから"彼はかくかくのことをなした

という場合,から(because)という語は法則による結びつけを考えているの

ではなく,私の行為を正当化する理由を見つけることと私が行為した実際の理

由をずばり得ることを区別し,後者の場合私を含めてすべての人がすばらしい

実際の理由で私がやるように行動するものであるということは知らないでもよ

い.従って適切な計画に基づいて行動する合理的人間は,邪魔が入らなければ

それをやろうとするものであるというきまり文句をわざわざ示す必要はないと

主張する.この点こそDrayが歴史理解の根本として強調するrationalmodel

の核の部分である.更に又歴史では一定の仮説としてバ人間は充分な理由で行

動するものだという確信"が働いていると説く立場で,こうした仮説を取るに

足らぬつまらぬものとみなすのは見当違いであるとの論/J.Cohen;¥il。s。phic票eview.Quart慧:詣ApriH6。/蝣これに対してDrayは自分のrationalityの仮説の主張が軽率に

も強すぎた点を反省し,これは単なる仮説であること,歴史家は非合理的説明

よりも合理的説明の探求に優先権を与えるべきであるといったにすぎず,すべ

てのものが説明できるなどということは歴史には考えられないし,この点で

rationalityという仮説はcoveringlawtheoryのものとは異るものであ

るとする.

以上からしてDrayのrationalexplanationの内容が明らかになった.

Ⅲ再びHempelへ-Dray批判-

Hempelはcoveringlaw論争のきっかけを作った前記論文発表の後も,

説明の論理を更に追求し続けてOppenheimと共著で"Studiesinthelog-

icofexplanation,,を1948年に,又1962年にはHDeductive-nomological

118 河瀬明雄

vsStatisticalexplanation,,を書いている.この二論文は直接歴史的説明

について論じたものではないので,ここではDrayのrationalexplanation

を批判した論文ReasonandcoveringlawsinHistoricalExplanation

(1963),PhilosophyandHistory:を取上げて彼の主張を重ねて調べること

に・蝣(∴工∴∵工∴・㌧十二!:i)

先ず彼はDrayの名付けたcoveringlawmodelなるものを主唱者の立

場から整理している.即ちdeductive乃至deductive-nomologicalな説明

に於てはcoveringlawsは全く厳密に普遍的形をとること.換言すると諸条

件のある一定の複合体Fが活される場合には必ずGという種類の出来事乃至状

況が生起する:(xXFx⊃Gx).ところで多くの経験科学に於て重要な役割を

果し,しかも同じcoveringlawsexplanationと呼ばれる別の種類の説明即

ちprobabilistic-statisticalformがある.これは幾つかの複合体Fの条件下

ではGという種類の出来事乃至結果は統計的蓋然性をもって生起する:PsCG-

F)-q.この場合qが1に近いならばこの型の法則は,諸条件Fが実現される

ところの特定の場合に於けるGの生起を説明するために求められるという

/Reasonandcover¥Hist。ricalExplan禁?lion:wsin¥P.144/一以上二つの説明型は出来事について合理的にうけいれられるものとしての資格を充分に備えているとHempelは考

える.即ち‖Ⅹは何故生起したか"という形の問に対して"Zがある(あっ

た)から"と答える場合,Zがある(あった)ということがⅩが生起するた

めの期待・確信に対して充分な基盤とならなければ,合理的,適切な説明とは

いえないからであるcoveringlawsを用いて個々の出来事の説明を完全に

することができるかという問題に関してHempelはこれもその説明によって

記述される限り可能であるとする.ただしすべてのものが実際に説明できると

はいえずcoveringlawsによる説明は科学的説明の論理構造に関する命題

をあらわすものであって,この世界の個々の生起すべてが説明可能であるとは

勿論考えていないと彼は述べて,その主張が普遍的決定論への道を開くもので

はないことを明らかにしている点は注意しなければならぬ/ibid.,¥VP.149-150J-むし

ろここで彼がいいたかったことは一般法則を否定する余り歴史的出来事の個別

性を過度に強調する人々に対して,その意味での出来事の説明-完全な特徴

Covering law論争について 119

づけ-は不可能であり,説明という問題を前提として論じるならばむしろ具

体的事実とみなすべきで,これは完全に記述し尽すことはできなくともcove-

ring lawsによる説明は可能であるとする.

概略以上の立場にもとづいてHempelはDrayの主張に反駁する.即ち

Drayのrational explanationを一般化すると次のようになる. "Cという

型の状況にある場合,なすべきことはⅩである. "この原因を更に分析してみ

ると, (1)歴史上の人物が自己を見出す環境を明細に述べる場合,そこには行為

がその環境下では適切でもっともらしい,或は合理的なものであるとされるよ

うな明確な意味を有すること. (2)少くとも多くの場合に,この意味の中で適切●

な一連の行為が厳密に存在すること.そこからDrayは何故ある行為がなさ

れなければならなかったかという問は,あらゆる可能性の中の合理的除外をも

含む答を認めることが往々にしてあるから,統計的説明より合理的説明の方が

優れているというが, Hempelはこの(1)も(2)も何ら保証を有しない,ある状

況に於けるバなすべきこと"をはっきりさせる合理性の基準が明らかでなく,

この点について一層精密な検査を必要とすると批判するのである.即ちDray

の説明型は次のようになる.

agent A was in a situation of Kind C. 1)

when in a situation of Kind C, the thing to do is X. 2)

therefore agent A did X.

ところで上記のものは何故AがⅩをなしたかを説明できない. AがⅩをやっ

たというための適切なexplanansはAが実際にⅩをやったという確信のため

の正しい理由を提供しなければならないにもかかわらず, ≪Aがなすべき適切

なことがⅩであった≫との断言のための正しい基盤を提供し得ても≪Aが実際

にⅩをやった≫という断言の正しい理由は提供してくれないから,より完全に

するため次のように上のexplanansの2)を改めるべきであるという.即ち

agent A was in a situation of kind C. 1)

A was a rational agent at the time 2)

any rational agent, when in a situation of kind C, will

invraiably Cor with high probability) do X. 3)

120 河瀬明雄

AdidX

この説明は≪何故Aが実際にⅩをやったか≫という説明を与えてくれるが,

行為の評価原理を合理的な人間はCという種類の状況ではⅩをやるという記述

原理で置き換えることで,合理的人間の行為についての一般的言明が厳密に普

遍的型であるか或は蓋然的統計型であるかによって演樺的乃至は帰納的とな

る.このようにしてHempelはDrayのrationalexplanationを修正す

ることによって,より一層完全な説明をし,もってcoveringlawmodelへ

包摂せんと試みたのである.

Ⅳ論争の意味するもの-問題点-

Mandelbaum,M.は歴史的説明た関する諸論を三つの立場即ちHempel,

Popper,Gardiner等のCoveringlawtheoristsとDray,Donagar)No-

well-Smith,Berlin等のreactionists,それにCroce,Collingwood,Oake-

shott等のIdealistsに大別しているが/Historicalllem。f・Exc。vgIanation:Thringlaw',昌Proist。宮;

andTory,N巳euその区分の仕方の当否は別としてcoveringlaw論争を考察する上で一応の目安となることは確かと思う.前述のようにHempelのcove-

ringlawexplanationとDrayのrationalexplanationとの相互批判,

反駁は前者が科学的説明の基本型としてのCL-Eを堅持して,その-展開と

して歴史的説明を捉えんとしたのに対して後者Drayは科学的説明の梶の内

に止まりながらも尚且つHempeliansの主張では真の歴史理解は達成されな

いとしたこと,換言すると科学的説明の名の下にHempelがDrayの立場

を自己のcoveringlawtheoryの中に吸収しようとしたのに抗して独自の

意義を強調して一歩も譲らないところにこの論争の中心があったとみてよいだ

ろう.従って,確かに初めの中はDrayを含めてreactionistsは歴史的説明

個有の分析は歴史家が実際に特定の出来事の説明として用いる言明に適合しな

ければならぬという仮定を打出してIdealistsとも鋭く対立する傾向にあっ

た.この限りではMandelbaumの指摘は正しいと思う.ところが歴史的説明

の論理を確立するという作業を進めてゆく中に次第に実際の相手はIdealists

よりもむしろCoveringlawtheoristsであることが明らかとなり,特に

Drayのreasonによる説明の理論にあってはIdealists就中,人間の行為

Covering law論争について 121

は自然界での出来事とは全く異った自己の行動を理性によってある程度自由に

制御し得るということを前提として,この人問の歴史的行為は,その内側の思

想との関係を明らかにしてはじめて理解できるものであるから,歴史的説明は

人間の思想の発見,換言すると歴史上の人物の思想と,その人物が理解可能と

する行為との関係の説明にあると考えたCollingwood,R.G.のものと共通

する点があったため自然に科学的説明の城を越えてIdealistsの見解へと接

近していったものと考えられる.更に一度その領域外に出ると彼らは思弁的歴

史哲学に対して並々ならぬ関心と理解を示すようになるのである.

観る人によってはキミ-ラともなる歴史/cf.HistoryandTheor¥ncept。fscientificHi吉;TheCo-tory,岩istoryandTheory,vol.I.。.I,1969,P.1-31の実体を正確に把握しようとする努力に於て,Coveringlaw論争の果した役割は大きい.初めにものべたように本稿の目

的の最後の点,即ちMandelbaumのいう歴史的説明に関する三つの立場のす

べてに共通する問題について大雑把な論ではあるが私見を陳べて改めて歴史認

識に於ける論理的プロセスと共に最も重要とみなされる時間的プロセスについ

て若干検討してみたい.

Coveringlaw論争を通じて,歴史的説明の歴史的という点について両者

(HemperiansとReactionists;尚,も一つの立場であるIdealistsのもの

は直接この論に参加しているものが少いので省略するが,決して無関係である

というのではない.拙稿「歴史的解釈についての一考察」教養部紀要4,長崎大

学,1964参照)がどのように理解しているかというと,そもそも常に反復する

出来事や経過に通用される普遍的法則を樹立しようとするnomotheticと一

方ユニークな,反復しない出来事を理解することを目的とするidiographic

の二つに科学を分けて,歴史的ということは自然現象との対比に於てその特殊

性をuniquenessとhumanactionの二点に求めたことは今更指摘するまで

もないところである.従ってcoveringlaw論争で,theoristsもreaction-

istsも共にこの二つの性質,中でもその対立が後者のhumanactionの説明

を普遍的法則で包b.得るや否やの問題をめぐって展開する限りに於ては論争の

°°e梅内で充分に論議が行なわれ得たのである.ところが歴史的という語は上述の

°°°二面に限ることで充分といえるだろうか.歴史的(行為)の第一義はむしろ過

122 河瀬明雄

去の(行為)ということである筈である.時間の概念を含む説明でなければ真

に歴史的説明とはいえないのであって,両者(特にHempel)が一般的時間

を捨象し唯普遍的人間事象の説明に力点を置いたことは,それが本来もってい

る特性を無意識的にせよ無視したことになると思う.時間を考慮に入れた本来

の歴史的説明とは,過去-現在の関係に内在する1)断絶, 2〕連続, 3〕不可

逆性,この三つの特質を避けることができない. Dの意味は過去の歴史的出来

事は嘗って生起したことであって,過ぎ去って今はない(存在しない)一一→これ

は二度と再び生起しないという意味で不変であるということ.ところが2)か

ら過去は文字通り過ぎ去って今は既に存在しないが,しかしそれは現在的意味

を有する.その点で過去の(実在)と現在とは通っている.換言すると過去の

出来事は知識以外には存在し得ないということ.従って,その意味は現在のも

のである.即ち過去が関係させられる現在と共に過去のもつ意味は変化する.

--過去の性格や意味は現在と共に変化する.この二つのあたかも相反捺し合

う性質(これを時間的推移という)を考慮に入れてはじめて歴史の問題の理解

が全うされる. Hempelの場合は最初からCL-Eを論理的推移として,時間

の問題を除外して普遍的に通用されるものを主張していると解してよいだろ

う.これに対してDrayの方は,彼が〃歴史的人物の行為をその環境下でそ

うあったこととして理解する"という時,はじめは過去-現在の関係を過去

の行為そのものとして,現在の立場を離れて考えようとした点は前者と異って

一応過去という時制の中で考察してはいるが, 2)の現在とのつながりをみない

という点からは現在に於ける他者の行為の理解と等しく,結果的にはHempel

と同一水平線上で考えているともいえよう.ところが論争の過程の中でDray

は次第に現在と過去との関係に注目し,現在とは異る過去へ直接しなければな

らぬ必要からCollingwood等のIdealistsのいう歴史家の直観.共感とい

う働によるre-thinkの立場に近いものに惹かれていったようである.しかし

これとても上述の過去-現在の関係からすると一方的で誠に不充分といわざ

るを得ない.現在の中で問われた問に対する答から得られた歴史の知識は現在

に於て意味を有するのであって,この現在からする過去の規制C過去◆-現在)

を見失ってはならない. -換言すると歴史的出来事は現在のperspective

Covering law論争について 123

から決定される. -しかし一方,飽く迄も過去は現在を解釈するという立場

(過去--現在)のあることも忘れてはならない. -即ち歴史的出来事はい

うまでもなく人間に関する出来事であって,その限りではそれに参加した歴史

上の人物に対して生起したその時に決定されたものであり,従って現在を規制

するということ-

要するにこの両者をつなぐ流れ(passage)を無視しては歴史認識は成立た

ぬであろう.従って3)の突然の出現(生起)としての出来事は,それが現われ

る時にはいつでも過去に規制されて見出されるが,それが現われる前には決し

て過去に規翻されはしないという特徴.これは時間の性格1)及び2)から出てく

るものである.歴史的出来事は外見上は突発的出来事であり,その前にあるも

の(先行事象)に還元して考えることはできないし,その生起の前にあるもの

から推論されるというものでもない.が同時に一方これは過去から生れるもの

であり,従ってC-Eの関係は出来事とその出来事が生起した条件との関係で

あり,しかもこれら甲過去の出来事はすべて現在との関係に於てはじめて,そ

の意味を確保できるのである.歴史的出来事はこの世界に新奇なるものを加え

る(断絶)と同時にこの世界との関係を樹立する(連続)行為である.歴史上

の新しい出来事の生起はあたかも書物の改訂版の如く,一部の補筆,訂正でこ

と足りるものと異り,全く新しく書直すことを必要とするものである理由も亦

ここにある.従って,

ある出来事Eが生起すると, Eはある時点Tから未来の方向に一つの意味M

をもつ.このTMの方向性(-)を逆に延長した線上に原因Cが求められる.更

に再び逆に方向を変えて今度はC-Eという説明がなされる.これを記号化す

ると,

(l) ≪E≫ CTM)--

(2) ≪く-E≫ CTM)--

(3) ≪Cく-E≫ CTM>-

(4) ≪C一一-E≫ (TM>-

"Eが生起した"ということは, ≪どういう意味をもつか≫,あるいは≪ど

うしてこんなこんなことが起ったのか≫という問になってあらわれる.その答

124 河瀬明雄

は唯Cを求めることではなく,既にこの間の中には意味を未来に志向している

点に注目すべきである. Hempeliansの何故生起したか(?-E)とは異るので

ある.これを無視したところにHempelの歴史的説明の論理の致命的欠陥が

あった.又Drayのrational explanationはそのいうところの行為の目的

性からの説明,換言するとCの目的がEであると考える点で矢張り説明はC-E

で完結する.

歴史上の人物があることをしたいがために行なった結果そのものが必ずEで

あるとはいえない点(先述のDray批判でみた中の反論の一つとこれとは同

じではない.)を見落している.むしろ目的は結果としての出来事Eとしては

あらわれず,時間の推移からすれば未来志向性として一つの方向(意味)にす

ぎぬ方が多い.従ってこの点からすると(換言すれば歴史的に考察すると) E

は中途の表出にすぎない.勿論ここで歴史上の人物が志向する方向が上記の方

向性(歴史家の現在点での方向性)と必ずしも一致するものではない.思わざ

る影響というものを考慮しなければならぬ.しかしこれとても説明の原理から

すると前述の(1)から(4)の発展中に包含されるものである. (3)の形はやがて時間

の中に整理されて(4)となるが,これは形の上ではnarrative typeをとり,従

って--はplotの役を演ずるものと考えてよいだろう.最も単純な物語の中

にもこの時問的一定の方向性があり,しかもこの連続的流れの基底には逆に方

向づけられた現在からの意味づけが働いていることは上述の通りである.故に

この立場からしてはじめてpositivistsのいう≪何故-したか≫の因果関係

(sum of necessary and sufficient conditions)もreactionistsを含め

てnarrativistsのいう≪何が,どのようにあったか≫の選択の結果をもすべ

てを含むものとなるのではなかろうか. Drayのこれまでの主張の展開を論理

的にみていると,こうした方向へ進むものと思われる.

尚上記(1)-(4)の中で問題となるのはEとTMとの関係であろう.出来事Eの

生起と時点Tとの時間的間隔が短い--同時代的-場合は所謂現代史であ

り,方向性(-)は不安定,不確実であり従って,その反対側への延長-E更

にはCも不安定性が強い.又比較的遠い過去の歴史となるとTとEとの間隔は

長く,歴史的説明の時点を意識すればするだけperspectiveな傾向は比例的

Covering law論争について 125

に増大するId.P¥and昌geSmith;The:ist。ry,1964.P.慧昌tonan¥

-208I勿論歴史的出来事をその生起の時点で理解しようとする立場もあるが,この場合前述した過去-現在の

関係を正しく把握しないとアナクロニズムに陥る危険があることも叉明らかで

ある.逆にTを現在の時点に縛りつける場合の危険は客観性の問題となってあ

らわれるであろう.歴史解釈は過去の出来事に関する一定の説明の正当性を説

得するための技術に止るものではない.断絶と連続との現在的最終段階である

歴史解釈の尖端にはある一定の価値体系を選択するという実践行動が存するわ

けで,これを含めての歴史解釈,歴史的説明の科学性を樹立することが必要で

ぁろう.(霊.H.StuartHugience,1964,P.7:恕Historyasartandas¥r。-history,'macr。-hist。ryj付記

本稿は昭和37年,38年度綜合科学研究「比較史学史の基礎的研究」の分担研

究「現代史学理論の比較研究」の成果の一部であり,又本稿作成にあたっては

特に,我国に於てこの方面に優れた業績を次々と発表されている神山四郎氏の

一連の論文,並びに「歴史の哲学」(哲学雑誌第77巻第749号)中の茅野良男,

吉村融両氏のそれぞれの論文から多くのことを教えられた.ここに深謝の意を

表する次第である.

(昭和39年9月30日受理)