Upload
kenji-katsuragi
View
88
Download
1
Embed Size (px)
DESCRIPTION
〔河北潟干拓地〕昭和38年(1963)から工事着工され昭和60年に完工された石川県河北潟(汽水湖)の干陸造成による1000ヘクタール余の農地が主。平成22年度で入植者の償還が終了する。
Citation preview
敗戦後の日本は都市といわず農村といわず荒廃の極みに達し、とりわけ食糧難の解決は緊急の課題となりました。琵琶湖干拓(昭和 19 年(1944)~)、児島湾干拓(昭和 19 年(1944)~)、有明海干拓(昭和 21 年(1946)~)、 印旛沼(いんばぬま) 干拓(昭和21 年(1946)~)と相次いで国営による干拓事業が行なわれ、各地でも大規模な農業水利事業が行なわれました。
昭和 29 年(1954)、来日したオランダのヤンセン教授の意見から、オランダ方式による大干拓の可能性が強まり、島根県域を中心に、中海の干拓と中海・宍道湖の淡水化、さらに 斐伊川(ひいかわ)治水対策とを結びつけた斐伊川・宍道湖・中海総合開発計画が策定されます。
一方、鳥取県も日野川・弓浜地帯の総合開発構想を立て、当地域の後進性を打破するため、両県にまたがる山陰開発の拠点をここに樹立することとなりました。
関係市町村や団体による干拓・淡水化事業の計画推進運動のための中海干拓事業期成同盟会が結成され、強力な運動が展開されたことにより、農林省(当時)において、昭和 30 年(1955)4 月、この中海地区を直轄調査地区として採択、調査を進めた結果、昭和 38 年度(1963)から干拓特別会計による事業が発足しました。
この事業の計画は、当初、中海に約 2,800ha の干拓を行い、併せて中海・宍道湖の残水域約 15,000ha を淡水化することによって、干拓地や沿岸の耕地約 4,800ha の農業用水を確保するという壮大なものでした。
しかしながら、昭和 40 年代(1965~)になると、全国的に水質汚濁や大気汚染などの産業公害問題や、米余りによる生産調整などが問題となり始めました。 昭和 50 年代(1975~)から 60 年代(1985~)になると、環境問題への関心の高まりから淡水化による水質悪化を懸念する声や、米の生産調整を行う中で干拓により農地を造成することに対する疑問の声が大きくなる一方、淡水化による農業用水の安定的確保や、 本庄(ほんじょう)工区を新しい農業生産の拠点とし、島根県農業の牽引(けんいん)車的役割を果たすことを期待する声も根強くありました。 このような中、農水省が県の意見を確認したところ、県は淡水化については、事業の必要性は変わらないと考えているが、直ちに淡水化を試行することは水質保全の面等から懸念があるため、当分の間、試行を延期することが適当と判断するとともに、本庄工区については、面積規模が大きいことに鑑み、土地利用の在り方について多面的な検討をすべきとされました。このことから、農水省は、県の意見を尊重し、昭和 63 年(1988)7 月に淡水化試行
の延期を決定、併せて本庄工区の工事についても中断しました。 時代が平成になると、大型公共事業に対する見直し気運が全国的に高まる中、農水省は、関係機関等と淡水化に伴う将来の水質変化や本庄工区の土地利用のあり方について議論に議論を重ねた末、県の意向等を踏まえ、平成 12 年 9 月に本庄工区の干陸中止を、平成 14 年12 月に淡水化中止の方向を決定しました。
河北潟干拓事業は、昭和35年(1960年)から37年にかけて農林省金沢農地事務所
が実施計画を立て、昭和38年から「国営河北潟干拓土地改良事業」として始められました。
かつて日本第 2 の広さの湖であった八郎潟は、オランダの技術援助のもと、国営干拓事業によ
り広大な新生の大地に変容を遂げ、そして昭和 39 年「大潟村」が誕生しました。以来、大潟村は
幾多の困難を乗り越え、今日まで社会情勢の変化に対応しながら日本のモデル農村として発展
してきました。昭和 42 年の第 1 次入植以来、すでに 30 数年が経過し、世代交代がすすむなか、
八郎潟干拓の歴史、干拓の意義、村存立の意義、干拓技術の遺産などを後世に伝える社会的責務
が高まってきました。そこで大潟村では、八郎潟干拓という歴史的大事業にかかわる諸資料を収
集し、研究・展示する博物館建設を行うことになりました。
干拓事業を行うためには、河北潟の水を日本海に導く放水路を作る必要がありました。こ
のため、ポンプ船を使って高圧水流を放出し、砂丘の砂を削り取ってていきました。削り取
られた砂は干拓用に再使用しました。
現在、干拓地は延長17 km の堤防によって締め切られており、干拓地内の水は放水路に
出されます。干拓地の平均標高はマイナス2.1m、河北潟の平常水位は50 cm、水深は
マイナス2.5m で、排水は極めて重要です。
開発当初は日本農業の主食増産の大型プロジェクトとして歓迎・期待されましたが、着
手から7年後、干陸式を迎える昭和45年には、全国的な米過剰による減反政策が始まって
いました。そのため河北潟干拓地では畑地の造成と畜産団地の建設が進められることにな
りました。
参考資料:河北潟干拓/北陸農政局河北潟干拓建設事業、内灘町史第二編
柴山潟
かっては、日に七度色を変え、「彩湖」と言われた湖。今江潟、木場潟、柴山潟の加賀三湖のひとつで湖畔には片山津温泉がある。今江潟は干拓で姿を消し、柴山潟も湖の北側、全体の 6割を失っている。湖の北東、干拓町と名付けられた部分は、今江潟と同様に干拓で姿を消した部分。柴山潟の周囲にはサイクリングロードや湖畔公園が整備されている。片山津温泉の沖合 400mには 70mの高さに噴き上がる大噴水があり、夜は湖に浮かぶ浮御堂とともにライトアップされている。
昭
和
3
8
年
8月
国営河北
潟干拓事
業着手
3
8
12月 河北潟沿
岸漁協組
年 合と合意
3
9
年
4月計画の確
定
4
5
年
2月開田抑制
通達
4
6
年
1月 干陸完了
5
2
年
11月
水田から
畑等への
変換
5
3
年
3月
干拓地の
市町界決
定
5
4
年
6月
第一次土
地配分の
開始
5
4
年
7月
農用地開
発公団営
事業(畜
産団地整
備 の 着
手)
5
4
年
9月
農地の一
時使用開
始
6
0
年
4月
県営土地
改良総合
整備事業
の着手
6
1
年
3月
干拓事業
及び公団
事業の完
了
平
成
1
0
年
3月
県営土地
改良総合
整備事業
の完了
昭和38年度から60年度にかけて実施された「国営河北潟干拓土地改良事
業」の完成によって、河北潟の総面積2,248 ha(公有水面)の内1,3
56 haが干拓され、河北潟干拓地が新しく誕生した。
河北潟干拓は、我が国の食糧難を背景とした水田計画により着工されたが、
干陸を迎える昭和45年に全国的な米過剰による減反政策によって新規開田
の抑制施策が導入された。
これにより、干拓地は畑地及び酪農団地造成への転換を余儀なくされ、河北
潟周辺農家の夢であった稲作規模の拡大が崩れ去ったという歴史を負ってい
る。
基幹排水施設 かんがい施設
事業の年次的経過
昭和38年 放水路と堤防の建設に着手
昭和45年 干陸化にとりかかる
昭和46年 干陸化完了
昭和52年 減反政策により、開畑に変更、酪農団地の建設が進められる
昭和54年 畑と畜産団地の土地配分完了、一部畑地の使用が開始
昭和56年 酪農団地への入植が始まる
国営干拓事業の発足
日中戦争、太平洋戦争は昭和 20
年8月に、日本の敗戦でその幕を閉じ、戦後の日本は民主主義と食糧不足で始まる。国民全体が米を求めるに血まなことなった当時、生まれ出る必然性をもって河北潟の干拓計画が生まれた。 銭五以来、浮かんでは消え、消えては浮かんだ干拓の夢は、金沢農地事務局(北陸農政局の前身)に引きつがれた。昭和 25年、最初にたてられた計画は、430へクタールの干拓と、潟縁周辺 1,130 ヘクタールの地上げを行うものだったが見送りとなった。 続いて、昭和 27年に、干拓の面積を 900 ヘクタールに増やすべき調査が開始され、5年の歳月を要して昭和 31年に終えた。ところで、日中戦争が拡大して、太平洋戦争に突入した頃から、日本は鎖国状態となり、欧米諸外国における土木技術の情報が得られなくなった。 戦後、昭和 20年代の後半、諸外国からの情報が入り出して、日本の
土木技術者は愕然とした。日本と欧米の技術に格段の開きがあったのである。風車で有名な、干拓の先進国オランダの知識が入って来たのもこの頃だった。 出先の金沢農地事務局のみならず、農林省(今の農林水産省)あげての技術者が、新知識の吸収に努め、河北潟の干拓計画に取り組んだ。河北潟の「ヘドロ」地盤は、調査が進めば進むほどに、大変なシロモノであることが解明され、難工事が予想されてきた。大きな土木工事には、知識、技術もさることながら大型の土木機械なしには大自然と戦えなかったのである。 こんな時代の背景から、金沢農地事務局が本格的な実施設計に取りかかったのは、昭和 35年で、3ヶ年を費やして、昭和 37 年に、面積1,400 ヘクタールの干拓計画ができた。そして翌 38年に「国営河北潟干拓土地改良事業」の発足をみたのである。 右の写真は、昭和 39年8月 17
日、津幡町の中学校体育館を会場にして、盛大に行われた起工式の模様である。
下の写真、左は起工の鍬入をされる任田局長、右は、河北潟干拓建設事業所の初代所長として陣頭指揮をされた近藤比佐雄さん。そして、この起工式における任田局長の式辞は次のとおりである。
○石川県国営土地改良事業分担金徴収条例
昭和四十四年三月二十四日
条例第十九号
石川県国営土地改良事業分担金徴収条例をここに公布する。
石川県国営土地改良事業分担金徴収条例
(趣旨)
第一条 この条例は、土地改良法(昭和二十四年法律第百九十五号。以下「法」という。)第九十条第三項の規定により、国営土地改良事業に係る分担金の徴収に関し必要な事項を定めるものとする。
(平八条例六・一部改正)
(国営土地改良事業)
第二条 この条例において「国営土地改良事業」とは、国営河北潟干拓事業をいう。
(平八条例六・一部改正)
(分担金の徴収)
第三条 県は、法第九十条第一項の規定による国営土地改良事業に係る負担金の一部を法第九十四条の八第五項(法第九十四条の八の二第六項において準用する場合を含む。以下同じ。)の規定により土地を取得した者(以下「土地取得者」という。)から徴収する。
2 土地取得者が国営土地改良事業の施行に係る地域の全部又は一部を地区とする土地改良区の組合員であるときは、県は、その者に対する分担金に代えて、その土地改良区からこれに相当する額の金銭を徴収する。
(昭五一条例二八・昭六一条例一六・平八条例六・一部改正)
(分担金の額)
第四条 前条第一項の規定により土地取得者から徴収する分担金の額は、県が負担する負担金の総額(当該負担金が他の法令の規定により軽減される場合にあつては、軽減されることによる額を控除しない額)に六十二パーセント以内の率を乗じて得た額を土地取得者が取得した土地の面積で案分して算定する。
(昭六一条例一六・平八条例六・一部改正)
(分担金の徴収方法)
第五条 第三条の規定により県が徴収する分担金は、別表に掲げる支払期間及び利率による元利均等年賦支払の方法により支払わせるものとする。この場合において、当該分担金の支払に係る据置期間中の各年度の利息については、当該年度支払の方法により支払わせるものとする。
昭和 32年度設置。この会計は「土地改良法」(昭 24法 195)に基づいて国が行う特定の土
地改良事業を効率的に施行し,併せて資金調達の円滑化を図るため設置された会計。対象事業
は国営かんがい排水事業及び国営農用地開発事業のうちの特定のもの並びに国営干拓事業の全
部をこの会計において経理している。
本会計の運営は,上記事業費のうち国庫の負担となる額を一般会計から繰入れ,都府県及び
地元の負担となるべき額は資金運用部の資金を充て,これらの資金をあわせて工事を施行し,
その完了後に都府県及び地元から借入金相当額を償還させることとなつている。事業費の国庫
負担割合は,原則として,干払事業については 75%,かんがい排水事業については 58%,農
地開発事業については 74%である。
1997 年 05 月 27 日 決算委員会第三分科会
○上田主査 これにて達増拓也君の質疑は終了いたしました。
次に、仙谷由人君。
〔主査退席、草川主査代理着席〕
○仙谷分科員 きょうは諌早干拓問題を中心に、農林大臣あるいは農林省にお伺いをいたしたいと思っております。
初めに、大臣、国営干拓事業というものがずっと続けられてきたわけですが、どうも少々検討してみますと、この事業はほとんど建設国債、国の一般会計から、建設国債で調達したものが特別会計に振り込まれて使われている。それから、地元負担分といいますか、県の負担分というのはこれまた運用部資金が利子つきで使われている、こういうことですよね。そうだとしますと、相当高利回りの部分もある利子つきの借金で、つまり将来
世代の負担でこの農業土木、干拓事業というものが行われているという事実は覆い隠せないと思うのですよ。
そういう国民の税金、血が出るような思いをして払った税金の使い方の問題である。あるいは建設国債まで、あるいは政府の運用部資金まで使って、利子つきのお金でつくっている事業である。ここは、農林省の関係者、大臣に緊張感を持って考えてもらわなければならない問題だと思うのですよ。何か、もう決めてしまったからずっとやるとか、農林省の技術者を食べさせるためにやるとか、そういう評判が出るような事業であっては困る、こう思うのですね。これが第一点です。
そこで、まずお伺いするのですが、この諌早干拓事業、今まで使ったいわゆる事業費、特に土木と言われる事業費、この事業費の受注企業のうち農林省のOBがおる企業が受注したのが何%ぐらいで、もう一つ、社団法人土地改良建設協会九州支部という団体に所属している企業が受注したのが全部で何%か、これをお答え願います。
〔草川主査代理退席、主査着席〕
○山本(徹)政府委員 私ども、干拓事業についても、貴重な国民の税金を使っておるという点から、緊張感を持って効率的な実施に努めており、かつ、事業効果を早期発現し、未来永劫に利用できる農地の開発、また、諌早につきましては、高潮、洪水の防止という非常に長い間の地域住民の悲願であった事業を効率的に実施するために推進しておるわけでございます。
今、建設業者に農林水産省の農業土木のOBが何人在籍しておるかという御指摘でございますけれども、農林水産省の職員の再就職につきましては、国家公務員法に基づいて適正な手続により行って……(仙谷分科員「問いにちゃんと答えなさいよ、そんなこと聞いていないでしょう」と呼ぶ)はい。農林水産大臣承認により再就職している者は十四名でございまして、その建設業者の受注件数は四十三件、受注額は三百十四億円でございまして、平成四年から八年までの数字でございますけれども、この工事の発注件数の三三%、発注額の三七%でございます。
それから、二番目の、土地改良建設協会九州支部の会員である建設業者が工事の受注額の何%を受注しているかという点でございますけれども、これは諌早湾干拓事務所で平成四年度から八年度までに発注した工事の件数でございますけれども、百二十九件、発注金額は八百四十三億円、このうち同協会の九州支部の会員の受注件数は七十九件、六一%、受注金額は七百三十一億円、八七%でございます。
○仙谷分科員 局長、農林省から、この間の工事発注関係を、受注業者と発注金額を出せと言ったら、一覧表をくれました、四年から八年まで。それを累計しますと、私のところの累計では五百七十二億八千二百万。それで、私が先ほど質問をした土地改良建設協会九州支部に加盟している業者が受注したのが五百六十三億一千万円、九八・三%じゃないですか。どうして私にでたらめな資料を渡すのですか。それともあなたの方の計算が間違っているのですか。
時間がないからもう一つ聞きます。
それで、協会加盟でOBを受け入れている企業、これの受注率は九三・三%になりますよ。総額で五百二十五億四千五百万円。改めて、予算委員会のときにおたくから開示された「全国農業土木技術者名簿」、受注企業について何人おるか全部調べました。もう一つ言うと、十億以上の受注ができておる会社はほとんどが十人前後おるじゃないですか、農林省のOBが。専務から始まって、大概は九州地方農政局出身の職員がおって、各会社の支店の営業部長とか支店長とかになっているじゃないですか。そういう実態をどうしてそういう数字でごまかそうとするのですか。
私の今指摘した数字が誤っているかどうか答えてください。つまり、おたくからもらった資料をもとにOBがおるかどうか調べ、土地改良建設協会に加盟しているかどうか調べた。それだけの単純な話なんですよ。
○上田主査 局長、答弁は簡潔に。
○山本(徹)政府委員 ただいま御説明しました再就職者は、過去五年以内に退職し、人事院協議または大臣承認を受けて関係業界に就職した者を把握できたその範囲で集計したものでございます。したがって……(仙谷分科員「そんなこと聞いていないと言っているでしょう」と呼ぶ)(発言する者あり)
○上田主査 静粛に。
再度お願いします。局長。
質問者も静かに。
○山本(徹)政府委員 ただいま御説明いたしました数字は、農水省で把握している再就職者として、過去五年以内に退職し、人事院協議または大臣承認を受け関係業界に就職した者でございます。それで、ただいまの御指摘は諌早湾干拓事業についての工事でございますので、九州農政局管内の再就職者に限り集計したものでございます。
先生の御指摘の数字と異なりますのは、これは再就職後五年以上経過した者あるいは途中で入社した者等、私ども把握できない者がございますので、このような数字が異なる結果になったものとなっておりますが、いずれにいたしましても、協会名簿の詳細につきましては農林省として承知いたしておりませんので、そのような結果、過去五年という範囲で明確になる者を対象に御説明させていただいております。
○仙谷分科員 ということは、純粋の農林省のOBが、五年以内であろうとなかろうと在籍している企業が、私が申し上げたような九〇%を超える九三・三%。これは、三菱重工が農林省のOBを採っていないから、三菱重工が大きい水門の工事を一つとっているからこういうふうになっているわけですが、これを除くとほとんど九八%ぐらいなんですよ、毎年、三菱重工の受注の年を除くと。こういうことになっている。
それで、全部土地改良建設協会九州支部に入っている。見方によれば、この土地改良建設協会九州支部に入れていない企業、入っていない企業はほとんど参入機会が与えられていない。もっと言えば、この協会で調整をしておるのではないか、分け取りをしておるのではないかという疑いすら生まれていますよ。
大臣、この社団法人土地改良建設協会、各農政局に対応して支部があるのですね、開発局と。それで、大手を中心に地場企業まで排除するような団体ですね。それで、九五%を超える受注をするような社団法人ですね。どこに公益性があるのですか。直ちにそういうのは解散を命ずるように検討を始めてください。
○藤本国務大臣 これまで予算委員会等を通じまして委員からいろいろ御質問がございました、そういう種々の一環の御質問だと思うわけでございます。
私どもがいろいろ調べてみましたところ、この土地改良建設協会九州支部というのは九州地区の大手、中堅建設会社を会員として構成されておりますので、ほとんどの大手、中堅建設会社はこの土地改良建設協会九州支部に入っておる、こういう状況でございます。した
がって、受注をしたその率は、会員にほとんどの大手、中堅会社が入っているわけでございますから、勢いそのパーセントは非常に高くなると思います。
ただ、工事の契約については、透明性、公平性というものはこれは当然のことでございますから、そのようなことは我々といたしましても十分指導していかなければならない、そういう問題だと思っております。
○仙谷分科員 こういうある種の狭い仕切り、そして全部、OBが十人前後存在する、こういうところで干拓事業を初め農業土木の世界は受注、発注が仕切られているというのが、これが金額の高どまりをするというのを予算委員会のときも申し上げましたね。ここから手をつけない限り、大臣がおっしゃるような農業土木の適正化もできなければ、農業土木自身が自己目的化してまだまだ走
ると私は思いますよ。そんな現状肯定的なお考えで、この今の財政の中央も地方も破綻的状況にある状態を乗り切ることはできないと思います。
質問を変えます。
国営干拓事業については、昭和五十五年に会計検査院が決算検査報告というのを出しているのを御存じですね。その前段階に、事務次官が、昭和四十四年開田抑制政策、開田抑制についてという通達を出していますね。平成九年二月の大規模な農業基盤整備事業に関する行政監察結果に基づく勧告によると、四十四年時点で干拓事業のあり方を見直す必要があったんだということを言っておるのです。ところが、ずるずると見直さないできた。
そしてこの五十五年の決算検査報告でも、他転十七地区。他転というのは、事業中にはかの目的に変えてしまった、つまり、農業改良事業、干拓事業、農地造成事業でやっているのに、完成時には農地でなくなってしまった。
次には、転用地区が十三地区もあった。転用というのは、完成してから他用途に転用した、農地でなくしたというのがありますね。
それから、廃止土地区。未配分三地区。休止、これは羊角湾と佐賀のことのようですが、こういうものもある。
それから、実施中のものも、営農計画とか何とか、見通しが立っていない、あるいはいつ見通しが立つのかわからないと昭和五十五年で言われています。
いいですか。全部足しますと、当時の昭和五十五年段階で、百八十三地区のうち四十九地
区が何と今の問題のある干拓事業ですよ、二七%です。面積に直すと、五万二千五百二十八ヘクタールのうち一万百九十七ヘクタール、一九%です。事業費に直すと、当時は全体として金額が小さかったのですね、全体として事業費が二千五百八十七億円のうち千三百四十二億円、五二%分が問題ありと指摘している部分なんですよ。
その後、そのときに問題ありというふうに指摘されたものが当然のことながら引き継がれて、羊角湾だ、佐賀だ、笠岡だ、中海だ、木曽岬だ、河北潟だと、これは全部、今残っているわけです。ずるずるやってきた。
これはさっき冒頭に申し上げましたけれども、国民の税金を使い、国民に借金をした格好でやらせたものが死屍累々たるこういう状況になって、農林大臣、現時点で何らかの反省とか国民に対する釈明とか弁解というのはございませんか。いや、大臣に聞いているのです、これは。
○藤本国務大臣 干拓事業の問題は、我々としては、やる気のある農家の育成と優良農地を確保していく、これは我が国農政の基本的な課題であると考えておりまして、優良な、平たんな、生産性の高い農地をつくっていくための重要な政策の一つだと、干拓事業はそういうものだというふうに考え、今までこの事業を進めてきておるわけであります。
ただ、いろいろ申されましたように、この干拓事業というのは非常に長い時間をかけて計画し取り組んでくる事業でございますから、その事業を進めている段階において、社会情勢、経済情勢が変化するということもこれまた事実であります。国民の税金を使い、大規模な工事を進めていくわけでございますから、この他用途利用ということについては慎重に考えながら、その地域の状況に応じて他用途利用する場合にもそのように進めておる、こういうわけであります。
また、この行監、会検からの指摘、勧告については、要約すれば、環境に十分配慮をしながら、営農計画、土地利用計画をつくって有効に利用しろというのが行監また会検からの指摘でございます。それは至極当然のことでございまして、我々としても、そのことについてはこれからも十分に配慮をし、この計画を進めていきたいというように考えております。
○仙谷分科員 全然反省がないということじゃないですか。私は諌早の問題はまだ聞いていないのですよ、行監の問題でも。
国営干拓事業全体がこんなに死屍累々たる状況になってきておるのに、そしてそれは国
民の血税を使い、建設国債を使い、政府運用部資金、財投資金とあなた方が言っている金利のついた金を使っているのに、こんな状態になって何の反省もないのかということを聞いているのです。反省がないというのだったら結構です。
それで、今おっしゃった社会情勢とかなんとかという話は、経済情勢、社会情勢、当たり前じゃないですか。昭和五十五年のときからそれを考えてやりなさいと言われているのに、十七年もたった今でもそのことに頭がいっていないということをこの諌早湾は示しているだけなんですよ。
具体的に聞きますけれども、営農計画をつくるについて五十八年に、五十二年から五十七年までの諌早市周辺の中核農家について県が調査をして、それを農政局が机上で算出して営農計画をつくったというふうに言われていますね。そうですね。──はいうなずきましたから。そこで、次に六十一年の五月には中核農家五百戸に対する調査をした。それで五九%が希望しないという結果があったにもかかわらず、いいですか、六十一年の五月の調査で六割もが希望しないという結果があったにもかかわらず、六十一年十二月二日に事業計画を決定した。こういうことになっておるのですね、諌早湾は。
その後、事業計画決定から、行監局の監察は平成七年から始まって平成九年の二月に勧告が出ていますが、その間に、行監局のこの監察結果の報告書によれば、中核農家は半減した、ここだけ書いてあるのです。
そこで、私がお伺いしたいのは、まず、中核農家というふうに言われておる人たちの、この間の耕作を放棄した土地の面積、農地の面積、減反で現在耕作をしていない農地の面積、減反になったけれども転作をしている土地の面積、これをちょっと教えてください。なるべく直近の資料の方がいいです。
○山本(徹)政府委員 耕作放棄面積、これは諌早湾の干拓事業の周辺一市十町の数字でございますけれども、九百四十九ヘクタール、これは一九九五年の農業センサスによります。でございますが、こういった地域をつぶさに眺めてみますと、この周辺は平たんな地域が非常に少ない、中山間地域がございまして、耕作に条件の不利な地域でございます。そういった地域でございますので、諌早湾の干拓によりまして、平たんで生産性の高い農地で効率的な、近代的な農業経営を実現したいという大変多くの農業者の希望がございます。
先ほど六割とおっしゃいましたが、逆に四割は、そういった規模拡大、効率的な経営の担い手として頑張っていきたいという農家がおられます。担い手は、確かにこれは大規模化等によって減っておりますけれども、私ども、千五百ヘクタールの農地について、野菜あるいは畜産等で十分効率的な農業経営を実現していただけるという見通しを持ちながら実施し
ており、また県の方でも、これは農業公社で一括して買い受けまして、効率的な事業を実施していただくための中核的な担い手あるいは農業法人経営者等にリース方式でも実施するというような試みを考えておられまして、ここで先進的な、全国に誇れるような生産性の高い農業経営を実現するという構想のもとに事業を進め、この営農計画については着々と具体化を進めております。
減反面積につきましては、これは一市十町の平成八年度の県からの報告によりますと、全実施面積は千二百九十二ヘクタール。このうち、主要な作物は、野菜が三百九ヘクタール、麦二百十二ヘクタール、飼料作物二百六ヘクタール、大豆六十三ヘクタール等、大変多彩な作物で転作を達成しておられます。
○仙谷分科員 今不必要なことをいっぱいおっしゃったけれども、少なくとも、客観的な事実の上では、放棄が九百四十九ヘクタールで減反が千二百九十二ヘクタール。要するに、あなた方が干拓地でつくろうとしている農用地は千四百七十七
なのに、現在、減反とか放棄で、旧来の農地で使われなくなっているのが二千二百五十ヘクタールある、こういう数が出ているんですよ。
そうすると、放棄とか減反で、農政の失敗なのか方針なのか知らぬけれども、それで、農地として現在存在するけれどもこれが使われないで、ある土地はそのまま放棄しておいて、新たに国民の税金で、いいですか、これからまだ一千億強もかけてこんなことをやろうとしているという話になるんですよ、この話は。
今あなたがおっしゃった、せんだってまでは自給率の問題を言っていた。それで、野菜は、タマネギ、バレイショ、レタス、ニンジン、こう書っている。酪農経営は、あなた方が五十八年につくつた営農計画によると、四十二戸、平均八・〇ヘクタール、全部計算すると三百二十ヘクタールありますよ、これは単純計算で。長崎県の高田知事がきのうの毎日新聞のインタビューで何と答えているんですか。今は酪農は難しい、できないと言っているじゃないですか。じゃ、三百二十ヘクタール必要ないという話になるじゃないですか。
一方では、九州農政局長の菱沼さんという人は、これは朝日新聞に出ているんだけれども、「当初の営農計画はあるが、あんなものをいま出したら笑われるので、見直している」。今もあなた方おっしゃった、リースがどうのこうのというのは、見直しているというんでしょう。物事反対じゃないですか。
営農計画で、土地利用と農地の利用、営農の確実性について、土地利用の確実性について確認しつつというふうに書かれているんじゃないんですか、行政監察は。これは監察結果が
出てから確認したんですか。あるいは、先ほどの局長の答弁を聞いていましても、農業センサスの数字しか出てきていないわけだ。具体的に、中核農家でだれだれが規模拡大をして、こういう営農を、農業を営みたいという調査をいっしたのか。していないのだったら、するまで中止しなさいよ、こんな事業は。国民の税金がもったいない。
○山本(徹)政府委員 先ほど、転作面積及び耕作放棄面積を使われていない面積とおっしゃいましたけれども、先ほど御説明申し上げましたように、この地域では、野菜、飼料作物、麦、大豆等で、大変立派な成果をこの転作で上げておられる農家がたくさんおります。
それから、耕作放棄地は、先ほど申し上げましたように、条件の悪いところでございます。条件の悪いところがだんだん、効率的な農業経営ができないということでそういう状態になっておるわけでございまして、農業の担い手は、干拓地のような平たんで面積が大きい効率的な農業経営のできる土地を大変強く求められておりますので、これから二十一世紀に向けて希望のある農業政策を展開するためには、こういった地域において先進的な農業を実現していただくということを私ども進めてまいる必要がございます。
それから、バレイショ、レタス、それから酪農、肉用牛等でございますけれども、これは六十一年に策定したのを現時点で引き直して、私ども、これは経営として成り立つという検証をいたしておりまして、局長の発言もございましたけれども、これは、例えば六十一年時点に比べて、例えば酪農でいいますと、搾乳量が品種改良等によりまして当時六千キロが現在は八千キロ、約四割搾乳量が増加しておりますし、バレイショ、タマネギ等も、当時に比べて販売金額が一、二割増加しております。逆に、資材費も上がっているものもございますし、そういった当時の価格を現在時点の価格で引き直して、経営として成り立つかどうかということを検証しております。
私ども、長崎県、この地域を中心とした農業者の御意向をさらに具体的に把握しながら、これからこの地域で効率的な、二十一世紀に向けて、食糧危機と言われ、また日本の自給率が大変低い状況の中で、模範的な農業経営を実現すべく、営農計画の具体化に全力を挙げてまいります。
○上田主査 一分に限り許します。
○仙谷分科員 営農計画を具体化してから事業をやらないといけないということを改めて申し上げておきます。
それから、自給率の問題ですが、バレイショとかニンジンとかレタスとかタマネギを挙げていますけれども、これは、日本の自給率は全部八〇%以上ですよ、言っておきますけれども。
菱沼局長が、こんな計画を今出したら、今言ったら笑われると言ったこの計画は、まさに絵にかいたもち、机上の空論でしかないということです。そういう営農計画にのっとってあなた方が事業を自己目的化してやっているのがこの事業だということを再度指摘しておきます。
終わります。