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地域にとって 価値のある信用事業 有限責任監査法人 トーマツ JA 支援室 みず たに せい 36 経営実務 ’18 7 月号 1.農協に示された3つの選択肢 2017年4月20日の日本経済新聞に『農中が迫る「3択」』として、「金 融事業の分離か再編か、現状維持か   。農中は2019年5月までに各 JA に回答するよう求めた」との記事が掲載されました。その後、代理 店化は農協の自主選択という議論となり、多くの農協から現状維持をし たいとの意向が聞こえてきています。 しかし、再編の契機となった信用事業の収益性低下による農協経営の 危機が回避できたわけではありません。さらに追い打ちをかけるように、 2018年4月27日の日本経済新聞に「農林中金、預金金利下げ農協・信連 向け 運用依存の転換期待」との見出しで、信連や一部の農協に支払う「奨 励金」と呼ばれる預金金利を2019年春から3年かけて現状の0.6%程度 から0.1~0.2%圧縮する案が有力との記事が掲載されました。 実際、多くの農協が経営基盤を系統運用利回りに依存しており、系統 預け金残高5,000億円の農協では、仮に系統運用利回りが0.2%低下すれば、 業務量はそのままで収益だけが10億円も減少することになります。系統 運用利回りが0.2%低下して経営上問題ないと言い切れる農協はほとん

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地域にとって

価値のある信用事業

有限責任監査法人トーマツ JA支援室

水みず

谷たに

 成せい

吾ご

36 経営実務 ’18 7 月号

1.農協に示された3つの選択肢

 2017年4月20日の日本経済新聞に『農中が迫る「3択」』として、「金融事業の分離か再編か、現状維持か  。農中は2019年5月までに各JAに回答するよう求めた」との記事が掲載されました。その後、代理店化は農協の自主選択という議論となり、多くの農協から現状維持をしたいとの意向が聞こえてきています。 しかし、再編の契機となった信用事業の収益性低下による農協経営の危機が回避できたわけではありません。さらに追い打ちをかけるように、2018年4月27日の日本経済新聞に「農林中金、預金金利下げ農協・信連向け 運用依存の転換期待」との見出しで、信連や一部の農協に支払う「奨励金」と呼ばれる預金金利を2019年春から3年かけて現状の0.6%程度から0.1~0.2%圧縮する案が有力との記事が掲載されました。 実際、多くの農協が経営基盤を系統運用利回りに依存しており、系統預け金残高5,000億円の農協では、仮に系統運用利回りが0.2%低下すれば、業務量はそのままで収益だけが10億円も減少することになります。系統運用利回りが0.2%低下して経営上問題ないと言い切れる農協はほとん

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経営管理

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どありません。

2.規模拡大では乗り越えられない危機

 全国で進む農協合併の議論のなかで、あたかも規模拡大(資金量の増加)によって農協経営の危機が回避できるような発想になっていないでしょうか。規模拡大によって実現できるのは、コスト削減を前提にした短期的な収支改善でしかなく、農協が直面する信用事業の収益環境の悪化に中長期的に対応できるものではありません。 そもそも、多くの農協が規模の基準にしている1兆円という資金量では、“延命”にすらならないかもしれません。農協と同様の収益環境のもと地域金融を担う地銀では、まさに生き残りをかけた再編が進められています。そこでは、資金量5兆円を超える県下トップの地銀である足利銀行が、収益環境の悪化を背景に県をまたがって常陽銀行(資金量8兆円超)と経営統合を決断するような状況です。つまり、農協合併によって資金量が1兆円を超えたとしても、それだけで農協経営の危機を回避することにはならないということです。

3.ビジネスモデルの限界

 日銀によるマイナス金利政策の長期化を受けて、これまでの高い系統運用利回りを背景に、金利で貯金を集めるビジネスモデルは限界にきています。単位農協がこのまま地域の組合員に貯金を増やしてもらうようお願いして集金をしてまわるだけなら、代理店化というのが最善の選択肢でしょう。代理店としてやる場合は、貯金量100兆円のメガバンクとして効率的な金融事業をやるべきです。 しかし、そこには多くの農協職員が語る「地域密着の信用事業」や「人と人とのつながりが生み出す信用事業」は存在しません。これでは、仮に短期的に信用事業の収支が安定したとしても、地域農業が抱える課題は放置され、総合農協としての価値が低下するおそれがあります。

4.地域金融機関の原点

 「地域にとって価値のある信用事業」とはどのような信用事業なので

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しょうか? これは金利勝負によって組合員・利用者にとって有利な運用先(預け先)・借入先がひとつ増えるということではありません。 地域金融機関の役割は、メガバンクのように大きな資金の流れをつくることではなく、地域の隅々まで小さな資金の流れを行き渡らせることです。つまり、メガバンクからすれば「面倒くさい、手間がかかる、非効率(不採算)だ」と避けて通りたくなるようなことを積極的に実行し、地域内で資金を“還流”させることです。農協の信用事業の目的は、効率的に利益を上げることではないはずです。単位農協の掲げる「地域密着の信用事業」が建前でないならば、地域の「情報」を持つ農協職員にしかできない資金の流れを生み出すべきです。 農協職員は、単に貯金の受け払いをするだけのATMではありません。農協職員が地域と向き合い、人と人とのつながりを大切にすることで、農協への「信用」を醸成し、地域のヒト・モノ・カネに関する「情報」が農協に集まってくるのです。その結果、農協職員が地域内でヒトとヒトとをつないで協同の輪を広げ、モノとモノとをつないで新しいビジネスを生み出し、そこにカネを結びつけることで新しい夢を実現する架け橋になるのです。

5.“価値ある信用事業”の追求

 口ではどれだけ“農協らしい”信用事業を唱えていても、その実態がキャンペーン金利で組合員から資金を集金することが役割だと勘違いし、集めた資金を農林中金が運用することにより農協が剰余を得るのでは、競合する金融機関と異なる価値が農協にはありません。 現在の農協の信用事業は、地域密着でもなく、メガバンクのような効率的なビジネスでもない、中途半端な信用事業になっていないでしょうか? 職員の自意識やプライドだけメガバンク並みで、やっていることは信金・信組にも劣る集金だけというのが実態です。そのうえで、何かあると合理化・効率化というスローガンのもと「やらない」ことを正当化します。改革の実態は、やれることだけやって、実現が困難なことからは安易に逃避しているだけです。 利用者が金融機関を選ぶ基準は「楽だから」「便利だから」「お得だか

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経営管理

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ら」というのが主たる理由かもしれません。しかし、それだけでは、どこの金融機関でも同じであり、農協の信用事業が選ばれる理由にはなりません。農協が存在しなければ実現できない資金の流れ、農協が存在しなければ日の目を見ることのなかったビジネスの種、農協が存在しなければ挑戦できなかった夢、これらを一つひとつ丁寧に形にしていくことが農協の信用事業に価値を与えるのです。

6.農協が実践する“顔が見える地域金融”

 土着性を本質とする農協は、その人的つながり(ネットワーク)を武器に地域において、いつ、どこに余裕資金があり、また、いつ、どこに資金需要があるのかを把握して当然です。そのうえで、農協にとって利用者は不特定多数の「顧客」ではなく、地域の田中さん、佐藤さんなど顔が見える「個客」です。 だからこそ農協は、“顔が見える地域金融”を実践しているはずです。実践することにより、特に融資の局面において農協の強みが最大限に発揮されます。農協が融資を実行するのは、スコアが高いから(財務諸表にもとづく判断)ではなく、目の前の田中さんが“信用”できるからです。

7.試される農協の取るべきリスクと“目利き力”

 金融庁の求める地域経済と地域金融とが有機的に結合することで実現する「共通価値の創造」こそ協同組合金融の真骨頂です。農協が存在しなければ救われない、いわゆる“金融排除”先に対して、農協が資金を行き渡らせることで地域経済を支えます。例えば、信用力は高くないが地域農業になくてはならない農家に対して融資することも、担保・保証がなければ融資できないという固定概念を捨てて、農協がとるべきリスクのひとつです。このようなリスクテイクは農協の専売特許であり、信金・地銀の出る幕はありません。 しかし、緩いだけの審査では農協が過度なリスクを抱えることになるだけです。地域で暮らし、地域で育つ農協職員は、地域の人々と触れ合うことで人を見る目を養わなければなりません。人に対する“目利き力”を持った農協職員が競合の金融機関とは異なるものさしで判断すること

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で、農協にしかできない信用事業を展開できるはずです。

8.成長農家の意思決定を支援する

 農業の成長産業化が叫ばれる一方で、衰退に歯止めがかからない地域農業において、仮に意欲的に規模拡大を目指したとしても、そのような成長資金に対しては、信用力が高くないことを理由に金融機関から融資を受けづらいのが実態です。 それが高齢農家になればなおさらです。このような農家に対して、経営が安定してから資金提供を申し出るのが金融機関です。しかし、それは「晴れているときに傘を貸す金融」であり、農家に頼られる農協の姿ではありません。 指導事業をもつ農協では、融資先に対して営農指導員が責任もって指導し、農業経営を軌道に乗せることで回収可能性を高めることができるため、担保・保証に依存する必要はないはずです。これは農業経営の素人である競合の金融機関にはできません。それにもかかわらず、リスクを理由に農協が農家の成長資金の融資を躊躇するようでは、農業専門金融機関としての名折れです。農協は農家の規模拡大(攻めの事業展開)の意思決定を支援することに価値があるのです。

9.営農事業の強みを活かして事業者向け融資を獲得する

 農協の総合事業性の強みとは、「信用事業、共済事業の黒字で営農事業の赤字を補填する」ことではありません。営農事業を起点にして信用事業を拡大することにこそ、その本質があるように思います。 地域の農業関連産業の事業者の経営活動を支援することは、地域農業活性化の主体として期待される農協の役割です。外食業者や加工業者にとって、地域における最大の集出荷団体である農協の存在感は極めて大きく、単なる仕入先ではなく、事業者にとって経営全般を相談するビジネスパートナーとして資金繰りも含めて総合事業で支援することができるはずです。 事業者向けの融資に対して農協からは「リスクが高い」「事業性評価は無理」などと弱気な声が聞こえてきますが、資金を集金して農林中金

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経営管理

経営実務 ’18 7 月号 41

に運用を任せるというビジネスモデルの限界を克服するためには、楽して儲けようとするのではなく、利用者と向き合うことで適切な価値(金利)を生み出すことを目指すべきです。 組合員以外の事業者に対する融資について、員外利用規制に縛られる必要はありません。農業者の所得増大のために必要であれば、農協法を改正することも可能なはずです。“農協改革”では、わざわざ農協法を改正して、農協に農業所得増大に最大限配慮することを求めているのですから。

10.農協らしい信用事業のあり方

 信用事業とは、組合員から資金を集金し、農林中金に運用を任せて利ザヤを稼ぐだけのビジネスではありません。信用事業とは、読んで字のごとく、地域の人と人とが農協を介して“信用”で結び付けられ、貯金と融資という形で組合員の相互扶助を形にしたものです。農協の目指すこのような価値観こそが、経済合理性のみが跋扈する現代社会において、日本人らしい豊かな地域社会を生み出す源泉になります。

掲載内容について掲載内容は筆者の個人的見解であり、筆者の所属組織とは無関係です。