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33 住民による「まちづくり」の 落とし穴 今西一男 1.はじめに 日本の人口が減少局面に転じたのは 2000 年代後半から 2010 年代前半に かけてのこととされる。ただし、2005 年に行われた国勢調査において、人 口の減少傾向は既に指摘 (1) されていたように、当初は来るべきものが来た という淡々とした受け止め方が広がっていたように思われる。 しかし、雑誌『中央公論』2014年7月号の特集「すべての町は救えない」 以降、人口減少社会の到来は身近な危機として考えられるようになった (2) この特集は、増田寛也が座長を務めた日本創成会議が提起した「消滅可能 性都市」 (3) を世に知らしめた。危機感をあおり立て、同じ方向を向かせよ うとする政治や行政が好ましいとは全く思えないが、流れはその後の「ひ と・まち・しごと創生法」の制定による国・自治体における人口ヴィジョ ンと総合戦略の策定、全国的な「地方創生」ブームへと至った。ここでい う地方創生とは人口減少を食い止め、地域の「再」活性化を図るための行 政政策のことである。具体的には商店街再開発、観光振興、地場産品・産 業育成、人材育成などがあげられる (4) 。「婚活」といった、行政もここまで 来たかと思わされる事業もみられるようになった。 いずれにせよ、それらの事業の特徴としては、住民と行政との「協働」 を前提とした、創意工夫の「まちづくり」を求める内容が目立つ。つまり、 人口減少社会の到来とそれに伴う地方創生の流れは、行政あるいは地域社 会に改めて「まちづくり」への関心を喚起した。だが、そのムーヴメント は、「まちづくり」という用語が本来持つはずの、「住民による」という自 主性とは異なる次元にあるように思えてならない。人口減少を理由とする

住民による「まちづくり」の 落とし穴a007/data/17ces33... · 2018. 8. 10. · 33 住民による「まちづくり」の 落とし穴 今西一男 1.はじめに

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  • 33

    住民による「まちづくり」の

    落とし穴

    今西一男

    1.はじめに

    日本の人口が減少局面に転じたのは 2000年代後半から 2010年代前半に

    かけてのこととされる。ただし、2005年に行われた国勢調査において、人

    口の減少傾向は既に指摘(1)されていたように、当初は来るべきものが来た

    という淡々とした受け止め方が広がっていたように思われる。

    しかし、雑誌『中央公論』2014年7月号の特集「すべての町は救えない」

    以降、人口減少社会の到来は身近な危機として考えられるようになった(2)。

    この特集は、増田寛也が座長を務めた日本創成会議が提起した「消滅可能

    性都市」(3)を世に知らしめた。危機感をあおり立て、同じ方向を向かせよ

    うとする政治や行政が好ましいとは全く思えないが、流れはその後の「ひ

    と・まち・しごと創生法」の制定による国・自治体における人口ヴィジョ

    ンと総合戦略の策定、全国的な「地方創生」ブームへと至った。ここでい

    う地方創生とは人口減少を食い止め、地域の「再」活性化を図るための行

    政政策のことである。具体的には商店街再開発、観光振興、地場産品・産

    業育成、人材育成などがあげられる(4)。「婚活」といった、行政もここまで

    来たかと思わされる事業もみられるようになった。

    いずれにせよ、それらの事業の特徴としては、住民と行政との「協働」

    を前提とした、創意工夫の「まちづくり」を求める内容が目立つ。つまり、

    人口減少社会の到来とそれに伴う地方創生の流れは、行政あるいは地域社

    会に改めて「まちづくり」への関心を喚起した。だが、そのムーヴメント

    は、「まちづくり」という用語が本来持つはずの、「住民による」という自

    主性とは異なる次元にあるように思えてならない。人口減少を理由とする

  • 34

    行政の諸資源の枯渇、行政サーヴィスの限界を喧伝したうえで、「協働」の

    名の下に住民を「まちづくり」へと動員する構図になっているのではない

    か。

    こうした問題関心から、本稿では、「まちづくり」という用語の経緯と意

    味に触れた後、「協働のまちづくり」の問題点について考える。そして、筆

    者が関わってきた郊外住宅団地の再生に関する「まちづくり」の事例を通

    じて、住民による「まちづくり」の実践について示す。最後に、住民によ

    る「まちづくり」自体が持つ問題を提起したい。

    2.「まちづくり」という用語法

    そもそも「まちづくり」とは非常に曖昧で、一義的な意味を見出しづら

    い用語である。都市計画の分野にいると、「まちづくり」は事例の学問であ

    る、という話をよく耳にする。その意味するところは、地域社会には様々

    な特性があって「まちづくり」に一般解を求めることは不可能であるとす

    る発想や、個々の事例の特徴を積み重ねることで一般解が得られるとみる

    帰納法的な発想があるものと考えられる。つまり、あらゆる地域社会が直

    面する諸問題に通じる「まちづくり」を定義することには困難が伴う。そ

    こで、筆者は「まちづくり」という用語を用いる際、通常、カギカッコ付

    き・ひらがな書きとして、多様な解釈は免れないことを意識するようにし

    ている。

    しかし、意図的に「まちづくり」という用語を曖昧に用いることにより、

    本来、行政や地域社会が照準を合わせるべき問題自体がぼやかされ、都合

    よく理解されてきたことは看過できない。例えば、各地の地域社会におけ

    る人間関係の形成につながる場所・コトづくりに関わってきた延藤安弘は

    「『まちづくり』は現代の都市・地域づくりの動向の中で生活者にとって望

    ましいハード・ソフト両面の環境形成を市民主導で進めるという意味を獲

    得してきた」と肯定的に述べたうえで、「しかし、近年、行政・事業主体側

    が公共事業の固いイメージをやわらげるために『まちづくり』の言葉を使

    いすぎる傾向がとみに著しくなった」とし、「『まちづくり』はすっかり手

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    垢にまみれてしまい、言葉の本来的意味の輝きをなくしてしまった」と指

    摘した(延藤、2001)(5)。つまり、「まちづくり」という用語は公共事業に

    対するアンチテーゼとして定着したはずだが、逆に都合よく利用されてい

    るという主張である。

    こうした用語「まちづくり」が乱用される状況に対して、都市計画の分

    野ではその定義を試みようとする、いく分か趣味的な研究も行なわれてき

    た。比較都市計画や土地利用計画の大家の一人にあげられる渡辺俊一は

    「『まちづくり』定義の論理構造」という論文において、「『研究は実践を導

    くべきだ』という観点からすると、健全なまちづくりのためにも、まず『ま

    ちづくり』の概念を一義的に確定し、議論やコミュニケーションを確実・

    正確にすることは、研究の第 1歩として重要」と指摘した(渡辺、2011)。

    そして、わが国で「まちづくり」の用語が初めて文献に現れたのは 1947年

    (6)のこととしたうえで既往の「まちづくり」定義事例を言語学的に分析し、

    「主体の値」(住民か市民か)、「空間の値」(スケール=狭域か広域か、立

    地=都市か農村か)、「方法の値」(主体間連携、漸進的活動、持続的活動、

    等)、「分野の値」(ハードかソフトか)といった次元の異なる四つの論点

    (値)が提起されると述べている。

    この渡辺の論文にも取り上げられている「まちづくり」定義のなかで、

    筆者同様、カギカッコ付き・ひらがな書きの「まちづくり」について言及

    している論者が田村である。田村は著書『まちづくりと景観』(7)のなかで、

    「まちづくり」という用語の広がりに「まち」に対する意識の高まりがみ

    られると評価しつつ、「しかし、単に流行りだから使うのではなく、この言

    葉の出てきた背景や、その意味するところを理解して使ってほしい」と提

    起している。そして田村はその「意味」について、「これまで国家権力によ

    って行われてきた都市計画に代わり、市民やその事務局である自治体を中

    心に、『まち』を自分たちの手で創る方向へ転換するための言葉である」と

    し、「平仮名の『まち』という言葉は、ハードだけでなくソフトも含む柔ら

    かさがある市民的な用語」として用いられるようになったと述べている。

    さらに、「市民主体」「総合性-ハードとソフト」「画一性から個性へ」「量

    から質へ」「生活の小単位尊重」「理念から実践へ」という6点から、従来

  • 36

    の都市計画と「まちづくり」の違いを整理している。

    田村の「まちづくり」の定義に関する論述は、渡辺が指摘した四つの論

    点にかみ合う議論として興味深い。特に「『まち』をつくるシクミを整え、

    ハードを使うソフトをつくり、生活を豊かにする総合的な『まち』を目指

    す」という「分野の値」に対する視点や、「巨大な開発だけではなく、小さ

    なコミュニティ単位の『まち』にも目を向け、身近な生活環境の向上を目

    指す」という「空間の値」に対する視点は、「まちづくり」の実践の内容を

    極めて平易に言い当てているといえよう。

    そのなかで、「主体の値」とそれに関わる「方法の値」をめぐる田村の視

    点、とりわけ住民か市民かという主体をめぐる用語の用い方は特徴的であ

    る。田村の別の著作『まちづくりの実践』(田村、1999)では、「平仮名の『ま

    ちづくり』の十の意味」という項で 10項目からなる「まちづくり」定義を

    行なっているが、そのなかの一つとして「『まちづくり』を担うヒトづくり」

    について述べている。それによると、「住民全体が共同体の一員として生活

    していることを自覚し、地域への責任をもって参加し協働できる積極的な

    意識をもつ『市民』へと育つのは、『まちづくり』の基盤である。『まちづ

    くり』は『ヒトづくり』ともいえる」と述べている。つまり、田村の「ま

    ちづくり」の主体をめぐる視点には、協働の実践をメルクマールとする、

    住民から市民への成長という段階的発展の展望がみて取れる。

    この住民から市民へ、あるいは共同から協働へという視点は、「まちづく

    り」という用語や実践を曖昧にする、あるいは変質させる主な原因である

    ように思われる。田村自身が述べるように、「まちづくり」とは国家権力に

    よる都市計画に代わるものであり、自治体はそのための事務局であるなら

    ば、なぜ改めて協働という関係性を持ち出す必要があるのか。また、住民

    を「まち」という狭域に止まる主体と見立て、市民への成長を促すことで、

    協働への転換につなげようとしているのではないのか。田村の定義をみて

    いると、協働という主体間連携に関わる「方法の値」と、住民から市民へ

    の成長という「主体の値」には、出発点にあったはずの「まちづくり」と

    はかみ合わない論点が生じる。そして、この市民や協働という概念の導入

    によって、第1節に示したように今日の「まちづくり」への動員が図られ

  • 37

    ていると考えられる。

    3.「協働のまちづくり」と「新しい公共」

    今日、「協働のまちづくり」というフレーズは、自治体のホームページ等

    で当たり前のようにみかける。協働という用語がわが国で広く使われるよ

    うになったのは、2000 年代に入ってのことである。背景には 1990 年代の

    欧米で普及した官民パートナーシップ(Public-Private Partnerships)、

    1995年の阪神・淡路大震災で着目されたヴォランティア活動の普及に伴う

    1998年のNPO法の創設などがある。つまり、行政によるヴォランティア

    活動やNPO支援の政策フレームのうえで、「市民社会の力を引き出すこ

    とで行政コストを削減しつつ、市民自身の満足度を高めていく」(早田、

    2005)ことが協働の基本的な発想であった。2000 年代以降、研究レヴェル

    でも協働やパートナーシップを冠する「まちづくり」の教科書や読み物が、

    多数みられるようになった。

    この官民パートナーシップの文脈から登場した協働の発想が「まちづく

    り」の担い手に求めた役割が、「新しい公共」である。吉村ほか(2008)によ

    ると、地域社会における多様なニーズを充足する「まちづくり」を「小さ

    な公共」とすれば、新しい公共とは「『小さな公共』を担う企業市民、地域

    組織、NPO、ヴォランティア住民など多様な主体が、自分たちの活動、

    ネットワークを地域に開くことによって、行政とともに担う『公共』」とし

    ている。ほかにも「官だけでなく、市民、NPO、企業などが積極的に公

    共的な財・サーヴィスの提供主体となり、身近な分野において、共助の精

    神で活動する『新しい公共』」(8)という説明で、わが国の民主党政権当時

    における経済財政政策の柱の一つにもされていた。

    協働やパートナーシップを冠する「まちづくり」の特徴は、行政とヴォ

    ランティア活動やNPOの関係性が、あたかも対等であるように描かれる

    ことにある。だからこそ、行政という旧来の公共に対し、新しい公共が設

    定されるのである。実際のところ、2000 年代に入ってからの「協働のまち

    づくり」とは、行政による支援の政策フレームのうえで、新しい公共とし

  • 38

    て住民から市民への成長を促し、対等性を構築しようとするものであった。

    例えば内閣府NPOホームページ(9)によると、「資金」「人材育成・人材交

    流」「設備・備品」「連携協働」「情報発信」「その他」の6項目に関して、

    NPOを対象とした全国の支援・協働施策を閲覧、検索できる。同様の情

    報提供は各地の自治体でもオンライン・オフラインの様々な方法で整備が

    進んでおり、協働のプラットフォームは整備されたとの指摘もよく耳にす

    る。

    しかし、自治体の首長は選挙によって正当性が担保されている一方、ヴ

    ォランティア活動やNPOは地域やテーマに関するコミュニティの立場

    に立脚するものであり、その行動原理は異なる。特に都市計画において行

    政は私権の制限を含めた公権力を有しているのであって、その他の主体と

    の対等性は想像しづらい。こうしたわが国の新しい公共の登場を念頭に置

    いた「協働のまちづくり」について、後藤純は「『対等性』を単純な行政と

    市民社会組織のコミュニケーションによって担保するという視点にとど

    まっている」ために理念と実態の乖離が生じていると指摘する。そして、

    協働とは対等性に着目するのではなく、「ある目的を達成するために対話

    を通して相手の価値観を理解し、お互いの資源を協調させ、課題解決に取

    り組むこと」と再定義している(後藤、2016)。

    この指摘のように「協働のまちづくり」や、その担い手となる新しい公

    共としての市民とは、旧来の公共である行政が対等を装って地域社会の諸

    問題の解決を代行させる事態を生み出しかねない。要するに、協働や新し

    い公共という概念を持ち出したことによって、そもそも曖昧な「まちづく

    り」という用語、あるいはその実践はいっそう行政にとって都合よく利用

    されているようにみえる。

    では、「まちづくり」という用語、あるいはその実践は無効、ないしは「怪

    しい」ということになるのだろうか。その怪しさをいくらかでも払拭する

    ためには、少なくとも協働や新しい公共といった、「まちづくり」をさらに

    曖昧にする物いいを排することが必要である。田村や延藤が述べたように

    国家権力や公共事業に替わるものが「まちづくり」であるならば、その担

    い手は行政との緊張関係を持つべきである。そして、住民から市民への成

  • 39

    長ではなく、むしろ狭域の「まち」に立脚することから、ハードにもソフ

    トにも関わる地域社会の諸問題の解決が可能になるのではないか。

    かつて藤沢市辻堂南部における土地区画整理事業への反対運動に関わ

    り、「まちづくり」住民運動の理論的支柱となった安藤元雄(10)は著書『居

    住点の思想』(安藤、1978)において、なぜ市民ではなく住民なのかという

    意図を述べている。市民運動を「人間の自由を守るために、基本的人権に

    拠って、権力に抵抗していく運動」と規定したうえで、住民運動にはさら

    に二つの要素が加わるという。一つは地域性、居住地域を基礎とする連帯

    感である。もう一つは「住む」という限定であり、食事、睡眠、排泄、育

    児といった人間そのものの再生産の過程である。この二つの要素をふまえ

    ると、居住という過程においては、保守と革新、資本家と労働者といった

    市民運動にみられる対決の図式は意味をなさず、縦割りではない横割りの

    居住地域における連帯感が生じることを指摘している。

    この安藤の指摘は「まちづくり」という用語に、「住民による」という形

    容詞を付けることの意味を的確にいい当てているだろう。協働や「新しい

    公共」という概念が行政との怪しい対等性を有していることに対して、住

    民として住むということをみつめ直す方が、地域社会における対等性(連

    帯感)や、行政と地域社会という両者の位置関係を簡明に表すと考えられ

    る。そして、「まちづくり」という用語の曖昧さに対しても、住むことの保

    全や拡大という明快な意味を与えてくれる。つまり、「まちづくり」という

    用語は、「住民による」という形容詞があって、ようやくその姿形が現れる

    ものであると筆者は考えている。

    4.住民による「まちづくり」の事例分析

    では、住民による「まちづくり」とはどのような実践なのか。また、「協

    働のまちづくり」の問題とは、実際にはどのように現れるのか。地域社会

    やその直面する諸問題には多様な類型が生じるが、本稿では筆者が実践に

    関わってきた、福島市蓬莱団地という郊外住宅団地の再生に関する「まち

    づくり」について紹介したい。住民による、あるいは協働の、という形容

  • 40

    詞のそれぞれについて考えるには、示唆的な事例である(11)。

    人口減少社会の到来にあたって最も影響を受けている地域社会の一つ

    が郊外住宅団地である。いわゆる「ニュータウン」ともいわれる郊外住宅

    団地は、高度経済成長期における都市中心部の人口増加に伴い、その周辺

    部に公共・民間のそれぞれによって開発・供給された計画的住宅地のこと

    を指す。その特徴は良好な居住環境、理想的な住様式・住生活を先導する

    住宅・宅地を整備しようとしたことにある。

    しかし、分譲住宅では分譲価格、賃貸住宅では家賃のそれぞれに応じた

    所得が、特に前者では住宅ローンを設定できる年齢が求められ、結果とし

    て住民の階層が均一化するという計画的住宅地ゆえの特徴もある。それゆ

    え、とりわけ分譲住宅では住宅・宅地供給が旺盛に行なわれた 1960〜70年

    代に入居した 30〜40 歳代の「団地第一世代」が、現在では一斉に 70〜80

    歳代へと高齢化するという現象が生じている。また、格差社会といわれる

    なかで、賃貸住宅特に公営住宅が孤立した、低所得の高齢者の「終の棲家」

    となる事態も起きている。したがって郊外住宅団地では若年層の居住によ

    る住民階層の混在が期待されるが、周辺部の利便性の低さゆえに第二世代

    以下の定住もすすまず、団地の「限界集落」化が問題視されている。

    住民の高齢化とともに、かつての人口増加に対応して整備された公共施

    設やインフラの老朽化も指摘される。だが、人口減少に伴う税収低下もあ

    り、かつて直接的あるいは間接的に住宅・宅地供給を促進した自治体には、

    今や「再」開発や改修を行なう余力がない。それどころか、維持・管理す

    らままならないという、行政サーヴィスの放棄といえる事態も生じている。

    かくして、郊外住宅団地は人口減少社会では再生の対象と目される地域社

    会となる、「オールドタウン」化という現実に直面している(12)。

    蓬莱団地もそうした郊外住宅団地の一つである。その開発・供給主体は

    福島県住宅供給公社(2009年3月解散)である。立地としては福島市中心

    部から南東約7kmの位置にある。丘陵地にあるが公共交通は路線バスしか

    なく、住民の多くは自家用車で移動している。計画面積は 225.1ha、計画

    戸数 4,075 戸、人口 15,100 人であった。戸建て分譲住宅のほか、2015 年

    9月に調査した時点では県営 733戸・市営 814戸の集合賃貸住宅がみられ

  • 41

    た(写真1)。開発の契機は他の郊外住宅団地と同様に高度経済成長期の住

    宅不足にあり、1969 年に基本計画策定、1970年に設計完了、以後、造成・

    分譲が始まり、早速 1971年には第1期分譲が行なわれた。公共施設は団地

    内で生活が完結できるよう整備されている。福島市蓬莱支所、中学校1校、

    小学校5校、ショッピングセンター、公民館にあたる学習センター(本館・

    分館・分館別館)、野球場やテニスコートを備えた中央公園など、フル装備

    といってよい。

    しかし、蓬莱団地にも人口減少、高齢化・老朽化の波が押し寄せている。

    世帯・人口の総数としては 2017年 11月末日現在の住民基本台帳によると、

    3,977世帯・9,126人となっており、5年前(2012年 11月末日)と比較し

    ただけでも 82 世帯・921 人の減少となっている。その高齢化については

    2012 年8月に筆者が調査した時点では世帯主の平均年齢が 63.6 歳となっ

    ていた。少子化も指摘されており、2004年3月には市立蓬莱幼稚園が閉園

    となった。また、公共施設の老朽化については各所で指摘されているが、

    これまでに建て替えが完了したのはショッピングセンターのみである。

    (写真 1)蓬莱団地の戸建て分譲住宅、県営集合賃貸住宅(奥)。

    南面平行配置で日照が確保されており、写真のように歩行者専用道路が整備

    されるなど、居住環境への配慮がなされている。2017年 7月 15日撮影。

  • 42

    このような蓬莱団地の変化について、筆者が住民T氏から相談を受けた

    のは 2003 年5月のことである。勤務する福島大学の地域連携担当事務よ

    り取り次ぎがあり、団地における高齢化・老朽化を感じており、住民によ

    る対策は可能か検討したいという依頼内容であった。そこで筆者は運営す

    る研究室の学生とともに関わることとして、まず、住民による「まちづく

    り」を考えるための組織を設立することを促した。そうして同年8月にT

    氏を事務局長として、「福島南地区を考える会」(以下「考える会」)という

    任意団体を設立した。その後の主な経緯は(表1)のように整理できる。

    「考える会」の活動は大きく3期に分けて考えられる。第1期は設立か

    ら問題発見、そして実践の主体となる「NPOほうらい」の設立に至る 2003

    〜2008年度である(13)。「考える会」を設立した当初、まず行なったことは

    団地における高齢化・老朽化という問題は事実なのか、あるいは「考える

    会」だけが考えていることであって、団地全体の問題とはいえないのでは

    ないのか、調査活動を通じて検討した。そのため、まち歩きといった手軽

    に実践できる活動に加え、全戸対象の調査票調査も行なった。

    これらの調査活動の結果を基礎として、2004年度には閉園となった旧蓬

    莱幼稚園の、2005年度には解散問題が生じた福島県住宅供給公社が所有す

    る大広間など団地の中心施設の利・活用に関する提言活動を行なった。調

    査活動だけではなく、いずれでも蓬莱団地で活動する各種団体の協力を得

    たイヴェントを開催、住民の参加を募り施設を見学してもらって意見を聞

    いた。こうした調査活動やイヴェント、提言のための報告書作成といった

    事業は、福島市より2回、いわゆる市民活動補助金の採択を受けて実施し

    た。つまり、福島市による「協働のまちづくり」の政策フレームに乗った

    ことになる。この時期、研究室による活動支援の一つがその申請書類の作

    成であり、まだT氏はじめ住民による申請の機会はなかった。

    こうした調査活動を継続していると、把握した問題に対して自ら解決を

    図りたいとする要求が生じる。「考える会」の定例会など協議の機会でも、

    実践に軸足を置いた活動を行なう組織を設立するため、2006~2008年度に

    は福島県より補助金の採択を受けて調査活動を行なった。この間には福島

    県内・外の郊外住宅団地とその再生を目的とする団体との交流を図るなど

  • 43

    (表1) 蓬莱団地・福島南地区を考える会の主な経緯

    年 度 主 な 経 緯

    2003

    ・設立…設立趣意書には「住みよい地域づくりの『結び目』」になること、「まち」

    への思いを語ることを記載。当初は 50名程度が参加。

    ・問題発見のための活動…話し合い、団地観察(まち歩き)、聞き取り調査をふま

    え、問題を整理。

    2004

    ・「蓬莱団地における住民意識調査」の実施…考えた問題は団地全体の問題か、全

    戸対象の調査票調査を実施。有効回収率 22.9%。

    ・「郊外住宅団地における公共施設のコンバージョンのための基礎的活動-蓬莱団

    地における旧蓬莱幼稚園を事例に-」…福島市「ふくしま協働のまちづくり事業」

    補助金(10万円×1年間)による、旧蓬莱幼稚園の利・活用に関する提言活動。

    2005

    ・福島県住宅供給公社の解散問題が生じたことに伴う団地中心施設の利・活用に関

    する検討…行政主導の商業施設(ショッピングセンター)建て替えとは一線を画

    し、公共施設について検討。

    ・「郊外住宅団地における協働の『公共空間』づくりに向けた『まちづくり』活動

    -蓬莱団地の中心施設の再検討を中心に-」…福島市「ふくしま協働のまちづく

    り事業」補助金(10万円×1年間)による、福島県住宅供給公社所有大広間など

    団地中心施設の利・活用に関する提言活動。

    2006

    〜2008

    ・「郊外住宅団地の再生に向けた『コミュニティ・シンクタンク』の設立実践」…

    福島県「地域づくり総合支援事業」補助金(30万円×3年間)による、団地再生

    に向けた組織(コミュニティ・シンクタンク)の設立・実戦に向けた研究活動。

    ・問題解決に向けた実践(事業)へのとりくみ…NPOほうらいの設立へ。

    2009

    ・NPOほうらいの設立と考える会の関係整理…考える会は「住民の『まちづくり』

    のための自由な参加の拠点」として、NPOほうらいは「望ましい生活環境を実現

    するための事業を創造・実行する」組織として併存。

    ・「コミュニティ・サロンぽっと」の実験的運営…福島大学行政政策学類社会調査

    論研究室による団地の居場所づくり。

    2010

    ・2011

    ・福島市南部地域住民活動連絡協議会設立…考える会を事務局に蓬莱団地と周辺

    (福島南部地域)の住民活動団体を連携するための協議会を設立。

    ・東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の発生と NPOほうらいによる被災者支

    援活動…協議会のネットワークも活用した支援物資配布など。

    2012

    〜2016

    ・NPO ほうらいによる「蓬莱ヘルスケアタウン事業」…国(経済産業省)の補助に

    よる、各種団体を連携した「ヘルスケアタウン」の構築検討。

    ・NPOほうらいによる新しい事業の試み…フィットネスジムの開設による団地住民

    の健康増進、蓬莱団地周辺に建設された仮設住宅とショッピングセンターを結ぶ

    バスの運行など。

    2015

    ・2016

    ・考える会・社会調査論研究室による「(仮称)蓬莱人財バンク」の検討…団地の

    各種団体のデータベース化と生活支援活動への展開を検討。

    ・人財バンク設立に向けたモデルづくり…住民活動団体調査、活動場所となる遊休

    空間の発見、蓬莱学習センター文化祭への出展による宣伝。

  • 44

    情報を収集し、NPO法人設立のための準備をすすめた。そして 2008 年

    11 月に「NPOほうらい」の設立総会を開催するに至った。

    このように「考える会」そのものをNPO法人化せず、別の組織として

    「NPOほうらい」を設立した理由は大きく二つある。一つは、「考える会」

    は「住民の『まちづくり』のための自由な参加の拠点」として残し、そこ

    で聞かれた発言を「NPOほうらい」の実践に活かすことを考えたからで

    ある。もう一つは、「考える会」では多様な住民が参加するゆえに合意形成

    が難しいため、機動的に意思決定を行ない得る実践に特化した団体が必要

    と考えたからである。この「NPOほうらい」ではT氏が副理事長として

    事務局長の役割を果たすこととし、同氏に近しい関係者が理事を務めるこ

    ととなった。筆者は「NPOほうらい」の活動には会員として、必要に応

    じて参加、協力することとした。

    第2期は「NPOほうらい」の活動の開始から東日本大震災・福島第一

    原子力発電所事故に至る 2009~2011年度である。「NPOほうらい」は設

    立当初、特に金額の大きな補助金を得た活動を行なうということはなく、

    むしろのどかな様子であった。例えば、県内の葛尾村との交流協定を締結、

    蓬莱団地で村の地場産品を販売する「テント市」や「軽トラ市」を行なっ

    たり、逆に団地の子供が村に出かけてキャンプを行なったりという具合で

    あった。一方、「考える会」については活動を広げていくために蓬莱団地と

    その周辺の団体との交流を企画、「福島南部地域住民活動連絡協議会」とい

    う連絡組織の設立に至り、その事務局の役割を受け持つことになった時期

    である。

    こうして「考える会」も「NPOほうらい」も緩やかに連携を図りなが

    ら活動を続けていたが、2011年3月の東日本大震災・福島第一原子力発電

    所事故で事態は一変した。以降が第3期である。福島市においても放射性

    物質の飛散をはじめ多くの被害が生じたが、福島県浜通り地方からの原発

    事故被災者を大量に受け入れることになった。それに伴って各地からの支

    援物資も市内に流入したが、その配布が追いつかない状態であった。そこ

    で「NPOほうらい」では「福島南部地域住民活動連絡協議会」のネット

    ワークも活用し、避難所、その後の仮設住宅などへの支援物資配布に注力

  • 45

    していく。被災者の仮設住宅への入居が一段落して以降は、蓬莱団地のシ

    ョッピングセンターと周辺の交通不便地域に整備された仮設住宅を結ぶ

    巡回バスを運行、買い物を支援するなど、近隣では被災者支援で知られる

    団体へと展開した。

    一方、その間にも団地の高齢化は進行し、また、仮設住宅に入居した被

    災者の健康問題もよく取りざたされていたことから、「NPOほうらい」で

    は健康増進に重点を置いた活動を実践していく。具体的には団地の近隣に

    フィットネスジムを設置し、インストラクターも配置して健康増進のため

    の活動を行うことを中心に、団地内・外の医療・福祉関連の公共・民間団

    体とも連携を図り、経済産業省から数千万円単位の補助金を得て「蓬莱ヘ

    ルスケアタウン事業」なる事業を運営するに至った。並行して食の安全を

    確保するための放射性物質の検知施設の設置、原発事故によって就農・生

    産の機会を奪われた主婦たちによる食品の製造・販売の活動の支援など、

    「NPOほうらい」の事業は多岐に及んだ。この第3期となると、中心的

    役割を果たしたT氏は自ら国の他に福島県、民間財団などの各種補助金に

    応募、しかも多くの採択を得るようになっていた。

    こうして「NPOほうらい」の活動が極めて旺盛に展開したためT氏の

    手も回らず、第3期の「考える会」の活動は暫く休眠状態であった。しか

    し、震災・原発事故から4年が経過した 2015年度、復旧・復興が日常的な

    ものとなってきたところで、改めて団地再生について考える機会を設ける

    こととなった。ちょうど地方創生がいわれるようになった時期であり、人

    口減少社会の到来は蓬莱団地にも無関係とは思われなかった。そこでT氏

    から打診を受け、筆者の研究室としても団地の人材を活用して団地再生を

    図るしくみである「(仮称)蓬莱人財バンク」の検討を開始した(写真2)。

    以上のように、蓬莱団地における「考える会」と「NPOほうらい」の

    活動は、住民として団地に住むということ、また団地という狭域の「まち」

    に立脚することから地域社会の諸問題の解決を目指す「まちづくり」であ

    った。その行政との関係性は、「考える会」においては福島県・福島市から、

    「NPOほうらい」においては経済産業省・福島県などから支給された補

  • 46

    (写真2)「(仮称)蓬莱人財バンク」の検討のために実施した

    ワークショップの様子。

    団地の人材が活動できる場所を発見するためのまち歩きを行ない、結果を

    まとめている。2016年 9月 19日撮影。

    助金に依存するところが大であり、対等性が構築されていたとはいい難い。

    しかし、筆者が補助金の申請書類を作成していた第 1期の事業を考えると、

    その金額以上の活動内容であったことを指摘したい。2004・2005 年度につ

    いては福島市から年間 10 万円の補助金を、2006〜2008 年度については福

    島県から年間 30 万円の補助金を得たが、この金額で全戸対象の調査票調

    査を実施したり、NPO法人設立まで人材や組織の育成を図ったりしたこ

    とは、行政が直接、予算や人員を投入して実施するより遙かに「安上がり」

    であったと考える。すなわち、「協働のまちづくり」と称して行なわれる市

    民活動補助金は、本稿で指摘したように旧来の公共である行政が住民に地

    域社会の諸問題の解決を代行させるための装置となり得る。

    だが、住民からみればこうした事業は各種資源の「持ち出し」に映るが、

    それ自体は一連の活動にとって大きな問題ともいい難い。蓬莱団地での一

    連の活動では、「安上がり」に動員される関係性に気づくことから協働の怪

    しさを自覚し、むしろ協働を逆手に取って、住むことの保全や拡大を目指

  • 47

    す住民による「まちづくり」を拡大する契機としてきたようにみえる。調

    査活動から第2期・第3期の実践へと展開した背景には、「協働のまちづく

    り」に替わる、住民による「まちづくり」の視点があったことを重視した

    い。

    5.結語

    その一方で、実はこの蓬莱団地の事例には大きな落ちがある。この一連

    の活動で中心的役割を果たしたT氏が、「NPOほうらい」の活動において

    採択された福島県の補助金を不正に受給し、本稿をまとめた 2017年 12月、

    詐欺罪で懲役1年 10 ヶ月の実刑判決を受けた。問題が発覚したのは前年

    9月のことだが、(表1)に示す「考える会」の活動も、ここで一旦休止と

    なっている。

    T氏の罪状はフィットネスジムの運営など被災者支援の活動に対する

    補助金を不正に取得するため、領収書の偽造などを行なったという内容で

    あった。そうして得た補助金に私的流用はなかったが、事業の資金繰りが

    苦しく、各種の補填に充当しているうちに 500万円近い金額に達していた

    とされる。この問題が発覚した直後に「NPOほうらい」は破産手続きを

    行なって解散、それまでの実績はすべて失われることとなった。T氏個人

    の犯行で組織ぐるみではなかったと結論づけられたが、福島県への補助金

    の返還、銀行からの借り入れの返済など、金銭的な後始末は残されている。

    筆者自身、「NPOほうらい」の理事ではなかったが、「考える会」の活

    動を通じてT氏とは問題が発覚する直前まで活動をともにしていた。なぜ

    彼の非行や、「NPOほうらい」という組織の運営の問題に気づかなかった

    のか、悔やんでならない。協働のための補助金が、同氏を狂わせたように

    も思える。

    個人の心情はさておき、この蓬莱団地の事例は住民による「まちづくり」

    にとって、改めて示唆に富むと考える。本稿でみたように考える会やそこ

    から生まれた「NPOほうらい」の活動は、衰退が進む郊外住宅団地にお

    いて、「住民」として「住む」ということからの問題発見、さらには解決の

  • 48

    道筋をよく体現していると思われる。その過程で補助金を通じて生じた行

    政との協働、すなわち対等性の構築は「安上がり」あるいは「持ち出し」

    というかたちで、内実は正に住民を「まちづくり」へと動員するものにな

    っていた。

    だが、「NPOほうらい」へと至った経緯をみれば、こうしたいびつな対

    等性の構築を通じて、住民による「まちづくり」は展開を遂げていくもの

    であったことがうかがえる。しかし、補助金の不正受給といった組織の適

    正な運営を揺るがすような、基本的な問題を生じさせることのないような

    マネジメントが前提となることもこの事例は示している。

    こうしてみると、住民による「まちづくり」にも決して最適解や理想郷

    を見出すことはできそうにない。「住民による」という形容詞に安住すると、

    思わぬ落とし穴にはまることを気にかけずにはいられない。つまり、住民

    という立場にも常に注意を払い、絶えずその内実を確認、更新する姿勢を

    持つことが、住民による「まちづくり」にとって最も必要なことだと思え

    るのである。

    <注>

    (1)総務省「平成 17年国勢調査 第 1次基本集計結果 結果の概要 1

    人口総数」1996 年。そこでは、自然増減の漸減を指摘し、「我が国の人

    口は減少局面にあるとみられる」と指摘した。

    (2)その内容は直後に刊行された、増田編(2014)、により詳しい。

    (3)消滅可能性都市とは、2010~2040年の 30年間において、人口の「再

    生産力」を示す 20~39 歳の女性人口が5割以下に減少する自治体を指

    している。

    (4)『中央公論』2015年2月号は「脱『地方消滅』成功例に学べ」と題し

    て、これらの分野に関する事例を紹介している。

    (5)延藤(2001:10-15)。ちなみに延藤は 1997年から 2005 年まで千葉

    大学工学部教授を務めた。

    (6)わが国最初の都市計画コンサルタントといわれる秀島乾(ひでしま・

  • 49

    かん)が 1947 年に著した「日本計画士会設立趣意」(新建築社編集・発

    行『新建築』1947年6月号:34)中の「町造り」との記述を指している。

    なお、「まちづくり」という用語の嚆矢に定説はなく、筆者としては特定

    困難と考えている。例えば、延藤(2001)は 1963年の名古屋市栄東地区

    における地区整備マスタープランにおける記述であるとし、元国立市長

    の上原公子は同市における 1952年の「文教地区」指定運動で誕生させた

    用語であるとしている(上原、2014)。

    (7)田村(2005)。田村の業績は横浜市の企画調整局長や技監在任中に手

    がけた横浜市六大事業(みなとみらい 21造成等)の推進やアーバンデザ

    インの実践が知られている。後に法政大学法学部教授を務めた。

    (8)内閣府「『新しい公共』推進会議の開催について・第1回『新しい

    公共』推進会議(2010 年 10 月 27 日開催)資料」(2017 年 12 月閲覧)。

    (http://www5.cao.go.jp/npc/shiryou/22n1kai/pdf/2.pdf)

    (9)内閣府、「NPO施策ポータルサイト」(2017年 12月閲覧)。

    (https://www.npo-homepage.go.jp/policy-portal/)

    (10)安藤元雄(1978:47-51)。安藤は区画整理・再開発対策全国連絡会

    議代表世話人を務めた他、新湘南港建設反対運動など様々な住民運動に

    関わってきた。本職ではフランス詩を専攻、明治大学政治経済学部教授

    を務めた。

    (11)郊外住宅団地の概念、事例とする蓬莱団地の郊外住宅団地としての

    位置づけについては、今西(2011)、を参照。

    (12)郊外住宅団地の「オールドタウン」化については、角野(2000)、野

    澤(2016)、などを参照。

    (13)「考える会」の第1期における活動の詳細については、今西(2008)、

    を参照。

    https://www.npo-homepage.go.jp/policy-portal/

  • 50

    <文献>

    安藤元雄、1978、『居住点の思想 住民・運動・自治』晶文社:47-51。

    延藤安弘、2001、『「まち育て」を育む 対話と協働のデザイン』東京大学

    出版会:10-15。

    後藤純、2016、「住民・NPOと行政の連携-協働のまちづくり事業制度」

    小泉秀樹編『コミュニティデザイン学 その仕組みづくりから考え

    る』東京大学出版会:117-155。

    今西一男、2008、『住民による「まちづくり」の作法』公人の友社。

    今西一男、2011、「地方都市郊外住宅団地再生に資する住民活動に関する基

    礎的研究-福島市蓬莱団地を中心事例として-」日本都市計画学会

    『都市計画報告集』10:109-116。

    (http://www.cpij.or.jp/com/ac/reports/10-3_109.pdf)

    角野幸博、2000、『郊外の20世紀 テーマを追い求めた住宅地』学芸出版

    社。

    増田寛也編、2014、『地方消滅』中央公論新社。

    野澤千絵、2016、『老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路』講談社。

    早田宰、2005、「地域協働へのアプローチ」佐藤滋ほか編『地域協働の科学

    まちの連携をマネジメントする』成文堂:14-26。

    田村明、1999、『まちづくりの実践』岩波書店。

    田村明、2005、『まちづくりと景観』岩波書店。

    上原公子、2014、「市民自治の証としての『景観』」区画整理・再開発対策

    全国連絡会議編『第 47回区画整理・都市再開発対策全国研究集会資

    料集』:4-12。

    渡辺俊一、2011、「『まちづくり定義』の論理構造」日本都市計画学会編『都

    市計画論文集』46(3):673-678。

    吉村輝彦ほか、2008、「主体形成としてのまちづくり論」似田貝香門ほか編

    『まちづくりの百科事典』丸善:58-61。