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乳がんのリスク要因については、罹患率が高い欧米を中心に多くの疫学研究が行われてきました。その結果、いくつかの乳がんのリスク要因が明らかになっています。中でも重要な因子は、女性ホルモンの一種であるエストロゲンです。複数の研究において、血液中のエストロゲンレベルが高い人は乳がんのリスクが高いということが確認されています。エストロゲンは、主に卵巣から分泌されるホルモンで卵胞ホルモンともいい、プロゲステロン(黄体ホルモン)とともに女性の体の発達、生殖機能の維持などの役割を果たす重要なホルモンです。では、なぜこのホルモンが乳がんの発生にかかわっているのでしょうか。そもそもがんは、なんらかの原因により細胞が異常に増殖していくことで発生に至ります。エストロゲンには細胞の増殖作用があるため、がんの発生に関与していると考えられています。
深く関与する女性ホルモンエストロゲンは初経を迎えるころから分泌量が増え始め、卵巣機能が低下する閉経後では減少していきます。そのため、エストロゲンに曝露する期間が長い、つまり初経年齢の早い人や閉経年齢が遅い人はリスクが高いとされています。また、更年期障害の治療などでエストロゲンとプロゲステロンを投与するホルモン補充療法を受けた人、同じく両ホルモンが含まれている経口避妊薬を服用している人もリスクが高いことが確認されています。他にもリスクが高いとされているのは、出産歴がない、初産年齢が遅い、授乳歴がない人です。逆をいえば、第一子を産むのが早く、多くの子供を産んで長く授乳している女性は、乳がんのリスクが低いというわけです。女性ホルモンの濃度は妊娠、出産に伴って変化すること、乳腺の細胞は妊娠、出産、授乳を経て変化することが知られており、それらの変化が乳がんのリスク低下に関与しているのではないかと考えられています。女性ホルモンに関するリスク以外では、一親等(両親・子供)の乳がん家族歴があります。これは、近年話題になっている遺伝性の乳がんを示しているだけではありません。遺伝性乳がんは乳がん全体の5~ 10%程度と考えられていますが、家族ではライフスタイルや体質が似ていることが、がんのリスクにかかわって
がんから身をまもるシリーズ
岩崎 基(いわさき・もとき)医学博士。1998年群馬大学医学部卒業、2002年同大学大学院医学研究科博士課程社会医学系公衆衛生学専攻修了、同年国立がんセンター研究所支所臨床疫学研究部リサーチレジデント、04年国立がん研究センターがん予防・検診研究センター予防研究部研究員、06年同センター予防研究部ゲノム予防研究室室長、10年独立行政法人国立がん研究センターがん予防・検診研究センター予防研究部ゲノム予防研究室室長、13年より現職。研究分野:がん疫学・予防。
これだけは知っておきたいリスク要因と予防要因国立がん研究センターがん予防・検診研究センター疫学研究部部長
岩崎 基乳がんのリスク要因は女性ホルモンや肥満、遺伝子などいくつか知られている。そのうち、女性ホルモンや遺伝子などは自分でコントロールすることが難しいが、たとえば肥満にならないような生活を送ることはできる。ライフスタイルによって乳がんのリスクを低減させることは十分可能なのだ。
構成◉藤原ゆみ composition by Yumi Fujiwara
Special Features 2
最終回 乳がん
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日本人に適した予防法一方、予防要因では「確実」「ほぼ確実」として、身体活動、閉経前の肥満が示されました。身体活動は、リスクとなる肥満の防止にかかわるためにリスクを低下させると説明できますが、閉経前の肥満はなかなか説明が難しいところです。一説に、閉経前の肥満者の多くに肥満に伴う無排卵性月経などの月経異常があり、相対的なホルモン曝露の低下があるためだといわれています。しかし、これらは欧米人中心のデータをもとにした結果であって、日本人にそのままあてはまるのかというと疑問が残ります。欧米人と日本人では体格や生活習慣が異なるからです。そこでがんの要因を探るための研究を行うとともに、私たちの研究も含め、日本人を対象とした疫学研究の結果を系統的に集めて改めて評価することによって、日本人のためのがん予防法を提案しています。なお、評価は関連性の強さから「確実」「ほぼ確実」「可能性あり」「データ不十分」と 4つに分けています。現時点で発表されている、日本人における生活習慣要因の乳がんの関連性の評価は、確実なリスク要因として「閉経後の肥満」、可能性ありとして「閉経前の肥満」「喫煙」、データ不十分として「受動喫煙」「飲酒」などを提示しています。肥満については、日本人のコホート研究(特定の集
いるといえます。その他、良性乳腺疾患、マンモグラフィ検査の高密度所見(乳腺の密度が高い)、電離放射線の曝露は、乳がんの確実なリスク要因とされています。これまで説明してきたリスクは、自分でコントロールすることが難しいものばかりです。しかし、私たちがコントロール可能な生活習慣に関するリスク要因もあります。このリスク要因をまとめたレポートに、世界がん研究基金・米国がん研究協会が 2007年に提示した「食物・栄養・身体活動とがん予防」があります。これは、それまでの疫学研究結果などの科学的根拠をもとに、がんのリスク要因、もしくは予防要因とがんとの関連性を「確実」「ほぼ確実」「限定的 -示唆的」「限定的 -判定不能」のレベルに分けて示しています。このレポートで、リスク要因として「確実」「ほぼ確実」とされたのは、飲酒、高身長、閉経後の肥満でした。中でも閉経後の肥満は、前述したエストロゲンにも関係している重要な要因です。というのも、閉経して卵巣機能が失われた後は、脂肪細胞がエストロゲンの主な供給源となるため、肥満者ではエストロゲンレベルが高くなるのです。また、乳がんに限らずがんの発生には、脂肪細胞から分泌されるアディポカインによる慢性炎症状態やインスリン抵抗性がかかわっていると考えられています。アルコール飲料はその代謝過程で発生するアセトアルデヒドや活性酸素がDNA損傷を引き起こすと考えられています。加えて乳がんでは、エストロゲンの曝露が高まる可能性が示唆されています。高身長については、身長が高ければ高いほどリスクが増加するという研究結果もあり、小児期・思春期の栄養やホルモンの状態が乳がんのリスクと関係しているのではないかと推察できます。なお、多くの臓器においてがんのリスク要因である喫煙については、レポートが提示された当初、乳がんのリスク要因とはされていませんでした。しかし、その後の研究で長期間あるいは1日あたりの喫煙本数と喫煙年数で評価した累積曝露量が多い喫煙者でリスク増加が示されたことなどから、更新時に「限定的 -示唆的」へ格上げされ、リスク要因としての確実性が高まってきています。
■乳がんのリスク要因
内因性・外因性ホルモンエストロゲンレベルの高値経口避妊薬の使用ホルモン補充療法の受療
生理・生殖要因
初経年齢が早い閉経年齢が遅い出産歴がない授乳歴がない初産年齢が遅い
体格 肥満(閉経後)身長が高い
食物・栄養・身体活動 飲酒身体活動度が低い
その他一親等の乳がんの家族歴良性乳腺疾患マンモグラフィの高密度所見電離放射線曝露
女性ホルモン、特にエストロゲンは乳がんの重要なリスク因子だとされている。
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団を対象に長期間にわたり健康状態などを調査する研究)を集めて解析を行った結果が根拠の一つになっています。この解析結果では、閉経前、閉経後ともにBMI(体格の指標、30以上で肥満とされる)が上がるごとにリスクが増加していました。閉経後の肥満は、先の国際的なレポートと同じく日本人でも確実なリスク要因だといえます。しかし、閉経前の肥満に関しては、逆の結果となりました。とはいえ、このデータは18万人の日本人女性から発生した約1800人の乳がんのケースから成り、その対象数の多さから、国際的な評価とは逆であってもリスクが上がる「可能性あり」と評価しました。こうした違いが生じた理由については、欧米では過度の肥満者が多いために予防的な効果がみえたものの、日本では少ないという分布の差によるものかもしれません。喫煙は、私たちのコホート研究において閉経前後の女性を対象に「非喫煙」「非喫煙だが受動喫煙あり」「喫煙・過去に喫煙」という群に分けて調べたところ、閉経前の女性で非喫煙群に比べて受動喫煙群では2.6倍、喫煙群では3.9倍のリスクとなり、閉経後では有意差はみられませんでした。この結果をみる限り、閉経前の女性の喫煙はかなりのリスクですが、対象者数が少ないため、積極的に評価することは難しいと考えます。ただ前述したように、喫煙は世界的にも乳がんのリスク要因であるという可能性が示唆されていること、さらに日本人を対象にした他の疫学研究でもリスク増加を示した研究が複数あることから、日本でも可能性ありと判断しています。受動喫煙については、世界的に
も一定の評価が得られていないため、データ不十分としています。飲酒は世界的には確実なリスクとなっているものの、日本のコホート研究は対象者に飲酒習慣のある女性が少なく、また研究数も少なく、一致した結果が得られていないことからデータ不十分としています。
大豆やイソフラボンは予防効果の可能性あり予防要因では、確実、ほぼ確実なものはありませんが、可能性ありとして「運動」「授乳」「大豆、イソフラボン」を挙げています。運動は世界的なエビデンスでもリスクが下がるとされていますが、私たちのコホート研究では、身体活動量(日常的な活動、余暇時の運動を含む)が多い人は全がんのリスクは下がるものの、乳がんに絞ると関連がみられませんでした。ただし、私たちの症例対照研究(がん患者と健康な人で過去の習慣を比較する)では、余暇時の運動頻度が高い人は閉経前後ともリスクが低い傾向がみられました。特に、ホルモン受容体が陽性の乳がん(ホルモンの関係が強いとされている)では、リスク低下の傾向がより強く表れていました。つまり、運動によって体重を適切に管理し、肥満を避けることによりリスクが低下すると推測できます。他に注目したい予防要因は、「大豆、イソフラボン」です。大豆および大豆食品は日本、アジアで多く食べられていますが、欧米ではほとんど食べられていないことから、罹患率がアジアで低く、欧米で高い乳がんに関係しているのではないかという仮説があります。また、大豆や大豆食品は、植物性エストロゲンといわれ、エストロゲンに似た構造をもつイソフラボンを多く含有しています。イソフラボンは、エストロゲン受容体に結合し、エストロゲンの作用を抑制することが動物実験で証明されています。この抗エストロゲン作用が乳がんのリスクを低下させるのではないかと考え
欧米人、日本人においても、閉経後の肥満は重要なリスク要因。
■日本人における生活習慣要因と乳がんの関連の評価
リスク要因 予防要因
肥満(閉経後) なし確実
リスク要因・予防要因とも現時点ではなしほぼ確実
喫煙、肥満(閉経前) 運動、授乳、大豆、イソフラボン可能性あり
受動喫煙、飲酒、野菜、果物、肉、魚、穀類、牛乳・乳製品、緑茶、葉酸、ビタミン、カロテノイド、脂質
データ不十分
「科学的根拠に基づく発がん性・がん予防効果の評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究」 http://epi.ncc.go.jp/cgi-bin/cms/public/index.cgi/nccepi/can_prev/outcome/indexをもとに作成
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られているのです。実際にアジア人を対象とした疫学研究をまとめた解析では、イソフラボンが予防的に働く可能性が示唆されています。私たちのコホート研究でも、味噌汁を1日1杯以下飲む群に比べて、3杯以上飲む群ではリスクが0.6倍低下するという結果が出ています。また、イソフラボンの摂取量をみると、摂取量が一番多い群では一番少ない群に比べて半分以上リスクが下がっていました。血液中のゲニステイン(イソフラボンの主要な物質)を測定した研究でも、高い濃度の群で低い群に比べリスクが下がるという結果が出ました。さらに、集団としての摂取量に差のある対象者間で比較するために、日本人、日系ブラジル人、ブラジル人を対象にした研究も行っています。こうした比較によって、量とリスクの関係をみることができるからです。食品に関しては摂取し過ぎることで、予防的な要因が逆にリスク要因に転じることもあり、こうした研究は非常に大切なのです。この研究では、摂取量の多い日本人と、ほとんど摂取しないブラジル人、その中間くらいの日系人を比べた結果、イソフラボンをある程度摂取することによりリスクは下がるものの、食べれば食べるほどリスクを下げるわけではないことがわかりました。およそ1日20~ 30㎎(豆腐の場合、50~ 75g程度だが、異説あり)の摂取量が適量だと推測しています。なお、この結果は食事からイソフラボンを摂取した場合で、サプリメントの摂取は検討していません。食品に関しては、大豆、イソフラボン以外の予防要因はみつかっていません。またリスク要因とされる食品についても、例えば脂肪食などの仮説はあるものの、一定の結果が得られていないのが現状です。乳がんは30代、40代という若い年代から発生することを考えると、成人期ではなくて、小児期・思春期の食事が関連しているのではないかと推察できます。
注目される糖尿病との関連最近では、糖尿病とがんとの関連性が注目され、糖尿病の既往でリスクが増加するがんについていくつか報告されています。リスク増加のメカニズムとしては、高血糖による酸化ストレス、インスリン抵抗性による
高インスリン血症の作用が考えられています。高インスリン血症では、インスリンおよびインスリン様増殖因子が、細胞の増殖を促すため、がんのリスクが上がるとされています。糖尿病がリスク要因だとされているがんには、すい臓がん、肝臓がん、子宮体がん、大腸がんがあります。中でもすい臓がん、子宮体がん、大腸がんは、肥満が関連するがんです。糖尿病の重要なリスク要因は肥満であり、前述したように脂肪細胞から産生されるアディポカインはインスリン抵抗性を引き起こすといわれています。同じく肥満が関係する乳がんでも糖尿病との関連性がありそうに思えます。しかしながら、国際的な疫学研究を統合した結果では糖尿病患者の乳がんのリスクが約 1.2倍増加するものの、日本人のコホート研究を集めて解析した結果では関連性は示されませんでした。ただし、日本人の研究では糖尿病の患者数が少なく、まだ安定したデータとはいえません。今後、新たな研究データが蓄積されていけば、結果が変わる可能性はあります。現在、乳がんの発生に関連する遺伝素因を明らかにするために全ゲノム関連解析という手法を用いた研究が盛んに進められています。この研究により、乳がん患者とそうでない人においては、遺伝子のタイプにわずかな違いがあることが判明し、違いがある箇所も70個ほど見つかっています。ただし、これらがどんなふうにがんの発生にかかわっているのか、どう予防に結びつくのかはこれからの課題です。乳がんを予防するためには、まだ科学的根拠がはっきりしないことを実践するより、今わかっていることを確実に実践することが大切です。乳がんのリスク要因と予防要因をもとに、実践可能な予防法を表にまとめましたので、ぜひ取り組んでみてください。
Special Features 2
(図版提供:岩崎 基)
■乳がん予防法①タバコは吸わない。他人のタバコの煙を避ける。②アルコール摂取を控える。③適正な体型(BMI21~25)を維持する。④身体活動量を増やす。⑤大豆・イソフラボン摂取。
がん予防の実践は、科学的なエビデンスの評価に基づいた予防法を取り入れることが大切。
※①~④は、がん予防全般に共通。
がんから身をまもる 最終回 乳がんシリーズ