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265 和田忠彦先生 年譜主要著作 197119 京都大学文学部に入学入学当初は江戸時代の戯作研究を志していた197220 学部進学に臨んでイタリア文学を専攻に選ぶ197523 京都大学文学部卒業卒業論文ではたそがれ派を論じるこの頃19 世紀末から 20 紀初頭のデカダンス詩人に親しみ関心はやがて 20 世紀イタリアにおける詩の展開特に ルメティズモの詩と批評に傾いてゆく197624 11 作家イタロカルヴィーノが来日イタリア語ガイドとして晩秋の京都奈良の 古都巡りに同行197725 京都大学大学院文学研究科修士課程修了イタリア政府給費留学生としてボローニャ大学 文哲学部に留学1978 年まで)。ビュトール時間割清水徹訳を片手にボローニャの 街を散策する日々留学中ジョヴァンニジュディチロベルトロヴェルシアンド レアザンゾットなどさまざまな詩人作家と出会う197826 留学先のボローニャで池田浩士ファシズムと文学1978を読み衝撃を受けるミラノに敬愛する詩人エウジェニオモンターレを訪ねてゆく197927 イタリア文学者米川良夫と出会う198028 ボローニャ駅爆破テロ事件8/2の直後同地にてジョヴァンニペテルノッリと初めて 会いイタリア語教師として京都大学にむかえる準備をする198129 京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学ヴィットリーニ人間と人間にあ らざるものとを松籟社から翻訳刊行脇功 武谷なおみ 多田俊一 伊田久美子との共訳)。 198230 京都大学文学部助手になる198331 名古屋芸術大学一般教育部専任講師になる198432 ウルビーノのホテルで作家 記号学者ウンベルト エーコの訪問を受けるこれ以後夏の休暇にはしばしばエーコの自宅に招待されるようになるエーコ開かれた作品を青土社から翻訳刊行篠原資明との共訳)。 198533 ヴェネツィア映画祭期間中詩人アンドレアザンゾットに映画監督フェデリコフェリー ニを紹介される9 19 イタロカルヴィーノ死去カルヴィーノ遠ざかる家 建築 投機を松籟社から翻訳刊行。『ユリイカ9 月号 特集=イタロ カルヴィーノにカルヴィー サイバネティクスと幻影ならびにパゾリーニ カルヴィーノ 見えない都市』」 を訳載198735 ベンヤミンの会が発足する野村修好村冨士彦池田浩士小岸昭三原弟平など多 彩な顔ぶれとともに1992 年まで近畿中国の各地で計 10 回の研究会に参加する198836 カルヴィーノパロマーを松籟社から翻訳刊行198937 名古屋芸術大学一般教育部助教授になる199139 夏の終わりローマに詩人アメーリアロッセッリを訪ねてゆくその日の朝ボローニャ からローマに向かう電車の中で作家ステファノベンニと最初の出会いを果たすカル ヴィーノ魔法の庭を晶文社から翻訳刊行おなじくカルヴィーノむずかしい愛福武書店から翻訳刊行

和田忠彦先生 年譜 主要著作 - 立命館大学hidedoi/265_269_history.pdf267 和田忠彦先生 年譜・主要著作 2001(49 歳) 『ユリイカ』7 月号(特集=イタリア)に四方田犬彦、岡田温司との討論「イタリアの根底

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Page 1: 和田忠彦先生 年譜 主要著作 - 立命館大学hidedoi/265_269_history.pdf267 和田忠彦先生 年譜・主要著作 2001(49 歳) 『ユリイカ』7 月号(特集=イタリア)に四方田犬彦、岡田温司との討論「イタリアの根底

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和田忠彦先生 年譜・主要著作

和田忠彦先生 年譜・主要著作

1971(19歳) 京都大学文学部に入学。入学当初は江戸時代の戯作研究を志していた。

1972(20歳) 学部進学に臨んで、イタリア文学を専攻に選ぶ。

1975(23歳) 京都大学文学部卒業。卒業論文では〈たそがれ派〉を論じる。この頃、19世紀末から 20世紀初頭のデカダンス詩人に親しみ、関心はやがて 20世紀イタリアにおける詩の展開、特に〈エルメティズモ〉の詩と批評に傾いてゆく。

1976(24歳) 11月、作家イタロ・カルヴィーノが来日。イタリア語ガイドとして、晩秋の京都、奈良の古都巡りに同行。

1977(25歳) 京都大学大学院文学研究科修士課程修了。イタリア政府給費留学生としてボローニャ大学文哲学部に留学(1978年まで)。ビュトール『時間割』(清水徹訳)を片手に、ボローニャの街を散策する日々。留学中、ジョヴァンニ・ジュディチ、ロベルト・ロヴェルシ、アンドレア・ザンゾットなど、さまざまな詩人、作家と出会う。

1978(26歳) 留学先のボローニャで、池田浩士『ファシズムと文学』(1978)を読み衝撃を受ける。秋、ミラノに敬愛する詩人エウジェニオ・モンターレを訪ねてゆく。

1979(27歳) イタリア文学者、米川良夫と出会う。

1980(28歳) ボローニャ駅爆破テロ事件(8/2)の直後、同地にてジョヴァンニ・ペテルノッリと初めて会い、イタリア語教師として京都大学にむかえる準備をする。

1981(29歳) 京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。ヴィットリーニ『人間と人間にあらざるものと』を松籟社から翻訳刊行(脇功・武谷なおみ・多田俊一・伊田久美子との共訳)。

1982(30歳) 京都大学文学部助手になる。

1983(31歳) 名古屋芸術大学一般教育部専任講師になる。

1984(32歳) 夏、ウルビーノのホテルで、作家・記号学者ウンベルト・エーコの訪問を受ける。これ以後、夏の休暇には、しばしばエーコの自宅に招待されるようになる。エーコ『開かれた作品』を青土社から翻訳刊行(篠原資明との共訳)。

1985(33歳) ヴェネツィア映画祭期間中、詩人アンドレア・ザンゾットに映画監督フェデリコ・フェリーニを紹介される。9月 19日、イタロ・カルヴィーノ死去。カルヴィーノ『遠ざかる家 建築投機』を松籟社から翻訳刊行。『ユリイカ』9月号(特集=イタロ・カルヴィーノ)にカルヴィーノ「サイバネティクスと幻影」ならびにパゾリーニ「カルヴィーノ『見えない都市』」を訳載。

1987(35歳) 「ベンヤミンの会」が発足する。野村修、好村冨士彦、池田浩士、小岸昭、三原弟平など多彩な顔ぶれとともに、1992年まで近畿・中国の各地で計 10回の研究会に参加する。

1988(36歳) カルヴィーノ『パロマー』を松籟社から翻訳刊行。

1989(37歳) 名古屋芸術大学一般教育部助教授になる。

1991(39歳) 夏の終わり、ローマに詩人アメーリア・ロッセッリを訪ねてゆく。その日の朝、ボローニャからローマに向かう電車の中で、作家ステファノ・ベンニと最初の出会いを果たす。カルヴィーノ『魔法の庭』を晶文社から翻訳刊行。おなじくカルヴィーノ『むずかしい愛』を福武書店から翻訳刊行。

Page 2: 和田忠彦先生 年譜 主要著作 - 立命館大学hidedoi/265_269_history.pdf267 和田忠彦先生 年譜・主要著作 2001(49 歳) 『ユリイカ』7 月号(特集=イタリア)に四方田犬彦、岡田温司との討論「イタリアの根底

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1992(40歳) 4~ 6月、NHKラジオ・イタリア語講座応用編の講師を務める。同講座のテキストのために、ベンニ『ヘンテコ島』(1984)の約半分を訳出する。エーコ『ウンベルト・エーコの文体練習』を新潮社から翻訳刊行。

1993(41歳) ロッセッリ『闘いの変奏曲』を書肆山田から翻訳刊行。

1994(42歳) 10月、フランクフルト・ブックフェアでウンベルト・エーコにインタビュー。『モダニズム研究』(共著、思潮社)を刊行。同書に「アヴァンギャルドの桎梏―マッシモ・ボンテンペッリと未来主義」を寄稿。タブッキ『夢のなかの夢』を青土社から翻訳刊行。

1995(43歳) 6月、エーコ本人に招待され、スリジー・ラ・サルで開催されたシンポジウム『ウンベルト・エーコ―意味の名の下で』に参加。『現代思想』2月号(特集=メタ・ミステリー)に「不在のミステリー」を発表。

1996(44歳) 神戸市外国語大学外国語学部助教授になる。『世界×現在×文学―作家ファイル』(越川・柴田・沼野・野谷編、国書刊行会)のカルヴィーノ、エーコ、タブッキ、ベンニ、トンデッリの項を執筆。ランドルフィ『カフカの父親』を国書刊行会から翻訳刊行(米川良夫・柱本元彦との共訳)。エーコ『エーコの文学講義 小説の森散策』を岩波書店から翻訳刊行。

1997(45歳) 神戸市外国語大学外国語学部教授になる。11月、来日した作家アントニオ・タブッキと京都で会う。『ファシズムの想像力』(共著、人文書院)を刊行。同書に「ファシズムと笑い―アキッレ・カンパニーレの軌跡」を寄稿、「あとがき」を執筆。『NHKラジオ・イタリア語講座』4月号より「イタリア/時のエピローグ」の連載を開始する(1999年 3月号まで)。『ユリイカ』4月臨時増刊号(総特集= 20世紀を読む)で 20世紀イタリア文学の 10冊を選出。山田風太郎『警視庁草子』(山田風太郎明治小説全集 2、ちくま文庫)に解説「幻燈と影絵」を付す。『新潮』1月号にエーコ「ウンベルト・エーコの挑戦状」を訳出、解説「エーコは霧のむこうに」を付す。『世界文学のフロンティア 3 夢のかけら』(今福・沼野・四方田編、岩波書店 )に、ベンニの短篇集『最後の涙』(1994)から「悪い生徒」と「新しい書店主」を訳出。『世界文学のフロンティア 6 怒りと響き』(今福・沼野・四方田編、岩波書店 )に、マラパルテ「そぞろ歩き」を訳出。『小説 tripper』夏季号にエーコへのロング・インタビュー「ウンベルト・エーコの小説の書き方」。タブッキ『フェルナンド・ペソア最後の三日間』を青土社から翻訳刊行。ロンギ『イタリア絵画史』を筑摩書房から翻訳刊行(丹生谷貴志、柱本元彦との共訳)。

1998(46歳) 『ユリイカ』1月号(特集=アントニオ・タブッキ 現代イタリアの作家たち)で「現代イタリア作家ガイド」を編集。『すばる』2月号にタブッキへのインタビュー「〈物語〉の水平線」。『現代詩手帖』7月号(パゾリーニ 詩・映画・政治)に「パゾリーニという肉体 映画と死のはざまで」を発表。エーコ『永遠のファシズム』を岩波書店から翻訳刊行。

1999(47歳) 東京外国語大学外国語学部教授になる。4月、タブッキ夫妻の熱心な勧めもあり、リスボンで開催されたアントニオ・タブッキをめぐるシンポジウムに参加。おなじく 4月、シンポジウム「パゾリーニをめぐって」に四方田犬彦、浅田彰とともに参加。『パゾリーニ映画祭 その死と映像』(パゾリーニ映画祭実行委員会)に「《詩》、現実を拒絶するもの」を発表。デ・アミーチス『クオーレ』を新潮文庫から翻訳刊行。カルヴィーノ『サン・ジョヴァンニの道 書かれなかった[自伝]』を朝日新聞社から翻訳刊行。

2000(48歳) 第一作品集『ヴェネツィア 水の夢』を筑摩書房から刊行。『とどまる力と越え行く流れ:文化の境界と交通』(東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室)に「語りの地理学のためのエスキース」を発表。月刊誌『國文学』5月号より「境界の侵犯から」の連載を開始する(連載は 2008年 8号まで全 74回におよぶ)。アルラッキ『名誉を汚した男たち』を新潮社から翻訳刊行。カルヴィーノ『水に流して カルヴィーノ文学・社会評論集』を朝日新聞社から翻訳刊行(大辻康子、橋本勝雄との共訳)。『総合文化研究』(東京外国語大学総合文化研究所)第 4号(特集=ヨーロッパの文化と文学)にエーコ「文学の機能」を訳載。Au nom du sens : autour de l'oeuvre d'Umberto Eco : Colloque de Cerisy (edite par Jean Petitot et Paolo Fabbri, Paris, Grasset, 2000) に Eco et la traduction dans le domaine culturel japonaisを寄稿。

Page 3: 和田忠彦先生 年譜 主要著作 - 立命館大学hidedoi/265_269_history.pdf267 和田忠彦先生 年譜・主要著作 2001(49 歳) 『ユリイカ』7 月号(特集=イタリア)に四方田犬彦、岡田温司との討論「イタリアの根底

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和田忠彦先生 年譜・主要著作

2001(49歳) 『ユリイカ』7月号(特集=イタリア)に四方田犬彦、岡田温司との討論「イタリアの根底にあるもの」、鈴木了二、松浦寿夫との討論「パルチザン的連携に向けて」。『カラヴァッジョ鑑』(岡田温司編、人文書院)に「はみだし者の系譜」を寄稿。Antonio Tabucchi. Geografia de um escritor inquieto (Fundação Calouste Gulbenkian, Lisbona, 2001)に Trasmissione della memoria, ovvero il cerchio invisibile da/a Tabucchiを寄稿。

2002(50歳) 4月からサバティカルで 1年間ボローニャ大学へ。『モダニズムの越境』全 3冊(共著、人文書院)を刊行。同書に「ファシズム下で無国籍者であること―サヴィーニオをめぐって」を寄稿、第 2分冊『権力/記憶』の解題「果てしない〈裏切り〉のために」を付す。内田百閒『阿房列車』(内田百閒集成Ⅰ、ちくま文庫)に解説「無邪気それとも天邪気?」を書く。『世界』2月号(特集:9.11後のアメリカ)にエーコ「〈聖戦〉―情念と理念」を訳載。

2003(51歳) エーコ『カントとカモノハシ 上・下』を岩波書店から翻訳刊行(柱本元彦、橋本勝雄、中山悦子、土肥秀行との共訳)。

2004(52歳) 第二作品集『声、意味ではなく―わたしの翻訳論』を平凡社から刊行。『國文学』9月号(特集:翻訳―翻訳とは何を翻訳するのか)に柴田元幸との対談「翻訳と文学」。『月刊百科』9月号に清水徹へのインタビュー「ヴァレリー『ムッシュー・テスト』の新訳をめぐって」。«Cultura Italo-Giapponese: Annali del Centro Studi e Ricerche dell’Università di Tokyo in Firenze», n. 1に、ジョルジョ・アミトラーノ、鷺山郁子との対談 Tradurre l’ambiguità: una conversazione su Kawabata e le traduzioni delle sue opere。

2005(53歳) 翻訳論の業績を通じ、文化交流の促進に貢献したとして、「イタリア連帯の星」勲章コンメンダトーレ賞を受賞。『芸術新潮』5月号(特集=モランディのまなざし)に「アルテ・ポーヴェラ 削ぎ落とす詩学」を発表。『現代詩手帖』6月号(特集:境域の詩人たち―母語・母国語をめぐる旅)に「みみのはに―音をみる詩人たち」を発表。

2006(54歳) 4月 27日、イタリア文学者、米川良夫死去。告別式で弔辞を述べる。『水声通信』9号に「ゆっくりおちてゆく(松浦寿夫展によせて)」を発表。

2007(55歳) 東京外国語大学大学院地域文化研究科長になる。この頃より学内業務で多忙な生活となる。『月刊百科』3月号に「ピノッキオとクオーレ」を発表。

2008(56歳) 第三作品集『ファシズム、そして』を水声社から刊行。『小学館 和伊中辞典』第 2版(西川一郎編、和田忠彦監)が刊行される。『國文学』8月臨時増刊号(特集:〈子ども〉の文学100選)に野崎歓との対談「子どもの奪回」。同誌で「〈子ども〉の文学 75選 テーマ別」を編集。『立命館言語文化研究』20巻 2号(特集:国際シンポジウム イタリア観の一世紀:旅と知と美)に「須賀敦子の浸蝕する記憶:イタリアを書くこと・訳すこと」を発表。

2009(57歳) 東京外国語大学副学長・大学院総合国際学研究院教授になる。『群像』5月号(特集:海外文学最前線)に「イタリア文学のいま―〈半島〉と〈世界〉のあいだで」を発表。ダニロ・キシュ/イタロ・カルヴィーノ『庭、灰/見えない都市』(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅱ -06)に「『見えない都市』解説―〈見えない都市〉のゆくえ」と「イタロ・カルヴィーノ年譜」を寄稿。

2010(58歳) 『日本とイタリア―芸術と対話』(和田忠彦・Matteo Casari編、東京外国語大学出版会)に「ある在日韓国女性詩人のアイデンティティ―〈そのコ〉のいるところ」を寄稿。『モンキービジネス』Spring vol. 9にタブッキ「雲」を訳載。

2011(59歳) 翻訳活動を通じ、海外でのイタリア文化普及に貢献したとして、イタリア政府・文化財・文化活動省より、翻訳賞を受賞。カルヴィーノ『アメリカ講義 新たな千年紀のための六つのメモ』を岩波文庫から翻訳刊行(米川良夫との共訳)。タブッキ『他人まかせの自伝 あとづけの詩学』を岩波書店から翻訳刊行(花本知子との共訳)。

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主要著作

単著

『ヴェネツィア水の夢』(筑摩書房、2000)

『声、意味ではなく―わたしの翻訳論』(平凡社、2004)

『ファシズム、そして』(水声社、2008)

共著

『モダニズム研究』(モダニズム研究会編、思潮社、1994)

『ファシズムの想像力』[共編者:小岸昭、池田浩士、鵜飼哲](人文書院、1997)

『世界古本探しの旅』[共著者:荻野アンナ、瀬戸川猛資、越川芳明、池内治、浅野素女、野谷文昭](朝日新聞社、1998)

『オンライン・マガジンを読み倒す』[共著者:仲俣暁生、水越伸](大日本印刷株式会社 ICC本部、1999)

『モダニズムの越境』全 3冊(モダニズム研究会編、人文書院、2002)

『翻訳家の仕事』(岩波編集部編、岩波新書、2006)

訳書

『人間と人間にあらざるものと』エリオ・ヴィットリーニ[共訳者:脇功・武谷なおみ・多田俊一・伊田久美子](松籟社、1981)。

『開かれた作品』ウンベルト・エーコ[共訳者:篠原資明](青土社、1984、新版 2011ほか)

『遠ざかる家 建築投機』イタロ・カルヴィーノ(松籟社、1985)。

『パロマー』カルヴィーノ(松籟社、1988 / 岩波文庫、2001)

『魔法の庭』カルヴィーノ(晶文社、1991 / ちくま文庫、2007)

『むずかしい愛』カルヴィーノ(福武書店、1991 / 岩波文庫、1995)

『ウンベルト・エーコの文体練習』エーコ(新潮社、1992 / 新潮文庫、2000)

『闘いの変奏曲』アメーリア・ロッセッリ(書肆山田、1993)

『夢のなかの夢』アントニオ・タブッキ(青土社、1994)

『カフカの父親』トンマーゾ・ランドルフィ[共訳者:米川良夫・柱本元彦](国書刊行会、1996)

『エーコの文学講義 小説の森散策』エーコ(岩波書店、1996)

『フェルナンド・ペソア最後の三日間』タブッキ(青土社、1997)

『イタリア絵画史』ロベルト・ロンギ[共訳者:丹生谷貴志・柱本元彦](筑摩書房、1997 / 復刊 2009)

『永遠のファシズム』エーコ(岩波書店、1997)

『クオーレ』エドモンド・デ・アミーチス(新潮文庫、1999 / 平凡社ライブラリー、2007)

『サン・ジョヴァンニの道 書かれなかった[自伝]』カルヴィーノ(朝日新聞社、1999)

『名誉を汚した男たち』ピーノ・アルラッキ(新潮社、2000)

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和田忠彦先生 年譜・主要著作

『水に流して カルヴィーノ文学・社会評論集』カルヴィーノ[共訳者:大辻康子・橋本勝雄](朝日新聞社、2000)

『カントとカモノハシ 上・下』エーコ[共訳者:柱本元彦・橋本勝雄・中山悦子・土肥秀行](岩波書店、2003)

『アメリカ講義 新たな千年紀のための六つのメモ』カルヴィーノ[共訳者:米川良夫](朝日新聞社、1999 / 岩波文庫、2011)

『他人まかせの自伝 あとづけの詩学』タブッキ[共訳者:花本知子](岩波書店、2011)

(住 岳夫・編)