21
―― 論文受付日 20169 23大学院研究論集委員会承認日 201610311 本稿においてものづくり企業とは,知財権が付与される有体物(Sache)たる Goods の製造・輸送等に直接 的に関係するアクターを指す。従って,通常の製造業より広い業種を含むこととなる。「モノづくり」は中 小企業を指すことが多く,本稿では採用しない。 2 サーベイ・リサーチ法(高根【1979pp.96)は,社会学の方法論の一つである。本稿では,単にサーベイ と呼称する。 3 本稿において「マイニング」とは,有価証券報告書から本研究の調査事項記載の有無をサーベイすることに より,埋もれていた問題点を浮き彫りにする,という意味で使用した。 ―― 商学研究論集 462017. 2 日本のものづくり企業の知的財産リスクを中心とする リスクマネジメントの実態 有価証券報告書からリスクマネジメント上の“ひずみ(dents, Beulen)”をマイニングするThe Current Status of Risk Management mainly on the Intellectual Property of Japanese Manufacture Corporates What are exposed out of annual ˆnancial reports, and next what should be done?博士前期課程 商学専攻 2016年度入学 OKURA Naoki 【論文要旨】 有価証券報告書に知的財産(以下,知財と略す)リスクマネジメント内容の十分な開示がされて いない,というのが研究の問題の所在である。日本のものづくり企業 1 の有価証券報告書記載内容 を分析する。具体的には,従来研究ツールとしてほとんど未採用の金融庁 EDINET を使用しファ クト(facts, Sachlagen )をサーベイ 2 する。これにより,リスクマネジメント上の“ひずみ dents, Beulen)”をマイニング 3 することが出来るというのが本研究の仮説である。 東京証券取引所(以下,東証と略す)一部上場ものづくり企業(1159社)の有価証券報告書を サーベイの対象とした。 先行研究に比肩するものなき企業数の有価証券報告書からファクトをサーベイし,マネジメント

日本のものづくり企業の知的財産リスクを中心とする リスクマネジメント … · 同時に企業情報開示をめぐる動きも加速しており,情報開示及び知財リスクマネジメントの両課

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――

論文受付日 2016年 9 月23日 大学院研究論集委員会承認日 2016年10月31日

1 本稿においてものづくり企業とは,知財権が付与される有体物(Sache)たる Goods の製造・輸送等に直接

的に関係するアクターを指す。従って,通常の製造業より広い業種を含むこととなる。「モノづくり」は中

小企業を指すことが多く,本稿では採用しない。

2 サーベイ・リサーチ法(高根【1979】pp.96)は,社会学の方法論の一つである。本稿では,単にサーベイ

と呼称する。

3 本稿において「マイニング」とは,有価証券報告書から本研究の調査事項記載の有無をサーベイすることに

より,埋もれていた問題点を浮き彫りにする,という意味で使用した。

――

商学研究論集

第46号 2017. 2

日本のものづくり企業の知的財産リスクを中心とする

リスクマネジメントの実態

―有価証券報告書からリスクマネジメント上の“ひずみ(dents,

Beulen)”をマイニングする―

The Current Status of Risk Management mainly on the Intellectual

Property of Japanese Manufacture Corporates

―What are exposed out of annual ˆnancial reports, and next what

should be done?―

博士前期課程 商学専攻 2016年度入学

大 蔵 直 樹

OKURA Naoki

【論文要旨】

有価証券報告書に知的財産(以下,知財と略す)リスクマネジメント内容の十分な開示がされて

いない,というのが研究の問題の所在である。日本のものづくり企業1 の有価証券報告書記載内容

を分析する。具体的には,従来研究ツールとしてほとんど未採用の金融庁 EDINET を使用しファ

クト( facts, Sachlagen)をサーベイ2 する。これにより,リスクマネジメント上の“ひずみ

(dents, Beulen)”をマイニング3 することが出来るというのが本研究の仮説である。

東京証券取引所(以下,東証と略す)一部上場ものづくり企業(1159社)の有価証券報告書を

サーベイの対象とした。

先行研究に比肩するものなき企業数の有価証券報告書からファクトをサーベイし,マネジメント

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4 中林(【2001】p2127)は「人々が法令等に従うかどうかの判断は,合法性と道徳的正当性に関して個人が

抱く信念に影響される。そのため倫理に対する確固たる信念がない限り,『コードの存在は知っている。あ

とは守るかどうかだ』といったコンプライアンスの逆効果すら起こりうる。」と書いた。

5 伊藤は「自己満足」と表現しているが,中林真理子教授(明治大学)は,開示実態について「記載したこと

で安心して,後は『思考停止』状態」と表現した。(2016年 7 月14日演習にて)

――

上及びリスクマネジメント上並びにその開示に係わる“ひずみ”をマイニングした。さらにマトリ

クス分析により『隠れたほころび(latent rips, verdeckte Risse)』とも言える存在も浮き彫りとし,

これにより,次稿において十分な開示がされていないその真因の考察を行うインプリケーションに

も結び付けた。

【キーワード】 知的財産,リスクマネジメント,有価証券報告書,EDINET,情報開示

【目次】

はじめに(問題の所在及び仮説並びに目線)

先行研究のレビュー及び定義付け

調査方法の説明

考察(第一及び第二の仮説に関して)

結び(次稿への問題提起及び結論に代えて)

はじめに(問題の所在及び仮説並びに目線)

. 問題の所在及び仮説

2002年の知財立国宣言以降,国及び企業の双方にとって知財の重要性が増している。企業にと

っては戦略上の優位性を構築し,国際競争力の維持・強化を図るなどの企業目標達成のため,知財

の取扱い,すなわち知財リスクマネジメントが極めて重要な役割を持つ時代となった。

同時に企業情報開示をめぐる動きも加速しており,情報開示及び知財リスクマネジメントの両課

題とも企業にとって喫緊のイシュー(課題事項)の一角を占めるようになっている。

そのような企業をとりまく環境面のダイナミックな変化が生じているにも拘わらず,有価証券報

告書の情報,とりわけ知財リスクをはじめとする事業等のリスクの定性・定量的な開示が進んでい

ない,というのが本研究の問題の所在である。この点は,中林(森宮・中林【2001】pp.24)が

「コンプライアンスの逆効果4」と呼んだ「あとは守るかどうかだ」という現状認識にも,2014年夏

公表の伊藤レポートの作成中心者である伊藤(【2014】pp.2)の「『自己満足5』に陥っていないか」

という実態認識にも,共通するものがある。

そこで,第一に,先行研究に比肩するものなき規模数のものづくり企業の有価証券報告書の開示

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――

6 中林(森宮・中林【2001】pp.25)は「これまで通りの考えをとおす」ものを(ウチの論理)と呼んだ。

7 塩野七生は「この二人(筆者注アレクサンダーとカエサルのこと)が他の侵略者と同一視されずに歴史上

の英雄になったのは,戦争に勝って以後に,主観的な大義を客観的な大義に変えるということをしたからで

ある」「敗者さえも納得する大義に変えた」と書いた。(塩野【2010】pp.6364)

8 N・グレゴリー・マンキューの経済厚生の考え方を採用した。

――

情報からファクト(facts, Sachlagen)をサーベイし,環境面の変化にも係わらずダイナミックな

開示状況の変化が生じていないとの仮説を考察する。第二の仮説として,知財を試料としてマイニ

ングすることにより見えてくるというアプローチにより,知財リスクマネジメントに関する問題点

(本稿では“ひずみ(dents, Beulen)”と呼称する)の存在を浮き彫りにする。第三の仮説として,

それらの問題点を生じさせている真因を探るための手がかり(本稿では『隠れたほころび(latent

rips, verdeckte Risse)』と呼称する)をつかむ。そして,リスク等の情報開示の重要性が企業組織

の隅々にまで行き渡っていない6 所にその真因がある,との第四の仮説を次稿に向けての問題提起

とする。第一から第三の仮説の考察結果及び手がかりを次稿考察に向けてのインプリケーションと

する。

. 仮説考察の目線

研究の目線「客観的大義」即ち「社会」に置く

企業活動の拡大に伴い知財リスクもパラレルに拡大する。

本研究にてサーベイを行う中で,多くのものづくり企業が,有価証券報告書の事業のリスクの項

に「特許侵害」にて提訴される可能性を記載していることを確認した。ただし,実際に提訴されれ

ば,例えば,1987年 4 月にハネウエルに米国にて訴えられたミノルタ(当時)の裁判事件のよう

に,9635万ドル(約120億円125円換算)という巨額の損害賠償額の支払い(長谷川【1999】

pp.5052)をさせられるというリスクを企業は抱えている。ハネウエル対ミノルタの事件は,企

業の知財リスクの代表例の一つに過ぎない。企業として知財リスクを認識し有価証券報告書に記載

するならば,そのリスクを回避・防止するリスクマネジメント内容についても具体的に開示すべき

であろう。情報を持っているのは企業の側である。

本研究は,東証一部上場ものづくり企業の有価証券報告書記載の情報について,企業活動におい

て今や極めて重要な位置づけとなっている知財リスクマネジメント上の問題点を中心に研究するも

のである。その際の仮説考察の目線を,福澤諭吉が著書である『西洋事情』(福澤【1868】pp.210)

の中で,「発明の免許(パテント)」について「恰も世上一般の人と発明家と約定を結ぶが如し」と

が書いた,その「世上一般」すなわち「社会」に置く。本稿における仮説の考察に際しては,東証

一部上場ものづくり企業の目線という「主観的大義7」ではなく,企業のリスクマネジメントの結

果が企業の業績にはもちろん,社会全体の満足度の増大8 につながっているかどうかという目線,

すなわち「客観的大義」に立って考察する。客観的大義は,出光佐三が著書(【1961】pp.63)の

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――

9 出光佐三【1956】は「第一次欧州戦争(筆者注19141918)がはじまった。私の目から見ると,油が足り

なくなることは必至である。しかし使う方は分かっていない。そこで私は使う人に油がなくなるからいまの

うちに手当をしておきましょうと言って商売気を忘れて油の用意をした。そのため私のお客様だけは油が不

足して仕事を休むようなことはなかった。他の事業会社では油が切れて事業を休んだところがたくさんで

た。そこでどういう結果がおきたかというと,私はただお客様のために油を用意しただけで金はもうけな

い。戦争が済んだら油は出光にまかせておけということになった。私はお金をもうけなかったが得意先をも

うけた。ここに商売人の使命ということを知ることができた。」と日本経済新聞(『私の履歴書』)に書いた。

インフレ対応実物資産シフトという考え方を1914年頃に顧客(=社会)に提案し実践したという事例であり,

今で言うリスクヘッジ戦略としても先験的である。

10 法令等に定められた目的につき「目的,究極の目的」(吉田【2004】pp.132)と規定するものと,「具体的直

接的目的,実質的目的」(熊谷【1975】pp.1)とするものがあるが,本稿は熊谷の考え方を採用した。

11 本稿では「プロパテント」(知財の保護を強化する姿勢)に着目するのではなく,宣言の実質的目的に着目

した。

12 1788年発効のアメリカ合衆国憲法では,``To promote of Science and useful Arts'' と知財権に係る実質的目的

を規定している。

13 企業の背中を後押しは,中林真理子教授(明治大学)の言葉(「理論的根拠を提供することにより経営者の

背中を後押し」)を引用した(2016年 6 月23日演習)

――

なかで「人間のための社会であり,人間が作った社会である」と書いているが,その「社会」とい

う立場(目線)とも重なりあうものである9。

研究の信条法令等の実質的目的10 を規範に判断する

2002年の知財立国宣言11を踏まえ知財基本法が可決成立し「国民経済の健全な発展及び豊かな文

化の創造」という実質的目的が立法という形で明示された。2006年施行の金商法第一条は「国民

経済の健全な発展及び投資者の保護に資する」と規定し,古く12 からの知財関連法律である特許法

第一条は「産業の発達に寄与する」と,著作権法第一条は「文化の発展に寄与する」と,それぞれ

実質的目的を規定している。2015年発表のコーポレートガバナンス(CG)コードの冒頭では「経

済全体の発展にも寄与する」とその実質的目的について説明し,その CG コードにつながった「伊

藤レポート」の真意について伊藤(【2016】pp.33)は「企業に ROE の向上を求めるのは,企業や

投資家の利益のためだけではありません。強調したいのは最終的な狙いは国民の幸福のためだとい

うことです」と語っている。

知財権を専有するものづくり企業もこのような実質的目的に則って企業経営を行うべきである事

は言を俟たないが,本研究自体も,ものづくり企業の知財リスクマネジメント及びその情報開示に

係るものであるからこそ,「社会」目線で考察し,法令等の実質的目的を規範にして判断すること

を信条とする。社会満足度の増大を経営理念として奮闘しているものづくり企業とこの信条を共有

し,ものづくり企業の背中を後押し13 して行きたいと考える。

先行研究のレビュー及び定義付け

. 先行研究のレビュー

知財を中心とするリスクマネジメントについて有価証券報告書開示情報を実証分析するという領

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――

14 知財リスクマネジメントの実態を有価証券報告書より調査研究した例は筆者調査した限り皆無である。リス

クマネジメントの実態郵送調査の例は,先行研究レビューの項の(1)が,知財リスクマネジメントの実態郵

送調査の例は(2)が該当する。企業開示情報からの調査研究の例としては(3)および(4)が該当する。以上を

踏まえ,筆者として「十分とは言えない」と評価した。

15 日本企業とスウェーデン企業を対象に質問票調査を実施し,特許出願と権利行使の戦略パターンの研究を行

った。(Granstrand【1999】)

16 質問票調査により知的財産部門の組織形態,ライセンシング,知財侵害対応に関する日英比較研究を行っ

た。(Pitkethy【2001】)

――

域に関する研究の蓄積は十分とは言えない14 実態にある。先行研究としては,◯ IR 部門の実態

(含意識面),◯企業情報開示とマーケットからの評価あるいは企業業績との相関関係,◯開示書

類からのデータ収集,の 3 点を中心に展開されている。下記にレビューし要約する。

伊藤邦雄研究室にて展開されている研究(伊藤 et al.【】【】pp.27【】

pp.101)

伊藤研究室は,企業情報開示とりわけ非財務情報の開示のフィールドにおいてはまさにメインス

トリームと評価すべき研究を継続しており,上記◯~◯の 3 点を網羅した研究を大規模に展開し

ている。とりわけ本稿との関係で参考にした点で言えば,【2008】に実施した上場企業3931社に対

する郵送意識調査において,返送回答数は362サンプルと10弱であるが,リスク情報開示とリス

クマネジメントの意識面に与えた影響解析ならびにリスク情報開示がリスクマネジメント組織に与

えた影響の解析において極めてワースワイルな結果を導き出した。また【2009】においては,非

財務情報の開示が企業に与える経済効果について,有価証券報告書以外の媒体についてその開示効

果にフォーカスし,実態分析を行った。まとめとしての【2012】においては,企業価値に貢献す

る開示モデルの研究を行っている。伊藤(【2009】pp.27)は「単に開示ボリュームを増大させる

だけでは不十分であり,企業経営の質そのものを向上させる必要がある」と結論付けを行い,その

結論をベースにして【2012】の研究も行った。しかしながら,伊藤研究室は企業目線によるもの,

即ち企業情報開示と企業価値向上との戦略的展開を継続的に研究しており,【2009】にて「経営の

質の向上が必要」と結論づけてはいるが,「企業情報開示に関して経営の質が向上しないその真因」

についての研究は発表していない。

企業に質問票を郵送し返送されてきた回答から知財部門の実態調査分析を行ったもの

伊藤研究室も【2008】にて行った調査方法ではあるが,その先行研究として永田【2003】,

Granstrand【1999】15,Pitkethly【2001】16,宮本【2003】,経産省【2006】,大倉【2008】がある。

特に永田【2003】の研究には,質問票を作成するに際して日本の重要企業 7 社の知財部門のマネ

ジャーに直接インタビューを行って作成していること,作成した質問票には知財リスクマネジメン

トに係る内容も多いこと等,研究手法ならびに研究成果につき参考にすべき点も多いと判断してい

る。しかし,質問票郵送した上場企業(1769社)からの回答数が低い(11.8)ことから,本稿

においては質問票郵送方式による手法は採用しなかった。また経産省【2006】は,企業のリスク

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――

17『日本経済新聞』,2016年 8 月 2 日には,「白金 供給リスク再び」,「薄れる株希薄化リスク」という記事が

登場している。

18 森宮康の著書(【1985】pp.34)によれば不確実性からのアプローチの代表論者は,Allan H. Willet(【1901】

pp.28)とのことである。また,Knight は(【1933】pp.197232)にて,付保可能なものを Risk(測定可能

な不確実性)とし,付保不可能なものを Uncertainty(測定不可能な不確実性)として区別した。

19 各企業の有価証券報告書上にリスクの定義付けを行っている例はほとんどない。今回の調査の中で「『事業

計画達成を阻害する要因』及び『社会の期待値と企業実態とのギャップ』の総称」と定義付けを行っている

企業があった。通常,多くの企業は「事業目的を困難にする要因や障害で,当該企業の財務面や企業の存在

そのものに影響を与えるもの」(青井【2009】pp.111112)という趣旨で記載している,とされる。ただし,

後段の「企業の存在そのものに影響を与える」という点は,危機として記載している企業も多く見受けられ

た。

――

マネジメントにフォーカスした内容で,とりわけ上場企業3597社にアンケート送付し1009社から

の回答を踏まえ分析を行っており,その調査結果は本稿でも活用した。

開示書類からのデータ収集

有価証券報告書の記載内容を逐年検証を行っているものとしてトーマツ【2007】,朝日監査法人

【2001】,東証【2012】及び別冊商事法務【2013】等がある。いすれも記載内容に基づき事項別に

分類・整理を行っており,データの利用価値として極めて有益であり,本稿においても比較参照す

べきデータとして活用した。

リスク情報と企業業績との関係を分析し検証を行っているもの

伊藤研究室も展開している研究であるが,その先行研究として,金【2008】,小林【2007】,土

田【2007】,柴【2006】,道端【2010】等がある。とりわけ道端【2010】においてはリスク情報開

示に関する先行研究を(ア)リスク情報開示に関する研究の全体的動向,(イ)日本の開示制度に関す

る研究,(ウ)諸外国の開示制度に関する研究,(エ)開示制度の国際比較研究,(オ)リスク情報開示

の投資家にとっての有用性の検証に関する研究,に分類して整理しており,2009年までの関連先

行研究については,ほぼ網羅している。

. 定義付け

有価証券報告書の中で企業が使用している用語には,分野により,立場により,あるいは研究者

により様々な角度から捉えられ,異なる複数以上の定義をもつものも多い。本稿では,客観的大義

の立場から下記の通り定義付けを行い,有価証券報告書内に登場する用語について下記定義にて記

載されているものとして取り扱いを行った。

リスクについて

今や新聞紙面にもリスク17 という用語が頻繁に登場する。一般的には「不確実性(uncertainty18)」

という意味で使用されることが多いとされるが,有価証券報告書の事業等のリスクとして登場する

リスクには,内閣府令において定義が設けられておらず,各社の判断19 によることとなる。

JIS ガイド73(ISO31000 : 2009)によれば「目的に対する不確かさの影響」と定義されるが,

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――

20 1906年 英国海上保険法の第 2 条に Risk の用語が使用されている。その Risk について Charmers(【1913】

pp.1)は「Risk という用語は異なった意味で使用され,常に文脈に照らして解釈される必要がある」と書い

た。(原書を筆者試訳)

21 Bernstein は著書(【2001】pp.27)にて「『リスク(Risk)』という言葉は,イタリア語の risicare という言

葉に由来する。この言葉は『勇気を持って試みる』という意味をもっている。この観点からすると,リスク

は運命というよりは選択を意味している」と書いた。また Beck は著書(【2010】pp.27)にて,「リスクの

概念は,近代の概念です。それは,決定というものを前提とし,文明社会における決定の予見できない結果

を,予見可能,制御可能なものに試みることなのです」と書いた。この両者の定義と比較すると,中林の定

義は,「発現可能性のある事態を想定し,予見可能・制御可能なものとして期待値評価(◯)を行い,そし

て生じた結果の経済価値を評価(◯)し,◯◯をリスクとする。」と定義付けを行っていると言える。この

定義付けを企業経営へ活用することにより,より有効な戦略的応用も可能になると考える。なお,◯にはナ

シーム・ニコラス・タレブの提唱(タレブ【2009】)した“ブラック・スワン”(理論上予期せぬ事象による

結果)も含むことから,その意味でも応用範囲が広い定義と言える。また,いつ来るかは分からないが,い

つかは来る災害という意味での「怪物シン・ゴジラ」もリスクに含める。

22 ただし,リスクの定義付け自体には,リスクをコントロールする,リスクマネジメントという観念は含まれ

ていないことに留意すべきである。

23 本稿では,リスク,ペリル,ハザードについての定義付けは行わない。

24 葛城照三は,risk と peril を同義で使用した。(葛城【1959】pp.55)

25 中林(森宮・中林【2001】pp.25)は,社会の目を(ソトの論理)とし,(ウチの論理)を対概念とした。

(脚注 6 参照)

――

本研究においては,森宮・中林(【2001】pp.23)の「予想される事態(期待状態)とその結果

(非期待状態)との変動(差)」をリスク20,21 の定義とする。定義内容からマイナス,プラス両面の

結果になることがある22,23,24。

リスクマネジメントの目的について

中林(森宮・中林【2001】pp.29)はリスクマネジメントの目的について「様々な活動を通して

安全製品・商品の市場化・サーヴィスの提供・組織内外の環境保護・労働福祉・従業員の行動・経

営倫理に関わるリスクコストを軽減させることにおかれる」と定義付けを行った。本稿では中林

(森宮・中林【2001】pp.29)の定義付けにフォローする。JIS ガイド73(ISO 31000 : 2009)では

リスクマネジメントについて「組織を指揮統制するための調整された活動」との定義付けを行って

いる。中林(森宮・中林【2001】pp.29)はその定義付けに際して,企業のルーティンワークには

外部の環境変化が反映することから,リスクマネジメントを展開するに際して社会の目25 を重視す

る必要があり,組織の「目標」とその達成を阻害するリスクをマネジメントする姿勢が必要と書い

た。

本稿が中林(森宮・中林【2001】pp.29)の定義付けにフォローする理由は次の通りである。す

なわち,JIS の定義付けは主観的大義の観点によるものであり,中林(森宮・中林【2001】pp.29)

の定義付けが本稿の目線である客観的大義に調和する,と判断していている。

危機について

有価証券報告書上,危機あるいは危機管理という表現を使用している企業も多いが,本稿におい

ては次の通り定義付けされているものとして取り扱った。◯危機(crisis, Krise)とは社会システ

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――

26 「不測(unforeseen)」には,予見性というインテンションが含まれるが,ここでいう「不測」には,発生す

ることは予見していたが,その時期までは予見できていなかった,という内容として規定している。従っ

て,“ブラック・スワン”現象は,リスクに含まれることとなる。

27 circumstance には,英米法において「契約前に事前通知しておくもの」という契約概念を含むことから,本

稿は,事前に想定していた出来事(event, Ereignis),という内容で採用した。

28 内閣法第15条では危機管理を「国民の生命,身体又は財産に重大な被害が生じ,または生じるおそれがある

緊急の事態への対処及び当該自体の発生の防止をいう」と規定している。

29 Kwon, W.J. は,著書(【2007】pp.5)の中で「危機を構成する事態を分析確認し,危機に組織的に対応し,

そして危機を最終的に克服する過程」と規定した。(原書を筆者試訳)

30 復旧に該当する英語として recovery も検討したが,英米法において「求償,訴訟により相手方から回収す

る金銭」という契約概念があることから,restoration を採用した。

31 Lawrence(【2008】pp.89)は「市場型ステークホルダーとは社会に財やサービスを提供する第一義的な目

的を実践する上で会社との経済的取引に従事するものを指す」「非市場型ステークホルダーとは会社との直

接的な経済取引に従事していないものの,その行動が会社に影響を与えたり,会社から影響を被るものを指

す」(いずれも中林の訳を引用)と定義付けを行った。

――

ム全体及びもしくは当該経営体及びもしくはステークホルダーの存続が危うくなるような不測26か

つ突発的(unforeseen and sudden)な事態(circumstance27)が発生すること,と定義した。◯危

機管理28 対応(crisis management29, Krisemanagement)とは,危機(crisis, Krise)の発生または

その発生直前予兆の把握という局面を踏まえ,発生もしくは把握の時点から危機の影響が波及する

ことを防止する,そして次のステップとして,事態発生以前の原状への復旧(restoration30,

Wiederherstellung)を行うこと,と定義した。

ステークホルダーについて

本稿においてステークホルダーについて,Lawrence(【2008】pp.89)の定義付けを採用し,

「市場型ステークホルダー」及び「非市場型ステークホルダー31」の両方を含むものとする。

ソフト・ローについて

法律にて定められているものをハードロー,それに対し「裁判所その他の国の権力によってエン

フォースメントされないような規範であって,私人(自然人および法人)が国の行動に影響を及ぼ

しているもの」(中山【2008】pp.i)をソフトローと定義し,コーポレートガバナンスの分野にお

いても,CG コード等はソフトローであるとして,その役割を評価かつ今後の役割発揮を期待する

動きがある。

しかしながら,ソフトローには,「遵守する」との概念(中山【2008】pp.14)を伴っているこ

とから,本研究においては,ソフトロー,ハードローという識別は採用しない。

調査方法の説明

. 調査の対象

東証一部上場ものづくり企業(東証一部上場企業及び特許庁(【2015】)が調査対象としている

業種を参考にした)(全1159社32)を対象とする。先行研究において実施されているのはサンプル

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――

32 本研究の調査対象の1159社という規模観は,2005年 5 月10日日本経済新聞(朝刊)のデータを基にすれば,

商法(当時)上の大会社約10000社,証券取引法(当時)上の適用企業約4700社,上場企業約3800社,

ということから,上場企業ベースで約30となる。

33 非財務情報とは,貸借対照表等の財務情報以外の情報となる。なお,「特許」「商標」につき資産認識を行っ

ているかという点のみ財務情報も検索対象とした。

34 研究者であれば eol(企業情報配信データサービス)を使用することも可能であるが,本稿の目線たるステー

クホルダーと同じ立場に身を置いて研究を行った。

35 ここで調査の対象とした「教育」「研修」は,あくまでもリスク管理に係るものとし,コンプライアンスの

ための「教育」「研修」,社会的不正勢力対策用の「教育」「研修」は含めない。

――

調査であるが,本稿においては東証一部のサーベイ対象該当業種に属する企業すべてを対象とし

た。さらに対象企業の有価証券報告書は2015年 3 月31日までを決算日としているものとした。そ

の理由は,その後に発表された CG コードの記載内容の影響を直接的に受けない有価証券報告書と

したのである。さらに有価証券報告書記載内容のうち,とりわけ非財務情報33 にフォーカスした。

半期報告書または臨時報告書及び法令上のものではないが証券取引所が上場会社に要請している

適時開示制度による開示,商法及び商法特例法に基づきなされる各種の開示,「コーポレート・ガ

バナンス報告書」は,本研究の対象外とした。すなわち,EDINET34 上にて開示されている2015

年 3 月31日までを決算日とする有価証券報告書のみを対象とした。

. 調査項目及び手法

下記項目情報につき,記載した手法等にて各企業の有価証券報告書上にてサーベイする。

事業のリスクの項(含対処すべき課題,重要な契約,開発)

◯ 事業のリスクとして記載の項目数を確認した。◯知財をリスクとして認識しているか否か,

EDINET にて「知的財産」にて検索した。◯被提訴されることをリスク認識しているか否か,集

計した。◯逆に侵害された場合に相手を提訴するというリスクを認識しているか否か,集計した。

◯知財ではなく,特許,商標として事業のリスク等の項目に記載しているか否か,集計した。

コーポレート・ガバナンスの状況等の項

◯「委員会」にて検索し,リスク管理担当の委員会等が常設されているか否か,集計した。◯リ

スク管理担当の委員会等が会社組織図に記載されているか否か,集計した。◯リスク管理担当の委

員会が常設されている場合に,その委員会の議長もしくは委員長が記載されているか否か,集計し

た。◯「危機」にて検索し,危機発生の際にその都度,専門委員会を設置する記載か否か,集計し

た。◯危機対策専門委員会が常設されているか否か,集計した。◯リスクについて損失面だけでな

く,プラスという認識も持っているかにつき,「利益」にて検索した。◯「マネジメント」にて検

索し,リスクマネジメントについての記載があるか否か,集計した。◯「エンタープライズ」及び

「ERM」にて検索し,エンタープライズ・リスク・マネジメントについての記載があるか否か,集

計した。◯「教育35」及び「研修」にて検索し,全社員対象のリスク管理教育もしくは研修が実施

されているか否か,集計した。◯「マップ」にて検索し,リスク・マップについての記載があるか

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36 本稿 pp.167 参照。以下,同様。

――

否か,集計した。◯リスクに係る定量的な記載があるか否か,事業のリスクの項の記載内容を確認

し,集計した。

経理の状況の項

◯「特許」及び「商標」にて検索し,資産認識を行っているか否か,集計した。

経営理念,事業領域,ステークホルダー

◯「理念」にて検索し,経営理念もしくは企業理念として記載されているか否か(対象範囲は全

項目),集計した。◯「事業領域」にて検索した。(対象範囲は全項目)「ステークホルダー」に

て検索した。(対象範囲は全項目)

. 情報サーベイの限定範囲

上記 2. において情報をサーベイする際,対象企業数の多さもあり,各企業の有価証券報告書記

載情報の詳細にまでは本稿は立ち入らない。例えば,A 社の有価証券報告書上に経営理念の記載

がされている場合に,本稿では当該経営理念が理念として相応しいものかどうか,という所まで掘

り下げた検討は行っていない。

考察(第一及び第二の仮説に関して)

リスク情報開示及びリスクマネジメント等の実態把握(1.(1),(2),(3),(4),(5),(6),

(8))は,第一の仮説に係わる考察であるが,第一の仮説については一部の修正を必要とする。ス

テークホルダーに関する記載に関して,とりまく環境の変化の影響を受け増加傾向を確認した。そ

の点を除き,ダイナミックな開示状況の進展が見られないという実態を下記の通り確認した。

リスクマネジメント上(1.(7))及び知財リスクマネジメント上(2.(1),(2))の問題点をマ

イニングすることは,第二の仮説に係わるものである。リスクマネジメント上(1.(7))に関し

ては,ほとんどの企業(調査対象の96)にリスク対応組織の再構築及びリスク対応教育がなさ

れるべきであるとする問題点を,そして知財リスクマネジメント上の考察(2.(1),(2))に関し

ては,企業組織内のリスクコミュニケーション不足や知財リスクのリーガル・マネジメント上の問

題点を,下記の通りマイニングした。

なお,本考察には前提条件を伴う。企業の側が有価証券報告書に正確な実態を開示しているなら

ば,という条件である。

. 確認された実態及びリスクマネジメント上の“ひずみ”並びにその考察

事業等のリスクとしての記載項目数にみる業種別比較(調査項目◯ 36について)実態把握

トーマツ(【2007】pp.55)調査結果との比較及び今回の業種別結果の比較を行った。トーマツ

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図表 事業のリスク 平均項目数比較

トーマツ(【2007】pp. 55)調査結果

今 回 の 調 査 結 果

会社数平均

項目数会社数

平均項目数

会社数

平均項目数

会社数

平均項目数

会社数

平均項目数

会社数

平均項目数

会社数

平均項目数

300 8.8 水産等 鉱業等 医薬品 輸送機器 鉄鋼 繊維

6 8.5 7 8.1 40 9.2 64 9.0 31 7.0 50 7.8

石油 電機 建設 非鉄 食品 精密

54 8.5 159 9.8 100 7.9 63 7.9 76 7.8 83 8.5

電力ガス 機械 化学 卸売り 物流 計

19 8.8 127 8.0 137 8.4 94 7.9 49 9.1 1159 8.4

37“アンラベリング(unravelling)”とは,競争的市場下において情報の非対称性が存在する場合に情報開示が

進展されることを言う。原書(Baird【1995】pp.317)より筆者試訳引用。

38 herding behavior のことで「皆で渡れば怖くない」という“横並び”現象のことである。

39 リスクマネジメントの定義について,1992年に米国トレッドウェイ委員会組織委員会が「内部統制―統合的

フレームワーク」を発表した。さらに同委員会では,2004年に「全社的リスクマネジメント・フレームワー

ク」(COSO Enterprise Risk Management)を発表している。(茂木【2007】,より筆者引用)

40 米マイクロソフト社がリスクマップを採用しマネジメントしていることで有名であるが,縦軸に損害額(損

害強度)横軸に損害の発生頻度をとり,全てのリスクをマッピングすることにより鳥瞰図的な一覧表として

示すものである。筆者はリスクマップによるマネジメントを評価する立場は取っていない。何故なら,“ブ

――

(【2007】)の調査対象は300社,今回は1159社と規模観が大きく異なるが,トーマツ(【2007】)の

事業のリスク項目数の一社あたり項目数(平均)は8.8であり,調査以来,数年経過しているが開

示ボリューム(項目数)という点では大きな変化は認められず,情報開示が進展しているとは言え

ない。次に,今回の業種別調査結果の標準偏差0.8であり,全業種が,平均値±2×標準偏差で求め

た6.8~10.0が95.45の範囲内に分布することになる。競争的市場であるにもかかわらず,今回の

業種別調査結果はほとんどの業種がその分布の中にある。事業のリスクの開示項目数に限定して言

えば,アンラベリング37 が発生しておらず,金融マーケットにおけるハーディング38に似た現象,

すなわち横並び意識が業種の枠を超えて存在する蓋然性が高い事を確認した。

リスクマネジメント(調査項目◯)の実施運用と記載しているもの実態把握

ビジネス用語としての定着感からすれば,もっと多くの企業での記載を想定したが,意外にも

384社(33)という結果であった。なお,本稿ではその内容にまで立ち入っていない。

ERM39(調査項目◯)の実施運用と記載しているもの実態把握

わずか12社(1)のみ。ERM の採用が提唱されて久しいが,グローバル・ベースで見て,マ

ネジメントの周回遅れと指摘せざるを得ない実態である。

リスクマップ40(調査項目◯)について記載されたもの実態把握

わずか12社(1)のみ。しかも,その特徴等のコメントは何も記載がない。少しでも多くの情

報開示をという社会的要請に応えていない対応と言わざるを得ない。

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ラック・スワン”的な事象の発生に対応できないからである。しかしながら,有価証券上にリスクマップに

より管理と記載した以上,あるいは,(無記載であるが)実務上はリスクマップを採用しているのであれば,

ステークホルダーに対して十分なる説明責任を果たすべきという立場である。

41 当該の企業は,外国籍で日本に上場している企業である。市場リスク及び環境イシューに関してそのエクス

ポージャーを開示している。その開示内容の評価は行っていないが,日本のものづくり企業も説明責任を果

たそうと思えば,できるフィールドがたくさんあるというお手本である。

42 2013年12月に国際統合報告評議会(IIRC)が発表した「国際統合報告フレームワーク」の中では『ステー

クホルダーの正当なニーズ』という表現が採用されている。

43 「てっけつ」と読み,実態を明らかにし誰にでも確認できるようにする,という意味で使用した。

44 本稿における調査は,有価証券報告書上に記載されるリスク管理担当部署にフォーカスして集計しており,

経産省【2006】調査はコーポレート・ガバナンス担当部署も含む数字であることから,両調査間の単純比較

は出来ない。

45 オルソップ(【2005】pp.297)より筆者引用

――

リスクの定量記載(調査項目◯)について実態把握

この点は,本研究の問題の所在のひとつであった。調査結果からすると,誠に残念なことではあ

るが,リスク定量開示を行っているものづくり企業は 1 社41 のみであった。ほとんどの企業は,

Engagement と言いながら,ステークホルダーの知る権利42,すなわち社会的要請に応えていない

と断言せざるを得ない実態である。筆者の主張に対し,企業の側の「リスク量の開示は conˆden-

tial であり,絶対に開示できない。」との反論が聞こえる。果たして,欧米の企業の実態も同様で

あろうか 別稿での課題としその実態を剔抉43 する。

リスク管理担当部署の設置状況(調査項目◯)実態把握

経産省(【2006】)によると,リスク管理担当部署(含コーポレート・ガバナンス担当部署)

を設置しているとアンケートに回答した企業(1009社)は,2002年43,2003年55,2004年63

であり,逓増傾向が報告されている。本研究における調査結果44 は695社(60)であり,ほと

んど変化がない実態と言っても過言ではない。

リスク委員会もしくは危機委員会が常設されていること,委員会の委員長が明記されている

こと,リスク教育投資がされていること,という要素を全て満たしている企業リスクマ

ネジメント上の“ひずみ”

3 要素を全て満たしているのは47社(4)しかない,という実態であった。

まず前段 2 要素の重要性について記す。「実際にリスクが発現した時にコミュニケーションの空

白時間が生じるのは非常に危険である。特に最初の数日が最も重要である45」とされる。ステーク

ホルダーの立場からすれば,開示情報から,当該企業が適切なリスクマネジメントのプロセスを行

う能力を持つかどうかの判断をしたいと考える。その際,リスク委員会もしくは危機委員会が常設

されているとの記載からリスクに対応する組織の存在を確認できること,及び,委員長が明記され

ていることからリスクに対応するリーダーシップが発揮される蓋然性が高いと推定できることは,

適切なリスクマネジメントが実施されるかどうかを判断する際の非常に重要な要素となる。

次に 3 要素目の重要性について記す。この「47社だけ」という数字は,コンプライアンス教育

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46 「日本サッカーのフィジカルスタンダードを変える」というビジョンを掲げ選手の体幹強化を行っている米

「アンダーアーマー」がスポンサーの“いわき FC”(2016年 2 月始動)が注目され始めている。

――

研修とは別に,リスク管理にフォーカスして社内教育研修を実施しているか,すなわちリスク対応

教育投資が行われているかを調査し,前段 2 要素と併せ分析した結果である。教育研修をまさに

“教育投資”と位置づけ実施することは,スポーツの世界における“体幹強化投資46”にも相当す

るものである。『“リスク教育投資”という観点を持ってマネジメントを行っている』との趣旨を有

価証券報告書に開示説明を行う企業が,現在の限りなくゼロに近い状態から激増することを期待す

る。

これまで創業以来たまたま何事も起こらず,あるいはリスクが発現しても運よく回避できた企業

も多いかも知れない。しかしその“運の良さ”がいつまで続くかの保証はなく,逆にゴーイングコ

ンサーンたる企業を目指すからこそ,リスクマネジメントの徹底が求められる。換言すれば,リス

ク発現の未然防止(prevention)を目的とした組織体制の構築及びリスク発現した際の迅速・適確

対応を目的とした“リスク教育”が必要な時代である。47社(4)という結果は,残り96の企

業からリスクマネジメント上の“ひずみ”の存在がマイニングされたことを示している。96の

企業は,一刻も早く“その場しのぎ”のリスクマネジメントから卒業すべきである。

企業のマネジメントについて経営理念等に裏打ちされたマネジメントの実態把握

◯理念なき経営の実態(調査項目◯)の確認を行った。経営理念について記載がなかった企業数

は452社(39)であった。開示情報から判断すれば,約40の企業が「企業理念なき経営」を遂

行していると言わざるを得ない実態である。「理念なき企業は滅びる」(水谷【2008】pp.106)と

まで言われる。ただし,理念があっても,「多くの企業で経営理念に基づくマネジメント・システ

ムは構築されていない」(佐々木【2011】pp.6)し,京セラの創業時からのメンバーである伊藤謙

介氏の言葉を借りれば「経営理念が希薄になった時,企業組織の命運が尽きる」(佐々木【2011】

pp.3)ということになる。企業活動の拡大に伴い社会的影響力も大きくなる(宮内【2001】

pp.205)。その活動の正当性(Legitimacy)を社会から受け入れてもらうためには「経営理念」を

明示することが必要である(松野【2006】pp.35)。企業行動が社会的な規範に反するようなこと

が起これば,長い間努力し積み重ねて来たものを一気に失う(宮内【2001】pp.205)というよう

な経営リスクに直面することにつながりかねない。問題は,経営理念がないこと(“北斗七星(指

針)なき航海に相当”)だけではなく,経営理念を“自らの瞳のように大切に”し企業組織の隅々

まで絶えず行き渡らせ続けることにより,経営リスクをマネジメントすることが求められる。◯事

業領域(調査項目◯)について記載がなかった企業数は834社(72)であった。まだ十分浸透し

ていないものと考える。◯ステークホルダー(調査項目◯)の確認を行った。ステークホルダーと

記載しているのは,694社(60)であった。2013年の先行研究の結果が,42.1(別冊商事法務

【2013】)であることからすると,この 3~4 年の間に企業としてステークホルダーを意識したマネ

ジメントをする割合が急速に高まっていることを示している。流れは,着実に中林(森宮・中林

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47 脚注 6,25参照

48 今回の調査において各企業の有価証券報告書の中に具体的なステークホルダーとの engagement 方針を記載

している例はほとんどなかった。実務において具体的に展開しているのは,米パタゴニア社(但し,非上場)

位である。理論分野においてグローバルで見て,ステークホルダーの正当なニーズに応える具体的かつ有効

な提言を行っている先行研究を,筆者は知らない。この点を発展させることが,企業の実務分野におけるス

テークホルダーとの係わりを発展させる鍵と考える。

49 「経理の状況の項」にて特許あるいは商標等を資産として記載している企業101社を除く。

50 知財リスクマネジメントは,知財という特定リスクに関する“サイロ型リスクマネジメント”(川【2007】

pp.45)と米国では呼称されているものであるが,ただし,その知財リスクマネジメント設計のためには,

例えばリーガル・マネジメント(知財リーガル・ネットワーク作り等や知財リーガル・エクスパティーズを

持つ人材育成等)についても,企業としての努力の傾注と蓄積が肝要となる。筆者の職業人時代に別の分野

ではあるが,同種の必要性をイヤという程,痛感させられた。

――

【2001】pp.25)の言う(ソトの論理47)を重視する方向に進んでいる,あるいは進まざるを得ない

という表現の方が適切かも知れない48。ただし,ステークホルダーの正当なニーズにどう応えるか

という点に関しては,企業の側も「必要なことは分かる。しかし答えが見つからない」という現状

にある。欧米も含むアカデミック分野でも特筆すべき研究成果がない,という現状であり,その閉

塞感の打破が求められる。

. 知財リスクマネジメント上の“ひずみ”及びその考察

(1) 知財の存在を資産として記載しているにも拘わらず,事業のリスクとして記載していない

企業数は,98社(8)であった。前記 1.とは異なり,知財を試料としてマイニングしたもので

ある。この98社(8)という結果は,全体との割合では少数であるが,知財を資産として認識す

る部署と事業のリスク認識を行う部署間,そしてその総合調整を行う部署間のマネジメントの徹底

不足という,まさに当該企業組織内のリスクコミュニケーション(中林【2001】pp.25)不足の一

端,すなわち知財リスクマネジメント面の“ひずみ”の存在を示すものである。結果として,“ひ

ずみ”の存在は,投資家及びステークホルダーに対して十分な説明責任を果たしていないことにつ

ながる。知財をリスクとして記載しないことに何らかの合理性ありと一歩譲ったとしても,そのた

めの社内基準を設定しているはずであり,社内基準の詳細を可能な限り開示すべきである。

(2) 事業等のリスクの項に知財リスクの存在を記載しているにも拘わらず,自らの知財権を侵

害された場合に相手側を提訴する可能性を記載していない企業

知財リスクの存在を記載している企業600社49(調査対象全社から見た割合約52)のうち,知

財権を侵害された場合に相手側を提訴する企業姿勢を明示記載していない企業515社(86)につ

いて,知財リスクのリーガル・マネジメント上の“ひずみ”と指摘せざるを得ない。

提訴される場合も提訴する場合も,日ごろの綿密な準備とリーガル・マネジメント50 が必須とな

る。例えば,相手側からの訴状の送達51 を受領してはじめて準備を開始するようでは準備不足の感

を否めず,また,自ら相手方の知財権侵害に対応する場合も事前の蓄積が必須となる。何より問題

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51 特許侵害等を巡り,民事訴訟法が定める「証拠保全」の利用が広がっている。申し立てにより裁判官らが相

手方事務所に赴き証拠調べをする手続きで,事務所側はほぼ「寝耳に水」の状態でパニックに陥ることが多

い。(『「証拠保全」で先手』,2016年 9 月 5 日,日本経済新聞,17面)

52“ひずみ”と『隠れたほころび』の違いは次の通りである。“ひずみ”はファクトの積み重ねにより導きださ

れるものを指す。『隠れたほころび』はファクトの積み重ねからだけでは discover 出来ず,様々な角度・視

点から探索を重ねてようやく discover 出来るものを指す。(筆者考案)

53 ILR は implying latent rip(隠れたほころびを暗示)のabbr. である。マトリクスも含め,筆者作成。imply

には does not appear が,latent には hidden ‰aw which is not readily discoverable by a competent person us-

ing reasonable skill という英国契約法上の裏打ちがあり,今回研究対象としたものづくり企業各社において

は,相当程度洗練かつ合理的なマネジメントがされていると推量されるにも係わらず,調査の結果,マトリ

クス分析により,リスクマネジメント上に『隠れたほころび』が浮き彫りになったことから採用した。なお,

latent の英法上の対立概念は patent(明白な)である。

――

と指摘せざるを得ない事は,自ら提訴する企業姿勢を明示記載していない企業は『すきだらけの企

業』としてターゲットにされる可能性があるという事である。知財権を専有する企業は,自ら提訴

する可能性について記載していないことにより,その“脇の甘さ”が“ひずみ”として浮き彫りと

なるだけにとどまらず,専有する知財権がグローバル・ベースで侵害される可能性につながるとい

う事を念頭において知財リスクマネジメントを構築すべきである。

専有する知財権を持つ企業において,侵害された場合に相手方への対応について事前準備を綿密

に行っているにも拘わらず有価証券報告書に明示説明がされていないならば,それは,明示説明の

重要性が企業組織間で共有されていない“ひずみ”を示している事を意味する。

一方,自らが専有する知財権への侵害を行った相手方への対応について綿密な事前準備を行って

いない企業の場合に対しては,福澤(【1868】pp.210)の言を借りれば「世上一般との契約」によ

り知財権を専有している,その契約責任を果たすという観点から,より緻密な知財リスクのリーガ

ル・マネジメントの徹底不足という“ひずみ”の存在を指摘せざるを得ない。

なお,有価証券報告書に顧問弁護士事務所をはじめとするローヤーにリーガル対応を一任してい

るとの記載を行っている企業も一定数存在した。リーガル・マネジメントに関するものづくり企業

の主体性の確立なくして,リスク発現の際の迅速・適確な対応は出来ない。

結び(次稿への問題提起及び結論に代えて)

. 次稿に向けてのインプリケーション『隠れたほころび』を手がかりに真因の探求

ステークホルダー記載を除きダイナミックな変動が見られない実態(第一の仮説),知財をはじ

めとするリスクのリスクマネジメント上に“ひずみ”が存在すること(第二の仮説),を前節にて

考察した。次に,第三の仮説として,変動が見られない実態及び“ひずみ”という問題点を生じさ

せている真因を探るためのインプリケーション(『隠れたほころび52)』を確認すべく考察した。そ

の結果,下記の通りマイニングされた『隠れたほころび』を次稿考察に向けてのインプリケーショ

ンとする。

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――

図表 ILR マトリクス

経営倫理面の『隠れたほころび』

理念もしくは事業領域,ステー

クホルダーのいずれかが記載

理念及び事業領域,ステークホ

ルダーが三つとも記載

リスク管理の組

織運営スキル面

の『隠れたほこ

ろび』

リスク委員会及び

組織図,委員長が

三つとも記載

(B)

「技術は一流,精神二流のアマ

チュア野球チーム」に相当する

企業73社(対 X17,対

Y10,対 Z6)

(A)

「技術も精神も一流のアマチュ

ア野球チーム」に相当する企

業26社(対 X6,対 Y

4,対 Z2)

リスク委員会もし

くは組織図,委員

長のいずれかかが

記載

(D)

「技術も精神も二流のアマチュ

ア野球チーム」に相当する企

業253社(対 X59,対

Y36,対 Z22)

(C)

「技術は二流,精神一流のアマ

チュア野球チーム」に相当する

企業80社(対 X19,対

Y11,対 Z7)

(A)~(D)計(X)432社,知財リスク認識社数(Y)701社,総数(Z)1159社,ILR マトリクス・ラン

ク外の企業数269社

54 有価証券報告書の「第 2 事業の状況 3.事業等のリスク」の項である。

55 有価証券報告書の「第 5 経理の状況」の項である。

56 「技術は一流,精神一流は,1952年に島岡吉郎氏が監督に就任以前の明大野球部の世間の評価」(近藤

(【1988】pp.100101)より筆者引用。

――

さて,サーベイした 6 つのファクトの組み合わせにより,図表 2 の ILR マトリクス53 が出来る。

ILR マトリクスの縦軸は,リスク管理の組織運営スキル面の『隠れたほころび』とし,横軸は,

経営倫理面の『隠れたほころび』とした。

セグメンテーションの対象は,「事業等のリスクの項54」にて知財や特許,商標を記載している

企業,「経理の状況の項55」にて特許あるいは商標を資産として記載している企業(701社)である。

ILR マトリクスは四つのセルの構成とし,各セルには次のような特徴づけを行った。

(A)・・「技術も精神も一流のプレーヤーがぞろぞろのアマチュア野球チーム」に相当する企業

(B)・・「技術は一流,精神二流56 のアマチュア野球チーム」に相当する企業

(C)・・「技術は二流,精神一流のアマチュア野球チーム」に相当する企業

(D)・・「技術も精神も二流のアマチュア野球チーム」に相当する企業

この ILR マトリクスは次のような示唆を与えてくれる。(B)~(D)にセグメントされた企業及び

ILR マトリクスにランクインされなかった企業(計675社,知財リスク認識企業701社に対する割

合96)は,(A)にセグメントされた企業に比し,6 つのファクトのうち単数もしくは複数以上

の問題点(すなわち『隠れたほころび』)を持つ。『隠れたほころび』の存在は,理念なき経営のも

たらすリスク( 1.(8)に記載)及びリスク管理の組織面において抱えるリスク( 1.(7)に記

載)の両方のリスクを併せ持つことになる。B~D にセグメントされた企業およびセグメント外の

企業が該当する。知財リスクもしくは知財資産を認識している96もの企業に『隠れたほころび』

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57 この ILR マトリクスは,『隠れたほころび』の存在が知財リスクマネジメントに実際にどのような影響をも

たらしているのか,存在している真因は何か,という点まで示唆するものではない。

58 リスク発現のトリガーとなるものを言う。

59 2000年 6 月に発生した雪印乳業の食中毒事故については,中林(【2003】pp.4956)他報告書が多数出され

ており,企業のリスクマネジメントに問題があったとの結論が出ている。今となって,2000年 3 月31日の本

件事故のペリルとなった大樹工場の氷柱落下事故の詳細な原因・状況等を伺い知ることは出来ないが,筆者

は職業人時代に多くの企業の多くの工場における同種同様のペリルを数多く経験しており,日ごろの工場施

設メンテナンス・ワークが整備・履行されていれば,大樹工場での氷柱落下事故自体は防止することができ

た,と考えている。

60 情報を開示する企業側と情報提供を受けるステークホルダー側とはパターナリスティックな関係,すなわ

ち,法令等により規制を受けるのは企業側であるが,開示の結果,間接的に利益を受けるのはステークホル

ダー側という関係にある。

――

が存在することを第三の仮説の考察の結果として確認する。伊藤(【2009】pp.27)は「『事業のリ

スク』が投資家にとって『有用でない』と考える企業の多くは,リスク管理部署を設置していない

ことが多い」という分析結果を導き出している。この先行研究の内容は,上記第三の仮説の考察に

より掘り出された『隠れたほころび』を持つ企業の問題点と重なり合うものがある。

これ程まで多く(96)の企業に『隠れたほころび』が存在することが確認された第三の仮説

の考察の結果は,さらに,その真因の探求及び『隠れたほころび』が知財リスクマネジメントにど

のように反映57 しているか,すなわち真因並びにさらなる実態の探求を次稿における第四の仮説と

することの合理性にも結び付くのである。

なお,(A)にセグメントされた企業とは言え,リスク量の定量開示を行っている会社は一社もな

く,非の打ちどころのない情報開示が行われているわけではない。その意味で(A)~(D)総体とし

て「アマチュアレベル」としてセグメントした。

さて,企業に重大なレピュテーションの低下を与えるペリル58 は,小さな『隠れたほころび』を

放置することから生じることが多いということを忘れてはいけない。雪印の食中毒の事故も,その

始まりは大樹工場の屋根に下がっていた氷柱の落下事故であった。屋根から長く大きく下がってい

た氷柱の発見することをメンテナンス・ワークとしてルーティン化されていれば,防げていた事故

である蓋然性が極めて高い59。『隠れたほころび』は探して探し回らなければ発見できない。逆に,

探して探し回って発見できれば損害の未然防止を可能にする。小さな『隠れたほころび』の存在の

探査の不実施が継続することは,憂慮すべき状態の継続をも意味する。

. 結論に代えてものづくり企業への要望(“ひずみ”の修復及び『隠れたほころび』の修繕並

びに提言

研究の素材とした有価証券報告書は情報「開示」制度の大きな柱である。ここで「開示」とした

のには理由がある。開示とは言え,情報は非対称性(一方が他方より多くの情報を持つ)であり,

情報の流れは企業の側からステークホルダー等の側への“一方通行”60 状態である。第二の仮説の

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――

61 北島忠治氏(元明治大学ラグビー部監督)の言葉として知られる。

62 仏語デジャビュ(deja vu既視感)の逆語。「見慣れたものを初めて見るように見直す」という意味であり,

イノベーション論で著名なトム・ケリーが著書に書いて広まった。

63 有森裕子,「世界との差,冷静に見よ」,2016年 8 月15日,日本経済新聞

――

考察において,本稿は,「社会」の目線,言うなれば“一方通行”状態下に置かれたステークホル

ダーの目線にて有価証券報告書の情報をサーベイし“ひずみ”をマイニングした。“ひずみ”の存

在は,説明責任を十分に果たしていないことにつながり,かつ知財リスクマネジメントの徹底不足

に結びつく可能性がある。この問題点の存在は,多くの情報を持つものづくり企業の側であれば,

容易に発見できるであろう。いや,既に多くの企業が気づいているかも知れない。ただし,その修

復のために,会社組織・機構等のリコンストラクションやエクスパティーズを持つ人材の育成等が

必要という難問が見えているからこそ,企業の側にためらいが生ずるのであろう。ここはひとつ

“愚直に前に進み61”,巧遅拙速の故事の如く,一刻も早く“ひずみ”の修復に着手すべきであろう。

一方,第三の仮説の考察にて,知財リスクもしくは知財資産を認識している96もの企業が

『隠れたほころび』を持つ結果をマイニングした。『隠れたほころび』の抱える問題点は,該当する

企業は「理念なき経営のもたらすリスク」及び「リスク管理の組織面において抱えるリスク」の両

方を持つということである。『隠れたほころび』の存在は,ものづくり企業の側であってもその発

見自体が容易ではないであろう。また発見できたとしても縫い合わせの必要性の社内合意を得るこ

とは容易ではないであろう。しかし知財をはじめとするリスクのリスクマネジメントを各企業の業

績に結びつけ,『ステークホルダーの知る権利』に応え,そして社会全体の満足度の増大につなげ

るためには,『隠れたほころび』の発見というプロセスは避けて通れない道である。ものづくり企

業として,自ら情報をマイニングそして「ブジャデ62」し,『隠れたほころび』の発見というプロ

セスに着手すべきであろう。“ひずみ”または『隠れたほころび』の修復または縫い合わせの必要

性については,我々が生活家電品を購入した場合で考えると対比し易いであろう。家電品を購入

し,使用説明書に不具合あるいは説明不十分な点があれば,購入者はコールセンター等に電話をし

て説明を求めるであろう。それでも説明に理解できない場合にはクレームに発展する可能性もあ

る。今や家電製造企業の側は販売数量に直結する可能性のある問題として分かりやすく漏れのない

説明書作成をとりわけ重視している。仮に,有価証券報告書上の“ひずみ”または『隠れたほころ

び』の存在を放置してよいと,ものづくり企業の側がジャッジしているとすれば,そこには何か原

因がある。そこに次稿においてその存在の真因を読み解く,ひとつの鍵がある。

リオデジャネイロ・オリンピックの女子マラソンの惨敗後,かつてのメダリストの有森裕子氏が

必要なこととして「日本の 3 選手はコース取りを含めた徹底的なプランニングを済ませていただ

ろうか」と述べ,さらに世界との差を埋めるために必要なこととして「ささいなことにこだわる必

要がある。ほんの小さなことの積み重ねで差を埋める」と述べた63。世界で戦うマラソンランナー

と同様,ものづくり企業にとって“ひずみ”を修復し,『隠れたほころび』を縫い合わせることは,

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グローバルのフィールドで事業展開するための必須のプロセスである。

本稿においてマイニングした“ひずみ”や『隠れたほころび』は,あくまでも有価証券報告書か

らのサーベイという限定範囲による結果である。サーベイの結果は,各ものづくり企業の実態を必

ずしも正確に反映したものではないかも知れない。知財リスクメンジメントに関する記述が有価証

券報告書からサーベイされないからと,本稿が「当該企業は知財リスクマネジメントを遂行してい

ない」と判断することに,企業の側からの「早計」との反論が聞こえる。しかしながら,有価証券

報告書記載内容からすれば,そのような「判断」につながる可能性がある,ということが企業情報

開示の根源的本質なのである。だからこそ,企業として有価証券報告書上に可能なかぎり明確に情

報を開示し,一層の説明責任を果たすべきなのである。企業がもつ情報を開示し説明することが出

来るのは企業の側なのだと,本稿の拠って立つ客観的大義の立場から断言する。

最後に,次の提言を行う。“ひずみ”や『隠れたほころび』について,トップマネジメントの努

力と『熟考』(ウィルソン【1982】pp.136)にて解消するための努力が傾注されることを期待する。

そのための一助として,企業に働く若手従業員に対し,昨今流行の「学んでスキルを取得する機

会」の貸与だけではなく,「自ら新規性ある基礎研究をする場」への参加機会貸与を期待する。「学

ぶ」だけではなく,「新規性を求めて研究」しなければ企業としてのマネジメントのイノベーショ

ンは起きない。明治大学大学院における基礎研究への参加機会貸与は,その最適なものの一つであ

ると筆者の体験を通じて提言する。

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