Upload
others
View
0
Download
0
Embed Size (px)
Citation preview
-�05-
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
《研究ノート》
石い し
本も と
東と う
生せ い
奈良県立大学 地域創造学部 観光学科 専任講師奈良県立大学 地域創造学部 観光学科 専任講師
In� recent� years,� the� main� stream� of� researches� and� investigations� for� Sustainable� Tourism� in� global� scale� have� become�
considerably�detailed�scientific�and�analytic�assessing�by�means�of�implementation�of�diverse�and�appropriate�indicators�system�
toward� the� tourist� destinations�mainly� in�UK,�USA�and�Australia�where� this� kind� of� research� is� so� featured.�This� tendency�
should�be�evaluated�highly�and�essential�as�well�from�the�viewpoint�of�reduction�and�management�of�tourism�impacts�within�the�
destinations.
On� the� other� hand,� simultaneously,� it� appears� to� the� author,� at� least,� that� the� above� tendency� might� be� occurring� a� slight�
negative�consequence�regarding�evaluation�to�the�historic�and�cultural�properties,�also�the�intangible�cultural�heritage�in�every�
region.�Because� it� seems� that� the�priority� for� recent� sustainability� research�might�be�regarded�mostly�as� something�natural,�
social� and� environmental�within� the� tourist� destination� due� to� long-term� substantial� impacts� of� human� activities� toward� the�
nature�world.� In� this�meaning�a� sustainable�development� research�of� “Blue�Plan”�organized�by�UNEP,� specifically� the�article�
“Towards� an� Observatory� and� a� ‘Quality� Label’� for� Sustainable� Tourism� in� the� Mediterranean”� has� to� be� taken� notice�
particularly.�Because�this�survey�points�out�quite�positively�the�importance�concerning�preservation�and�restoration�of�historic�
and�cultural�heritage�of�the�Mediterranean�countries.
This�research�aims�to�elucidate�the�important�viewpoint�on�preservation�and�restoration�of�cultural�heritage�environment�not�
only�for�sustainable�development�in�tourist�destination,�but�also�for�their�“rejuvenation”�moreover�“revitalization”,�referring�to�the�
national�strategic�project�of�restoration�at�the�traditional�settlement�of�Oia,�Santorini�Island,�Aegean�Sea,�in�Greece,�which�was�
implemented�during��975-�992.�By�means�of�this�governmental�project�fortunately�Oia�had�a�great�opportunity�to�revive�herself�
from�the�town�of�DEPOPULATION�and�continuously�the�other�regional�stakeholders�succeeded�to�this�project�in�order�to�be�one�
of�the�most�attractive�island�destination�in�the�world.�Hopefully�this�case�study�could�suggest�a�precious�meaning�concerned�with�
creation�&�promotion�of�appealing�destinations�in�Japan�as�well.
キーワード:�持続可能な観光(サスティナブルツーリズム)、文化遺産環境、伝統的建造物集落の保存・再生、ヘリテージツーリズ
ム、サントリーニ島
Keywords:�Sustainable� Development� of� Tourism,� Cultural� Heritage� Environment,� Restoration� &� Preservation� of� Traditional�
Settlements,�Heritage�Tourism,�the�Island�of�Santorini
持続可能な観光発展における文化遺産環境の保存・再生とその重要性-「エーゲ海・サントリーニ島」における伝統的建造物集落の再生事例から-
1.はじめに
� 周 知 の 通 り Sustainable�Tourism�
Developmentに関する研究は、今や世界
的にも様々な大学、研究機関および国際
機関(UNWTO、UNEP、UNESCO、EU�
etc.)において進められ、数々の論文、著
作が世に出されている。特にUNWTOが
2004年に「持続可能な観光のための指標」
(Sustainable�Tourism�Indicators:STI)
をガイドブックとして作成したことをは
じめ1、欧米豪そして中国においても、数
多くの指標を用いたモニタリングとその
データ解析による観光地の管理システム
が注目されている経緯を、日本の研究者
たちも報告している(二神:20�3、中島、
清水:20�3)。また、熊谷(20�3)が述べ
る通り、�970年代に米国における自然公
園の観光利用のために考案された管理運
営システム LAC(Limits�of�Acceptable�
Change�for�Wilderness�Planning)は、今
やニュージーランド、オーストラリアで
も各国の自然公園の管理運営に採り入れ
られているという。
このように軽量的な手法でのサスティ
ナブルツーリズム研究が深化することは
実に喜ばしいことではあるが、他方、島
川(2002)が指摘する「社会・文化的に
サスティナブル」、すなわち「新しい理論
で最も特徴的なのが、社会・文化的にサ
スティナビリティを追及する点である。
-�06-
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
(中略)今までの観光開発において無視さ
れがちであった、観光地に根付く文化、
伝統、歴史、風習すべてをサスティナブ
ルにしなければならないという発想であ
る」というような部分が、現時点では再
び影を潜めてはいないか…? と危惧す
るのは筆者だけであろうか。
本論文では、近年の注目すべきサステ
ィナブルツーリズムの研究例を参考にし
つつ、その一つには、未だ日本では紹介
されていない地中海沿岸地域のサスティ
ナブルツーリズム研究をもとりあげなが
ら、地域における「有形・無形の文化財」
を主要な観光資源とした国際観光デステ
ィネーションの持続可能な発展に関して
考察していきたく思う。
2.視点を異にするサスティナブルツー
リズム研究例
2-1.グラハム・ミラーによる研究例
今やサスティナビリティ研究分野にお
ける世界的なリーダーの一人とされる英
国サリー大学のミラー(Graham�Miller)
は、例えばアイルランドのDIT指標シス
テム、広域カリブ諸国連合のSTZC指標、
オーストラリアの TOMM 指標など、近
年世界の各地で開発、駆使されている
種々の指標モニタリングシステムに関し
て、詳 細 に 報 告 し て い る(Miller,��
Twining-Ward:2005)。
ミラーによる研究手法の特徴の一つ
は、その「歴史眼」とも言うべき識見を
以て、各デスティネーションの発展段階
を捉えている点であろう。すなわち「対
象とする地域の歴史的バックグラウンド
から説きはじめ→同地域おけるツーリズ
ムの発生の経緯→その後ツーリズムがも
たらしたベネフィットとインパクト→サ
スティナブルツーリズムの必要性に着目
した要因→実際に指標を開発して実施→
データを収集・分析の上で政策に反映」と
いう一連の過程を整理する。しかしまた
指標を開発する段階では、ステークホル
ダーが描くデスティネーションとしての
最終的なヴィジョンあるいは到達点を可
能な限り具体化することを、とりわけ重
要視している。オーストラリア南部のカン
ガルー島におけるTOMMプロジェクト研
究などは、その代表的な例であろう。こ
れらの点は、寺崎(20�3)も「目的達成
型」の観光地モデルと指摘しているが、観
光地のサスティナビリティを検討する際
には最も大切な作業の一つである。
ミラーはさらに、デスティネーション
に関わるステークホルダーの心理をも深
く掘り下げ、倫理観の喚起を訴えている。
そこでは近現代の著名なフィロアンソロ
ピストや哲学者、例えば「鉄鋼王」と称
さ れ た ア ン ド リ ュー ・ カ ー ネ ギ ー
(Andrew�Carnegie)、ステークホルダー
理論を主唱したフリーマン(Edward�
Freeman)、さらには『実践倫理批判』な
どを著わしたカント(Immanuel�Kant)
等の説得力ある言葉を用いつつ、各ス
テークホルダーの社会倫理啓発に努めて
いる。自然・社会環境が蒙るインパクト
そして経済効果の分析により、観光によ
る負荷の軽減に寄与するミラーの政策提
言にも、その背景に彼自身の篤い倫理観
さえ感じられる2。
一方で、ミラーは自国の英国において
も、英国政府環境・食・地域事業局〔UK�
Government� Department� for� the�
Environment,� Food� and� Rural� Affairs
(Defra)〕(以下、Defra)と共に、国民の
サスティナブルツーリズムに対する理解
促進のため、積極的な研究活動を行って
いる(Miller:20�0)。その内容を端的に
説明すると以下の通りである。
世界的なLCCの急成長もあって、近年
は航空機運賃が廉価になり、Defraは、航
空機の過剰運行による環境・エネルギー
へのインパクトを抑制するため3、国民の
旅客機による頻繁な海外旅行に注意を促
し、将来的には英国国民の旅行形態に変
化を与えたいという目標を掲げている。
その目標には具体的に次の4項目が挙げ
られている。①英国国内の観光地を国民
の休暇滞在先として支持されるようにク
オリティを高める ②国民の頻繁な(航
空機による海外)旅行に抑制を促す ③
国民がより持続可能な旅行形態を選択で
きるように ④国民が休暇期間中に、よ
り持続可能なアクティビティーを選べる
ように。-ミラーはそこで「観光による
環境へのインパクトを一般市民がどのよ
うに認識しているか?」というアンケー
トを実施、その結果を集計分析し、Defra
への提言としてまとめている。
このように、英国の環境行政とサリー
大学とが協働し、地球的な自然環境を保
全するためには、まずサスティナブル
ツーリズムに対する市民国民の声や認識
を十分に理解しようと努力するその姿
勢、さらには環境・エネルギーへの負荷
を軽減するためには、自国民の旅行形態
に変化を与える政策までも見据えている
という先進的な官学連携のプロジェクト
に、筆者は驚きを隠し得ない。しかしな
がら、筆者が見る限り、ミラーの研究に
おいて観光地の歴史、伝統、文化や文化
財の持続可能性に関する言及がそれほど
多く見られないという、その一点にのみ
若干残念な思いが残る。
2-2.UNEPによるPLAN�BLUE調査研
究の紹介と本研究の位置づけ
さて、20�3年2月のことであるが、世
界的には中国に次いで、欧州では初めて
となる UNWTO 後援のサスティナブル
ツーリズム観測センター(Sustainable�
Tourism�Observatory)が、ギリシャ国
立エーゲ大学に設立された。同年夏、筆
者も早速エーゲ大学を訪ね、初代所長イ
オアニス・スピラニス(Ioannis�Spilanis)
と面識を得ることができた。近年、スピ
ラニスはテリエル(Tellier)とともに
UNEP(United� Nations� Environment�
Programme)による Plan�Blue 調査研究
(20�2)に着手し、アフリカ北岸地域も含
めた地中海沿岸地域の観光デスティネー
ションにおいて、各地域の「高品質ブラ
ンド化」を目指した持続可能な観光のあ
るべき姿を検証している。A4版65頁にわ
たる詳細な報告書となった同研究の特徴
は以下の通りである。
①調査地の選定
�地中海沿岸地域の無数のデスティネー
-�07-
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
ションの中から、高級性、地域性、国
際性、規模、歴史性、人気度など、観
光地としての性格に偏らず、且つ様々
な地域を研究対象地としてとりあげて
いる。また、ローマやバルセロナなど
既に成熟し、高いネームバリューのあ
る観光都市などは調査対象から外して
いる。
②地域の「高品質ブランド化」を目指す
�各種指標によるモニタリングデータを基
に、その地域に適切な「高品質ブランド
化」を目指す事例研究を行っている。具
体的には、大きく3つのカテゴリーに区
分し、国際的な大規模3S(Sea,�Sun�and�
Sand)リゾートとしてAlanya(Turkey)、
Djerba(Tunisia)、Torremolinos(Spain)
を、国内旅行客中心の3S 観光地として
El�Alamein(Egypt)、Marsa�Matrouh
(Egypt)、The� Tetouan� Coastal� Area
(Morocco)、Tipeza(Algeria)を、さら
には特殊性に富みヘリテージツーリズム
を看 板とする観 光 地として Cabras
(Italy)、Castelsardo(Italy)、Rovinj
(Croatia)、Siwa�Oasis(Egypt)という
合計��のデスティネーションの事例を挙
げている。
同研究において筆者が特に注目するの
は、先述した欧米豪などのサスティナビ
リティ研究同様、観光行動が観光地に与
える環境的、経済的、社会的なインパク
トやベネフィットのモニタリングを実施
し分析に至るものの、地域の有形・無形
の文化遺産や町並み景観保存に関する言
及が相当な量割かれている。例えば、ス
ピ ラ ニ ス は そ の 中 で Mediterranean�
Strategy� for� Sustainable� Development
(MSSD)の重要な方向性の一つとして
「地中海沿岸地域の文化・環境遺産に焦点
を当てること」を明言しており、上記3
つのカテゴリーの観光地においても「特
殊性に富み、ヘリテージツーリズムを看
板とする観光地」の持続可能性を最も高
く評価している。中でもサルディニアの
Cabras と Castelsardo における地方行政
と中央政府による環境保全政策が、能く
自然&歴史文化遺産を保護しており、地
域の民芸や地産池消の食文化が新たな観
光資源となり、さらには地域の労働力が
観光産業を活性化させている点に注目し
ている。
同研究におけるアプローチの背景に
は、古代からの歴史遺産、そして中世の
伝統的な町並みが数多く残る地中海沿岸
地域特有の歴史的背景が多分に影響して
いることと推測される。すなわち、周知
の通り地中海沿岸地域は、古代エジプト
文明、エーゲ海&古代ギリシャ文明、ヘ
ブライズム、ヘレニズム、古代ローマ文
化、ルネサンス、ビザンティン文化など、
人類の歴史上、非常に重要な文化文明が
誕生し繁栄した地である。そのような観
点から、上述したスピラニスとテリエル
のリサーチは、地中海沿岸地域における
サスティナブルツーリズム研究の独自性
を有しており、注目に値する。これは日
本においては未だ紹介されていないもの
の、以上の観点から高く評価されるべき
ものと筆者は信じる4。
それらの調査分析、考察の末、スピラニ
スは最終結論において、バトラー(Butler)
のモデルを借りつつ、こう結んでいる。「地
中海沿岸の観光デスティネーションが『高
品質ブランド化』を遂げるには、特に成熟
を極めた3S(Sea,�Sun�and�Sand)デステ
ィネーションの『若返り』(rejuvenation)
が必要だ」という言ことば
を以て。
然り、この「若返り」のエネルギーと知
恵が世界の多くの観光デスティネーション
においても求められているのではないだろ
うか? 筆者は長年「地中海」の北東部に
位置するギリシャ・エーゲ海地域をフィー
ルドとして研究を進めてきたが、本論文に
おいては、以下、「若返り」(rejuvenation)
というよりも、むしろツーリズムによる地域
の「甦り」(revitalization)と言っても過言
ではないような事例をとりあげて、その経
緯を探っていきたく思う。
それは「エーゲ海の珠玉」とも呼ばれ
るサントリーニ島の事例である。この島
のある重要伝統的建造物集落の修復・再
生事業に関する報告書(Greek�National�
Tourism�Organisation:2009)、文献等を
調べて、その事実は明らかとなり、且つ
20�2年夏に行った現地調査により、その
歴史と経緯も確認できたのである。
3.2013年の観光統計データに見るギ
リシャ観光
さて、筆者は20�0年年頭に「ギリシャ
経済危機」が表面化して以来、そのネガ
ティブインパクトによりギリシャ国内の
観光産業が大きな打撃を受ける中、しか
しそれにも打ち勝ち、むしろ集客力をア
ップさせているという、いわば「強い観
光力」を持つデスティネーションに関し
て調査研究を継続してきた(石本:20��、
20�2、20�3a、20�3b)。中でも20�2年シー
ズンにはその悪影響が最もピークに達し
たことは拙論の中でも報告済みである。
ところが、ギリシャ銀行の最新調査に
-�08-
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
よると、20�3年のシーズン(1~9月)
においては、ギリシャへのインバウンド
入込総数は前年同期比で�5.2%の増加と
報告されている5。これには、�2年6月に
行われた国政選挙後の政権の安定化がま
ずその要因に挙げられるだろうが、国内
の主要デスティネーション毎にも目を向
ける必要があるため、図1を作成した。
同図はa)20�0年~20�2年と、b)20�2年
(1~9月)~�3年(1~9月)における
外国人空路到着客前年比増減率の年平均
値(%)を色分けし、デスティネーショ
ン毎に示している。6
このグラフからは、これまで筆者自身
の先行研究にもとりあげてきたとおり、
ミコノス島やサントリーニ島の南エーゲ
海諸島、そしてクレタ島のデスティネー
ションが強い観光力を示していること、
また図中右端のカラマタに代表されるペ
ロポネソス半島南部のマニ地方が顕著な
伸びを示していること。実に50%アップ
という記録的な数字を弾いていることな
どが確認できる7。
中でも南エーゲ海のサントリーニ島
は、その近代の歴史を含めて、実に興味
深い。というのも、20世紀半ばには廃墟
と化していた町が、国の「伝統的建造物
集落再生事業」を契機に甦り、今や世界
中のツーリストから羨望のまなざしで見
つめられる魅力的な観光デスティネーシ
ョンへと生まれ変わっている。
4.事例研究-サントリーニ島8
�(世界的観光デスティネーション「イ
ア地区」における「過疎」という過去)
4-1.世界的な人気を博すサントリーニ
島、その歴史・地理的概要
サントリーニ島はエーゲ海のほぼ中央
部に円周状に浮かぶキクラデス諸島の南
端に位置する。アテネの外港であるピレ
ウ ス 港 よ り 約 2�0km、ク レ タ 島 か ら
�20kmの距離。紀元前2000年という石器
時代からエーゲ海で最も古い文明がこの
地に発生し、海上交通の要所として繁栄
した。
この島はヨーロッパでも最古の文明と
言われるエーゲ海文明発祥の地で、その
歴史はとてつもなく古い。紀元前�500年
頃に島中央部の火山が大爆発を起こした
ため中心部が海底へ陥没し、カルデラ状
の地形に変形。今日では、サントリーニ
本島の他にテラシア島とアスプロニシ島
が内側に絶壁を連ねて環状に続き、その
中に新旧2つのカメニ島が黒々とした溶
岩をむき出しにして並んでいるが、この
ような島々の地形は長期にわたる火山活
動によって生み出されたものであって、
もともとは本島のプロフィティス・イリ
アス山を核とする円形の一つの島であっ
たと考えられている。9
サントリーニ島の面積は76km2。島内
に�3の集落が存在し、人口は約7千人。
先のピレウスやクレタとは船の便で、ま
たアテネとの間に空の便で結ばれてい
る。夏期の観光シーズンには、主にヨー
ロッパ各地から多数のチャーター便が直
接に入り、華やかな賑わいを見せる。
また、サントリーニ島は毎年のように
観光地として世界的な賞を様々受賞して
いる。20�2年の年末には英国 BBC の公
式ウェブサイトにおいて「世界の最も魅
力的な島�ベスト5」の筆頭に選ばれ、
20�3年に入って3月には、トリップアド
バイザーの“Travelers’�Choice�20�3”にお
いて「世界の人気の島トップ�0」で5位
にランクインし、ヨーロッパ部門として
は栄えある1位に輝いた。他にも島内の
アコモデーションが次々に世界的な賞を
受賞している。今や世界中から多くのリ
ゾート客、クルーズ客が妬むほどの憧れ
をもって訪れるエーゲ海、否、地中海き
ってのデスティネーションである。
4-2.島内第2の街イア(Oia)とその歴
史10
①�魅惑の観光スポットが秘める「過疎化」
という過去
現在のサントリーニ島において中心の
街となるのはティラ島中部のフィラ
(Fira)。そしてそれに続く第2の街が同
島北部に位置するイア(Oia)である。イ
アの街は中世よりサントリーニにおける
5つのCastle�Townsの一つで、Castellia
(カステリア)と呼ばれていた。現在はフ
ィラと並び、サントリーニ観光において
も最も魅力的なスポットの一つで、カル
デラの絶壁にへばり付くような「洞窟ホ
テル」から眼下に望む紺碧のエーゲ海と、
その西の水平線に沈む夕陽の美しさは、
世界中から訪れる旅行客を魅了してやま
図2�)ギリシャの大まかな地域区分とサ
ントリーニ島の位置
写真1�)サントリーニ島フィラの街。眼
下にエーゲ海を望む(筆者撮影)
図3)サントリーニ島の地図
-�09-
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
ない。
ところが、このイア地区にはつい40年
ほど前まで「過疎化」に苦しみ、荒廃し
きっていたという歴史がある。そのよう
な状況から、どのようにして世界中の
人々を魅了する街と生まれ変わったの
か? そこには、おそらく「経済危機の
最中にも揺るがない観光力」そして「持
続可能な観光発展」のカギが隠されてい
るはずである。
②�海運業の拠点として繁栄を迎えたイア
イアの興隆期は�9世紀終期から20世紀
初めにかけての時期。当時イアには帆船
の商船団が数多く寄港し、東地中海にお
いてロシアとエジプトのアレクサンドリ
アを結ぶ航路の格好の中継地点として繁
栄していた。また、イアは歴史的にも船
舶所有者の街であったと見られている。
例えば、�890年にはイアの人口は2500人
に満たなかったが、�30もの船舶がイアの
居住者所有であり、カルデラ下のアルメ
ニ港には小さくとも商船用のドックまで
造られていた。その時代、イアには�3の
行政教区が設けられ、銀行1件、税関、
様々な伝統工芸の工房、後背地からの重
要な農作物を販売する店舗も存在した。
4-3.伝統的家屋「洞窟住居」が造られ
た理由
ところで、�9世紀終期から20世紀初頭
にかけて、イアをはじめサントリーニの
各地区・集落で「洞窟住居」が造られる
ようになった理由は何であろうか? そ
れには、先述した紀元前�500年頃の火山
大爆発まで遡るサントリーニの地質・地
形的特異性が大きく影響している。
というのも、サントリーニ島はそれ以
降も歴史上度重なる火山噴火を起こして
きたために、全島の土地は比較的軟らか
な火山灰層で厚く覆われている。且つカ
ルデラの内側は急斜面の断崖であるゆ
え、島の住民たちにとって宅地を求める
こと自体が困難であった。よって、海運
業が盛んであった当時、富裕な船主等を
除く一般の船員たちは、断崖面に「横穴
洞窟」を掘って住居とした方が、より安
価に広い住まい空間を比較的容易に造る
ことができたのである。そして彼らは岩
盤に洞窟を掘りぬいただけではなく、エ
ントランスレベルには、屋根が主にドー
ム型をした石造りの拡張(継ぎ足し)部
分を設け、立派な玄関ホールに仕上げて
いた。建築形式としてはドーム型屋根の
他に、十字ドーム型のものも多く見られ
る。これにはやはりサントリーニが中世
キリスト教の拠点であったことが影響し
ているとみられる。それらがイアをはじ
めとした島内の各集落において独特の景
観を形成することとなった。
4-4.繁栄した海運業の終焉とイア、サ
ントリーニの過疎化
ところが、このように麗しいイアの繁
栄もつかの間、海運業の世界でより安全
に長距離を航行する「蒸気船」が「帆船」
よりも優勢になるにつれ、ギリシャ&
エーゲ海における海運業の中心はアテネ
の外港であるピレウス港に移っていき、
イアは衰退の一途を辿ることになる。
�940年には�348人であったイアの人口
が、�977年になると306人まで激減してい
たのである。また、�928年と�956年には
地震による被害もあり、さらには�942年
冬の過酷な天候時には作物が育たず、食
料が途切れ、餓死者も少なからず出た。
そういった天災の影響もあり、その後次
第にサントリーニを離れる人々が増加し
た。つまり、イアのみならずサントリー
ニ島全体の集落が典型的な過疎地とな
り、寒々と荒れた果てた孤島へと様変わ
りしていった。
4-5.トラディショナル・セトゥルメン
ツ(伝統的建造物集落)としてのイア
しかしその後、イアの繁栄を復活させ
る契機となる出来事があった。ギリシャ
観光省とギリシャ政府観光局(Greek�
National�Tourism�Organisation)がイア
地区の各集落に目を留め、�976年より荒
れ果てた集落の大規模な修復・復元プロ
ジェクト(第1期工事)に着手したので
ある��。�992年にようやく第4期工事を終
了したが、計�6年の歳月をかけて、イア
はいわゆる再生された「トラディショナ
ル・セトゥルメンツ」(伝統的建造物集
落)へと変貌を遂げたのである。
以下、実施された同プロジェクトの手
法、実例の一部を紹介する。
①�約60件の伝統的家屋が修復・復元され
ており、総計200におよぶベッド数が確
保されるほどのゲストハウス群に転用
された。それらはイア、ペリボラス、
アムディの各集落に分散しているが、
且つそのすべてがカルデラの断崖側で
「オーシャンヴュー」の家屋が修復・復
元工事の対象として選ばれた。また、
このプロジェクトには「船舶所有者の
邸宅群」は含まれていない。その対象
家屋選定の条件は以下の通りである。
ⅰ)�「空き家」あるいは「放棄された」
家屋であること。
ⅱ)�個々の建造物が持つ建築様式が重
要視された。
ⅲ)�原型は留めていなくとも、周囲の
建造物との比較からほぼ原形に近
い姿が想定可能な家屋。あるいは、
写真2�)サントリーニ島北部イア地区の
街並(筆者撮影)
写真3�)現在でもイアのグーラス集落に
数多く残る洞窟住居跡(筆者撮影)
-��0-
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
所有者の記憶や資料から復元可能
と判断された建造物。
②�1件の古い喫茶店はゲストハウスの
「レセプション兼オペレーションオフ
ィス」として改修された。
③�ギリシャ政府観光局とギリシャ中小企
業局の監督下で、レセプションオフィ
ス隣の古商店が「伝統織物」の工房に
改修された。ここでイア在住の、ある
いは他の町々からの婦人たちが、伝統
織物の技術を訓練且つ習得すること
で、その技術の保存継承にも一役買う
こととなった。ここで作られたカーペ
ット、ブランケットなどは、政府観光
局運営のゲストハウスで使用され、ま
たその宿泊者に限って販売された。
④�「海洋博物館」がイアのメインストリー
トに面するある船舶所有者の邸宅を改
装して作られた。先述の通り�9世紀か
ら20世紀初頭、東地中海における商船
団の基地ともなったイアらしく、当時
の帆船の舳先となった女神像など、
数々の個人コレクションの寄贈によっ
て得られた船舶関連の珍しい品々を展
示した。
⑤�イアの古いワイン工房跡 “Cannava”
は、レストランに改装された。現在は
文化イベントも催されるホールとして
も使用されている。
⑥�グーラス集落はイア地区内でも最も古
くまた美しいところで、イアの中核と
も言える。ヴェネツィア統治時代のサ
ントリーニには5つのキャッスルタウ
ンがあったが、そのうち一つのキャッ
スルがここに存在した。�920年当時の
写真素材からは、グーラス地区がとて
もよく景観保存されていたことが確認
できるが、先述のとおり、その後商船
団の基地としての役割低下�⇒�島内人
口の本土への流出、そして�928年と56
年の大地震などで、その後はほぼ廃墟
となっていた。
⑦�ギリシャ政府観光局がグーラス集落の
修復工事に着手した�976年時点では、
地震の被害によるものか、この地区の
中心的教会であったパナギア・プラツ
ァニ教会はその基礎部分を残すのみで
殆ど全壊状況であった。小さなゾード
ホス・ピギ教会も被害が大きかった。
しかし、グーラス集落は当時からギリ
シャ文化省指定の重要景観保存地区で
あったので、古城の城壁部分とゾード
ホス・ピギ教会は完全に修復された。
⑧�また、公共インフラとしての汚水・上
水、貯水池がイア地区内に完備された。
⑨��その他、メインストリートを大理石の
舗道に造り替え、さらにアムディ港に
桟橋を建設。
4-6.プロジェクト終了後のイアの街
初期の第1&2期プロジェクト(�976
~�980年)においては、ギリシャ政府観
光局の指揮の基、以上の工事が完了した。
この期間に同工事に関わった現地の職人
たちが、貴重な修復・復元の技術を習得
する機会を得たことは、同時にサント
リーニの伝統的家屋の建築技術を後代に
継承するためにも、この上ない賜物であ
ったと言えるだろう。
後期の第3&4期プロジェクトは、2
つの民間建設会社に委託され、引き続き
修復・復元工事が継続された。その代表
的な工事の1つが「耐震用擁壁補強工事」
である。修復・復元された「トラディシ
ョナル・セトゥルメンツ」全体の7割に
当たる建造物において施工された。
同プロジェクト終了当初は、復元され
た伝統的家屋は政府観光局直営のゲスト
ハウスとして宿泊客を受け入れるように
なったが、それ以降順次民間に払い下げ
られ、ホテル、レストラン、カフェ、商
店などの経営がより活発に進められた。
さらに、他の未修復の古民家に対しても
民間によるリノベーションの動きが一段
と加速し、街全体が年々活気を取り戻し
ていった。しかし近年は、イアの街並み
は「トラディショナル・セトゥルメンツ」
(伝統的建造物集落)として、その景観保
存および建築、改修が国の特別法により
厳しく保護・制限されており、いずれの
建築・建設計画も国の審議委員会により
承認されない限りは、施工は困難である。
5.結 論
以上、今から40年ほど前には過疎化に
苦しんでいたサントリーニ島イア地区
が、国の伝統的建造物集落再生事業を契
機に見事に甦り、今や世界的にも注目を
集める観光デスティネーションとして成
長してきた経緯を綴った。「観光地として
持続可能な発展」というよりも、むしろ
「深刻な過疎化により存続が困難であっ
た集落が甦った」事例である。この事例
に関しては、現時点では日本において筆
者の他に研究報告を見ることはないが、
非常に重要な示唆を与えるものと確信す
る。サントリーニ島、イア地区の伝統的
建造物集落は、歴史的、建築学的観点か
らも、地域の独自性、住民の知恵や苦労
が結集して形成された貴重な文化遺産で
あった。そして本論文2-2)において触れ
たスピラニスの指摘、すなわち「地中海
沿岸地域の文化・環境遺産に焦点を当て
写真4�)�サントリーニ島イア地区の伝統
的建造物集落の再生例
�左下部はドーム型玄関ホール拡張
部の例(筆者撮影)
写真5�)国の再生事業終了後、民間経営
が進むイア地区のホテル例(エス
ペラスホテル:筆者撮影)
-���-
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
る」というコンセプトと本質的に同じ方向
性をもって、デスティネーションづくりを
行っていったのがイア地区であった。
そこには、再生後も国の事業を引継ぎ、
地元の経営者等ステークホルダーが、再
生古民家を利用して、地域の「独自性」
に富んだ中小規模のホテル、レストラン、
カフェ等、新用途への転用を展開。国も
建造物の外観に関しては厳しい規制を敷
くが、内部の活用については規制緩和を
進めている。加えて地産池消の「地中海
式食文化(ユネスコ無形文化遺産)」を地
元のサービス、ホスピタリティ・ビジネ
スに豊かに採り入れている点は、観光デ
スティネーションとしての人気と価値を
押し上げる要因となっている。また、イ
アにおいて再生事業が実施された�970年
代後半以降、同様の国家プロジェクトが、
他�5か所の伝統的建造物集落において実
施された。それらの地域も、現在注目す
べきデスティネーションとして成長の過
程にある。
日本においても有形・無形の文化財を
活かした「持続可能」な観光発展ととも
に、「マイナスからプラス」を、あるいは
「無から有を生み出す」ツーリズム、そし
てデスティネーションづくりを、行政も
含め観光学界・業界で十分議論する必要
があると筆者は痛感する。
参考・引用文献
・�石本東生(20�3a)「経済危機下にも好
調なエーゲ海・クレタ島における観光
力の要因とエコツーリズムの展開-ト
ラディショナル・セトゥルメンツとク
レタ式食文化の観光資源化-」『日本国
際観光学会論文集』第20号、pp.8�-88.
・�石本東生(20�3b)「ギリシャ・エーゲ
海地域におけるトラディショナル・セ
トゥルメンツの復元と持続可能な観
光・発展の事例考察-サントリーニ島
の現地調査を基に-」『奈良県立大学研
究季報』第24巻第1号、pp.25-57.
・�石本東生(20�4)「伝統的集落景観と食
文化が織りなす持続可能な観光とアコ
モデーションビジネス-ギリシャ・
エーゲ海地域における事例研究-」『奈
良県立大学研究季報』第24巻第2号、
pp.�-37.
・�熊谷嘉隆(20�3)「『米国の自然公園利
用におけるインパクト研究』と Limits�
of� Acceptable� Change� system� for�
Wilderness�Planning(LAC)」『観光文
化』第2�6号、公益財団法人�日本交通
公社、pp.2-6.
・�島川崇(2002)『観光につける薬-サス
ティナブル・ツーリズム理論-』同友
館、p.39.
・�周藤芳幸(�997)『ギリシャの考古学』、
同成社、p.�00、�04.
・�周藤芳幸・村田奈々子(2000)『ギリシ
ャを知る事典』、東京堂出版、p.64.
・�寺崎竜雄(20�3)「『指標を活用した観
光地づくり』に思うこと」『観光文化』
第2�6号、公益財団法人�日本交通公社、
pp.28-30.
・�中島泰、清水雄一(20�3)「世界観光機
関(UNWTO)による持続可能な観光
のための指標を活用した観光地の管
理・運営の体系-概要と国内導入の展
望」『観光文化』第2�6号、公益財団法
人�日本交通公社、pp.�4-20.
・�二神真美(20�3)「観光分野における持
続可能性指標開発の系譜」『観光文化』
第2�6号、公益財団法人�日本交通公社、
pp.9-�3.
・�Greek�National�Tourism�Organisation�
(2009)�Preservation & Development of
Traditional Settlements (1975-1992)
Cultural Heritage Showcase,� The�
G.N.T.O�Programme,�Athens,�Greece,�
pp.�38-�77�passim.
・�Mavromataki�Maria�(2004)�Getting to
Know Santorini Full Tourist Guide
English,� Haitalis� Editions,� Athens,�
Greece,�pp.�2-22.
・�Miller� Graham� and� Louise� Twining-
Ward� (2005)� Monitoring For a
Sustainable Tourism Transition, The
Challenge of Developing and Using
Indicators,� CABI� Publishing,� UK�
pp.53-77�passim,�pp.20�-23��passim.
・�Miller� Graham,� Kathryn� Rathouse,�
Caroline� Scarles,� et� al.�(20�0),� Public�
Understanding�of�Sustainable�Tourism,�
Annals of Tourism Research,�Vol.�37,�
No.3,�UK,�pp.�627-645�passim.
・�Miller� Graham�(20�3)� Examaples� of�
Systems�of�Indicators�for�Sustainable�
Tourism、『観光文化』第2�6号、公益
財団法人�日本交通公社、pp.27-28.
・�Spilanis,�I.�&�H.�Vayanni�(2006)�The�
position� of� The� Greek� Tourist�
Product�in�the�European�market,�24th
EuroChrie Congress,�The�University�
of�the�Aegean,�Greece,�pp.�-8.
・�Spilanis,� I.� and� J.� Le� Tellier�(20�2)�
Towards� an� observatory� and� a�
“Quality� Label”� for� Sustainable�
Tourism� in� the� Mediterranean,� Blue
Plan Paper 12,�UNEP/MAP�Regional�
Activity� Centre,� Valbome,� France,�
pp.�-65�passim.
注
1 �UNWTO� (2004),� Indicators of
Sustainable Development for Tourism
Destinations : A Guidebook2 �Miller� Graham� and� Louise� Twining-
Ward� (2005)� Monitoring For a
Sustainable Tourism Transition, The
Challenge of Developing and Using
Indicators,� CABI� Publishing,� UK�
pp.54-56.3 �英国のみならず、グローバルな意味で
の航空輸送産業の気候変動対策の現状
と課題に関しては、次の論文も参照さ
れたい。
�塩谷さやか(20��)「航空輸送事業の気
候変動対策とグローバル・セクター・
アプローチ-ポスト京都議定書へ向け
た自主的取り組みの可能性-」日本国
際観光学会論文集第�8号、pp.4�-47.4 �現時点では、歴史考古学的さらには建
築学的見地からも具体的な指標を用い
て、デスティネーションの持続可能性
-��2-
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
を調査するまでには至っておらず、各
関連行政の定める景観保存法・条例の
機能に関するチェックまでに止まって
いる。今後そのような領域での指標が
加えられ、モニタリングが実施される
ことを待望している。一方で、地中海
沿岸地域の観光デスティネーションを
「高品質ブランド化」するという明確な
ビジョンは、地域の価値を高め、持続
可能な観光発展への指針となる重要性
を秘めているに違いない。5 �“Express”�(Greek�Economics�Newspaper),�
20�4/0�/23�Website 版、http://www.
express.gr/news/ellada/740�08oz_�
20080225740�08.php3�(20�4/0�/24取得)6 �図1のように各デスティネーションの
データを時期によって2つに分けた理
由は次の通りである:a)ギリシャ経
済危機の発生が20�0年の年頭、そして
同危機が最もピークに達し、ギリシャ
のデフォルトやユーロ離脱、さらには
EU をも脱退するという最悪のシナリ
オが、相当な現実味を帯びて取り沙汰
されたのが20�2年5~6月。この年は
近年においてもギリシャ観光が最大の
ダメージを蒙った年である。一方、b)
今年20�3年は危機のピークを越え、国
内情勢としても平穏を取り戻し、前年
の反動からもギリシャへのインバウン
ドが格段に改善した年である。本図は
SETE(ギリシャ旅行業協会)の公式
WebSite� http://sete.gr/GR/Archiki/�
の統計データページより、20�3年��月
1日に関連データを取得。筆者が加工
作成した。7 �ペロポネソス半島南部カラマタについ
ては、ギリシャ旅行業協会(SETE)の
ウェブサイトに20�0~20�2年の年間
データが公表されておらず、20�2年1~
9月と20�3年1~9月のみが公表され
ている。そのため、データが1種類のみ
である。(20�3年��月1日データ取得)8 �図2のギリシャ地域区分図は、ギリシ
ャ 政 府 観 光 局 公 式 ウ ェ ブ サ イ ト
http://www.visitgreece.jp/map�よ り、
20�3年�0月�7日にデータを取得、筆者
が加工。9 �周藤芳幸(�997)「ギリシャの考古学」、
同成社、p.�00.周藤芳幸・村田奈々子
(2000)「ギリシャを知る事典」、東京堂
出版、p.64.�0 �「4-2.島内第2の街イア(Oia)とその
歴史」以降、イア伝統的建造物集落再
生に関する部分は、その多くを、ギリ
シャ観光省ギリシャ政府観光局アテネ
本 部 に て 作 成 さ れ た 英 文 報 告 書
Greek�National�Tourism�Organisation�
(2009)�Preservation & Development of
Traditional Settlements (1975-1992)
Cultural Heritage Showcase,� The�
G.N.T.O�Programme,�Athens,�Greece,�
pp.�38-�77を引用、参考としている。�� �当時、ギリシャ観光省�ギリシャ政府観
光局は、イアの集落以外にも、ギリシ
ャ全土で�6箇所に及ぶ伝統的な石造り
の集落を再生するプロジェクトを実施
した。その事業報告書が上記参考文献
の Preservation & Development of
Traditional Settlements (1975-1992)
Cultural Heritage Showcase である。
【本稿は所定の査読制度による審査を経たものである。】