9
P B L T h e C a l c u l a t i o n o f t h e M a d e l u n g C o n s t a n t a s a P r o b l e m B a s e d L e a r n i n g i n " I n t e r d i s c i p l i n a r y S t u d i e s o f A p p l i e d C h e m i s t r y " I s a o T S U Y U M O T O マーデルング定数はイオン結晶における格子エネルギーを表現するために用いられ る数値である。無機化学の教科書では,数値が収束しないモデルを用いた誤った説明 がなされていることが少なくない。本稿では,この誤りをヒントとして,4 年次に開 講している応用化学統合演習において,マーデルング定数の簡便な数値計算法を新し く考案する PBL 教育を実施したので紹介する。様々なモデルを用いて数値計算を行 ったところ,従来,大学教育で実施されてきたマーデルング定数の数値計算よりも, より簡単な計算で正確な数値を求められる方法を導出できた。 キーワード:PBL,マーデルング定数,結晶構造,数値計算 The Madelung constant is a proportionality constant used to describe the lattice energy of ionic crystals. In the textbooks of inorganic chemistry, the Madelung constant is often incorrectly introduced using the series which does not converge. We, inspired by the improper explanations, launched a problem-based learning (PBL) to calculate the Madelung constant on the basis of various models in "Interdisciplinary Studies of Applied Chemistry" for fourth grade students. We successfully derived a more simple and more correct calculation method of the Madelung constant than the conventional ones. Keywords: PBL, the Madelung constant, crystal structure, numerical calculation 応用化学科では 4 年次前学期に選択科目として応用化学統合演習を開講している。3 年次までの学習 内容を基礎として,統合的演習能力を養い,化学における基本的問題を解決する能力を身につけること が目的である。応用化学分野における問題解決型学習(problem-based learning, PBL)の課題としては 様々なものが報告がされており 1) ,化学実験をベースとしたものが多いが,応用化学統合演習では専門 課程の無機化学の学習内容を素材として,コンピュータを活用した PBL を進めた。 無機化学では,イオン結晶がイオン間のクーロン引力により安定化されていることを学習する。陽イ オンと陰イオンがそれぞれ 1 個だけ近接するときのクーロン引力(正確には静電ポテンシャルエネルギ ー)に比べて,イオン結晶で規則に従って立体的に配列することにより,何倍安定化されるかを示した 数がマーデルング定数(Madelung constant)である。同種のイオン間には斥力が生まれるが,異種イ オン間に生じるクーロン引力による安定化がそれを上回り,結晶を形成することになる。マーデルング 221 応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育 KIT Progress 26

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事例報告 KIT Progress №26

応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

応用化学統合演習における

マーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育 The Calculation of the Madelung Constant as a Problem Based Learning

in "Interdisciplinary Studies of Applied Chemistry"

露本伊佐男 Isao TSUYUMOTO

マーデルング定数はイオン結晶における格子エネルギーを表現するために用いられ

る数値である。無機化学の教科書では,数値が収束しないモデルを用いた誤った説明

がなされていることが少なくない。本稿では,この誤りをヒントとして,4 年次に開

講している応用化学統合演習において,マーデルング定数の簡便な数値計算法を新し

く考案する PBL 教育を実施したので紹介する。様々なモデルを用いて数値計算を行

ったところ,従来,大学教育で実施されてきたマーデルング定数の数値計算よりも,

より簡単な計算で正確な数値を求められる方法を導出できた。 キーワード:PBL,マーデルング定数,結晶構造,数値計算

The Madelung constant is a proportionality constant used to describe

the lattice energy of ionic crystals. In the textbooks of inorganic chemistry, the Madelung constant is often incorrectly introduced using the series which does not converge. We, inspired by the improper explanations, launched a problem-based learning (PBL) to calculate the Madelung constant on the basis of various models in "Interdisciplinary Studies of Applied Chemistry" for fourth grade students. We successfully derived a more simple and more correct calculation method of the Madelung constant than the conventional ones. Keywords: PBL, the Madelung constant, crystal structure, numerical

calculation

1.緒言

応用化学科では 4 年次前学期に選択科目として応用化学統合演習を開講している。3 年次までの学習

内容を基礎として,統合的演習能力を養い,化学における基本的問題を解決する能力を身につけること

が目的である。応用化学分野における問題解決型学習(problem-based learning, PBL)の課題としては

様々なものが報告がされており 1),化学実験をベースとしたものが多いが,応用化学統合演習では専門

課程の無機化学の学習内容を素材として,コンピュータを活用した PBL を進めた。 無機化学では,イオン結晶がイオン間のクーロン引力により安定化されていることを学習する。陽イ

オンと陰イオンがそれぞれ 1 個だけ近接するときのクーロン引力(正確には静電ポテンシャルエネルギ

ー)に比べて,イオン結晶で規則に従って立体的に配列することにより,何倍安定化されるかを示した

数がマーデルング定数(Madelung constant)である。同種のイオン間には斥力が生まれるが,異種イ

オン間に生じるクーロン引力による安定化がそれを上回り,結晶を形成することになる。マーデルング

221応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

KIT Progress №26

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応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

定数の値は,一般的にはエヴァルト(Ewald)の方法により算出されるが 2),近い位置にあるイオンか

ら第一近接イオン,第二近接イオン,第三近接イオン,・・・,と各イオンから生じる静電ポテンシャルエ

ネルギーを級数として書き下すことにより,単純な数値計算で算出することが可能である。この数値計

算を PC を活用して実施してみようというのが,応用化学統合演習における PBL の目的である。既報を

授業で教示した上で,計算のためのモデルを考案させ,Excel VBA によるプログラミングを実施した。 本稿では,現行の無機化学の教科書の一部に見られるマーデルング定数の解説における不適切な点を

指摘した上で,PBL として行った各種の数値計算法を紹介する。これらの過程で,従来報告されている

計算方法よりもより簡便で正確な方法を考案することに成功し,知見を得たので併せて報告する。 2.マーデルング定数について

2.1 球体セルによる不適切な説明

陽イオン A と陰イオン X が立体的に規則正しく配列してイオン結晶を作ることにより,A-X 間にイ

オン結合が一つだけある A-X がそれぞれ独立して存在する場合に比較して,何倍安定するかを表した

ものがマーデルング定数 M である 3)。マーデルング定数を使うと,イオン結晶の 1 mol 当たりの静電

ポテンシャルエネルギーV は

MdzzeNV XAA

0

2

4 (1)

となる。ここで,NA はアボガドロ定数,zA,zX はイオンの価数の絶対値,e は電気素量,ε0 は真空に

おける誘電率,d は結合距離である。M を算出するためには,同種イオン間に働く斥力,異種イオン間

に働く引力それぞれから生じるポテンシャルを結晶構造の全領域にわたって積算すればよい。 従来の大学の無機化学の教科書の多くでは,NaCl 型構造を例に以下のように説明している 4) 。

図 1 NaCl 型結晶構造におけるイオン間の距離

図 1 の左下手前頂点にある陽イオンを原点に取ると,第 1 近接の距離 d の位置に陰イオンが 6 個存在

し,第 2 近接の距離 d2 の位置に陽イオンが 12 個,第 3 近接の距離 d3 の位置に陰イオンが 8 個,第

4 近接の距離 2d の位置に陽イオンが 6 個,第 5 近接の距離 d5 の位置に陰イオンが 24 個,第 6 近接の

距離 d6 の位置に陽イオンが 24 個存在することがわかる。このように順に考えていくと V は

624

524

26

38

2126

4 0

2

deNV A

(2)

222 応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

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応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

と無限級数で表され,この無限級数の和は 1.74756 に収束する。 こういった説明がよくなされてきたが,これは誤りを含む。第 n 近接の位置にあるイオンの個数(配

位数)を n の関数で表現することは不可能であるだけでなく,式(2)の形で表現される無限級数は収束し

ないことが,数学的に証明されている 5)。式(2)のように原点を中心に球面状に広げていく考え方だと,

陽イオン(斥力)と陰イオン(引力)が交互に現れるため,数値の振動が激しく発散してしまうのであ

る。実際のイオン結晶は球状でない上,陽イオン過剰状態,陰イオン過剰状態が交互に現れるモデルは,

イオン結晶が電気的中性であることに反する。最近の無機化学の教科書では,球面状に広げる計算法だ

と数値が収束しないことを踏まえて,仮想的な一次元結晶(-A-X-A-X-A-X-)におけるマーデ

ルング定数の計算から導入しているものが増えている 6)。 2.2 立方体セルと収束の様子

数値計算でマーデルング定数を求める際は,立方体セルを考えるのが適切である。一辺に 2N+1 個の

イオンが並んだ結晶を考え,格子点(-N,-N,-N)から(N,N,N)まで原点を除く全格子点から

原点(0,0,0)にあるイオンに及ぼす静電ポテンシャルを計算する(直接加算法,3.1 参照)7) 。この

場合,

N

Nlkj

lkj

lkjM

,, 222

1 (j, k, l≠0) (3)

で表される。この立方体セルでは N を無限大とした際に収束することが知られている。その数値は

1.74756 である。

図2 NaCl 型構造におけるセルサイズNとマーデルング定数の関係。

立方体では一辺に2N+1個,球体では半径にN個(中心を除く)

のイオンが並ぶ。

図 2 に,球体セルと立方体セルのセルサイズ N に対する M の変動の様子を示した。球体セルに比べ

ると立方体セルの方が格段に速く収束値に近づいていることがわかる。しかし,この立方体セルにおい

ても,陽イオン数と陰イオン数は等しくなく,N が増えるたびに,陽イオン過剰状態と陰イオン過剰状

態を交互に繰り返すために,N が小さい領域では数値の振動が大きい。球体セルと立方体セルでは,級

数の並び方,すなわち加算する順序が異なるだけだが,前者は発散し,後者は一定の収束値を示す。級

数には加算する順序によって,収束値が異なったり,収束しなくなったりするものがあり,条件収束級

数と呼ばれている(リーマンの級数定理)8)。条件収束級数となる場合,実際のイオンの配列の順序,結

223応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

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応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

晶の形状を考慮した形で加算しなければ,正しい値は得られないことになる。

3.従来の数値計算法

マーデルング定数をできるだけ少ない労力の数値計算で,正確に求めるためには,立方体セルを考え,

かつ電気的中性を保つのが適切である。これまでに報告されている簡便な数値計算法を以下に示す。 3.1 直接加算(Direct Summation)法

2.2 で紹介したように,原点(0,0,0)以外の全格子点((-N,-N,-N)から(N,N,N)まで)

から,原点に及ぼす静電ポテンシャルを計算する方法である。表 1 に Excel VBA によるプログラム例

を示す。 3.2 イオン分割法(Evjen の方法)

エブジェン(Evjen)は電気的中性を保つために,単位格子中の原子数を計算する際のように,立方体

セルの頂点にあるイオンを 1/8 個,辺上にあるイオンを 1/4 個,面上にあるイオンを 1/2 個とカウント

することにする方法を考案した 9)。この考え方は実際のイオン結晶の状態と異なるにも関わらず,小さ

いセルで収束値に近い値を示すことが知られている。プログラム例を表 2 に示す。 3.3 全加算法(Elert の方法)

エーレルト(Elert)らは,上述の直接加算法のように固定した原点と原点以外の格子点とのポテンシ

ャルを合計するのではなく,立方体セル内に存在する全てのイオンの組み合わせで生じるポテンシャル

を合計する方法を提案している 10)。セル内に L 個のイオンがある場合,生じる L(L―1)/2 個の相互作

用を全て計算する考え方である。L が大きくなると計算量が増えるが,小さいときは計算が簡単な割に

は収束値に近いと報告している。プログラム例を表 3 に示す。

表1 直接加算法のExcel VBA によるプログラム例。

NaCl型立方体セル(9×9×9)について,原点を(0,0,0)

におき,(-4,-4,-4)から(4,4,4)までの全格子点

から生じるポテンシャルを合計。

m=0 '初期値の設定 For i=-4 To 4:For j=-4 To 4:For k=-4 To 4 if i=0 and j=0 and k=0 then goto skip m=m+((-1)^(i+j+k+1))/(i^2+j^2+k^2)^0.5 skip: Next k:Next j:Next i Cells(1,1)=m '結果を A1セルに出力

224 応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

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応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

表2 頂点は8分の 1,面上は2分の 1,辺上は4分の 1含まれるとして計

算する場合(Evjenの方法)のExcel VBA によるプログラム例。

NaCl型立方体セル(9×9×9)について,面上,辺上,頂点を別に計算。

表3 NaCl 型立方体セル(9×9×9)について,全イオン間に作用する

ポテンシャルを全て合計する場合(Elertの方法)のExcel VBA に

よるプログラム例。表1の原点を全格子点に走査し平均している。

m=0 For i=-3 To 3:For j=-3 To 3:For k=-3 To 3 if i=0 and j=0 and k=0 then goto skip m=m+((-1)^(i+j+k+1))/(i^2+j^2+k^2)^0.5 skip: Next k:Next j:Next i m1=0 'ここから面上 i=4 For j=-3 To 3:For k=-3 To 3 m1=m1+0.5*((-1)^(i+j+k+1))/(i^2+j^2+k^2)^0.5 Next k:Next j m2=0 'ここから辺上 i=4:j=4 For k=-3 To 3 m2=m2+0.25*((-1)^(i+j+k+1))/(i^2+j^2+k^2)^0.5 Next k i=4:j=4:k=4 'ここから頂点 m3=0.125*((-1)^(i+j+k+1))/(i^2+j^2+k^2)^0.5 m=m+m1*6+m2*12+m3*8 Cells(1,1)=m

m=0 For a=0 To 8:For b=0 To 8:For c=0 To 8 For i=-a To 8-a:For j=-b To 8-b:For k=-c To 8-c if i=0 and j=0 and k=0 then goto skip m=m+((-1)^(i+j+k+1))/(i^2+j^2+k^2)^0.5 skip: Next k:Next j:Next i

Next c:Next b:Next a m=m/729:Cells(1,1)=m

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応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

4.新しい計算法

4.1 新しい立方体セル

直接加算法では固定した原点を中心にして点対称にイオンを配置するために,一辺のイオンの数を奇

数個(2N+1)にしてあったが,新しく考案した方法では一辺のイオン数を偶数個(2N)とした。中心

となる位置にイオンがなくなるので,中心に最も近いイオンを原点とした。すなわち,格子点(-N,

-N,-N)から(N-1,N-1,N-1)まで原点を除く全格子点から原点(0,0,0)にあるイオンに

及ぼす静電ポテンシャルを計算する。図 3 に N=2 の例を示した。 一辺のイオン数が奇数個の時は,全イオン数が奇数個であるため,N が増えるに従って,電荷の正負

が反転したが,一辺を偶数個にすることにより,N が変わっても電気的中性を保ったままにできるとい

う特長がある。

図3 新しい立方体セルN=2の例。原点(0, 0, 0)のイオンに,

(-1, -1, -1)から(2, 2, 2)にある他のイオンが及ぼすク

ーロン力を計算する。

4.2 プログラミング

数値計算用のプログラム例を表 4 に示す。わずか数行で計算が可能である。

表4 各イオンを偶数個にし,偏心位置に原点を取る方法のExcel VBA によるプログラム例

m=0:N=4 For i=-N To N-1:For j=-N To N-1:For k=-N To N-1 If i=0 And j=0 And k=0 Then GoTo skip m=m+((-1)^(i + j + k + 1))/(i^2+j^2+k^2)^0.5 skip: Next k: Next j: Next i Cells(1,1)=m

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応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

4.3 計算結果と考察

一辺が偶数個からなる立方体セルを用い,原点を立方体の中心に最も近いイオン位置に置く新しい計

算方法による計算結果を表 5 に示す。また,既報の他の方法による計算結果との比較を表 6 に示す。各

計算結果は四捨五入し,小数点以下第 5 位まで記してある。既報の方法による数値は,筆者が再計算し,

既報と一致することを確認した上で記してある。

表5 新しい計算法によるNaCl型のマーデルング定数

一辺のイオン数 計算値 誤差(%)

4 1.75177 0.24091 6 1.74704 -0.02976 8 1.74772 0.00916

10 1.74750 -0.00343 12 1.74760 0.00229 14 1.74755 -0.00057 16 1.74757 0.00057 18 1.74756 0 20 1.74757 0.00057 … … … 30 1.74756 0 … … … 40 1.74756 0 … … … 50 1.74756 0 … … … ∞ 1.74756 0

既報の収束値である 1.74756 と比較した場合,1 辺のイオン数が 4 個の段階から誤差が 0.3%を下回

っていることが分かる。さらに,一辺のイオン数が 6 個になると,誤差が 0.03%を下回り,一辺のイオ

ン数がおよそ 20 個を上回ると収束値とほぼ一致することがわかった。エーレルトらによる全加算法で

は一辺 8 個のイオンが並ぶセルで誤差が 3%程度であるが,本法ではセルサイズが一辺 4 個の段階でそ

の誤差をゆうに下回っている。 これまでに知られた最も収束の速いモデルはエブジェンによるイオンを分割して電気的中性を保つ方

法である。本法ではこのモデルと同等の収束の速さを達成した。エブジェンは立方体セルの頂点,辺上,

面上にあるイオンをそれぞれ 1/8 個,1/4 個,1/2 個と考えて,これらのイオンが及ぼすクーロン力がそ

れぞれ通常のイオンの 1/8 倍,1/4 倍,1/2 倍と考えた。これは実際のイオン結晶の状態と異なるにもか

かわらず,正しい収束値に速く近づくことで知られた。表 6 を見ると,一辺のイオン数が L 個のときの

本研究の数値と,同じく L+1 個のときのエブジェンによる数値が一致していることが分かる。これはエ

ブジェンが頂点,辺上,面上に仮想的に考えた半端なイオンを原点からの距離を変えずに動かし,片側

の面に集めれば 1 個のイオンを形成し,筆者が考えた一辺が偶数個のモデルと同じになるためである。

これまで,エブジェンによる方法は実際の結晶と状態が異なるにもかかわらず収束が速いとされてきた

227応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

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応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

が,これは筆者が本稿で提案する一辺が偶数個の場合と同じ計算になるからだと考えられる。実際の結

晶状態により近いと考えられる点で,イオンを分割して考える既報よりも,筆者が本稿で提案する一辺

を偶数個として考える方法の方が適切である。また,プログラムを作成する上でも,イオンを分割しな

い本法の方が簡潔になる。

表6 NaCl 型結晶のマーデルング定数の各種計算法による計算結果との比較(立方体セル)

一辺の

イオン数

本研究 従来の計算法

直接加算 7) 全加算 10) イオン分割 9)

2 - - 1.45603 - 3 - 2.13352 1.56654 1.45603 4 1.75177 - 1.62872 - 5 - 1.51665 1.65493 1.75177 6 1.74704 - 1.67361 - 7 - 1.91250 1.68501 1.74704 8 1.74772 - 1.69392 - 9 - 1.61927 1.70026 1.74772

10 1.74750 - 1.70548 - 11 - 1.85254 1.70951 1.74750 12 1.74760 - 1.71293 -

一辺を奇数個とする直接加算法では,必ず陰イオンか陽イオンが 1 個多い立方体セルで計算すること

になるため,収束値を中心に激しく振動している。一辺を偶数個にして電気的中性にするだけで,収束

が著しく速くなっており,マーデルング定数の計算には電気的中性のセルを考えることが肝要であるこ

とを示している。 すべてのイオン間のクーロン力を積算する全加算法では一辺のイオン数が増えるにつれて,計算量が

増えるという欠点がある。全加算法は,直接加算法の原点を結晶内の全イオン位置に走査して,他のイ

オンから受ける力を積算するのと同等であり,原点にとるイオンの電荷が正負を交互に繰り返するので,

直接加算法より収束が速いといえる。 一辺のイオン数がわずか 6 個の立方体セルで計算したマーデルング定数が収束値の 0.3%以内となり,

一辺のイオン数が約 30 個でほぼ収束値と等しくなるという計算事実(表 5)は,イオン結晶を形成する

原動力について重要な示唆を与えている。これは,一辺のイオン数が 6~30 個,NaCl なら一辺の長さが

約 1.4 ~80 nm を上回ると,これ以上の大きさの結晶を形成する原動力として,クーロン力が寄与しな

いことを示している。イオン間のクーロン力だけを考えるならば,これより大きな結晶を形成しても,

熱力学的(エネルギー的)には安定にならないのである。実際のイオン結晶では,これよりも大きな結

晶を形成するが,その原動力はイオン間のクーロン力ではないといえる。イオン結晶を大きくするため

の原動力としては,イオン結晶の表面が結晶内部より不安定なため(表面エネルギー),できるだけ表面

積を小さくしようとする力が働き,結晶粒子が大きくなることが考えられる。他にも,新しく核を作っ

た上で小さい結晶粒子が析出するより,他の結晶粒子表面に析出した方が速いため,熱力学的安定性よ

りも速度が優先され,結晶粒子が上記のサイズ以上に成長していることが考えられる。

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応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育

5.結論

マーデルング定数の計算法に関して,一辺に偶数個のイオンが並んだ立方体セルを考え,原点を立方

体の中心に最も近い位置に取ることで,従来の計算法に比べて最も簡単で最も収束の速い方法を考案す

ることができた。大学教育における数値計算演習で簡単に実践することができる。これまで,エブジェ

ンの提案する立方体セルでは収束が速いものの,頂点,辺上,面上にあるイオンがそれぞれ 1/8 個,1/4個,1/2 個とされるなど,実際の結晶状態に合わないことが指摘されていた。本研究で考案した立方体セ

ルは,エブジェンの考えた立方体セルにおける頂点,辺上,面上のイオンを原点からの距離を変えない

まま,片側の面に集めて 1 個の完成したイオンとしたものと同等であり,結晶モデルとしてはエブジェ

ンによるものより実状に合致していると考えられる。また,一辺のイオン数が 6~30 個で既に収束値に

ほぼ一致していることから,イオン間のクーロン力のみでは,結晶粒子を大きくするための原動力にな

らないことを指摘した。また,本稿では NaCl 型結晶のマーデルング定数のみを扱ったが,他の結晶構

造においても同様に電気的中性になるセルを考えれば,収束の速いセルとなることが予測される。

参考文献

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[原稿受付日 平成 29 年 8 月 11 日、採択決定日 平成 29 年 11 月 13 日]

露本 伊佐男

教授・博士(工学)

バイオ・化学部

バイオ・化学系

応用化学科

229応用化学統合演習におけるマーデルング定数の数値計算を活用した PBL 教育