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2019 年 6 月 プレスリリース 鏑木 かぶらき 清方 きよかた 作 幻の名作、《築地明石町》を新収蔵 11 月 1 日(金)から 44 年ぶりに公開! 東京国立近代美術館(東京・竹橋)では、近代日本画史に輝く名作、鏑木 かぶらき 清方 きよかた (1878-1972)の 《築地 つきじ 明石町 あかしちょう 》(1927 年)と、あわせて三部作となる《新 富 町 しんとみちょう 》、《浜町 はまちょう 河岸 》(どちらも1930年) を今年 6 月に収蔵しました。 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875- 1949)と並び称された日本画家です。1927 年に発表された《築地明石町》は、帝国美術院賞を受賞 し、清方を名実ともに日本を代表する画家のひとりに押し上げました。 この新収蔵の三部作を、2019 年11 月 1 日(金)から 12 月 15 日(日)まで、「鏑木清方 幻の 《築地明石町》特別公開」を開催し公開します。幻の名作と言われてきた《築地明石町》が公開さ れるのは実に44年ぶりとなります。《三遊亭円朝像》(1930年、重要文化財)や《明治風俗十二ヶ 月》(1935年)など、当館が所蔵する清方作品の名作も並ぶ特集展示を、どうぞ、ご期待ください。 《築地明石町》 《新富町》 《浜町河岸》 2019 年度日本博を契機とする 文化資源コンテンツ創成事業

幻の名作、《築地明石町》を新収蔵 · 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875-

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Page 1: 幻の名作、《築地明石町》を新収蔵 · 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875-

2019 年 6 月

プレスリリース

鏑木か ぶ ら き

清方き よ か た

作 幻の名作、《築地明石町》を新収蔵

11 月 1 日(金)から 44 年ぶりに公開!

東京国立近代美術館(東京・竹橋)では、近代日本画史に輝く名作、鏑木かぶらき

清方きよかた

(1878-1972)の

《築地つ き じ

明石町あかしちょう

》(1927 年)と、あわせて三部作となる《新富町しんとみちょう

》、《浜町はまちょう

河岸が し

》(どちらも 1930 年)

を今年 6 月に収蔵しました。

東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875-

1949)と並び称された日本画家です。1927 年に発表された《築地明石町》は、帝国美術院賞を受賞

し、清方を名実ともに日本を代表する画家のひとりに押し上げました。

この新収蔵の三部作を、2019 年 11 月 1 日(金)から 12 月 15 日(日)まで、「鏑木清方 幻の

《築地明石町》特別公開」を開催し公開します。幻の名作と言われてきた《築地明石町》が公開さ

れるのは実に 44 年ぶりとなります。《三遊亭円朝像》(1930 年、重要文化財)や《明治風俗十二ヶ

月》(1935 年)など、当館が所蔵する清方作品の名作も並ぶ特集展示を、どうぞ、ご期待ください。

《築地明石町》 《新富町》 《浜町河岸》

2019 年度日本博を契機とする

文化資源コンテンツ創成事業

Page 2: 幻の名作、《築地明石町》を新収蔵 · 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875-

【開催概要】

展覧会名:「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」

会 期 :2019 年 11 月 1 日(金)~12 月 15 日(日)計 39 日間

会 場 :東京国立近代美術館 所蔵品ギャラリー10 室(東京都千代田区北の丸公園 3-1)

開館時間:午前 10 時~午後 5 時、金曜・土曜は午後 8 時まで(入館は閉館の 30 分前まで)

休 館 日:月曜日(ただし 11 月 4 日は開館)、11 月 5 日

観 覧 料:一般 800(600)円 大学生 400(300)円

*( )内は 20 名以上の団体料金。いずれも消費税込

*高校生以下および 18 歳未満、障害者手帳等をお持ちの方とその付添者(1 名)は無料

*本展の観覧料で入館当日に限り同時開催の所蔵作品展「MOMAT コレクション」もご覧いただけます。

*同時開催の「窓展(仮称)」(11 月 1 日~2020 年 2 月 2 日)は別途観覧料が必要です。

無料観覧日: 11 月 3 日(文化の日)

主 催 :東京国立近代美術館、文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会

お問い合わせ:TEL 03-5777-8600(ハローダイヤル)

ホームページ:https://www.momat.go.jp/

鏑木清方とは…

鏑木清方(1878-1972)は東京神田に生まれ、浮世絵系の水野年方(1866-

1908)に入門し、挿絵画家として画業をスタートさせました。日本画では

文展、帝展を主たる舞台とし、美人画家として上村松園(1875-1949)と

並び称されました。

清方は大正前期、鳥居清長の《隅田川船遊び》から着想した《墨田河舟

遊》(1914 年)に見られるように、浮世絵をもとにした近世風俗を主なテ

ーマとしていました。それに変化が見られたのは大正末のこと。1923(大

正 12)年に起きた関東大震災を契機に再開発が進むなかで、清方は失わ

れゆく明治の情景を制作のテーマに加えます。

そうして生まれたのが《築地明石町》(1927 年)や、《三遊亭円朝像》

(1930 年)、《明治風俗十二ヶ月》(1935 年)、といった名作の数々でした。

その後、展覧会向きの絵とは別の、手もとで楽しめる作品を「卓上芸術」

と名づけ、画帖、絵巻などの制作に打ち込みました。

1927(昭和 2)年に帝展に発表した《築地明石町》は、審査委員たちの絶賛を受け、帝国美術院賞を

受賞しています。また、1930(昭和 5)年に発表した《三遊亭円朝像》は 2003(平成 15)年に重要文化

財に指定されています。文筆家としても名高く、『銀砂子』(1934 年)、『築地川』(1934 年)、『こしかた

の記』(1961 年)などの著作があります。東京国立近代美術館では 1999(平成 11)年に回顧展を開催し

ました。

鏑木清方(1956 年)

(根本章雄氏提供)

Page 3: 幻の名作、《築地明石町》を新収蔵 · 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875-

■■ 新収蔵作品 鏑木清方の“三部作” ■■

明治期に外国人居留地だった明石町。洋館の垣根には水色のペンキが塗られ、朝顔が名残の花を

咲かせています。辺りは朝霧で白く霞み、佃の入江に停泊した帆船のマストを背景に、髪はイギリ

ス巻、単衣の小紋の着物に黒い羽織姿の女性が、朝冷えに袖を掻き合わせてふと振り返る様子が描

かれます。

これぞ、代表作《築地明石町》

美人画家として上村松園と並び称された清方ですが、本人はそう呼ばれることを嫌っていました。

清方が理想としたのは、ともすれば絵空事として社会から遊離してしまうような芸術ではなく、我

が事として多くの共感が得られるような芸術だったからです。清方がそれを強く意識しはじめたの

は大正後期のことです。試行錯誤の末、明治 20 年代から 30 年代の人々の生活というテーマに行き

着きました。ここから清方の画業の後半がスタートします。

《築地明石町》は、そのスタートラインに位置する作品であり、早くも清方会心の作となりまし

た。ここに描かれているのは、清方がじかに体験した明治半ばのひととき。そして、清方が実際に

遊び場とし、慣れ親しんだ町の情緒そのものです。清方にはかつて、《江の島・箱根》(1916 年頃、

横須賀美術館蔵)、《隅田川両岸(梅若塚・今戸)》(1917 年頃、川口市蔵)といった近世の名所とそ

の情緒を女性を描いて表現した作例がありました。《築地明石町》の組み立てはそれらと大きく変

わりませんが、自身の経験と記憶に裏打ちされた分だけ、機微に通じていたと言えるかもしれませ

ん。《築地明石町》は、発表されるや否や、美術界のみならず一般からも絶賛されました。そして、

清方を名実ともに帝展を代表する日本画家のひとりに押し上げたのです。

鏑木清方《築地明石町》

1927(昭和 2)年、

絹本彩色・軸装、173.5×74.0 ㎝

Page 4: 幻の名作、《築地明石町》を新収蔵 · 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875-

1878(明治 11)年に新築なった新富座は、ガス灯、絵看板、櫓のない建物が特徴の新式の劇場で

した。新富町は有数の花街でもあり、新富座の前を稽古や宴席に向かう芸者たちが行き交いました。

女性は黒衿の古風な普段着姿で、髪は潰し島田に結っています。蛇の目をさし、高くて歯の細い雨

下駄で先を急ぐ様子が描かれます。

隅田川に架かる新大橋は 1912(明治 45)年まで木橋でした。橋の対岸は深川安宅町。歌川広重

の《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》にも描かれた火の見櫓は関東大震災まで残っていたと言

います。髪にバラの簪をさした娘が手にしているのは舞扇。浜町の藤間(藤間流三家のうちのひと

つ)からの稽古帰りの姿です。

鏑木清方《新富町》

1930(昭和 5)年、

絹本彩色・軸装、173.5×74.0 ㎝

鏑木清方《浜町河岸》

1930(昭和 5)年、

絹本彩色・軸装、173.5×74.0 ㎝

Page 5: 幻の名作、《築地明石町》を新収蔵 · 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875-

幻の名作、《築地明石町》

《築地明石町》が「幻の名作」と言われてきた所以は、歴史に残る近代日本画の名作であるにも

かかわらず、1975(昭和 50)年以来 44 年もの間、所在不明となっていたからです。

戦禍を免れた《築地明石町》が清方のもとにもたらされたのは 1955(昭和 30)年のことでした。

それを機に、《築地明石町》はしばしば展覧会に出品されるようになりました。清方自身が出品の仲

介役を果たしたからです。「鏑木清方自選展」(1962 年、銀座・松屋)、「近代日本の名作:オリンピ

ック東京大会芸術展示」(1964 年、国立近代美術館)、「毎日新聞創刊百年記念 鏑木清方展」(1971

年、銀座・松屋)などに、《築地明石町》は出品された記録があります。

しかし、1972(昭和 47)年に清方が亡くなると事情が変わりました。翌年から 3 回にわたって

サントリー美術館で開催された「回想の清方」シリーズの 3 回目(1975 年)に出品されたのを最後

に、《築地明石町》は忽然と姿を消したのです。以来 44 年、多くの人々が《築地明石町》の再登場

を待ちわびてきました。

※出品作品略称 ①《築地明石町》 ②《新富町》 ③《浜町河岸》

開催年 展覧会名 開催場所 出品作品

1929 年

(昭和 4) 「パリ日本美術展覧会」

ジュー・ド・ポーム

(パリ) ①のみ

1931 年

(昭和 6) 「名作女性美展」 東京府美術館 ①のみ

1937 年

(昭和 12) 「明治・大正・昭和 三聖代名作美術展」 大阪市立美術館 ①のみ

1956 年

(昭和 31) 「明治大正昭和美人画名作展」

銀座・松屋

(朝日新聞社主催) ①②③

1958 年

(昭和 33) 「近代日本における名作の展望」 国立近代美術館 ①のみ

1962 年

(昭和 37) 「鏑木清方自選展」 銀座・松屋 ①②③

1964 年

(昭和 39) 「近代日本の名作:オリンピック東京大会芸術展示」 東京国立近代美術館 ①のみ

1965 年

(昭和 40) 「明治の東京展」

サントリー美術館

(鏑木清方企画構成) ①②③

1967 年

(昭和 42) 「特別展 日本の素描 素描から作品へ」 山種美術館 ①とその下絵

1971 年

(昭和 46) 「鏑木清方展 毎日新聞創刊百年記念」

銀座・松屋

(毎日新聞社主催) ①②③

1975 年

(昭和 50) 「回想の清方 その三」 サントリー美術館 ①②③及び①の下絵

Page 6: 幻の名作、《築地明石町》を新収蔵 · 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875-

《築地明石町》のモデルとなったのは清方夫人の女学校時代の友人であった

江木ませ子(1886-1943)でした。ませ子は農商務省の官僚であった江木定男

(1886-1922)に嫁ぎ、夫婦そろって泉鏡花のファン倶楽部「鏡花会」に出入

りし、大正半ば頃から鏡花の紹介で清方に絵を習いに来ていました。清方は『続

こしかたの記』でませ子のことを「遠く回想する明石町の立ちこめた朝霧のな

かにふとこの俤が浮ぶと共に知人江木万世子(註:ませ子)さんの睫の濃い瞳

が見えて、そうしてそこにその姿を成した」と記しています。また、「夜会結び、

またイギリス巻と云ったやうだが、このくらい明治をよくあらはす髪かたちは

あまりない。上背のある美女・・・・・・江木ませ子さんにはそれが似合った」(「『明

石町』をかいたころ」『鏑木清方文集 1 制作餘談』)という文章も残しています。

《築地明石町》は肖像画ではないものの、作品の成立にモデルの存在が強く結

びついた、清方には珍しい作例でした。

残る2点、《新富町》と《浜町河岸》は、《築地明石町》の 3 年後、1930(昭和 5)年に制作されまし

た。《新富町》には新富芸者が描かれ、《浜町河岸》には浜町藤間流(日本舞踊)の稽古帰りになにげな

く踊りの仕草を復習する娘の姿が描かれています。新富町には清方が通った小学校があり、浜町河岸は

1906(明治 39)年から 1912(明治 45)年まで清方が住んだ場所でした。

実は、この 3 点は三部作として構想された作品でした。それが分かるのは、《新富町》、《浜町河岸》た

めの画稿(鎌倉市鏑木清方記念美術館所蔵)の片隅に、「築地明石町左右姉妹作」、「たかしまや昭和五年

九月」等と書き込まれていることによります。そして清方自身も自作自解で「三部作」と記しています

(『鏑木清方』毎日新聞社、1971 年)。3 点は寸法も同じならコンセプトも同じ。まさに三部作として、

お揃いの表具、お揃いの内箱があつらえられ、3 つがひとつに入る漆塗りの外箱に収められています。

Column 1 《築地明石町》のモデルは…

Column 2 《新富町》、《浜町河岸》とあわせて三部作だった

お揃いの表具。中廻しには白っぽい絽の地に平金糸と数色の色糸で花唐草をあしらった軽やかな

竹屋町裂が用いられている。

外箱は漆塗りで、なかに 3 つの内箱がピッタリと収まる。内箱それぞれに清方の手でタイトルと

署名が書されている。

Page 7: 幻の名作、《築地明石町》を新収蔵 · 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方は、美人画で上村松園(1875-

■■ 11 月 1 日(金)から所蔵品ギャラリー第 10 室で特別公開 ■■

東京国立近代美術館では、11 月 1 日(金)から 12 月 15 日(日)まで、所蔵品ギャラリー第 10

室において、新収蔵となった《築地明石町》、《新富町》、《浜町河岸》の 3 点を含む特集展示「鏑木

清方 幻の《築地明石町》特別公開」を行います。出品作品は以下のとおりです。

◎出品リスト(予定) ★は広報作品画像になります

指定・作品名 制作年 技法、形状

《築地明石町》★ 1927 年 絹本彩色、軸

《新富町》★ 1930 年 絹本彩色、軸

《浜町河岸》★ 1930 年 絹本彩色、軸

《《女歌舞伎》のための小下絵》 1910 年 彩色、紙、額(二点)

《墨田河舟遊》★ 1914 年 絹本彩色、屏風、六曲一双

《晩涼》 1920 年 絹本彩色、軸

重要文化財《三遊亭円朝像》★ 1930 年 絹本彩色、軸

《目黒の栢莚》 1933 年 絹本彩色、画巻

《弥生の節句》 1934 年 絹本彩色、軸

《端午の節句》 1936 年 絹本彩色、軸

《明治風俗十二ヶ月》 1935 年 絹本彩色、軸(十二幅対)

《初冬の花》 1935 年 絹本彩色、屏風、二曲一隻

《鰯》★ 1937 年 絹本彩色、軸

■■ 没後 50 年、2022 年に「没後 50 年 鏑木清方展」(仮称)を開催予定 ■■

2022(令和 4)年に、東京国立近代美術館では 1999 年の回顧展以来 2 度目、京都国立近代美術

館では初めてとなる両館で巡回する回顧展を開催します。詳細は決まり次第ご案内いたします。

【報道に関するお問い合わせは】

「鏑木清方 特別公開」広報事務局(担当:三井)

TEL. 03-3575-9823 / FAX. 0120-653-545 / E-mail. [email protected]

〒104-8158 東京都中央区銀座 7-2-22 同和ビル 7 階

《三遊亭円朝像》 1930 年 重要文化財

《墨田河舟遊》 1914 年

《鰯》 1937 年

本リリースでの掲載作品はすべてⓒNemoto Akio