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上代日本語のガ格について 活格説の問題点 菊 田 千 春 1. はじめに 本稿は,生成文法の枠組みによる古典日本語の研究の中で最近提案された 「上代日本語の主語標示のガ格は主格ではなく活格である」という説を検証 し,その問題点を指摘する。上代日本語の格標示には現代日本語のそれとは 異なる点がみられることがよく知られている。その一方で,少なくとも日本 語は上代より現代まで変わらず主格/対格システム(以下,対格システム) をとってきたと想定されてきた。それに対し,Yanagida & Whitman (2009)全く新たな提案をおこなっている。特に注目すべき点は,主格のノとガの区 別が統語的な違いを反映していると考えること,またさらに,上代日本語に は対格システムに加え,活格/非活格システム(以下,活格システム)が存 在する分裂活格システムであったと論じていることである。そして,上代か ら中古にかけて,日本語は,活格型から対格型へと格システムが変化したと 主張されている。 このような活格仮説は,これまで日本語の枠内だけで捉える傾向の強かっ た古典日本語を通言語的に位置づけるという点で非常に興味深い。また,言 語が変化するものである以上,古い時代の言語が現代の言語と同じタイプの 文法的な特性を持つことは検証されるべき問題であり,決して前提ではない。 その意味で,上代日本語も対格システムであるというこれまでほとんど疑わ れてこなかった暗黙の前提を問い直す意義は大きい。しかし,提案された活

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上代日本語のガ格について―活格説の問題点

菊 田 千 春

1. はじめに

 本稿は,生成文法の枠組みによる古典日本語の研究の中で最近提案された

「上代日本語の主語標示のガ格は主格ではなく活格である」という説を検証

し,その問題点を指摘する。上代日本語の格標示には現代日本語のそれとは

異なる点がみられることがよく知られている。その一方で,少なくとも日本

語は上代より現代まで変わらず主格/対格システム(以下,対格システム)

をとってきたと想定されてきた。それに対し,Yanagida & Whitman (2009)は

全く新たな提案をおこなっている。特に注目すべき点は,主格のノとガの区

別が統語的な違いを反映していると考えること,またさらに,上代日本語に

は対格システムに加え,活格/非活格システム(以下,活格システム)が存

在する分裂活格システムであったと論じていることである。そして,上代か

ら中古にかけて,日本語は,活格型から対格型へと格システムが変化したと

主張されている。

 このような活格仮説は,これまで日本語の枠内だけで捉える傾向の強かっ

た古典日本語を通言語的に位置づけるという点で非常に興味深い。また,言

語が変化するものである以上,古い時代の言語が現代の言語と同じタイプの

文法的な特性を持つことは検証されるべき問題であり,決して前提ではない。

その意味で,上代日本語も対格システムであるというこれまでほとんど疑わ

れてこなかった暗黙の前提を問い直す意義は大きい。しかし,提案された活

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菊 田 千 春90 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

格説には問題も多い。本稿ではガ格が活格であるという主張が十分な妥当性

をもつかを検討し,そう考えるには合理的な疑念が残ることを明らかにして

いく。そして,主語を標示するガ格とノ格の違いは格配列やそれを反映した

統語構造の違いというよりも,従来の指摘通り,前接する主語名詞の種類を

反映し,ガ格が示す主語の標示は活格というよりもやはり主格と呼ぶべきで

あると主張する。

 本稿の構成は以下の通りである。第2節は上代日本語の格の仕組みについ

ての先行研究を概説する。第3節では活格説とその根拠を示す。第4節では

活格説を検証し,その問題点を明らかにする。第5節は結語である。なお,

Yanagida & Whitman (2009)には目的語の格標示に関する議論や,格標示を保

証する具体的な統語構造の提案も含まれるが,ここでは主に主語の標示に限

定し,また,理論内的な提案の是非については踏み込まない。なお,以下で

は簡便のため Yanagida & Whitman (2009)を Y&W と呼ぶことにする。

2. 古典日本語の格へのアプローチ

2. 1. ガ・ノの分布と主格/属格説

 古典日本語は現代日本語と格のしくみが異なっていたことがよく知られて

いる。中でも,現代日本語では主格はガ,属格はノと区別されているが,古

典日本語ではガ,ノは共に主格でも属格でもあった。特に上代日本語では,

ガやノが主格標示となるのは従属節や係り結びなどの連体終止節に限られ,

主節の主語は無助詞であり,ハやモ,ソなどの係助詞がついても,主語に格

助詞ガ・ノがつくことはなかった。さらに対格の標示についても,現代日本

語に比べてヲを用いられることは少なく,無助詞のことが多かった。(1)に

これまでの通時的研究で明らかにされてきた主語標示ガ・ノに関する特徴を

まとめている。

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 91

(1) a. 終止形終止の主語や目的語はほとんどが無助詞であった。1

b. 従属節や係り結びの結び句など,連体形や已然形終止の節の主語は

ガやノを受けることが多かった(ただし,無助詞の場合も少なくな

い)。

c. ガやノは,ともに,属格としても用いられた。

 これらの特徴は,従来,名詞性と結びつけて説明されてきた。(1c)が述べ

るようにガやノは共に属格標示でもあるが,その一方,(1b)が述べる主語の

標示としてのガ・ノの生起環境である連体形節などは,そもそも名詞節であ

ることが多い。そこで,元来属格であるガやノが名詞的な節の内部に生起す

る場合にのみ主語を標示するようになったとする属格起源説が一般的であっ

た(金水 2001)。あるいは,野村(1993)のように,上代のガやノには,主

格と属格という区別そのものがなく,そのような動詞性や名詞性の区別が未

分化な格であるとする分析も知られている。

 また,ガとノは,主語標示の場合も属格の場合も,全体的にはノの使用の

方が圧倒的に多いが,それぞれほぼ同じ上接語に付く。ガとノの使い分けの

基準には諸説あり,喩的表現にはノしか用いられないこと,また,節全体を

主語,属格標示する場合にはガしか用いられないなどの特徴も見られる(野

村 1993)が,大まかには,上接する名詞の意味(種類)によって使い分け

られているとされる。たとえば,ガは表現者の身近な者を受ける場合が多く,

一般の人物を受ける場合も,何らかの親近感や親しみを感じる人であり,一

方,ノは表現者にとって畏敬の念を持つ対象や遠い存在,また,表現者が対

象を第三者の立場でとらえる場合(小路 1988)とされている。具体的には,

ガが付くのは主に1,2人称代名詞のワ(ア),ナや,誰(タ),君,妹,父母,

子らなどに限られ,同じ代名詞でも,指示代名詞ソにはノが付く。ただし,

たとえば,鳥などは,雁,雁がね,鶯,にほ鳥など,ほぼすべてにノが付く

が,雁や鶴(たづ)はガが付くこともあるなど,使い分けの基準を上接名詞

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菊 田 千 春92 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

の意味という点から完全に捉えるのも難しいと考えられている。

 このように伝統的な国語学では,主語標示のガ・ノは属格からの発展と考

え,上代から中古にかけてのガとノは上接名詞(または意味)によって使い

分けられているものの,文法的にはいずれも属格(または主格)であると考

えられていた。また,古典日本語と現代日本語では格助詞の義務性とガとノ

の分布に違いはあるものの,自動詞と他動詞の主語が同じ格標示を受ける主

格/対格システムの格配列をとるということが暗黙の前提となっていた。

2. 2. 生成文法での研究:活格説までの流れ

 時間や空間を超えて,すべての人間の言語は等しく普遍文法の制約を受け

ると考える生成文法では,古典日本語についても,すべての現代語と同様の

格認可の仕組みが働いていると考える。格認可の仕組みは言語の統語構造を

分析する際,もっとも重要な現象の1つと考えられてきたので,日本語の格

についても数多くの研究がなされてきた。特に生成文法では,動詞の項が受

ける格(主格や対格)は統語構造に基づいて認可されると考えられており,

異なる格は異なる構造を反映すると考えるのが原則である。そこで,古典日

本語の格のふるまいについても新しい分析が提案され,それらは,普遍文法

上の格理論という視点が導入されることで,前節で述べたような従来の国語

学とはかなり異なる提案となっている。

 たとえば,名詞性に強く依拠して主格ガ・ノ生起を説明する国語学の通説

に対し,Watanabe (2002)は,上代日本語の係り結びを分析する中で,結びの

連体形節の主語に現れるガやノは,主格付与をする Infl が wh-agreement の影

響を受けているからと考えている。つまり,主格のガやノは特殊な性質を持

つ Infl によって照合されるのであり,属格のガやノとはまったく異なる照合

メカニズムによるとする。

 一方,Y&W の理論的な前提となるのが,生成文法での古典日本語の格の

先駆的な研究であった Miyagawa (1989)である。これは主格ではなく対格を

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 93

取り上げた研究であるが,それまで単なる傾向として指摘されてきた主節と

従属節での格標示の違いを,統語的格付与のメカニズムの違いとして分析し

たことが画期的であった。前節の(1)でも述べたように,終止形終止である

主節では主格も対格も無助詞が標準であるのに対し,連体形節では格助詞が

用いられるが,これは,主節では統語構造によって格認可がおこなわれる(構

造格が付与される)一方,名詞性を持つ連体形は対格を与える力がなく,代

わりに格助詞(形態格)による格付与が必須になるからであると説明した。

Y&W はこの主張,すなわち,「終止形は対格を抽象格(=無助詞)として

付与するが,連体形節の対格は形態格ヲによって明示的に表されなくてはな

らない」を「Miyagawa の一般化」と呼び,活格説の出発点としている。

 ただし,Miyagawa の一般化は無助詞と格助詞ヲの相補分布を予測するが,

この予測には多くの例外の存在が当初より指摘されてきた。たとえば連体形

節内の目的語については,無助詞と格助詞ヲはほとんど同数ほど観察されて

いる(金水 1993)。このような批判に対して反証を試みたのが Miyagawa and

Ekida (2003)である。Miyagawa and Ekida (2003)は,Miyagawa (1989)の例外を

丁寧に検証し,それらがすべていくつかのタイプに分けられることを示した。

この Miyagawa の一般化やその反論の妥当性については,4.1節で再び触れる

ことにする。

 また Kuroda (2007)も Y&W とは異なるものの,能格性を視野に入れた議

論を展開している。終止形終止の主節内では主語も目的語も無助詞である

ことから,上代日本語は英語と同様に強制的照合言語(Forced agreement

language)であったと主張しているが,連体形述語節のガ・ノについては,

連体形述語が不定詞のようなもので強制的な照合がおこなえないために必

要な形態格(この場合は属格)だと分析している。Kuroda は反例の多い

Miyagawa の一般化は受け入れず,連体形節内で自動詞主語が無助詞になる

ケースにも言及している。そしてそれは自動詞主語が述語と照合しているの

だと考え,それを能格型言語の特徴になぞらえている。一方,主語標示のガ

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菊 田 千 春94 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

やノは他動詞目的語につくことはないので,その点では上代日本語は能格型

とは言えず,対格システムということになる。このように Kuroda は上代日

本語には対格システムの特性と能格型の特性の両方が見られると指摘した上

で,その理由として,上代日本語は能格型と対格システムが未分化の原始的

な格体系(Arche-Case System)をとっているのだと主張している。

 Kuroda (2007)の分析は,「原始的な格体系」という新たな提案をしている

とはいえ,上代日本語の対格性を否定し,能格性に言及しているという点で

Y&W に類似しているともいえる。2 しかし,大きな違いの1つは,ガ・ノ

を統語的に区別はせず,従来通り,その違いを語用論的・意味論的な機能に

よるものと考えていることである。また,ガとノを属格と考えている点でも,

国語学以来の分析を踏襲しているともいえるが,Inflection のタイプの違いに

よってこれらの属格が生起すると考えているので,Wanatabe (2002)の考えと

も類似性がある。

 このように,生成文法では,普遍文法的な視点から分析を加えることで,

古典日本語の格の現象についても,従来の国語学の固定観念に囚われない斬

新な主張がなされてきた。その点では,上代日本語に活格システムの格配列

を認める Y&W の分析は,それほど特異なものではない。なお,Y&Wの先

駆けとなる柳田(2007)は,活格を分裂能格性の一種ととらえ,上代日本語

の格のしくみを能格としている。しかし,その主張の重要な部分は Y&W と

重複するため,次節以降の議論の中で必要に応じて言及する。

3. 活格説とその根拠:

3. 1. 活格システムとは

 一般に,世界に見られる言語には主格/対格の格配列(alignment)を持つ

ものと能格/絶対格(ergative/absolutive)の格配列(以下,能格システム)

を持つものがあるとされてきた(Comrie 1978, Dixon 1979)。単純化していえ

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 95

ば,前者では他動詞の主語と自動詞の主語が同じ格標示(主格)を受けるの

に対し,後者では他動詞の目的語と自動詞の主語が同じ格標示(絶対格)を

受ける。このうち,特に後者の能格システムにはさまざまなヴァリエーショ

ンが見られ,1つの言語の中に能格システムと対格システムの両方が共存す

る分裂能格性を示すものも多い。一方,そのような分裂能格性と似てはいる

が異なるものとして同定されるのが活格システムである。活格システムでは

自動詞の主語が他動詞の主語と同じ格標示を受ける場合と目的語と同じ格標

示を受ける場合に分かれる。一般に,自動詞には意味的に非能格(unergative)

の特徴を持つものと非対格(unaccusative)の特徴を持つものがあるとされ

るが,活格システムでは,非能格的な自動詞の主語は他動詞主語と同じ格標

示(活格)を受ける一方,非対格的な自動詞の主語は異なる核標示(非活格)

を受ける。(2)は,他動詞の主語と目的語をそれぞれ A, O とし,自動詞の主

語をSとして,それぞれの格標示をまとめたものである。3

(2)

a. 主格/対格 b. 能格/絶対格 c. 活格/非活格

A S A A S(unerg)

O O S O S(unacc)

 このように,活格システムは,自動詞文に2つの異なるタイプを認め,非

能格的な自動詞主語は他動詞主語と同じ活格,非対格的な自動詞主語は他動

詞目的語と同じ非活格を付与される。換言すれば,自動詞か他動詞かに関わ

らず,また,主語か目的語かに関わらず,述語の項のうち動作主的な名詞が

主格 能格活格

非活格対格絶対格

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菊 田 千 春96 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

活格を受け,非動作主的な名詞が非活格を受けるシステムということもでき

る。対格システムや能格システムが主語・目的語という文法的な機能によっ

て格標示が決定されるのに対し,そのような文法機能よりも動作主性といっ

た意味に基づいて格標示が決定されることから,活格システムは意味的格

配列(semantic alignment)とも呼ばれる(Wichmann 2008)。活格性を決定す

る具体的な意味要因は言語によって異なるとされるが,Hopper & Thompson

(1980)の他動性(transitivity)や Dowty (1991)の Proto-Roles を規定する要因と

も類似性が見られ,主なものに,事象の動的性質(dyamicity),事象の完結

性(telicity),アスペクト,名詞の意味役割(特に動作主性や意志性の有無),

対象の受影性(affectedness)などが挙げられる(Donohue 2008, Wichmann

2008, Arkadiev 2008)。このような活格システムを持つ言語は南北アメリカや

オーストラリア,オセアニア等に見られ,従来,能格システムとされていた

言語にも含まれていると考えられている。代表的なものとして,Batsbi 語,

Lakhota 語,Guarani 語などが知られている(Donohue & Wichmann 2008)。

3. 2. 上代日本語の活格仮説とその根拠

 Y&W は,上代日本語の主節と従属節では異なる格配列が見られ,主節は

現代日本語と同様の対格システムである一方,従属節は活格システムである

と主張した。4 その考えは,主節と従属節が統語的に全く異なる格の仕組み

を持ち,従属節は構造的な主格や対格が付与されないという点で,Miyagawa

の一般化を下敷きにしている。5 そして,従属節の主語を標示するガ,無助詞,

ノはそれぞれ別の統語構造を持つと考えている。詳細は省略するが,ガは

Spec, vPの 位置で Inherent case として認可され,ノは,TP を含む DP の head

D によって,その TP 内で認可され,無助詞は defective vP を select するTに

よって in-situ で認可されるとする。そして,ガの場合,Inherent case がその

動作主性(活格性)を保証している。さらに,従属節が活格システムを持つ

という主張の根拠としては,ガ格の分布と接辞イ・サの分布という2点を主

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 97

にあげている。その根拠の詳細は以下の通りである。

3. 2. 1 ガ格の分布

 活格説の第1の根拠とは,ガ格の分布が活格標示であることを示すという,

もっとも直截的なものである。主語を標示するガとノはそれが標示する名詞

に違いがあり,ガがつくものはかなり限定されていることがよく知られてい

る。たとえば先に述べたように,1,2人称代名詞であるワ(ア),ナはガが

必ずつくが,ノがつくことはないし,無助詞になることもない。6 ノがつか

ずにガがつく名詞には他に「背子」「妹」「君」などがある。7 次の(3)の従属

節(連体形節)主語は,他動詞主語や自動詞の動作主主語であると考えられ

るが,いずれもガで標示されている。8

(3) a. 妻子ろを いきに我がする (伊吉尓和我須流)(3539)

b. 君がゆく道  (君我 由久道)(3724)

c. をとめらが 夢に告ぐらく (乎登売良我 伊米尓都具良久)(4011)

 その一方,(4)が示すように,従属節(連体形節)主語が自動詞の非動作

主的な主語である場合にはガはつかず,ノしかつかない。

(4) a. よき人の よしとよく見て よしと云ひし吉野

(淑人乃 良跡吉見而)(27)

b. 花の咲く月 (花能 佐久都奇)(4066)

 また,(5)が示すように,同じ動詞でも,その解釈に動作性の違いがある

場合,動作主的な主語(5a)はガ格で標示されるのに対し,静的な主語(5b)は

ガ格がつかず,無助詞で現れている。

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菊 田 千 春98 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

(5) a. 君がゆく 道の長て (君我由久 道乃奈我弖)(3724)

b. 明日香河 ゆく瀬を はやみ (明日香河 逝湍乎早見)(2713)

 さらに,柳田(2007)の観察によれば,『万葉集』ではノが他動詞主語に

も自動詞主語にも用いられる一方,ガは他動詞主語には用いられるが,自動

詞の非動作主語には用いられないという。このことから,ガは動作主語の格

マーカー,すなわち活格であると主張されている。

 ところで上記の定義によれば,活格システムでは活格と非活格は述語の他

動性,また,主語の意味役割(動作主性)によって区別されるが,それだ

けではなく,Silverstein (1976)以来,活格性を含めた分裂能格性の区別には,

名詞の指示的特性が関与するともいわれている。名詞の指示的特性とは,名

詞の指示対象の持つ特性である。一口に名詞とは言っても,そこには代名詞

から固有名詞,一般名詞の区別があり,一般名詞にも,人間を指すものから,

動物,非生物,また,具象物ではなく抽象的なものまで,指示対象は様々で

ある。そして,各言語によって程度の違いはあるものの,このような指示対

象の区別が様々な言語現象と結びついていることがよく知られている。その

ような指示的な特性に基づく言語現象をとらえるのに,次のような名詞階層

を想定するのが有効であるとされている。

(6) The Nominal Hierarchy (Silverstein 1976)

pronouns > proper nouns > common nouns

1st > 2nd > 3rd person human > animate > inanimate

 この階層は,意志性や有生物性といった名詞の指示対象の本質的な物理的,

存在論的特徴と,人称や代名詞性といった談話の場での指示性を同時に含み,

いわゆる egocentricity(自分中心)と anthropocentricity(人間中心)といった

言語の主観的な指示的特徴も反映している。左端(すなわちもっとも名詞階

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 99

層の高い位置)を占めるのは話し手と聞き手自身を指す人称代名詞で,左へ

いくほど(階層が上がるほど)話者に心理的にも近いものになり,右へ行く

ほど(階層が下がるほど)話者から遠いものと解釈することもできる。

 分裂能格や活格といったシステムはこのような名詞階層を写し出し,名詞

階層上の特定の位置がシステムの分裂点となる傾向が見られる。一般に分

裂能格性を示す言語では,同じ主語でも名詞階層が高いほど主格(=対格

システム)を示し,低いほど能格で標示されると言われている(Croft 2003,

Donohue 2008)。一方 Y&W は,活格システムの場合にはその逆があてはま

り,名詞階層が高いほど活格標示を受けるという。そしてその例として,

1,2人称代名詞は活格システム,3人称複数代名詞は対格システムを示す

Lakhota 語や,同様に,活格が1,2人称に限定される Batsbi 語,また,活格

が人間を指す名詞に限定される Central Pomo 語や Georgian 語などの例を挙

げている。9 本来,格システムの分裂点がこのような名詞階層を反映するの

は不思議に思われるかもしれないが,必ずしもそうでもない。名詞階層が高

いものは意志を持つ人間であり,無生物がもっとも低い位置にあるというこ

とは,名詞階層が高いものは潜在的に動作主となりうるものと考えることが

できる(Dixon 1979, 尾谷・二枝2011)。

 Y&W は上代日本語の活格システムも名詞階層と強く結びつくと主張す

る。前節で述べたように,ガは1人称や2人称代名詞を始め,表現者の身近

な者を受ける場合が多く,一般の人物を受ける場合も,何らかの親近感や親

しみを感じる人であり,その一方,ノは表現者にとって畏敬の念を持つ対

象や遠い存在,また,表現者が対象を第三者の立場でとらえる場合(小路

1988)とされてきた。このような違いは,名詞階層の違いと捉え直すことが

できるかもしれない。つまり,上代日本語の従属節内では,名詞階層が高い

名詞は活格システムをとり,動作主語は活格であるガ格で標示される。一方,

それ以外の名詞はガ格を受けることはできず,ノ格か無助詞で標示されるの

である。

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菊 田 千 春100 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

3. 2. 2. 動詞接頭辞イ・サ

 日本語に活格システムがあったとする第2の根拠は,述語の活格性(動的

行為である度合い)によって使い分けられていると考えられる接辞の存在で

ある。上代日本語にはイとサという接辞が使われていたが,これらが何であ

るのかについてはさまざまな説があり,結論は出ていない。Y&W はこれら

を動詞に接続する接頭辞と分析し,イは述語が活格述語(より動的な行為を

表す述語)であること,サは非活格述語(より静的な状態を表す述語)であ

ることを示すとした。10

 もちろん,すべての述語にイやサがつくわけではない。4000首あまりある

『万葉集』の中で,イは74回,サは30回用いられるだけだが,両者ともほと

んどが名詞節(=活格システム)内に生起する。そのうち,(7)に示すよう

に,イは「立たす」「隠る」「吹く」「行く」「取る」といった動的な行為を表

す述語とともに用いられる。特に「行く」には28例見られ,イの3分の1以

上を占める。それに対し,(8)に示すように,サは「寝る」「につらふ」(=輝く)

などに付く。動的行為を表すと思われる「走る」「踊る」「渡る」「並ぶ」に

サが付くこともあるが,その場合,「寝る」以外はすべて主語が非人間(鳥,

魚,動物,自然)であり,名詞階層の低いものに限られる。

(7) a. 久米の若子が い触れけむ 磯の草根(435)

b. 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ(971)

(8) a. 河瀬には 鮎子さ走り(475)

b. さ寝し妻屋に 朝には出で立ち(481)

また,「渡る」はイ,サのいずれとも共起するが,イを伴う場合には他動性

が高く,意志性や動作主性をもち,完結相(telic)であるのに対し,サを伴

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 101

う場合には,非動作主的で非完結相(atelic)的な意味解釈を持つとされて

きた。

(9) a. 天の川 橋渡らせば その辺ゆも い渡らさむ(4126)

b. 雲間より さ渡る 月のおほほしく相見し子(2450)

 このような述語の接辞は,主語の格標示ではないものの,上代日本語の従

属節内に活格システムと同様のカテゴリー対立―動的・意図的行為と非動的・

非意図的出来事―が言語的な区別として存在していたことを示唆し,活格シ

ステム仮説の蓋然性を高めるものと考えられている。

3. 2. 3. 中古にかけての活格システムの崩壊

 このような2つの点に加え,Y&W では,言語変化についても議論を加え,

日本語が活格システムから対格システムの言語へと変化したことを裏付けよ

うとしている。具体的には,上代日本語に至る以前の原日本語(Proto-Japanese)

の統語的変化と,上代から中古にかけての通時的変化が類型論的な視点を含

めて議論されている。明確な文献証拠のない原日本語の姿は推定の域を出な

いが,上代から中古にかけての変化については,柳田(2007)と同様,中

古初期の文献とされる『西大寺本金光明最勝王経』のデータを用いている。

Y&Wは,『万葉集』で見られたガ格の分布に比べ,『西大寺本金光明最勝王経』

では,ガの使用が少なく,さらに付与される主語の種類が減って1,2人称

代名詞ワ・ナにほぼ限定されていると指摘する。

 重要なのは,ガ格は上代に一定数見られ,中古期以降も主格として使われ

続けることになるが,その過渡期に主語標示のガ格が衰退した一時期があっ

たという主張である。Y&W は,『西大寺本金光明最勝王経』でガの生起が

少なく,種類も限定されるのは,活格システムが衰退していることを示唆す

ると述べている。11 そして,その後,日本語では活格システムは消失し,対

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菊 田 千 春102 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

格システムのみの言語となって現代に至る。この過渡期を経て,ガ格は活格

から主格へと変容するというのである。

4. 活格説の問題点

 従来の日本語研究では,それぞれの理論的な立場は違っても,ほとんどが,

主語標示のガとノはいずれも統語的には同じ性質を持ち,その違いは意味的

なものであると考えてきた。それに対し,Y&W の主張は,両者は全く別の

格配列のシステムのものであり,また,統語的にも全く異なるとしている点

で画期的である。しかしその説の根拠は本当に強固なものなのだろうか。本

節では,ガとノの違いを統語的な違いと考えることや,ガを活格と定義する

ことには多くの疑問が残ることを指摘し,やはりこの両者の違いは意味的な

違いと考えるべきであることを論じていく。

4. 1. 論拠となる Miyagawa 仮説の疑問

 Y&W の活格説は上代の主格標示を中心に扱っているが,その理論的な根

拠として Miyagawa の一般化が大きな意味を持つ。「終止形は対格を抽象格

(=無助詞)として付与するが,連体形節の対格は形態格ヲによって明示的

に表されなくてはならない」というMiyagawa の一般化の中でも,特に,主

文と従属文では格標示の仕組みが全く異なるということ,そして,従属節内

には統語的な抽象格としての対格は付与されないということが重要である。

では,その一般化は本当に支持されるものだろうか。

 2.2節でも述べたように,「終止形節(主節)は無標示,連体形節はヲ格標示」

という相補分布が『万葉集』のデータでは確かめられないという批判は当初

からあった。それに対し,Miyagawa & Ekida (2003)は,反例とされたものを

網羅的に検証し,それらすべてがいくつかのタイプに分けられることを示し,

Miyagawa の一般化の反駁を行っている。しかしながら,この反駁が本当に

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 103

Miyagawa の一般化を擁護しえているかには疑問がある。

 たとえば,連体形節内の目的語が無助詞の場合について,Miyagawa &

Ekida (2003)はそのほとんどが単独の名詞(N)で,指示内容も非特定のもの

が多いことから,これは通常の無助詞目的語なのではなく,動詞抱合(verb

incorporation)が起こっているのだと主張している。柳田(2007)や Y&W

はこの主張を受け入れ,従属節の目的語が無助詞の場合には,もはや独立し

た目的語ではなく,動詞に抱合されて統語的な格を必要としなくなっている

と考えている。ただ,Kuroda (2007)が指摘するように,『万葉集』のデータ

はほとんどが31文字の短い韻文であるため,連体形節の無助詞目的語が単独

の名詞ばかりとはいっても,それを統語的な理由に帰することができるのか

には疑問が残る。上代日本語の研究が依拠することの多い『万葉集』は,ま

とまった分量のデータを含み,扱いやすいコーパスといえるが,350年もの

長期にわたって収集されており,それぞれの歌の詠まれた時期が確定できな

いものが多いのに加え,あくまでも歌集であり,ほぼすべてのデータは韻文

である。そのため,特に韻律,文体,音節数に直接関わる語順や格の脱落な

どの問題については,断定的な結論を導きにくいという致命的な問題を本質

的に抱えている。

 また,この動詞抱合のケースは統語的な説明が与えられているものの,そ

れ以外の反例については,統語的な説明がほとんど与えられていない。12 た

とえば「主節でも,複合動詞の目的語,特に連用形の場合にはヲ格が出現す

る傾向が高い」(p. 31)という観察や「連体形節内でも,形式名詞コトがつ

くと,ヲ格がなくてもよい(生起確率は5割程度)」(p. 36),「「文(ふみ)」

はヲ格を伴わない傾向が強い」(p. 38)という観察を初め,事細かに例外が

タイプ分けされているが,それだけではタイプ分けに過ぎない。つまり,

Miyagawa & Ekida (2003)は,Miyagawa の一般化に合わないいくつかの特殊

な「例外タイプ」を同定してはいるが,その多くは「このような例外的な格

パターンが慣習的になぜか存在する」と示しているだけで,統語的な根拠を

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菊 田 千 春104 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

与えるに至っていないように思われる。13 では,「慣習的な格パターン」で

あれば,統語的な制約を受けないということなのだろうか。しかし,そもそ

も,傾向としては指摘されていたヲ格と無助詞の分布を,統語理論に支配さ

れた離散的な現象と分析したのが Miyagawa の一般化の重要な点である。も

しも多くの単なる「慣習的な格パターン」が許されるなら,Miyagawa の一

般化に沿っていると見えるデータも,同じような「慣習的な格パターン」と

して存在する可能性が否定できず,はたして統語理論による説明を必要とす

るのかという疑問がわいてしまうことになる。

 さらに,最近の広範な調査からも Miyagawa の一般化への強い疑義が示さ

れている。Wrona & Frellesvig (2010)は,韻文である『万葉集』が韻律,文

体,音節数の制限を強く受けてしまい,自然言語としての上代日本語の姿を

直接示すとは言い難いことから,散文である祝詞と宣命をデータとして検証

し,Miyagawa の一般化は上代日本語では成り立たないということを証明し

た。主節と連体形節内での無助詞とヲ格標示の相補分布は全く確認できず,

Miyagawa & Ekida (2003)の説明もあてはまらなかったと述べている。動詞の

隣接性とヲ格標示には関係はあるが,絶対的な生起条件ではなく,相対的な

傾向でしかないという。そして,柳田(2007)らの主張に反し,ヲ格は対格

であること,上代日本語は主節も従属節も能格ではなく対格システムを持つ

と主張している。

4. 2. 非活格の位置づけ

 活格言語は多くの能格言語と同様多様な振る舞いを示すが,活格システム

の基本的な定義は3. 1節で述べたとおり,「自動詞の主語のうち,動作主的

なものは他動詞主語と同じ標示(活格)を受け,非動作主的なものは他動詞

目的語と同じ標示(非活格)を受ける」というものである。上代日本語の場

合,従属節に現れる主語の標示はガかノか無助詞であるが,このうちガが活

格ならば,何が非活格を表すのだろうか。この点についての Y&W の扱いは

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 105

あまり明確ではない。ガ格以外の主語標示であるから,ノ格か無助詞が非活

格の候補と思われるが,いずれも「非活格標示」とは考えられていないよう

である。

 まず,第1の候補として,従来から知られているように,ガ格とノ格は上

接語によってほぼ相補分布するし,(4)の例については,「ノ格が非動作自動

詞(inactive intransitive)と共起している (113)」と述べられていることからも,

ノ格が非活格標示のように見えるかもしれない。しかしながらそうではない。

というのも,ノ格は他動詞目的語を標示することはない一方,実際には,ノ

格は他動詞主語も自動詞主語もいずれも標示するからであり,その点で,あ

きらかに主格的なのである。そのため,Y&W はこれを「主格と似た振る舞

いをする」としながらも,「属格と呼ぶ」ことにしている。14

 では,(5)の例に見た無助詞はどうだろうか。ガ格と無助詞は上接語によ

る分裂はなく,また(5)が示すようにガ格と意味的に対立するように見える

ことから,非活格の候補と考えることができる。しかし,これについても,「不

特定(nonspecific)な動作主ではない対象主語は,格標示としては,in-situ

でTから主格を受ける(122)」とされている。15

 このように,Y&W が想定する上代日本語の活格システムは,活格と対に

なる非活格が存在しない不完全なものである。活格を受けない主語は,代わ

りに主格か,主格と似た属格を受けることになる。Y&W は名詞階層と活格

の関係を認めているが,その関係の詳細については曖昧さを残している。ガ

格とノ格がそれぞれある種の名詞にしかつかないという事実があり,そのう

ちノ格が「主格と似たふるまい」の属格であるならば,名詞階層が高い名詞

にのみ活格システム,低い名詞は対格システム,と考えざるを得ない(非活

格ならば,他動詞の主語標示に使えないはず)。つまり,主節に加えて,従

属節(連体形節)も名詞階層の低い主語の場合は対格システムで,従属節の

名詞階層の高い主語の場合のみが活格システムということになり,その活格

システムには非活格の標示がないということになる。16

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菊 田 千 春106 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

4. 3. 名詞階層と述語の他動性の矛盾:流動性活格性の問題

 もちろん,活格や能格型の言語が不規則的な側面を持つのは一般的な事実

であり,活格システムと言いながら活格のみで非活格を一義的に標示する格

助詞がないとしても,それだけで活格説を否定することにはならないだろう。

名詞階層の高い主語が他動性の高い従属節の主語になっているときのみを活

格(=ガ),それ以外を非活格的な主格(=無助詞)と捉えればよいのかも

しれない。その場合,ガ格と無助詞の区別が,述語などの表す他動性の高さ

とも連動していることが期待される。しかし,格標示と述語の他動性との結

びつきは,少なくとも表面的にはそれほど単純ではない。

 柳田(2007)やY&W はこの事実を認識しており,それゆえ,Dixon (1979)

に倣って「流動的活格性(fluid S)」という概念を導入している。流動的活

格性とは,同じ述語また同じ名詞であっても主語の行為に対する意志性(動

作主性)を反映して活格になったり非活格になったりするような活格性を言

う。たとえば Dixon (1979)によれば,Batsbi 語はそのような言語の1つであ

るという。この言語では1,2人称代名詞のみが活格システム,それ以外は

対格システムの格配列をとるが,前者の場合,たとえば(10)に示すように,

同じ主語(1人称複数代名詞)で同じ述語「倒れる(fall)」であっても,その

主語は活格・非活格のいずれでも起こりうる。そして,活格(能格)の場合

は意図的に倒れることを,非活格(絶対格)の場合には意図せずに倒れるこ

とを表す。

(10) Batsbi: Northeast Caucasian (Comrie 1978, p. 366)

a. Txo naizdrax qitra.

we-Abs to-the ground fell

‘We fell to the ground (unintentionally).’

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 107

b. Atxo naizdrax qitra.

we-Erg to-the ground fell

‘We fell to the ground (intentionally).’

 上に挙げた(5)の例(以下に再掲)では,同じ動詞「ゆく」がガ格と無助

詞で現れ,それぞれが意図的な行為と,非意図的な状態にうまく対応してい

るが,Y&W は,これを上代日本語の流動的活格性を示す証拠としている。

(5) a. 君がゆく 道の長て  (君我由久 道乃奈我弖)(3724)

b. 明日香河 ゆく瀬を はやみ (明日香河 逝湍乎早見)(2713)

ところで,この(5)では,ガ格は名詞階層の高い「君」に付き,無助詞は無

生物の「河」に付いている。それゆえ,ここでは名詞階層が高い主語は他動

性も高く,低い名詞は他動性も低いという対応が見られている。しかし,そ

のような例ばかりではなく,(10)と同様,『万葉集』のデータでも,同じ主

語と述語で格標示が異なることもある。流動的活格性はそのような場合の矛

盾を解決する方策であるが,その妥当性には疑問もある。

 たとえば次の(11)を見てみよう。ここでは,いずれも主語は「妹」,述語は「見

る」であるが,主語の格標示が異なっている。

(11) a. 妹が見し やどに花咲き (妹之見師)(469)

b. 我が振る袖を 妹見つらむか (妹見都良武香)(132)17

 「妹」はノ格をとらず,ガ格または無助詞を受ける名詞である。だから,

動作主語の場合には活格であるガ格をとり,非動作主語の場合には無助詞を

受けると予測される。つまり流動的活格説が正しければ,(10a)のようにガで

標示される場合には意図的に見たこと,(10b)のように無助詞の場合には偶

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菊 田 千 春108 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

然見たことというような対立があるということになるだろう。しかしそのよ

うな意味対立があったかどうかは,文脈を見ても明らかではない。言うまで

もなく上代日本語には母語話者は存在しないから,この意味対立を確認する

術はない。しかし,このような場合,流動的活格説を論拠に「ガであるから

動作主語のはず」と考えるのは,もちろん循環論でしかない。

 また,たとえば 柳田(2007)は「イが非能格動詞「行く」に接辞する例

は数多くあるが,非対格動詞「来る」に接辞化する例は一例もない(158)」

と述べているが,そのわずか2ページ余り後で,同じ「来る」が「我が」,「汝

が」,「君が」という代名詞と生起する例に言及し,非対格動詞でも主語がガ

格で標示されているのは代名詞や固有名詞が普通名詞よりも(潜在的)動作

性が高いことを理由としてあげている。しかし,名詞階層が高いことによる

「潜在的な動作主性」だけでガ格標示が決まるのであれば,主語標示のガは

活格性というよりも名詞の種類の問題にすぎないともいえる。つまり,従来

の名詞の種類による使い分けという説の言い換え以上のものではなくなって

しまう。

 このように,イ・サの使い分けの基準が述語の他動性で,それが上代日本

語の格標示の活格性の間接証拠となるのであれば,後者の活格性も名詞階層

以上に,述語の他動性を反映しているべきではないかと思われるが,実際に

はそうとは言い切れない。流動的活格性は矛盾の解決には役立つが,母語話

者がすでに存在せず,データが限定された上代日本語にとって,それは循環

論への道を安易に開いてしまい,主張を検証不可能なものにしてしまう危険

をはらんでいる。

4. 4. 非意志的な名詞のガ標示

 前節では,流動的活格性という強力な概念はすべてのガ格を活格と分析す

る道を開くように見える一方,本当にガ格を活格と考えられるのか疑問が残

る例を見た。しかし,活格があくまでも動作主的な主語,あるいは,外項を

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 109

標示するという本来の定義に立ち帰ると,流動的活格性という概念を使って

も活格と解釈することができそうにないガ格の例もある。

 柳田(2007)の観察によれば,『万葉集』ではノが他動詞主語にも自動詞

主語にも用いられる一方,ガは他動詞主語や自動詞の動作主語には用いられ

るが,自動詞の非動作主語には用いられないという。しかし,この観察につ

いても,そうとは思われない例が存在する。

(12) うつそみと 思ひし妹が灰にていませば 

(念之妹我 灰而座者)(213)

(12)の「妹が灰にていませば」は「妹が(亡くなって)灰になっている」と

いう意味で,この「います」は「あり」の敬語であると考えられている。こ

れらの主語「妹」は通常は動作主とは考えられない。この場合の主語が「活格」

であると考えるためには,この述語の意味を非能格的,すなわち「動的」に

解釈することが必要であるが,それは困難ではないだろうか。仮に「妹」の

名詞階層が高く,潜在的動作主性が高いとしても,それだけで活格と呼ぶの

であれば,やはりガは名詞の種類を反映しているにすぎないと考える方が適

切に思われる。

 さらに興味深いのは,次のような例である。

(13) うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思

へば  (念之妹之 珠蜻 髣髴谷裳)(210)

(13)は「(死んでしまったために)妹がほのかにさえも見えない」という意

味である。この述語は「見ゆ」の否定形であり,中古以降の「る・らる」に

対応する「ゆ・らゆ」という自動詞化,受身化の助動詞を含んでいる。重要

なことは,これらの助動詞を含む文の主語は,本来,他動詞の内項で対象格

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菊 田 千 春110 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

(Theme)に相当するということである。自動詞化によって動作主の存在が

背景化され,この対象格の名詞は叙述の中心(主語)となっているが,主語

になるとはいえ,もちろんそれ自身が働きかけをする側になるわけではない

から,動作主性は全く持たないし,活格と呼ぶことはできそうにない。なら

ば,なぜ,(13)の主語「妹」はガ格をうけているのだろう。「主語は叙述の

中心だから動作主的」ということは論理的に不可能である。それでは非活格

主語は存在し得ないからである。

 実のところ,このような「る・らる」の主語がガ格を伴う例はこれだけで

はない。「思ほゆ」「見ゆ」の主語が「君」「妹」などの時にガ格を伴ってい

る例は以下のような例を含めて10例以上もあり,決して例外的な用法とは思

われない。

(14) a. 朝撒きし 君が思ほえて 嘆きはやまず (君之所思而)(1405)

b. はだすすき 穂に出し君が見えぬこのころ(伎美我 見延奴)(3506)

c. 五百重 隠せる佐堤の崎さで 延へし子が夢にし見ゆる

(子之 夢二四所見)(662)

 自発をあらわす「ゆ・らゆ」を含む文がどのような構造をもつのか,また,

どのように派生されるかについては Y&W には言及がないし,この場合の主

語の格をどのように考えるかについても明らかではない。もちろん,通常の

主語と全く同じと考えることはできないだろう。しかし,この主語が動作主

的と考えられないばかりでなく,意図性を持たず,明らかに他動詞の内項で

あるのは明らかである。このような主語をも標示するガ格を本当に活格と呼

びうるのだろうか。

 Y&W では,活格であるガ格は,主語である外項が動作主という役割を担っ

ているという制約の下で,Inherent case として現れることになっている。本

節で見たような自発の構造では,本来,述語の内項で対象に対応するような

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 111

名詞句が主語となるのだから,動作主の場合のガ格と同じ方法で認可される

とは考えにくい。では,自発の主語の場合のガに対しては,活格でもない特

別な格の認可方法を考えるのだろうか。しかし,もしもガ格は動作主主語を

あらわす格(活格)であると同時に,自発の場合には対象である主語も標示

する格であるとしたら,結局,ガ格は主題役割や動作主性には関与しない「主

格」ということになるのではないだろうか。

 ところで,「ゆ・らゆ」が表す自発は他動詞の目的語を主語にするという

意味で受動の一種であると考えることもできる。受動,自発は一般的に対格

システムの言語にみられる自動詞化の操作で,他動詞の目的語に自動詞の主

語と同じ格標示を与える。能格システムでは,そのような操作をしなくても

他動詞の目的語と自動詞の主語は同じ格標示を受けていることから,このよ

うな自動詞化は馴染まないし,活格の場合にも,格が意味を反映しなくなる

ため,このような操作は馴染まない。つまり,自発という文法操作があり,

それによって主語がガ格を受けるということは,ガ格が対格システムの主格

であると考えるべきことを示しているのではないだろうか。

 最後に,これもよく知られているように,述語連体形(または節)が主語

となっている場合にはノは用いられず,ガしか用いられない。このガが活格

と呼べないのは明らかであろう。このような節主語は動作主解釈が不可能で,

名詞階層にも含まれない可能性が高いため,そもそも他の名詞句の場合とは

区別して考えるということになるのかもしれない。しかしガ格を主格と考え

るならば,そのように区別し,例外扱いする必要はない。

 このようにガ格の分布は主語名詞の種類によって規定されていることは間

違いないし,これを名詞階層に関連づけて理解することはある程度可能であ

り,有益であると思われるが,それをもとにガ格の分布を活格システムとし

て捉えるには,明らかに矛盾が存在することは否定できない。もちろん,日

本語が活格システムから対格システムへ移行しようとしている途上にあると

すれば,対格システム的な操作があるのも不思議ではないといえるかもしれ

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菊 田 千 春112 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

ない。しかし,上代日本語のガ格を活格とするという主張には,首肯しがた

い事実が存在するのは確かである。

4. 5. 中古初期にかけての変化の検証

 上代日本語の従属節に見られた活格システムは中古にかけて崩壊し,現代

にも通じる対格システムの言語へと日本語は移行していくということになる

のだが,上述のように,柳田(2007)と Y&W は,中古初期の『西大寺金光

明最勝王経』には活格システムが崩壊途上であることを示す証拠があると

主張している。たとえば,その1つが,ガ格の分布がさらに限定され,主に

1人称と2人称代名詞(ア,ナ)としか共起しなくなっていることである。18

ここで問いたいのは,『西大寺金光明最勝王経』において,上代から格シス

テムはそんなに大きく変化しているのかということである。結論から言えば,

活格システムの崩壊を示唆するほどの変化の証拠は見いだせない。

 まず確認しておきたいのは,『万葉集』に見られる主語標示のガ・ノと属

格のガ・ノの分布の様子である。主語標示のガ・ノと属格のガ・ノの間には

いくつかの点で類似性が認められる。第1に,主語標示も属格も,いずれも

ノの方が圧倒的に生起数が多く,ガはより強い制約を受けているように思わ

れる。また,主語標示,属格のいずれも,ガを受けることができる名詞の大

半は同一である。そして,いずれの場合も,ガとノには,相補分布に近い関

係がある。すなわち,ガ格とノ格の上接語は,名詞の種類でほぼ区別されて

いる。下の表は,『万葉集』における主語標示のガと属格のガが受ける名詞

とその生起数を記したものである(cf. 小路(1988)より作成)。

(15) 『万葉集』での主語表示のガの上接語とその用例数:名詞君 妹 吾妹子 わが背子 おとめら 母(父母)子ろ(ら) 他 計

90 49 37 28 16 9 6 23 258

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 113

(16) 『万葉集』での主語表示のガの上接語とその用例数:代名詞わ あ な おの し これ 計

45 31 4 3 2 1 86

(17) 『万葉集』での属格ガの上接語とその用例数:名詞君 妹 吾妹子 わが背子 おとめら 母(父母)子ろ(ら) 他 計

39 97 26 25 11 5 9 76 288

(18) 『万葉集』での属格ガの上接語とその用例数:代名詞わ あ な おの た(誰) 計

89 34 7 8 3 141

 (15)-(18)の表が示すように,ガの上接語には1,2人称代名詞「ワ・ア・ナ」

などがあるが,一般名詞では,「君」「妹」「わが背子」「吾妹子」「おとめら」「子

ら」などが多い。19 主語の場合にはこれらがガの上接語となる一般名詞の事

例全体の79.1%を占めるが,属格の場合も,「君」「妹」「わが背子」「吾妹子」

が一般名詞の事例の77.9%を占めている。

 では,『西大寺金光明最勝王経』ではどうだろうか。もともとガはノより

も圧倒的に少ないものの,確かに柳田(2007)や Y&W が指摘するように,『西

大寺金光明最勝王経』ではさらに主格のガは少ししか観察されず,主に1人

称代名詞(我)を受けて生起し,一般名詞につく例は非常に少ない。下の表

にその数を示す。

(19) 『西大寺金光明最勝王経』での主語表示のガの上接語とその用例数:代

名詞と名詞我 汝 彼 弟 妙幢 真如 計

15 3 2 2 1 1 24

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菊 田 千 春114 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

(19)の表は代名詞と名詞を合わせて載せているが,確かにそのほとんどが人

称代名詞,特に「我」が60%以上を占め,一般名詞および固有名詞はわずか

である。では,これは活格システムの崩壊を意味しているのだろうか。ここ

で考えるべき点は,文献のジャンルの違いである。『万葉集』の場合,人称

代名詞を除いた一般名詞の主語でガ格を受けるのは,「君」「妹」「わが背子」「吾

妹子」「おとめら」「子ら」などが全体の8割近くを占めていた。しかし,こ

れらの名詞はそもそも経典には出てくるとは思われないものばかりである。

すなわち,ガ格が活格でなくなったからワ,ナに限定されるようになったの

ではなく,ガ格の一般名詞の上接語には本来意味的に経典というジャンルに

馴染まない名詞が多いため,ガ格の生起数が少ないと考えるべきではないだ

ろうか。

 その考えの妥当性を示唆する証拠として,活格ではない属格についても,

同じ分布傾向が観察される。主語標示ほどではないものの,『西大寺金光明

最勝王経』では属格のガも少なく,その限定のされ方も主語標示の場合と類

似している。(20)は属格ガの上接語を示しているが,主語標示の場合と同様,

その総数の60%が「我」に限定され,20 その他の代名詞も含まれるものの,

主語標示の時と同様,圧倒的多数が人称代名詞であることがわかる。

(20) 『西大寺金光明最勝王経』での属格ガの上接語とその用例数:代名詞と

名詞我 我等 汝 己 これ 何 父 その他 計

61 3 8 3 4 3 3 11 96

 もしも主語標示のガ格が「我」に限定されることが活格性の消失によるの

であれば,なぜ属格のガにも類似の同じことが起こるのだろう。Y&W は,

主語標示と属格との平行性は能格性を裏付けるものと主張してはいるが,そ

れは主語標示と属格に同じ格がもちいられることが能格言語にはよく見られ

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 115

るということに過ぎず,活格が消失すると属格も消失する積極的な理由には

なりえない。むしろ,事実は,主語標示の時も属格の時も,ガ格の一般名詞

の主な上接語である「君」「妹」「わが背子」「吾妹子」「おとめら」などは経

典という文脈には出現しないため,人称代名詞に限定されているように見え

ると考える方が理にかなっているのではないだろうか。21

 このように,『西大寺金光明最勝王経』のみから中古初期の格標示の全容

を推定することは容易なことではなく,しかも,和歌である『万葉集』と経

典である『西大寺金光明最勝王経』を比較することの危険は充分に自覚して

おかなくてはならない。後者においてガ格が少ないことは確かだが,それを

直ちに,上代の活格が崩壊し,対格システムへ移行している証拠と考えるの

は早急すぎると言わざるを得ない。

5. 結 論

 結局のところ,ガとノの分布は名詞の種類によって決まっている。ガ格が

つくのは名詞階層が高い1人称,2人称代名詞や「妹」「君」「吾妹子」など

話者に心理的に近いいくつかの名詞に限られるが,Y&W が主張するように,

それらの名詞が階層上の高さ故に動作性が高く,活格であると考えるならば,

それは名詞の種類によってガ・ノが区別されるとする従来の説の言い換えに

しかすぎない。本来は,それらの名詞のうち述語の表す意味によって動作性

が高い場合に活格のガが付き,同じ名詞でも動作性が高くない場合には非活

格の無助詞となると考えられるが,実際のデータでは必ずしもそうはなって

いない。そのような傾向はあっても,統語的な制約と考えるには例外の存在

が否定できない。流動的活格性という概念によって,例外的に見えるガ格の

分布も説明できるように見えるが,母語話者がすでに存在せず,データに限

りある上代語にこの概念を持ち込むことは,循環論を許す諸刃の剣である。

さらに,どのように解釈しようとも動作主とは思えない「自発」の主語さえ

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菊 田 千 春116 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

ガを受ける以上,ガを活格と呼ぶには無理がある。ガ格はやはり主格であり,

同じく主格であるノ格との区別は(名詞階層と関連づけるとしても)名詞の

種類によると考えるべきではないかと思われる。

 一般に,能格言語や活格言語の示す能格性や活格性は非常に複雑で,単一

の言語でも,一貫した能格性や活格性を示すということは稀で,一致現象や

格標示などでそれぞれ異なる性質を示すことがよく知られている。上代にみ

られたイやサの区別は確かに述語の動作性を反映しているようであり,それ

を反映する格システムが日本語にあった可能性も否定できない。また,格配

列の変化は一挙に起こるものではなく,その中間段階ではシステムの混在

が見られることもよく知られている。そのような事情を考えると,上代日本

語についても,ガの活格性が矛盾をはらむのは,活格仮説自体を否定するも

のではなく,単に述語と名詞の違いやシステムの移行状態を示しているだけ

であると反論することができるかもしれない。しかし,重要なことは,少な

くとも『万葉集』の時代に,ガ格が活格であることを積極的に示す証拠は

Y&W が主張するほどにはなく,むしろ活格と考えることで生じる矛盾も多

い。つまり,上代日本語の従属節が活格システムであったと結論付けるには

合理的な疑いが残るということである。

1 「無助詞」とは,格助詞(ガ・ノ・ヲ・ニ)などが付かないという意味で,ハ,モ,ソなどの係助詞が付くことは可能である。ただし,係助詞は無助詞の環境に常に生起できるというわけではない。

2 Kuroda (2007)は柳田(2007)などでの能格分析とは独立して提案された。そのpostscriptに,執筆後に読んだ柳田の能格説(柳田(2007)などの元になった2005年の学会発表の草稿)への見解を簡単に述べている。

3 必ずしも他動詞と自動詞の主語が同じ格標示を受けないという意味で,活格システムは能格の中でも分裂能格システムの一形態とも考えられている。

4 実は,上代日本語に活格システムがあったことを初めに指摘したのはVovin (1997)

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 117

である。ただし,その活格システムはガ格には言及していない。Vovinの説では,イを活格主語の標示とし,ヲを非活格主語(他動詞の目的語と非活格自動詞の主語の標示)と主張した。ヲが主語マーカとする根拠はミ語法である。しかしながら,Y&Wも指摘するように,ヲが主格に用いられるのはミ語法に限られ,それ以外では自動詞の主語にヲが用いられることは全くなく,実際のデータを前にすれば,ヲを絶対格とする活格説は到底支持しがたい。

5 Y&Wは,主語にノやガが現れる節をまとめて「名詞節」と捉えている。当該の節が名詞性をもつという考えは通説でもあるが,実際には,一般に名詞節用法を持つ述語連体形で終止する節や名詞節を作るク語法(Wrona, 2008)に加え,已然形,未然形で終止する条件節も含まれることから,それらをまとめて「名詞節」と呼ぶことには躊躇する向きもあった。ここでの「名詞節」という捉え方はやや便宜的なもので,nominalという素性をもつことが格の照合にかかわり,「名詞節的な」格標示を持つということであって,条件節も意味・機能的に名詞節であるという意味ではないようである。Y&Wは,終止形で終止する主節には主格のノやガが現れず,それ以外の,終止形以外の形で終止する従属節には主格のノやガが現れることから,この2つを大きく区別して,前者と後者で格システムが違うというsplit

alignment説を提案している。 6 同じ1,2人称代名詞にも,ワ(ア),ナだけではなく,ワレ,ナレがある。前者はガが必須であるのに対し,行為者は無助詞で生起する。柳田(2007)やY&Wでは,前者を接辞(clitic)と分析している。(なお,Yanagida (2011)では,その前提に立ち,上代以降,cliticから代名詞へと変化していく過程を「反文法化」の例であると主張している。)

7 「君」はその意味によってガ格がつく場合とノ格の場合があるとされている。語りかける相手の意味ではガ格となるが,「大君」などのような意味ではノ格が許される(小路 1988)。

8 『万葉集』のテキストについては,Y&Wと同様,主にヴァージニア大学電子テキストに従い,その語義,解釈については,『新日本古典文学大系』(岩波書店)及び,『新日本古典文学全集』(小学館)等で確認を行った。ヴァージニア大学電子テキストの名称はJapanese Text Initiative, University of Virgina Library,URLはhttp://etext.

lib.virginia.edu/japanese/texts.euc.html。また,例文の万葉仮名表記は,主に助詞ガ・ノが読み添えではなく原文に記載されていることを示すために,必要な時にのみ示している。

9 分裂能格言語に見られる名詞階層との結びつきは,一般的には,有標性/無標性,または調和(Harmony)の観点から機能的な問題として説明されることが多い(Croft

2003, Donohue 2008, 尾谷・二枝 2011)。すなわち,多くの分裂能格言語では,主格

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菊 田 千 春118 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

と対格のうち,主格は無標(=格標示の形態素を伴わない)で示されることが多く,また,同様に,能格と絶対格では,絶対格が無標であることが多い。名詞階層が高い名詞は談話の場の直接の参与者(話し手,聞き手)や意志を持つ人間である。そのような名詞は,当然,潜在的に主語になる潜在性が高いと考えられる。主語になりやすいものが主語になるのは,ある意味予想通りなので,特に格標示を付ける必要はない(=無標の主格)が,そうでない名詞が主語になるときには,はっきりとそのことを示す必要があるため,格標示が必要となる(=有標の能格)ということである。ただし,活格性を持つ言語では,逆のパターンを示すわけであるので,どのような機能的説明が可能であるのかは明らかではない。

10 イは動詞接辞ではなく,名詞の格のようにも現れる。注4で述べたように,Vovin

(1997)はこのイを動詞接辞ではなく活格マーカーと分析している。11 柳田(2007)では,この根拠として,能格システムから対格システムの移行の過程など,異なるシステムの格標示が混在する場合には,混乱を防ぐために無助詞になる段階があるというComrie (1978)の説を援用している。

12 ただし,公正を期すならば,上代の例については,例外は動詞抱合型として分析できるタイプがほとんどであることを指摘しておかなくてはならない。

13 統語的な説明らしきものの一例としては,軽動詞スルの目的語が無助詞で生起できるのを一般に動詞抱合の例と考えることができるということをさらに発展させ,「お経習はせ給ひければ」「あまり物聞こえさせたまはねば」など,使役動詞サセがついた動詞の目的語にヲ格がつかない場合も動詞抱合の例としているケースなどがある。しかし,前者の軽動詞スルの場合はよいとして,後者の使役動詞の例を動詞抱合と呼ぶのは根拠がない。

14 属格と呼ぶのは,ノ格が主語標示になるのは名詞節に限られることから,名詞句との平行性を鑑みてのことである。しかし,もちろん,名詞句の属格としても用いられるのはガ格も同様であることから,ノ格のみを属格と呼ぶこことには問題がある。

15 活格と分裂能格性を結びつけた柳田(2007)では,従属節に出てくる非対格の無助詞主語を「絶対格」と呼んでいる(164)。絶対格は他動詞目的語と自動詞主語に共通する格であるから,これはY&Wの中では非活格に相当すると思われるが,敢えてそうとはされていない。それは,Miyagawaの分析を受け入れる以上,従属節内の目的語は無助詞ではありえないからではないかと思われる。現実には従属節内に無助詞目的語が現れる場合もあるが,それは,Miyagawa & Ekida (2003)に倣い,動詞抱合と分析されている。無助詞主語の場合には,動詞抱合とは分析できない名詞句も見られる。このような違いから,主語を標示する無助詞を目的語の場合の無助詞と同一視することはできないため,非活格とは呼ばす,主格と呼ん

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 119

でいると思われる。16 さらに,この問題と関係して,Y&Wでは,名詞階層が活格標示の分岐点を示すのか,活格システムとそれ以外のシステム(=対格システム)との分裂点を示すのかが曖昧になってしまっている。Y&Wが述べるのは,「名詞階層上のある名詞タイプが活格標示を受けるならば,それよりも左の名詞(=階層が高い名詞)も活格標示を受ける」という原則だけで,標示を受けないということが,活格システム内での非活格を意味するのか,活格システムではない主格なのかが明確ではない。

17 万葉仮名表記は異なるが,類例は134, 139にもある。18 Y&Wでは,語順の変化にも言及されているが,この語順の変化と活格の崩壊を連動すると考えるのは,Y&Wの分析からのみ帰結されることであるので,ここでは取り上げない。この語順に関わる分析については,菊田(2005)を参照のこと。

19 属格の場合,これらの名詞以外では,「浅茅が上」,「雁が音」「松が枝」のような動植物につく例がある。また,他にも,「○○が為」「○○がからに」,さらには「○○がごと」のように,形式名詞や助動詞に上接して連用修飾句を形成するような例もあるが,ここでは,全体として名詞句を形成するもののみを対象とした。

20 実際には,上代日本語と同様『西大寺金光明最勝王経』でも,連体形節が主語になるときにはガ格が用いられている。このガ格を活格と考えるならば,上代の頃と同様,例外ということになる。もちろん,主格と考えるならば問題にはならない。

21 『西大寺金光明最勝王経』には主語標示のイ格など,特徴的な格助詞の使われ方が見られる。これについては,他の外的な影響なども指摘されている。(春日

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菊 田 千 春122 菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点

Synopsis

On the Case Marker Ga in Old Japanese:An Argument against the Active-Alignment Hypothesis

Chiharu Uda Kikuta

This paper presents an argument against the recent proposal of Yanagida

& Whitman (2009) (henceforth Y&W) that Old Japanese had split

alignment, in which main clauses took nominative-accusative alignment,

while subordinate or nominalizing clauses took active-inactive alignment,

and that the subject marking ga was an active case marker. Within the

framework of generative grammar, Y&W’s proposal is remarkable in that it

casts doubt on the traditional understanding of some fundamental aspects of

the Japanese language. Namely, it has generally been accepted that Japanese

has always had nominative-accusative alignment, where subject marking ga

and no in Old and Middle Japanese are both nominative markers, as well as

genitive markers, and that the choice between ga and no is largely semantic

or functional. Y&W claim instead that ga and no (as well as zero-marking)

reflect syntactically-distinct licensing positions.

The theoretical and observational implications notwithstanding, Y&W’s

proposal suffers from serious shortcomings. In active-inactive alignment, the

active case marks the agentive subject of an intransitive verb and the subject

of a transitive verb, while the inactive case marks the non-agentive subject

of an intransitive verb and the object of a transitive verb. Thus, Y&W’s

claim rests first of all on their observation that a ga-marked subject is

agentive, or the external argument of a predicate. We demonstrate, however,

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菊 田 千 春菊 田 千 春 上代日本語のガ格について―活格説の問題点 123

that Y&W’s observation may account for a tendency, but it seems unlikely

to be anything definitional, since there are a number of counterexamples.

Y&W’s recourse to the powerful concept fluidS (Dixon 1979) unnecessarily

puts their argument at the risk of circularity, because the crucial evidence of

interpretation is not always available from the data. The counterexamples

most challenging to Y&W’s argument involve complex predicates of

spontaneity (zihatu), which are analogous to the agentless passive. Although

the subject of this type of complex predicates is grammatically derived from

the direct object or the internal argument of a transitive verb, we find more

than ten instances of ga-marked subject. This fact is in obvious conflict with

Y&W’s characterization of ga as a marker of an agentive subject.

The data of language change in early Middle Japanese—which Y&W

take as an indication of the loss of the active marking function of ga, and

hence, of the decay of active alignment in Japanese—receive a different

interpretation; the paucity of ga-marked NPs simply reflects the difference

in genre of the text in question.

All in all, the distribution of ga which Y&W’s active case hypothesis

is built upon is a mere tendency at best, and the evidence that ga is not a

nominative but an active marker in Old Japanese is not as strong as Y&W

endeavor to show.

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