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【書評】 栄原永遠男著 『日本古代 (清文堂出版、日 7 月刊) 栄原永遠男氏の第一・第二論文集は (一九九三年、塙書房)と『日本古代 (一九九三年、 塙書房)であるが、この二番の刊行後に、と 1 マで公表された論文を中心に再編集し、補訂など である。本書は、栄原氏が大脹市立大学の定年退職を 第一部 案した著作に当たる。本書の構成は、以下の通りである H 本古代銭貨研究の視点 第一章 第三章 第三章 第二部 第四章 第五章 第六章 第七章 第八章 第三部 日本古代鏡貨研究の課題 貨幣構造とその変遷 東大寺伎楽面の墨書 I 和同開弥のよみ| 日本古代銭貨の流通実態 飛鳥池遺跡からみた七世紀後半の銭貨 日本古代国家の銭貨発行|宮本銭から和同開称へ| 日本古代の銭貨流通 日本古代錯貨の流通と普及 徳島県内出土の日本古代銭貨 鋳銭司と鋳鏡管理システム 第九章 鋳銭司の組織と生産体制 第一 O 延喜式における鋳銭管理システム 第四都 日本古代錨貨の呪的性格 第二章 銭は時空をこえる l 古代銭貨の境界性 l 第一二章 延喜式にみえる銭貨 第=ニ章 提供から見た銭貨の呪力 -190 閏府市・閏府交易圏に関する再論 以下では、本書の内容を紹介しつつ、それへのコメントなどを併記 していくことにする。なお、評者は考古学を専門とする立場のため、 考古学的な側面に偏りの多い点をあらかじめ了承願いたい。 最初に、書評ではあまり取り上げられるととのない項目であろうが、 本書の凡例に触れておきたい。凡例の( 1 )は以前からの論著でも一 貫して用いられ、本書の書名でもある「日本古代錯貨」の語を用いる 2 )は「貨幣」と「銀貨」の定義、 3 )は安易に用いられが ちな「流通」と「普及」を峻別する点など、いずれも端的に要点が列

『日本古代銭貨研究」 栄原永遠男著 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111E...日本古代錨貨の呪的性格 第二章 銭は時空をこえる

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【書評】

栄原永遠男著

『日本古代銭貨研究」

(清文堂出版、日年7月刊)

栄原永遠男氏の第一・第二論文集は『奈良時代流通経済史の研究』

(一九九三年、塙書房)と『日本古代銭貨流通史の研究』

(一九九三年、

塙書房)であるが、この二番の刊行後に、とりわけ後者にかかわるテ1

マで公表された論文を中心に再編集し、補訂などを加えたものが本書

である。本書は、栄原氏が大脹市立大学の定年退職を迎える直前に立

第一部

案した著作に当たる。本書の構成は、以下の通りである。

H本古代銭貨研究の視点

第一章

第三章

第三章

第二部

第四章

第五章

第六章

第七章

第八章

第三部

日本古代鏡貨研究の課題

貨幣構造とその変遷

東大寺伎楽面の墨書

I和同開弥のよみ|

日本古代銭貨の流通実態

飛鳥池遺跡からみた七世紀後半の銭貨

日本古代国家の銭貨発行|宮本銭から和同開称へ|

日本古代の銭貨流通

日本古代錯貨の流通と普及

徳島県内出土の日本古代銭貨

鋳銭司と鋳鏡管理システム

第九章

鋳銭司の組織と生産体制

第一

O章

延喜式における鋳銭管理システム

第四都

日本古代錨貨の呪的性格

銭は時空をこえる

l古代銭貨の境界性l

第一二章

延喜式にみえる銭貨

第=ニ章

提供から見た銭貨の呪力

-190一

付章

閏府市・閏府交易圏に関する再論

以下では、本書の内容を紹介しつつ、それへのコメントなどを併記

していくことにする。なお、評者は考古学を専門とする立場のため、

考古学的な側面に偏りの多い点をあらかじめ了承願いたい。

最初に、書評ではあまり取り上げられるととのない項目であろうが、

本書の凡例に触れておきたい。凡例の(1)は以前からの論著でも一

貫して用いられ、本書の書名でもある「日本古代錯貨」の語を用いる

(2)は「貨幣」と「銀貨」の定義、

(3)は安易に用いられが

ちな「流通」と「普及」を峻別する点など、いずれも端的に要点が列

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挙されている。それらは本書全体にかかわるが、とりわけ(2)は第

二章、

(3)は第六1人章などの論点である。

著書が広く読まれ、個別論点に理解が深まるとしても、用語に対す

る配慮といった著者の意図は、必ずしも読者に正確に伝わるとは限ら

ない。著書全体を通読しない読者に注意を喚起する意味でも、このよ

うな主張を合意する凡例は目を引くものである。評者自身も安易な用

語法に自戒すべきところが少なくなく、是非ともこの凡例をふまえた

用語の使用が広まることを期待するところである。

ちなみに、評者はインターネットのウイキベデイアの「皇朝十二銭」

(最終更新二O一一年一二月二日版)をみかけたが、そこにはまさに本著

書の「凡例」を引用して、

「「皇朝」の語を避けて古代銭貨の名称を

用いる研究者もいる」という記載が追加されていた。

「皇朝十三銭」

が用いられなくなる日は遠い先かもしれないが、著者の意図が早くも

伝わる気配をみせているのかもしれない。ただし、いずれ訂正される

だろうが、引用文献の著者名が「笠原」と誤っており、当然のことな

がら、ネット媒体の速報性とともに、誤情報の流布の危倶も感じる。

きて、本論の紹介に入るが、第一章は、中世ヨーロッパなどを対象

とする個別発見貨(ω宙開戸φヨ昆胆)研究にふれつつ、個別発見貨が偶然的

な遺失によるものであると単純に割り切ることができない点を指摘し

つつ、平城宮や平城京での出土事例に適用して、後宮関係者も銭貨を

所持していたことや、東西市以外に官司や貴族の邸宅・寺院等で売買

を中心に鏡貨が使用されていた可能性なども推測している。

本章は、研究現状を踏まえて課題を示すだけでなく、古代出土銭貨

の重要な発見等も列挙されており、研究史抄としても稗益する内容で

ある。また、考古学的な報告書における記述の不備も指摘されており、

考古学では文献史学に比べて肢行的で均質な情報集積や公表という点

で問題が多い点を、改めて認識すべきである。

このほか、銭貨の非経済的要素と経済的要素が重層する点に注意を

喚起しているが、まさに首肯すべき指摘である。例えば宮本銭に闘し

ても、銭面には経済価値としての「宮本」の文字と呪的な七曜文がみ

える点に象徴されるように、既に経済・非経済の両側面が共存するこ

となども無視できないだろう(高橋二OO四)。

第二章では、日本の古代社会では、銭貨だけでなく頴稲や布・絹・

-191-

綿・地金の銀などさまざまな貨幣が併存しており、その機能には特色

があること、律令国家が銭貨を促進させつつも限界があった中央財政

と、銭貨や布などを組み込まず頴稲を基本とする地方財政とに差があ

ることなどを指摘し、さらに貨幣の相互関係、国家による鏡貨の投入

や停止による貨幣構造の褒容過程などを論じている。

ただし、銭貨と頴稲がともに機能を失い、籾穀や絹が急速に伸長す

る要因として、律令閏家の衰退を挙げるものの、十分には論じられて

いない憾みがある。貨幣としての布から絹への変転などは、織物業の

進展と絡むのかもしれないが、いまいちど詳細に問われるべきであろ

うし、中世貨幣研究への接続も大きな課題である。

第三章は、長年にわたって論争がなされてきた和同開称のよみの問

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評書

題を取り上げている。著者の前著においては、弥をチンと発音すべき

だと結論付けられたが、賓を弥と書いた可能性のある事例として、東

大寺伎楽面の一例が保留されたままであった。この伎楽面を重視して、

今村啓爾氏により弥日ホウ説が再主張されるに至り(今村二OO一)、

著者が改めて伎楽面を調査した結果、赤外線写真により「天平勝賓」

であることが明らかになっている。さらに木簡の検討も追加して、賓

や賓を称と省略した事例や、弥をホウと発音した用例は一例も確認で

きないことを指摘している。

著者は、慎重にも「これまでにわたくしの確認した限り」という留

保を記すものの、現時点の確実な定点を得たことは間違いない。今村

啓爾氏は和同開亦のよみだけでなく、富本銭から和同銭にかけて独自

の議論を展開しているが、著者からそれらへの全面的な評価の披歴も

望みたいところである。

第四章は、飛鳥池遺跡の発掘により和同開弥の発行に先立つことが

明らかになった富本銭について扱っている。評価が分かれているのは、

政府の意図として、呪術的な用具としての厭勝銭であったのか、通貨

であったのかという点である。いくつかの検討を試みるが、大宝律に

「私鋳銭条」があったものとみられ、大宝律の完成は和同開弥発行(七

O八)に先立つ大宝元年(七O乙であることから、

「私鋳銭」の対象

は富本銭であり、それは高い公定価値を付されて通貨とされていたか

らだと指摘する。また、富本錨発行段階における錨貨流通が木簡から

も窺えること等も根拠に挙げて、富本銭が通貨として発行され、国家

的な造営工事の支払い手段として投入されたと結論付けている。

大宝律条文の復元がどれだけ確実かなど、いまだ検討の余地は残る

が、おおむね穏当な解釈だと評者は考えている。宮本銭の発行年につ

いては、天武朝に遡るという立場から著者は論を進めているが、厳密

には慎重論も出るかもしれない。正式には飛鳥池遺跡の報告書の中で

論じられるであろうが、評者は、藤原宮大極殿院南面西回廊SX一O

七一三で須恵器平瓶へ埋制された富本銭に注目すべきと考えている。

これは、持続六年(六九一一)頃の藤原官関係の地鎮である蓋然性が高

く、その宮本銭とは銭文の字体や法量が明らかに異なる飛鳥池遺跡の

-192-

宮本銭は、天武朝の銅銭に比定して矛盾はないだろう。

第五章では、第四章の要点を再説しつつ、和同開弥発行以前の銭貨

に関する文献史料に関して富本銭と関連付けて理解できるようになっ

たこと、和同聞弥の初期段階において流通政策が不明確である点は富

本銭に通じること、地金の銀や銀銭との関係において富本銭と和同開

弥は質的に異にしており、富本銭段階では金属貨幣を国家的錨貨に統

一できなかったこと等を指摘している。

本稿により、宮本銭から和同銭への移行が非常にスムーズに理解で

きるようになったものと言える。ただし、和同銭発行では貨幣として

の銀の抑制を目指したとみるのに対して、なぜ富本銭発行段階で地金

の銀が閏家的な統制の外に置かれたのか、第六章にも触れられるよう

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に、養老六年の和同開弥銀銭の公的復活は、和同銀銭の流通が和同銅

銭に吸収されていくなかで何ゆえ必要であったかなど、個別の現象に

ついて説明が尽くされているわけではない。

第六章では、富本銭の発見により長年の難問を解決する目途が立つ

たとして第四

・五章をまとめつつ、その後の展開過程を概述している。

その中で、和同開称の実勢価値が下落傾向にあるにもかかわらず、

天平後半から天平宝字初めごろの物価も下落傾向にある点について、

和同錨の流通拡大が実勢価値の下落を凌駕するほど大きかったからと

している。ただ、この言及に対する裏付けは示されていない。天平十

=一年から万年銭が発行される天平宝字四年(七六O)までをみてみる

と、物価の変動も少なく(高橋二OO五ほか)、天平十年頃までとそれ

以降とは区分すべきではなかろうか。天平の後半期であれば、例えば

未曾有の大事業である大仏鋳造に当たっての銅不足などにより、銭貨

の実勢価値の下落にも歯止めが掛かっていたことなども想定できるか

もしれず、もう少し多面的な要因を考慮しておいても良いだろう。

また、万年通宝錨の発行について、複数種類の銅銭が併用されると

いう日本古代銭貨史上初めての事態が出現したと著者は指摘する。た

だし、宮本銭を通貨と認める立場からすれば、奈良時代の出土事例に

日本古代銭貸研究〔高橋〕

も富本銭が存在するので、紛れ込みレベルではあったにしても、和同

銭段階にも宮本銭との併用は存在したはずである。和同銭を史書にお

いて新銀と記さなかった背景としても、宮本錨の流通量の乏しさをむ

ろん考慮すべきだが、富本銭と和同銭が等価であったため、新銭とし

ての区別が必要なかったという側面も無視できない。それは、和同銭

の十倍の価値を付与されていた万年銭とは明らかな懸隔垂示しており、

万年鎮の発行ではその銭文を明記し、前銭と識別されるべき新銀とし

て位置づけたものと評者は推測している。

著者は、前著からの一貫した主張だが、万年銭の発行の勅にみえる

「頃者、私鋳荷く多くして偽濫既に半せり」という文言をふまえ、万

年銭の発行要因に私鋳銭の影響を考えている。確かに私鋳は存在した

であろうが、日本中世出土錨では私鋳銭の多さを実感できるのに対し

て、古代ではあまり目に付かない点からすると、流通量を問えるほど

であったかは疑問になる。

「続日本紀』でも私鋳が顕著なのは和同開

祢の発行直後や神功開宝の発行後である。銭価が低くなった和同銭を

-193-

私鋳しても差益は少ない。万年銭の発行に関わる文言は、下敷きとし

ての唐の詔令を重視するほうが良いように思う(高橋二OO五)。

さらに著者は、万年銭が「唐の先例にならって」発行されたとして

いるが、唐代では基本的に聞元通宝の単一銭貨発行であり、踏襲すベ

き先例によるとは考えにくい。むしろ万年銭発行の契機としては、乾

元元年(七五人)の乾一五重宝を発行するという新情報が日本に入ってき

たことを無視できないと評者は考えている(高橋二OO五)。

第七章は、第六章でも部分的に触れていた流通と普及の問題を扱つ

ている。調銭による銭貨の普及を解明するとともに、地方における一

般民衆の銭貨所持は確かめにくい点を指摘し、錨貨の経済的概能だけ

でない側面を重視する必要性なども説いている。

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評書

本章は、奈良・平安時代の実態を丹念にたどった論考である。この

うちの一つの論点として、著者は奈良三銭とそれ以後の差を大きく評

価するのに対して、考古学からは深海靖幸氏が富寿神宝と承和昌宝の

聞に出土数の大きな隔たりがあると批判しており(深海ご000)、対

立している。著者は奈良三銭あるいはそのうちのご銭が出土する例を

重視して、奈良三銭とそれ以降との差を見出すが、理化学的な分析結

呆からみると、別の側面も注目せざるをえない。奈良三銭に続く隆平

永宝では旧錨回収によるとみられる銭質のものが目立つのに対して、

それ以降はそのようなものが急激に減少していく(斎藤ほか二OO二)。

その要因としては、隆平銭段階で奈良三銭の回収がかなり徹底された

ためと推捌きれ、この点では併用を流通量の差異のみに起因するとみ

るべきではない。また、等価併用を政策的に認めた奈良コ一銭に対し、

平安期では必ずしも公認しておらず、銭文による使い分けも認められ

ることを重視すれば、共伴事例に差が出る要因は政策差の側面が大き

いだろう。厳密な流通量の差は確かに考古資料では判別しがたいが、

鋳錦司史生数の変遷を加味しても宮寿神宝や承和昌宝以降の変化が認

められそうであり、同時期には錨貨の法量などにも画期があるため、

承和昌宝前後の変化もやはり無視しがたい(高橋二O一一)。

第八章は、徳島県内の出土事例を検討し、普及の時期、遺跡の性格、

分布等を整理している。

本章はまさに考古学的な分析である。この章では中世以降の層位か

ら出土する古代銭貨の事例を基本的に考察から除外しており、種当な

処理ではあるが、中世銭貨に日本の古代銭貨を含むことはまれなので、

古代の遺構からの混入の可能性が高く、古代段階での普及の一端を物

語りうる点を考慮しつつ分析しても良いだろう。いずれにせよ、本章

のような検討は考古学研究者がよりいっそう主導的に行うべきもので

あり、今後は種々の方法的な棟磨も進めねばならないだろう。

第九章は、九世紀の年間鋳銭目標額や鋳銭従事者数を導き、人世紀

についても断片的な資料からの復元を行っている。そして、天平九年

の史生の多さから、製作地が複数であったことや鋳銭額が数万貫に違

することなどを推測し、さらに鋳銭体制の変遷も概括している。

-194-

本章は丁寧な整理を行った基礎研究と言える。飛鳥池遺跡の時期が

鋳銭部門が独自の官司としてまだ成立しない段階で、持続・文武朝に

鋳銭司が現れてくることを指摘するが、先にも述べたように富本鎮の

銭容を重視すれば、飛鳥池遺跡にみられる天武朝段階と藤原宮造営段

階の二つに区別すべきであり、その点で富本銭の差を鋳造組織の変化

に対応させることができる。著者が和同開祢に段階差を設けているよ

うに、評者は宮本鏡発行のなかでも鋳造体制にとどまらない段階差を

設定しておくことが有効と考えている。例えば、天武朝の宮本銭は天

武一

01一二年の律令制定や新城造営への動き、持続朝の宮本鏡は持

統コ一

1六年頃の飛鳥浄御原令の頒布や藤原宮の造営というように天武

朝の政策の実質的な達成と呼応し、それぞれに律令制や都城の造営と

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連関づけることもできるであろう(高橋二O一一)

第一

O章は、延喜式に見える鋳錨管理システムの概要を一示し、その

システムは、銅鉛採掘固の記載から寛平年間(人人九1人九人)頃で、

鋼鉛量から推算される鋳銭額から昌泰三年(九OO)より後、すなわち

九世紀最末期以降のものであるとする。

本章で解明したのはあくまで延喜式にみえるシステムであって、著

者も認めるように、現実との議離は存在するはずである。その点に聞

しでは、例えば分析化学による評者らの共同調査により、延喜式にみ

える鉛産地の豊前からは、鉛供給がほとんど確認できない点を指摘し

たことがあり(費藤ほかごOO二)、そのような実態をさらに迫、つこと

は重要な課題であろう。また、著者は延喜式の規定が九世紀最末以降

と幅をもたせているが、延喜通宝からは鉛銭が出現し、十世紀になる

と延喜式のあり方と実態が大きく異なっていくことから、延喜式編纂

開始初期の頃の規定を残すとみるのが穏当ではなかろうか。

四第一一章は、銭貨に広がる交換手段以外の呪的性格について、古代

の文字資料から追いかけている。その結呆、銀貨を手放すことがケガ

日本古代銭貸研究〔高橋〕

レの除去を意味すること、その一方で福や寓の象般という両義性をも

つこと、異質の世界を往来し、性格を転換させながらつなぐような境

界的存在であることを導き出す。そして、駒曳銭など馬がよく描かれ

る絵銭に着目して、馬が神の乗り物であり、さまざまな境界を突き抜

ける存在である点に、錨貨の本質が内包されていると推察する。

これへの批判は拙文で記したが(高橋三OO四)、その再批判が第一

一章などにも含まれているので、私見は後で述べたい。

第一二章は、鏡貨と呪力にかかわるシンポジウム報告をもとにまと

めたものである。そして、銭貨が祭記の代金として予算計上されるこ

とが多い点、銭貨を祭記に用いることが確実なものに「散料」として

の銭貨がある点、祭記料として紙が上がっている例が多く、そこに「銭

形」も含まれる可能性がある点などを指摘している。

著者は祭肥料として紙の用途に「銭形」が多く含まれていたと推測

するが、延喜式では紙があげられた二三一例のうち「銭形」を明記する

のが二例のみである点からも、それを全体にまで及ぼしてよいかは問

EU

AMU

題が残る。とりわけ「銭形」を明記しているのが陰陽寮にかかわる祭

のみである点からすると、神祇祭記全般において紙の銭形が用いられ

たかは、少なくとも別の史料からの検証が必要である。また、紙が用

いられるのは銭形のみではなく絹形などもある。そうなると、銭形は

純粋に鎮の呪術性のゆえというよりも、交換手段や宮を示す銭貨その

ものの代用である可能性が想定され、そこに銭貨への特殊な呪性の意

味を見出してよいかは、留保を要するであろう(高橋二OO七)。

第二二章は、鏡貨を差しだす行為を提供という言葉で包括して、そ

こから錨貨の呪力を考えている。まず、銭貨にハツホとしての特別の

意味が付与されていたことを明らかにする。そして、鋳錦司からの銭

貨の進上が王や天皇に対するハツホ貢納に相当し、銅などの貴重な金

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評書

属は大地が生み出したものであることから、銭貨もハツホとして意識

されたものと推潤している。これは、鏡貨の呪力の淵振が大地から生

み出される生命の象徴であったとする、著者の旧来の見解を補強する

ものとなっている。さらに、仏教関係での鏡貨の提供が少ないことも

確認した、?えで、海外思想の移入を重視する評者の説も批判している。

ハツホとしての銭貨の存在を指摘した点は、銭貨の非経済的な性格

を読み解くのに非常に重要な手掛かりとなるものであろう。評者は延

喜式にみえる「散料」としての錨貨を散米に起菰をもつものではない

かと推測したが(高橋二OO四・二OO七)、これは銭貨をハツホとみな

す発想に直結するものであろう。米と銭貨を同様に神聖視する思想を

みいだせる点からも、銭貨にケガレをみいだす民俗学的な概念を古代

に適用する第一一章の著者の見解にすぐに従うことは難しい。

また、前章も同様ながら、本章では時期的な変化が必ずしも重視さ

れていないように思われる。万年通宝鏡は寺院や官人のみならず神主

にも提供されているが、神への奉納はなされておらず、他の奈良一二一銀

でも神への奉納が確認できない。銭貨がハツホと認識されていた可能

性があるのは、平安時代の隆平錨以降である。これに対して、仏教的

な事例での使用は、興福寺中金堂鎮壇具など奈良時代初期から認めら

れ、七世紀の崇福寺舎利容器にみえる無文銀銭にまで遡りうるもので

ある。出土事例では仏教か否かを判別できないことも多いが、神への

奉納が重視されるのは後発的であり、神祇祭肥への銀貨の浸透も仏教

的な使用よりも遅れるとみるのが種当な解釈ではなかろうか。

さらに、銭貨の呪性の淵源として大地から生み出されたことを重視

する点についても、大地から発見された和銅などと銭貨鋳造とを同列

にみなしてよいのだろうか。稲でない他の作物や銅以外の鉱山資源も

大地から生まれているが、古代において稲や銭貨のような特別な扱い

がなされているとは言い難い。その点からすれば、例えばその機能と

して交換手段となり富としての蓄財ともなる貨幣的側面にむしろ注目

すべきではなかろうか。銭貨が財物や交換手段としての米に通じ、天

皇から賜る神聖なものでもあるという認識は、評者の感覚的な判断に

なるが、誰もがおそらく容易に理解できるように思う。そこに銭貨の

非経済的用法が広範に広まる要因-を求める方が、銅の産出を間近にみ

る機会もない人々において銭貨が大地より生まれると認識されていた

ιu nv

と想定するよりも、不自然ではないように思う。

付章は、

『奈良時代流通経演史の研究」

への種々の批判を受けて再

論したものである。市の具体例を再検証したうえで、国符による指示

によって郡が交易する市を国府市と新たに定義し、国府市についても

国家的に上から新たに設定されたことを重視していた旧説に対し、そ

のようなものも存在する一方で、既存の地方市そのものか、それを再

編したものが多かったというように修正案を提示している。

古墳時代からの市が国府市として編成された可能性を認める方向に

ついては、考古学的に市そのものの抽出は難しいが、古墳分布などか

らみる閏造段階の有力古墳のある交通の要衝に、評や郡家が設定され

く事例

岐阜県弥勅寺東遺跡や福

~ 河郡街遺跡群ほか

などと通じ

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ていくものであり、今後も古墳時代から評・郡さらに国府が設定され

るなかでの地繊動態をみていく必要がある。それとともに、中世の市

の議論は比較的盛んであるため、それに接合していく試みもますます

求められるはずである。また交易圏という点では、考古学的には須恵

器などの土器生産の流通の問題が論じられており、地域によって国府

や郡衡への供給の在り方が異なり、平安期以降に固を越えたプロック

的な流通園がみられるようになることなども判明している。そのため、

木簡も含む種々の文物の側面から実態の解明を図っていくことがいっ

そう求められるところであろう。

五前著の『日本古代銭貨流通史の研究」は銭貨研究の大きな到達点で

あった。その後に確認された宮本銭の新事実は、多くの問題を解決に

導くとともに、新たな課題を提起したが、本書には富本銭の発見に伴

う著者の最新の見解が盛られている。また、そのほかにも本書は日本

古代銭貨研究の全般に検討が及んでおり、著者の見解を一望にできる

論文集として、まさに待望の一書と言ってよい。とりわけ、従来説に

対する批判に丁寧に答えつつ、修正案なども陣所に示きれており、パ

日本古代銭貸研究〔高橋〕

ランスが取れた最新の日本古代銭貨像が示されているように思う。網

羅性と体系性は、本著ならびに著者の特徴とするところである。

また付章において、謙遜と受け取るべきだろうが、旧論をみずから

満身創痩としながらも、批判に真撃にこたえて論を再構築する姿勢を

みるにつけ、研究者・教育者としての範が示されているような感を強

くする。当然のことながら、著者の個別の論点に批判は提出されよう

とも、その体系的な仮説があったからこそ、多くの議論が深まったこ

とを忘れるべきではない。そして著者は、前著と同様に、文献史学に

とどまらず考古学などの成果をも貧欲に取り込みつつ、先駆的な分析

を深めている。本書の試みの数々は、今後の研究の確かな指針であり、

重要な礎であることも間違いない。

以上、現末な批判や偏狭なコメントを操り返し、誤読なども少なく

なかろうが、御海容を乞うしだいである。

【引用・参考文献】

今村啓爾二OO一『宮本銀と謎の銀銭安幣誕生の真相』小学館

斎藤努・高橋照彦・西川裕一三OO二「古代銭貨に関する理化学的分析|

「皇朝十二銭」の鉛同位体比分析および金属組成分析|」「同宮開ω

ωg切臼02HM局国白呂田』20・きどき

高橋照彦二OO四「銭貨とケガレと呪カ」

『幽土銭貨』第二O号

高橋照彦二OO五「銭貨と陶磁器からみた日中間交涜|日本古代銭貨の発

行を主な検討材料として|」「シルクロード学研究』一一一一一

高橋照彦二OO七「古代銭貨の経済外的使用法とその淵海」「和同開亦を

めぐる諸問題(一)』松村恵司・栄原永遠男編

高橋照彦二O一一「銭貨と土器からみた仁明朝」「仁明朝史の研究承和

転換期とその周辺』財団法人古代拳協曾編忠文聞出版

深津靖幸二000「古代東国の竪穴建物と銭貨」『府中市郷土の森紀要』

第三二号

-197一

(大阪大学文学研究科)