4
13 No.637 2012/5 「荒城の月」原曲 先月 4 月 19 日例会の歌は、皆さんよくご存知、土井晩翠作 詞、瀧廉太郎作曲「荒城の月」でした。古賀会長が「これに関 する話題を」と得意の蘊蓄(うんちく)を傾けられましたので、 てっきりこの曲のことかと思いましたが、別の内容でした。そ こで今回、筆を執らせて頂きました。 皆さん、憶えておられるでしょうか。3 年間に亘って放送さ れたNHK スペシャルドラマ「坂の上の雲」第6作「日英同盟」、 ロシア駐在武官廣瀬武夫の帰国送別会の場面。同郷の日本人作 曲家の作品として、この「荒城の月」が恋人アリアズナによっ てピアノ演奏され、会場の絶賛を浴びます。しかし、あるロシ ア人貴族が「これは盗作だ。日本人にはこんな名曲は作れな い」と日本人を侮辱するシーンがありました。ちょうど同じ時 期、NHK特別番組で、この曲にまつわる話題が放送。その中で、 現在歌われている荒城の月は山田耕筰の編曲で、原曲とは異な る旋律に変えられたことが紹介されていました。私もこの時初 めて、今私たちが歌っている荒城の月が原曲と違うことを知り ました。 大正 6 年。山田耕筰は全音程を 3 度上げてロ短調からニ短 調へ、またテンポを半分にして 8 小節から 16 小節へ変更、編 曲しています。その後(大正 13 年?)、さらに旋律を 1 音だ け変更し、#を削除。したがって、今の歌は、正確には土井晩 翠作詞、瀧廉太郎作曲、山田耕筰編曲として歌うべきなのでしょ う。 しかし、短調や小節数の変更はまだしも、一つの音を変える と、たったそれだけでも全く別の曲になってしまっています。 そのため、これは編曲の域を越えているとの批判もあります。 原曲の楽譜では、 「春高楼の花の宴」の「え」の音に#(矢印) が付いています。半音高い音です。実際に聴いてみないと解ら ないと思いますが、この音階だと実にもの寂しい、哀愁ある切 ない曲になります。 Takeshi Okamura

「荒城の月」原曲16No.637 2012/5 ことからも、彼がチャイコフスキーやハンガリー民謡を連想させるメロディーを生 み出したとしても何ら不思議はないと思われます。「荒城の月」はそのメロディー

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 「荒城の月」原曲16No.637 2012/5 ことからも、彼がチャイコフスキーやハンガリー民謡を連想させるメロディーを生 み出したとしても何ら不思議はないと思われます。「荒城の月」はそのメロディー

13No.637 2012/5

「荒城の月」原曲

先月 4 月 19 日例会の歌は、皆さんよくご存知、土井晩翠作詞、瀧廉太郎作曲「荒城の月」でした。古賀会長が「これに関する話題を」と得意の蘊蓄(うんちく)を傾けられましたので、てっきりこの曲のことかと思いましたが、別の内容でした。そこで今回、筆を執らせて頂きました。

皆さん、憶えておられるでしょうか。3 年間に亘って放送された NHK スペシャルドラマ「坂の上の雲」第 6 作「日英同盟」、ロシア駐在武官廣瀬武夫の帰国送別会の場面。同郷の日本人作曲家の作品として、この「荒城の月」が恋人アリアズナによってピアノ演奏され、会場の絶賛を浴びます。しかし、あるロシア人貴族が「これは盗作だ。日本人にはこんな名曲は作れない」と日本人を侮辱するシーンがありました。ちょうど同じ時期、NHK 特別番組で、この曲にまつわる話題が放送。その中で、現在歌われている荒城の月は山田耕筰の編曲で、原曲とは異なる旋律に変えられたことが紹介されていました。私もこの時初めて、今私たちが歌っている荒城の月が原曲と違うことを知りました。

大正 6 年。山田耕筰は全音程を 3 度上げてロ短調からニ短調へ、またテンポを半分にして 8 小節から 16 小節へ変更、編曲しています。その後(大正 13 年?)、さらに旋律を 1 音だけ変更し、#を削除。したがって、今の歌は、正確には土井晩翠作詞、瀧廉太郎作曲、山田耕筰編曲として歌うべきなのでしょう。

しかし、短調や小節数の変更はまだしも、一つの音を変えると、たったそれだけでも全く別の曲になってしまっています。そのため、これは編曲の域を越えているとの批判もあります。

原曲の楽譜では、「春高楼の花の宴」の「え」の音に#(矢印)が付いています。半音高い音です。実際に聴いてみないと解らないと思いますが、この音階だと実にもの寂しい、哀愁ある切ない曲になります。

Takeshi O

kamura

岡村 健

Page 2: 「荒城の月」原曲16No.637 2012/5 ことからも、彼がチャイコフスキーやハンガリー民謡を連想させるメロディーを生 み出したとしても何ら不思議はないと思われます。「荒城の月」はそのメロディー

1414 No.637 2012/5

荒城の月原曲楽譜「え」に#が付いている(矢印)

山田耕筰がなぜこの音の#を外したのか、いろいろ憶測されています。一説には、この#が入るとジプシー音階になり、欧州ではハンガリー民謡を連想するため、日本の歌として紹介するのはふさわしくないからとも言われています。

ジプシー(ロマ族)は流浪の民で音楽、芸能に長けており、現在はロシア、ルーマニア、ハンガリーに住んでいます。彼らの音楽、ジプシー音階はロシアやハンガリーの民族音楽にも深く浸透しているとされています。荒城の月の原曲が、チャイコフスキーやリストの曲を連想させるのもこの#の音、ジプシー音階によるものなのでしょう。

では、瀧廉太郎は何故、この音階を用いたのでしょうか。NHK の放送でも解説されましたが、よく憶えていないので、あらためて調べてみました。彼は明治 12 年、東京で生まれ、3 歳から小学 1 年生ごろまで、横浜に住んでいました。隣に熱心なカトリック信者の日本人が住んでいて、そこの家庭音楽会に 2 人の姉と共によく招かれ、その姉達はアコーディオンとバイオリンで賛美歌を演奏していました。その後、富山で 2 年間、そして父親の故郷、大分竹田で過ごし、16 歳で東京音楽学校(東京芸術大学の前身)に入学して上京。ドイツ系ロシア人のケーベル博士からピアノと作曲の指導を受けています。ケーベル博士はモスクワでチャイコフスキーの手ほどきを受けていました。そして、博士もチャイコフスキーも敬虔なロシア正教の信者だそうです。瀧は音楽に関して、この博士に決定的影響を受けたとされています。また、東京音楽学校時代には麹町の聖公会博愛教会に通っていました。卒業後、同学校の研究科へ進み、20 歳の時、キリスト教の洗礼を受け、クリスチャンになっています。そして教会の青年会副部長となり、オルガン奏者として賛美歌の伴奏を務めています。

ちょうど同じ年の明治 33 年、瀧は文部省が公募した中学校唱歌集に「荒城の月」など 3 曲を応募。3 曲とも採用され、賞金を獲得。翌年、ドイツのライプチヒ王立音楽院に留学しましたが、2 ヶ月たらずで結核を患い、悪化して 1 年後帰国。大分の両親のもとで療養しますが、翌明治 36 年(日露戦争開戦の前年)に亡くなって

Page 3: 「荒城の月」原曲16No.637 2012/5 ことからも、彼がチャイコフスキーやハンガリー民謡を連想させるメロディーを生 み出したとしても何ら不思議はないと思われます。「荒城の月」はそのメロディー

15No.637 2012/5

います。享年 23 歳 10 ヶ月。父親の友人が住職をしていた臨済宗万寿寺(大分市金池町)の境内に墓碑が建立されましたが、もともと瀧家は大分、日出藩家老の家柄でしたので、今は瀧家代々の墓がある龍泉寺(大分市日出町)に移されています。

      瀧廉太郎        左:瀧家累世之墓

                     右:東京音楽学校同窓有志が建てた碑

彼がクリスチャンであったことは、長年よく知られていませんでした。没後 64年目の昭和 41 年、聖公会の教会が記念誌を作るため、教会員原簿・洗礼者一覧表を整理していて、たまたま瀧廉太郎の名前を見つけ、彼がクリスチャンであったことが明らかになりました。

余談ですが、瀧はドイツ留学中、同時期ロシアに駐在していた廣瀬武夫海軍少佐に手紙を送っています。そこには「子供のころ、竹田に帰省されたあなたの軍服姿がまぶしく、いつまでも後を追いかけました」と書かれ、「荒城の月」の 5 線譜(原曲)が同封されていたそうです。NHK スペシャルドラマ「坂の上の雲」では、恋人アリアズナがピアノ演奏した音楽会で、廣瀬の故郷を描いた作品として、ドイツ留学中の友人、瀧廉太郎の作曲であると紹介しています。瀧が廣瀬に「荒城の月」の楽譜を送ったのは事実のようですが、この演奏の場面については、本稿冒頭で紹介したドラマの場面とは若干違うかもしれません。ある記述では、瀧の楽譜を親交のあった家族の令嬢に弾いてもらったところ、居合わせた人々が驚いて、「どこの国の誰の作品か」と尋ね、廣瀬が「僕の友人の日本人です」と答えても「日本人にこんな曲が作れるはずはない」と信じてもらえず、廣瀬が憤慨したとされています。ドラマでは、より感動的なシーンとして脚色したのでしょう。また、廣瀬は瀧を友人と紹介したのは事実かも知れませんが、瀧は廣瀬の 11 歳年下になりますし、直接会った事実も確認できませんので、実際は同郷の後輩知人とみるのが妥当だと思われます。

このように瀧廉太郎の生い立ちから、彼の音楽のルーツはキリスト教会音楽にあることが理解できます。また恩師のケーベル博士に音楽上、強く影響を受けていた

Page 4: 「荒城の月」原曲16No.637 2012/5 ことからも、彼がチャイコフスキーやハンガリー民謡を連想させるメロディーを生 み出したとしても何ら不思議はないと思われます。「荒城の月」はそのメロディー

1616 No.637 2012/5

ことからも、彼がチャイコフスキーやハンガリー民謡を連想させるメロディーを生み出したとしても何ら不思議はないと思われます。「荒城の月」はそのメロディーの素晴らしさから、世界的にも高く評価され、今や修道院の聖歌にもなっています。昭和 60 年頃、日本人カトリック芦田神父がベルギー、アルデンヌ高原にあるシュヴトーニュ修道院[カトリック教徒とロシア正教、ギリシャ正教などの東方正教徒との融合を目的に設立]に滞在した時、その修道院の聖歌隊長で作曲家でもあるジムネ神父に日本の名曲を紹介するよう依頼されました。芦田神父が日本の唱歌集を渡したところ、ジムネ神父はその中の「荒城の月」に激しく感動。東方正教式礼拝にふさわしいとして、歌詞を付け、ケルヴィン聖歌として歌われ続けています。ただ、この聖歌は#のない山田耕筰編曲のものです。おそらく芦田神父が渡した唱歌集が原曲ではなかったのでしょう。

              大分県竹田市 岡城跡

最後に欧州では「荒城の月」の原曲がよく歌われているのではないかと思われるエピソードを 2 つ。昭和 53 年に来日公演したドイツのハードロックバンド、スコーピオンズが「Kojo No Tsuki」と紹介し、日本語で歌ったのは#がついた原曲でした。また、平成 15 年、チェコスロバキアの民族舞踊団シャリシャンが来日公演した時、舞踊団の歌手が披露した「荒城の月」は#が付いた原曲でした。その時 , 同行していた日本のソプラノ歌手が記念にと「荒城の月」の楽譜を贈ると、それは山田耕筰編曲の楽譜だったのでしょう、スロバキアの音楽教授が「この音に#がついていないのはミスプリントではないか」と言ったそうです。

この#の音は日本古来の音楽にはないので、日本の歌としてはしっくりこないかもしれません。しかし、逆に日本にはない音だからこそ、より斬新で、魅力ある曲になっているのではないでしょうか。皆さん方も一度、哀愁溢れる、切ない、原曲を聴いて、瀧廉太郎の素晴らしさを実感して頂きたいと思います。また、この#音階を上手に歌うには何度も歌いこなすことが必要でしょうが、「荒城の月」が世界中で尊敬され、愛されていることを思いますと、瀧廉太郎の偉大な功績を讃え、わが国でも「荒城の月」原曲がもっと広く歌われるようになることを願っています。

                  国立病院機構九州がんセンター 院長