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令和元年 ØH H H H 9H º Ø ² ± Û Ç e Û4 0Y R0 1 e ì Û …...2020/03/07  · 遠藤 理紗 Jonathan Swift, Gulliver’s Travels 研究 本論文では、Gulliver’s Travels

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新潟大学人文学部 西洋言語文化学専攻プログラム

後藤 喬昭 A. A. Milne, Winnie-the-Pooh 研究

本論文では A. A. MilneのWinnie-the-Pooh(1926)と The House At Pooh Corner (1928)を取り上げ、Christopher Robin の成長からみた森の動物たちの存在意義に焦点を当て分析した。 この物語では著者であるMilneの息子である Christopher Robinが登場し、成長していく

のだが、その成長に森の動物たちがどのような影響を与えていて、そこに込められた著者の意図がどのようなものであったかを考察した。 第1章ではPoohを中心に森の動物たちの能力がどのようであるかを彼らが使用する言語

面を主に考察した。ここで森の動物たちとの比較において、Pooh の作詞・作曲における能力や、コブタとのやり取りから Pooh 自身が想像力に優れた頭の良いクマであり、意図的にそれを隠しているということが分かった。 第 2章においてはChristopher Robinの行動や学習的な面から彼がどのように成長してい

るかということを読み解いていった。本の出版年や本文中、算数や知識といった学習の到達具合から見て、Winnie-the-Pooh が始まった当初4-5歳ほどと推測された Christopher Robin の年齢が、The House At Pooh Cornerでは最終的に 10 歳程度まで成長したということが考察された。 第 3章では Pooh と Christopher Robin、それ以外の動物たちと Christopher Robin のふれ

あいを読み解き、森の動物たちがどのように Christopher Robinの成長を助けているのかを考察した。まず、ウサギが迷子になる話から Pooh は自らはわからないふりをして、相手に教え諭すというやり方を用いるというが見えてくる。ここから Poohは Christopher Robinと話をする場合にも意図的に頭の悪いふりをして対話することで、Christopher Robin を教える側に押し上げ、彼の知識やその理解度を深め、さらには優しさなどの内面にも影響を与えていることが分かった。ほかの動物たちも Pooh のように意図的ではないにしろ同様の影響を与えているということが明らかとなった。

Milneの自伝からも読み取れるように、動物たちは Milne 夫妻から Christopher Robinへの愛、親心といったものが動物たちにキャラクターとしての個性を与え、生み出されたものが森の動物たちであるということである。Poohのようなよき友に恵まれてほしい、そして多くの友に慕われるような人物に成長してほしいというミルンの願いを綴ったのがこの2 つの小説であるという結論に至った。また、今なおWinnie-the-Poohが世界中で愛されているのは、この作品を読む子供たちが登場する唯一の人間である Christopher Robin に自己投影をし、共に成長していけるからではないだろうかと考察された。

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新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

遠藤 理紗 Jonathan Swift, Gulliver’s Travels 研究 本論文では、Gulliver’s Travels(1726)において Jonathan Swift(1667-1745)が描いたユートピ

アについて研究した。 主人公 Gulliver が訪れる 4 つの主な国の中でも、Gulliver が唯一永住したいと願い、追

放された時には失神するまでに至った国、Houyhnhnms 国にユートピアがあると考え、こ

の国に焦点をあてて Swift の描くユートピアについて考察した。 第 1 章では、Houyhnhnms 国の旅行記で使われている風刺表現に注目し、そこから見

えてくるディストピアについて調査した。性質も見た目も人間に似ている Yahoo と馬の姿

をしていて理性をもちあわせており、完全合理主義である Houyhnhnms という対照的な

存在における風刺表現と、Gulliver が人間世界について説明し、the Master が人間世界を

理解する場面における風刺表現を挙げた。これらの風刺から本能や感情に従って生きる人

間への憎悪が表現されていることを読み取り、この憎悪から人間世界がディストピアとし

て描かれていることを指摘した。 第2章では、Gulliver はなぜ、永住したいと願うほどに Houyhnhnms 国に理想を感じ

ているのかを調査した。まず、原文から、Gulliver は Houyhnhnms の理性のみに従い、

博愛や友愛を重んじる性質に魅力を感じていることを読み取った。さらに、その理性に従

う性質があらわれている生き方を Houyhnhnms の結婚や教育、政治、死の受け入れ方な

ど、さまざまな角度からみて、具体的に挙げることで、感情や欲望に従って生きる人間と、

完全に理性に従って過ごす Houyhnhnms の生き方の違いをみてきた。また、これらの違

いから人間と Houyhnhnms の理性の使い方の違いを明らかにし、Gulliver がいかに

Houyhnhnms の合理主義的な生き方に理想を感じているかを解き明かした。そして、この

理性のあり方の違いから Gulliver のユートピアが創り上げられていることがわかった。 第 3 章では、今まで述べてきた Gulliver のディストピアとユートピアは Swift と関係が

あるのかどうかを探った。まず、Houyhnhnms 国の風刺表現が Swift の生きた 17 世紀の

イギリス社会を当て擦っており、歴史的事実と結びつけられて描かれていることを明らか

にした。そうすることで、Swift と Gulliver 関係性と 2 人のユートピア観を精査する必要

が生まれた。それらを探るために Swift 自身が行った政治論争や、Swift 自身が書いた手

紙などを挙げ、Gulliver との違いや共通点を明らかにした。そこから Gulliver は Swift と完全に一致するわけではないが、人間嫌いをもとに描かれた人物であるということがわか

り、Swift は人間嫌いを Gulliver に体現させて、理性と本能をもちあわせている人間とは

異なり、完全に理性のみで生きている Houyhnhnms 国をユートピアとして描いたと考察

した。 Gulliver’s Travels の Houyhnhnms 国に描かれているユートピアは著者 Swift の人間嫌

いを Gulliver に投影して表現したものであり、人間とは全く生き方の違う世界として理性

のみに完全に従って生きている Houyhnhnms という馬が生きている世界がユートピアと

して描かれているという結論に至った。

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大林 圭太 Lewis Carroll, Alice’s Adventures in Wonderland 研究

本論文では、Alice’s Adventures in Wonderland(1865)において主人公 Alice や他の登場人物の

体の大きさの変化が、Alice の成長にどのような影響を与えているかを考察した。

第1章では、体長の変化が Alice にアイデンティティ喪失の不安感を抱かせ、それが大人

としての成熟の要因となることを示した。物語序盤での Alice の体長の変化は Wonderland に

誘導されるような形でいわば受動的に行われる。物語中盤で Alice は自由に体長を調整でき

るようになることで、アイデンティティを確立していく。これを東(2015)はこれから思春

期に突入する Alice が大人になるために重要な過程であるとしているが、一人前の女性にな

ったことを呈示する共同体としての役割が Wonderland の住人では不十分であると指摘して

いる。そこで、本作品において、共同体として、また Alice の一歩先を行く大人としての役

割を持つのが Alice の姉だと捉えられる。Wonderland での Alice の体験談を聞き、それを受

容することが成女式における共同体への呈示の役割を果たし、Alice の成長が現実に持ち出

されると考察した。

第2章では、Wonderland における Alice の第一目標となる庭のもつ意味の二重性を示し

た。安藤(2015)は、この庭が幼年時代の象徴で、なおかつ性的なイメージを帯びた大人の

世界の象徴でもあると指摘している。大きすぎて庭に続く扉を通れないことは、幼年時代に

もう戻れないという漠然とした不安を暗示しており、小さすぎて扉の鍵を取ることができ

なくなったことは、Alice にとって庭が子供は入ることのできない大人の世界だと認識して

いることがわかる。以上のように、この庭には子供と大人の境界の役割があり、ここに到達

した Alice は大人として成熟していることが読み取れる。

第 3 章では、本作品がナンセンスだと言われる所以となる、登場人物の不安定感について

考察した。本文での記述や挿絵から Alice だけでなく、他の登場人物も場面によって体長が

違ったり、ものの形が突然変化したりする。このように Wonderland では全てのものにおい

てアイデンティティは可変的であり、これが Alice のアイデンティティ喪失の不安感を強め

ていると読みといた。

第4章では、Jonathan Swift (1667-1745)の Gulliver’s Travels (1726)と本作品に共通してみら

れる体の大きさの不安定感を比較した。山内(2008)は Gulliver’s Travels (1726)では本文中

で描かれる登場人物の大きさの誤差は一般的に無視されているのに対し、Alice’s Adventures

in Wonderland においてはそのような大きさの誤差が実際に起こっているように感じられる

と指摘した。この差は Gulliver’s Travels (1726)が現実世界を描いたリアリズム小説であるの

に対し、Alice’s Adventures in Wonderland は夢の中の精神世界を描いたものであることから生

まれていると考えた。本論では、Alice の体の大きさの変化が Alice の成長にどのように影

響しているかを考察した。その結果、体の大きさだけでなく、Wonderland 全体にわたる可変

的なアイデンティティが Alice に自分が何者であるかわからないという不安感を抱かせ、そ

れによって Alice のアイデンティティ形成が行われていることを解き明かした。

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北村 優衣 Charles Dickens, A Tale of Two Cities 研究

本論文では Charles Dicken(1812-1870)の A Tale of Two Cities (1859)において作品中に

多数出現する通りの描写及びその働きについて精査した。本作品を創作するにあたって、人

物中心ではなく語りによる出来事が中心となった物語を描こうとしたという作者の意図に

注目し、作中に度々描かれ、かつ作品の主要な出来事である革命に加え、様々な事象が生じ

る場を提供している通りの描写やその働きを分析することで、作者のこれまでの作品とは

異なる手法を用いた意図を考察することを目的とした。

第1章では通りと作品の題材である革命との関係を分析し、作中で通りが革命の発生に

寄与していることを示した。通りに起こる出来事が革命の予兆として働くことを指摘し、通

りのもつ性質は革命が生じるための要件である集団の発生や、群衆による爆発的な力の伝

達を可能にしており、作品の中心的話題を引き出すための道具として効果的に利用されて

いる。また革命以前から勃発に至るまでの通りの描写で用いられる複数のイメージは革命

のエネルギーの流動性を示すと同時に、イギリスとフランスを革命に関して対照化させ、二

都市を結びつけている。

第2章では通りと密接に関わる2人の人物 a mender of roads と Sydney Carton を分析し

た。革命に肯定的な姿勢を示す a mender of roads の作中での役割は、革命の意志を伝搬し、

その勢いを増長させるものであると考察する。しかし一方で彼は革命推進派と完全には同

化せずその中で孤立が生じている。また革命に積極的に関与しない人物である Sydney

Carton について、彼が現れる通りの描写を精査し、この描写を挿入することで革命を目論

む人々の意志とは異なる展開へと導かれていると考察し、2人の人物の分析から通りが革

命への時流を許容していないことを明らかにした。通りが革命の発生を可能にし、その勢い

を拡大させているという第1章での結論とは異なり、第2章では革命と同化しない通りの

性質を明らかにし、その中立的な性質が立場の異なる登場人物とそれぞれに結びつき、人物

描写や展開に関与していると考察した。

第3章では作品構成に通りがもたらす効果を分析することを目的とし、通りの出来事を

描く第 2 巻第 14 章のエピソードを分析した。本作品では登場人物の移動によって場面の切

り替えが行われているという主張を踏まえ、二都間の切り替えを含んだ人物の移動が行わ

れない第2巻においては第 14 章の通りでの2つの出来事が人物の移動を含まずに円滑に場

面転換を行うことに貢献していると主張する。したがって人物の移動ではなく通りという

媒体そのものが作品展開に影響を及ぼし、その働きは物語内部に限られないと考察する。そ

して以上に述べた通りの性質がメディアの性質と共通性を持つことを明らかにし、作者の

先駆的なメディア理解が通りの描写や働きにおいてあらわれていることを示した。

結論として、本作品における出来事中心の物語を描くという作者の試みの一つは、当時に

おいて理解の薄いメディアの性質を通りという形式で作中に取り入れ、内容や人物描写、作

品構成に利用することであったと考察した。

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山之内 幸映 Kazuo Ishiguro, Never Let Me Go 研究

本論文では、Kazuo Ishiguro (1954-) の Never Let Me Go (2005) に登場する Kathy が「提供」

という運命を受け入れることができたのは、“memory”による自己の確認と人生の肯定がで

きたことが要因であると捉え、彼女らを育ててきた Miss Emily やマダムの目線から、生徒

たちに子供時代の経験を与えようとした彼女らの想いとその教育の形について考察した。

第 1 章では、Kathy によって回想される Hailsham での日々に注目し、Miss Emily やマダム

による教育方針の目的とその方法を分析した。その結果、ただ提供の存在をごまかすためだ

けのようにも思えた Hailsham の教育の裏には、クローンに子供時代の経験を残してあげた

いという彼女らの想いがあったことを明らかにした。複雑な人間関係や創作物を認め合う

という経験を通して、生徒たちは自分だけの人生を作り上げ、そのあたたかな過去を振り返

ったときに自己肯定感を得ることができる。Kathy が子供時代を振り返ってその心と向き合

い、人生に輝きを見出せたことは、避けることのできない残酷な運命を受け入れる際に大き

く役立ったと言える。

第2章では“memory”に関連する3つのキーワードを取り上げて一つ一つ検討した。子供

時代に紛失したテープの複製版が、現在では Kathy の過去の記憶を呼び起こすものとして

機能しており、また、Miss Emily からは宝箱に宝物をしまっておくことを指導されていたり

もした。また、Hailsham では Norfork という地に世界中の失くし物が流れ着くという噂があ

り、大人になった Kathy がその地にすがる描写が見られる。以上のことから、物語における

カセットテープ、宝箱、Norfork の存在は、提供の運命を避けることは不可能でもその魂や

人生は残り続けてほしいと望むクローンの本心を暗に示していると分析した。

第3章では、作者 Ishiguro の生い立ちや考え方、また彼の他の作品との比較によって、作

者にとっての“memory”というテーマの重要性について明らかにした。彼の作品 The Remains

of the Day (1989) の主人公 Stevens の語りでも、その記憶の曖昧さや自己正当化傾向が目立

っていることと比較し、Never Let Me Go では、主人公が「信頼できない語り手」であるとい

う特徴はマイナスではなく、Kathy が Hailsham での日々を通して得てきた自分だけの記憶

が、彼女の人生に「オリジナリティー」を生んだという彼女にとってプラスとなる思考であ

ったということを読み解いた。

以上の考察から、クローンたちに温かな子供時代の思い出を与えようとした Hailsham の

保護官らの取り組みは、Kathy が提供という運命を受け入れられた要因の一つになったとい

うことを明らかにした。“memory”のもつ力を信じて生徒たちの心を守った Miss Emily やマ

ダムの姿に焦点を当てることで、Never Let Me Go における“memory”の存在感やそれがもつ

力の大きさ、そして短い人生の中でたった一つの自分だけの人生という物語を作ろうとし

た Kathy らの姿を示すことができたと結論付けた。

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石井 千尋 Oscar Wilde, The Picture of Dorian Gray 研究 本論文では、Oscar Wilde(1854-1900)の The Picture of Dorian Gray(1890)における主要

な登場人物(Dorian Gray, Basil Hallward, Lord Henry Wotton)の性格と考え方を分析し、3 人

の共通点と相違点を明らかにした。加えて、作者自身の考えと比較することで、作品の展

開に作者の考えがどのように反映されているのかを考察した。 第 1 章では、3 人の性格と Dorian の精神状態の推移を分析した。画家である Basil は、

芸術至上主義者で比較的強い道徳観を持つ人物として、Lord Henry はひねくれた逆説主義

者で、快楽に従順な人物として描かれている。Lord Henry は現実主義な一面も持ち、この

側面の影響で、Basil のように Dorian に魂を魅了されることなく、観察対象として一線を

引いて接することができたと考察できる。また、この 2 人の考えはすでに確立されたもの

であったために、他者からの作用を受けなかった。当初の Dorian は、純粋であるがゆえに

周りに染まりやすく、Lord Henry の影響を大きく受けることとなった。他者からの作用に

よって変化する Dorian の精神状態を捉えるキーワードとして“soul”に着目し、場面によ

ってどのような魂のやり取りが行われたかを分析した。その結果、Dorian が他者から作用

された場面では、他者の魂の一部が Dorian に与えられている、または、Dorian の魂の一部

が掌握されている状態であると分かった。 第 2 章第 1 節では、3 人の「美しさ」に対する考えを明らかにし、比較した。Basil と Lord Henry については、精神と肉体の美しさ両方に魅力を感じていることを共通点として挙げ

た。しかし、Basil は精神と肉体を連動するものとして、Lord Henry は精神と肉体を分離し

たものとして捉えており、一見同じ美意識ではあるものの、実際は正反対の立場を取って

いると読み解いた。一方 Dorian は、肖像に支配される前の自身を“the stainless purity”(汚

れのない純潔)と表現しながらも、醜く変化した肖像を当時使用していた部屋に隠してい

ることから、精神よりも肉体の美しさを優先していると分かる。第 2 節では、Lord Henryと Dorian の恋愛観に着目し、それぞれ第1章で分析した性格が大きく影響を与えているこ

とを明らかにした。また、Dorian の Sibyl に対する気持ちは、実際には純粋な恋心ではな

く、知らない世界を見せてくれた彼女への好奇心だと考察した。 第 3 章では、Wilde の考えが作品にどのように影響を与えているかを考察した。Dorian Gray の名前の由来としては、Wilde と親交があった美青年 John Henry Gray と、パイデラス

ティア制度を擁したドーリア民族が挙げられ、男性同性愛者である Wilde が意図的に作中

に同性愛要素を取り込んだと解釈できる。この解釈を前提に、Basil の「自己の魂の秘密」

は、即ち同性愛的な芸術上の崇拝だとした。続いて、Wilde が知人にあてた手紙の内容と、

第1章で分析した 3 人の性格を照らし合わせ、Basil は本来の Wilde を、Lord Henry は世間

のイメージする Wilde を、Dorian は Wilde 自身がなりたかった姿を、それぞれ象徴してい

るとすることが妥当であると示した。理想の姿である Dorian が悲劇的な死を迎える結末に

ついて、Basil と Wilde に共通する考えをもとに、①道徳家として、欲望のままに生きる

Dorian に天罰を下した、②芸術主義者として、美しさの永遠の維持は芸術の中でのみ可能

であることを示した、という 2 つの解釈をした。 3 人の考えを分析することで、作中における立場と関係性を明確にした。The Picture of Dorian Gray の登場人物、及び物語展開には、作者 Wilde の理想や現実、思想が多方面から

取り入れられており、そのことによって、作中で正反対の主義や主張が混在していると結

論づけた。

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仙波 佑梨 William Shakespeare, As You Like It 研究

本論文では、William Shakespeare (1564-1616) の As You Like It (1599) における女主人公で

ある Rosalind に着眼し、Rosalind 自身と彼女が会話を交わす他の登場人物のセリフを複数の

観点から精査することで、Rosalind の人物像や戯曲、劇の鑑賞者に対して果たす役割を明ら

かにすることを試みた。

第 1 章では、起伏をもって変動する Rosalind の感情表出に見られる特徴やその多彩な表

出をもたらす事象、及び気質について物語の進行順に分析した。Shakespeare は As You Like

It の原作にあたる Thomas Lodge (1558?-1625) の Rosalynde (1590) の内容への改変・追加や

Rosalind の心情、特に Orland への疑いの心情に与えた連続的な心理的発展を通して Rosalind

の感情を複雑化することが分かった。また、Rosalind が他の人物の主義に直面したり、自身

と Orland をそれぞれ別の人物に重ね合わせたりすることも彼女の錯綜する感情を導くこと

が明らかになった。さらに、一時に示される Rosalind の矛盾したセリフは複雑に絡む感情

の矛盾性を強調すると考察した。大半の場面で他の登場人物を率いる立場にある Rosalind が

中心性を有すると分かった。

第2章では、Rosalind の異性装がもたらす効果に焦点を当て、劇内の登場人物と観客の双

方への影響を精査した。前者への働きかけとしては、変装が与えた男性の外見自体、可能に

した女性としての自己の客観視、素性の隠蔽で Rosalind が女性性を強めたことが分かった。

さらに、Rosalind が獲得した男性的口調は Rosalind が宮廷人としての境遇や性別概念の束縛

から自らを解放する手立てとなったこと、変装が自他に対する客観的な視点を与えたこと、

また男性の見た目が Orland に安心感を抱かせるなど他者の心境を左右することが明らかに

なった。一方、後者に関しては変装を周知する観衆を戯曲の世界観に引き込むとともに、外

見の制約を受けない女性性の発揮や Rosalind の内なる両性具有により当時の女性を軽視す

る社会に警鐘を鳴らす Shakespeare の意図があると考察した。

第3章では、戯曲における二項対立に着目し、Rosalind の内外で起こる調和について検討

した。As You Like It は宮廷風恋愛に基づく感傷主義や高慢さなど各登場人物が有する項が互

いに対立し、自己認識に至る過程をもつ。客観的視点や男性的口調を付与する変装は

Rosalind に他者と衝突するだけでなく、女性を束縛する宮廷風恋愛の伝統への痛切な非難を

可能にすること、また自身が男性性と女性性をはじめとする複数の対立項を自己内に含む

ため Rosalind の調和者としての資質が確立されることを明らかにした。

本論文では、複数の角度から女主人公 Rosalind を捉え、その人物性を考察した。恋に没頭

し快活に感情を発揮する女性として、客観的・理知的に振る舞う男性として Rosalind は観

客を魅了すると同時に、女性を束縛する当時の社会風潮や伝統の価値に今一度、疑問を投げ

かける Shakespeare の声を反映した人物であると言える。

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舘花 紘平 Charles Dickens, Oliver Twist 研究 本論文は、Charles Dickens(1812-70)の Oliver Twist を研究対象とし、作品内に登場す

る悪役である「スリ集団」の人物が本来的には悪ではなく、著者である Dickens の社会に

対してもっている姿勢や考え方の影響で、「悪に染まらざるをえなかった人物」と捉えられ

ることや、Oliver にとって「救済者」としての役割を果たしていることについて考察した。

Oliver Twist については数多くの先行研究があり、「スリ集団」の人物では Fagin や Nancyに焦点を当てた論文が多い。しかし、彼らが最終的には Oliver にとって悪であると考察す

る研究が多く、「救済者」としての役割のほうが大きいと結論付ける研究はあまりされてこ

なかった。Oliver Twist が執筆されたヴィクトリア朝社会では現在よりも階級による貧富

の差が大きく、また Dickens はこの作品を通して新救貧法を批判している。「スリ集団」の

人物はアウトカーストに属しており、これらの犠牲を受けているという視点から、彼らが本

来的に悪と言えるか否かについて、分析と考察をおこなった。 第 1 章では Dodger、Nancy、Fagin と「スリ集団」の人物を 3 人取り上げ、彼らの物語

内での活躍をまとめた上で、彼らを本来的に悪であると捉えることができるか否かについ

て論じた。Dodger が Oliver のような貧しい生まれで救済を求めたこと、Nancy が泥棒に

よって育てられたためにその世界しか知らないこと、Fagin がアウトカーストの中で生き

抜くために悪事を働き続けたことなどから、彼らが自身の階級や生まれに対抗するために

「悪に染まらざるをえなかった人物」であることを導き出した。また、「スリ集団」のヴィ

クトリア朝社会の中での立ち位置や影響についても分析した。彼らが London の街を移動

するのが夜であることや裏道を通っていることから、彼らが人目を避けざるを得ないほど

苦しい生活を送っていることが伺え、彼らの辛さや苦しさを解き明かした。 第 2 章では、物語に登場する悪役である救貧院関係の人物と「スリ集団」の人物が、それ

ぞれ Oliver をどのように捉え、扱ったのかについて分析した。救貧院関係の人物が Oliverに対して非人間的な扱いをし続けていたのに対し、「スリ集団」の人物は London で餓死寸

前だった Oliver に食事と寝床を与え、裏切ることさえしなければ仲間として大切に扱った

ことから、同じ悪役でも「スリ集団」の人物が自分たちと同等の階級である Oliver に対し

て「救済者」としての役割を十分に果たしていることが明らかである。また、基本的に何事

に対しても善良で礼儀正しい姿勢を貫く Oliver の特殊な設定に着目し、その彼が「スリ集

団」の人物をどのように捉えたのかについても考察した。終盤の牢屋での Oliver と Faginの会話の場面では、Oliver が Fagin に対して心を開き泣き叫んだことから、彼が「スリ集

団」の人物に恐怖を抱きつつも、彼らを「救済者」として認識し、恩義を抱いていると読み

解いた。 第 3 章ではまず、作品のテーマに大きく影響している Dickens 自身の幼少期の体験につ

いて精査した。自分以外の家族が監獄に送られたことや、靴墨工場で下層階級の子どもたち

と働かされた経験が彼にとって最も辛い体験であることが分析できた。そして次に幼少期

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の Dickens と Oliver、Dickens の父と Fagin とを比較し、作品に Dickens 自身の自伝的要

素が多く反映されていることについて明らかにした。最後に、Dickens が犯罪に対してアン

ビヴァレントな姿勢を持っている点について分析し、彼が「スリ集団」に何を反映したのか

について考察した。彼の持つアンビヴァレントな姿勢とは、犯罪を許すまいとする厳しい姿

勢と、ヴィクトリア朝社会や法律の犠牲となった犯罪者の人々を憐れに思い、不条理な社会

であると捉える姿勢の2つである。後者の姿勢から、Dickens は「スリ集団」の人物にヴィ

クトリア朝社会や法律の犠牲となった人々の惨状や苦しさを反映したのだと結論付けた。

そして、一味に属しながらも最後には幸せをつかんだ Charley Bates を描いたことから、

彼のような下層階級の人々に苦しみから脱してほしいという Dickens の願いも込められて

いると言える。 本論では、「スリ集団」の人物が本来的には悪ではなく、「悪に染まらざるをえなかった人

物」であり、「救済者」として捉え得ることについて考察してきた。そして、Dickens がヴ

ィクトリア朝社会や法律の犠牲となった人々の惨状や苦しさを彼らに反映したことから、

「スリ集団」の人物が社会の犠牲によって悪事を働いたこと、同じ下層階級の Oliver に対

して「救済者」として手を差し伸べたことを明らかにした。

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橋原鉄美 Charles Dickens, A Christmas Carol 研究

Charles Dickens (1812-1870) の A Christmas Carol (1843) について研究した。過去・現在・

未来という時空間を一夜で移動し見せられる幻影や、作中で頻繁に使用される‟spirits’’や‟

ghost’’などという単語からも分かるとおり、この作品がファンタジー小説であるように捉わ

れることも多い。しかし Ignorance と Want という二人の子どもの登場により、本作品は現

実社会を批判したリアリズム小説として読める側面を持つという研究がなされてきた。本

論文では、この議論を精査し、作品内の子どもたちに注目しながら、Dickens が訴える思い

を考察した。

第 1 章では、Dickens の訴えを知るために、物語の核である Scrooge の改心に影響を与え

る子どもたちの働きを考察した。Scrooge には子どものような純粋無垢な心を取り戻すこと

が不可欠であり、想像力や他者を思いやる心、人を愛する心は、冷酷な男を改心させたこと

が分かった。Dickens は、Scrooge という老人の改心を通して、子どもたちが持つ力こそ大人

が忘れてはならないものであると訴えていることを明らかにした。

第 2 章では、第 1 章で述べてきた子どもたちとは対照的な Ignorance と Want の 2 人に焦

点を当てた。Ignorance と Want が表しているのはイギリス社会の子どもたちの現状であり、

当時の社会の抱える問題を浮き彫りにしていることが分かった。Dickensは IgnoranceとWant

そして作品を通し、社会を担う子どもたちの教育の不足が貧困を育て、破滅へと追いやるこ

とを警告した。そして社会が変わらずそのままの状態であれば、未来を担う子どもたちは破

滅へと進み、社会もまた破滅へと進むことを、この 2 人の子どもを通して警告している。そ

して、Want は経済的な貧困と心理的な貧困、Ignorance は不十分な教育制度に対する警鐘を

鳴らしていることが分かった。

第 3 章では、Dickens が作品に込めた思いを更に深めるため、第 2 章でみてきた社会批判

を、Dickens の過去と作品の関係の点から明らかにした。Dickens の父の借金により 12 歳で

靴墨工場に働きに出される経験や母親に抱いた絶望感は理想の家庭像に影響を及ぼした。

Dickens は子供時代に受けた傷を Scrooge に投影し、理想の家庭と母親像を Chratchit 家や

Belle に描きこんだと考える。1840 年代には教育に関心を示しており、多くの貧民学校への

視察、寄付を行って、子どもたちの教育現場の向上に貢献した。社会が子どもを大切にする

ことを願い、子どもたちにとっての良質な教育と家庭の重要性を訴えたことを明らかにし

た。

以上の調査・考察より、Dickens は作品に登場する子どもたちを通じて、19 世紀イギリス

社会の現状を批判し、子どもが本来持つ想像力や他者を思いやり、愛する心を大人たちがも

つ必要性を社会に訴えていることが分かった。更に、Dickens はこの作品を通して、子ども

たちや社会を破滅に至らせないために、子どもたちには良質な教育と作品内に描かれるよ

うな愛に満ち、子どもらしい自由な想像力を養うことができる家庭の必要性を訴えた。これ

らのことから、A Christmas Carol は、社会が子どもを大切にすることを願う Dickens の思い

が込めたられたリアリズム小説として読める一側面をもつと結論付けた。

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小林萌子 Katherine Mansfield, New Zealand ものを中心とする短編小説研究 本論文では Katherine Mansfield (1888-1823)の「New Zealand もの」とされる短編小説の作品群の中から 4 編 (‘Prelude’(1918), ‘The Garden Party’(1921), ‘At the Bay’ (1921), ‘The Doll House’(1922)を取り上げ、子どものキャラクターと女性キャラクターについて分析及び考察を行った。この際、三神(1989)が「幻想」と「楽園」をキーワードに Mansfield 作品を論じたことを踏まえて、幻想に対立する「現実」と楽園の中と外といった二項対立の間を行き来する人間の心の「揺れ」をキーワードとして設定した。そして、彼女たちを取り巻く「死」や「階級」「性規範」といった問題や、それらと対峙あるいは克服することで得られる「成長」について論じ、物語の中の女性と子どもの交差性や共通性を明らかにした。 第 1 章では、物語の主題に「死」と「階級」の 2 つがあることを検証した。これら 2 つの主題は‘The Garden Party’において顕著に立ち現れ、「階級」の主題は‘The Doll’s House’へ、「死」の主題は‘Prelude’, ‘At the Bay’へ引き継がれている。4 つの物語を俯瞰すると、これらの主題は、子どもの存在や「現実」に対峙、克服するという成長によって導かれていると同時に、彼らの成長には葛藤や動揺というような心的な「揺れ」が伴っていることが認められた。 第 2 章では、‘Prelude’と‘At the Bay’における 4 人の女性キャラクターを分析した。「家庭の天使」を理想的に体現する Mrs. Fairfield と対照的に、家父長制度下の女性像に適応できず抑圧される存在である Linda Burnell, Beryl Fairfield, Alice の 3 人の女性の葛藤や自我の分裂は、ヴィクトリア朝時代の性規範という「現実」を前にして生まれる心的な「揺れ」とも言える。それと同時に、その現実に対する新たな態度を会得するという彼女たちの「成長」が認められる。また、女性キャラクターたちが織り成す複雑な相似と対比についても説明した。 第 3 章では、女性と子どもの交差性、共通性について論じた。子どもと女性の交差点と

しての「少女」の存在である Laura (‘The Garden Party’の主人公) と Kezia (‘Prelude’, ‘At the Bay’, ‘The Doll House’の主人公または中心人物)、女性たちにも内在する死と階級の問題、女性キャラクターの持つ「子ども性」について考察し、心的な揺曳に伴う「成長」を有する点で子どもと女性がパラレルとなっていると結論づけた。更に、両者をつなぐ場である「家」と成長との関わりを検討し、家を出るという行為が彼女たちの成長に影響していることを明らかにした。最終的にこれまでの議論を整理・総括し、ここまで考察してきた「現実」には、「死」という克服不可能な「真理」と社会によって構築された「事相」であることを示した。その上で、「人生って──」と口にする数々の登場人物の中でも、人生を取り巻く「真理」と「事相」の両方を見つめた Laura と Linda が「生とは何であるか」という問いの答えに最も接近しているという見解を提示することで結びとした。 以上のように、「New Zealand もの」において、物語の主題である「死」と「階級」とい

う現実を取り巻く子どもの成長、ヴィクトリア朝の家父長制度下の「性規範」という現実を取り巻く女性たちの成長は、心的な揺れの中で立ち現れるものであり、両者には顕著な共通性があると言える。

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鵜川 幸子 Oscar Wilde, The Picture of Dorian Gray 研究

本論文では、ヴィクトリア朝時代に活躍した Oscar Wilde (1854-1900)の唯一の長編小説

The Picture of Dorian Gray(1890)における同性愛的箇所を取り上げ、Wilde の人生との関係

性をテーマとし、Wilde にとってこの作品がどのような意義をなしたのかを考察した。

The Picture of Dorian Gray はその内容が不道徳であると共に、同性愛を暗示していたので

顰蹙をかうものであった。そのため、第 1 章では、作中における明確には記されていないも

のの、同性愛と解釈できる箇所について先行研究を交えながら考察した。主要な登場人物で

ある Henry 卿、Basil、Dorian はそれぞれに同性愛と解釈できる言動をしていたことが読み

取れた。例えば、Dorian が友人を破滅に至らせた点は、本来女性が主体であるファムファタ

ールを Dorian がとって代わっていると解釈でき、女性らしい行動が同性愛的であると考え

られる。また、先行研究では登場人物の言動に焦点を当てていたが、男性と女性の登場人物

の描写の違いに着目した。このように、作中には同性愛的箇所が随所に見られると共に、作

中に同性愛的要素を取り入れることで、Wilde は道徳観念を重視していたヴィクトリア朝時

代の風潮に対する挑戦の意を示していたと考えられる。

第 2 章では、Wilde の人生と共に、作品との関係性を分析した。Wilde は Henry 卿、Basil

そして Dorian を実在した人物をモデルにしており、特に Dorian のモデルと言われている

John Gray (1866-1934)とは Wilde が同性愛の罪で投獄される要因となった Alfred

Douglas(1870-1945)と出会うまでに関係をもっていたと言われていることが判明した。一方

で、Wilde の性格や発言が3人の登場人物に反映されていることから、Wilde は、登場人物

に自身を分散させて、重ね合わせることで彼の理想が表現されているとした。Wild は図ら

ずもこの作品の如く破滅したことから、「人生は芸術を模倣する」という彼自身の警句通り

の結末となった。その点で、Wilde の人生にとってこの作品は肝要であると考察した。

第 3 章では、キリスト教の歴史が長く、生活の一部となっているイギリスにおいて、ヴィ

クトリア朝時代におけるキリスト教の立ち位置を調査した。18 世紀になされたドイツでの

聖書批判が 19 世紀初期にイギリスで紹介されたが、この考えがすぐに普及したわけではな

かった。しかし、Charles Darwin (1809-1882)による The Origin of Species (1859)が発表され

たことで、キリスト教へ対する考えに変化をもたらした。そして、国勢調査によると、The

Picture of Dorian Gray が出版されたころには、信者の信仰心が低い結果となった。しかし、

ヴィクトリア朝時代における体裁と偽善が密接に関係していた“respectability’’という道徳精

神が要因の一つとなり、The Picture of Dorian Gray は批判を受けたと言える。

以上のことをふまえて、結論として Wilde は The Picture of Dorian Gray に同性愛を取りい

れることで、キリスト教への意識が低くなりつつあるヴィクトリア朝時代後期に対する挑

戦と“respectability’’への反発を意図していたものであるとした。また、Wilde の人生は本作品

のごとく破滅の道を辿ったことから、彼の人生がこの作品を模倣し、自ら体現者となったと

いう点で Wilde の人生に深く関わっていると結論づけた。

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室橋 幸介 ロバート・フロスト研究 ロバート・フロスト(1874-1963)はアメリカ合衆国を代表する詩人の一人であり、ピュ

ーリツァー賞を四度も受賞するなど、生前から大きな評価を得ていた。彼の作品はニュー

イングランドの自然風景を描写したものが多く、特に「森」のイメージが多様に扱われて

いる。そこで本論文では、彼の作品の中に現れる「森」のイメージがいかなる意味を持つ

のか、そしてそれが読者の心にどのような印象を与えるのかということについて考察した。 第1章では、フロストが「森」というものをどのように捉え、描写していたのかを考察

した。“Spring Pools”と“In Hardwood Groves”では、木々に生える葉の描写から、季節が移り

変わってもまた同じ美しさを表す「森」が強調されている。“The Wood-Pile”では、「森」の

中に入った語り手が、同じような木が何本も生えていることによって自分の居場所が明確

に示せないと戸惑う様子が描かれている。そして“A Dream Pang”においても、同じような

「森」に惑わされる人間の様子が描写されていることから、フロストは「森」によって人

間の知覚や認識が絶対的なものではないことを強調しているのではないかと想定した。 第2章では前章での考察を踏まえて、フロストが「森」の中に入った人間の存在をどの

ように扱うのかということに注目して考察を行った。“Two Look at Two”や“Come In”では人

間と動物が「森」の中で出会う場面が描かれており、前者では自然の壮大さに、後者では

「森」の闇に魅了される人間の様子に力点が置かれている。特に後者では闇を死のメタフ

ァーとして解釈することができ、“Stopping by Woods on A Snowy Evening”においても、闇が

語り手を死へと誘惑する様が描かれている。そしてどちらの作品の語り手も、死の誘いに

乗って自らの命を投げ出すことを拒絶し、生きていくことを選んでいる。彼らが生を選択

できたのは、それぞれ「星」や「約束」などといった、生きるための希望となり得るもの

を抱えていたからである。以上の考察から、フロストが、人間はある種の希望を持つこと

によって生を放棄することがなくなるという考えを持っていたと判断した。 第3章では、フロストが人間の存在を強調するために「恐怖」を用いていることに注目

し、人間が「森」の中で恐怖と出会う様子を描いた“The Fear”や“The Draft Horse”を中心に

考察を行った。どちらの作品にも男女のカップルが登場するが、その二人が「恐怖」と対

面するときに、一組は協力してその恐怖に立ち向かうのに対し、もう一組は意見の食い違

いから仲違いする。結果として、前者の二人は闇の中を進むことができたが、後者の二人

は闇に包まれてしまう。このように恐怖に対面した人間の対応の違いを二つの作品の中で

描くことによって、フロストは、死の誘いに対してどのように対処すれば良いのかについ

ての意見を表明しているように思われる。 以上論じたように、フロストは作品の中で「森」と人間を関わらせることによって、人

間の存在意義に対する問いへの答えを探そうとしていたように考えられる。特にフロスト

は、人間に死の誘いを拒絶させる場面を描くときに、その人物に希望を持たせている。そ

してその希望となっているものが、共通して何かに対する「愛」であると解釈できること

から、フロストの作品全体を考察していく際には「愛」というテーマが重要な観点の一つ

になりうるという結論に達した。

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多川 恵 Notes on Adverbs in English

本論文は、英語における副詞についての研究である。文中に現れる位置によって副詞を

分類し、特にその分布制限や生起順序の制約について研究した。 (1) a. { Evidently / Probably } John has lost his mind.

b. John { evidently / probably } has lost his mind. c. *John will have lost his mind { evidently / probably }.

(2) a. *{ Completely / Easily } John has read the book. b. * John { completely / easily } has read the book. c. John will have read the book { completely / easily }.

(1)と(2)のように、副詞は文頭、文中、文末の位置に生起できるが、副詞によって生起で

きる位置が異なっている。このような分布の制限にどんな説明を加えたらよいだろうか。

これを明らかにしていくことが本論文の主旨である。 第 2 章では、副詞の種類についてまとめた。 Jackendoff (1972) は 文副詞 (sentence adverbs)

は主語指向副詞 (subject-oriented adverbs)と話者指向副詞 (speaker-oriented Adverbs)の二種

類に分けられると指摘し、この二つを区別すべきだと提案した。一方 Nakajima (1982) によ

ると、副詞はグループ A から D に分けられ、それぞれのグループの副詞が異なる layer に属すると分析した。結果として、グループ A と B の明確な統語的違いを示した Nakajimaの分類の方が副詞の種類を説明する上で適していると考えられる。

第 3 章では、副詞の分布制限の違いについて考察した。1節では、副詞によって分布が

異なっていることに関して Jackendoff (1972) と Nakajima (1982) の分析から理論的な説明

を加えた。Jackendoff は、副詞は文頭、文中、文末の3つの位置に現れると主張した。また、

Nakajima はグループ A から D の副詞は6つの状況下で現れると仮定し検証した。これら

を踏まえ、2節ではこの分布制限に対して説明を与えた。Keyser は副詞の分布制限を説明

するために転送可能性規約 (transportability convention) を提案し、副詞がある位置で生成さ

れ、姉妹関係にある限りどの位置にも転送可能であるとしている。Jackendoff はこれに対

して、文節に支配される副詞のみ適用されると示唆している。しかし、Bowers は、転送可

能性規約では、文末にしか生起できない副詞が動詞の前に移動できるという誤った語順を

得てしまうという問題点を指摘し、この規約は適さないとした。そこで、Bowers は副詞が

最大投射範疇内で主要部に認可されることから分布制限を説明した。結果、この二つを比

較し、Jackendoff では分布制限を説明できないが、Bowers の認可という考え方では説明で

きるため、Bowers が正しいと結論付けた。 第 4 章では、生起順序に対する制約について取り上げた、2 つの文副詞は隣接できない

とされる。そこで統語的概念から説明した Jackendoff の分析と意味論的な概念からとらえ

た Bowers の分析を比べ、根拠の多い意味論的な概念の方が正しいと結論に至った。しか

し、副詞的従属節は副詞とは統語的範疇が違うにもかかわらず同じ制約がみられることに

疑問を持った。 帰結として、副詞の分布制限においては認可という方法で説明を与えることが正しいと

いう結論に至った。生起順序の問題では、意味論的な概念でとらえた方が説明できるとし

た。だが、副詞と副詞的従属節の制約が同じことに関しては疑問が残ったままである。

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月岡 幸希 Notes on Movement in English

本論文では、英語における移動という操作について研究した。加えて、移動操作が現在

に至るまでどのように扱われてきたのかについて研究した。(1)は、移動操作が適用されて

いる文であり、wh-movement が適用されている。Wh-movement は、代表的な移動操作のう

ちの一つである。 (1) Who do you think that Bill saw ____? (Rizzi, 2001, 49) (1)において、名詞 who が動詞 saw の目的語の位置 (例文の中では下線の位置)に元々生起

しており、文の先頭に移動したと考えられている。 第 2 章では、Ross (1967)が中心となって提案された Island Effect を概観した。Island Effect

とは、ある要素が一定の領域からの移動を禁ずることを指す。Island Effect は、構文ごとに

独立した条件である。具体的には、Complex NP Constraint、Sentential Subject Constraint、Coordinate Structure Constraint、Wh-island Constraint を取り上げた。(2)の文は、Wh-island Constraint が観察される例文である。 (2) a. John wondered who would win a gold medal. b. *What did John wonder who win? c. *The medal that John wondered who would win was the gold medal.

(Riemsdijk and Williams, 1986, 23) (2b)は疑問文、(2c)は関係代名詞が用いられた文である。いずれの文にも、wh-movement が適用されている。Wh-island Constraint により wh 領域内からの wh-movement は禁じられる

ため、(2b-c)は共に非文法性を生じさせる。 第 3 章では、第 2 章で扱った Island Effect よりも一般性の高い条件に焦点を当てた。Ross

(1967)を中心に提案された Island Effect は、各構文に対応した条件である。それらの条件を

より一般性の高い条件によって、最小化させようとする試みがなされた。具体的には、The A-over-A Principle、The Subjacency Condition、The Relativized Minimality に言及した。先ほ

どの(2b-c)の文を The Subjacency Condition の観点から再び目を向ける。前提として、The Subjacency Condition によると、bounding node (IP と NP)を 2 つ以上越える移動は許容され

ない。よって、(2b-c)どちらも bounding node を 2 つ越えているため非文法的である。 (2) b. *What did [IP John wonder who [IP win]]? c. *The medal that [IP John wondered who [IP would win was the gold medal]].

第 4 章において、第 2 章・第 3 章での議論を経て、本論文を結論づけた。Island Effect よりも、第 3 章で扱った一般性の高い条件を採用するほうが良いという結論に至った。一つ

には、The Subjacency Condition により、Wh-island Effect のみならず上記のすべての Island-Effect が包括される。ほかの一般性の高い条件によっても、非常に条件の最小化が可能と

なっていることから先ほどの結論に至った。

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齊藤夏希 Notes on Ellipses in English 本論文では、英語における下記のような省略現象について研究した。 (1) 動詞句省略

Mary met Bill at Berkeley and Sue did [e] too.

(2) 間接疑問縮約 We know someone bought the Van Gogh, even though we aren’t sure who [e].

(3) 名詞句内省略 John calls on these students because he is irritated with [NP those [e]].

(4) 空所化 Mary met Bill at Berkeley and Sue [e] too.

まず、第 2 章では、省略現象の定義を示した。Jackendoff (1971)、Williams (1977)、Chao (1987)、

Lobeck (1995)らの分析から、省略現象の種類の分類を図った。結果として、動詞句省略、間接疑

問縮約、名詞句内省略は空所化と区別して考えた方がよいこと、前者の省略は多くの点で代名詞

化と似ていることが分かった。 第 3 章では、省略がどのように派生されるのかに焦点を当て、削除分析とコピー分析の双方の

立場の分析を概観した。削除分析とは、省略箇所にはもともと完全な構造が存在していて、それ

後の音声部門で削除されるという分析である。一方、コピー分析とは、省略箇所に空の代用形が

存在し、そこに解釈部門で語彙要素がコピーされるという分析である。 第 4 章では、省略が許される条件は何かに焦点を置いた。80 年代に Chomsky により提案され

た X バー理論を基にした、Lobeck の「省略箇所は適切に主要部統御され、強い一致(strong

agreement)に指定された主要部に統率されなければならない」という提案を採用した。 (2)a. John rarely eats natto but Chris often does [VP eat natto].

b. *John rarely eats natto but Chris often [VP eats natto]. (2)における相違は、VP の左側の INFL 内に法助動詞 do が残っているかどうかである。省略が

許されるのは、(2b)のように同様の VP があるだけでは不十分で、(2a)ように VP の左側の INFL

内に、法助動詞や、助動詞 do などの要素が残っている場合である。時制を持つ INFL は適切な統

御者であり、省略箇所を認可する。 第5章では省略が、省略箇所と先行詞の間の同一性のもとで起こることに目を向け、その同一

性の基準は何かについて論じた。結論は、(3)のように動詞句省略では態の不一致が許容されるが、

それ以外の省略では許されない。 (3) This problem was to have been looked into, but obviously nobody did. (動詞句省略) (4)* Joe was murdered, but we don’t know who. (間接疑問縮約) 動詞句省略で態の不一致が許されるのは、構造的にほかの省略よりも低い段階の省略だからで

ある。 削除分析をとっても、コピー分析をとっても、省略箇所とその先行詞には構造的な同一性が不

可欠であると結論づけることができる。

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長島 実香 Notes on Argument Alternation 本論文は、(A)非使役用法と使役用法どちらも持つ動詞と(B)非使役用法しか持たな

い動詞の違いに着目してその動詞の使役交替について論じたものである。 (A)Pat broke the window. /The window broke. (B)The children played. /*The teacher played the children. (Levin and Rappaport 1995: 79) Levin and Rappaport (1995)によると、(A)と(B)の違いは”adicity”(原子価)によるもので、

その動詞がとる項の数によると主張した。(A)のような交替動詞は非対格動詞で 2 項をと

る”dyadic causative verbs”であり、(B)のような交替しない動詞は非能格動詞で 1 つの項をと

る”monadic verbs”であるとした。そして Reinhart (2002)は、交替動詞の使役形と非使役形二

つの形に着目して、使役形が基本形で非使役形は非使役化(decausativization)の結果生じ

るものと結論付けた。また、交替動詞は必ず[+c(ause)]を含み、非使役化でこの[+c]が削除

されると主張した。また、Levin and Rappaport (1995)はもう一つの分析を提案した。動詞が

表す状態変化が外部の要因 (external causation)による時、交替は起こり、内部の要因 (internal causation)による時、交替は起こらないとした。その内部の要因によって起こる代

表的な動詞が放出動詞(Verbs of Emission)である。しかし放出動詞”rattle”は交替現象を示す。 (C) The windows rattled. /The wind rattled the windows. (Levin and Rappaport 2011:21) この現象を Levin and Rappaport (1995)の提案を用いて説明できない。そこで Rappaport and

Levin (2011)の分析を有力なものとし、以下のような交替動詞 ”break”の用法に言及する。 (D) a. He broke his promise. /*His promise broke. (Levin and Rappaport 1995: 85, (9)) ここで Rappaport and Levin (2011)は使役交替の容認度はその動詞が選択する項によるも

のだと主張した。例えば、(D)の使役用法で主語として用いられている”He”はその目的語と

直接の使役関係にない。このように直接の使役関係がないと交替は起こらない。これを一

般化した条件が The Direct Causation Condition であり、動詞”rattle”などの交替を示さないは

ずの動詞でもこの条件さえ満たせば交替することを示した。また、使役交替に関するもう

一つの条件 The Proper Containment Condition が提案される。この条件は、その動詞が示す

状態変化がその動作主の行動内に含まれていない時、その動詞は非使役/使役両用法を示す

とする。この二つの条件を満たした時に使役交替は実現する。また Reinhart (2002)の分析

とは相反して、Rappaport and Levin (2011)は使役交替動詞の基本形は非使役形であり、その

非使役形が選択する項によって使役交替するか否かが決まると結論付けた。またその過程

は使役化(causativization)であり、その結果非使役形が発生すると主張した。 帰結として、使役交替を示さないはずの動詞が使役交替を示す場合をいくつか取り上げ

議論を重ねた結果、Rappaport and Levin (2011)が有力であるとしてこの分析を採用した。

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佐藤 智仁 Notes on Passive Constructions in English 本論文では、英語における受動構文について研究した。 (1) The rat was killed by the cat.

Jaeggli (1986) Chomsky (1982)によると、原理とパラメータの枠組みでは英語に受動構文は存在せず、普遍文法の原理が受動の文の性質を決定するとされている。まず、θ-role 吸収と格吸収を

採用して(1)を説明する Jaeggli (1986)の伝統的な分析を取り上げた。次に、「吸収」を採用

しない Collins (2005)による分析を取り上げた。 第 2 章では、Jaeggli (1986)による伝統的な分析について説明した。まず、前置が起きて

おらず虚辞の it が含まれている場合であっても受動の文は成立することから、主語位置は

外項の θ-role を付与される位置ではないことを示した。この外いくつかの例から、全てのθ-role は独自に与えられるという原理を仮定することによって、主語位置が外項の θ-role を受け取るか否かに基づいて、受動接尾辞が θ-role を吸収するか否かが決まることを示した。また、by 句内の NP の解釈は、一見すると by それ自体が Agent の解釈を与えているように見られるが、実際には動詞が与える外項の θ-role によって決まると示すと共に、Jaeggli (1986)は θ-role transmission を仮定した。この仮定から、受動構文における伝統的な方法での θ-role 付与を説明した。 第 3 章では、Collins (2005)による新たな提案を取り上げた。 (2) a. John wrote the book

b. The book was written by john. Collins (2005)

まず、伝統的な方法での分析の問題点を示した。Collins (2005)によると Jaeggli (1986)の分析では、外項の θ-role 付与の過程が能動構文(2a)の場合と受動構文(2b)の場合で全く異なっていることが問題であるとされている。同一の主題役を担う項は、D 構造において同一の統語構造を持つという、主題役付与均一仮説(UTAH)に違反するためである。また、一般に移動の種類としては主要部移動が予想されるが、疑似受動文や分詞の分析では、誤った語順が予測されると示した。そのため、Collins (2005)は PartP と VoiceP を仮定し、さらにSmuggling を提案した。Smuggling では、D 構造における PartP を VoiceP の指定部の位置に付加する。これによって、DP が左方のもう一つの DP を超えて移動できないという、局所性理論を解決することができ、能動構文と受動構文の θ-role 付与における同一性が確保できると結論づけた。 Jaeggli (1986)と Collins (2005)の受動構文の分析は、文法の普遍原理の観点に関連し、統語的・形態的操作の結果であるとする点では一致している。Chomsky (1982)は英語が、原理とパラメータの枠組みにおいては、普遍文法の原理が受動構文の性質を決定すると指摘する。D 構造の段階で能動構文と受動構文の構造が同一であることは、普遍文法の原理によって受動構文が決まることに、より整合性があると言える。従って、本論文では英語における受動構文の分析は、Collins (2005)が望ましいという結論に至った。

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市橋 舞乃 On the Distribution of Pronouns in English 本論文は、照応形や代名詞の分布に関し、Chomsky (1981)と Reinhart and Reuland (1993)の理論を比較して論じたものである。 (1) A: An anaphor is bound in its governing category. B: A pronominal is free in its governing category. C: An R-expression is free.

(1)で示したのは Chomsky (1981)が提案した束縛条件である。まず初めに、これに基づい

て文中における照応形や代名詞の分布を説明した。しかし、彼が提案する束縛条件では事

実と反して容認不可能になってしまう(2)のような例文が存在する。 (2) a. There were five tourists in the room apart from myself. b. Physicists like yourself are a godsend. c. Max boasted that the queen invited Lucie and himself for a drink. (2a, b)では文中に照応形(myself、yourself)の先行詞となり得る名詞は存在せず、(2c)では照

応形(himself)の可能な先行詞はその統率範疇(that the queen invited Lucie and himself for a drink)内に存在しない。したがって、これらの例文は、照応形はその統率範疇の中で束縛さ

れなければならないという Chomsky (1981)の束縛条件 A と適合しない。また、彼の束縛条

件 A と B は照応形と代名詞が相補的なものであるということを含意しているが、実際同じ

環境に両者が生じる場合がある。 次に、Reinhart and Reuland (1993)の提案する条件を取り上げた。Chomsky (1981)の提案で

は再帰形(照応形の1つ)それ自身を再帰的なものと考える。それに対して、彼らは再帰形

を reflexive marker、つまり述語を再帰化する働きを持つものとして捉えている。彼らの条

件は以下の通りである。 (3) A: A reflexive-marked syntactic predicate is reflexive. B: A reflexive semantic predicate is reflexive-marked. 彼らは、その項の 2 つが同じにインデックスされるときに限り述語は再帰になり、また、

述語が語彙的に再帰であるかその項の 1 つが SELF anaphor であるときに限り述語は再帰

マークされると定義する。この定義のもと、(3)の条件が適用される。さらに、条件 A では

syntactic predicate、条件 B では semantic predicate と、それぞれ異なる述語を適用させてい

る。彼らのこのような reflexivity の考えを用いた分析は、(2)で取り上げた例文を事実に反

せず容認可能とする。そして、この分析において Chomsky (1981)で生じる相補性に関する

問題は起こらない。 Chomsky (1981)の束縛理論は照応形や代名詞などの分布を扱うだけのものではない。し

かし、彼のスタンダードな束縛理論で生じる様々な問題を解決することができるという点

において、Reinhart and Reuland (1993)の理論がより優れていると結論付けた。

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小林 武 A Study of Comparative Sentences in English 本論文では、英語の比較削除並びに比較小削除構文における統語的構造について調査し

た。 (1) John met more linguists than I met. Corver (2006: 583) (2) John met more linguists than I met biologists. Corver (2006: 584) (3) John met more linguists than [x-many [I met [e biologists]]]. (4) John met more linguists than [in what quantity]i I met biologists ti. Corver (2006: 624) まず初めに、比較削除構文と呼ばれる(1)の文は than に導かれる比較節内の動詞 met の目

的語が削除されている。ここで削除されている目的語は主節目的語と同一である。一方で、

(2)のように、主節目的語と比較節の目的語が異なり、比較節の目的語を修飾する数量詞の

みが削除されている文を比較小削除構文という。 第 1 章、第 2 章では、Bresnan (1975)による分析を取り上げた。Bresnan (1975)は、比較構

文内に削除された要素があること、そしてそれは基底数量詞句を含んでいることを観察し

た。(2)において、比較節内の biologists が顕在的な数量詞句を持つことは容認不可能であ

る。加えて、その補部に基数や程度を表す数量詞を必要とする動詞であっても、比較節内

においてそれらの数量詞が現れることは不可能であることから、比較節内に非顕在的な基

底数量詞句があることが確認された。 第 3 章では、Bresnan (1975, 1976a, 1976c, 1977)による比較削除構文における非有界変形

に関する分析を取り上げた。Bresnan は、主節目的語と比較節の目的語の統語的関係は非有

界従属であり、‘比較削除’という比較形成の過程で構成素間の関係が定義されると提案し

た。非有界変形では比較節内の要素はその場で削除される。 第 4 章では、Chomsky (1973, 1977b)による有界変形に関する分析を取り上げた。Chomskyは Bresnan とは異なり、主節目的語と比較節の目的語間の統語的関係は有界移動によると

提案した。また、比較構文が島の効果を示すことなどから、wh 移動を含むと仮定された。

有界移動による比較形成では、比較節の要素は、連続循環的な有界移動の適用により、比

較節の主要部位置に十分近づき削除される。 第 5 章では、Izvorski (1995)による分析を取り上げた。Izvorski (1995)は Chomsky による

有界移動の分析は、比較小削除構文において(3)のように名詞句からの左枝抜き出しを容認

可能としていることに問題があるとした。そのため(4)のような異なる要素の移動を提案し

た。 第 6 章では、Kennedy (2002)による比較構文の統一的分析を取り上げた。Kennedy (2002)

は、比較削除構文は顕在的移動と削除を含み、比較小削除構文は非顕在的移動を含むと定

義づけた。一般に、顕在的移動は PF で、非顕在的移動は LF のみで見られる。比較構文は

どちらも比較構成素の補文標識句の指定部への A’移動を含むが、比較小削除構文の A’移動は非顕在的つまり、LF でのみ見られるため、PF ではどちらの派生も同じであると主張

する。 本論文では比較構文に関するいくつかの分析について調査した結果として、全ての移動

操作が局所的に行われ、有界規則の対象となることから、比較構文における wh 移動分析

が最も合理的であると考えた。しかし、その移動の対象となる要素や、移動が起きる過程

については、より深い調査が必要だと考えた。

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松村葵衣 On the Syntax of English Exclamatives

本論文は、英語の感嘆文に関する研究である。一般に感嘆文は、how や what で始まり、

話者の感情を表している。まず、第 2 章で様々な感嘆文について Nakajima (2001)と Collins (2005)における分析を取り上げ、疑問文と比較した感嘆文の統語的な特徴、主として感嘆

文では主語助動詞倒置が生じないという点について論じた。 (1) a. How beautiful New York is! b. What a beautiful city Kobe is! (Nakajima (2001:140)) (2) a. * What lovely teeth do you have! b. * How well did she dance! (Imai and Nakajima (1978:203)) (3) It’s awful the prices you have to pay for tomatoes in the winter. (Elliott (1971:41)) (4) Boy, is syntax easy! (Huddleston (1993a:259))

Nakajima (2001)では、(1)に加えて(3)や(4)も感嘆文として分析されるとしているが、Collins (2005)では、(1)のように how や what で始まる文のみが感嘆文として分析可能であるとし

た。Collins (2005)の分析に従い、本論文では how や what で始まる文に焦点を当てた。 第 3 章では、感嘆文の意味的・語用論的特徴について Collins (2005)と Zanuttini and Portner

(2003)の分析をもとに論じた。最も明確な特徴は(5)に見られるように、感嘆文を補部に取

ることができる動詞は叙実動詞に限られるということである。 (5) Mary knows/ *thinks/ *wonders how very cute he is! (Zanuttini and Portner (2003:46))

第 4 章では、感嘆文の統語分析について Imai and Nakajima (1978)、Zanuttini and Portner (2003)と Radford (2004)の先行研究をもとに論じた。それらの研究では、2,3 章で論じた疑

問文と区別される感嘆文の特徴を踏まえて統語分析が行われている。Imai and Nakajima (1978)は、so や such から様々な変換規則が適用され感嘆文が派生すると論じた。Zanuttini and Portner (2003)では、2 つの CP、1 つは移動した wh 句、もう 1 つは叙実性を示すオペレ

ーターが存在すると議論されているが、英語において CP が 2 つあるという経験的な証拠

がないと批判されている。一方、Radford (2004)は感嘆文で主語助動詞倒置が生じないこと

に注目し、感嘆文の主要部 C は時制の素性を持たないため、主語助動詞倒置が義務的では

ないと結論付けた。 最後に、4 章で考察してきた統語分析を踏まえても、曖昧さが回避されない文もあると

考えられる。 (6) a. Fred knows how tall John is. b. Fred found out how fast John can run. (Grimshaw (1979:282)) (6)における従属節は疑問文としても感嘆文としても解釈可能であるため、その曖昧さは統

語段階のみでは回避しきれないと考えられる。3 章で見てきたように、この曖昧さを回避

するためには、意味的や語用論的な分析を加えることが必要であるといえる。そのため、

感嘆文に関する分析は議論の余地があり、言語横断的な分析が必要であると結論付けた。

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木伏和覇 Some Notes on Control and Movement

本論文では、英語における移動操作(movement)とコントロール(control)について研

究した。統率束縛理論(government and binding theory)において、PRO は統率されない位

置にのみ生起するという理論に従うと考えられており、移動とコントロールは異なる構造

を形成するという考えが一般的であった。しかしながら、統率という概念をもたない極小

主義プログラム(minimalist program)によって、統率されない位置にのみ生起する PRO の

考え方を再考し、Hornstein (1999)はコントロールの中でも、義務的コントロール(obligatory control)は移動操作と同じ構造をもつと分析した。

第2章では、PRO の定理(PRO theorem)に基づいたコントロール構文について詳しく

取り上げた。第 1 節では PRO の基本的な特性について述べた。

(1) Poirot is considering [CP whether [IP PRO to abandon the investigation]]. (2) [CP [IP PRO to abandon the investigation]] would be regrettable. 上記の2つの例文より、PRO は(1)より照応形と(2)より代名詞類の両特性を持つという考

え方を述べた。第 2 節では、PRO の分布について取り上げた。(1)では、Poirot が PRO の先

行詞であるコントローラー(controller)となり、PRO を制御することになる。しかし、代

名詞的照応形であるという PRO の特性は束縛理論によって規定されている。 束縛原理

(A) 照応形は、その統率範疇の内部で束縛されていなければならない。 (B) 代名詞類はその統率範疇の内部で自由でなければならない。

PRO の特性が代名詞的照応系ならば、束縛原理を満たす唯一の方法は PRO が統率されな

いという分布になる。第 3 節では、義務的コントロールと非義務的コントロールの違いに

ついて取り上げた。 第 3 章では、PRO の分布に基づき、ゼロ格(null Case)を用いた分析を取り上げた。Chomsky

and Lasnik (1993)の研究では、PRO は格を所有し、非定形の時制要素がゼロ格と呼ばれる格

を照合する。また、ゼロ格は PRO のみに適応される格であると主張した。第 2 節では、ゼ

ロ格に基づいて、コントロールと移動操作は異なる構造を持つことを説明した。第 3 節で

は、コントロールと移動操作の違いについて解釈上の違いから説明し、コントロールの不

定詞は時制の素性をもち、格を付与する一方、移動の繰り上げの不定詞に関しては時制の

素性を持たず、格を付与することはできない。上記の理由より、コントロールと移動操作

は異なって扱われると分析した。 第 4 章では、Hornstein (1999)のコントロールの移動理論を取り上げた。第 1 節では、音

声的に何もないというコントロールと移動操作の共通点を明らかにした。第 2 節では、

Hornstein (1999)の分析より、PRO 分析における問題点を取り上げ、第 3 節では、第 2 節で

の問題点から義務的コントロールは移動操作と同じ構造を持つという分析を紹介した。ま

た、第 4 節では、第 3 節での分析を使用すると、最短距離の原理は、最小連結条件に一致

するという利点について紹介した。 帰結として、コントロールと移動操作の分析については、未だにどちらの分析が有力で

あるとは言えず、今後、両分析の比較からより精巧な分析が必要になると結論付けた。

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森田 久陽 How to Teach English Speaking Skills in Japan

本論文では、大学入試試験制度改革が行われ、スピーキング能力が重要視されている現在の日本の高等学校においてどうやって生徒に英語のスピーキング能力を教えるかについて、まず日本の英語の授業の種類やねらい、教員が抱える重圧などの背景に触れ、効果的な指導法について分析する。また、その分析に基づいて授業の例を提案する。

第二章では、論文中で使われる専門用語の説明またこの論文中での定義を述べる。

第三章では、日本の英語授業の背景について、どのように授業が構成されているのか、教員たちにかかる重圧、日本人の生徒の特徴の三つの点から述べる。現行の学習指導要領(文部科学省, 2009)によると、コミュニケーション英語・英語表現・英語会話の三つの科目に分かれて授業が構成されており、その中でも英語会話がスピーキングの指導に適していると考えられる。また、教員たちには文部科学省に承認された教科書を使用する義務があるが、Kikuchi & Browne(2009)によると生徒の多くは教員が学習指導要領に沿って授業が行えていないと感じている。このことから、文部科学省のねらいと実際の授業にはずれがあると考えられる。また、日本人の生徒の特徴として質問に対して静かであることが挙げられるが、(Cutrone, 2009)によると教員はその特徴を受け入れ、生徒の沈黙に対して苛立ちや焦りを見せないようにする必要がある。

第四章では、本論文の研究方法について説明する。多くの生徒が進学を目的とする高等学校での二週間の授業観察と先行研究を比較する。

第五章では、クラスの雰囲気、教員の態度、活動の三つの観点に分けて実際に行われた授業と先行研究を比較分析する。クラスの雰囲気においては、生徒と教員の親密度の高いクラスの方がそうでないクラスより積極的に活動に参加し、英語を使用していた。このことは、Williams (1994)の日本人は文化的・制度的制限から解放されるとリラックスするという分析と一致している。教員の態度においては、可能な限り英語を用いて授業を進める教員のクラスの方が英語の使用が少ないクラスより生徒の英語使用量が多かった。このことは、目標とする言語の独占的使用はその言語の有用性を感じ取ることができる学習者にとって動機づけとなるという分析 (Nae, 2018)に一致している。活動においては、ほとんどの教員がペアまたはグループで取り組む活動を行っていた。Pattanpichet (2011)の分析では、それらの活動は情報や経験の共有を促し、よりリラックスした雰囲気を作り、コミュニケーションスキルを育むので生徒のスピーキングスキルに有効であると考えられる。

以上より、日本人の生徒にスピーキングスキルを教えるには教員が可能な限り英語を使用すること、生徒がリラックスできるように生徒と良好な関係を築くこと、ペアまたはグループで取り組む活動を用いること、生徒の沈黙を受け入れそれに対してサポートすることが重要であると結論づけた。

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村山 裕武

Investigating the Usefulness of TOEIC as Valid Measure of English Language Proficiency

本論文では、TOEIC の有用性についてアンケートを取り、仮説を検証した。 仮説:「TOEIC の点数が高い人ほどテストについて有用性を感じない」

日本では、多くの大学生が TOEIC(L&R)を受けている。このテストは英語を母語としない

人の言語力を評価する国際試験である。TOEFL や IELTS など、他の英語の国際試験と比較

すると、このテストの有用性についての疑問もある。語学力の尺度として、日本企業や大

学でも人気はあるものの、学生の語学力のレベルを測定するにあたり、彼らが TOEIC をど

の程度役に立つと感じているのかを検証する。回答者計 258 人のうち、TOEIC を受験した

ことがある人は 215 人、調査参加者の 84%が少なくとも 1 回受験経験がある。 第2章では、この論文で使う様々な言葉の定義づけをする。たとえば TOEIC の有用性や

言語の運用能力についての定義である。それに加え、TOEIC の歴史を説明し、他のテスト

(IELTS や TOEFL 等の国際的に権威のあるテスト)についても説明する。表を使用し、費

用やデヴェロッパー、試験内容を比較している。 第3章では仮説「TOEIC の点数が高い人ほどテストについて有用性を感じない」を発表

する。この仮説を立てたきっかけは私の海外での経験に基づいている。1年のワーキング

ホリデーを通し、実際に現地での生の言語に触れ、TOEIC は本質的な言語能力を測るテス

トとは離れているのではないか?と考えたのだ。 第4章では、仮説検証のための方法を論じる。アンケートの具体的な内容やこの手段を

実行した理由等を書いた。 第5章では、分析結果を論じる。今回は偏差値を利用して 3 つのグループにわけて検証

した。偏差値 20~39.99, 40~59.99, 60~の 3 つ(それぞれグループ A,B,C とする)である。有

用だと感じるかどうか 1~10 のスケールで答えよ、の質問に対して、各グループでの平均ポ

イントを比較した。結果、C は 5.0, A は 5.9 ポイントと、0.9 ポイントの差があった。この

結果で仮説は検証された。なぜその結果が出たのか、という根拠と、様々な考えられる理

由を論じた。 第6章では、結論と自分の見解を述べた。得点が高い人ほど有用性を感じないというこ

とは、受験者と国際公的機関とのテストに対しての考え方のギャップが大きいということ

である。私はこの調査結果からして、文部科学省と TOEIC の受験者は試験に対する姿勢を

再考する必要があると感じた。彼らは日本のビジネスと教育における TOEIC の現状を検討

する必要があるのである。

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フランス語における思考動詞

~je crois que と je pense que と je trouve que を中心に~ 後藤 孝幸

本論文では、フランス語の思考動詞の中でも頻繁に使用される croire、penser、trouver に

対応する、je crois que、je pense que、je trouve que という 3 つの表現について、その違いを考

察し、使い分けの要因を明らかにすることを目的とした。 第 1 章では、まず croire、penser、trouver の 3 つの思考動詞がもつ 2 つの用法と 3 つの表

現形式について説明した。次に、思考動詞に関する先行研究がモダリティと関連しているこ

とを指摘し、モダリティの概念と、本論文で特に参考とする 4 人の研究概要を紹介した。 第 2 章では、3 つの表現の中で、類似点が多いとされる je crois que と je pense que の違い

について、Martin(1988)、Gosselin(2015)、曽我(1996)に基づき考察した。Martin(1988)はこれ

らの表現の違いを、「知識」の動詞 croire と「判断」の動詞 penser との対比から分析した。

その結果、補文の事態 P を述べるために、je crois que は話し手自身の知識や主観的な確信に

基づく一方、je pense que は自身がもつデータや客観的な事実に基づくという違いが確認で

きた。 次に Gosselin(2015)は je crois que と je pense que の違いを、話し手が P に対する見解を述

べる際の根拠の違いから分析した。je crois que は P だと信じられる動機や理由を引き起こ

すような知識に基づく一方、je pense que は話し手の一般的な知識とそれに対立する反対意

見の欠如によって、補文の事態 P が述べられることがわかった。 最後に、曽我(1996)が分析した語調緩和の用法について紹介した。その用法は大抵 je crois

que とともに使用される。その用法が je pense que には見られない要因について、筆者は Pに対する話し手の意志の強さにあると説明した。 第 3 章では、je crois que や je pense que とは一線を画す je trouve que の特異性について、

Ducrot(1980)や Gosselin(2015)にならって考察を行った。Ducrot(1980)は統語論の観点から、

補文の事態 P の一部が異なることで、je trouve que の使用の制約に違いが見られることを分

析した。その結果、この表現が P を単に前提として述べるのではなく、話し手が P に対し

て行う評価を表す際に使用されることを確認した。 一方、Gosselin(2015)は補文がもつ内在的モダリティとの関わりから、je trouve que は P に

対する話し手自身の主観的な見解を述べる特徴があることを分析した。そしてその分析か

ら、この表現は P が客観的な事実を表現する際に、P との共起ができないことが明らかにな

った。加えて、je trouve que は話し手や時間の経過によって P に対する判断が変わりやすい

という、主観性と判断の可変性が高い特徴をもつことが明確になった。 第 4 章では、je crois que、je pense que、je trouve que の 3 つの表現の使い分けについて、補

文のもつ内在的モダリティ、補文に対する話し手の態度という 2 つの観点でそれぞれ考察

した。補文のもつモダリティに関しては、様相のモダリティの文で je trouve que のみ使用が

できず、認識的、評価的、価値論的モダリティの文では、je pense que は je trouve que と似た

特徴をもつ場合、je crois que のみ使用の区別ができることを指摘した。 補文に対する話し手の態度においては、話し手が P に対する判断を行う際に、je crois que

では自分の持つ一般的知識や主観的な確信、je pense que ではデータや客観的な事実、je trouve que では自身の個人的な経験にもとづき、使用されるという違いが明確になった。 その結果、補文に対する話し手の態度という観点が、je crois que、je pense que、je trouve

que の 3 つの表現の使い分けを考慮する際に、最も重要であるという結論に至った。

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フローベール『ボヴァリー夫人』研究 佐藤 薫

本論文では、フローベール(Gustave Flaubert, 1821-1880)の『ボヴァリー夫人』

Madame Bovary(1857)を取り上げ、これまでしばしば受容されてきた、ヒロイン・エ

ンマのスキャンダラスな転落人生を描いた姦通小説という側面のほか、物語の新たな読み

方を提唱することを目的とした。小説の『ボヴァリー夫人』というタイトルは主人公エン

マのことを指すのかという疑問に端を発し、エンマの他にも登場するもう 2 人の「ボヴァ

リー夫人」(シャルルの母親、前妻のエロイーズ)にも焦点をあてたテクスト分析をもと

に検証した。 第 1 章では「夫人」という観点から、作品の舞台である 19 世紀の女性の社会的な役割

を考慮しつつ、作中に登場するシャルルの母親、前妻のエロイーズ、エンマの描写の比較

を行った。シャルルの母親は、夫の前では徹底した隠忍主義を貫く姿から、当時の良妻賢

母像を体現していると考えた。エロイーズは夫・シャルルに対して不満や嫉妬を吐き出す

姿から、シャルル母親との対比をなしていると確認した。エンマとは貞淑さや母性を不倫

の恋を手に入れるために利用し、妻または母としての姿を超えて、一人の女性として生き

る新たな女性であると確認した。 第 2 章では、シャルルの視点からそれぞれのボヴァリー夫人がどのように捉えられてい

るか、また相互の関連性を含めたテクストの分析により、物語の細部からその全体像を読

み取った。第 1 のボヴァリー夫人は、母親として息子に夢を託して生きることで自己の存

在意義を見いだすが、シャルルにとって母親とは、エンマの死を境に否定的なものに変化

していったと考えた。エロイーズは、彼の目にはエンマとの比較対象として映っており、

エロイーズとの結婚生活は、エンマとの結婚生活に相対化されることでより、その幸せを

確かなものにしていったことが分かった。また、そしてエンマとはシャルルにとって最愛

の妻であり、彼女の愛人であるレオン、ロドロフの一過性の愛情とは異なり、生涯をかけ

て愛するがゆえにシャルルは悲劇的な結末をたどると考えた。 結論として、『ボヴァリー夫人』という題名の裏側には、シャルルが中心となって母

親、エロイーズ、エンマの 3 人を取り巻いているという構図が読みとれると考えた。すな

わち『ボヴァリー夫人』という小説は、「3 人のボヴァリー夫人がシャルル・ボヴァリーを

めぐる物語」という一面としても読むことができる。ここでは、空虚そのものであるかの

ような凡庸なシャルルが物語の中心的な位置に据えているというイメージの反転、また 2人のボヴァリー夫人を退け、女王のように第 3 のボヴァリー夫人として君臨するエンマは

シャルルを嫌悪し、存在自体を排除しようとするという、二重化されたアイロニーの構造

を考察し、エンマの自殺が孤独なシャルルの死をもたらし、「ボヴァリー夫人」をめぐる

場の消滅によって、物語は終わると結論付けた。

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モーパッサン論

織笠 麻菜

本論文では、ギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant, 1850-1893)の短編小説『オル

ラ』 について取り上げた。『オルラ』には同一タイトルで 1886 年版と 1887 年版の二つの

バージョンがあり、分量にして約三倍の大幅な加筆修正がなされている。この加筆修正によ

って、作品の幻想性が深まったのではないかという仮説のもと、二作品を比較・検討した。

第一章では、それまで曖昧であった幻想文学ジャンルについて、ツヴェタン・トドロフ著

『幻想文学論序説』(1999)を参考にして整理した。それによると幻想文学とは、起こった

超自然的現象に対して、合理的解釈と非合理的解釈の二つの解釈の余地がある状態のジャ

ンルを指すということが分かった。このトドロフの定義をもとに、幻想性を深めるというこ

とに関して、二つの方法を設定した。一つ目は超自然的現象を描きながら、それに対してあ

えて合理的解釈の余地を残すというものである。そうすることで読者は合理的か非合理的

かためらうことになると考えた。二つ目は超自然的エピソードを追加することである。単に

追加するだけで、物語に不気味な雰囲気や神秘さを加えることができる。

第二章では、上記二つの方法を念頭に二作品を比較し、叙述形式、追加エピソード、同一

エピソードの差異の三点を調査した。まず叙述形式について、語り手のいる形式から日記形

式に変更されることで、主人公に降りかかった超自然的現象を肯定するサブキャラクター

がいなくなってしまったことが見受けられた。それゆえ物語の合理性と非合理性の間のた

めらいが強まり、幻想性が深まると結論付けた。次に第二節から第八節にかけて、追加エピ

ソードと同一エピソードの差異について時系列順に交互に論じた。第一節から第五節では

物語の前半に関して述べた。1887年版は 1886年版に比べて、幻想的なエピソードが追加さ

れていたり、逆にそれを冷静に見定めることで合理と非合理の間を揺れ動いたりと、幻想性

が深められているという傾向が見られた。第六節から第八節では物語の後半について述べ

た。1887 年版では主人公は正しい判断力を失い、狂気的な言動とその内面の加筆が増えて

いたことを確認した。また、同じエピソードでも一般的な恐怖という反応から、病的なまで

の殺意という反応に変更されていた。つまり物語の前半から後半にかけて 1887 年版の方

が、より主人公の狂気性が増していたということが分かった。主人公の狂気性が高まるとい

うことは、作中の超自然的現象は主人公の幻覚や妄想である可能性を示す。すなわち合理的

解釈と非合理的解釈の間で揺れ動く幻想文学ジャンルから逸れる結果となった。

結論として、論者の仮説は誤りであったことが分かった。『1887 年版オルラ』において幻

想性の深まりが見られたのは物語の前半のみで、後半では主人公の狂気性、つまり内面に焦

点が当てられていたことが確認できた。『1886年版オルラ』はオルラという存在を軸に怪奇

か驚異かわからないことに面白みを感じる優れた幻想文学であるが、『1887 年版オルラ』は

物語の幻想性よりも、神経症を患った者の狂気に焦点を当てた作品へと変貌していたと結

論付けた。

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Étude sur Maupassant Mana ORIKASA

Dans cette étude nous avons traité du conte ''le Horla'' de Guy de Maupassant. ''Le Horla'' a eu deux éditions du même titre, une en 1886 et une en 1887 remaniée et imprimée en trois fois plus d'exemplaires. Nous avons formulé l'hypothèse en comparant les deux éditions de l’œuvre, que ce remaniement a renforcé l'illusion au sein de l'œuvre.

La première partie traite de la littérature fantastique, jusque-là ambiguë, en se référant à ''Introduction à la littérature fantastique'' de Tzvetan Todorov, publié en 1999. Selon lui, les phénomènes surnaturels qui se produisent dans les œuvres du genre de la littérature fantastique peuvent être interprétés de deux manières : rationnel et irrationnel. Sur la base de la définition de Todorov, deux méthodes ont été mises en place pour approfondir l'illusion. La première consiste à décrire un phénomène surnaturel tout en laissant place à une interprétation rationnelle de celui-ci. Ce faisant, nous pensons que le lecteur hésite entre une interprétation rationnelle et irrationnelle. La seconde consiste à ajouter des événements surnaturels. Ajouter des événements surnaturels permet de créer une atmosphère étrange, et ajoute du mystère à l'histoire.

Dans la deuxième partie, nous avons comparé le format narratif des deux œuvres en gardant en tête les deux méthodes expliquées ci-dessus. Nous avons étudié trois points différents. Tout d'abord, le format narratif est passé du format narrateur au format journal intime, faisant disparaître les personnages secondaires qui affirmaient que les phénomènes surnaturels se passaient dans la tête du héros. Par conséquent, nous avons conclu que l'hésitation entre la rationalité et l'irrationalité du récit augmentait et que l'illusion s'approfondissait. Ensuite, de la section 2 à la section 8, nous avons discuté des différences au sein des mêmes épisodes, ainsi que des épisodes supplémentaires, alternativement et dans l'ordre chronologique. Dans les épisodes 1 à 5, l'illusion avait tendance à s’approfondir en ce qui concerne les épisodes supplémentaires et les différences au sein des mêmes épisodes. Cependant, dans les sections 6 à 8, nous avons confirmé que la description de la folie du héros avait augmenté. En résumé, la version de 1887 montre et insiste plus sur le fait que le héros est atteint de folie. Le fait que la folie du héros est croissante signifie que les phénomènes surnaturels dans l’œuvre sont probablement dus à des hallucinations ou à des délires du héros. Le résultat est que l’œuvre s'écarte donc du genre fantastique qui oscille entre des interprétations rationnelles et irrationnelles.

En conclusion, il s'est avéré que l'hypothèse était incorrecte. Nous avons confirmé que ce n'est que dans la première moitié de l’œuvre de ''Le Horla'' de 1887 que l'illusion a augmenté, et que dans la seconde moitié de l’œuvre, la folie du héros s'est faite remarquée comme ne venant que de son propre esprit. Enfin, nous avons présenté les vues respectives de Kitagawa et Yoshida. Kitagawa : ''C'était un prototype d'un conte fantastique'' Yoshida : ''La description de l'anxiété mentale a conduit à une sorte de secours à soi-même pour Maupassant qui souffrait de névrose.''

Je remercie Nathan GEAIRON d’avoir bien voulu relire mon texte.

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サン=テグジュペリ『星の王子さま』研究

森田 春華

本論文ではサン=テグジュペリ(Saint-Exupéry,1900-1944)の思想テーマだと考えられる、

他者との精神的結びつきの表現方法を論じた。それは『星の王子さま』(1943)で“肝心なこ

と”と表され、サン=テグジュペリの世界観の中で光や輝きとして認識されているのではな

いかという仮説を立てた。そこで小説内の様々な光が持つ意味や象徴するイメージの分析

を行った。また『星の王子さま』と同時期に、同じ人物に贈られた作品『ある人質への手紙』

(1943)、作者の思想が凝集していると思われる『人間の大地』(1939)との共通したモチーフ

を取り上げ、持続的なテーマをより明確に示す裏付けとした。

『星の王子さま』の一解釈といえる本論文は、小説の表現部分に注目することで先入観を

取り払い、的確にサン=テグジュペリの思想を捉えることを試みた。第1章で第一次、第二

次世界大戦の社会的背景や、キリスト教の宗教的背景との深い関係性を内容部分から読み

取る先行研究を紹介したが、いずれもその可能性を認めるに留まるしかなかったからだ。

第 2 章では『ある人質への手紙』において、サン=テグジュペリの幼少期の家やかつての

友人が星に例えられていたことを述べた。この家は彼が実際に幼少期を過ごした城館を指

し、永遠の幸福のイメージとして彼に内在していた。また「ほほえみ」はそれを交わし合う

人間同士の精神的繋がりを意味し、サン=テグジュペリは太陽の光のように捉えていた。『星

の王子さま』においても笑いは夜空の星や鈴に置き換えられ、「ぼく」と王子さまを結ぶ絆

の証拠だった。つまり、内的に結びついた対象は光を放つものに例えられていた。

第 3 章では『星の王子さま』でサン=テグジュペリが意図して示したと考えられる光につ

いて分析した。日の移行する夜明けと夕方の場面状況や、数ある挿絵の中で特に光線が描か

れている場面に注目した。夜明けは、「ぼく」にとって核心的なものの象徴である王子さま

との出会いや、彼が愛するバラとの出会い、井戸の発見といった重要な場面に充てられてい

た。一方で夕方は、王子さまがバラとの別れを仄めかしたり、王子さまが地球を去ることを

「ぼく」が悟ったりする場面に対応していた。日の光を愛や絆という目に見えない結びつき

に置き換えたとき、その光の生滅と舞台情景の明暗は呼応していたのだ。挿絵で光源から光

線が描かれていた場面は、動詞「光線を放つ」 « rayonner » が目に見えない精神的幸福感と

いう原因を含意していることが深く関係しており、その幸福とは他者との結びつきから生

まれるものであった。特に点火棒から放たれる光線は、点灯夫が仕事や他人に対して自己犠

牲を伴いながら責任を果たしていること、それが王子さまに幸福感を与えていることから、

読者にだけ挿絵を通して強調される目に見えない光として表現されていた。

最終章では『星の王子さま』、『人間の大地』に共通する「家」と「井戸」の表象を通して

サン=テグジュペリの哲学的主題を見つけ出した。「家」は彼が昔住んでいた愛すべき心の拠

り所であり、宝物の言い伝えや家政婦の存在によって、魔法にかけられたような美しさを放

っていた。「井戸」は、砂漠では命を救う水源であるように、サン=テグジュペリにとっては

精神的回復をもたらす心の生の源であった。その「井戸」は僚友や王子さまといったかけが

えのないものとの絆の象徴であるゆえに、心で感じられる光を放っていると分かった。『星

の王子さま』の最終場面は、目に見えない心の繋がりを完全に理解したからこそ「ぼく」だ

けに見える王子さまの星の輝きが、言葉と挿絵で表現されており、まさに作者の思想テーマ

を集約した場面であった。以上よりサン=テグジュペリが確かに他者との心の結びつきを内

的空間における光として捉えていることが、『星の王子さま』のみならず『ある人質への手

紙』や『人間の大地』という他作品でも確認できた。

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ファイエット夫人『クレーヴの奥方』研究

大城美奈子

本論文では、ラファイエット夫人(Madame de La Fayette, 1634-1693)の作品『クレーヴ

の奥方』がパスカルの思想及びキリスト教的な思想に深く影響されていることを論じた。こ

のテーマを設定した理由は、本作は主人公クレーヴ夫人の理性と心の動きに焦点が当てら

れがちだが、クレーヴ夫人の行動や作中の出来事に宗教的な影響もあるのではないかと推

測したからである。作品内に熱心なジャンセニストであったパスカルの思想とキリスト教

的な思想が見られることを提示していき、最終的にクレーヴ夫人が明確な信仰心を理由に

修道院に入る選択をしたのではないかと考察した。

第 1 章では、最初に物語の舞台の基本情報を示した。個人の存在が不安定な宮廷社会の

様子を、モデルとなったルイ 14 世の宮廷や、作中の宮廷の描かれ方を引き合いに出して示

した。パスカルが宮廷社会に感じていたむなしさと同様のものを、同じ宮廷に出入りしてい

たラファイエット夫人も感じていたと考えられることを述べた。そのような今よりも外部

からの評価が重んじられる世の中で、クレーヴ夫人が夫に自分がヌムール公を愛している

ことを「告白」する場面の異質さと重要性を確認した。

第 2 章では、作品とパスカルの思想、そしてキリスト教との関連を示した。ジャンセニス

トであるパスカルの「気晴らし」「心の平安」についての考えを特に踏襲していることから、

ラファイエット夫人も人間の理性の非力さを強く実感していることがうかがえることを示

した。クレーヴ夫人は田舎に安息を求めるが、中途半端に外界とつながることができる田舎

の別荘では、「告白」をしてもなお完全な「心の平安」は達成できなかった。夫を失い自ら

も病気で生死の境をさまよったクレーヴ夫人は、俗世から完全に隔離された修道院に入る

が、これはクレーヴ夫人が信仰に目覚めたことを暗示しており、最終的に神を求めるしか救

いはないのだという強い宗教的なメッセージではないかと分析した。

第 3 章では、「告白」の舞台となる田舎の神秘性と別荘の特殊性を分析した。最初は特に

描写のない「田舎」が、物語の途中でキリスト教的なものを連想させる森に移行したことで、

クレーヴ夫人は心の平安をもたらす術を次第に神に求めていったことを示唆しているので

はないかと考えた。そして最終的にはヌムール公と不安定な情念の世界で生きることを諦

め、平穏で絶対的な信仰の世界に身を捧げることを選んだと推測した。

結論として、クレーヴ夫人が自らの心を安定させるために田舎に行く選択をしたことは、

後にクレーヴ夫人が信仰の道を選ぶことを暗示しているのではないかと分析した。「告白」

はクレーヴ夫人が自力で心の平安を守ろうとした最後の手段であったと考えた。この願い

が叶わなかったことは人間の力では本当の幸福にたどり着けなかったことを意味し、最後

にクレーヴ夫人が修道院に入るのはヌムール公から遠ざかるためというよりは信仰に目覚

めたからであると推測した。以上のことから、『クレーヴの奥方』には宗教的要素が存在し、

主人公の重要な選択にも深くかかわっていると結論づけた。

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Étude sur La princesse de Clèves

Minako OKI

Dans cette étude, nous avons traité « La princesse de Clèves », une œuvre de Madame de La Fayette.

On se doute que cette œuvre est influencée par la pensée pascalienne et la pensée chrétienne. On a

tendance à remarquer le mouvement de la cour et la raison de Madame de Clèves quand on lit cette

œuvre, mais nous avons supposé qu’il existe l’influence religieuse sur le comportement de Madame

de Clèves et sur le déroulement de l'histoire. Cela est la raison pour laquelle nous avons traité ce sujet.

Nous avons supposé qu’il existe la pensée de Pascal qui était très croyant et la philosophie chrétienne

dans cette œuvre. De plus, nous avons considéré que Madame de Clèves est entrée au couvent d'après

son choix de religion qu'elle fait à la fin de l’ œuvre.

Dans la première partie, nous avons tout d’abord présenté le contexte de l'histoire. Nous avons montré

que la description de la cour reflète une existence individuelle instable. La cour de Louis XIV, qui est

la scène de base, est présentée comme un cadre fabuleux à travers un champ lexical de la cour. Nous

avons supposé que Madame de La Fayette ait senti la même vanité que Pascal dans la cour, parce

qu’elle a fréquenté la cour au même âge que lui. Nous avons vérifié la singularité et l’importance de

la scène de « l’aveu », quand Madame de Clèves avoue son amour pour un autre homme à son mari,

alors que les gens de l'époque donnaient plus d'importance à l'apparence extérieure que nous,

aujourd'hui.

Dans la deuxième partie, nous avons présenté la relation entre cette œuvre et la pensée pascalienne

et chrétienne. Nous avons montré que l’on peut deviner que Madame de La Fayette sent fortement la

faiblesse de la raison chez les gens parce qu’elle suit la pensée pascalienne, surtout « le divertissement

» et « le repos ». Madame de Clèves a poursuivi le repos à la campagne, mais elle n’a pas pu trouver

« le repos du cœur » parce que le château de la campagne ne la fermait pas complètement de ce monde.

Après avoir perdu son mari, Madame de Clèves était entre la vie et la mort à cause de la maladie et

elle est entrée au couvent qui est totalement isolé de ce monde. Nous avons analysé que ce fait suggère

que Madame de Clèves s’est convertie à la religion et que cette scène est un message fort qui signifie

qu’il n’existe pas le sauvetage par Dieu.

Dans la troisième partie, nous avons analysé la mysticité de la campagne et la particularité du château

pendant la scène de « l’aveu ». La campagne n’était pas décrite clairement au début, mais au milieu

de cette œuvre, elle s’est changée en la forêt qui évoque les choses chrétiennes. De ce fait, nous avons

cru que Madame de Clèves a poursuivi le moyen pour trouver le repos du cœur auprès de Dieu

progressivement. Nous avons supposé que Madame de Clèves a renoncé à vivre dans ce monde qui

est instable avec le duc de Nemours et à la fin, elle a choisi la religion qui est paisible et absolue.

En conclusion, nous avons analysé le fait que Madame de Clèves ait décidé d’aller à la campagne

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pour être tranquille suggère que Madame de Clèves ait choisi la religion, et que « l’aveu » était le

dernier moyen de maintenir le repos du cœur pour elle-même. Nous avons supposé qu’elle n’ait pas

pu trouver le bonheur parce qu’elle était un être humain solitaire, et qu’elle n’est pas entrée au couvent

pour s’éloigner du duc de Nemours mais pour accepter la religion. Pour les raisons mentionnées plus

haut, nous sommes arrivés à la conclusion qu’il existe l’élément religieux dans « La princesse de

Clèves », et qu’il impacte profondément les décisions de Madame de Clèves.

Je remercie Annabelle Nheb d’avoir relu mon texte.

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ガストン・ルルー『オペラ座の怪人』研究

飯塚 さくら 本論文では、ガストン・ルルー(Gaston Leroux, 1868-1927)の『オペラ座の怪人』Le Fantôme de l’Opéra (1910)を取り上げた。著者ルルーがオペラ座に怪人を登場させた意図は、怪人に

下層階級の姿を投影させ、オペラ座が下層階級の存在を隠していることを暗示しているの

ではないかという仮説を立て、各章で検証を試みた。仮説を立てるにあたり、『ヨーロッパ

ゴシックにおける活発な交流』European Gothic A Spirited Exchange 1760-1960(2002)におけ

るジェロルド・E・ホーグルの『オペラ座の怪人』の分析を参考にした。ホーグルは、オペ

ラ座建設当時、パリ改造計画により華々しい新生都市パリが再構築された裏で、住居を取り

壊され中心から追い出された下層市民がいたことを受け、彼らの存在が『オペラ座の怪人』

において、怪人によりほのめかされていると述べていた。 第 1 章では、物語を読んでいく上での予備知識として、オペラ座が建てられた当時の社会

背景や、ルルーが文才を開花させた新聞小説について触れた。まず、オペラ座建設時の 19世紀後半にはパリ改造計画により住居を剥奪された貧民の存在があったことを述べた。続

いて、ルルーの文学上における活躍の場であった新聞小説は、読者として下層市民を持って

いたことを確認した。よって、このような新聞小説は特徴として、読者に内在する社会的フ

ラストレーションが投影され、階級格差の存在する社会に対する下層民の不満も少なから

ず表されていることを推測した。そして、ルルー自身も、罪のない人が被害を受けている事

実に憤慨し、そのような人々に対し同情していたことが分かった。ルルーの作品には、無実

でありながら圧迫された生活を余儀なくされた下層階級の憤りや、彼らに対するルルーの

同情心が昇華されていることを推測した。 第 2 章では、再度ホーグルの意見に従い、文字や骸骨の分析によって怪人が下層階級を表

していることの検証を行った。文字の分析では、実際に怪人の文字の描写がある箇所を小説

内から抜き出し、怪人の稚拙な文字が彼の低級性を表していると推測した。また、骸骨の分

析では、ルルーが影響されたと考えられるエドガー・アラン・ポーの『赤死病の仮面』(1842)を取り上げ、仮面舞踏会の場面における本作『オペラ座の怪人』との比較を行った。その結

果、骸骨は下層・低級なイメージと結びつけられ、そのような骸骨と密接な関係を持つ怪人

も下層階級を暗示しているという考えに至った。 第 3 章では、オペラ座がいわゆる隠蔽性を持った建造物であり、下層階級の存在という現

実を隠しているのではないかという説を強固にするために、小説中においても真実や現実

が隠されている箇所を探った。その際に、柴田の「境界」についての言及を受け、「境界」

の見られる場面において隠されたものがあると仮定し、小説内で仮面、アポロン像、舞台上

での偽りの婚約、地下がそれぞれ真実や現実を隠す役割を担っていることを確認した。 以上により、ルルーは下層階級の表象である怪人を、オペラ座に隠されたものとして登場

させたという説の裏付けを行った。ルルーは、下層階級を暗示する怪人に同情し、憐れんで

いた。よって、下層民の怨恨や逆襲心を体現した地下の水が登場人物たちの元までせり上が

ってくる場面や、クリスティーヌの涙により浄化された怪人の心を描き出すことで、ルルー

は下層階級の人々の興味や関心を引きつけ、彼らの憎悪や憤怒の感情を安寧に導こうとし

たのではないかと結論付けた。

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デュマ・フィス『椿姫』研究

樋口 真帆

本論文はデュマ・フィス(Alexandre Dumas fils, 1824-1895)の『椿姫』について研究

した。『椿姫』(仏題 La Dame aux camélias,1848)はデュマ・フィスの処女作であり、最

大のヒット作である。自身が経験した当時の高級娼婦、マリー・デュプレッシとの恋愛をモ

デルとした自伝的小説であり、この作品はのちにヴェルディ―作曲のオペラ『ラ・トラヴィ

アータ』(La Traviata,1853)で大変な人気を博したことで世界中に愛される作品となった。

第一章ではマルグリットとアルマンが初めて二人きりで会話をする場面のマルグリット

の発言部分に注目し、現在出版されている新庄、吉村、西永、永田の日本語訳を参考に、原

文テクストから一語ずつ文法的解釈を行い、新たに日本語訳を作成した。作成するうえで原

文の語彙、文法に忠実であること、意訳を多用しないがフランス語のニュアンスを崩さない

程度にわかりやすい日本語訳にすることを目的とした。

第二章では第一章で行った文法的解釈から作成した日本語訳を原文のテクストとともに

示した。

結論として、新たな日本語訳を作成するうえで四者の日本語訳の特徴とマルグリットの

発言を通して、19 世紀ブルジョワ社会の女性の姿の二点を考察することができた。四者の

日本語訳の特徴については、新庄訳は単語の意味に忠実でありながら、分かりやすく言い換

えている部分も多く読みやすかった。吉村訳は口語的な日本語訳が多く、マルグリットが実

際に話している様子が浮かんでくるような描写を意識しているように感じた。西永訳は最

も文法や単語の意味に忠実であり、端的に伝えている印象であった。永田訳は現代らしい言

い回しや読者の読みやすさに重点を置いている日本語訳が多いため、単語の省略や他三者

とのニュアンスのズレを少々感じたが、四者の中では最も理解しやすい日本語訳が多かっ

た。このように四者の日本語訳を照らし合わせ、原文テクストに忠実で、かつ分かりやすい

日本語を作成するために一行ずつ解釈していくことは、この作品、またデュマ・フィスとい

う作家をより深く理解することに繋がった。日本語訳を読むだけでは完全に読み取ること

が難しいフランス語的なニュアンスを誤解なく読み取り、理解するためには正確な語彙力

と豊富な表現力が必要であると考えた。

19 世紀ブルジョワ社会における女性の姿の考察については、19 世紀のブルジョワ社会は

金銭による限定的な社会という背景が影響を与えていることがわかった。ブルジョワの男

性にとってマルグリットのような女性は自身の虚栄心や快楽を満たす存在でしかないこと、

女性は自分の体を差し出すことで生きているため、このような男性の存在から離れた途端

に生きていくことはできないことから、彼女たちの人生は金銭が渦巻く社会的制約下のも

とに存在していることを明確に示していた。男性に強いられている拘束された社会である

ことを正確に指摘することで、ブルジョワ男性のエゴイスティックからなる社会体制を痛

烈に批判していることを考察した。

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上條寛 社会主義運動に対するビスマルクの政策について

―社会主義者鎮圧法を中⼼に― 本 論 ⽂ で は 、 19 世 紀 後 半 に ド イ ツ 統 ⼀ を 成 し 遂 げ た 政 治 家 ・ ビ ス マ ル ク ( Otto von Bismarck,1815-1898)の社会主義運動に対する政策を取り上げる。ビスマルクはドイツ帝国の⾸相に就任して以降、さまざまな政策を実⾏した。そのなかでビスマルクの「社会主義者鎮圧法」(„Gesetze gegen die gemeingefährlichen Bestrebungen der Sozialdemokratie”、)を分析の対象とし、同法がビスマルクの「アメとムチ」政策の「鞭」としての機能を⼗分果たしていたのかを考察する。

第⼀章では、1871 年までのドイツ帝国誕⽣までの歴史を中⼼にプロイセン邦の歴史やドイツ社会主義政党の成⽴を考察する。プロイセン邦は 60 年代、暗礁に乗り上げた国内改⾰を断⾏するためビスマルクを⾸相に選出した。彼は国内外の諸問題を切り抜け、プロイセン邦主導によるドイツ統⼀を成功させた。また、60 年代はドイツで最初の社会主義政党が成⽴し、1871 年のドイツ帝国誕⽣が近付くにつれて社会主義政党の活動も活発になっていった事が分かった。

第⼆章では主にビスマルクの個⼈的な側⾯に注⽬し、考察した。彼は、プロイセン邦の貴族階級の息⼦として⽣まれ、官僚⾒習いやユンカーを経験してプロイセン王に忠誠を誓う政治家となった。⾸相就任後、ビスマルクは⾃らの権⼒基盤を確保するため社会主義政党ADAV の代表を務めるラッサールと個⼈的な関係を持った。このことからビスマルクは柔軟な思考を持った政治家であることが窺える。

第三章ではビスマルクが主導し、制定した社会主義者鎮圧法を考察する。社会主義者鎮圧法は 1878 年から 1890 年までドイツ帝国内で施⾏された社会主義者に対する弾圧法と⼀般的には呼ばれる。しかし、同法の条⽂は社会主義を標榜する組織を規制の対象にしており、社会主義者個⼈を厳しく取り締まるものではなかった。逆にこの法律はドイツ国内の社会主義者の団結が促したことが分かった。 ビスマルクは鎮圧法の失効によって政治家を引退した。しかし、このことは鎮圧法の失敗によってビスマルクが政治家を引退するということを意味するわけではない。このときすでに 75 歳になるビスマルクにはドイツ国内の様々な問題に対処する⼒はなかった。しかし、鎮圧法の制定は、ビスマルクが造り上げたドイツ帝国の崩壊の⼀因になったと私は考える。

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Bismarcks Politik zur sozialistischen Bewegung: mit Schwerpunkt auf die „Gesetze gegen die gemeingefährlichen Bestrebungen der Sozialdemokratie”

H18J908K KAMIJO YUTAKA

Otto von Bismarck (1815-1898) war ein Politiker, der im späten 19. Jahrhundert die

deutsche Wiedervereinigung erreichte. Diese Abschlussarbeit behandelt seine Politik gegenüber der sozialistischen Bewegung. Er setzte eine Politik namens „Zuckerbrot und Peitsche" durch. Hier betrachte ich das Sozialistengesetz, was der „Peitsche“ entspricht Im ersten Kapitel behandele ich die Geschichte Preußens, die Geschichte des Deutschen

Reiches bis 1871 und die Gründung der Sozialistischen Partei Deutschlands. Die Preußen wählten Bismarck in den 1860er Jahren zum Ministerpräsidenten, um die schwierigen Probleme damals zu lösen. Erschaffte es , nationale und internationale Probleme zu überwinden und Deutschland auf Initiative des preußischen Staates erfolgreich zu vereinen. In den 1860er Jahren formierte sich die erste sozialistische Partei in Deutschland, und als 1871 das Deutsche Reich gegründet wurde, wurden auch die sozialistischen Parteien immer aktiver. Im zweiten Kapitel betrachte ich hauptsächlich die persönlichen Aspekte von Bismarck.

Er wurde als Sohn eines preußischen Adeligen geboren. Er wurde ein Politiker, der König Preußen Treue versprach, nachdem er Bürokratie und Junker miterlebt hatte. Nach seinem Amtsantritt als Ministerpräsident hatte Bismarck eine persönliche Beziehung zu Lassalle, der die sozialistische Partei ADAVvertrat , um seine Machtbasis zu sichern. Ich denke, dass Bismarck ein Politiker mit flexiblem Denken war. Im dritten Kapitel betrachte ich Bismarcks Sozialistengesetz. Das Sozialistengesetz hatte

von 1878 bis 1890Geltung. Es wird allgemein als ein Gesetz zur Unterdrückung der Sozialisten verstanden. Aber es regelt sozialistische Gruppen und Gruppierungen, nicht ausschliesslich Sozialisten. Darüber hinaus hatte das Gesetz auch noch andere Auswirkungen auf die sozialistische Bewegung, denn essschuf eine Einheit der Arbeiter gegen Bismarck. Im Jahr 1878 wurden die sozialistischen Parteien mit dem Erlass des Gesetzes zur Auflösung aufgefordert. Aber sie arbeiteten trotzdem weiter im Ausland und konnten ihren Kameraden in Deutschland helfen. Das Auslaufen dieses Gesetzes führte zur Gründung der SPD. Mit Abschaffung dieses Gesetzes schied Bismarck aus der Politik aus.Dies bedeutet aber

nicht, dass sich Bismarck wegen der Aufhebung des Gesetzes aus der Politik zurückgezogen hätte. Er hatte mit seinem 75 Jahren nicht mehr dieKraft , sich mit Inflation

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und den anderen Problemen umzugehen. Ich denke, dass die Verabschiedung des Sozialistengesetzes den Zusammenbruch des von Bismarck errichteten Deutschen Reiches beschleunigte.

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⼩林未奈 ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスター』研究

―⾃⼰形成としての教養の観点から―

本論⽂では、ヨーハン・ヴォルフガング・ゲーテ(Johann Wolfgang Goethe, 1749-1832)の『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(Wilhelm Meisters Lehrjahre,1796)を取り上げる。この作品は Bildungsroman、日本語に訳すと教養小説という言葉が用いられる根拠と

なったものである。この「教養」は⽇本語では学問や知識を得た豊かさを意味する傾向があるが、Bildungsroman はその意味にとどまらず、⼈間形成の段階と結果の両⽅を描く⼩説を指す。主⼈公ヴィルヘルムが成⻑していく様⼦を辿ることで、物語における⼈間形成が具体的にどのようなものなのかを明らかにする。また物語には当時の思想傾向に基づく概念が⽤いられており、⼈間形成がそれらとどのように結びついていくのかについても検討していく。 第⼀章では、まず初めに第六巻の「美わしき魂の告⽩」について触れ、語り⼿の⼥性が内⾯的な形成のモデルであることを⽰した。それをもとに初期のヴィルヘルムは内⾯的⾃⼰形成を重視し、それが外に向かっていくことを結論付けた。

第⼆章では、運命を慕っていたヴィルヘルムの価値観が⼈間形成とともに変化していくことに⾔及した。⼀⽅でミニヨンという少⼥の⼈⽣を取り上げ、運命の超越した存在は理性などによっても変えられないことが⽰唆されているとした。

第三章では、教育というテーマが特に物語の後半に多く取り上げられ、またその教育が「塔の結社」を中⼼に描かれることを指摘した。結社の教育はナターリエという⼥性の⾃⼰形成を成功させた。⼀⽅で、ヴィルヘルムやナターリエの兄妹に対する促しは成功したと⾔えず、また⾃⼰形成にふさわしくない⼈は⾃分たちから遠ざける。これらのことから結社の理性的な教育が恣意的であることを指摘した。

第四章では、ヴィルヘルムの当初の⽬標と現実にギャップがあったことを⽰し、それを学んだことがヴィルヘルムにとって有益であったことを指摘した。また彼の素質は「形成的」な性格にあり、それゆえに『修業時代』の主⼈公にふさわしい存在であることを⽰した。

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Eine Studie über Goethes “WILHELM MEISTER”:

mit Schwerpunkt auf die Bildung als Selbstbildung

H16J065B

Mina Kobayashi In dieser Studie beschäftige ich mich mit Johann Wolfgang Goethes (1749-1832) Werk „Wilhelm

Meisters Lehrjahre“. Dieses Werk ist der erste Bildungsroman in Deutschland. Der Begriff

„Bildungsroman“ wird, auf Japanisch mit「教養⼩説」(kyôyô shôsetsu) übersetzt. Das Wort kyôyô

bedeutet Reichtum von Wissen und Erkenntnis, aber unter dem Begriff „Bildungsroman“ wird ein

literarisches Werk gefasst, das den Prozess und das Ergebnis der Entwicklungsstufen eines

Menschen darstellt.

Ich folge hier der Ausbildung des Helden Wilhelm, um anhand seines Beispiels die

menschliche Bildung aus dem Werk heraus zu nachvollziehen zu können. Da in den Roman viele

Vorstellungen der damaligen Geistesströmungen eingeflossen sind, untersuche ich hier auch in

welcher Verbindung sie mit der menschlichen Bildung im Roman stehen.

Im ersten Kapitel behandele ich zunächst die „Bekenntnisse einer schönen Seele“ aus dem

sechsten Buch. Ich stelle fest, dass die Erzählerin ein Modell der inneren Bildung ist. Darauf

aufbauend betonte auch Wilhelm früh seine innere Selbstbildung, und ich komme hier zu dem

Schluss, dass sich seine innere Bildung nach außen richtet.

Im zweiten Kapitel bespreche ich, auf welche Weise sich Wilhelms Weltanschauung seinem Schicksal folgend verändert und wie sich dies auf seine Menschenbildung auswirkt. Auf der anderen Seite sehe ich mir das Leben des Mädchen Mignon an, und stelle fest, dass auch transzendentale Ereignisse das eigene Schicksal nicht unbedingt ändern können.

Im dritten Kapitel zeige ich auf, dass das Thema Erziehung besonders in der zweiten Hälfte des Romans häufig aufgegriffen wird, und dass sie besonders als Erziehung in einer sogenannten „Turmgesellschaft“ dargestellt wird. Diese Turmerziehung gelingt bei einer Frau namens Natalie. Aber die Erziehung für Wilhelm und den Natalies Geschwistern kann man nicht als gelungen bezeichnen, und diejenigen, die nicht für eine solche Selbstbildung geeignet sind, entfernen sich von alleine. Daraus schließe ich, dass die Erziehung durch die Gesellschaft willkürlich ist.

Im vierten Kapitel zeige ich, dass zwischen Wilhelms ursprünglichem Ziel, und der Realität eine tiefe Kluft herrscht. Ich glaube, dass Wilhelm genau dies lernt, denn es ist von großem Nutzen für seine Menschenbildung. Ich schließe mit dem Gedanken,

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dass Wilhelms Naturell in seinem „formbaren“ Charakter liegt, und er daher die geeignete Hauptperson für die „Lehrjahre” ist.

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藤田隼風 「叙事演劇」へのアイロニーとして読む、カフカ『訴訟』

―演劇によるしつけの物語―

初めに、「叙事演劇」は本論に全く関係しないことを断っておく。実際の題は

『規律小説としての『訴訟』―演劇によるしつけの物語』である。

フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883-1924)の作品には、聴衆や観衆を前で何か

を演じるかのような人物の物語が多く、作者自身、日常においても言葉より演

劇的な身ぶりを好んでいたと言われる。カフカにとって、演劇・演技は日常から

創作にわたるまで重要な意味を持っていたのである。長編小説『訴訟』 („Der Process“, 1925)のヨーゼフ・K も演技する主人公であり、作中には演劇・演技に

関する表現が頻繁に現れる。そこで本論では、『訴訟』において、主人公 K の演

技、ひいては訴訟の演劇とはどのようなものか、という問いを立て、その解明に

取り組んだ。その際、本論は特に『父への手紙』(„Brief an den Vater“, 1922)から

読み取れる作者カフカの体験を手がかりとした。

第 1 章では、物語の序章「逮捕」の分析を通じて『訴訟』における演劇の成り

立ちを探った。「逮捕」における演劇は、裁判所の権力への対抗手段として主人

公が演技することから始まる。そして、「逮捕」の演劇が主人公と裁判所役人と

の「権力闘争」であったことを明らかにした。また、登場人物間の権力関係が

「身体」を通じて表現されていることを確認した。

第 2 章では「逮捕」と物語の最終章「処刑」の間に生じる変化をどのように捉

えるか、という問いが焦点となった。演劇と演技に関して、序章と最終章とでは

事情が一変しており、「処刑」の演劇はもはや主人公と裁判所役人との権力争い

ではなく、主人公の服従を前提するものへと変わっている。第 2 節では、この

変化を説明する理論的な枠組みとして、ミシェル・フーコーの「規律・訓練」の

概念を導入した。そして、監視と隔離という「規律・訓練」の方法を通じて、反

抗的な主人公が裁判所の権力へ服従するよう「しつけられる」過程として『訴

訟』の物語を捉えることを試みた。

第 3 章は、「規律・訓練」の概念の中心となる「身体」という観点から、物語

全体を通じて主人公の身体がしつけられていく過程を辿った。第 1 節では、正

体不明の裁判所における「言葉」の無力を確認した。第 2 節では、主人公が目を

通した法律書に男性と女性の裸体画が描かれていたという点に着目し、『訴訟』

の裁判所の法は「言葉」や精神的なものではなく、「男性が女性を苦しめる」と

いう、権力関係を反映した身体レベルの関係へと置き換えられていることを示

した。第 3 節では、『訴訟』全体における演劇の機能を考察し、本論の結論とし

た。死の間際に K が演じたものが「男性に苦しめられる女性」の身ぶりである

ことに注目し、反復される訴訟の演劇が、男性の K にそのような女性=権力的

弱者の身ぶりを教え込むものとして機能していたことを明らかにした。

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Kafkas „Der Process“ als Disziplinierungsroman

eine Geschichte von Disziplinierung durch Schauspiel

H16J149G

Hazyate Fujita

In dieser Arbeit geht es um Franz Kafkas (1883-1924) Roman „Der Process“. In Kafkas Werken

gibt es mehrere Geschichten, in denen sich die Charaktere so verhalten, als ob sie auf die Bühne

treten und vor Zuschauern (oder Zuhörern) spielen würden. Der Autor Kafka selbst bevorzugte sein

ganzes Leben lang die schauspielerische Gebärde vor dem Wort. Vom Alltag bis hin zu seinem

schriftstellerischen Schaffen hatte das „Schauspiel“ eine große Bedeutung für Kafka. Auch die

Hauptfigur des Romans „Der Process“ Josef K. spielt in dieser Geschichte Theater und an vielen

Stellen im Roman lassen sich Ausdrücke über das Schauspiel oder über das Theaterspielen finden.

Diese Arbeit untersucht hierbei die folgenden Fragen: Was bedeuten K’s Theaterspiel und die in

der Geschichte wiederholten Schauspielsituationen? Zur Beantwortung dieser Fragen greife ich

besonders auf die Erlebnisse des Autors, die aus dem „Brief an den Vater“ abgelesen werden können,

zurück.

Im ersten Kapitel soll die Entwicklung des Schauspiels innerhalb des Romans untersucht

werden. Anhand der Beobachtung der Anfangsszene „Verhaftung“ wird aufgezeigt, wie der Streit

um die „Macht“ zwischen K. und den Gerichtsbeamten als Schauspiel verstanden werden kann.

Außerdem werden hier auch einige beachtenswerte Merkmale von Kafkas Ausdrucksweise

untersucht. Denn das Machtverhältnis zwischen den Personen wird bei Kafka meistens durch ihre

„Körper“ dargestellt.

Das zweite Kapitel nimmt zuerst die große Wende von der „Verhaftung“ zum „Ende“ des

Romans in den Blick. Was Schauspiel und Macht angeht, ändert sich die Situation im „Ende“ völlig.

Das Schauspiel von „K`s Exekution“ ist kein Streit um Macht mehr, sondern setzt vielmehr K.`s

Gehorsam voraus und verläuft nach dem Plan, welchen K. und die Gerichtsbeamten im Voraus

stillschweigend vereinbart hatten. Um diese Veränderung zu erklären, wird im zweiten Abschnitt

dieses Kapitels Michel Foucaults Begriff der „Disziplinierung“ eingeführt. Außerdem versuche ich

in diesem Abschnitt, die Geschichte als Disziplinierungsprozess der Hauptfigur zu verstehen;

nämlich als einen Prozess. in dem ein trotziger Hauptcharakter durch die beiden zentralen

„Disziplinierungs“-Methoden „Aufsicht“ und „Isolierung“ zu einer Person erzogen wird, die sich

der Macht des Gerichts fügt.

Im letzten Kapitel kommt diese Arbeit zu ihrem Schluss, indem alle Vorgänge innerhalb der

Geschichte unter den Aspekten „Körper“ und „Geschlecht“ verfolgt werden. Im ersten Abschnitt

wird zuerst die Machtlosigkeit des „Wortes“ beim Gericht festgestellt. Im zweiten Abschnitt wird

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eine bedeutende Beobachtung in die Überlegungen miteinbezogen: im Gesetzbuch des Gerichtes

steht ein Bild, auf dem eine Frau dargestellt ist, die von einem Mann gequält wird. Daraus leite ich

aus der Argumentation ab, dass das Gesetz beim Gericht kein Wort oder etwas Geistiges ist

sondern etwas Körperliches, welches ein klares Machtverhältnis der Geschlechterrollen

widerspiegelt: der Mann ist stark und die Frau ist schwach. Im dritten Abschnitt wird die Funktion

des Schauspiels in diesem Roman umfassend erläutert. Zunächst richte ich meinen Blick darauf,

dass die Hauptfigur in der „Exekutions“-Szene eine bestimmte Gebärde einer „Frau“ gespielt hat.

Daraus ziehe ich nach weiteren Analysen von allen anderen einzelnen Szenen die Schlussfolgerung,

dass die unendlich wiederholten Schauspiele in dem Prozess als das Antrainieren von weiblichen

Gebärden an dem Hauptcharakter fungieren.

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山田 絵理 『アルプス建築』

―タウトが示したもう一つの道―

『アルプス建築』(„Alpine Architektur“, 1914)はドイツ人建築家ブルーノ・タウト(Bruno

Taut, 1880-1938)によって執筆された著作物である。30 枚のスケッチには、ガラスや自然

を材料とした装飾的な建築で地球の表面を改造するというユートピアが描かれているが、

これは第一次世界大戦後の苦しみに満ちたヨーロッパ社会に変革の道を示そうとする試み

から生まれたものである。本論文では、タウトが示した変革の道を、当時のドイツで推進

されていたモダニズムの改革とは別の〈精神的変革〉の道と定義し、タウトの自然中心的

な考え方や神秘主義の思想に注目することで、その〈変革〉がどのように行われているの

かを明らかにしていく。

第一章では二つのことを取り上げる。まずはタウトという人物についてである。個人の

内面からの表現を求める表現主義者、合理的なジードルンク建設を手掛ける機能主義建築

家、著作にてその美を讃える日本美の評価者など、タウトの人生と思想は多様である。し

かし芸術と平和を愛した建築家という点は、生涯に一貫してする特徴である。次にモダニ

ズムの運動について取り上げる。機能主義建築による近代化を目指す運動は、過去の様式

と断絶するという意味においてたしかに革新的である。しかし技術面や経済面における諸

制約に縛られていたため、タウトの理想とは程遠いものであることが分かる。

第二章は、タウトに大きな影響を与えた人物である詩人パウル・シェーアバルト(Paul

Scheerbart, 1880-1938)についてである。『アルプス建築』に描かれる建築物は主にガラスを

材料としているが、それは単なる透明ガラスではなく色つきの色彩ガラスや結晶型のクリ

スタルである。シェーアバルトの『ガラス建築』(„Glasarchitektur“, 1914)に登場するガラ

スの建築物も同様の特徴を持っており、シェーアバルトはこのようなガラスが生み出す光

に、人々の精神や生活に変化と開放感を与える効果を期待している。その思いはタウトに

受け継がれ、色彩ガラス・クリスタルが持つ光の効果を最大限に利用した〈変革〉に繋が

っていく。

第三章は『アルプス建築』本文の分析である。建築事業の舞台は山脈から始まり、次第

に地球、宇宙とより非現実的で高次の精神世界へ広がっていく。人々には従来の住宅建築

から切り離された新たな芸術的建築の概念が提示され、大いなる自然の意思に従って大地

を美しく装飾するという大きな課題が課せられる。課題を遂行するに当たって支えとなる

のは、タウトが新たな宗教の担い手として見出した宇宙の神的存在である。その存在は、

自身に仕える者の精神をも満たしている悲しみを幸福に変え、一つの平和な共同体をする

ことを可能にする力を持つ。建築を通して人々の精神を開放へと導く道こそ、タウトが理

想とした〈精神的変革〉の道なのである。

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„Alpine Architektur“

Tauts anderer Weg

H16J233G

Eri Yamada

Das Skizzenbuch „Alpine Architektur“ (1919) wurde von dem deutschen Architekten Bruno

Taut (1880-1938) verfasst. In 30 Skizzen entwarf er seine Utopie, die Erdoberfläche mit

ornamentaler Architektur aus Glas und anderen natürlichen Stoffen umzuwandeln, als ein

Versuch der Befreiung des europäischen Menschengeistes aus den Leiden und dem Schmerz

nach dem ersten Weltkrieg. Taut zeigte hier einen anderen Weg auf, als die im damaligen

Deutschland geförderte Reform des Modernismus. Diesen anderen Weg nenne ich in dieser

Arbeit die geistige Reform, und versuche festzustellen, wie diese Reform durchgeführt werden

soll. Dabei betrachte ich besonders Tauts ökologische Denkweise und seine Gedanken zur

Mystik .

Im ersten Kapitel behandele ich zwei Dinge. Zunächst erkläre ich Tauts Lebenswerke.

Sein Leben und seine Gedanke sind überaus vielfältig. So war er ein Expressionist, der den

künstlerischen Ausdruck aus der Tiefe individueller Seelen schätzte. Gleichzeitg war er aber

auch ein Architekt des Neuen Bauens, der Siedlungen entwarf und baute, die dem

Funktionalismus zuzuorden sind. Überdies bewertete und beschrieb er auch auch die Schönheit

Japans. Sein ganzes Leben lang liebte er die schönen Künste und den Frieden. Zweitens

gehörte er als Architekt der Bewegung des Modernismus an. Diese innovative Bewegung zielte

mit ihrer funktionalen Archtiektur auf die Modernisierung und auf die Zerstörung alter Stile.

Taut fand den Funktionalismus nicht ideal, weil sie technologischen und ökonomischen

Beschränkungen unterlag.

Im zweiten Kapitel betrachte ich den Dichter Paul Scheerbart (1880-1938), der auf

Taut großen Einfluss ausübte. Das Glas, das Hauptmaterial der Architektur von „Alpine

Architektur“, ist kein normales durchsichtiges Fensterglas, sondern farbiges, kristallisiertes

Glas. Diese Idee hatte Taut aus den Werken Scheerbarts übernommen. Das Gebäude aus Glas

von Scheerbarts „Glasarchitektur“ (1914) hatte die Effekt, dass dieses Glas viel Licht nach

innen lässt, mit dem man der Mensch seinen Geist und sein Leben verändern und befreien

kann. Taut übernahm diese Idee, und konzipierte seine Reform, für die er möglichst große

Effekte von farbigem, kristallisiertem Glas einsetzte.

Im dritten Kapitel analysiere ich den Text von „Alpine Architektur“. Das Projekt

beginnt mit der Umbauung von Gebirgen, wendet sich dann der Erde und schließlich dem

Weltraum zu. Das zu bebauende Gebiet vergrössert sich stetig und reiht bis zur nach höhere

Welt des Geistes, die nichts mehr mit der materiellen Realität zu tun hat. Menschen lernen

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einen neuen Begriff kennen, nämlich dass Architektur schöne Kunst sein soll, und nicht

lediglich Wohnungen schaffen soll. Jeder hat dabei die große Aufgabe, nach dem gesetzten

Gedanke der Natur die Erde schön zu schmücken. Dabei spielt die Gottheit vom Weltraum,

die Taut als die Trägerin einer neuen Religion versteht, eine große Rolle. Sie hat die Kraft,

Schmerzen und Leiden in Glück zu verwandeln, sodass ihre Diener eine friedliche

Gemeinschaft bilden können. Tauts Weg der geistigen Reform ermöglicht es, durch Bauen den

Menschengeist zur Befreiung zu führen.

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田村みち瑠 ヴィクトル・ヴァスネツォフについて

ヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ(1848-1926)は 19 世紀後期に活躍した

ロシア出身の画家である。彼の作品の特徴はロシアの民族的表現である。本論文では、ヴ

ィクトル・ヴァスネツォフの生涯を通して、彼の作品の特徴と、それらがロシア美術史に

与えた影響について考察した。ヴァスネツォフにとってモスクワに渡り、アブラムツェヴ

ォ派に加入したことが彼の活動の転機になったと考え、彼の生涯をアブラムツェヴォ派に

加わる前と後に分けて考えた。

第一章ではヴァスネツォフが誕生し、アブラムツェヴォ派に加入するまでの活動を確認

した。生まれ育った場所の環境や父親の教育は、ヴァスネツォフの作風に影響を与えたと

考えられる。

第二章ではアブラムツェヴォ派の概要、属していた画家の紹介を述べ、ヴァスネツォフ

のアブラムツェヴォ派での活動を確認した。ロシアの素朴な民族性の芸術的表現を追求し、

歴史を回顧することが特徴であるアブラムツェヴォ派画家の中でも、ヴァスネツォフは特

にその特徴がよく表れていた。

第三章ではヴァスネツォフの《アリョーヌシカ》、《イーゴリ・スヴャトスラーヴィチと

ポーロヴェツ人の戦いのあと》、《分かれ道の勇士》、《勇士たち》、《灰色狼に乗ったイワン

王子》、《イワン雷帝》の 6 点の作品を取り上げ、どのようにロシアの民族性が表現されて

いるかを考察した。また、ヴァスネツォフの作品を多く所蔵している国立トレチャコフ美

術館と、彼が設計し、晩年を過ごした建物が博物館となっているヴァスネツォフ旧居博物

館を紹介した。

ヴァスネツォフは生涯古くからのロシア民族的表現を追い求め、描き続けることにより、

アブラムツェヴォ派の画家の一人として、過去のロシア民族的美術復活のために貢献した。

これがヴァスネツォフの作品がロシア美術に与えた影響であると結論付けた。ヴァスネツ

ォフが舞台美術を担当した「雪娘」についての調査が不足していたため、さらに研究を続

けることが必要であると感じた。また、今回はロシア民族的なテーマの絵画を取り上げた

が、ヴァスネツォフは宗教画家としても多くの作品を残している。彼は民族的なテーマの

他にも、さまざまなジャンルに挑戦していたことが分かる。画家ヴィクトル・ヴァスネツ

ォフをより知るために、他のジャンルの作品についても調べる必要がある。

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長濱 佐和 ロシア語におけるオノマトペについて

―日本漫画のロシア語訳を対象に―

本論文では、ロシア語のオノマトペについて、日本漫画に登場するオノマトペのロシア

語訳の調査・分析を中心に、その特徴や表現について考察した。 現在、ロシアでは、日本のアニメや漫画が非常に親しまれている。日本の漫画をロシア

語に訳したものが数多く出版されており、根強い人気を誇っている。日本の漫画を外国語

に翻訳するにあたって、オノマトペをいかに扱うかは避けようのない問題であり、翻訳者

によって様々な試みがなされている。日本語は世界的に見てもオノマトペが豊富にある言

語とされている。対してロシア語には日本ほど豊富にオノマトペが存在しない。ロシア語

におけるオノマトペにはどのようなものがあるのか。数多くの日本語オノマトペを翻訳す

るにあたり、ロシア語ではどのような表現手法がとられているのか。 第一章では、日本語のオノマトペの定義・特徴をとらえた上で、ロシア語のオノマトペ

として、間投詞についてふれた。ロシア語では、擬声語・擬態語は通常独立の品詞として

扱われず、文法的には間投詞であることから、ロシア語では間投詞が日本語のオノマトペ

的役割を広く担っていると考察した。また、オノマトペの翻訳についてのロシア人の考え

方についてもふれた。翻訳に際して、日本語のオノマトペの特徴をとらえた上で、字面で

はなく、語の意味しているところは何かを大切にしていることが分かった。 第二章では、漫画に登場するオノマトペに焦点をあてた。日本漫画に登場するオノマト

ペの役割をふまえた上で、日本語のオノマトペの中国語訳の限界性について論じた先行研

究を取り上げた。先行研究の問題点を挙げ、それを改善した形で、同様の調査・分析を日

本漫画のロシア語訳に対して行った。結果、ロシア語では誤訳はあまり見られず、誤訳の

ほとんどは、オノマトペが用いられている対象を、誤って理解したところからくるもので

あった。また、漫画の作者自家製のオノマトペが翻訳を困難にしていることもうかがえた。

その他の気付きとしては三つ挙げられる。一つ目は、複数の日本語のオノマトペをロシア

語の単語一語ですべて表現できることである。日本語は状況に応じてオノマトペを細かく

使い分けるのに対して、ロシア語は似た事象には全て同じオノマトペを使用する傾向が強

いのではないかと考えた。二つ目は、翻訳者によって使用する語が異なることである。日

本人にとってオノマトペが感覚的に用いられる語であるように、ロシア人にとっても、オ

ノマトペは感覚的に捉えられる語であると思われる。三つ目は、セリフ中に登場するオノ

マトペは、ほとんどが間投詞で置き換えられるのではなく、日本語の意味を基にロシア語

の文章の形で訳されていたことである。この点に関しては考察の余地があると思われる。 ロシア語のオノマトペは、日本語のオノマトペと比べて、数をはじめ、様々な違いがあ

り、豊富に存在する日本語のオノマトペを、ロシア語で訳す際には、多くの工夫や試みが

なされていることが分かった。オノマトペのロシア語訳には間投詞が多く用いられており、

ロシア語には存在しなかったりなじみ深くなかったりするオノマトペは、状況を伝えるこ

とを念頭に、様々な工夫を凝らして訳されていることも分かった。また、本論文を書くに

あたり、オノマトペが感覚的な語であるということを再度痛感した。参照したロシア語文

献にも、日本語のオノマトペの理解に一部間違いが見受けられ、オノマトペの表記の曖昧

さも感じた。今後の課題としては、資料の一般性を高めるためにも、オノマトペについて、

より多くの人物の意見や数多くの資料を用いる必要があると考える。また、考察の余地が

あると判断したところに関しては、追加調査をする必要があると思われる。

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柳橋三千花 初期ソ連 SF 研究

-ザミャーチンとブルガーコフから-

本論文ではソ連初期に不遇な運命を辿った二人の作家、エヴゲーニー・ザミャーチン

(1884-1937)とミハイル・アファナーシエヴィチ・ブルガーコフ(1891-1940)が書いた

SF 作品「われら」(1920)「犬の心臓」(1925)「運命の卵」(1926)を取り上げ、彼らが作家

として活躍したソ連初期の時代背景やその SF 史という文脈の中での他作品との関わりを

考察するとともに、テクストを文学的に分析してみたい。

本論文で取り上げる3作品はいずれもソ連初期に発表されたものの、その後ソ連が崩壊

する直前まで国内では出版されることのなかった SF 作品である。一次資料としてそれぞ

れ「われら」は川端香男里氏による日本語訳版、「運命の卵」と「犬の心臓」は水野忠夫氏

による日本語訳版を基本とし、必要に応じてロシア語原文資料や他の数名による翻訳を比

較材料として用意した。先行研究をもとに3作品の特徴や性質を明らかにする。

第一章では「ソ連 SF の中のザミャーチンとブルガーコフ」と題し、あまり一般的には

知られていないソ連の SF 史について簡単にまとめ、そのなかでのザミャーチンとブルガ

ーコフ両名の立ち位置をあきらかにしていく。ソ連 SF はその端を伝統的に存在したファ

ンタスチカ(幻想小説)に発し、海外からの SF の輸入と革命期の祝祭的雰囲気の中でそ

の歴史路をスタートさせた。ソ連時代のイデオロギーや様々な変化に影響されながら、西

欧の SF とは全く違った独自の発展を遂げている。

第2章ではザミャーチン『われら』を取り上げ、この作品が執筆された当時活動してい

たプロレトクリトの文化運動と比較し、こういった活動に対しブルガーコフが感じていた

危機について考察する。

第3章ではザミャーチン『運命の卵』『犬の心臓』という2作品を取り上げ、2作品の

SF 文学史という文脈の中での立ち位置を確認するとともに、テクストを分析する。

二人が作品を発表した 20 世紀初頭は様々な科学が次々と世に現れ、またロシア国内で

は革命という大きな波があった。また、J.ヴェルヌや G.G.ウェルズと言った世界的な SF

作家の登場、彼らの作品のロシア国内への輸入があり、まさに文学界も、SF ジャンルと

しても激動していたことがうかがえる。

ザミャーチンは『われら』において、機械賛美的なプロレタリア思想によって人間性が

奪われるプロセスを描き、ブルガーコフは人間の介入によって生まれた「不自然」がもた

らす破壊と理性の敗北を描いている。二人はともに、単に現状への不満を元にこれらの作

品を書いたのではない。革命前後のエネルギーが充満し、全く新たな思想が必要とされて

いたこの時期に、人間の理性、つまり科学に絶対的な信頼を置き一つの思想にとらわれて

しまうことに対して警鐘を鳴らしたのだ。また、「科学的未来予測に裏付けられた」SF は、

科学の勝利やそれに付随する理想郷や冒険を描いてきた。しかし一方で、ときにその予測

から外れがちな、人間の人間性の可能性を描くにもうってつけの土俵なのであると結論づ

けた。