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1 本と人・人と人との絆を結ぶ互恵的な読書環境の創出 水野 邦太郎 抄録 慶応大学と上智大学では,2000 年より“Reading for Pleasureという多読プロジェクト を行ってきた .「教室」と「IRC (Interactive Reading Community)」というホームペー ジを媒介にして「仲間と読み合う互恵的な関係」の中で「自律的な読み手」を育ててきた. その取り組みを紹介する.本論では,まず,中学・高校・予備校でのリーディングの授業 の問題点を指摘する.次にその問題点を踏まえ,大学における多読プロジェクトの存在意 義について述べる.そして,その具体的な実践例として IRC を紹介するとともに, IRC 日本の教育における文化的価値・教育的価値を考察する. Key Words 多読,自律学習,預金概念,対話,学び合う共同体,電子掲示板,分散的認知,正統的周 辺参加論 Designing a reciprocal reading environment which supports the interaction between books and readers and creates the ties that bind readers together Abstract An extensive reading project named” Reading for Pleasure” has been implemented since 2000 at both Keio university and Sophia university. Students read and talk about books they have read in reciprocal relationships between peers in the classroom and online using the "IRC (Interactive Reading Community)" homepage. This paper describes the underlying idea and methods of the project which will make each and every student into an autonomous reader: First, the serious problems of the reading classes in junior and senior high school and cram school are pointed out. As a solution to these problems, the educational value of an extensive reading project in the university English education is discussed in detail. The IRC is presented as an example of the implementation of this philosophy and examined in terms of cultural and educational values in the Japanese educational system. Keywords Extensive reading, Autonomous learning, Banking concept, Dialogue, Learning community, Bulletin Board System, Distributed cognition, Legitimate peripheral participation

本と人・人と人との絆を結ぶ互恵的な読書環境の創 …るために役立つ「交換価値」だった. この「交換価値」は,受験が終わった大学段階における英語の授業においても,卒業単

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本と人・人と人との絆を結ぶ互恵的な読書環境の創出

水野 邦太郎 抄録 慶応大学と上智大学では,2000 年より“Reading for Pleasure” という多読プロジェクト

を行ってきた 1.「教室」と「IRC (Interactive Reading Community)」というホームペー

ジを媒介にして「仲間と読み合う互恵的な関係」の中で「自律的な読み手」を育ててきた.

その取り組みを紹介する.本論では,まず,中学・高校・予備校でのリーディングの授業

の問題点を指摘する.次にその問題点を踏まえ,大学における多読プロジェクトの存在意

義について述べる.そして,その具体的な実践例として IRC を紹介するとともに,IRC の日本の教育における文化的価値・教育的価値を考察する. Key Words 多読,自律学習,預金概念,対話,学び合う共同体,電子掲示板,分散的認知,正統的周

辺参加論 Designing a reciprocal reading environment which supports the interaction between books and readers and creates the ties that bind readers together Abstract An extensive reading project named” Reading for Pleasure” has been implemented since 2000 at both Keio university and Sophia university. Students read and talk about books they have read in reciprocal relationships between peers in the classroom and online using the "IRC (Interactive Reading Community)" homepage. This paper describes the underlying idea and methods of the project which will make each and every student into an autonomous reader: First, the serious problems of the reading classes in junior and senior high school and cram school are pointed out. As a solution to these problems, the educational value of an extensive reading project in the university English education is discussed in detail. The IRC is presented as an example of the implementation of this philosophy and examined in terms of cultural and educational values in the Japanese educational system. Keywords Extensive reading, Autonomous learning, Banking concept, Dialogue, Learning community, Bulletin Board System, Distributed cognition, Legitimate peripheral participation

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1. はじめに : 日本の英語教育の 2 つの基本的問題 英語は,日本人にとって日常生活では通常使われない外国語である.この事実が「英語

を使う機会」と「英語に触れる量」が極めて少ないという学習上の困難を引き起こし,日

本人の英語力の低さのいちばん大きな原因となっている 2.そして,この2点を克服するた

めの工夫として,コンピュータを活かした様々な実践が行われてきた.水野(2000, 2004)3は,

「英語を使う機会」を増やすために IWC (Interactive Writing Community) というサイト

を構築し,国内外の学生が時空間に拘束されることなく英語をたくさん使ってコミュニケ

ーションができる場を創出し,その問題の解決を図った. 一方,「英語に触れる量」を増やすための方策として,多読プロジェクトが慶応大学と上

智大学で 2000 年より実践されてきた.この多読プロジェクトでは,「アマゾン・コム」な

どのオンライン書店サービスを参考にして,IRC(Interactive Reading Community)という Web アプリケーションを開発し(http://125.100.132.218/irc/top.do),一人ひとりの読みが,

クラスや大学の壁を越えて交わり合う「仲間と読み合う互恵的な読書環境」を築いてきた.

その取り組みを紹介する. 2. 日本のリーディングの授業の問題点 2.1. 中学・高校6年間に読む検定教科書の分量の少なさ 中学・高校の検定教科書の本文のみの語数を数えると次のようになる.

中学 高校

New Horizon 1 1177 語 Unicorn Ⅰ 11968 語

New Horizon 2 2511 語 Unicorn Ⅱ 23009 語 New Horizon 3 3068 語 My English ReadersⅡB 16089 語 合計 6756 語 合計 51066 語

中・高それぞれの総語数をペーパーバック標準ページに換算すると,中学 3 年間で約 19

ページ,高校 3 年間で約 138 ページ,6 冊合わせて約 157 ページ分の勘定になるという.

この分量は,普通のペーパーバックが 1 冊 300 ページとするとその半分くらいにしか満た

ない.この 160ページ程度を6年間で習うことになる.1年平均にしてしまえば 26ページ,

1ヶ月あたり 2 ページも満たない分量である.このデータが示すように,日本の生徒たち

の英文摂取量は極めて少ない. そして,その少ない英文を,教室で教師が一文ずつ文法を使って解読し日本語に訳しな

がら読み進めていく文法訳読の授業が中心に行われてきた.そのため,「やさしくて長い英

文」をたくさん読むことを通して中学で学んだ基礎を強化し,高校まで学んだことがらを

定着させていくための機会が欠落していた.

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2.2. 銀行預金型の教育・学習図式 教師・生徒たちにとって,読むテクストは「単語や文法を学習するための手段」として

扱われ,「テストのため」に読まされてきた.教える側は,英単語・熟語・文法事項等をテ

クストの中で順々に提示していく,そして学ぶ側は,提示されたらその都度,それらを次々

に貯蓄していく.このような「いつか,何か(テスト)に役立てる」ために,ひたすら英単語・

熟語,文法事項等を「貯蓄」することに努力が向けられる. このような「銀行預金型の教育・学習図式 4」では,教師は「知識の伝達者」という呪縛

から逃れられない場合が多い.そのため,授業は一斉授業のモノローグとなる.そして,

このような「預金概念」に縛り付けられている限り,ダイアローグ(対話)による「創造的な

学び」を遂行することは不可能となる. 2.3 入試英語の読解問題の「真正性(authenticity)」と「波及効果(washback)5」 日本の多くの中学・高校生たちは受験に合格するために,入試英語の読解問題を解く練

習を長期間やらされる.その読解問題や問題を解くプロセスは,以下に示すように,現実

の日常の言語活動として行われることはほとんどなく,学習に望ましくない影響を及ぼし

ている. まず,入試英語では「空所補充」「多肢選択」「内容一致」といった形式の「設問」に従

って読まされる.このようなタスクと練習は,現実の生活の「読む」という言語活動とし

て行われることがほとんどないことから,真正性が低い,あるいはまったくない. そして,受験生は「問題文を読んで設問に答える」ことをひたすら繰り返すだけの,自

閉的な読みに終止させられる.読んだ後に何かをする,たとえば,ディスカッションをす

る,といった「先がない」.個人の「頭の中の働き(情報処理)」にのみ焦点化された孤独な

作業に受験生は追いやられる. さらに,入試英語の英文は「著者」も「タイトル」も明記されず,ある本からの「断片」

が与えられる.自らの意思や願望から選択したものではなく,まるで天から降ってくるか

のごとく「読め」とつきつけられる.自分にとって読むことの意義が見えない文章を読ま

されることは極めて虚しく,また苦痛なことである.このような状況のなかに,現実の日

常生活で行われている読書と同じあり方を見出すことができるだろうか. こうした「真正性」が低く,望ましくない「波及効果」をもたらす入試英語の読解問題

を生徒たちが我慢して解く練習ができるのは,英語の試験で高得点を取ることで換わりに

「合格」が手に入るという「交換価値」による動機づけが働いているからである.従来,

日本の中学・高校生を英語学習に駆り立てるのに「貢献」してきたのは,進学を手に入れ

るために役立つ「交換価値」だった. この「交換価値」は,受験が終わった大学段階における英語の授業においても,卒業単

位のため,就職に必要な TOEIC のスコアをアップさせるためという理由となって強く浸

透し作用している. そこで,「交換価値」だけでなく「文化的・教育的価値」によって英

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語の授業をいかにデザインすることができるか,大学における多読の授業の実践を取り上

げながら「学校で英語を学ぶことの意味」を考えてみたい. 3. 大学における多読の授業の存在意義 3.1 自律的な読み手を育てる 読書という行為は本来,数多くの本の中から「自分が今を生きるために必要な本」を「選

ぶ」のであり,一人ひとりの生き方に深くかかわった行為である.この意味で,学生が 30人いれば,30 人の教師(本)を自分の力で選び,自分の力で学んでいくのが本当の意味の読

書であるといえる.このように「一人ひとりが自分のニーズや希望に役に立つように賢い

選択ができるようになる能力を育てる」こと,すなわち「自律的な学び手(読み手)を育てる」

ことが,入試英語から解放された大学段階における多読の授業の存在意義であると考える. そこで,「自律学習とは何か」という問題に照明を当てるため,以下で,青木(1996)6の

考え方を要約しつつ,自律的な読み手を育てる多読の授業の教育的価値について考察をす

る. 「自律学習とは,学習者が自分自身のために,自らの知識(スキル)を構築しようとして,

仲間や教師やその他のリソースと協力し,交渉しつつ行う学習を,自分自身の手で管理す

る」トータルな教育哲学をいう.この定義をいくつかの要素に分けてみていくことにした

い. 「自分自身のために」というのは,一人ひとりが,この学習によって自分の人生の質が

向上すると信じているということである.したがって,本を読むことが,必修科目だから

といった理由ではなく,「読書を通して自分の人生の質が向上する」と信じて自分のために

読書をすることをさす. 次に「自らの知識(スキル)を構築しようとして」とは,学習者が新しく出会った情報を批

判的に検討し,自分の既有知識と結びつけることを意味する.このような「個人の主体的

な読み,テクストとの対話を通して自分の視点から作品の意味世界を作りあげていく,創

造的で生産的な活動しての読み 7」が尊重され,その重要性が強調される. 「仲間や教師やその他のリソースと協力し,交渉しつつ行う」とは,自律学習とは,一

人でやる個人学習とも,あらかじめ決められた内容,順番,方法に従ってだれもがやるプ

ログラム学習とも違い,そのような個人主義的な学習観から,個人の理解や認知は,自分

以外の他者やモノを媒介にした社会的相互作用のなかで,影響を与え合いながら形成され

るという社会的構成主義の考え方をさす.読むという営みを個人の閉じた系から,広く社

会・文化的に開かれた系として捉え直していくことの必要性が示されている. 最後に「学習を自分自身の手で管理する」とは,具体的には,学習の目標,内容と進度,

方法,場所,時間とペース,評価を自分で決めることをいう.読書を進めていくにあたっ

て,一人ひとりが自ら読みたい本のリスト(読書計画)をつくり8,好きな時に好きな場所で,

自分のペースで好きなだけ本が読める権利を保障すること,そして,そのような読書欲が

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生まれてくるような読書環境をデザインすることが,教師のいちばん大事な仕事になる. 3.2 量への挑戦 : リーディング・マラソン 大学における多読の授業のもう一つの存在意義は,「英語に触れる量」を増やすことにあ

る.特に大学で英語を専攻としない学生たちにとっては,英語の授業が英語に触れるほと

んど唯一の機会になる.しかし,その授業数は週に平均2クラス程度であり,大人数の一

斉授業であることが多い.学生たちが置かれているこのような困難な環境の中で,英語に

接する分量を増やすための工夫として,学期を通じて楽しみながらゲーム感覚でたくさん

読む競走ができる「リーディング・マラソン 9」を実施して量不足を補うことができる. 各本に「読破距離数(400 語を 1km とする)」を表示する.学生は授業外に,1 週間に 1

冊以上のペースで読んでいき(30 km 以上の本の場合は 2・3 週間を認める),マラソンの「ゴ

ール」として,単位を取得するには 13 冊以上あるいは 130km 以上走破すること,A が取

れる必要条件として 18 冊以上あるいは 180km 以上走破する,という具体的な数字を学期

始めに示した. 4. 「勉強」から「学び」型授業への転換 多読の授業を実施する際,学生たちは授業以外の時間を使って自分の選んだ本をマイ・

ペースで自由に読み進めるため,「週に1度集まる教室で何をやるのか」ということが重要

になってくる.この「教室」という場所をどう利用するかという問題について考察する. これまでの「銀行預金型」の授業は,黒板に教師が書いたことを書き写し,教師や教科

書が提供する知識を理解し記憶する「勉強」であった.この「勉強」の文化から決別して

自律的な「学び」型授業への転換を実践するために,佐藤 10は,3 つの次元における「出

会いと対話」が授業の中に組織される必要があると提唱している. 一つは「モノ(教材,あるいは対象世界)」との出会いと対話,そして「他者」との出会い

と対話,「自分自身」との出会いと対話を指す.これら 3 つの「世界づくり」「仲間づくり」

「自分づくり」の三位一体論として,佐藤は「学び」型授業の実践を定義している.こう

した 3 つの対話的実践を多読の授業においてどのようにデザインすることができるか,具

体的な方法とその教育的意義を示してみたい. 4.1. 対象世界との出会いと対話 学びは,「モノや事柄」との対話を遂行する「世界づくり(認知的・文化的実践)」である.

そうした「世界づくり」は,多読の授業においては「本」との出会いと対話を通して遂行

される.学生たちは,学期を通して様々なジャンルの「本」と出会い,テクストの中で「英

語独自の思考様式・表現様式」と出会い,物語に登場する色々な「人間」や「出来事」と

出会い,対話をする.

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4.2 他者との出会いと対話 学びは,「他者」との対話を通して進められる「仲間づくり(社会的・政治的実践)」であ

る.互いに手伝い手伝われながら「協同」で行われるものである.そうした授業づくりを

進行させるために,この授業では教室で「ブックトーク」を行っている(使用言語は日本語).毎週,メンバーを変えて 5 人ぐらいのグループをつくり,それぞれが今週読んできた本を

紹介し合う.こうしたブックトークの時間(25~30 分)は,次のような「状況的な学び

(Situated Learning)」を創出する 11. まず,「仲間に本を紹介する」という状況に埋め込まれることによって「この本のどのエ

ッセンスを伝えれば,うまくこの本を紹介できるか」という良い課題意識が生まれる.そ

うした状況の中で,一人ひとりを本と真剣に向き合わせることができる.さらに,グルー

プの仲間に自分の読みを物語ることができるかどうかを通じて,自分のその本に対する理

解度をチェックすることができる. 学びは,「聴く」という能動的受動性に基盤をおく活動である.自分の言葉に慎み深く耳

を傾け反応を返してくれる「応答的環境」の存在が欠かせない.「聴き合う関係」が教室と

いう場所に築かれていく中で「やる気」が作られ,一人ひとりがマラソンを続けていくこ

とができる. さらに,物語が放つメッセージを「自分はどう受け止めたか」を他者に語ることは,そ

の本を媒介にして自らの人間観や社会観,自然観が語られることになる.グループの中で,

一人ひとりの個性的な考えが交流され「他者性」と遭遇することになる.そして,仲間と

互いに考えを吟味し合うことを通して,自身の理解の仕方を見直し再構築するきっかけが

生まれる.このような「差異化としての学び」の実践を通して,異質性を大切にし他者の

視点を取り入れながら,互恵的に協同で学びあっていく授業づくりを実現させていくこと

ができる. 4.3 自分自身との出会いと対話 学びは,対象世界との出会いと対話,他者との出会いと対話を通じて,自己のあり方を

反省的に吟味する「自分づくり(倫理的・実存的実践)」のプロセスである.この「自分づく

り」のプロセスを活性化するために,この授業では自分のお気に入りの本について,その

魅力,その本への思いを語る Reaction Report を書いている(日本語で,量は自由,本から

の英文の「引用」を必ず行う) .そして,この書く活動を,教室における仲間との読みの相

互交流を豊かにするための準備へと位置づけている 12. 「書く」ことは,自分の読みを振り返らせ「言葉との出会い」を心に刻み直していく働

きをもっている.この「自分のわかり方を作品化する」プロセスを通して,自らの存在と

出会い,物事に対する見方,感じ方,価値観が形成されていく.

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一方,Reaction Report は自分のためだけに書かれるのではなく,IRC(Interactive Reading Community) というサイトに投稿され,他のクラスや他大学の仲間が次に読む本

を選ぶときの重要な資料として利用される.自らの Reaction Report が,この本の今後の

「運命」を握っているということの自覚は,書くことへの大きな動機づけとなる.「いかに

して,この本の良さ,面白さを余すところなく伝えることができるか」「どうしたら,読ん

でみたいという気持ちにたまらなくさせられるか」という「強い思い」が,読みを引き出

し,その本に対する解釈を豊かにしていく. このような 3 つの対話的実践が,実際にどのように重層的に響き合あったか,学期末の

最終レポート 13から学生たちの声を拾ってみたい. まず,従来の一斉授業の方式から個人ベースの多読プロジェクトへの切り替えは,学生

一人ひとりの「読む」という営みをどのように変えただろうか.

何よりも自分の読みたい本を読む事ができる,自分の好きな本を選ぶ事ができると

いう事は,私を飽きさせる事がありませんでした.この授業では本を読むことを「義

務」だなんて思ったことはありません.楽しみながら英語が学べる理想的なものだ

ったと思います.決められたテキストを訳していくような授業だと,それが自分に

合わないと読むのがとても苦痛となり,一生懸命やったとしても,テストが終われ

ば結局頭に残るものは少ししかない…ということが多かったです.この授業では読

んだ本は一冊一冊必ず覚えているし,その時々,どんな風に感じていたかなども思

い出せるし,心を豊かにさせてくれる充実した授業でした.必ず心に響くものを与

えられました. 沢山の本たちが,一人ひとりに心の栄養を与えていったということ,そして何よりも,

学生たちが「読む人」へ変容していったことがみてとれる. さらに,教室という場を,黒板に教師が書いたことを書き写し記憶する従来の「勉強」

の場から「学び」の場へ転換することは,学生たちにとってどのような意味があっただろ

うか. 教室で,クラスメイト同士,自分の読んだ本を紹介し合うというのもとても面白か

ったです.「この本は,すごく良かったよ.ぜひ読んでみて!」とか,あるいは反

対に「あまり面白くなかったから,読まないほうがいいよ!」というふうに,読ん

だ本人から直接,率直な感想を聞くことができました.次は何を読もうかといつも

悩んでしまった私には,この友達の感想が,本を選ぶときにとても参考になりまし

た.そして,私が一番よかったと思うことは、その本の内容から,どんどん話が広

がっていって,それぞれの個人的ないろいろな意見が聞けたことです.

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「教室」という場所で,一人ひとりの読みが表現され,本を通じて人と人とのつなが

りが生まれ,新しい本と出会い,本を通じて新しい友達をつくり,友達の意外な面を

発見するという経験をしていったことがうかがえる.

5. Interactive Reading Community 5.1 インターネットを活かした対話のなかでの読みの深化 教室での読みの交流は人数の多さ,時間の面から限られている.そこで,教室で直接コ

ミュニケーションをとれなかった仲間と,さらに他のクラス,他大学の仲間と交流し合え

る環境,Interactive Reading Community というサイトを開設した.すべての本にその本

専用の電子掲示板(BBS)を設け,そこに Reaction Report が投稿され,自分の読みを仲間た

ちの読みと比較することができる.そして,互いにコメントをつけ合うことができる.次

のページは The Fall of Freddie the Leaf という本の掲示板である.

Fig.1 一冊の本の電子掲示板の例 この掲示板には,例えば,次のような Tree がある.

長く長く、時を越えて生き続けるもの・R.T (上智 哲学科)/ ★★★★ / very easy └ 死してなお生き続けること・・・T.K. (SFC 看護医療学部)

└ IRC の楽しさ実感(^-^)・・・R.T. (上智 哲学科) └ 探し物を探しに ・・・T.K. (SFC 看護医療学部)

R さんと T さんとの間で,この絵本のテーマである「生と死」について,例えば,以下

のような対話がかわされている(R さんの文章は > 記号で示す).

本についての情報

本をめぐる参加者同士の対話

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> 私達は、春の陽射しによって目覚め、冬には散っていく木の葉のようなものだ

> としても、死によってすべてが無に帰するわけではないのだと思う。私達の言

> 葉、私達の行為、私達の意志は、人々の記憶の中に、あるいは芸術作品や文学

> 作品として、その後も永く生き続け、新しい生命を育んでいく力になるのでは

> ないだろうか。 人間は死してもなお生き続けるってこういうことですね。その人が確かに生きて

いた証が、残った人の記憶の中で存在し、脈々と受け継がれていく。この様子を『葉

っぱのフレディ』では、散ってもなお木の養分として存在し続けるという形で描か

れているのかなと思いました。 少し私事ですが、私は看護の道を目指していて、病院での実習を経験してきまし

た。そのときに、ある一人の末期がんの患者さんを受け持ったことがありました。

その患者さんは結局私の受け持ち期間が終わった2日後に急変してなくなられまし

た。そのときに、初めて人の死を体験して、私はどうしようもない不安に襲われた

のです。 このようなインターネットを媒介にした対話のやりとりが大学の壁を越えて行われ,毎

学期,IRC に約 10000 の投稿がある.さらに IRC には,これまで過去6年間にわたって 4つの大学からの参加があり,すべての投稿が蓄積されている.一冊の本をめぐる時空を超

えたデータベースは,その本を読むときのよい「足場かけ」として利用され,いろいろな

解釈があることに目が開かされていき,その本に対する理解を深化させる.このように人

間の理解や知識は個人の「頭の中」だけのことではなく,モノ(本)・道具(BBS)や人の間に

分散して「分かち合い」,インタラクションによって協同的に創り上げられていくものなの

である.そして,このような IRC 上での「読みの共有」は,IRC という「文化的実践の

場」に「参加」し「互恵的な学び」を生み,その中で「やる気」が作られていくのである. 5.2 「本と人・人と人との出会いと対話」「読書量」を実践的に支援する 自律的な読み手を育てるにあたって一番重要なポイントになることは,「本の選択の仕

方」を学ぶということにある.それは,大学進学に至るまで「銀行預金型の教育」を受け

てきた学生の多くにとって,読む文章は本人の選ぶ余地はなく与えられたものであり,受

身にならざるを得なかったからである.したがって,「自分で英語の本を選ぶ」ということ

をしたことがない学生たちが「選ぶこと」の学びを実践できるために,多様な本に関する

情報に自由に触れ,眺め,それについて考え,自分が選んだ本がよかったのか悪かったの

かを内省する環境を創ることが,教師にとって一番大切な仕事となる. そこで,インターネット仮想書店の草分け的存在であるアマゾン・コムの「ハイパーテ

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キスト」を駆使したきめ細かなサービスを参考にして,自律的な読書を支援するために様々

な機能を IRC に実装した.ひとつひとつの機能の概略を説明する. 5.2.1 未知なる本との出会いをうながす9つの紹介サービス (1) 詳細検索 「各本の BBS」には,Book Data として以下の情報が表示されている.これらの情報を

詳細検索のページで「組み合わせて検索」し,2000 冊の本から望みにかなう本があるかど

うかを知ることができる. Genres : 大きく 13 のジャンル(「動物」「自伝・伝記」「文学」など)に振り分けられ,各

ジャンルにさらに 10 くらいのサブジャンルがある(「動物」には Bears, Cats, Dogs など).その本の内容に該当するすべてのジャンルが,その本の BBS に表示されている.

EPER (Edinburgh Project on Extensive Reading)Level : エジンバラ大学が 4 つの出版

社(Penguin, Oxford, Cambridge, Macmillan)のGraded Readers 1500 冊あまりを,8 つ

の難易度(X, A, B, ~ G)でレベル分けをした.その表 14を参考にしてレベルが表示されて

いる. Reading Distance: 400 語を1km と見立てたその本の読破距離数が示されている.詳細

検索のページでは「20 km 以上 50km 以下」と入力すると,その数字の範囲内の本が検索

される. Book Ranking : その本をこれまでに読んだ人たちの内容に対する評価(★の数1つから 5

つまで)の平均の★の数が示されている. Levels of difficulty : その本をこれまでに読んだ人たちが感じた英文の読みやすさ( very

easy, easy, slightly difficult, very difficult)の平均のレベルが表示されている. (2) Favorite Genres トップページにある「ジャンル一覧」から自分の興味のあるジャンルをクリックすると,

そのジャンルにリンクが張られた本一覧を表示させることができる.さらに,自分が特に

興味のあるジャンル(Favorite Genres)を登録すると(3つまで選べ,随時変更可),ログイン

するたびに,IRC が3つのジャンルからランダムに本を紹介してくれる. (3) IRC Dictionary of Quotations

IRC では,一人ひとりが読んだ本に対する Reaction Report を書くとともに,本の中か

ら「お気に入りの英文(Quotation)」を選び,自分の解釈と感情を一杯込めて訳をつけ紹介

する IRC Dictionary of Quotations というページがある.

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Fig.2 IRC Dictionary of Quotations のページの画面 このページには「RR(Reaction Report)のタイトル」「氏名・学校名」「本の画像」「本の

タイトル」「本からの引用」「日本語訳」「引用文についての解説」がセットでリンクされ,

時系列に表示されていく.また,投稿された「コメントのタイトル」も時系列でリンクさ

れるため,IRC への最新投稿(過去一週間分)の状況を一目で把握することができる.そのた

め,このページ上で,今学期受講している参加者たちがクラス・大学を超えて一斉に出会

うことができ,また,本からの引用文の紹介を通じて様々なジャンルの本と出会うきっか

けを得ることができる. (4) Top Picks of the Week 毎週,教室で,各クラス(慶応・上智合わせて 5 クラス)から選りすぐりの Reaction Report

がひとつ選出され,このページに掲載される.それらを参加者全員が IRC 上で読み 2 つ「投

票」を入れる.そして,今週の Reaction Report のトップ賞が決められる.各クラスから

ノミネートされた Reaction Report を読むことを通してオススメの本と出会い,本の上手

な紹介の仕方を学ぶこともできる. (5) People who read this book also enjoyed reading the following books: 各本の BBS の画面下には「この本を読んだ人たちは,次の本も読みました」と書かれて

あり, 3 冊の本の画像がページを訪れるたびにランダムに現れる. (6) Book Wish List

My page に,自分が読みたいと思う本のリストを作れる機能がある.アマゾンの「カー

ト」に相当するものであり,また,未読の本が集められた「本棚」ともいえる.ある人の

Quotation

Excellent Translation

Explanation

RR のタイトル・氏名・学校名

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本棚に揃えられている本のタイトルから,その人の世界観や個性が感じとれるように,気

になる仲間の My Page を開いて Book Wish List を眺めるだけで,未知なる本との出会い

を経験することができる.

Fig.3 My Page にある Book Wish List の例 (7) Recommended Books

IRC Library から,毎週,3 冊の本が教師によって選ばれトップページで紹介される.本

の選択にあたっては,テクストのことばとのかかわりの中でじっくりと自分を見つめ直し

て欲しいという願いが込められている. (8) Top 10 トップページの Top 10 のコーナーには,IRC の歴史の中で,最も多くの人たちに読まれ,

反響の大きかった本が 10 冊リンクされている. (9) Reading Fan Club :

IRC 上で互いに Reaction Report を読み合いコメントを書き合っていく中で,相手の書

く文章,価値観,感性,本の好みにとても共感を覚える場合がある.その場合,その相手

を「自分のお気に入りの人」として Reading Fan Club に登録すると,その人の最新(過去

一週間以内)の投稿(Reaction Report・コメント)が My Page にリンクされ,ログインする

とすぐにチェックすることができる. 一方,自分をファンとして登録してくれている仲間の氏名も My Page にリンクされ,自

分に何人のファンがいるのかが常時確認できる.このような「特定の人を介した本との出

会い」を通して,未知なる本との出会いがさらにうながされ,また,ファンの仲間たちの

ために,より良い Reaction Report やコメントを書こうと意識するようになるという効果

もある.

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5.2.2 読書量を現在進行形で視覚化する (1) Reading Marathon: 読了後,その本の BBS に Reaction Report を投稿すると,Reading Marathon のペー

ジの自分の氏名のところに,その本の読破距離数が★で自動的に加算される(★=10km).

Fig.4 Reading Marathon のページ (2) Reading Stars: 読了後,その本の BBS に Reaction Report を投稿すると,Reading Stars のページの

自分の氏名のところに,★が 1 つ自動的に加算される. 5.3. 自らの「学びの経験(履歴)」を外化し,学びを自分自身の手で管理するこ

とを支援する 一人ひとりが自らの「学びの経験の総体」を見ることができるように,My Page で以下

の情報が「現在進行形」で示される. 読書量の達成状況が一目でわかるように,数字で「読破距離数」と「読破冊数」が表示

される.IRC への今までの参加状況・貢献度が一目でわかるように,「投稿したReaction Report ともらったコメントの履歴」「投稿したコメントとそれに対してもらったコメント

の履歴」「獲得したコメントの総数,および,自分が書いた各コメントに対する相手からの

評価 15」が示される.さらに,My Page 上では,Favorite Genres, Reading Fan Club, Book Wish List のサービスを自分の好みに応じて随時編集することができる.このように自分が

IRC に働きかけたことがすべて「外化」される.自らの働きかけに対する結果がMy Page

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で見られるので,IRCに参加しながら「達成感」を感じることができ,「もっと読もう」「も

っとコメントしよう」「これだけ読もう」と自律的に目標を設定して達成したいという「達

成動機 (Achievement motive)」を育む効果もある. 以上,IRC が「本との出会いと対話」「他者との出会いと対話」「自分との出会いと対話」

をうながすために様々な「仕掛け」を張り巡らしていることを示した.オススメの本が「イ

モズル式」に次々と本の方からユーザーの前に立ち現れ,自律的に読書をすすめていくた

めのリソースが巧みに組み込まれた読書環境の構築が目指されている.その効果について,

2004 年秋学期にIRCに参加した慶応大学・上智大学の受講生にアンケート調査を行った.

その結果を示す 16. 6. アンケートによる IRC の評価 「IRC は,あなたの多読を十分支援しているか」という質問に対しては「十分支援して

いる」という回答が 3 分の 2 以上あった一方,「かなり不十分」という回答は皆無であり,

IRC が多読プロジェクトを支援できているという評価が得られた.同様に「読みたいと思

った本に出会えたか」という質問に対しても,3 分の 2 近くが,「だいたい出会えた」と答

えており,本との出会いがうながされているという評価が得られた. Book Wish List(BWL) については「今何冊くらいの本が登録されていますか?」という

質問に対し,殆ど全てが複数冊の本を登録しており,BWL が活用されていることが分かっ

た.さらに,「登録した本を読んだことはありますか?」という質問に対し,9 割近い人た

ちが読んだことがあると答え,BWL が読みたい本を発見しながら読書を進めていくのに役

立ったことがわかった. Favorite Genres(FG) についてはほぼ全員が登録しており,全体の 4 割弱が実際に FG

で示された本を読んだことがあるという結果であった.FG が本との出会いの一つの選択肢

として機能し始めていることが分かった. Reading Fan Club(RFC) については 3 分の 2 以上の参加者が「1 人も登録していない」

と答え,あまり利用されていない事が分かった.その理由として「誰をファンとして登録

したら良いか判断に迷う」「より多くの人の Reaction Report を読みたいので,RFC によ

って自分が読む相手が特定の人に限られるのは良くない」という意見が多く,RFC の登録

に慎重になっていることが分かった.一方,自分が RFC の被登録者となった場合について

は,RFC に登録していない人も含め,半分近くが「嬉しい・励みになる」と答えており,

RFC に登録されることがモチベーションに繋がることが分かった.このことから,RFC の

活用方法を再検討して利用者を増やしていけば,一人ひとりのモチベーション向上に十分

効果を持つと考えられる. 教師からのオススメの本を表示する Recommended Books については,半分以上が「一

覧にある本をクリックしてみた」と答えており,関心が高いことが分かった.まだ 2 割弱

ではあるが実際に紹介された本を読んだことがあり,Favorite Genres 程ではないが,読書

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のきっかけとして少しずつ機能し始めていることが分かった. アンケートの結果から,IRC における本との出会いを支援する工夫については評価・利

用状況がばらついた.これは,本を探し出すプロセスは様々であり,その多様さが利用状

況のばらつきを生んだと考えられる.一方で「提供されている機能を十分活用できていな

い」という意見もいくつかあり,本との出会いに対して様々な方法が提案されていること

に戸惑っていることも分かった.今後,より多くの人たちに使ってもらえるように,様々

なサービスがどのように活用できるのかより分かりやすく示していく必要がある. 7. 多読プロジェクトの結果

2004 年秋学期は,95%の学生が 130km 以上あるいは 13 冊以上読んで「ゴールイン」

した.読破距離数の平均は 336km で(ペーパーバック 1 冊の量に相当),以下のような結果

であった.

Fig.1 読破距離数の結果

0 10 20 30 40 50

100km代

200km代

300km代

400km代

500km代

600km代

700km代

800km代

900km代

1000km以上

km

人数

系列1

読破冊数については,平均 12 冊で(「1 週間に平均 1 冊のペース」で読み終えていったこ

とを意味する),以下のような結果であった. Table 1. 2004 年秋学期の読破冊数の結果

数 21 19 18 17 16 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5

数 2 2 3 2 1 7 15 10 15 20 14 21 14 10 8

今日,「活字離れ」が過激に進み,高校生になると 70%以上が月に 1 冊も本を読んでいな

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い 17.また,学習到達度調査(PISA)の結果,読解力が 41 か国中 14 位(平均以下)となり,

読解力の低下が指摘された 18.本を読む習慣をつけずに入学してきた学生たちが,なぜこ

の多読プロジェクトに参加していくなかで「自律的な読み手」へと変容し,読書を「習慣

化」していくことができたのだろうか.この授業が大学の通常のリーディングの授業と比

較してどのように異質であるかを,「正統的周辺参加論 19」の視点からみた教育観に接続

して考察し,この多読プロジェクトの日本の英語教育における文化的・教育的価値を最後

に述べたい. 8. 「正統的」に「周辺的」に「洋書(読書)好き共同体」に「参加」していく 大学の通常のリーディングの授業では,読書という行為を「正統的に行う」ことができ

ない.すなわち,普段の日常生活で行っている日本語の読書と同じ在り方が尊重されない.

まず,教師によって 1 冊の本が指定される.しかし,その強制された本を読んでみたいと

思う学生はどれくらいいるだろうか.さらに,その本は,多くの日本の学生にとって難し

く苦痛を強いられ,楽しんでストーリーを読み進めていくこと(Reading for Pleasure)がで

きない.そのため,読む量が少なくなる.また「教科書」が指定され,レッスンごとに「問

題」に従って読まされ,大学受験のときに入試問題で解かされたときと同じように「テス

ト」のために学生たちは英文を読まされる. さらに,大人数で一斉授業(モノローグ)のスタイルをとることが多いため,一人ひとりが

自らの独自の在り様を活かして授業に「参加」し「互いに影響を与え合い学び合っている」

という実感や「帰属意識(学びの共同体)」が生まれることがない.換言すれば,教室という

場所で,本や人との「出会い」と「対話(ダイアローグ)」を通した「全人格的な意味での自

分づくり」が行われることがない. この多読プロジェクトには Reading for Pleasure という授業名がつけられているが,

Pleasure には,delight, satisfaction という意味と,one's wish, will, or choice という意

味がある.したがって,授業名には,読み手である私たち一人ひとりが「自分の意思で本

を選択」したとき,「読む」という行為が「快楽」となるという意味が込められている.そ

こで,この授業のために,読みたい本を好きなだけ読める Reading Library を設立した.

英語圏の洋書絵本の中からロングセラーとして歴史に残る記念的作品が 300 冊,語彙・文

法の難易度が 7段階に分かれ自分の英語力に合わせて選べる Graded Readers が 1000冊,

日本の生徒たちのために書き下ろされた本が 600 冊,宮崎 駿,手塚治虫などの日本の漫

画の英訳が 100 冊ほど揃えられている.学生たちは,これらの本から好きな本を図書館と

教室から,何冊でも借りることができる. Reading Library の半数は「原書」ではなく Graded Readers のような“Learner’s

Literature”である.しかし,学習者中心のリーディングの授業をめざすならば,教育的配

慮のもと手を加えられた読み物は,一人ひとりが外国語である英語で書かれた「テクスト

との対話を通して主体的に読みを創っていく」という本来の読書を行う(読書という行為を

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正統的に行う)うえで,「教育的媒体」として大事な「足場かけ」の役割を担う.「周辺的な

読み物」から読み始め「正統的に読書を行い」ながら,段々と「原書」が読めるレベルに

近づいていき,「英語の本がスラスラと読めるわたし」という「熟練(一人前)のアイデンテ

ィティ」を培っていくことがこのリーディングの授業ではめざされている. したがって,この多読プロジェクトにおける教師の役割は,社会や文化の中にある英語

という言語で書かれた読み物を"appreciate=understand and enjoy the good quality of something"するホンモノの世界(authentic なテクスト) へ一人ひとりが「行ける」実感を

もたせ,そこへ「つながっている」ということがわかるような実践の手だてを講じること

にある.換言すれば,実社会の「洋書(読書)好き共同体」への参加の軌跡をつくり,そこに

アクセスしていく「橋渡しを提供する場」として授業をデザインすることが教師に求めら

れる.そして,仲間のいる「教室」や「IRC」への「参加」を積極的に呼びかけ,協同的に

読書を営み教室や IRC を生き生きとした「学びの場」にしていくことを教師が誘うのであ

る. 本を読む習慣を持たなかった学生たちが,この多読プロジェクトに参加していくなかで

毎週 1 冊のペースで本を読み読書を「習慣化」し「自律的な読み手」に育っていくことが

できたのは,かつ,半数以上の学生が 3 ヶ月でペーパーバック 1 冊以上の量を読破するこ

とができたのは,一人ひとりが「正統的」に「周辺的」に洋書を読み進めながらこの多読

プロジェクトに「参加」してくことができ“Reading for Pleasure”を経験することができ

たからである.そして,「教室」という場所や「IRC」を媒介にして,洋書を通して「世界

づくり」「仲間づくり」「自分づくり」の絶えざる「対話的実践」を遂行していくことがで

き「本を読む意味」を見出していったからだと思われる. このような「正統的」に「周辺的」に「洋書(読書)好き共同体」に「参加」していく多読

プロジェクトを,大学,さらに高校・中学の英語教育のカリキュラムの「一環」として正

規の授業の中に位置づけることによって,生徒たちにとって英語を学ぶことが,「試験合格」

「単位取得」といった「交換価値」から,英語の本を“appreciate”し合い,自らの読みを

表現し共有し吟味し合う「学び(文化的・教育的価値)」へ転換させていくことができると考

える. 注および参考文献 1受講者は,慶応大学は 3 クラスで 1 クラス 25 人,上智大学は 2 クラスで 1 クラス 50 人.

TOEFL(ITP)のスコアが 370~580.学年は全学年,学部は全学部が対象.科目名は「リ

ーディング」で,期間は半期. 2 金谷 憲『英語授業改善のための処方箋』大修館,2002. 3.・水野 邦太郎「Interactive Writing Community on BBS Web Site : Creating the ties that bind

students all over the world together」http://www.eigokyoikunews.com/essay/04.shtml,「英語教育ニュース」2000.

・水野 邦太郎「インターネットを活かした協調学習による TOEFL ライティングの授業」

『コンピュータ & エデュケーション』Vol. 17, 2004,pp.133-139.

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4 パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』小沢有作他訳,亜紀書房,1979. 5 authenticity および washback とは,以下のような概念を指す(静 哲人,竹内 理,吉

澤清美 編『外国語教育リサーチとテスティングの基礎概念』関西大学出版,2002). authenticity とは「言語テストに使われているタスク,素材,状況が,目標言語を使っ

て行う現実世界でのタスク,素材,状況にどの程度対応しているか,という性質 (p.47)」.washback とは「テストが受験者,教育,学習,教育システムや社会に及ぼすと考えら

れる影響を指す(p.189)」 6 青木直子「Autonomous Learning : What, why, and how?」『ASTE Newsletter』1996,

pp.1-9. 7 佐藤公治『認知心理学からみた読みの世界』北大路書房,1996, p.71. 8 IRC には,現在 2000 冊の本が登録されている(毎学期,50 冊くらい新刊が購入されて

いく).英語圏の洋書絵本の中からロングセラーとして歴史に残る記念的作品が300冊,

語彙・文法の難易度が 7 段階に分かれていて,自分の力に合わせて選べる Graded Readers が 1000 冊,日本の生徒たちのために書き下ろされた本が 600 冊,宮崎 駿,

手塚治虫などの日本の漫画の英訳が 100 冊ほど揃えられている.学生たちは,これらの

本から好きな本を図書館と教室から,何冊でも借りることができる. 9 やり方は,次の著書を参考にした.薬袋洋子.『リーディングの指導』研究社.1993,

pp.38-39. 10佐藤 学『学びの快楽』世織書房, 1999, pp37-79 11 ブック・トークの後は,次のように授業は進行していく.3 人の学生が選ばれてクラス

全員の前に立ち,読んできた本を片手に日本語で紹介を行う.3 人からの紹介が終わる

と 1 人を選んで,質問やコメントを紙に書いて発表者に手渡す.その後,教室に運ばれ

た数百冊の本から借りたい本をゆっくりと探して貸し出しの手続きをする. 12 今週の Reaction Report を授業開始時に提出した学生のみがブックトークに参加でき

る,というルールをたてている.一方,Reaction Report は,教師にとって一人ひとり

の読みを確認する媒体として働き,さらに,個性に合わせた読書指導 ――「適書を適

者に適時に」出会わせる機会を作り上げていくうえでの重要な資料(媒介)となる. 13 http://irc.crew.sfc.keio.ac.jp/irc/finalreport/finalReportList.do 14 http://irc.crew.sfc.keio.ac.jp/irc/pages/ircview/abouteper.jsp 15投稿したコメントの達成状況を客観的に見るための指標として Comment Olympics と

いうページがある.このページの★の数は,次の2つの観点が合わさってつけられる.

自分の書いた Reaction Report にコメントが 1 つつくと★が 1 つつけられる.および,

仲間からもらった「コメント」を読んで「その本に対する自分の読みがどのように深め

られたか」という観点から「コメントに対する評価」をお互いにつけ合う(★1 つから3

つの間で評価する). 16 川村昌弘・水野 邦太郎「学習者同士のコミュニケーションを通した多読を支援する Web

アプリケーションの開発」『教育システム情報学会 研究報告』Vol.19, No 5, 2005, pp.23-28.

17佐藤 学『「学び」から逃走する子どもたち』岩波書店, 2000, pp12-13 18 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/children/weekly/20041211ya01.htm 19ジーン レイヴ・エティエンヌ ウェンガー著, 佐伯胖 翻訳『状況に埋め込まれた学習―

正統的周辺参加』産業図書,1993.