14
孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一 一定の歴史的時期の特徴を示す用語としての 「ルネサンス」概念の成立史上,ブルクハルトの 古典的名著『イタリアにおけるルネサンスの文化』 (1860年)がはたした圧倒的な役割を軽視する人は いないが,この「ルネサンス」概念は,その後の 展開のなかで,一方ではブルクハルト自身の意図 にさえ反しで1一人歩きし教科書的公式像のなか へ固定化され,一世を風靡することになってしま ったと同時に,他方では,これに対する否定的な 諸見解が実証的歴史学の進展と相まって輩出する なかで,この概念は融解してしまった観もある。 ホイジンガ(JohanHuizinga,1872-1945)は, こうした事態を「夢みる人」と「質問する人(研 究者)」との対比で述べている(「ルネサンスの問題」 1920年)121。「夢みる人びと」は,われわれから≒ル ネサンス,概念を取りあげないで下さい,それは 全人類の杖とも柱ともなるもので,生活態度のシ ンボルになりきっているのですから,われわれは それなしにはやってゆけませんと言うのに対して, 「質問する人」は,ミルネサンス≒は曖昧さ・不完 全性・偶然性に害されていて,しかも危険な公式 的図式化をされている。どうみても使いものにな る術語ではないと応じる。 このようにブルクハルト以後,19世紀末から20 世紀に入って,「ルネサンス」概念が融解しはじ めたが,その最大の原因は「資本主義経済の矛盾 が強く意識され,さりとて社会主義革命に期待で きなかった人々の間に,しだいにかつての楽天的 な自信の喪失がみられるようになった・3bことに求 められよう。そして,「ルネサンス」の流動化は, 中世と近代との境界についての通説をもぐらっか せることになる。とくに,いわゆる「中世史家の 一揆」などによって,この境界線も従来のように 16世紀ではなく,18世紀まで下らせるか(この場 合,ルネサンスは中世末期となる。),さもなければ 14~18世紀の全体を近代への移行期としてとらえ るかといった見解が有力になってきている。そこ で,近代人の世界観的基礎を個人主義に求めるブ ルクハルト的「ルネサンス」観を,今日なお引き 継いでいるのは,むしろ正統マルクス主義歴史学 の側である。生産力の発展にとって桎梏となる資 本主義的生産関係(近代社会)を否定しても,人 類の進歩の原動力をなす生産力の発展に対して楽 観的・確信的だからである。もっとも,近代の開 始点をブルジョア革命(イギリス革命,17世紀)と みるから,中世の終りは通説の16世紀ではない。 16~17世紀の絶対主義国家は封建反動としてとら えられる。この点にお・いては,ギルドに拘束され ない産業資本による近代への移行を「革命的な道」 とした「資本論』(第3部第20章)の史観には,た しかに,これから述べていくヴェーバー,トレル チのそれと重なる部分が生じてくる。これは近代 の起源の問題にとどまらず,とくに封建制からの 移行の仕方,変革の推進力・担い手の問題をも含 み,総じてヨーロッパの近代を世界史のなかでど のように位置づけ把握するかという巨大なテーマ の一環をなしている。 西欧における「ルネサンス」をどうとらえるか という上述の問題は,「ルネサンスと宗教改革」 をどのような関連で把握するかという問いのなか で,いっそう明確な形で再現される。これを〈「ル ネサンスと宗教改革」問題〉とよぶことにするが, それが含む上述のような巨大なテーマヘの一つの 接近を,つぎのような限定のもとで試みたい。すなわ ち,トレルチの論文「ルネサンスと宗教改革」(1913年) を手がかりとしつつ,そこで彼が用いている思想 史の〈社会学的〉方法を取りだして,その意義と 限界を示すことである。したがって本稿は,ルネ サンスおよび宗教改革そのものについての何らか の具体的な歴史叙述や思想史的叙述をおこなおう とするものではない。 以下の叙述においてとくに断らない引用は, Tr℃eltsch:Rεπα∫s8απce拠d R師。”πα琵。η, in:GesammelteSchriftenBd.I

「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

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Page 1: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33

    「ルネサンスと宗教改革」間題

一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

堀 孝 彦

は じ め に

 一定の歴史的時期の特徴を示す用語としての

「ルネサンス」概念の成立史上,ブルクハルトの

古典的名著『イタリアにおけるルネサンスの文化』

(1860年)がはたした圧倒的な役割を軽視する人は

いないが,この「ルネサンス」概念は,その後の

展開のなかで,一方ではブルクハルト自身の意図

にさえ反しで1一人歩きし教科書的公式像のなか

へ固定化され,一世を風靡することになってしま

ったと同時に,他方では,これに対する否定的な

諸見解が実証的歴史学の進展と相まって輩出する

なかで,この概念は融解してしまった観もある。

 ホイジンガ(JohanHuizinga,1872-1945)は,

こうした事態を「夢みる人」と「質問する人(研

究者)」との対比で述べている(「ルネサンスの問題」

1920年)121。「夢みる人びと」は,われわれから≒ル

ネサンス,概念を取りあげないで下さい,それは

全人類の杖とも柱ともなるもので,生活態度のシ

ンボルになりきっているのですから,われわれは

それなしにはやってゆけませんと言うのに対して,

「質問する人」は,ミルネサンス≒は曖昧さ・不完

全性・偶然性に害されていて,しかも危険な公式

的図式化をされている。どうみても使いものにな

る術語ではないと応じる。

 このようにブルクハルト以後,19世紀末から20

世紀に入って,「ルネサンス」概念が融解しはじ

めたが,その最大の原因は「資本主義経済の矛盾

が強く意識され,さりとて社会主義革命に期待で

きなかった人々の間に,しだいにかつての楽天的

な自信の喪失がみられるようになった・3bことに求

められよう。そして,「ルネサンス」の流動化は,

中世と近代との境界についての通説をもぐらっか

せることになる。とくに,いわゆる「中世史家の

一揆」などによって,この境界線も従来のように

16世紀ではなく,18世紀まで下らせるか(この場

合,ルネサンスは中世末期となる。),さもなければ

14~18世紀の全体を近代への移行期としてとらえ

るかといった見解が有力になってきている。そこ

で,近代人の世界観的基礎を個人主義に求めるブ

ルクハルト的「ルネサンス」観を,今日なお引き

継いでいるのは,むしろ正統マルクス主義歴史学

の側である。生産力の発展にとって桎梏となる資

本主義的生産関係(近代社会)を否定しても,人

類の進歩の原動力をなす生産力の発展に対して楽

観的・確信的だからである。もっとも,近代の開

始点をブルジョア革命(イギリス革命,17世紀)と

みるから,中世の終りは通説の16世紀ではない。

16~17世紀の絶対主義国家は封建反動としてとら

えられる。この点にお・いては,ギルドに拘束され

ない産業資本による近代への移行を「革命的な道」

とした「資本論』(第3部第20章)の史観には,た

しかに,これから述べていくヴェーバー,トレル

チのそれと重なる部分が生じてくる。これは近代

の起源の問題にとどまらず,とくに封建制からの

移行の仕方,変革の推進力・担い手の問題をも含

み,総じてヨーロッパの近代を世界史のなかでど

のように位置づけ把握するかという巨大なテーマ

の一環をなしている。

 西欧における「ルネサンス」をどうとらえるか

という上述の問題は,「ルネサンスと宗教改革」

をどのような関連で把握するかという問いのなか

で,いっそう明確な形で再現される。これを〈「ル

ネサンスと宗教改革」問題〉とよぶことにするが,

それが含む上述のような巨大なテーマヘの一つの

接近を,つぎのような限定のもとで試みたい。すなわ

ち,トレルチの論文「ルネサンスと宗教改革」(1913年)

を手がかりとしつつ,そこで彼が用いている思想

史の〈社会学的〉方法を取りだして,その意義と

限界を示すことである。したがって本稿は,ルネ

サンスおよび宗教改革そのものについての何らか

の具体的な歴史叙述や思想史的叙述をおこなおう

とするものではない。

  以下の叙述においてとくに断らない引用は,

 Tr℃eltsch:Rεπα∫s8απce拠d R師。”πα琵。η,

 in:GesammelteSchriftenBd.IV,1925からの

Page 2: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

34 福島大学教育学部論集34号

ものである。内田芳明氏の行き届いた翻訳があ

る (岩波文庫)。

1.「通説」の批判と思想史方法論の転回

 エルンスト・トレルチ(EmstTroeltsch,1865

-1923)の学問的関心は年少のころから「歴史的

世界」にむけられており,旧来の宗教的諸力と近

代の精神的諸力(一哲学)との「闘争と調停」の

問題に研究テーマが設定されていっだ㌔処女論文

「ゲルハルトとメランヒトンにおける理性と啓示」

(1891年)においてすでに,「宗教改革の思想が根

本においてまだ全く中世的性格を示している」こ

とを扱っていたが,このように宗教改革の中世的

性格を強調するとなると,「それでは一体,近代

の全精神状況すなわち神学的に拘束された教養や

文化に対立する世俗の自律的な教養や文化の貫徹

は,いっから始まったのか」という,いっそう広

範な問題が提起されてくる。「それは啓蒙主義

Aufkl翫ung以来であるというのが,私の研究の

答えであった」(「私の著書』)。事実このことを集約的

に叙述した論文,「啓蒙主義」(1897年)の冒頭で,「啓

蒙主義は,.……ヨーロッパの文化と歴史における,

厳密な意味での近代の開始でありその基礎をなす

もの(Beg㎞undGrundlagedereigentlichemodemen

Perbde)である」151と言われている。この見解じ

たい,近代世界の起点を「ルネサンス」に求める

通説とすでに対立しており,近代世界が「いつ」

形成され,「なにを」内容としているかが追求さ

れているけれども,「『何が』この『歴史的形成の

推進力』であったか,つまり『何によって』近代

世界は形成されたのかというような問題提起は,

いまだこの論文には生じていない」6のである。し

たがってこの時点でトレルチは,人聞精神の解放

をあとづけるディルタイ(Dllthey,1833-1911)と

同一の視点から思想史を考察していたことになる。

 ところが,1913年の論文「ルネサンスと宗教改

革」Reηαおεαπcε膨πd R師omα孟めπにおいて,

トレルチの思想史方法論の転回は決定的となる。

 彼が歴史研究を「社会学的研究」soziologische

Studienとして行なうようになった理由として,

著者自身による著書の解説である

Mε‘ηεBμcんε7(1922年)は,①現実への着目,

②ヴェーバーと,③マルクスの影響をあげている。

「社会政策の実践的課題,政治的・社会的事物に

ついての考察,ドイツにおける政治的成熟へのお

1982-12

そまきの移行。これらすべては,同時に,精神史

の問題を,私にとって今までと全く異なったもの

のように,際限なく,はるかに錯綜した(k㎝曲ierter),

そしてはるかに従属的な(abh甑giger)なものの

ように印象づけた。」ここで「錯綜した」といって

いるのは,今の引用文につづいて述べられている

一元的発展思想の批判を指し,ミ複眼的、視点に

立つヴェーバーの影響下に入ることを示している。

「ヘーゲルやディルタイにおけるように従来一面

的でイデオロギッシュであった歴史哲学的,発展

論的な全理念は,変化してしまった。……私は同

時に,目の覚めるようなこの驚きがとっくに自明

のことであったマックス・ヴェーバーのような力

強い個性的人物の魅力のとりこになった。」つづ

けて言う。「そして,そこから,マルクス主義の

下部構造一上部構造論die Mar⊃dstische Unterbau-

Ueberbaulehreが最大級の力でもって私をとらえ

た。私はそれを直ちに正しいと考えたわけではな

く,それは個々の場合にそれぞれ答えるべき問題

設定であるとしても,決して避けるべきではない

問題設定をいずれにせよ含んでいる。」さきに,精

神史の問題が「はるかに従属的な」ものに見えて

きたと言っていたのは,思想が(宗教でさえ)な

んらかの意味で下部構造に条件づけられているの

を自覚するようになったことを示している。この

叙述からすると,《ヴェーバーとマルクス問題》

に最初にとりくんだのはトレルチ自身であったと

いうことになるが,そのような格闘のなかから,

「キリスト教の成立・発展・変化・近代における

停滞は,どの程度社会学的に条件づけられている

(soziologischbedingtist)のか,そしてキリスト           アクテ ィ フ教自体はおおよそどの程度積極的に構成された社

会学的原理であるのか」という,かれ畢生の問題

設定が生じたのであった。

 ディルタイは当初,トレルチの歴史研究におけ

る導きの星であった。「私はこのディルタイの労

作に没頭し,またそこからできるだけ学ぼうと努

めた。誰をおいても彼は,私をそこから,啓蒙主

義の終末とドイツ観念論の問題提起へとさらに導

いてくれた人だったσ」それが今や,批判の対象

となっている。そこでまず,ディルタイの『15,

16世紀にお・ける人間の把握と分析71』の構成を示し

て,ルネサンスと宗教改革とがどのような関連で

扱われているかを見ることにする。

 ディルタイは,まず中世形而上学の分析(第1章)

Page 3: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 35

から始めている。その根本動機は,①宗教的動機,

②ギリシャ的宇宙観(対象的形而上学),③ローマ

的精神(意志の立場)から成り,それらの織りな

す統一による力強い交響楽が神学的・超越的な中

世形而上学の「生」表現であった。それに対して,

「ルネサンスと宗教改革という,精神の解放を求

める闘技場」Ringvon Renaissance und Roformation

㎜die Befrei㎎des Geistesは,これらの3動機

を分解してしまった。たとえば,①は宗教改革,

②はストアを基礎とした理性の自律(グロティウス,

デカルト等),③はマキアベリというようにである。

内容構成上,特徴的なことは,ルネサンスと宗教

改革とがいずれも「精神の解放」として一括され

並列させられたうえで,前者「ルネサンス」(第2章)

にお・いては,①黎明期のペトラルカ,①最盛期の

マキアベリ,⑰16世紀ルネサンスの中心であるフ

ランスから人文主義者モンテーニュが選びだされ,

後者「宗教改革」(第3章)では,まず①エラスム

ス(ルターの論敵であったフマニストの彼が「ルネサ

ンス」ではなく「宗教改革」の章の筆頭に挙げられて

いることに注意!),ついで①ルターとッヴィング

リとつづき,カルヴァンがなくて,⑪セバスティ

アン・フランクをもって終るという構成をとって

いることである。したがってディルタイは,ルネ

サンスと宗教改革とを同一次元でとらえ,前者を

世俗的ルネサンス,後者を宗教的ルネサンスとみ

る「通説」herk6mmliche Auffassung,「定型的説

明」Formel一これはルネサンス優越史観となる。

一に立っている。だから「ルネサンス」において

ペトラルカやモンテーニュらの人文主義者が中心

的に叙述されるのと同じように,「宗教改革」の

方でも,「16世紀のヴォルテール」といわれるエ

ラスムスをはじめとする人文主義者たちの普遍主

義的有神論が中心となっている。

 トレルチは,ディルタイにあっては「ルネサン

スと宗教改革との間の基本的な相違点はほとんど

全く無視せられ,『啓蒙の自然体系』というもの

に対して共通の前提であるという点ばかりが強調

されすぎて」いると批判する。このように両者を

「精神の解放」として一括してとらえ得たのは,

『15,16世紀の人間像』がその後17世紀以降の精

神科学の「自然体系」das nat廿rliche Systemへと

どのように継続的に受けつがれていくかという点

に,ディルタイの関心があるからである(81。そして

同時に,ここには,思想史方法論上の重要な問題

(相違点)が横たわっている。近代世界の成立を啓

蒙主義におく点ではディルタイとトレルチは一致

するが,その「前提」であるルネサンスと宗教改

革をディルタイは単なる「共通の前提」と見たの

に対して,トレルチはそれぞれ異質のものが独自

のかかわり方で啓蒙主義において融合したととら

える。異質の一「社会学的に」異質の一ルネ

サンスと宗教改革とを共通視・併列できたという

ことは,それらを「精神史・文化史」の視点から

とらえたからである。いきおい「諸体系間の和解

しがたい戦いをひきおこす諸矛盾は消えうせ,実

際には鋭く対立している諸方向や,たがいにはっ

きりと区別される諸時期が,「人間精神の解放』

という単調な薄明のもとにぼやけてしまう191。」精

神史・理念史は,歴史のさまざまな対立や抗争を

も「精神」Gelst,「理念」Ideeの一貫した発展と

して連続的にとらえようとするから,もともと質

を異にし担い手の異なる事象をも同一視しがちで

ある。「二つの思想のかたちが似ているからとい

って,その社会観も同じ」であると推定してはな

らないのであるqo。

 今ひとつの,トレルチによって批判されている

有力な「通説」は,ブルクハルトに代表される文

化史観である。ブルクハルトがルネサンスを「個

人の発見」として特徴づけたことは有名であるが,

それは彼がルネサンスを伝統的束縛からの「世俗

文化の完全な解放Emanzipation」としてとらえ,

ルネサンス精神を「近代的個人主義の発見」とみ

ていることに起因する(これはディルタイと同じく,

いわゆる「解放説」につながる通説となる)。しかし

たんに「拘束のない個人主義」という意味におい

てであるならば,それは何も近代に独自の特色と

は言えず,古代末期のキリスト教以来ヨーロッパ

に流入しており,またルネサンスの前段階をなす

中世末期の神秘的宗教改革運動や,フランチェス

コ修道会などにおいても見られたところである。

トレルチにお・いて「近代」は,たんに個人を全体

から分離し解放したところにあるのではなく,そ

れ自体一つの完結した一たとえば「合理主義的

および倫理的な自律原理,自然法,競争の原則」

にみられるような一合理的原理・組織的構造を

もったものと考えられている。

 他方,「宗教的個人主義」という定式化によっ

ても,宗教改革を説明したことにはならない(こ

れは,宗教改革を「宗教的・北方ルネサンス」とす

Page 4: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

36 福島大学教育学部論集34号

る見方につながる)。プロテスタンティズムが個

人主義的であると言っても,それはカトリックの

権威との比較上,相対的に言えるにすぎない。ま

た救いの確かさの自覚がカトリックでは客観的な

もの(僧侶のヒエラルヒー制度・教理や教会法の超自然

的権威・サクラメントの奇蹟)に依存しているのに

対して,プロテスタントでは個人的であるとされ

るが,それは内面的・思想的に獲得される確かさ

を意味している。この相違は重要であるが,だか

らといってプロテスタンティズムの宗教的個人主

義も人間をじかに神と面接させるものではなく,

やはり聖書やキリストの言葉など客観的なもの

によって媒介されている。むしろ,かえって,聖

書や救済の告知などの超自然性・所与性・権威性

は,いっそう強烈でさえある。カルヴィニズムの

「権威的強制教会」は歴史上有名であるように,

宗教的権威を実現させる統制機構をも事欠かない。

 まさにこの点がルネサンスに欠けている宗教改

革の独自性であると,トレルチは言う。そのよう

に両者を区別して把握する分析視角が,「社会学

的にsoziologisch」(s.276)見る・比較検討する

という新たな〈方法〉である。ルネサンスは果し

て「新しい原理を創造し,新しい社会や国家秩序

をうみだしたかどうか」「原理的に新しい社会の

秩序を建設」したかどうかという,つまり「社会

学的にみて生産的」soziologisch produktiv(S.276)

であるか否かという視角から両者を見直すのであ

る。こうして「社会学的エネルギー」(ibid),「社会  アレフテ学的諸力」「社会学的推進の形成力」der sozk)㎏ische

Bildungstrieb und Formungskraft(S.287,293)な

どの方法概念を用いて思想史研究に乗りだす。本

論文「ルネサンスと宗教改革」(1913)をはじめと

して,『近代世界の成立に対するプロテスタンティ

ズムの意義』(1906,1911),主著『キリスト教会(およ

び諸集団)の社会理論』(1908,1912)がその代表的成

果である。従来からプロテスタンティズムの近代

世界における存在可能性・存在理由を主として宗

教哲学的関心から問うてきた彼は,これらの著述

においても対象を等しくキリスト教に求めている

が,その方法は文化史・理念史的方法から社会学

的方法へと転換している。さきにあげた彼の,

「キリスト教の成立・発展・変化・停滞における

社会学的規定性」いかんという問題設定は,同時

にそれを見合う分析方法の自覚に到達した。

 『私の著書』で「もはやキリスト教の純粋な教

1982-12

義史一理念史については語られえない」「私はす

べて宗教的なもの・教義的なもの・神学的なもの

を,ただ社会倫理的影響作用の基礎前提(Unterg耐

der sozialethischen Wirku㎎)として,あるいは社

会学的環境の鏡ならびに反作用(Spiegel und RUck-

wirkungdersoziologischenUmgebungen)として見

なした」(S.11-12)と語っているのは,大著『社

会理論』So2∫αJZε酢επにおいて展開されている

この〈社会学的〉方法を指している。「ルネサンス

と宗教改革」論文の方でも,ここに出てくる「基

礎(前提)」あるいは「物質的基礎」die materielle

Unterlageという用語が用いられている。たとえ

ばルネサンスの固有性とみなされた「関心方向の

変更」は,〔1〕「まずさしあたりは,第1に,政治

的ならびに経済的領域」に現われ,「このような

Untergrundの上にはじめて,そのもっともよく

知られている関心,すなわち〔2〕学問的,および

〔3〕芸術的関心が生じる」(S.269)のごとくであ

る。当時「マルクス主義の上部構造一下部構造論」

に強くとらえられていたという彼の告白からして

も,これらをマルクス主義用語とみなすことがで

きるが,その概念は厳密に用いられているわけで

はない。「ルネサンス的教養の物質的基礎」(S.脚)

として挙げられているものも,国家の官職・教会

の扶持・恩給年金・芸術保護者や公権力からの給

付など種々雑多である。思想や精神を「物質的基

礎」とのダイナミックな相関関係でとらえるが,

一方的反映論は退けられ,むしろ「種々の緊張を

はらみつつきわめて多種」「多様な動因」(S.268)を

強調するところに一ヴェーバーとならんで一

トレルチの〈社会学的〉方法の特色がある。もち

ろんそれはルネサンスと宗教改革それぞれの独自

性を指摘するときでも,「個々ばらばらの差異の

契機ではなく,むしろ現世に対する態度について

の全く原理的な対立der ganze prinzipielle Gegen.

satz」(S.281)の把握に集中される。これをとら

える方法が,近代世界を形成しそれを推進してい

くにさいしての「社会学的生産性」いかんという

分析視角であった。そして両運動の何が比較対照

されているかと言えば,「万能人」対「専門人」

のように「理想〔的人間像〕」・人間観であって,

それらが「現世に対する生活態度」Stellung des

Gesamtlebens zur Welt(S.282),Lebenshaltung

(S.281)にどのような変化をもたらしたか,「事実

関係の認識の問題」として両運動が「現実に及ぼ

Page 5: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 37

した歴史的に異なる影響作用」(S.274)が追求され

る。この相違をもたらす決定的なものは,やはり

「精神の内面的対立」der innere Gegensatz des

Geistes(S.274)に求められている。したがって

「社会学的形成の推進力」を主導するのは人間の

側にあり,《人間の行動を内側から一定の方向に

推進していく力》にあるとされるし1P。この人聞主体

ももとより社会学的に条件づけられているけれど

も,それを基底還元的にではなく,精神と物質的

基礎とを媒介する「エートス」という意味での

「倫理」としてとらえる。「社会学的形成の推進力」

とは「エートス」であるということになる。

 以上のようなトレルチによる「通説」批判は,

彼がおかれていた状況と無関係ではない。否むし

ろ,ロシア革命前後の激動する20世紀初頭の鼓動

のなかで,それを十分意識してなされている。ブ

ルクハルト以後ますます定式化されてしまったよ

うにルネサンスを近代の曙とみる《解放説》や,

ゲーテのようにルネサンスと宗教改革とを調和的

関係として見る人間進歩の歴史観は,「ショーペ

ンハウエルやニーチェを体験してしまった今日の

われわれにとっては,もはやそのように自明では

ない」。もちろんルネサンスと宗教改革との間には

親和力があるが,そういう共通側面を取りあげる

のでは両者の本質,その「普遍史的地位と影響作

用」とを明白にすることはできない。現代の「緊

張と対立の感情」をもってみるならば,両者はむ

しろ対立的なものとして意識せざるをえないとい

うのである。本論文で彼がルネサンスと宗教改革

とを,とりわけ両者の「精神」一人間像をめぐっ

て対比的に考察したのも,両者の単なる調和的結

合の延長線上に近・現代を描いてきた歴史像を根

本的に問い直さざるをえなくなったためである。

 このトレルチの切実な問題意識一現代におけ

るキリスト教の絶対性と歴史性をめぐって,はた

してそれがいかなる「普遍史的地位」を占めうる

のかどうか一もまた,20世紀初頭の「資本主義

の精神」起源論争と重なっている。これが当時の

「新しい疎外という直接的体験」に発していたこ

とをマックス・シェーラーは告白し,彼は,ゾン

バルトの問題提起に応じた「すぐれた頭脳」とし

て,M・ヴェーバー,トレルチ,アルトゥール・

ザルツArthurSalzの名前を挙げている1}2。しか

もこの論争は,近代資本主義の単なる起源という

歴史的な問題のみを指向していたのではなく,そ

れをめぐって「実は「ドイツ資本主義論争』とい

う19世紀末葉から20世紀初葉にかけて行なわれた

広範な論争の一環押をなすものであった。総じて

それらは,激化した資本主義の矛盾に心を傷めな

がらも,それを社会主義の方へ突きぬけられずに

いる小市民の苦悩を示している。

2.禁欲説と〈社会学的〉方法

 ルネサンス精神は「個人主義」の概念では特徴

づけられないと批判したトレルチは,それを「関

心方向の変化」としてとらえ直し,その独自性を

「キリスト教的禁欲にたいする対立」に求めてい

る。しかし「個人主義」と同じく,「禁欲」Askese

概念もやはり多義的であるから,「禁欲への対立」

といってもどのような意味で「対立」なのか,そ

してそれがどのようにして「現世肯定」Weltb申㎞㎎

につながるのかが問題であり,ここでも宗教改革

との対比的考察が要請される。

 「通説」は,ルネサンスにおける「禁欲の否定」

を「解放」と理解し,これを直ちに「現世肯定」

と結びつけたから,一直線的に《ルネサンス→

近代世界〉という図式が描けたのであった。しか

し実際にそうなのであろうか。権威からただ「解

放」されただけでは,しかも思惟においてだけ解

放された主体は,それ自体としてはむしろ無力な

のであって,「社会学的には完全に非生産的」で

ある。ルネサンスの「自由」や「教養」は,特定

の職業的束縛からの「解放」を意味する。従来ル

ネサンスの典型的人間像とされてきた「万能人」

uomo㎜蝉ersaleは,「無職業人」der berunose Men-

schないし非「専門人Fac㎞enschen」として把

え直される。したがってルネサンスにおける「現

世肯定」も社会の新しい形成力となることができ

ず,彼らはかえって既存の国家ないし教会勢力に

依存してしまい,身分的にもそれら支配権力と提

携し,年金を得るなどによって「自由」(一前期的

特権)を獲得していた。実際,彼らは絶対主義国

家の正当化のために働き,カトリック教会の再興

に貢献した。その貴族性・サロン趣味・寄食性も,

ここから理解できる。ルネサンス人は,その「個

人主義的自由とはまったく対立する絶対主義の理

論を基礎づけた」のであった。ここに,ルネサン

スの文化的進歩性と「社会学的」保守性との対照

が浮かび上る。文化史的・哲学史的・精神史的視

点から考察すれば,前者の華やかな創造的進歩に

Page 6: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

38 福島大学教育学部論集34号

幻惑されて,後者の封建反動的側面を視野に収め

ることができなくなり,あの《ルネサンス→近

代世界》なる定式を疑う余地のないものとしてし

まう。「社会学的に生産的」となるためには,「自

由」は特定者(商業貴族・エリート)の自由では

なくて,社会的生産力の担い手のもつ自由となら

なくてはならない。トレルチによってルネサンス

は,「中世から近世Neuzeitにかけての偉大な過

渡期の諸現象Obergangserscheinungen」として

位置づけられた所以である。

 これと対比された宗教改革はどうであるかとい

うに,まず芸術や学問の領域においては偉大な創

造に乏しく,プロテスタンティズムの文化的開花

は啓蒙主義の時代まで待たねばならない。プロテ

スタントの情熱は,まずさしあたりは国民の政治

的独立,市民の経済的諸要求にむけられた。それ

らは万人の内面的信仰の革新にかかわる問題とし

て提起されたため,民衆道徳(エートス〉の底辺

からの更新を促し,人間一,文化一革命的な激動

の2世紀(16,17世紀)をもたらすことになった。

「ヨーロッパは,ルネサンスの諸理念や生活様式

が普及していたにもかかわらず,またもや中世紀

精神〔一宗教改革〕の支配する2世紀を体験した

のであった」(『近代世界とプロテスタンティズム』

S.44)。底辺からの革新に要する「社会学的エネル

ギー」は,何に起因したのであろうか。

 ルター,カルヴァンの時代のキリスト教を,トレ

ルチは「古プロテスタンティズム」Altprotestandsmus

とよぶ。この宗教改革において,世俗生活は信仰

を実践する場と素材に転化し,軽蔑されるどころ

か名誉あるものとされた。とは言え,プロテスタ

ンティズムにとっても,現世の社会秩序そのもの

(家族・国家・私有財産など)は依然として罪ある

自然にほかならず,むしろそこには一層ラディカ

ルな罪のペシミズム(一禁欲の徹底)が横たわって

いる。宗教改革においても現世に対する生活態度

が変化するが,その変化のしかたは,「新しい意味

でまたもやキリスト教的禁欲によって支配されて

いる」のである。近代世界形成の社会学的エネ     ヴィルトウルギーは,力量をそなえた一部の人間における

《反禁欲→現世肯定》から自動的に流れでてく

るのではなく,古プロテスタンティズムのペシミ

ズムをオプティミズム(一「新プロテスタンティズム」

Neu-protestantismus)へと翻転させるもの,「禁欲の

徹底」が逆説的に「現世肯定」へとつながるその

1982-12

結びつきかた(一禁欲と現世との内面的結合)のう

ちにある。それが(世俗内的)禁欲の徹底として

の「職業」Berufの観念である。

 「職業」はすでに中世において分業の体系を意

味していたが,それはなんら神聖視するに値しな

い自然的秩序とみなされていた。中世の社会的・

文化的「二段階体系」doppelstuftiges Systemか

ら必然的に帰結するものとして,合理的倫理の上

位にサクラメント的倫理,現世的生活の上位に修

道士制度が階層的に位置づけられていた。禁欲生

活は世俗外において一空間的にも世俗と隔離さ

れた修道院を中心に一行なわれ,一般の世俗生

活はこのような(世俗外的)禁欲への「譲歩」

Konzession(S.279)として大目に見られていたに

すぎない。このような二重構造はそのままにして

お・いて,重心を上位の「禁欲」から下位の「世俗」

へと相対的に移動させていったときに,ルネサン

スの「禁欲への対立」という「関心方向の変化」

が成立する。二重構造そのものは,なんら原理的

には否定されず存続する。「利益のためには地獄

へも船を乗り入れ」ようとする商人が,あるとき

翻然と感ずるところあって以来,「商いをやめ,

その持物をすべて売って,それを喜捨し,余生を

献身して送った鴨とか,臨終にさいして教会へ

の多額の寄付を申し出たとかいう例は,あの二重

体系を前提とし,世俗における営利(暴利)活動

に対して良心の後めたさを感じないわけにはいか

ない旧型の商人意識を示している。

 これに対して宗教改革は,このような妥協,現

世的道徳と修道士道徳とのあいだなどの「弛緩し

た媒介(橋渡し)」1axe Vermittel㎎en(S.284)を

一切排除する。プロテスタンティズムは聖書とそ

の教説においてのみ成立し,キリスト教的理念は

すべての者に平等に要求されるから(一被造物と

しての無力性の平等),世俗外的禁欲はありえなく

なる。宗教改革によるカトリック的禁欲の否定と

は,このようなヒエラルヒー的二重構造そのもの

の否定であるから,今や,罪の意識にもとづくも

っとも厳格な禁欲が「世俗内的」innerweltlichに

要求されることとなる。各人は世俗の職業を召命

と感じてこれにひたすら従事しつつ,現世の秩序

を合理的・組織的に形成し,奉仕の生活を営む。

しかもここに「予定」の教説がはたらき,「救い

の確かさ」は人間的な功績(よきわざ)によって

もその確証を増すことのできない絶対的な神の予

Page 7: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 39

定に属するがゆえに,職業労働への不断の,無限

の従事によるほかない。カトリック的禁欲の否定

としての「禁欲の徹底」と,「現世肯定」とが,

世俗内的禁欲としての職業一召命観念によって否

定的に媒介され,ここに未曽有の「歴史形成の社

会学的推進力」が産みだされることになる。この

ような職業観は「現世と禁欲との総合」Syntese

von Welt und Askese(S.281)であり,トレルチ

もそれを「現世と超現世との間の新しい一つの宥

和(e励neue Ver曲ung)」,「キリスト教的禁欲と世

俗的労働との一つの内面的結合関係(eine innerhche

Zasa㎜enziehung)」(S.279)とよんでいる。

3.〈社会学的〉方法の問題点

 ルネサンスと宗教改革とを比較検討し,それぞ

れのもつ独自性をとらえたトレルチは,〈近代世

界の成立》を,これら両者双方の歴史的な「緊張

と融合」の結果としての「啓蒙主義」のうちに求

めていく。その論旨を整序すれば,さしあたりつ

ぎのように言うことができる。

 近代世界は,ルネサンスだけの力が一直線的に

延長されていくことによって成立したのではなく,

ルネサンスを経験しつつあったヨーロッパが,宗

教改革にはじまる古プロテスタンティズムの有し

た強力な「社会学的エネルギー」になお・2世紀の

あいだ担われ,それに浸されることによって初め

て可能となったのである。その成立にいたる過渡

期において,「社会学的にみて,より生産的な」

宗教改革の側の圧倒的な役割が認められたのであ

るが,それは,そのような強力かつ持続的な歴史

形成の推進カーとりわけ「エートス」一によ

ってはじめて,前期的資本による上からの体制再

編一維持的な,なし崩し的改良とは質を異にした,

封建的社会体制の下からの構造的変革,そのよう

なものとしての産業資本を新しい担い手とする近

代資本主義社会の成立が可能となったからである。

 他方,「ルネサンス」の方は,異質の対抗者で

ある「宗教改革」(一古プロテスタンティズム)のな

かへ入っていって侵蝕し,それと融合することに

よってそれを近代化し(一新プロテスタンティズム

ヘの転化),近代世界の世俗化と普遍化とに力を

ふるったのである。この事情をたんに表面的に,

あるいは精神史的な流れとしてだけ見れば,《ルネ

サンス→近代世界》という文化史的発展として

見られてしまうが,その発展を現実に推進したエ

ネルギーと担い手,持続的に作用したエートスを

抜きにしては,このような西欧に独自な近代世界

は現出しえなかった。それを把握しようとするの

が,〈社会学的〉方法である。もとよりそれは,

「ルネサンス」や「商業資本」の力を軽視するも

のではない。むしろそれらの強固な力が後発の

「近代」社会に根強く存続して,その構造的変革

を阻止し,産業資本形成の自生的な道に対する

「対応形態」(高橋幸八郎)を生んでいることは,

つとに指摘されてきた。

 さきにトレルチが「個人主義」を取りあげたと

きにも,彼の視点は「近代に独自の個人主義」der

spezifisch moderne Individualismus(S.267)とは

何か,それは何によって成立したのかという点に

おかれていた。これは,ヴェーバーが資本主義一

般,合理主義一般,営利欲一般ではなくして,

「近代〔ヨーロッパ〕に独自の資本主義精神」q~der

spezifischmodernekapitalistische Geistとは何か

を一貫して追求していった視点と合致している。ア

ルベルティとフランクリンとの類似性を述べたゾ

ンバルトを批判した筒所{18でのヴェーバーの言い

方に結びつけて言えば,こうである。古プロテス

タンティズムの時期(16,17世紀)を間にはさんで,

その前後にアルベルティ(ルネサンス)とフラン

クリン(近代プロテスタンティズム,啓蒙主義)と

が位置している。ここで宗教観念にいまだ関連せしめられていを6(n。ch nicht)前者と,もぼわ関

連せしめられなくなった(nicht mehr)後者とは,

表面的にみればいずれも「経済的合理主義」「功利

主義」一般として「類似」しているように見える

が,実は決定的に異なる。これを把握できるのが,

〈社会学的〉方法だということになる。

 たしかに,こうして西欧独自の近代世界の成立

事情とその特質を把握することができたが,それ

では,こうして嘆卒』きたったこの追伐世界(そ

れは,宗教観念ともはや関連せしめられなくなると近

代資本主義社会としての姿をあらわにする。)は,ど

のように把握され,そこに生じる一再び独自の,

史上にその例を見ないような一価値の転倒を克

服するいかなる展望が示されるの、であろうか。

 もともとプロテスタンティズムにとっては,世

俗の職業はたしかに自己目的ではなく,宗教的行

為実現のための手段であったにはちがいない。そ

の禁欲的エートス(勤労・質素・周到さなど)が側

面から強力に作用して→生産力の拡充を促進さ

Page 8: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

40 福島大学教育学部論集34号

せ,→コモンウェルスとしての社会全体に貢献

し,→結果として貨幣利得(新しい型の営利)へ

至るが,これによっても救いの確証の保証とはな

らないから再び最初へもどって無限のサイクルを

成立させる。しかし,いったんこれが現実の社会

のなかで自己回転しはじめるや,このサイクルは

容易に逆転するq”。より多くの利得をあげる職業こ

そが生産力拡充と結びつき,社会全体の福祉に貢

献するはずであるから,それは必ずや倫理的諸徳

をも実現するであろうと。社会的貢献の標識にす

ぎなかった「営利」が絶対化されてしまい,禁欲

的諸徳性の実践も営利のためとなる。こうして今

や,新しい独自の「営利」が目的じたいとして倫

理的に称賛され,手段の位置にあった世俗的職業

が自己目的と化する。しかも,それは社会に貢献

するという宗教的一倫理的確信に裏づけられ,個

々人の特性としてではなく社会的生産力のエート

スとして推進される。エンゲルスは,この事態を

重商主義〔賎民資本主義〕と近代資本主義との対

比で示し,たくみな比喩を用いて言う11掛。「重商主

義はまだ一種の天真爛漫なカトリック的率直さを

もっていて,商業の不道徳な本質を少しもかくさ

なかった。………しかし経済学上のルターたるア

ダム・スミスが従来の経済学を批判するようにな

ったとき,事態は激変していた。………カトリッ

ク的率直さに代って,プロテスタント的な偽善が

現われた。商業は『不和と敵意のもっとも豊かな

源泉』ではなく,「個人間の場合にも,諸国民間

の場合にも,結合と友誼のきずな』(「国富論』第4編

第3章第2節)とならなければならないことを,

スミスは証明した。」

 このような価値の倒錯に対して,本書のトレル

チは「世俗的職業は自己目的ではない」と言うに

とどまる。「勝利」をとげた資本主義についての,

ヴェーバーの突きはなした表現はよく知られてい

る。禁欲が僧房から出て世俗の職業生活のただな

かに移され世俗を改造(umbauen)してきたが,こ

うして生みだされてしまった近代的経済組織の世

界秩序は,圧倒的な力をもって逆に一切の諸個人

の生活を決定づけるようになった。もはや禁欲の

精神という支柱を必要とし壱ぐなった近代資本主

義の営利活動は,純粋な競技の激情,スポーツの

性格をおびるにいたる。………

 これに対応するトレルチの叙述は,『近代世界の

成立に対するプロテスタンティズムの意義』の末尾

1982-12

の文章に見いだすことができる。これは,ヴェーバ

ーのさきの文章をも念頭にして書かれたかと思わ

れるものであるが,すでにそこにはヴェーバーと

は別な響きを感じとることができる。

   「近代文化は,いずれにせよ自由思想なら

  びに人格思想の途方もない拡大と強烈さとに

  よって特徴づけられており,われわれはその

  点に近代文化の最善の内容を認める。………

  〔しかし〕この自由思想の地盤がひきつづい

  て維持されるかどうかは疑問である。そのよ

  うなことはくマックス・ヴェーバーがロシア

  革命についての著述において適切に詳述して

  いるように(〔Weber:〕Z脚Bε4eu加π8der

  8θ8eπωar孟∫8eη P・」琵‘8Cんeη Eπ置ω∫Cゐ彪π8 R包β一

  」απd8,丁泌∫π8επ,1906,S.102f)〉困難であろ

  う。われわれの〔資本主義的〕経済発展は,むし

  ろあらたな隷属neue H6rigkeitにむけて舵を

  とっており,われわれの強大な軍事一,行政国

  家Mihtar一,undVerwaltungsstaatenは,あ

  らゆる議会〔の努力〕にもかかわらず,自由

  の精神にとって必ずしも好都合ではない。専

  門家まかせに堕しつつあるわれわれの科学,

  あらゆる立場の性急な吟味によって疲れはて

  たわれわれの哲学,そして超感覚性を培いつ

  つあるわれわれの芸術が,自由の精神にとつ

  ていっそう好都合であるのかどうか,疑って

  も当然であろう。自由の抑圧と後退との来た

  るべき将来に残されているものは,とりわ

  け全建築物にみずからその力の大部分を与え

  たところのもの・自由と人格的信仰の確信と

  の宗教的形而上学である。」119

 同様の対照は,さきに引用した箇所でヴェーバ

ーが,「今日では禁欲の精神はこの外枠〔一近代

的経済組織〕から抜け出てしまっている。それは

最終的にか否か,誰も知らない」と突きはなして

いたのに対して,トレルチは「ルネサンスと宗教

改革」の末尾で,ブルクハルトの『世界史的諸考

察』⑳に言及しつつ,「やがてふたたび禁欲は頭をも

ちあげ,そしてキリスト教的形態を好むか高貴な

インド的形態をとるかは別として,いずれにせよ

自然を超越した偉大なる彼岸へと眼を転ずるので

ある」と言い,退廃文化のただなかから再び新し

い「禁欲の世紀」が興ることを期待している。

 「ヴェーバ一二トレルチ・テーゼ」といったよ

うに一括してよばれることも多いにもかかわらず,

Page 9: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 41

この二人を並べてみると,上例に見られるように

両者の間に横たわっている溝は意外なほど深いこ

とがわかる。しかしながら,近代資本主義社会における

あの価値倒錯一一人間の社会関係の物化(一労働力の

商品化)一という,意図に反した事態に対するこの両

人の姿勢は,一方はこれを「運命」として冷徹に引

きうけると言い,他方は新たな宗教的超越に期待

するというような違いはあるにしても,いずれに

せよその克服への現実的方途や展望を示しえない

点では同様である。こうして,唯物史観との対立

点が浮かび上ってくるので,唯物史観に対する

〈社会学的〉方法の関係を述べて,一応の結びと

する。

 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精

神』におけるヴェーバーについて言えば,〈近代

資本主義論》へ重点が移っている現行版(1920年)

のもとになっている『原・倫理』(1904年「アルヒー

フ」に発表)の主題は,資本主義をめぐる禁欲論

であり,それを通じて唯物史観を批判することが

主問題だったと推定されている⑳。さきに述べたゾ

ンバルトに対する長文の反論注一これはく社会

学的〉方法をヴェーバーが具体的に適用してみせ

た好例である。一も,後年の加筆部分であるがそれが挿入されたもとの箇所は,フランクリンを

めぐる「資本主義精神論」を,「素朴な史的唯物

論」(naiver Geschichtsmaterialismus)批判の文脈の

なかで展開していることがわかる(岩波文庫版,

上巻51ページ)。総じて,「『プロテスタンティズ

ムの倫理』論文から〔第1次〕大戦中の政治分析

にいたるまで,彼の仕事の多くはマルクスの史的

唯物論の批判的考察を基礎にしていた⑳」というこ

ともできる。ただし,そのさいのマルクス(主義)

「批判」は,たんなるミ否定モではなく,その活

性化を促す充電をも含むような,厳しい問題提起

であった。

 トレルチは,このようなヴェーバーとの接触・

感化のなかで艶マルクス(主義)とのく対決と調

停》をへて,〈社会学的〉方法を成立させていっ

たといえる。「ヴェーバーとトレルチの著作は,

マルクス主義的イデオロギー批判を神学と宗教社

会学へ,かれらの〉世界観的一教義的含意〔密接

な関係〕〈を崩すことなしに,導入しようとした

最初の偉大な試みを含んでいる伽」とも言われる。

たしかに,ヴェーバーやトレルチによるマルクス

主義〈下部一上部構造論〉批判は,「実は,カウ

ツキィKautskyのような俗流マルクス主義と闘う

こと㈲」を意味していたにちがいない。しかし,

安易に彼らを「マルクス」の方に引きよせて解釈

するのは,いずれの側にとっても生産的ではない。

 経済的要因の一元主義に対して,ヴェーバーは

方法論的に,トレルチは歴史哲学的に批判した。

とくに後年のトレルチが向かった方向はヴェーバ

ーのそれとも異なって,歴史哲学の領域であった。

これを一言でいえば,個性概念を「個性的総体」

として,集団的個性として把え直し,歴史的一個

性的なものを,倫理的に普遍的なものとの関係に

おける「現在的文化総合」によって,相対性の世

界にギリギリ身をおきつつも,なお歴史の全体像

を(超越的に)眺望しようとした。このような「歴

史主義に対する積極化への転回の経過」は,同時

に「マルクス主義に対する冷厳化の過程」囲でもあ

った。

 ヴェーバーが提起し,トレルチが引きついで思

想史の領域へ適用した〈社会学的〉方法は,近代社会の

トータルな発展法則の認識が志向されておらず,む

しろそのような全体認識への抑制から出発している。

「近代文化のもつ一定の特徴的な内容のうち,ど

れだけを歴史的原因としての宗教改革の影響に帰

農垂亡むべきか,ということだけを問題にする」

(ヴェーバーr倫理』岩波文庫版邦訳 上巻 137ペ

ージ)のである。「近代文化の産出に対するプロ

テスタンティズムの関与Anteil一それは疑いえ

ぬところであるが一といっても,なんら統一あ

るものでも,単純なものでもない。その関与は,

さまざまな文化諸領域において多様であり,…

不透明なものである」(トレルチ「意義』S.32)。個

々の文化領域にわたってその連関を追求するさい,

「指導的な,いわゆるすべてを自分でうみだし形

成していく理念から統一的に構成することを断念

verzichtenして,さまざまの並行した・独立の,

事実,お・そらくはたがいに交錯しているであろう

豊富な影響を考慮するときにのみ,真の因果関係

の理解に到達するのである。偶然,すなわち多く

の相互に独立した因果系列の結合は,このような

事柄において,決して過少に評価されてはならな

い」(ibid.,s.45)と考えるところに,その特色が

よく出ている。

 〈社会学的〉方法は,このように,近代世界を

「無数の歴史的諸情勢」すなわち無数の個別的原

因から成りたつ複合体としてとらえ,したがって

Page 10: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

42 福島大学教育学部論集34号

「経済的観点」のみに服するようなものとして一

義的に規定することは到底不可能であると考えて

いる。このような多元的社会観を前提とし,その

構成体のある部分を取りだして「孤立化」させ,

そのかぎりにおける因果連関を見とどける。歴史の

全体認識,発展の把握は断念されており,成立し

てしまった近代世界におけるエートスと社会過程

との乖離の一決定的な一原因を問うことは,

問題設定の範囲外におかれざるをえない。ここに,

「孤立化的一因果的考察方法」というく社会学的〉

方法の限界があらわれる。「ゾンバルトが地上の

あらゆるところで作用したような発展要因Ent-

w量ckl㎜gsfaktorenを重視するあまり,西欧に固有の

ものたる合理的な労働組織das Spezifische des

Okzidentes:die rationale Arbeitsorganization lよ

背景に退いてしまっている伽」とヴェーバーがゾン

バルトを批判している箇所があるが,〈社会学的〉

方法の限界という点からすると,逆にヴェーバー

らは,「西欧に固有のもの」を求めるあまり,つ

いに歴史の普遍的な「発展要因」を見失ってしま

ったということになる伽。

(1)今このことについて述べる紙面がない。戦前発表

 されたすぐれた先行研究である,塩見高年「ルネサ

 ンスの世界』(創元社 1961刊),ファシズム批判をこ

 めて書かれたK.L6with:JαcoδB蹴。価α7dむ,Dε7

 Mεπ8cん∫π而漉ηde7Ge8cゐ∫cゐむε,1936(2種類

 の邦訳がある)などを参照。

  「教養」を没落させる大衆の時代の到来を嫌悪し

 たプルクハルトにとって,歴史における恒常的な規

 範としてのイタリア文化の発見は,現実世界への悲

 観的諦観でもあった。

(2)ホイジンガ「文化史の問題』1929年,里見元一郎

 訳(東海大学出版会 1965)所収。

(3)阿部玄治「ルネサンス観の変遷」,中森義宗・岩重

 政敏編『ルネサンスの人間像』(近藤出版社 1981)

 16ページ。

(4) E.Troeltsch:MeぬθB位。五e71922,in:Gesam-

 melte Schriften Bd.IV S.3~18.荒木康彦訳『私

 の著書』(創元社 1982.4) 5~29ページ。

(5) E.Troeltsch:、4μ∫配a側ηg,in:Gesammelte

 Schriften Bd.IV S.338 内田芳明訳『ルネサン

 スと宗教改革』(岩波文庫)所収。

(6)内田芳明rヴェーバーの射程一現代文化と社会

1982-12

 科学の課題一』(勁草書房 1977) 108ページ。

(7) Wl Dilthey:」4μ“α8εuπg肌d/1ηαZ』y8e dεεMeπ一

 8cゐeη‘7η15.朋d16.Jαんr加πdε7ま,(Arc}丘vf廿r Ge-

 schichte der P}』osophie,1891~92),h:Gesa皿melte

 Schriften,Bd』 1913.西村貞二訳は,内容をと

 って『ルネサンスと宗教改革一15,6世紀におけ

 る人間の把握と分析一』(創元社 1978)と題され

 ている。小林靖昌訳「近代的人間像の解釈と分析』

 は,のちに『近代成立期の人間像』(理想社改訂版

 1979)と改題されている。ただしディルタイ自身が

 15,16世紀を「近代成立期」と考えていたかどうか

 は,問題のあるところである。

(8}ディルタイが「中世形而上学の解体」として提示

 したものは,実はそれらの三つのモチーフ(①宗教

 的動機,②ローマ的精神,③ギリシャ的宇宙観)の

 分散にすぎず,それらは一定の時代にのみ所属する

 ことをやめて,「今日なおわれわれの民族に適合し

 た宗教的形而上学の土台」として承認されることに

 なる。(トレルチは「個人主義的主観主義〔ルネサ

 ンスと宗教改革〕による形而上学の解体は啓蒙の自

 然体系を通じて再び新たな形而上学の産出に陥った」

 という趣旨の批判を行っている。)ここからディル

 タイは世界観の3類型一一①自由の観念論〔主観的

 観念論〕,例.メーヌ・ド・ビラン,②客観的観念

 論,シェリング,③自然主義的現実主義〔唯物論も

 ここに入る〕,コント,スペンサー一をつくりあ

 げる。なぜ哲学の類型はこの3つにかぎられるのか

 と問えば,カントの3分法にならって精神のモメン

 トは,①意志,②感情,③悟性の3つだからと答え

 るほかない。しかしこのように「人為的に孤立化さ

 れた「心理能力』に,大きな歴史的現象を還元する

 ことはできない」し,「一個の人間においてこれら

 の心的能力が調和にもたらされうるのと類似した,

 哲学的諸類型の調和を夢みる」(ルカーチ『理性の

 破壊』,『著作集』13,白水社,34ページ)ものの,

 それは資本主義の社会的分業の結果であって不可能

 なことであるからして,ディルタイの「生の哲学」

 は,やがては相対主義の容認,ひいては非合理主義

 へ至ることになる。

(9)ボルケナウF.Borkenau『封建的世界像から近代

 的世界像へ』 1,水田・花田・矢崎・栗本訳(み

 すず書房 1959)。

(10)水田洋「近代人の形成』(東京大学出版会 1954)

 96~97ページ。

(11)内田芳明 前掲邦訳書(岩波文庫)解説196ページ。

Page 11: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 43

(1勘 Max Scheler:Vo肌Uπし8加rz dετWθr孟e,1915,

 Bd,H S.250,邦訳『シェーラー著作集』5,「価

 値の転倒」(下)198ページ,白水社。

  この機会に,この問題をめぐるシェーラー,ゾン

 バルト,ヴェーバーの関係を記しておく(末尾の著

 作年表,参照)。

  シェーラーは,ニーチェのくRessentiment》概

 念(「道徳の系譜学」1887)を使って,論文「ルサ

 ンチマンと道徳的価値判断一文化の病理のための

 寄与一」を,当初「精神病理学雑誌』1に発表し

 た(1912)。同論文は1915年に『論文集』(1919年の

 再版以降は「価値の転倒』と改題された。)に収録

 されるとき加筆されて,「道徳の構造におけるルサ

 ンチマン」と表題を改められた(邦訳,「シェーラ

 一著作集』第4巻)。

  このシェーラー論文をゾンバルトは賞賛し,D併

 Bo包r8εo∫8,Z包r Ge∫3孟e88e8cん∫cん孟e deε処oderπeπ

 W‘冗8c加ガ8meπ8cんeπ,1913においてそのルサンチ

 マン論を活用し,「アルベルティの家族論の特徴は

 ルサンチマンである」(S.439)と述べた。ゾンバル

 トに対するヴェーバーの長文の反論注(1920年加筆

 部分)のうち,つぎに引用する部分は,間接的には

 シェーラーへの批判にもなっている。岩波文庫版邦

 訳では「ルサンチマン」を「反感」と訳してしまつ

 ているため,シェーラーとのつながりがわからなく

 なっている。「アルベルティについては,彼自身フ

 ィレンツェの最高の騎士の家柄の出身であることを

 大いに誇りにしているのであるから,彼を「混血児』

 として取り扱うこと一庶子であるということから

 (それで身分を失うことはなかった。)一すなわち,

 貴族Signoriの門閥から排斥されたゆえにそうした

 門閥〔同族〕に対するルサンチマンにみちた人間

 e鵬sMames……mitRessent澁1㎝tとして取り扱うこ

 とは,根本的に転倒した誤りである。」(ヴェーバー

 『倫理』 岩波文庫 上,55ページ)。.

  シェーラーは,ゾンバルトの上述の著書出版直後

 に数度にわたって詳細な紹介・批評を行なった。す

 なわち「ブルジョア」,「ブルジョアと宗教の力」

 1)θ7Bo雛8eoお即d re1‘8∫δ8eπM琶。厩ε, 「資本主

 義の将来」1)陀Z激uψde8καp註αZ∫s肌肥である

 (いずれも1914年発表。前掲邦訳『シェーラー著作

 集』 第5巻所収)。そのなかでシェーラーは,ゾン

 バルトを批判し,「究極の正しさは完全にヴェーバ

 一の側にある」と述べた箇所もあり(邦訳書 第5

 巻 229ページ),一見ヴェーバーを支持しているご

とくに見えるけれども,ヴェーバー説を承認したわ

けではない。「シェーラーはゾンバルトの誤りを指

摘したが,ウェーバー説に承服したのではなく,現

象学の方法を活用して資本主義のエートスを明証性

という本質直観を欠いた懐疑(カルヴィニズムにお

ける選びの確かさに現われた宗教的ルサンチマン)

に求めたとしている」という指摘がある(小倉志祥

「近代精神とルサンチマン論」,『シェーラー著作集』

第4巻 附録「月報」6,1977年)。

 総じて,シェーラーが問題にしている「価値の転

倒」には,ヴェーバー,トレルチに独自の「倒錯」

把握一「倫理」(たんなる倹約等)が「営利」の手

段としてはたらくのではなく,逆に「営利活動」が

「倫理の実践」の手段として機能していった(禁欲

の)結果生じるような,西欧近代に独自な「倒錯」

一は,見られない。近代的道徳全体を「ルサンチ

マン」一般のせいにするシェーラーのとらえかたか

らして,その欠如を示している。堀孝彦「近代の社

会倫理思想』序章,参照(青木書店 近刊)。

 ヴェーバーは,さきの引用箇所で(S.40 上,

61ページ),「これは,はっきり言っておくが,この

研究全体の眼目die Pointedieses ganzenAufsatzes

に他ならないもので,この点がこうもまったく〔ゾ

ンバルトらによって〕看過されてしまうとは私の予

期しない所であった」と述べている所がある。それ

は,「宗教的根拠をもった倫理Ethikが,それによ

って生れた〔しばしば,神学者の理論Theologen-

Lehreとは異なった方向に向かって働く民衆の〕生

活態度Verhalten,(xL Lebensf凸r㎜gに対して一定

の,しかもその信仰が生命を保っている間はきわめ

て有力な心違的廟激psychologischeP慮mien(経済

的性格6konomisches Charakterをもたない)を与

えるのに反して,アルベルティにみられるような単

なる処世術Lebenskunstlehreはそうした力をもた

ないということである」(上,60ページ)。「アルベル

ティの所説には〔世俗内的禁欲の〕エートスEthos

が欠けている。彼らが説いているのは処世訓Lebens-

klugheitslehreであって,倫理Ethikではない。フ

ランクリンの場合にも功利主義が見られないのでは

ない。しかし彼の若い職人への説教には紛れもなく

倫理的情熱die ethische Pathetikが見られるのであ

り,この点一これが問題なのである(Worauf es

ankommt)  こそが彼の特徴となっている。彼に

とっては貨幣への注意を欠くことは,資本の幼芽を

『殺す』ことであって,そのゆえに倫理的罪悪ein

Page 12: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

44 福島大学教育学部論集34号

 ethischer Defektなのである。」(上,59ページ)。

 これらの点が「根本的な相違点」das Entscheidende

 des Unterschiedes(上,60ページ)と言われてい

 るものである。

(1a住谷一彦「Grundriβder Sozia16konomikの編纂

 者としてのマックス・ヴェーバー」,大塚久雄ほか

 著「マックス・ヴェーバー研究』(岩波書店1965)

 202ページ。

⑳ 大塚久雄「宗教改革と近代社会」,「大塚久雄著作

 集』 第8巻 364~365ページ。

(15)ヴェーバーMax Weber:1)∫εpro重e8めπ孟f8c加

 E孟嫌包ηddε7》Gε∫8重くdε8καP漉」∫ε鵬8,in:

 Gesammelte Aufs翫ze zur Religionssoziolo庫e,B己

 1,1920,S.42梶山力・大塚久雄訳rプロテスタ

 ンテイズムの倫理と資本主義の精神J 上巻,53ペ

 ージ,岩波文庫。

(1⑤ ヴェーバー,同上邦訳書 59ページ。この長文の

 注(同,54~62ページ)は,1920年版の加筆部分で

 ある。

(1の 大塚久雄「宗教改革と近代社会」,同『著作集』

 第8巻 450~451ページ,岩波書店。

(19 エンゲルス「国民経済学批判大綱」1844年,

 「マルクスーエンゲルス全集』第1巻,547~548ペ

 ージ,大月書店。

{19 Troeltsch:D∫e Bedθ惚惚π8dε8Pro壼εεむαπ琵8,π駕8

 ∫琶7d∫eE聰孟e勧η8dermodemθηWeZ毒,ミHisto-

 rische Zeitschriftモ 97Bd. 3Folge,1Bd.1906.

 S、65~66.およびNeudruckderAusgabe1911,1963

 S.102。〈……〉内は,現行の第2版以下では削除さ

 れている。堀孝彦訳「近代世界の成立に対するプロテ

 スタンテイズムの意義」,「トレルチ著作集』 第8

 巻 ヨルダン社(近刊)。

②o ブルクハルト「世界史的諸考察』藤田健治訳(二

 玄社 1982) 215ページ。第4章「歴史的危機」末

 尾の文章,「完全な重大決定というものは,ただ人

 間性の内面からのみ生じうるものである。営利精神や                  オプティミスムス 権力意識として際だって特徴づけられた楽天主義は,

 さらにつづくであろうか。どのくらい長くつづくで

 あろうか。それとも今日の時代の悲観主義哲学がそ

 のことを暗示しているようにみえるのであるが,た

 とえば〔キリスト教の勃興した〕第3,4世紀にお

 けるような思惟方法の全面的変化が姿を現わしてく

 るのであろうか。」 〔訳文変更〕

⑳ 安藤英治「ヴェーバー歴史社会学の基礎視角一

 宗教社会学改訂の意味一」,「思想』1980年8月号

1982-12

⑳ ミッツマンA.Mitzmam『鉄の濫  マックス・

 ヴェーバー 一つの人間劇一』 安藤英治訳 創

 文社 169ページ。

②3)1894年ハイデルベルク大学の教授(組織神学)と

 なったトレルチは,2年後の1896年にヴェーバーを

 同大学の同僚として迎えることになり,1910年以降

 は同じファレンシュタイン家の邸宅に居住していた。

 『原・倫理』論文の初出が1904-05年であり,04年に

 はアメリカ旅行を2人はともにしている。Bosseは,

 両人の決定的な出会いを1901年から03年の間と推測

 し,この時代にトレルチの文化史的方法は社会史的

 方法へ転換したとみている。Hans Bosse:Mα物一

 Weδε7-Troε㍑scん,Re互8∫oπ380z∫o Z o8∫e μηd

 皿αrエ∫8琵8cんe ldeoZo8‘eたτ琵疏(Kaiser・Gr廿newald,

 1970) S.76f.

(24) Bosse, a.a.O. S.88

(25} Bosse, a.a.0. S.98

⑳ 北村次一「初期資本主義の経済倫理』 有斐閣

 1964年,196ページ。

(27)M.Weber:Geεα肌糀eJ孟eハ4εa孟zεz包r Rε互8‘oη8-

 80z‘o’08∫θ,B吐1,Vorbemerkung,1920,S.5

 安藤英治訳『宗教社会学論文集』序言,「世界の大

 思想』H-7 「ウェーバー宗教・社会論集」 河

 出書房 75ページ。

器 本論文は,旧稿「思想史の社会学的方法一一トレ

 ルチのディルタイ批判一」(「福島大学学芸学部論

 集』第13集 1962年3月)を全面的に書き改めたも

 のである。なお,堀孝彦『近代の社会倫理思想』(青

 木書店,近刊)の序章,「資本主義の精神と町人根

 性」と併読されたい。

(ほり・たかひこ 倫理学)

   1982年9月10日受理

Page 13: 「ルネサンスと宗教改革」間題...堀 孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題 33 「ルネサンスと宗教改革」間題 一トレルチにおける思想史の〈社会学的〉方法一

45堀孝彦:「ルネサンスと宗教改革」問題

表年作著

23201308061900911860年

Troeltsch(1865-1923)

Dnthey(1833-1911) DieBedeutung DieSoziallehren Renaissance㎜d

Au鉦ass㎎u.Aualyse desProt.f“rdie derchristl.Kirchen Reformation(1913)

desMenschenhn15.u.16.

iahrh図ert(1891-92)

Entsteh㎎der高盾р�窒獅�獅velt

(undGruppen)

P908,(1912)Huizhga(1872-1盟5)

1906(1911)中世の秋, ルネサンスの

(1919) 問題(1920)

M. Weber(1864-1920)

Dieprot.Ethiku. in:G.A.z.RS

der Geist des Kapitalismus B61(1920)

(1904~05)「原・倫理」 「倫理」

Br㎝㈱,Lゆ(1膨一1931) S㎝垣rt(1863-1蜘)

Ethiku.Volkswirtschaft Dermodeme DerB・urge・is(1913)

hderGescbchte(1901) Kapitalismus

2Bde.(1902,’16)

Burc㎞ardt(1818-97)

DieKultur

р�窒qenaissanceFreud(1856-1939) D.肌a㎜眠(1晒一1930)

㎞ltalien(1脚) Traumdeutu㎎ Totemu.Tabu SonsandL・vers(1913)

(1㎜) (1912)

Scheler(1874-1928)

Nietzche(1幽一1㎜) DasRessent㎞ent DerBourgeois

ZurGenealogie

р�窒loral(1脚)

hnAu伽uderl。ralen(1912,’15ず19)

論評(1914)

Marx(181脇) Lenin(1870-1924)

「資本論」第1巻 ロシアにおける資本 唯物論と経験批判詮 国家と革命

(1867) 主義の発達(1899) (1909) (1917)

68   1871 1900  05 14    171819 22 23

明   ド ア   ペ 第    ロ ドワ ソイ ヒ

治   イロ   ツ

フ   テ

梶@  ル

一    シ イ イ

氈@   ア ツマ連タ トMリ ラ

新   帝

@  国カ   ブ

ェ  ル世    十革 1E    月命ル

成ア 1ァに ’

成 割  ク 大    革 ’共 フ ミ

立 古     一Y 戦    命第和 ア  ユ

  血了 始     一国 ン ン

ノマの ま     次憲 ス ヘ

リ日

る     世法 ト ン

曜 界採 政一コ

日一 大・択 権揆

ミユ

事件

戦終

成(ァ失@敗

1ン

る)

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46 福島大学教育学部論集34号 1982-12

ON RENAISSANCE AIVD              REFORMATION

一E.TROELTSCH’S METHODOLOGY OF THE HISTORY OF IDEAS一

TAKAHIKO HORI

 S㎞ce the open㎎of the20th century,the opthnistic㎞age of‘Renaissance’has disapeared,

owing to the disorder of bourgeois society.And the relation between Renaissanceαηd Refor-

mation has become disharmonious.

 Among these social and ideological situations,Ernst Troeltsch tumed the cultural methodology

of the history of ideas,to‘the sociological,under the influence of Max Weber and Karl Marx,

in1900’s.

 This paper a㎞s to confirm the significance and1㎞itation of his‘sociological’methodology of

the history of ideas,referring to his essay“Renaissance and Reformation”(1913).